悪魔じゃないです 貰った資料をぺらりぺらりと捲っていくうちに眉間に皺がふえていく。
「悪魔召喚プログラム……」
いくつもの資料によれば、この世界で起こっている事件の3割が異世界からやってきた悪魔の仕業だという。
その事件の詳細と裏付け、そして専門家による悪魔を兵器として利用するための論文。
その論文を元に僕はこの悪魔召喚プログラムというものを作らなくてはいけないらしい。
「……うん、そういう。へぇ、データ化して管理……国を動かす人は奇抜なことを考える……」
相手は悪魔とは言え意思を持った生物だ。それを捕まえ使役するなんて非人道的な(人じゃないけど)ことを考え付くなんて人というものの欲は計り知れない。
「まぁ、僕には選択権なんてないんだけどね」
あらかた読み終わった資料をテーブルに投げた。
僕はプログラマーだ。小さい頃からパソコンが好きである時ハッキングを覚えた。
ロックを破って中の情報を覗き見る。難しければ難しいほど突破した時の快感は例えようもないほど気持ちよかった。
そのうち中身の情報には興味を失いひたすら難しいセキュリティを破ることだけに執着した迷惑ハッカーになってしまうのもそう時間が掛からなかった。
けれどそんなお遊びも長くは続かない。
僕は捕まり刑を受けることになった。
「その才能を生かさないか?」
そう拘置所で言われ、PCに触っていられるならなんでもよかった僕はその話に飛びついた。
こうして僕は国お抱えのプログラマーになったのだった。
「緑谷、メシだぞ」
「あ、ありがと! わぁ! かつ丼だ!」
「お前またカロリー足りてないだろ。細くなってる」
「大丈夫だよ! 栄養食品と水は飲んでる!」
「飯を食え……」
呆れたようにかつ丼を差し出してくれるのは僕をここに誘った甘水甘味君というエリート監理官だ。
「いただきます!」
この設備の整ったセキュリティ万全のマンションは僕を囲う檻だ。
けれど不満はない。
「昨日、3回しか冷蔵庫開けてないだろ! 常備菜と温めれば食えるもの入れといたから食えよ!」
「ぅ……」
僕はPCに夢中になると寝食を忘れがちで、呆れた甘水君が冷蔵庫を僕が開くと彼のスマホに通知が行くプログラムを組ませたのだ。お陰であらゆることが筒抜けになってしまった。
「でもさー一昨日も来てくれたじゃない? お仕事忙しいのに悪いよ」
「俺はお前が心配だよ……」
甘水君は実質僕の監視役なのになんかもう友人というかお母さんのようになってしまった。
「ねぇ、悪魔って本当にいるの?」
「らしいな。俺も実際見たことはないが上がってくる資料ではちょくちょく見かける。いることは事実みたいだぞ」
さっきの資料も甘水が持ち込んだもので、仕事依頼の仲介も彼がしている。
「まぁ、貰った分の資料のデータ化は可能だし、僕に断る権利はないからやるけどさ」
最後の一口を飲み込むと絶妙なタイミングでお茶を渡された。
「出来るのか、やっぱお前凄いな」
「そうかな?」
「そうだよ」
呆れたような関心したような顔に僕は軽く首を傾げるだけだった。
「……を繋いで、こっちは召喚陣の管理……データ制御、バグ消去……よし、これで試作機の完成だ!」
何台ものPCが並ぶ部屋の中央にはデータで出来た魔法陣が煌めいている。
「理論上は、これで、いけるはず……!」
最後のプログラムを打ち込みエンターキーを押した。
魔法陣がくるくると回りだし召喚の儀式と命名した動きを見せる。
光が強くなり部屋の中が激しく発光した。
ドォォォン!!
大きな音共に現れたのは、大柄な男。
「……ンだここ……どうなってる!? おい、そこのモサ頭!」
「モサ頭……」
ファー付きの真っ赤なマントを羽織った上半身裸の逞しい男。下はジーンズに革ブーツ。どこからどうみても悪魔には見えない。
けれどももしかして悪魔なのかも? そう思って。
「貴方は悪魔ですか?」
「何言ってんだ? テメェ、頭イカれてんのか!」
胸倉を掴まれてぷらりと浮かぶ。
「うん、失敗だね」
「つか、てめ、軽っっ! 飯食ってんのか!?」
初対面の人にまで食事の心配を……。
「たべ、てます。一応」
「ひょろすぎんだろ!」
ぽいと僕を床に投げて。
「まぁいいわ、さっさと帰せ」
「うん、わかった」
召喚と逆のプロセスを行えば元の場所に戻せるはず。僕はPCを叩いてそして。
「ああ!?」
「なんだ!」
「COMPが壊れてるぅぅぅ!」
悪魔召喚の要、肝心の召喚装置が衝撃で壊れてしまっていた。
「ご、ごめん……部品を取り寄せるだけでも半年かかっちゃう……」
「つまり、これが直らねぇと帰れねぇわけか」
理解が早くて助かる。
「ならさっさと直せ、あと直るまでここに居座る。世話し殺せ」
「あ、はい……」
もうまるで自分の家かのような足取りで室内を歩いていく。土足脱いでくれないかな……。
「あ、待って! 待ってよ!」
どっちが家主か分からないその背中を追いかける。
こうして僕と彼の奇妙な期間限定の同居生活が始まった。
この部屋の家主は緑谷出久というらしい。
一応言葉が通じたのでお互い自己紹介だけして後は自由にと解散になったわけだが。
家電一式家具の使い方が判らず文字がずらずらと並んだ四角いものの前で何かを叩き続ける出久に呼びかける。
「おい」
「……」
「おい……」
「……」
「おい!!」
「いだだだ! な、なに!?」
頭を強く握って振り向かせるとようやく気付いた。
「テメェ何シカトしてんだクソ!」
「あ、呼んでた? ごめん。僕集中しちゃうと周りの音が聞こえなくなっちゃうんだ。なぁに?」
「この部屋にあるもんの使い方がわからねぇ」
あちこちにある箱っぽい物や用途不明の器具を指さすと、出久は合点がいったという顔で椅子から立ち上がり一つ一つ簡潔に、だが過不足なく丁寧に説明をした。
頭は悪くないのだろう。一度の説明ですんなりと用途が飲み込め、複雑な手順を踏むものでない限りは使いこなせる気がした。
家中のものを一通り説明され、腹が鳴る。
最後に飯を食ったのは昼。今は恐らく夜だろう。
「お腹減った? えーと、ちょっと待ってね。あー……ストック切れてる。しょうがないな」
そう言いながら冷凍庫を覗き次いで渋々と冷蔵庫の方を覗いて。
「ご、ごめん。これしかない」
差し出してきたのはカラカラと乾いた音を立てる軽い容れ物。
「ンだ、これ」
「カップラーメンっていうんだよ。お湯を注ぐだけで食べられるようになる食べ物」
「……保存食みてぇなもんか」
「そうそう! 何味がいい? 醤油、味噌、とんこつ、辛いの……」
いくつも取り出して並べていく。
「辛いの」
「わかった」
黒と赤で装飾された一つの包装を剥がし、お湯を沸かす。
「テメェんのは?」
「僕? 僕これでいいかな?」
出久は冷蔵庫から銀色の小さな入れ物を取り出して蓋を捻ってそれを口に入れる。
「それは?」
「栄養補助食品。ゼリーだよ」
「食わせろ」
「僕口付けちゃったけど、ごめん、これ最後の一個」
「それでいいわ」
出久が咥えているそれを引っこ抜き口に入れる。出久がやってみせたように銀色の部分を手で握ると口の中に清涼感のある液体と固体の中間のようなものが入ってくる。
「……どう?」
「悪かねぇが腹にはたまんねぇな」
「ほんとごめんね。いつもなら甘水君がそろそろ食糧持ってきてくれるんだけど、忙しい時期なのかも……」
言いながらカップラーメンにお湯を注いで差し出して来る。強い香辛料の匂いに食欲がそそられた。
「そろそろ食べても大丈夫だよ」
言われて蓋を取り中身を口に入れる。悪くない。ただ、軽すぎてこれも腹に溜まる気がしないし、なんとなく不健康な感じがした。
「僕料理できないし、買い物は一応コンシェルジュに頼めばしてもらえるんだけど……冷凍食品でも買ってきてもらおうかなぁ」
食べ終えて不満そうな顔をしたのが判ったのか口に手を当ててぶつぶつと言い出した。
内容を総合するとどうやら今回のように料理をする手間のないものを揃えるかどうかということらしい。
「テメェ、料理もできねぇのか」
呆れたように言えば。出久は苦笑を浮べ。
「へへへ。料理だけじゃなくて家事一般だめ」
「……せめてメシぐれぇ食えや」
目の前のひょろひょろした体を呆れた目で見下ろす。顔色も悪い。ちゃんとした食事をしていないのがよくわかる不健康さだ。
「夢中になるとついね……」
ちらりと視線を向ける先には先ほど説明されたパソコンというものだ。俺が帰るには俺が呼ばれた装置の修復が必要だという。
「なんだテメェなんも出来ねぇ木偶の坊かよ」
「あははは、そうだね、プログラム以外何もできないから」
「しゃーねぇなここに居る間はテメェの世話し殺したるわデク」
「デク?」
「役立たずはデクで充分だろ」
蔑んだはずの蔑称をデクは口の中で何度か反芻して、そして本当に嬉しそうに笑った。
その笑顔にドキリと何故か心臓が鳴る。
「僕あだ名なんて初めてだ。ありがとう、かっちゃん」
そんな気の抜けた名前で呼ぶなという言葉は嬉し気に笑う出久の前で溶けて消えて。
「俺が帰る前にその折れそうなひょろがり太らせたるわ」
「ははは、太らせても美味しくはならないと思うよ?」
「筋張ったテメェなんざ食ったら腹壊すわ! 誰が食うかよ!」
一緒に暮らす様になってしばらくして、俺はこの時の言葉を撤回することになるのだった。