人魚の涙2 かっちゃん、好き。大好き。好き……。
何度何度も心の中で言ってみる。
あの夜言えなかった言葉。きっと、今日こそ、今夜こそ。
「あの……あのね……」
「おう」
ベッドの上に座るのはお互い風呂に入りもう寝るばかりになった勝己と出久。
籍を入れたあの日、お互いの職場の中間地点に新しくマンションを購入した。聞いてください。かっちゃん即金で買いました。
僕は震えました。
家具も何もかもカタログを見て決めた数時間後には部屋に運び込まれ、次の日の帰宅は新しい部屋でした。
トップヒーロー凄い。怖い……。
ともあれ無事に(?)新婚生活をスタートさせた僕らは、元々半同棲というかかっちゃんが僕の部屋に押しかけていた時期もあり特にトラブルもなく順調に過ごしていた。
この夜の時間を除いて。
「かっちゃん……」
「おう」
「あの……す……」
さぁ言え! 昼間の練習の成果を見せろ! 一人職場の壁に向かってブツブツ呟く僕に向けられた生温い視線に耐えたあの成果を! もう言えるだろ! 緑谷出久!
心の中で自分を叱咤激励する。かっちゃんに愛されていると判ったあの日。僕は同じ言葉を彼に返せなかった。
それが凄く悔しく心残りで。こうして毎晩寝る前にかっちゃんに好きと伝えるための時間を貰っている。
色んな方法で試してみた結果ラインやメールは問題なく。最初はダメだった電話も数日の練習を経て伝えることに成功したのだが。
「す……」
どうしても、直接顔を見てしまうと喉の奥に何かを突っ込まれたように声がでなくなり無理に声を出そうとすると呼吸が出来なくなる。
「……は、……っ」
「おい。しっかりしろ!」
そして過呼吸に近い症状が出て、勝己に抱きしめられ背中をゆっくり撫でられているうちに呼吸が落ち着いてくる。
けれど眩暈が治まらず。毎晩こうしてかっちゃんは僕を抱きしめて眠るだけの日が続いていた。
密着する体から伝わるかっちゃんの熱に毎晩本当に申し訳ない気分になるのだが、これをクリアしなければ僕らは……。
いや、僕は前に進めない。
僕だってかっちゃんに抱かれたくて毎晩ちゃんと抱かれてもいいように中まで綺麗にしてるんだ。
でも、今日もやっぱりダメだった。何でだろう。かっちゃんの腕の中は温かくて優しくて安心できる。もう昔とは違うと判っているのに。
「ごめんね……」
小さく呟くと、うっすら泣いたのがばれたのか目尻にキスをされた。
「俺は10年以上待てが出来る男だぞ。こうやって腕の中にてめぇがいるだけでも充分だわ」
優しい声が降ってきて僕は、せめて気持ちが伝わる様にと彼の唇にキスをした。
「……」
「おい、爆豪。すっげぇ眉間に皺寄ってるぞ? 新婚ラブラブ期間じゃねぇのかよ」
ようやく長年の想いを成就させ籍を入れて数日。まさに蜜月の真っ最中であるはずの勝己の眉間に深い皺が刻まれているのに気づいた上鳴が声をかけてくる。
「おー、すっげぇらぶらぶだぞ」
「じゃー何でそんな渋い顔してるんだよ」
「……」
この二人にはもう散々話を聞いてもらっている。今更隠したところでしょうがないかと勝己は小さくため息をついた。
「デクがな……」
毎晩好きだと言ってくれようとしている。それは嬉しい。例え言えなくても言いたいと思いそれを伝えようとしてくれている。
もうその事実だけで勝己は充分だったのだが、出久はそうではないらしく毎晩必ず勝己に伝えようとする。
「けど、その度に……」
過去の所業のせいだ。言おうとするたびに出久の喉が細い音を立て呼吸を詰まらせ具合を悪くした。幸い背中をさすって抱きしめてやればそのうち治まるのだが自分のやったツケがまだこんなところでも消化され切れていない事実にため息が出る。
出久が気にしてしまうので出久の前では決して吐き出せないことだ。
「先生大変だなぁ……」
「早く克服できるといいよな」
「おい、俺に対しては」
「「爆豪は自業自得だろ?」」
間髪入れず突っ込まれ苦虫を噛みつぶしたような顔をしてしまう。
「……判っとるわ」
そう小さく吐き出すだけで精いっぱいだった。
今日も、出久は過呼吸を起こした。そろそろ二週間目に入る。
一度やめさせた方が出久の体の為にいいのかもしれない。
腕の中でぐったりと体を預ける出久の背中を撫でながらそう思う。
今じゃなくていい、いつかでいい。
気持ちはちゃんと伝わっているのだから。
そう言おうとして手が止まる。
出久の顔が悔し気に歪み涙が溢れている。この苦痛を与えているのは過去の、そして現在の自分だ。
「デク……好きだ。愛してる」
「……うん」
出久が言えない分、自分が。言葉でも行動でも愛情を示して出久を満たす。
それ以外の事は出来ない。
「僕も……っっ」
「今日は、もう寝ろ」
「……っ」
そう言えば一層涙が零れ落ちて。
俺は泣いて眠りについた出久の涙を拭い目を閉じた。
「僕だって、かっちゃんが好きなのに……」
体を洗いながら深いため息をつく。明日は2人で合わせたお休みで、本当は楽しみで仕方がないはずなのに。
こんなのはただの僕だけの拘りなのだからいつかを待てばいいのだと判っているけれど。
「かっちゃん、たくさん待たせてごめん……」
もう何日も我慢させてしまっている。今日で決める!!!
「……よし!」
全身綺麗に洗って勝己が待つ寝室へ向かう。決意を表す様に今日は飛び切りの薄着だ。装備は薄手のシャツ一枚。
ドアを開ければ勝己がぽかんとした顔をした。
「かっちゃん……」
するりと抱きつきキスをして。
「す……」
視界もぼやけるような唇が触れるか触れないかのそんな至近距離。
壁越しで言えたんだ。これなら……。
そう思って言葉を紡いだ途端また呼吸が詰まる。
言いたい、言わせて、言わせろ! 僕は言いたいんだ!
「……っ」
「デク、無理するな」
背中を撫でられ自分の呼吸が止まっていたことに気付く。
また言えないのか……。悔しくて零れる涙が勝己の頬を濡らす。
「デク……」
あやす様な手の温かさ。
「ねぇ……」
「何だ?」
「僕を抱いて……、ちゃんと君が……、、想ってるって体で感じて? たくさん我慢させてごめん」
これ以上勝己を待たせるのは申し訳ない。
「いいのか? お前がちゃんと言えるようになってからでもいいんだぞ?」
いくらだって待ってやると抱きしめる腕が強くなる。
「僕もずっと君に抱かれたかった。毎晩ちゃんと綺麗にして、言えたら抱いてもらおうって思ってて……」
そういえば勝己が小さく息を飲んだ。
「諦めたわけじゃない。またきっと君に迷惑をかけながら言おうとすると思う」
「迷惑じゃねぇ、嬉しい」
「ねぇ、抱いて? 僕が君を……」
好きだということが。
「きっと体で伝わると思うから」
「こうやって腕の中にいてくれるだけで充分に伝わってんだけどな……お前は言い出したら頑固だから」
抱きしめる腕に力が籠り、一気にベッドに押し倒された。
「……具合は? 眩暈は?」
「大丈夫、だから、来て?」
心配そうな顔をする勝己の頭に手を伸ばし自分からキスをする。
「……ん、っ……」
重ねるだけの口付けはすぐに深く交わって、舌が絡み歯列をなぞって呆れるくらい長く。
その間に勝己の手がシャツの裾から入り手が止まった。
「デク……下着」
「スルのにいらないでしょ?」
「はー!? くっそエロ!」
裾が長めのシャツだったので見えてはいないが本当に身に着けていたのはシャツ一枚。
がばりと起き上がり勝己が丁寧な手つきでたった一枚のシャツを脱がせていく。それこそプレゼントのラッピングを大切に剥がす様に。
「えと……そんなにじっくりされると恥ずかしいんだけど……」
「……」
ちらりと視線を寄越されただけで特に何も言わず相変わらず真剣な表情でゆっくり剥がしていき、剥き終わるとやり遂げたような満足そうな顔をした。
「でく……」
甘い声。ぞくりと背中が痺れるような。幸せで仕方がないというような顔が近づいてくる。
「……君は、なんて顔してるんだ」
「一生、こんなことは起こらねぇと思ってたんだ」
個性で出久が恋心を消してしまったと聞いたとき、勝己もまた己の恋心を秘めようとしたのだと聞いた。
お互いにこんな未来を想像することなどなかった。それが今目の前にある。
「……僕もだよ」
泣き出してしまいそうな勝己の頬を撫でるとまた愛し気に目を細めて出久を抱きしめる。
するりと腹を撫でられ体が震える。医者としての体力維持のためそれなりに鍛えてはいるがやはり勝己の体に比べると貧相なそれを、愛し気にゆっくりと触れていく。
「デク、愛してる」
勝己も服を脱ぎ去って素肌で抱きしめられた。
「かっちゃん、僕も、こんなことは絶対起こらないって思ってたよ」
君を好きになったその瞬間から、希望はなかった。
違う世界の相手に恋い焦がれ、想いは遂げられず泡となって消えてしまう。そんな未来しか見えなかった。
「かっちゃん、抱いて」
好きは言えない癖に抱いてはすんなり言える自分になんだか可笑しくなる。
「おう、抱き殺すわ」
言葉は物騒なのに触れて来る手はどこまでも優しくて。
「……ふ、ぁ……っ」
焦らすではなく丁寧に体を拓かれていく。
どこに準備していたのかローションで丁寧に解され、体中にキスと愛撫をたくさん受けて。
指先から体の中に勝己の愛情が直接注ぎ込まれるような。
そんな触れ方。
ただひたすらに気持ちよくて愛おしくて出久の中が好きで満ちていく。
ああ、この人を好きになってよかった。
中に入って来た勝己が全て収まり体が熱で満たされる。
満足そうな息を吐き出し、出久を愛し気に抱きしめた勝己の顔は一生忘れられないくらい幸せそうなもので。
「出久。好きだ、愛してる」
お前が言えなくても俺がずっと言い続ける。
そんな言葉が聞こえた気がして、出久も背中に回した腕に力を籠め伝わるようにキスをして。
「僕も……」
そう言えば、勝己が嬉しそうに笑った。その顔を見た瞬間、心の中の好きが溢れた。
「好き」
「「……」」
全く意識することもなくぽろりと零れた言葉に二人とも時が止まったように固まって。
「「……!!」」
次の瞬間、二人してイッてしまった。
「……ふっ」
「……くっ」
その後、繋がったままバカみたいに笑って。
「言えた、言えたよ。かっちゃん、好き!」
一度言えたら次はもう今までのは何だったんだというくらい軽々と口に出来た。
「ばか、急に言うからびっくりしてイッちまったじゃねぇか!」
「ふふふ、僕もだよ」
抱き合って笑って何度もキスをして。
「なぁ、デク」
甘えるように擦り寄った勝己に。
「もっかい」
「うん」
自分からキスを返した。
一晩中抱き合って、幸せに満ちた朝を迎えた。
「はよ……」
「おはよ、かっちゃん」
寝ぼけてるかっちゃんちょっと可愛いぞ。いつもテレビで見るときに寄っている眉間の皺は家にいる時には殆ど見ない。
思い出すのはいつも満たされた顔をしているかっちゃんの顔。
もう、大丈夫だ。
「かっちゃん、好きだよ」
そう言えば、伸びて来た腕が強く体を抱きしめた。
「俺も、好きだ」
「ねぇ、今日は何をしようか?」
今日は休みだ。どこかへ出かけてもいいし家でのんびりしていてもいい。
君と一緒なら。
「てめぇと一緒なら何でもいい」
同じことを思っていたらしいことに気付き思わず笑えば。
「何笑ってんだよ」
急に拗ねたような顔つきになってぎゅうぎゅうと抱きしめて来る。僕、君がこんなに可愛い人だったなんて知らなかったよ。
「同じこと思ってたなって思っただけだよ」
「そーかよ」
途端機嫌がよくなるところも可愛いな、なんて思っていたら。
「そうやって、ずっと一生俺の傍で可愛く笑ってろ。そんだけで俺も幸せだから」
蕩けるような顔で笑う君。
二人で随分遠回りをしてしまった。でも……
「かっちゃん、好き。大好き」
「ハッ、俺の方が愛してるわ」
今こうしてお互いが触れる距離にいられることが何より幸せだと思った。