もっと甘えて「始、ちょっといい?」
仕事も無事に終え、寮に帰ってきた始が共有ルームでくつろいでいるときであった。
珍しく険しい表情をした春が声をかけてきた。
「あぁ。お前の部屋で良いのか?」
「うん」
春は声すらも強張っているように感じ、始は何をしでかしたのか反芻し、今日の仕事中のことが月城さんから伝わってしまったことを理解した。
部屋までの道すがらも何の会話もなく、招き入れられた春の部屋は寒すぎず暑すぎず、始にとって心地よい温度設定でエアコンが動いている。
「春……」
「どうして、暑いなら暑いってちゃんと月城さんに伝えなかったの?」
「空調が壊れていたんだ、暑いと言ってもどうしようもないだろ?」
「だからって、隼を呼んだの?」
ピリリと空気が張りつめる。こんなに春が怒っていることなど滅多にないためか、どこか息苦しく感じ、真っ直ぐ始を見つめる瞳を見返せずそっと目を逸らした。
「幸い、あっちの方の仕事に支障が出なかったからよかったものの、始が呼んだら隼が来ちゃうことぐらい分かってたよね?」
「すまない……」
いつもは諭すように優しくたしなめる春だが、本当に怒っているときの空気は始ですら耐えられず何も言い返すことができなくなってしまう。
「俺が何で怒ってるのかちゃんと理解してないでしょ」
「……。仕事中だとわかっていて隼を呼んだ。リーダーとして配慮に欠けていた」
「そうじゃないよ、始」
春が始の頬を両手で包み込み、真っ直ぐにその萌黄色が見つめてくる。逸らそうにも、逃げることのできない強い光に始も大人しく見つめ返した。
「さっきも言ったけど、なんで暑いなら暑いってちゃんと伝えなかったの? 始が暑いのが苦手なことぐらい皆知っているし、それを分かっていて月城さんは声をかけていてくれた。それなのに、始はお気遣いなくって言って、心配している月城さんの言葉をちゃんと受け取らなかった」
「それは……」
「心配かけたくなかったんだよね? でも、だからって無理をする必要はないんだよ。そこで無理をすることで、余計に月城さんは気を遣うし、心配もする」
的を射た春の言葉に、グッと言葉を詰まらせる。
あれだけ心配してくれていた月城さんの言葉を無下にしたのは始自身だ。
「甘えるのが苦手なのはわかるよ。我儘だって言えないのもわかる。でもね、月城さんや、俺、グラビの皆。スタッフさん近くにいる人たち、みんなが始のことを大切にしているし、無理はしてほしくないって思ってる。俺たちじゃ頼りないかもしれないし、隼を頼っちゃう気持ちもわかるけど、だからって月城さんの気持ちをないがしろにしないで」
そんなつもりはなかったなんて、所詮言い訳にしかならない。
未だに、月城さんに気を使われることに慣れず、つい恰好をつけてしまう。
マネージャーなのだから、いつでも頼ってください、とあの優しい声と表情を見ているとつい、春を彷彿としてしまって、格好悪い姿を見せたくないと意地を張ってしまうのだ。
「月城さん、僕じゃダメだったので、春くん、少し様子を見てあげてください。ってちょっと寂しそうに電話してきたんだよ」
「うっ……」
「ちゃんと、月城さんにも黒月さんにも謝ってくるんだよ?」
「わかった……」
「はい。じゃあ、お説教終わり! 紅茶でも飲む? アイスティーにしようか」
真剣な表情から一変して、いつもの柔らかな顔に戻った春に無意識に浅くなっていた呼吸が返ってきた。
「春……」
「なぁに?」
キッチンに立つ春を後ろからそっと抱きしめる。
「ありがとう」
「んー?」
肩に顎を乗せ、甘えるようにぐりぐりと頭を押し付けると、優しい掌がさらりと髪を撫でてくる。
「お前たちが頼りにならないわけじゃない。俺が、勝手に意地を張っていただけだ……それと……」
「それと?」
「お前がちゃんと怒ってくれて少し嬉しい」
「なぁにそれ」
くすくすと笑う春にはたぶん伝わっていないがこうして春が真剣に始と向き合ってくれることが嬉しいと思えるのは、過去の喧嘩を未だに引きずっているからなのかもしれない。
「あと、お前は俺のことを甘やかしすぎだ」
「え? 今、お説教したばかりなのに?」
「始ってば変なのー」などと笑う春をから離れ、ポケットからスマホを取り出した。
「紅茶が入る前に、月城さんと黒月さんに電話してくる」
「うん。いってらっしゃい」
にこりと笑う春の笑顔が後押しになり、始はゆっくりとスマホのボタンを押した。
「お疲れ様です、月城さん」
END