ホットケーキ事変【始春】 いつもの、始お気に入りのソファ。
桜はもうとっくに散ってしまって、少し寂しいけれど、窓から差し込む日差しはポカポカと暖かい。
すうすうと規則正しい寝息をBGMに、始の寝ているソファを背もたれにしてノートパソコンを開く。今日は寮でも仕事ができる内容のものしか予定に入れていない。なぜかと言えば、久々の始のお休みである。ゆっくり休んで欲しいからこそ、そのお手伝いが必要だと思ったからだ。
こうして貴重なお休みもしっかりサポートできてこそ、相方と自信をもって名乗れるのだ。
そうこうしていると、ピロンっと小さくスマホの通知音が鳴った。
今日は、寮の皆はそれぞれの現場のお仕事で出払っている。そんな彼らのSNSの通知が届いてスマホの画面を覗き込んだ。
新と葵君から始まり、なにやらツキプロ全体にデートブームが来ているようで、あちこちで様々なデートが繰り広げられている。
それにしても……。
「デート……はしたいけど、超多忙な相方さんの貴重なオフなんだよねぇ」
そっと振り返り、顔を覗き込んでみるが、始はまったく起きる気配がない。
しかし、この流れでは俺たちのこともSNSに載せなくてはファンの子たちは悲しんでしまうだろうか。まあ、そのまま現状を素直に上げてみるのも悪くない。
『隣で仕事をしてお家デート(仕事)と言い張りますか』
さすがに、始の寝顔をツイートするのは憚られるので、ローテーブルの上に置いた紅茶のカップと一月、三月ウサを並べて写真を撮った。
「春……?」
くあり、欠伸をして眠気眼の始がのそりと起き上がる。
「あれ? 始、起きた? おはよう。もう、おやつの時間も過ぎちゃったよ」
まだ、ぼーっとした表情で時計を見つめる始に、寝起き用の熱い紅茶を差し出した。
「サンキュ……」
「しかし、よく寝てたね。お昼ご飯食べてからずっと。まあ、始はいくら寝ても夜に眠れなくなるなんてことは無いだろうけど」
「そういうお前は、仕事してたのか?」
「うん。と言っても、寮でできるような簡単なモノばかりだけどね」
「そうだったのか?」
「あれ? 言ってなかったっけ」
飲み干された紅茶のカップを受け取り、キッチンでサッと洗う。
「寮で仕事としか言ってなかっただろ、おまえ」
「そうだっけ」
あえて伝えてなかったのは、俺がほとんどオフだと知ったら始が気を使ってしまうとわかっていたからだ。もちろん、恋人同士なわけだし、互いのオフが重なればデートとかしたいと考えるのは当然だけど、それ以上に始にゆっくりと休んでもらいたい気持ちの方が大きい。だから、わざと伝えなかった節がある。
「お前は……すぐそうやって……ん……?」
始のスマホにも、みんなのSNSの通知が来ていることに気づいたらしく大きくため息を吐いて、スマホをチェックし始める。
そんな始の表情を見ながら、失敗だったかなと心が重くなるのを感じた。
「春……」
「な、なに……!?」
沈んでいく気持ちの中、グイと引き上げられるそんな声の力強い呼びかけだった。
「お前……、こういうことはSNSじゃなくて俺に直接言え」
「え? え?」
ズイっとスマホの画面を眼前に差し出され、瞳を瞬かせればトントンっと始の長い指がある一文を差した。
「俺と、デートしたいんだろう?」
「あ、いや……それは……みんなとの流れで……ビックウェーブに乗っかろうとしただけでして……」
「言い訳はいい。お前はいつもなにかしら理由や言い訳を考えないと進めないタイプなのはとっくに知ってるからな」
強い力で、始の腕は俺の腰に回り引き寄せる。
額がぶつかるほどの近さで瞳を覗き込まれ、俺は目を泳がせることしかできない。
「今からじゃさすがに出かけるのは難しいな」
始が喋るたびに、その声と吐息が頬に当たる。いつも共有ルームではこんなことを仕掛けてこない始が、キスできそうな近さでその端正な唇で弧を描く。
「じゃあ、春の言う通り、お家デートを実行しようか」
よりいっそう、始の顔が近づいて、あ、これキスされる。と、咄嗟に瞳を閉じるが、一向にその感触は訪れない。
そろりと目を開けば、シニカルな笑みを浮かべる始がクツクツと笑いを溢し、肩を揺らす。
「な、な……」
「さて、小腹が空かないか、はある?」
「もう! からかわないでよ!」
「何を勘違いしたんだ?」
まだおかしそうに肩を揺らす始がキッチンへと入っていく後を追えば、掛けてあるエプロンを纏い、で? と、再び何が食べたいかの催促を受ける。
「ホットケーキ……」
「ん?」
「ふわふわのホットケーキが食べたいです! こんなに厚いのだからね! お店で出てくるみたいな!」
ぷくりと頬を膨らませリクエストすれば、フッと笑みを零した始の優しい声で「了解」っと返事か返って来るばかりだ。
てっきりホットケーキミックスで作るのかと思えば、小麦粉、ベーキングパウダーなど、本格的な材料が次々に準備されていく。そんな姿を、キッチンの反対側で眺めるこの時間が好きだ。
始の手が、そのなんでも出来てしまう美しく器用な指が流れるような動きで美味しいものを作る様は、芸術作品に近い。
卵を割る姿だけでも格好いい。きっと隼が見たら、ペンライト振って泣き出してしまうほどに。
熱せられたフライパンに、ふんわりと混ぜられた生地がもったりと落とされる。
サッとスプーン一匙の水を回し入れ、素早い動きで蓋が閉じられた。
「もう良い匂いがする」
スンスンとキッチンに漂う香りを楽しんでいれば始が冷蔵庫を覗き込んだ。
「トッピングは何が良い?」
「何があるの?」
「イチゴと、ブルーベリーのジャム。バターにホイップクリーム、アイスが、バニラとチョコと抹茶。蜂蜜にメープルシロップもある」
「えぇ~。そんなにあるの、悩むなあ」
甘いジャムも捨てがたいが、アイスがとろりと溶けたところにメープルシロップも捨てがたい。
「そんなに悩むことか? 何で、悩んでるんだ」
「えっと……全部?」
へへっと笑って誤魔化せば、一瞬ぽかんとした表情を見せた始が、プッと噴き出した。
「相変わらず、食い意地張ってんな」
「そ、そん事ないですー! せっかく始が作ってくれたホットケーキだから、色んな味で楽しみたいだけですー!」
「そうかよ、なら全部乗せにするか。さすがに一皿で全部だと味がごちゃ混ぜになるから、二皿で半分ずつ」
「良いの!?」
「お家デートなんだろ? 今日だけだぞ」
「やったー! ありがとう始!」
キッチンテーブルに手をついたまま、ぴょんぴょんと飛び上がると同時にピピピと始がセットしていたキッチンタイマーが可愛らしい音を上げた。
「焼けたな。ほら、春皿出せ」
「はい! 隊長!」
ぽふんっとふわふわのホットケーキが皿の上で揺れる。
部屋中を甘い香りが包み込んで、心がウキウキと騒ぎだしてしまった。
「早く食べよ! ここに、ホイップ乗せてー。ここにジャム。ここにアイスかな~♪」
「こっちはこれで良いのか?」
無事にトッピング全部乗せスペシャルホットケーキが出来上がり、その皿の前でパチンっと手を合わせた。
「いただきます!」
「はい、召し上がれ」
ナイフでそっと切り込みを入れると。パカリと開いた切り口から、溶けだしたアイスが流れ込んでくる。そのアイスをホットケーキですくい上げてぱくりと口に入れた。
「んん~~~!」
椅子の上でじたばたと美味しさを堪能していれば、目の前の始も一口食べて満足そうに笑っている。
「始の作ったものってどうしてこんなに全部美味しんだろう」
「そりゃ、愛が詰まってるからじゃないか?」
「へっ!?」
予想だにしなかった始の返事に、ごくんっと大きなホットケーキの塊をそのまま飲み込んでしまった。ケホケホと咽ていれば、始から紅茶の入ったカップが差し出される。
「もっ……突然のデレは心臓に悪いです始さん……」
「そうだったか? ほら、こっちも食べてみろ」
差し出されたのは蜂蜜をたっぷりと纏ったホットケーキ。
ぱくりと口に含めば、口内が蜂蜜の甘さで満たされていく。
「甘い……」
「俺の想いもこれくらい、甘くてたっぷり詰まっているんだが?」
「やっ……、ほんとう……どうして始って突然、臆面もなくそういうこと言い始めるかな!」
「お前が素直にならないからだろうが」
「俺はいつも素直でいい子ですー」
「なら、今度からはちゃんとデートしたいときは俺に直接言うことだな」
先ほどの意趣返しにしては、ずいぶんと大きなものが返ってきた気がするが、もう俺は考えないことにする。
「もう……これじゃ俺の心臓がいつか壊れちゃうよ……」
「安心しろ、壊れるギリギリのラインもちゃんと心得てる」
「え、始が言うと冗談に聞こえないんだけど、怖い」
「ほら、ホットケーキ冷えるぞ」
「そうだった!」
夢中になって食べ進めていれば、ふと視線を感じて顔を上げる。
始の、優しい笑みと、瞳がこちらを見ている。紫紺色の瞳と、かちりと視線が交わった。
「は、始って俺のこと好きすぎない?」
「今頃きづいたのか?」
「あ、いや……その……」
ホットケーキの甘さより、始の甘い視線と声のほうがずっとずっと甘くて。
俺は、このホットケーキのアイスのように蕩かされることしかできなかった。