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    事代作吾と一堂零の恋のおわり卒業式の夜は、桜の蕾の綻びを留まらせるように肌寒い。卒業式後の打ち上げと称した宴も終わり、奇面組の連中が帰り支度をしている。宴会会場を勝手に自身のアパートを指定された事代は苦虫を噛み潰したままだ。
    「じゃあね、先生っ。リーダーを置いとくから遠慮なく使ってよ!」
    「ひどいなー、潔くん。私に後片付けと事代先生のお守りを押し付ける気かい?」
    「持ち寄りの鍋パーティだというのに、おめえはファミコンしか持ち寄らなかったじゃねぇか。こっちは家から酒やら食材やら持ってきたのによ」
    「事代先生の部屋、もう少し何かあると思ったんだけどなー」
    「リーダーったら、事代センセは親とかじゃないんだよ。甘えちゃだめじゃない」
     おめえは事代のなんなんだよ。口の中で豪が呟き、潔と大も同様の視線を送る。宴の会場を事代のアパートに設定したのも零だったと一同が呆れ返る中、仁が続けた。
    「そーいや、高校卒業してもさあ、僕らにとって先生は先生のままなの?」
    「ふふふ、先生は先生のままなのだ。また遊びに来いと言ってるぞ。ね、センセ」
    「勝手なこというな、一堂!」
     堪りかねたように、部屋の主である事代が口を挟んだ。
     奇面組の連中を事代と零はアパートの門まで送る。門の前の桜は、望む春がまだ来ないかのように蕾が硬い。奇面組を見送ったあとのふたりを待っていたのは、教え子たちが春一番の如く引っ掻き回した事代の部屋だった。
    「あはは、なんだかいろいろ素敵なことになってますねぇ」
    「見事にとっ散らかしてくれたな。どうせなら、物星とか出瀬とか手際が良さそうなのを置いてってくれたらいいものを」
     事代の皮肉を聞こえない振りをして、零は学生服を脱ぎ、ワイシャツの腕まくりをして鼻歌交じりに片付けだす。奇面組の他の連中は私服に着替えていたというのに、この男だけは着納めだからと学生服を身に纏っていた。
    「仁くんも切羽詰まると凄いんですよ。段取り組むのがうまいのは豪くんかなぁ、苦労人だし」
    「お前みたいな役立たずが、なんで奇面組のリーダーやってんだ」
    「そりゃもう、愛って奴ですかね」
    「お前が言うと、どうも薄っぺらい」
     部屋の片付けも粗方終わらせ、シンクの中の洗い物を片付けだす零を見て、意外と手際がいいなと事代が言うと、零は父子家庭ですからと返した。
    「その代わり、料理はまるでダメですよ」
    「そのへんは、俺も変わらん」
    「それじゃあ、二人とも嫁さん貰わなきゃね」
     洗い物が終わったシンクの中を屈んでこする零の肩や腰の動きに、事代の視線が集中する。
    「私もなれるものなら、人の親になってみたいな。私の赤ちゃんを産んでくれる女の人がいたらの話ですけどね」
     事代の視線に気づいた零は、にっこりと彼に微笑んだ。
    「さて、洗い物も済んだことだし、ファミコンの続きでもしますか?」
     二人きりになるとき、零は態度も口調も大人びてくる。
    「お前、今日はあまり鍋を食わなかったな」
     事代の腕の中に、零は飲み込まれた。引き寄せる事代の腕の動きに、零は事代の肩に顔を埋める。
    「誰のために、食べるのを控えたと思ってるんです?一旦家に戻ってから身体の準備して、わざとらしくあなたの部屋に居残って」
     零が事代の身体に腕をまわして抱き返した。
    「ファミコンの続きをしようものなら、ぶん殴ってました」
    「それはないだろう、一堂」
    「一堂?学ランも脱いだし卒業してるのに、まだ私をそう呼びますかね?」
     ため息をついたのだろうか。事代の腕の中の胸郭の動きが零の心情を伝える。
    「作吾さん」
    「……へ?」
    「言ってみただけです」
     事代の腕の中の零の心情は、事代の胸筋を打つ、零の胸の鼓動で伝わった。初めて事代に抱かれた時と同じ鼓動の激しさだった。
    「ひょっとして、照れてるのかお前?」
    「鯖折りされたいんですか?私も力はあるほうなんですよ。女の子じゃないんだ」
     女の子だったらお互い楽だったかもな。事代から身体を引き離し、ワイシャツを脱ぎだす零を見て、口の中で事代は呟いた。
    「始めましょ、先生。灯りは消してくださいね」
     零と事代の行為は、零が途中まで饒舌だ。

     多少手荒に扱っても大丈夫ですよ、男の子だから。でも、途中で灯りはつけないでくださいね。恥ずかしいってわけじゃないけど、男二人で、こんなことしてるのって、正気に戻ると、何やってんだ自分って自問自答して、ゲラゲラ笑いたくなるんですよ。あ、そこ、くすぐったいですって。いたたっ!加減ってもんを知らないんですか、あなたは?

    「そのほか熱いだの重いだの。お前は文句しか言わないな」
     行為も一通り終えて灯りをつける。事代の目の前には、参ったなぁと苦笑いをする零の顔と裸の身体だ。
    「怖いんですよ、あなたは」
     零が女の子だったら、いたわるように抱いてあげて、性急に自分をぶつけることも無かったんだろうか?
    「手荒にしても大丈夫って言わなかったか?」
    「受け手の気遣いをそのまま鵜呑みにしちゃうなんて、モテませんよ」
    「それなのにお前は最後まで俺の好きにさせてくれるんだな」
    「そりゃ、私は先生のことが、す……っ」
    「す?」
     続きの言葉を言いかけて、零は口ごもる。事代と繋がるために家で身体の準備をして食べるのを控えて、事代が手を出すまで、理由をつけてそばにいるのは何のためだったのか。
    「……すまないと思ってるんですよ、これでも。奇面組の連中にラーメン奢ってくれたり、部屋を貸してくれたり、めちゃくちゃしても、先生は許してくれるじゃないですか」
    「お、おう」
    「お返しに、先生の欲求に私の身体を貸すくらいなら、それもいいかなって」
    「人身御供か、お前は」
     零は行為の時は必ず部屋の灯りを消す上に、痛い熱い重い以外の声は漏らさない。
    「俺のことが好きでしてるわけじゃないのか」
     零は俺との行為を喜んでいない。零には一方通行なのだと思うと、事代はがっくりとうなだれた。
    「あ、ごめんなさい先生。私は……」
    「……れい……」
     下の名前で呼ばれたのだと、零は身構える。
    「ぞうこからビール取ってくれ」
    「はあ?」
    「れいぞうこからビールを取れと言ってるんだ、一堂よ」
    「じ、自分で取りゃあいいでしょうがっ」
     零は大きくため息をつくと、誰かのせいで腰が痛いとぼやきつつ立ち上がった。
    「私もビールもらいます。卒業式も成人式もすんだし、もうあなたの生徒じゃないもんね」
    「なに拗ねてんだ、お前は。拗ねたいのはこっちの方だ」
    「じゃ、先生はずっと先生のままなんですか?」
     零は冷蔵庫からビールを二つ取り出すと、事代に向き合った。
    「……急にどーした?」
    「あなたの鈍感で底抜けにお人好しで物事の裏なんか読まないとこは、ちっとも教師らしくないけどさ」
    「よーし、お前、表へ出ろっ」
    「こんな夜中にあなたを相手取るのは布団の中だけで十分ですよ。さく……」
     事代の脳裏に、行為の前に作吾さんと呼びかけた零の声が、浮かびだす。あなたの生徒じゃないと言っていた零の拗ねた表情は、次の瞬間にはいつもの笑顔に変わっていた。
    「……さくらを見に行きません?折角、アパートの門近くにあるのだし、どうせビールを空けるなら、新鮮な空気のほうがいいでしょ?」
     確かに部屋の空気は淀んでいて、酒と食べ物と汗とその他の臭いがした。

    「真夜中の空気って好きだな、昼間と違って静かで優しくて冷たくて」
     アパートの門近くの桜の下で二人が並ぶと、乾杯しましょと零は事代の分の缶ビールをあけて渡した。
    「咲いてもいない桜を見に行きたいなんて、お前も物好きな男だな」
    「満開が桜の見頃とも限らないでしょ。ほら、あの蕾なんか綻びそうじゃないですか?」
     二人が見上げる桜の上は、薄い雲に隠れた月と星空だ。昼間の顔が、奇面組や世間に見せている顔ならば、今の俺に見せている顔は、恋人にしか見せない顔なのだろうか?奇面組の時の零の顔を、何時間か前の夕餉の時とともに、事代は思い出した。
     世話女房タイプの大が、美容と健康の為だと山ほどの野菜を切って持参したり、凝り性の潔が手製の出汁を作る横で、仁が市販のもので充分だってと言い放ち、豪は、先生煮えてるぞ早く喰えと、頼みもしないのに煮えた鍋の具を事代の器に放り込んでいた。器は紙の皿で、どうせ食器や鍋が揃ってないだろうからと、自宅から調達してきたのは零だった。
     役立たずと罵られながらも場を盛り上げることに徹する。一緒に食べる仲間がいなければ、カップラーメンで済ますタイプかもしれない。
    「蕾の少女が大人になる姿を想像するのも乙なもんだと、潔くんが言ってました」
    「そういやお前、成人式をしたんだろ。スーツとか着たのか?」
    「ネクタイも締めましたよ。締め方が難しいし、学ランより窮屈ですよね」
     零は二十歳を過ぎている。事代と似たような落ちこぼれどうしの立場である零が、新卒で副担を持つ事代のプレッシャーを吹き飛ばしてくれていた。
     零が中学生の時に受け持っていた伊狩からは、底抜けに明るく見えるでしょうけど、誰かに構ってもらうことに命がけな所があるから、零くんのことを頼みますね、と告げられたことがある。
    「満開の桜もきれいだけど、桜って接ぎ木で増えるから花の種は必要ないみたいですね。そもそも、花が生殖器官ならパンツ履いておかないと、我々の常識から見ておかしいでしょ?」
    「お前みたいな奴に情緒を求めるのが間違いだな」
     笑顔の鉄仮面だ、こいつは。人好きな癖に情緒を笑いでいつでもすり替えてしまう。事代は零の中の何かを崩したくて、零を抱いたのだ。
    「なんてね。さっきのは潔くんからの受け売りです。粋でしょ?世間は我々のことを、チーム・びっくり人間だと誤解してますがね」
    「なんで誤解と言い切れる」
     呆れながら、事代は開けた缶ビールをごくりと飲み込んだ。相変わらず薄っぺらい男だ、俺に何も掴ませないほどに。
    「先生はこれからも、一応高校で桜を見続けるのかな。毎年新入生もやってきて」
    「俺も新年度から担任を持たせてもらうことになったぞ」
    「また私たちみたいな生徒がやってきたりしてね」
    「やめてくれっ、身が持たん!」
     へぇー、とニヤニヤしながら零は事代を見つめた。零の頬はビールの酒精のせいか桜に近い色だった。
    「ずいぶんとだらしないなぁ。伊狩先生は女だてらに、今よりもクソガキな私たちを相手してましたよ」
     その伊狩も、中学時代の奇面組を受け持ってから今までの月日の間に、結婚をし子供を設けた。
    「あの人に色々教えて貰ったな。学校は勉強する所とか武者小路実篤の詩とか、薔薇という漢字とか」
    「へっ、薔薇くらいなんだ。俺は憂鬱も書けるぞ」
     伊狩も事代も同学年であり、二人とも三十路が目の前だ。彼女は人の親、かたや俺は独り身で教え子に懸想をしている体たらくだと事代は憂鬱という字を脳内に浮かべては、ビールを勢いよく胃に流し込んだ。
     一緒にビールを飲んでいる零は、先生寒いですと事代に呟き、事代が羽織っていたドテラを着せようとすると、零は事代の腕の中に潜っていった。
    「夜中にワイシャツ一枚でいるからだ。学ランをなぜ羽織らん?」
    「元教え子の学ラン姿見たいんですか?ロマンチストっすね、作吾さんは」
    「お前もう酔ってるのか。俺なんか一缶空けても平気だぞ」
    「うわっ、可愛くないなー」
    「六つも上のオッサン捕まえて何言ってんだ」
    「世間じゃ、六歳差のアベックなんてザラにいますよ」
     それって……。いや、ラーメンを奢った代わりに自分の体を差し出すような男だ、深い意味などありはしない。アベックという言葉に反応した、事代の頭の中は忙しない。
    「一堂。お前のビール残ってるだろ。少し寄越せ」
    「嫌だっ。飲み干すの早すぎだってば」
    「新年度のことやら色々考えると気分が重くてな。紛らわしたいんだよ。酒やらその他で」
     どうせ、俺の腕の中の恋人は、俺に優しくしてくれない。
    「ねぇ、先生。憂鬱って字が書けるなら欧陽菲菲(オーヤンフィーフィー)って書けます?伊狩先生の十八番だそうですよ」
     酔っ払って歌でも歌ったら気が紛れますよと零は慰めた。辛いことがあれば私が付き合いますから、と付け足して。
    「適当に紛らわせるしかないか。これからどんどん自分以外のことに、責任持たなきゃならんからな」
    「責任か。やだなー。怒鳴られてる身分の方が気が楽だ」
    「他人事じゃないからな、お前もやがてそうだ」
     恋人と思っているのは自分だけ。ならば、何処かで線を引かなければいけないと、事代は零を抱いている間も考えていた。
    「嫁さん貰うんだろ、いずれ」
     辛いことがあれば私が付き合いますから、という零の付け足しに、事代は期待出来なかった。
    「やっぱりあなたは可愛くない」
     つまらなそうに事代に言うと、零はビールを口に含み、事代の口中に流し込んだ。冷たいと思っていた恋人の唇は思っていたより熱くて、荒々しく事代の唇を塞ぎ、柔らかく湿り気を帯びた生々しい感覚が、酒に強い事代の頬を火照らせる。
    「な、ななな何を……!」
     零から口移しに流し込まれた液体を、事代は驚きのあまり飲み干してしまった。目を白黒させる事代に向き合い、零は悪びれもせずに笑い出す。
    「おすそ分けです。さっき、私のビールを少し寄越せって言ったでしょ?」
    「ばかっ。普通に缶ごと渡せよ」
    「ついでに私の虫歯菌も移しましたよ。まあ、今更ですよね」
     口づけをした方は平静な様子が、事代には尚更腹立たしい。
    「キスなんて、私とたくさんしちゃってますし。仲間や家族って微生物の移し合いだって陸奥先生が授業で言ってました。恋人どうしになると、微生物の生態が似てくるそうです」
     零は残りのビールを飲み干した。事代には素っ気なく、もうあげませんよと言い渡して。
    「先生の体の中って、昔の恋人の名残が残ってるのかな?頭の中も?」
    「俺の昔の恋人なんか聞いてどうするんだ」
     ビールの酔いに任せて、零は事代に恋人のことを聞いたのだろうか。事代の過去に、語れるような恋人はいなかった。
    「女の人とするのって、実際どうなのかなぁ……なんて」
    「答えたら、俺にヤキモチでも妬いてくれるのか」
     まさか、な。俺なんかに。
    「女の人とすることなんて、私にはもう無いでしょうし」
    「そんなこと無いだろう?ほら、お前は河川といい感じだったじゃないか」
    「やめてください。三つも離れてるんですよ」
     さっきは六つ差のアベックなどザラにいると言った癖に。桜のように蒸気した零の頬を事代は見つめる。
    「唯ちゃんは……あの子は妹みたいなもんです」
     零も、人生で遠回りをし、自分に何が誇れるか分からなくなったのだろうか。奇面組のリーダーという肩書きが卒業して無くなった今、零も俺という人間に逃げているのかもしれないと、事代は気づく。
    「私は、あの子に比べて子供ですからね。出来の悪い兄貴でいいんです」
     まだ咲いてもいない桜の下に事代と向き合って、零は微笑む。零とはもう、共に一応高校で桜を見ることもない。日々慌ただしくしている間に桜の時期は過ぎ去っていくだろう。ネクタイを締めて大人になった零を事代は想像もつかなかった。
    「というわけで、今日は私、先生の部屋に泊まりますよ」
     零は踵を返して、事代のアパートの部屋へと向かう。
    「またお前、勝手なことを……!」
    「いいじゃないですか、大人になりきれないもんどうし、今日は徹夜でファミコンしましょ?」
     零が何かを振り切るやうな足取りに、事代はつられて零を追いかける。零は後ろを振り向かず、事代に告げた。
    「先生のお部屋にファミコンをずっと置きっぱなしにしておきます。毎晩、私が遊びに来ますから」
     女性との恋を訊かれても何も返せない事代のそばを、零は選んでいる。こいつは俺のことをどこまで頼っているのかと思うと、事代は零の肩を掴んで問わずにはいられなかった。
    「親父さんは、それでいいと言うのか?」
    「わかりません。恩義は感じています。出来の悪い私に、匙も投げず学校に通わせ、成人式のスーツまで着せてくれた。父は親として当たり前だと言ってくれたけど、私は当たり前の人生を送ってこなかった」
    「ばか。お前なんか人生これからだろう?」
     事代も常識を教えるほどの人生経験を積んでいない。零より長く生きてきたのに人生の中の当たり前を取りこぼしてばかりだ。それでも伝えたいことがあるから、零を振り向かせる。
    「俺なんかに捕らわれないで、前を見ろよ」
    「お別れを言う恋人みたいじゃないですか、それ!」
     恋人と呼べる存在が出来たのはお前だけだったと、事代は言えない。言ってしまえば、そこから先は。
    「こんな関係に未来なんかないぞ」
    「じゃあ、最初っから私なんか抱かなきゃ良かったのにね。ずるいな、大人は」
     伊狩が心配していた、底抜けに明るい顔の裏、奇面組にも見せないもう一つの顔を、零は事代に見せていた。
    「ねぇ、先生」
     その顔も長くは見せない。次の瞬間には、いつもの笑顔の鉄仮面だ。
    「明日までに、私のほうが先に大人になっちゃったら、どうするか考えといて」

    初めて夜ふかししたときの興奮は、大人になると共に薄れる。事代と零は、事代の部屋に戻ると、何事も無かったかのようにファミコンに興じ、事代とネクタイの締め方をおさらいし、布団を敷くと学校生活での思い出話に花が咲いた。
    「伊狩先生も丸くなりましたね、赤ちゃん産んでから」
    「突っ走るばかりじゃ息も切れるからな。俺たちの年頃は立ち回りも覚えるんだよ」
    「どうしたんですか、先生。発想が三十代ですよ?」
    「言われなくても、もうすぐ三十代だ、俺は」
     お前も直ぐに三十路だぞと、零に呟いた。年甲斐もなくファミコンに興じ、六つ下の生徒と兄弟のように戯れる。子供のように感情を見せ合う関係は、教師生活を続けるなかでは、歳を重ねるにつれ少なくなるだろう。育児休暇中に職場に子供を見せに来た伊狩が、全身で生徒にぶつかりに行けるあなたが、私には懐かしくて羨ましいと事代に言ったことを思い出した。
    「明日、もう一度私に、ネクタイを締めてくださいね」
     そう言うと、零は部屋の灯りを消した。
    「……零」
    「はい?」
     事代が苗字ではなく名前を呼んだ。奇面組が帰った後に行為をする時と同じ闇の中だ。
    「悪かったな。お前にはネクタイの締め方くらいしか教えるものがなくて」
     事代には零が行為をする際に必ず灯りを消す理由を知っている。行為の時の表情を見られることがないからだ。今、生徒と一夜を共にし終わりを迎える自分の表情を、零に見られたくなかった。
    「今それを言います?これから先、何を見ても私は、あなたのことを思い出しますよ」
     零は今、どんな表情をしているのだろう。
    「すまなかった。最初の頃、何も知らないお前を力づくにして」
    「嫌だったら、毎回抱かれる準備をしてきません。先生は私のことを簡単にヤレそうだって思った?」
    「違う、俺はお前のことを……」
     ラーメンの奢りや奇面組の狼藉のために、零は事代に身体を差し出してきたと思っていた。
    「……変わらないか。見返りを当てにした大人が甘やかしたもんだ」
     お前と俺は不器用どうしで似ていたから。抱き合っているときは、未来など見なくてすんだから。それはもう、伝えるべきではなかった。
    「大人どころか、教師としてどうなんだか」
    「大人はずるいもんだ。お前、これで勉強になったろ」
     お互い、なじり合っている方が気が楽だった。
    「それにお前、さっき俺のことを鈍くて教師らしく見えないって言ったじゃないか」
    「肝心なとこ抜けてますよ」
     零は事代の布団の中に潜り込む。事代の身体の上に、零は自身の身体を重ね、事代の身体に抱きついた。
    「底抜けにお人好しで、物事の裏なんか読まない、あなたが大好きでした」
     零は行為の際、熱い重い痛い以外は口走らない。
    「作吾さん」
     愛おしいという表情を、闇の中でしたことがあったのだろうか?
    「……灯りをつけましょうか?」
    「いや、いい」
    「そうですね。男二人で夜中に何やってんだか」
     零はそう言うと、事代の服の下から手を差し入れた。零の指が事代の胸板をなぞる。事代の鼓動が、零の指や手のひらに伝わった。
    「ネクタイの他にもいろいろ教えて貰いましたね。何年かたったら、私はあなたの数ある教え子の一人になっちゃうから、全部覚えておきます、あなたが私にしてくれたこと」
     零が事代の頬に口づけをした際、事代の顔に熱い水滴が一つ二つ降ってきた。

    「あまり寝なかったな」
    「寝たのは二人とも明け方近くでしたから。もうお昼に近いですよ」
     春の朝。約束通り、零は事代にネクタイをもう一度締めてもらい、その上から学制服を羽織った。
    「妙な組み合わせですよね。家帰って結び方、研究します」
    「おう、頑張れ」
     若さと頼もしさに溢れているネクタイ姿の零の手には、ファミコンを入れた紙袋をぶら下がっていた。
    「暇つぶしがてら、ネクタイ返しにきますね」
    「それはやるよ。いつか彼女に締めてもらえ」
     人の親になってみたいと言った零。女の人とすることなんてもう無いと言い切った零。事代との行為が慰めではなく、これからの零の歩みの足枷になっているのならば。
    「また奇面組と遊びに来い」
     この部屋で二人で過ごすことはもう終わりにすべきだった。
    「そのうち、先生にも彼女が出来て、我々なんか相手しなくなったりして」
     事代もまた、若いのだ。
    「お互い、ダーリン好きだっちゃって言ってくれる人が出来たらいいですけどね」
     やがて家庭を持ち、伊狩が言っていたように、全身でぶつかっていった日々が、懐かしく羨ましく思える時が来るのだろうか。
     零をアパートの桜のそばまで送る。蕾が一つ二つほころんでいるのを見つけ、二人は笑った。
    「桜の接ぎ木や微生物の話といい、お前は教師の話を覚えてるもんだな」
    「身体は子供にしか残せないけど、頭の中は伝えたり広めたり出来るでしょ、生きてる限り。私は人が好きだな」
     笑顔の鉄仮面の下の情の濃さ。
    「例え結ばれなくたって、思うように行かなくても、多分、私は大丈夫ですよ」
     最後の夜だからと、零が事代を抱いていた。
    「事代先生も災難でしたね。我々のような問題児に出会っちゃったから」
    「一堂」
    「はい」
     副担任とはいえ初めて受け持った生徒で、教育実習からの出会いだった。思い入れの強さを感じているのが、教師らしくないと分かっていても、事代は彼の進む道が、幸せでいて欲しいと望むのだ。
    「これから先、腑に落ちないことだらけだろうがな、なんとか立ち回って生き抜けよ」
    「……それなら、ずっと先生がそばにいたらいいのに。なんてね。先生は親じゃないって大くんが言ってたなぁ」
     事代からの精一杯の愛の言葉を、零は分かっていた。
     教師と元教え子は、日の光を浴びながら大きく手を振って、別れる。最後に軽くため息をついて、零は呟いた。
    「先生は先生のまま、か」
    こまつ Link Message Mute
    2019/10/29 21:50:55

    事代作吾と一堂零の恋のおわり

    #奇面組 #腐向け #一堂零 #事代作吾

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