ポケモン剣盾のネズさんとホップのお話このところのネズは、シュートシティに立ち寄ることが多くなった。
スパイクタウンのジムリーダーを引退した、ミュージシャンでもありシンガーでもあるネズは、音楽活動の拠点を都会に移そうかと考えていた。ジムリーダー業や、幼い妹のケアで忙しくしていた分、おざなりにしていた年相応の青年の感覚を取り戻したいという気持ちもあったからだ。
「ほらほら、しゃんとしてっ。若いお前が、猫背の俺より背中丸めてどうするんですか」
「ネズさん、おれ、ユウリに逢えないのが、こんなにも寂しいとは思わなかったからさ」
「ご機嫌なカフェタイムだったのに、お前のせいでしょっぱくなりそうですよ、ホップ」
マリィ、兄ちゃんはこれから遅咲きの青春時代ば楽しむけんね、などと、現ジムリーダーの妹に言ったのはいいが、つるむ相手がいないことに気づき、とりあえず、カフェで喫食しているところ、ホップに声をかけられた。ネズが許してもいないのに、ホップは相席し出したのだ。退屈していたネズは、面倒ごとなら聞きませんよといいつつ、そう言えば、お前は新米研究員の癖して、チャンピオンのユウリがいるシュートシティに遊びに来るなんて、随分と余裕ありますね、その様子ならユウリとウハウハでしょ?などと込み入った話を、自ら切り出してしまった。
元チャンピオン、ダンテの弟であるホップは、現チャンピオンの少女ユウリの幼馴染みで、ネズがノイジーだと評するほど、表情も口調も表現豊かで、何より思いやりにあふれていて聡明だった。ちょっとした物事の変化で大まかな物事の流れを読みとり、物事の渦中にいる人物への気遣いを忘れないホップは、ネズにとっては好ましい少年だった。慰めてやらねばと、ネズの肩に力が入る。
「ユウリが誰とポケモンバトルをしようと、誰と会おうと勝手じゃねえですか?」
「……正論だけど、思いやり方がガサツだぞっ、ネズさん」
ホップが持つ聡明さも、強い感情の前では、明後日の方向に暴走しだす。
恋だ。
あったな、おれにもそんなこと。クールに構えているわりに、首を突っ込みたがるネズは、めんどくささを顔に出しながらも、ホップが座る席に、膝を詰め寄らせた。聞く姿勢は万端だ。
「ユウリに偶然会えるかなって思って、休みを取ってシュートシティに来ちゃったけど、俺のことなんか、頭にないかも知れないな」
「お前と会う約束をして、すっぽかしたんですか?ユウリは」
「違うぞ。約束すらしていないんだよ。ユウリ、忙しすぎて」
「でしょうね。現チャンピオンですから」
はぁ。ネズもホップもため息を同時についた。
「約束して、断られたら怖いってやつですか?」
ホップは頷きもしなかった。図星かそうではないか、ネズにはわかりづらい。
「男を待たせる方が、いい女だと言いますよ。ユウリも新しいチャンピオン業になって、必死なのかもしれません」
ネズから見て、ホップもなかなかのポケモントレーナーだったが、ユウリは、ホップが学んで理論立てたバトル理論も、感覚で飲み込んで、更に一段上をいく。天才とはこういう人間のことを言うのだろう。常人には理解できない感覚と直観が研ぎ澄まされた現チャンピオンは、日常の感覚をどこかに置き去りにして、チャンピオン業に邁進していた。ホップの兄、元チャンピオンのダンテもそうだったなと、ネズは苦笑いをする。ホップは、チャンピオンになるには、気が優しく思慮深いので向かなかったのかもしれない。
「なんね。男なら、どんと構えんね。ユウリも、お前に頼りづらくなると」
「今のスパイクタウンの言葉?」
「おっとと。方言が出てしまいましたね。女の子口説く時にここぞとばかりに使ったもんですよ。女の子はそういうの、クるみたいですよ?ギャップ萌えって奴で」
「ネズさんって、あざといんだな」
「ほら、おれは細身で色白の美男子じゃないですか?」
「自分で言う?」
「方言を飛び道具的に使うと、おれのとっつきづらいイメージが、ガラガラ崩れて、女の子の母性本能もドヴァってなって、後は話が早いんですよ。そんな感じで恋してましたね、おれ」
大人って、などとホップは呟いた後、あまりのバカらしさに笑い出した。その様子を見て、ネズも更に目を細め、唇の端を緩ませる。
「使える戦略は全部使っとくんですよ。為になりましたか、坊や?」
クシャと、ネズは、ホップのくせっ毛を撫でた。
「なんなら、お前。うちのマリィと付き合ってみますか?」
この人、いきなり何を言うんだとばかりに、ホップは首と両手のひらを横に振る。
「いやいやいやいやっ!」
「なーにがいやいやですか?失礼な奴め」
「言ってることが唐突だぞっ」
「うちのマリィは、ポケモンバトルの天才で、ちょっとぶっきらぼうだけど優しくて、見ての通りの愛らしい器量ですよ?なにが不満です?」
「だって、ネズさんっ。あんた、マリィに近づく男は許さないとかなんとか言って、タチフサグマやストリンダーでギッタギタにしそうだぞ?」
「ダブルに失礼な奴ですね、てめーは」
お前、表に出ますか?と、ネズは笑った。
今頃、可愛い妹は、スパイクタウンのジムリーダー業を、粛々とこなしているのだろうか。結局、おれはチャンピオンにもなれず、優勝をしてスパイクタウンに笑顔を届けることもできず、ポケモンバトルの見せ場であるダイマックスを使わないという流儀だけしか貫けなかった。それが何をもたらしたか。次世代を担う妹に重荷を減らしてやることが出来なかったのだ。
「どうせ、表に出るならさ。一曲、俺に歌ってよ、ネズさん」
「嫌です。あいにくと音痴なんでね、おれは」
あんた、シンガーじゃないかと、ホップは続ける。
「好きだったんだぞ。ネズさんの、愛してーるのエールをあげーるって歌」
ネズ自身がジムリーダーを就任したころ、すでに寂れてしまった故郷のスパイクタウン。産業もジリジリと先細り、ポケモンを巨大化させるダイマックスを売りにした、ポケモンバトルも出来ない痩せた土地だ。ダイマックスも出来ないジムとなると、ジム観戦で集客を見込むという産業も期待できず、あるのは気概と反骨だけ。妹のマリィと同じくらいの年齢でネズもいろんなものを背負っていた時代があったのだ。腕の中には、泣き虫の妹、背中には、年若いジムリーダーへの期待、胸には、ダイマックスが出来ないジムに魅力などないと言われた、棘のような言葉。頭には、ローズ委員長の、スパイクタウンごと、ジムを引っ越さないかという提案。それらを背負って、スックと立つ脚。
「便利な言葉ですよ。愛なんて」
ローズ委員長の申し出は結局断った。それが正しかったのかはわからない。ローズ委員長の申し出に従えば、スパイクタウンのみんなも妹も、楽な暮らしが手に入ったのだろうか。ここを出て行っては生活が立ちいかないと、今更新しい土地では暮らせないと、不安がるスパイクタウンの人々に、年若いネズは、大丈夫としか伝えられず。共に生きようと、街を盛り上げることを誓った。ダイマックスの出来ない土地とともに生き、ともに沈む覚悟で。いや、沈んでなるものかと、ネズは、自ら作り出した新たな産業である「歌」に願いを込めて、力を失った人々に、あなた方を愛していると力づけていた。
「誰かに思われただけで、こたえなきゃって思っちゃうよね。そういう優しいものにずっと触れておきたくなる。……あぁ、すまない、ホップ。聞き流してくださいな。お前に、おれの歌を聞きたいと言われて、なんだかくすぐったくなっただけです」
「ジムチャレンジの時に、歌ってたでしょ、ネズさん。あの時ね、ネズさんの曲を聴いてるエール団のみんなに囲まれて、ネズさん、兄貴みたいに見えたんだ」
「おれが?ダンデに?」
「……うん。兄貴にもファンがいるように、ネズさんのことを見て、憧れて、力をもらえる人たちっているんだね。……ユウリも、今、そうなろうとしてるんだよな……、無理だよ俺には」
元チャンピオンも、現チャンピオンも、ガラルの光だ。光になることで、新たな熱狂を生み、人々の心を明るく灯すのだ。
「ユウリと会う約束出来なかったのは、ユウリと俺が会って、二人とも気持ちが弱くなったらと思うと、怖くてさ」
「……なんだ、とっくに出来てたんですか、お前たち」
「俺たちが好きあってるの、内緒だぞ?」
「そんなもん、お前たち二人と会った時から、ユウリもホップも気持ちがダダ漏れですよ」
リア充め、とネズはニヤニヤしながら呟いた。故郷のスパイクタウンを盛り上げるために、妹を育てるために必死だった、若い日を思い起こしながら。
「いいな。青春じゃないですか、お前たち」
「……離れ離れで全然逢えないのに?」
「お前は、ユウリと会うことで、二人とも気持ちが弱くなったらって心配してるじゃねぇですか。そこまで深く思える相手に、人生でどれだけ出会えますかね?」
元もとのネズは、妹と過ごす穏やかな時間を好む、素朴で、おとなしい性格だった。
好きな「歌」でスパイクタウンを盛り上げたいと、天啓のように心に決め、自身の整った外見も武器になると気付くと、体重も、摘むような余分な肉がないほどに絞り、髪は猫背になるくらい、長く伸ばし整髪料で固めた。ネズを慕う群衆が出来、熱狂がスパイクタウンを支配する。ネズ自身、どれだけ熱狂を維持できるか、気概と反骨で出来たスパイクタウンを導けるのか、強くもないおれがこんなことをして何になるのか、わからないままだった。青春時代は熱狂に費やし、ささくれた心を、妹の触れ合いで癒すのも、妹を傷つけることにならないかと不安になり、一人の時間は泣いていた。
「ネズさんは、出会えなかったの?女の子には母性本能に働きかけるってさっき言ったじゃん?」
いずれも、ネズの心に触れてこない一夜限りの恋だった。
「はは。結局、本気でおれのことを案じてくれるのはマリィだけですよ」
ネズの魂を救ってくれたのは、ネズが腕の中で大事にしていた、妹だった。妹は目覚しい活躍をネズに見せ、ジムリーダーを継ぐことで、ネズに安息を、もう一度、好きな「歌」と向き合う時間をくれたのだ。
「おれにとって、マリィは光です。だからこそ、マリィと年相応の恋愛をしてくれる相手がいたらなとは思っているんですよ」
「意外だな。ネズさん、マリィはお嫁に行かせませんって言うかと思ってた」
「おれの所業を振り返ったら、マリィに恋愛をするななんて言えませんよ。……人は、一人では輝けません。マリィのことを、おれよりも底抜けに愛してくれる人が出来たらいいな。その点、ホップ。お前は誰よりも優しく思慮深いから、マリィといてくれたらと思ったんですけどね」
「……ごめんなさい。マリィはいい子だけど、俺には……」
「わかっていますよ」
項垂れるホップの肩に手をやり、ネズは立ち上がった。
「さて、外に出ましょう?やはり、ミュージシャンは普段からギターを持っておくもんですね。思いったったら、直ぐにライブが出来るからさ。ユウリに電話なりメールなりしてくれよ。ネズさんのゲリラライブが始まるから見に来いって。おれ、お前のリクエストなら、なんでも歌いますよ」
「ネズさん!」
ネズは造作もなく、ホップの分の会計も済ませ、カフェの扉を開けた。アコースティックギターのケースがネズの体の一部のように、ネズの手に収まっている。
「ジムリーダー引退後の初ライブが、野外になってしまいましたね。おれ、ダメなやつだからさ。女の子と一緒にいても、結局、歌のネタにしかならないんだよね。ホップ、お前みたいな、甘口はなくても、辛いのや酸っぱいのや渋いのなら、たくさんあるよ?どれが聞きたい?」
ホップは、ネズのウインクを受け取ると、一番聞きたかった、愛してるのエールをあげるのメロディを口ずさんだ。