天野邪子が一堂零の家に遊びに行く話ルールとマナー
一堂零に服を貸してくれと頼まれた。女物の服なんか借りてどうするのかと聞くと、体育教師の事代が惚れている、担任の若人の見合いをぶち壊すためだという。
「天野なら、私が着られる服を持っていると思ってね。君は体格がいいだろう?」
「背が高いって言ってくんない?」
不良少女のあたしが律儀に一堂零に服を見繕う。断ればいいのに断らないのは、この男に借りがあるからだ。
「……今日はあんたが店番なんだね」
初めて、この男の家に猫を連れて訪れた時は、辺り一面は夏で、ひまわりが揺れ蝉が鳴いていたのに、今では乾いた風が頬を撫で枯葉散る音が冬の訪れを感じさせる。
「あんたの親父さんがいなくて助かった。あたしのことをからかうし、いつ式にするとか、ドキドキすること言うからさ」
「君もドキドキすることあるのかい?意外だなぁ。あがってくれたまえ。どうせ、客は来なくて、暇してたのだ」
「店番任されてるんだろ、後継ぎが暇って言っていいのかよ?」
一堂家の玩具屋の店舗兼住居の玄関を通りぬけながら、玩具の品揃えを眺める。
「暇な時はだいたい、天野のことを考えるかなあ」
「嘘をつけ」
「嘘だとも」
「今日は髪の長い女の人なんだぁ」
一堂零の妹さんが、住居側の玄関口から出てきて、にっこりと笑って会釈した。あたしも、知らない仲ではないので挨拶を返す。顔立ちの印象は真逆の兄妹のくせに、物怖じしないところはそっくりだ。
「こっちのお姉さんも美人だね」
「何言ってんだ、霧」
妹さんが言っていた、今日は髪の長い女が来たということは、髪の短い女もよく来るということだろう。
「お茶、客間に用意しとくよ。お兄ちゃんの部屋には行かないのね?」
「ああ。悪いが代わりに店番を頼む」
一堂零が髪の短い女と時折どんな逢瀬をしているか、あたしは知らない。
「若人センセの見合いを壊すのに、なんで女ものの服が必要なわけ?」
初めて一堂零の家に来た時に通された客間にいる。学校で一堂零と話している時に微かに匂うお線香の匂いが、客間に広がっている。その意味がわかってしまったのは、仏壇と一堂零にそっくりな女の人の写真を見たからだ。
「大概の変態行為は学校でやり尽くしたからさ、やり残したことと言えば、女装しかなかろう?」
「泣いてるぞ、親御さん」
仏壇に飾られている女の人の写真は、お姉さんと言っても通じるくらい若い。もし一堂零が女だったら、こんな女性だろうなと思って、その写真を見つめる。
「女もののカツラも持ってきてくれたんだね。天野は気が利くなぁ」
「あんたの髪型はクセが強すぎて、すぐにバレるだろうよ」
若人センセの見合いを壊すと言っていたが、女装をするということは、若人センセに化けるつもりなのだろうか?馬鹿か?
「あたしの目の前で服を脱ぐなっ!」
「脱がなきゃ服が着られないだろう?大丈夫、あの時と違って、パンツは履いてるのだ」
たくさん服を用意してくれたんだね、天野!と一堂零は歓声をあげると、上半身は裸のまま、あたしが持ってきた服を物色しだした。とりあえず、ズボンまでは脱いでなくて安心した。
夏のある日、あたしは不良少女のくせに柄でもなく捨て猫を拾い、思いのほか懐かれて途方にくれたところに、一堂零の顔が浮かんだ。あいつなら、多少の無理は聞いてくれると思ったからだ。
似蛭田に、あいつの住所を聞いて、押しかけたはいいものの、当の本人は素っ裸になり庭で水浴びをしていたお陰で、奴の大事なところをバッチリ見てしまった。
猫の貰い手は直ぐに決まったものの、決まるまでの一週間ほど、この男の家で、猫を預かって貰っていたのだ。未だにこの件のことは、あたしたち二人の間では語り草だ。
「なんで、最初に御女組の連中に声をかけなかったんだい?結局、君の友達が引き取ってくれたんだから、その方が話が早かったはずだろ」
「うち、犬がいるからさ」
「うちもラッシーがいるけど?」
貸しを作るまいと、猫のために毎日猫の餌缶を届けたり、一堂家に菓子を持っていったりと、あたしも不良少女なりに気を配った。当の一堂零は遊びに来たのだと勘違いし、今日は何して遊ぶ?と言っては、家業の玩具屋の売れ残りのリリヤンで組紐を編んで、あたしと一緒に遊んでいた。
女の子だからと勝手にリリヤンを押し付けられ、慣れない組紐作りにあたしが奮闘していると、一堂零が貸してみなと呟いて、あたしの手を取りながら、こうするのだよと言って組紐作りを教えてくれたのだ。生意気にも。あの時貰ったリリヤンで、赤い紐のブレスレットも作ったが、一堂零には披露もしないままだ。
あれから季節は秋を飛び越し冬が見えてきている。あたしとはクラスも遊び相手も違う一堂零にとって、女物の服のやり取りは、新たな遊びだとでも思っているようだった。
「天野。胸の谷間を作りたいのだが、ブラジャーあるかい?」
「殴られたいの?あんた」
髪の短い女には絶対に言わないような冗談を、一堂零はあたしに平気で言う。奴は上半身裸だ。似蛭田ほどではないが、筋肉もついているし、学校での活躍を見ていると、運動神経だって悪くない。たまに似蛭田とつるんでやんちゃをしている時は、クソガキの延長線を楽しんでいるようで、あたしは羨ましかったんだ。
「スケ番の君が、こんなに品の良いワンピースや衣装を持っているのが意外だな」
これなんか可愛いなと、一堂零はワンピースを着た。あたしが家族で外食するときに何度か袖を通した服だ。あなたにはこういう女の子らしい服が似合うからと、母が用意をし、父の前では、お淑やかに振る舞い、わざとらしい家族団欒を過ごした思い出がある。
「良かったら、その服やるよ。妹さんにあげたらいい。代わりに店番をしてくれたろ?」
「店番を霧に頼んだのは私なのに、天野は気を使う性格だな。有難いけど、気持ちだけ貰っておくよ」
自分にしっくり来ないと思っていた服を置き去りにしたい魂胆を見透かされたのか、一堂零の素っ気ない口調に、あたしは気後れした。
「背中のファスナーが上がらないなー。天野、閉めてくれないか」
一堂零の頼み事に少しホッとして、あたしは、ワンピース姿の彼の背中のファスナーをあげる。細身のくせに、肩周りになると、少し窮屈そうだった。奴も男だ。
「あんた、身体が柔らかいくせに、背中のファスナーが上がらないわけないだろう」
「バレたかい?さて次はカツラとお化粧をしてもらおうかな」
頼み事があると、心の距離が縮まる。あたしと一堂零もそうだけど、あたしと御女組もそうだった。
夏の日に一堂零に猫を預けた。一番に御女組を頼らなかったのは、春の日に、信頼し合っていたはずの御女組に対し、あたしがギクシャクするようなことをしでかしたからだ。
「いつも、こんな風に、可愛いワンピースを着て御女組のみんなと遊びに行くのかい?」
「はっ倒すよ。あたしらスケ番御女組が、お嬢様みたいなことすると思うかい?」
「してたくせに」
あたしは、スケ番仲間の友達を、世間並みにさせようと、彼女たちを無理やり矯正してしまったのだ。ケンカ、反抗、早退大好きで、勉強、品行方正、常識大嫌いな彼女たちを、真逆にするために。
「後悔したよ、あたし」
似蛭田にも、押し付けはやめろと指摘されたことがある。
「君を好きじゃなきゃ、彼女たちはあそこまで付き合わないよ。私、家が火事になった時、優しくしてくれた人たちに、調子に乗っちゃって怒られたからね。今でも、本当に許してくれたのかななんて、思っちゃうかな」
仲が良いと距離感がおかしくなるよね、と続けて一堂零が笑う。
「あんたと、あたしの御女組を一緒にするんじゃないよっ。これから先の長い人生、世間並みにいい子になったら、あいつらも良い男が出来るんじゃないかって……」
距離感がおかしくなったのは、あたしの方だ。ケンカや反抗大好きだった、御女組の仲間との会話が、男の話が混じり出すようになった時、少しずつ、御女組という仲間の形が変わっていくように思えたんだ。その話題をやめろという権限はあたしにはない。男とどうにかなるということに、あたしは興味はないけれど、男の存在が、あたしの御女組の奴らを奪ってしまうのなら。
「一旦、今までの御女組を無かったことにしてしまえば、清々して、新しい自分たちになれるんじゃないかって、思っちゃったんだよね」
「ずいぶんと今更だな」
御女組の奴らの興味が男に移り、あたしが取り残された思いをするなら、いっそ壊してしまえと、仲間を無理やり矯正してしまった、あたしは浅はかだ。
「今までの君たちは、番組並みに好き放題してきたのに」
こんなあたしの謝罪を、御女組は温かく受け入れ、いつもどおり接してくれたけど、あたしは心の何処かにわだかまりを残したままだった。だから猫のことを御女組に言いづらく、一堂零を頼ってしまった。メンバーの真紀が猫を引き取ってくれると言ったとき、心底嬉しかったのだ。
「ほんと、悪いことしたよ」
「なんだ?怒らないのか?調子が狂う」
そう言って、一堂零はあたしが用意したカツラを被る。学校では奇面組として三枚目として振舞ってるが、こうしてワンピースを着てカツラをつけて、女らしい姿をすれば、不思議と品がいい顔立ちだ。
「意外と良い線行ってるな、私!」
一堂零は鏡を見て、ご満悦だ。
「似蛭田も食いつきそうだな」
あたしの盟友とも言える男の名前を出すと、一堂零はいきなりのパスを放ってきた。
「君は、似蛭田くんのこと、どう思う?」
「どうって……」
「君に気があるってさ。君と似蛭田くんが良い感じになれたら、私は彼に牛丼を奢ってもらえるのだよ」
「牛丼で友達を売るのかよっ」
「私は天野の友達かぁ。それは嬉しいな」
極上の笑顔で一堂零が返した。笑い方が、髪の短い女に似ている。あの子も男が好みそうなタイプだ。一堂零は女装して、男が好む女を演じていくのだろうか?あたしが両親の前で、猫を被っている時みたいに。
「あたしに気があるってさ、そんなこと言われてもずるいじゃないか」
そう言いながらあたしは、一堂零のカツラと髪を整えた。猫を撫でているような感触と、もつれた髪を解く指先が、一堂零と二人でリリヤンをした夏の日を蘇らせる。あの時作った赤い紐のブレスレットは、一堂零に渡そうかと思いつつ、そのままだ。あたしは言葉を続けた。
「好かれているから、期待に答えろってこと?誰に向かってものを言ってるんだい?あたしは、天邪鬼の邪子ちゃんだよ」
一堂零に負けず劣らずの子供っぽい弁明だ。そんな自分に腹が立つ。自分の天邪鬼に付き合ってくれた御女組を壊した自分にも、天邪鬼をしなくていい一堂零には素直にモノを言う自分にも。
「君と似蛭田くんは愚連隊どうし、気があうと思ったんだけどな」
あたしは何も返さなかった。
「気があうなんて言われたら、違うって君は言うかな。だって君は天邪鬼なんだし」
「そうだよ。だから、あんたに猫を預けたりするんだ」
本音を言えば、このまま一堂零が猫を預かってくれて、あたしが猫缶を届ける日々が続くのも悪くないなと思っていた。
「君が信頼してくれて、私は嬉しかったけど?」
あたしは、一堂零の髪とカツラを整える手を止めた。夏の日に様子を見に行った時の猫は、一堂零の肩や背中をよじ登ったりと天真爛漫に懐いていた。あたしも猫になれるなら、両親の前で被る猫じゃなくて、こんな風になりたかったんだ。
「……牛丼が食べたいなら、あたしがご馳走してやるよ。こう見えて、料理出来るんだよ」
「凄いな。天野はハンバーグとか作れるかい?」
「作れるさ。なんだったら、妹さんの分も作るよ。……だから、その」
今度は、あたしのうちに遊びに来ないかと誘おうかと思ったら、一堂零は言葉を被せてきた。
「大丈夫。天野にはその気が無いって、似蛭田くんには伝えておくのだ」
こんな話をしたら、お腹が減ってきたと一堂零は笑って、釣られてあたしも、力なく笑った。
一堂零の女装の準備も、後は化粧をして美貌を整えるだけだ。あたしと一堂零は向かい合う。見れば見る程、仏壇の写真の女の人にそっくりだ。
「化粧を教えてやるから、自分でやって覚えておくんだよ」
「唯ちゃんに頼むから、別にいいのに」
髪の短い女の名前を一堂零は言う。
「あんたはあの子に甘え過ぎだってのっ」
「痛い痛い痛いっ」
持ってきた乳液をあたしは手のひらにのせて、乱暴に奴の頰にになすりつけた。
「お肌の為だっ、我慢しな!」
「全然、私の肌をいたわってないじゃないかっ」
髪の短い女は、一堂零の頰に触れたことがあるんだろうか。
「当日、あたしも手伝おうか?」
「ん?何をだい」
「なんでもない」
女装して若人センセの見合いをぶち壊す為なんて、そんな馬鹿馬鹿しくてアホらしいこと、あたしも誘って欲しかった。
「ごめんな、天野。私とはたいして仲が良くないのに、ここまでしてくれて」
「さっき、あたしのこと友達って言ったじゃないかよっ」
「なんで急に怒るんだい?」
「感謝なら態度でしめすんだねっ。妹さんにも、あんたの大好きなカワイコちゃんにも、いつも甘えてばっかりだろ」
なんで、猫が一堂零に懐くのか分かる。この男も本質は猫だからだ。
「あんたの額に、肉と書いてやろうか」
猫だからしょうがないと周りの人間が一堂零を甘やかす。妹はなんだかんだで兄の世話を焼き、髪の短い女は、一堂零に請われて食事を作ったことがあるときいた。ポニーテールの女も零さん零さんとうるさいし、伊狩は一堂零に平手打ちを食らわす。あたしだけだ、この猫は懐かないと、イライラしてるのは。
「怖いから、お化粧は自分でやるのだ」
「貸せ!あたしが見本見せてやる」
「さっき、自分でやれって言ったくせに、ほんとに君は天邪鬼だなっ」
そんなに怒るとお腹が空くぞと、一堂零は笑う。あたしはその顔をぐいっと引き寄せて、ファンデーションを塗ってやった。合わせて一堂零も目を閉じた。
「私のおでこに、肉って書かない?」
「書けって言ってんの?無防備に目なんか閉じちゃって。あんた、あたしに自分を好きにしろって言ってるようなもんだよ」
「意外と際どいこと言うんだな、君は」
あたしのことを女だと思って言ってるのだろうか?一堂零は、スケ番のあたしを捕まえて、式はいつにすると言い放った親父さんの血を引いているのだ。
「君の場合、私のおでこに肉って書くのが関の山かなー?」
書かないかと心配されたら、書くのが天邪鬼の流儀だろうか。
「じゃあ、書かないっ」
あたしは、何をすればこの男にギャフンと言わせられるのか。髪の短い女と時々自室で会う仲で、手料理をねだり、教室の掃除を押し付けても許されてしまう男に。こいつが思う際どいことってなんだ?こいつも似蛭田と同じ並びなのか?
「目をぎゅっと閉じるんじゃなくて、軽く閉じてっ」
こう?と一堂零は瞼の力を緩めた。ファンデーションも塗り終わると奴の顔に色を乗せた。奴の顔はあたしの手のひらの中だ。仏壇の写真の中の女の人と同じ顔。対抗するように、こちらは頰や瞼に赤みのある色を足していく。一堂零は生命力のある赤が似合う。
「女の子は羨ましい。お手軽に変身できちゃうからな」
「化けてるだけだよ。あんたの妹さんも元がいいから、磨けばもっと綺麗になる」
「天野もちょっぴり化粧をしているな。誰かに教わった?」
よく気づいたな。一堂零は女の顔に興味がないと思っていた。あたしも赤が好きで、自分の顔を目立たせるなら唇だと思い、紅を引いている。
「……母親に。天邪鬼のあたしが親の言うこと聞いて、親の買った服を着るなんておかしいだろ?」
こんな言葉を言うために、口紅をつけたんじゃないのに。
「二十歳過ぎて吸うタバコって、ほんとは美味しくないんだろう、天野。根が真っ直ぐなところは、君と唯ちゃんはそっくりだけど、君は照れ屋だから悪ぶっちゃうんだな」
一堂零があたしにリリヤンを渡した時、普段の自分なら、ふざけんなと言って払いのけるのに、それをしなかった。誰に対しても天邪鬼をやるのをあたしも内心疲れていたけれど、一堂零には天邪鬼を貫かなくてもいいと思っていたからだ。
「口紅は赤がいいかい?」
髪の短い女はもともと化粧なんてしないけど、本当の素顔を一堂零とお互い見せ合っているのだろうか。一堂零の化粧は、唇に赤を載せたら完成だ。あたしの唇と同じ紅を載せたらいい。奴は呑気に瞼を閉じている。あたしの手のひらの中の一堂零の顔に、あたしは自分の顔を近づけた。髪の短い女は、多分此処までしていない。
「近くで見ると綺麗な唇の色だな、天野」
一堂零は瞼を開けた。お互いの唇まで数センチの距離だった。縮めたのは他ならぬ、あたしだ。一堂零にキスをしようとした。この男をギャフンと言わせるために。猫以外にもなにか繋がりを持つために。
「ご、ごめん……」
「唇がツヤツヤしてて、油モノを食べたように光ってるのだ。此処に来る前に餃子でも食べてきたのかい?」
「食べるかっ」
あたしの唇が光っているのは、グロスを塗っているからだと教えてやった。
夜だ。そのまま一堂家と一緒に晩御飯を食べた。
「天野のハンバーグは絶品だったな」
「あんたが妹さんに、ハンバーグ作ってくれるって言ったからだろっ」
「いやあ、いいお嫁さんになるな、君は」
帰り道だ。猫の様子を見に行った夏の日の夜は生温い風が吹いていたが、冬が近い夜は冷たさが頰を切るようになで付ける。寒いけど、手を握り合う仲では無かった。
「あたしの作り方、見てたろ?たまには妹さんとかに作ってやんな」
いずれ、こいつが結婚したら髪の短い女にも作ってやればいい。
「また作りに来てくれないか?」
「嫌だね。あんたんち、親父さんもあんたもめんどくさいんだもん」
女装した一堂零を見て、妻が帰ってきたと泣く親父さんと、お母ちゃん、晩御飯作ってとねだる妹さんを見て、もっとこの家に遊びに来てもいいかと思ったんだけど。
「化粧も料理も、男のためじゃないよ。いいお嫁さんになるなんて、勝手に女らしさを押し付けるなって話さ」
「君の天邪鬼は、その辺かな。君は強いし賢いし優しいから、怒ることが多いのだよ。時に、天野」
冬近い夜は星空が綺麗だ。男の格好に戻って、あたしの前を守るように歩く一堂零に、勘違いをしてしまう。
「あの時あげた、リリヤンは捨てたかい?」
捨てるわけがない。あの時から赤い糸を組みこんで、ブレスレットを作ったのだ。
「君に女の子らしさを押し付けてしまって、つまらない思いをさせたかもしれないね」
「押し付けなら、あたしもやったよ。御女組に。あんたの妹さんにも服を無理矢理あげる約束しちまった」
「霧は喜んでたよ、ありがとうな。女の子らしい服が欲しかったんだな、あいつ。似蛭田くんも君のこういうところが好きなのかもな」
「似蛭田はいい奴だよ。でも、女だって、あいつに思われて、あたし、何をどうしたらいいのさ」
それなら、気の迷いで一堂零にキスをしようとしたのは、なんだったんだ、あたし。お互い、そのことについては、二人っきりの夜道でも触れなかった。
「あたしはまだ、女にも誰のものにもなりたくない」
キスをしたら、一堂零は自分のものになっていたのだろうか?それとも一堂零は髪の短い女のものなのだろうか。踏み込んで聞くのが怖いから、あたしは天邪鬼をやってるんだ。
「私も大人にはなりたくないなー」
「嘘をつけ」
「嘘だと思う?こっちは、天野が化粧したり大人びたところを見て、内心あせったのさ。唯ちゃんも化粧したりするのかな」
願うなら、ふわふわと男でも女でもなく大人でもない世界にいたいけど。
「あの子が化粧をするなら一石二鳥だね。化粧の仕上げはあの子にやってもらいな」
「君、眉毛だけ描いてくれないんだもんなー。私、眉毛のある顔に憧れていたのに」
眉毛は、仏壇の写真の中の女の人にも生えていなかった。
「あたしはその顔が好きだよ」
眉毛を付け足したら、どんな顔になるのか。それをするのが新たな一面を見そうで怖い。
「やはり、君は天邪鬼だ」
一堂零はニコッと笑うと、再び、あたしの家の方角へ足を進める。あたしは、一堂零がくれたリリヤンと赤い糸で作ったブレスレットを、やはり渡せなかった。