一堂零と事代作吾が令和にオフ会するパロ
遠くで存在を感じていれば良かっただけなのに出会ってしまった。
きっかけはオンラインの音ゲーでの対戦だった。岡山の師範代と名乗るこの男は、地元、佐賀県での俺の活躍を嘲笑うかのごとく、ハイスコアを叩き出す。ゲームセンターでのオンライン音ゲー対戦では、ギャラリーたちに、やはり無理ばい、ここ佐賀やけんなどとため息をつかれた。ギャラリーたちは、俺が働く高校の柔道部の部員たちで、俺は顧問として部員たちに示しがつかない。音ゲーなどやるキャラではなかった俺だが、生来の負けず嫌いと自信のあった運動神経をコケにされた悔しさで、岡山の師範代にオンラインで対戦を挑むようになっていった。
こいつ、常駐しているのか?と思うくらい、ゲームの中に、いつも奴はいた。どんな曲でもノーミスで華麗にクリア、どんな曲でも心乱されないのかと言うくらいに、画面の向こうにいる岡山の師範代には、人間味がない。
「何食って生きてんだ、アイツ?」
アイツにいつか勝ってやるとばかりに、俺はゲームセンターに通い詰め、岡山の師範代に追いつきたくて、飯代を切り詰める。全食事をコッペパンに切り替えたこともある。口の中の水分を、パンに吸い取られむせたところを部員たちに目撃されてしまった。
「先生、そぎゃんこつするけん、彼女ば出来んと」
「しぇからしかっ!」
コッペパンにも飽きた。油の浮いたもの……あったかいもの……ラーメンでいいから食べたい。もういいか。もういいだろう?岡山の師範代なんて、俺の人生には対して重要事項ではない。ゲームセンターの液晶パネルの向こうにいる、人を食ったように高得点を出すアイツに一泡吹かせてやろうと思っていただけだ。ゲームの中ではアイツの天下なんだろうが、俺の方が柔道はうまいし、教師という安定した職についてるし、女さえ見つければ、ゲームの中のアイツより、何倍も充実した人生を送ることができるのだ。
「所詮、アイツは、ゲーマー……!」
俺の方が、こいつよりも人生は上。ほんとにもう、アイデンティティは何者だ。
「あなたが、『佐賀のあああああ』さん?初めましてー」
現(げ)に恐ろしきは承認欲求だ。アイツに一度も勝てないなら、せめてアイツの目の前に姿を現し、なんらかの爪痕一つ残したかったのだ。きっかけは、これが最後の対戦だと腹を決めたある日、いつものゲーセンのいつもの音ゲーに向かった時、ゲームセンターの店員から、岡山の師範代さんからです、とメールアドレスを渡されたことからだった。
「しはんだい……?さん??」
ゲーマーだから、ネクラなオタクと決めつけていたが、わざわざ俺に会いに来たアイツ、こと岡山の師範代は、俺の予想を裏切り、なかなかの好青年だった。
四方八方気ままに伸びた癖っ毛が襟足にしなやかにまとわりついている様が、独特の色気を持っている。俺の暑苦しい顔面とは対照的に、定規で引いたような大きな切長の三白眼と、キュッと口角の上がった小さめな唇。パッと見は冷たそうな印象で、人々の好き嫌いが分かれる容貌だが、鼻筋の良さと、姿勢の良さ、しなやかで均整の取れた体格や、なにより柔らかな物腰は、荒削りな俺から見れば、ずいぶんと魅力的だった。
「一度お会いしたかったんです、あああああさん!」
「あああああさん、立ち話もなんだしお茶しませんか?」
「あああああさん、良かったらこれ、つまらないものですが!」
「あああああさん、コーヒーですか?紅茶ですか?それとも私ですか?」
「あああああさん、お砂糖いくつ入れますか?」
「あ、ああああさん!?ミ、ミルク………、そんなたっぷり……」
「すみません、あああああさんでしたね?」
「あああ、ああ?」
「ああ……あ?」
俺はほぼ初対面の相手に怒鳴ってしまった。
「もういいっ!」
ゲームの中とはいえ、適当な名前をつけたことに後悔した。アイツが岡山の師範代なら、俺は佐賀のあああああ、だ。たかがゲームと思い入れなどなく適当に入力したのが、こんな運びになるとは思わなかった。
「俺の名前は、事代作吾だ」
師範代の歳は、俺より下の二十二歳。三つ下の俺よりも可能性がある。行く先々のゲーセンで、「しはんだい、しはんだい」と迎えられ、その中には女の子も結構な割合で混じっている。有名人かと聞いたら、この音ゲー界隈でイベントを何度か起こしているらしい。きゃあきゃあと師範代を囲む女の子はタイプがバラバラだ。髪の短いの、ポニーテール、咥えタバコの黒髪のハクいのや、金髪のねーちゃんまで。リア充か。俺は、学校と安アパートの往復で、俺の名前を連呼するのは、生徒や同僚、それに柔道部員だけだ。
「じゃあ、作吾さん」
「で、お前の名前は」
師範代は、俺のことをやすやすとファーストネームで呼ぶ天性の人たらしでありながら、俺には、師範代でいいです、と笑って返した。
「ルールですから、この世界の」
「へえ」
その日のオフ会もどきは、夕飯前にお開きになった。師範代に群がる女の子たちの中で、ひときわ、師範代と目線を合わせる女の子がいて、師範代もその子を呼びつけては、近しい距離に置いていたのを見ると、自分がお邪魔虫なのは一目瞭然だからだ。俺の乏しい女性経験の中で奴らの仲を探るに「ヤッてるんだろうな」みたいな雰囲気だった。
「もう帰るんですか?せっかく、私、佐賀まで来たのに?」
「どうせ俺に会いに来たのはついでなんだろ?でも、ありがとな。今日は楽しかったぞ」
本命の恋人だか、それとも現地妻か分からんが、男女の仲を割って入るほど、俺は野暮じゃない。後は若いもん同士でと、背を向けて去る俺に、師範代は、誰もが振り向くような音量で、俺に言った。
「今度、私のイベントに出てくださいよっ!」
出るか、この能天気め。俺は教師だ。授業の他に柔道部の顧問、もう二十五歳だから、三十歳までに第一子やマイホームなどを逆算したら、そろそろ嫁候補も探さないとならない。
「ガキの遊びに付き合う暇なかけんな」
俺は、振り返らずに手を振った。喫茶店でのアイツ、ラーメンが好きだって言ってたっけ。縁があれば、付き合ってやらんこともないが、もう会うこともないだろう。
「そばにいると、散歩帰りの犬の匂いがしますね、あなた」
「匂いを嗅ぐなっ」
師範代は一度会ったら、二度目はズケズケと踏み込んでくる男で、俺は恥ずかしいことに付け入る隙だらけの男だった。女の方は一向に俺に寄り付かないというのに。
うちの学校の柔道部は弱小で、サークルに毛が生えたようなもので、土日はどのみち暇であり、迂闊にも師範代に携帯電話番号を教えてしまった俺は、事あるごとに奴から電話がかかってくる。忙しいからと無視すると、今度はショートメールサービスから連絡を取り出し、いやがおうにも画面上に目に入るメッセージは、「今、あなたの家の前です」という本当かどうかわからない怪しげな雰囲気で、釣られて外に出ると、居たのだ、奴が。
「九州地方のラーメン、美味しいとこ教えてください」
「知るか。この前、お前の隣にいたネーちゃんに聞けっ」
「あはっ、お前って呼ばれたの久しぶりだなぁ」
その日は休前日ということもあり、佐賀から高速に乗り、博多の屋台まで連れて行った。豚骨ラーメンと焼きおでんを喰らう。何やってんだ、俺。オンラインゲームで知り合っただけの男なのに、車を出して、狭い屋台で肩を寄り添ってラーメン啜るなんてな。
「フレンドリーですね、九州の人。屋台で隣り合っただけなのに、これ食えってお魚くれましたよ」
「銀ムツだ。うまいぞ、それ」
人たらしだなと俺は小声で呟くと、自覚してないでしょうけど、あなたもねと、肩を組み出してきた。
「わりと、なんでも来いなんでしょ?音ゲーなんて、わからなさそうな顔してるのに、ゲームの都道府県対抗ランキングにずっと顔を出しちゃうあたり」
教師ってみんな頭でっかちだと思ってたなーと笑い混じりで肩を組むのみならず、身体のあちこちを触ってくる。男色の気でもあるのか、コイツは。畳があったら、技でもかけてやるのにな。
「負けず嫌いなだけだよ、俺は」
「勝ったことあるんですか」
「ぶん投げられたいみたいだな、お前」
「冗談ですよ、可愛いなあ」
貴重な金曜日の夜に、ほんとに何やってんだ。同級生には、俺の耳にちらほらと、結婚した子供ができた産まれたなどの噂が入る。俺もそのうち、そちらに行くつもりなのだ。出会ったばかりの男と高速飛ばしてラーメン食って、ゲームの話をする夢物語も今だけの話だ。その出会ったばかりの男は、本名すら、俺に教えない。
「どうせ経験するなら、やるだけやって納得したいだろ?仕事でも……家庭でも」
「え?結婚してたんでしたっけ?」
「今はまだだ。今はなっ」
目の前で軽口を叩くこの男もいつか、そうなるのだろうか。
「お前こそフラフラと歩き回るのも、あと三、四年だな。いずれ落ち着くつもりなんだろう、この間のネーちゃんと」
あっはっはと、師範代は闊達に笑うと続けた。
「飽きられちゃいました、私」
飲み直しに誘ったのは、博多のシティホテルの中だ。
「慰めてやろうか、俺が」
そう言って誘ったのは俺だ。車を運転してきたのだから、アルコールを入れるわけにはいかないが、その場の勢いで屋台で酒を頼んでしまい、もういいか、泊まるぞとまで言ってしまった。
俺は今、猛烈に後悔している。
「ああ、ホントあなたは犬の匂いがするなあ」
「嗅ぐなというにっ」
風呂前の男の匂いを嗅いで、何が楽しいんだか。
「やっぱり今から、フロントに言って、部屋二つ借りるぞ」
ダブルベッドしか空いてない。フロントにそう言われて、我に帰った俺はキャンセルを言い出そうとしたが、なぜかそれを師範代に止められたのだ。これも縁ですよなどと訳の分からないことを口走った師範代は、自分のクレジットカードで宿を取り今に至る。俺は所在なくダブルベッドの上に座る。ベッドの上の枕二つが、俺たちを嘲笑う。
「気まずくないか?もう一部屋分の金なら俺が出す」
「えーーーーーーーー!私のこと、慰めるって言ったじゃないですか?」
「お前、俺が慰めてやるって言ったとき、引き攣った顔してたじゃねえか!あんた男が好きなんですかって」
女で出来た傷はアルコールで癒すか吐き出すかに限る。俺はがっぷり四つで構える気があったが、師範代は飄々と「まあ、彼女とのことは自然消滅といいますか」とひと事のように笑っていた。この鉄仮面。佐賀のゲーセンや俺のアパートまで突き止めて、遊びに誘い出したくせに肝腎要のところははぐらかすのだ。
「お前の名前、一堂零っていうんだな」
急所を突いてやった。クレジットカードとチェックインした時に記名された、師範代の本名だ。
「………これで、おあいこだな。俺も本名を名乗ったし、お前の本名も知れた」
「知ってどうするんですか?」
「さあな。どうせ一緒に泊まるなら、俺は素性知れたやつの方がいい。お前は、美味しいとこだけ食べていきたいタイプかも知れんがな」
「……重いっ」
目を閉じて、師範代は呟いた。屋台での彼女との破局を告げた後のひとこと「構いませんよ、喧嘩もなしの楽しいだけの付き合いでしたから」とラーメンを啜る師範代こと一堂零の、爬虫類めいた血の通わない口調と表情を思い出す。「あなたもなんでも来いくらいな軽い気持ちで相手を探したら良いんじゃないですか?」などと続けて。
「なんでも来いって言えるほど、俺は時間がないんだよ」
もう、この部屋に二人でいいか。俺は、コンビニで買った缶チューハイのプルトップを開ける。
「だからと言って、本命なんてすぐに見つかるわけがないだろうが」
「するんだ?選り好み」
師範代もどうでもよくなったのか、ベッドに腰掛ける俺の真横に座る。椅子があるだろうと声を出しそうになったが、俺の真横という近しい距離からくる、師範代の熱が心地いい。
「作吾さん」
師範代が、隣同士に座る俺の肩に手を回した。
「まだ、二十五でしょ?いかつい見た目だけどさ。まだまだ私と一緒に楽しいことできそうなのにな」
じゃあ、シャワー浴びてきますっ。師範代は軽やかにいうと、ガウン一式をかっさらうように浴室に消えていった。
俺の肩に手を回したのを、軽く払い除けるつもりが、空振りに終わり、一番風呂まで使われた。なんなんだか。
小腹が減ったので、俺はコンビニの袋の中を漁り、部屋の備え付けの小さな湯沸かしで、湯を沸かした。
アパートの前といい、ホテルの中といい、師範代は俺の匂いをよく嗅ぐ。
俺はそんなに犬の匂いがするのだろうか。たしかに、自分の枕の匂いが父親の匂いになってきたし、柔道部では井草と汗と生徒と俺の脂の匂いに塗れている。参ったな。犬は好きだが、そんな匂いは女に嫌われる。三十代にはまだなりたくない。匂いも強くなるだろうし、女に好かれる魅力が年々減っていくじゃないか。ため息をつきながら、夜食の準備をすると、師範代が無防備に置いた鞄が目についた。くくりつけたパスケースには、幼き日の師範代と思われるあどけない少年の顔と、柴犬となにかの雑種と思われる犬がいる。あいつはこの年齢で何かを止めてしまったのか。
「いかんっ。ルール!ルールだぞっ」
本名を教える気のない人間の、過去の領域に簡単に踏み込んでいいわけはない。あいつが女と別れたのも、音ゲーに常駐しているのも、俺の人生の中ではさして重要ではないことだ。だが。
「執拗にイベントに誘うわ……、俺のアパートやゲーセンまで突き止めるわ……」
その金の出どころは何処だ?パスケースに挟まれた写真の中の幼い頃の師範代の姿は、割と上等な服を着ている。
一堂零
イチドー……、音ゲーの開発元と関係……まさかな。
やはり、師範代には男色の気があった。俺は、師範代にアッサリと喰われてしまったのだ。
「お婿にいけん」
「貰ってあげますよ」
師範代は自身の細長く滑らかな手で俺の手を取ると、俺の毛深い手の甲に、師範代は、薄く小さな唇をそっと押し当てた
「お前、いつもこういう感じなのかっ」
男に喰われた自身の不甲斐なさに、半分腹を立てながら、俺は、ベッドで師範代に背を向ける。
「イベントだなんだってやってりゃ、女の子の方から寄ってくるからなっ。あとは、舌先三寸だろうよ」
「それなりに、私はあなたに感情を込めたつもりなんだけどな。気持ちよかったでしょうよ?」
「軽いっ……!」
風呂上がりの師範代とアルコールを浴びるように飲み、そろそろ寝るかという段階で、風呂を浴びようとした俺を強引に押し留められてしまった。いい匂いがする、なんていいながら、服を一枚一枚脱がしていって、あとは、首筋に犬歯をたてて、舌や指で、俺の皮膚や体毛をかきわけて。
「純情生真面目、今時重いだけの男なんて」
背を向けている俺の肩を抱いて、師範代は続けた。
「あなた、苦労するだけですって」
そのまま、ぐりぐりと師範代は自身の頭を、俺の背中に押し付ける。俺はこの男に蕩かされてしまった。寝技に持ち込まれても抵抗しない、俺も俺だ。
「もう一回しましょうか?あなた嫌じゃ無さそうだったし?」
「お前、この土地になにかを置きにきたのか?」
今度は俺が向き合った。
「へ?」
「久しぶりの人肌は気持ち良かったよ。気が狂いそうになるくらいな」
俺は師範代の顎に手をかけると、そのまま、クイと俺の唇の方に引き寄せて重ね合わせた。
ん……、はあ……
お互い、舌と舌をもつれ合わせ、時々息継ぎのため唇を外しては吐息を重ね合わせる。夜食用に食べたコッペパンと焼きそばの味を、舌同士でお互いの口中を掘り起こせば出るかもしれないというくらい激しく。俺はコッペパンが、ゲーセン通いによる貧乏生活を思い起こしてしまうせいで苦手になり、師範代は師範代で、麺は好きだけどソースは解釈が違うんですなどと訳の分からないこだわりを言うから、じゃあ二人で手打ちだと焼きそばパンにして食ったやつだ。穏やかな夜食の時間に反比例するように、奴が振られた彼女の思い出話はあまりにも希薄すぎて、いっそう、奴の虚無感と、爬虫類のような血の通って無さが浮き彫りになって。「構いませんよ、喧嘩もなしの楽しいだけの付き合いでしたから」という言葉が強がりではなく、本気でこだわりというものがないのか。なんでも来い、俺の人生は大概そうだったけれど、なんでもいいとは思っていない。
「私ね、あなたに壊されにきたんですよ……」
吐息混じりに、師範代が返す。
「私が作った会社で、私が作ったゲームで、どんどん大きくなりすぎちゃって、私だんだん、なにやってるのかわかんなくなって、おんなのこだって、私のなにがいいのか、私に簡単に抱かれたがるし、私、自分の顔がどんどんわかんなくなって……それで」
師範代の声がうわずりだしたのを聞き、俺は腹を決めた。
「いいよ。壊してやる」
俺は、師範代の下半身に手を伸ばし、些かの指の応酬を加えた。師範代ひそれだけで、んっと声をくぐもらせて、背中を退け反らせる。
「気持ちいいか?」
「あ……、はは、ホントに、男は初めてなんですか、事代センセ」
「先生って言うなっ」
「だって、あんた、ほんとの先生じゃないですか?……わたし、しはんだい、だもんね」
俺はそのまま、指を師範代のペニスにまとわりつかせて、ゆっくりと上下させる。師範代自身が、少しずつ熱を帯び、硬さも太さも、満ちていく。これで、本当に何人もの女の子たちを泣かせたんだろうか?羨ましいが、その人生を味わいたいとは思わない。
「師範代よりも、先生の方が上なんですよ」
俺の手のなかで弾けそうなくらい、師範代の肉が膨張している。
師範代の肉は、俺の方の肉に合わせだし、それぞれの肉の頭(こうべ)の部分を擦り合わせた。流石に俺も、精を通わせる隙間の部分に、雫が溢れ出し、師範代の肉と俺の肉が少しずつ、それぞれに白い樹液を纏わせ合う。それらを透かせるかのように、俺たちが擦り合わせた性器は、血の色を帯出した。
「………ねえ、もう、私たち壊れてませんか?」
お互いの擦り合わせる性器を見ながら、息も絶え絶えに、師範代は言う。
「はっ……、行きずりだからだろ?ここまで俺に曝け出すの」
「そうだね。私ね、あんたに師範代を譲ろうって思ってました」
「え?」
「あなたになら、あげてもいいです」
あとは、あ、ああっ、と天国に辿り着くかのごとく、師範代はうわごとのように声を出してては噛み殺す。
「人が一生懸命作ったゲームで、あああああなんて、適当な名前つけてるくせに、みるみるランキングに入っちゃうから。……私以上に人を食った奴だと思ったのにな……。実際会ってみたら、こんな人でしょ……だから、私……、あっ」
もう届くかも…と、奴は呟くと、俺は手を止めた。
「いや、あんた、なにを止めてるんですかっ」
「お前、まさか妙な気を起こしてるんじゃないだろうな?」
虚無感が所々にみえる、師範代のはしゃぎ方。血の通わなさ。なにが今時重いだけの男なんて流行らない、だ。
「だ、男色のことですか?もう、いいでしょ?」
「そこから先のことだ、馬鹿」
奴の取り巻く環境はわかった。そこから先の生きる道を、なんでもいいではなくどうでもいいと言い出しはしないかと懸念する。我ながらおせっかいだが、俺が生きた道だ。荒療治だぞ、と俺は奴の耳元で囁いた。
「んんっ!」
俺は、師範代と俺との間に溢れさせた樹液を手に取ると、師範代の門に塗り込み、指を一つ二つネジを止めるように差し込む。師範代にとって、未知の快感だったのか、師範代の背中や尻に戦慄が走った。
「あああああ」
「おう」
「人を食ったような名前つけちゃってさ!なに返事してるんですか?私、お尻は処女なんですよっ」
「安心しろ、俺も男色は初めてだ。多少の違和感は感じるだろうが、これも経験だ、我慢しろ」
「わ、私はあんたにお尻まではしなかったのに、あ、ああっ」
寝技は得意な方だった。俺は師範代の首に手を回し袈裟固めをかけてから、師範代の唇を吸い、腰を高くあげてから、一気に貫いた。
「もうダメって言ったのに」
「もっとして欲しいって意味じゃなかったのか」
「鬼だ、あんた」
行為が一通り終わると、師範代は半泣きになり、涙目になりながら、ぶつくさと文句を言い出した。
「すまん、気持ち良くなかったか」
「良くなくはなかったです」
「どっちだよ」
こいつが俺の前で怒ったり涙目になったのは、これが初めてだったと気づく。本来ならベッドの上部にあるはずの枕が、一つは真ん中になりもう一つは床に転がり落ちと、生々しく配置が乱れている。シーツは当然しわくちゃで、こいつの言うところの、犬の匂いのする俺の体の匂いは、クジラのように潮を吹いたお互いの体液の匂いに紛れてしまった。師範代は、俺の肩に頭をのせて、問わず語りをしだした。
「師範代なんて、『代』をつけてるからね。ほんとは、私はいつでもゲームのランキングから、降りる気でいたんです」
血の通わないような、底抜けの笑顔よりも、使う表情の筋肉は乏しいのに、俺との行為を終えた今、師範代が纏う空気はとても柔らかい。
「父に反発して作った、小さな会社だったんですけどね」
「お前、お坊っちゃんだったのか……」
「生計はとうの昔から別ですよっ」
音ゲーの開発元のイチドーは、ゲーム会社のイチドーの子会社で、親会社は、師範代の親御さんの会社だったらしい。それは群がるな、女の子が。
「言うほど、いいもんでもないですよ。私、高校中退しちゃったし、ゲームが好きな友達集めて作った会社だからね。最初は友達とワイワイ出来たら楽しいなって思ったけど……。色んなものが絡むとさ」
「まあ、世の中、年齢が行けばいくほどややこしくなるわけだよ」
「誰が、そういうルールにしたんです」
そりゃ、世間様だ。俺だって、結婚を意識する年齢である以上、対して実のない人間関係に時間も労力も割けないし、起業しようと思えば出来る、環境が整っている師範代に嫉妬がないかと思えば嘘になる。もちろん、女の子一人くらいは血迷ってこっちに来ないかなんて、下心も出会った当初はあったが、結局、手持ちのカードで、人生なんとかしていくしかない。そこから自分の人生の残り時間を逆算して、仕事して、嫁さんを探して、結婚して……。人生は短い。この世にいるかどうかすらわからない上に興味もない、オンラインゲームのライバルに心を割く余裕などない。
「この土地に『師範代』を置いておくとして、お前は、あの写真の中のものを、何処かに置き去りにしていたんだろ」
心を割く余裕など無いというのに。
「可愛い犬でしょ。パトラッシュって言いました」
「へえ……、パトラッシュかあ」
「なんちゃって。信じました?」
「お前なあ」
ついてもメリットのない嘘をつく師範代に、俺は呆れるも、師範代はそのまま、乾いた声で続けた。
「ラッシーって、言いました」
犬の名前は嘘をついても、過去形であることは訂正しなかった。師範代が置いてきたものは、それだったのか、それとも、修復できなかった親御さんのことか、ゲーム会社での自分の立ち位置を師範代としての客寄せパンダに徹して、何かを置き去りにしたことなのか。
「どちらにせよ、クソ重たいのはお前の方だな、零」
俺は、師範代を本名で呼んだ。
「最初はこの世の何処かにいるって感覚だけで良かったのにね、あなたは」
師範代は、軽く苦笑いを浮かべると、俺の唇に自分の唇を軽く合わせた。
「零は止めてくださいな。師範代で」
今の足掻いている環境に身を置き続けるつもりでいるのだろうか。師範代は一言、お腹すきましたねと呟き、焼きそばパン、コンビニに買いに行きますかと、俺を誘ったのだった。