その心に光あれ 月明かりのみが頼りの暗闇の中、男は狂ったように走り続けていた。逃げなければ。今度こそ捕らわれるわけにはいかない。生きて残るのなら、せめて仲間を探して、追われているのなら、まだ間に合うのなら助けなければ、それから__。焦燥感と疲労感から脚がもつれる。自身で切断した肩の傷は、脈動と同時に痛みを全身に広めていった。まだきちんと癒えていないのだ。そんな痛みに構わずどこに向かうともなく走る。とにかく王城からは遠く離れなければという一心のみで走り続けた。
ルクスは王の命令により、その命を脅かされていた。ついこの間まで勇者と崇められていた男は、一転、王都を乗っ取ろうとした裏切者として糾弾されることとなったのだ。
毒矢で撃たれた腕を切断するも、治療を施すことはできず、人知れず死にかけていたところを王都直属の騎士である男に助けられた。どのような目的、理由からそうしたのかは結局分からなかったが、彼の顔には見覚えがあった。せめて傷が癒えるまではここにいてくれと頼まれたが、それを聞き入れることはできなかった。自分の遺体が見つからなければ、王は何としても自分を見つけ出して殺そうと勅令を出すことだろう。そうなれば、騎士であるあの男でも隠し通すことは難しいことは想像に難くない。
無償の慈悲だけで自分を救った人を窮地に陥れるわけにはいかない。夜間の勤務で男が出払っている際に、家を抜け出そうと行動にうつした。自身が持っていたはずの剣を探したが、使い慣れた剣は、恐らくルクスが戦えないようにするためか、家のどこかにしまわれてしまっていた。何も無いよりはマシだろうと、男の家にあった短剣と回復のポーションを拝借して家を出たのだった。
どれくらい走っただろうか。気づけば小型の魔物が出る森へと足を踏み入れていた。肌身離さずつけていた神祭の加護が付与されたネックレスのおかげで、小型の魔物に襲われることはない。この森であれば以前に来たことがある。王都からはそこそこ離れた場所にあったはずだ。流石に走る体力は底をついた。一休みしようと大木の樹洞に腰を落ち着けた。かなり大きな洞穴になっている。肌寒い風はしのげそうだった。
ふと大きく息をつく。思えばこのように溜息をつくことすら忘れていた。正直何が起きているのか、その全貌は渦の中心に立たされている自分自身にも分からない。安堵したことにより緊張が解けたのか、腹の虫が鳴った。こんな時でも腹はすくのか、と自分の生き汚さに思わず一人笑ってしまった。
「………笑えるな…」
久しぶりに発した自分の声は掠れて元の快活さは失われていた。結局、自分を助けてくれたあの男とも話すことはなかった。感謝の言葉一つくらい直接声で伝えられたらよかったものを。世話になったことを感謝する言葉と、自分のことを探さないでほしいという旨を書き残しておくのみとなってしまった。我ながら不義理なことをしたという自責の念に駆られる。後悔しても仕方のないことだ。思わず出る溜息とともに、一度考えることを辞めた。
それにしてもここからどうしたものか。流石に王都から離れた地ではまだ勇者が裏切者だったという噂もたっていないであろうことから、暫くは遠方の集落や村を協力者として頼れるかもしれない。が、その期間もすぐに終わってしまうだろう。というより、そもそも………
「生き残れるのか……?」
今まで目をそらしていたことを責め立てるように全身が痛みだす。思わず座っていた姿勢が崩れ、ゴツゴツとした地面に倒れ伏した。一度整えていた呼吸も今度は痛みや苦しさから荒くなった。今までの旅路でも無茶をすることは多かったが、それは支えてくれる人がいたからこそ成り立っていたというのもある。自身一人であるとこんなにも無力なのかと痛感した。多少の回復魔法は使用できるとはいえ、それもこの症状を完治させるいは至らない。回復のポーションも一時的な回復にほかならない。しかし、使用しないよりはましかと持ってきたポーションの薬瓶に手をかけ、その蓋を開けようとした。その時ルクスはとある違和感に気が付いて、その動きを止めた。地面が少しであるが揺れている。一定のリズムをもってその揺れは発生していた。段々とその揺れは強くなっていく。
ドスン、ドスンと地面を大きいものが地面をたたく音。何かの足音だ。ルクスは自身の体に鞭を打ち、上体を起こして息を潜めた。足音はどんどん近づいてくる。持ち出した短剣を力強く握る。せめて抵抗だけはできればいいが……。多少のうなり声とともに吐き出される荒い息の音。直ぐ近くにそれはいるらしい。何かはすぐ近くで歩くのを辞め、暫く鼻を鳴らしていた。自身の匂いを嗅ぎ付けたのだろうか、とルクスは緊張から体を堅くこわばらせる。心臓がどくどくと脈打つ音が嫌に耳についた。呼吸音をなるべく抑えるように口と鼻を覆うように手で隠す。その気配は木の洞のすぐ近くまで来て今にも獲物を食わんとゆっくりと姿を現そうとしていた。せめて先手を撃てれば、と構えていた時、少し遠くで小さな悲鳴と何かが地面とぶつかる音がした。気配はその音を聞き逃すことなく音のしたほうに駆けていってしまった。
洞から顔をだして覗いてみれば、大きな影が木々の向こう側へと走り去っていくのが見える。その容姿を確認すると獅子と山羊が混ざったかのような体躯を持ち、背中には蝙蝠のような羽が不自然に装着されたようについていた。尻尾にあたる箇所には凶悪な蛇が座している。確かキメラと呼ばれる魔物だ。しかしこのあたりに生息するような魔物ではなかったはずだ。もっと人里から離れた場所に生息している。それに、以前対峙した魔界由来のものよりもずっとその体躯は大きく、羽がついていた記憶もない。少し不自然さを感じながらも、はっと悲鳴の主のことを思う。考えるよりも先に体は動くようになっていた。
猛スピードで木々の間を走り抜ける獣の後ろを離されないように追いかける。どこからその力が出て来るのか自分でも分からないが、人を助けなくてはという先入観はこんな時でも発揮されてしまった。自分のことながら呆れる。
ふと獣の脚が急に止まった。どうやら新たな獲物を見つけたらしい。今出て行っても正面から対峙すればやられてしまうだろう。隙を探すために茂みに身を潜めて様子をうかがう。
「あ……」
か弱い声が聞こえる。声からして子供だろうか。なぜこんな時間にこんな場所にいるのかは分からないが、その命が風前の灯火であることは明確だ。魔物がその子を喰らおうとして襲い掛かった瞬間、閃光弾をその手から放つ。これで暫く目をくらませることは可能だ。魔物はうなり声をあげ、よろめきながら後ろに下がる。その間に、襲われそうになっていた子供の前に立ち、「逃げろ!!!!」と叫びちらとその様子を見やる。どうやら動けなくなってしまったようで混乱したような不安そうな表情をしながら、その青い瞳でルクスと魔物を交互に見つめるのみだった。あぁ、クソッ。思わず悪態をつき、魔物の正面に子供をかばうように立つ。
さて、ここからどうしたものか…。
ついさっき思い起こしたセリフをまた脳内で反芻する。そういえば旅路の途中で軍師であった仲間に「後先考えずに行動に出すぎだ」と小言を言われていたことを思い出した。本当にその通りだ。自分の愚かさに思わず不敵に笑みをこぼしてしまった。だが、手はある。
魔物は閃光弾に目をやられたのか、首を振り暴れている。未だよく見えていないであろうに、嗅覚からかルクスの居場所を特定し、咆哮した。ルクスに向かって飛びつきその鋭い爪で切り裂こうとする。すんでのところで避ければ、魔物はすぐに身をひるがえし、尻尾を使いルクスの胴に当て勢いよく吹っ飛ばした。
「ぐっ…!」
庇う腕の無い左側から重い衝撃を喰らい、思わずうめき声をあげる。ミシミシと嫌な音が体内から発され脳に直接響く。その身は近くの木に打ち付けられた。
「っはぁ、………倒れるなよ俺…!」
すぐに体制を立て直し、短剣を強く握って魔物に向かって猛スピードで切りかかる。魔力と体力を消費し自身の速度を無理やり上げる。多少バランスはとりにくいものの、魔物はさすがにその速さにはついていけないのか、少しずつではあるが切り傷をつけることはできている。が…
(硬すぎる。流石にこれだけじゃ…)
短剣を見るとすでに刃こぼれを起こしていた。魔物の装甲が堅いことを示している。ルクスはとある方法を思いつく。今の自分に使えるかは分からないが、自分を信じるしかなさそうだ。一度切りつけるのを止め、ぼろぼろになった短剣を残った右手で持ち、自身の前に立てて構えた。
圧されていた魔物も切りつけるのを止めたルクスに向かって体制を直し、咆哮した。構わずにルクスは目を閉じ詠唱を始める。
「光たつ我が主よ。今ここに執行する正義に力を。…聖堂のよるべに従い、この意に応えよ。」
魔物はルクスを喰らわんと口を開けその大きな体躯で襲い掛かってきた。ルクスは詠唱を止めることなく続ける。
「我が名のもとに聖剣をここへ!」
その声とともに、ルクスのもつ短剣が光をまとう。いつの間にか短剣だったものは光を発する剣へと変化していた。それを見るとルクスは少し安堵した顔をしてすぐに魔物へと厳しい視線を向けた。
「喰らえ、悪獣!」
剣を持つ右手に力を込め、向かってくる魔物の頭めがけて突き刺す。剣は容易に魔物の頭を貫き貫通した。直ぐにまばゆい光線が魔物を焼くように発される。目をつぶすほどの光がやんだと思えば、魔物の姿は跡形もなくなっていた。
ルクスは暫く突き出した腕をそのままに、荒い呼吸を繰り返していたがついにその力は抜けてなくなり、地面に崩れ落ちた。
ようやく動けるようになった少年がルクスの近くに駆けよる。
「ごめんなさい!僕の、ぼくのせいで…。すぐに助けを…!」
そう言って急いだ様子で駆けて行ってしまった。その声を最後にルクスの意識は途絶えた。
夢を見ている。
かつて赴いた魔王城を背景に、たくさんの人が倒れていた。かつての仲間、自身が倒した魔王城の敵だった者達。自分だけがそこに立っていた。
『何が正義なのか。もう一度よく考えるんだな。』
魔王が倒れ伏すその時に放った一言が今更自分に刺さる。どこからともなく頭に直接響いていた。その声に応えるでもなくひとりごちる。
「じゃぁ、どうしたらよかったんだ…」
自身の言葉を聞いてはっと目を覚ます。思わず上体を起こそうとしたが、全身の痛みに刺されてうめき声をあげた。おとなしく寝かされているベットに身を任せる。力を抜けば、痛みは少しではあるが引いて幾分かましになった。
「はぁ………。」
痛みを感じるということは生きてはいるのだろうか。一応首は動かせそうだったので、体を寝かせたまま、あたりを見回す。
どうやらどこかの一室のようだ。日差しが優しくさしこんでいることもあってか、全体的に落ち着いた雰囲気の部屋には、目立つ家具として棚やローテーブル、ロッキングチェアが置いてあった。棚には大量の書物と小さめの観葉植物が置かれている。ローテーブルにも読みかけだろうか、本が数冊積まれていた。筆記用具がその隣に雑多に置かれている。自分が眠るベットの隣にはひとつ大きなベットが置かれている。誰かの寝室なのだろうか。
ーーまたか……。
どうやらまた人に助けられたらしい。自分の不甲斐なさから溜息をつく。
コンコンと部屋の扉をたたく音がした。音の主は返事はないものだろうと思っていたのかすぐに扉を開ける。扉の向こうから大柄な男が出てきた。その姿に思わずぎょっとする。大柄なうえにその長髪が、さらにその男の存在感を増していた。さらに目を引いたのはそのくちばしのようなマスクだった。一瞬人ではないのかと疑ってしまう。茫然とその姿を見つめていれば、その男はルクスが目を覚ましていることに気が付きマスクによってすこしくぐもった声で話しかけてきた。
「起きたのか。目は正常に見えているか」
暫く啞然としていたが、ルクスはなんとか言葉を発する。
「…………うん、……っげほ、……っはぁ。目は、見える。」
むせながら掠れた声で答える。相当体調は悪いようだ。男は短くそうか、とだけ答え、手に持っていた桶から水にぬれた布を取り出し、丁寧に絞ったあと、ルクスの額に乗せた。おずおずと何をするのかと様子を見ていたルクスだったが、額から伝わる冷たさが心地よく、緊張を解く。
「……っその、貴方が、俺を助けてくれた、のか?」
しゃべりにくいながらにそう問いかける。
「まぁ……運んだのは私だ。丁度アルス……あぁ、君が助けた少年だ。彼とは一緒にここに住んでいてね。昨夜気が付いたらいなくなっていたものだから探しに出たら丁度帰ってきて、君を助けてほしいと言われた。だからここまで連れてきて、取り敢えず応急処置を施した。それで今に至る。応急処置は、私がしたわけではないが。」
「……そうか。……教えてくれてありがとう。……すまないな。」
「別に謝ることではない。それに、謝るとしたら我々の方だ。」
「……なぜ?」
「少年を助けてくれただろう。彼は私たちが面倒を見ている。本来なら君に面倒をかけることではなかったはずだ。すまない。助けてくれたことは礼を言う。」
抑揚なく、事実を陳列するかの如く男は話していた。感謝の言葉を述べられたのに気がつくのに少し時間を要するくらいには淡々としていた。
「いや、あれは……俺が勝手に…げほっげほ、」
急に息苦しくなり、せき込んでしまう。その様子を動じることなく見つめたあと、男は
「苦しいなら無理に話す必要はない。」
そうルクスに告げて静かに立ち上がり、「そこの水は好きに飲んでくれ」と、ベットの傍らの小さいテーブルに置かれた水差しとコップを指さして部屋を出ていった。扉が静かに閉まる。
様々な不安はあり、焦りは募るだけ募っていくが、体もこの様子だ。おとなしくしておく他ないようだ。
暫く手持ち無沙汰に部屋を色々観察してみた。植物はよく手入れされていて元気に育っており、自分が寝かされているベットはどう見ても水だった。水なのに自分の体は濡れておらず、寝心地も普通のベットと相違ない。見たことはないが、おそらく魔力によって創造されているものだろう。
部屋を観察するのも10周を超え、流石に新たな発見もなくなり、天井を見上げてぼーっとしていると扉の向こうから聞こえる「あっ、こら!」という声とともに扉が勢いよく開かれる。驚いて扉の方に目を向けると、あの少年がこれまた勢いよくルクスのもとに向かってきた。その勢いのまま横たわるルクスの身にその小さい体を投げ出すようにして、覆いかぶさるように顔をつけ
「ごめんなさい~~~~~~~~!!!!!!!!ぼくのせいで、ぼくのせいで~~~~~~~!!!!!」
と大きな声で謝りだした。
「こら、病人にこたえる大きな声を出すな!!」
後ろから少年について歩いてきた長髪の男は片足で器用に歩きながら近づいてきて、少年をベットからひっぺがした。
「うぅ、ごめんなさい。」
今度は反省したのか消え入りそうな声で落ち込んだ表情をしている。
何事だろう、と口をぽかんとして見ていれば、男が
「すまないな、充分に見てやれなくて。」
と申し訳なさそうにルクスに話しかけた。
「いや、……ん゛っ、ん゛んっ……」
大丈夫だと伝えようとしてまたもやせき込んでしまった。もう話すのはあきらめた方がよさそうだ。
その様子を見ていた片足の男は「あぁ、喋るな喋るな」と心配そうに枕元にある椅子に座り、ルクスの額に置いてあった布を取り、ベットの傍らに置いてあった水桶につけて絞る。絞り出された水が桶の中の水にぶつかる音が心地いい。
「ひとまず容態が落ち着いたと聞いて安心したよ。肩の傷はまだふさがっていなかったし、脇腹にも強い衝撃を受けているだろう?もしかしたらひびが入っていたかもな。俺の回復の魔法をかけたから、傷自体はもう治ったが…。よくあることだ。大きい怪我をした反動で熱風邪と同じ症状が出ている。暫くは養生するべきだ。」
医術に心得があるのか、ルクスの容態を丁寧に説明してくれる。解説を聞きながらまた額に心地よい冷たさを感じ、うっすらと眠気を感じた。なんとなく安心したのだろうか。
「何か食べれそうか?食べられそうなら、作って持ってくるが…。薬も飲んでもらいたいしな。」
その提案に小さくうなずく。それを見ると安心したような笑顔を見せ、「よし、じゃあ準備するか」と椅子から立ち上がった。
「行くぞ、アルス」
男がルクスに話しかけている間、ずっと心配そうに様子を見つめていた少年はそう言われると「はい!」と返事を返し、男の後ろをついていった。部屋を出る前、丁寧にルクスに向かって深くお辞儀をして丁寧にドアを閉めて出ていく。
それからルクスの容態が良くなるまで半月ほど要した。その間、三人がかわるがわる面倒を見てくれた。アルスという少年は、時々記憶をなくしてしまうことはあっても、その日に起きた出来事を看病しながら嬉しそうに語ってくれることもあり、グレゴリーという男はルクスの容態を常に気にかけてくれた。シュヴァルツという男は常にペストマスクを着けているせいで表情はうかがえないが、グレゴリーの手が空かない時等、頼まれればルクスの看病をしてくれた。悪い人ではなさそうだ。ルクスは三人に自身の本当の名前を言わず、適当に考えた偽名を名乗った。ロイド、という名前だ。せめてこの三人は厄介ごとには巻き込みたくはない。
容態が充分落ち着いたため、ルクスはグレゴリーに近々出立しようと思っているという旨を話したのだが、グレゴリーはそれを聞くと、渋い顔をして首を左右に振った。そして少し厳しいともとれる声色で言った。
「確かに熱の症状は治まった…が、お前の魔力腺に全体的に少し損傷がある。身体の損傷で最初は気が付かなかったが、大分無理をして魔力を使ったんだろう、お前。」
思い当たる節があるルクスは、ギクッとした様子で「あ~…それは……まぁ。」と言いづらそうに答えた。その様子を見て確信を得たのかグレゴリーは深くため息をつき。
「きちんと治るまではいてもらう。医者として怪我人をそのまま見送ることはできない。」
と厳しく言い放った。
「ん~、そっかぁ……。急いでるんだが…」
とグレゴリーの様子をうかがうも
「出ていったら魔法を使わなくてもいい、というわけにもいかなくなるだろ?おとなしくここにいなさい。」
とぴしゃりと言われてしまった。現状、説得の余地はなさそうだ。
「はは……分かった。何か手伝う分には動いてもいいだろ?」
「まぁ、魔力を使わなければな。」
「了解、了解。薬品の知識はないから販売に関しては手伝えないかもしれないが、力仕事なら手伝えると思う。何かあれば言ってくれ。」
「…………まぁ、それであれば、いい、か。」
渋々といった表情で許諾してくれた。確かに剣をふるうには体力も必要だ。まずはそこから回復していくべきだろう。
それからは、手伝いをしながら片手で剣を振れるように個人的な特訓をし、体力と筋力をつけようとトレーニングをするような日々が続いた。手伝いが出来ている分罪悪感は幾分かましになっていたが、それでも不安になるのは自身の指名手配のことだ。そろそろこのあたりにまで話が届いてもおかしくはない。それにアルスを助ける際に、多量の光魔法を使用してしまった。光魔法を使用できる者は限られており、さらに高濃度の魔力であれば、魔法を使った人間を特定するのにそう時間はかからないだろう。グレゴリーには申し訳ないが、やはり折を見て無理やり出ていくしかないのだろうか。
そんなことを考えながらも店を出ることはできず、数日が経った。麻袋に入った大量の素材を外から運び入れ、二階の調合室に運ぼうとしていた。丁度店に集まっている三人に素材が合っているか念のため確認しようと声をかけるつもりで、店につながる扉の前に立つ。よいしょ、というつぶやきとともに床に結構な重さの麻袋を静かに置く。扉を開けようとしたとき、ふと店内からの会話が聞こえた。
「まぁこんなところに用があるわけもないでしょうし、来るとは思わないけれど…。用心に越したことはないでしょうねぇ。」
「全くその通りですね。」
薬を買いに来たであろう女性とグレゴリーが会話している声だ。「用心」という言葉を聞いて、まさかと思う。
「でも、どうして勇者様だった彼が突然王都を裏切るようなことができるのでしょうね……。旅の途中で何かあったとか…?でも私凱旋を見に行ったのだけれど……。変な様子はなかったように見えたのよね。とても人のよさそうな雰囲気だったわ……。」
「人はみかけによらないとも言いますし。彼の考えは常人の我々にはうかがい知れませんよ。」
「そうかもしれないわね……。じきに王都の騎士団の方が私の暮らす村にまで捜索にこられるそうよ。」
「そうですか……。物々しい空気になりますね。」
「本当……。あらやだ私ったら話し込んでしまったわ。もう帰らくっちゃね。お薬ありがとう。また来ますわね。」
「ええ。旦那さんにもお大事にとお伝えください。」
「ええ」、という言葉についで、店の扉が鈴を鳴らして閉まった音がする。女性が店から出ていったのだろう。
とうとう来たか…………。
思わずため息がこぼれる。息を潜めている理由はなかったのだが、呼吸を止めてしまっていたらしい。今三人に顔を合わせるのは得策ではないだろう。正直うまく表情を作れるか自身がない。そのまま麻袋を手に持って二階の調合室に運んだ。そのまま店の裏に出て、ないよりはましだろうと急ごしらえで作った木剣を手に取る。不安や焦りをぬぐうように剣の振り方を考案する。
確かに魔術は使いにくいが、もともと体術を中心に戦ってきたこともあり、魔術が無くてもある程度はなんとかなるだろう。問題なのは武器だ。もう少し離れた町に出て、働き口を探して武器屋なりなんなりで購入するしかないだろう。そういえば貨物用の馬車が時々この森の近くを通るのを見た。荷台に潜り込むのは現実的ではないだろうか。いや、大きい貨物車ならあるいは…………。
「!」
出立の方法を熟考しながら木剣をふるっていると、背後に気配を感じた。少しばかりの敵意を感じたため、癖で相手の喉元に瞬時に木剣を充てる。
「っ…なんだ……。シュヴァルツか…………。」
相手を確認し木剣を下げようとした。が、その剣は手で掴まれ、下げることができない。驚いた表情をしてシュヴァルツの方を見やる。相変わらず表情を確認することはできないが、その瞳は明らかにルクスに敵意を向けていた。木剣を掴んだまま、シュヴァルツはルクスを逃さないようにするように近づいてくる。何かを察したのかグレゴリーが店の方から歩いてくるのが見えた。シュヴァルツを探していたようで彼の名前を呼ぶ。その声を遮るように、彼は話し始めた。
「お前が勇者か?」
その言葉に、その威圧的な声に表情を硬くする。
「銀色の髪に翠色の瞳。光属性の魔法を使う。」
淡々と、しかし責め立てるように話し続ける。
「お前はあの夜、光属性の魔法を使っていただろう。遠くからでも知覚できるほどの膨大な魔力量を持っていた。そんなものが使えるのは王族の血統くらいだ。」
近づきながら話す彼は、見たことのない気迫を帯びている。若干気圧されながらも決して目をそらすことはなく聞き続けた。
「お前はなんなんだ。何者だ?」
そこまで聞くと、ルクスの応えを待つように話すのを止めた。アルスが誰もいないことを察してか、外に出てくるのが視界の端に写った。シュヴァルツの目を見てから微笑み、ルクスは答える。
「皆には話すべき……だよな。皆の仕事が落ち着いたら話すよ。もう少しやることもあるだろ?」
未だ疑うような視線をこちらに向けるシュヴァルツに諭すように話した。
「大丈夫だ。今更逃げるようなことはしないさ。」
夜になり作業なども落ち着いたころ、改めて向かい合って三人で座っていた。アルスは先に寝室で寝かされている。
ルクスは自分が勇者だったこと、魔王を討伐するよう命を受けて帰還した時、理由も分からず王の命令により死にかけたこと。世間的には自分が悪者とされ指名手配を受けるまでになっていることを話した。王族とのつながりがあるかは分からないが、幼少期の頃を鑑みるに、自分が王族の血を少しでも継いでいる可能性はあるが、王都と直接の関係はないことも話した。それを語ればシュヴァルツの視線からは敵意が除かれたように感じた。
「まぁ、俺の一身上の都合はこんなところだ。流石にこれ以上滞在すれば貴方たちに迷惑をかけることになりかねない。……だから、じきに、ここを出ていきたいと思っている。」
ずっと真剣に話を聞いてくれていた二人は暫く黙っていた。考え込むように自身の手元を見つめていたグレゴリーが口を開いた。
「そういうことなら…。ちょっと待っててくれ。」
そう言うと席を立って自室に向かって歩いて行った。暫く経つと何かを持って帰ってきた。
「武器はそのうち必要になるだろうと思って、用意はしておいた。持っていくといい。使ってくれてもいいし、金の足しにしてもらってもいい。好きに扱ってくれ。」
テーブルに布に包まれた剣を置く。それを手に取って見れば精巧に鍛錬された剣だった。腕の良い職人によるものだと分かる。
「……こんな、良いものを……?」
「まあ、俺はもう使わないからな。使ってくれる人の元にあった方がいいだろ。あと、旅にあって困らないようなものはなんでも持っていくと良い」
「え?流石にそれは悪い…」
「なんだ。今更遠慮するのか?」
少し意地悪そうに笑いながらルクスに言う。確かに彼の言う通りかもしれない。もう迷惑ならさんざんかけている。
「……絶対返しに戻るよ。」
「別にいい。気にするな」
そう言って笑うグレゴリーの表情は今までのものよりも一層穏やかなものに見えた。
後日、時は日が昇ってすぐの早朝。ルクスは3人に見送られながら旅路に出る。未だその目的地は決まっていないし、仲間もいないというなんとも寂しいものではあったが、彼が行く道はまさに光に照らされていた。
今はまだどうなるか分かりはしないが、必ず良い方向に向かうように、かの人々が本当に穏やかに暮らす日々を得られるように、また帰還せんと。勇者だった男は、一人の人として初めて、そう心に決めたのだった。
いつだって、その心に光あれ。