こわいゆめ 夢を見るのは稀だ。
だから夢を見るといつも不安感に苛まれる。
どうせまた悪夢を見ることになるのだろうと。
俺はどこかの家の前に立っていた。誰の家かは分かっている。アイツの家だ。
家の扉の前には女性が立っている。黒の長い髪を結び、子を抱え、俺の差し出すドッグタグを見て目に涙を溜めながら言うのだ。
「あなたじゃなくてあの人が帰ってきたらよかったのに」
もっともな意見だ。と他人事のように思う。そもそもそんな言葉をかけられたのかも定かではない。きっと実際にはそんなことは言われなかったのだろう。だが、どうしても考えてしまう。
もし、生き残っているのが自分ではなくアイツだったなら。この女性は今頃安心して子を育てられる日々を送っていたのだろうと。自分が生きて帰るよりもずっと、多くの幸福を招いていたのではないかと。きっと、もっと。その方が。世界にとって良かったんじゃないだろうか。
耳元で空気をも喰らうような轟音が響く。近くで爆発が起きたのだと理解する時にはもうその聴力のほとんどが一時的に失われ、耳鳴りのみが聞こえるばかりだ。
近くで爆発が起きたというのに、倒された衝撃で地面に体を打ち付けた痛みしか伝わらない。誰かが自分の体を覆っている。もうわかっている。アイツだ。一度現実で起きたことをこれでもかというほどに、何度も何度も記憶に刷り込まれるように悪夢として見せられているのだ。見るのは嫌だと思うのに、どうしても視線は自分を覆う体に向かう。実際に見た記憶がそうだから。目を向ければアイツが、腹が立つほど満足げな表情を浮かべて自分の名前を呼ぶのだ。
「…………………桐志…良かっ、た」
違う。アイツは俺をその名前で呼ばない。まだその名前がついていない頃の記憶だ。だから違う。それに、声が、違う。もう正確に思い出せないおぼろげな声ではない。今もすぐに思い出せる、鮮明な記憶にある声。
人は恐ろしいものほどその正体をはっきりさせたくなるのだという。知らないことが一番の恐怖なのだと。
だからなのか、それとは違う理由からか。頭では見ない方がいいと分かっているのに、思わず声の発せられた方へ目を向ける。
そこにあったのは阿僧祇の顔だった。普段と変わらない服装で、普段よりも穏やかな笑顔を見せている。だがその体は自分の代わりに爆風を浴び、破片が刺さり焼けただれ、口からは血をこぼしていた。何故。そんな。嘘だ。嫌だ。こんな結末を認めてたまるか。これは夢だ。悪い夢だ。そんな結末があっていいはずかない。気が付けば自分は阿僧祇の名前を呼んでいた。呼ぶというより叫びに近い。何度も叫ぶ自分の声がどこか人のもののように思えた。
目が覚める。勢いよく上体を起こしベッドの上に座り込んだ。自身の顔を覆い唸り声にも似た嗚咽を漏らしながら荒い呼吸を繰り返す。自分の荒く拍動する鼓動がうるさく全身に響く中、縋るように聞こえるはずの心音を探す。次第に意識を集中させれば、安定した心音が聞こえた。それに合わせて次第に呼吸を整えていく。次第に呼吸は落ち着き、煩かった心音もそれに合わせて落ち着いていった。
「…………………最悪だ…」
ひとつ深く呼吸をした後、吐き出すようにそうつぶやいた。
いつの間にか不思議と聞こえるようになっていた阿僧祇の心音に、こんな縋り方をしたくはなかった。最早下手に鎮座した意地なようなものが自身への嫌悪感を産む。
何故こんな夢を見たのかは、なんとなく分かっている。以前阿僧祇を巻き込んで悪夢を見たせいだ。怖いとは思わなかったものの、過去の記憶と重なったあの光景だけは、どうやら心に残ったらしい。
冷えた空気をゆっくりと吸い込み、吐き出す。そうしてベッドから立ち上がりタバコを手にとって、3階のキッチンに向かう。換気扇の下で一度はやめたはずの煙草を吸う。これもまた、心を落ち着かせるための行為になっていた。
無理やりにでもその緊張と不安感を飲み込み、またベッドに潜り込む。明日顔を合わせることがあったら、どんな表情ができるだろうか。ぬぐい切れない不安感と焦燥感をまた抱えながら眠りについた。朝日が昇るのを心待ちにしながら。