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    芽生え、あるいは散り行くもの「すいません、隆二さん。よろしくお願いします」
    「いや、むしろ楽しみだ」
     頭を下げる勇の前で、これから冒険しようとする子供のような、生き生きとした隆二の両の二の腕には、画版がくくりつけられ、片手には三尺ほどの木の棒を持っている。隣では隣の農家から借りた農耕馬がぶるるッと息をはいていた。だいぶ寒さが緩んでいるからか、息が白くなることはなかった。写生日和だと勇は内心ほっとしていた。
     二人がいるのは村の外れの野原であった。これから隆二に馬に乗って武者と同じ姿勢を取ってもらい、それを模写しようというのである。何度も同じ姿勢を取るのは、馬にも人にも大きな負担がかかる。勇の記憶力と、筆力が試される局面であった。結局、源義経の逆落としに決めたが、計画に遅れが出ていることと資金不足から、背景の取材を断念し、近くの山での素描に頼ることになってしまったので、絵に現実味を持たせるためには、馬や武者の描写力が命だと勇は考えていた。
     初めて乗る馬にもかかわらず、隆二は軽やかにその背に乗った。馬を描くのが好きな隆二は、乗馬も好んでいる。絵師としての修行や仕事の時間を縫って、知り合いの馬に乗せてもらって、野を駆けていた。
    「もう始めて大丈夫か?」
     勇は画帳を構えた。鋭い三白眼をさらに鋭くして、隆二と馬を凝視する。
    「お願いします」
     隆二は馬を直径三間ほどの円の形に一周歩かせたあと、あらかじめ決めておいた場所で止めた。
    「じゃあ、いくぞ」
    「はい」
     勇の返事で、隆二は右手に持った棒を刀のように振り上げた。
     隆二の体の捻り具合、両肩の画版の向き、馬の筋肉の張り。勇は隆二と馬に全神経を集中させ、その形を覚えた後、隆二に腕を下ろすよう頼み、紙に写しとっていく。勇の絵の才能の一つが、興味を持ちさえすれば一度見たものをほぼそのまま記憶できることである。その才は今最大限発揮されていた。
    「もう一度やるか?」
     脳内の記憶を画帳の紙に素早く描き写している勇に隆二は声をかけた。
    「お願いします」
     隆二の腕と大袖代わりの画版の向きに集中していたせいで、隆二の脚部分と馬の細部が描ききれなかった。再び腕を上げた隆二と馬を凝視する。馬は隆二が一度目に構えてから今まで姿勢を崩さなかった。相当の名馬である。
     ポーズを記憶し終えた勇は再び隆二に楽にしてもらい、画帳に向き合った。
    「隆二さん、ありがとうございます。もう全部描けました」
    「さすがだな。もっとやっても良かったんだぞ」
    「あんたが馬に乗りたいだけでしょう」
     馬から降りる隆二は危なげなく馬から降り、今日はありがとうな、と優しく馬の首筋を撫でた。馬を見る両目にはいっそ無邪気と言っていいほど真っ直ぐな好意と愛情がこもっている。
     そのまま俺を見てください。勇は半ば無意識にそう願った。あなたのその視線が欲しい。それがあれば、生まれてきてから最高の幸せを味わえると勇は本能が確信した。
     ああ、俺は隆二さんが好きなのか。
     難儀だなあ。理性が追いついた時、勇は極楽から地獄の底に突き落とされたような心地になった。相手は画家としての地位があり、たくさんの理不尽から守ってくれた、十四も年上の同性である。いっそ文明開化なんてなければよかったなと思った。それなら日本画家としてこれほど苦労はしなかっただろうし、恋の相手にしてもらえる一縷の望みがあった。
    「隆二さん、俺、馬を歩かせてきます」
     自分の気持ちを悟られたくない勇は、馬の手綱を握った。馬は毎日一〜二時間歩かせなければいけない生き物である。今日はこの馬を歩かせる仕事をする代わりに隣家から借りたのだ。
    「おう、行ってこい。十五分したら代わるぞ、お前馬描き慣れてないんだから描いたほうがいい」
     ウス、とぶっきらぼうに答えて勇は馬と共に歩き出した。どこまで俺のことを見てくれているのだろう。じわじわ胸に沸き起こる暖かい気持ちを必死に押さえつけた。

     青年が馬と並んで歩く姿は、牧歌的で心が和んだ。隆二は懐の小さな画帳と鉛筆を取り出した。
     大きくなったな。素描のためにじっくりと勇と馬を観察をしながら、隆二は思った。
     頬は丸みが落ち、首は太くなり、喉仏が出てきた。家事などの肉体労働で、筋肉が発達してきている。これからもっと逞しくなり、大人の男になっていくだろう。
     そして絵描きとして成功して、この家を出て所帯を持つのだろうな。心に隙間風が吹いたのを隆二は感じた。
     隆二は勇が絵を生業にできると信じていた。そして、腕が良く、素直で優しいこの青年には、自分と違って暖かい家庭がよく似合うと考えている。
     隆二が結婚をしないと決めたのは、青年期に描いたある絵がきっかけだった。
     隆二は修行時代、何人かの同期や先輩たちと、芸者を生家に呼んで描かせてもらったことがあった。講評を行ったあと、共に描いていた兄がぽつりとこぼしたのだ。
     −−隆二、結婚はお前を幸せにしないだろうな。
     芸者の容貌を捉え、かつ美しく描くことはできていた。だが、精巧な人形を描いたように生気がなかった。彼女のこれまでの人生も、人柄も読み取れなかった。他の者たちの絵には、良くも悪くも人間の生々しさがあった。隆一だけでなく、隆二自身もそれを感じていた。
     それから隆二の元に縁談が来なくなった。隆一からこの出来事を聞いたからか、父はその件に関して何も言わなかった。隆二自身は珍しく兄と意見が合ったなと感心した。以来独り身を気ままに楽しんでいる。
     隆二は懐から懐中時計を取り出した。勇が歩き出してから二十分経っていた。
    「すまん勇、時間が過ぎてしまったな。交代しよう」
    「大丈夫ですよ隆二さん、もし描くなら俺、まだ歩けます」
     勇の瞳は陽の光を透かして、相変わらず澄んでいて美しかった。
    「いや、俺も歩きたいと思っていたところだ。手綱を貸してくれ」
     納得いかない、と言いたげな顔で勇は手綱を差し出した。小さい頃と変わらない素直な表情に頬が緩んだのを隆二は感じた。
     馬と野原を進みながら、勇の方を振り返ると、いつも仕事がない時にするのと全く同じように、真面目に画帳に描き込んでいた。
     そういえば、勇と生活してから、毎日楽しかったと、隆二は今更ながら気がついた。
     だがそれは、一時のものだ。勇はもっと明るく、優しいところに落ち着くのだ。あの家は、勇が得るはずの未来に比べたら隠者の庵のような、寂しい場所だ。
     そう言い聞かせたが、隆二の心から言いようのない寂しさが消えることはなかった。




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    2024/07/26 21:30:26

    芽生え、あるいは散り行くもの

    #bbb #サタイサ

    サタイサ日本画家パロです。サとイとdidrが明治時代の日本画家をしてるというニッチすぎる設定の作品です。

    注意!
    明治時代パロ、日本画家パロです。
    何から何まで捏造です。

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