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    全ては愛へ還る 博覧会の展示館には、敷き詰められた畳のように所狭しと絵が飾られている。その中に自分の絵があることがまだ現実だと勇は受け止めきれずにいた。
     絵は、隆二の協力と、今まで貯めた兄の素描もあってか、会心の出来となった。勇自身にとっては今までで一番の兄の肖像であった。凛々しい武者の姿の兄は、幼い頃垣間見た、画布に向かう兄の真剣な眼差しを思い起こさせた。余談だが、兄を比較的はっきり覚えている隆二や梅原、緑川に初めて絵を見せた際、なんとも言い表せない表情になったのは勇の記憶に新しい。
     自分の絵の観客を、こっそり後ろから見たが、皆口々に褒めていたのがくすぐったかった。自分だけでなく、兄と隆二も褒められたようで嬉しかった。
     隆二についてきた者たちの作品は、幸運なことに、全て佐竹派本流の審査を通った。今回の博覧会に出ているものは、流派や団体の推薦で出ているものである。それを聞いた時、勇は公平性が保たれるのだろうかと疑問を持ったものだった。
    「お前たち、せっかくこの場にいるんだから、しっかり他の作品も見とけよ」
     隆二は兄弟子らしく弟妹弟子たちに宣った。弟妹弟子たちも神妙な面持ちで頷き、己の興味に引かれるまま散っていった。勇は隆二を無意識に追ったが、自分の好意が知られてしまうような気がして、途中で別の方向へ向かった。
     目の前には日本画をそのまま絵付けしたような見事な大花瓶があった。どう描いているのだろうと顔を近づけた途端、「碧さん、でしょうか」と背後から小さく声をかけられた。
     いきなり声をかけられた勇は、跳ねる心臓を抑えながら振り向いた。そこに立っていたのは小柄な男であった。文学を好みそうな大人しそうな顔が、勇の記憶に引っかかった。
    「貴方の絵を買いたいので交渉させてくれと言っている方がいます。貴方の絵の前でお待ちですが、どうされますか」
     勇は時間が止まったように感じた。次の瞬間、歓喜と驚きが渦になって体の中心から外へ濁流のように勢いよく溢れ出そうになった。
    「もちろん伺います」
     必死に内から溢れるものを押さえながら勇は応えた。
    「そうですか。よかった」
     勇を先導しながら、男は松崎と名乗った。この博覧会で日本画の展示会場の受付をしていたという。それ故に勇の記憶に残っていたのだ。
     勇が自分の絵の前にたどり着いた時、隆二がさらに背の高い男たちと話していた。うち一人は金髪碧眼の大仰な動作の若い男であった。隣には東洋系の顔立ちの洋装の男が立っている。
    「お待たせしました。碧さんです」
     碧、という名が伝わった瞬間、金髪の男が興奮した面持ちで勇に顔を向けた。そして大股で何かをのべつ幕なく大声で話しながら歩み寄ってきた。勇は思わず後退りしたが、右手を取られ、ぶんぶんと振り回された。
    「貴方があの作品の作者なのか、会えて嬉しい、と彼……スミスさんは言っています」
     追いついてきた洋装の男が言った。どうやら通訳らしい。左眉の眉尻が途切れた、特徴のある男であった。
     通訳がスミスをつついて何かを囁くと、しまった、と言いたげな顔をしたスミスが勇に名刺を差し出した。スミスが雇い主側なのに、通訳の接し方がどこか兄を思わせるもので、そのちぐはぐさに勇は幾分肩の力が抜けた。
    「I’m Lewis Smith」
    「彼はルイス・スミス。アメリカ合衆国のグレアム&マクドネル社の日本支部長の息子さんです。俺は通訳のアラカイ・リョウマ。グレアム&マクドネル社の日本支部で通訳をしています」
     勇は隣の隆二を横目で見た。落ち着いた様子から、勇を呼ぶ前に自己紹介は済ませていたらしいと、勇は悟った。
    『単刀直入に言う。俺は君の作品を購入したい』
     スミスから提示された金額は、日本円に換算すると、勇の想定していた金額の二倍であった。
     こんな幸運が自分に来ていいのだろうか。勇は信じられない気持ちだった。視界にうつる全てが輝いて見えた。
    「いや、もう十円上乗せできないか?」
     勇はギョッとして隆二を見た。この男が自分の絵の値段交渉をする権利はない。しかも、隆二が要求したのはこの年の大卒の銀行員の初任給を上回る金額である。スミスも眉を顰めている。
    『君はミスター・アオじゃないだろう』
    「彼は私の監督下にある」
     大ボラであったが、勇は口を挟めなかった。交渉を始めた当人は平然といつもの人好きする笑みを浮かべていたが、そばにいる勇には全身から殺気が立ち上っているのを感じたからだ。
    『俺が大富豪なら出すさ。だが、俺の一存で出せる金額じゃない』
    「そうか。実は絵を買いたいという人が何人かいてね。それにこいつの絵は歴史に残る絵だ」
     隆二は勇の両肩に手を乗せて意味ありげに笑った。スミスは顔が引き攣るのを感じた。自分が交渉していたのは魔王であるらしい。
    『待って欲しい』
     スミスは背を向けて考え込んでいる。勇は隆二の腕を掴んで背伸びをし、耳元で小さく、だが鋭い口調で意見した。
    「俺はいいですよ。それより買ってもらえることの方が大事です」
    「バカか」
     隆二は勇の意見を即座に切り捨てた。
    「お前の大事な絵だろ。義経の顔を見ればわかる。値段っていうのはその絵の価値を測る手っ取り早い指標だ。そう考えたら、なあ、いくらなら預けられる」
     勇の背筋が伸びた。これは、相手がどれだけこの絵に価値を見出しているか知る機会でもあるのだ。このスミスという男は、どう答えを出すだろう。
     スミスが振り返った。一足先に答えを聞いたアラカイは、本当にそれでいいのかと言いたげにスミスを見ている。
    『五円なら出せる。俺が大富豪だったら何千ドルでも出したいよ。でも現実の俺は親が商社の幹部ってだけだし……これが俺ができる限界だ』
     そう結論を告げるスミスは心底悔しそうに俯いている。どこか叱られた犬のようで、勇は手心を加えたくなった。
    「五円か……勇、どうだ」
     隆二の声は絵の講評をするときと同じように、優しくも芯があった。
     絵描きとしての自分を忘れて、大切な兄の弟としての自分のことだけ考えたら、この絵はいくら出されても手放したくなかった。だが、自分の絵に想定外の高値がついたことと、その価値を見出してくれた人が、建前の可能性も捨て切れないが、何千ドルでも出したいと真剣に言ってくれた事実が、勇にとっては道ゆく人に教えて回りたいくらい嬉しいことだった。
    「あの絵が貴方の元に行ったら、どうなるんだ」
     スミスの頬が赤く染まった。薄青の瞳は、日に透かした硝子のように輝いている。
    『部屋に場所を作って飾ろうと思っているんだ。そして友達をたくさん呼んで見てもらうつもりだ! 日本のサムライはかっこいいんだぞって。日本画って美しいだろって。それでうちで、大事に受け継いでいきたいと思ってる』
    「そうか」
     スミスは固唾を飲んで勇を見ていた。熟考の末、一つ息を吐いた勇は、口を開いた。
    「その値段で貴方にお預けします」
     そして勇は深く頭を下げた。
    「どうか俺の絵を、よろしくお願いします」
     口と目をOの字に開けて放心するスミスの背をアラカイは叩いた。我に帰ったスミスが勇に右手を差し出した。
    『承った』
     勇はその手を握り返した。

     売買の契約を交わした後、勇と同じ年頃だと分かったスミスは、こんなに若いのに一人前の画家なのかと、曲芸を見て喜ぶ子どものような面持ちで、画家としての生活や、日本の習慣を尋ねた。最初人に慣れない猫のように一言だけで返事をしていた勇だが、スミスの質問攻撃に慣れたのか、勇からもスミスに質問をするになっていた。
    『リョウマから聞いたよ。ヨシツネは日本のヒーローなんだろ』
     そう声を弾ませるスミスの瞳は、純粋な子どものように澄んでいた。
    『俺は小さい頃から、ロビンフッドとかアーサー王とか、ヒーローが出てくる物語が好きだったんだ。
     日本に来てからは日本のヒーローの浮世絵をたくさん集めたよ。剣豪のミヤモトムサシから街の火消しまで』
    「一番好きなのはなんだ?」
     勇が尋ねると、スミスはう〜んと唸り声をあげて首を傾げた。
    『みんな好きだし、面白い』
     そう答えたスミスの困ったと主張する表情が滑稽で、思わず皆笑ってしまった。
    『もうすぐアメリカに帰るんだ。帰ったら部屋の壁に勇の絵を飾って、心の支えにするよ』
     スミスは再び手を差し出した。先程の幼く純粋なものとは打って変わって、年相応の大人びた笑顔だった。
    「大学を卒業したら絶対に日本にまた来るよ。そうしたら会おう」
     勇のおすすめのヒーローの話も聞きたい。とスミスは勇の右手を堅く握りながら言った。

     隆二についてきた弟妹弟子たちの絵は全員行き先が決まった。
     とりわけ大きな話題となったのは、ヒビキの絵であった。月見をする女性を描いた美人画は、さる英国貴族が買い上げたのだ。
    「これで父さんへの説得がしやすくなる」
     どうやら結果が出せなければ絵の道を諦めて見合いをしろと言われていたらしい。勇を筆頭とする関係者は、彼女の進む道の障害がなくなったことに内心胸を撫で下ろしながら、祝いの酒をたかったりしたのだった。

     囲炉裏端で勇と隆二は十時の茶を飲んでいた。画室には、各々の描きかけの絵が画材に囲まれて、創造主を待っていた。
    「せっかくあんたに追いつけたと思ったのに、また遠くに行っちゃったんですね」
    「俺に追いつこうなんざ百年早い」
     隆二が勇を小突いた。隆二は博覧会で妙技二等を受賞したのだ。
    「だが、お前はもう一人前だな。こんなあばらやなんか出て、一人でやっていけるだろう」
     博覧会後、勇の絵がスミスに買い上げられたからか、評論家に「若武者の凛々しさが精巧かつ瑞々しい筆致で表現されている」と高く評価されたからか、勇の下には絵の注文が途切れなくくるようになった。もう、誰が見ても一人前だと言う、立派な画家となった。
     独り立ちした子どもを見送る親は、こんな気持ちなんだろうな、と隆二は何とはなしに思った。心に少し冷たい風が吹いたような心地がした。
    「もしそうだとしても、俺の帰るところは隆二さんのところですよ」
     勇は焦ったような表情で言った。本当に隆二の言うような将来が来たら、隆二とは縁が切れてしまうような気がした。そんな未来は来てほしくない。どうすれば、今まで通りの、できればそれ以上に関われるだろうか。
     難題に翻弄される勇の脳裏に、ある一つの光明が見えた。だが、それは勇の身を滅ぼしかねないものだった。だが、怖気付くほど人生というものは平坦ではない。勇の兄がいい例である。なにより、隆二のどこか寂しげな顔を、笑顔に変えたかった。勇は深呼吸をすると、意を決したような面持ちになった。
    「どんなことがあっても、最後まであなたのそばにいます」
     ヒビキ、お前の言う通りだな。勇は心の中で友に呼びかけた。どんな道を行っても、結局好きなものに帰ってしまう。世の中が正しいとすることから反くことに悩んでも、結局行き着くのは自分の本当の気持ちだ。
    「……本気か」
    「本気です。ずっと先でいて欲しいけど、あんたの死水を取るのは俺だ、それくらいの気持ちでいます」
     隆二を正面に捉えた勇の三白眼には、真摯な光が宿っていた。その光は隆二の心の奥底に流れる孤独という名の暗い霧を晴らした。
    「安心しろ、俺はあと百年生きてお前の前を歩いてやるつもりだ……死水云々に関してはな、誰も取らないことよりも、お前のを俺が取るのが一番嫌だ。それだけは覚えていてくれ」
     そう乞うた隆二は、いっそ思い詰めていると言っていいほど真面目な様子だった。そして勇を抱き寄せ、一瞬その腕に力を込めた。
    「俺は休憩は終いにする」
     隆二はそのまま席を立ち、画室へ向かった。耳から首筋の、色白な皮膚が、紅を掃いたように赤く染まっている。
     俺の気持ちは通じたのか。勇は天にも昇る心地になった。自分の口が意図せず笑みの形にみるみる変わっていくのを感じた。今、心行くまま絵を描いたら、どんな絵を描けるだろうか。その絵を観た人全員を明るい気持ちにさせるような絵を描けるような気がした。
    「俺も、もう休憩終わりにします」
     茶碗の茶を飲み干すと、勇は軽い足取りで、画室に入って行ったのだった。




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    全ては愛へ還る

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    ##表 #bbb #サタイサ

    サタイサ日本画家パロです。サとイとdidrが明治時代の日本画家をしてるというニッチすぎる設定の作品です。

    注意!
    明治時代パロ、日本画家パロです。
    何から何まで捏造です。

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