プランタ「蔦だらけの天国の話はご存じですか」
それと何の関係があるのかと思いながら、コサイタスはアマチへ素直に頷いた。
「ヘリオスから何度も聞いた」
「でしたら話が早い。まだ仮定にもならないお話なんですがね。再生誘導体の形状といい、欠片からの再生といい、不死者と植物は似ていると思いませんか。直接的な派生という訳ではないでしょうが、超人機械が不死者を生み出す際のモデルにはなったかもしれません」
「つまりヘリオスに対しては、何にどう気を付ければいい」
結論が見えずコサイタスは聞いた。アマチの手元には再生能力数値の記録がある。相変わらず上下にランダムな変動を繰り返しているが、年単位で見れば下降傾向だ。人間並みになれば遠からず死ぬというヘリオスの推測を、コサイタスは疑っていなかった。
ならば下降を更に遅らせる為にはどうすればいいか。思うところはあるらしいが明言しない不死者当人から、その主治医へとコサイタスは矛先を変える事にした。それが今日、この時だ。
「あくまで推測ですよ? 植物を育てるのに大事なのは光と栄養でしょう。以前の助言から大きく変わらず恐縮ですが」
「日光浴が増えた」
「どちらかと言えば太陽より星の方でしょうね。ヘリオスさんもたまに言いますでしょう、晴れた日は気分がいい、と」
アマチの言う通り、以前の助言とさほど変わらない。だが少なくとも健康法がひとつは増えた訳だ。それに不死者の神秘性を明かすのに、一年やそこらでは足りるまい。コサイタスは納得して椅子から立ち上がった。そろそろ会議の時間だ。
「分かった。時間を取らせたな」
「こちらこそ。結論から申し上げた方が早いとは思ったのですが、何せ仮定と憶測でして。クローン培養の機械が更新できれば、もっと厳密に細胞の動きが観測できるのですが…」
「新薬の販売ルートが確立したら予算を取れる。オスカーも必要性は認めていた」
クローン技術は高額ながら医療に絡む。人魔問わず敵が多く戦闘も多い戴天党だ。怪我の保障は人材確保の為にも馬鹿にならない。言い切ったコサイタスにアマチはにこりとした。
「開発に尽力した甲斐がありました。吉報を楽しみにしています、総裁。…ああ、それと」
新築して間もないラボから出ようとしていたコサイタスは、アマチの付け足しに振り返った。
「植物も人間と同じ、愛情を注ぐとよく育つ、なんて言いますよ。ご参考まで」
──光はいい。
「随分と晴れたじゃねぇか。なぁ、昼飯は中庭で食おうぜ」
「総裁を芝生の上に座らせるんスか?」
「椅子なりベンチなり用意させりゃすぐだろ。おい、ベイブ! すぐ用意できるよな!」
「横暴っスよ」
「何だとコラ!」
──栄養もいい。
「シバ君は残さず食べて偉いぞ。こいつを見習わない方がいい、その内に脳味噌がスポンジよりも軽くなるからな」
「最近ベルトの穴を増やした奴が何か言ってるな?」
「何故その事を知ってるんだ、破廉恥な! 覗き魔! ドスケベ不死者!」
「誰がてめぇの腹肉覗くかっての! 変態扱いしやがって上等だ表に出ろ!」
「ここ、表っスよ」
「偏食過ぎて見当識が曖昧になったかな」
「うるせぇ! 玄関から外だ!」
──愛情は問題だ。
「コサイタス。ほら、早く来いよ」
ひと足先にベッドに横たわったヘリオスが、毛布を上げて差し招いた。
灯りを落とした寝室では、シーツもヘリオスの体もほの白く光を帯びている。コサイタスは招かれるがまま、彼の隣に身を横たえた。たちまち体を包んだ毛布は、昨夜よりも少し薄いようだ。コサイタスが問うまでもなくヘリオスは言う。
「夜でも暖かくなってきたからな、もう薄いやつでいいだろ。俺もいるし」
毛布の代わりを担うように、ヘリオスの足がコサイタスの足に絡む。温度感覚にはとりわけ鈍いコサイタスだが、足の甲をヘリオスの親指の爪がつっとなぞっていくのは感じられた。ほぼ同時に白い手が伸び、コサイタスの肩をぐっと掴む。「がちがちだな」とこぼれた苦笑に、初めてコサイタスは漠然とした疲れを感じた。
「日付が変わるまで会議続きだもんな。戦闘は大掛かりになっちまって、気分転換にもならねぇ。朝までよく寝て、ブッ倒れんなよ総裁」
肩から離れた手が、コサイタスの髪をひと撫でした。それから耳に、再び肩にと、神経を集中させなければ気付かないような、弱い力で滑り落ちていく。優しく撫でる、とはこういう動作を示すのだろう。この腕が背中に回されれば、今夜は終わりだ。
──愛情。
コサイタスは自分の腕をヘリオスに回した。しなやかな筋肉と背骨を数えるように、むき出しの背中に手を這わせれば、ヘリオスが丸い目を更に丸くする。だがすぐに目は細められ、コサイタスが塞ごうとした唇は笑いを発してしまった。
「何だよ、珍しいな。やりてぇの?」
「…だと思う」
歯切れ悪くコサイタスは応じた。性欲が高まっている訳ではない。体を得体の知れない衝動が突き動かすのとは異なる。だが最も近しく愛情を表現出来る行為と言えば、矢張りこれだろう。
だからこその応答だったが、ヘリオスは笑ったままコサイタスに口付けた。軽く吸うだけのキスだ。深く求める間もなく離れた唇が、「今度な」と短い別れの言葉を作った。
「明日も早いんだ。今日は寝とけ。もうちょっと早く帰れるようになったら、いっぱい相手してやるから、な?」
しかし、と抗弁しかけたコサイタスは、ヘリオスに髪をぐしゃぐしゃと撫ぜられて口を閉ざした。積み重ねてきた入眠儀式の成果か、疲労のせいか、瞼が落ちてきてしまう。それを促すようにヘリオスが瞼に口付けを降らせる。柔らかな唇が一度、二度と触れる度に、コサイタスの目は閉ざされていく。
「…どうしてもしたいなら、口でしてやろうか?」
舌先がちろりと蠢いて、瞼を舐めたようだった。蛇めいた仕草だったが、ヘリオスの声は誘惑よりも確認に近しい。頷けば提案通りにしてくれるだろう。果たしてそれでいいのかと、眠気で曖昧になっていく頭でコサイタスは考える。
愛情を注ぐ行為の何と難しい事か。光ならいくらでも晴れた日に連れ出そう。天井に窓も開けよう。ベンチも自分が運んだって構わない。栄養も同様だ。食べたい物があれば作れる限り作ろう。用意させよう。シェフが欲しいなら引き抜きも誘拐も検討しよう。だが愛情は、何をどうすればいいのか。
はっきりした頭でも、答えは出せないだろうとコサイタスは感じていた。自分には無理ではないか。ただ、ヘリオスが与えてくれるものを返す行為ならば。
何とか瞼をこじ開けたコサイタスは、ヘリオスを見返して首を振った。横に。
「…このままで、いい」
「そうか。じゃ、また明日な」
眠りの大穴に落ちそうなのを耐えながら、コサイタスはヘリオスの体に回したままの腕へ力を込めた。抱擁は愛情表現だと言う。ヘリオスも眠る時はいつもこうしてくれる。ならば自分もそうしよう。これで彼を少しでも、繋ぎ止めておけるのならば──
「おい、コサイタス、絞め殺す気か? 苦しくて眠れねぇよ」
慌ててコサイタスは腕の力を緩めた。ぱっと目を開けば、ヘリオスの青い目がすぐ側にあった。長い睫毛が蝶のように瞬く。笑っている。許されたのだろうかとコサイタスが迷っている内に、唇を瞬時塞がれた。ヘリオスの腕が、いつものように背中に回る。
「おやすみ」
囁き声を聞きながら、コサイタスはすとんと眠りに落ちた。多分これで正解なのだという思いが、ヘリオスの体温と共に、冷徹の魔人を柔らかく包んでいた。