事代作吾の部屋に一堂零がクリスマス前前夜に泊まりに来た話「上タンB?」
零が、事代のアパートで訝しげに呟いた。聞き手である事代は軽くうなづき、零に向かって言葉を繋げる。
「焼肉のタンって、人気メニューだろう?ちょっとお高めのやつで、上タンと言うのがあるんだが……」
「上タンAは、無いんですか?」
「あるけど高すぎてな。お手頃なお上タンBの方が、人気らしいぞ」
「じゃあ、連れてってくださいよ。せっかくのお泊まりなんだし」
時は夜、日は聖夜の前々日。
冬休み前の終業式を終え、零は学生服も鞄も家に置き、友達と約束があるからと、事代の家に泊まりに来たのだ。
「奇面組とじゃなくて、友達となんて言っちゃったなー。うちの親、怪しんでるんじゃないかな」
「教師の家に泊まるんだぞ。何が怪しい?」
「こういうことするからじゃないですか?」
じっとりと、零は事代を見つめると、おもむろに事代の顎を片手で持ち上げ、唇を重ねた。零の舌が、事代の唇を分け入り、事代の舌を誘うと、そのまま零の上唇と下唇が事代の舌を柔らかく挟み込む。事代の顔を逃さないように、零は事代の首に腕を回し、お互いの胸を押し当て、零の長い指と手のひらが、事代の後頭部を優しく撫で出した。が
「……先生ったら、なかなか上タンですな」
一通りの口腔内の愛情表現と愛撫が終わると、零は顔を紅潮させながら、呟いた。普段は子供じみたことしかしない男だし、本人もそれを自覚しているので、零の表情自体が、柄にもないことをしてしまったと物語っている。
事代は零の情熱的な口づけに対して照れを混ぜながら、お前キスが上手くなったなと呟くと、零はさっき食べた焼き肉のタレの味しかしませんよと、素っ気なく返して、続けた。
ささやかながら、恋人として二人で過ごすクリスマスの夜だから、少しでもテンションが上がるものをと、事代がスーパーで買ってきた肉をホットプレートで焼いて、零にもてなしていたのだ。
「お店で、男ふたりで肩寄せ合って焼肉って言うのも、寒い図ですよね。やっぱり、今日みたいに家でホットプレートで焼肉の方が、落ち着いてて楽しいもん」
悪い子になっちゃえ、と零は呟くと、ホットプレートの片付けはほったらかしで、ゴロンと横に寝そべり出す。事代は、ふうっとため息をつくと、ホットプレートを片付けだした。
上タンBの話には続きがあった。じょうたんびー、じょうたんび、たんじょうびなどと、自身の誕生日を伝えるための小噺のつもりだったのだ。
(さすがに、無理があったか)
事代は、苦笑いをしながら、宴の後を片付ける横で、零がだらしなく仰向けで伸びをした。トレーナーが上にまくれあがり、ズボンとの間に、弾むような肌がちらりと見えている。
「おまえ、ヘソのゴマ見えてるぞ。風呂でちゃんと洗ってるのか、汚いなっ」
「えー」
とはいうものの、零の薄く割れて見える腹の下の筋肉と滑らかな肌の美しさに、事代は動揺を隠すのに必死だった。
(こうして見ると、若いな、こいつは)
「先生ったら。甲斐甲斐しくお片付けしたり、私のヘソ周りを怒ったりしちゃったりしてさあ。リラックスしたらどうなんですか?クリスマスなんだし」
「俺が好きでやってるだけだ、馬鹿者」
零は、自分がこの部屋の主人かのようにふてぶてしく振る舞う姿を見て事代は呆れた表情で返した。
(コイツなりの気遣いかもしれんがな)
二人きりのクリスマス、と言えど、本番の二十四日を指定したのではなく、零は玩具屋である家庭の事情から、その日を外し、終業式である二十二日の夜に指定してきた。奇しくも、事代の誕生日であるその日に。
(まあ、俺が今日、誕生日だってこと、知るはずもないか)
付き合い出したのも生徒と教師のじゃれあいの延長線上で、体の関係を持ち始めたのも関係を明言した上ではなかった。そんな中で、誕生日を把握し合い、贈答品を持って、世に関係を知らしめることなど、想像しても行動に移す勇気がないのだ。
(俺は良くても、一堂にだって未来があるだろう)
零が本チャンの二十四日に指定しなかったのは、そういうことなのだろう。今晩のような過ごし方は、また来年できるかはわからないと、事代は覚悟している。
(それなら、いっそ。いい店にでも連れてってやれば良かったかな。上タンBなどと寒いことを言わず)
事代はホットプレートを洗って片付けると、洗い場の横の玄関先に並べられた、零の靴をしみじみ見つめると、靴の持ち主が部屋の方から、事代に脳天気に呼びかけた。
「先生、暇ーっ!甘いもん食べたーいっ」
「手伝わんか、大馬鹿者っ」
甘いものというのは、食べ物に限った話ではなかった。
「……おまえ、ほんと」
りんごでも剥いてやるかと、零に声をかけるため近寄ったところ、事代は零に押し倒された。
「世間じゃね、焼肉を食べるカップルってただならぬ関係らしいですよ」
これはロース、これはハラミ、バラ、タン……、肉の部位の名前を二人で確かめて、口に頬張り、油の旨味と微かに残った血の味を噛み締め飲み込むのだ。事代がホットプレートを片付けるときにチラチラと見せつけられた、零の腹筋が、手に届くところにある。
「……おまえ……」
事代の腹は、剛毛で覆われて肉は零よりも硬い。それを零が事代の上着の裾をめくりあげ露わにしたのだ。
「楽しいか?こういう扱いで?」
「は?」
胸部まで服の裾を捲りあげた事代の胸の赤い粒を零が両手の指で触り出した時、事代の声に零の手が止まった。
「いやいや。先生の方がどう見ても凌辱されてるでしょうよ」
「おまえ、難しい言葉知ってるんだな」
「そりゃ、伊狩増代チルドレンですからね、私」
こともなげに零は返すと、改めて事代の服に再び手をかけた。
「事代先生にも、私、いろいろ上書きされてますよ」
ほら、先生、腕あげてと、事代に声をかけて、上着をを事代の身から剥いでいく。事代は当たり前のように身を浮かせて、零に服を脱がせやすいよう身を動かした。
「そこな。俺は構わんのだ。おっさんだからな」
「言いますけどね。六つしか離れてないでしょうが。肩の力入れてるとバテません?」
「……おまえ、俺に初めてまで奪われて、俺になんかに情がうつって休日ごとにずるずるして。世間にも堂々と付き合ってますなんて言えない仲なんだぞ。いいのか?こんなホットプレートで家族ごっこの焼肉なんかで満足して」
「あんただって、そういうお付き合いしか出来ないくせに」
言わなくていいような倫理観に負け、その夜は結局不発だった。
セックスをしない聖夜に意味があるのかと聞かれたら、なんと答えたらいいのやら。事代は自答しながら、夜中に目が覚める。夜目も慣れて、部屋を見渡すと、零はコタツで寝ていた。零は事代と一緒に、眠る直前まで深夜テレビを見て馬鹿話をしていたくせに、事代が一緒に寝るぞというと、プイとソッポを向いて、悪い子にはサンタさん来ませんからね、ここでいいですと、自分から座布団を折り曲げて頭に敷いて眠り出したのだ。
(ひとりの部屋で暮らしてきたくせに、この部屋にもう一人いるという感覚に慣れちまうと、………いなくなった時どうすりゃあいいんだろうな、俺は)
零の頭をぽんぽんと軽く撫でると、事代は台所に向かって立ち上がった。喉が渇いたのだ。
(アルコールが足りなかったか?来年もあるかどうかわからない恋なら、デロデロに溶けて愛し合えば良かったのか。焼肉屋に連れて行って、星空の下で二人で揃いの小洒落たものでも渡せば良かったか?いや、それは重すぎると却下したのは他ならぬ自分自身だ)
部屋には零の寝息は響かず、冷蔵庫の重低音や時計の秒針を刻む音だ。
(もっと上手くできるつもりが、結局この程度だったんだな)
どうせいつかは終わると思った仲だから、期待しないよう期待させないように大人ぶった結果がこれだ。六つも離れているからなんて、最もらしい倫理観ことを並べて何をやってるんだか。事代は胸中に渦巻く、もやもやしたものを飲み込もうとすると、台所に向かった。冷え込む玄関と台所の位置は同じくしている。頭を冷やすにはちょうどいい。蛇口から水をコップに注ぎ、一息に飲み干し、洗い場に背を預ける。明日の朝には、零がこの玄関から出ていくのだろう。夜目に聞いた事代の目は、零の靴に目を注いだ。あいつらしい元気な赤で、事代も知っているスポーツブランドで。
「寝るか」
散々だったかもしれないし、ある意味幸せだったかもしれない妙な誕生日だったなと、事代は再び自身の寝所に身を潜らせた。
「おはようございますっと」
照れ臭そうにつぶやいた零の声で、事代は目が覚めた。別々に寝ていたはずの零が、自身と一緒の布団にいる。
「……おまえ、コタツで寝てるんじゃなかったのか?」
「寒くってさー」
バツの悪さを紛らわせるように、零は布団の中に潜り込むと、あぁもう、などと言いつつ、事代の胸に頭を擦り付けた。
終業式の翌日は冬休み。誕生日の翌日は、一つ歳を取った新しい自分の一日。その始まりが、恋人と一緒の朝だ。
「風邪か?移すなよ?」
事代の口調はそっけないが、口元はゆるゆると歪みっぱなしで、腕は今すぐにも捕まえたくて仕方がない。
「引いたかも。コタツで汗かいたし……」
「なら、うつしていいぞ」
「なんですか、それ」
まだ眠たいせいなのか、それとも昨日のことでバツの悪さがまだまだ拭えないからか、零は事代の胸に頭を埋めたままだ。そっと零の頭に手を回して、頭を撫でる。
「大した熱じゃなさげだな。お粥作ってやろうか?」
「……んー」
零は事代をぎゅっと抱き返した。
「ごめん、嘘」
口調がいつもの敬語混じりではなく、幾分かの子供っぽさと甘えた声が混じっている。
「気を引きたかっただけ。まさか優しくしてくれるとは思わなかったからさー」
「俺はいつでも優しいだろうがっ」
苦笑いを浮かべると、事代は、顔を見せてくれない恋人の顔を無理矢理自身の顔に向けると、そのままくちびるを重ねた。
「ん……」
「……ぷは……っ」
事代にしては珍しく繊細な口づけだった。零のくちびるをじっとりと舌でなぞり出して、軽く零の舌を突き出してはお互いに絡め合う。漏れ出したお互いの吐息で、顔が熱くなりだしたが、どちらかともなく布団をはぐと、そのまま、脚と脚を絡めあい、時折、どちらかがどちらかの脚をつついては、交互に笑い合う。
「馬鹿だ、あんた。ほんとに私が風邪引いてたら、うつりますよ?」
「……うつしていいって言っただろ?」
「最初はうつすなって言ったくせに」
「あー、もう。言葉の返しが雑な俺で悪かったよっ」
ぎゅっと事代は零を抱きしめる。
「うつすと風邪は治るっていうだろう?それに……」
「それに?」
「おまえからもらえるものなら、一緒に風邪になるのもお揃いみたいでありと思ったんだよ。悪いなっ」
我ながら、理屈なんかほっぽり出して生きていると、事代はヤケクソになって続けた。
「これが俺だよ。六歳も離れてるくせに全然大人になれやしねえ」
「ほんと、あんたって」
「おう。わかってくれたんなら、服脱げや。零」
朝っぱらからもう。零は仕方なさげに笑うと、自身の上着のボタンに手をかけたが、それを待たずして、事代は零を押し倒し、ズボンを剥ぎ取った。
昨日による不発に終わった愛の交換を、朝の光の中、激しく求め合った。そういえば腹が減りましたねと零は言い出し、事代が飯でも買いに行くかと着替え出す。
「おまえ、クリスマスは用事があるんだな」
誕生日は昨日だ。プレゼントはもう、貰った。腕の中で裸の体を預けてくれた恋人だ。零は若い。クリスマスの当日は友達同士の付き合いだってあるのだろう。
「……うちが、玩具屋だってこと忘れてませんかね」
「あ……」
「働かにゃあならんのです。父ちゃんに小遣い前借りしちゃったから」
昨日、一人で拗ねていたのはなんだったのだ。改めて自身の間抜けさに呆れ、事代は頭を軽く掻きむしる。
「明日っからうちは掻き入れ時なんでね。今日しか会える日はないんですよ」
「あー……、すまん。それならいい店に行って栄養でもつけてやりゃ良かったな」
「主役が気を使ってどうするんです?」
主役?零から言われた言葉が誰のことを指しているのか、一瞬わからなかった。
「え?あ?あぁ、ひょっとして、俺の……」
ようやく、事代の誕生日を零が祝おうとしていることに気づいた時、零は事代のくちびるを重ねる。
「やっぱりね。貰えるものは風邪でもいいって止しましょうよ。どうせお揃いにするなら、もっといいもんもらえばいいのにさ。あなた誕生日なんだし」
「俺のことを、主役とか言った割に、おまえガッツリ俺が作った飯食って、俺に後片付けさせてなかったか」
「やっぱり、零ちゃんがプレゼントなのだーは通じませんでしたか」
「……おまえな」
とは言えど。零の存在に時には慰められ時には心乱され、日々を彩ってくれた存在であることに変わりはない。
「私だって恋人に愛された時間、欲しいもんね。先生」
言った言葉に照れたのか、零はおもむろにコートを羽織り、さーて朝ごはん買いに行きますかと、玄関から飛び出す。
「全く。ムードもへったくれもないやっちゃ」
事代が呆れた表情で、同じくコートを羽織り、玄関に目をやると、零と同じ型の新品の赤い靴がおいてあったのに気づいた。零は先に外に出ている。とすると、これは零の靴ではない。どうせお揃いにするならと言った零の言葉を、事代は噛み締めた。
「父ちゃんに、お小遣い前借りをしたって言ってたな、アイツ」
サンタクロースは、事代の玄関の外で待っていた。