しのぶれど、花薫る「お疲れ様」
書類との格闘にひと段落を付けた狗飼にたおやかな声が掛かった。
「お茶、よかったらどうぞ」
「悪ぃな」
相模原だ。白い手がおしぼりを添えた湯呑みをデスクに置く。狗飼は彼女の好意をありがたく頂戴し、冷たい手拭きで火照った顔をごしごしと拭いて、淹れたての熱い茶に口を付けた。美味い。
後輩の相模原はよく気のつく女性だ。常に周囲に目を配り、仲間が必要としているアシストを適切なタイミングで行うのが上手かった。おまけに何時も朗らかな態度を崩さず他人に接するので、彼女がいる空間は自然と明るく気持ちの良いものになっているのだった。
”もったいねえな“と狗飼は茶を啜りながら思う。
ここまで良くできた人間なのに相模原には浮いた話を一切聞かなかった。器量が悪い訳ではない。むしろ可愛らしい顔立ちをしているし、花咲くような溌剌とした笑顔には誰しも思わず親しみを感じてしまう不思議な魅力があった。狗飼自身、彼女を可愛い妹分として目を掛けている。
独り身にしておくには勿体ないいい女だ。
だからつい、口が滑った。
「相模原、お前ずっと仕事一筋って感じだけど大丈夫か?」
────相模原の長い睫毛がパチクリと瞬いた。
「刑事としては立派だが、そろそろ恋人の一人くらい作ってもいいんじゃないのかね……、俺と違って女で、器量良しなんだからよ」
完全なる善意からの言葉だった。男女平等が叫ばれる昨今でも女性の結婚適齢期は男性より短い。子供が欲しいなら更に期限はシビアになる。クリスマスケーキの例えは大袈裟にしろ、“女の幸せ”を考えるならそろそろ仕事一筋と言う訳にもいかない筈だ。
……そんな、セクハラとして訴えられてもおかしくない大きなお世話にも、相模原は棘のない態度で対応した。彼が古い価値観なりに彼女を案じたが故の発言だと理解しているからだ。
「私が今抜けちゃったら大変じゃない、花瓶のお花のお世話……は、後閑さんがやってくれるから大丈夫かしら? 事件のファイルがどこにあるかも……郁李くんの方がもっとうまく管理できるわね。チーフのことは……あなたがいるから、あら? 私がいなくても案外回るのかもね」
指折り数えてクスクス笑う。
「それはそれで零課が遠くにいっちゃうみたいで寂しいわ」
狗飼がなんと返事をしたらいいのか迷っている内に、「仕事に戻るわね」、と一言添えて相模原は自分のデスクに帰っていった。(彼女の後ろ姿を見送る際、後閑と目が合った。)
手に持ったままの湯呑みから茶を啜る。“やっぱりいい女だな“、と狗飼は思った。