Adamas 2 イタリア屈指のマフィア、歴史あるボンゴレファミリー。
ヴァリアーはボンゴレ所属にしながら独立した暗殺部隊である。総隊長のボスを筆頭に、二つの部隊がそれぞれ役割分担をすることで独立組織としての体を成していた。
ひとつは実働部隊。こちらが実際に暗殺の仕事を請け負う。守護者の数に合わせ、それぞれ属性の名を関した五つの実行部隊が存在している。――雲の守護者は現在欠番のため、本来ならば六部隊あるはずのところが五つしかない。
けれども、ヴァリアークォリティと畏怖される、およそ人間離れした実力を持つ幹部が勢揃いしている。そのため欠番があろうとも、任務に支障が出ることはなかった。
もうひとつは後方支援部隊。実働部隊が荒事を担当するならば、こちらは彼らをありとあらゆる面でサポートする。
標的に関する情報収集とその分析。実働部隊が使用する火器武器の調達、管理。医務室の運営。実行部隊の報告書の資料化。経費と備品の管理。などなど。他にもまだまだあるが、挙げればキリないので省く。
とにかく仕事が多岐に渡るため、後方支援部隊長には専用の執務室がある。
その執務室の扉がノックもなしに開けられ、大股に入ってきたのはスクアーロだった。
「邪魔するぜぇ。それとコーヒーよこせ」
「……何度も言いますが、ここは喫茶室ではないんですけど」
突然の来訪者に淡々と応えるのは、部屋の主、オルテンシア。
彼女が向き合っていたのは重厚でいて広々としたアンティークの木の執務机、その机上に据えられた三台ものPCディスプレイだ。接続ケーブルが蛇のようにうねりながら這い、膨大な仮想メモリを積載した特注のデスクトップパソコンに繋がっていた。
自らが隊長を務める支援部隊の仕事内容に応じ、それを統括する立場上、こなさなければならないことが自然と比例して増えていく。そのための最先端の設備だが、部屋がアンティークの調度品で揃えられているだけに、電子機器が広がる机の光景の異様さは初めてこの部屋を訪れる隊員を驚かせる。
オルテンシアの咎める声は受け流し、スクアーロは勝手知ったる戸棚からカップを取り出し、応接セットのソファに腰かけた。それから机の上に数枚の紙を投げ出すように置く。
――仕事が増えた。
オルテンシアがかすかに眉を寄せてしまうのも致し方ない。
ヴァリアーのボスたるXANXUSがゆりかご以降、数年間不在のいま、ヴァリアーのナンバー2であるスクアーロがくせ者揃いの実行部隊を纏め、後方支援部隊長のオルテンシアと連携を取りながら任務に当たっている。つまり、現状この二人がヴァリアーを支えているといっても過言ではなかった。
そのため彼はよく彼女の執務室を訪れる。有事にしか動かない実働部隊とは違い、後方支援部隊は常に何かしらの処理案件をいくつも抱えている。ゆえに部隊長の彼女は執務室に籠っていることが常だ。
呼び出すよりも出向いた方が早いという事実は、かなり早い段階で学習した。彼女が処理に当たれない時間が長引く分だけ、その皺寄せが実行部隊に回ってくる。
小さく溜息をつき、オルテンシアは自分用のカップを片手に椅子を立った。
執務机の隣にはサイドテーブルが据えてあり、その上には作りおきのコーヒーの入ったサーバーが置いてあった。それも手に持ち、彼女はスクアーロとは対面のソファに静かに座る。
そうして彼と自分のカップにコーヒーを注げば、ふわりと芳香が広がる。
早速カップに口をつけたスクアーロは、一口飲み、少し考えこむように首を傾げ、また一口飲んだ。何かに気付いたようで、かすかに眉を動かす。
「いつもと味が違ぇな」
「わたしが淹れました。エドが外に出ているので」
エド、とはオルテンシアの副官を務める青年の名だ。
それを聞き、スクアーロは苦い表情を浮かべた。彼より年上だが立場は部下となるエドは、スクアーロに対して当たりがやや厳しい。オルテンシアに関わることであるため、彼女に忠実かつ過保護な副官の心情としては当然と言える。スクアーロもそれを承知しているため、わざわざ事を荒立てるつもりはない。
つもりはないが、低く唸ってしなうのは仕方のないことだろう。
「……アイツが淹れてたのかぁ」
「ええ。わたしより巧く淹れるので」
「否定しねぇが」
オルテンシアはテーブルの上の書類に目を通す。
ときたまスクアーロへと質問を投げかけ、何が必要かを確かめては内容を擦り合わせていく。その仕事ぶりは円滑かつ的確。脱線もなし。
……アイツらもこうならちったぁ楽なんだが、とスクアーロは内心、ごちる。アイツらとはもちろん、自由奔放がすぎる守護者たちのことだ。
カップのコーヒーが空になりかけたころになり、書類の中身の確認がすべて終わった。
「手配は任せたぜぇ」
「任されました」
中身の少ないカップを呷り、スクアーロはふと、オルテンシアの耳元に視線を遣った。黒い石のピアスが、室内灯の光を反射してきらめいている。
それがどうしてか面白くない。
理由はきっと、かつて斃した相手――先代ヴァリアーのボス、剣帝テュールを思い起こさせるから。彼の瞳も黒だった。
だからとっさに口をついて出た。
「いつまで死んだ奴を想っていやがるんだぁ?」
もどかしさをぶつけるように言えば、突然のことにもオルテンシアは感情の薄い顔で、
「君と同じですよ」
そう、答える。
「あ゛ぁ?」
「何年も待ち続けている君と一緒で――これと決めた、ただひとりが胸に、いるだけ」
そうして、語る言葉よりも何よりも雄弁に。ひた、とまっすぐに向けられた眼差しが、彼女の言葉が心からのものだと告げている。
揺るがない瞳。それを見返し、スクアーロは口を開きかけ――閉ざした。
結局、彼女の言う通り、お互い様なのだろう。
自分のいのち以上の、ひとりがいるだけ。
それの誓いが彼女にとってはピアスであり、スクアーロにとっては伸ばし続ける髪だという、だけの。
がしがしと頭をかく。腑には落ちたが、言いたいことはある。
「貴様ならもっと賢い生き方もできると思ってたんだがなぁ」
「買いかぶり過ぎですよ。こう見えても、おろかものですから」
「どうやらそうらしいな」
「ええ、すみませんね」
話はここまでと言わんばかり。
オルテンシアはテーブルに広げていた書類を整理してまとめ始める。
それを機にスクアーロもソファから立ち上がった。
用件は済ませた。これ以上の長居をするつもりもない。
すっかり冷めてしまったコーヒーの最後の一口を、立ったまま不作法に飲み干す。
――ああ。
やっぱりこっちの方が。
そうして大股で歩いて執務室の扉の前で立ち止まり、
「いつもヤツも悪くねぇが、今日の方が味が好みだぜ。オレはな」
振り返った表情は不敵な笑みを浮かべ。
じゃーなぁ、と片手を上げて扉の向こうへと消えていった。
そのため、オルテンシアがかすかな笑みを形づくったのを、スクアーロは知らない。
「嬉しいことを言って、くれる……」
スクアーロが部屋を立ち去ってから、しばらくののち。
ノックと共に執務室に入ってきたのは、外出から帰還した副官のエドだった。小ぶりの紙箱を持っていて、そこから甘い香りが漂ってくる。
「ただいま」
「おかえりなさい。お疲れさま」
「これ、お土産ね」
と、応接セットのテーブルにエドは紙箱を置く。箱に箔押しされた店名はオルテンシアが好きなパティスリーのものだ。いそいそと戸棚から食器類を取り出し、テーブルの上にセッティングする。それから二人分のカップも準備してコーヒーを注ぎテーブルに置けば、コーヒーブレイクの準備完了だ。
オルテンシアは執務椅子から立ち、応接用ソファに座った。紙箱を開け、中身のケーキを皿に取り分ける。数種類あるなかから選んだのは特に気に入っているケーキだ。
「ねえ、なにか良いことでもあった?」
「特に、なにも。――そうだ、今度からコーヒーはわたしが淹れますので」
そう告げた彼女の口元は、お気に入りのケーキを味わうものとは違った笑みが浮かんでいる。
「ありゃ、きみ専属バリスタはお役御免?」
「そうは言ってませんが、とにかく、まあ、そういうことで」
「やっぱりなにかあったでしょー」
「……秘密です」