Adamas 6 その悲鳴は城中に響き渡ったという。
「信っっっっっっっっじられないわ!! 私服が! たったの! 三着だけ!?」
悲鳴の主はヴァリアーのファッションリーダーことルッスーリア、震源地は談話室。
珍しく休みを――というより、ルッスーリアが『たまには女同士お茶しましょ~』とオルテンシアを仕事から引き離した。そうして、三段に積まれたアフタヌーンティーセットを味わい、くつろぎのひと時と会話を楽しんでいた、のだが。
ティーカップをソーサーに置いてテーブルに乗り出してくる彼の剣幕に、さしものオルテンシアも押され気味だ。たじたじと反論めいたものを口にする。
「い、いいでしょう別に……。普段はほとんど仕事をしていますし、必要な外出用にスーツはきちんとありますし――」
「そうじゃないのよっ! せっかく女の子に生まれたのにっ! オシャレを楽しまなくてっっ! どうするのっっっ!?」
ダンッ! ルッスーリアが勢いあまって拳で机を叩く。みし、とテーブルの軋む音が聞こえたのは気のせいにしておくことにした。
「ど、どうする、と言われましても」
現状で事足りているのだから、どうするもこうするもない。
「う゛ぉぉおい、どうしたぁ!?」
悲鳴を聞きつけてやってきたらしい、大きな音を立て談話室の扉を開けたのはスクアーロだ。
それもこれもお構いなしに、ルッスーリアは高らかに声をあげた。
「――こうなったら買い物よっっ!!」
どうしてこうなったのだろう、とオルテンシアはちいさく溜息をついた。どこへ向かうのか聞かされないまま――服屋なのは間違いないのだが――車に乗せられ、市街地を走る。買い物に出かけるのは別に構わなかったし、私用での外出は久しぶりのため心が躍っているのも事実。ひっかかりがあるとすれば、それは。
「……なんだぁ」
自然とそちらを見てしまっていたのだろう、見られたスクアーロが反応する。
そう。
ルッスーリアとの買い物なのかと思いきや、なぜかスクアーロも同行する事態になっていた。
「いえ、なにも」
「にしても呆れるぜぇ、私服が三着しかねぇとはなぁ」
「ほんとうに、事足りているんですよ」
けらけらと笑われるのを憮然と返す。
ちなみにそのうちの一着は墓参り用のワンピースなので実質二着である、と言えばまたルッスーリアが騒ぐのは火を見るよりも明らかだったので、黙っておくことにした。
「普段から仕事しかしてねえからじゃねえかぁ?」
「そうよね~オルテンシアちゃんは働きすぎよね~」
「そうですか?」
「前から気になっていたんだけど、オフの日、月に何日あるのかしら?」
「そうですね……ええと……」
顎に指を添え、考えること少し。頭のなかで直近の休みを指折り数え、
「二日程度、かと」
「う゛ぉぉおおい少なすぎだろぉ!?」
「嘘でしょ!? そりゃ服も少ないはずよね!?」
スクアーロには驚かれ、ルッスーリアには妙なところで納得されてしまった。
「か、完全にオフの日がそれだけというだけでして、半休はもう少し取ってますよ」
「もう少し、ねえ……」
「もっと休んでもいいくらいじゃねぇのかぁ」
「これでも休めるようになったんですよ。倒れることも減ったし」
「……倒れるだぁ?」
なにげなく付け足した言葉に、スクアーロとルッスーリア二人の空気が固まる。
「どういうことか、詳しく聞かせてくれるわよね?」
「いえ。なにも。言ってません」
「オルテンシアちゃあん?」
ずい、と自分よりも体格のいい二人に詰め寄られる。圧迫感と威圧感に、これは逃げられそうにない、とオルテンシアはしぶしぶ口を割った。
「……単に徹夜が続くことがあっただけです。それで、睡眠不足と過労で意識を失っただけで」
「だから貴様は仕事を根詰めすぎなんだぁ!!」
「そう、働きすぎよ!」
「……スクアーロに仕事を振るようになってからは、滅多になくなりましたって」
「それでもまだやってるんじゃねぇかぁ」
「どうしてもわたししか処理できないものもあるんです」
「任せっきりの私が言うのもなんだけれど、もっと休めないのかしら?」
そうこうしている内に、車が静かに停車した。降りれば、目の前にはいかにも高級そうなブティックが店を構えている。
「ここに入るんですか」
「そうよぉ~~!」
ルッスーリアに腕を引かれ、ドアをくぐった。スクアーロは黙ってついてくる。
入店するや否やスタッフが飛んできて、さらには別のスタッフになにごとかを言いつけたかと思いきや、すぐに店の奥から女性が慌てて駆け寄ってきた。着ている洋服が店内に陳列された衣装と似ていることや隙のない化粧姿から察するに、おそらくここの店長だろう。その彼女に向けてオルテンシアを示し、ルッスーリアは。
「この子のこと、とびきり可愛くしてやって頂戴な」
「かしこまりました」
こうして始まったオルテンシアの私服選び、もといルッスーリアによるオルテンシアのファッションショーを、スクアーロは腕を組みながら眺めていた。退屈しのぎに同行したが、これがなかなかどうして見ていて面白いものがある。
店員が選ぶ服は一見するとオルテンシアに合っているように見える。しかし、そこにルッスーリアが口を出してコーディネートを変えさせれば、しっくりとくるのだ。
センスだけはいい奴だぜぇ、と内心で一人ごちる。
当のオルテンシアはといえば、間に挟まれてされるがままだ。差し出された洋服を受け取り試着室へと消えていった。いつもの感情の薄いかおではなく、少しの困り顔を浮かべながら。
――あの夜のことを、オルテンシアを覚えていないようだった。何度か水を向けてみたものの、首を傾げて「ボトルを数本開けたところまでは覚えているんですけれども」と愁眉を寄せるのみ。
覚えていないのなら、それでも構わない。スクアーロだけは、確かに聞いたのだから。酩酊寸前にでもならないと吐き出せなかったオルテンシアの本音を。
羨ましい。
妬ましい。
そんな、人並みな感情を向けられているとは予想だにしていなかった。オルテンシアの表情は常に感情が薄く、なにを考えているのか読み取りにくい。
……その鉄面皮がはがれたとき、彼女はひとりの娘だった。
たった一人に命を捧げ、焦がれ、その相手が死してなお追いかけているような、愚直な娘。
その気持ちはスクアーロにとって痛いほどに身近なものだ。
彼は剣に生き、XANXUSに剣を捧げて生きている。――今は行方知れずとなっているが、いつか再起のときは必ず。XANXUSをボンゴレのボスにするために。誓いのための髪はもう腰に届くまでに伸びた。いずれこれを切る日が来ることを胸に、スクアーロは生きている。
オルテンシアも似たようなものだ。
テュールがいたヴァリアーのために生きている。
けれども。
あのときから一つの想いが、胸のうちでわだかまっている。
――いつまで死者を想っているのか。
責めているのではない。ただただ、純粋な疑問だ。
お互い様だ、という答えは以前にもらっていたが。あのときと今ではスクアーロの心境が違う。オルテンシアについて、たくさんのことを知ってしまったのだから。
その上で問わずにはいられない。
いつまでテュールを想い続けるつもりなのか、と。
それを口にできる日が来るかは分からないけれども。
ルッスーリアと店員が待ち構えている前で、試着室のカーテンが開いた。
「あらぁ! いいじゃない~、似合ってるわよ~!」
現れたのはオルテンシア。――のはずだったが。
本当に彼女なのかと思わず疑ってしまったのは、あまりにも、普段の凛としたスーツ姿からは想像もつかない姿をしていたから。これで髪形と化粧でも違えば街中ですれ違っても彼女だと気付かないかもしれない、などとスクアーロが一瞬考えてしまうほどに。
見違えるほど華やかな恰好をしたオルテンシアは、戸惑い気味に首を傾げる。
「似合います、か?」
「ええ、とてもお似合いです。さすがはルッスーリア様のお見立てです」
「スクちゃんも思うでしょ~? 似合ってるって!」
「……まぁ、悪くはねぇんじゃねえかぁ」
「ならいいんですが」
自分だといまひとつ分かりませんね。と、やわらかくはにかんだ表情を浮かべる姿は、ほんとうにただの娘のようだ。とてもヴァリアーの幹部を務める女性には見えない。服装ひとつでここまで様変わりするとは、さしものスクアーロも露わにはしないものの、内心でいたく驚いていた。
「それじゃ、次はこれを着てみましょうか!」
新たな服を受け取り、オルテンシアは再び試着室へと引っ込んだ。
その隙に小声でこっそりと店員に耳打ちするのはルッスーリア。
「彼女が着たもの、全部、買わせてもわうわね。お代は私が持つわ」
「かしこまりました」
「オレも出す」
スクアーロはとっさに口を挟んでいた。サングラスの奥でルッスーリアが目を丸くする気配がする。それから何を思ったか、にんまりと笑みを形づくった。試着室から距離を置いて立っていたスクアーロのもとに寄ってくる。
「それじゃあ、私たち二人からのプレゼントってことにしましょうか」
「好きにしやがれぇ」
「んふふ、楽しみねぇ。どんな反応をしてくれるのかしら」
「どぉせ『自分が着るものだから自分で払う』って言うに決まってる」
「律儀な子よねえ。素直に受け取ればいいのに」
そういうところが好ましいんだけど。ルッスーリアがしみじみと呟く。続けて、つい、とスクアーロにサングラスの越しの視線を向け。
「どういう心境の変化があったのかしらね?」
「あ゛ぁ?」
「貴方と彼女。前だったら、スクちゃん貴方、今ここにいた?」
「……言うほどのことじゃねえ」
スクアーロは彼の視線から逃れるように顔を背けた。
――あの夜を契機に訪れた変化は、おいそれと言えるようなことではない。
それで察したらしいルッスーリアは、深くは聞かないわよ、と肩をすくめた。
それから何着かの洋服を試してみせたオルテンシアは、その度に舞台女優もかくやと雰囲気をがらりと変えた装いを披露してみせた。これはもうルッスーリアの見立てのお陰だろう。女というものはここまで化けるものなのか、とスクアーロはひとつ学んだ。
せっかくだからアクセサリーも、と提案され、シンプルなネックレスを選んだオルテンシアに店員が声をかける。
「耳飾りも別のものをお試しになりますか?」
「いえ、ピアスはこのままで」
「あら、いいの?」
「ええ。これでいいんです」
「貴女がそれでいいんなら」
とっさにだろうか、耳元に手をやるオルテンシア。そこには相も変わらず黒い石のピアスがきらめいている。小さい石が一つはまっているだけのそれは目立ちにくく、特に装いを邪魔するほどでもない。それゆえにルッスーリアも食い下がりはしなかった。それじゃあそろそろお暇しましょうか、と声をかければ、え、と戸惑いの声がオルテンシアから上がる。
「服、どれを買うかは決めてないんですが?」
「着たもの全部よ」
「全部!?」
さしもの彼女も声をあげて目を丸くした。その反応が見たかったのよね、とにんまり笑うのはルッスーリアで、スクアーロもくつくつと喉を鳴らす。
「ええとお代は、」
「お連れ様方から頂戴しております」
「はい?」
店員から告げられれば、さらに瞳が丸く見開かれた。普段は表情の薄いかおが、ぽかん、と呆けているのはそう滅多に見られるものではない。ルッスーリアではないがその表情が見てみたかった、とスクアーロは笑う。
「私たちからのプレゼント、ってことで受け取って頂戴な」
「いえ、でも、わたしが着るものですから自分で」
「やはり言いやがったなあ!」
「予想通りだったわねえ!」
「なんなんですか、二人して……?」
笑われたオルテンシアは怪訝そうにルッスーリアとスクアーロを交互に見やる。
なんでもないわ。なんでもねえ。
口を揃えた二人に首を傾げる彼女に、なんとか笑いを収め、
「四の五の言わずに貰っておけぇ」
「そうそう。働きすぎの貴女をねぎらわせて欲しいのよ。任せっきりになってることもあるから、日頃のお礼ってことで、ね?」
「それにしては額が大きすぎる気もしますが。……これ以上は野暮ですかね」
そう言って、ふ、と表情をやわらげる。
「二人とも、ありがとうございます。その気持ちが、嬉しい」
微笑んだ姿は、まるでごくありふれた娘のよう。
それこそが見たかったのかもしれない、とスクアーロの胸中に浮かんだのはそんなささやかな思いだった。