或る弓兵の話 0※※ご注意※※
・物凄い勢いでオリキャラばっかり
・オリジナル設定が火を噴きまくっている
・クジャさんは姿だけ
それでも大丈夫という方は、次ページへどうぞ
体から全ての力が抜け、奈落の底へと落ちていく。手や足で何かに掴まろうとしても、もがこうとも全く力が入らない。落下するある種の浮遊感に身を任せ、終わりの無さそうな底へ向かって落ちていく。やがて、それは次第に痛みを伴って全身を打ち付け始めた。まるで、長い階段を転がり落ちていくような、連続的な痛みに顔が歪む。いつまでこうして落ち続けるのかと思った瞬間、体は漸く終着点に着いた。
左半身に感じた衝撃と痛みに、ルカは目を覚ました。一気に覚醒した目で辺りを見回すと、自身のすぐ下には冷たい木造の床。その冷たさと左半身に広がるじんじんとした痛みで、彼女は漸くベッドから落ちたのだと理解できた。幸い二段ベッドの下の段だったので、痛いといっても起き上がれない程のものではなかった。
「んもぉ~……なにぃ? 今の音ぉ……」
上段で寝ていたノーラのくぐもった声が上がった。落ちた時の音で目が覚めたらしい。衣擦れの音がしたかと思うと、寝起きの彼女がルカを見下ろすようにして顔を覗かせた。いつも綺麗だと褒められているブロンドの髪は、寝起きのせいかばさばさで、落ち着いたグレーの瞳は半開き。片方なんて殆ど閉じられている。いつも明るく楽しげに動く口も、今はだらしなく開いたままだ。そんな状態でもノーラは彼女の姿を認めると、額に手を当てて大袈裟に肩を竦んでみせた。
「またなの? ルカ。あんた何回落ちれば気が済むのよ?」
呆れられる中、ルカは苦笑を返すしかなかった。彼女の言う通り、あの夢を見るのはこれが初めてではない。少し前からごくたまに同じ夢を見始め、繰り返し決まって夢の最後にはベッドから落ちる。今朝で四回目だ。何故あんな夢を見るのかは彼女自身にも分からない。
“疲れが溜まってるのかなぁ。自分ではそんな感じしないけど”
落ちた時に少し痛めたうなじを摩りながら起き上がる。仕事には支障が無い程度だ。放置しても自然に治るだろう。念の為ゆっくり起き上がると、ノーラも上から降りてきた。
「それにしても、ルカ。あんた大丈夫? 頭とか打ってない? それにそんな変な夢見るなんて……」
「悩みがあるなら聴くよ?」という彼女の嬉しい申し出に、ルカは首を振って断る。最近は悩みも無ければ、疲れが溜まっているということも無い、と思うからだ。あるとすれば、思い付くのは一つ。
「もしかして、無くした記憶が何か関係しているのかなぁ」
ノーラに聞こえないようぽつりと呟く。その単語から連想するように、彼女はここに来た当時を思い出した。
どうして城の中庭にいたのか、どこから来たのか、彼女は何一つ分からない娘だった。ガーネット姫の厚意でここに住まわせてもらっているが、弓と剣の腕が上がるばかりで、記憶は一向に戻りそうもない。そんな毎日の中であの意味深な夢。ここのところ、定期的に見ているということも併せて、手がかりと考えてもいい筈だ。
“それにしても、何なんだろう? あの夢……”
転がっているのか、それとも誰かに落とされたのか。彼女がいくら考えても答えは出なかった。然う斯うしているうちに、いつの間にか仕事の時間が迫っている。
「ルカ、考えるのもいいけど、そろそろ準備しなさいよ。遅れたらまた将軍に怒られちゃうんだから」
ノーラの声に振り返ると、彼女は屈伸運動をして準備に取り掛かっている。ルカは言われるがまま、いつも通りの準備に取り掛かる。髪を一つに結い、いつもの鎧を纏って弓矢を背負う。兜の緒を締めたところで、再度ノーラに呼ばれ、朝礼へと向かうべく部屋を出た。
船着き場前の広場へ向かう足が速まる。集合時間に遅れないようにするのはもちろんのこと、早く到着すればそれだけ良い。廊下の角を曲がったところで、不意に人の顔が現れた。白っぽい金髪に好奇心の強そうな青い瞳。花が咲いたように笑ったその顔は、もう一人の友人メリッサのものだ。
「うわっ。あ、なんだ。メリッサか」
「うわって何よ、うわって。その後のなんだも気になるけど」
「あんた、こんなところで何してんのよ? 早く行かないと朝礼に間に合わないじゃない」
ノーラの切羽詰まった様子を気にも留めず、メリッサは悪戯っ子のような笑みを浮かべた。彼女がこういう笑い方をする時は、あまり関わりたくないと二人は思った。大抵、碌なことにならないからだった。
「実は抜け道知ってるの。付いて来て」
嬉しそうに言うと、メリッサは二階廊下の突き当たりの窓辺へ近づいた。いつもはエントランスホールを抜けて広場へ向かうのだが、彼女は窓を開ける。ここから広場が見える。そこまで考えが至った時、ルカは嫌な予感がした。見ると、ちょうどこの窓の上辺りから広場の噴水の右側に立っている柱に繋がっている。
「こっから簡単なリフトを引いておいたの」
そう言ってメリッサは、隠してあっただろうロープを取り出した。ちょうど三つあり、下の方に木の板が通して縛り付けてある。始めから嫌な予感がしていたルカとノーラは、その頼りないロープを見て口端が引きつった。
「あんた、まさかその心許無いロープに掴まって行くってわけ? っていうか、こんなのいつの間に……」
「まあまあ、細かいこと気にしてると、胸が減っちゃうよ」
「あはは。減ってたまるか」
少しの掛け合いの後、意気揚々とメリッサは一本のロープを通してそれに掴まり、反動を付けて滑り出した。滑車の気持ちの良い音を響かせ、一直線に飛んでいく。感心しながら見ていたルカだったが、背後で零されたノーラの溜め息に、そんな場合ではないと悟る。それに朝礼の時間までもう間もない。今日は仕方なくメリッサお手製のリフトを使わせてもらうが、明日からはちゃんと早く起きようと決意し、彼女は窓枠に置かれているロープを持つ。
「もう、しょうがないわね」
「しょうがないよね」
もう慣れてしまったメリッサの自由奔放な振る舞いに苦笑を零しつつ、ロープが切れないかよく確認してから彼女の動きを思い出し、滑り出す。軸のロープが少したわんでバランスを崩しかけたが、身を捩れば丁度良い位置に落ち着いた。徐々にスピードを上げて広場を目指すリフト。風を切って滑る心地良さにルカは目を細める。そうこうしているうちに門が見えてきたので、両足を上げて止まる準備をしておく。門の壁に足を付けて着地すると、後からノーラも滑り降りてきた。
彼女が着地したのを見届けてすぐルカはリフトの撤去にかかる。こんなことが将軍の耳に入ったら、怒られるどころではない。取り敢えず、急いでいるのでロープの見える部分だけナイフで切ってその辺の茂みの中へ隠す。既に集まって見ていた何人かには口外しないように言って、ルカ達も加わった。将軍の姿はまだ無い。
「間に合った……?」
「みたいね。今回はメリッサに感謝しましょう。あの子のリフトが無かったら、今頃ベアトリクス将軍にうさぎ跳び五周させられてたわよ」
溜め息を吐くノーラにルカは頷いて同意する。いくら兵士として日々鍛えられている彼女らと言えども、城の外周をうさぎ跳びするのはほとほと嫌になるからだ。そんなことを言っているうちに、ベアトリクスは現れた。長いブロンドの巻き髪を揺らし、ぴったりした白い革の服に身を包んで背筋を伸ばして歩く姿は、美しく凜々しい正に自立した強い女性という印象が強い。腰に差した無骨な剣の柄と右目の鉄の眼帯が、日光に反射してきらりと光る。相変わらず一切隙の無い彼女の姿に、一同に緊張が走った。世間では泣く子も黙る冷血女などと揶揄されているが、ルカにとっては厳しくも時折優しい一面を覗かせる、尊敬すべき女将軍というイメージの方が強い。笑った顔をあまり見たことが無いのは事実だが、だからといって彼女が心の冷たい女性という訳ではない。実際、ルカを最初に発見し、介抱してくれたのは彼女だったからだ。
「番号!」
代表の兵士による掛け声を受けて、前から順に番号を答える。全員揃っていると確認でき、内心でルカ達は安堵した。口止めしていたこともあってか、リフトで来たことはバレていないようだ。いつも通りの朝礼と訓練が終わると、皆それぞれの持ち場へ向かって行く中、ルカ達三人はベアトリクスに残るよう言われた。
「何でしょう? 将軍」
元気よくメリッサが答えると、ベアトリクスは含みのある笑みを浮かべて茂みを指した。そこは先程ルカがリフトの証拠を隠した場所だった。はっと気がついて赤面する三人に、彼女は笑いを押し殺しながら言う。
「今回は見逃しますが、明日からは遅刻しないように気を引き締めて下さい。残りのロープは撤去しておきます」
「えー、そんなぁ」
「いいですね?」
有無を言わせぬ彼女の威圧感に、三人とも頷くしかなかった。考案・設計・制作者のメリッサは目に見えて落ち込んでしまう。明日からは遅刻したら問答無用でうさぎ跳びをさせられるのかと思うと、ルカとノーラは気の引き締まる思いだったが、メリッサはまた違う手を考えようと思案を巡らせている顔つきだ。彼女は見た目に反して懲りない。そんな彼女の表情を見てとったベアトリクスは、念を押すように言い添える。
「メリッサ、あなたは他の兵士に無い発想力の持ち主です。その能力は素晴らしく、あなたの個性だと私は思っています」
「え? あ、ありがとうございます!」
「ですが、使い所を見誤らないよう、気を付けて下さい」
「…………はぁい」
暗に真面目な勤務態度を心がけるように言われ、メリッサは少々不満げに答えた。それを諫めるようにベアトリクスの「持ち場に向かいなさい」という厳しい声が飛ぶ。驚き、慌てて城へ戻っていく三人の背中を見送りながら、ベアトリクスは呆れたように溜め息を吐いた。
「もぉ~、メリッサのせいで私達まで怒られたじゃない」
「ごめんごめん。うー、でもさ、ギリギリまで寝てたいじゃない? だから、今度はどんな移動手段が良いかと……」
「少しは懲りたら? というか、早く寝て早く起きたらいいじゃない」
「それができたら苦労しないわよ。設計図描いて、材料切り出して、組み立てて……って、結構大変なのよ」
「それを止めたらいいのに」
「毎日真面目に生活するなんて、私の性に合わないの。兵役に就いたのだって、生活が安定するからだし!」
「まぁ、この平和な世の中で戦争なんて滅多に起きないと思うけどね」
城内に戻る道中、前を歩くノーラとメリッサの会話を聴きながら、ルカは何気なく空を見た。今日もよく晴れていて、気持ちの良い風が髪を撫でる。ふと、視界の端に見慣れないものを見つけ、彼女は吸い寄せられるようにそちらへ顔を向けた。
賓客の間のバルコニーに、見慣れない人物がいた。縁に頬杖を付いて、身を乗り出すように寄りかかっているその人物は、銀色の長髪を風に靡かせ、青色の瞳はどこか遠くを見つめている。中性的な顔立ちは男か女か、一見して判断が付かない。ルカがこの城に厄介になってから見たことの無い美しい人に、興味をそそられてじっと見つめていると偶然なのか気付かれたのか、その人はこちらを見た。二人の目が合った。その麗人は暫く彼女をじっと見つめていたかと思うと、何を思ったか不意に薄く微笑んだ。どきり、とルカは自分の心臓が跳ねたのを感じた。周囲を見回しても、ノーラとメリッサはもう大分離れてしまって気が付いていない。他に彼女以外の人もいない。間違いなく、自分に微笑みかけたのだと分かった瞬間、気恥ずかしくなってルカは赤くなった頬を両手で包む。照れながらも頬から手を離してもう一度バルコニーに目をやると、もうそこには誰もいなかった。
「誰だろう? あの人……。綺麗な人、だったな」
「ルカ、何してんの? 置いてくよ」
ノーラの呼び声に我に返ったルカは、慌てて彼女らの後に付いて行く。今見た人のことを教えようと、彼女は些か興奮した様子で二人に話した。
「今、凄く綺麗な女の人がいたんだよ。ブラネ様のお客様かな?」
「女の人? メリッサ、知ってる?」
「知らなーい。そんな人来てたっけ?」
不思議そうに首を傾げる二人を見て、ルカは確信を持って主張する。確かに見たと。
「でもまぁ、そんな人いたって私達とは関わらないだろうから、別にどうでもいいかな」
「そうだけど、凄く綺麗な人だったんだよ」
「ふーん? ルカが憧れちゃうくらい?」
「からかわないでよ、ノーラ!」
子供扱いをして微笑む二人に怒りつつも、ルカの頭にはいつまでもあの微笑みが残っていた。