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    しおり
    ゆびきり注意書き

    ・自分設定大盛りフェードラッヘ(最早別物)
    ・モブが軽率にミンチになる

    この手が欲しい。

    フェードラッヘでの一件から一週間程の時間が経過したその日、一行はルーマシー群島に滞在していた。もうすぐ収穫の時期を迎える農作物を狙って人里へ降りてくる魔物の掃討依頼を危なげなくこなした彼らは、次の依頼を求めてシェロカルテのところへ顔を出す。
    「そういえば、団長さん宛てにお手紙が届いていますよぉ」
    シェロカルテが差し出した白い封筒には見知った紋章の封蝋が施されておりグランは思わずその手紙の差出人の名前を呟いた。
    「ランスロット……?」
    上質な封筒はそれがランスロットの私的な便りではなく、白竜騎士団の団長としての連絡なのだと語っている。
    グランは用心深く封を開けると手早く文面に視線を走らせた。
    「なんて書いてあったんだ?」
    周囲を忙しなく飛び回って内容の音読をせがむビィに曖昧に笑って見せ、グランは便箋を元通りに畳み直すと丁寧に封筒に戻しシェロカルテに礼を告げる。
    「手紙、届けてくれてありがとう。依頼はまた今度にするね」
    「はぁい、またお待ちしてますね」
    「おい、グラン!依頼受けにきたんだろ?なんで戻っちまうんだよ」
    挨拶もそこそこに踵を返したグランにビィが追い縋り、頭の上に乗るとそこからグランの丸い双眸を覗き込む。寄り目気味にビィを見上げたグランは不安定な頭の上から小さな体が落ちてしまわないようそっと手元の封筒に視線を落とし呟いた。
    「ちょっと急用、かな」

    ジークフリートが艇内の日当たりの良い場所で自分の武器の点検をしていると、この艇を取り仕切る役目を負う少年が慌ただしく戻ってきた。依頼を一つ二つ受けて戻ってくると言っていた彼は甲板に座り込むジークフリートの姿を認めると複雑そうな表情で近付いてくる。
    「ジークフリートさん」
    いつもは柔らかな響きを帯びる声音も何処か硬く、どうしたのかと問い掛ける前にグランはジークフリートの鼻先に白い封筒を差し出した。
    「ランスロット……フェードラッヘからの手紙です。たぶん、ジークフリートさんも読んだ方がいいと思って」
    引き結ばれた小さな口から多くは語られず、その表情の理由は今目の前にあるほんの小さな紙切れの中に書かれているのだろう。良く知る紋章があしらわれた封筒を受け取ると便箋を取り出し、内容を読み拾う。甲板を抜ける風を拾い便箋がかさりと音を立てた。
    表情こそ変えなかったが思わず短い溜め息が漏れ、それを聞き読み終わったと判断したグランが静かに問い掛けてきた。
    「この艇をどう動かすか、最後の判断は貴方にお任せします。……どうしますか」
    彼の中で既に答えは出ているようだったが、それでもジークフリートの意思を尊重するつもりらしく、グランは口を閉ざすとジークフリートの言葉を待つ。
    どう、とはつまり行くか否か、そういう話では既に無く、『初手をどう動くか』という確認の為の問いだ。
    ジークフリートは手元の羊皮紙の滑らかな表面を親指の腹で撫で、文章の全体をぼんやり眺めて瞼を下ろす。
    「……そうだな」
    瞼の裏で今得た情報と己の知る情報を掛け合わせ取り急ぎ答えを出し、瞼を開くと同時に目の前の少年へ嘆願した。
    「再び彼の地へ。団長、頼む」
    連続殺人犯の処刑が正式に決まったという報告から始まったランスロットからの手紙には、犯人が常用していたとされる麻薬の出所についてもある程度の目星がついていると書かれていた。
    だがその出所というのが現在急速に勢力を増しつつある密売組織で、白竜騎士団ですら迂闊に手出しは出来ないのだという。地面に根を張るかの如く、国内外を問わず中小規模の同系統の組織を取り込み手足を増やす組織を下手に突くことで出てくるのが蛇どころではないのは火を見るより明らかだった。
    国の行く末を思えば一刻も早く取り除きたい癌細胞ではあるが、端から一つ一つ炙り出し潰していくのを組織が悠長に待っていてくれる筈もない。だが今のフェードラッヘに組織全体を一網打尽にする余力はなかった。
    悔しい、とその一文だけが形式的な手紙の中で唯一ランスロットの本心を垣間見せていた。
    この手紙に助けを求める意図はなかったのだろう。恐らく騎空団一つ加勢したところで劇的に状況が変わることはない。
    だからこれは『愚痴』だ。
    同じ志を持つ部下に対してでも、気の置けない幼馴染に対してでも、己の仕える国王に対してでもなく、この手紙の宛名の人物に対してのみどの立場でもなくランスロット自身の弱音を吐露したのだ。自分より一回りも歳の離れた相手をそれ程大きな精神的支柱にしていることを自覚しているのか否かは、文面からのみでは掴みかねるが。
    足の裏から体の芯へと伝わる地響きに似た振動が自身の乗った艇が陸地へ着岸したことを告げる。ジークフリートは甲板の縁に手を掛け彫刻染みた横顔を柔らかな午後の風に晒しながら賑わいを見せるフェードラッヘの地を見渡した。酷く懐かしい景色にも毎日のように見慣れた景色にも感じる光景は、ここに来た理由すら少しの間忘れて安堵を覚えさせてくれる。
    その隣でグランは上半身を甲板の手すりの外へ乗り出し、容赦のない日差しの眩しさにか、人と物の溢れる活気にか僅かに目を細めた。その目にはいつも強い光が宿っていて、何処か遠くを見つめている。
    華奢で幼い、守るべき対象である筈の子供はこの船に乗る誰よりも強い意志を持ってして、今度は眼前に広がる国をも救わんとしていた。
    渡されたばかりの舷梯を駆け下りていく後姿を見送り、ジークフリートは一歩二歩、甲板の縁から、活気の溢れる見慣れた光景から距離を置く。
    「また裏方に回るつもりか」
    罪を咎める響きを持った声が、甲板にジークフリートの影を縫い付けた。声のした方へ頤を向けると、鮮やかな赤い髪の男が腕を組んだ状態で此方を睨みつけている。
    「適材適所だ。俺はこっちの方が性に合っている」
    赤い男の不機嫌の理由を、ジークフリートはうっすらと察してはいたがわざと分からない振りをしてそう答えた。この答えも男の機嫌を更に降下させるのだろうな、と現に釣り上がっていく柳眉を眺めながら思う。
    「パーシヴァル、お前に伝言を頼みたいんだが」
    白を切ったまま自分のペースで話を進めると、パーシヴァルから怒気が抜けていく。機嫌が直ったというよりは諦念からくる呆れだろう。諦めた顔のまま半眼で伝言を引き受けたパーシヴァルに短く礼を告げ、ジークフリートは舷梯に足を掛ける。
    「それじゃあ、頼んだぞ」
    自身の体重を受けぎしりと鳴く梯子を渡り切ったジークフリートは、グランが去って行った方とは反対方向に歩き出し雑踏の中に紛れて行った。


    「グラン」
    大通りを歩いていると後ろから声を掛けられ、グランは足を止めて声の方へ振り返った。人がごった返す中でもその長躯と赤髪は声の出所の判別を容易にし、同時に品のある立ち振る舞いはこの場で奇妙に浮いて見える。
    人波を縫って近付いてくる姿をその場で待ち、グランは頭一つ上にある男の顔を見上げた。
    「どうしたの、パーシヴァル」
    「俺も行く。不本意だが用事が出来たからな」
    顎をしゃくって進むよう促され、唐突な申し出を意外に思いつつ何も詮索はせずグランは止めていた足を再び城へ向かって動かす。パーシヴァルも隣に並んでついてきた。
    「この件、依頼ではないんだろう。厄介事に首を突っ込んでも一銭の得にもならないぞ」
    「なんだ、小言言う為についてきたの母さん。あてっ」
    「お前を生んだ覚えはない。ちゃんと聞け」
    何かと小言の多いパーシヴァルを口煩い母と呼ぶグランの後頭部を間髪入れず叩き、パーシヴァルは溜め息を吐いた。
    「得にならないだけならまだいい。最悪取り返しのつかないことになるかもしれないんだぞ。そうなってからでは遅い」
    「それは経験則?」
    グランは足を止めて隣の赤い瞳を見返した。急に隣の子供が立ち止まりパーシヴァルは半歩分止まり損ねてグランの少し前に立ち止まる。
    「それとも予知?」
    「そうだと言ったらこの場で帰るのか?」
    「それはない」
    「だろうな」
    肩を竦めて二人同時に歩き出す。特別意識せずとも互いに無理のない歩調で並んで歩ける位には二人は付き合いが長い。この程度の言葉でグランが引き下がらない事等、パーシヴァルも分かっているだろう。
    「お前が止めろと言って素直に聞く性分でない事は嫌という程知ってる。だからこれは助言だ。慎重になれ、引き際を間違えるな。どうしようもなくなる前に、誰かに頼れ」
    「分かった」
    素直に頷いたことが意外だったのか隣からの視線を感じグランは赤い色の目を見返した。
    「適材適所でしょ。僕には僕の役割があるし、そうじゃないなら他の人に頼むよ」
    何もここまで一度も失敗を経験せず来れた訳ではない。騙されたし痛い目も見たし、恩を仇で返されたこともある。取り返しのつかない場面に出くわしたことはないが、あの時運が悪ければ、と思ったことはいくらかあった。
    それでもこれは性分だ。止められないし止めるつもりもない。
    「……お前、ジークフリートに似てきたな」
    「えっそう?」
    「無論悪い意味でだ」


    王城を守る門扉の前に立った二人は門番にやたら恭しく扱われながら城内へ足を踏み入れた。高い天井や大理石の床が落ち着かず隣を盗み見るとすっかり景色に馴染んだ男が立っておりグランはひっそり溜め息を吐いた。自分はいつまで経ってもこの場所には慣れそうにもない。
    いつかと同じ応接間に通され、多忙を極めているであろうランスロットを待つ。また窓辺に寄りかかり眼下の訓練場を覗き込むと、今は何の訓練中なのか若い兵士達が均等に並んで教官の指示を受けている。
    「……珍しいか?」
    グランが何を見ているのか察したパーシヴァルの問いに答えるために振り返ると思ったより近くに顔があり出かかった言葉が喉の奥に引っ込んだ。
    窓の外に視線を戻し、問いに答える。
    「うちではまず見ない景色だよね」
    「集団ではあるが団体ではないからな。やたらと個性が強い輩ばかり集まっているし、やろうとしてもああはならんだろう」
    言っている本人がそのやたらと個性が強い輩の筆頭なのでは、とは思ったものの頭を叩かれる未来がよく磨かれた窓に反射する顔から伺えたので口を噤んだら旋毛辺りに緩く握られた拳が落ちてきて軽い音を立てた。
    「何も言ってない」
    「顔に全部出てるぞ」
    「それ自覚があるってことじゃ、あいった!」
    べちんと小気味よい音が室内に響く。じんじんと痛みを発する頭を押さえ、グランは恨みがましい視線を涼しい顔で外を眺めるパーシヴァルに向けた。
    「暴力反対……」
    「躾に多少の痛みは有用だ」
    その時応接室の扉が開き、慌ただしく男が二人入ってきた。
    夜を深めた艶やかな黒髪、稲穂色の短髪、文字通り全く毛色の違う外見と性格をした二人だが何処か似た空気を感じるのはそれだけ長い時間を共にしていた証なのだろう。
    「ランスロット、ヴェイン」
    来訪の知らせを聞いて慌ててきたらしい二人に駆け寄るグランの後ろからパーシヴァルもゆっくりとした歩調で近付く。
    「パーシヴァル、お前まで。どうしてここに」
    「俺は伝言を伝えに、こいつはお節介をしに」
    「伝言?」
    「ジークフリートからだ、あの部屋を使うと」
    その伝言の意味を理解出来たのは伝言を伝えた側と受け取った側だけだった。
    ヴェインとグランが具体性のない短い伝言に首を傾げたのとは対照的に、ランスロットはさっと顔色を変えるとパーシヴァルへ詰め寄る。
    「……あの人も来ているのか?」
    「俺もジークフリートも、今はグランの騎空団に身を置いている。グランが来たならあいつも居て当たり前だろう」
    「そういう意味で言ってるんじゃない!どうしてジークフリートさんがあの部屋を使わなきゃならないんだ」
    「分かり切ったことを聞くな。そこの子供に散々愚痴ったのはお前だろう」
    パーシヴァルからの指摘にランスロットはぎくりと身を強張らせた。美しく整った双眸が揺れ、心配そうに自分を見上げる少年の方を向く。指摘されて初めて愚痴を零した事実に気付いたような素振りだった。
    「あれは、そんなつもりじゃ……」
    「ランスロット、勝手にここまできたことは謝るよ。でも力になりたいんだ。依頼だからとかじゃなくて、僕もここが好きだから……ジークフリートさんも、同じ気持ちなんだと思う」
    元より人一倍愛国心の強い男だ。ランスロットからの手紙を読み、打てる手は打っておこうと動くのは当然の成り行きだったのだろう。
    「あのさ、話の腰折って悪いんだけど、『あの部屋』って一体なんなんだ?俺副団になってから一度も聞いたことないぞ」
    申し訳なさそうに挙手をしてグランの後ろから会話に入ってくるヴェインを見、ランスロットはパーシヴァルに視線を移すと彼は無言で肩を竦めた。
    「あれはジークフリートさん以降使われなくなったし、知らないのは当然だ。……何を見ても後悔しない自信があるなら着いてこい、案内しよう」
    グラン達はランスロットの先導の下、街の外れの建物の前に来た。石造りで飾り気のない建造物からは人を拒絶する空気が漂っており、周囲に人影はなく、入り口と思しき扉の前には鎧を着込み武器を携行した兵士が二人立っている。
    ランスロットらに気付くと、兵士は敬礼の姿勢を取り扉の前に立った。
    「これは、騎士団長殿。何事でしょう」
    「所用だ。中に入れてくれ」
    「は、しかし……」
    二人の兵士は困惑の表情のまま顔を見合わせ扉の前から退こうとしない。したいのは山々だが、といった雰囲気にランスロットは背後に伴った面子をちらりと振り返る。
    「ああ、この者達は信用の置ける立場の者だ。そこは俺が保障しよう」
    「いえっ、それは我々も存じております、そうではなく」
    尚も言い淀む兵士の様子を黙して観察していたパーシヴァルが半歩前に踏み出して言った。
    「……まさかもう来ているのか?」
    その言葉に兵士達より先に反応を示したのはランスロットだった。二人の兵士を荒々しく押し退け扉に手を掛ける。
    「お待ちください!終わるまでは誰も入れるなと言い遣っているのです!」
    「あの人がそんなことをする必要はもうないんだ!止めさせる!」
    扉には内側から鍵が掛かっておりどれだけ揺さぶろうとガチガチと音が鳴るだけでランスロットを受け入れようとはしない。舌打ちし、兵士に鍵はないのかと問うが二人共首を横に振った。
    「鍵はいつもの通りご自身で持って入られました」
    「では終わるまでは入れないな。仕方あるまい」
    尚も食い下がろうとするランスロットにパーシヴァルはあっさりと諦めを口にした。その言葉を聞きランスロットの感情の矛先が兵士達からパーシヴァルに移る。
    「諦めろ、入れないのは昔からだろう」
    「パーシヴァル貴様、何故止めなかった!その伝言を受けておいて何故……」
    「逆に聞くが、何故止めなければならないんだ」
    掴みかからんばかりの勢いのランスロットを睥睨と言って過言ではない色の視線で見返し、パーシヴァルは炎帝の名とは真逆の声色でランスロットに問う。
    「なんだと……?」
    「確かに、かつてあの男は必要に駆られて止むを得ずあの部屋を使った。だが今は違う。手段は他にも挙げられる中で、あの男は自ら選択したんだ。自分で使うべきだと判断して使った、それを何故わざわざ止めるんだと聞いている」
    「そん……それは、」
    「パーシヴァル」
    目に見えて狼狽えたランスロットに更に追い打ちを掛けようと口を開いたパーシヴァルを幼い声が止める。それまで黙っていた少年の、感情を抑え込んだ声音での制止にパーシヴァルは不満げな顔をしながらも大人しく従った。
    「……一先ず、今は入れないみたいだし、何処か別の場所で終わるのを待とう。……それでいいよね?」
    「お待ちになるのでしたら、我らの宿舎をお使いください」
    あからさまにほっとして、開かずの建物と隣接して建てられた兵舎を指差す。駐屯する兵士は極少数らしく、小規模なものではあるが外で待つよりは何倍もましだろう。
    「ありがたく使わせてもらおうぜ、なあランちゃん」
    未だ逡巡する様子を見せるランスロットに努めて明るい語調でヴェインが促した。
    「……分かった」
    深い長考の末、ランスロットは小さく頷いたのだった。


    宿舎の中には辛うじて人数分の椅子があり、使い古された雰囲気のある室内をぐるりと見渡した後グランは窓から伺える石壁を見上げた。建物は不気味な程静かで、中で何が行われているのか推測することも難しい。
    「さっき聞きそびれちゃったけど、あれは何の建物なの?窓もないし、出入り口も正面の扉だけみたいだね」
    唯一の扉の前には武装した兵士が立ち、建物そのものの物々しさも手伝って普通の施設とは思えない。
    時間の経過で冷静さを取り戻したランスロットは椅子の背もたれに背中を押し付けグランの問いに答えた。
    「あれは監獄だ。自警団の管理する牢獄とは別に、重犯罪者や処刑の決まった罪人が投獄されている。ここまではお前も知っているな、ヴェイン」
    「ん、まあ騎士団の管轄だしな。あんまり近付かないけど何度か入ったこともあるし」
    「じゃあ、あの部屋っていうのは?」
    ランスロットが眉間に皺を寄せて答えるよりも先に、優雅に足を組んだパーシヴァルが口を開く。
    「端的に言うなら拷問部屋だ。黒竜騎士団時代、ジークフリートが使っていた」
    「ジークフリートさんが……?」
    「あの人だけが使ってたわけじゃない。ただ、あの人にその才があって、その才を揮う必要に駆られたというだけだ」
    「身も心も極限まで痛めつけ必要な情報を全て引き出した後、当人から死を乞われて殺す」
    死だけが唯一の救いだと思う程に対象を追い詰める術に長けていた。元より人から一歩離れた存在であったジークフリートは、件の部屋を使う回数を重ねる毎に人らしさが剥離していった。
    ランスロットが過剰に反応したのはあの部屋を使うことでジークフリートが更に遠のいてしまうかもしれないという懸念からだ。
    グランは振り返り窓の向こうの建物を再度見上げる。人を拒絶する雰囲気と同時に、禍々しい空気が見えた気がして眉を潜めた。
    「すまない。こんな話、少なくともあんたに聞かせるべきではなかったな」
    グランの様子を見、ランスロットは椅子から立ち上がるとその背に手を添える。背に掌の暖かさを感じ、グランは窓から視線を引き剥がしランスロットを振り仰ぐ。
    「大丈夫だよ、話してくれてありがとう」
    今ならランスロットの気持ちが少し分かる気がした。口にすることすらおぞましいことを、よく知る人物が行っている。他の誰でもない、自分自身の意思で。
    それを事前に聞いていたら、流石にグランも止めただろう。
    そしてそれを見越していたからこそジークフリートはグランには告げずパーシヴァルに伝言を託したのだ。
    ならば今は座して待つ他ない。何も告げずに居るという選択肢をあえて選ばず、自分の動向を知らせた意味とはそういうことだろう。
    「団長殿、終わりましたよ」
    今の手持ちの情報を交換し、今後どう動いていくべきかを審議していると外側からノックの音と共に扉の前に居た兵士の声が部屋に入ってきた。
    音を立てて椅子から立ち上がるランスロットと、位置の変わった机や椅子を律儀に元の場所に戻して出て行くヴェインの後に続き、グランとパーシヴァルも部屋を出た。
    どの位の時間が経過したのか、太陽は僅かに西に傾きつつある。固く閉ざされていた扉が今は開き、その前には見知った男が立ち兵士と話をしていた。
    「ジークフリートさん!」
    ランスロットが駆け寄ると、名を呼ばれた男は少し意外そうな顔をした。
    「お前達、わざわざ待っていたのか」
    ランスロットと、その後ろからついてきたグラン達を順番に眺め兵士に鍵を手渡すと首を傾げて骨を鳴らした。
    「待たせてすまなかったな、僅かだが得たものはある。場所を変えようか」


    一行は艇に戻り物置代わりの空き部屋を臨時の会議室とし、一先ず落ち着いて話し合える環境を急ごしらえに整えた。使われていなかった小さな卓を全員で囲むと流石に狭苦しい。椅子が足りず、その場にあった木箱の上に腰掛けたランスロットがジークフリートに問い掛ける。
    「あの部屋を使った事についてはもう追及しませんが……有用な情報を得たのなら教えてください。俺達も必要な情報があるなら開示します」
    「ああ、その前に一ついいか」
    頷き、口を開こうとしたジークフリートを遮る形でパーシヴァルが発言した。
    「なんだ」
    「この件が王国側からの正式な依頼なのか、はっきりさせておきたい。国からの依頼でないのなら、これはただの私事だ。これ以上団員は動かせん」
    「パーシヴァル、今はそんなこと」
    「重要な事だぞグラン団長。依頼か善意か、団員達を率いる立場にあるお前がその境界を曖昧にするな」
    静かに、だが鋭く見込の甘さを指摘され、グランは反論出来ず口を噤んだ。
    「分かった」
    パーシヴァルの言葉に頷き、同意を示したのはグランではなかった。声の出所を手繰り、その先で静かに椅子に腰掛けている男をその場の全員が見つめる。
    「これは俺の私事だ。俺が単独で動くことにしよう」
    息を飲む気配、戸惑いの声、呆れ果てた末の溜め息、その場の反応は様々でグランも困惑を隠せないままジークフリートに近寄り引き留めた。
    「いくらなんでも無茶です、ジークフリートさんが強いのは知っていますが一人でなんて無謀過ぎます」
    「何、お前達に迷惑は掛けんさ。都合が悪いようなら一時的に退団してもいい」
    「そういう事じゃなくて……」
    いまいち上手く噛み合わない会話にゆるゆると首を振り、グランは力の抜かれた男の掌にそっと触れた。
    「心配してるのは、貴方のことなんですよ」
    悪いことをした自覚のない子供を諭すように、グランはジークフリートの瞳を覗き込んでゆっくりとした口調で言い含める。それをジークフリートはきょとんとした顔で聞いており、その表情からは彼が本当に理解しているのか汲み取ることは出来なかった。
    「貴方の身に何かあったら沢山の人が悲しみます。僕も悲しいです。もっと自分の事を大切にしてください、これまで誰かに頼る機会がなかったのかもしれませんが、貴方も団員の一人なんですから」
    確かに、無類の強さを誇るジークフリートにしてみればグラン達の助力等あってないようなものなのだろう。しかし彼とて万能ではない筈だ。人の身を持つ以上、全ての事柄に一人で対応するのは物理的に不可能だ。
    「そう、か……」
    そう答えはしたものの、未だにぴんとは来ていない表情をするジークフリートにグラン達は顔を見合わせた。彼の孤独は相当根深いものらしい。
    依頼は王国側から正式に騎空団へなされることとなり、改めて作戦会議が再開される。
    ジークフリートは路地裏で粗悪な麻薬を売買していたチンピラを捕まえて、件の部屋で情報をいくつか引き出していた。フェードラッヘに寄生し悪事をばらまく組織についてのいくつかの事柄を。つい最近ボスを含め幹部の多くが代替わりしたらしく、フェードラッヘに麻薬が横行し始めたのもその時期からである。新しいボスはかなり手荒な方法で領地を広げており、組織内外を問わず多くの人間から反感を買っているようだ。それでも組織の存続を保つのに致命的な反乱や抗争が起きないのは組織そのものの強大さとボスの抜け目のない手腕が物を言っているのだろう。
    小さな諍いは日常茶飯事で、毎回その首謀者を見せしめとして言葉にするのも恐ろしい方法で粛清しているのだとか。
    「そこまでは聞いたんだが、久し振りで感覚が上手く掴めなくてな。壊してしまった」
    「……壊し、え、なにを…」
    何でもないように零された不穏な単語を聞き返したグランをランスロットとパーシヴァルが止めた。
    「掘り下げない方がいい」
    「丸一日固形物を食えなくなりたくないなら聞き流せ」
    珍しく二人の意見が一致し、グランとヴェインは大人しく口を噤んだ。
    「何にせよ、叩くなら今が好機だろう」
    「今や一国をも凌駕しそうな規模の組織だ、叩くと言っても国内の兵力だけでは到底間に合わない」
    「全てを相手にする必要はない。叩くなら頭だ」
    ジークフリートは己の蟀谷を指先でとんとんと軽く叩く。
    「竜も人も息の根を止めるのなら頭を落とすのが手っ取り早い。どうやら組織内部でも反乱が絶えないようだからな。据えられている頭が落ちれば共食いでも始めて自滅するだろうさ」
    「問題は何処に頭が隠れているか、だが……」
    いくらなんでも堂々と札を掲げて往来を歩いている訳ではあるまい。多数の方向から命を狙われるのは当人が一番分かっている筈だ。もしかすれば当人以外知り得ない場所に潜伏している可能性もある。グラン達の持つ手札の中にそれを知る方法は今のところない。
    その場の全員の眉間に皺が刻まれた時、控えめなノックの音が重苦しくなりつつあった空気を揺らした。
    「ああ、良かった。ここだったか、団長」
    グランが扉を開けた先に居たのはカタリナだった。船内の何処にもいないグランをやっと見つけてほっとした表情をしている彼女に首を傾げて見せる。
    「カタリナ。どうしたの、僕に何か用?」
    「君に来客だ」


    「どうもぉ、グランさん。忘れ物をお届けに参りましたぁ」
    ハーヴィンの身の丈よりも大きな鞄、派手な羽色の鳥を肩に乗せ、シェロカルテは姿を見せたグランに頭を下げた。
    「シェロカルテ。どうしてここに。僕、忘れ物なんてした?」
    「グランさん、前回の魔物の掃討の報酬を受け取らずに行ってしまったので追いかけてきたんですよ」
    その言葉で漸く忘れ物を思い出したグランは、シェロカルテから革袋に入れられた報酬分の貨幣を受け取った。
    「わざわざごめん、すっかり忘れてた」
    「いえいえ、ちゃんと渡せて良かったです。折角ですし、こちらで何か仕入れて行きましょうかねえ」
    何が入っているのかは当人しか分からない鞄をよいしょと背負い直し、踵を返すシェロカルテにグランは革袋を握り締めたまま追い縋った。
    「待って!シェロカルテのところって情報は売ってる?」
    簡単な事情を話すと、シェロカルテは難しい表情で顎先を撫で唸った。
    「情報も大事な売り物ですが、さすがにそこまでは分かりませんねぇ……ごめんなさい、力になれなくて」
    「そっか、ならいいんだ。無理言ってごめん」
    さしものよろず屋も、密売組織のボスの居所までは把握していなかったようだ。逆に知っていると答えられたらそれはそれで恐ろしいところではあるが。
    「それじゃあ、お役に立てなかったお詫びに、一つだけ。関係のある情報かは分かりませんが、こぉんな噂話を聞きまして」
    彼女曰く、ジュエルリゾートに入り浸る常連客の中に最近妙に羽振りのいい男がいるらしい。それだけなら何て事のない話だが、どうやら男がカジノで湯水のように使う金の出所に件の組織が一枚噛んでいる、のだとか。
    根も葉もない噂に過ぎなかったが、何の手がかりもないグラン達はそれを掘り起こす他なかった。
    ジュエルリゾートのフロアはいつも眩しい。昼夜問わず絢爛なシャンデリアが光を灯し、ドレスを纏った淑女が身に付けた宝石が光を受けて色取り取りに輝く。旅装束のままの軽い出立で、グランはうっすらと目を細めた。
    フロア内は品の損なわれない程度の喧騒に満ちており、時折大きな歓声が其処此処で上がる。
    団員達の慰安の為に何度か足を運んだことはあるが、いつきてもこの雰囲気には馴染めない。
    「思ったより人が多いな」
    今グランの隣には漆黒の鎧を脱ぎカジノ内で浮かないよう宛がわれた服を着たジークフリートの姿がある。伸びるがまま放置されていた髪も頭の後ろで一つにまとめて結われ、すっかり別人になっていた。
    (ちなみに彼の全身をコーディネートしたのはパーシヴァルだ。)
    (着せ替えが行われている間何故か終始不機嫌で、ジークフリートの「適当でいいんだが」という発言に対して二度程激怒している。)
    「やはりこういう格好は慣れないな。違和感しかない」
    「でも似合ってますよ。かっこいいです」
    露わになった横顔を下から覗き込み、グランは正直な感想を述べた。飾り気のない賛辞にジークフリートはぱちぱちと目を瞬かせ、口の端にぎこちない笑みを乗せる。
    「そうか、お前がそう言うのならそうなんだろう」
    「そうそう、その調子です。笑ったらもっとかっこいいですよ」
    端麗な容姿は既にフロア内の女性の視線を集め始めており、ちらちらとジークフリートとその傍にいるグランに密かな視線が投げ掛けられる。
    「例の男を探そう。今日も来ているといいが……」
    ジークフリートがぐるりとフロアを見渡した時、遠くからどっと沸き上がる歓声が聞こえてきた。
    二人が顔を見合わせ、声のした方へ近付いていくと周囲を憚らず大声で話す男の後頭部が人垣の隙間から垣間見える。
    事前に聞いていた外的特徴と一致するし、何より男の座るテーブルに所狭しと積まれた大量のカジノメダルと札束がその男を噂の当人であると告げていた。
    賭けに勝ったのか負けたのか、それすらどうでもいいのか、上機嫌に笑う男の目の前にジークフリートが立った。男の名前を告げ、本人で間違いないか問い掛ける。
    「確かに、それは俺の名前だけど。何の用?」
    「大した用事じゃない。あんたに二三聞きたいことがあってな。応じてもらえないだろうか」
    いきなり目の前に現れた男に対し、警戒と品定めが半々の視線で眺め回し胸中でどんな結論を出したのか自分の向の席をジークフリートに勧める。心配そうな視線を向けるグランに僅かに顎を引いて頷いて見せ、ジークフリートは促されるがまま対面する椅子に腰を下ろした。
    「どこで俺のこと聞いたのかは、……まあどうでもいいか。聞きたいことがあるんだっけ?俺のこと探してたんなら、俺がギャンブル狂いなのも知ってんだろ?賭けで俺に勝ったら答えてやってもいいぜ」
    メダルを雑に端に避けて出来た空間の中央に男が一組のトランプを置いた。人差し指と薬指に指輪の嵌められた手が慣れた手つきでトランプを広げて裏返し重なった状態に戻す。
    「綺麗なカードだ」
    「俺専用に特別に作らせた。世界に二つとない一級品だぜ」
    「近くで見せてもらってもいいか」
    「ああ」
    自慢のトランプを褒められたことで気を良くしたのか男はジークフリートにトランプを手渡した。無骨な手の中ではトランプも小さく見える。ぱらぱらと裏面を眺め、次に表に返して細かく美しい絵柄を流し見していく。全てを見終えるとジークフリートはカードをテーブルの中央に戻した。
    「簡単な賭けだ。互いにカードを一枚引いて、大きな数字の方が勝ち。使うのは運と勘だけ。シンプルでいいだろ?」
    ジークフリートに異論がない事を確認し、男はついと視線をジークフリートの後ろで事の次第を見守っていたグランに移した。急に目が合ったことで瞠目する場違いな少年にトランプを差し出す。
    「お前、トランプを混ぜてくれ。カードを切るくらいならできるだろ」
    「えっ、ぼ、僕?」
    「そうだ早く」
    おろおろとトランプとジークフリートを見比べ、グランは恐る恐る差し出されたトランプを手に取った。遊びで触ったことならあるがこんな場で切ったこと等無論ない。
    傍から見てもたどたどしく危なっかしい手付きでトランプを切っていると案の定小さな手からカードが溢れて床にばらまいた。
    「わっ、ご、ごめんなさい……」
    「大丈夫か」
    見兼ねたらしいジークフリートが散らばったカードを拾うのを手伝う様を、男は欠伸交じりに眺めていた。
    「次はもっと練習してからくるんだな、坊や」
    漸く混ぜ終えたトランプを受け取り、男はそれをテーブルの上にざらりと広げる。
    「カードを引く前にベットの時間だ。アンタらは何を賭ける?」
    「……賭ける?」
    「おいおい冗談はよせ、笑えねえよ!ギャンブルなんだから当然だろ?まさかノーリスクでやれるだなんて思ってないよな?欲しいものがあるなら同じだけのものを失う覚悟が必要だ」
    「そうか……しかし今は持ち合わせが」
    「別に金じゃなくてもいい。……そうだな、例えばそこの坊やはどうだ」
    指をさされグランは息を呑み僅かに後ずさる。
    「お前の丁稚か?見たところまだ何も教えられてないみたいだが、どうだ、三日貸してくれれば俺がお前好みに仕込んでやるよ」
    「……」
    表情に何の感情も浮かばないまま硬直したジークフリートの傍らに寄り添い、グランは男には聞こえない声量でジークフリートに囁いた。
    「ジークフリートさん……、抑えて」
    返答のない彼の服の袖を引き、グランは黙りこくったジークフリートに代わって男に向かって頷いて見せた。
    「いいよ、僕が賭け金になる」
    「グランッ」
    「僕らが負けたらちゃんと貴方の言うことを聞くから、勝ったら僕らの質問に答えてくれる?」
    怯えながらも毅然として男に問い掛けるグランを気に入ったのか男は口角を釣り上げて頷いた。
    「ああ勿論」
    コイントスでどちらが先に引くかを決め、まず男が均等に並んだカードに手を出した。
    「……、」
    「どうかしたか」
    カードの上に手を滑らせた時、何かに気付いた素振りを見せる男にジークフリートが問い掛けるが男は首を振って否定し、一枚のカードを抜き取った。裏返して絵柄を見た男は両眼を三日月のように歪ませ二人に提示する。
    「スペードのA。悪いな、もう決まりかな?さ、次はアンタの番だ」
    促され、ジークフリートはテーブルの上に待ち構えるカードの山をじっと見つめた。伏せられたカードを上から眺めても、どれが最善のカードなのか分かる由もない。
    「ジークフリートさん……」
    不安からかグランはジークフリートの名前を呼んだ。
    「よく懐いてるな。躾もアンタが?」
    男の質問には答えず、ジークフリートは乱暴に一枚のカードを掴むと躊躇いなく裏返した。
    「ジョーカーだ。決まりだな」
    「なっ……!?」
    ジークフリートの前で裏返されたカードは彼の言葉通り道化の描かれたジョーカーだ。勝ちを確信していた男は酷く取り乱し音を立てて椅子から立ち上がる。
    「こ、こんなのイカサマだ!認めねえぞ!」
    「何故そう言い切れる」
    「そんな都合よく引けるわけない!」
    歯を剥いて唸る男の恫喝に全く動じず、ジークフリートは男が無意識にかぐっと指輪を握り込んだことに気付き浅く頷いた。
    「ああ、カラクリはその指輪か」
    「は……っ?」
    鼻白む男の手首を掴みテーブルの上に押さえ付け、その指から華美な装飾の施された指輪を抜き取って眼前に翳す。
    「何枚か重さの違うカードが混ざっていると思っていたが、そうかこの指輪とセットにすることで意味を成すものなのだな」
    容赦のない力の入れ方に男は情けない悲鳴を上げて自分の腕を取り戻そうと暴れたが、ジークフリートは顔色一つ変えない。
    「入っているのは磁石と鉄板か?この指輪をしてカードに触れれば自分にしか分からない程度にカードの方から吸い付いてくる訳だ」
    「そん……っ、なの、全部お前の口から出任せじゃねえか……!」
    「そうか、それもそうだな。じゃあもう一度、今度は指輪なしでやろうじゃないか。だが一度付いた勝負をまたやり直すんだ。それ相応の覚悟を賭けて貰わなければな?」
    口の端にうっすらと笑みを乗せ手首を掴んだ手に更に力を込めるジークフリートの言葉に、男は顔色を蒼白にさせた。
    「わっ……分かった、俺の負けでいい!聞きたいことがあるなら何でも答えるから!だから手を放してくれ!折れそうだ!」
    男の悲鳴も耳に入っていないらしくジークフリートは首を傾げて背後に立つグランを振り返る。
    「らしいが、どうする」
    「どうって、僕らの目的はこの人のイカサマの摘発じゃないですし、情報を教えてくれるならそれでいいです」
    「そうか」
    興味なさ気な少年の言葉にジークフリートはあっさりと男の腕を解放した。じんじんと痺れて感触のない腕を庇いながら、やり過ぎだと少年に窘められているジークフリートを見る。
    主従関係が自分の認識と逆であると気付き、戸惑いと驚きの声を漏らした。
    「さて、こちらの質問に答えてくれるんだったな?こんなに騒がしい場所ではゆっくり話も出来ない。場所を移そうか」

    最初にカードに触れた時、いくつか重さの違うカードがある事にジークフリートは気付いていた。その時はそれについて言及はせず、グランがカードを床にばら撒いた時に重さの違うカードの一枚だけを男に気付かれないよう抜き取った。
    カードの山の中から一枚を選び出す際男が僅かに反応を見せたのはその一枚が指輪を使っても発見出来なかったからだ。後はあたかもカードの山の中からジョーカーを引き当てたように見せ、男の動揺を誘った。
    結果は前述の通りである。
    男から得られた情報を手に、ジークフリートは臨時の取調室として借りた個室を後にした。それを発見したグランが豪奢な廊下の向こうから近寄ってくる。
    「何か分かりましたか?」
    「大当たりだな。そっちは?」
    「さっきの人のイカサマの手口、クリスティーナに報告してきました。いくらか報酬を貰えたのでここからフェードラッヘの往復費用に当ててもまだお釣りが出ますよ」
    天鵞絨製の布袋に入った貨幣を振りしゃりしゃりと音を鳴らして見せグランは満足げに微笑む。
    「抜け目がないな」
    「なんか呆れてます?」
    「いいや、感心したんだ」


    グラン達は息を吐く間もなくフェードラッヘへとんぼ返りし、ランスロットらに得てきた情報を開示した。
    賭博狂いの男曰く、最近の男の金回りの良さは組織から買った麻薬を売り捌いた事が原因であると。麻薬の売買は組織が隠れ蓑にしている娼館で不定期に開く『夜会』でのみ行われ、夜会へ参加するには専用の『会員証』が必要である。
    そして今グラン達が探している組織のボスは、夜会中の極僅かな時間しか人前に姿を見せない。
    幸運にも次の夜会は明日の夜開かれる。これを利用しない手はなかった。
    男から押収した会員証は一人分だけ。誰か一人が夜会に潜入し、ボスと接触しなければならない。
    立ち回りが難しい上にもしこちらの正体に気付かれた場合、死の危険もある。臨時会議室の卓を囲む面子にそれを恐れる者は居なかったが、会員証をもぎ取ってきた男の中で誰が行くかは既に決まっていた。
    「俺が行く。お前達には外からのサポートを頼みたい」
    これまでの流れと男の人となりから、その言葉が出るのは皆予期出来ていた。そして彼が一番適任であろうことも、誰が口にする訳でもなかったが全員の共通認識である。
    「それって、一人で全部やるってことですよね」
    「会員証は一つきりだ。そう何人も入れない」
    「何か他に潜入する方法はないのか。外から出来ること等高が知れている」
    「ないことはないが……全員苦い顔をするだろうから数には入れないでおいたんだが」
    手の中のカード型の会員証を弄びながらジークフリートが呟く。カードを卓の上に置き、揃えた二本の指で押さえるとそのまま中央に滑らせた。
    「一つの会員証で参加が許されるのは、本人とそのペットだけだ」
    つい先程のジークフリートの予言通り、その場の全員が苦い顔で黙り込んだ。
    娼館の入口で会員証を見せると、大柄な体で威圧的な態度を取っていたガードマンらしき男が無言で扉を開けて二人を中へ招き入れた。
    時刻は殆ど夜中だというのに館の内部は昼間のように明るい。エントランスに足を踏み入れると胸元の大きく開いた服の女が会員証を認め水中のようにゆったりとした動きで二人を更に奥まった場所へ先導した。そこかしこから女の甘ったるい声が飛び交い、気まずさと落着かなさから少女は思わず己を抱える男の首元に縋る。
    「大丈夫か、落とさないから耳を塞いでいてもいいぞ」
    「……平気です、ジ……ご主人様こそ重くないですか」
    他の誰にも聞かれないようにと口を耳に寄せて少女にしては少し低い声を相手の鼓膜に流し込むと男が喉の奥で笑ったのが分かった。これ程近いと呼吸音すらはっきり聞き取れる。
    「お前は軽いからな、持ってることを忘れそうだ」
    「さすがにこの高さから落とされると怖いんで忘れないで下さい」
    「冗談だ」
    薄く笑い、男は楽しげに少女の腰まで届く金の髪を指先で梳いた。
    自分よりも幾回りか小さな体を抱き直した拍子にちゃり、と金属同士が擦れて音を出す。
    長い髪と薄い生地のドレスを身に纏った姿は儚げに美しく、更に首元に巻き付く革製の枷は少女が支配される立場の者であることを示している。少女は自身に首輪を着けた本人であろう男に抱きかかえられ、周りの何も視界に入れないように顔を男の首元に埋めていた。
    一つ、二つと扉を潜る度に暗く人気のなくなっていく部屋の果ては広々としたホールだったが、外と遜色ない程薄暗くなっていた。辛うじて足元が見える程度の照明がいくつかあるだけの室内には既に数十人の客が酒や軽食を片手に歓談に興じており、二人の背後で扉が音もなく閉まる。
    「うぅ……腕が痺れてきた」
    「下手に力を入れるからだ、楽にしていろ」
    少女は首に縋る腕に力を込めて、自身の体重が男の負担にならないようにと努めていたが細い腕は長時間自分の体重を支え続けることが出来ず、限界を訴えている。男にしてみれば少女の体重等あってないようなものなのだが少女は渋い顔をする。
    「だって申し訳ないですよ……僕の体重だけならまだしも、」
    「『僕』?」
    つん、と長い髪の一房を指先で引っ張られ少女はむ、と閉口し嫌々ながらといった表情を隠しもせず言い直した。
    「……わたしの。ご主人様絶対面白がってるでしょう」
    「これは役得というのだろうか。お陰で珍しいものが見れた」
    「わたしで遊ぶの止めてください」
    不機嫌に足先をばたつかせていると、数人の人影が二人に近付いてきた。
    先に男が気付き、それに釣られて少女も男の視線の先を追い掛ける。背後に寡黙なボディガード二人を引き連れたその青年は、人好きのする笑みを浮かべて二人に話し掛けてきた。
    「初めまして、で合ってるかな?今日は夜会に来てくれてありがとう」
    この夜会の主催者だと名乗る青年に、二人はそうと気付かれない程静かに瞠目した。こんなに早く目的の人物と接触出来るとは思ってもみなかったのだ。何より意外だったのは、ともすれば国家レベルの規模を誇る裏組織の筆頭が、何処にでもいそうな平凡な青年の姿をしていたことである。
    「まさか、こんなに若い方だったとは」
    「あは、良く言われる。なったのも最近だし、ここ以外に顔出さないからね。がっかりした?」
    砕けた口調も仕草も、街で見かける若者達と何ら変わりはない。豪奢な娼館と青年に奇妙な違和感を感じながら、男は努めて穏やかに首を振った。
    「いいえ、人の上に立つ才があるのなら年齢等些末な問題です。そこに拘る奴に限って愚かで使えない」
    男の言葉に何を感じたのか、青年はにやりと口角を釣り上げ掌を打ち合わせる。
    「分かってるね、おじさん。俺もその通りだと思う。おじさんのこと気に入ったよー。お近づきの印に、一杯驕ってあげる。ねえ、二人分持ってきて」
    背後のボディガードに指先で指示すると、二人のうちの一人が無言で踵を返した。それを見送り、青年はひょいと男の腕の中で黙っている少女の顔を覗き込んだ。
    「この子おじさんのペット?なんで抱えて歩いてんの?邪魔じゃない?」
    緊張が悟られないようにと祈りながら、少女は自身の髪を手繰り寄せて顔を隠す。
    「ああ、以前脱走しましてね。歩けなくしたのです」
    その言葉に、青年の視線が一瞬だけ少女の爪先よりも長いドレスの裾に向けられる。視線はすぐ戻されたが青年が何を思ったのか、僅かな室内灯を受けて仄暗く輝く双眸からは想像出来なかった。
    「ふぅん、いい趣味してんね」
    どれについてのコメントなのか、そして本心なのかただの相槌なのかも分からないトーンでそう呟いたところで先程のボディガードがグラスを二つ持って戻ってくる。ボディガードの手から引っ手繰るようにグラスを受け取った青年は男の少女にそれぞれグラスを手渡した。
    「それ飲めばおじさんも夜会の仲間入り。歓迎するよ」
    「それは光栄ですな」
    華奢なグラスに注がれた液体は薄く色付いており、鼻先を近付けると仄かに甘い匂いが鼻孔を擽る。外側からはただのカクテルにしか見えないが何の警戒心もなく口にするのは軽率に感じた。
    「……どうしたの?酒は嫌い?」
    いつの間にか青年の顔から上機嫌な笑みは消えており、無表情に促された少女はグラスを持ったまま男を見上げる。
    「……ご主人様」
    呼ばれたことを皮切りに、男は短く息を吸ってグラスの中身を一気に煽った。瞬きの間に液体は喉の奥に消え、間髪入れずに少女の手からグラスを奪い取るとそれも同様に口の中に流し込む。唐突な行動に戸惑う隙も与えず少女の顎を掴むと上向かせ口を塞いだ。
    「ん、うっ」
    合わせた口の隙間からカクテルが零れ少女の顎を濡らす。少女は抵抗せずこく、こくと何度かに分けて喉を鳴らして口移しで与えられる液体を飲み込み、口の中がすっかり空になった頃漸く顎を掴んでいた手から解放された。
    「……いつもこうやって与えているものですから」
    少女の顎に伝った名残りを指先で拭ってやりながら何でもないことのように男が述べると、青年はひゅうと口笛を吹く。
    「ごちそうさまでした」
    口の端に笑みを乗せグラスを返却する男を見て何を思ったのか、青年はにんまりと笑みを深めた。
    「口に合ったみたいで何よりだよ」
    青年は男に椅子を勧めると、自分も対面する位置にある椅子にどっかりと腰を下ろしテーブルに踵を乗せる。男も勧められた二人掛けのソファに腰を下ろし自分の膝の上に少女を座らせた。
    話を続ける男と青年を尻目に、少女はその場からぐるりと辺りを見渡した。といっても自分を抱える男の体で殆どが遮られている上に薄暗さが先立ちあまり遠くまでは見渡せないが、輪郭がぼんやりとした照明の影響で黒い影絵のようになった人々が隣に聞こえない程度の声量で話を交わしている。時折照明を遮るのはホール内を歩き回る使用人だけで、彼らは音もなく席の隙間を縫って歩いていた。
    「……?」
    不意にその景色がぐにゃりと歪んだ気がして、少女は緩く頭を振る。何度か瞬きをしても視界の歪みは収まらず、頭を掴んで無理矢理揺らされている気分になる。
    「どうした」
    男が異変に気付き、会話を中断して顔を覗き込んできた。堪らず男に寄り掛かり自分の異変を訴える。
    「頭が、……くらくら、する」
    自分で発した筈の声も何処か遠い場所から聞こえてきて眉を顰めた。
    「その子、具合悪そうだね。個室で休ませようか?」
    「いえ、結構。元より体が丈夫ではないのです。ご心配には及びません」
    青年が指先で呼んだ使用人が少女を引き受けようと腕を伸ばすが、男は頑として少女に触れさせようとはしなかった。
    「大事にしてるんだねぇ。お気に入りなんだ?」
    その様子を見た青年の言葉に、男は恥ずかしげもなく頷いて見せる。
    「ええ、この子を守り育むことが私の生き甲斐の一つです」
    何が琴線に触れたのか豪快に口を開けて笑った青年はテーブルから足を下ろすと勢いをつけて立ち上がった。
    「場所を変えよう。夜会に来たってことは欲しいものがあるんでしょ?本当は常連にしか売らないけど特別だよ」
    静かに目を見開く反応を見て上機嫌に笑う青年の背中に男は黙って追従した。
    ホールに入ってきた扉とはまた別の扉から廊下に出ると人の気配と共に喧騒が遠のき呼吸すら躊躇われる程静かな空間が二人を出迎えた。時間の経過と共に少女の容体は悪化していき、男の腕の中で浅い呼吸を繰り返し、頬は上気して常になく色付いている。
    「辛いか」
    「……平気、です」
    小さな体を抱き直した拍子に金属同士が擦れ合ってしゃり、と音を立てる。廊下を先導する青年の背中と、自分の背後を影のようについてくるボディガード二人へ順番に視線をやり、指先で少女の熱のこもった頬を撫でた。
    「さ、着いた。ここなら誰にも邪魔されない」
    青年は一際奥まった部屋の扉を開け、男を中へ促す。最早躊躇いはなく、男はゆっくりとした足取りで扉を潜った。
    室内は天井から吊り下げられたシャンデリアのお陰で廊下よりも明るく、重厚なテーブルとソファ、壁には絵画が絢爛な額縁の中に飾られている。
    一目で何もかもが一級品だと分かる豪華な部屋だが、窓が一つもなかった。
    「どう、なかなか素敵な部屋だろ?先代もここで殺したんだ」
    扉に寄り掛かった体勢のまま、青年が指先で合図を送ると廊下から複数の武装した男が室内に入り込んできた。剣や斧、それぞれの切っ先が男と少女に向けられる。
    「俺のお得意様にギャンブルが大好きな奴が居てさ、お前らのこと教えてくれたんだ。あの世で会ったらお礼言っといてよ」
    知り合いへの言伝を頼むような気軽さで告げ、青年はひらりと掌を振った。
    「二人とも殺して」
    青年が扉の向こうに消えたことを皮切りに、武器を持った男たちが二人を取り囲みながらじりじりと詰め寄ってきた。
    「あぁ、全て上手くいくとは思っていなかったが……」
    状況にそぐわず溜め息を吐いた男はまだ回復しきれていない少女をソファに優しく下ろし、ドレスの裾の下から足首を握る。
    「グラン、足を」
    促された少女は朦朧としながらも自らドレスの裾を持ちたくし上げ、男の眼前に足を晒した。
    「お好きにどうぞ、ジークフリートさん」
    ドレスの裏地が見えなくなる程所狭しと縫い付けられた武器の内、短剣を鞘から引き抜いたジークフリートは振り返り様背後で棍棒を振り被っていた男からの攻撃を受け止め男の胴体を強く蹴り付けた。勢いよく吹き飛び床を転がった後壁にぶつかって沈黙した男を尻目に、ジークフリートは獣じみた動きで斧を持って突進してきた男の腕を切りつけた。短い悲鳴と共に武器を取り落した男の顔面に容赦なく拳がめり込む。力を無くし崩れ落ちる男の胸ぐらを掴むと動けないグランの方を先に始末しようと近付く別の男に向かって投げ付けた。
    投げられた仲間に巻き込まれる形で転倒した男の顎を爪先で蹴り上げ、白目を剥いて失神した男の手から零れた剣を拾い上げる。
    劣勢を察し援軍を呼ぼうとしてか部屋唯一の扉に向かって走った男に向けて剣を投擲した。
    「ひぃっ」
    鼻先に突き刺さった剣に顔を青くさせ立ち止まる男に近付き、ジークフリートは手短に詰問する。
    「お前のボスは何処へ行った?」
    「い、言うと思うか?」
    「そうだな」
    男を壁に押さえつけると掌を短剣で壁に縫い付けた。部屋中に男の悲鳴が響き渡る。
    「もう一度だけ聞こう。あの男は何処へ行った?」
    短剣の柄に手を添え、ジークフリートは平坦な声で問い掛けた。掌を串刺しにされた男は子供のように泣きじゃくりながら首を振る。
    「言えない、い、言ったらどの道殺される……っ!」
    「では選べ。ここであらゆる苦しみを味わって死ぬか、口を割って報復されるか」
    短剣の柄に掛けられた手がぐっと力を込めた時、その手の甲に小さな手が添えられた。ジークフリートの行動を制限出来る程の強さもなく重ねられた手は微かな力でジークフリートの手を握る。
    「……やり過ぎです、ジークフリートさん」
    体はふら付き、声にも覇気がない。やっとのことで立って歩ける程度には回復したグランがジークフリートの凶行を止めた。
    「殺さないって、約束したでしょう」
    「殺しはしない」
    「壊すのも同じことですからね」
    手の甲を軽く二度叩いて促され、ジークフリートは渋々と言った様子で男の手から短剣を引き抜いた。傷口を塞いでいた凶器が抜け、俄かに溢れ出す血が壁と床を赤く染める。
    堪らずその場に座り込んだ男の前にグランが膝を付き、自身のドレスの裾を帯状に裂いて患部に巻きつけた。
    「これくらいしか出来ないけど……」
    男はぽかんとした表情で手当てされた自分の手とグランの顔を見比べ、小さく声を漏らす。
    「……よし、と。行きましょうジークフリートさん」
    丁寧に端を結び合わせた後、グランは立ち上がって背後のジークフリートを促した。反論なく追従する男を従え本当に部屋を出て行こうとするグランに男は反射的に声を掛けていた。
    「ま、待て!」
    不思議そうな顔で立ち止まるグランに、男は何度か喉を喘がせ怯えて嫌がる本能を抑え付けて言葉を絞り出した。
    「……館の端の、暖炉がある部屋だ。それ以上は、言えない」
    男の言葉を受け、グランはジークフリートと目配せし男に短く礼を告げると廊下を走り去って行く。動く者の居なくなった部屋で痛む掌を覆う布切れを眺め、男は溜め息を吐いて俯いた。


    廊下に人影はなく、二人を行方を阻む者はない。裾の長いドレスが邪魔になり上手く走れないグランを再び抱え、ジークフリートは廊下を疾走する。
    「突き当りの暖炉のある部屋……一体何があるんでしょう」
    「大方外へ続く隠し通路だろう。何処に通じているのかまでは分からんが、空に逃げられると厄介だぞ」
    念の為館の周囲に限らず、主要の通りや港にも仲間を配置してはいるが非正規ルートから潜り込まれると対応しきれない可能性が高い。
    「この部屋か」
    館の端に位置する部屋の扉には鍵が掛かっており、ジークフリートはグランを抱え直すと足で蹴り開けた。致命的な音と共に錠が弾け飛び、形の歪んだ扉が口を開ける。
    中は無人だったがまだ僅かに人が居た気配が残っていた。
    グランを下ろし、ジークフリートはぐるりと首を巡らせ部屋を見渡す。グランも頭を振って眩暈の名残を振り払うと慎重な動作で痕跡を探すジークフリートの背中に話し掛けた。
    「ジークフリートさん、体は大丈夫ですか?」
    振り返った彼の顔は、未知の言語で話し掛けられたような表情をしており質問の意図を図りかねてかぎこちなく首を傾げる。
    「どういう意味だ?」
    「どうって、そのままの意味ですよ。僕を庇ってあのお酒を殆ど飲んでたじゃないですか。僕はほんの一口しか飲んでないのに頭の中ぐらぐらして気持ち悪かったから、ジークフリートさんも辛いんじゃないかって……聞いてますか?」
    明らかに一服盛ってあった酒をジークフリートは口移しで飲ませる振りをして殆どグランに飲ませず自分で飲み干していた。
    グランとしては真面目に心配しているのだ。自分のせいで彼に負う必要のない負担を掛けてしまったのなら申し訳が立たない。
    だというのに当の本人の興味はグランの被ったかつらに向けられていた。ドレスと共に誂えた(そしてそれを用意して貰った女性陣にやたらと弄ばれた)金色の長い髪の先を摘み、しげしげと眺めている。
    「見てくれは可愛らしいが喋ったらいつも通りだなと思ってな」
    「わたしの話ちゃんと聞いてくださいご主人様」
    いくらか棘の含んだ声音で言うとおざなりな謝罪が返ってくる。
    「あの手の薬は効きづらい体質でな。少量なら問題ない」
    その少量の更に一口分で異常を来した身としてはその言葉に何処まで安心していいのか分からなかったが端から見てもジークフリートの様子はいつもと変わらない。無理に健常を装っている風でもなかった。
    「それなら良いんですが、……いや良くはないか…」
    葛藤するグランを尻目に壁に手を当てながら歩き回っていたジークフリートが火の灯っていない暖炉のすぐ傍で立ち止まる。
    「この裏か」
    ノックの要領で壁を叩くと他の壁とは違う反響音が返ってくることを確認し、徐に腰の位置を低く落として拳を握るジークフリートをグランが慌てて止めた。
    「ちょっと待って!隠し通路の見つけ方雑過ぎませんか!」
    「これが一番手っ取り早いだろう」
    「だからって素手で壁壊そうとしないでください」
    いくら密売組織の所持する館と言えど、さすがにそれは良心の呵責がある。グランはジークフリートを下がらせると暖炉の周りを注意深く見渡した。
    暖炉の近くに何かを引きずった跡が残っており、その付近の絨毯には自分達以外の足跡が残っている。
    「……ここかな」
    慎重な手つきで壁の一部を探ると蓋になっていた壁紙が剥がれレバーが出てきた。レバーを引くと暖炉が扉のようにするすると音もなく開き、その向こうから大の男が身を屈めて漸く通れる程度の通路が姿を現す。通路は入ってすぐに下へ続く階段になっており、薄暗い通路の先は良く見えない。僅かに空気の流れが感じられ、通路の何処からか例の酒を彷彿とさせる甘い匂いが漂ってきた。
    「大した手際だ」
    「遺跡とか、盗賊のアジト探索してたらこの手の謎解きは自然と……」
    言いながら躊躇なく通路に足を踏み入れようとしたグランをジークフリートの腕が引き留めた。何故止められたのかが分からずぱちぱちと瞬きをするグランをやんわりと押し退け、ジークフリートはぐっと身を屈めて通路に半身を乗り出す。
    「ここは俺が行こう。グラン、お前は港を張っている者達に報せてくれ。通路の出口で挟撃する」
    ジークフリートの言葉にグランはむっと眉を顰めて首を振った。
    「まさか一人で行くつもりですか?向こうは何人いるか分からないのに、どうしてそんな無茶をするんですか」
    咎める響きすら持った言葉にジークフリートは肩を竦めて見せる。
    「わざわざ逃げた方向に戻る程、奴らも無謀ではないだろうさ。今奴らをこの国から出すわけにはいかない。空路は確実に断たなければ。……頼む、グラン」
    ぎこちのない懇願にグランはあからさまな溜め息を吐いた。それは諦めを表すものであり、言いたいことを飲み込むためのものでもある。
    「……分かりました。でも絶対に、無茶はしないで下さいね。あんまり遅かったら、迎えに行きますからね。約束ですよ」
    今はここで押し問答している時間が惜しい。グランは早口でまくしたてると小指を立ててジークフリートに突き付けた。
    再三呆けた顔をするジークフリートの小指と自分の小指を絡めて約束を交わす。
    「ジークフリートさん、武器は」
    「これだけで十分だ」
    言って腰に差した短剣を撫でた手がグランの頬を包んだ。撫でる、というよりは骨格の形を確かめるような触れ方に戸惑っているとすぐに手は引っ込められる。
    「次は外で会おう」
    「気を付けて」
    「お前もな、グラン」
    するりと通路の闇の中に飲み込まれていく背中を見送り、グランは長すぎるドレスの裾をたくし上げて腰の辺りで結ぶと踵を返して部屋を出た。
    階段を下りた記憶はないが、どうやら今いるフロアは地下にあるようで、先程からどの部屋にも窓がない。人の気配の絶えた廊下を注意深く走り、上へと延びる階段を発見した。
    階段を上がった先はどうやら使用人の使う通路らしく、恐らくこの館の地下で何が行われているのか知らないであろう下働きの者達が右へ左へと忙しなく行き交っている。
    手近な部屋の窓から身を翻らせ降り立った場所は館の裏手だった。正面に比べて装飾も人気もなく、更にグランの前には小高い塀が立ち塞がっている。仲間が張っているとしたらこの塀の向こう側だろう。
    見たところ塀を登る手助けになるようなものは周囲にはない。館の二階からなら飛び移ることも可能だと踏み、グランは館の外壁にある凹凸に手を掛けた。
    ザンクティンゼルにいた頃から木登りは得意な方だった。木よりも多少昇りにくくはあるが不可能ではない。二階のバルコニーから塀の上に飛び移り、辺りを見渡すとランプを足元に置き壁に寄り掛かる男の赤い旋毛が見えた。
    「パーシヴァル!」
    よもや頭上から名前を呼ばれるとは思っていなかったのか組まれた腕が解かれきょろきょろと左右を見渡した後視線がこちらを向く。
    「今そっちに行くからー」
    「は、おい……っ?」
    言ってグランは塀の上からドレスの裾を翻して飛び降りた。反射的にかグランの着地点に走ったパーシヴァルの広げた腕の中へ小さな衝撃と共にグランが落ちてくる。
    「こっの、馬鹿者!下りるならそう言え!」
    「受け止めなくてよかったのに。あれくらいなら自分で下りれるよ」
    高さが倍以上あったのならいざ知らず、この程度の高さなら怪我をする方が難しい。
    騒ぎを聞き付け、近くで張り込んでいたらしいオイゲンが近付いてきた。パーシヴァルが抱えた少女がグランであることに気付き豪快に笑う。
    「何処のお嬢さんかと思ったぜ。もう潜入捜査は終わりかい」
    一先ず地面に下ろしてもらうとオイゲンに頭を撫でられた。いつもの髪を掻き混ぜてぼさぼさにする粗雑な撫で方ではなく髪の流れに沿うような手付きだったのは無意識に『お嬢さん』扱いが出たからか。
    グランが塀の上から落ちてくるに至った経緯を説明すると、オイゲンは信号弾を空に向けて放ち、港に待機している仲間達へ標的がそちらに向かうことを伝えた。
    「そうだ、ほらよグラン」
    今にも港へドレス姿で走り出しそうだったグランにオイゲンが麻袋を投げ渡す。中にはいつもの服とブーツ、剣等の装備一式が入っていてグランはほっと息を吐いた。
    「はああ、ありがとうオイゲンさん、助かったよ……この服動きづらくて」
    薄くて落ち着かない割には隠し持った武器のせいで重たく、長い裾は一歩踏み出すたびに足に纏わりついてくる。容姿の印象を変えるためにと用意された長い髪のかつらのせいで視界も悪かった。
    「これで皆と合流できるね」
    「うわ馬鹿この場で脱ぐ奴があるか!」
    「だははっやっぱり分かってても生着替えはドキッとしちまうなぁ」
    「だったら止めてくれ……!」
    着替えを終え、三人が港に到着すると自警団も集まり厳戒態勢が敷かれていた。しかし標的は姿を見せず、同時にジークフリートからの音沙汰もない。時間の経過を考えれば既に到着していてもおかしくない筈だがそれらしい気配すらなかった。
    「日没後港から船は一隻も出ていない。まだ国内の何処かに居る筈なんだが……」
    港に張っていたランスロット、ヴェインと合流し報告を受けるが彼らもまた標的、そしてジークフリートを確認出来ていない。
    「あの人に限って、万一なんてことはないとは思うけど……」
    それでも絶対等ありえない事はこの場の全員が口にせずとも分かっていた。沈黙するグランの中に、やはり別行動をすべきではなかったと後悔の念が滲む。顔には出さずにいたつもりだったが、ヴェインが頭に手を置いてくしゃくしゃと掻き混ぜてくる。腕を辿って振り返ると言葉ではなくにっと歯を見せる笑顔で励まされ、グランは一先ず後悔の感情を脇に寄せて現状の打開策を考える。
    後悔は全て終わった後にすればいい。
    「ねえランスロット、何処か隠し通路がありそうな場所に心当たりはない?」
    幼少時からこの国に居たランスロットなら何かそれらしい手掛かりでも知らないかと思い問う。彼は難しい顔をして考え込んでいたが、やがて自信はないが、と彼らしくない前置きと共に口を開いた。
    「……居るとしたら、たぶん、ここだ」
    ランスロットは港周辺の仔細が描かれた地図を取り出すと港の裏手に程近い空き地を指した。地図上には何もなく、町の通りからも外れており地元民ではないグランは首を傾げる。
    「この空き地って何?」
    「搬出口……そうか旧坑道か」
    パーシヴァルはそこが何の役割を持った場所なのか思い至ったらしく、納得した素振りを見せる横顔に視線を遣り説明を促す。
    「時間が惜しい、向かいながら説明する。ランスロット、人手と道具の手配を頼む」
    「分かった」
    言うなりさっさと歩き出した背中を慌てて追いかけると、背後でランスロットとヴェインが部下に何かしら指示を出している声が遠ざかっていく。
    グランはパーシヴァルに追いつき損ねて小走りになりつつ、隣を大股に歩く男がいつになく焦っていることに気付いた。
    「あの場所には何があるの?」
    再度問うとパーシヴァルは一瞬だけこちらに視線を向け、すぐに前方に顔を戻す。グランが小走りになっているのを見て、自分が焦っていることに気付いたのだろう。意識してか歩調が若干緩まった。
    「あの場所は地下で掘り出した鉱石をそのまま島の外へ搬出する為のものだ。鉱石を掘る為の坑道の出入り口のすぐそばに作られた」
    「坑道……?フェードラッヘの地下に?」
    「実際に使われていたのは城下町がここまで栄えるより前の事だ、当事者等残っていないし、存在そのものも忘れられつつある」
    かつては幾ばくかの鉱石が採掘された坑道であったが鉱脈も既に枯れ果て使われなくなって久しい。坑道が城下町の真下を走る以上、年に一度業者による騎士団が同行しての地盤の確認作業は漏れなく行うものの普段は出入り口を閉鎖し人の出入りを禁じているからまず人目はない。秘密裏に港へ向かう道として使うのには打って付けであった。
    「ジークフリートもそれには気付いていた筈だ。迷っているとも思えん。可能性があるとすれば、」
    「……まさか、坑道が崩れ、た?」
    確証が得られない推測であるからか、自身が信じたくないからなのか、パーシヴァルはグランの言葉に頷こうとはしなかった。だが同様の可能性を看破していることは疑いようもない。
    「何分古い地下道だ、正直いつ崩れてもおかしくはない」
    何も崩落が起こるのは偶然だけではないのだ、追っ手を振り切る為故意的に坑道内を崩されるかもしれない。その結果単に立ち往生するだけならまだいいが、逃げ場の少ない狭い環境で生き埋めや下敷きになっているとしたら一刻も早い発見が必要だった。
    「……そんな、」
    顔色を青くするグランへ伸ばされかけたパーシヴァルの腕が途中で握り締められ落ちる。
    「急ぐぞ」
    鉱石を運び出す作業場だった場所は、その名残すらなくただの空き地に成り果てていた。人や荷馬車が何度も通ったからか草花の生えない獣道を辿っていくと中が真っ黒に塗り潰された坑道がぽかりと口を開け二人を待ち受けていた。
    古びた木枠の入口には立ち入り禁止を示す札とロープが掛けられ行く手を阻んでいる。ぼろぼろに朽ちた入り口を見ると急に坑道の崩落が現実味を帯びてきて思わずグランは立ち止まって耳を澄ませた。
    夜風の他に何か音がしないか――誰かが走ってくる音や、助けを求める声が聞こえやしないかと――神経を尖らせたが黒一色で一寸先も見えない穴倉から得られる情報はない。
    「誰かが行き来した形跡もないな」
    来るものを拒むと同時に、中から外へ出て行くことも許さないバリケードに手を掛けパーシヴァルが呟く。そうして軽く触れただけでも木枠とロープとが接触している部分がぼろりと脆く崩れ落ちた。人が通る為にロープを引っ張ればどれ程注意深く潜ったとしても痕跡が残るだろう。わざわざロープを掛け直したとも考えにくい。
    グランはそわそわと背後を振り返りランスロットらの姿を探すが、彼らが来るまでただ待ち続けていることが出来ずぐっと一歩前に踏み込んだ。
    「僕、先に入って見てくる。もしかしたらすぐ近くまで来てるのかもしれないし……」
    ロープに触れようとした手首をパーシヴァルが掴んで止める。炎の帝王の名を冠する男の掌は服の上からでも熱い。
    彼の言わんとすることは良く分かっていた。ここで一人先走ったところで事態が好転するかと言えば首を振る他ない。
    「グラン、」
    「分かってるよ、分かってるけど。じっとしてたら嫌なことばかり考えそうなんだ」
    感情と理性が小さな体の中で葛藤を繰り返している。溢れんとするそれらを抑える為か、グランは自分で自分の腕を抱いた。
    夜空に浮かぶ月は既に傾き始めており、野生動物も寝静まった時分空き地には時折温い夜風が吹き抜けるのみで何の音もしない。グランは腰に提げた剣を鞘から僅かに出しては戻しを繰り返して平静を保っていたが、遠くから近付いてくる複数の人の気配にいち早く気付き自分たちが来た道を振り返った。
    ランスロットらは複数人の部下と共に獣道をランプで丸く照らしながら二人と合流した。万が一坑道が崩落していた場合、掘り起こすための人員と道具等は追ってこさせているらしく、取り急ぎ戦闘と機動に優れた部下を選りすぐってきていた。
    グランもランプを受け取るとロープを外して坑道の中の様子を覗き込む。ランプを目線の位置で掲げ持つが不気味な程何も見えなかった。夜風が項を舐めながら坑道の奥へと吸い込まれていく。
    「さ、行こう」
    地図を持った二人の部下に先導を任せ、グラン、パーシヴァル、ランスロットが坑道に足を踏み入れる。ヴェインと残りの部下は遅れて到着する部隊の指示をする為に入り口に残った。
    「皆気を付けて」
    ヴェインの言葉を背中で聞きながら、グラン達は慎重に旧坑道内へ足を踏み入れた。


    内部は想像以上に狭く、二人で並んで歩くのが精一杯だった。天井が低く圧迫感がある為か、それとも本当に空気が薄いのか呼吸がし辛く息苦しい。
    緩やかなカーブが幾度も繰り返される道は見通しが悪く、目の前に敵が潜んでいても気付くのは難しいだろう。
    奥へと進むに連れ道が狭まっているように感じるのは気のせいだろうか。足音が反響し前からも後ろからも聞こえる気がする。
    光源を確保する道具の一つもなく、この空洞を一人で走る心地等想像したくもなかった。
    「……あ、道が分かれています」
    暫く歩くと一行の前に二本の分かれ道が現れた。どちらも全く同じに見えるが、朽ちかけた看板が左を第一坑道、右を第二坑道と定めている。
    「町の中心部に続いているのはどちらだ?」
    ランスロットの問いに地図を持った兵士が答える。
    「えー……、第二坑道のようですね。しかしここから先、更に道の分岐が増えてくるので迷わない手立てを考えなければ」
    「軽装では厳しいかもしれないな。限界まで進んでみよう。それ以上は部隊の到着を待つしか……」
    そこまで言い掛けたランスロットがふと頤を上げた。どうしたのかと問い掛けようとしたパーシヴァルとグランも遅れてそれに気付く。
    「なんだ、この匂い」
    淀んだ埃と土の匂いの中に混ざる微かな異臭。香を思わせる甘い匂いを嗅ぎ、グランが声を漏らした。
    「あの匂いだ」
    館で飲まされた淡い色の飲み物を思い出す。あれを彷彿とさせる匂いが第二坑道の方から漂ってきていた。
    一行は顔を見合わせ、慎重に前進する。進むごとに匂いは濃くなり、グランの隣でパーシヴァルが無言のまま眉間に皺を寄せた。
    「ぅわっ」
    先頭を歩いていた兵士が何かに躓き体勢を崩す。それとほぼ同時にもう片方の兵士の鎧にぽたりと水滴が落ちてきた。
    何に躓いたのかと照らしたそれが、何の気なしに水滴の落ちてきた天井を見上げた先が、赤い色に染まっていて二人は同時に悲鳴を上げた。
    「どうしたっ!」
    ランスロットが二人が釘付けになっているものを視認して短く呻いた。
    「うっ……!?」
    ランプの光が照らす先には、斑に赤く染まった地面と、明らかに人のものだと分かる腕が落ちていた。何かを掴もうとしている最中に切り落とされたのか、開かれた指がこちらを向いて助けを求めているように見える。
    その腕の持ち主の血だろうか、天井も一面真っ赤に塗り替えられており時折ぽたりと赤い水滴が落ちては地面に丸い円を作っていた。
    その光景を見て初めて、強烈な甘い匂いの中に血臭が混ざっていることに気付き、その場の全員が二の句が継げず絶句する。
    「だ、団長……」
    「お前達は下がっていろ、退路を頼んだぞ」
    完全に怖気づいた部下を下がらせ、ランスロットが先頭に立つ。双剣の柄に手を掛けたままじりじりと前進した。この先に敵が居るのなら、先程の悲鳴で此方の存在には気付かれているだろう。あの惨状を生み出したものがこの先に居る。
    グランはこれ以上血と甘露の混ざった匂いを嗅ぐまいと袖を引き上げて口に押し当てながらランスロットの背中に追従した。ランプを腰のベルトに括り付け空いた手で剣の柄を握る為に視線を下へ向けた時、ランプが照らす地面に血溜まりの中から何かを引き摺って行った形跡がある事に気付く。視線で血の道をなぞって行くとその先は進行方向の曲がり角の向こうに消えていた。
    「人を引き摺っていってる……」
    吐息と同じ大きさで吐き出された呟きも張り詰めた空気を震わせるには十分でより緊張が高まる。無言のまま剣を鞘から抜いたランスロットに目配せされ、パーシヴァルも剣を抜いた。
    「お前は下がっていろ」
    パーシヴァルが後に続こうとしたグランの前に腕を出し行く手を遮る。咄嗟に拒否しようとしたが体に触れるパーシヴァルの手に坑道の入り口で触れられた時のような温度が感じられないことに気付き、開きかけた口を閉ざし黙って引き下がった。
    「……気をつけて、二人とも」
    ランスロットとパーシヴァルは息を合わせ、同時に曲がり角から飛び出しその先に居るであろう標的に剣先を向ける。
    「っ……!?」
    ランスロットの横顔が驚愕に歪む。その隣でパーシヴァルが剣を真っ直ぐに構えたまま片手で自身の鼻を押さえて眉を顰めた。曲がった先に何を見たのかじり、と慎重に歩を進める二人の後ろにグランも続く。角を一つ曲がっただけだというのにグランの鼻腔にも容赦なく強烈な匂いが襲い掛かってきた。半分呼吸を止めた状態でランプが照らす通路の先に目を凝らす。不規則に揺れる光源に照らされたそれが、始めのうちグランには何かが分からなかった。
    通路の先に割れたランプの残骸が見える。飛び散ったオイルに引火した炎がぬらぬらと地面を舐め、その炎が照らす通路の全貌は半分以上が赤黒く染まっていた。地面も壁も天井も関係なくべったりとした血液で覆われた場所に蹲る人影がある。人影の正体が敵なのか味方なのか、否それ以前に生きているのかどうかグランが判別しきる前に人影がゆっくりと此方を振り返った。
    「あぁ…まだ、残党が残っていた、か……」
    何処か茫洋とした呟きが聞き慣れた声音で聞こえてくる。人影が立ち上がると濡れた音が響き、何の上に蹲っていたのかがその場の全員の前に晒された。
    「……!!」
    床一面に広がっている物体の正体を理解することを本能的に拒否したくなる。それでも思考はある種冷静に視界に入れたものを分析し、それが元は人であった事実を突きつけてきた。
    原型も分からない程細切れになった赤い肉塊の中にかつての人の面影を認識した瞬間グランの全身がぞっと冷え切り、神経を直接掴まれたような衝撃が襲う。背後でそれを見てしまった兵士が最早声もなく嘔吐していたが誰もそれを責められはしなかった。グランも体を動かせる余裕があったのならきっと同じことをする。
    前方の二人も言葉と戦意を失い呆然としていたが、やたらと左右に体を揺らしながら一歩此方に近付いてきた男にパーシヴァルがいち早く自我を取り戻し低く吠えた。
    「ジークフリートォッ!!」
    自らの雄叫びで竦んでいた体を無理矢理呼び覚まし、短剣のみを手に襲い掛かってきたジークフリートに応戦する。鼓膜を破らんばかりの衝撃音と共に短剣と炎をまとった剣が打ち合った。その音で漸く手足が自由に動くようになったグランは血と甘い香の匂いの混ざった空気を吸い込み声を張り上げる。
    「ジークフリートさん!」
    絶えずパーシヴァルと切り結びながら、虚ろな目のジークフリートはグランの声に反応を見せた。
    「? グラ、ん、か……?」
    迷子の子供が、漸く母の顔を人ごみの中から見出した時の声音だった。その声から僅かにでも平時の彼の片鱗を見付け、グランは必死に男の名を呼んだ。
    「そうです、グランです!ジークフリートさん、約束通りあなたを迎えに来たんです!帰りましょう……!」
    「そうか、そうだな……帰らなければ、俺は…、? 約束を、かえる、ために……標的を、」
    呟く言葉に一貫性はなく、奇跡的にグランの言葉が届いたとは言え正しく理解しているかは分からない。グランの声には反応したがパーシヴァルを当人であると認識しないのだ、混乱の最中にありながら未だ凄まじい力で持ってパーシヴァルの剣を圧倒している。
    狭い場所で背にグラン達を庇いながらでは本来の力を発揮することができず、パーシヴァルに反撃へ転じる余地はなかった。じりじりと後退を始め、下手に手を出せず見守る他ないランスロットに向かって声を張り上げる。
    「ランスロット、援軍を呼べ!俺だけでは手に負えな」
    喋ったことが決定的な隙を生んだのか、それとも援軍を呼ばれると厄介と判断したのか、パーシヴァルを一際重い打撃が襲い堪らず体勢を崩した。前に構えた剣が大きく後方に跳ね除けられがら空きになったパーシヴァルの胸元をジークフリートが無造作に掴み上げる。
    「邪魔をするな……俺の、かえる、場所を」
    鎧を着込んだ男を片腕で眉一つ動かすことなく持ち上げた後、鞠でも投げるように壁へ叩き付けた。
    「ぐぁ……っ!」
    「パーシヴァル!」
    坑道全体が鳴動する程の衝撃で石壁に背中から衝突したパーシヴァルの掌から剣が滑り落ち持ち主から少し離れた場所にカラカラと転がる。咄嗟に駆け寄ろうとしたランスロットを視線だけで止め、空気が全て出て行った肺で無理矢理声を絞り出した。
    「構うな、行け!」
    叩き付けられた衝撃で掠れた声で強く命じられたランスロットの瞳が揺れる。ランスロットが答えを出すより早く、その脇をすり抜ける小さな影があった。
    「グラン?!止せ!」
    伸ばされたランスロットの手は少年の背に僅かに届かず、グランはパーシヴァルに止めを刺そうと近寄るジークフリートの前に剣も抜かず殆ど丸腰で躍り出た。
    グランの姿を見てもジークフリートの目は焦点を結ばず、新たな障害物に然程興味を抱いている様子はない。しかし一応は立ち止まり、少し首を左に傾げ小さな闖入者を見下ろした。
    グランは一度だけ大きく深く息を吸い込み吐き出して勝手に震えようとする声を押さえ込む。
    「ジークフリートさん」
    力の篭っていなかった目尻がひくりと反応を示した。ぼんやりと何処も見ていなかった双眸が像を結んでいく。
    グランはジークフリートに向かって両腕を差し出した。
    「貴方の帰る場所はこっちだよ」
    静かで穏やかな、いつも通りの声音が血に染まった通路の中に響く。その幼い声はいっそこの異様を絵に描く坑道内には不釣合いで不気味にすら感じるが、ジークフリートにとってはそうではなかったらしい。
    「グ、ラ……ン」
    がらんと短剣が力を失った指の間から落ち、地面を転がる。その切っ先は血脂でべっとりと汚れ、最早刃物として使い物にはなっていなかった。短剣をずっと握っていた手に限らず、顔にも服にも返り血が伝っていたがそれを間近で認識している筈のグランは微動だにしない。夢遊病者に似た足取りで近付いてくる男の冷たい手を受け止め、寄り掛かることを許す意を込めて優しく引き寄せる。
    「少し疲れたでしょう」
    男の重みに少しよろけはしたが倒れることはなく、両腕を目一杯伸ばしても回りきらない背中をぽんぽんと叩いた。
    「だから、今は休みましょう」
    グランの位置からジークフリートの肩越しに剣を逆手に振り被ったランスロットの姿が見えていた。
    無防備に晒された後頭部を剣の柄で殴打され、声もなく昏倒する。力を失った男の体を支え切れず後ろへ傾いだグランを立ち直ったパーシヴァルが支えた。
    「全く無茶をする……」
    「パーシヴァル、怪我は平気?」
    パーシヴァルはランスロットと二人がかりでジークフリートを血で汚れていない場所まで運び出しながら、鬱陶しそうに大したことはないと首を振る。
    「それよりも危険なのは貴様の思考回路の方だ、何故飛び出してきた。自殺行為だぞ」
    「大丈夫だったでしょ」
    「結果論だろうが」
    「グラン、余り危険なことはしないでくれ。俺も肝が冷えた」
    眉間に深く皺を刻んだパーシヴァルだけでなく、ランスロットからも苦言を呈されグランは言い訳を一先ず喉の奥に飲み込んだ。自分でも流石に無謀だったと自覚はしているが、仲間であるジークフリートに対して「危険な存在だ」という認識はしたくなかったのだ。かといってパーシヴァルが止めを刺される様をただ見ていることも出来なかった。
    殺したければ殺せばいいと全く思っていなかったと言えば嘘になる。同時に簡単に死んでやるつもりも毛頭なかったわけだが。それを言えばパーシヴァルの眉間の皺が空の底より深いものになるであろうことは簡単に予想できたし、そんな彼に正座で懇々と説教を食らうのは避けたい事態であった。
    一先ず血の気配のない地面に麻布を敷き、その上に寝かされた長い体躯にもう滴る程の恐怖を感じることはない。その傍らに膝を付き、漸く眠った男が起きてしまわないよう力なく投げ出された手を弱く握った。
    「艇に帰ろう、ジークフリートさん」
    恐らく彼が故郷と定めるのは後にも先にもこの国だけであろう。だが意識のない筈のジークフリートの手は縋るように少年の手を握り返したのだった。
    ジークフリートが目を覚ました時、事態は既に終息を迎えつつあった。彼が踏んだ通り、大きな集団を取りまとめるボスが居なくなった途端、組織はいくつもの派閥に分裂した。更に組織がのさばることを快く思っていなかった外部の同業者達の手も加わり、数日と経たずに組織としての体裁は砂上の楼閣さながらに崩れた。幾ばくか残った組織の構成員達を、現在フェードラッヘの自警団と騎士団が総出で掃討しているのだと、大人しくベッドの上で養生しているジークフリートを見舞いに来たグランから伝え聞く。
    組織壊滅に携わった者として忙しい身空であろうに毎日欠かさず自分の元へ顔を出すこの少年は、ジークフリートが丸一日眠り続けた末に目を覚ました際にも傍に控えており、別の者に事情を聞けば彼はジークフリートが眠り続けている間片時も離れることがなかったようだ。どうやらこんな事態になったのは自分の責であると思っているらしく他の仲間にどう諭されようと納得しなかったという。ジークフリートが無事目を覚ましてからは贖罪の意識も多少は和らいだのか昼夜問わずベッドの脇の椅子の上に陣取る時間は少なくなった。
    ――というのが周囲から見た自分とグランの関係の一般的な見解だろう。
    間違ってはいない。グランが罪悪感を持ってジークフリートの看病を買って出たのは事実の一部である。
    だが団長という役職にある彼が、自分の罪悪感のみを理由にその他の業務を全て放棄する筈がないのだ。同世代の子供とは一線を引いているものの、まだ幼い部分が散見されるグラン当人のみの独断ならばその可能性も否定出来ないが、彼の周囲には冷静な意見を述べることが出来る大人がいる。彼らが黙認していたと言うことはつまり、それが最優先事項であるということだろう。
    有り体に言うのなら、グランはジークフリートのストッパー役だ。
    ジークフリートにあの隠し通路を下った後の記憶はない。白く靄がかった記憶で唯一残っているのは此方に向かって差し伸べられた小さな手だけである。
    念入りに洗われた指先にこびりついていた血の臭いで、記憶の空白の間に自分が何をしたのかは何となく予想がついていた。時間の経過で体内に取り込まれた薬が抜けているとはいえ、また何かの拍子に記憶が抜け落ちるかも知れない。その場合に必要なのは歯止めを失ったジークフリートを圧倒する武力等ではなく、グランの両腕だということだ。
    ジークフリートが成したことはその場に居合わせた者以外には隠蔽されたのだろう。グランが『標的が数人の護衛と共に地下の隠し通路を使って逃亡中、誤ってばらまいてしまった麻薬を吸い込んだ結果殺人衝動に駆られ殺し合い、自分達が追い付く頃には全員が死亡していた』という嘘を吐く理由等それくらいしか思いつかない。それを提案したのはグラン本人ではないのだろうが、それに納得した様子を見るに共にその場に居合わせたらしいパーシヴァルかランスロットの発案なのかもしれない。
    その二人はグランが居ない間に一度だけ顔を見せに来た。彼らはジークフリートが記憶はなくとも自分のしでかしたことへの自覚があることを早々に察したようで変に嘘を吐くことはなかったが、高慢な態度はそのままに呆れからくる溜め息を吐いたパーシヴァルはジークフリートの容態を心配するでなく苦々しげに「グランの無茶がお前に似てきて困っている」と苦情を述べた。
    ランスロットは終始複雑そうな表情で黙っていたが退室間際になって一際深刻な表情で謝罪してきた。
    「……貴方を殴って、気絶させたのは俺です」
    一体どんな大罪を懺悔されるのかと思えば拍子抜けする内容で、ジークフリートは首を傾げた。殊更謝罪が必要なこととも思えない。
    「何故謝る。そうしなければお前達の身に危険が及んだ。それは正しい選択だろう」
    当人からそう諭されてもランスロットの中では上手く清算し切らない出来事だったようで表情は晴れなかった。
    「分からないんです。あの時、それが最善だと判断したからそうしたのか、貴方を止める為に動いたのか、それとも、グランが危険だと思ったから阻止したのか……」
    どうやら候補として挙げられるそれらの理由が一つでなければ生真面目なこの男は納得できないらしい。
    「ジークフリートさん?」
    心配そうな声に自分が意識を彼方へ投げ遣っていたことに気付いた。呼ばれた方へ顔を向けると書類の束から視線を上げた榛色の瞳が此方を伺っている。
    「ぼんやりしてましたけど、大丈夫ですか?」
    「何もしないというのも存外難しくてな、このままでは体が錆びてしまいそうだ」
    掌を開閉させながら冗談めかして言うとグランも僅かに表情を綻ばせた。
    「大事を取って明日まで様子見ですから、もう少しだけ我慢してください」
    そう言って宥める少年の膝とベッドの隣にある脇机の上には書類が散らばっている。現在グランが手にしている分も含めればそれなりの量があった。
    今日中にその全てに目を通すつもりなのか、書類の文面を辿る表情は眉間に皺が寄っている。
    「そんな顔をしていると、どちらに休養が必要か分からないな」
    ジークフリートの言葉に訝しげな顔をしたグランは、何度か脳内で言葉を転がして思い至ったらしく自分の眉間を指先で伸ばす。
    「眉間に皺寄ってましたか?」
    「ああ少しな。パーシヴァル程じゃない」
    「あの人のは、空域よりも深いから」
    そう言って今のは内緒ですよ、と口の前に指を立てる手を取ってまじまじと観察する。グランはされるがままで文句を言うでもなくもう片方の手で読み終わった書類を机に避けていた。
    「小さいな。それに細い」
    「ジークフリートさんのと比べないでくださいよ。もう少し大きければ剣も握りやすいんでしょうけど、身長と同じで鍛えたら大きくなるものでもないですしね」
    何度も折れては癒着を繰り返したジークフリートの少し歪な手指とは全く別の器官にも見えるグランの手の平は柔らかく温かい。曖昧な記憶の中、グランの手の感触だけがやけに残っているのは自分のものより体温の高い手が優しかったからかもしれない。
    力加減を間違えれば枯れ枝よりも呆気なく折れてしまいそうな手を握る。ジークフリートの意図は汲めないながらも、グランも倣って此方の手を握り返してきた。そのささやかな握力を感じた時、ジークフリートの腑に一つ欲が落ちてくる。
    「(この手が欲しい)」
    何にでも惜しみなく差し出される手は拒むことも見放すこともきっと知らない。優しすぎる手だ、その内縋られた手に引き摺り込まれてしまうに違いない。
    愚直に感じる程の素直さと、人の淀んだ部分を知らない無垢さを哀れだと思う。同時に精神的な潔白さが男の中の庇護欲を誘った。
    「ジークフリートさん?」
    手を握ってじっと思考に沈むジークフリートを覗き込む双眸を見返し、緩く握った手を此方側へ引いてジークフリートは嘆願した。
    「なあグラン。いつかお前が死んだ時、お前の手を俺にくれないか」
    丸い透明度の高い瞳が僅かに見開かれ数度瞬く。突拍子のない願いを口にした男の真意を推し量ろうとしてか、答えはすぐには返ってこなかった。
    怯えられてしまうだろうかとジークフリートは急かすでもなく返答を待ちながら思う。縁起でもないことを言わないでください、手だけ持って行かれたら困ります、そんな冗談として流してしまえる苦笑交じりの予測の言葉はしかし、酷く静かな笑みに覆された。
    「いいですよ。僕が死んだら、この手はジークフリートさんに差し上げます。綺麗な手でもないですけど、欲しいのなら持って行ってください」
    書類を持っていた方の手で自分の手首をぐるりと触ったのは、そこから先を明け渡すという意味だろうか。自分で言い出した事ながらまさか二つ返事で承諾されるとは露程にも思っていなかった為、戸惑いの表情のまま少年を見返した。
    グランは明日の夕飯の話でもしているような表情で小指を立て此方に差し出してきた。館の中でも交わしたその儀式を、ジークフリートはぎこちなく模倣する。
    「ああ約束だ」
    いつか自分のものになる小さな手の小指と絡め合わせて誓いを立てる。
    約束が果たされる時、自分は得るものが手だけで満たされるのか。手だけでなく全てが欲しいと言った時、グランはどんな表情をするのだろう。
    また呆気なく頷いてジークフリートに全てを明け渡すのか。
    「……いや、矢張り死んでからというのは惜しいな」
    神妙な顔で呟いたジークフリートは、絡まった指を解いて掌全体を握り込む。
    「たまにでいい。こうして手を握ってくれないか。存外落ち着くようだ」
    この子供を欲しがって伸ばされる手は恐らく後を絶たず増え続ける。そして彼がそれらの手を拒むことはない。拒む術すら知らないのだ。ならば逃げるしか道はあるまい。この小さな手を引いて他の誰も知らない土地へ。誰もこの手に縋れない場所まで。
    「なんだそんなこと。いいですよ、ジークフリートさんが望むなら」

    さて何処へ攫ってやろうか。
    亮佑 Link Message Mute
    2022/08/14 17:11:45

    ゆびきり

    pixivからの移設です。
    #グラブル #ジクグラ

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