ずっと前から好きでした。 目を覚ますと、そこに広がっていたのは鬱蒼と生い茂る木々に埋め尽くされた空――ではなく。黄ばんだ見知らぬ天井だった。
瞬きをひとつ。困惑に落とす。
どこだ、ここ。そう心の中で問いかけたところで、答えなど得られるはずもなければ、応えてくれそうな気配すらも見当たらない。
いったいなにが、どうなってるというのだろう。
見上げた天井も。身を預けた埃っぽい寝台も。どれもかれも、自分には覚えにないものだ。
それどころか、硬い床で寝起きする自分にとって、雨風をしのぐ壁も天井に、柔らかく身を包む寝具ですら。どれもかれも縁遠いもので。
――オレ、いったいどうしたんだっけ。
いまだ寝起きの頭のままわずかに身じろげば、ズキンと四肢が痛みが走った。
おかげでひとつ。最後の記憶が線を結ぶ。あぁ、そうだ。散々な目にあったのだ。
妙なイチャモンをつけられて、殴られて。ひとがそうそう立ち寄らない森の中に捨て置かれて。もう死ぬんじゃないかと思った。
「あーそっか、ここ……天国か」
呟いて、すとんと腑に落ちる。
よくよく考えれば、柔らかな寝床。暖かな部屋の中。そのどれもかれも自分には無縁で、同時に夢へ想い描き、願い乞うてきたものばかりだ。
きっと、不憫に思った神様が用意してくれたんだろう。
もう固い地面で眠る必要はないのだと。もう寒さに凍える心配をしなくともよいのだと。
不思議と死んでしまったことに悔いはなかった。
事切れる間際。ああも生きたいと思っていたはずなのに。こうして憂いなくまどろめるのなら。もうあんな目にあわなくて済むのなら、もっとはやくここにきてしまえばよかったとすら思う。
そうしたら、きっと。こんな風に四肢の痛みも味わわずに済んだというのに――
「って、おかしいだろーーいッ! ッつぅ~~~~ッッ」
声を張り上げ、半身を跳ね起こす。瞬間、全身に走る痛みはどう考えたって『現実』を知らしめる。
痛い。痛い。心臓が強く胸を打ち、息を乱す。じんわりと額に滲む汗を擦り付けるように身体を折れば、丁寧に巻かれた包帯が滲んだ視界にぼんやりと浮かびあがった。
誰かが、治療を施してくれたのだ。
それはもちろん。カミサマであるはずもない。
なら、いったい誰が。あんなボロ雑巾のような自分を連れ帰り、なんの目的でこんなことをしてくれたのか。
「ああ、起きたのか」
「――っ!」
巡らせた思考の端で、低い声が響いた。
どこか聞き覚えのあるその声に肩を跳ねさせ、顔を跳ね起こす。かと思えば、視界に飛び込んできたのは低音とはまるで無縁の愛らしい少女の姿で。大きく見開いた双眸が困惑に揺れた。
無意識に足がシーツを蹴り、後ずさる。トンっとすぐに壁に触れた背中に冷たい何かが伝う。軽やかにベッドへ乗り上げた少女は、まるで人形のように愛らしいいでたちをしているのに、どうにも得体のしれない『なにか』を相手にしているようだ。琥珀色の双眸は、文字通り石をはめ込んだみたいに透き通り、陶磁の肌には日焼けのひとつも見られない。
ふたり分の重みに、スプリングが悲鳴を上げる。
それをものともせず、ドレスの裾をふわりと膨らませこちらへにじり寄る少女は、どことなく楽しげだ。
「怪我人をビビらせるな」
「あら、失礼しちゃうわ。怪我の具合をみようとしただけよ」
先に聞いた声に、鈴を鳴らした可憐な声が答える。
それが、首根っこを掴まれた少女のくちびるから零れたことにひとしれず胸を撫でおろしながら、乱雑に少女をさらった影の主を見止めて、ヒュッと喉が引き攣った音を上げた。
貴方のほうがビビらせているんじゃないかしら。お前が馬鹿な距離の詰め方した所為だろうが。なんて、仲がいいのか。悪いのか。気やすいやり取りが耳を右から左へ流れていく。
いったいここはどこなんだ、とか。
どうしてこんなところに自分は居るんだ、とか。
自分を拾ってどうするつもりだ、とか。
問いたいことは山ほどあったはずなのに、見上げた先。部屋の中だというのに黒いサングラス越しに、鋭い眼差しと視線が絡む。また一度、喉が小さな悲鳴を上げた。
いまのいままで感じていたはずの痛みが、どうにも他人事のように思える。
身じろぎ、壁に触れた背を離した。影を追いかけ前へ手をつけば、どうしてか男の方が一歩後ずさろうとする。それを腕を伸ばし、止めて。ついでにもう片方の手も重ねた。
「っ!! ファンです!!」
朗々と響かせ、告げる。
肋骨が多少なりとも悲鳴を上げたような気はするけれど。そんなものは、お構いなしだ。そんなことよりも、いま。眼前に『彼』がいる。もう二度と見ることは叶わないだろう、と。そう思っていた『彼』が、ここに。
こんな偶然が――否、運命がどこにあるだろうか。
ツキがまわってきた。いままでの不幸はすべて、今日のためにあったのだと、今、この瞬間本気でそう思えた。
「は?」
「あら、熱烈」
ずれたサングラスの下から、怪訝に顰められた眸が覗く。くすくすと楽しげな少女の声がどこか場違いに響いて。小脇を小突く華奢なその腕に、深々とした男のため息だけが重々しく零れた。