ココナッツにご用心モアナは一部の村の者を引き連れて、新たな島の巨大な洞窟の目の前に来ていた。
「……む、村長」
モアナが緊急時の合図について村の者と話している途中、一人の村人が困惑したような声で彼女に声をかけてきた。
「どうしたの?」
モアナが振り向くと、村人の足元にヘイヘイの姿があった。
「ヘイヘイ!?」
どうやらヘイヘイが村からついてきていたらしい。
「どうしますか?」
一人の村人にヘイヘイを任せて村に戻すという手もある。しかし、村と洞窟はかなりの距離がある。それに洞窟は早く調査したい。未踏であったこの島を早く調査し、一度居を構えるか、撤退するか決める必要がある。そのためにも人手を減らしたくない。
「仕方ないわ。連れて行きましょう」
モアナは足元のヘイヘイを見やる。それにしても、ヘイヘイがここまで来る体力があることに驚きだ。モアナは火をつけた松明を村人から受け取り洞窟の出入口へと踏み出した。
洞窟の中ではひどい湿気が執拗に肌を撫でてくる。ときおり、天井からの雫が落ちる音も聞こえる。松明の火が消えないことを祈るばかりだ。
洞窟を探索する中、モアナは奥の方に光り物が落ちていることに気がついた。彼女は目を細め、光り物のある方向へと歩く。彼女はヘイヘイのお尻を軽く突いて足取りを少し誘導させる。彼女は屈んでその光り物を拾い上げた。それは金色に光る装飾品だった。しかし、さっきは青白く光っているように見えた気がした。見間違えたのだろうか。
「村長!」
村人たちの大声と逃げるような足音が聞こえると同時に、彼女は後ろから何かに掴まれて宙に舞い上がった。松明が振り落とされ、足元にいたヘイヘイからどんどん距離が離れていく。
モアナは何度も足を激しく動かして服を掴んできた何かから離れようとした。しかし、その抵抗も虚しく彼女はさらに上へと浮いていき、自分の服を掴んできた者と対面した。その巨大な双眸は左右で異なる色をしている。彼女はピンクとブルーの目を見て顔を引きつらせた。
「こんなとこで会うなんてな」
声の主はタマトアだった。暗がりにいるため、あの目に痛いピンクとブルーの模様、甲羅の光り物の青白い輝きが浮かび上がっている。
「ど、どうしてここに……」
なぜ彼がこの島にいるのか。自分は悪夢でも見ているのだろうか。顔を蒼ざめるモアナにタマトアは上機嫌に答えた。
「この奥がラロタイに繋がってるんだ」
彼によるとマウイが閉じ込められていた期間にこの洞窟に穴を掘ったという。そのためマウイでさえ、この出入口の存在は知らない。
タマトアは彼女の持っていた装飾品のほうに視線、もとい眼球そのものを向けた。
「拾ったのか」
彼のもう片方の鋏がモアナに近づく。気づけば、モアナの拾い上げた光り物も青白く輝いていた。彼女は恐る恐る、彼の巨大な鋏のトゲに光り物の鎖を引っ掛けた。タマトアは彼女から受け取った光り物を甲羅の上に戻した。
「ありがとよ。あとここに来た理由だが、テ・フィティの心を飲み込んで力を手に入れた鳥の噂を聞いてな。しかもこの島にいるとか」
タマトアは白く光る歯を見せてニヤつく。モアナの頭の中にカカモラに捕まったときのヘイヘイの姿が鮮明に浮かんだ。
「ヘイヘイにそんな力はないわ!」
「ヘイヘイ……その鳥の名前か?」
するとタマトアの足元にヘイヘイが歩いてきた。自分の失言と鶏の現れたタイミングの悪さに彼女の焦りが募る。
「来ちゃダメ!」
モアナは掴まれた状態のまま、下にいるヘイヘイに呼びかけた。だがヘイヘイは彼女の呼びかけをものともせずタマトアの方へと近づいていく。タマトアはモアナが呼びかけたほうへ振り向いて、ヘイヘイに焦点を合わせる。しまった。モアナは両手を口に当てた。
「こいつか」
タマトアは鋏を下げてモアナを落っことし、ヘイヘイを持ち上げた。
「思ったよりやせっぽちだが、まぁいい」
タマトアは目を何度も動かしてヘイヘイを注視する。
モアナは地面に落とされた痛みに堪えつつ、ゆっくり顔を上げた。モアナは自分の目を疑った。彼女の目の前にヘイヘイがいる。今はタマトアの鋏で摘まれているはずだ。
モアナはもう一度、彼の鋏を見た。彼の鋏には変わらずヘイヘイが摘み上げられている。よく見ると摘まれているヘイヘイは、体が大きく目の焦点が合っている。突然のことに困惑しつつも、モアナは目の前にいた小さな鶏を抱えて後ずさりした。
「心そのものには劣るだろうが、これでオレにも力が……」
タマトアは口を開けて摘んでいるヘイヘイを口に入れようとした。鋏に摘まれたヘイヘイがモアナに向けてウインクした。彼女がそのウインクに目を丸くした瞬間、青白い光が一閃する。タマトアは暗がりの中の閃光で反射的に目をきつく閉じる。光が消えてタマトアが目を開くと、彼の鋏には足を挟まれていた鶏ではなく鋏を腕で掴むマウイの姿があった。
「げぇっ!マウイ!」
「ようカニタマ」
タマトアの狼狽える表情とは対照的に、マウイは歯を見せて笑う。
「俺と鶏を見間違えるなんてな。目が悪くなったか?」
「ちっ」
タマトアの視線がマウイからモアナに移る。モアナは立ち上がってヘイヘイをかばうように抱えて後退する。
「本物はいるようだし、まとめて食ってやる」
マウイはタマトアの頬を釣り針で突いて親指で洞窟の出入口を示した。
「悪いが来客は他にもいるぞ」
マウイの言葉に合わせるかのように洞窟の出入口から大量のカカモラが押し寄せてきた。
「目的のやつは甲羅の上にいるぞ!」
マウイは押しかけてくるカカモラに向かって大声で叫んだ。彼らはタマトアに臆することなく甲羅の上へと登り出した。
タマトアは甲羅の上に登るカカモラの対処に追われる。そのどさくさでヘイヘイを抱えたモアナ、マウイは洞窟の出入口へと走り出した。
洞窟の出入口付近にいたカカモラたちが警告するように鎧を叩き始めた。
マウイは走りながら鷹に姿を変える。
「乗れ!」
マウイの指示を聞いてモアナは彼の背に飛び乗る。出入口のカカモラたちが挟むように突進してきた。マウイは地面に翼がすれそうな低さで滑空してカカモラをギリギリまで引きつける。風向きに乗れるように風を操ると、彼は一気に上昇してカカモラのタックルをかわした。モアナは後ろを振り向く。彼らが互いに衝突し弾け飛ぶように倒れていく姿を見送った。2人とヘイヘイは洞窟から脱出した。
洞窟を抜け出して少し離れた場所で着地すると、マウイは元の姿に戻った。
「あ、ありがとう」
モアナはヘイヘイを撫でながらマウイに礼を言った。
「ユアウェルカム」
彼女の礼にマウイはお決まりの文句で返した。
「でも、どうしてここに?」
モアナの質問にマウイが答え始める。彼曰くカカモラの海賊船がこの島に向かってるのを見て後を追いかけたらしい。近頃、この島にはモアナたちとカカモラの商人の船しか来ていなかった。マウイは彼女たちが彼らとの交易を始めたことを知っていた。だからこそ海賊船がこの島の方向へ向かっていたことに警戒したという。
上陸しようとしたカカモラに追跡を気づかれ襲われる中、村人が洞窟から逃げる姿を目撃した。村人の「村長が巨大な蟹の怪物に連れ去られた」という話が聞こえ、マウイは不毛な戦闘より交渉を持ち込むことにした。
カカモラとやり取りした結果、彼らの目的はこの島に来ている「テ・フィティの心を飲み込んだ鳥」だった。そこで、「その鳥は洞窟にいる」と言って彼らを洞窟までけしかけたという。
「ヘイヘイを渡そうとしたの!?」
モアナはヘイヘイをきつく抱き締めた。彼女がきつく抱き締めたことでヘイヘイの目玉が飛び出そうになっている。
「まさか」
マウイは肩をすくめた。
「本物がいるのは想定外だった。こいつは俺より一枚上手みたいだな」
モアナは力が抜けた。それにより目玉が戻ったヘイヘイを見てマウイは苦笑した。
力が抜けると同時に、モアナの頭の中に新たな疑問が浮かぶ。
「でもヘイヘイがこの島にいることが彼らに伝わってたのはどうしてかしら」
「最近、カカモラの商人と交易を始めただろ?」
「うん」
マウイが彼らに聞いた結果、一部の商人が海賊とつるんでいたらしい。そこから商人と海賊の間でヘイヘイの情報交換が行われていた。幸いにも商人の彼らの規則は厳格で、海賊とつるんでいた一部の商人は罰せられて仕事を剥奪されたという。商人との情報網が絶たれたことで海賊たちはかなり焦っていたようだ。
「交易も慎重にな。気になることがあったら相談してくれ」
マウイはモアナに忠告した。
「そうね。あと、ここを出る準備をしないと」
祖母の語っていた蟹の怪物が出たことで、今頃村では大騒ぎになっているだろう。戻ったら撤退する準備を始めなくては。モアナはマウイに村の近くまで送ってもらい、彼と別れた。
彼女は村へ戻る途中、ふとあることを思い出していた。最初にサンゴ礁を乗り越えようとしたときには確かに怪我をした。しかし、ラロタイに飛び込んだ時は崖に何度か体を打ち付けても無傷だった。勿論痛みはあったものの、傷やアザのようなものは見当たらない。今日だってタマトアに高い所から落とされたが、見たところ無傷だった。母なる島の力が自分にも影響し始めたのではないかという不安が彼女に押し寄せる。もしかするとヘイヘイにも。
「まさかね?」
モアナはヘイヘイを見つめる。ヘイヘイは首を傾げて短く鳴いた。
「ちっ……しぶといな」
洞窟の中。タマトアは苛つきながら、摘み上げたカカモラから光り物を回収していく。あまりに単調な作業で彼の苛つきは募るばかりだった。
かなり長い時間戦っていたが、さすがに目当てのものに逃げられたと気付くと海賊も戦闘をやめた。彼らは近頃海上戦が多かったために久々の長時間の陸上戦での疲労困憊で、倒れたカカモラで埋め尽くされていた。しかし海賊の執念たるや凄まじく、倒れてもなお彼らは光り物を離す気配を見せない。
今日は厄日だ。テ・フィティの心の力を手に入れた鳥を食べる機会をマウイに邪魔された。そのうえ、この島のルートを知られて逃げられた以上、この島から人間どもが逃げていく可能性は高い。
しかし、自分がこの千年間にどれだけ行動範囲を広げたかあの二人はまだ知らない。またあの人間が自分が利用する抜け道の島に訪れる可能性も十分にあった。あとは、海上でのルートが把握できれば……。タマトアは何か策を練ろうと考えながら歩き回るカカモラの船長に目の焦点を合わせた。
「そうだ」
タマトアは光り物を離そうとしないカカモラを鋏から離して落とした。代わりにカカモラの船長を摘むと、宙に舞い上げて鋏へ載せた。船長は尻餅をついたが、即座に胡座の体勢になった。
「あの鳥について今後は情報共有しないか?」
船長はココナッツの鎧を叩いて疑問を投げかける音を鳴らした。
「オレはマウイを誘き寄せたい。鳥はそっちにくれてやる」
タマトアは彼らに鶏をやる気は一切なかった。おそらく船長もそれは見越しているだろう。
少し間が空くと船長は立ち上がり、鎧を叩く。その音は了解の印のリズムだった。
「よし……今夜オレの寝ぐらに来い。今後どうするか話し合おう」
タマトアは歪んだ笑みを浮かべながら船長に詳細を話し始めた。