ショッキングピンクサンフランソウキョウ工科大学では例年、オープンキャンパスという一大イベントを終えると学生たちには緩んだ空気が漂う。だが今年は少しピリピリした雰囲気が抜けない。なにせ自分たちの大学が、都市を騒がせる脅威的な集団に襲撃されたのだ。そのうえ同時期に起きた奇妙な天文現象の真偽不明の噂について討論し合う者もいた。
この大学内でサンフランソウキョウの平和を守るヒーローたちが在学していることを知る者は一握りだ。ましてや彼らが例の天文現象の顛末を知っていることも学生たちで知る者はほぼいないだろう。
「そういえば」
大学の共用ラボにてビッグヒーロー・シックスのブレインであるヒロが携帯電話から顔を上げた。その画面には彼のおばであるキャスとのメッセージの履歴が映っている。
「みんな今日は空いてる?キャスおばさんが新メニュー試食会やるんだけど」
試食会という大学生にとって魅惑的な言葉。その誘いにワサビとゴーゴーはもちろん、ミニマックスの審判のもと卓球ロボと対決していたフレッドもガッツポーズで快諾した。フレッドがガッツポーズをした瞬間、卓球ロボにスコアが入ってしまったが。
「あ、ごめん。あたし用があって……」
ハニーレモンが巨大なカバンに荷物を詰めながら眉を下げた。
「美術学校の課題?」
ヒロが尋ねた。ハニーレモンは何度も瞬きしながら考え込む表情を見せる。
「んー……まぁそんなとこ、かな?じゃあね!」
ハニーレモンは荷物を詰め終え、ひきつり笑いを浮かべてラボから去っていった。
「嘘が下手だね」
ゴーゴーが眉間にしわを寄せて呟いた。
「嘘を話そうとすると瞬きの数が多くなる傾向があります」
ベイマックスが自身の白いボディに『嘘をついているときの表情例』を投影しながら解説した。
「ゴーゴー、何か聞いてる?」
ヒロは好奇心でハニーレモンの行き先をゴーゴーに質問した。
「さあね。用があるってことだけ」
ゴーゴーが腕組みしながら肩をすくめた。
「尾行なら断るぞ。ムイラハラの一件で懲りたろ?さて、これで完璧」
ワサビが自分専用の備品の位置を事細かに直した。ワサビの『ムイラハラ』の言葉に反応したのか、フレッドは卓球ロボから離れてヒロに神妙な視線を向けた。そしてフレッドに続く形でミニマックスも卓球台から跳び下り、小さい足でスピーディーに移動してきた。
「残念だがヒロ、おれも付き合えそうにない。試食という素晴らしい未来がおれたちを待っ……」
フレッドが仰々しくポーズを決めようとした瞬間、ワサビの備品置き場に腕がぶつかり備品の位置がズレた。
「フレッド!」
ワサビが裏返った声で叫んだ。
「あー、悪かった……明日にするのは?」
「賛成」
フレッドの提案にゴーゴーが珍しく同意した。どうやら『試食会に早く行きたい』という点で二人の息が合ったようだ。
「いいわけないだろ!」
ワサビは頭を抱えた。
「心配無用!このミニマックスが寸分違わぬよう整えてみせよう!!」
フレッドのフォローをすべくミニマックスが高らかに宣言した。
「流石に今日はしないって。誘った側だよ?」
ヒロは三人と一体に聞こえていないことを理解しつつ独り言をこぼす。賑やかな三人とミニマックスを横目に、ヒロは携帯電話に映ったキャスのアイコンをタップした。
「あ、キャスおばさん?返信遅くなってごめん」
ヒロはキャスに参加人数について伝えた。もちろんハニーレモンの用事については気になってはいた。だがオープンキャンパスの遅刻や大災害未遂でキャスおばさんに対しての罪悪感のほうが今回は勝っていた。またいつ敵が襲撃するかわからない。モモカセやヌードルバーガー坊やだって行方知れずのままだ。トリーナはどうしただろう。頭も体も。逃げたところでエネルギーが必要なはずだ。それに、ネバーだって都市壊滅が嫌で今回だけ協力しただけに思えた。『今じゃ正義の味方』と言っていたが保証できるものではない。対立の覚悟をしても損はないはずだ。特に盗みに関しては。ヒロは電話中も考えを巡らせた。
『オッケー!任せ……モチだめ!!』
携帯電話からキャスの声が遠のき、金属音が轟く。ヒロは耳に響く音に思わず携帯電話から顔を遠ざけた。
『ふう、どうにかお皿と新メニューは守れたわ。毛深い小悪魔の肉球からね。あと欠席した子にもなにか作るわね。明日その子に届けてもらってもいい?』
どうやらモチがイタズラしたようだ。調理器具がダイナミックに落ちたのだろうか。
「わかった。なるべく早く向かうよ」
ヒロは口元に笑みを浮かべ、キャスとの電話を切った。
「ヒロ」
ベイマックスがヒロに近づいた。
「ストレスを感じているように見えます」
「え?さっきの音に腰を抜かしただけだよ」
ヒロは息をするようにしらばっくれた。
「『腰を抜かす』……腰骨や腰に位置する内臓が外れた様子は見受けられません」
ベイマックスは軽く首を傾げつつ瞬きをした。
「もののたとえだよ」
こういうときはもののたとえをしてベイマックスに別の話題をさせるのが一番だ。愛くるしく頼れる相棒は二回瞬きをする。ヒロはベイマックスが新たにもののたとえを理解しようとする姿に安心感を覚えた。ベイマックスのボディにオバケのチップが挿入されていた時の無機質な音声を思い出すたびヒロの心臓は握り潰されるようだった。
「ハグはいかがですか?」
ベイマックスがヒロの顔を覗き込む。おそらく彼から新たなストレス兆候を感知したのだろう。マシュマロのような相棒はハグのために両腕を広げた。
「ありがとう」
ヒロはベイマックスの温かなボディを抱きしめた。
「よし、よし」
ベイマックスは目を閉じてヒロの頭を撫でる。そのときヒロの頭に一瞬痛みが走った。
「いたっ」
「静電気を感知しました。今週で三回目です」
ヒロはベイマックスの分析に思わず顔を綻ばせた。最近のモチがベイマックスに撫でられるのを嫌がっていることを思い出したのだ。
「静電気対策が必要だね。みんな準備できてるかな?」
ヒロはベイマックスから賑やかな三人とミニマックスへと視線を移した。
「ワサビのストレスレベルが上昇しています」
「キャスおばさんの新メニュー食べたらストレスレベルも下がるって」
ヒロはベイマックスにそう返した。実際に敵の襲撃が来たときに改めて考えよう。 いまはモチの再襲撃までに自宅に戻るのが先決だ。
だがヒロは考えが及んでいなかった。もちろんメンバーそれぞれに専門分野がありピンチを打破する力がある。それでも全員が全員ヒロのように敵に疑心を抱き続けるわけではないことを。
ハニーレモンはサンフランソウキョウ大学を出て人通りの少ない廃工場に訪れていた。
「よう、背のでっかい子。元気?」
近隣の建築物の排水口から声がする。声を聞いてハニーレモンが振り向く。するとドロリと目と口のついたスライムが現れ、人に近い形を形成し始めた。その正体は件のサンフランソウキョウ大学襲撃者の一人……ではあるのだがオバケから離反してビッグヒーロー・シックスの協力者になったネバーだ。ハニーレモンは共通の知人である極悪カール経由でネバーと約束を取り付けていたのだ。
「……そんなにでっかくない」
ハニーレモンは不機嫌そうに言った。普段前向きな彼女だがカルミのファンフィクションのヒーロー名やネバーからの呼び方には再検討してほしいと思っていた。
「おれを強化してくれるんだって?」
ハニーレモンの気分とは反対に、ネバーは上機嫌そうに話した。
「そう、あなたには無限の可能性があるし」
ハニーレモンは気を取り直した。そう、無限の可能性があることには違いなかった。
「そのためには、まず分析が必要だと思って」
この言葉にも偽りはなかった。だが彼女の目的はネバーの言葉と違っていた。
「ここか?」
ネバーは工場を見上げた。門には鍵がかかっている。
「そう!実験するにはちょうどいいと思う。準備もばっちり」
ハニーレモンは足場を作るべくカバンからケミバッグを取り出そうとした。
「いやこっちの方が早い、失礼」
ネバーの腕がハニーレモンを取り込むように掴む。もう片方の手を伸ばして窓のあたりにひっついた。彼が勢いよくジャンプすると一瞬で上階にたどり着いた。
「なるほどね」
ハニーレモンは軽く服をはたいた。見たところネバネバはついてなさそうだ。戦闘時には街に残っていることが多いので不思議なものだ。ネバーには謎が多い。壊れたケミバッグとクレイの神経トランスミッターから偶発的に体質が変わってしまった。以前観たニュースの映像ではクレイがネバーの頭部にあった神経トランスミッターを外そうとしていた。だが現在のネバーは液状に姿を変えられる。もはや神経トランスミッターも原型をとどめていないと言っていい。もしかするとケミバッグのかけらも何かしら変化しているのではないか。ハニーレモンはネバーが戦闘のたびに『人間』からかけ離れているのではないかということを懸念していた。
「“協力者がいると助かる”ってオバケといるときに学んだからな。調べてもらったし」
ネバーは手から二本ほど指を生やしてダブルクォーテーションのポーズをしてみせた。ハニーレモンは彼の発言に思わず眉をひそめた。オバケはどこまで調べたのだろうか。もしかするとネバーが強くなっていったのはオバケの介入もあったのかもしれない。
「気難しい顔だな。やっぱおれの強化は難しいかな」
ネバーがハニーレモンの顔を注視した。
「そっそんなことないよ!あなたは津波を食い止めた!」
「……」
ネバーが黙り込んだ。疑われているだろうか。ハニーレモンの焦りが募る。ここにベイマックスがいたら『心拍数が上昇しています』と解析されてしまうことだろう。できることならネバーの感情のほうを解析してもらいたいがスライムに近くなってしまった人間の表情は解析できるかは怪しいところだ。少し時間を置いてネバーが口を開いた。
「知ってるだろ?あれが引き伸ばせる限度だったんだ。運だったんじゃないかって」
その言葉の調子を聞いてハニーレモンは安堵の息を吐いた。どうやらバレていないようだ。ネバーは特に気にかける様子なく自分の腕で簡単な船をつくりあげた。
「船がぶつかったときはもうダメかと思っ……ぐぇ!」
船の素材を忠実に再現したらしく、重くなった腕に追うように彼の体も地面に叩きつけられた。幸いにもそのスライムの飛散はわずかなものであった。ハニーレモンはネバーに近づいて覗き込んだ。
「そんなことない。ヒロから聞いてる。敵だと厄介だったけど味方になると勇敢で頼もしいって」
「ほんとに?ヒロが?」
ネバーは疑わしげにハニーレモンを見つめた。
「えっと……半分嘘」
ハニーレモンは口角を不自然に上げた。
「だと思った」
ネバーは腕の組成を戻したが、代わりに少し体の形を崩して横になり続けた。
「実は、その、他にも嘘ついてた。あなたを強化させるのが目的じゃなかった」
ハニーレモンの気まずそうな告白に対し、ネバーの言葉はあっけらかんとしていた。
「まぁ、そうだよな。敵同士だったし。でも……」
「もともと人間だったし、どこへ行くのも目立つと思う。だから……あなたを人間に戻すために分析しようと思った」
普段はハキハキと喋るハニーレモンの声が少しくぐもって聞こえる。
「わかる。あと、この体はコントロールできないと不便だからな」
ネバーが続けて返した。ハニーレモンは目を伏せた。
「でもカバンを盗んだことがきっかけでチョコがいつでも食べられたり街を守れる体にまでなった。戻りたいときが来たら相談する」
「……いまは相談したい?」
ネバーは返事の代わりに腕を変成させてチョコレートを作った。ハニーレモンは少し肩の荷が降りたように感じた。
「食べるか?」
「味は気になってた。でも……」
「ドレッドヘアのやつが見たら嫌がるとは思う」
「そうね、聞いただけで気絶するかも」
衛生面はよくわからない。それにカカオ不使用で本物のチョコレートとは言えないだろう。ケミバッグのかけらが入っててもおかしくない。少し肩の荷がおりたとはいえ罪悪感から逃れるのは難しいものであった。罪悪感がこの怪しげなチョコレートへと駆り立てているのかもしれない。
「食べてみる」
ハニーレモンの言葉を聞き、ネバーは張り切って体からチョコレートを分離させようとした。しかし分離させる前に彼女がチョコレートをひとかじりした。慎重に咀嚼したがケミバッグのかけらと思わせるものはないように感じた。味も既製品のチョコレートと同じに思える。ネバーが自分の様子を凝視していることに気づいて彼女は我に返った。
「あっごめん」
ハニーレモンは申し訳なさそうに目を逸らした。恥ずかしさからか頬から耳、そして首まで赤く染まる。
「不味かったら吐き出していいんだぞ?」
ネバーは不安げに念を押した。
「ううん、美味しかった。でも口つけたところだけとるね。食べ過ぎたらネバーが減っちゃうし」
ハニーレモンはネバーの顔を見ずにお礼を言ってチョコレートを割ろうとした。だが、さっきまでしっかりとしたブロック状であったチョコレートは柔らかくなっており「割る」というより「もぎ取る」に近かった。
「この前ヒロが脱獄するまでのことをみんなに話してくれた。これは本当。そのときあなたのこと改めて『勇敢で味方になると頼もしい』って思った」
ハニーレモンはチョコレートを一口入れた。
「それにいままで試行錯誤して強くなってきた。恐竜になったときはどうしようかと思った」
ハニーレモンはネバーに向き直った。
「だから、防波堤をつくれるまでになったのは運だけじゃない。ネバーの努力だと思……えっと……」
ハニーレモンの歯切れのいい言葉が途切れる。気がつくとネバーは人型からスライム状に形を崩していた。不思議なことにある箇所に鮮やかなピンクのシミができている。
「具合悪い?」
ハニーレモンはスライムを覗き込んだ。それには目や口が見当たらず、ケミバッグから生成した通常のスライムと大差がないように思える。こういうときベイマックスならどうするだろう。既存の生物からかけ離れつつある場合でも彼はケアロボットの使命を遂行してみせるのだろうか。
「いや」
口の代わりにネバーの体がぐにゃりと波打った。彼の顔のパーツの所在がよくわからなくなっている。ハニーレモンはしきりに彼の顔の位置を確認しようとしたが見つけられない。目を瞑っているのか顔のパーツそのものを消したのか。さっき返事をしたなら口を少しでも開けたはずだが位置がはっきりとしない。そうこうしている間にもピンクのシミが少しずつ広がり続ける。いったい彼の体に何が起きているのか。
「でも、こことか色が……」
ハニーレモンの人差し指と中指がピンク色の箇所を撫でていき中心部のわずかな溝に軽く触れた。その途端にスライムの体が目が痛くなるようなピンク色に染まった。そして崩れた形が渦を巻いて人型のスライムに戻った。
「うわ」
ネバーは強烈なピンクに染まった自分の全身に怪訝な表情を見せた。触った者は皮膚がただれそうな毒々しさを感じる。
「廃工場って聞いてたけど、なにか薬品が床に落ちてたのかな」
ハニーレモンは床を見回した。
「えっと、害はないと思うぞ」
ネバーの体からピンクが引いていき、元の体色へと戻っていく。彼は手で口元を押さえている。
「神経なんとかが一瞬不調になったんだ、たぶん。もう戻ってきてるし」
ネバーの声が少し上ずっている。
「神経トランスミッター……」
ハニーレモンはそう呟くと持ってきたカバンから実験に使う手袋を取り出した。
「なにするんだ?」
「頭の部分触ってもいい?まだピンク色の箇所が残ってるから」
ハニーレモンは手袋をはめて話を続ける。
「あなたの言った通り神経トランスミッターに異変が生じてるのかも。液体の体になれるってことはトランスミッターの形はなくなってるはず……」
「実は液体だけじゃなく炎の姿にも……えっ?待ってくれ、もう元に戻……」
ハニーレモンの言葉でネバーは自分の体を見回した。見回す限りピンク色の部分は残っている様子はない。
「まだ顔が」
「えっ!?」
ハニーレモンの一言でネバーの頬に残っていたピンク色の箇所が再び広がった
「……というか首まで」
彼女が言い換えたのを見てネバーは今にでも顔から火が出そうだった。もののたとえではなく。
「ああもう」
自分の体に関して新たな課題が出現したことにネバーはうなだれた。
「“協力者がいると助かる”なら喜んで協力するから」
ハニーレモンはすらりと伸びた指でピースサインをつくりダブルクォーテーションのポーズをしてみせた。
「原因を突き止めましょう。長期戦になるかもしれないけど」
明るく頭脳明晰な彼女は自分の人差し指と中指が元サンフランソウキョウ工科大学襲撃者の口に触れたことにすぐ気づくだろうか。
「ありがたいけど解決できんのかなぁ」
ネバーは腕を組んで首を傾げた。ハニーレモンと会う機会が増えるのは喜ばしいことだ。その反面、原因を突き止められたら自分の体質も彼女との関係も悪化するだけに思えた。
翌朝。ラッキーキャットカフェは開店直前だ。今日は休日だが大学のみんなで少々遠方の美術館に行く約束をしていた。朝早くからヒロは寝ぼけ眼のなかベイマックスとともに出発準備を整え、一階に降りた。
「はい、新メニューのお菓子!ちゃんと友達に渡してね!」
キャスがヒロにお菓子が入った袋を渡した。
「お菓子、ちゃんと三人ぶん入ってる?」
キャスの言葉を聞いてヒロはお菓子の入っている袋の中身を確認した。
「うん、三つ入ってる」
ヒロはキャスにハグをしたのちドアに手をかけようとした。
「いいの、材料余らせちゃうのもね。今度その新しい二人も連れてきてね。ヒロの友達ってことでコーヒーの無料おかわりできるって伝えといて」
「うーん、お菓子とモチに興味あるってだけで友達とまでは……」
ヒロは作り笑いを見せた。
「そう?何にせよヒロが交友関係を広げてで嬉しいわ。いってらっしゃい」
キャスは微笑みながらヒロとベイマックスを見送った。
「……敵に塩を送るって感じ」
ヒロは人通りの少ない道を歩きながらベイマックスに声をかけた。
「贈るのはお菓子ですよ、ヒロ」
ベイマックスは袋の中身をスキャンした。
「そうだね……」
ヒロは眠気のあまり訂正する気力もなかった。
「ヒロ」
「ん?」
ベイマックスが見上げた。ヒロたちの頭上からカメレオンが虫を仕留めるような音が何度も聞こえてくる。
「あー、来た……」
その音はヒロの言葉に反応するように止まった。
「ひどい言いようだな」
音の主はヒロたちの頭上から文句を言った。
「ごめん、ネバー。聞こえてた?」
「そりゃもう」
ネバーは着地してヒロとベイマックスに向き合った。
「はい、これ」
ヒロは紙袋から個別包装されたお菓子を二つ取り出してネバーに手渡した。
「ああ、どうも。どうも……?」
ネバーは不可解そうにしながらも体の中にお菓子をしまい込むように取り込んだ。
「ええ……?」
ヒロは眉をひそめた。
「何だよ」
「いや、その……『連れてくとややこしい』って言っちゃってさ。なんか引っかかってた」
いままで敵とチームでやりとりする機会が多かったせいか一対一で距離感がよく掴めなかった。ただヒロは敵味方とは別に自分の言ったことに引っかかりが残っていた。
「まぁ、時間はなかったし」
ネバーは大げさに肩をすくめた。
「みんな災害のドタバタで気が滅入ってるんじゃないか?昨日は工場で……」
「え?昨日?」
ヒロは不審げに眉をつりあげた。
「なんでもない」
ネバーは口元を引きつらせているように見えた。
「本当に?」
「ヒロ、あと二分で待ち合わせ時間になります」
ベイマックスがアラーム画面を見せた。
「そうだった。えっと、極悪カールによろしく。それ伝言のお礼ってことでひとつ渡しといて」
「つれないな、世界を救った仲なのに。じゃあなー」
「お気をつけて」
ヒロはネバーの声に反応して手を振るベイマックスを引っ張って大通りに戻った。背後の粘着音が頭上に聞こえ遠ざかっていく。あの立ち去り方だと目立ちそうだが大丈夫なのだろうか。
「ねえベイマックス。ネバーのこと信用していいと思う?」
ラッキーキャットカフェ付近の大通りまで戻るとヒロはベイマックスに質問した。
「いまのところ彼に関する通報や要請はありませんね」
「あー、うん。まぁアレから数日しか経ってないけど」
すると街角で車が停まり人影が降りてきた。ワサビとフレッドだ。フレッドはミニマックスを抱えている。
「ようヒロ。寝不足か?」
ワサビがヒロとハイタッチした。
「みんなも……でひょ?ひひょふふぁいで……」
ヒロはあくびしながらフレッドとともに車に乗り込んだ。抱えられていたミニマックスは膝にちょこんと座り込んだ。
「何言ってるかさっぱりだぞ、ヒロ。待った!当てるからな!はっ!『試食会で』だな!」
「友よ!目的地に向かうまで睡眠をとることを勧める!」
フレッドとミニマックスはいつもと変わらない調子だ。
「おはよう」
助手席にいたゴーゴーが振り返った。どうやら改造の際に追加した車のリモコンの動作確認をしていたらしい。こちらも眠そうな様子はない。
「おふぁようヒロ」
後部座席にいたハニーレモンがあくびまじりにヒロに挨拶した。
「おはよう。あ、そうそう昨日の新メニューのお菓子」
「ありがとね。わぁ可愛い!名前つけちゃお」
「それは懲りたでしょ?」
ゴーゴーがハニーレモンに言った。
「乗り物酔いの一因に寝不足が挙げられることがあります」
ベイマックスがドアの外から乗り物酔いについて解説した。するとヒロはあることを思い出した。
「あっしまった、ベイマックスのケース……」
ワサビの車ではベイマックスが入らない。そのことを思い出してヒロはラッキーキャットカフェへと戻った。