イラストを魅せる。護る。究極のイラストSNS。

GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

  • 1 / 1
    しおり
    1 / 1
    しおり
    初恋は渇望とともに エンカントを生み出したアルマ・マドリガルには三つ子がいる。この子供たちはエンカントと共に生まれた不思議な家から魔法を授かった。そのうちの一人ブルーノは未来を見る力を貰い受ける。彼は連日で自分の部屋でとある人物の未来視を試みていた。その人物とはメガネをかけ、短めの巻き毛に左右非対称の細かな刺繍を施した服の若い女性だ。と言っても街の人や家族に頼まれたわけではない。予知の結果を映し出す緑色の板、ビジョンを複数生み出す練習だ。すぐに街の人や家族から相談に応じることができるように。その練習を数日続けていたら、その女性のビジョンが映し出されたのだ。エンカントでは見たことない姿の女性だった。
     マドリガル家はエンカントに多大な影響力を持ち、街の人と交流する機会はたくさんある。そんな家に生まれたはずのブルーノもこの女性とは面識がなかった。彼女はどんな人だろう。様々な人のビジョンを見てきたけれど、こんなに好奇心を駆り立てられるのは初めてだった。短い巻き毛、大きな瞳、しっかりとした眉、少し高めの鼻、丸みのある顔や体の輪郭。自分に欠けているパズルがピタリとハマるような特別な瞬間だった。その姿を見たり思い出すたびに心臓が素早く脈打った。しかし次第に渇望は広がっていく。この人に実際に会ってみたい。名前や住んでいる場所はわからないだろうか。ビジョンが緑色のために服、髪、肌の色がはっきりしないのももどかしかった。何か手がかりがないかとビジョンを見つめているとスカートの腰の辺りに何か書いてあるように見えた。目を凝らしたり角度を変えるうちにアルファベットで"Mirabel"と。
    「この人の名前かな?」
     素敵な響きに思えた。でも、それが本名とも限らない。ビジョン自体が視認性に欠けるもので見間違いかもしれない。
    「ミラベル……」
     ブルーノは刺繍の綴りをぼそりと呟いた。だんだん頬が火照ってくる。もしかしたら違うかもしれないのに。自分の顔を手で扇いだ。そういえばエンカントの住人に『ミラベル』という名前はいなかったはず。もっと手がかりが欲しい。彼女のことで頭がいっぱいで眠れず砂遊びを始めた。彼女の顔を描いてみる。何度も描いては消してを繰り返す。ビジョンと並べてみた。途端にブルーノの顔が険しくなる。全く違う。ビジョンのほうがかわいいように思った。そして実物はもっとかわいいのだと思う。子供たちと話している場面もある。もしかしたら誰か知っている人と話していたりしないだろうか。後ろ姿や横顔が映るが知り合いがいるか判断するのは難しかった。そのうえ彼女に関するビジョンがうまく映らない日もある。未来視は自分に都合のいい情報を見せてくれるわけではない。あともう一枚を作って……。
    「あっ……えっ!?ダ、ダメ!!これは見ちゃダメ!!!」
     時にブルーノの想定を上回る刺激の強いビジョンが生成されることもあった。名前と思しき手がかりに気づいた直後でも舞い上がる気持ちだったというのに。これは流石に罪悪感と衝撃で心臓が破裂するところだった。人探しに不要な情報だ。それどころかこんなビジョンを誰かに見られたら大騒ぎになる。こればかりは粉々にして崖に落とした。大丈夫。バレない。わかっているのに頭に焼き付いて離れない。呼吸が荒くなり全身に血が巡って意識が朦朧とする。本人に会った時に意識してしまったらおしまいだ。早く忘れよう。

     翌日。
    「今度はもう少し皆に見せられそうなのがいいな……」
     ブルーノは昨日のことで不眠になっていた。エンカントの人たちに見せて尋ねて情報を集めようと考えた。おまじないや体を伸ばして息を何度も整えて挑む。エンカントで自分の知っている人が彼女と共に映れば聞く人を絞れるのではないか。彼はそんなことを考えながらビジョンを生成した。
    「えっ?」
     ビジョンには例の女性がマドリガル家の食事の準備をしている姿が映し出されていた。しかも彼女は微笑みながらブルーノの名前が綴られた皿を食卓に置いている。
    「僕のお皿?」
     ブルーノは目を丸くした。
    「でもなんでこの人が僕の家の食事の準備して……」
     彼はしばらく考えて、ある考えに行き着いた。
    「僕この人と一緒に暮らすの!?」
     ブルーノの心に戸惑いが押し寄せる。でも、それ以上に幸せが上回った。脳裏に浮かぶのは自室の扉絵のように成長した自分の姿と彼女が一緒にいる姿だ。彼女とエンカントのすべてを周っておしゃべりしたい。あの人がピンチの時はすぐ駆けつけて助けてみせる。ただ扉絵の自分は怖い顔をしているから、もう少し優しげな感じであってほしい。でも彼女はブルーノの皿を準備しながら優しい微笑みを浮かべている。大丈夫だろう。今の自分だって笑顔になれるのだから。ブルーノの顔が緩む。まだ見ぬ彼女だが自分の家族とも仲良くなれると信じた。ペパは雹や雪を降らせるために自分で練習している話やフリエッタのごはんは本当に最高なことも話したい。住んでいる場所や彼女の家族のことがわかりさえすれば今からでも会いに行って話がしたかった。
    「でもなんでこの子以外、誰も映ってないんだろう。今の僕は手伝いたいのに」
     ブルーノはビジョンにいない自分に対して不満を抱く。いつ会えるのだろう。ビジョンの先にいる彼女をそっと撫でる。ふとビジョンの風景に複数の人間が描かれている絵があることに気づいた。
    「あれ?」
     よく見ると数人ほど見覚えがある。若くして亡くなった父親ペドロだ。写真とよく似ている。ペパとフリエッタの部屋の扉絵に似た女性二人の姿も見える。
    「これ家族の絵?」
     ペドロの隣には年老いた女性が見える。髪型は違うが、服装は母親のアルマと似ている。ブルーノは不安になってきた。このビジョンは想像以上に時間が経過しているものではないかと。当たらないでほしい。そう願った。だがペパもフリエッタも結婚して子供がいるようだ。自分は誰とも結婚してないらしい。そして。
    「あっ……」
     フリエッタの下に彼女──ミラベルがいた。ブルーノの呼吸が浅くなり血の気がひいていく。予感が当たってしまった。こんなところでギフトなしに当てたくなかった。冷水を浴びせられたような感覚だ。ペパとフリエッタは結婚して子供が数人いる。自分の直下や横に知らない人物は描かれていない。この頃の自分はミラベルをどう思っているのか怖くなった。
    「どうしよう」
     ブルーノは何度も寝返りを打った。
    「……」
     ビジョンの小山が眩しく光を放つ。今までだったら気にならなかった。むしろ寝る前に眺めるのが楽しみだった。特にミラベルのビジョンが。しかし今では自分のやってきたことに寒気がしてくる。自分を責め立てたくなる。悲しみや不安に満ちた表情は一気に険しい顔に変化した。
    「──っ!!」
     ブルーノはその光が腹立たしくなってビジョンを壁に叩きつけた。何度も。何度も。しかし破片の山と化したほとんどのビジョンを見て我に返る。あの人が生まれるのは何年も先でせっかくの手がかりをたくさん割ってしまった。でも自分とミラベルは結ばれそうにない。諦めたい。忘れてしまいたい。何度も予知なんてしなければよかった。そう思うほどに涙が止まらなくなるし後悔が増す。しかも破片になったビジョンは片付ける手間が増えるだけだった。せめて崖に捨てればマシだったかもしれないのに。

     さらに翌日。
    「あっブ……大丈夫?」
     朝食の準備をしているフリエッタが朝一番に見たのは、まぶたが真っ赤に腫れているブルーノの姿だった。
    「大丈夫……」
     ブルーノは鼻を啜る。彼の掌には無地の布が巻かれている。
    「それどうしたの?」
     ペパが挨拶する前にブルーノの手について尋ねた。
    「えっと……これは……」
     ブルーノは自分の手に巻いていた布を隠そうとする。ペパとフリエッタには模様とは思えない赤黒いシミが見えた。
    「待って怪我してる!」
    「だ、大丈夫!?はい!」
    「むぐっ」
     ペパはフリエッタから朝食を受け取ってブルーノの口に入れた。ブルーノが朝食を飲み込むと彼のまぶたの腫れや切り傷は癒えていった。自分に天候操作のギフトがあったら嵐が吹き荒れそうになっていた気分も少しだけ穏やかになった。
    「ありがとう」
     ブルーノはフリエッタとペパに言った。
    「どうして布を巻いてたの?」
    「お、応急処置……?」
     二人に質問されてブルーノは目を泳がせながら答えた。ペパとフリエッタは一瞬お互いに顔を見合わせるも彼の部屋の広さから食卓に来るまでの距離を考えると少しだけ納得した。
    「ママには言わないでほしいんだけど……」
     ブルーノはそう前置きすると、好きな人ができたことを話した。その人のことを知りたいあまりにビジョンを何枚も作って割ってしまった話も。さっきの手の怪我は破片を片付けようとしてできたものだと。
    「「好きな人!?」」
     聞き手の二人は声を揃えて顔を輝かせた。
    「でもその人と僕は結婚できないって気づいたんだ」
    「そんな!ハッピーエンドじゃないの!?」
     ペパは雷雲を轟かせる。
    「物語じゃないから……僕に都合の悪いことだって見えるんだ……」
     ペパは泣きながらブルーノを抱きしめる。雲から落ちる雨が二人を湿らせていく。
    「でも、ほらビジョンって物語の挿絵みたいじゃない?だから後で結ばれる可能性だってあるよ。ペパだって悲しい気持ちが落ち着いたら晴れるように」
     フリエッタが傘を出してペパとブルーノに雨がかからないようにした。
    「幸せそうな挿絵でも後で喧嘩することだってあるでしょ?素敵な表紙絵でも怖い話だったり」
    「うーん……そうだね……」
     フリエッタは腕を組んだ。
    「ごめん、二人まで悲しい気持ちにさせて」
    「そんなことない!つらかったら言ってほしい!」
     ペパがブルーノに大きな声で言った。
    「いつも助けられてるもん」
     ペパは頬を膨らませる。ブルーノは深呼吸してペパを見つめた。言えそうなことだけ相談しようと思えた。
    「手伝うからね、少しでも幸せな結果になるといいんだけど」
     フリエッタが言った。彼女は心からの善意の言葉だった。しかしブルーノは家系図がフラッシュバックし、顔が青ざめる。幸せな結果?誰にとって?
    「やめて!!!」
     ブルーノの急な怒鳴り声に二人は驚いた顔を見せた。
    「もういいの!やっぱ叶わないよ!!無理なんだ!!!」
    「どうして!?そんなこと言わないでよ!!いきなりどうしたの!?」
     フリエッタは戸惑いながら悲しくなっていく。自分が否定されたように思えた。さっきまで自分の料理で治して元気になりそうだったのにどうして?応援すると言った時の一瞬嬉しそうだったのに動揺し始めたのは何故だろう。自分のやったことに落ち度があった?
    「ダメなの!!」
    「なんで!?意味わかんないよ!!怪我だって治したのに!もう知らない!!」
     フリエッタは自室に駆けていった。ブルーノも黙って立ち去る。

     アルマが幼い怒号を聞いて駆けつけた時にはフリエッタとブルーノはそれぞれ自室に閉じこもっていた。食卓に残るのは雨雲を部屋一杯に満たしているペパだけ。
    「な、何があったの?」
    「フリエッタとブルーノ喧嘩しちゃった……止められなかった……」
    「えっ?」
    アルマは普段喧嘩しない組み合わせに驚く。
    「うあああああん!!!」
    ペパの泣き声と連動して周囲に嵐が巻き起こる。アルマも珍しい出来事にどう対処したものかと自分の服や髪が湿りながらもペパの頭を撫でる。娘が深呼吸を繰り返していくうちに嵐が小さくなっていった。大きな布巾を用意してビチョビチョになっていたペパの体を拭く。
    「驚いたわよね。まさかあの二人が……。部屋に戻れそう?眠れなかったら言ってちょうだい」
     体を拭きながらペパは頷き、自室に戻っていった。
    「さてと」
     アルマはフリエッタとブルーノの部屋をそれぞれ訪ねた。娘のドアをノックしたら彼女は開けて話を聞かせてくれた。今日のお昼ごはんは作ったけど夕食は作れそうにないと言った。ただ夕食の献立は決めてくれていたようで材料や調味料は前日に街の人から貰ってきたと話した。
    「いつも作ってくれてありがとう」
     アルマはフリエッタの頬にキスをした。街のインフラ整備のために一日中周ることもあった。だが今日はゆっくりできそうである。
    「今日は私が作るわ。休んで」
     アルマはフリエッタの部屋を出て昼食を持っていきブルーノのドアをノックした。反応はない。砂除けの布をかけられるような昼食でよかった。そっと彼の部屋のドアを開けてみたものの砂が落ちる音だけが迎え入れる。あまりにも静かだ。アルマを拒む声は聞こえて来ない。しかし泣き声であれば砂で掻き消されているのではないかと思えてくる。だがアルマの耳に聞こえるのはサラサラと落ちる砂の音だけ。話すにはもう少し時間を置くべきかもしれない。
    「お昼ごはん、ここに置いとくね。砂除けの布もかけてあるわ」
     アルマは広い部屋でも反響するようにブルーノに声をかけてドアを閉める。夕食が出来上がって声をかけてもブルーノは自室から出てこなかった。再び夕食の皿を置いた。昼食の皿は空っぽになっている。アルマは安堵し、皿を回収してドアを閉めようとした。そのとき。
    「ママ!」
     声のする方をアルマが振り向くとブルーノが駆け降りようとしていた。
    「大丈夫?」
    「……まだ」
    「何かあったの?あなたが喧嘩なんて珍しい」
     アルマはブルーノの頬を撫でる。
    「嫌なことがあったりした?その、フリエッタやペパ以外のことでも」
     ブルーノはアルマの顔を見つめ、うつむいた。
    「二人は悪くないの」
    「そう」
    「二人とも怒ってるよね。謝らないと」
    「謝るのは確かに大事。でもその前に、あなたの話を聞かせて。話せる範囲でいいから。今日は難しいかしら?」
     アルマは屈んでブルーノと視線を合わせる。すると彼は少しずつ話し始めた。自分に好きな人ができたこと。ビジョンを見たらその人と自分が結ばれないと気づいたこと。その人に関連したビジョンを大切にしてたのに割ってしまったこと。ブルーノはフリエッタが好きな人との仲について応援してくれると言ってくれたとき最初は嬉しかったと話した。でもビジョンのことを思い出すと叶いそうになく彼女に怒鳴ってしまったこと。自分の気持ちが報われないと気づいた理由は相手の不幸ではないと言うこと。
    「好きな人ってどんな人?」
     アルマの質問にブルーノは首を横に振った。フリエッタの未来の娘なんて言ったら自分の母親はどんな反応をするだろうか。想像したくもなかった。
    「相手には言わないわ」
    「言えないの。ごめんなさい」
     自分の母親が約束を守ろうとする人なのは理解していた。でもブルーノは話せそうになかった。自分が家族から嫌われるのが怖い。
    「わかった。確かにあなたの好きな人を知ったら、私おせっかい焼いちゃうからね。婚約の手筈を整えたりね。あなたは偉いわ。でも」
     アルマは立ち上がって、ブルーノの頭を撫でた。
    「つらかったら誰かに相談してちょうだい。一人で抱え込まないで。悩みを隠し続けるのは難しいわ。私じゃなくてもいい。信頼できる人、友達、きょうだいでも」
     ブルーノは何も言わずにゆっくり頷いた。そして彼はペパとフリエッタに謝りに行き、幼い三つ子の仲は収束した。そしてブルーノの感情は家族の善意の言葉が楔のように刺さったまま何十年も経過した。それは幸か不幸か誰も気付くことはなかったし、それこそが彼にとっては最善だった。しかし過去の記憶まで完全に無かったことにするのは難しい。彼は昔に恋した相手が家を崩壊させる可能性を知って最悪の事態を回避しようとした。だがそれは最良の策とはお世辞にもいえず十年ほどミラベルを抑圧させるような結果となっていた。カシータ再建後のブルーノにとっても心苦しいものになっている。それでもミラベルは家族の本音を聞いて再び結束させた。そう、隠れて過ごしていたブルーノ自身も含めて。
     カシータが復活して数日後のこと。マドリガル家の三つ子はお菓子の試食会をしている。きょうだいが揃って穏やかにおやつを食べるのはいつぶりだろう。
    「おいしい!今まで食べた中で最高よ!」
     ペパは晴れ晴れとした笑顔を見せる。
    「おいしいね」
     ブルーノは淡々とお菓子を口に運んだ。
    「ありがとう」
     フリエッタはきょうだいが揃うことに喜ぶ。昔のことを思い出す。その気持ちがお菓子にも反映されたのかもしれない。
    「これコーヒーが合いそうね。はい」
     ペパはポットを運び三人分のカップにコーヒーを注いだ。
    「そういえば昔喧嘩したことあったでしょう」
     ふとフリエッタが話を切り出す。
    「いつの?」
     ペパが一見不機嫌そうなそぶりを見せたかと思いきや、したり顔を見せる。
    「私とブルーノが喧嘩した日。あと私が夕食作れなかった日ね」
    「あー、あれね」
     ペパは数回頷く。自分と母親なら今でも喧嘩することがあるほどだ。しかしこの二人が喧嘩することなんて幼い頃から滅多になかった。
    「……あの時に話してくれた初恋の人、元気?」
     フリエッタはブルーノを見つめた。彼は昔のことを再び質問されて少し目を丸くした。しかし相手の素性を聞かれているわけではない。そう思って正直に答えた。
    「うん」
     ブルーノは眉を下げながらも穏やかに肯定した。
    「そう」
     フリエッタは少し目を伏せる。安堵したようにも少し寂しげにも見えた。
    「それにしても、その相手って誰?ずっと気になってたのよ」
     ペパはブルーノに質問した。
    「えっと……」
     ブルーノは答えに詰まる。
    「答えられないならいいわ。ただ前にビジョンを物語の挿絵みたいって三人で話したことがあったでしょ?場合によっては今からでも叶うんじゃないかしら?難しそう?」
    「……昔のことだよ」
     昔のブルーノの願望はそれなりに叶っている。かつて惹かれていた相手に救われて共に暮らせる。自分にとってはもったいないほどに幸せだ。すると食卓に近づく足音や話し合う声が聞こえてくる。三つ子の母親アルマとフリエッタの末娘ミラベルだ。
    「最近、目が見えづらくなってねえ」
    「そうなの?じゃあ今度メガネ一緒に見に行こうよ」
    「あら、本当にいいのかしら」
    「もちろん!一人だとわからないことあると思うし。あっいい匂い!」
     愛娘の登場にフリエッタは笑顔を見せた。
    「ちょうどよかった。お菓子の試食会してたの。まだあるから食べる?」
    「ありがとう!おばあちゃんも食べる?」
    「ええ」
     ミラベルがアルマと自分の食器を用意する。
    「わっ!?」
     カシータは二人の椅子を大急ぎで用意してやや強引に座らせてくれた。
    「ふふ。ありがとう、カシータ」
     アルマはカシータに礼を言った。
    「みんなは何の話してたの?」
     ミラベルはお菓子を口に入れた。
    「三つ子の思い出話よ。気になる?おいしい?」
    「すっごく!!」
     二重の意味で答えたミラベルに対してフリエッタは特別甘い笑顔で抱きしめた。ブルーノはやや居心地が悪くなってきていた。
    「えっと、ごめん。僕少し用事を思い出した。お菓子ありがとう」
     ブルーノは椅子から立ち上がって今食卓にいるメンツに目配せする。
    「えっ!?待って、まだ話しましょうよ!!」
     ペパが引き止めようとするもブルーノは素早く立ち去ってしまった。
    「もう逃げ足が速いんだから!ん?」
    「三つ子の思い出、聞かせてくれる?」
     ミラベルがペパに視線を向けた。
    「そうね、ブルーノのこと話しちゃうわね」
     ペパの言葉にアルマは少し笑みを浮かべながらコーヒーカップを手に取った。
     再建後の家には無いだろうとたかを括っていた。ほとんどは崖に落としたはず。だが不安がよぎる。自分のギフトはペパやイサべラのように心理状況によって周囲に影響するものではない。ギフトだけなら。だが自室の範囲であれば心理状況でいくらでも変わるのではないか。あの部屋はギフトを育てるだけでなく自分の深層心理も反映されるのではないか。だったら過去に自室で処理したはずの物が不意に出てくることだってあり得るのではないか?予感が的中する。再建してから長らく訪れていなかった自室の奥に幼少期に作り上げたビジョンの小山ができていた。緑色の板はくすむことなく強烈な光を放っている。
    「はぁ……」
     ブルーノはため息をついた。破片や粉々にしてしまったビジョンまで残っている。確かにほとんど崖に落としたのに。

    「おじさん!ブルーノおじさん!」
     ミラベルの声が聞こえる。彼女は一度成し遂げようと決めると急ブレーキが効きにくい。そのうえ部屋の深層部に行き着く手段として橋が形成されている。橋がなくてもミラベルは深層部に来てビジョンを手に入れたことがあった。そうなるとミラベルが諦めるはずもなく息を切らせて部屋の奥まで追いかけてきた。
    「はぁ……はぁ……おほん!聞いたよ!初恋のっ……人の話……っ」
     ミラベルは腰に手を当てて不敵な笑みを浮かべる。しかし肩や胸は上下を続けて息は整ってなさそうだ。ブルーノは咄嗟にビジョンを隠そうとした。
    「よ、よかっ、げほっ……」
    「大丈夫?」
     むせて姿勢を崩したミラベルに、思わずブルーノが声をかける。本人の根性に体力が追いつかなったようだ。
    「うん、大丈夫……よかったら……ん?」
     ミラベルは姿勢を戻してズレた眼鏡を直した。足元に埋もれていた緑色の光を見つけて砂を払う。そして光の正体を手に取る。
    「これは……」
     彼女が手に取ったもの。それは『ミラベルが家族の皿を用意し、ブルーノの皿を食卓に置く姿』を映したビジョンだった。ミラベルはカシータ再建後の何気ないひとときを映したビジョンに微笑む。一方ブルーノは顔を引き攣らせたままだ。必死に隠していたのに、まさか一番見られたくないものが砂に埋もれていたとは。
    「最近の?」
    「……いや、違うんだ。ギフトを貰って数年ぐらい」
    「ほんと!?綺麗」
     ミラベルは驚く。彼女はブルーノの予知能力を理解していたが幼少期から自分のことを未来視で知っていたことには驚いた。経年でくすんだ様子もない。それどころかミラベルが手に取った瞬間、強く光り輝いているようにも見えた。
    「小さい頃に君のビジョンを見たこと、誰にも話したことなかった」
     ブルーノはミラベルに打ち明ける。
    「ママやペパおばさんにも?おばあちゃんにも?」
    「うん」
    「それって」
     ミラベルはやや眉間に皺を寄せて口を尖らせる。彼女の中に、とある可能性が浮かんだ。真相は突き止めたい。彼女は迷いを捨てることを選んだ。
    「もしかして」
     ブルーノはミラベルが勘づいたのではないかと思い生唾を飲んだ。
    「この頃から『私がカシータを壊す』みたいなビジョンを見てたの?」
    「えっ?ううん」
    「あれ?そっか。見当違いかな」
     ミラベルはビジョンを眺めて座り込む。ブルーノは一息ついた。
    「そういえば話を戻すね、あなたの初恋の人のことなんだけど」
     安堵していた矢先にブルーノの心臓が跳ね上がる。彼からすれば話題がちっとも転換してないことをミラベルは知らない。
    「どんな人?」
     ミラベルはブルーノの初恋の相手が誰かに気づく様子はない。母親やきょうだいから聞かれるのは自分が少し話したから仕方ない。だが初恋の相手本人に尋ねられるとは思わなかった。ブルーノが歯を食いしばって返答に詰まっていると、ミラベルは彼の部屋に行く前のアルマの言葉を思い出した。
    「あ……えっと……もしまだご存命だったら……ね。おばあちゃんが言ってた。もしかしたら不幸があることを予知してたんじゃないかって」
     確かにその人には不幸が起きたし予知もした。嘘ではない。けれど自分の目の前にいる人はそれを乗り越えた。
    「それは大丈夫。生きてるよ。僕よりも健康」
    「よかった!えっ?あー……『僕より』?そんな。おじさんも健康になってほしい」
     ミラベルは胸を撫で下ろしかけ、慌てて付け加えた。ブルーノは笑う。
    「でも結婚は叶わないと思うよ」
     ミラベルは目を見開かせて悲しそうな顔をした。ふとマリアーノへの想いを隠していた頃のドロレスの顔が浮かぶ。
    「相手が別の人と結婚したの?」
    「えっと……」
     ブルーノは言い淀んだ。
    「あっ、無理に言わなくてもいいよ。本当に」
     ミラベルは肯定の意味にとらえたようだった。実は別の事情がある。しかし自分の気持ちを偽ることも時には大事だ。ブルーノは心の中で自分にそう言い聞かせた。
    「あ、でもその人と出会えたのはすごく幸せだよ」
    「……その人と十年間会えなかったよね。ごめんなさい」
     ミラベルがうつむく。
    「謝らなくていい!」
     ブルーノは大きく声を上げた。だがミラベルの驚いた顔を見ると自分が恐ろしくなった。
    「ごめん。本当に大丈夫だから……」
    「おじさんも謝らないで。ね?」
     ブルーノは燻っていた感情に蓋をし直そうとする。家族のために。いとこであれば婚姻できる場所もある。だがきょうだい、おじおば、甥や姪となるとそうもいかない。また度重なる近親婚で滅んでしまった一族も歴史上に存在したとも聞いた。創作の時はあまり初恋のことを考えないようにしていた。これは創作。そう線引きした。しかし調べるほどに蓋をしていた記憶が溢れて心が抉れる結果となった。諦めるには理由はたくさんあった。それなのに。違う。いま考えたいのは目の前にいるミラベルのことだ。
    「君と出会えて嬉しいんだ。本当に」
     ブルーノはミラベルを見つめた。ビジョンを見たのは昔のことだ。今は共に暮らせる家族として穏やかに愛するべきだ。これ以上の幸せはない。他に何の不満があると言うのだろう。衝動に任せてはいけない。
    「でも」
     ミラベルの消え入るような声は聞きたくない。せっかく会えて今ここで話しているのに。よりによって自分のせいで再び悲しませている。
    「ミラベル。お願いだ、頼む。聞いて」
     十年つらい思いをさせてきた。最悪の事態を防ぐつもりで。でも家族に嫌われないように振る舞ってきたり役に立ちたいと行動する姿をただ見てることしかできなかった。これでは見殺しにしてるのと変わりない。アルマにミラベルの扱いを指摘してきたフリエッタや娘を庇おうとしたアグスティンの方が最善策だったかもしれない。自分もビジョンを見せたうえでミラベルの味方をして自分の母親に臆せずに話し合うべきだったかもしれない。今でも強く悔やんでいる。それでもミラベルは家族の本音を聞き、繋ぎ合わせることができた。もちろん彼女だって喜怒哀楽があるし衝突してた家族だっていた。認められたくとも、いつだって模範的に振る舞い続けてきたわけではない。彼女はイサベラとの関係修復に乗り気ではなかった。長年決裂していた相手と仲良くしようとするのは難しい。だからこそ、どこにでもいるようで滅多にいない素敵な人だ。彼女が落ち込むのは見たくない。ブルーノはミラベルの自信のない姿や卑下するような顔を見るのは耐えがたかった。
    「君にずっと会いたかった。昔から」
    「……?」
     ミラベルは戸惑いの表情を見せる。ブルーノはミラベルから目を伏せて割れてなかったビジョンに視線を移した。
    「これだけは割ることができなかった。『一緒に暮らせる』って気づいたとき本当に嬉しかったんだ。でも僕の願いが叶わないって気づいたのもこれだった」
     自分の家、ミラベルの楽しげな表情、自分の名前が記された皿、マドリガル家の家系図。大好きな光景が揃ったビジョンなのに、どうして心が軋むのだろう。自分の心まで誤魔化すのは難しい。心なしかこのビジョンが今まで作ったものの中で一番輝いているように思える。目がチカチカするほどに。胸に突き刺さるような光だ。生み出した経緯を知っていると、この不思議な緑色の光が禍々しいものに見えてくる。向き合いたくない。割ろうとしたときに出来たのかビジョンの中のミラベルのメガネに傷がついている。こんなもの好奇心に任せて作らなければよかった。これは恋じゃない。幼かった頃の好奇心による過ちだ。
    「えっと、何の話?」
    「僕の初恋の……あっ」
     ブルーノは目を丸くして顔を手で覆う。隠してきたことを洗いざらい打ち明けてしまった。先ほどミラベルに打ち明けた言葉を走馬灯のように振り返る。母やきょうだいにも隠し通してきたことだったのに。
    「え?でもこれ私だけ……」
     ミラベルは不可解そうにビジョンを覗き込む。しばらくして目を見開かせて数回まばたきした。そしてブルーノと目を合わせた。ミラベルは指でビジョンの自分と現実の自分を指し示す。そしてブルーノに掌を広げて何か尋ねようと口を少し開けて、唇が見えないほどにキュッと閉じた。
    「……そういうこと?」
     首を傾げた姪はぎこちなく笑みを浮かべる。こんなタイミングで新たな愛らしい表情なんて見たくなかった。マドリガル家を再崩壊させたくない。
    「ご名答。僕は家から出るよ」
     ブルーノは小走りに自室から出ようとした。
    「えっ待って!辞めて!!」
     言うことは聞けない。ミラベルのために。ブルーノは自分に言い聞かせる。
    「言わないから!誰にも!!!」
     ミラベルが追いかけた。ブルーノは迷い、立ち止まった。走ったからか、それとも初恋を悟られたからなのか頰が熱くなっていく。
    「……でも怖くないの?僕は怖い」
     ブルーノは振り返らずに質問した。ミラベルも自分の気持ちが整理できなかった。ただ彼が再び消えてしまうことが何よりも恐ろしかった。
    「いや、えっと、その……禁断の恋?のお話の続きだって今も聞きたい!ドロレスもファンだって言ってた!あなたの新作だって知りたい。イサべラやルイーサがワクワクしてたしカミロだって役者として参加したいって話してたよ!それにネズミたち悲しむかもしれない。アントニオがよく知ってる。あと……えっと……他に、他には……」
     ミラベルはブルーノを引き止める理由が他にもないか指折り数える。どうして思うように言葉が出てこないのだろう。
    「あなたのことまだほとんど知らない!私もっとあなたと話したいの!」
     ミラベルはダメ元で叫んだ。彼女の悲痛な懇願にブルーノは振り向く。
    「消えないで……。ようやくみんなで暮らせる。もう隠れないでほしい。また私のことで迷惑かけたくない」
     ミラベルは両手でブルーノの片手を握る。しっとりした彼女の温かな両手が彼の冷たい手を覆った。
    「あっ……手汗……待って今拭くから……」
     ミラベルが涙ぐみながら手汗をスカートで拭く。涙の筋がヒビのように見える。かつて自分が割ってしまったときのビジョンのヒビのようだ。
    「迷惑じゃなかったよ。決して」
     ブルーノはミラベルの手を軽く握り返した。またミラベルを悲しませてしまった。ブルーノは自分が幼少期に何度も未来視しなければ、もう少し道が変わっていたのではないかと思った。知りたいと言う気持ちを少しでも抑えて姪として会っていれば。でも街の人や家族に頼まれて何度も未来を見てきた。理性を抑えても幼い頃や若い頃にビジョンでミラベルと出会った可能性は十分にある。自分に欠けているものを見つけてしまった瞬間『早く会いたい』と待ち焦がれるのは避けられなかったのかもしれない。
    「メガネ拭くよ。ちょっといいかい?」
    「うん」
     ミラベルは目を閉じる。砂の音がサラサラと聞こえる。ブルーノはミラベルのメガネをゆっくりと外した。ミラベルのスカートが濡れるのは申し訳なくて自分のポンチョで拭いた。彼女は目を閉じ続けている。さっきの出来事を聞いたら警戒してもおかしくないのに。ブルーノはミラベルから少し目を背けて胸のざわつきを鎮める。ミラベルにそっと拭き終えたメガネを付け直す。彼女はゆっくりと目を開けた。
    「ん?」
     しかし、すぐにミラベルは再びメガネを外して付け直した。
    「まだ拭ききれてなさそう?」
    「その。布が硬かったみたい。レンズに傷が……」
    「……あっ!!」
    確かにミラベルのメガネのレンズの片方に大きくはないが削り取られて曇ったような箇所ができている。
    「あ、でもそんなに傷は大きくないよ。それに近々おばあちゃんとメガネ見に行く予定だったから。その時にレンズ交換するよ。フレームは壊れてないし」
    「……僕もついてっていい?」
     全く格好がつかないどころかミラベルにとって大事なメガネに傷をつけるなんて最悪だ。
    「うん、きっとおばあちゃんも喜ぶよ。私も嬉しい!」

     数日後。
     ブルーノは早めに起き上がって食卓に訪れた。かなり早起きしたつもりだったのだが、今日はアルマとメガネを見に行くためなのか準備万全のミラベルが鼻歌混じりに食器を並べていた。ビジョンで長年見続けた光景だ。あの緑の板の傷だと思い込んでた箇所がミラベルのメガネの傷を予知していたとは思わなかったが。
    「あっブ……おあっと!?」
     ミラベルがブルーノに挨拶しようとして手を滑らせた。皿が危うく床へと落ちそうになる。
    「おっと」
     ブルーノが皿を咄嗟につかむ。間一髪だ。
    「危なかった……ありがとう、ブルーノおじさん。あっそうそう!ブエノス・ディアス!」
     ミラベルはポーズをつけて歯を見せて笑いながらブルーノに挨拶した。ビジョンの緑色以外の色彩やその後の様子が見られるまで何年待ったことだろう。それまでの長い苦しみがビジョンに出てこなかった彼女の表情や姿を見るたびに溶けていくようだった。ようやく彼女を手伝うことができる。
    「ブエノス・ディアス、ミラベル」
    朝食後。
    「ちょっといい?」
     外出直前にドロレスがブルーノに話しかけた。
    「ん?あ、ごめん先行ってて」
     ブルーノの言葉にアルマとミラベルは頷いてカシータから出ていく。ドロレスは細心の注意を払って彼に話を切り出す。
    「悩んだけど、家が壊れない範囲でなら」
    「何の……」
     ブルーノの言葉を中断してドロレスは間髪入れずに話す。
    「ピンクと緑の刺繍糸を切らしてた。ピンクと緑の糸。帰り道に提案して」
    「えっ?」
    「楽しんで」
     ドロレスはブルーノに手を振った。
    mith0log Link Message Mute
    2022/01/04 22:09:48

    初恋は渇望とともに

    ##二次創作 #ブルミラ

    幼少期の未来視で街では今まで見たことない人に恋するも相手が「きょうだいの未来の娘(未来の姪)」 と気づき結ばれないことにショックを受けて初恋の思い出に蓋をするけどスッパリと諦めるのも難しく本編の出来事を経て本編後へ突入するIF世界線

    more...
    Love ステキと思ったらハートを送ろう!ログイン不要です。ログインするとハートをカスタマイズできます。
    200 reply
    転載
    NG
    クレジット非表示
    NG
    商用利用
    NG
    改変
    NG
    ライセンス改変
    NG
    保存閲覧
    NG
    URLの共有
    OK
    模写・トレース
    NG
  • CONNECT この作品とコネクトしている作品