酔う話 ヘルムート・チェルハはウォルター・ブラッドフォードが己に苦手意識を持っていることを気付いているにもかかわらず、何かとちょっかいをかけていた。真面目に話など聞かないのがわかっていて酒に付き合わせたり、時には他の人間も巻き込んだりしていた。
そして今日もまた、ウォルターを捕まえたヘルムートは無理矢理相手を酒に付き合わせていた。
場末の小さな酒場である。ヘルムート行きつけの色々融通をきかせてくれる酒場で、店の奥にある個室を借りて少人数で過ごすことが出来るのは利点であったが、ウォルターにとっては災難であった。逃げ場が無い。
「……俺はあいつらを愛してるんだよ、本当だ」
「へえ」
杯をいくつか重ねた頃、己の爪を見ながら気のない相槌を打っていたウォルターは、なんとなく横目でヘルムートの顔を見て息を止める。
見たことのない表情をしていた。
ヘルムートという男は大抵穏やかな顔をしていたし、彼を知るほとんどの人間は笑顔以外を見たことがないだろう。その彼が、どこか険しい顔で前を見ていた。瞳の奥で炎が揺れたように見えたが、それをウォルターが確認する前に節くれ立った手が一度目元を覆い、少ししてから離される。その時には既にいつも通りの眼差しが戻っていたが、ウォルターは慎重に観察を続けた。
「俺の家族はあいつらだ。死んで欲しくないし、そのための技術を教えるのが俺の役目だ。だというのに、誰も彼も、命を平気で投げ捨てる」
ぐっと目頭を指で押さえたヘルムートは、頭痛でも堪えるように溜め息を吐いた。指を離して瞬きを何度かすると、またその目の奥で揺れたのは、炎だ。今度はウォルターにもはっきり確認出来た。器から乱暴にナッツを掴んで口に放り込み噛み砕く。ヘルムートは、……怒っていた。
「ああ、あいつもだ、サイモン・リドフォール! 俺が気付いていないとでも思ってるのか? 目標を達成するために己の命を質に入れるやり方を、息をするように選択肢に入れている!」
ウォルターは相槌を忘れてヘルムートを見ていた。知らない。こんな男は知らない。本当にこの男はヘルムート・チェルハか?
「本当に、ああもう、意地でもあいつを俺より長生きさせてやる」
「……頑張って下さい」
なんとか絞り出した相槌に、はたとヘルムートは落ち着きを取り戻したようだった。暗い赤紫の目から炎は消え、眠たげな幕がその目に降りた。マグに撫でるように触れてから持ち上げ、ぐっと中身を飲み干す。
「飲みすぎた。これでやめておこう」
ウォルターはしばらくヘルムートの様子を観察したが、先ほどのような炎はいつまで経っても再燃することはなく、いつものどこか作り物めいた眼差しと表情がそこにある。本当に酔っているのかも定かではなく――顔色はわずかに血色が良い程度だ――、所作にも隙は無い。
「……貴方は、」
「うん?」
「いや……」
かける言葉を見失い頭を振ったウォルターは、わずかに椅子の上で身じろぎをした。己のマグの底に少しだけ残っていた葡萄酒を飲もうとするも、隣でこちらを見ている目の色を思い出してしまい、やめる。
──この男は果たして、本当に酔っているのだろうか?
──酔っていないとしたら、どういった意図があっておれにその話を聞かせた?
口に放り込んだナッツは塩気が強く出ているもので、それを誤魔化すためにウォルターは無理矢理葡萄酒を流し込んだ。もうこれでお開きだ、このどこか不安で生ぬるい空気もすぐに散るだろう。
「じゃあおれはこれで」
「ああ、またな」
次からは遠慮します、という軽口は、何故かウォルターの口からは出てこなかった。
先日の作戦で黒騎士の部隊――それも新人がほとんどの――がひとつ全滅したらしいとの噂をウォルターが聞いたのは、次の日のことだった。