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    EM-エクリプス・モース- 第一章「太陽の王女」太陽に選ばれし者悪魔の女王氷の魔魂兵と騎士の葛藤迫り来る暗黒の魔手王女の旅立ちかつて地上は、冥と呼ばれる空間から生まれし邪神によって全てが冥府の闇に支配されていた。冥府の神の力で太陽が冥府の闇に食われ、光無き暗黒が支配するその世界は生ある全てのものが破壊と死で覆い尽くされ、冥神と呼ばれる邪神の手によって冥の世界へと変貌していった。だが、暗黒の中で幾つかの光が現れ、光は徐々に無限の闇を照らすようになる。数々の光は冥神に立ち向かい、戦いの中で冥神の封印に成功し、幾千年の時を経て冥府が支配していた地上は太陽の光を取り戻し、光溢れる大地が蘇った。冥神に挑み、封印した幾多の光は神に選ばれし者であり、己の力の全てを魂の結晶として封印し、地上から姿を消した。

    地上には今、古の時代にて冥神に挑みし者達の力を受け継ぐ適合者が存在している。そしてその力は魔魂と呼ばれ、小さき化身に変えて世界の何処かに存在する適合者を探している———。

    地上の神の一角であり、冥神に挑んだ者の一人でもある太陽の戦神と呼ばれし英雄の血を分けたカーネイリス一族によって建国された王国クレマローズ。ガウラ王とアレアス王妃、王女レウィシアとその弟の王子ネモア。英雄の血を引く者には生まれつき炎の魔力が備わっており、レウィシアとネモアの姉弟は国を守る騎士として生きるという使命を与えられていた。

    太陽に選ばれし者「やああっ!」
    城の地下に設けられた訓練所で、轟く金属音と共に飛んでいく一本の剣。レウィシアと兵士長のトリアスが剣による手合わせを行っていたのだ。王国の兵士では一番の剣の使い手といわれているトリアスと剣を交え、一瞬の隙を突いたレウィシアの剣の一撃で勝負がついたところであった。
    「むう……まさかこの私ですら歯が立たぬ程の力を付けていたとは恐れ入りましたぞ」
    脱帽した様子のトリアスを前にレウィシアは長い髪と共にマントを翻し、剣を鞘に納める。
    「あら、本当にそうかしら?私が相手だからといって、密かに手加減していたとか言うんじゃないでしょうね?」
    「いえいえ滅相も御座いません。手合わせには手加減はしないのが礼儀だと心得ております」
    「ふっ、まあいいわ。今日の訓練はこれくらいにして、久しぶりに激辛料理を御馳走になろうかしら」
    「姫様、まだお昼時だというのに激辛料理だなんて……」
    「細かい事は気にしない!」
    訓練を終え、嬉しそうな表情で訓練所を出るレウィシア。激辛料理が大好物のレウィシアは訓練と兵士を従えての魔物討伐、そして弟のネモアの稽古といった毎日を送る中、王国内に存在する激辛料理専門店で様々な激辛料理を味わうのが楽しみであった。城下町を歩いている途中、不意にすれ違った長身で頑強そうな体つきの男とぶつかってしまう。
    「あ、ごめんなさい」
    軽く頭を下げるレウィシアだが、男は無言でレウィシアを見つめ、そっと去っていった。
    「無愛想な人ね」
    去る男の背中を見つつ、レウィシアは再び足を動かし始めた。

    謁見の間には、玉座に座るガウラ王とアレアス王妃、そして大臣のパジンがいる。パジンは日々急増した魔物についてガウラに報告していた。クレマローズの周辺では自然に生息している魔物が以前よりも凶暴化したり、見慣れない魔物の群れまでもが現れるようになっていたのだ。
    「ふむ……つまり最近現れ始めた魔物どもは日が経つに連れて凶暴化している、という事か?」
    「ええ。以前はこの地に生息していなかった見慣れない魔物の群れも現れるようになった今、何か只ならぬ事が起きようとしているのかもしれませぬ」
    ガウラが表情を険しくさせる。
    「パジン、直ちにトリアスに伝えよ。兵士達に王国の守りを固めるようにな」
    「はっ!」
    パジンは謁見の間を出る。
    「魔物……何か妙な予感がしますわ」
    アレアスが不安げな様子を見せる。
    「まさか……魔物が急増した背後に何かが潜んでいるとでもいうのか……」
    ガウラは眉を顰めるばかりであった。

    その日の夜———寝間着姿に着替えたレウィシアの部屋をノックする音が聞こえてくる。ドアを開けると、ネモアが立っていた。
    「ネモア。もう寝る時間よ……って、懐にいるのは何?」
    ネモアの懐には、白い小動物のような生き物が潜んでいた。生き物の額には炎のような輝きを持つ宝石のような結晶が埋め込まれており、まるで何かを探っているかのように目を動かしている様子だ。
    「これ……なんだかよくわからないけど、城の中庭にいたんだよ」
    白い生き物は城の中庭に迷い込んでいたところをネモアが発見し、そのまま拾ってきたものだという。生き物は逃げようとせず、ずっと付いてくるばかりなのでレウィシアの元にやって来たのだ。
    「見慣れない生き物だけど、見た目は可愛いし魔物ではなさそうね」
    レウィシアがそっと生き物に触れると、生き物はネモアの懐から抜け出し、レウィシアの足元に縋りつく。
    「あら、どうしたのかしら?いきなり私のところに来ちゃって」
    レウィシアはしゃがみ込んでそっと生き物を掌に乗せようとすると、生き物はきゅーきゅーといった小さな鳴き声をあげ始める。
    「姉さまのこと……好きなのかな」
    ネモアは不思議そうに見つめている。
    「うーん、困ったわね。この子がどんな動物なのかよくわからないし……」
    戸惑いつつも、レウィシアは指で生き物の鼻先に触れる。
    「姉さま……」
    ネモアが声を掛けると、そっとレウィシアの手を握る。そんなネモアを見てレウィシアは思わず笑顔になり、そっとネモアの頭を撫でる。
    「ネモア、明日はお姉さまと稽古だからしっかり寝なきゃダメよ」
    「そうだね……でも、今日は姉さまと一緒に寝たいの」
    ネモアが不安げな眼差しでレウィシアを見つめる。
    「どうしたの?何かあった?」
    「ううん……何だかよくわからないけど、姉さまと一緒に寝ないと落ち着かないんだ」
    レウィシアはネモアの表情を見ていると、しょうがないわねと心の中で呟きつつも笑顔でネモアの頬を撫で、そっと抱きしめる。レウィシアに抱かれているネモアは優しい香りを感じながらも、表情が和やかになっていった。


    翌日———。

    「うおおおおおお!!」
    トリアス率いるクレマローズの兵士団が魔物に挑む。連日に渡って王国の周辺に凶暴な魔物が暴れ回るようになり、厳重な警備体制と共に討伐を重ねていた。トリアスの剣によって襲い来る鋭い牙の魔物が鳴き声をあげながら倒れる。
    「ひとまず片付いたようだな」
    魔物の群れを撃退したトリアス達は一息付く。
    「魔物達が以前にも増して凶暴化している。決して油断ならぬ状況だ。お前達は引き続き王国の守りを固めよ。私はひとまず城へ戻る」
    「ハッ!」
    トリアスは城へ向かって行った。城へと続く道を歩くトリアスの姿を建物の陰から見つめている者がいる。昨日レウィシアとすれ違った長身の男と小太りの男の二人組であった。
    「アニキ、あの兵士長のヤローも相当の腕ですぜ」
    「ああ。やはり正面から挑むのは危険でしかねぇな」
    二人の男は何かを狙っているかのように城下町を警備している兵士達の目を伺いながらも、民間人であるかのように振る舞いつつ酒場へ向かって行った。


    城の訓練所で、ネモアはレウィシアの稽古を受けていた。稽古の内容は騎士としての強さを身に付ける為、徹底した剣の腕や体術、防御の心得など様々なものであった。
    「もっとよ!もっと打ちかかってきなさい!これが本気だなんて許さないわよ!」
    レウィシアの叱咤で剣を構えるネモア。その顔は汗にまみれ、僅かに目を潤ませていた。
    「やああああ!!」
    ネモアが次々とレウィシアに打ちかかる。レウィシアは剣で受け止めるが、次々と繰り出されるネモアの攻撃に思わず両手で剣を構え、ネモアの持つ剣を弾き飛ばしてしまう。その勢いに尻餅をつくネモア。
    「少しはやるようになったわね」
    レウィシアは剣を収め、穏やかな笑顔を向けながら手を差し伸べる。ネモアはその手をそっと掴み、ゆっくりと立ち上がる。
    「姉さまは本当に強いね……ぼくなんて」
    「私だってたくさん稽古付けられて育ったからね。あなたも強くなってもらわなきゃ」
    ネモアは少し物憂げな表情を浮かべていた。
    「姉さま……」
    「なあに?」
    「ぼく達って、何のために強くならなきゃならないの?」
    「何のためって……国を守る為よ。私達は王国や人々を守る騎士として生きる使命があるんだから。その為に強くならないと」
    ネモアは服に付いた埃を払いながらもそっと剣を収める。
    「姉さま……ぼく、何だか怖い」
    「え、怖い?私が?」
    「ううん……うまく言えないけど、何か怖いんだ」
    「怖いって……どういう事?」
    それ以上は言葉にできず、不安そうにしているネモアを見て戸惑うレウィシアは、そっとネモアを抱きしめる。
    「……大丈夫よ。何かあったらお姉さまがついているわ」
    レウィシアの胸に顔を埋めるネモアは、慣れ親しんだ姉の匂いと温もりを感じているうちに心が徐々に安らいでいった。レウィシアにとっても、最愛の弟の小さな体を抱きしめるのが一番の安らぎであった。その様子を陰でこっそりと覗いている者がいる。パジンだった。
    「姫もなかなか侮れんな」
    パジンは懐から茶色のフラスコを取り出し、フラスコの中に入った液体をじっと眺めていた。


    夜も更け、城の人々が寝静まった頃———二人の男が城を徘徊していた。
    「へっへっ、流石は大臣だ。城の奴らをうまいように寝かせるとはな」
    長身の男が笑う。なんと、深夜の城内警備を任された兵士達が地面で寝そべっているのだ。
    「しかしながら例のお宝はどこにあるんですかねぇ?」
    「さあな。だが、この城のどこかにある事は確実らしいぜ。そいつが手に入ればたんまり金が入るからな」
    二人の男はクレマローズ城に存在する宝を狙う盗賊で、パジンの手引きによって計画を進行しているところであった。警備の兵士達を眠らせたのもパジンが隠し持っていたフラスコの中の液体から発した睡眠ガスによるものだったのだ。
    「ったく、宝はどこにあるんだよ」
    城内を彷徨っているうちに、盗賊二人が一つの部屋を訪れる。ネモアの部屋だった。ベッドで眠るネモアの元に、パジンがいた。
    「お、大臣のオッサ……」
    「シーッ!静かにしろ馬鹿者。今から例のモノがある場所へ案内する」
    パジンに連れられた二人は部屋を出て、城の地下へと通じる階段に向かう。男達が部屋から去ると、ネモアの傍に黒い影が現れる。黒い影は人の形になり、顔部分からは不気味な笑みを浮かべる口が現れた。

    ———ククク……見つけた。これに間違いあるまい……。

    黒い影の口からは青紫色の霧のようなものが吐き出される。霧はネモアの体を覆うように広がり始め、徐々にネモアの体の中に入り込んでいった。


    城の地下の奥には、鍵がかかった扉がある。二人の盗賊男が目的としている宝が収められている城の宝物庫であった。パジンが扉の鍵を開ける。宝物庫には多くの宝箱が置かれ、中心部には炎のように輝く石が置かれている台座が設けられていた。台座に置かれた石は、クレマローズ城の秘宝といわれる太陽の輝石であった。
    「こ……これはすげえ!宝の山じゃねえか!」
    「こりゃあ一攫千金も目じゃあねえぜアニキ!」
    歓喜する二人。宝箱の中身には様々な武具や金が入っており、二人にとってはまさにお宝三昧であった。

    ———やはりここにあったか……。我が素材を見つけてくれた貴様達に感謝するぞ。

    空間から黒い影が姿を現す。
    「その声は……あんたか?」
    黒い影から現れる口が上向きに歪み、歯を見せた。


    その頃、レウィシアは突然目が覚めた。窓に広がる闇夜の景色。不意に何とも言えない胸騒ぎを感じて、寝間着姿のままそっと部屋を出るレウィシア。暗い廊下を歩いていると、警備を任された兵士が床で眠っているのを見つける。
    「どうしてこんなところで……えっ!?」
    周囲を見渡すと、同じように床で寝ている兵士二人の姿も発見する。思わず叩き起こそうとするレウィシアだが、兵士は目が覚めない。
    「一体何が……ネモア!」
    ネモアの部屋に向かうレウィシア。ベッドには何事もなかったように静かに眠っているネモアの姿。異常らしきものが見当たらない上、魘されているわけでもないので起こすのも悪いと思い、レウィシアはそっと部屋を出た。静まり返った城内を見回っているうちに、地下の方で何か音がしたのを聞き取った。音に釣られ、地下へ続く階段を下りて行くレウィシア。辿り着いた先は、城の宝物庫であった。
    「大臣!?お前達は……!?」
    宝物庫の中に見知らぬ男二人とパジンがいるのを見て驚くレウィシア。
    「むむっ……姫さ……いや、姫!」
    パジンは思わず言葉を詰まらせる。
    「ほほう、どこかで見た顔だと思ったらこの国のお姫さんだったのか?昨日俺にぶつかったよな」
    その言葉を聞いたレウィシアは昨日の出来事を思い浮かべる。
    「あの時の……!あなたは賊だったのね!」
    身構えるレウィシアだが、寝間着姿の丸腰状態で来てしまったが故に素手で応戦する以外になかった。果敢に立ち向かうレウィシアの拳を避けた長身の男は回し蹴りを繰り出す。
    「ぐっ!!」
    長身の男の回し蹴りがレウィシアの後頭部に決まる。
    「姫よ、少し大人しくしていただきましょう」
    昏倒して気を失ったレウィシアを前に呟くパジン。二人の盗賊は宝物庫の宝箱の中身と目的の品となる台座の石を手に、パジンと共にその場から去って行った。意識を失っているレウィシアの前に黒い影が出現する。

    ———クレマローズ王女レウィシア・カーネイリス……弟のネモア王子とは違い、大いなる炎の輝きを感じる。場合によっては素材になり得るかもしれぬな……ククク……。

    不気味に笑う黒い影は蒸発するように消えていった。


    夜が明ける。城内に忍び込んだ盗賊二人組に太陽の輝石を始めとする宝物庫の宝を奪われ、更にその二人組にパジンが関わっているという知らせは瞬く間に広がっていった。
    「おのれ大臣め……何故に謀反を起こしたというのだ!」
    怒りに震えるあまり拳を震わせるトリアス。城の兵士達は宝を盗んだ盗賊達の行方を追うべく、それぞれ動き始める。レウィシアもそれに続こうとするが、ひとまずネモアに声を掛けるべくネモアのいる部屋へ向かおうとするが、一人の侍女が慌てた様子でレウィシアの元へやって来る。
    「姫様!大変です!ネモア様の様子が……!」
    「どうしたの!?」
    「ネモア様が……原因不明の高熱で激しく苦しんでおられるのです!」
    「何ですって!?」
    レウィシアはすぐさまネモアの部屋へ駆けつけた。部屋に入ると、ベッドで激しく魘されているネモアの姿があった。ベッドの傍には王国の医師がいる。
    「ネモア!」
    レウィシアがネモアの顔を覗き込む。顔色は血色が失せており、大量の汗を掻いて呼吸を荒くしていた。
    「一体何が……?ネモアは……ネモアは大丈夫なの!?」
    掴みかかるように医師に問い詰めるレウィシア。
    「残念ながら……原因が解明されるまではまだ何とも言えません。発熱の原因がわからないままでは……」
    ネモアの発熱の原因は医師ですら解明出来ない症状によるものであるという。体温は50℃をも越えており、かなり危険な状態であった。
    「……ねえ……さ……ま……」
    息も絶え絶えでネモアが声を出し始める。
    「ネモア!喋っちゃダメよ!」
    レウィシアはネモアの手を握る。ネモアの手から伝わる高熱による体温。レウィシアはネモアの回復を祈りながらも両手でネモアの手を握りしめた。その時、不意に外から轟音が響き渡る。思わず窓の外を見るレウィシアは愕然とする。レウィシアが見たものは、逃げ惑う人々と魔物と戦っている兵士の姿であった。


    「くっ、これは一体どういう事だ!」
    城下町には大勢の魔物が入り込んでいた。凶暴な魔物達が次々と城下町に攻め込む中、トリアス率いる兵士達は総動員で応戦する。人々の安否に気を配りながらも、剣を手に魔物を撃退していく。だが、魔物はまだ襲ってくる。鋭い牙を持つ魔獣が襲い掛かろうとしたその時、飛んできた一本の兵士の剣が魔獣の身体に突き刺さる。剣を投げたのは、レウィシアであった。
    「姫様!」
    「危なかったわね。何故町の中に魔物が?」
    「我々にも解りかねます。とにかく、王国を守らねば!」
    「ええ、油断するんじゃないわよ」
    身体に剣が突き刺さったまま襲い来る魔獣。レウィシアは腰の剣を抜き、魔獣に斬りかかる。魔獣の爪の攻撃を盾で防ぎ、次々と剣で攻撃を加えていくレウィシア。牙がレウィシアの肩を捉えようとした時、トリアスが背後から剣を魔獣の身体に突き刺していく。魔獣が怯んだ隙にレウィシアが剣を振り下ろし、魔獣の身体を深々と切り裂いた。この後次々と襲ってくる魔物の群れ。レウィシアはトリアスと共に魔物を打ち倒していく。全ての魔物が倒されたと思われたその時、三人の男が姿を現す。パジンと盗賊二人組であった。
    「大臣!」
    「流石ですなトリアス兵士長。それに姫。あなた様もこれ程までに力を付けていたとは」
    「貴様、どういうつもりだ!この魔物どもを放ったのはまさか貴様の仕業だというのか!?」
    パジンは口元を歪め、薄ら笑みを浮かべている。
    「はっはっはっ、その通り。ワシはある者との契約によってこの国を支配できるチャンスを手に入れた。今ここにいるこやつらもワシの良き協力者だ。今からワシは貴様らを始末してこの国を頂く。悪いが貴様らにはここで消えてもらうよ」
    「許さない……私利私欲の為に謀反を働くなんて!」
    レウィシアが構えると、二人の盗賊が立ちはだかる。
    「へっ、姫さんよ。聞いたところ、あんた相当腕が立つそうだな。俺の名はガルドフ。ただの盗賊だと思ったら痛い目に遭うぜ」
    「俺はムアル。あるお方に頼まれてな。あんたと戦うようによ」
    二人の盗賊———ガルドフとムアルがそれぞれ二本の短剣を取り出す。
    「トリアス、ここは私に任せて。あなたは城の守りを!」
    「え!?ですが……」
    「今ネモアが病気で苦しんでいるのよ!だから城の中にまで攻め込ませないよう、守りを固めるのよ!」
    「なんと、ネモア王子が!?解りました。姫様、どうかご無事で!」
    トリアスが城へ向かって行く。
    「馬鹿めが。いずれにせよ我々によって始末される運命に変わりない。ガルドフ、ムアル!やってしまえ!」
    ガルドフとムアルが同時に襲い掛かる。レウィシアは二人の同時攻撃を避け、高く飛び上がる。ムアルがレウィシアに向けて短剣を投げつける。短剣はレウィシアのマントを掠め、頬に傷を刻む。背後からガルドフの攻撃が迫るものの、レウィシアは機敏な動きで回避し、蹴りの一撃をガルドフの鳩尾に叩き込む。飛び掛かるムアルの短剣を剣で弾き飛ばし、即座に峰打ちを食らわせる。
    「へっへっ、やるな」
    ガルドフが立ち上がると、ニヤリと笑う。
    「だが姫さんよ、あんたは剣で直接斬りつけようとしねぇよな?俺達みたいな悪党相手でも人間だから斬る事は出来ないってわけか?」
    レウィシアは無言で頬の傷から流れる血を軽く拭い、ガルドフを見据える。
    「クックックッ、そんなあんたに敬意を表して、いいものを見せてやるぜ。とっておきのいいものをな」
    「アニキ、あれをやるんですかい?」
    「おうよ。丁度いい相手だ」
    ムアルが懐から一つの石を取り出し、ガルドフに投げ渡す。石は茶色の輝きを放つ宝石のような形をしている。
    「へっへっ、驚くなよ。これからが本番だぜ」
    ガルドフが石を頭上に放り投げると、石は光を放ち、まるで吸い込まれるようにガルドフの身体に入っていく。すると、ガルドフの全身からオーラが発生し、土と岩石の塊がガルドフの身体を覆い始めた。
    「こ、これは……!?」
    レウィシアが見たものは、全身が土と岩石に覆われた姿のガルドフだった。
    「ほ、ほほう……なるほど、それがお前の本気の姿か!」
    戦いを見物していたパジンが驚きの声をあげる。
    「さあ、戦いはこれからだぜ」
    ガルドフの周囲に無数の拳大の岩石が浮き上がる。レウィシアが守り態勢に入った瞬間、岩石が一斉に襲い掛かる。弾丸のように飛んでくる無数の岩石を剣や盾でガードするものの、うまく身動きが取れないまま足に岩石が当たり、一瞬バランスを崩してガードが解けた瞬間、レウィシアの身体に次々と岩石が叩き込まれていく。
    「あああああっ!!」
    岩石の猛攻を受けたレウィシアは倒され、立ち上がろうとした時、腹に柱の形状の岩石が叩き込まれる。
    「げほぁっ……!!」
    衝撃でこみ上がった胃液を吐き出すレウィシア。腹を抑えて咳込んでいるところに容赦なく飛んでくる巨大な岩石を避ける事が出来ずそのまま直撃すると、血を吹きながら顎を仰け反らせ、数メートルに渡って地を引きずる形で吹っ飛ばされた。
    「ぐっ……がはっ!はぁっ……」
    レウィシアは地面に転がった剣を手に体を起こす。口から流れている血を手で拭い、空中に浮かび上がる無数の岩石に囲まれたガルドフに視線を向けた。
    「どうだ、流石の姫さんでもこれには手も足も出ないようだな?」
    ガルドフが軽くホイッスルを吹くと、空中に浮かぶ岩石が激しく回転する形で動き回る。
    「あなたの……その力は一体何なの?何故そのような力を……」
    レウィシアが問う。
    「クックックッ、こいつはな……ちょっと前に黒い何かから頂いた古の魔導師の力なんだよ。『魔魂』と呼ばれるものらしいんだがな」


    魔魂———それは、神に選ばれた冥神に挑みし者達が己の力を結晶へと変えたもの。荒くれ者が住む街で育ち、ならず者の盗賊として生活していたガルドフは、魔魂の一つとなる地の魔魂の適合者でもあった。
    数ヵ月前、街を飛び出して各地で盗みを働いた末にある王国で捕えられ、地下牢獄の中に佇んでいるガルドフの元に謎の黒い影が現れた。黒い影は語り掛ける。

    ———どうやらお前に間違いないようだ。お前はこいつの適合者。我が手で少し作り替えたものだが、お前ならば使いこなせるだろう。この力を。

    黒い影の前に現れたのは、額に宝石のような結晶が埋め込まれた赤い目の土竜のような姿をした小さな生き物。だが、生き物は徐々に萎んでいくように姿が小さくなり、結晶体となって残る。

    ———これはかつて冥神に挑んだ古の魔導師の力が封印された『魔魂』と呼ばれるもの。この牢獄を出る事を望むならば、お前にこの力をくれてやろう。我が計画に協力するという条件付きだがな。

    牢から出る術がなかったガルドフは黒い影の言うがままに魔魂を受け取り、地の魔力を呼び起こす事に成功し、牢から脱出した。黒い影の計画とは、素材となるものを見つけてくるというものであった。ガルドフは同じ街で共に生きてきたならず者であり、子分でもあるムアルと共に、黒い影が必要としている素材を求めて世界を流離い、己の私利私欲のままに国を支配しようと目論んでいるパジンを巧みに利用しつつ、素材の一つとなるクレマローズの太陽の輝石を狙ったのだ。


    「何故なの……何故その力を正しい事に使わないの!?」
    「正しい事?バカが。俺にとっては正しい事なんだよ。あの時魔魂を受け取らなかったら俺は確実に牢で朽ちていた。あの黒いヤローが何者なのかは俺にもよくわからねぇが、この力さえあれば思う存分好きな事が出来るってわけよ」
    ガルドフの周囲を取り囲む岩石の動きが止まる。
    「さーて、そろそろ終わりにしてやろうか?」
    無数の岩石が螺旋を描くように回転しながらもレウィシアに向かって行く。
    「がはああっ!!」
    岩石の攻撃を受け、鎧を砕かれたレウィシアは壁に叩き付けられ、バタリと倒れ伏す。
    (まだ……倒れるわけにはいかない。負けるわけには……いかないのよ!)
    立ち上がろうとするレウィシアだが、顔を上げると無数の岩石に囲まれたガルドフの姿。このまま立ち上がったとしても岩石の餌食になるのが見えている。一体どうすれば———そう思った時、何かがレウィシアの元にやって来る。現れたのは、ネモアによって拾われた小さな白い生き物だった。白い生き物はレウィシアの姿をじっと見つめると、きゅーきゅーと鳴き声をあげる。その瞬間、レウィシアの頭に語り掛けるような声が聞こえてきた。

    我が力を受け継ぎし者よ……今こそ己の力を目覚めさせる時。レウィシア・カーネイリスよ。そなたは魔魂に封印せし我が力の適合者であり、そして太陽に選ばれし者。太陽の目覚めとなりて立ち上がれ———!

    白い生き物の姿が透けていき、吸い込まれるようにレウィシアの身体に入り込んでいくと、レウィシアは全身が熱くなるのを感じた。
    (何、この感覚……身体が熱い……力が……力が沸き上がっていく……!)
    レウィシアの全身から炎のように揺らめくオーラが発生する。全身に漲る力の感覚。剣を手にゆっくりと立ち上がり、構えを取るレウィシア。
    「な、何だこれはぁ!?」
    驚きの表情になるガルドフ。レウィシアは鋭い目を向け、ガルドフに斬りかかる。剣の一撃は炎を纏った斬撃となり、岩石に覆われたガルドフの右腕を斬りつける。
    「ぐおおおおお!!」
    ガルドフの叫び声。斬りつけられた右腕は燃えていた。更にレウィシアが懐に飛び込み、炎を纏った剣による連続攻撃を繰り出す。
    「うぐおおおああああ!!!こ、こんな……はずがあああああ!!!」
    全身が炎に包まれたガルドフは火傷にもがき苦しみ、身体の炎を消し止めるとガクリと膝をついた。
    「ア、アニキィ!!」
    ムアルが駆け寄ろうとする。
    「来るんじゃねえ!おい姫。その力、今わかったぞ。俺が使ってるものと同じ魔魂だな?」
    レウィシアは悟りきった表情で剣を構えている。ゆっくりと立ち上がったガルドフは周囲に無数の岩石を浮かばせた。
    「負けない。私は絶対に負けない」
    剣を手にレウィシアが突撃する。周囲の岩石を放つガルドフ。だがレウィシアは飛んでくる岩石を剣で斬り、盾を構える。すると盾が炎に包まれ、振りかぶって投げつけた。盾は炎を纏った円盤となって旋回し、ガルドフに直撃する。
    「はああああッ!火迅閃———!!」
    炎に包まれたレウィシアの剣先からの鋭い一撃が連続で決まり、ガルドフは火達磨になりながら叫び声をあげ、倒れた。
    「ア、アニキが……アニキが負けちまった……!?」
    勝敗が決まったと悟ったムアルが呆然となる。
    「うぐぐ……ち、ちくしょう……」
    倒れたガルドフの前にレウィシアが見下ろすように立ちはだかる。ガルドフは身体を動かそうとするが、決定打を受けた事によってもはや動く力すら残されていなかった。
    「……へっ、どうやらこの勝負は俺の負けのようだな。トドメを刺すならさっさとやりな」
    レウィシアはそれに応えるかのように剣を高く掲げると、そっと鞘に収めた。
    「いかにあなたが悪党でも、トドメは刺さないわ。無慈悲に人の命を奪う事はしない」
    レウィシアの身体を包んでいた炎のオーラが消えていく。
    「く……クックックッ、とんだ甘ちゃんだな。俺は生きてる限り、決して反省はしねぇぜ。それでもトドメを刺さないってわけか?」
    レウィシアは無言で倒れたガルドフの姿を見据えていた。
    「姫様ーー!!」
    声と共にやって来たのはトリアスと数人の兵士だった。
    「トリアス!」
    「姫様、その手傷は……大丈夫ですか!?」
    「ええ。城の方は大丈夫なの?」
    「はい、姫様の仰る通り城にも魔物が攻め込んで来ましたが、我々の手で全て退けました」
    トリアスは部下の兵士達と共に、城にも攻め込んできた魔物を打ち倒したばかりであった。
    「ところで大臣は……」
    陰で戦いを傍観していたパジンの姿を確認するトリアス。
    「お、おのれ……ムアル!あ、後は任せたぞ!」
    逃げようとするパジンだが、トリアスは即座に足元の石を投げつけ、パジンの後頭部に命中させる。あっけなく気を失ったパジンを連行していく兵士達。
    「こ、こうなったら刺し違えてでもこの俺が……!」
    ムアルが性懲りもなく短剣を手にレウィシア達に挑もうとする。だがその時、周囲に砂煙と共に強風が発生する。何事かと思ったその時、空中から黒い球体が出現する。
    「な、何あれ……?」
    球体の中心部から巨大な口が浮かび上がり、二枚の長い舌が飛び出しては倒れたガルドフとムアルを捕える。
    「ひぃああああ!?な、何だこりゃああああああ!?ア、アニキィィーーーー!!!」
    捕えられた二人はそのまま黒い球体の口に飲み込まれていった。続けて球体から二つの目玉が浮かび上がる。

    ———レウィシア・カーネリアス……やはり炎の魔魂の適合者だったか。ククク……地の魔魂を得たガルドフを倒すとはますます面白い。この太陽の輝石と合わせ、クレマローズ王家の者ももしかすると……クックックッ……。

    黒い球体は口元を上向きに歪めると、蒸発するように消えていった。
    「い、今のは一体……?」
    トリアスは周囲を確認するが、街中に魔物の気配はなく、既に邪気は消えていた。
    「姫様……!」
    「あの二人を捕えた黒い球体……とてつもなく禍々しい邪気を感じたわ。魔物かどうかわからないけど、ただの魔物じゃないような恐ろしく邪悪な……そんな感じがしたの」
    レウィシアは突然現れた黒い球体から得も言われぬ恐怖を感じ取り、ただ立ち尽くしていた。
    「はっ!それよりネモアは!?ネモアは無事なの!?」
    ふとネモアの様子が気にかかり、胸騒ぎを覚えたレウィシアは城へ向かって行った。


    禍々しい邪気に覆われた空間———そこは無限に広がる印象を受ける亜空間と呼ばれるような空間だった。黒い球体に飲み込まれたガルドフとムアルは亜空間に放り出されていた。
    「無様なものよな」
    二人の前に一人の男が姿を現す。それは道化師を思わせる姿で、小柄な体躯を持つ不気味な男であった。
    「誰だお前!?」
    「貴様達の協力者だよ」
    道化師の男は左手から一つの石を出現させる。その石は、太陽の輝石であった。
    「あ、あんたが……あの黒い影だというのか?」
    「そうだ。正確にはオレの分身ともいうがな。そしてここはオレの世界となる場所だ」
    ムアルは目の前にいる道化師の男によって禍々しい邪気だけが広がる空間に閉じ込められたという事実を前に、ただ呆然とするばかりだった。傍らで倒れているガルドフは既に意識を失っている。
    「俺達をこんなところに連れ込んだのもあんたってわけか?一体何をしようってんだ!?」
    道化師はそっとムアルに向けて掌を差し出す。
    「……お前はもう必要ない。無用者はここで消えてもらおう」
    道化師の手からは禍々しい闇のオーラが燃え上がり、次の瞬間、ムアルの頭部に無数の黒い槍が襲い掛かる。
    「ぎゃああああああ!!!」
    黒い槍に突き刺されたその時、闇の力による爆発を起こし、ムアルの肉体は跡形もなく消し飛ばされてしまった。
    「ガルドフ……この男は地の魔魂の適合者……場合によっては素材として利用出来るかもしれぬ。ひとまず保存しておくか」
    道化師の手から一つの玉が出現する。玉から闇の瘴気が発生すると、ガルドフの身体が徐々に玉に吸い込まれていった。道化師は掌にある玉を舌でペロリと舐め、歪んだ笑みを浮かべていた。


    レウィシアがネモアの部屋に来た頃、ネモアはベッドの上で静かに眠っていた。だがその顔は血色が失せており、傍らにいる医師は暗い表情をしていた。レウィシアはそっとネモアの額に触れる。額からは体温が感じられず、冷え切っているような感触だった。
    「ネモア……ネモア!」
    思わず呼び掛けるレウィシアだが、ネモアはその声に応えようとしない。そこで医師が重々しい様子で口を開く。
    「……王女様。誠に申し上げにくいのですが……どうか落ち着いて聞いて下さい。王子様は……ネモア王子様は……もう……」
    医師の言葉を聞いたレウィシアは愕然とし、その場に立ち尽くす。ネモアの命は病によって尽きていたのだ。
    「……嘘よ……こんな……事……いやあああああああああああ!!」
    膝をつき、頭を抱えながら悲痛な叫び声をあげるレウィシア。
    「ネモア!ネモア!ネモアあああああああ!!いやあああああああああああああ!!」
    冷たくなっていた最愛の弟を前に泣き叫ぶレウィシア。嗚咽と共に止まらない涙が幼い顔を濡らしていった。集まっていく城の人々。謎の病によって亡くなった幼い王子の姿をずっと見届ける城の人々。王子の死による悲しみは王国中に広がっていった。

    クレマローズ王国の教会にて行われたネモアの葬儀———王国の人々が参列し、神父を始めとする教会の者達による弔いの儀式が行われる。ネモアの遺体が収められた棺の前に、一人の少年がやって来る。少年は聖職者であり、手には聖職者の紋章が浮かび上がる玉が握られていた。
    「神よ……死した王子の魂を清らかなる光の加護と共に天への導きを……」
    少年が念じると、祈りを捧げてそっと去って行く。葬儀の後、棺は城の中庭に広がる花畑に土葬され、そこに墓標となる石碑が建てられた。


    十年前、レウィシアの弟となるネモアが生まれた。生まれたばかりの新しい命であり、自分の弟である赤子をその胸に抱いた時、レウィシアは今までにない感情を抱くようになった。元々年下の子供の相手をするのが好きだった事もあり、自分に弟が出来た事は何よりも嬉しかったと同時に、神から授かった守るべき新しい命であり、共に生きる新しい命であるという事を感じていた。そして思う。この子は私と共に生きる命。だから、この子は私がずっと守ってあげたい。ネモアと名付けられた弟を、誰よりも愛したい、と。先祖代々騎士として王国を守る王家の使命で、物心ついた頃から鍛えられていたレウィシアと同様、ネモアも姉であるレウィシアの厳しい稽古によって騎士として鍛えられていた。だが、レウィシアは時々母親のように接する面もあった。城の中庭で遊んだり、絵本を読んであげたり。時には厳しく、時には優しい姉を、ネモアは誰よりも慕っていた。


    数日後———レウィシアはネモアの墓である石碑の前にいた。
    「ネモア……あの時にプレゼントとして貰ったこれ、凄く嬉しかったよ」
    レウィシアの手に握られているのは、シロツメクサで作られた花冠だった。一年前のレウィシアの誕生日に、ネモアが城の中庭に咲いていたシロツメクサを摘んで、花冠を作ってレウィシアにプレゼントしたものであった。
    「もっと抱きしめてあげたかったのに……どうして……私と共に生きられなかったの……」
    花冠を石碑に供えると、レウィシアの目から涙が溢れる。そこに、トリアスがやって来る。
    「姫様、王子様のお参り中のところ誠に申し訳ありませんが、国王陛下がお呼びです」
    トリアスが伝えると、レウィシアは振り返らず後で行くわと返事した。トリアスは石碑に黙祷を捧げ、そっとその場を去る。レウィシアは涙を指で拭い、黙祷を捧げると、マントと髪を翻して歩き始めた。


    「して、大臣が関わっていた黒い影とやらの仕業だという事か?」
    謁見の間では、一人の兵士がガウラ王に報告しているところであった。トリアスを始めとする数人の兵士が城の地下牢に投獄されたパジンから洗い浚い取り調べた結果、王国を我が物にしたいという私利私欲に酔いしれていたところを突如現れた謎の黒い影に唆されて魔物を使役する力を与えられ、王家を亡き者にして王国を支配しようとした事、城の秘宝である太陽の輝石を黒い影に献上した事、ネモアを襲った病には黒い影が関係している可能性があるという事を聞かされていたのだ。そこにレウィシアがやって来る。
    「レウィシアよ。トリアスから聞いたところ、お前も黒い影に遭遇したようだな」
    「はいお父様。私と交戦したならず者の男達に魔魂と呼ばれる力を与えた存在であり、恐ろしく邪悪な力を放っていたものでした」
    「魔魂……だと?」
    「それに……」
    言い終わらないうちに、白い生き物がレウィシアの懐から顔を出し始める。
    「えっ!?いつの間に……?」
    「むっ、それは何だ?」
    白い生き物はきゅーきゅーと鳴き声をあげ、飛び出した。
    「この子は……ネモアによって拾われた生き物です。でも、ただの生き物ではないようです」
    レウィシアはガルドフとの戦いの最中に起きた出来事を全て話すと、ガウラ王はじっと白い生き物の姿を見つめる。
    「そいつは……魔魂の化身か」
    「魔魂の……化身?」
    「この地上には今、古の魔導師の力である魔魂の適合者たる者が存在している。魔魂は小さき化身に姿を変えて適合者を求めていると伝えられているのだ。我々クレマローズ王家の一族には英雄の血筋故、生まれつき炎の魔力が備わっている。レウィシア、お前は紛れもなく炎の魔魂の適合者に選ばれたのだ」
    「魔魂の適合者……」
    レウィシアは自分の中に眠る大きな力の存在と、古の力に選ばれた存在だという運命の重さに何とも言えない不安を感じていた。そこに一人の兵士が慌てた様子でやって来る。
    「王様!大変です!北の地で得体の知れない黒い影を見たという者がいたそうです!」
    「何だと!?兵士達よ、今すぐ北の地へ向かえ!何があるかわからぬ以上、決して油断するな!」
    「はっ!」
    トリアス率いる兵士達は北の地へ向かうべく謁見の間から出る。
    「ならば私も!」
    「いや、お前は行かなくていい。レウィシアよ」
    「え!?」
    「お前は……暫くネモアの傍にいてやれ」
    温かい眼差しを向けたガウラ王の言葉に、レウィシアは思わず心を動かされた。


    北の地に現れた黒い影の内部———無限に広がる亜空間では、道化師と槍を手にした一人の戦士が対峙していた。不敵に笑う道化師に挑む戦士。だが、道化師は戦士の攻撃を難なく避け、闇の魔力が凝縮された光弾を放つ。光弾の位置が戦士の近くに達すると、大爆発を起こした。
    「ぐああああああ!!」
    爆発に吹き飛ばされ、鎧を砕かれた戦士はバタリと倒れる。
    「無駄な事よ。どう足掻いても貴様はこのオレに勝てまい」
    道化師は残忍な笑みを浮かべ、戦士の頭部を足蹴にする。
    「だが……貴様からは感じる。素材の匂いを」
    道化師の手からは額に氷を思わせる宝石が埋め込まれた小さな海豹のような生き物が出現する。氷の魔魂の化身であった。
    「こいつを貴様にくれてやろう。貴様には強い氷の魔力が秘められている。大切に使ってくれよ、戦士バランガ」
    バランガと呼ばれた戦士は、氷の魔魂の適合者であった。氷の魔魂の化身がバランガの中に入り込むと、バランガの身体から凍てつくオーラが発生した。
    「ククク……フハハハハ!また新たなる素材が出来てしまった。貴様も我が計画に協力してくれる事を期待しているよ」
    オーラを放ちつつも蹲ったまま動かないバランガを見下ろしながら、道化師は高笑いしていた。
    「おっと。騒がしいザコどものお出ましか?まあいい、直々に相手してやるか」
    道化師は空を切るように腕を振ると、空間が切り裂かれ、外の世界の景色が映る出口が開かれた。


    その日の夜———レウィシアは自室で炎の魔魂の化身となる白い生き物と佇んでいた。
    「……ねえ、あなたって名前はないの?」
    レウィシアが問いかけると、生き物はきゅーきゅーと鳴くだけだった。
    「名前がないと何だか不便だから……ソルって名付けようかしら?今日からあなたの名前はソルよ!」
    ソル、と名付けられた生き物は嬉しそうに鳴き始めた。
    「あら、もしかして気に入ってくれた?ふふ、よかった」
    レウィシアは指でそっとソルの体毛に触れ始めた。
    深夜となり、ふと目が覚めたレウィシアは静まり返った城の中を歩き、ネモアの墓が立つ中庭へ向かった。
    「ネモア……」
    ネモアの墓の前に立つと、そよ風が吹き、長い髪が揺れる。レウィシアは供えられた思い出の花冠をじっと眺めていた。

    ……私、もっと強くなる。ネモアの分まで精一杯生きて、全てのものを守る為にも、強くなってみせる。たとえどんな敵が目の前に立ちはだかっても、絶対に負けない。誰よりも、強くなってみせる。

    様々な想いと決意を固めたレウィシアはうっすらと涙を浮かべ、揺れる長い髪を靡かせながらその場を去った。


    クレマローズの兵士達を打ち倒し、瀕死の重傷を負い、撤退を試みたトリアスと数人の兵士を嘲笑いながら再び亜空間に戻った道化師は手に持つ太陽の輝石を見つめ、ペロリと舌なめずりをする。

    ———計画にはまだまだ素材がいる。器となるもの、封印を解くカギとなるもの、そして、力となるもの……。全ての素材が揃った時、我がエクリプス計画は開始される。太陽を冥府の闇で喰らい、全てを破壊と死で覆い尽くすエクリプス・モースの再来はそう遠くはないかもしれぬ。器となるものは……クックックッ……まだまだ育てる必要がありそうだな。

    太陽の輝石は炎の輝きを失い、徐々に黒光りする闇の炎の色に染まっていた。それはまるで日食を象徴しているかのようだった。


    二年後———

    「いい?気を引き締めていくわよ」
    「ハッ!」
    トリアスを含む数人の兵士達を指揮し、城門を出るレウィシア。それぞれが馬に乗り、かの地へ旅立って行く。世界には今、大いなる陰謀を企てる巨大な闇が潜んでいる。そして世界の何処かで、巨大な闇が蠢いている。地上の太陽と異界の闇の戦いが今、始まろうとしている———。



    悪魔の女王ある町で、一人の少年が生まれた。少年は町の修道院に生まれた聖職者であり、聖職者の子として育てられた。だが、数年後———何者かの手によって少年は目の前で両親を失い、故郷も失う事になった。焼き払われた故郷から追われ、傷ついた修道士に連れられたまま流れ着いた先は、クレマローズ王国の教会だった。少年を連れた修道士は息絶え、少年はクレマローズ王国の教会に引き取られるようになった。少年には生まれつき光の魔力が備わっている。その魔力は、神の加護によるものだと言われていた。

    少年の名は、ルーチェ・ディヴァール。

    ある日の早朝———シスターに挨拶を交わしつつ、ルーチェは聖堂に足を運ぶ。ルーチェの育ての親となる神父ブラウトの下で、祈りを捧げる人々。一通り祈りを捧げ終えると、人々はそれぞれ聖堂から去って行く。ルーチェはブラウトの部屋を訪れる。
    「失礼します」
    「ああ、ルーチェか。どうした?」
    「勝手な頼み事ですみませんが……久しぶりに故郷に行きたい。お父さんとお母さんの墓参りに行きたいんです」
    ルーチェの故郷となる町———そこはクレマローズから北に数キロ程離れたシルニアと呼ばれる小さな町である。現在では廃墟となっており、犠牲となった人々の墓が建てられている。その中にはルーチェの両親の墓も存在しているのだ。
    「そうか……だが今では魔物が凶暴化している事もあって危険だ。クレマローズの兵士達を護衛に付けなくては」
    ルーチェは俯き加減に黙り込んでしまう。
    「ルーチェ、何かあったのか?」
    「……ここ最近、同じ夢ばかり……見るんです。過去の夢が、何度も何度も……」
    数日前から、ルーチェは過去の夢を何度も見ていた。突然現れた何者かの手で八つ裂きにされていく両親の姿。惨殺されていく人々。そして焼き払われる故郷。そんな過去の悪夢を、連日に渡って繰り返す形で見続けていたのだ。
    「なんと……まさか神のお告げなのか……いや。何か妙な予感がする。ルーチェよ、今は大人しくしていなさい」
    「……それはできない。お父さんとお母さんが呼んでいる。そんな気がするんだ」
    「何を言ってるのだ。第一君はまだ……」
    「ごめんなさい」
    ブラウトの制止を聞かず、ルーチェは部屋を飛び出してしまった。


    正午を過ぎた頃、レウィシアはクレマローズ城の前に集まる兵士達を統率し、馬に跨り、兵士達と共に王国を出た。向かう先は北の地に存在するサレスティル王国。かつて大陸に現れた驚異に立ち向かい、多くの戦士と共に大陸を救った歴戦の戦乙女と呼ばれていた女王によって建国された戦士と騎士が集う王国であったが、数ヵ月前から王国を治める女王が突然心変わりし、クレマローズを始めとする各地の王国の制圧と領土拡大を目的とした全面戦争を仕掛けると宣言したという知らせを聞かされ、レウィシア率いる城の特殊部隊総動員で女王の元へ向かう事となったのだ。
    「むっ!?姫様、あれを!」
    出発してから少し経った時、トリアスが魔物に追われている一人の少年の姿を目撃する。少年は、ルーチェだった。
    「小さい子が魔物に!?助けなきゃ!」
    レウィシアは颯爽と馬から飛び降りて剣を抜き、ルーチェを追う魔物達に斬りかかる。魔物の身体に剣を突き立てると、魔物は耳障りな雄叫びをあげながらも長いシッポを振り回す。シッポの一撃を盾で防いだレウィシアは後方に飛び退いては剣を構え、魔物の懐に飛び掛かって二段斬りを繰り出した。深い傷を刻まれた魔物は赤黒い血を撒き散らしながら、正面にバタリと倒れた。
    「もう大丈夫よ」
    レウィシアは樹に隠れていたルーチェに声を掛けると、ルーチェはそっと顔を出す。
    「ぼく、ケガはない?」
    レウィシアはルーチェの目線に合わせるようにしゃがみ込んだ。
    「もしかして……レウィシア王女様?」
    「ふふふ、そうよ」
    レウィシアは笑顔でルーチェの頭を撫でる。
    「ふふ、可愛い……いくつ?」
    「10歳だよ」
    「10歳かぁ……ねえ、どうしてこんなところにいるの?おうちは?」
    「……ぼく、墓参りに行きたいんだ。お父さんとお母さんの」
    「え?墓参り?」
    「クレマローズから北にある町に……ぼくのお父さんとお母さんの墓がある。そこへ行きたかったんだ」
    ルーチェの事情を知ったレウィシアはうーんと少し首を傾げるが、再び笑顔を向ける。
    「だったらお姉ちゃんが連れてってあげる!一人だと危ないし、お姉ちゃんが付いてると魔物も怖くないわ!みんな、ひとまずこの子に協力するわよ」
    「しかし姫様!我々はサレスティルへ……」
    「何よ、こんな小さい子一人を置いていけっていうの!?」
    「いえ、ここは兵士一人に任せておくのが……」
    「あなた達がやらないっていうなら私一人でも連れて行くわよ」
    レウィシアはルーチェにそっと手を差し出す。
    「あ、そういえばお名前聞いてなかったわね。お名前は?」
    「ルーチェ・ディヴァールです……」
    「ルーチェ君ね。ずっと手を握っててね。あ、抱っこの方がいいかな?」
    「いや、このままでいいよ。抱っこされなくても大丈夫だから」
    レウィシアは嬉しそうにルーチェの手を握る。幼い弟がいた影響で子供が大好きなレウィシアにとって、子供の相手をするのはとても嬉しい事であった。乗っていた馬の手綱を引きながら、レウィシアは兵士達と共にルーチェが目指している町の場所へ向かう。数分後、廃墟となっていたシルニアの町に辿り着いた。
    「ここは確かシルニアの町……何者かの手によって滅ぼされたと聞いたが、一体誰がこんな惨い事を……!」
    トリアスが拳を震わせる。人気のない廃墟には幾つもの墓が建てられており、かつて修道院があった場所にルーチェの両親の墓があった。ルーチェはロザリオを手に墓の前で黙祷を捧げ、レウィシアと兵士達も黙祷を捧げた。
    「可哀想に……まだ幼いのにお父さんとお母さんを失うなんて……」
    ルーチェの両親の墓を前にレウィシアが呟く。
    「……この町は、ぼくの故郷でもあるんだ。ぼくがクレマローズの教会に引き取られる前は、ここにあった修道院で育てられた」
    無残な形となっていた修道院跡には、破壊された女神像や建物の残骸で埋め尽くされていた。
    「ぼくの目の前で……お父さんとお母さんは殺された。そして町を滅ぼしたのは……黒い何かと人間のようなものだった」
    「えっ!?」
    ルーチェの黒い何かという言葉に、レウィシアは思わず反応する。黒い何か———それはかつて大臣のパジンとガルドフ達を利用して太陽の輝石を奪い、行方をくらましていた謎の黒い影の事ではないかと睨んでいた。
    「どうかしたの……レウィシア様?」
    「あ、ううん。何でもないわ。色々辛かったよね……」
    レウィシアはルーチェの背丈に合わせるようにしゃがみ込み、そっとルーチェを抱きしめる。ルーチェはレウィシアに抱かれながら、風に靡くレウィシアの髪の匂いと鎧の間から露出した肌から伝わる暖かい体温を感じ取っていた。
    「レウィシア、様……」
    「いい子ね……」
    ルーチェの頭を撫でるレウィシア。そっと身体を離すと、レウィシアは立ち上がる。
    「誰か。三人ほどルーチェの護衛をお願いするわ。この子をクレマローズまで送ってあげて」
    「ならば私が引き受けましょう」
    引き受けたのはトリアスであった。同時に二人の兵士がルーチェの護衛を引き受ける事となり、レウィシアは残りの兵士を連れて再びサレスティル王国へ向かう事になった。
    「いい?民を守るのも我々の務め。命に掛けてでもその子をお守りなさい」
    「ハッ!」
    「じゃあね、ルーチェ。お姉ちゃんは今からやらなきゃいけない事があるからまた後で会おうね」
    ルーチェをクレマローズへ送り届ける事となったトリアスと兵士二人を残し、レウィシア達は馬に乗って再び目的地へ向かって行った。


    その頃、クレマローズ城ではガウラ王がバルコニーに立っていた。
    「あなた、どうかされました?」
    アレアス王妃がやって来る。
    「……不穏な空気を感じる。邪悪な何者かがこの城に迫ろうとしている」
    ガウラは灰色の雲に覆われていく空を仰いでいる。
    「もしや二年前に太陽の輝石を奪った黒い影とやらが……再び現れようとしているのか」
    天候は曇りとなり、間もなく雨が降りそうであった。尚も空を仰ぐガウラは只ならぬ予感を感じていた。
    「まあ……あなたったら、ひとまず中で落ち着いたらどうです?」
    「うむ、そうだな」
    アレアスの一言にガウラは振り返り、ゆっくりと謁見の間へ戻って行った。


    サレスティル王国に辿り着いたレウィシア達は、異様な雰囲気を感じていた。暗い表情をした人々に、城下町全体を包む物々しい空気。それはまさに女王の豹変による王国の変貌を物語っていた。
    「待て!」
    サレスティルの兵士達がそれぞれ剣を手に一斉に立ちはだかる。
    「貴様ら、さてはクレマローズの者だな。このサレスティルに何用だ?」
    「サレスティル女王が我がクレマローズや各地の制圧と領土拡大を目的とした全面戦争を計画しているとお聞きしました。そこで女王にお話をお伺いしようと訪れたのですが」
    「何だと!」
    兵士達が戦闘態勢に入る。
    「お待ちなさい!」
    声と共に現れたのは、紫色の長い髪を靡かせ、白いドレスを着た姫と騎士の男であった。
    「姫様!ヴェルラウド様!」
    「敵国の者といえど、濫りに争いを起こしてはなりません。クレマローズの者達がこちらに来る事はお母様から聞かされています」
    姫の言葉に兵士達は剣を収める。
    「失礼致しました。あなた方はクレマローズの者ですね。私はサレスティル王女シラリネです」
    続いて騎士の男が前に出る。
    「俺はヴェルラウド・ゼノ・ミラディルス。サレスティル女王とシラリネ姫をお守りする王国の騎士だ。宜しく頼む」
    ヴェルラウドが挨拶をすると、レウィシアはこちらこそ、と返答した。ヴェルラウドとシラリネの案内で城に招き入れられるレウィシア達。謁見の間には整列した数人の重装兵と騎士、そして女王がいた。
    「よくぞ来てくれた。クレマローズ王女レウィシアよ」
    女王を前にしたレウィシアとクレマローズの兵士達は跪く。
    「なるほど、そなたからは大いなる輝きを感じる。まるで太陽のような強い意志の輝きをな。そなたならば我々の力になれるかもしれぬ」
    レウィシアは顔を上げると、不敵に笑う女王の顔を見た。
    「サレスティル女王、単刀直入にお聞きします。我がクレマローズや各地の制圧と領土拡大を目的とした全面戦争を計画しているとの事ですが、一体何故このような事を?それに、私達がこちらにお伺いする事を予め存じていたようですが」
    女王はクククと笑い始める。
    「何、単純な事よ。我が王国の更なる繁栄を目的とした全ての支配だ。各王国を我が手によりて支配下とすれば、サレスティルの栄光は永遠のものとなろう。その為にも、そなたの力が欲しいのだ」
    レウィシアは思わず立ち上がる。
    「支配……ですって?かつて大陸を救った英雄たる者がどうして……!」
    「クックックッ……レウィシアよ。そなたはいつまでも王家のくだらぬ使命に従うまま生きるのを望むのか?我にはわかるぞ。そなたには国を支配する素質がある事を」
    女王の言葉によって周囲に不穏な空気が漂い始める。レウィシア達はやはり女王はおかしい、と思いつつも固唾を呑む。傍らに立つヴェルラウドとシラリネは額に汗を滲ませていた。
    「そこでだ。レウィシアよ……そなたの力を得る為にも、我が王国一の騎士と呼ばれるヴェルラウドと結婚してもらおう」
    「え!?」
    「ヴェルラウドよ、聞いたな?」
    レウィシアとヴェルラウドは唖然とする。
    「女王様!一体何故……」
    「命令だ。この者はクレマローズの王女であって、姫騎士と呼ばれる者だ。ただ守られる事しか出来ぬシラリネとは違ってな。それに、かつての我と同じ匂いがする。女として悪くなかろう?」
    「し、しかし……」
    「レウィシアよ、このヴェルラウドと結婚すればそなたの王国とは争う事もなく我がサレスティルと共に栄光を刻む事が出来るぞ。我の命が尽きようとも、そなた達と共に国を守り、子孫を残せば大いなるサレスティルの栄光を永遠のものとするのも夢ではあるまい」
    戸惑うヴェルラウドの隣に立つシラリネが口を開く。
    「お母様!何て事を仰るのです!それに、ヴェルラウドは……」
    「ええい、黙れ!要らぬ口出しするな!」
    女王が怒鳴りつける。
    「黙るのはあなたの方よ、女王」
    レウィシアは剣を抜いた。同時にクレマローズ兵士達も立ち上がり、全員一斉に剣を抜く。
    「何の真似だ?」
    「随分とくだらない茶番を用意してくれたものね。女王の事はお父様から聞かされているわ。本当の女王はあなたのような戯けた野心を持つ輩じゃない。正体を現しなさい!」
    女王の顔が険しい顔つきになる。
    「……うまく我が手に出来ればと思っていたが、やはりそう出るか。まあいい。我々に歯向かうのであらば貴様達はただの邪魔者だ。この者どもを捕えろ!」
    サレスティルの重装兵と騎士達がレウィシア達を取り囲む。
    「ひ、姫様!」
    「できるだけ手荒な真似はしたくないけど……こうなったらやるしかないわね。行くわよ!」
    「ハハッ!」
    クレマローズ兵士達が声を挙げると、サレスティル重装兵と騎士達が一斉に襲い掛かる。迎え撃とうとするレウィシアの前にヴェルラウドが立ちはだかる。
    「あなたが相手?」
    「……悪いが女王の命令だ。他国の姫に手を出すのは気が進まないが、大人しくしてもらうぜ」
    ヴェルラウドが腰の剣を抜く。
    「邪魔するなら容赦しないわよ」
    レウィシアが剣を手に斬りかかると、ヴェルラウドはその一撃を軽く剣で防ぐ。火花が飛び出る程の激しく切り結んだ攻防が繰り広げられ、剣での実力はほぼ互角であった。両者が後方に飛び退き、剣を構える。
    「はああっ!!」
    両者が同時に飛び出すと、ガキィンと大きな金属音を轟かせる。剣と剣が交じり合ったまま力比べをし、同時に再び後方へ下がる二人。
    「なかなかやるな。このままではキリがないか……」
    ヴェルラウドは両手で剣を持ち始める。すると、剣先から赤い火花のようなものが飛び出し始める。火花は赤い稲妻となり、剣が赤い雷光に覆われ始めた。
    「な、何!?」
    その様子に驚いたレウィシアは思わず盾を構える。ヴェルラウドは赤い雷光に包まれた剣を手に突撃する。その剣の一撃を盾で防いだ瞬間、レウィシアは赤い雷光による電撃に襲われてしまう。
    「きゃあああああ!!」
    盾を伝い、全身に受けた赤い雷光による電撃を受けたレウィシアは全身に痺れを残して倒れてしまう。
    「ひ、姫様ーー!!」
    倒れたレウィシアの姿に怯んだクレマローズの兵士達は重装兵と騎士達の総攻撃によって次々と倒されていった。
    「うう……」
    身体を動かそうとするレウィシアだが、痺れによって動く事が出来ず、そのまま気を失ってしまう。
    「フハハハ、面白いものを見させてもらった。よし、牢に入れておけ」
    笑う女王の命令に従い、重装兵達は倒れたレウィシアとクレマローズの兵士達を地下牢へ運んでいった。その様子を見ていたヴェルラウドは剣を収め、険しい表情で俯きながら拳を震わせていた。


    その頃、墓参りを終えたルーチェをクレマローズの教会へと送り届けたトリアスと兵士達は改めてサレスティル王国へ向かおうとしていた。出発してから30分後、トリアス達は一人の男が傷だらけで倒れているのを発見する。
    「どうした、大丈夫か!?」
    トリアスが声をかけると、男は息も絶え絶えの様子だった。
    「……黒い……何かが……北の……ほ……うに……」
    それだけを言い残すと、男はガクリと息絶える。
    「くっ、ダメか……。黒い何かが北の方に……姫様!」
    悪い予感を感じたトリアスは馬に鞭を打ち、サレスティル王国へ急いだ。


    地下牢には、気を失ったレウィシアとクレマローズの兵士達が投獄されていた。見張りの兵士が歩く中、その様子をそっと見ていたヴェルラウドは牢の中にいるレウィシアの姿を見ては、静かに階段を上がっていく。階段を昇り終えると、シラリネが立っていた。
    「ヴェルラウド……」
    シラリネは俯き加減に呼び掛ける。
    「……わかってるよ、姫。今の女王は女王じゃない。だが……女王に歯向かうわけにはいかない」
    「でも、このままじゃあ……」
    「俺は……あなたを守りたい」
    ヴェルラウドはシラリネの首飾りを見つめている。血のように赤い宝玉が埋め込まれた首飾り……それは、女王が付けていた首飾りと同じものであり、豹変した女王に与えられたものであった。


    数ヵ月前———夜が更けた時、女王の前に黒い影が姿を現した。
    「誰だ!?」
    女王が身構えると、影は二つの目を見開かせ、同時に上向きに歪ませた口が現れる。

    ———サレスティル女王よ。貴様も素材になりそうだ。貴様はかつてこの大陸を襲った脅威に立ち向かいし英雄の一人……我が計画に協力してもらおう。

    影は不敵に笑うと、その姿は徐々に大きくなっていく。
    「貴様、何者だ!計画とは何だ!?」
    女王が声を張り上げた瞬間、大きくなった影の口が開かれ、伸びてきた長い舌が女王の身体に巻き付いていく。
    「ぐああああ!!」
    女王の全身に黒い放電を伴った電撃が襲い掛かる。気を失った女王は舌に巻き付かれたまま影の口に放り込まれ、食われていった。

    ———ククク……少しばかり余興を楽しむのも悪くはないな。

    影の口からは女王の身体が吐き出される。女王はゆっくりと起き上がり、無表情で辺りを見回し始める。女王の首には赤い宝玉が埋め込まれた首飾りが付けられていた。

    ———貴様には娘がいたな。この首飾りを娘に与えるのだ。さすれば、貴様の首を取る者は易々と現れまい。

    影は女王に首飾りを与える。女王がそれを受け取ると、ニヤリと笑い始めた。
    「サレスティルは……我の支配下にある。我がサレスティルの栄光を永遠のものとする……その為にも……各地を支配するのだ。ククク……クックックッ……ハハハハハハ……!」
    譫言のように呟くと、女王は狂ったように笑い出した。


    それから女王は黒い影に与えられた首飾りをシラリネに与え、王国の更なる繁栄と称し、兵力と武具の強化と他国の侵攻を目的とした莫大な増税による悪政を行うようになった。逆らう事があれば牢獄行きにされ、首を取ろうとする者には死刑をも厭わない。そんな女王の心変わりに戸惑いを隠せない王国の人々。シラリネが女王に呼び出されたある日の事———。
    「お母様……一体どうしたというのです?突然このような政治を行うなんて」
    「シラリネよ。これからは我がサレスティルの更なる繁栄を築き上げるのだ。その為にもお前に一つ知ってもらうべき事があってな」
    女王は一本のナイフを取り出し、自身の左手の甲に突き立てた。
    「ああぁぁっ!!」
    声をあげたのはシラリネだった。女王がナイフで左手の甲を刺した時、シラリネの左手の甲からも血が噴き出し、傷の痛みが襲い掛かったのだ。
    「ククク……どういう事かわかるか?お前は今や私と同じ身体のようなもの。私が傷つけば、同時にお前も傷つく事になる。この首飾りがある限りな」
    シラリネは女王の首飾りを見てハッとする。それは今付けている自分の首飾りと全く同じもの。思わず首飾りを外そうとするが、まるで鍵がかかっているかのように外れない。
    「無駄だ。その首飾りは決して外れる事はない。例え死んでもな」
    「……あなたは……あなたは本当にお母様なの!?何故……どこでこんなものを!」
    女王はナイフで自身の左腕に一筋の傷を刻むと、同時にシラリネの左腕にも傷が刻まれる。
    「お前が私の命を奪おうとしても、それはお前自身の命を奪う事になる。非力なお前でもこの私の役に立てられた事を有難く思うがいい」
    傷口を抑えるシラリネに背を向け、女王はその場から去って行った。



    氷の魔魂兵と騎士の葛藤かつて北東の地に存在していたクリソベイア王国。そこは騎士の国と呼ばれていた王国であった。ある日、王国に一人の子が生まれる。生まれた子は騎士団長の息子であり、幼い頃から騎士としての素質が備わっていた。騎士団長の息子は、やがて父と肩を並べる程の実力を持つ騎士へと成長した。

    息子の名は、ヴェルラウド・ゼノ・ミラディルス。

    だが、ヴェルラウドには生まれつき特殊な力が備わっていた。それは赤い雷を操る能力であり、人々の中にはその力を災いを生む能力として恐れる者がいた。

    王国には古くからの言い伝えがある。災いを呼ぶ邪の子———かつて世界には、生まれた子の中に災いを呼ぶ力が備わっている者が生まれる事があると言われている。その力は闇を象徴する色の炎、邪悪なる力を象徴する色の雷と様々なものであった。

    ヴェルラウドが赤い雷を操る能力がある事を知ったのは、王国に住んでいる行方不明の少女を助けに行った時での事だ。少女は空飛ぶ魔物に捕まっていた。魔物の動きはかなりのもので、並みの実力では太刀打ち出来ない程の強敵だった。空からの奇襲に苦戦している最中、ヴェルラウドの中から何かが目覚めた。感じた事のない鼓動の高鳴り。自らの剣に宿る謎の力。それが赤い雷となり、雷を纏った剣の一撃によって魔物を打ち倒した。少女は救われたものの、ヴェルラウドは突然発動した自身の謎の力に戸惑いを隠せないばかりであった。その直後、王国に脅威が襲い掛かった。魔物の襲撃であった。王国に現れた魔物達は何者かの命令で動いている魔物達であり、ヴェルラウドを狙っている様子であった。迎え撃つ王国の騎士達はあえなく魔物の軍勢の前に敗れ去り、残された国王と姫を守る為に果敢にも魔物に立ち向かうヴェルラウド。だが、多勢に無勢である事は明白であった。魔物の群れに倒されたヴェルラウドに敵の凶刃が振り下ろされた時、姫が我が身を挺してその凶刃を受けた。血に塗れ、倒れる姫の姿を見たヴェルラウドは赤い雷を呼び起こし、目の前の魔物の群れを一瞬でなぎ倒す。だが、呼び起こされた力は一瞬のものであり、赤い雷が消えた時、ヴェルラウドはその場に倒れ付した。


    目を覚ました時、見知らぬ集落にいた。倒れたヴェルラウドを救ったのは、父である騎士団長であった。人々によると、父は傷だらけの身体を引きずりながらもヴェルラウドを連れて魔物から逃げる事を選び、集落に辿り着いた頃には力尽き、既に息絶えていた。守るべき存在だった姫を目の前で失い、故郷と父を失い、更に父からの遺言によると、王国を襲撃した魔物達はヴェルラウドを狙っているという。魔物達が自分を狙う理由は何なのか。その答えがわからないままヴェルラウドは自分を救った父の弔いをし、当てのない旅に出た。旅の果てに流れ着いた場所———それがサレスティル王国であった。

    サレスティル女王に騎士としての素質を見抜かれたヴェルラウドはサレスティル王国の騎士として生きる事を選び、女王と王女シラリネを守り続けていた。騎士道精神に溢れ、命に代えてでも守ろうとするヴェルラウドの姿に惹かれたシラリネは想いを馳せるようになっていた。


    「……ラウド!ヴェルラウド!」
    部屋でうたた寝をしていたヴェルラウドが目を覚ました時、シラリネの顔が視界に飛び込んだ。
    「ああ、姫……夢を見ていたのか」
    「夢?」
    「俺の……過去の夢をな」
    ヴェルラウドは自身の剣をぼんやりと眺めている。同時にレウィシアと剣を交えた時に発動した赤い雷の力について思い浮かべていた。
    「姫よ。俺の事を、正直怖いと思った事はないのか?」
    「え?」
    「クレマローズの王女レウィシアと剣を交えた時に、あなたも見ていたはずだ。赤い雷を」
    シラリネは思わず黙り込んでしまう。
    「……やはり俺は、この国にいるべきではなかった。女王が心変わりしたのも、俺が呼び寄せた悪魔のせいなのかもしれん」
    項垂れるヴェルラウドを見てシラリネは違うわ、と声を張り上げる。
    「どうしてそう思うの?呼び寄せた悪魔って何?あなたが何者であろうと、そんな事関係ないわ。あなたは、私達をずっと守ろうとしているじゃない」
    シラリネがうっすらと涙を浮かべる。
    「あなたがこの国に来て間もない頃、こう言ったじゃない。命に代えてでもお守りするって。私、すごく嬉しかったんだから」
    ヴェルラウドが顔を上げた瞬間、シラリネはそっとヴェルラウドの頭を抱き、唇を重ね合わせた。突然のキスに思わず目を見開かせるヴェルラウド。唇が離れた時、シラリネの吐息がヴェルラウドの顔を覆うように広がった。言葉を失うばかりのヴェルラウドを、シラリネが両手で頬を抑え、顔を近付ける。
    「……お願い……行かないで」
    シラリネが囁くように言う。ヴェルラウドは言葉に出来ないままであった。


    城の地下牢獄に、レウィシアとクレマローズの兵士達が捕われていた。各一人ずつ牢屋に閉じ込められており、レウィシアも単身で牢屋に閉じ込められていた。
    「……う……ここは……」
    目を覚ました時、レウィシアの視界に飛び込んできたのは水滴の音が響き渡る暗い牢屋の中だった。思わず身の確認をすると、剣と盾は没収されていた。
    (何とかここから脱出しないと……でもどうすれば……)
    鉄格子の向こうに見えるのは、見張りの兵士だった。だが、兵士は居眠りしていた。
    (せめて、この鉄格子を開ける事が出来たら……)
    そんな事を考えていると、突然レウィシアの懐が何かもぞもぞと動くのを感じる。顔を出したのは小さな白い生き物……ソルだった。
    「ソル!無事だったのね」
    ソルはきゅーきゅーと鳴き声をあげると、小さな体を活かして鉄格子の隙間から牢屋を出る。まるで何かを探している様子のソルを見て、もしや脱出の手口をと察するレウィシア。数分後、ソルは一つの鍵を持ってレウィシアの元へやって来る。しめたとばかりにレウィシアは鍵を受け取り、鉄格子の錠の鍵を開けた。開錠し、牢屋から脱出したレウィシアは見張りの兵士を確認しながらもそっと歩くと、ソルは何処かへ案内するかのように先走りを始める。一体何処へと思いながら後を付けると、独房に辿り着く。ソルが持ってきた鍵で開錠して扉を開けると、レウィシアの剣と盾が保管されていた。
    「やった!流石ソルね!後はみんなを助けなきゃ」
    剣と盾を取り戻したレウィシアは独房から出て兵士達が捕われている牢屋へ向かう。だがその時、背後から足音が聞こえる。
    「貴様、そこで何をしている!」
    振り返ると、見張りの兵士二人と重装兵一人の姿があった。
    「むっ、貴様はクレマローズの!?おのれ、脱獄だな!皆の者、捕えろ!」
    重装兵の号令で次々と現れる兵士達。向かう先と背後にも兵士がいる挟み撃ち状態となってしまった。
    「くっ、迎え撃つしかないの!?」
    レウィシアが剣を構えると、ソルがレウィシアの懐に飛び込み、姿を透過させてレウィシアの中に入り込んでいく。次の瞬間、レウィシアの全身から炎のオーラが発生し、内なる炎の魔力が目覚め始めた。
    「な、何だこれは!?」
    思わず怯む兵士達に、レウィシアは燃え盛る盾を兵士達に向けて投げつけた。ブーメランのように旋回する盾は兵士達を次々となぎ倒していく。
    「くそっ、一端引け!」
    兵士達が退散すると、レウィシアはクレマローズ兵士達が捕われている牢屋を探し始める。数分後、クレマローズ兵士達の牢屋を発見し、持っていた鍵で一人ずつ救出していく。
    「追手が来ないうちに早く脱出するわよ!」
    レウィシアは救出したクレマローズ兵士達と共に地下牢を脱出しようとする。だがその途中、辺りが冷気に包まれ、壁が凍り付き始める。
    「そう易々と逃げられると思ったか?捕われの王女よ」
    現れたのは、槍を持った黒い鎧の男であった。
    「誰!?」
    「俺はバランガ。サレスティルの近衛兵長であり、凍てつく冷気を司る者。ここから先は進めさせん」
    バランガは槍を片手で高速回転させる。その姿を見たレウィシアは戦闘態勢に入る。
    「姫様!」
    「下がってなさい。この男は私が相手するわ」
    レウィシアの言葉に従い、一歩下がる兵士達。
    「貴様の実力が如何程か、見せてもらおう」
    その声が戦闘開始時の合図となり、槍を手に突撃するバランガ。レウィシアは次々と繰り出してくる槍の突きを盾で受け止め、剣で応戦した。


    その頃、サレスティル王国に辿り着いたトリアス達は城門で門番の兵士二人に詰め寄っていた。
    「姫様はここに来ているはずなのに、一体どういうつもりなのだ!城にいらっしゃるのではないのか!?」
    兵士達は訪れたトリアス達に対して城に入れるわけにはいかんと門前払いをするばかりであった。
    「どうした、何事だ?」
    現れたのはヴェルラウドであった。
    「ヴェルラウド様!たった今クレマローズの者が!」
    ヴェルラウドはトリアス達の姿を見て一瞬考え事をするが、直ぐに持ち直して二人の兵士に視線を移す。
    「女王様の元へ案内してやれ。彼らも来客だ」
    そう言い残し、ヴェルラウドはその場から立ち去る。トリアス達は兵士に案内され、謁見の間に迎え入れられた。
    「ほう……まだ来客がいたのか」
    女王を前に跪くトリアス達。女王の傍らにはヴェルラウドが立っている。
    「サレスティル女王、姫様は今どちらへ?お姿が見えないようですが」
    トリアスはその場にレウィシア達がいない事に不審を感じていた。そんなトリアスを見て女王は含み笑いを始める。
    「安心しろ。今会わせてやる。牢獄でな」
    冷酷な表情を浮かべる女王の一言に思わず立ち上がるトリアス。
    「……どういう意味だ?貴様、本当に女王なのか?」
    トリアスと二人のクレマローズ兵士は剣を構える。
    「クックックッ、無駄だ。いかにお前達が刃を向けようと、この私を止める事など出来ぬ。ヴェルラウドよ、こやつらの始末は任せるぞ」
    「ハッ」
    ヴェルラウドが剣を抜くと、周囲に緊迫とした空気が漂う。そんな謁見の間の様子を影で眺める者がいる。シラリネであった。


    地下牢で行われるレウィシアとバランガの戦い。バランガの鋭い槍の一撃がレウィシアの左腕を掠める。傷口からは血が流れていた。レウィシアは着ていたマントを脱ぎ捨て、剣を構えると再び炎の魔力を高め始める。
    「なるほど……どうやら全力を出さねばならんようだな」
    バランガの傍らに、氷のような宝石が埋め込まれた海豹のような小さい生き物———氷の魔魂の化身が出現した。氷の魔魂の化身を見たレウィシアは驚きの表情を浮かべる。
    「それは……まさかあなたも!?」
    「フッ、こいつの力があれば貴様の炎も凍らせるであろう」
    氷の魔魂の化身は姿を透過させ、バランガの中に入り込んでいく。バランガの身体から氷の魔力によるオーラが発生し、周囲に雹を伴った凍てつく冷気が襲い掛かる。
    「くっ、この冷気は……!」
    襲い来る雹を盾で防ぐレウィシアに、バランガが槍の攻撃を繰り出していく。突きの攻撃を盾で防御するものの、次に襲い掛かるのは振り上げによる攻撃だった。
    「ああぁっ!」
    その攻撃に転ばされてしまうレウィシア。立ち上がろうとした時、バランガは氷の魔力を高めながら槍を振り回していた。
    「食らえ、百裂氷撃槍!」
    無数の雹の塊と共に氷の魔力を帯びた槍による怒涛の連続突きがレウィシアを襲う。
    「くっ!うぁっ……がはっ!ぐっ……!ごはあっ!!」
    剣と盾で防御しようとするものの、防ぎきれず次々と攻撃を叩き込まれたレウィシアは勢いよく壁に叩き付けられ、バタリと倒れる。
    「姫様ーー!!」
    クレマローズの兵士達がレウィシアの元に駆け寄る。
    「まだよ……」
    レウィシアは身体を起こし、ぐはっと咳込んでゆっくりと立ち上がる。頭や口から血が流れ、ペッと口内に溜まっていた血混じりの唾を吐き捨てて口元を手の甲で拭い、再び剣を構えた。
    「流石は諦めが悪いな、王女よ。貴様のような女はそう嫌いではない。俺にとってはやりがいのある相手だからな」
    氷のオーラを身に包むバランガの周囲は冷気の風に覆われていた。
    「さあ、続けましょう。例え何者であろうと、負けられないわ」
    その台詞に応えるかのように、レウィシアの身体を包む炎のオーラがますます燃えていく。
    「行くぞ」
    レウィシアとバランガが再びぶつかり合う。炎の剣による斬撃と氷の槍による突きの戦い。槍特有のリーチの長さを活かした遠距離からの連続攻撃を主流としたバランガの攻撃から何とか隙を伺おうとするレウィシア。盾を投げてもバランガの槍による高速回転で弾かれてしまい、正面から近付こうとすれば突きの餌食となり、距離を取ると連続攻撃の的となる。バランガの槍の腕に関しては隙が無い程の実力であった。
    「あああぁぁっ!!」
    バランガの槍がレウィシアの右腕を貫く。激しい激痛のあまり、思わず剣を床に落としてしまう。その隙を見逃さなかったバランガは再び槍を振り回す。
    「終わりだ」
    百裂氷撃槍———雹の塊を伴う槍の連続突きがよろめいたレウィシアに襲い掛かる。
    「ぐはっ!うっ……ああぁぁぁぁ!!」
    レウィシアは身体に攻撃を受けながらも瞬時に盾を構え、剣を拾い上げ、火が付いたように真正面に突撃していく。思わぬ捨て身の反撃に一瞬攻撃の手を止めたバランガの隙を見つけ、レウィシアは炎を纏った剣の一撃を繰り出した。
    翔炎斬———炎に包まれた剣による斬り上げはバランガの鎧もろとも切り裂き、その傷口からも炎が残った。
    「ぐあああああ!!」
    斬り上げによるダメージに加え、身体の炎の熱さに苦しむバランガ。更にレウィシアはバランガの懐に飛び込み、鋭い連続斬りを放つ。
    火迅閃———その斬撃は、決定打となった。炎の斬撃はやがてバランガの全身に大火傷を生み、身体に炎を残したまま膝を折り、そのまま崩れ落ちた。
    「ぐっ……まさか……玉砕覚悟で向かうとはな」
    傷ついた姿のレウィシアは全身に激痛が走る中で脇腹を抑えながら、倒れたバランガの姿を見下ろしていた。レウィシアの脇腹からは血が流れている。槍に刺された傷跡であった。
    「肉を切らせて骨を断つといったところね。運が悪ければ急所をやられていたわ」
    バランガは自分を見下ろすレウィシアの目を見る。その目からは太陽のように輝く意思と闘士の力を感じ取っていた。
    「太陽の心に敗北した、という事か……」
    自身の敗因を悟ったバランガは感無量と言わんばかりの表情になる。
    「姫様、大丈夫ですか!?」
    クレマローズの兵士達がレウィシアに声を掛ける。
    「平気よ。結構やられたけど、まだ戦えるわ」
    レウィシアは傷の痛みを感じるものの、炎の魔力による焼灼止血効果が働いた事で槍で貫かれた右腕の傷口は塞がっており、脇腹の傷は既に止血状態となっていた。
    「……レウィシアよ、俺の負けだ。女王を止めたければ止めるがいい。だが……貴様にそれが出来るかな……」
    そう言い残し、バランガは意識を失う。レウィシアは何がどうあろうと女王を止めなくてはと思い、兵士達を連れて地下牢獄を出て謁見の間へ足を急がせた。


    謁見の間では、ヴェルラウドが操る赤い雷の攻撃を受けたトリアスとクレマローズ兵士二人が倒れていた。
    「うぐっ……ひ、姫様……」
    トリアスは起き上がろうとするが、身体に痺れが残って動かす事が出来ず、そのままガクリと気を失ってしまった。そんなトリアスをヴェルラウドが剣を手に見下ろしている。
    「出来れば止めを刺したくはないが……これも女王の命令でな。悪く思うなよ」
    ヴェルラウドが剣を振り下ろそうとする。
    「お待ちなさい!」
    声と共に現れたのはレウィシアだった。
    「ほう、貴様が現れたという事はバランガはやられたという事か。全く役に立たぬ奴よ」
    女王が冷徹な態度で言い放つ。
    「黙れ!今のお前は女王の姿をした悪魔である事は明白。このクレマローズ王女レウィシア・カーネイリスが、今ここで引導を渡して差し上げます!」
    剣を手にレウィシアが叫ぶと、女王は高笑いを始める。
    「フハハハハ、威勢だけは大したものだな。その傷ついた身体でヴェルラウドに勝てると思うのか?」
    女王の言葉に応えるかのように、レウィシアは右腕と脇腹の傷跡が疼くのを感じる。
    「ヴェルラウドよ。見せしめにうつけ者の王女を殺してしまえ。奴は負傷している。首を取るのも容易いであろう」
    ヴェルラウドがレウィシアに剣を向けると、双方が正面から激突し、再び激しく剣を交える。負傷した身体であるにも関わらず、持ち前の闘志でヴェルラウドと互角の戦いを繰り広げるレウィシア。地を蹴り、大きく振り下ろされたレウィシアの剣を間髪で受け止めるヴェルラウド。お互いの剣がぶつかり合ったまま、レウィシアはヴェルラウドの眼前まで顔を寄せる。
    「ヴェルラウド。あなたはこのまま女王に従い続ける事が本当に正しいと思っているの?」
    息がかかる程の至近距離まで顔を近付けたレウィシアは鋭い眼差しを向けながら、眼前のヴェルラウドに問いかける。
    「お前の知った事ではない。俺にはサレスティルの騎士として女王と姫を守る使命がある。ただそれだけの事だ」
    ヴェルラウドは剣に力を込め、レウィシアを押しのけようとする。だがレウィシアは離れようとせず、疼く傷跡による苦しみの吐息を漏らしながらも言葉を続ける。
    「いいえ、あなたは迷っている!あなたの目を見ているとその事がわかるわ。今の女王がおかしいと知っていて、女王に逆らえない理由があるんでしょう?それに、今あなたは私達を本気で殺そうとしていない。もしあなたが女王の命令通りに私達を殺すつもりなら、すぐにあの赤い雷の力を使って首を取ろうとするはず」
    レウィシアの言葉に半ば動揺しつつも、ヴェルラウドは全力でレウィシアを押しのける。傷跡の痛みと重なり、尻餅をつくレウィシア。
    「……お前に何がわかるというんだ。いい加減そのクチを黙らせてやる」
    ヴェルラウドは剣先に赤い雷を発生させる。レウィシアは立ち上がり、炎の魔力を高めると同時に両手で剣を構えた。
    「はああああああっ!!」
    炎に包まれたレウィシアと赤い雷に覆われたヴェルラウドの力がぶつかり合う。赤い雷の一撃を受けて吹っ飛ばされ、壁に叩き付けられるレウィシア。同時に炎を纏った剣の一撃を受け、倒れるヴェルラウド。
    「……げほっ!ぐっ……」
    レウィシアが身体を起こし、立ち上がる。痺れは感じないものの、ダメージはかなりのものだった。
    「うぐっ!がはっ……」
    続いてヴェルラウドが剣を手に立ち上がる。身体には剣の一撃による傷跡が刻まれ、周囲に焦げた服の痕が残されていた。お互いダメージを受けつつも、再び剣を向けた睨み合いが始まる。
    「もうやめて!」
    突然聞こえてきた声。現れたのはシラリネだった。
    「姫!」
    「ヴェルラウド、これ以上間違った方に剣を向けるのはもうやめて……」
    シラリネが涙を流しながら言うと、ヴェルラウドは戸惑いの表情を見せる。
    「フン、役立たずの娘がノコノコとやって来て何が出来るというのだ?」
    女王が罵ると、シラリネは鋭い目を向ける。
    「あなたのせいで……あなたのせいでヴェルラウドは……サレスティルは……!」
    女王は薄ら笑みを浮かべ、ナイフを手に自らの右腕に突き刺す。同時にシラリネの右腕から血が噴き出し、刺し傷が現れる。シラリネは刺された傷の痛みに声にならない悲鳴をあげるばかりだった。
    「こ、これは!?」
    その状況を見ていたレウィシアは思わず女王とシラリネの腕の傷を見る。二人の傷口が完全に一致しているところを見てまさか、と口にした時、女王が笑い出す。
    「フハハハハ、気が付いたようだな。そう、この私とシラリネは肉体のダメージを共有している状態。つまり私の身体が傷つくとシラリネの身体も傷つく事になる。その事もあってヴェルラウドを始めとする城の者どもは私の首を奪う事すらも出来ぬというわけよ」
    そういう事かと理解したと同時に一体何故こんな状態に、と考えあぐねるレウィシアはヴェルラウドの方に視線を移す。ヴェルラウドは何も答えようとしない。
    「だがレウィシアよ。このカラクリを理解しても貴様はヴェルラウドと戦う事に変わりはない。こやつはシラリネを守る為に戦うのだからな」
    冷酷に振る舞う女王とシラリネの姿を見たヴェルラウドは戸惑うものの、剣を握り締めて再びレウィシアに挑もうとする。
    「何故……女王とシラリネ王女はこのような状態に?」
    「……俺にもわからん。だが、お前を倒さねば姫は……」
    レウィシアはこのまま戦いを続け、ヴェルラウドを倒して女王を討ち取るべきかどうかで悩み始める。同時にヴェルラウドも心の中で迷いを募らせていた。

    姫の為とはいえ、こんな戦いは俺も望んでいない。今の女王は本当の女王ではないのはわかっている。ましてや他国を侵攻する戦争など……!だが、姫の命は女王が握っている。もし俺が女王の命に背く事があらば姫はどうなるかわからない……。俺は……本当にこのままでいいのか?

    「……くっ、うおおおおお!!」
    ヴェルラウドは迷いを振り切るかのように、剣を手にレウィシアに斬りかかった。瞬時に剣でその斬撃を受け止めるレウィシア。
    「やはり迷っているのね。力が弱まっているのを感じるわ」
    「うるさい!俺は……俺は……!」
    「私だって同じよ。最初は女王を討ち取ろうと考えていたけど、そうはいかなくなったから」
    レウィシアに押し返され、ヴェルラウドは後方に飛び退く。剣を両手で構えると、ヴェルラウドの剣先に赤い雷が発生する。
    「……許せ、レウィシア。俺は二度も守るべきものを失いたくない。その為にも、俺は……!」
    ヴェルラウドの赤い雷を見てとっさに防御態勢に入るレウィシアだが、不意に傷跡が疼き、全身が激痛に襲われる。ヴェルラウドの剣が赤い雷に覆われると、これで決着を付けると言わんばかりに両手で剣を持ったまま斬りかかる態勢に入った。
    「やめてええええ!!」
    悲痛な叫び声をあげたシラリネがヴェルラウドの前に飛び出す。
    「姫、そこを離れろ!」
    「嫌よ!これ以上戦いを続けるつもりなら絶対に離れないわ!お願いだからもうやめて……」
    シラリネは涙を流し、泣き崩れる。剣を覆う赤い雷は次第に消えていき、その場に立ち尽くすヴェルラウド。
    「シラリネ王女……」
    レウィシアはしゃがみ込み、そっとシラリネに手を差し伸べようとする。
    「ええい、鬱陶しい!いつまでくだらぬ茶番を続けるつもりだ!」
    女王が激昂の声をあげる。
    「ヴェルラウド、シラリネの腕を斬り落とせ!」
    「え!?」
    「命令だ!私の腕も斬り落とされる事になるが、それでも構わぬ」
    「お、お言葉ですがそこまでは……」
    「フン、これくらいなど造作もない事は存じているであろう?」
    女王はナイフを取り出し、左手の甲に深く突き刺した。同時にシラリネの左手の甲にも傷穴が開き、血が吹き出す。
    「あああぁぁああ!!」
    激痛のあまりシラリネが傷口を抑えながら叫ぶ。
    「……貴様ぁ!!」
    立ち上がったレウィシアは怒りの表情に満ちていた。女王は嘲笑うかのように、左手の甲の傷穴から流れる血を舌で舐め回している。
    「まあいい。ヴェルラウドよ、まずはレウィシアの首を斬り落とせ。シラリネの腕はその後でいい」
    女王の傍若無人さにヴェルラウドは半ば怒りを覚えつつも、レウィシアの方に視線を向ける。だが剣を持つ手は次第に力が抜けていき、剣を床に落として項垂れてしまう。
    「俺は……どうすればいいんだ……俺は……」
    レウィシアはヴェルラウドの様子を見て言葉を失ってしまう。
    「ヴェルラウド。何を躊躇する必要がある?レウィシアを殺せ!くだらぬ情けに踊らされるな!」
    女王が声を荒げる中、シラリネが突然立ち上がり、女王の方に視線を移す。
    「……あなたが傷つけば私も傷つく。あなたに与えられたこの呪われた首飾りのせいでそうなってしまった。ならば……私が死んでしまえば……」
    シラリネはクレマローズの兵士が使っていた剣を拾い上げ、剣先をそっと自分の左胸に近付ける。
    「姫!何をするつもりだ!?」
    「……ヴェルラウド、ごめんなさい。この国の為にも……これ以上あなたを苦しませない為にも……お母様……いえ、女王の姿をした悪魔と共に……!」
    シラリネの行動に女王の表情が悪鬼のようなものに変化する。
    「ま、まさか……貴様あああああッ!!」
    シラリネは涙を溢れさせながらもヴェルラウドとレウィシアの方に顔を向け、そして再び女王の方に顔を向ける。次の瞬間、シラリネの左胸に刃が深く食い込まれる。
    「……がっ……げぼっ」
    刃は心臓を貫き、大量の血を吐いて倒れるシラリネ。同時に女王の左胸にも剣で貫かれた傷穴が生まれ、血を吐きながら叫び声をあげて倒れた。ヴェルラウドは瞬時に倒れたシラリネに駆け寄り、その体を抱き起こす。シラリネの体は僅かに体温が残っているものの、呼吸は既に止まっている。即死だった。
    「な……なんて事……そんな……」
    レウィシアは愕然とするばかりであった。

    「……シラリネェェェエエエーーーーーーーーーーッ!!」

    鮮血に塗れたシラリネの遺体を抱きながら、ヴェルラウドは悲嘆の声をあげていた。
    「ヴェルラウド……」
    レウィシアがヴェルラウドの傍まで近付こうとしたその時———

    ———おのれぇぇ……無能な娘如きが味な真似をををっ……!!

    倒れた女王がゆっくりと起き上がると、女王の体が変化していく。髪は影のような黒い蛇に変化し、顔と四肢の部分も真っ黒に染まっていき、目は赤く光っている。その姿はもはや魔物であった。
    「それが……それがお前の本当の姿なの!?」
    本性を現した女王を前に、レウィシアは怒りと共に剣を構えた。



    迫り来る暗黒の魔手故郷だった王国は、魔物によって滅びた。俺を狙う魔物どもに滅ぼされた。
    騎士として育てられ、騎士として戦う俺をずっと見守ってくれた姫———王と共に姫を守る事が出来なかった。

    俺を狙う魔物どもによって、王と姫は殺された。俺の目の前で。
    そして今、第二の故郷となるこのサレスティルでも、忌まわしき悲劇が繰り返されたのだ———。


    姫様、ご安心を。このヴェルラウド、命に代えてでもあなたをお守りいたします。

    もう、騎士様ったら堅苦しいわよ。私は王女だからって偉いとは思ってないしそんなに偉くもないから、畏まらなくてもいいのよ。

    ふむ……では、改めてよろしく頼むよ。姫。俺の事は騎士様じゃなくてヴェルラウドと呼んでくれ。

    そうそう、それでいいのよ!こちらこそよろしくね、ヴェルラウド!


    余所者でありながら女王から王国を守る騎士として任命された俺を快く受け入れ、まるで友達のように接してくれる姫。突然、悪魔と化した女王の奸計を止めるべく、姫は自らの死を選んだ。俺は、血に塗れた姫の遺体をいつまでもこの手に抱いていた。姫を……シラリネの名を叫びながら———。


    「グオオオオオアアアアア!!」
    完全なる魔物と化し、邪悪な本性を現した女王。傷の痛みに耐えつつも立ち向かおうとするレウィシアだが、ヴェルラウドはシラリネの亡骸を抱いたまま蹲っていた。
    「虫ケラどもが……貴様らだけは生かしておけん。レウィシア……まずは貴様から八つ裂きにしてくれるわ!」
    黒い蛇となった女王の長い髪が逆立つと、次々とレウィシアに向かっていく。蛇の顔をした髪の先端部分は鉄のように硬く、まるで無数の拳が襲い掛かるかのような攻撃であった。
    「ごぁはあっ!!」
    無数の髪による攻撃を顔面に受けたレウィシアは、血混じりの唾液を撒き散らしながら吹っ飛ばされ、壁に叩き付けられる。
    「ぐっ……!ハァッ、ハァッ……」
    息を荒くさせ、立ち上がろうとするレウィシア。
    「くくく……無駄無駄。虫ケラが何度立ち上がろうと無駄な事よ」
    髪を逆立たせながら笑う女王。だがその目は血走っていた。
    「レウィシア、大人しくしていろ。こいつは俺がやる」
    ヴェルラウドが剣を手にレウィシアの前に立ち、女王に鋭い目を向ける。
    「ヴェルラウド、私はまだやれるわ。ここは二人で……」
    「いいから俺にやらせろ。こいつだけは俺の手で倒す。こいつは栄誉ある女王の名を汚し、俺を謀り、王国の人々を苦しめた挙句シラリネを死に追いやったんだからな」
    ヴェルラウドは剣に赤い雷を発生させ、両手で構えを取る。
    「フハハハ、ヴェルラウドよ。私を斬るつもりか?この首飾りがある限り、私を傷つけるとシラリネも傷つくのだぞ?いかにシラリネが死んだとしても、シラリネの亡骸を更に傷つける事は出来るのか?」
    嘲笑う女王の言葉にヴェルラウドは一瞬シラリネの亡骸に視線を移すが、すぐに醜悪な女王の姿に視線を向けて斬りかかる。無数の拳の如く次々と叩き付けていく髪の攻撃を受けながらも立ち向かうヴェルラウド。だが、女王の髪はヴェルラウドの身体を捕えた。
    「クックックッ、ヴェルラウドよ。貴様はいい手駒だっただけに惜しいぞ。だが、もはや貴様も邪魔者でしかない。あの世でシラリネに会わせてやるぞ」
    女王の指から次々と闇の光弾が放たれる。闇の光弾は捕えられたヴェルラウドに命中し、巨大な蛇の形をした塊となった髪の束がヴェルラウドの腹にめり込まれる。
    「げほぉあっ!!」
    その一撃に血反吐を吐くヴェルラウド。
    「ヴェルラウド!」
    思わずレウィシアが飛び掛かると、女王は指から闇の光弾を放った。光弾の攻撃にあえなく倒されるレウィシア。
    「遊びは終わりだ。まとめて死ぬがいい」
    女王は髪で捕えていたヴェルラウドの身体を放り投げ、大口を開ける。口から溢れ出る闇の瘴気。内部に闇の力が集中している様子だった。
    「くっ……!」
    レウィシアは反撃に転じようとするものの、重なるダメージと傷の痛みで思うように身体を動かす事が出来ない。だがレウィシアはそれでも立ち向かおうとする。

    まだ……負けられない!私の中の炎よ……もっと力を!

    心の中で叫んだ瞬間、レウィシアの炎の魔力が最大限まで高まり、身に纏うオーラは明るく輝く炎となった。同時に女王の口から吐き出される闇の閃光。レウィシアは両手で剣を構え、閃光に向かって突撃する。
    「おおおおおああああああああっ!!」
    剣に全ての力を込めた時、闇の閃光は剣から放たれた炎の波動に相殺され、思わずたじろぐ女王。
    「うおおおおおお!!」
    目が覚め、立ち上がったヴェルラウドが女王に特攻し、剣で斬りつける。その一閃は女王の身体を大きく斬り裂き、傷口からは赤い雷が迸った。
    「グガアアアアアア!!」
    剣の一撃と赤い雷によるダメージで断末魔の叫び声をあげる女王。
    「消えろバケモノ。今すぐ地獄へ送り届けてやる」
    ヴェルラウドは赤い雷に覆われた剣を掲げては頭上から剣を振り下ろし、女王の身体を真っ二つにした。赤い雷の中、女王の肉体は溶けるように消えていく。

    おのれ、忌々しき人間どもぉぉッ……いずれ我が主が貴様らをォォォッ……!!

    最期の言葉を残して女王の姿が完全に消滅した時、シラリネの亡骸も消滅していた。床に落ちた二つの首飾りも溶けるように消えてしまった。
    「シラリネ……」
    ヴェルラウドは床に広がる血痕と刃が血に染まった剣を呆然と見つめている。
    「……シラリネ王女……こんなのって……」
    レウィシアはシラリネが自害に使用した剣を手にした瞬間、言葉に出来ない気持ちのあまり手を震わせた。

    ———クックックッ、予想以上に面白い余興だったよ。

    突然の声。レウィシアとヴェルラウドが身構えると、周囲から黒い瘴気が集まっていき、空中に浮かぶ黒い球体が姿を現した。
    「あれは……!」
    かつてクレマローズで見た黒い球体そのものであり、レウィシアは邪悪な気に戦慄を覚えつつも息を呑む。

    ———もうお気づきであろう、貴様らが戦った女王は我が手によりて生み出された『影の女王』と呼ばれる紛い物。本物の女王は我が計画の素材として確保している。

    目と口を剥き出しにした黒い球体は嘲笑うような笑みを浮かべていた。
    「何だと!?貴様は何者だ!女王は……本物の女王は何処にいる!」
    ヴェルラウドが剣を手に怒鳴る。

    ———ククク、ヴェルラウドといったな。貴様ももしかしたら素材になるかもしれぬが……あやつの事もある。あやつは赤雷の騎士の子として生まれた貴様が一番の狙いだからな。

    「どういう事だ。お前が言ってる奴は俺を狙っている魔物どもと関係あるのか!?」
    ヴェルラウドは思わず故郷となるクリソベイア王国が魔物達によって陥落した時の出来事を振り返る。あの頃、魔物達は自身を狙っている様子だった。魔物達の中には「あの方」「命令通りに」と口走る者もいた。それはまるで何者かの命令で動いているように思えた。故郷を襲撃した魔物達の背後には巨大な敵が存在する。そいつが何らかの理由で自身を狙っている。黒い球体の言葉でそう確信した。

    ———安心しろ、本物の女王は我が手元にある。だが今は素材として利用させてもらうのでな。用が済めば会わせてやるよ。ただし、それまで生きていればの話だがな。

    不敵に言い放つ黒い球体を前にヴェルラウドは拳を震わせるばかりだった。そこでレウィシアが前に出る。
    「お前は何が目的なの!?二年前に太陽の輝石を奪い、偽物の女王を送り込んで全面戦争を仕掛けようとした上に本物の女王を素材として利用するって、一体何をやろうとしているの!?」
    黒い球体は再びクククと不気味に笑い始める。

    ———影の女王はただの余興だ。我が計画が開始される前に貴様ら人間同士が争う光景を拝むのも悪くはないと思ってな。だがそんな事は最早どうでもいい。レウィシアよ、貴様の王国クレマローズは優秀な素材の宝庫だったよ。

    黒い球体の口が大きく開かれると、レウィシアは只ならない邪気に思わず立ち尽くしてしまう。

    ———クックックッ……お喋りはここまでにして一先ず幕引きとさせてもらおう。レウィシアよ、貴様とは近いうちに会う事になるだろう。ただし、別の形での再会となるがな。フハハハハハ……!!

    高笑いする黒い球体は蒸発するように消えていった。謁見の間から邪気が消え失せると、レウィシアは突然身体がよろけ出し、倒れそうなところをヴェルラウドが支えた。
    「大丈夫か?」
    「あ、ありがとう……私なら平気よ。ちょっとよろめいただけだから」
    レウィシアの身体を支えながら、ヴェルラウドは思う。

    俺が魔物に狙われているのは、俺と何かしらの因縁がある何者かの仕業だ。そいつがクリソベイアを滅ぼした元凶だという事が解った今、俺はそいつと戦わなくてはならない。あの正体不明の黒い何かと関連性があるのかは解らないが、クリソベイアを滅ぼした魔物どもを操る存在———そいつは一体何者なのか。俺の持つ赤い雷の力と関係がある事は確かである以上、そいつの元へ向かうべきだろう。そして、本物の女王を助け出さねばならない。俺の為に、サレスティルを守る為に自らの命を捨てたシラリネの為にも。

    俺は、二度も守るべきものを失ったんだ———。


    影の女王との戦いの後———国民を脅かしていた悪政と各国への全面戦争計画は偽物の女王による奸計である事や、シラリネ王女の死、何者かによって本物の女王は既に行方不明になっていた事は大臣によって伝えられ、国民は大混乱の状況となっていた。同時にシラリネの葬儀が行われ、突然の死による追悼に多くの国民が涙に暮れ、その中にはレウィシアとクレマローズの兵士達もいた。城下町の中心部となる広場に墓標となる石碑が立てられ、多くの人々はその場で涙を流し続けた。
    「どうして……どうしてこんな悲しい出来事が繰り返されるの……」
    石碑を前にして溢れ出る涙を拭うレウィシアは、最愛の弟であるネモアの死が脳裏に浮かんでくると同時に無力感に打ち震えていた。黙祷を捧げ、沈痛な面持ちのまま立ち去ろうとすると、町の外へ歩こうとするヴェルラウドの姿を発見する。
    「ヴェルラウド!」
    思わず声を掛けるレウィシア。ヴェルラウドは足を止めてそっと振り返る。
    「何処へ行くつもりなの?」
    「……俺にはやるべき事がある。本物の女王が何処かにいるとわかった今、女王を助け出さねばならない。俺の為に命を捨てたシラリネの為にもな。それが今の俺に出来る事。だから……俺の事は構わないでくれ」
    「そ、そう……」
    ヴェルラウドの目を見た時、止めても無駄だと察知したレウィシアは静かに見守る事を選んだ。
    「あんた達にも、色々と済まなかった……もう俺には関わらない方がいい。達者でな」
    ヴェルラウドはマントを翻し、再び足を動かし始める。レウィシアは王国を去って行くヴェルラウドの背をいつまでも見守っていた。
    「姫様!」
    トリアス率いるクレマローズの兵士達がレウィシアの元へやって来る。
    「むむ、ヴェルラウド殿は……」
    「そっとしておくわ。彼も色々苦しい思いをしているのよ。私には、何も出来なかった……」
    レウィシアは様々な想いを抱きながらも、再びシラリネの墓となる石碑を見つめ始める。吹き荒れる風がレウィシアの髪とマントを靡かせ、自然に零れ落ちた涙を吹き飛ばしていった。

    ヴェルラウド……私にはあなたの悲しみがよくわかる。
    私も……この命に代えてでも守るべき大切な存在を目の前で失ったのだから……。

    シラリネ王女……どうか彼の事を見守ってあげて下さい———。


    王国を後にしたヴェルラウドは突然立ち止まり、振り返る。視界に映るのは、遠く離れた第二の故郷となる王国。ヴェルラウドは上着の内ポケットから一つの小さなペンダントを取り出す。それは、かつてシラリネから貰った赤色に輝く宝石ルベライトのペンダントだった。


    ねえヴェルラウド……これ、よかったら受け取って。

    うん?これは……。

    サレスティルに伝わるお守りよ。ルベライトっていう石なんだけど、きっと何かのお守りになるかなって思って……。

    そうか、ありがとう。大切にするよ。

    ふふ、喜んでくれて嬉しいよ。これからも私の騎士様でいてね……ヴェルラウド。

    おいおい、よせよ。俺なんて……。

    ふふ……あはははは!


    ペンダントを握り締めた時に蘇る過去の思い出。だが、その思い出はすぐに消えていき、一滴の涙が零れ落ちる。
    「……シラリネ……俺は……」
    ヴェルラウドは溢れる涙を拭い、ペンダントを胸ポケットにしまうと再び歩き始めた。


    数時間後、レウィシア達はサレスティル王国の大臣に呼び出され、謁見の間へやって来る。謁見の間には大臣や多くの兵士と重装兵、騎士が集まっていた。
    「この度は我が王国を救っていただき、大変感謝致します。あなた方クレマローズの方々がいなければ我がサレスティルは偽物の女王の思うが儘にされていた事でしょう」
    大臣はレウィシア達に感謝の意を込めて礼を述べると共に深くお辞儀を始める。
    「ところで、ヴェルラウドと近衛兵長のバランガは何処へ?いつの間にか姿が見えなくなりましたが」
    「……ヴェルラウドは、本物の女王を助ける為に旅に出ました」
    「なんと!?してバランガは……」
    「彼は……地下牢に捕われていた私に戦いを挑んできました。私との戦いに敗れてからどうなったのかまでは……」
    兵士達が騒然となる中、言葉を詰まらせるレウィシア。地下牢で倒れたバランガの姿は既に消息を絶っており、城内はおろか、王国中にもいないという。
    「まさか偽物の女王がやって来てから王国が誇る戦士二人がいなくなるとは……本物の女王はご無事であろうか……」
    落胆する大臣。その時、一人の兵士が慌てた様子でやって来る。
    「クレマローズのレウィシア様!たった今、負傷したクレマローズの兵士の者が城門前に!」
    「何ですって!?」
    突然の報告に急な胸騒ぎを覚えたレウィシアとクレマローズ兵士は城門前に向かう。城門前にはズタボロに傷ついた姿で倒れていた兵士がいた。
    「どうしたの、大丈夫!?何があったの!?」
    レウィシアが倒れた兵士に声を掛ける。
    「ハァッ……ハァ……ひ、姫様……邪悪な力を持つ者がクレマローズに……こ、このままでは……ぐ、ぐぼっ!」
    兵士は血を吐きながら言葉を続けようとするが、声に出せずそのまま意識を失う。まだ息はあるものの、かなりの重傷であった。倒れた兵士は門番の兵士によってサレスティル城に運ばれていった。
    「……戻りましょう、クレマローズへ。今度は私達の国を守らなきゃ」
    レウィシアは兵士達と共に王国を後にし、馬に乗ってクレマローズへ向かった。


    その頃、クレマローズは不穏な空気に包まれていた。建物のところどころが破壊され、街中には人の形をした影のような魔物が徘徊していた。城下町の警備をしていた兵士達は倒されており、民間人は家内に避難している。教会の聖堂では、神父のブラウトとルーチェが道化師の男と対峙していた。
    「貴様、何者なのだ!この邪気は一体……」
    ブラウトは道化師の男から放つ凄まじい邪気に立ち竦んでいた。
    「そういきり立つな。オレはこの国にある素材を集めに来ただけだ。邪魔さえしなければ命を奪う気は無い」
    道化師の目が赤く光ると、聖堂に祀られた女神像が一瞬で粉々に砕け散る。破片の中からは、白銀に輝く鍵が現れる。
    「め、女神像が……!おい貴様、やめろ!その鍵は……!!」
    ブラウトが道化師に掴みかかるが、道化師は一瞬でブラウトの鳩尾に拳を叩き付ける。
    「ぐあはっ!!」
    吹っ飛ばされ、壁に叩き付けられたブラウトは血を吐いて倒れる。その一撃によって肋骨が砕かれていた。
    「神父様!」
    「ル、ルーチェ……逃げろ……」
    ルーチェの背後には道化師の姿があった。不意に気配を感じて振り返ると、ルーチェの表情が恐怖の色に変化する。
    「……邪魔だ」
    道化師はルーチェの頭を掴み、乱暴に放り投げる。もんどり打って倒れるルーチェ。ブラウトは何とか立ち上がろうとするが、道化師の腕がブラウトの身体を貫いた。
    「ごぉああはああ!!」
    断末魔の叫び声をあげると、ガクリと息絶えるブラウト。返り血を浴びながら不敵に笑う道化師。身体を貫いている腕が引き抜かれ、ドサリと床に倒れるブラウトの亡骸。道化師は動かなくなったブラウトの亡骸を無慈悲にも踏みつけ、目から放った光線で頭部を吹き飛ばした。
    「神父……さ……ま……うっ、うわあああああ!!」
    その残虐な光景にルーチェは怯えるあまり、逃げ出してしまう。道化師は女神像の破片の中にある白銀の鍵を手に取り、ペロリと舌なめずりを始める。
    「クックックッ……あともう一つだ」
    白銀の鍵を手に入れた道化師が教会から出ると、教会は突然炎に包まれ、やがて建物全体に渡って炎上していった。道化師の手からは水晶玉が出現し、目が紫色に光る。


    クレマローズ城の謁見の間では、見開かせた目玉と大きく裂けた口が浮かび上がる巨大な黒い影とガウラ王がいた。傍らには倒れた数人の兵士がいる。
    「お前は一体……魔物なのか?」
    問い掛けるガウラに対し、影は口から長い舌を出す。

    ———ガウラ王よ。貴様も素材に選ばれた。貴様は我が主へ捧げし者……我が計画に協力してもらおう。

    「ぐおあああああ!!」
    伸びる長い舌はガウラを捕え、黒い放電と共に襲い来る電撃。ガウラは拘束から逃れようとするものの、更に強烈な電撃が迸る。
    「う、ぐ……貴様……やめろ……」
    成す術もなく影の口の中に放り込まれていくガウラ。黒い影の姿は空中に浮かび上がる球体へと変化していき、口から何かが吐き出される。それは、魔獣のような形をした一つ目の影の魔物であった。

    ———これでこのクレマローズに存在する素材は全部揃った。シャドービーストよ。後は任せるぞ。

    黒い影が消えていくと、シャドービーストは唸り声をあげながらも、倒れた数人の兵士達に近付いていった。その目は獲物を狙おうとしている獣の目そのものであった。


    「はぁっ、はぁっ……ううっ……」
    逃げるルーチェの前に影の魔物が立ちはだかる。ルーチェは恐怖心と戦いながらも、両手に魔力を集中させる。その魔力は、聖職者に備わった光の魔力だった。
    「邪悪なる魔物よ……聖なる光の波にて浄化されよ……ホーリーウェーブ!」
    光の波が影の魔物を飲み込んでいく。影の魔物は不気味な唸り声をあげながら浄化され、王国の外へ逃げようとするルーチェ。だが、影の魔物は無数に湧いていた。
    「聖ナル光ノ力ヲ……感ジル……忌マワシキ光ダ……」
    影の魔物が次々とルーチェを追いかけ始める。ルーチェは魔物に追われている事を察知すると、恐怖心のあまり涙目になりながらも全速力で王国から逃げ出した。その姿を燃える教会の屋上から見下ろしている者がいる。道化師だった。
    「あの小僧、並みの聖職者とは思えぬ魔力のようだが……ふむ」
    道化師は再び水晶玉を手に取り、玉に映し出された風景を眺めていた。玉に映るのは、クレマローズ城の謁見の間で倒れた兵士達の身体を喰らい尽くしているシャドービーストの姿だった。



    王女の旅立ち「な、何……!?」
    レウィシアは不意に走る馬を止めた。前方に見えるクレマローズ王国の街並みからは黒い煙が立ち上っているのが見える。やはり何かが起きている、邪悪なる者が王国にいると察したレウィシアは兵士達と共に大急ぎで王国へ向かおうとする。
    「姫様、あれを!」
    トリアスの声。王国まで目と鼻の先という距離まで達した時、レウィシアは倒れている人の姿を発見する。倒れているのは、ルーチェだった。魔物に追われながら王国から逃げたところで別の魔物に襲われ、気を失っていたのだ。
    「あの子は……ルーチェ!?」
    レウィシアは馬から飛び降り、ルーチェの元へ駆け寄る。
    「ルーチェ!大丈夫!?しっかりして!」
    抱き起こして呼び掛けると、ルーチェはうっすらと目を開ける。
    「……う……ん……」
    「ルーチェ!気が付いたのね?」
    ルーチェは目の前にいるレウィシアの姿を見ると思わず涙を浮かべ、レウィシアの胸に飛び込んだ。
    「うっ……うええぇぇん!」
    「よしよし、もう大丈夫よ。お姉ちゃんが守ってあげる」
    胸の中で泣き叫ぶルーチェを抱きしめるレウィシア。
    「何故こんなところにルーチェ君が?一体王国に何があったというのだ……!」
    トリアスは悪い予感が頭から離れず、王国の安否を案じていた。
    「一刻も早く王国へ急がなきゃ!ルーチェ、お姉ちゃんの傍から離れちゃダメよ」
    「う、うん……」
    レウィシアはルーチェの手を引きながら王国に向かって行く。トリアス達兵士もそれに続いた。

    「こ、これは……!?」
    王国に辿り着いたレウィシア達は城下町の様子に愕然とする。大きく燃え盛る教会。破壊された幾つもの建物。徘徊する影の姿をした魔物。間違いなく魔物による襲撃だと確信したレウィシア達はすぐさま戦闘態勢に入る。影の魔物はレウィシア達に気付くと、不気味な声を響かせつつも一斉に襲い掛かった。
    「はあああっ!!」
    レウィシアと兵士達は影の魔物に斬りかかる。それぞれが剣で魔物を斬りつけていくと、魔物は空気に溶け込むように消えていく。だが、魔物の数はかなりのものであった。
    「くっ……キリがなさそうね。みんな、城下町の魔物を食い止めていて。私は城の様子を見てくるわ」
    「ハッ!姫様、どうかお気を付けて!」
    「あ、でも……」
    レウィシアはふとルーチェの姿を見る。安全な場所へ避難させようにも町は魔物が徘徊しており、至るところで建物と家が破壊されている。安心して避難させられるようなところが見当たらない現状であった。
    「城が……せめて城のみんなが無事だったら!」
    レウィシアはルーチェの手を引っ張りつつ、クレマローズ城へ急いだ。城の中に入ると、怯えた様子の兵士がいた。
    「はうっ!ひ、姫様!お戻りになられたのですね!?」
    「城のみんなは?」
    「今地下に避難しております。王国の人々や王妃様も地下牢に……」
    「よかった、無事に避難出来たのね?」
    「ですが、王様は……王様は……」
    「えっ!?」
    震え声で言う兵士にレウィシアの表情が凍り付く。
    「お父様は!?ねえ、お父様はどうなったっていうの!」
    顔を寄せて兵士の体を揺すり、掴みかかるようにレウィシアが問い詰める。
    「と、突然黒い物体が現れて……そいつが王様を飲み込んだんです!しかもそいつは黒いバケモノを生み出して、た、倒れた兵士達を……ひいいい!」
    黒い物体……やはりそういう事かと思わず拳を握ったレウィシアはルーチェを連れて人々が避難している地下牢へ向かう。地下牢には多くの人々とアレアス王妃がいた。
    「おお、姫様!姫様だぞ!」
    人々がレウィシアの姿を見て思わず声をあげる中、アレアスがレウィシアの元へやって来る。
    「レウィシア、無事だったのね」
    「お母様こそご無事で何よりです。でも王国が……」
    「ええ。突然現れたあの黒い影……これ程恐ろしい気配を感じたのは初めてだわ」
    アレアスはガウラを攫った黒い影のとてつもない邪気に恐怖を覚え、物憂げな表情を浮かべていた。
    「お母様、私が何とかしてみせます。それまではこの子を……」
    「あら、その子は?」
    「ぼくはルーチェ……クレマローズの教会の聖職者です。教会は……魔物によって壊されました」
    「まあ、なんて事なの……」
    事態の有様にアレアスは思わず心を痛める。ルーチェを地下牢に避難させると、レウィシアは単身で謁見の間へ向かう。城内の廊下には魔物はいないものの、嫌な予感は止まらないままだった。謁見の間に辿り着くと、レウィシアは身構え、剣を構える。玉座の前には一つ目の鋭い牙を剥けた影の魔獣———シャドービーストが唸り声をあげていた。傍らには肉を喰われ、白骨化した兵士の亡骸があった。
    「まさかお前が……許さない……!」
    無残な姿となった兵士の亡骸を見て怒りを覚えたレウィシアはシャドービーストに戦いを挑む。
    「グルゥオオォォオ!!」
    シャドービーストは俊敏な動きで爪の攻撃を繰り出す。その攻撃はレウィシアのマントを軽く引き裂き、間髪で直撃を避けたレウィシアはマントを脱ぎ捨て、反撃に転じる。だが、シャドービーストの鋭い牙はレウィシアの左肩を捉え、鮮血が迸る。
    「ああぁっ!」
    激痛のあまり叫ぶレウィシア。その時、懐に潜っていたソルがレウィシアの中に入り込み、炎の魔力を覚醒させる。炎のオーラに包まれたレウィシアはシャドービーストの牙から逃れ、後方に飛び退いて態勢を整える。左肩には噛み傷が残り、血が流れていた。レウィシアは炎の魔力を高め、激痛に耐えながらも再び戦いに挑む。炎に包まれた剣による様々な剣技で応戦し、ダメージを与えていくと不意にレウィシアは立ち止まる。シャドービーストが全身に力を溜め始めているのだ。まともに受けると危険だと感じて防御態勢に入ろうとすると、シャドービーストは咆哮をあげる。謁見の間全体に響き渡る程の咆哮によって周囲に衝撃波が巻き起こり、その衝撃によって吹き飛ばされ、壁に叩き付けられるレウィシア。
    「ぐはっ……!」
    唾液を吐き出し、体を抑えながらよろめくレウィシアに、シャドービーストが牙を剥いた大口を開けて突撃する。
    「あああああぁぁぁああっ!!」
    絶叫と共に飛び散る鮮血。シャドービーストの牙はレウィシアの脇腹に食い込まれていた。その牙から逃れようと剣で突き刺そうとするが、牙は更に深く食い込み、全身に激痛が走っていく。
    「あぁがあぁぁああっ!!」
    苦痛のあまり叫び続けるレウィシア。鮮血が床に滴り落ち、血溜まりが広がっていくと、レウィシアは目を見開かせ、叫びと共に全身の力を最大限に高め、炎のオーラを燃え上がらせる。周囲に熱風が吹き荒れ、脇腹に食い込んでいた牙が離れるとレウィシアはガクリと膝をつく。噛み傷からは多量の血が溢れていた。
    「……まだ……倒れるわけにはいかない……」
    口から血が零れ、止まらない出血に目が霞む中、レウィシアは息を荒くさせながらも剣を構え、敵の姿をひたすら凝視する。シャドービーストは再び全身に力を溜め始めると、レウィシアは即座に盾で防御態勢に入る。咆哮と共に衝撃波が繰り出されると、レウィシアは激痛の中で全身を込めて防御に集中した。その結果、衝撃に吹き飛ばされそうになりながらも辛うじて立ち止まり、攻撃態勢に切り替える。すると、脇腹の血や床に広がった血溜まりから煙が上がっていき、徐々に熱を帯びた煙となって周囲に広がっていく。煙によって視界を遮られたシャドービーストはキョロキョロと首を動かすばかり。隙を見つけたレウィシアは炎を纏った剣による一閃を加え、更に次々と一閃を加えていく。
    「ギィエエァァアアアア!!」
    四肢を斬り飛ばされたシャドービーストは、おぞましい断末魔の咆哮を轟かせながら息絶え、闇の瘴気と化して溶けるように消滅した。
    「ぐっ……はぁ」
    レウィシアは激痛が走る脇腹の傷口を抑え、敵が完全に倒れた事を確認しようとした矢先、不意に体が凍り付くような感覚を覚える。
    「クックックッ……なかなかやるではないか。王女よ」
    声と共にレウィシアの前に現れたのは、道化師の男だった。
    「お、お前は……?」
    「ククク……まずは初めまして、と言いたいところだが……貴様と会うのはこれが初めてではないと言っておこう。もっと言えば、過去に少しばかりこの国の兵士どもの相手をしてやった事もあったがね」
    レウィシアは不気味に笑う道化師から得体の知れない邪気を感じ取っていた。それは以前にも似たような感覚であった。
    「魔物を放ったのはお前の仕業なの?それにこの気配、どこかで……」
    「フハハハ、左様。このクレマローズに素材がまだ存在していた事が判明したものでな。それを頂きに来たついでに余興を楽しもうと思い、オレが生んだ魔物を与えてやったというわけだ」
    「素材?ハッ!まさか……!?」
    レウィシアの脳裏に黒い影の姿が思い浮かぶ。あの黒い影は計画に必要となる素材を求めている、と口にしていた。今ここにいるこの道化師の男から感じる得体の知れない邪悪な気配や声も黒い影に通じるものがある。この関係性からレウィシアはまさかと思い、剣を手に身構える。
    「クックックッ……そうだ。貴様が以前見たあの黒い影はオレの分身であり、オレの一部ともいう。即ち影の女王を生み出したのもこのオレ自身でもあるのだ」
    口元を歪めながら冷酷な笑みを浮かべる道化師。レウィシアは凍り付く程の邪気に立ち尽くすと同時に傷口からの痛みが全身を駆け巡っていく。
    「お父様は……お父様は何処なの!?お父様もお前が……!」
    「心配するな。ガウラ王も素材に選ばれたが故にサレスティル女王同様、我が手元にある」
    「何ですって!お父様を……サレスティル女王を返して!」
    気丈に振る舞うレウィシアを前に道化師は冷酷な態度で笑い続ける。
    「フハハハハ、愚か者が。貴様も既に解っているだろう?このオレに挑んでは火を見るよりも明らかだという事がな」
    嘲笑う調子で言い放つ道化師を前にレウィシアは鋭い目を向ける。道化師は一瞬でレウィシアの背後に回り込み、両手でレウィシアの口と鼻を抑えつけた。
    「んうっ!?んんんんんっ!!」
    抑えつける力はとても強く、呼吸が出来ない程であった。レウィシアはその手から逃れようと必死でもがき始める。窒息寸前のところで、道化師は含み笑いをしながらも両手を離す。
    「はっ!はぁっ!はぁ……はぁ……はぁ……」
    レウィシアは呼吸を整えると、背後を振り返る。手に付着したレウィシアの口から流れていた血を舌でペロリと舐めている道化師の姿が視界に飛び込んで来ると、何とも言えない不気味さと恐怖感を覚えるようになった。
    「クックックッ……レウィシアよ。今回はひとまず貴様の勝ちという事にしてやろう。貴様も場合によっては素材になるかもしれぬ。再びオレと会う日まではせいぜい強くなっておくんだな」
    道化師は不気味な笑みを浮かべながら、その場から姿を消した。同時に謁見の間を覆っていた邪気は消え去り、城下町で兵士達が挑んでいた影の魔物達も姿を消していった。レウィシアは止まらない動悸のまま、その場で呆然としていた。王国全体に漂う不穏な空気は消えていき、魔物と戦っていた兵士達が謁見の間へやって来る。
    「姫様!なんと手酷い傷を……」
    「わ、私の事は心配しないで。ここで魔物の犠牲になった兵士を手厚く葬ってあげて……」
    「ハハッ!」
    兵士達は白骨となった兵士の亡骸を葬り、地下牢にいるアレアスと王国の人々に魔物達は消え去ったと伝えると、人々はそれぞれの居場所へ帰っていき、アレアスとルーチェは謁見の間に向かう。
    「レウィシア!その体……」
    「お母様、これくらいなら平気です」
    負傷したレウィシアを気遣うアレアス。そこでルーチェがレウィシアの近くに駆け寄る。
    「その傷……ぼくだったら治せる。少しジッとしてて……」
    「え?」
    「祝福の神よ……傷つきし者へ癒しの光を……ヒールブレス」
    ルーチェの光魔法によって、レウィシアは暖かくやわらかな光に包まれる。傷口がみるみると塞がっていき、負傷から完全に回復した。
    「凄い……傷が治った!ありがとうルーチェ、助かったわ!」
    レウィシアは感激するあまりルーチェを抱きしめて頬にそっとキスをする。その大胆な行動にルーチェは思わず戸惑い、兵士達は和やかな気分になっていた。
    「それにしてもガウラは……ガウラはやはりあの黒い影に……」
    アレアスの言葉にレウィシアは項垂れる。
    「……私はこの場で黒い影の正体となる者に遭遇しました。まるで道化師のような姿をした不気味な男で、全身が凍り付くような恐ろしい邪気に満ちていました。その男がお父様を……」
    「道化師……むむ、もしやあの時の!?」
    トリアスはまるで心当たりがあるかのような反応をする。
    「姫様、二年前に我々が負傷して帰って来た時の事を覚えていらっしゃいますか?北の地で黒い影を目撃したという知らせを聞いて我々兵士団が調査しに行ったあの時の事を……」
    「ええ……まさかあなたもあの時に?」
    レウィシアは思わず過去の出来事を振り返る。


    二年前、北の地で黒い影を見た者がいたという報告を受けてトリアス率いる兵士団は調査に向かった。目撃現場となる地に辿り着いた時、トリアスは一人の男がズタズタに引き裂かれて倒れているのを発見した。その男は目撃者となる人物だと確信し、声を掛けるものの、既に息絶えていた。
    「な、何だあれは!」
    兵士の一人が声を上げる。空中には黒い瘴気が漂い始め、それはやがて黒い球体と化していく。
    「間違いない。あれが黒い影だ!お前達、気を付けろ!」
    トリアス達が即座に身構えると、黒い球体から大きく口が開かれ、その瞬間、何かが目にも止まらぬ速さで兵士達を次々となぎ倒していった。
    「何事だ!?」
    突然の出来事に注意深く周囲を伺うトリアスだが、一瞬のうちに空から何かが投下され、爆発が起きる。
    「ぐわあああぁぁ!!」
    爆発によって吹っ飛ばされたトリアス達は、更に何者かによって姿が確認できないような動きで攻撃を加えられ、成す術もなく倒されてしまう。
    「ぐっ、一体何者の仕業だ……!ひとまず撤退するぞ!」
    深手を負ったトリアスは得体の知れない強大な敵の存在に恐怖を覚え、兵士達と共にその場から撤退した。去り際のトリアスの視界には、三つの目を光らせた人の形をした何かが入っていた。それは背後の影の球体に溶け込んでおり、どのような姿かははっきりとわからなかった。辛うじて撤退に成功したトリアス達はクレマローズ城に帰還し、ガウラに経緯を報告した。
    「なんと……それ程の恐るべき存在だったというのか?」
    表情が強張るガウラ。傍らにいるレウィシアは負傷したトリアス達の姿と相まって思わず息を呑む。
    「お父様……」
    「……どうやら、我々にとっての大敵となりそうだな。レウィシアよ、お前も我々と同様戦神の血を分けた者であり、炎の魔魂の適合者に選ばれた存在。お前もいずれ黒い影と戦う事になるだろう」
    その言葉にレウィシアは俯き、自分の拳を見つめる。やはり私はもっと強くならなきゃいけない。どんな敵にも負けないくらい、強くならなきゃいけない。全てを守る為には———。そう自分に言い聞かせ、拳を握り締めていた。


    「あの頃は正体がはっきりとわかりませんでしたが、恐らく姫様が遭遇した道化師に違いありません……まさかあれが黒い影の正体たる者だったとは……」
    険しくなったトリアスの表情は汗に塗れていた。
    「その道化師はぼくの目の前で……ぼくの育ての親の神父様を……惨殺したんだ。思い出したくもない惨い形で」
    ルーチェの言葉に周囲が騒然となる。
    「ぼくは……二度も親を目の前で失ったんだ……二度も……親を……うっ」
    涙を流しながらもルーチェは項垂れ、すすり泣き始める。
    「ルーチェ……」
    レウィシアはルーチェの頭を撫でながら、包み込むように優しく抱きしめる。本当の母親のような母性的な暖かさと温もりに溢れたレウィシアの優しさに触れたルーチェは、抱え込んでいた辛さと恐怖感、深い悲しみを発散するかのように大声で泣き出してしまい、レウィシアの胸の中でずっと泣いていた。
    「レウィシア……一先ず休みなさい。その子の傍にいてあげると良いわ」
    アレアスの言葉に従い、レウィシアはルーチェを連れて自室へ向かう。兵士達もそれぞれの休息を取るべく、宿舎へ向かって行った。

    その日の夜———レウィシアとルーチェは寝間着姿でベッドの上に腰を掛けていた。
    「ねえルーチェ。あの時、ネモアの弔いをしてくれたよね」
    レウィシアは二年前に亡くなったネモアの葬儀の事を思い出していた。
    「うん……死した者の魂を天に導くのがぼくの使命なんだ。ぼくは聖職者だから」
    「そっか……偉いよね、まだ小さい子供なのに」
    「小さくないよ……別に偉くなんてないし」
    レウィシアはふふっと笑いながらルーチェの頬を軽くつつく。赤子のような柔らかい頬の感触に堪らなくなったレウィシアは、思わずルーチェの頬をつまんでしまう。
    「や、やめてよ」
    「アハハ、ごめんね。可愛かったからつい」
    ルーチェと接しているうちに、まるで最愛の弟であるネモアといるような感覚に陥っていたレウィシアは頭を撫でながら軽く頬擦りしたりと積極的なスキンシップに走っていた。ルーチェは赤面しながらもレウィシアを姉のように、母親のように愛してくれる存在として認識するようになっていた。
    「レウィシア、さま……」
    「なあに?」
    「あの……ぼくね、レウィシアさまのこと……お姉ちゃんって呼んでいい?」
    「え……」
    レウィシアはルーチェの目をジッと見つめ始める。
    「だめ……かな」
    「ダメじゃないわよ!寧ろお姉ちゃんって呼んでくれて嬉しい!今日から喜んでルーチェのお姉ちゃんになるわ!」
    喜びのあまり、レウィシアはルーチェを思いっきり抱きしめる。
    「……ありがとう。レウィシア、お姉ちゃん……」
    ルーチェはレウィシアの豊満な胸に顔を埋め、優しい温もりと心地よい匂いを感じつつうっすらと涙を浮かべていた。夜が更け、眠りに就いてもレウィシアはルーチェを抱きしめていた。

    翌日———城内では緊急会議が開かれた。黒い影の正体に当たる道化師の行方と攫われたガウラ王の事。邪悪な魔物の襲撃によって王国内に漂う不安と今後の対策。様々な問題が課せられた中、レウィシアが立ち上がる。
    「私が行きます。あの邪悪な道化師の力がどれ程であろうと、お父様が攫われた以上このまま大人しくしているわけにはいきません。それに、今回は護衛は必要ありません。特殊部隊を含む兵士達は王国を守り続けて下さい」
    「姫様!」
    「トリアス。王国の現状を見たでしょう?邪悪なる者の手によって王国の人々は今、様々な不安にさらされています。だからこそ、このクレマローズを守るにはあなたを始めとする屈強な兵力が必要なのです」
    固い意志と強い決意が込められたレウィシアの眼差しを見たトリアスは即座に敬礼をする。
    「ハッ!このトリアス、命に代えてでもクレマローズの民をお守り致します!」
    会議が終わり、道化師の手からガウラ王を救う旅に出る決意を固めたレウィシアは武装と旅の準備を整え、アレアスの元へ訪れる。
    「レウィシア、行くのですね」
    「はい。お父様は必ず私が助け出してみせます」
    「ならば王国の占い師フーラに話を聞くと良いわ。フーラの占いなら何かの導きが与えられるはず」
    アレアスに旅立ちの挨拶を終えたレウィシアは多くの兵士達に見送られながらも、城を後にする。占い師のフーラは冒険者の行くべき場所や探し求めている者の居場所を占う事が出来るという王国で有名な占い師であった。
    「お姉ちゃん!」
    ルーチェの声だった。
    「ルーチェ!」
    「お姉ちゃん……今から旅に出るんだよね。ぼくも一緒に行くよ」
    「え!?」
    レウィシアは驚きの表情になる。
    「ぼくにはもう帰る場所がない。あの道化師の男はぼくにとって大切なものを奪ったんだ。それに、ぼくには光の魔力で傷を回復できる力がある。きっとお姉ちゃんの役に立てると思うんだ。お姉ちゃんの……力になりたい」
    ルーチェは真剣な眼差しでレウィシアを見つめている。レウィシアはそっと背丈を合わせるようにしゃがみ込み、顔を近付けてルーチェの頬をそっと撫でた。
    「ルーチェ、ありがとう……あなたに助けられた事もあったから、付いてきてくれるなんて嬉しいわ。これからもよろしくね、ルーチェ」
    レウィシアはルーチェの小さな体をそっと抱き上げる。ルーチェは少し驚くが、母親に抱っこされた時の記憶が蘇り、嬉しい気持ちになっていた。
    「きゅーきゅー!」
    荷物の袋から小動物の鳴き声が聞こえてくる。ソルだった。
    「ソル!いきなり顔出してどうしたの?」
    ソルの鳴き声はどこかしら嬉しそうな様子であった。ルーチェが不思議そうな目でソルを見つめている。
    「あ、この子はソルっていう可愛い小動物というか……ペットみたいなものかな?」
    「へえ……」
    レウィシアは笑顔でソルを掌に乗せる。ルーチェはそっとソルを指で撫でると、ソルは嬉しそうに鳴き始めた。ルーチェと共に旅に出る事になったレウィシアは城下町の奥にある占い師フーラの屋敷を訪れる。
    「おやまあ、久しぶりですのうお姫様。何か占いが必要ですかな?」
    フーラは二人の来訪を快く迎える。屋敷内は妖しい雰囲気に包まれていた。
    「えっと、王国を襲撃した魔物の親玉というか……邪悪な力を持つ道化師の行方とか、これから私達が向かうべき場所はどこか一つ占って頂けるかしら?あ、もしかしてお代が必要?」
    思わず所持金の心配をしてしまうレウィシア。
    「ホッホッホッ、お姫様からお代を頂くなどとんでもない。それに、攫われた王様を助けるという大事な使命ですからのう」
    「は、話が早くて助かるわ」
    フーラは水晶玉に向かって念じる。すると、水晶玉からは森のような景色が映し出された。
    「フム……これは風の神に守られし森のようじゃな。今向かうべき場所は西の大陸にある風神の森と見た」
    「風神の森?」
    「この地は風の神を崇める民族が住むといわれておる。もしかすると何か大きな出来事があるかもしれませんのう。邪悪な道化師とやらの行方は……残念ながらまだ何も見えないようじゃ」
    「そう……ありがとう。まずはその風神の森へ行ってみるわ」
    レウィシアはフーラの占いを元に、西の大陸にある風神の森へ向かう事にした。西の大陸へ行くには関所を抜けた先にある船着き場の定期船を利用する事となる。王国を出たレウィシアとルーチェは自然に生息する魔物と戦いながらも関所へ向かって行った。



    世界の中心に位置する大陸。周囲が険しい岩山に囲まれ、大陸全体が熱風と瘴気に包まれた荒野でところどころが有毒物質の含まれる沼が沸き上がり、到底人が住めるような環境ではない大地だった。その大陸内に、荒廃した都市と黒い瘴気に覆われた城が建てられている。城の奥———暗闇に包まれた中、玉座に黒い甲冑の男が腰を掛けていた。
    「久しいな」
    黒い甲冑の男の視線の先には、禍々しい形の巨大な台座に祀られた球体に映し出された道化師の姿だった。
    「貴様か……何用だ?」
    「クックックッ……相変わらず狙っているのか?赤雷の騎士とやらを」
    赤雷の騎士という言葉を聞いた瞬間、黒い甲冑の男は殺気立った形相になる。
    「貴様の知った事では無い。消えろ」
    「消えろだと?クチの利き方には気を付けるべきではないのか?貴様を蘇らせたのはこのオレだという事を忘れてはいまい?」
    動じない態度で道化師が反論すると、黒い甲冑の男は思わず両手を震わせる。
    「オレは今、計画に必要な素材を探している故に貴様の復讐に力を貸す気は無いが、あのヴェルラウドという騎士の事ならば知っている限りの事を教えてやってもよいぞ」
    道化師は歪んだ笑いを浮かべる。
    「……その必要は無い。貴様に聞かずとも、奴は必ず仕留めるつもりだ」
    「ほう、なるほどな。まあいい。だが……一つだけ言っておこうか。あのヴェルラウドとやらも何か大きな成長性を秘めていると見た。場合によってはオレの計画の素材として利用できるかもしれぬがね。せいぜい頑張る事だな。闇王よ」
    冷徹な声で言うと、球体に映し出された道化師の姿は消えて行った。闇王と呼ばれた黒い甲冑の男は杯に注がれた酒を口にする。


    愚かなる正義のままに我が王国を滅ぼした忌まわしき赤雷の騎士……痕跡も残さず根絶やしにしてくれる。
    赤雷の力を受け継ぎし者……ヴェルラウド・ゼノ・ミラディルス———。

    貴様の命は必ずこの世から葬り去ってやる……必ず……。



    「うっ……!」
    関所に辿り着いたレウィシアとルーチェは驚愕のあまり顔を引きつらせ、口元を抑える。番人として派遣された二人の兵士が身体に大きな風穴を開けられ、腕を切断されるという形で惨殺されているのだ。
    「どうして……どうしてここまで惨い事を!」
    レウィシアは怒りに震わせ、感情任せに叫ぶ。そこでルーチェが懐から聖職者の紋章が浮かぶ玉を取り出し、念じながら祈り始める。
    「神よ……死した二人の兵士の魂を清らかなる光の加護と共に天への導きを……」
    祈りの言葉を捧げると、二人の兵士の魂が天に昇っていくのが見えた。
    「ルーチェ、今のは……」
    「……魂が見えた?」
    「うん、見えたわ」
    「この人達の魂はずっとここに佇んでいた。邪悪なる者に命を奪われた者の魂は、闇の力の影響によって天に昇る事が出来ないらしい。だから、ぼく達聖職者はこの救済の玉で闇に縛られた魂を浄化して天へ導くという使命を与えられているんだ」
    ルーチェの手に握られた救済の玉は、暖かくやわらかな光を放っていた。それは玉に込められた神の祝福の光であり、その光を目にしたレウィシアは自然に心が和らいでいくのを感じた。
    「何だか神様が傍にいるみたい。神様は私達の事、見守ってくれるかな」
    レウィシアはルーチェの手を包み込むようにそっと握る。
    「神は、決して心正しき者を見捨てたりはしない。ぼく達が心正しければきっと見守ってくれる……」
    ルーチェが呟くように言うと、レウィシアは少し切なげな表情を浮かべつつもルーチェの頬を軽く撫でた。二人の兵士の亡骸を埋葬し、関所を抜けたレウィシア達は船着き場へ到着し、西の大陸へ向かう船に乗り込んだ。船が陸を離れた時、レウィシアは遠ざかっていく母国の城を見つめながら想いを馳せる。


    お母様……お父様は必ずこの私が助け出してみせます。
    私の中には太陽がある。それは守るべきものを守りたい意思。何者にも負けない強さ。そして希望を与える優しさ。この身体に流れる血と命の炎に太陽がある限り、私は戦う。

    太陽に選ばれし者として、私は戦う。



    橘/たちばな Link Message Mute
    2019/07/17 23:04:20

    EM-エクリプス・モース- 第一章「太陽の王女」

    光と闇をテーマとした長編ファンタジー創作。pixivファンタジアT参加から始まり、現在ではフリーキャラとして活動しているうちの看板キャラであるレウィシアが主人公のストーリーです。pixivにもレウィシア関連ストーリーがありますがあちらはあくまでPF上でのストーリーであり、こちらはPF要素は一切関連しない完全オリジナルのストーリーになります。本作ではハードな世界観を舞台としたストーリー性という事もあって戦闘描写における激しい戦闘での残酷描写や暴力描写も含まれるので閲覧にはご注意を。  #オリジナル #創作 #オリキャラ #ファンタジー #R15 ##EM-エクリプス・モース- ##創作本編

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