Heartbeat groove春子は東海林の気持ちが理解できなかった。
いつもは憎まれ口を叩いているのに、突然優しくなる。
優しくなったと思ったら急に怒る。
好きだと言ってきたと思ったらお前なんかやめちまえと言ってくる。
一体どっちなのか。男という生き物はなかなか理解できない。
名古屋で一緒に仕事をしていた時も同じ調子で、社長賞を取ってやると意気込んでいたのに直前で辞退した。しかも理由が私がほとんどやったものだからなどと言った。
つまらないプライドで本社への片道切符を自ら破ったのだ。
その後離れて12年後に再び再会したが、相変わらずよくわからない。私のことなどどうでもいいはずなのに、私を好きだと言ってみたり、やっぱり誤解だったり。
でも、1番わからないのは私自身だ。
私はずっと東海林武のことを好きでいる。
なのに、本当の気持ちが伝えられない。
どうしたら素直になれるのだろうか。
そんな思いを抱えながら、今日も春子は東海林と仕事をする。
年下のハケンと馴れ馴れしく談笑していて、春子はイライラしてしまいちょっかいを出してしまった。
東海林は春子が髪の毛を切った時には何も言わなかったのに、ハケンの髪には気がついて声をかけていたのだ。
ああ、素直に「私の髪にも気付いて」と、言えたらいいのに。
そう、ボーッと考えながら昼休憩でサバ味噌定食を食べていた時のことだ。
突然、ようじ屋のテレビの音量が最大になり鼓膜が震えるような音が響いた。
「心の声を聞かせてーーー!!!」
そんな曲がスピーカーから怒鳴るように店内を叩きつけた。
ちょうどバラエティ番組でアイドルがスタジオライブで歌っているところだったからだ。
みんな思わず耳を塞ぎ音の出先であるテレビを見る。
春子は動揺しつつもそのままサバ味噌を食べていた。
「すみません、故障かな?」
ようじ屋の店主が慌てて電源を切ると、突然春子の心臓がドクンと電気ショックでも受けたように大きく振動した。
思わず手にしていた箸を落としてしまい、カランカランと床に箸の音が鳴った。
「私としたことが…」
春子は箸を拾い上げて店員に渡して交換してもらった。きっと大音量に体がショックを受けたのだろう。
ただそれだけ、だったはずなのにー。
昼休憩からオフィスに帰ると東海林がデスクでパンを食べながらパソコンをいじっていた。
「デスクで飲食をするのはマナー違反ですよ」
きつい口調で春子はそう東海林に言い放った。
すると、なぜか東海林の声が二重に聞こえてきたのだ。
「うるさいな、ちゃんと拭いてるよ」
『また俺に話しかけてくるなんて、やっぱ気があるんじゃね?』
「………????」
春子は重なる声に何かの悪戯かと思った。
「あなた、どこかでテープでも流しているんですか?」
「は?何言ってんだお前」
『春子のやつ何か企んでるのか?』
「誰が春子と呼んでいいといいました!?」
「え!?言ってない言ってない!!」
東海林は焦りながら首を横にふった。
春子もこのおかしな現象に意味がわからず困惑してきた。するとまた声がする。
『何だよこいつ、俺の心の声でも聞こえてるのか??』
そんな声が聞こえてきて、ようやく気付いた。
もう1つの声は、東海林の心の声だ。
でもなぜ?急に心の声が聞こえたのか。
その時はっと春子はさっきのようじ屋の爆音を思い出す。
まさか、あのせいで自分の耳がおかしくなったのかもしれない。
東海林の気持ちがわからないと思っていた矢先に、彼の心の内が知ることができるなんて。
春子は試しに東海林の前へ行き、東海林の手を自分の胸に当てた。
「え??どうしたんだ???心筋梗塞か???」
東海林は突然の行動に動揺している、そしてまた声が聞こえてきた。
『マジで意味わかんねーなんで春子が急に迫ってきてるんだよ!しかもここ仕事場だぞ!!』
東海林の口は閉じられたままで、これが心の声だという確信が持てた。
「東海林課長…私のことをどう思っていますか?」
「え…?」
『そんなの、めちゃくちゃ好きに決まってるだろ!!!』
顔を赤く染めて戸惑う東海林をよそに、春子は心の声を聞いて、知りたかった思いを聞くことができて、頭の中に花が咲き乱れたようだった。
「そうなんですね!!」
「まだ言ってねーよ!!」
春子の発言に振り回されて困惑している東海林を、春子はぎゅっと抱きしめた。
相手の気持ちがわかるということがこんなに安心感を持っていられるなんてー。
こんなことならもっと早く素直にならば良かった。
「私も、すーーーー」
好きです、と言おうとした言葉を遮ったのは
他の社員たちの叫びだった。
「ええーーーーっ!!!何してるんですか!!」
春子と東海林が抱き合っている姿を見て、みんな目を丸くしたり口を手で覆ったり目玉が飛び出そうな人もいた。
「いや、違う。これはとっくりがちょっとおかしくなってて…」
『邪魔すんなよ!ってもう昼休み終わりじゃねーか!』
「たしかに、もう昼休みも終わりですね」
春子はそう言って東海林のぬくもりから離れる。
「じゃあ続きは終業後にお願いします」
一礼して自分のデスクに戻り業務の準備をする。
東海林もだが他の社員やハケンたちも春子のトンチキな行動をあっけにとられていた。
『終業後にって、春子が俺といちやいちゃしてくれるのか?』
また東海林の心の声が聞こえてきた。
ああ、私のことを心の中では春子と呼んでくれているのね。いつもはとっくりだなんて呼んでいるくせに。本当の声で春子と言ってほしい。
春子は終業後が楽しみでそわそわしすぎて、その日の仕事を30分も早く済ましてしまった。
そして5時のチャイムが鳴ると、東海林のネクタイを引っ張りそそくさとオフィスを出た。
「おい、引っ張るなよ」
『春子マジでどうしたんだ??発情期の猫じゃないんだから』
春子はエレベーターが来るのを待ちながら、東海林を見つめて言う。
「私は…あなたの気持ちがわかるんです。さっきからずっと聞こえてきています。あなたが私を心の中では春子と呼んでいる事も、全部」
「……は???何言ってんだよ」
『もしそうなら俺めちゃくちゃ恥ずかしいじゃねーかよ!!でもこいつなら超能力があっても不思議じゃないな』
「超能力ではありません、あなたの声だけ聞こえてくるんです。あなたがお昼に私のことをめちゃくちゃ好きだと言うのも聞こえてきました」
するとエレベーターの扉が開く、東海林は春子を引っ張り中に押し込み扉を閉めた。
「それが本当なら、お前の気持ちはどうなんだ?さっきは聞かなかったからちゃんと言ってくれ」
そわそわしながらも東海林は春子を愛しそうに見つめていた。
春子も笑顔になり、ためらうことなく
「はい、私はあなたが好きです」
そう告げた。
その言葉に、東海林は黒い瞳を滲ませた。
どうやら感極まったようで、手で涙を拭う。
「俺も、大前春子が好きだ」
言葉と一緒に春子を抱きしめる、春子も背中に手を回す。
「春子と心で呼ばず声にして下さい」
「春子…俺のことも名前で呼んでくれる?」
「…た、たけ、し……武」
「うわぁ、すげー嬉しい…」
エレベーターが降る箱の中で2人は気持ちを伝え合う。
『春子…これからどうするのかな?店に帰るのかな』
東海林の心の声がまた聞こえた。
「今日は、あなたの家にいきましょう」
ちょうど1階にたどり着きチーンと音がなったので、抱擁をほどき手を繋いだ。
「春子、行こうか」
「はい、武…」
ロビーを2人で並んで歩く、こんな日が来たらいいのにとどれだけ望んでいたか。
ああ、心の声が聞こえるって最高、素直になれるって最高!!!
春子の心は天にも登る気分だったー。
「とっくり!!!!!」
……突然、目の前が古びた天井に変わった。
え?今度はワープでもした??
春子は周りを見渡した。
和室に布団がひかれ、そこに自分が寝ている。そして横には東海林がいた。さっきまでエレベーターを出てロビーを一緒に歩いていたはずなのに。
「ここはどこですか?ロビーは???」
「何言ってんだよ、お前ようじ屋の爆音で倒れたんだよ。ここはようじ屋の休憩室だぞ」
……目が点になる。
え??
まさか、まさか…。
今のは
夢!?
まさかの夢オチに春子はしばらく呆然としていた。もちろん東海林の心の声も聞こえることはなかった。
「まぁ、今日は無理せず帰っていいぞ。俺も今日は急ぎの仕事がないから家まで送ってやるよ」
「そうですか…」
「あれ?珍しく突っかかってこないな。爆音で記憶喪失にでもなったか?」
東海林は笑いながら言うが、春子はそんな東海林をじっと見ていた。
「な、なんだよ…じろじろ見られたら恥ずかしいだろ」
「手を繋いでくれますか?」
春子はそう言って手を差し出す。
東海林は戸惑いつつも仕方ないなと言った顔で
手を繋いだ。
「まぁ、また倒れても困るしな」
「そうですね」
2人はそのままようじ屋を出て、バス停へ向かった。
お互い何も言わずに黙ったまま歩く。
繋いだ手のひらから、鼓動がドクンドクンと早くなるのが伝わってきたような気がした。
春子は少しだけ素直になるのも悪くないと感じながら
『私は武のことが好き』
そう心の中で呟いた。もちろんその心の声は東海林には届いていなかった。