淡い贈り物春子と一緒になって、はじめて一緒に迎える自分の誕生日。
東海林は2ヶ月前からどう過ごすか計画を立てていた。そもそも誕生日のお祝いというのは相手に委ねるものだが、春子はそんなサプライズなどは一切しないタイプだと思い、東海林は自分で自分の誕生日を祝うためにネットや雑誌でレストランやデートスポットなどを探し続けていた。
ところが、1週間前にその計画はあっけなく崩れてしまう。
「来週月曜から3日間俺と一緒に徳島へ出張だ」
部長からそう告げられ、資料を手渡された。
「え…来週??それって再来週になりませんか?」
東海林は動揺しながら尋ねると
「できるわけないだろ!大事な取引先との商談にお前を抜擢したのは俺なんだから感謝してほしいくらいだ」
そう言われると拒否できるわけもなく
「はい、頑張らせて頂きます!!」
東海林は肩を上げて一礼した。
「と言うわけで、来週は出張だから」
帰宅して服を着替えビールで一息した東海林は春子に今日の出来事を報告した。
「そうですか、ではキャリーバッグを出しておきます」
春子は迅速に出張の準備について考えている様子で、メモ帳にリストを書いている。
「おい…火曜は俺の誕生日だぞ??知ってるのか??」
その態度に納得いかない東海林は春子に尋ねた。
「それは前からうるさいほど聞いているので知っていますが?」
「俺のプランではその日は休みを取って2人で映画に行き公園を散歩してホテルのディナーを食べて夜景を見に行く予定だったんだぞ!」
東海林は携帯のカレンダーに打ち込んだスケジュールを開いて春子に見せたが、目を細めて冷たい目線を送ってこられた。
「別に誕生日などいつでも祝えるじゃないですか。そもそもいい年した50前のオヤジが高校生のようなデートプランを立てることがおかしいでしょう?」
自分の思いを邪険にされて、東海林は腹が立って仕方がなくつい大声が出てしまった。
「何だよ、オヤジがデートプラン建てて悪いか!?誕生日はなぁ、いくつになっても特別なんだよ!!」
東海林は椅子から立ち上がり踵を大きく鳴らしながらリビングのドアを勢いよく閉めた。
飲みかけのビールを見つめながら、春子はポツリと呟いた。
「仕事なら仕方ないでしょ……ばか」
出張1日目、早起きして羽田から徳島まで飛行機で移動して手荷物を受け取り一階のロビーにでた。
空港の広さの割には閑散として、羽田とは大違いだと感じた。ロビーには大きな阿波踊りの写真があり、出口にも阿波踊りの銅像がある。空港の名称も阿波踊り空港だと書かれている。阿波踊りしか有名なものしかないのだから仕方ないと静観していると
「いやーここが阿波踊りの有名な徳島か」
部長は東海林とは対照的に少し浮かれ気味で周りを眺めていた。だが東海林は春子と気まずいまま出張を迎えてしまいなんだか気持ちが乗らなかった。
だが今回の商談は世界的にも有名なあの大槻製薬だ。これが成功すればS&Fの業績もV字回復するに違いない。
東海林は気持ちを切り替えて部長と共にタクシーへと乗り込んだ。
商談は難航しつつも、東海林の熱心な押しで何とか首を縦に振ってもらった。その夜、東海林は部長とホテル近くの居酒屋で祝杯をあげた。鯛の刺身が美味しい上に値段も安く、意外と徳島も悪くないと感じた。
明日は大槻製薬の方が観光案内をしてくれるということで酒は程々にして早めに就寝することにした。
東海林はセミダブルの部屋を1人で利用している、さすが部長との出張だ。自分1人なら狭いシングルになっていただろう。
そしてふと、時計を見て12時に春子から何かリアクションがないかと期待していた。あんなことを言いつつも、誕生日を祝ってくれるんじゃないかと淡い期待を抱いていた。
ところが、12時を過ぎるどころか1時になっても2時になっても朝になっても春子からメッセージや電話はなかった。
次の日、寝不足のまま大槻製薬の取締と徳島の観光地を巡った。テレビでしか見たことのない渦潮を船から見たり、紅白で使用された美術館などを巡って最後は阿波踊りを見ることができるホールへと向かった。
「私は高円寺の近くに住んでましてね、そこでも毎年阿波踊りが行われているんですよ」
部長はご満悦と言わんばかりの笑顔で取締に話をふっていた。
「そうか、でもやはり本場の踊りは違うからぜひ生で見てほしいんだよ」
東海林も相手は男ではあるもののはじめて見るものたちに心奪われて朝のモヤモヤが薄くなっていた。せっかくの誕生日なんだから楽しもう。
そう気持ちを切り替えタクシーの窓越しから景色を眺めていた。
阿波踊りのホールに入るとちょうど本番が始まる頃で、浴衣を着た女性たちが整列して両手を上に上げていた。
そして音楽が鳴ると同時に、ゆっくり前へ進みながら踊っていく。その動きはとてもしなやかで美しく、東海林は思わず見とれてしまった。笠で顔が隠れて口の紅しか見えないがそれが余計に色っぽく見える、盆踊りだなんてと軽く見ていた自分が少し恥ずかしく思えた。
こんな光景はここでしか見られない、そう思うとふと春子の顔が思い浮かぶ。今日行った渦潮や美術館、それに阿波踊りも春子と一緒に見ることができたらきっともっと楽しいだろう。春子の喜ぶ顔が見たい。
デートプランなんて本当はなんでも良かったのかもしれない、ただ誕生日に春子と思い出を作りたいだけだった、自分が生まれた日の事を一緒に喜んで欲しかった。
そんなことを考えていたら、いつのまにか涙が頬をつたっていた。
東海林は仕事中だと慌てて涙を手で拭った、そしてまた舞台に目をやると、突然踊り子の1人がこっちに向かって踊りながらやってくる。そう言った演出なのかと思ったが、東海林の前でピタリと立ち止まり笠を外して顔が見えた瞬間驚きの声を上げた。
「は…春子!?」
そこにはなぜか春子が立っていた。東海林は訳がわからずあたふたしている。
「阿波踊りが踊りたくてたまたまここにやってきて踊っているだけですが、それが何か?」
いつものフレーズで東海林も目覚め、頭の中でゴングが鳴った。
「いや、そんなことよりなんで徳島まで来てるんだよ!」
「あなたの誕生日だからサプライズでお祝いに来たまでですがそれが何か?」
春子がそういうと、大槻製薬の取締が口を開いた。
「大前くんは以前うちで研究員として派遣されていたんだよ、そのよしみでねぇ協力させてもらったよ」
「研究員って…お前すごいな!!」
「ちなみに盆踊りなら40種類踊れます」
「フラメンコといい踊りすぎだ!!」
そういいながらも東海林は春子のサプライズに喜びが溢れてまた泣きそうになるのを必死でこらえていた。
その後ホテルに追加料金を払い一緒の部屋に泊まることにして、夕飯は部長が気を使って2人で行ってこいと言ってくれたので春子に食べたいものを聞いてみた。
「ラーメンが食べたいです」
誕生日にラーメンかよと思いつつも、東海林は人気店を検索して春子と一緒に向かった。濃い色のスープに生卵が浮かんでいるビジュアルに驚きつつも食べ始めたら無言でズルズルと麺をすするほど美味しかった。
食べ終わると鼻水が出そうになりティッシュでせきとめた。すると春子も同じようにティッシュで鼻を抑えていた。その姿をみてお互いクスリと笑う。
店を出てホテルまでの道のりで東海林は気になっていた事を尋ねた。
「どうして日付が変わってからメールや電話して来なかったんだよ、俺ずっとまってたんだぞ」
「…それは、大事なことは直接伝えなければいけないと思ったからです」
そう言うと足を止めて、東海林をじっと見つめた。
「武さん、お誕生日おめでとうございます」
その言葉に胸が熱くなる、無意識に手が伸びて春子をぎゅっと抱きしめた、人目など気にせずに。誕生日なんてどうでもいいような事を言っていたくせに、本当に素直じゃない女だと東海林は思いながら
春子の頭を優しく撫でる。
神様がくれた最高の誕生日プレゼントは愛しい人なのかもしれない、そんなロマンチックなことを考えながら。
「あー…最高の誕生日かも」
「恥ずかしいので離してください」
「もう少し、イチャイチャさせてよ」
そう言って東海林は自分のネクタイを外して、春子の頭に巻いてリボン結びをした。まるでギフトをラッピングするように。