木枯らしも抱きしめて初めて手を握ったのはエレベーターの昇降路だった。
まさか彼が助けに来てくれるとは思っていなくて驚いてしまい、足を滑らせたところを手をつかんで助けてくれた。あの時嬉しくて本当は抱きしめたい気持ちだった。だけど素直になれず悪態をついてまた喧嘩になってしまった。
そんな手を、今は自分から繋いでいる。
「武はクリスマスどこか行きたい所はありますか?」
帰り道にまだ2ヶ月も先のクリスマスについて話していた私たちは、きっと側から見れば恋人同士だろう。
「春子と一緒ならどこでもいいよ、でも漁にでるのは勘弁してくれよな」
「そうですね、船酔いしてまた吐かれては困ります」
「うるせーな、掘り返すなよその事は!」
たわいない会話をしながら人混みをすり抜けていく。彼が少し前を歩き私の手を引いてエスコートしてくれていた。
私も彼とならどこに行っても楽しいから、彼の望むところへ行きたいのに、どこでもと言われると考えてしまう。ホテルでディナーもいいし、セスナで夜景を楽しむのもいい、ドライブで京浜工業地帯のライトアップを見るのもいいかもしれない。
何せはじめて一緒に迎えるクリスマスだ、特別なものにしたい。
「じゃあ、今度いくつかピックアップしてくるのでその中から選んでくれますか?」
今の私はあの頃とは違う、素直に好きと言って思いを伝えられているのだ。
私は今ハケンではなくフリーの演歌歌手で働いている。収入は減ったがその分投資をしてお金を稼いでいた。ハケンと正社員という柵がなくなり何故か私は素直になれた。もう格差なんて気にしなくていい。これからは好きな人と好きなことだけして生きていく。
そう決心させてくれたのは、私のママ。
ママと言っても血は繋がっていない、私を親の代わりに育ててくれた眉子ママだ。
7年前に亡くなってしまったが、息子のリュートからある手紙を渡された、それはちょうどS&Fをクビになった半年後だった。リュートのいるニューヨークへ遊びに行った時に
「次に会ったら渡してって遺言書に書かれてたんだよ。ずいぶん時間が経ったけどね」
そう言われて渡された。リュートとはお葬式の時以来だ、リュートももう30代で大人の渋さを醸し出していた。
眉子ママは私に遺産を相続してくれると言っていたが私は放棄してリュートに譲った、そしてしばらくはカンタンテにも行かずにいたら、ある日売却したという連絡がきた。それが思った以上にショックでリュートとも会わずにいた。
そんなこんなで7年かかってやっと眉子ママの手紙を読むこととなった。白い封筒をハサミで開けて中の便箋1枚を取り出す。緊張しながらも中を広げて文を目で読み上げる。
ー春子へ
あなたには色々とお世話になったわね。春子の作るパエリアは絶品でもう一度食べてから天国に行きたかったわ。あなたのパパとママに会ったら春子のことたくさん伝えておくわね。
そして、あなたももし愛する人がいるなら家族になりなさい。家族には契約期間なんてないのよ。
そして好きなことをして生きなさい、あなた小さい頃私に「歌手になりたい」なんて話してたでしょ?そんな風に夢を見ながら生きていくのも楽しいわよ。
それじゃあ、また天国に来た時話を聞かせてねー
簡潔で潔い文章が相変わらずで、私は涙が止まらなかった。眉子ママには私が心に蓋をして生きていたことなどお見通しだったのだ。
「春子、泣いてるの?」
「違うわ、花粉症よ」
「ニューヨークに花粉症ってあるのかな?」
リュートは私の頭を優しく撫でて泣きやむまでそばにいてくれた。
その後、私は歌手になるためオーディションを受けて演歌歌手としてデビューすることとなった。
そして、愛する人に想いを伝えるために会いに行った。
もう、何があっても離れないと誓いながらー…。
そして今に至る。
「春子さ、今度コート選びに行かないか?ポンチョも似合ってるけどスタイルいいんだからさ、Aラインの可愛いコートでもいいんじゃないか?」
「…そうですね、たまにはそういった服もいいかもしれません」
2人歩く街路樹は枯れ葉が地面を散らして、木枯らしが吹いていた。
今までは木枯らしも振り切るよう1人で前だけ向いて歩いていた。
でも今は、木枯らしも抱きしめるように日々を優しく過ごしている。
「それにしても今日の風冷たいなー風邪ひきそうだ」
振り返り子供のような笑顔で私を見つめる彼に、私はそっと暖かく微笑んだ。