million familyリビングのドアがうまく閉まらない、東海林は何度もドアを揺らしてみるがその歪みは直らなかった。
「春子、お前建築士の資格もあるんだろ?これ直せないか?」
仕方なく春子に助け舟を出すと、洗い物をしていた春子は蛇口を押して水を止める。
「素人が適当にいじると余計壊れてしまいますから、私が直します」
そう言い放ち奥から工具セットを取り出して素早く直す。どうやら丁番のネジが緩んでいたようで春子はそこをもう一度きつく締め直した。
「はい、完了です!」
「さすが、お前がいたら修理屋いらずだな」
拍手をしながら感心する東海林を睨み春子は言う。
「人を便利屋みたいに言わないでください。まぁ私の手にかかれば家一軒建てるくらいお茶の子さいさいですが」
「家建てられるのかよ!すごいな、じゃあいつか愛の巣を建ててもらおうか…」
「愛の巣なんて気持ち悪い言い方はやめてください!」
そして機敏に工具を片付けてまた洗い物へと戻っていく。東海林は一緒に暮らしていると言うのに相変わらずつれない態度に少しヤキモキしつつも、春子に感謝の意を現そうと洗い物を手伝うことにした。
そんなことがあった数日後、先に帰った春子から『用事があるから帰りが遅くなる』とメールが来た。
いつも定時で帰り家で夕飯の用意をしてくれていた春子が用事で夜に家を開けるなんて珍しいことだ。
東海林はそのメールに『用事ってなんだ?とりあえず夕飯は俺が作る』と返信すると『知り合いと話をします、夕飯はお任せします』とだけ返ってきた。
知り合いという漠然としたワードがひっかかるものの、とりあえず東海林は少し早めに上がって家にあるもので焼きそばを作り春子の帰りを待っていた。
10時前に春子はやっと帰ってきて、少々疲れた顔をしていた。
東海林はそれが気になり何があったのか尋ねてみた。
「知り合いと話って何を話したんだ?」
「あなたには関係のないことです」
「関係ないって…そんなことないだろ、俺たち夫婦じゃないか」
「夫婦なら絶対に話さなきゃいけないと言う決まりはありません」
頑なに話そうとしない春子に東海林は苛立ちを感じながら
「そりゃそうだけど……俺は、お前のこともっと知りたいって思ってるよ」
思いの丈をぶつけてみるが、春子はいつもと変わらない口調で撥ねつける。
「私にも知られたくない事があるんです、これ以上詮索しないで下さい」
そう言って寝室へと逃げ込んでしまった。
東海林は煮え切らない思いを抱えつつも、たしかに干渉しすぎはよくないと自分に言い聞かせて2つの焼きそばが乗った皿をレンジで温め、寝室のドアをノックして告げた。
「おーい、飯食おうぜ。もう何も聞かないからさ、一緒に食べよう」
最初は何も反応がなかったものの、しばらくすると部屋着に着替えた春子がリビングにやってきた。
そして2人で焼きそばを食べていると、ぽつりと春子が話し始めた。
「以前働いていた…職場からまた働かないかと誘われたんです。ただそこは過去に罪を犯した人たちを雇っているところなので……話せばあなたが心配するかもと思ったんです」
東海林は春子から自分のことを話し始める事が珍しく、でも話してくれた事が嬉しくて、箸を止めて話し続ける春子を見つめた。
「犯罪を犯したとはいえ更生しようと努力している人たちばかりです。でも、やはり気丈の激しい人もいるので…話せばあなたが心配するのではないかと思ったんです」
話し終えた春子は、湯呑みの緑茶を少しすすって喉を潤した。
東海林は自分のことを気遣う春子に心が震え、涙腺が緩みそうになる。たしかに元犯罪者がいるのは心配だが、社会復帰のために雇用しているその会社はきっといいところなんだろう、そう思った。
「話してくれて、ありがとうな。…たしかに心配だけど、俺はそこまで偏見を持ってないから、気にするな。やっぱり春子はたくさんの人から必要とされてるんだなって思うよ」
東海林はそう告げると少し冷えた焼きそばをすする。
「…そうですか。でも私は、あなたと一緒に働く今の仕事が好きなのではっきりとお断りしました」
春子は東海林を愛しむような優しい瞳で見つめながら言う。そんな言葉に東海林はまた涙腺が緩み、ごまかすために焼きそばを一気に口に押し込んだ。
そんな事があった翌日、仕事で大きなミスが発覚して部署のメンバー総出で残業していた。東海林は春子にメールする暇もなく駆け回り気がつくと10時を回っている。そして11時頃にようやくカタがついた。
「お疲れー!みんな頑張ってくれてありがとう」
東海林は仕切りながら拍手でみんなの頑張りを称えた。ピンチの時も仲間がいたら乗り切れると、こういう時にひしひしと感じる。
「もう遅いしみんな帰ろう、お疲れ様!!」
そう言って身支度をしているときにようやく春子にメールしていないことに気がついた。
慌てて携帯を見ると、一件だけメールが届いていた。
『残業でしたらチンして食べられるものだけ作っておきます』
9時過ぎに送られてきたそのメールを見て、東海林は早く帰ろうと足が疼き出す。
「すまない、先に失礼するよ」
そう言って東海林は家路に着こうとした。
家へ着く前にとんでもない寄り道をするはめになるとは知らずに。
『今から帰る、先に寝ていても良いぞ』
最終のバスの中で素早く指を動かしてメールすると東海林は携帯をポケットにしまう。
仕事が遅くなり疲れたときに、家に誰か待ってくれる人がいるのは心が休まるものだ。名古屋にいたときも同じような幸福を得ていたのに、あっという間に壊してしまった。
その時の教訓をもとに、今度こそは死ぬまで一緒にいたいと胸に誓っていた。
窓の景色を見ながら今日の夕飯はなんだろうとか考えているとアナウンスが最寄りのバス停を唱えたので東海林はボタンを押して、バスを下車した。
そこから500メートルほど歩いたところが2人の今の愛の巣だ。住宅街なので12時前のこの時間は街頭の灯りだけが地面を照らして薄暗い。黒い車が停まっているのにも直前で気が付いた。
その、黒い車の横を通り過ぎようとしたその時ーーーー。
うとうとしながらもリビングで東海林の帰りを待っていた春子はスマホの画面を開きメッセージの確認をした。
だが何も更新されていない。東海林からメールがきてもう1時間ほど経つというのにまだ帰ってこないことが気がかりだった。
ただ寄り道しているならいいが何か事故に巻き込まれていたりしていないだろうか。そんな心配をしていた。
春子はまたスマホを机に置いて、トイレに行こうとした。するとタイミングよく電話が鳴る。
画面には東海林の名前だ、春子は勢いよく通話ボタンを押す。
「もしもし、何かあったんですか?」
もし何もなければまた叱ってやろうと思いつつも、眠気を吹き飛ばすような強い声で話す、だが返ってきたのは東海林の声ではなかった。
日付が変わった頃、川の河口付近にある建設会社の工場のプレハブはまだ光を射していた。
見た目がチンピラのような社員が数人と、奥の椅子には社長が深く腰をかけていた。
「あら、その子が東海林?思ったよりスタイルいいじゃない」
社長はそう口にすると、手にしていたタバコを灰皿に押しつけて目の前にいる東海林をまじまじと見つめた。口調はオカマのようだが、見た目は筋肉がスーツを締め付ける体型で東海林に似たパーマをかけている。顔も少し外国人のように彫りが深く一般的なハンサム顔だ。
男2人に腕を押さえつけられていた東海林は社長を睨みつけながら声を荒げる。
「あんた、俺を拐ってどういうつもりなんだ…もしかして、春子の知り合いってあんただったのかよ」
「そう、アタシは7年前に春子ちゃまが働いていた一幸建設の社長よ」
その言葉で、この間ドアを直してもらった時のことを思い出す。建築士の資格はここで活用していたようだ。東海林は少しずつ概要が見えてきた。
「春子ちゃまにまたここで働いて欲しいってお願いしたんだけど…断られちゃったのよ。でもうちとしては強硬手段を取ってでも春子ちゃまにきて欲しいのよねぇ」
「…まさか、それで俺をここに連れてきたのかよ」
「ピンポーン、大正解!アナタよくわかってるじゃない。うちには春子ちゃまが必要なのよ、だからアナタを誘拐して春子ちゃまとお取引しようと思ったの。悪いわね、手荒な真似して」社長はニヤリと口角を上げて、東海林に言い放つ。
「さっきから春子ちゃまって何だよ、小森のおばちゃまか!…そんな卑怯な真似してもあいつは屈したりしないからな」
「まぁ、生意気ね。夜中に騒がれると困っちゃうし塞いでおきましょう。あんたたち、縛っておきなさい」
タバコの煙が充満するその部屋で、東海林は男たちに椅子に座らされ拘束を余儀なくされた。
「スーツ姿の男が縛られてくって萌えるわね、写真撮っておこ」
社長は何故かわくわくしながら携帯で写真を撮っている、東海林は別の意味で不穏を感じていた。
きっといい会社だと思っていたが前言撤回したい、人を誘拐するような犯罪行為をする社長とそれに従うチンピラのような社員。こんなところで春子は働いていたのか。東海林は食い込む縄の痛みを感じながら絶対に春子をこんなところに雇わせる訳にはいかないと決意していた。どんなに自分が酷い目に遭おうとも、春子に首を縦に振ることをさせてはいけないーそう思いつつも次第に至近距離で見つめてくる社長に怯えていた。
「よくみると可愛い顔してるのね、東海林きゅん」
「んっ……ううんっ」
変な呼び方をするなと言いたくても言えない。
東海林は猿轡をかまされてうまく返事ができなかった。
そんな東海林のポケットに社長は手を伸ばし、携帯電話を奪った。
「ちょっとお借りするわね」
社長は電話帳を開き春子の名前を探す、そして発信ボタンを押して東海林の電話で春子と会話する。
「もしもし、春子ちゃま?…今東海林きゅんと一緒なの……なんでって?そりゃあ春子ちゃまと交渉するためよ、もちろん殴ったり傷つけたりはしていないわ。あなたが私ともう一度勝負をしてくれれば東海林きゅんは返してあげる、でも…もしこなかったら東海林きゅんにアレコレしちゃおうかしら……やだ、冗談よ。じゃあ今から墨田川の河川敷の現場に来てくれるかしら、待ってるわよ」
社長は電話を1分ほどで済ませて、自分の胸ポケットから財布を取り出してお札を一枚取り出すと、東海林のポケットに携帯と一緒に入れた。
「ちゃんと電話代は支払うわね」
ーそれから10分後、春子はやってきた。
社長たちは外の河原に出て待ち受けている、東海林もなぜか椅子のまま出されて社員たちに囲まれていた。
春子の姿が目で確認できるほど近くまで来ると、社長はボタンを押してプレハブ横に置いてあったトラックのライトを点灯させた。
その眩しさに東海林や社員たちは目を瞑ったが春子と社長は目を見開いたままお互いを見つめている。
「来るのも早いねぇ、さすが春子ちゃま」
「そこのくるくるパーマを返してください」
「くるくる…?東海林きゅんのことそんな名前で呼んでるのね。春子ちゃまが1人の男に執着するなんて初めて知ったわ」
「ただ今日作った鯖味噌を早く食べてもらって片付けたいだけです」
「ふふ、新婚だものねぇ。羨ましい」
春子からは声だけでも怒りの感情が伝わってくる、貶されているもののやっぱり愛されているなと東海林は少し感動していた。
「じゃあ夜も遅いしさっそく本題に入りましょう、東海林きゅんを返す代わりに私と勝負して欲しいの」
「勝負…何をすればいいんですか?」
「私と釘打ちの勝負をしましょう、そこに板が2枚用意されているわ。1分間で多く綺麗に打てた方が勝ちよ」
「……そんなものでいいんですか?」
「やあね、釘打ちは大工の基本よ」
「わかりました、勝ったらくるくるパーマはうちが預かります」
「ええ、でも負けたら春子ちゃまはうちの会社で働いてちょうだい」
「……わかりました、お受けしましょう」
そして2人は金槌を手にして勝負に挑む。
その姿を東海林たちはだまったまま見つめていた。
「いくわよ、よーい…スタート!!」
社長の声が途端に男の声に変わる、その瞬間に2人の手が素早く動き出した。夜中の河川敷にカンカンと音が響く。2人ともいつの間にか釘を口に咥えて、一本打ち終えると素早く新しい釘を手にして打ち付ける。
東海林は唾を飲み込みながらその様子を見ていた。さっきまでオカマ口調でクネクネしていた社長ではない、大工の男としての姿に驚きと敬慕の気持ちが芽生える。だが隣の春子が若干遅れを取っていたことに気がつくと焦る思いがリードしてきた。
「ふぁふほ……っ!!」
応援したくても声が出せずやきもきする。
春子と一緒に働くのは自分だ、そんな思いを募らせながらも何もできないどころか足手纏いになっている自分が情けなく感じた。
そんな東海林をよそに、社長の加えていた釘はあっという間に板に埋もれていった。
だが春子も負けてはいない、どんどんと差を縮めて正確にまっすぐに釘を打ち付けていた。
そして1分のタイマーがなったと同時に2人は手を止めていた。
周りは息を飲んでどちらが勝ったか様子を伺っていると
「…春子ちゃま、アタシの負けよ」
社長が自ら告げて、板をひっくり返す。
そこには一本だけズレて先が斜めになった釘の先端が見えた。
「アタシ……余命半年って言われたのよ、でも後継者もいないし会社を畳もうと思ったわ、だけどみんなのことが心配で……春子ちゃまにこの会社を守って欲しかったのよ」
社長は寂しそうな笑顔を向けながら春子に告げた。
東海林もまさかそんな理由があると知り、俯いてしまう。
だが春子は動じることなく返事をする。
「私にはこの会社を守れません。なぜなら派遣だからです。社長のことを信頼しているみんながいれば、きっと大丈夫です」
その言葉に、東海林の周りにいた社員たちも声を上げていく。
「そうですよ、社長!!俺たちが守ります!!」
「こんな俺たちを助けてくれた社長を…この会社を今度は自分たちが助けますから!!」
「アンタたち…」
気がつくと、頬から涙が流れてトラックの照明が反射していた。社員たちは社長に駆け寄り肩を抱く。その光景がまるで家族のようで東海林と春子も目を潤ませながら見つめていた。
「…では、そういうことで私は失礼します」
春子は一礼して、来た道を引き返していく。それに気がついた東海林は大声で叫ぶ。
「うーっ、ふぉえんもがんんうーーっ!!」
「あ、忘れてました」
振り返り惚けた顔で東海林に寄ってくる春子を見て、東海林は明らかにわざとだろと眉を顰めた。
「会社ってさ、家族みたいなものなんだよな」
解放された東海林は帰りのタクシーの中で春子に告げた。
「毎日顔を合わせて、働いて飯食って、残業して…ほんとうの家族よりも一緒にいる時間が長いだろ?」
「…そうですか」
「そこで切磋琢磨しながらみんな成長していくんだよ、子供が大人になるようなもんじゃないか?」
「違うと思います、会社はあくまで会社です。家族ではありません」
春子は東海林の話に真っ向に反論してきた。
「何だよ、相変わらず冷めてるなお前」
「あの会社にいた時も楽しかったですが…やはり私の家族は亡くなった両親に眉子ママとリュート……そしてあなたです」
春子はそっと東海林の手を握った。ずっと外にいたせいかしばらく冷たい体温が春子の手にも伝わってきた。
東海林は春子に夜空を見上げた時のような笑顔で見つめて、ぽつりと呟いた。
「愛してるよ、春子」