オンボロ寮主催お化け屋敷! 消えた友人を捜せ※※ご注意※※
・キャラ崩壊かもしれません(特にエーデュースの敬語)
・お化け屋敷のシステムにバチバチに突っ込みどころあり
・もしかしたら、怖くないかも
・至って恋愛感情は無しに書きましたが、見ようによっては腐とも夢とも見えるかもしれません
・監督生の性別は曖昧です
それでも大丈夫という方は、次ページへどうぞ
「今度はロロさんがナイトレイブンカレッジに遊びに来てくださいね」
魔力を持たない、それでいて力もあんまり無い可哀想な監督生にそう言われた上に、何やらナイトレイブンカレッジとノーブルベルカレッジの交流会に託けたイベントの招待状までもらってしまったロロ・フランムは、副会長と補佐を連れてナイトレイブンカレッジに足を踏み入れた。監督生の招待が無ければ、誰が好き好んで悪党共の巣になど来るかと思っていた彼だが、そんな感情はおくびにも出さず、涼しい顔で闇の鏡を潜ったのだった。
鏡を潜ると、ナイトレイブンカレッジの学園長が出迎える。いつもしている目元を隠す黒いマスクは、ただでさえ胡散臭い彼の発言を更に助長させているなと、ロロは思っていた。そんなことはつゆ知らず、学園長はにこやかに歓迎の意を示した。
「遥々よく来てくれました! ノーブルベルカレッジの皆さん。ようこそ、ナイトレイブンカレッジへ」
「お久しぶりです、クロウリー学園長殿。本日からお世話になります」
「ええ、ええ、こちらこそよろしくお願いしますよ。今回、皆さんの案内、宿を提供してくれるのは、監督生くんでしてねぇ。もう少しでこちらに着くと思いますので、少し待っていてくださいね」
「はい! 今日からよろしくお願いします」
副会長と補佐の元気な挨拶の直後に、慌ただしく鏡の間に入って来たのは、件の監督生だった。今日は珍しく、一人で来たようだ。
「すみません! 遅れましたぁ!」
「ああ、丁度来ましたね。では、監督生くん、フランム君達を寮へ案内するように」
「は、はい、分かりました。じゃあ、ノーブルベルカレッジの皆さんは、自分について来てください」
去り際、学園長が思い出したように「ああ」と言って、監督生を引き止めて訊いた。
「そういえば、オンボロ寮のイベントはどうです? 問題無く、機能してますか?」
「バッチリです! ありがとうございます!」
「イベント? 何かやってるんですか?」
不思議そうに首を傾げる副会長に、監督生は些か得意気な顔で言った。
「お化け屋敷です!」
きっかけはエース達とツイステッドワンダーランドと監督生の元の世界でそれぞれの夏の文化について話し合っていた時だった。監督生の生まれた国は「ニホン」という島国で、夏は非常に蒸し暑い為、様々な涼み方がある。その中に怪談をして、ゾッとすることで体感温度を下げるという方法があると説明すると、マブ達は「へぇー」と言った後、次のようなことを言った。
「普通、怪談って冬にやるもんだと思ってたけど、監督生のとこって変わってんな」
「確かに。暑い中でする怪談ってあんまりイメージ無いな」
「監督生サンの国って、こっちと同じようにゴーストがいるのが当たり前なの?」
「魔法が無いのに、どうやって怪異に対抗するんだ?」
「魔法を行使しない場合の怪異からの生存率はかなり低いけど、どうやって生き残るの?」
「魔法が使えない脆弱な人間が怪異に対抗できるとは思えん」
それからもあーだこーだと魔法を使わない世界での怪異とその対策について話し合っていた一同は、エースの一言で打ち止めになった。
「ダメだ。全っ然分かんねぇ。監督生、教えてくんない?」
そのまま、話の流れで怪談を一つ語ろうとした監督生だったが、ふと、あるアイディアが浮かんだ。
「じゃあ、実際に体験してみるっていうのはどう?」
これが悪意の無い悪事の始まりだった。
オンボロ寮に向かう道中、ロロ達は監督生から簡単に説明を受ける。舞台はドワーフ鉱山で、監督生の世界の怪異をいくつかのゴーレムで再現したものらしい。今回は山の怪異をテーマに先生達やマレウス・ドラコニアの協力の下、本物の山と言えど、安全に楽しめるアトラクションになったようだ。
「本当は交換留学の前に開催終了する予定だったんですけど、思ったより製作に時間がかかってしまって。折角だし、良い機会だから、異文化交流としてノーブルベルカレッジの皆さんにも体験してもらった方が良いってことになったんです」
「面白そうですね、会長」
「僕、やってみたいです!」
「いや、まずはこの交換留学の主目的である共同授業を受けるのが先だ。副会長、補佐。はしゃぐのは、後にしたまえ」
ぱあ、と表情を輝かせる副会長と補佐をロロが窘めると、二人は恥ずかしそうに居住まいを正した。別に乱れてもいないのに、それぞれ帽子や襟の位置を直している。そんな調子で話している内に、いつの間にかオンボロ寮に辿り着いていた。門を通らずとも、他の生徒達の列が出来ていると分かる。
「な、何なのだ!? この混雑は!」
「凄い人気ですね」
「今日から開催するので、宣伝の効果ですね。まぁ、殆どは冷やかし目的だと思いますけど。開始時間までまだ少しあるので、先にお部屋にご案内します。申し訳ないですが、裏口からどうぞ。こっちです」
正門を通り過ぎ、裏手に回って小さな門を開けて入る。この日の為に手入れをしたのだろう。歩きにくいような背の高い雑草は無く、裏口のドアまで細かい砂利が敷いてあった。砂利道を進み、裏口から入ると、談話室へ続く通路が見える。談話室への出入口はパーテーションで区切られており、玄関へ向かって赤いテープがピンと張られており、スタッフ用の通路と分けられているようだった。ロロ達は監督生の案内でパーテーションの裏側を通り、中に入る。
談話室は、カフェスペースとソファ席があり、向かい合ったソファの間にはスタンドに固定された大きな鏡が鎮座している。お化け屋敷らしいものが一切見受けられないので、副会長と補佐は不思議そうな顔をしていたが、魔法を憎んでいる故に優秀なロロには一目で鏡に何らかの魔法が掛けられているのだと分かった。恐らく、転移魔法だろう。監督生の姿を見た途端、並んでいた他の生徒達は「早く始めろー!」だの「ほんとに怖いのかよ、異世界人〜」だのと喧しい。待ち時間20分と書かれているホワイトボードの時間を15分に書き直したグリムが「もうちょっと待つんだゾ! 慌てなくてもお化け屋敷は逃げないからな!」と大声で呼びかけ、ちゃんと並ぶように言う。監督生も野次を飛ばしてくるそれらを宥めすかしつつ、カフェスペースを通り過ぎ、二階へ続く階段へ向かった。階段周辺を区切って隠すようにまたパーテーションが置いてあり、階段の傍には簡易ベッドが二つ並んでいる。何故、お化け屋敷にベッド? と思ったロロ達だが、監督生が特に言及しないので、そのまま階段を上った。
それぞれの部屋に通され、荷物を置いて一息つく。共同授業は明日からだが、予定を確認しておこうと、ロロは交換留学のしおりを取り出し、ベッドに座って読み始めた。
それから少しして、控えめなノックの音がした。聞き覚えのあるその音に、ロロは「どうぞ」とドアの向こうにいるだろう人物へ促す。キィ、とこれまた控えめにドアを開けて顔を覗かせたのは、補佐だった。申し訳なさそうな表情を浮かべつつも、どこかわくわくしている様子に、ロロは一瞬だけ眉を顰める。
「どうしたのかね?」
「あの、会長……。今夜、監督生さんのお化け屋敷を体験して来ても、良いですか?」
まるで怒られることを分かっていながらも勇気を出して言ってみた子供のような彼に、ロロは懐から愛用のハンカチを取り出して「何をけしからんことを」とでも言いたげに目を眇めた。その姿を見て、補佐は慌てて訂正する。
「あっ、だ、ダメですよね! すみません、失礼しました――」
「待ちたまえ」
そのまま出て行こうとする彼をロロは呼び止めて、ちらりと壁にかかっている時計を見た。今は18時を回ったところだ。夕食の時間まで一時間ある。
「――その、お化け屋敷とやらはどの程度かかるものなのかね?」
「え? あ、さっき監督生さんに訊いてみたんですけど、長くても一時間くらいで終わるみたいです」
「だが、先程は凄い混雑だっただろう。今から行ったら、夕食に間に合わない」
ロロの意見に「そうですよね……」と至極残念そうに呟く補佐。だが、次の一言で、彼は喜色満面になった。
「行くとしたら、夕食の後にしたらどうだね? その頃には人も減るだろうし、一時間程度なら、明日には響かんだろう」
暗に「行って良い」と許可をもらった補佐は、期待の眼差しを向け、「はいっ!」と元気な返事をし、「では、夕食の後に副会長と行って来ます! 会長はどうしますか? 一緒に行きますか?」と尋ねてきたが、ロロは「いや、生憎と私は然程、興味が無い」と断った。
「そうですか……。でも、面白かったら、一緒に行きましょうね!」
「いや、だから、私は――」
「では、失礼します!」
そう言って彼は出て行き、無常に閉められるドア。相変わらず、興奮すると他人の話を聞かなくなってしまう補佐に、一人残されたロロは深い溜息を一つした。
徐に持って来た自分の鞄を開けて、招待状を取り出す。「ロロさんへ」と書かれた白い封筒をそっと開け、招待状を手に取る。招待状というよりは招待券だ。夜のドワーフ鉱山の写真を背景に「オンボロ寮主催お化け屋敷! 消えた友人を捜せ」の文字がおどろおどろしいフォントで書かれている。あまり見たことの無い字体に一体どこで見つけたのか、とロロは思った。何気なく裏返すと、お化け屋敷の背景設定というか、ストーリーのあらすじが載っていた。
昼間、ハイキングを楽しんだプレイヤーは下山する途中で、友人が一人行方不明になってしまい、その捜索に夜の山へ向かう、という内容だ。正直、これが実際に起きた出来事なら、迷わずマジカルフォースに任せた方が良いと思うのだが、ロロはそこまで野暮ではない、つもりだ。招待状を貰いはしたが、実際、ロロに参加する意思はあまり無かった。今回の交流会は、ハロウィーンの時と同様、相手校の歴史や文化を学ぶのが主目的だ。遊びに来たのではない。だが、友人の誘いを無下にする訳にもいかない。
「……これは全てのカリキュラムが終わる頃に行くとするか」
今は遊びより学業優先。元来、真面目なロロは招待券を元通りにしまい、しおりの続きを読み始めるのだった。
夜。ロロは階下から聞こえてきた悲鳴で目が覚めた。正確には漸くうとうとと眠気がやって来た頃に、叩き起されたのだが。煩い。今何時だと思っている。文句の一つでも言ってやろうと、起き出した彼は寝巻きの上に念の為と持ってきた外套を羽織り、しっかりと釦を閉めてから、談話室へ向かった。
談話室では、監督生にえぐえぐと泣きつく副会長と補佐の姿があった。グリムの姿は無い。
「何の騒ぎだね?」
「あ゛っ゛、が、がいぢょぉ……」
「も゛、戻゛っでごれだぁ……!」
「…………あったかいココア飲みますか?」
「飲゛み゛ま゛ずぅ゛っ゛!!」
「一人にじないでぇ……っ!」と悲痛な雄叫びを上げる二人に引っ付かれつつ、ロロは監督生に説明を求める。そんな三人に「まぁまぁ、まずは落ち着く為にココア飲みましょう?」と彼はソファ席へ促した。ソファ席に近付く際、ソファ間にある鏡を見た二人は厭にびくついていたが、ロロは知らない振りをして座った。
監督生はソファ席で二人分のココアを作りながら、――ロロはすぐ就寝するつもりなので、断った――簡単に説明する。要するに二人は監督生が作ったお化け屋敷に入り、死ぬほど怖い目に遭って帰って来たばかりだった、という訳だ。ちなみにグリムは昼間宣伝と列の管理を頑張ってくれたので、部屋で休んでいるようだ。
「危険は無いのではなかったのかね?」
「命に関わるような危険は一切ありませんよ。ただ、人によっては気絶はします。副会長さんと補佐さんは気絶リタイアして帰って来ました」
なるほどとロロは合点がいった。そういえば夕食を終えてからナイトレイブンカレッジの生徒の悲鳴やすすり泣く声が聞こえていたなと思い出した。監督生から手渡されたココアを受け取った二人は一心不乱にちびちび飲んでいる。
「そんなに恐ろしいものを作ったのかね?」
「恐ろしい……と言っても、どれもこれも元の世界にあった怪談をただ再現して頂いただけですし、自分はそんなに怖いとは思いません。山というのは、昔から異界への入口になるところですし」
「卿の世界には魔法が無いのだろう? おいそれと異界に行って無事に帰れるとは思えないのだが」
「う〜ん……でも、いくつか対策を知っていれば、それ程脅威ではありません。厄介な神様や生きてる人間の方がずっと怖いですし」
「それ程脅威ではない」と言う監督生に、副会長と補佐は正気ではない者を見るかのような目を向けた。いくら恐ろしい目に遭ったからと言って、その態度は失礼に当たるとロロは視線で注意するも、「だってぇ……」と思い出したのか、補佐が半泣きで訴えた。
「会長ぉ……今日は一緒に寝てくださいよぉ……」
「僕ら、もう一人じゃ寝られませんってぇ」
「狭くなるから、嫌なのだよ。お前達二人で寝たらいい」
「いやぁ! 二人だけじゃ万一の時、どうしたらいいんですかぁ!?」
「何だね、万一とは。万に一つも億に一つも無いのだよ」
「……というか、ロロさん、もう寝るんですか? まだ夜の九時ですよ?」
監督生の質問に、ロロはきりりと答えた。
「私は朝早いのでね。いつも九時には寝ている」
「ジャック以上の健康優良児……」
なのに、隈は酷いんだよなと思ったが、口には出さない監督生だった。
翌日、朝食に向かうオンボロ寮一同と悪友達は、大変混み合っている食堂内で度々、お化け屋敷の話が挙がっていることに気が付いた。流石は流行りに敏感な学生達。もう既に何人かが『プリンセスにされた』という話題もあった。
「監督生、プリンセスにされたって、なに?」
エースの率直な疑問に、監督生はグリムと自分の分のスクランブルエッグを取りつつ、説明した。
「ああ、あれだよ。救助ゴーレムで帰って来ること」
「救助ゴーレム?」
ゴーレムには役割によって姿や性格が違うものだが、救助ゴーレムはその中でも比較的優しく、献身的で勇敢な性格が多い。当然、救助対象と認識している人間にも優しい。だが、プライドがバリバリ最強NO.1なナイトレイブンカレッジの生徒にとって、今回のお化け屋敷の救助ゴーレムに助けられるのは、ある意味で屈辱的でもあった。
「救助する時、必ずお姫様抱っこするように設定してもらったから、多分、それが原因だと思う」
「なんで?」
よくよく周りの生徒達の話を聞けば、救助ゴーレムは人間の腰くらいまでしか無いが、力が強く、腕が長めに作られているので、お姫様抱っこをした時、頭と首を安定して運べるようにしているようだ。気絶リタイアした人を運んでオンボロ寮へ繋がる鏡に送り、ベッドに寝かされるのが一連の流れなのだが、寝かされる際も救助ゴーレムの手で優しくされる為、たまに運ばれる途中で目が覚めた生徒が自分を助けてくれた救助ゴーレムに、うっかりときめきそうになるのだという。
「くそっ。あの時、迂闊にもときめいちまったぜ」と誰かが言った一言が発端となり、気絶リタイアのことを『プリンセスにされる』と言うようになった。
「みんな気が狂っちゃったのかな?」
「お前のせいなんだよなぁ」
「卿のせいなのではないかね」
「そんなぁ」
運良くまとまった空席を確保できた一同は、他愛ない会話を交えながら、朗らかに朝食を摂る。話題はあまり朗らかではないが、二個目のウィンナーを嚥下したデュースが口を開いた。
「監督生。放課後、僕達も参加していいか? 昨日は部活で行けなかったんだ」
「はいはーい! オレも〜! 人数多い方が盛り上がるし、ジャック達も誘って皆で行こうぜ〜!」
「何人でも大丈夫だけど、人数多い方が怖くないから、最大四人までってことにしてる」
「え〜? じゃあ、二チームに別れる感じか。でも、四人だったら、案外余裕でクリアしちゃうかもね。授業終わったら、パパッと行っちゃいますか!」
そんな軽口を叩くエースを副会長と補佐は心配そうに見ていたが、ロロは敢えてそれには触れなかった。悪党共が泣いて監督生に縋る姿を見るのもまた一興かと思っていたからだった。
「あ、もうこんな時間か。ジェイド、フロイド。少し席を外します。僕がいない間、ラウンジを頼みましたよ」
放課後、ラウンジの仕事が一段落したところで、アズールは例のお化け屋敷を体験しに行こうと、粗方デスクの上を片付ける。
「はい。例のお化け屋敷に?」
「ええ、そうです」
「はぁ〜い。小エビちゃんが作ったっていうアレ? あんま怖くなさそうだけど?」
「ですが、フロイド。昨日からオンボロ寮ではひっきりなしに様々な方の『歌』が聞こえてくるそうですよ。ふふふ」
「へぇ〜? それって、オレらがいつも鳴らしてるやつぅ?」
「お前達が鳴らしているのは骨でしょう。昨日、監督生さんから招待券を頂いたので、次のハロウィーンに向けて、何か参考になるようなものがあれば、パク……じゃなくて、コラボ企画を打診してみようと思います」
「流石はアズール。荒稼ぎに目敏い貴方らしい」
「ふふふ。そうでしょうそうでしょう。今週の有給、取り消しておきますね」
さらりと言い残して立ち去ろうとするアズールの胴を、背後から抱きついたジェイドの腕が締め上げる。
「ああ、そんな! 何も無体まで働かなくてもいいでしょう!? アズール! 貴方、働きすぎですよ! 正気ですかっ!? 今週末はエレクトリカル山でキノコパレードが催されるというのに!」
「お前が正気ですか。フロイド、今週末はこのキノコをキノコ山に行かせないように。お願いしますよ」
「オレの兄弟、キノコだったの……? え、やだ……」
「ふんっ」の一言と溢れる腕白な腕力でジェイドの拘束から逃れ、自分の兄弟がキノコだったことに絶望しているフロイドを残して、アズールはラウンジを後にした。
「あ」
オンボロ寮の前で出会った瞬間、アズール、ロロ、エース、デュースはほぼ同時にその音を発していた。アズールとエーデュースはお化け屋敷目当てに、ロロは図書室からの帰りだ。これは良いところで出会ったと瞬時にいつもの営業スマイルを作ったアズールは、さっとロロに近付く。
「これはこれは、ロロさんではありませんか。貴方もお化け屋敷に?」
「……いや、私は――」
「やっぱり、ロロ先輩も気になってた感じですかぁ〜? なら、一緒に行かないスか?」
アズールはこの機会にロロと親交を深めようと、エースはデュースも含め、この生真面目な先輩が泣き喚くところを見たいが為、誘ったのだが、流されるロロではなかった。
「いや、私にはまだやり残した仕事があるのでね。君達には悪いが、失礼させてもらう」
そそくさと裏手に回ろうと歩き出したロロの背中に、エースは何気ない様子を装って言った。
「怖いんスか?」
「エースっ、お前……!」
相手は他校の先輩だぞと目で注意するデュースに構わず、放たれたその一言は、ロロの足を止めるのには充分過ぎる効果があった。しかし、一時足を止めたものの、またそのまま歩き出したロロの背中に、今度はアズールが声を掛ける。
「ね、アズール先輩。戦う前から逃げ出すって、どうよ? って感じしません?」
「そうですねぇ。何に恐怖を感じるのかは人それぞれだとは思いますが、ロロさんは繊細な方ですから、きっと僕達が一緒でも怖くて気絶してしまうかもしれませんね」
「んじゃあ、行きます――痛ぁっ!?」
か、で終わる筈だったエースの言葉は、つかつかと戻って来たロロがエースの手に、自身の招待券を叩き付けたことで中断された。見た目に似合わぬ強い力にじんじんと掌に痛みの余韻が響いている。
「ふ、フランム先輩?」
「すぐ戻る。並んで待っていたまえ」
それだけ言って踵を返したロロは、早歩きでオンボロ寮の裏手に向かって行った。残されたエース達は、エースの手に乗せられた招待券をまじまじと見つめる。
「…………え? 行くってこと?」
「でしょうね」
「エース。フランム先輩、絶対怒ってるぞ。後で謝っとけよ」
「やだ」
「お前なぁ……」
「そういえば、あなた方、いつものメンバーはどうしたんです?」
アズールの疑問に二人は少し残念そうに答える。
「あー……誘ったんですけど、何かみんな予定あったみたいで」
「ジャックは何か寮でトラブルがあったから、その対応の手伝い、エペルとセベクは部活で、オルトは今回、製作に関わってるので、行かないみたいです」
「サバナクローでトラブル? それは大変でしょう。後でレオナさんに連絡を取ってみましょうか。きっとお困りでしょうからね」
また問題解決と称してセールスに行くんだろうなと思った二人だったが、口に出したら、どうなるか分からなかったので、そっとしておいた。
それから程なくして、ロロが戻って来た。できるだけ軽装にしたという感じで、トレードマークの大きな帽子は無く、恐らくノーブルベルカレッジの運動着だろうツナギを着ている。
「運動着まで持って来ていたんですか、ロロさん」
「行き先は山なのだろう? 君達こそ、制服で良いのかね?」
「ルート自体は普通の散策コースだと聞いていますので、何も問題は無いかと。汚れたら、僕が開発した良い洗剤がありますので、それで。あ、皆さんもご入用でしたら、ご用意しますよ」
「思い出した風に言っても買わないんで、大丈夫でーす」
「おや、そうですか? ふふ、後で困っても知りませんよ」
ロロが合流したところで一同はオンボロ寮の玄関から入る。既にだいたいの生徒が体験したらしく、昨日より列は短い。これなら、すぐできるだろうと予想していた通り、前の組が終わり、エース達の番が回ってきた。
「おっ。お前ら、来たのか!」
「よ、グリム。ちゃんと働いてんの?」
「チケットもぐの、頑張ってるみたいだな」
玄関に入ってすぐ一同をグリムが出迎える。エースとデュースが声を掛けると、グリムは痛そうに自分の前足を摩った。
「ふなぁ〜。昨日からずっとチケットもいでて、腕が痛ぇんだゾ……。まぁ、今日はまだマシな方だけどなぁ。んで、エース達は何人で入るんだ?」
「オレとデュースとアズール先輩に、なんと今日はロロ先輩も一緒ってことで!」
「ええっ!? ロロもかぁっ!? ……どうせ、またエースが煽ったんだゾ」
グリムの名推理に、「いいじゃん」の一言で済ませたエースは、誤魔化すように招待券をグリムに渡す。半ば呆れ気味に「四名様ご案内、なんだゾ」と言って全員の招待券をもぎり、グリムは談話室に四人を通した。
「いらっしゃいませ」
談話室へ入ると、そこには緑色のエプロンを付けた監督生が恭しく一礼して、ソファ席へ座るよう促した。
お化け屋敷だというのに、普通のカフェのように明るい部屋の内装をエースとデュース、アズールは興味深そうにきょろきょろ見ていたが、それも少しの間で、言われた通りにソファ席に四人仲良く座る。向かいに監督生が座り、丁寧な所作で客であるエース達へ見えるように「どうぞ」とメニュー表を開いて見せた。そこには飲み物や食べ物の名前ではなく、お化け屋敷の注意書きが次のように書いてあった。
1.チケットをもぎり、このソファに座っている時点でのリタイア・入店拒否はできません。
2.舞台は本物の山ですが、安全面に最大限配慮しております。尚、無闇に木の枝を折る、火を放つ等の危険行為は厳禁と致します。自然保護にご協力下さい。万が一、破った場合は土地の所有者より訴訟も有り得ます。
3.出現するゴーストはあなた方を驚かせることが目的であり、危害を加えることではありません。破壊行為、その他破壊に繋がる行為は厳禁と致します。
4.体験中に体調不良になった場合は、「リタイア」と申告をお願いします。近くの救助ゴーレムがオンボロ寮までご案内致します。(気絶した場合も同様の扱いとなりますので、救助ゴーレムが向かいます。お連れの方はそのままお進みください)
5.純粋な恐怖を体験して頂く為、魔法の使用は禁止と致します。
全員が最後まで読み終わった頃を見計らい、監督生が底の浅い、黒い箱をテーブルに置いた。
「注意事項に同意して頂けるなら、マジカルペンまたは魔法石、魔法具をご提出ください。一時的にこちらでお預かり致します」
「随分、注意事項が具体的なのだが?」
「……このくらい書かないと、この辺りのお客様は本当にやる方が多くて」
ちら、と同行者達を一瞥したロロは、「なるほど」と大変納得した様子で頷いた。すかさず、残りの三人が反応する。
「ロロさん、何が『なるほど』なんです?」
「やんないッスよ!? オレらは!」
「ぼ、僕も気を付ける!」
わちゃわちゃ話しながらも、皆それぞれマジカルペンや魔法石を提出し、監督生は大事そうに広げてあるメニューの隣に置いた。
「では、これから皆さんがご友人の捜索に向かう山について、簡単に説明しますね。山の名前は首狩り山。当店はこの山の近くにあるのですが、その昔、大規模な戦争が起こった際、最も激しく、最も残虐な処刑場と化した山です。大将の首を獲れば誉を貰える、大変名誉なことだと言われて戦争に行く時代。戦士達は敵の大将を捜し出し、その首を次々と獲りました。が、ある大将首を獲った時――とても奇妙なことが起こったのです。首を斬ってもまだその男は苦しみに喘ぎながらも喋り続け、終いには恨みを晴らさんと、首だけで戦士達に襲いかかって来たそうです。戦士達の中の一人が真っ二つに首を斬るまで。斬られた首は恨みを鎮める為、その場に塚として埋められましたが、それからというもの、この山では必ず不思議なことが起こるようになり、いつの日か誰かが『首狩り山』と呼ぶようになりました。あの山には鬼が住む、と。皆さんが足を踏み入れるのは、そういった曰くのある山です」
「なんでそんな怖いこと言うの?」思わず、全員同時に言いそうになったが、それぞれのプライドの高さから口にされることは無かった。が、表情だけは雄弁に虚無を語っていた。
「そういったものを私の世界では『物の怪』と呼び、山に入る時はいくつか対策として決まった物を持って行きます。山の物の怪には金気のある物が大変効果的だと聞きます」
「監督生、カナケ? のある物って、なんだ?」
デュースの質問に、監督生は不思議そうな顔をしたかと思うと、いきなり背後を振り向き、周りを見渡してから元の姿勢に戻る。突然の行動にびくっと反射で震えた一同だが、何事も無く、続ける監督生の言葉に少し戸惑った。
「お客様、当店には私以外のスタッフはおりませんが、一体、何方のことを仰ったのでしょう?」
「えっ……」
「あ、あ〜、なるほどね。そういう設定なんだ。じゃあ、店員さん。そのカナケってのは、何なの?」
「金気とは、所謂金属製の物のことです。さっきご説明した戦争でも、金属を極限まで引き伸ばし、磨き上げた『刀』が使われていました。他にも現代で言うところの『包丁』や『鋏』など、刃物のことですね」
「刃物なんて、どうするんです? まさか凶悪犯よろしくいきなり斬りつけろとでも?」
「そのまさか、ですよ」
「ええっ!?」
驚く一同に構わず、店員に扮した監督生は続ける。
「こちらの話に応じない、意思の疎通ができない者に対して、我々生きている者が出来うる手段の一つです。でも、それが全てではありません。実際に山中で刃物を見つけたとしても、慣れていないのでしたら、持つべきでは無いかもしれませんよ」
そこで壁掛け時計を一瞥した監督生は、「ああ、もうこんな時間!」と急に慌ただしく立ち上がる。
「いけません、お客様方! ご友人が行方不明になってから、二時間も経過しています! さぁ、早く捜しに行ってあげて下さい! 私は救助隊を呼んで参りますので! 件の山へはそこの鏡を通れば、すぐに着きますよ。ご友人を見付けたら、すぐ下山してくださいね!」
実際、この説明に二時間もかかった訳は無いが、それが体験開始の合図だと雰囲気で感じ取った一同は、ソファから立ち上がる。「最後にこれを持って行ってください。きっと何かの役に立つでしょうから」と監督生は人数分の手鏡を手渡してきた。折り畳みの安物で、至って普通の鏡だ。
「それでは、行ってらっしゃい」と送り出され、一同はソファ席の間にある鏡を潜った。
鏡を潜った時に感じた浮遊感と眩しい光が収まると、目を開けた先は夜の山を目の前にした広場だった。辺りは虫の声と時折、吹く風以外の音が無い、静かなものだった。満月は高く昇り、明かりが無くても足元が見えるくらいには明るい。夜の山と言っても、あまり恐怖を感じない景色にエースは拍子抜けした。
「ここが首狩り山……」
「っていう設定ね。ったく、監督生もあんな物騒な話しなくてもいいよなぁ」
「お化け屋敷なのですから、雰囲気を盛り上げる為のお話でしょう。実際、ここはあんな物騒な山ではなく、ドワーフ鉱山なのですし」
「確かに卿の言う通りだろう。ここから魔法石が採掘され、魔法技術が急速に発達した……忌々しい場所なのだからな」
「忌々しい」という単語に、不思議そうに首を傾げるエーデュースと神妙な顔をしながらも何も言わないアズール。しかし、それも長くは無く、「では、行きましょうか」というアズールの一言で、一同は山へ向けて出発した。
スタート地点はお化けに見える木がある広場。監督生は普通の散策コースだと言っていたので、ここから道なりに進めば、山に入る筈だ。
「何か、月の光が強いせいか、かなり明るいッスね」
「そうですね。最初は懐中電灯のような物も渡されないので、少し心配でしたが」
雑談を交えつつ、広場を出て、山に伸びる道を進んでいると、半分程進んだところで不意に遠くから猫の鳴き声のようなものが聞こえてきた。思わず、声のする方を見ると、それは山の方から聞こえてくる。
「山の中に猫……?」
「いや、赤ん坊の声だ」
「え……」
ロロの言葉に、一年生二人は驚き、歩みを止める。二人の様子に気付いたアズールは先頭を行くロロに声を掛けて振り返った。立ち止まっている今も、猫の声は遠くから響いている。
「え、あれ、猫の声じゃないの?」
「僕も、猫じゃないかと……」
「猫? ……確かに似てなくもないが、よく聞きたまえ。あれは泣いている赤ん坊の声だろう」
そう言われて一年生達はよく耳を澄ませてみる。それまでずっと「にゃー……にゃー……」と聞こえていた声は、次第に「おぎゃー……おぎゃー……」という音に変わっていく。こんな山中に、赤ん坊の声。
ぶるっと身震いし、エースは黙ってデュースの制服の袖を掴み、再び歩き出す。いきなり引っ張られたデュースは「おい、危ないだろっ」と注意したが、エースには聞こえていないようだった。ただひたすら、今の彼の頭を占めているのは「無理」の二文字だけだ。「無理」だけど、ここでリタイアするなんてダサい真似はしたくないし、先輩達ともはぐれたくないので、デュースを引っ張ってきたという訳だ。厭に早歩きをして来たエースに、わざわざ近付いたアズールが至極愉快そうに言った。
「おやおや、エースさん。どうしました? 顔色が良くないですよ?」
「べっ――つに、何でも無いんで。早く行ってパパッと終わらせちゃいましょ」
至って普通、いつも通りの明るい自分を装うが為、先を急がねばならなくなったエースは、内心進みたくない気持ちを蹴飛ばし、見なかったことにして、ロロの近くまで行く羽目になった。
山に近付くにつれて、赤ん坊の声も段々大きくなる。不気味なその声をあまり聞かないよう意識して、一同は山道に入る。ここからは外周をぐるっと回りながら、山頂まで行くのが散策コースだ。赤ん坊の声は、山頂から聞こえてくるようで、一同はあまりそちらを見ないようにして進む。唯一、助かるのは、山頂まで時間がかかるコースだったことだ。一定のペースを乱すこと無く、進むロロがふと、ぴたりと足を止めた。
「どうしたんですか? ロロ先輩」
急に立ち止まったロロを不思議に思い、エースがそう声を掛けると、ロロはつい、と道の先を指で示し、言った。
「……あそこに子供がいるのだが、どうするかね?」
あんた何なの? ホラーの申し子なの? オレらの味方に見せかけた敵なの? 一瞬、虚無と共に訪れた感情と台詞をそのまま出しそうになって、エースは慌てて咳払いで誤魔化す。アズールもロロの隣に立って山道の先を見つめた。確かにロロの言うように赤い服を着た子供が一人、少し先に蹲っている。
「もしかしたら、迷子なんじゃないですか?」
デュースの最もらしい言葉をロロは一刀両断する。
「こんな山道、しかも夜にかね? 明らかに『あれ』は監督生君の言った物の怪とやらだろう」
「ロロさんの言う通りです。警戒するに越したことはない。あの赤ん坊の声も聞こえませんし、あれとは別のものなのか……」
そこでエーデュースは初めて、赤ん坊の声が止んでいることに気付く。それどころか、何の音もしない。全くの無音になっていると気が付くと、何故かゾッとした。そのままの体勢で話し合った結果、子供と距離を取りつつ、進むということで話がまとまり、一行はまた歩き出した。
子供はその場から動く様子は無いが、蹲って顔を両手で覆っている。赤い着物を着た少女のようで、時折、指の隙間から「……てー」とか細い声が聞こえてくる。泣いてるんじゃないかとデュースは思ったが、先程のロロの言葉を思い出して、頭を振った。至って何でもないような態度で進み、子供と対面するような位置まで来た時、不意に子供がすくっと立ち上がり、こちらに近付いてきた。どん、と最後尾にいるデュースの足にぶつかってきた子供が、至極嬉しそうに笑いながら、手の中で言う。
「見たい? 見たい?」
一瞬、何のことか分からなかったデュースは、そこで歩みを止めてしまい、「何を……?」と口にしてしまった。
「バッカ! デュース……!」
先に進んでいたエースがそれに気が付き、腕を掴んで引っ張ろうとするよりも早く、ぱっと小さな手が開かれて、少女の顔が覗く。そのあまりにも恐ろしい形相に悲鳴を上げた瞬間、デュースの脳に直接叩き付けるように、ある言葉が何度も繰り返された。
死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい!!
「うわあっ!!? あっ……!? ぐぅっ!」
「は!? ちょっ……デュース!?」
目眩に襲われ、倒れそうになるも、エースが掴んでくれていたお陰で、その場に膝を付くだけで済んだ。付いて来ていない二人に気付き、アズールとロロが戻ってくる。そんな二人にまた顔を隠した少女が近寄って行く。
「ちょっと、何やってるんですか」
「見たい? 見たい?」
「は……?」
二人が目の前の少女を視界に入れたタイミングを見計らったかのように、またぱっと少女の手が離される。ほぼ同時に少女の顔を見てしまった二人は、デュースと同じく、膝を付いた。
「ひっ……! なん、ですか、これは……!」
「くっ……! 幻覚魔法か……っ!?」
「ちょっ、アズール先輩達も!?」
最早無事なのは、自分だけとなってしまったエース。残された彼にまた自分の顔を覆った少女が「見たい? 見たい?」と近付いて来る。その姿を見ても、もう相手が子供には見えない。自分を仕留めに来たのだと分かる。
「――ざ、ざっけんなよ!」
自分を奮い立たせる為、若干、震える声で無理矢理叫び、デュースに肩を貸す。後に続くようにしてロロも立ち上がる。だが、気力だけで立っているようで、まだ足元は覚束無い。エースは少女を見ないようにしながら、必死にアズール達の方へ歩いて、もう片方の肩をアズールに貸す。最後にアズールよりはいくらか歩けそうなロロの手を掴んで、先へ進む。とにかくあの少女から距離を取らなければ、全員共倒れになる。その後は――あいつはオレ達をどうするつもりなんだ?
「うぅ……済まない、エース」
「いいって、こんくらい。無事に下山できたら、何か奢れよ」
「相変わらずか。しょうがない奴だな」
少しずつだが、先に進むエース達の背後から軽い足音であの少女が回り込み、すぐ目の前で顔を見せようとする。
「見たい? 見たい?」
「目ぇ、閉じろ!」
エースが注意を促すも、デュースは一歩反応が遅れてまた少し見てしまう。また目眩に襲われ、耳鳴りもし始めた。目を瞑ったまま、なるべく急いで少女の脇を通り、追い越す。ギリギリ気絶できないことが幸か不幸か、少し回復した様子のロロがエースに声を掛けた。
「エース・トラッポラ君、といったか」
「何スか、先輩」
「少し回復してきた。アズール君は私が受け持つ。貸したまえ」
「いや、何言ってんスか、あんた。そんなフラフラしてんのに」
エースの言うように、今ロロは手を引かれてやっと一緒に歩けている状態だ。流石にいつも楽を考えるエースでも、今の彼にアズールを支えさせるようなことはさせない。しかし、年上の矜持か、悪党への対抗心故か、「いいから、貸したまえ!」と言ってロロはアズールの空いている方の腕を自分の肩に回した。
「う……エース、さん。いいです。放してください……。僕も、いつまでも年下に支えられている訳にはいきませんから……」
アズール本人にも言われ、逡巡したエースは後ろから少女がとたとたと駆け寄って来る足音を聞き、決めた。
「じゃあ、二人共。オレの後ろに居て。オレが前に出て盾になるから、二人はオレの背中だけ見てて」
デュースに肩を貸したまま、ロロとアズールの前に立ち、そのまま進むエース。癪だが、今は大人しく従おうとロロも続く。また少女が前に回り込み、顔を見せてくるが、今度は全員が目を瞑ったので、何とか追撃されることは無かった。急いでまた追い越すと、行く先から切羽詰まった老婆の声がした。
「こっちだよ、坊や達! 早く!」
その声は山道から脇に外れたところから聞こえてくる。目を瞑っているので、何が何だか分からないが、その声に導かれるようにしてエース達は山道を逸れた。
少しひんやりした空気と湿気が出迎え、老婆に押さえられて、壁際で息を殺す。「てー……」と聞こえた声に背筋を寒いものが走り抜けるが、必死に声を出さないようにしていると、子供の足音は通り過ぎて行った。再び辺りがしん、と静まり返ると、漸く老婆が口を開く。
「行ったみたいだねえ」
もういない、自分達を見失ってくれたと分かると、安堵の息を吐き、目を開ける。そこは坑道の中で、自分達は入口近くの壁際に背を預けていたと分かると、改めてふう、と溜息を吐いた。エースの傍らには、声を掛けてくれた老婆がいた。長い白髪を上品に結い上げ、緑の着物を着ている。先程の子供も着ていた極東の代表を目の当たりにして、アズールは次の商売に活かせないか考えるくらいの余裕が出てきた。
「助かった……」
「良かったねえ。ほれ、坊や達。そんな入り口の近くにいると、見つかるよ。もっと奥へ来なさい。私の家に入れてあげよう」
「あ……ありがとう、ございます」
お年寄りには優しく。普段、如何に損得を考えて行動し、発言するナイトレイヴンカレッジ生でも、お年寄りを利用しようなどとは思わない。それにこの老婆の言っていることが本当なら、もうあの少女に出会すのは勘弁願いたい。そう瞬時に判断して、エースはロロに目配せすると、彼が頷くのを了承と取り、素直に従って老婆と共に奥へ進んだ。
坑道の奥は前に魔法石を取りに来た時同様、少し開けた空間があり、どうやら老婆はこの場所を自分の家としているようだ。辺りにはごつごつとしたいくつもの岩が転がっている中、鍋や箸などの調理道具が無造作に置かれ、エース達は座りやすそうな場所に座って良いと言われた。お言葉に甘えて、比較的平らな岩の上を選んで座る。少し離れた岩にはロロとアズールが座って休んでいる。自分も少し休もうかなと思っていると、老婆は「お客様が来たからねえ、ちょっと待ってて頂戴。お茶を用意するから」と言って、隣の空間に繋がる洞穴の中へ入って行く。穴に入る直前、思い出したように声を上げた老婆は、坑道の更に奥を指し示した。
「今、お茶を淹れて来るけどねえ、奥には行かないで頂戴ね」
朗らかにわざわざそんなことを言って、老婆は穴の中へ入って行った。やっと少し体調が回復してきたアズールがぼそりと呟く。
「……あれ、行けって言われてます?」
「行くなと言われただろう。大人しくしていたまえ」
アズールの隣に座っていたくないのか、ロロはさっと立ち上がると、スマホを取り出してライトを点けた。その淀みない手つきに、アズールは意外そうな目を向ける。
「ロロさん、スマホ使えたんですか」
「卿は私を何歳だと思っている。昨今、このくらい使えなくては仕方ないだろう」
「まぁ、確かに。僕もアプリで株価の動向をチェックしたり、上場企業や最近のトレンドをマジカメでチェックくらいはしますしね」
「卿こそ、高校生らしい使い方をしていないではないか」
上級生二人がスマホの使い方で熱く語り合っていると、デュースも漸く目眩が治まってきたのか、ゆっくり頭を上げて周りを見回している。
「えっと、ここがさっきのお婆さんの家……なのか?」
「そ。んで、今オレ達はお客さんって訳」
「はぁ……やっと目眩が治まってきた。酷い目に遭ったな」
「ほんとね。ここ出たら、監督生に何か奢って貰おうぜ。つーか、デュース。さっき何か奢れって言った時、返事しなかっただろ」
「え? そうだったか? よく分からないな」
「って訳で、明日の昼はお前の奢りな」
「うっ……分かった。じゃあ、カフェラテで良いか?」
「ふざけんなよ、お前。Aランチだわ」
声も無く、「え〜……」と抗議するデュースに、「変えねーから」とエースは更に追い打ちをかけた。
それから少しして、普通に歩ける状態にまで回復した四人は、さて、これからどうしようと相談する。互いに膝を突き合わせる趣味は無いのか、何か役に立ちそうな物は無いか探しながらだが。
「やっぱり、あの言い方が気になりますね。奥に行ってみるしか無いのでは?」
「はいはーい、アズール先輩にさんせー。あんなん最早振りみたいなもんでしょ」
「だが、実際に本当に入られて困るようなものがあったら、どうするのかね? それこそ趣旨から外れてしまうような」
「それは確かに、そうですね……。しゅし……?」
最後は自分にしか聞こえないくらいの音量で呟くデュース。その時、ごろごろしている岩の間に、何か光る物を見つけたデュースは、丁度握りやすそうな部分があったので、そこを掴んで引き上げてみた。
べったりと血の付いた包丁だった。よく見ると刃の部分だけでなく、柄の部分にすら、元は赤かっただろうと素人でも推測できる程度に変色した茶色の液体が付いている。「ひゅっ」と反射的に息を吸い、驚きに体が動いて包丁を投げ捨てる。かしゃん、と軽い金属音を響かせて落ちたそれから目を背け、他の三人に呼びかけた。
「エースっ、アーシェ、アーシェングロット先輩っ、フランム先輩っ……逃げっ、逃げようっ! 早く!」
真っ青な顔であわあわと騒ぎ始めたデュースを見て「何? 何かあったの?」とデュースの慌てように引きずられること無く、応対するエース。
「ちっ……ちっ! ちが、ちが付いてて……!」
「は? 何?」
動揺し過ぎていて、何を言っているのか分からないデュースに対して、分からないなりに理解しようと話を聞くエース。アズールとロロもデュースの声と包丁が投げ捨てられた音でこちらの様子に気付き、傍に来てくれた。
「大きな音を立てないでください。デュースさん」
「何か見つけたのかね?」
エースにも「とにかく一回落ち着けって」と言われ、若干速い呼吸を整えてからデュースは言った。
「あ、あっちで包丁を見つけたんです。それに、べったり……血が、付いてて……」
こんなところに血の付いた包丁が落ちている。恐らく、あの老婆の物だろう。問題なのは、それが何の血かだが、野生動物の血なら何も問題は無い。だが、どちらにせよ包丁の状態が良くない。普通の人間なら、動物や魚を捌いて血が付いてしまった場合、気分も悪いし、衛生的とは言えない故にさっさと洗い流したいと思って行動に移す筈だ。それをそのまま放置しているのが気になる。デュースにもう少し詳しく包丁の状態を説明してもらうと、アズールはゾッとした。柄の部分にすら、付いている血を洗い流さずに放置しているとは、少々薄気味悪い。
「……出ましょう」
アズールの一言に誰もが頷いた。元の山道には戻れない。なら、先に進むしかない。一行は脱出する為、老婆に「行くな」と言われた奥へ行ってみることにした。もう形振り構ってられないというのもある。血の付いた包丁が発見されたことで、何だか雲行きが怪しく思えてきた。
先を急ごうとアズールの先導の下、一行は奥の道へ進む。奥の部屋は意外と片付いていて、人が座れるくらいの大きな岩は無い。しかし、異様に暗く、生臭い。それも饐えたような臭いだ。あまり深く呼吸をしないようにして一歩足を踏み入れたところで、全員嫌な予感を覚えたが、そんな筈は無いと無理矢理振り切ってスマホのライトを前へ向ける。
アズールは最初、それは石だと思った。少し大きめの石が積み上がっているだけで、別に怖いものでも何でも無いと。しかし、うずたかく積み上がっていた『それ』は真っ青になったロロの一言で現実だと思い知らされた。
「これは……人骨、か? こんなに多く……」
山のように積み上がったもの。それはどれもこれも人の頭蓋骨やあばら骨や大腿骨といった、全身の骨のパーツが無造作に滅茶苦茶に積まれ、その上から恐らく大量の血液が被ったものだった。骨の山の間からは時折、死肉を貪るドブネズミや蛇が顔を覗かせている。視覚でそれを認識してしまってからは臭いも一層強くなり、一年生二人は口元を手で押さえて必死に吐き気と戦っていた。ロロもハンカチを口元に当てて、少しでもこの臭いを遮断しようとしている。
「こんなの……こんなの、もうお化け屋敷じゃないですよっ! 大量殺人事件だ! す、すぐに警察に連絡を……っ!」
「いや、無駄だろう。アズール君、画面を見たまえ。圏外になっている」
「まずは急いでここを離れるべきだ」と続く筈だった言葉は、ある一点で目が釘付けになり、発されることは無かった。みるみるうちに見開かれていくロロの目に嫌なものを感じたアズールは、振り返っては駄目だと思いながらも、体は本能に忠実に興味を惹かれるものの方へ振り返ってしまった。
ロロが見ている方向にも細い道があったようで、そこは岩壁に隠されるようにしてある。暗いと絶対に気付かないそこから白髪を下ろし、真っ赤な目を規格外に見開いた老婆が立っていた。右手にはさっきデュースが見付けた包丁が握られている。
「ひぅっ……!?」
不用意に声を出したら、いけない。咄嗟に出そうになった声を手で押さえるアズール。一年生達はまだ気付いていない。老婆から目を離す方が怖いアズールは、そのまま一年生達の方へロロと一緒に近付こうと、摺り足で一歩横に踏み出した時だった。
「……ぃぃぃぃぃぃぃぃ」
老婆が小さく口を開き、何か言い始めた。その声で漸く一年生達も老婆の存在に気付き、一歩後ずさった瞬間
「見ぃぃぃぃいいいいたぁああなああああああああ……っ!!!!」
「逃げろっ!!」
老婆が手に持っている包丁を振り上げ、こちらに迫って来た。誰が言ったのか分からないが、その声に背中を強く叩かれたような気がして、弾かれたように老婆に背を向けて走る。どこへ逃げるかとか誰がいるかとか全く分からない。とにかくあの老婆に捕まりたくなくて、捕まったら、どうなるのか分からなくて怖くてアズールは必死に走った。
「ひっ……ひっ……ひっ……ふっ…………はっ…………!」
暗闇の中、スマホのライトだけを頼りに闇雲に走る。普段なら、もしもの時に備えてあらゆる逃げ道を作っておくのに、ここに来てから何もかも狂いっ放しだ。こんなこと、自分の計画には無い。最初は、あの大人しい監督生が健気に作った怖くもないお化け屋敷を余裕でクリアして、もっと面白く怖くなるようにアドバイスして、監督生は泣きながら感謝する。そんなシナリオを思い描いていたのに、なんで自分は山の中で本気で走って泣いてるんだ。暗闇の中、聞きたくもない老婆の奇声が響き渡る中、視界の端に光が見えて、アズールは助かりたい一心で後先考えずにそちらへ向かった。すぐ後ろにあの老婆が迫って来ている。耳元で叫ばれる奇声をこれ以上、聞いていたくなくて、アズールはいつの間にか腹の底から叫び声を上げていた。外へ続く坑道の出口。その向こうは降り注ぐ月光のお陰で厭に明るい。
「ああぁあああああああっ!!!!」
老婆の奇声なのか、自分の叫び声なのか判別がつかないまま、それを背後に殆どタックルするような形でアズールは出口に走り込んだ。
出口から外へ出ると、アズールはそのまま一心不乱に走り、ある地点で突然、腕を掴まれた。
「うわああっ! 放せっ! 放せってば!!」
「落ち着きたまえ! アズール君っ!」
聞き覚えのあるその声に、アズールは漸く暴れるのを止めて、振り返った。そこには自分の腕を掴んでいるロロの姿があった。彼の後ろに一年生達もいる。青ざめた後輩達の顔を見て初めて、アズールは段々と平常心を取り戻していった。
「はぁ……はぁ……はぁ……。…………すみません。僕としたことが取り乱していました」
「……いや、卿には済まないことをした。あのご婦人から逃げる際、一年生達を誘導するので精一杯だった」
「卿なら、大丈夫だろうと勝手に判断してしまった」と少しだけすまなそうな顔をするロロ。未だ息切れしているアズールは、すぐに答えることができずに少し息を整えると、言った。
「ロロさん。あの……ご婦人……って……?」
「? 先程、私達を追って来たご婦人のことだが?」
「絶対違うでしょうっ!!?? ご、ごふっ、ごふじっ…………げほっ!」
「大丈夫かね?」
思わず、咳き込むアズールの背中を摩ってやるロロ。さっきも思ったが、この生真面目な男は一向に感情を乱さないので、アズールは悔しさを覚えると同時に、本当に感情があるのかと思わずにはいられなかった。
一方で、ロロは表情には出ないものの、さっきまで内心相当焦っていた。あの暗闇の中、ロロもまた怯えて固まっている一年生達の制服を必死に引っ掴み、出口へ向かうので、精一杯だったというのは本当だ。老婆は出口まで来ると何かスイッチが切り替わったかのようにロロ達への興味を失くし、元の暗闇の中へすごすごと戻って行った。その姿を見届けてから全員いるか確認すれば、アズールだけがいない。いくら魔法士を憎いと思っても、殺したいとまでは思っていないロロはさっと青ざめ、一瞬戻ろうかどうしようかと思案する。戻るのか? あの暗闇の中へ? もう一度?
「あ、りがとう、ございます。フランム先輩……」
「も、もう、やだ。オレ……」
今、自分が離れれば、一年生達がまた危険な目に遭うかもしれない。もう次にどこから何者かが襲って来るのか分からなくて、ロロは「一年生達を放置して置けない」という理由で、その場に留まることを選んだのだった。
そんな負い目もあって、やっと合流できたアズールの背中を摩るなんてらしくないことをしている。自分でも相当感情を乱されていたのだと、ロロはそこで漸く気が付いたのだった。
それからアズールが落ち着くまでゆっくり歩きつつ、一行は下山し始めた。これから麓にある森を抜けて散策コースに戻らなければならないからだ。どこか歩きやすい道は無いかと探していると、やがて地響きのような音が聞こえてくる。
「なっ、なんだっ!?」
「もう勘弁してくれよ……!」
「いえ、エースさん、デュースさん。あれは――」
「滝の音だな。近くに川があるようだ」
「川……? この近くに川なんてあったっけ?」
「さあ……」
アズールとロロの言った通り、茂みを抜けるとすぐ目の前に滝があった。丁度、滝の裏側に入れる場所に出たようで、心を落ち着ける為、一行は滝の裏側を通ることにした。滝自体はそんなに幅の広いものではなく、裏側に回れば、滝全体が見渡せそうだ。冷たい飛沫を感じて、体温が少し下がったお陰か、やっと安心感が戻ってくる。
「ここを抜けて、下に行きますよ。麓の森を抜けて散策コースに戻りましょう」
「了解っス。はぁ〜……冷たくて気持ちいい」
「でも、こんなところに滝があるなんて、知らなかっ――」
ひゅん、と上から何か落ちてきたなとデュースは思った。黒く、細長い何か。何だろうと思い、目を凝らす。それがいけなかった。
こちらを見てにや、と微笑む逆さまの真っ黒い女だった。そのまま滝壺に向かって落ちていく女の姿を間近で見てしまったデュースは、その場にゆっくり蹲った。後ろからデュースが付いて来ていないと気付いたエースが、前を行くアズールとロロに声を掛ける。二人はエースの説明を聞くと、慌てて引き返す。
三人がデュースの姿を見つけた時、彼はその場に蹲って、身動きができないようだった。
「どうしたよ、デュース……」
ひゅん、とデュースの目の前でまた黒い女が落ちて来る。その光景を今度は全員が同時に見てしまい、何故デュースがこんなところに蹲っているのか理由が分かった。何度も、何度も、女はこちらを見て不気味な笑みを浮かべながら、落ちていく。冗談のような光景を振り払うかのように、デュースの手をエースが掴んだ。
「ひっ……!?」
びくり、と肩を震わせてエースを見上げるデュース。そんな彼を元気づける訳でもなく、エースはただ一言「行くぞ」と言って、その手を引っ張った。
「滝を見ないようにして、一気に走り抜ける。皆、離れないように」
ロロの言葉に頷いて、皆デュースを守るように走り始める。直接見ずとも女は変わらず、落ちて来ているのが気配で分かる上に、落ちる間隔が早くなっていく。
もうすぐ滝を抜けるというところまで来る頃には、立て続けに女が落ちて来ていた。普段なら、この中で一番足が速いデュースだが、今の彼は普段の三分の一も力を発揮できていない。顔色は悪く、今にも倒れそうだ。そんなデュースの手を握って、エースは彼が滝の方を見ようとすると「見るなって」と手と声で遮る。そんな調子でやっと滝を抜けると、森へ続く道に入り、皆そこで止まった。
振り返ると、まるで最初から無かったかのように滝自体が掻き消えている。その現象に漸く幻影魔法だと気付いた一同だったが、それにしてはあまりにリアルで夢に見そうだと思った。
「それにしても、不気味でしたね。あの落ちて来た女性、こっちをずっとじぃっと見ているのが結構精神的にクるものがありました」
「ぜぇ……はぁ……。どんだけ、走らされれば、いい、んだよ……監督生、本当にテストしたのか……?」
「ぜぇ…………え? テストとは?」
エースの話に依れば、監督生はお化け屋敷が正式に開催する前、一人で全てのゴーレムが正常に機能するか、本当に危険は無いのかテストする為、一通り体験したようだ。アズールとロロはその話を聞いて、監督生の正気を疑った。今までのあれを一人で!? と。
「監督生君の肝は余程栄養価が高いと見える」
「一瞬、分かりにくいこと言うの。止めて下さい」
「いや、絶対そうだわ。あいつの肝、絶対身体の三分の一占めてるわ」
「監督生さんはアンコウか何かですか」
監督生はアンコウの人魚だと結論が出たところで――アズールは「変な生き物を海所属にしないでください」と認めていなかったが――ゆっくりとまた今度は森へ歩を進める。もうここまで来たら、リタイアなぞ意地でもしないと全員が思っていたのだった。
森までの道では特に怪異に会うことも無く、一行は無事に森の中へと辿り着いた。流石に木々が邪魔して足元が見えなくなるせいか、森の入り口に懐中電灯が五本置かれた台があり、一同はその中から二本取って先へ進む。人数分持って行っても良かったと言えば良かったのだが、全員の片手が塞がるというのもいざという時、邪魔になりそうなので、先頭の二人が持つことになった。
「全員分持てばいいんじゃないの?」
「それも考えたが、後ろから怪異が襲ってきた場合、最悪後列二人の手元が狂って、前列二人をなぎ倒すだとか、後頭部に運悪く懐中電灯が当たったとか、怪我をしてしまうことを考えると、前列二人分だけでいい。全員、誰かの恨みを買いたくは無いだろう?」
ロロの言う『最悪のパターン』の情景を思い浮かべて、一同は確かにと納得した。自分が前列だったら後頭部を殴られる心配があり、後列だったらパニックになる可能性もあり、前列二人に殴りかかってしまった日には後味の悪いものを残す。後列が素手ならば、まだ前列へのダメージは少ない。しかし、そうなると今度は誰が前列で誰が後列になるのか、争いが始まる。
「やっぱ、ここはさ。先輩二人が前列の方が良いと思うんだよね。ほら、今までのこと考えたら、先輩達の方がいざって時、オレらより動けるし」
「僕もそう思います」
「いえ、瞬発力、単純な脚力で言ったら、あなた方二人の方が動けるのでは? デュースさんは陸上部ですし、エースさんはバスケ部で、それなりに走るでしょう? 僕も前が空いている方が走りやすいので、ここはお二人が前列ということで……」
「何でもいいから、早くしたまえ」
最終的に三人はじゃんけんで決めることになり、――アズールはだいぶ渋ったが――結果、アズールだけが地面に膝を付けることになった。
「だから、運任せの勝負は嫌いなんだっ!」
「アズール先輩、あざーす」
「すんません、アズール先輩。よろしくお願いしますっ!」
「終わったかね? では、行こうか」
「ぐぅうう……」
非常に口惜しそうに呻きながらも、アズールはロロが差し出す懐中電灯を受け取った。
人の為に作られた道は月光が一切届かない暗い森の中へと続いており、一行を導くと共に闇の中へ誘っているようにも見える。それを裏付けるかのように、森の中からまたあの赤ん坊のような声が微かに聞こえてくる。もう既に怖いし、入りたくない。でも、行かなければずっとこのままだ。結局、ここから一刻も早く脱出するには、先に進むしかない。全員が内心「行きたくない」と思っていても、行かない訳にはいかなかった。
ロロとアズールが持っている懐中電灯で先を照らしながら、進む。気候は暑くも寒くもなく、少し湿り気を感じる程度。一応、体調を確認するも全員特に異常は無い。リタイアする理由も特に無くて、一行は神妙な面持ちで森の中へと足を踏み入れた。
おぎゃあ、おぎゃあ、と進むにつれて段々赤ん坊の声は大きくなっていく。近付きたくないのに、進行方向から聞こえてくるせいで、進まざるを得ない。本当にマジでふざけんなよと全員監督生に対して内心毒づきながらも、歩く速さは落ちても立ち止まることは無かった。一度立ち止まったら、もう二度と進めないような気がしていたからだ。
やがて、前方に少し開けた場所が見えてきた。それと同時に赤ん坊の声も近い。どうやら、あの開けた場所に声の主がいるようだ。そこで漸く立ち止まったロロとアズールは、背後にいるエースとデュースに今からあそこに入るが、何があっても自分達から離れないようにと念を押すと、二人は堅い表情で頷いた。上級生二人がなるべく足音を立てないように広場に入る。前の二人に倣って、一年生達もそろそろと草が生えていない、固い土が敷き詰められたキャンプ場のような広場に入る。一行の予想通りに『それ』はいた。
広場の出口近くにいた『それ』はこちらに背を向けて何かを貪っていた。ぼり、ごきん、と骨のような硬い物を砕く音をさせ、その最中にあの赤ん坊のような鳴き声を発している、全身毛むくじゃらの芋虫のようなもの。肉を食っているのだから、恐らく生き物であろうが、それにしては異様な姿と大きさだ。大人二人分はあろうかという巨躯を地面に転がっている鹿の死体に向けて傾け、夢中で食らいついている。
「何だ、あれ……」
無意識に発されたエースの声にぴくりと反応したそいつは、ゆっくりとこちらへ振り返った。全身を毛で覆われた芋虫のようなそいつの顔は、とても奇妙なものだった。顔に相当するところには大きな穴が空き、その周りには触角のようなものが三本。触角の先に付いた目玉のようなものが暗闇の中、淡く光っていた。全ての触角がこちらに向けられると、全員目が合ったと直感した。同時に、そいつの興味が鹿の死体からこちらに移ったということも分かった。赤ん坊のような声も止む。代わりにそいつからは新たな声が発された。
「チッ……チッ……イトッ……シャノウ……」
幼い子供のような高い声で舌打ちのような音を発したと思うと、そいつはのそのそとこちらへ近付いてきた。正体は不明だが、肉食の猛獣が襲いかかってくることと同じだと判断した一行は、そいつから目を離さないようにして少しずつ後ろへ下がる。なるべく相手を刺激しないようにゆっくりと距離を取りつつ、広場の反対側にある出口へと向かう。その間も毛むくじゃらのそいつは「イトッシャノウ」と子供のような声でぶつぶつ呟いている。魔獣とも他の動物とも全く違う、最早何なのかすら分からないものがじりじりと自分達に近付いてくる様を見続けなければならないというのは、精神的にかなり辛いものだ。現にエースとデュースは呼吸することも忘れて、今にも叫びたい気持ちを必死に押さえ込んでいる。捕まったら、あの鹿と同じように食われるかもしれない。否、さっきまで肉を貪っていたのだから確実に食われるだろう。生きるか死ぬかという今までに味わったことの無い緊張感に皆殆ど呼吸することも忘れ、手足が痺れるような感覚を覚え始めた時、そいつはいきなりずりずりと這いずるスピードを速めた。
「走れっ!!」
ロロの号令で皆、そいつから視線を外して出口へ向かう。ロロとアズールはエーデュースを先導することを一瞬忘れかけたが、利き腕に当たる懐中電灯の硬い感触で思い出し、走りながら今度はしっかりと前方へ懐中電灯を向ける。背後から聞こえる這いずる音と「イトッシャノウ」の声に戦慄を覚えながらも、必死に走って広場を出た。出てすぐ数人が隠れられそうな岩を見つけたアズールはロロの服の裾を引っ張り、岩陰へ隠れる。後から追い付いてきた一年生達もロロと一緒に引っ張り込むと、追ってきた化け物は一行を見失ってくれたらしく、暫く近くをきょろきょろと見回していたが、やがて諦めたようでまたあの赤ん坊のような声を上げながら、森の奥へ去って行った。
何の音も聞こえなくなると、漸く一行は岩陰から出てくる。
「何なん……何なんだよ、あれぇ……っ!」
殆ど涙声なエースを嗤う者はいない。自分達だって、そのくらい怖かったのだ。流れる冷や汗と眼鏡をハンカチで拭きつつ、アズールは呆けたように呟いた。
「あれこそ正に監督生さんの言っていた『物の怪』じゃないですか?」
「多分……スけど。あれは一体、何だったんでしょう……?」
「……今、ここで考えていても答えは出ないことだろう。無事に帰ったら、監督生君に訊いてみるしか無さそうだ」
「オレ、ちょっと訊きたくないかも……」
胃が痙攣するのではないかという緊張感から解放された一行は少しその場で休もうと、それぞれ屈んだり、岩に寄りかかったりしていたが、ふと、またある音を聞きつけた。ぴぴぴぴぴ、と聞き覚えのある電子音だ。目覚まし時計というよりはスマホの着信音に近い。皆一様に自分のスマホを確認したが、どれにも着信は無かった。音は少し先に行った辺りから聞こえてくる。またさっきのような目に遭ったらどうしようと言葉にしなくとも、皆表情で互いに語っていた。
「どちらにせよ、あの音を止めないとさっきの物の怪が戻って来ると思うんですが……」
アズールの意見に、皆仕方なく重い腰を上げるのだった。
音を頼りに進んで行くと、森の中にまた少し開けた場所に出た。しかし、先程のキャンプ場のような広場と違ってここは柔らかな芝生が多く生えており、昼間であれば休憩所として丁度良さそうな場所だ。大量のスマホが転がっていなければの話だが。見える範囲だけでも芝生を埋め尽くさんばかりに落ちている。中には近くの細く背の高い草花に引っかかっているのもあれば、何故か、木に括り付けられている物もある。その中のどれかがただ虚しく着信音を繰り返している。一体、何故こんなところに大量のスマホがあるのか。何故、こんなに捨てられているのか。全てが分からなくて意味不明で、一行は気味の悪いものを感じた。こんな不気味なところはさっさと抜けてしまおうと、誰が言うでもなく先に進み始める。
道なりに進んでいくと、またぴぴぴと聞き覚えのある電子音が聞こえてきた。一瞬、嫌な予感を覚えながらも皆内心気のせいだと思っていた。そのまま進んでいくと、さっきと全く同じ光景が広がっていた。
「…………え?」
「は? 何、え?」
「ここって、さっきの場所……だよな?」
「――一度、戻ってみましょうか」
戻っても同じ場所に出るだけだった。どこかで道を間違えたのかとも一瞬思ったが、「いや、途中で分かれるような道は無かった」というロロの言葉に確かにそうだと皆の認識が一致することも確認した。もう一度先に進んでも、やはり同じ場所に出るだけだった。その間にもずっと落ちていたスマホは鳴り続けている。全く変わらない景色に皆背筋に寒いものを感じた。
「もう一度、行ってみようか」
早くその場から離れたくて、先へ進んでみるも結局、同じ場所に帰ってきてしまう。何度も、何度も、何度も、何度もこの大量に放置されたスマホがある場所へ行き着いてしまう。もうこれ以上、同じことを繰り返したら頭がどうにかなってしまいそうで、歩き疲れたエースは「あー……!」と意味の無い声を上げつつ、その場にしゃがむ。
「なんでだよぉ……! なんで同じとこに戻って来ちゃう訳ぇ?」
訳が分からなくて、エースを何とか立たせようと手を引っ張るデュースの目にも薄ら涙が滲んでいる。前例が無い体験にアズールもかなり焦っていたが、なるべく表情には出さないように、しかし、口は雄弁だった。
「さて、これからどうしましょうか。ロロさん。このまま同じ道を進んでもまたここに戻ってきてしまうだけですし、別の道を探した方が良いと僕は思います。ですが、エースさんとデュースさんがもう少し落ち着いてから周辺を探索した方が効率的ですよね。その間、まだいくらかショックが軽い僕らの方である程度、探索をしておいた方が宜しいかと思います。ああ、協力して探索するというのも手ですが、ここは二手に分かれて探索をした方が――」
「卿も落ち着き給え」
そうしている間にも自分で何とか落ち着こうとしたらしいエースは、自分のポケットを何となく触ってみると、何やら固い感触が返ってきた。そういえば、と監督生がここに来る前に渡してくれた物を思い出した。「きっと役に立つでしょうから」と言われて持たされた手鏡。あれこそ今の状況から脱する為に必要な物なのではないかと思ったエースは、ポケットからそれを引っ張り出してみる。二つ折りの手鏡を開けて見ると、ぎくり、とエースは表情を引き攣らせた。鏡に映るエースの背後、今は真っ暗な筈の森の中が明るく見えている。月の光が偶然入ったからだとか、誰かの懐中電灯の光があるからだとか、そんな次元の話ではない。まるで、真っ昼間のように鏡の中だけが異様に明るいのだ。
「え……なんで――」
言いかけて、鏡面に何か滲み出てくる。それは文字のようで、全ての文字が揃うまで待っていると「あなたは異界入りしました」という文が浮かび上がってきた。その意味を理解した途端、思わず地面に叩きつけるように投げ捨てるエース。あの文章から監督生のしたり顔を想像した彼はとうとう叫んだ。
「知ってんだよ、そんなことぉー!!!!」
「なんで……監督生、なんで…………」
デュースも見たのか、力無くポケットに手鏡をしまう。そんな二人にロロとアズールがどうしたのかと訊くと、監督生からもらった手鏡を見るように言われ、同じように見て無言でしまった。
「エース君。心中察するが、ゴミを捨てたままでは良くない。拾い給え」
「ゴミって……まぁ、そうすね。拾って来ます」
ロロに言われてすごすごと投げ捨てた手鏡を拾いに行ったエースの耳に、子供のような声が届いた。それは童謡を歌っているようで、独特のリズムで近付いて来る。一瞬、そちらに意識を向けた彼だが、また怖い目に遭わされるのではと思い、無理矢理意識を逸らして素早い動きで手鏡を拾う。
子供の歌声はエース達が来た道から聞こえてくる。「かーごめ、かごめ」と歌う声は段々とこちらへ近付いて来た。何人かの子供が来ると思っていた一同は、声が近付くにつれて緊迫した面持ちになる。しかし、もう声の主が見えてもおかしくない距離まで近付いて来ても、子供の姿など何処にも無かった。ただ、歌声だけがふわふわと近付いて来て、恐怖と緊張で固まっている彼らの周りをしばらく回り、通り過ぎて再び木々が生い茂る暗闇の中へと去って行った。
「……」
「……」
「……」
「……」
誰もが無言だった。いつの間にか不気味な着信音も止んでいて、ただ歌声が去った方向を呆然と見つめていることしかできなかった。
「……あそこ、道がありますよ?」
つい、とアズールが呆然とした表情と口調のまま、歌声が去った方を指す。確かに彼が指す先を見ると、さっきまで気が付かなかった細い脇道があり、奥へ続いていた。あの歌声が教えてくれたのだろう、と監督生なら思っただろうが、今、ここにいるのは極東文化に疎い生徒のみ。そんな風に楽観視できる者はいなかったのだ。
「行こうか」
「いや、無理無理無理無理っ!! あれ絶対誘ってるって! 行かない方が良いって!!」
何事も無く、脇道に行こうとしたロロの服を伸びるのではないかという勢いでエースが引っ張る。「止め給え。伸びるだろうっ」と叱られても、エースもデュースも「一旦、落ち着いて考えよう!」と何としてもロロの行動を阻止しようと頑張った。明らかに全員が落ち着いていなかったが、歌声はどんどん遠ざかっていく。早くしないと、あの脇道も閉ざされてしまうような気がして、ロロは口では「分かった。一旦、落ち着こう」とは言うものの、全員を脇道に引っ張り込もうとする。もちろん、エーデュースとアズールは抵抗した。
「そう言いながら、なんで速攻行こうとしてんすかっ!?」
「早くしないと、道標を見失ってしまうかもしれないだろうっ!」
「あの歌声が道標ですって!? 正気ですか! ロロさん!」
「嫌っす!! 俺だって行きたくねぇつってんだろっ! 放せ、ダボがぁっ!!!」
とうとう先輩相手にデュースがブチ切れたところでロロが足を滑らせ、後ろに倒れそうになる。咄嗟に全員の服を掴んでいる手に力が込められ、結果的にロロの全体重で引っ張られることになった一行は、暗い脇道に転がり込んだ。
坂にはなっていなかったので、少し擦りむいただけで済んだが、転んだお陰で少し落ち着いたというか、諦めがついた。全員がのそのそと無言で起き上がり、服に付いた土を払う。
「……懐中電灯って、まだ持ってます?」
「……持ってますよ。今、点けます」
アズールの手によって明かりが点けられ、全員いるか確認が取れると、皆若干ロロを睨みつけた。
「もうあんなこと絶対にしないで下さいね、ロロさん」
「――善処しよう」
全身土埃だらけだが、ロロは全く後悔していなかった。
仕方がないので、そのまま脇道を進んで行くと、漸く森の終わりが見えてきた。「あ、出口!」と希望に満ちたエースの声で皆、出口へと目を向け、殆ど無意識的に走って一行は森を抜けた。
森を抜けると、漸く見覚えのある道に出た、とエーデュースは思った。入学初日に起こしたシャンデリア破壊事件の時に見た廃墟の小屋があったからだ。まさかここに来て、思い出したくない記憶に安堵させられる日が来ようとは思わなかったと、少し複雑な気分だが、ここまで来たということは、帰り道はすぐ近くだ。しかし、それも束の間、すぐ背後から子供のようなあの声が聞こえてきた。
「チッ……チッ……イ……トッシャ…………ノゥ……」
ずるずると何かが這いずり回っているような音で、一行は堪らず森から離れ、廃墟の小屋へ駆け込んだ。体に悪いとか服が汚れるとか、そんなこと気にしていられる余裕は無かった。あの物の怪の姿は見えずとも体にしっかりと恐怖を刻まれてしまっている一行は、全員小屋に入ったと見るや、すぐに玄関を閉める。鍵なんてとうの昔に錆び付いて壊れてしまっているので、何とかその辺にあった椅子やつっかえ棒になりそうな物で塞ぐ。あの薄気味悪い声は再び赤ん坊のような音を発しながら、こちらには気付かずに通り過ぎて行った。
しん、と静寂が訪れる。何だかんだずっと歩くより走ることの方が多かった一同は、それぞれ比較的清潔そうな場所で少し休む。立っている方が体が休まるような気がしているロロは、未だ小屋周辺への警戒が解けず、険しい表情で流れる汗をハンカチで拭っていた。
「あいつ、行った?」
「行った、みたいだ……。はぁ……はぁ……流石に、疲れたな……」
「もう、何かあの滝のとこからずっと走りっぱなしな気がする……」
「はぁ……ぜぇ……。皆さん、これが終わったら、うちのラウンジで水分補給はどうです? 今回は……はぁ……一杯だけなら、サービス……ぜぇ……します、よ」
「さんせぇーい」
「ゴチになります……アーシェングロット先輩」
「……いや、確か監督生君がコーヒーかココアを用意していたな。私は遠慮しておく」
「あ、マジで? じゃあ、オレも監督生に言って、何か出して貰う」
「というか、あいつにこそ奢らせた方が良いんじゃないか?」
「でしたら、次ラウンジに来る時は、監督生さんを連れてきてください。全員分払わせます」
そのくらいしないと収まらない様子の三人に、ロロは溜め息を吐きながらも、止めることはしなかった。今回のことに関しては、監督生の自業自得だと考えていたからである。
呼吸も落ち着き、汗も少し引いてくると、小屋の中を見回す余裕が出てくる。ふと、皆テーブルの上に大きな鉈が置かれているのが目に入った。随分と使い込まれている物で手入れも行き届いている。
「何故、こんなところにこんな物が……?」
一体、何故こんなところに鉈なんて物騒な物が置いてあるのか。アズールの独り言が宙に溶けていく最中、いきなりどんどんどんっ、と玄関扉が激しく叩かれた。突然の大きな音に全員がびくり、と身を震わせる。こんなところに誰かが訪ねて来るのかと互いに顔を見合わせていると、扉の向こうからくぐもった低い、男の声がした。
「何しとるんじゃ?」
どことなく普通の人間とは違う声色に、皆無意識にテーブルの上に置かれた鉈へ視線を注ぐ。いや、まさか。まだそうと決まった訳じゃない。けれど、扉の向こうにいる何かにこちらの気配を気取られぬよう、皆じりじりと鉈へ近付いていった。その間にアズールが怖々応対する。
「ど、どちら様でしょうか?」
「何しとるんじゃ?」
間髪入れずに全く同じ質問をされて、アズールは黙り込んでしまう。こいつは言葉を喋るが、リズムが人間のそれではない。全員がそう直感したが、鉈を持つことに躊躇してしまう。しかし、早くしないと扉の向こうにいる奴がどういう行動に出るのか分からない。分からないのは、怖い。監督生は山の物の怪には金気のある物が効果的だとは言ったが、いざこうして目の前に置かれると手に取る勇気が出ないものだ。持ったはいいが、上手く扱えなくて結局対抗できなかったらどうしよう。周りの者に怪我をさせてしまったらどうしよう。そんなことばかりが頭を巡る。そうこうしているうちに、意を決したような顔をしているロロがテーブルの上の鉈を手に取った。え、と思う間もなく、彼はテーブルに鉈をどんっ、と立てかけるようにして打ち付け、言った。
「お前は誰だ。一歩でも中に入ってみろ。その瞬間、この鉈で首を落としてやる」
彼がそう言った途端、しん、とまた重い静寂が流れた。一瞬、音も無く帰ったのかと思ったエーデュースだったが、やがて聞こえてきた言葉に背筋が寒くなった。
「鉈か。鉈があるのか。……じゃあ、仕方ない。今日は止めよう」
漸く扉の前から去って行く気配に、また一同は息を落ち着けた。ロロは鉈を元通りにテーブルの上に置いて言った。
「もう行こう。ここを破られるのも時間の問題だ」
その一言に、全員が頷いた。
小屋の裏口から出て、元の道へ戻る。もうここからは建物も洞穴も無い。平原の中を進む道があるだけだ。流石にここまで来れば、何も襲って来たりしないだろうと安心し、先程とは打って変わって突き進むエーデュースの後ろからアズールとロロが付いてくる。一年生達と違って、二人は未だ警戒を解いてはいなかった。ここまで来て、何も無い筈は無いと思っていたからだ。
「どう思います? ロロさん。もう後は帰るだけだと思いますか?」
「どうだかな。今までのことを考えると、あの監督生君がこれで終わらせるとは思えない」
思えば、今まで殆ど立て続けに怪異に遭ってきて、自分でも思ったより精神的にダメージを受けているとロロは感じていた。張り詰めた緊張感が抜けず、周囲への警戒心が全く抜けていないのが何よりの証拠だ。しかし、ここからは本当に平原の中を進むだけなので、考え過ぎかとも思っている。半信半疑のまま、上級生二人は慎重に進んで行った。
出口まで後もう少しというところに差し掛かった時、すぐ傍の茂みががさがさと音を立てる。その音を聴いた途端に茂みから距離を取る一行。さっきまであんなに和やかに歩いていたエーデュースも、すっかり怯えてしまっている。しかし、茂みの中から現れたのは一羽の野ウサギだった。エース達の姿を見つけると、慌てて前を横切り、反対側の茂みの中へと消えて行った。
「よ……良かった……」
安堵して何となく、ウサギが出てきた茂みの方をもう一度見やると、そこには音も声も無く、あの毛むくじゃらの物の怪がこちらを見つめたまま佇んでいた。
「うわぁああああああああっ!!??」
「おぁあああああああああっ!!!???」
今度こそエーデュースは心の底から、腹の底から叫んだ。叫んでいる間にも物の怪は森の中にいた時より速い動きで、こちらに向かってくる。叫んでいるせいでいつまでも棒立ちでいる一年生達を後から来た上級生二人が手を引いて、逃げる。物の怪はまたあの訳の分からない言葉を喋りながら、追いかけてきた。走りながら背後を振り返ってはまた叫ぶ一年生達を「振り返るなっ!」と叱咤したアズールとロロは、道の先に宙に浮いている光を見つけた。おそらくあれが出口だろう。一年生達の叫び声とその叫びに混じる物の怪の抑揚の無い声を背後に、一行は殆ど体当たりするようにして、光の中へ飛び込んだ。その瞬間、あの物の怪らしき断末魔が響き、消えていった。
オンボロ寮に着いた一行は、鏡の縁が引っ掛かったのか、アズールとロロが転ぶと、その上にエースとデュースがのしかかる形になってしまう。「痛いっ! 退いて下さい!」や「重いのだよっ!」と抗議する二人の上から慌てて退くエーデュース。髪はボサボサで所々土で汚れている一同に、茶色のエプロンを付けた監督生が「お帰りなさい」と出迎える。監督生の顔を見ると、色々言いたいことはあるが、それよりも何よりもやっと安全な場所に帰って来られたという安心感の方が強かった。エーデュースなんかは少し涙ぐんでいる。
「か、帰って来られた……」
心底良かったと言い合い、もうこれで大丈夫という雰囲気の中、監督生が「温かいコーヒーか、ココア如何ですか?」とドリンクメニューを勧めてくる。よく見ると、それはメニュー風に飲み物が書かれているだけで、無料だ。
「オレ、ココア」
「僕も」
「僕はコーヒーで」
「私もコーヒーを」
「では、こちらへどうぞ」
小ぢんまりしたカフェスペースに案内され、監督生は「少々お待ちください」と言って、厨房へ向かった。その背中を見送った一同は、どれが一番怖かったかとか、あの物の怪はどんな仕掛けなのかとか、安全圏にいるが故に余裕のある態度で話し込んでいる。そんな一同に盆に温かいコーヒーとココアを載せて監督生が近付いてきた。
「お待たせ致しました。コーヒーとココアです」
「サンキュー、店員さん」
「あ、ありがとう」
「はぁ……やっと落ち着きました」
「本当に今回は酷い目に――」
「ところでお客様方、一体どうして、あの山に行ったんです? あそこは心霊スポットとして有名な山ですが、遊び半分で行くところではありませんよ?」
「は? なんでって、監……店員さんが、言って……」
そこではた、とエースは気付いた。監督生が身につけている茶色のエプロン。行く前は緑じゃなかったか、と。よくよく部屋を見回すと、今自分達がいる部屋は内装こそ談話室にセットされているものと似ているが、談話室ではなく、ゲストルームだ。身の回りに置かれた家具も談話室と少しだけ違う。その間にも監督生の話は続く。
「最初、お客様方がここを訪れた際、初めから四人で登山に来たと仰っていたのに、夕方頃、突然友人を捜しに行くと言い出して……一体どうしたんですか? 大丈夫ですか?」
ここには初めから四人しかいなかったと言う監督生は心底不思議そうな顔をして、首を傾げている。もうそれだけで察しの良いエース、アズール、ロロは理解し、さっと青ざめた。
自分達はてっきり物語上、行方不明の友人を捜しに行くという名目でお化け屋敷を体験するものと思っていたが、そんな友人は初めからいなかったのだと否が応でも理解させられた。いない筈の友人を捜しに、皆行ってはならないとされている山に入った。そして、監督生のエプロンの色が行きと違うのも、内装が微妙に異なるのも、全て行きとは違う店なのだと思い知らされる。じゃあ、あの店と緑のエプロンを着けた監督生は、一体何だったのか。
考えれば考える程、怖気が背筋を這う一同は、カップに残っている飲み物をぐっと呷ると、足早にゲストルームを出ようとする。それに気付いた監督生がさっとドアを開けてくれる。「ありがとうございました。またのお越しを心よりお待ちしております」の声を背景に、皆終始無言でそれぞれの寮へ帰って行った。
後日、授業前の準備時間に監督生は何気なく「あのお化け屋敷の解説動画って需要あるかな?」と訊いてきたので、エースとデュースは真顔で「絶対出せ」と言い切るのであった。