その絹に触れる
審神者の髪は長い。和泉守ほどではないにしろ、黒く艶やかな髪は、目によく止まる。
「主はんは、髪、長いの好きなんでっか?」
聞かれた審神者はキョトンとして、自分のまとまっている毛先をつまんで見せた。
「いや、別に……。好きでも嫌いでもないかな……。邪魔だから結んでるだけだし……。
清光くんとか、乱ちゃんがいいシャンプーとか、オイルとか分けてくれるから髪質よく見えるだけじゃないの?」
「ええ……。ドライすぎひん……? 髪は女の命とか言うもんやから、なんや願掛けでもしとんのかと思うとったわ」
「ここで誰かに切ってもらえない以上、現世に予約取って美容院行くの、面倒くさいんだよね……」
言いながらなにかに気付いたように、急に審神者が顔を真顔に改めた。
「ねえ、国行は、どっちが好き?」
「なにが」
「長いのと、短いの」
今更なにを、と思ったが、審神者は真剣な表情をしている。
「どっちでも」
「ええ……」
「主はん、背ぇ高いし、髪短こぅてもよう似合うと思いますよ。長くても、シュッてして見えてええけども」
「はあ、どうも……」
「なんや、全く通じてへん顔やな」
「え、なにが?」
「せやから、」
いつものことだが、この主は察しが悪い。いかに自分が見られている側なのか、という自覚が足りないのではないか? とつい思ってしまう。
「主はんなら、髪の長さなんてどっちでもええ、ちゅーてるんですわ」
そういうと、審神者の顔面が一気に赤く染まる。首元まで色づくのがかわいらしいと思ったのはいつのことだったか。
それを見たくて、こういうことを言うのに抵抗がだんだん薄まってきているのも自覚していた。
「なあ、主はん」
「は、はい」
「髪、触れても平気ですか?」
「ダメですね」
「あ、それはあかんのか」
男性恐怖症で近づくことすらままならなかった状態から恋仲になり、現在ようやく手の平が触れられるようになってきた。
肉体的でない「髪」ならば大丈夫かと思い立ったので聞いてみたのだが、どうやら前科があるようだ。
「髪を触るとなると、後ろに立つでしょう? 見えない状態が怖いんです。
あと、どうしても自分が座って、触る人が立つから身長差も余計にハッキリするし、威圧感あるからダメ」
「美容院、そんなんでよう行けるな……」
「ずっと同じ女性を指名しているので。男性には担当しないでほしいって伝えてますから」
「なんや、そんなら、自分も同じように視線合わせとったらいけなくないってことですか?」
「は?」
「乱はんとかは髪直したり、いじったりしとるやんか」
「まあ、はい」
「横におって、同じように座っとったら、イケるんやないですか?」
「え。やったことないからわかんないけど……」
「ものは試しや。なんなら、国俊連れてくるわ。今日非番やし。にぎやかしおる方が気も紛れるやろ」
「ええ、え、なん、国行、なに、急に……ていうか、めっちゃグイグイくる……」
「ええやろ。触れたいんやから」
さすがにここまで言うと恥ずかしくなって、審神者の顔を見ずに愛染国俊を探しに部屋を出ていった。
*
「明石さんて、無駄に手先は器用だよね~」
バリバリとこの部屋の主かのように堂々と煎餅を齧っているのは乱だ。
「まあ、毎日オレと蛍の髪、乾かしてるしな」
「自分らがちゃんと乾かさへんからやろ。いくらアホの子でも風邪引くで」
「アホって言うな」
愛染は特に空いてないのか、菓子には手を付けずに茶を飲みながら明石と審神者を見つめているだけだ。
非番ではあったが、短刀連中で手合わせをしていたところで呼び出され、なにかを察した乱が「僕も一緒に行く~」と言った瞬間に来派連中にだけわかる程度に明石の顔がげんなりとしたので「ああ、これは主さん関連か」と一瞬でわかった。明石では直接触れることも出来ないし、まあ短刀が傍についているほうが気楽でいいだろうと、呼ばれれば素直に応じる愛染だが、時折二人の醸し出す空気にはこちらがげんなりしてしまう。明石はわざとなのだろうが、主があまりにも恥ずかしがる様子は楽しむには少し遠い。行けばお茶とお菓子があるので待遇はいいのだが、途中で大体(気持ちが)おなか一杯になってしまうのだった。
その二人は今、審神者が少し低めの椅子に座り、明石がその横に座布団をいくつか重ねて折り畳んだものに座って審神者より低くなるよう高さを調整した状態で審神者の髪を結っていた。
「なんで横向きなんだ?」
「真後ろに立たれるのは怖いんだよね……」
「そっかー。でも横ならいいんだ」
「後ろよりは……」
「ねえ、こないだあげたオイル、ちゃんと使ってる? あれ、毎日使うほうが効果あるからちゃんと使ってね」
「ええ、勿体なさすぎて週一くらいなんだけど」
「やだもー! じゃあ今度主さんの分も買ってくるから!」
「え? いいよ! 自分で買うから!」
「ふうん、オイルってこれかいな?」
「それ。いい香りでしょ?」
「甘ったるい匂いやなぁ~」
「国行、ひでー顔」
近づいて同じように愛染も明石の手元の瓶の香りを嗅ぐ。花の香りなのはわかるのだが、一瞬むせるほどの濃い香りが鼻に抜けた。
「愛染もひどい顔だよ。ええ、いい匂いじゃん」
「男性には少し花の匂いは強いのかもね。私は好きな匂いだけど……」
「明石さんが嫌がるからって付けるのやめるのは無しだからね。乾いたら香りは無くなるんだし、おしゃれに男の好みは関係ないよ、主さん!」
「べ、別にそんなつもりじゃないってば……」
そういいながらも、チラリと明石を見ていたのは事実だ。
もっと堂々としていればいいのに、と思う。背筋はいつもスッと通っているし、姿形はキリッとしていると思う。男性的ではないが、著しく女性寄りというわけでもなく、ちょうどいい感じに「中庸」という印象が強い。極端に好きなものもなければ、嫌いなものもない。いや、作らないようにしているというのが近いのだろう。そこで、「好意」に踏み込めたのが、同じく中庸を選びがちな「来派の祖」というところが、なんだか二人が似ているようで、少しだけ愛染には誇らしかった。
「ま、艶が出てええんとちゃいますか?」
そういうと、少しだけ手に付けて両手に広げる。香りが先ほどよりも部屋に広がった。
手櫛でオイルをつけてまとまりを付ける。
来の子どもたちの髪を乾かす時よりも丁寧な手つきで馴染ませると、横に流した髪を今度は三つ編みにして編み込み始めた。
「なんで国行、そんなこと出来るの?」
「いち兄が来るまで、粟田口の髪乾かしてくれるの、手伝ってくれてたもんね」
「乱はんの髪乾かして、結うとこまでやらされましたからなぁ」
「ついでに鯰尾とかも寄ってきてたよな」
「あれは面倒くさがりっちゅーんや。丁重にお断りしたったわ」
「ふふふ」
その様子が目に浮かぶのだろう、審神者が微笑むと、編んでいた手を一瞬だけ止めて明石も少しだけ瞳を和らげた。
「主さん、髪の毛あんまりいじらないけど、本当にこだわりないんだね」
「そりゃあ、だって、私よりも綺麗な人がいっぱいいるのに、そこにこだわってもね。元が違うじゃない、元が」
「なに言ってんだよ、みんな主さんのこと綺麗だって思ってるぜ?」
「そうそう。僕たちは主さんが綺麗なほうが嬉しいしね。今のありのままの自然な姿も十分素敵だけどさ」
乱の言葉にも明石はなんにも反応せず、せっせと三つ編みの最後の詰めの部分を編んでいた。上のほうは少し緩く、下のほうはきつめにして、全体のバランスを見ている。審神者の鏡台にあった組紐を勝手に使って、毛先まで綺麗にまとめ上げた。
仕上げとばかりに、今朝、五虎退が持ってきて卓に飾ってあった桔梗を頭に飾る。花は明石のヘアピンで耳元に固定した。いつもゆるくまとめられている明石の左側の髪が一房、はらりと落ちる。
「ほな、完成。どうや」
*
「器用なもんだな」
「素敵だよ、主さん」
左側にまとめられた三つ編みという髪型は普段はしない。物珍しい姿だが、審神者自身で見ても満更でもなさそうな表情で、少しはにかんだ照れが前面に出ている。耳元には桔梗が黒髪によく映えていた。
「あ、ありがとう……」
「失礼。主、こちらに乱は……おりますな」
「いち兄」
「配膳当番だろう? ほかの係はもうみんな揃っているよ」
「あ、ごめんなさい! じゃあ、僕いくね!」
「なら、俺も手伝うよ。人数いたほうがいいだろ」
「済まないね、愛染。頼むよ」
てきぱきと茶菓子を片付け始めてサッサとまとめてしまった。短刀二振りが席を立つと、腰を浮かしかけた審神者を、一期が引き留めた。
「まだ昼食までは時間がありますから。どうぞ、ごゆっくり」
「ほな、よろしく頼んますわ~」
「あ、いや、あの、はい……よろしく、おねがいします……」
にこりとロイヤルに微笑まれ愛染と乱が手を振って障子を閉めた。
「なに、そんな照れてるん?」
「いや……別に……」
「気ぃ使われたのが、そないに恥ずかしいんですか?」
「恥ずかしいっていうか……いや、恥ずかしいけど……」
やってもらった髪をしきりといじる。行き場のない指先はそうやるのか、と見ていたが、少しだけため息をついて明石は桔梗を一輪挿しに戻した。止めていたピンを自分の頭に元通りに付ける。
「国行?」
「髪、戻しましょか」
「え、もう?」
「こないな頭で出ていったら、何しとったか一目瞭然ですよ。それでよければ自分はこのままでもええんどすけど」
そういわれて、ようやくそのことに気付いた。一応は公表しているものの、業務に支障をきたさないと約束している。今は自由な時間だったので別になんの問題もないのだが、二人で食事の場に出向いて見目が変わっていればやったのは明石だと想像するのは容易い。それを知られるのは、なんとなく気恥ずかしい。
しかし、せっかくやってくれた明石の好意を無碍にもしたくないし、綺麗にしてもらったこと自体はすごくうれしい。そんな葛藤がにじみ出ている表情で唸っていたが、明石の指先は容赦なく結んだ組紐をほどいてしまった。
「あ」
「またいつでもやったるさかい、そないな顔せんと」
そう言ってヘラリと笑うと、細い指先はあっという間に三つ編みをほどいてしまった。
髪が痛まないように、優しく、丁寧に。癖のついてしまった髪をまた伸ばすように櫛を梳く。ほんの少しの間しか綺麗に飾らなかったが、そのやってもらう時間のほうに幸福感を感じていたのかもしれないと審神者が思ったあたりで、明石が手を止めた。
「まあ、ほんまはこっちが目的なんどすけどなぁ」
審神者の髪は長い。
優しく触れられていた毛先は、オイルと櫛によって整えられ艶めいていた。
ふわりと花の香りを纏った自分の髪を一房、目の前の刀が優しく持ち上げる。
「髪くらいなら、いらってもええんでっしゃろ?」
「いらって……?」
その意味を問おうとした口が、開きっぱなしになった。
静かに、髪に落とされた口付けを、目の当たりにしたために。
「顔、真っ赤」
「ひえ……」
赤と緑の綺麗な瞳が閉じられて、一瞬音が聞こえなかった。無音の中に、自分と明石だけが存在しているような、そんな優しい口付けだった。髪なので、触れた感触もわからないのに、全身に視覚から与えられた刺激に体温が上昇した。
まるで、夢みたいな、光景だった。
「……部屋戻って、蛍丸連れてきますわ。先に、食堂行ってます」
「は、はい……」
きびきびと動く姿はらしくない。いっつも、のらりくらりとタラタラしてるのに。
顔中が熱くて、両手で頬を包みながら、部屋を出ていく明石の背中を盗み見た。
ポーカーフェイスは崩れなかったが、耳が赤くなっているのがハッキリとわかって、「同じ気持ち」なんだとわかって、心の底から幸福感が溢れてくる。
また、髪を結ってもらおうと、心に決めた。