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  • 524過去に描いたカラ一 #腐向け #BL松 #カラ一咲島
  • 【カラ一】再び家族になりました #BL松 #カラ一 #転生 #女体化 ##転生カラ一

    ※非常に読む人を選ぶ文です。
    この作品は以下の要素を含みます。
    少しでも嫌悪感を感じましたら、今すぐブラウザバックをお願いいたします。
    ①転生パロです
    ②キャラの女体化、妊娠・出産の描写を含みます
     (一松とトド松が女の子)
    ③当然のようにキャラ崩壊
    ④書きたいところだけ書いてます

    ーーーーー

    1.

    いろいろあって結婚相手が前世で愛した兄弟だったり、
    生まれてきた息子が前世の兄弟だったりとトンデモナイ展開に見舞われたワケだが、
    そんな事実は何処吹く風、家庭内は至って平和で穏やかな日々が続いていた。
    今世では第1子長男となった十四松はちょっぴり泣き虫な、
    けれど明るく元気いっぱいな子にすくすく成長中だ。
    ただ今休日の昼下がり。
    今年で2歳になった十四松はカラ松と共に玩具のボールとバットを両手に抱えて外へと飛び出して行った。

    一松は2階にある夫婦の寝室で、先月生まれた娘の授乳中だった。
    2年前に十四松が生まれた時点である程度の覚悟はしていたが、
    第2子として誕生したこの娘、やはり何の因果か前世の兄弟だったのだ。
    今世は一松と同じく女の性を持って生まれた娘は大きめの瞳と
    可愛らしいアヒル口を持つ、かつての末弟トド松だ。
    ちなみに、生まれたばかりのトド松を見た瞬間

    「一松、どうしよう娘だ!
     娘ってだけでめちゃくちゃ可愛い!娘超可愛い!!
     きっと美人に育つんだろうな、ああああでも絶対お嫁になんて行かせない!
     彼氏なんて連れてきたら決闘だ!
     娘可愛い!!
     oh マイリトルスイートエンジェル!!」

    と、カラ松が若干キャラを見失いかけながらも、
    しかし安定のイタさとウザさで大興奮だった事もココにお伝えしておく。
    大層な大はしゃぎっぷりだったがこの男、もうそろそろ三十路に突入である。
    そんなカラ松を黙らせなければという前世から続く謎の義務感によって
    「うるせぇ黙れクソ松!」と一松が横っ腹に一発御見舞したのは言うまでもない。
    娘を構いたくて仕方ないカラ松が率先してトド松の世話を焼いてくれたため、
    一松は諸々楽する事ができたのでその辺は感謝しているが。
    ウザイものはどうにも殴って止めなければ気が済まないのである。
    普段キリリと上がった男らしい眉を下げながらトド松の世話を焼くカラ松を間近め見ていたせいか、
    十四松も妹を可愛がり、懸命にお兄ちゃんしようとしている様子は非常に微笑ましかった。

    授乳を終えた頃、遊びに出掛けていたカラ松と十四松が帰ってきた。
    玄関から微かに聞こえてくるカラ松の声に耳をすますと、
    どうやら十四松を連れて風呂場へ直行したようだ。
    きっとたくさん遊んで泥んこになって帰ってきたのだろう。
    そう考えながら、一松はトド松の背中をトントンと叩いてゲップを促す。

    しばらくしてトド松から「げぷっ」と声が聞こえたのと同時に、1階が何やら騒がしくなった。
    トド松もちゃんとゲップ出せたし丁度いいと思い、
    一松は母乳を飲み終えてウトウトしているトド松を腕に抱えて階段を降りた。
    リビングに足を踏み入れると

    カ「十四松!じゅうしまぁ~つ!
      ストップ!ストーップ!!待ちなさい!」
    十「あいあい!」
    カ「いや、止まれ!止まってくれ!!」
    十「あんしんしてください!はいてますよ!!」
    カ「いやいやいや、履いてない!何も履いてない!
      何も安心出来ないぞじゅうしまぁ~つ!!
      服来たら好きなだけ走っていいから!」

    一「…なんだコレ。」

    そこには生まれたてすっぽんぽん状態でキャッキャと走り回る十四松と、
    それを追い掛けるカラ松の姿があった。
    カラ松も十四松と一緒に汗を流したのだろう、バスローブ1枚羽織っただけだ。
    十四松は2歳児とは思えない身のこなしでカラ松の腕をすり抜け
    ちょこまかと楽しそうに逃げ回っている。
    楽しそうに逃げ回る2歳児と必死に追い掛ける三十路のバスローブ男性…実にシュールな光景である。
    クソほど頑丈なカラ松はどうでもいいが、
    まだ幼い十四松がこのまま湯冷めして風邪を引いてしまうのはいただけない。
    仕方なく、一松は助け舟を出すことにした。

    一「十四松、おいで。」
    十「あい!」

    一松が呼ぶと、十四松はパッと明るい笑顔を向けてこちらへ駆け寄ってきた。
    カラ松が「俺の苦労は一体…」と涙しているので、
    「外遊びとシャワーありがとね」と一応労いの言葉をかけておく。
    その一言で復活したカラ松に、こいつチョロ過ぎないかと
    一松は少し心配になったが、深く考えるのはやめておいた。
    折角シャワーを浴びたのに再び汗をかいてしまったカラ松から十四松の着替えを受け取ると、
    腕に抱えていたトド松をベビーベッドに下ろし、一松は十四松をささっと着替えさせた。

    一「十四松、次からはお風呂から出たらすぐに服着ような。」
    十「あい!」
    一「約束できる?」
    十「あい!やくそく!」
    一「ん、いい子。」
    カ「十四松、次から追いかけっこは服を着てからだぜ?アンダースタン?」
    十「あいあい!」
    カ「フッ…頼むぜ、我が息子よ。」

    カラ松と十四松の愉快な追いかけっこが一段落したところで、
    十四松が何かを思い出したように「そーだ!」と玄関へ駆けていった。
    一松は頭上にクエスチョンマークを浮かべているが、
    カラ松は思い当たることがあったらしい。
    程なくして十四松はパタパタと軽やかな足音を響かせて戻ってきた。

    十「ママ、これあげる!」
    一「ん…ありがと、十四松。…これ、どんぐり?」
    十「どんぐり!こうえんにね、いっぱいおちてた!」
    一「へー。たくさん拾ってきたね。」
    十「あい!これはママのぶんで、これはトッティのぶん!」
    一「…トッティ?」
    十「トッティ!トドまつー!」
    一「……そ、う。
      十四松、トド松の分もちゃんと拾ってきてくれたんだ。
      ありがとね。」
    十「えへへー」
    一「ところで何でトッティなの?」
    十「んー?んー…なんでかなぁ?わかんない!」

    チラリとカラ松の方を見ると、
    「俺が教えたワケじゃないぞ。気付けばこう呼んでたんだ。」
    と、眉尻を下げながら一松が聞こうとした事の答えを先回りして答えてくれた。
    "トッティ"はご存知トド松のあだ名だ。
    けれどカラ松も一松も今世のトド松を1度もそのあだ名で呼んだ事はない。
    因みに、一松に至っては十四松やトド松の前ではカラ松の事をクソ松呼ばわりしないようにしている。
    生後1ヶ月の、交友関係など当然築いていないトド松に、あだ名を付けるような友人はまだいない。
    つまり十四松が自分で呼び始めた事になる。
    前世の記憶があるのだろうかと思ったが、十四松の様子を見る限りそのような様子ではない。
    生まれ変わる前からこういった勘は野生並みだったから、
    本能で無意識にそのあだ名が出てきたのかもしれない。

    今思えば、この時に既に兆候は顕れていたのだ。

    ーーー

    そして月日は更に流れ、
    十四松は5歳に、トド松は3歳になった頃。

    ト「やあぁぁーーだああ!
      トドうさぎさんがいいのーーー!!」
    一「うん、気持ちはわかるんだけどね、
      ウサギさん今洗濯中なんだよ。
      アヒルさんとネコさんならあるよ?どっちがいい?」
    ト「ヤ!!うさぎさんっ!!」
    一「うーん、参ったな~。」

    朝の時間とは、即ち戦争の時間である。
    トド松はまだまだイヤイヤ期が抜けず、
    靴下選び1つとっても毎回のようにこんな調子だ。

    一「うーん、じゃあトド松。とりあえずジュース飲む?」
    ト「のむ~♪」

    こういう時は全く違う事に意識を向けさせてしまうに限る。
    一松の作戦が功を奏し、トド松はジュースで機嫌も直ったようだ。
    十四松のイヤイヤ期はそこまで激しくなかったが、トド松はどうにも自己主張が激しい。
    女の子は言語の発達が早いと言うが、確かに十四松と比べても言葉も達者である。
    ハイハイや歩き始めるのは十四松より大分ゆっくりだったが。

    一松がトド松に手を焼いている横では、カラ松がコーヒーを啜りつつ
    ご飯を頬張る十四松を見守っている。
    やがて朝ご飯を食べ終えた十四松が一松に飛び付いてきた。

    十「たべたー!ごちそうさまー!どぅーーん!!」
    一「うわっ」
    カ「十四松!ママのお腹には赤ちゃんがいるんだから
      ぶつかったらダメだと言っただろう?!」
    十「あ…!あい。ごめんなさい…。
      ママ、だいじょうぶ?」
    一「大丈夫、大丈夫。次から気をつけような。」
    十「あい!」

    十四松とはいえ、まだ身体が小さいしそこまで思い切りぶつかってきた
    ワケではないので、大したダメージではなかった。
    そう、現在一松は第3子を妊娠中だ。
    3人目はつわりも軽かったし、特に大きなトラブルもなく順調に育っている。
    ただ、胎動が激しい。
    お腹を蹴る力がやたらと強くて、一松は何度夜中に目を覚ましたか分からない。
    元気な証拠だと思って気にしないようにしているが。

    気付けば、十四松とトド松が一松のお腹にしがみついていた。

    一「2人ともどうした?赤ちゃん動いてる?」
    十「あいさつしてる!」
    ト「トドもあいさつ~♪」
    カ「はは、赤ちゃんは何か言ってるか?」
    ト「ぽんぽんけっけしてる!」
    一「うん、お腹蹴ってるね。あいさつしてるのかな。」
    十「………」
    一「…十四松?」

    一松の大きなお腹にしがみつき、耳をピタリと腹に当てたまま十四松は黙りこくってしまった。
    具合でも悪くなったのか、と危惧した一松が声をかけると、
    十四松は一松を見上げて二パッと笑った。
    具合が悪いわけではなさそうだ。
    その事にホッとしつつも、十四松の向ける笑顔が気になった。
    それは、一松もカラ松もとてもよく知る懐かしい笑顔で。

    一「十四松?」
    十「チョロまつにいさんだ」
    一「…え?!」
    十「いちまつかーさんのおなかにいるの、
      チョロまつにいさんだよ!」

    まだ5歳の幼い子供の声で、しかし十四松はしっかりとした口調でそう言った。
    カラ松と一松が思わず顔を見合わせる。
    トド松はわけが分からずキョトンとしていた。

    カ「十四松、お前…。」
    十「あはは!カラまつにいさんがおとーさんで、
      いちまつにいさんがおかーさんになってる!
      ぼく、こんどはちょうなんだ!すっげーね!!」
    一「十四松、思い出した…の…?!」
    十「うっす!おもいだしちゃった!
      マッスルマッスル!ハッスルハッスル!」

    カラ松と一松が再び顔を見合わせた。
    2人ともその目は驚愕に満ちている。
    カラ松も一松も前世の記憶があるのだから、将来子供たちにも記憶が蘇ることは十分に考えられた。
    トド松が生まれた時も、誰に教えられたわけでもなく「トッティ」と呼んだりしていたが。
    けれどまさか。
    まさか、こんなに早く十四松が前世を思い出すとは思ってもみなかったのだ。
    まだまだ幼い身体と心で、自身とは他の誰かの記憶を抱えるのはかなりの負担だ。
    カラ松も一松も記憶が戻ったのは成人後だが、それでも最初は大いに戸惑った。

    一「…カラ松、そろそろ出ないと時間ないよ。」
    カ「いや、だが…!」
    一「ひとまず十四松は僕が見ておくから。」
    カ「…分かった、頼んだぞ。
      何かあったらすぐに連絡してくれ。」
    一「ん。いってらっしゃい。」
    十「いってらっしゃーい!」
    ト「パパいってらっしゃーい!」
    カ「ああ、いってきます」

    カラ松を見送った後、一松は十四松に向き直った。
    見返してくる無邪気な目は、一松のよく知る六つ子の弟としての十四松の目だった。

    一「さっき思い出したの?」
    十「うん!さっき!」
    一「そっか…どこまで思い出した?」
    十「うーんとね、わりといろいろ!」
    一「いろいろ?」
    十「うん!
      ちいさいころは、いっつもぼくがなきべそかいてて、
      いちまつにいさんがぼくのうで、ひいててくれてたよね!
      ぼくら6にんで、いれかわってイタズラとかしてた!
      それから、カラまつにいさんとやねのうえでうたったり、
      いちまつにいさんとやきうしたりしたね!
      あ、トッティのバイトさきでパフェたべたり、
      プラスとマイナスになっちゃったり、
      ダヨーンのなかにすいこまれちゃったり、
      あとやきう!!」
    一「…そうだね。」
    十「えっとね、えっと…うぇ…い、ろいろ…ヒック、
      おぼえて、ぼく、おぼえてるっ!
      う、うぇぇぇ…!」
    一「十四松!」

    前世の記憶を必死で一松に伝えていた十四松は、限界がきたのか泣き出してしまった。
    一松が小さな十四松を抱きしめる。
    背中をトントンと優しく叩き、「大丈夫だから、大丈夫」と繰り返した。
    トド松が心配そうにこちらを見ている。
    大きな瞳は揺らいでいて、今にも涙が零れ落ちそうだ。

    ト「おにいちゃん、どうしたの?いたいの?」
    一「大丈夫、トド松もこっちおいで。」
    ト「おにいちゃん、トドがイイコイイコしてあげるね」
    十「ヒック…グスっ…うわあぁぁぁぁん!!」
    一「よしよし」
    ト「おにいちゃんイイコ、イイコ…
      なかないで…なか、な…ふぇっ…ぐすっ…」

    十四松の話を聞いた限り、この子はほとんどの記憶を取り戻している。
    幼い身体と心がそう容易く耐えられるわけがないのだ。
    大声を上げて泣き出した十四松につられてトド松も泣き出してしまい、
    そんな2人を一松はしばらくの間、ただただ抱きしめ続けていた。

    どれくらいそうしていただろうか。
    泣き疲れて眠ってしまった十四松とトド松をベッドに運び、
    十四松が通う幼稚園に今日は欠席する旨の連絡を済ませると、一松は深く溜息を吐いた。

    十四松、お前はお前だよ。
    お前の人生なんだ。前世の記憶に引っ張られる事なんてないんだよ。
    お前の好きにしていいんだよ。
    僕もカラ松も、今世の十四松が今世の十四松らしく生きていけることを願っている。
    そう、心で願った。



    やがて3人目が生まれた頃には、カラ松と一松の心配をよそに
    十四松はすっかり落ち着きを取り戻していた。
    幼い子供ながらに、前世の記憶を受け入れたようだ。
    元より前世の十四松は成人後もまるで無邪気な子供のような面があったためか、
    さほど大きな影響も出なかったらしい。
    それでも言動は少々大人びた。

    生まれた3人目は十四松が予言した通り、
    小さめの瞳にへの字口という紛れもなくチョロ松だった。
    前世でも今世でも3番目だ。
    超安産だった。すんなり生まれてくれてありがとう、さすがはチョロ松。

    一「そういえば十四松、どうしてチョロ松だってわかったの?」
    十「えーとね、こえがしたんだよ!」
    カ「声?」
    十「うん!いちまつかーさんのおなかに、みみをあてたらね、
      チョロまつにいさんのこえがしたの!
      それでね、いろいろおもいだしたんだよ!」
    一「そっかー。」
    カ「よくわからんが、お腹から聞こえたというチョロ松の声が
      十四松の記憶が戻るきっかけになったという事か?」
    一「たぶんそうだと思う…ってトド松!コラ叩いちゃダメ!」
    ト「ダメ?」
    一「ダメ!」

    トド松が目をキラキラさせながら一松の腕に抱かれて眠る生後1週間のチョロ松を覗き込み
    小さな額をペチペチと頻りに叩いている。
    止めろと言っても止める気配がない。
    この様子に、カラ松と一松は今世におけるトド松とチョロ松の関係性が見えた気がした。
    トド松は今世では女の子で「姉」だ。
    そしてチョロ松は今世では男の子で「弟」だ。
    弟とはどうやっても姉に勝つのは難しい。
    悲しいかなそういう生き物だ。

    (頑張れ、チョロ松。ご愁傷様、チョロ松…。)

    カラ松と一松は目が合うと思わず同時に苦笑いを浮かべたのだった。

    ーーーーー

    2.

    しつこいようだが、朝とは即ち戦いの時間である。
    それに拍車をかけたのは、間違いなく前世における我らが六つ子の長男にして、
    今世では末っ子として生まれてきたおそ松の存在だ。
    今年で小学校に上がる十四松は食事も着替えも自分のことは自分でできるようになり、
    尚且つトド松やチョロ松の面倒を見てくれるようになった。
    今年で年中のトド松はそんな兄の十四松にベッタリで、最近では
    「ぼく、おおきくなったらじゅーしまつおにーちゃんとけっこんする!」
    と宣言するくらいのブラコンっぷりだ。
    完全なる余談だが、
    「そこは『大きくなったらパパと結婚する』が定番じゃないのか…」
    と、唯一の娘であるトド松を特に可愛がっているカラ松が拗ねて一松に冷めた目で見られ、
    十四松に「ドンマイ、カラまつとーさん」と頭を撫でられていたりした。
    2歳になったチョロ松はトド松のように口達者にわがままは言わないものの、とにかくじっとしていない。
    しかも逃げ足が早いので片時も目を離すことができない。
    そして、生後半年に突入した末っ子おそ松は、とにかくやかましい。
    少しでも一松が傍を離れると、たちまち大声で泣きわめく。
    そんなワケで、一松がトド松やチョロ松に朝ご飯を食べさせたり着替えさせたりする時は、
    いつもおそ松のぎゃーぎゃー喚く泣き声がBGMだった。
    それに対してチョロ松が幼児特有の甲高い声で
    「うるせぇぇぇ!!」
    と怒鳴るものだから更にギャン泣きが悪化するという負のスパイラルである。
    ちなみに、そんなおそ松だがカラ松が抱っこしても泣き止まないのだから困ったものだ。
    どうやら一松でないとダメらしい。
    十四松もトド松もチョロ松もそんな事はなかったというのに
    何故おそ松だけ懐いてくれないのか。
    不可解だ。実に不可解だ。
    そんなに俺が父親なのが気に食わないかおそ松このやろう。

    思えば、おそ松は一松のお腹に宿った時からすでに大変手の掛かる子であった。
    妊娠初期には今までで一番重たいつわりに悩まされ、
    ついには一松は水さえ飲むことができずに入院する羽目になり
    しかも重たいつわりは安定期に入っても中々治まってくれなかったし。
    安定期に入ると度々一松はお腹の張りを訴え、
    切迫早産で絶対安静を強いられ再び入院する羽目になり。
    やっと後期に入ったと思ったら今度は逆児が判明したため
    4人目にして初めて一松は逆児体操をしていたのだが、
    努力の甲斐も虚しく逆児は結局直らず。
    それに加えてどうやら胎盤の位置が産道を妨げていたらしく、早々に帝王切開が決定した。
    カラ松は不安がったが、
    「母子共に最も命に危険がない方法だ」
    と医師から説明され、頷くしかなかった。
    一松は自分の腹を切開するどうこうよりも
    「じゃぁ逆児体操する意味なかったんじゃないの」
    とそちらの方をブツクサ文句を言っていた。
    カラ松が一松に「不安じゃないのか」と聞くと
    「え?別にいいよ、だってお腹の子の命が最優先でしょ」とケロッと返された。
    もちろん、一松にも不安が全くなかったわけではないのだろうが
    母は強し。とこの時ほど痛感した日はない。
    帝王切開することが決まっているため、生まれる日も決まっているはずだったのだが
    薬を服用してもお腹の張りが治まらず
    結局予定日よりも2ヶ月以上早く陣痛が始まってしまい
    更には出血が酷かったため、救急車で担ぎ込まれた一松は緊急帝王切開となり
    おそ松は未熟児のラインをギリギリクリアする小ささでなんとか無事に生まれてきた。
    それでも生後3日間は保育器の中だったため、随分心配させたものだ。

    おそ松が生まれた直後の会話を思い出す。

    カ「今回は本当に大変だったな…一松、本当にお疲れ。」
    一「本当に大変だったよ…。
      カラ松も僕が入院してる間わざわざ会社休んで
      十四松たちの面倒見ててくれてありがと。」
    カ「当然だろう!
      俺に出来る事と言ったらそのくらいしかなかったしな。
      …身体の調子どうだ?」
    一「めっちゃお腹痛い…全然身体動かせないヤバイ。
      はぁ…まだお腹にいた方がいい時期だったのに…
      …可哀想なことしちゃった。」
    カ「そうか。…無理するなよ。
      それに、おそ松が待ちきれなくて早く出てきてしまっただけだ。
      一松がその事に責任を感じることはないぞ。
      家の事は気にしないでいいからな。お義母さんも来てくれてるし。」
    一「ん。…それにしても本当に、随分とせっかちだったね、おそ松兄さん。」
    カ「一番最後だったからな。待ちくたびれたんじゃないか?」
    一「おそ松兄さんってばどんだけ構ってちゃんなんだよって話だよね…。
      本当散っ々な目に遭わせてくれたよね。
      そんなに僕の股から出てくるのが嫌だったのかな。
      てめぇの腹かっ開けってか…ヒヒ…あ、ヤバお腹痛い。イタタタ…。」
    カ「だっ大丈夫か一松!いろんな意味で!!」
    一「大丈夫なワケあるかボケころすぞ」
    カ「ヒッすいません!」

    一松は若干の闇オーラを発していたが、妊娠中に散々大変な思いをしていたのは
    間近で見ていて十分に知っていたため何も言えなかった。
    少しくらい愚痴がこぼれても仕方あるまい。
    お腹の中にいた時から構ってちゃんだったおそ松は、生まれてからもやはり構ってちゃんだった。

    ーーー

    カラ松が帰宅する頃には子供達は既に夢の中だ。
    手の掛かるおそ松も、今のところまだ夜泣きは始まっておらず夜は比較的ぐっすり眠ってくれていた。
    リビングに入ると、テーブルにはラップのかけられた1人分の夕食が置かれている。
    ネクタイを解きながら、それをレンジに入れて温めていると、2階から一松が降りてきた。
    玄関が開く音が聞こえたのだろう。

    一「おかえり。」
    カ「ああ、ただいま。」

    キッチンへ引っ込んだ一松は、温かいお茶を持って戻ってきた。
    その手に湯呑みは2つ。
    どうやら一松もここで一休みするらしい。
    夕飯を咀嚼しつつ、カラ松は向かいに腰掛けた一松に話しかけた。

    カ「毎日お疲れ様だな。」
    一「ん。まぁ確かに毎日戦争だよね。でもまぁ、意外となんとかなるモンだね…。」
    カ「一松は何気に要領がいいからな。」
    一「…そっちこそ、毎日…仕事、お疲れ。」
    カ「ああ、ありがとう!大切な家族のためだからな。愛してるぞ一松!」
    一「うるせぇ黙れ。」
    カ「何で?!」

    ドスのきいた一松の声に一瞬怯んだが、照れ隠しだと理解しているカラ松は後ろから一松を抱きすくめた。
    肩口に顔を埋め、腕にぎゅうと力を込めると、「痛いわ馬鹿力が」と一松から抗議の声が上がった。
    その言葉に多少腕の力は緩めたものの、開放するつもりはない。
    微かに石鹸とシャンプーの柔らかな香りがした。

    カ「一松。」
    一「…なに、どうしたの。」
    カ「いや、最近ご無沙汰だと思ってな…。」
    一「な、お、お前な…!」

    悪態をつきながらも、顔を背けた一松の頬が朱色に染まったのを見逃さなかったカラ松は
    耳元でいつもより低い声で囁いた。
    前世も今世も、一松はどうやらカラ松の声に弱いらしい事はなんとなく解っている。

    カ「…一松。」
    一「~~~っ!」
    カ「なぁ、一松…いいだろ?」

    一「…………ん。いい、よ。」

    耳まで赤くした一松にフ、と笑みを零し、
    後ろから抱きしめた体制のまま一松の頬に手を添え、口付けようとしたその時、

    お「うあ゛ああああぁぁぁん!」

    一「え、あっ、おそ松起きた…?!」
    カ「Why?!何で今日に限って夜中に目を覚ますんだおそ松!!」
    一「まあ、仕方ないね。」
    カ「くっ…まさか我が聖なる領域の中に俺達の甘美な夜の邪魔する者がいようとは…!」
    一「はいはい、拗ねない拗ねない。」

    明らかにブスくれているカラ松の頭を、まるで子供をあやすようにポンポンと撫でた一松は
    カラ松の腕からするりと抜け出し、幼い我が子の元へ向かった。
    階段を上りながら「ついに夜泣きが始まったかなー?」なんて呑気に呟いている。
    小さな子がいるのだから仕方ない。
    仕方ないのは、カラ松も頭では理解している。
    しているのだが…。

    (邪魔したようにしか見えないぞ、兄貴…!いや、マイサンおそ松!!)

    高ぶっていた気持ちを何とか沈めようと、カラ松は深く溜息を吐いて
    ダイニングテーブルに置かれた椅子に腰掛けた。
    そういえば、まだ夕食を食べていなかった。
    一度温めていたが、すっかり冷めてしまっている。
    かといって温め直すのも億劫だったため、このまま箸を取った。
    冷めても美味しいし、問題ない。

    黙々と咀嚼を繰り返していると、泣き声がこちらに近づいてきた。
    扉に目を向けていると、泣き喚くおそ松を腕に抱いた一松が顔を出した。
    なかなか泣き止まないので下に連れてきたようだ。

    一「おそ松は1回泣き出すと泣き止まないねぇ…。」
    カ「いつも思うんだが、おそ松の泣き方って兄弟で一番やかましいな。」
    一「だね。
      声が大きいのは十四松だけど、泣き声はそこまで酷くなかったし。
      てゆーか、十四松はよく笑いよく寝る子だったから。」
    カ「トド松は女の子なだけあって泣き方も可愛らしかったしな。」
    一「チョロ松はギャーギャー喚くような泣き方じゃなかったしね。」
    カ「…おそ松は生まれ変わっても構ってちゃんか。
      今世では俺がその根性叩き直してやる。」
    一「カラ松っておそ松兄さんには容赦ないよね。
      今世のおそ松くんはまだ赤ちゃんだからね?」
    カ「もちろん、それはわかっているぞ!」

    かといって、久々の夫婦の甘い時間を邪魔された恨みは消えないのだが。
    これが他の…チョロ松か十四松かトド松だったら仕方ない、で済ませてしまえただろうに
    やはりカラ松はおそ松には幾分容赦がない。

    一「カラ松。」
    カ「…うん?」
    一「続きは…また、今度。…ね?」
    カ「……っ!ああ!!」

    続きを再開出来たのは、それから半月後だった。

    ーーーーー


    オマケ1
    最初の言葉


    一「初めて喋った言葉?」
    十「うん!学校の宿題でね、出されたんだ!」

    この春から小学校6年生となった十四松がそんな事を聞いてきたのは、休日の昼食後のことだった。
    ちなみにトド松は小学校4年生、チョロ松が小学校1年生、おそ松が幼稚園の年中さんだ。
    どうやら、6年生となった今年は幼い頃の自分を振り返るような授業があるらしく、
    小さい頃の写真やら思い出話を両親から聞いてくるように言われたらしい。

    一「十四松が最初に喋ったのは、確か『ママ』だったかな。」
    十「ママ!ぼく初めて話した言葉は『ママ』っすか!」
    一「うん。」
    ト「ねぇねぇ、トドはトドはー?」
    一「トド松?…トド松は『パパ』だったね。」
    ト「えぇー?!」
    カ「えっ…何か不満か?!」
    一「十四松が最初に『ママ』だったからね…
      カラ松ってばトド松は絶対最初にパパって呼んでもらう!
      って躍起になってたから。」
    カ「フッ…毎日『パパ』って囁いた甲斐があったぜ…!」
    ト「何それイッタイよねぇー!
      ってコトは言わされたんじゃん!
      ぼくも十四松兄さんとおそろいでママがよかったー!」
    カ「何故だトド松…!」
    チ「かあさん、じゃあぼくは?」
    十「あ、ぼくチョロ松の最初の言葉覚えてるよ!
      『まんま』って言ってた!」
    チ「そーなの?」
    カ「ああ、そうだったな。」
    一「十四松が「チョロまんまだよー」って
      チョロ松によくご飯食べさせたりしてくれてたからね。
      十四松の真似して言ったのかな。」
    チ「そーなんだ。」
    お「じゃあおれはー?おれおれ!!」
    カ「あー…おそ松は…」
    お「?」

    カラ松は気まずそうに視線を泳がせてから一松の方を向いた。
    が、一松はそんなカラ松の視線にも動じることはなく。

    一「『おっぱい』」
    お「ん?」
    一「だから、『おっぱい』
      おそ松が最初に喋った言葉。」
    お「おっぱい?」
    一「うん。」
    お「なんで?」
    一「さあ?」
    お「まじウケる!!」
    一「そらコッチの台詞だ。」
    カ「んんん?コッチの台詞なのか?!」

    気付けば十四松の宿題に関係なく、兄弟の最初の言葉の話になっていた。
    宿題をしなければならない十四松本人はというと
    特にそれに気にする様子もなく、兄弟の話を聞きながら楽しそうだ。

    ト「プフッ…おそ松『おっぱい』とか!」
    チ「おそ松おまえ…」
    お「なんだよーいいじゃんかー!」
    十「えー?おそ松らしくていいと思うよー?
      まじウケるね!」

    新生松野家は本日も騒がしい。

    ーーーーー

    オマケ2
    母と娘のお買い物


    一「トド松、買い物行くから手伝って。」
    ト「はーい。」

    夕方、パートから帰ってきた一松はリビングでくつろいでいたトド松に声をかけた。
    スーパーの卵特売お一人様1パックまで、だとか
    野菜ジュース箱売りお一人様1箱まで、だとか
    そういった特売には母によって子供達が駆り出されるのはどこの家庭でも同じだろう。
    トド松も、今日はそういう特売があるのだろうと特に疑問も持たずに返事をした。
    素直についてけば、この母は自分の好きなおやつを買ってくれるし
    別にそうでなくても買い物に出かけるくらいなんてことない。
    それに、一松と2人で出掛けるのが密かにトド松は好きだった。


    トド松に前世の記憶が蘇ったのは小学校に上がった頃だ。
    桜舞い散る入学式の日、淡い桃色のワンピースに白のボレロを纏い
    胸元にはピンク色のバラのコサージュを身につけたトド松を見て
    「トッティかわいーね!」
    と笑う兄の十四松の顔を見て、静かに脳裏に浮上した一つの情景。

    桜並木の下、一つ上の兄に背負われて微睡む自身と、前を歩く兄達。
    兄達は一様に缶ビールを手にしていた。
    今日この日みたいに、桜の花びらが風に乗ってヒラヒラと舞い散る季節だった。

    入学式の帰り道、
    「ねぇ…僕らって六つ子だったりした?」
    と、手を引いて歩くカラ松に尋ねたトド松は両親を随分と驚かせた。
    数年前に記憶を取り戻した十四松と大きく違っていたのは、
    トド松は十四松のように一気に大量の記憶が蘇らなかった事だ。
    最初はボンヤリと、かつての六つ子の兄弟だった、程度しか思い出さなかった。
    それから事あるごとに前世の記憶が少しずつトド松の中に蘇り
    その記憶はゆっくりゆっくりとトド松に溶け込んでいった。


    さて、そんなトド松だが前世は前世、今は今とこの現状を割り切って考えているようで
    両親がかつての兄弟だったという事実もさして問題視していない。
    幼さ故もあるかもしれないが、その辺はさすがのドライモンスターである。

    ト「あれ?スーパー行くんじゃないの?どこ向かってる??」
    一「今日はね、駅近くのショッピングモールまで行くよ。」
    ト「え、そうなの?何買うの?」
    一「トド松、友達のお誕生日会に呼ばれたんでしょ?
      プレゼントと、あとその時に着ていく服買いに行こ。」
    ト「え…!」

    確かに、先日トド松は仲良くなった友達のお誕生日会に招待されていた。
    その事を母である一松に伝えたのは昨日の事だ。
    プレゼントを用意しなければとは考えていたが、
    まさか一松がこうして先に動いてくれるとは思っていなかった。
    驚いて隣を歩く母を見上げるトド松の視線に気付き、
    更にその心情を察したのであろう一松は、いたずらっぽく笑った。

    一「今月ね、ヘルプ要請があってパート入ったりしてたから臨時収入があったの。
      だから少し余裕があるんだよ。男共には内緒、ね?」
    ト「…うん!ありがと、一松かあさん!!」

    今世で女性として生まれてきたのは、一松とトド松だけだ。
    トド松を特別可愛がって甘やかしているのはカラ松だが
    一松もこうして兄弟唯一の女の子であるトド松をちゃんと気にかけてくれているのがわかって
    トド松はなんだかくすぐったい気持ちになった。
    改めて、トド松はまじまじと一松を眺めてみる。
    一松は肩まである髪を右耳の横で淡い紫のシュシュで一つにまとめている。
    少しクセのある髪は緩くウェーブを描き、シュシュから零れ落ちた髪は
    歩く度にフワリと靡いていた。
    オフホワイトのタートルネックにシュシュと同じ淡い紫のカーディガン、下はロングスカート。
    こうして見てみると、どこからどう見てもイイ所の奥様だ。
    それなのに確かに六つ子の兄弟だった頃の面影も色濃く残っているのだから不思議だ。

    一「…トド松、どうかした?」
    ト「ううん、なんでもないよ。」
    一「そう…?」

    たどり着いたショッピングモールでメ●ピアノやポンポ○ットを物色し
    友達へのプレゼントと可愛い洋服を買ってもらったトド松は
    上機嫌で一松と並んで帰路についていた。

    ト「ねぇ、一松かあさんってさ、なんだかんだで
      僕に可愛い服とかアクセとか買ってくれるよね。」
    一「んー…?そう?たまにでしょ。」
    ト「そうだけど、なんか意外だなって。
      だって前世の『一松兄さん』はそういうの無頓着だったもん。」
    一「そりゃ、前世はね。」
    ト「今世はちがうの?」
    一「どーかなぁ…。
      僕はそこまで気にしないし、女子力とかもないけど。
      でもさ…ほら、トド松はせっかく可愛い女の子として生まれてきたんだもん。
      トド松は自分で勝手に女子力は磨くだろうから、
      その辺は放っておいても大丈夫だろうから心配してないんだけど。
      だから、僕は親としてその手助けくらいはするべきかなって思っただけ。」
    ト「…それで、可愛い服?」
    一「そう。嫌だった?」
    ト「ううん!嬉しい!!」
    一「なら良かった。」

    一松が自分の事を可愛い娘だと思ってくれていたことが素直に嬉しくて
    トド松は思わず顔を赤くした。
    そんなトド松を見て目を細める姿は母のそれなのに、
    確かにトド松がよく知る兄だ。
    本当に、今世はこの上なく面白い形で6人が揃ったものだとつくづく思う。

    ト「ねぇ、僕が大きくなっても、大人になっても
      またこうして一緒に買い物行ってくれる?」
    一「…トド松がいいなら、いいよ。」

    夕焼けが2つの長い影を作っていた。


    ーーー

    お粗末さまでした!
    #BL松 #カラ一 #転生 #女体化 ##転生カラ一

    ※非常に読む人を選ぶ文です。
    この作品は以下の要素を含みます。
    少しでも嫌悪感を感じましたら、今すぐブラウザバックをお願いいたします。
    ①転生パロです
    ②キャラの女体化、妊娠・出産の描写を含みます
     (一松とトド松が女の子)
    ③当然のようにキャラ崩壊
    ④書きたいところだけ書いてます

    ーーーーー

    1.

    いろいろあって結婚相手が前世で愛した兄弟だったり、
    生まれてきた息子が前世の兄弟だったりとトンデモナイ展開に見舞われたワケだが、
    そんな事実は何処吹く風、家庭内は至って平和で穏やかな日々が続いていた。
    今世では第1子長男となった十四松はちょっぴり泣き虫な、
    けれど明るく元気いっぱいな子にすくすく成長中だ。
    ただ今休日の昼下がり。
    今年で2歳になった十四松はカラ松と共に玩具のボールとバットを両手に抱えて外へと飛び出して行った。

    一松は2階にある夫婦の寝室で、先月生まれた娘の授乳中だった。
    2年前に十四松が生まれた時点である程度の覚悟はしていたが、
    第2子として誕生したこの娘、やはり何の因果か前世の兄弟だったのだ。
    今世は一松と同じく女の性を持って生まれた娘は大きめの瞳と
    可愛らしいアヒル口を持つ、かつての末弟トド松だ。
    ちなみに、生まれたばかりのトド松を見た瞬間

    「一松、どうしよう娘だ!
     娘ってだけでめちゃくちゃ可愛い!娘超可愛い!!
     きっと美人に育つんだろうな、ああああでも絶対お嫁になんて行かせない!
     彼氏なんて連れてきたら決闘だ!
     娘可愛い!!
     oh マイリトルスイートエンジェル!!」

    と、カラ松が若干キャラを見失いかけながらも、
    しかし安定のイタさとウザさで大興奮だった事もココにお伝えしておく。
    大層な大はしゃぎっぷりだったがこの男、もうそろそろ三十路に突入である。
    そんなカラ松を黙らせなければという前世から続く謎の義務感によって
    「うるせぇ黙れクソ松!」と一松が横っ腹に一発御見舞したのは言うまでもない。
    娘を構いたくて仕方ないカラ松が率先してトド松の世話を焼いてくれたため、
    一松は諸々楽する事ができたのでその辺は感謝しているが。
    ウザイものはどうにも殴って止めなければ気が済まないのである。
    普段キリリと上がった男らしい眉を下げながらトド松の世話を焼くカラ松を間近め見ていたせいか、
    十四松も妹を可愛がり、懸命にお兄ちゃんしようとしている様子は非常に微笑ましかった。

    授乳を終えた頃、遊びに出掛けていたカラ松と十四松が帰ってきた。
    玄関から微かに聞こえてくるカラ松の声に耳をすますと、
    どうやら十四松を連れて風呂場へ直行したようだ。
    きっとたくさん遊んで泥んこになって帰ってきたのだろう。
    そう考えながら、一松はトド松の背中をトントンと叩いてゲップを促す。

    しばらくしてトド松から「げぷっ」と声が聞こえたのと同時に、1階が何やら騒がしくなった。
    トド松もちゃんとゲップ出せたし丁度いいと思い、
    一松は母乳を飲み終えてウトウトしているトド松を腕に抱えて階段を降りた。
    リビングに足を踏み入れると

    カ「十四松!じゅうしまぁ~つ!
      ストップ!ストーップ!!待ちなさい!」
    十「あいあい!」
    カ「いや、止まれ!止まってくれ!!」
    十「あんしんしてください!はいてますよ!!」
    カ「いやいやいや、履いてない!何も履いてない!
      何も安心出来ないぞじゅうしまぁ~つ!!
      服来たら好きなだけ走っていいから!」

    一「…なんだコレ。」

    そこには生まれたてすっぽんぽん状態でキャッキャと走り回る十四松と、
    それを追い掛けるカラ松の姿があった。
    カラ松も十四松と一緒に汗を流したのだろう、バスローブ1枚羽織っただけだ。
    十四松は2歳児とは思えない身のこなしでカラ松の腕をすり抜け
    ちょこまかと楽しそうに逃げ回っている。
    楽しそうに逃げ回る2歳児と必死に追い掛ける三十路のバスローブ男性…実にシュールな光景である。
    クソほど頑丈なカラ松はどうでもいいが、
    まだ幼い十四松がこのまま湯冷めして風邪を引いてしまうのはいただけない。
    仕方なく、一松は助け舟を出すことにした。

    一「十四松、おいで。」
    十「あい!」

    一松が呼ぶと、十四松はパッと明るい笑顔を向けてこちらへ駆け寄ってきた。
    カラ松が「俺の苦労は一体…」と涙しているので、
    「外遊びとシャワーありがとね」と一応労いの言葉をかけておく。
    その一言で復活したカラ松に、こいつチョロ過ぎないかと
    一松は少し心配になったが、深く考えるのはやめておいた。
    折角シャワーを浴びたのに再び汗をかいてしまったカラ松から十四松の着替えを受け取ると、
    腕に抱えていたトド松をベビーベッドに下ろし、一松は十四松をささっと着替えさせた。

    一「十四松、次からはお風呂から出たらすぐに服着ような。」
    十「あい!」
    一「約束できる?」
    十「あい!やくそく!」
    一「ん、いい子。」
    カ「十四松、次から追いかけっこは服を着てからだぜ?アンダースタン?」
    十「あいあい!」
    カ「フッ…頼むぜ、我が息子よ。」

    カラ松と十四松の愉快な追いかけっこが一段落したところで、
    十四松が何かを思い出したように「そーだ!」と玄関へ駆けていった。
    一松は頭上にクエスチョンマークを浮かべているが、
    カラ松は思い当たることがあったらしい。
    程なくして十四松はパタパタと軽やかな足音を響かせて戻ってきた。

    十「ママ、これあげる!」
    一「ん…ありがと、十四松。…これ、どんぐり?」
    十「どんぐり!こうえんにね、いっぱいおちてた!」
    一「へー。たくさん拾ってきたね。」
    十「あい!これはママのぶんで、これはトッティのぶん!」
    一「…トッティ?」
    十「トッティ!トドまつー!」
    一「……そ、う。
      十四松、トド松の分もちゃんと拾ってきてくれたんだ。
      ありがとね。」
    十「えへへー」
    一「ところで何でトッティなの?」
    十「んー?んー…なんでかなぁ?わかんない!」

    チラリとカラ松の方を見ると、
    「俺が教えたワケじゃないぞ。気付けばこう呼んでたんだ。」
    と、眉尻を下げながら一松が聞こうとした事の答えを先回りして答えてくれた。
    "トッティ"はご存知トド松のあだ名だ。
    けれどカラ松も一松も今世のトド松を1度もそのあだ名で呼んだ事はない。
    因みに、一松に至っては十四松やトド松の前ではカラ松の事をクソ松呼ばわりしないようにしている。
    生後1ヶ月の、交友関係など当然築いていないトド松に、あだ名を付けるような友人はまだいない。
    つまり十四松が自分で呼び始めた事になる。
    前世の記憶があるのだろうかと思ったが、十四松の様子を見る限りそのような様子ではない。
    生まれ変わる前からこういった勘は野生並みだったから、
    本能で無意識にそのあだ名が出てきたのかもしれない。

    今思えば、この時に既に兆候は顕れていたのだ。

    ーーー

    そして月日は更に流れ、
    十四松は5歳に、トド松は3歳になった頃。

    ト「やあぁぁーーだああ!
      トドうさぎさんがいいのーーー!!」
    一「うん、気持ちはわかるんだけどね、
      ウサギさん今洗濯中なんだよ。
      アヒルさんとネコさんならあるよ?どっちがいい?」
    ト「ヤ!!うさぎさんっ!!」
    一「うーん、参ったな~。」

    朝の時間とは、即ち戦争の時間である。
    トド松はまだまだイヤイヤ期が抜けず、
    靴下選び1つとっても毎回のようにこんな調子だ。

    一「うーん、じゃあトド松。とりあえずジュース飲む?」
    ト「のむ~♪」

    こういう時は全く違う事に意識を向けさせてしまうに限る。
    一松の作戦が功を奏し、トド松はジュースで機嫌も直ったようだ。
    十四松のイヤイヤ期はそこまで激しくなかったが、トド松はどうにも自己主張が激しい。
    女の子は言語の発達が早いと言うが、確かに十四松と比べても言葉も達者である。
    ハイハイや歩き始めるのは十四松より大分ゆっくりだったが。

    一松がトド松に手を焼いている横では、カラ松がコーヒーを啜りつつ
    ご飯を頬張る十四松を見守っている。
    やがて朝ご飯を食べ終えた十四松が一松に飛び付いてきた。

    十「たべたー!ごちそうさまー!どぅーーん!!」
    一「うわっ」
    カ「十四松!ママのお腹には赤ちゃんがいるんだから
      ぶつかったらダメだと言っただろう?!」
    十「あ…!あい。ごめんなさい…。
      ママ、だいじょうぶ?」
    一「大丈夫、大丈夫。次から気をつけような。」
    十「あい!」

    十四松とはいえ、まだ身体が小さいしそこまで思い切りぶつかってきた
    ワケではないので、大したダメージではなかった。
    そう、現在一松は第3子を妊娠中だ。
    3人目はつわりも軽かったし、特に大きなトラブルもなく順調に育っている。
    ただ、胎動が激しい。
    お腹を蹴る力がやたらと強くて、一松は何度夜中に目を覚ましたか分からない。
    元気な証拠だと思って気にしないようにしているが。

    気付けば、十四松とトド松が一松のお腹にしがみついていた。

    一「2人ともどうした?赤ちゃん動いてる?」
    十「あいさつしてる!」
    ト「トドもあいさつ~♪」
    カ「はは、赤ちゃんは何か言ってるか?」
    ト「ぽんぽんけっけしてる!」
    一「うん、お腹蹴ってるね。あいさつしてるのかな。」
    十「………」
    一「…十四松?」

    一松の大きなお腹にしがみつき、耳をピタリと腹に当てたまま十四松は黙りこくってしまった。
    具合でも悪くなったのか、と危惧した一松が声をかけると、
    十四松は一松を見上げて二パッと笑った。
    具合が悪いわけではなさそうだ。
    その事にホッとしつつも、十四松の向ける笑顔が気になった。
    それは、一松もカラ松もとてもよく知る懐かしい笑顔で。

    一「十四松?」
    十「チョロまつにいさんだ」
    一「…え?!」
    十「いちまつかーさんのおなかにいるの、
      チョロまつにいさんだよ!」

    まだ5歳の幼い子供の声で、しかし十四松はしっかりとした口調でそう言った。
    カラ松と一松が思わず顔を見合わせる。
    トド松はわけが分からずキョトンとしていた。

    カ「十四松、お前…。」
    十「あはは!カラまつにいさんがおとーさんで、
      いちまつにいさんがおかーさんになってる!
      ぼく、こんどはちょうなんだ!すっげーね!!」
    一「十四松、思い出した…の…?!」
    十「うっす!おもいだしちゃった!
      マッスルマッスル!ハッスルハッスル!」

    カラ松と一松が再び顔を見合わせた。
    2人ともその目は驚愕に満ちている。
    カラ松も一松も前世の記憶があるのだから、将来子供たちにも記憶が蘇ることは十分に考えられた。
    トド松が生まれた時も、誰に教えられたわけでもなく「トッティ」と呼んだりしていたが。
    けれどまさか。
    まさか、こんなに早く十四松が前世を思い出すとは思ってもみなかったのだ。
    まだまだ幼い身体と心で、自身とは他の誰かの記憶を抱えるのはかなりの負担だ。
    カラ松も一松も記憶が戻ったのは成人後だが、それでも最初は大いに戸惑った。

    一「…カラ松、そろそろ出ないと時間ないよ。」
    カ「いや、だが…!」
    一「ひとまず十四松は僕が見ておくから。」
    カ「…分かった、頼んだぞ。
      何かあったらすぐに連絡してくれ。」
    一「ん。いってらっしゃい。」
    十「いってらっしゃーい!」
    ト「パパいってらっしゃーい!」
    カ「ああ、いってきます」

    カラ松を見送った後、一松は十四松に向き直った。
    見返してくる無邪気な目は、一松のよく知る六つ子の弟としての十四松の目だった。

    一「さっき思い出したの?」
    十「うん!さっき!」
    一「そっか…どこまで思い出した?」
    十「うーんとね、わりといろいろ!」
    一「いろいろ?」
    十「うん!
      ちいさいころは、いっつもぼくがなきべそかいてて、
      いちまつにいさんがぼくのうで、ひいててくれてたよね!
      ぼくら6にんで、いれかわってイタズラとかしてた!
      それから、カラまつにいさんとやねのうえでうたったり、
      いちまつにいさんとやきうしたりしたね!
      あ、トッティのバイトさきでパフェたべたり、
      プラスとマイナスになっちゃったり、
      ダヨーンのなかにすいこまれちゃったり、
      あとやきう!!」
    一「…そうだね。」
    十「えっとね、えっと…うぇ…い、ろいろ…ヒック、
      おぼえて、ぼく、おぼえてるっ!
      う、うぇぇぇ…!」
    一「十四松!」

    前世の記憶を必死で一松に伝えていた十四松は、限界がきたのか泣き出してしまった。
    一松が小さな十四松を抱きしめる。
    背中をトントンと優しく叩き、「大丈夫だから、大丈夫」と繰り返した。
    トド松が心配そうにこちらを見ている。
    大きな瞳は揺らいでいて、今にも涙が零れ落ちそうだ。

    ト「おにいちゃん、どうしたの?いたいの?」
    一「大丈夫、トド松もこっちおいで。」
    ト「おにいちゃん、トドがイイコイイコしてあげるね」
    十「ヒック…グスっ…うわあぁぁぁぁん!!」
    一「よしよし」
    ト「おにいちゃんイイコ、イイコ…
      なかないで…なか、な…ふぇっ…ぐすっ…」

    十四松の話を聞いた限り、この子はほとんどの記憶を取り戻している。
    幼い身体と心がそう容易く耐えられるわけがないのだ。
    大声を上げて泣き出した十四松につられてトド松も泣き出してしまい、
    そんな2人を一松はしばらくの間、ただただ抱きしめ続けていた。

    どれくらいそうしていただろうか。
    泣き疲れて眠ってしまった十四松とトド松をベッドに運び、
    十四松が通う幼稚園に今日は欠席する旨の連絡を済ませると、一松は深く溜息を吐いた。

    十四松、お前はお前だよ。
    お前の人生なんだ。前世の記憶に引っ張られる事なんてないんだよ。
    お前の好きにしていいんだよ。
    僕もカラ松も、今世の十四松が今世の十四松らしく生きていけることを願っている。
    そう、心で願った。



    やがて3人目が生まれた頃には、カラ松と一松の心配をよそに
    十四松はすっかり落ち着きを取り戻していた。
    幼い子供ながらに、前世の記憶を受け入れたようだ。
    元より前世の十四松は成人後もまるで無邪気な子供のような面があったためか、
    さほど大きな影響も出なかったらしい。
    それでも言動は少々大人びた。

    生まれた3人目は十四松が予言した通り、
    小さめの瞳にへの字口という紛れもなくチョロ松だった。
    前世でも今世でも3番目だ。
    超安産だった。すんなり生まれてくれてありがとう、さすがはチョロ松。

    一「そういえば十四松、どうしてチョロ松だってわかったの?」
    十「えーとね、こえがしたんだよ!」
    カ「声?」
    十「うん!いちまつかーさんのおなかに、みみをあてたらね、
      チョロまつにいさんのこえがしたの!
      それでね、いろいろおもいだしたんだよ!」
    一「そっかー。」
    カ「よくわからんが、お腹から聞こえたというチョロ松の声が
      十四松の記憶が戻るきっかけになったという事か?」
    一「たぶんそうだと思う…ってトド松!コラ叩いちゃダメ!」
    ト「ダメ?」
    一「ダメ!」

    トド松が目をキラキラさせながら一松の腕に抱かれて眠る生後1週間のチョロ松を覗き込み
    小さな額をペチペチと頻りに叩いている。
    止めろと言っても止める気配がない。
    この様子に、カラ松と一松は今世におけるトド松とチョロ松の関係性が見えた気がした。
    トド松は今世では女の子で「姉」だ。
    そしてチョロ松は今世では男の子で「弟」だ。
    弟とはどうやっても姉に勝つのは難しい。
    悲しいかなそういう生き物だ。

    (頑張れ、チョロ松。ご愁傷様、チョロ松…。)

    カラ松と一松は目が合うと思わず同時に苦笑いを浮かべたのだった。

    ーーーーー

    2.

    しつこいようだが、朝とは即ち戦いの時間である。
    それに拍車をかけたのは、間違いなく前世における我らが六つ子の長男にして、
    今世では末っ子として生まれてきたおそ松の存在だ。
    今年で小学校に上がる十四松は食事も着替えも自分のことは自分でできるようになり、
    尚且つトド松やチョロ松の面倒を見てくれるようになった。
    今年で年中のトド松はそんな兄の十四松にベッタリで、最近では
    「ぼく、おおきくなったらじゅーしまつおにーちゃんとけっこんする!」
    と宣言するくらいのブラコンっぷりだ。
    完全なる余談だが、
    「そこは『大きくなったらパパと結婚する』が定番じゃないのか…」
    と、唯一の娘であるトド松を特に可愛がっているカラ松が拗ねて一松に冷めた目で見られ、
    十四松に「ドンマイ、カラまつとーさん」と頭を撫でられていたりした。
    2歳になったチョロ松はトド松のように口達者にわがままは言わないものの、とにかくじっとしていない。
    しかも逃げ足が早いので片時も目を離すことができない。
    そして、生後半年に突入した末っ子おそ松は、とにかくやかましい。
    少しでも一松が傍を離れると、たちまち大声で泣きわめく。
    そんなワケで、一松がトド松やチョロ松に朝ご飯を食べさせたり着替えさせたりする時は、
    いつもおそ松のぎゃーぎゃー喚く泣き声がBGMだった。
    それに対してチョロ松が幼児特有の甲高い声で
    「うるせぇぇぇ!!」
    と怒鳴るものだから更にギャン泣きが悪化するという負のスパイラルである。
    ちなみに、そんなおそ松だがカラ松が抱っこしても泣き止まないのだから困ったものだ。
    どうやら一松でないとダメらしい。
    十四松もトド松もチョロ松もそんな事はなかったというのに
    何故おそ松だけ懐いてくれないのか。
    不可解だ。実に不可解だ。
    そんなに俺が父親なのが気に食わないかおそ松このやろう。

    思えば、おそ松は一松のお腹に宿った時からすでに大変手の掛かる子であった。
    妊娠初期には今までで一番重たいつわりに悩まされ、
    ついには一松は水さえ飲むことができずに入院する羽目になり
    しかも重たいつわりは安定期に入っても中々治まってくれなかったし。
    安定期に入ると度々一松はお腹の張りを訴え、
    切迫早産で絶対安静を強いられ再び入院する羽目になり。
    やっと後期に入ったと思ったら今度は逆児が判明したため
    4人目にして初めて一松は逆児体操をしていたのだが、
    努力の甲斐も虚しく逆児は結局直らず。
    それに加えてどうやら胎盤の位置が産道を妨げていたらしく、早々に帝王切開が決定した。
    カラ松は不安がったが、
    「母子共に最も命に危険がない方法だ」
    と医師から説明され、頷くしかなかった。
    一松は自分の腹を切開するどうこうよりも
    「じゃぁ逆児体操する意味なかったんじゃないの」
    とそちらの方をブツクサ文句を言っていた。
    カラ松が一松に「不安じゃないのか」と聞くと
    「え?別にいいよ、だってお腹の子の命が最優先でしょ」とケロッと返された。
    もちろん、一松にも不安が全くなかったわけではないのだろうが
    母は強し。とこの時ほど痛感した日はない。
    帝王切開することが決まっているため、生まれる日も決まっているはずだったのだが
    薬を服用してもお腹の張りが治まらず
    結局予定日よりも2ヶ月以上早く陣痛が始まってしまい
    更には出血が酷かったため、救急車で担ぎ込まれた一松は緊急帝王切開となり
    おそ松は未熟児のラインをギリギリクリアする小ささでなんとか無事に生まれてきた。
    それでも生後3日間は保育器の中だったため、随分心配させたものだ。

    おそ松が生まれた直後の会話を思い出す。

    カ「今回は本当に大変だったな…一松、本当にお疲れ。」
    一「本当に大変だったよ…。
      カラ松も僕が入院してる間わざわざ会社休んで
      十四松たちの面倒見ててくれてありがと。」
    カ「当然だろう!
      俺に出来る事と言ったらそのくらいしかなかったしな。
      …身体の調子どうだ?」
    一「めっちゃお腹痛い…全然身体動かせないヤバイ。
      はぁ…まだお腹にいた方がいい時期だったのに…
      …可哀想なことしちゃった。」
    カ「そうか。…無理するなよ。
      それに、おそ松が待ちきれなくて早く出てきてしまっただけだ。
      一松がその事に責任を感じることはないぞ。
      家の事は気にしないでいいからな。お義母さんも来てくれてるし。」
    一「ん。…それにしても本当に、随分とせっかちだったね、おそ松兄さん。」
    カ「一番最後だったからな。待ちくたびれたんじゃないか?」
    一「おそ松兄さんってばどんだけ構ってちゃんなんだよって話だよね…。
      本当散っ々な目に遭わせてくれたよね。
      そんなに僕の股から出てくるのが嫌だったのかな。
      てめぇの腹かっ開けってか…ヒヒ…あ、ヤバお腹痛い。イタタタ…。」
    カ「だっ大丈夫か一松!いろんな意味で!!」
    一「大丈夫なワケあるかボケころすぞ」
    カ「ヒッすいません!」

    一松は若干の闇オーラを発していたが、妊娠中に散々大変な思いをしていたのは
    間近で見ていて十分に知っていたため何も言えなかった。
    少しくらい愚痴がこぼれても仕方あるまい。
    お腹の中にいた時から構ってちゃんだったおそ松は、生まれてからもやはり構ってちゃんだった。

    ーーー

    カラ松が帰宅する頃には子供達は既に夢の中だ。
    手の掛かるおそ松も、今のところまだ夜泣きは始まっておらず夜は比較的ぐっすり眠ってくれていた。
    リビングに入ると、テーブルにはラップのかけられた1人分の夕食が置かれている。
    ネクタイを解きながら、それをレンジに入れて温めていると、2階から一松が降りてきた。
    玄関が開く音が聞こえたのだろう。

    一「おかえり。」
    カ「ああ、ただいま。」

    キッチンへ引っ込んだ一松は、温かいお茶を持って戻ってきた。
    その手に湯呑みは2つ。
    どうやら一松もここで一休みするらしい。
    夕飯を咀嚼しつつ、カラ松は向かいに腰掛けた一松に話しかけた。

    カ「毎日お疲れ様だな。」
    一「ん。まぁ確かに毎日戦争だよね。でもまぁ、意外となんとかなるモンだね…。」
    カ「一松は何気に要領がいいからな。」
    一「…そっちこそ、毎日…仕事、お疲れ。」
    カ「ああ、ありがとう!大切な家族のためだからな。愛してるぞ一松!」
    一「うるせぇ黙れ。」
    カ「何で?!」

    ドスのきいた一松の声に一瞬怯んだが、照れ隠しだと理解しているカラ松は後ろから一松を抱きすくめた。
    肩口に顔を埋め、腕にぎゅうと力を込めると、「痛いわ馬鹿力が」と一松から抗議の声が上がった。
    その言葉に多少腕の力は緩めたものの、開放するつもりはない。
    微かに石鹸とシャンプーの柔らかな香りがした。

    カ「一松。」
    一「…なに、どうしたの。」
    カ「いや、最近ご無沙汰だと思ってな…。」
    一「な、お、お前な…!」

    悪態をつきながらも、顔を背けた一松の頬が朱色に染まったのを見逃さなかったカラ松は
    耳元でいつもより低い声で囁いた。
    前世も今世も、一松はどうやらカラ松の声に弱いらしい事はなんとなく解っている。

    カ「…一松。」
    一「~~~っ!」
    カ「なぁ、一松…いいだろ?」

    一「…………ん。いい、よ。」

    耳まで赤くした一松にフ、と笑みを零し、
    後ろから抱きしめた体制のまま一松の頬に手を添え、口付けようとしたその時、

    お「うあ゛ああああぁぁぁん!」

    一「え、あっ、おそ松起きた…?!」
    カ「Why?!何で今日に限って夜中に目を覚ますんだおそ松!!」
    一「まあ、仕方ないね。」
    カ「くっ…まさか我が聖なる領域の中に俺達の甘美な夜の邪魔する者がいようとは…!」
    一「はいはい、拗ねない拗ねない。」

    明らかにブスくれているカラ松の頭を、まるで子供をあやすようにポンポンと撫でた一松は
    カラ松の腕からするりと抜け出し、幼い我が子の元へ向かった。
    階段を上りながら「ついに夜泣きが始まったかなー?」なんて呑気に呟いている。
    小さな子がいるのだから仕方ない。
    仕方ないのは、カラ松も頭では理解している。
    しているのだが…。

    (邪魔したようにしか見えないぞ、兄貴…!いや、マイサンおそ松!!)

    高ぶっていた気持ちを何とか沈めようと、カラ松は深く溜息を吐いて
    ダイニングテーブルに置かれた椅子に腰掛けた。
    そういえば、まだ夕食を食べていなかった。
    一度温めていたが、すっかり冷めてしまっている。
    かといって温め直すのも億劫だったため、このまま箸を取った。
    冷めても美味しいし、問題ない。

    黙々と咀嚼を繰り返していると、泣き声がこちらに近づいてきた。
    扉に目を向けていると、泣き喚くおそ松を腕に抱いた一松が顔を出した。
    なかなか泣き止まないので下に連れてきたようだ。

    一「おそ松は1回泣き出すと泣き止まないねぇ…。」
    カ「いつも思うんだが、おそ松の泣き方って兄弟で一番やかましいな。」
    一「だね。
      声が大きいのは十四松だけど、泣き声はそこまで酷くなかったし。
      てゆーか、十四松はよく笑いよく寝る子だったから。」
    カ「トド松は女の子なだけあって泣き方も可愛らしかったしな。」
    一「チョロ松はギャーギャー喚くような泣き方じゃなかったしね。」
    カ「…おそ松は生まれ変わっても構ってちゃんか。
      今世では俺がその根性叩き直してやる。」
    一「カラ松っておそ松兄さんには容赦ないよね。
      今世のおそ松くんはまだ赤ちゃんだからね?」
    カ「もちろん、それはわかっているぞ!」

    かといって、久々の夫婦の甘い時間を邪魔された恨みは消えないのだが。
    これが他の…チョロ松か十四松かトド松だったら仕方ない、で済ませてしまえただろうに
    やはりカラ松はおそ松には幾分容赦がない。

    一「カラ松。」
    カ「…うん?」
    一「続きは…また、今度。…ね?」
    カ「……っ!ああ!!」

    続きを再開出来たのは、それから半月後だった。

    ーーーーー


    オマケ1
    最初の言葉


    一「初めて喋った言葉?」
    十「うん!学校の宿題でね、出されたんだ!」

    この春から小学校6年生となった十四松がそんな事を聞いてきたのは、休日の昼食後のことだった。
    ちなみにトド松は小学校4年生、チョロ松が小学校1年生、おそ松が幼稚園の年中さんだ。
    どうやら、6年生となった今年は幼い頃の自分を振り返るような授業があるらしく、
    小さい頃の写真やら思い出話を両親から聞いてくるように言われたらしい。

    一「十四松が最初に喋ったのは、確か『ママ』だったかな。」
    十「ママ!ぼく初めて話した言葉は『ママ』っすか!」
    一「うん。」
    ト「ねぇねぇ、トドはトドはー?」
    一「トド松?…トド松は『パパ』だったね。」
    ト「えぇー?!」
    カ「えっ…何か不満か?!」
    一「十四松が最初に『ママ』だったからね…
      カラ松ってばトド松は絶対最初にパパって呼んでもらう!
      って躍起になってたから。」
    カ「フッ…毎日『パパ』って囁いた甲斐があったぜ…!」
    ト「何それイッタイよねぇー!
      ってコトは言わされたんじゃん!
      ぼくも十四松兄さんとおそろいでママがよかったー!」
    カ「何故だトド松…!」
    チ「かあさん、じゃあぼくは?」
    十「あ、ぼくチョロ松の最初の言葉覚えてるよ!
      『まんま』って言ってた!」
    チ「そーなの?」
    カ「ああ、そうだったな。」
    一「十四松が「チョロまんまだよー」って
      チョロ松によくご飯食べさせたりしてくれてたからね。
      十四松の真似して言ったのかな。」
    チ「そーなんだ。」
    お「じゃあおれはー?おれおれ!!」
    カ「あー…おそ松は…」
    お「?」

    カラ松は気まずそうに視線を泳がせてから一松の方を向いた。
    が、一松はそんなカラ松の視線にも動じることはなく。

    一「『おっぱい』」
    お「ん?」
    一「だから、『おっぱい』
      おそ松が最初に喋った言葉。」
    お「おっぱい?」
    一「うん。」
    お「なんで?」
    一「さあ?」
    お「まじウケる!!」
    一「そらコッチの台詞だ。」
    カ「んんん?コッチの台詞なのか?!」

    気付けば十四松の宿題に関係なく、兄弟の最初の言葉の話になっていた。
    宿題をしなければならない十四松本人はというと
    特にそれに気にする様子もなく、兄弟の話を聞きながら楽しそうだ。

    ト「プフッ…おそ松『おっぱい』とか!」
    チ「おそ松おまえ…」
    お「なんだよーいいじゃんかー!」
    十「えー?おそ松らしくていいと思うよー?
      まじウケるね!」

    新生松野家は本日も騒がしい。

    ーーーーー

    オマケ2
    母と娘のお買い物


    一「トド松、買い物行くから手伝って。」
    ト「はーい。」

    夕方、パートから帰ってきた一松はリビングでくつろいでいたトド松に声をかけた。
    スーパーの卵特売お一人様1パックまで、だとか
    野菜ジュース箱売りお一人様1箱まで、だとか
    そういった特売には母によって子供達が駆り出されるのはどこの家庭でも同じだろう。
    トド松も、今日はそういう特売があるのだろうと特に疑問も持たずに返事をした。
    素直についてけば、この母は自分の好きなおやつを買ってくれるし
    別にそうでなくても買い物に出かけるくらいなんてことない。
    それに、一松と2人で出掛けるのが密かにトド松は好きだった。


    トド松に前世の記憶が蘇ったのは小学校に上がった頃だ。
    桜舞い散る入学式の日、淡い桃色のワンピースに白のボレロを纏い
    胸元にはピンク色のバラのコサージュを身につけたトド松を見て
    「トッティかわいーね!」
    と笑う兄の十四松の顔を見て、静かに脳裏に浮上した一つの情景。

    桜並木の下、一つ上の兄に背負われて微睡む自身と、前を歩く兄達。
    兄達は一様に缶ビールを手にしていた。
    今日この日みたいに、桜の花びらが風に乗ってヒラヒラと舞い散る季節だった。

    入学式の帰り道、
    「ねぇ…僕らって六つ子だったりした?」
    と、手を引いて歩くカラ松に尋ねたトド松は両親を随分と驚かせた。
    数年前に記憶を取り戻した十四松と大きく違っていたのは、
    トド松は十四松のように一気に大量の記憶が蘇らなかった事だ。
    最初はボンヤリと、かつての六つ子の兄弟だった、程度しか思い出さなかった。
    それから事あるごとに前世の記憶が少しずつトド松の中に蘇り
    その記憶はゆっくりゆっくりとトド松に溶け込んでいった。


    さて、そんなトド松だが前世は前世、今は今とこの現状を割り切って考えているようで
    両親がかつての兄弟だったという事実もさして問題視していない。
    幼さ故もあるかもしれないが、その辺はさすがのドライモンスターである。

    ト「あれ?スーパー行くんじゃないの?どこ向かってる??」
    一「今日はね、駅近くのショッピングモールまで行くよ。」
    ト「え、そうなの?何買うの?」
    一「トド松、友達のお誕生日会に呼ばれたんでしょ?
      プレゼントと、あとその時に着ていく服買いに行こ。」
    ト「え…!」

    確かに、先日トド松は仲良くなった友達のお誕生日会に招待されていた。
    その事を母である一松に伝えたのは昨日の事だ。
    プレゼントを用意しなければとは考えていたが、
    まさか一松がこうして先に動いてくれるとは思っていなかった。
    驚いて隣を歩く母を見上げるトド松の視線に気付き、
    更にその心情を察したのであろう一松は、いたずらっぽく笑った。

    一「今月ね、ヘルプ要請があってパート入ったりしてたから臨時収入があったの。
      だから少し余裕があるんだよ。男共には内緒、ね?」
    ト「…うん!ありがと、一松かあさん!!」

    今世で女性として生まれてきたのは、一松とトド松だけだ。
    トド松を特別可愛がって甘やかしているのはカラ松だが
    一松もこうして兄弟唯一の女の子であるトド松をちゃんと気にかけてくれているのがわかって
    トド松はなんだかくすぐったい気持ちになった。
    改めて、トド松はまじまじと一松を眺めてみる。
    一松は肩まである髪を右耳の横で淡い紫のシュシュで一つにまとめている。
    少しクセのある髪は緩くウェーブを描き、シュシュから零れ落ちた髪は
    歩く度にフワリと靡いていた。
    オフホワイトのタートルネックにシュシュと同じ淡い紫のカーディガン、下はロングスカート。
    こうして見てみると、どこからどう見てもイイ所の奥様だ。
    それなのに確かに六つ子の兄弟だった頃の面影も色濃く残っているのだから不思議だ。

    一「…トド松、どうかした?」
    ト「ううん、なんでもないよ。」
    一「そう…?」

    たどり着いたショッピングモールでメ●ピアノやポンポ○ットを物色し
    友達へのプレゼントと可愛い洋服を買ってもらったトド松は
    上機嫌で一松と並んで帰路についていた。

    ト「ねぇ、一松かあさんってさ、なんだかんだで
      僕に可愛い服とかアクセとか買ってくれるよね。」
    一「んー…?そう?たまにでしょ。」
    ト「そうだけど、なんか意外だなって。
      だって前世の『一松兄さん』はそういうの無頓着だったもん。」
    一「そりゃ、前世はね。」
    ト「今世はちがうの?」
    一「どーかなぁ…。
      僕はそこまで気にしないし、女子力とかもないけど。
      でもさ…ほら、トド松はせっかく可愛い女の子として生まれてきたんだもん。
      トド松は自分で勝手に女子力は磨くだろうから、
      その辺は放っておいても大丈夫だろうから心配してないんだけど。
      だから、僕は親としてその手助けくらいはするべきかなって思っただけ。」
    ト「…それで、可愛い服?」
    一「そう。嫌だった?」
    ト「ううん!嬉しい!!」
    一「なら良かった。」

    一松が自分の事を可愛い娘だと思ってくれていたことが素直に嬉しくて
    トド松は思わず顔を赤くした。
    そんなトド松を見て目を細める姿は母のそれなのに、
    確かにトド松がよく知る兄だ。
    本当に、今世はこの上なく面白い形で6人が揃ったものだとつくづく思う。

    ト「ねぇ、僕が大きくなっても、大人になっても
      またこうして一緒に買い物行ってくれる?」
    一「…トド松がいいなら、いいよ。」

    夕焼けが2つの長い影を作っていた。


    ーーー

    お粗末さまでした!
    焼きナス
  • 【カラ一】この度夫婦になりました #BL松 #カラ一 #転生 #女体化 ##転生カラ一

    ※非常に読む人を選ぶ文です。

    この作品は以下の要素を含みます。
    少しでも嫌悪感を感じましたら、今すぐブラウザバックをお願いいたします。
    ①転生パロです
    ②キャラの女体化、妊娠・出産の描写を含みます
    ③当然のようにキャラ崩壊
    ④書きたいところだけ書いてます

    ーーーーー

    1.


    (なぁ、一松…その、俺は…お前のことが…)

    ………



    ああ、またこの夢だ。



    スマホにセットしたアラーム音が鳴り響く。
    時刻は午前6時過ぎ。
    目覚めは最悪だ。

    一人暮らしのワンルーム。
    家具は必要最低限しかない簡素な部屋だ。
    アラームを止めてのそりと起き上がり
    寝ぼけ眼のままトースターに食パンを突っ込むと顔を洗いに洗面台へ向かった。
    顔を洗い、寝癖を直して部屋に戻るとトースターがチン、と軽快な音を立てた。
    程よく焼けたトーストを皿に移してローテーブルに置き、コップに牛乳を注いでテレビをつけた。
    テレビから流れる朝のニュースを流し見しながらトーストを齧り、
    食べ終わったら歯を磨いて着替えて家を出る。
    これがここ数年の松野カラ松のルーチンワークだ。
    就職を機に一人暮らしを始めて早5年。
    それなりの企業でそれなりの成績を上げているし、友人もいる。
    充実した日々を送っているはずだ。
    だが最近、カラ松にはある悩みがあった。

    夢を見るのだ。

    夢の中で、自分は誰かに想いを伝えようとしている。
    けれどそれは結局最後まで伝えられずに目が覚める。
    最初にこの夢を見たのは中学生の頃だった。
    それからというもの、ふとした時に思い出したように同じ夢を見る。
    夢の中で、カラ松は一松という人物に想いを告げようとしていた。
    わかっているのは一松という名前だけだ。
    夢の中で相手の顔をしっかりと見ているはずなのに、
    目が覚めるとその顔は途端にボヤけて思い出せなくなる。
    それなのに、相手を想う切なく胸が締め付けられるような気持ちは目覚める度に胸に残る。
    この夢から覚めた後は、いつもどうしようもない虚無感に襲われた。
    いっそ泣き出したい程に、確かに夢の中でカラ松は一松という人物を愛していた。

    さて、松野カラ松は容姿は悪くはない方だ。
    それなりの企業に勤めているし、今はそれなりの立場になった。
    言い寄ってくる女性も決して少なくないし、何人かと付き合ったことだってあった。
    しかし、どれもこれも全く長続きしなかったのである。
    興味がない訳ではない。
    恋人を作っていつか結婚して平凡な家庭を持ちたい、という思いがない訳でもない。
    自分を好きだと言ってくれた愛らしく可憐な女性と並んで歩き、
    少し高めのレストランで食事をして、ホテルで甘い時間を過ごして。
    ところがそうして愛の言葉を囁いた時に、脳裏にいつも一松のことが過ぎるのだ。
    どんな美女を相手にしても、いい感じの雰囲気になってきたところで毎回一松の事を思い出してしまう。
    そんなわけで、結局目の前の女性とそれ以上付き合うことが出来ず、呆気なく破局を迎えてしまう。
    それもこれもあの夢のせいだ。
    そもそも一松は実在するのかどうかも定かではない。
    それなのに、カラ松は一松に恋をしていてその影を追っている。
    夢を見る度に実際に会ったことすらない一松に惹かれていく自分自身に気付き、
    カラ松は己の救えなさに溜め息を吐いた。
    胸中に燻る虚しさや寂しさを紛らわそうと、何度か女性と関係を持ったが、
    こんな調子で返って逆効果だと気付き、もうここ最近は一切女性と関係は持っていない。
    どうかしている。
    夢の中の、それも姿を思い出せない相手に恋慕するなんて。
    しかし日毎増していくその想いをどうすることもできず、ただただ翻弄されるばかりだった。

    ーーー

    土曜日。
    完全週休二日制の会社のため、ありがたく休日を謳歌するカラ松はベッドの中で惰眠を貪っていた。
    今日はアラームに起こされることもない。
    日はとうに空高く昇っているが、そんな事はお構いなしに夢心地で微睡んでいた。
    が、
    そんなささやかな幸せの時間を破るようにスマホから着信音が鳴り響いた。
    予期せぬ着信に無理やり起こされたカラ松は眉間に皺を寄せ、寝ぼけ眼のまま手を伸ばしスマホを手に取った。
    相手を確認すると自分の母親の名前が表示されていた。
    その事により一層顔を顰める。
    正直無視したくて仕方ないのだが、そうすると後々もっと面倒な事になるのはこれまでの経験則で分かっている。
    カラ松は目を擦りつつ、渋々通話ボタンをタップしてスマホを耳に押し当てた。

    「…もしもし。」
    『もしもし、なんだか声が擦れてるわね。まさかさっきまで寝てたの?』
    「寝てたぞ…今日休日だからな。」
    『あらそう。ちゃんと食べてるの?次のお盆休みには帰って来なさいね?』
    「…ああ。」
    『ところで、来週の日曜日は空けておきなさいね。』
    「…え、何でだ?」
    『父さんがね、お見合い話を持ってきたのよ。何でも得意先の方のお嬢さんなんだとかで。』
    「は?!お見合い?誰が?!」
    『アンタに決まってるでしょ!断ることもできなかったみたいだし、
     父さんの顔を立てると思って、頼むわよ。
     いい加減アンタもそういうの考えてもいいんじゃないの。』
    「え、ちょ…」
    『それじゃ、来週日曜日に赤塚ホテルよ、ちゃんとしたスーツで来なさいね。』
    「いや、待っ」ブツッ

    ツー…ツー…ツー…

    「……嘘だろ。」

    まるで突然の嵐に見舞われたかのようだった。
    全く口を挟む間もなく、一方的に約束を取り付けた母はさっさと通話を切ってしまい、
    後に残るのは呆然としたカラ松の呟きと無機質な機械音のみ。
    唐突に告げられたお見合いの話は、カラ松の心に重くのしかかるばかりであった。
    今までも女性に対して散々な態度しか取れなかったのだ。
    ましてやお見合いだなんて無理に決まっている。
    相手には悪いが、適当に顔だけ合わせて理由を付けて断ってしまおう。
    その方がきっと幸せだ。
    自分にとっても、お見合い相手の女性にとっても。
    カラ松は今日何度目かの溜め息を吐いた。

    ーーー

    迎えた日曜日。
    薄く縦のストライプ模様が入ったスーツにパステルブルーのワイシャツを着たカラ松は、ホテルのロビーに佇んでいた。
    その表情は明らかに沈んでいる。
    表情が冴えない理由は乗り気でないお見合いをしなければならないだけではない。
    今朝またしてもあの夢を見たのだ。
    よりによってお見合いをする今日、見てしまったのだ。
    夢の中で、やっぱり自分は一松という人物に恋焦がれていて、その想いを伝えようとしていた。
    けれど、やはり最後まで想いを口にするのは叶わなかった。
    ただ、いつもと違って一松の姿は少しだけ記憶に残っている。
    ボンヤリとはしているが、確か瞳が深い紫色をしていた。
    瞳の色を覚えていたのは今日が初めてだ。
    それだけで胸の高鳴りを覚えたが、同時にまだ顔も見ていないお見合い相手に罪悪感も感じた。

    久々に会った両親と合流し、ホテルの一階に設けられた上品な装いの和食のレストランの個室に通され、
    相手方を待つことになった。
    憂鬱だ。
    早くこの時間を終えてしまいたい。
    カラ松は俯いてただただ時間が過ぎるのを待っていた。

    しばらく続いた沈黙を破り、個室の襖が開いた。
    反射的に顔を上げたカラ松は、相手女性の顔を見て思わず目を見開いた。

    (一松…?!)

    もう何年も夢の中で恋をしてきた相手。
    顔すらまともに覚えていないのに、何故かそう確信した。

    一松だ、やっと会えた!
    ずっとずっと君を探し求めていたんだ!

    心が、そう叫んでいるようだった。

    薄紫の振袖を身に纏った目の前の女性は、伏し目がちな深い紫色の瞳でカラ松を一瞥すると、
    何も言わずに静かに腰を下ろした。
    凛とした、けれどどこか色香を感じる人だと思った。
    互いの父親が決まり文句を並べた挨拶を交わしているが、それを遮ってカラ松は声を張り上げた。

    「結婚してください!」

    伏して半目状態になっていた振袖女性の目が驚愕でぱっちりと見開かれた。
    カラ松と一松の視線が交わった。

    視線がかち合ったその瞬間、世界が停止した。

    ………



    (なぁ、一松…その、俺は…お前のことが…)

    それを告げたのは確か家に2人きりの夕方だった。
    桜が咲き始め、日中の陽射しが暖かくなってきたものの夜はまだ冷え込む、そんな時期。
    長男はパチンコへ、三男はアイドルのイベントへ、五男と六男は連れ立って何処かへ遊びにそれぞれ出掛けていて、
    家には2人きり。
    お互い自由に家の中で過ごしていたが、チラリと窓際へ目をやると
    壁にもたれ掛かって微睡む一松の姿が目に入った。
    夕陽が一松の白い頬を照らし、窓から入り込む風で柔らかな髪をフワリと靡いた。
    一体どこからやってきたのか、窓から桜の花弁が一片ヒラリと舞い込み、一松の髪に乗った。
    その姿が、とてもとても綺麗に見えて息を呑んだ。

    カラ松は一松に…2つ下の一卵性の兄弟に恋をしていた。

    『一松。』
    『…何。』
    『なあ、一松…その、俺は…』
    『…どうかしたの。』
    『俺は、お前のことが好きだ』
    『……………え。』
    『突然すまない…だが、好きなんだ、一松のことが。』
    『ちょ、ちょっと待って』
    『一松…。』
    『待てってば!』

    一松の瞳に戸惑いの色が浮かんだのがわかった。
    カラ松にやけにキツくあたる一松の鋭い眼差しを直に受け止める度に
    一松がここまで横暴に自身を曝け出せる相手は自分だけなのだと歪んだ優越感を覚えた。
    同時に、その強気な顔を自分の手で歪めてやりたいと、
    その気怠げな目をドロドロに溶かして泣かせてやりたいと、薄暗い欲望が胸を擽った。
    一松もカラ松にキツく当たり散らしながらも、どこかカラ松のことを特別に見ていたことも察していた。
    自分と同じように、一松がカラ松の事を無意識のうちに目で追っているのをカラ松が見逃さないはずがなかった。
    世間一般から見れば到底赦されることのない想いだ。
    報われてはいけない想いだという事はカラ松も一松も十分に理解していた。
    しかし考えてみれば自分達はとうに世間からはじかれている者同士だ。
    そこに更なる不毛を重ねたとて、大して問題ではない。
    カラ松は単純にそう考えていた。

    『…俺は…俺、は…カラ松に応えることは…できない…』
    『何故だ?俺のことは嫌いか?』
    『そ、そうじゃない…!』
    『ならどうして?』
    『あ…アンタはさ、ちゃんといい人を見つけて、結婚して…子供を作って…
     平凡で幸せな家庭を築く方が、似合ってるよ…。
     こんなクズを相手にして…人生を棒に振ることない…。』
    『一松!!』
    『ヒッ…!』
    『…あ、すまない。怖がらせるつもりはなかったんだ。
    なあ、俺は一松と幸せになりたいんだ。一松は俺じゃダメなのか?』
    『俺、は…』

    ……………



    そうだ。
    同性で、実の弟で、しかも一卵性の兄弟という不毛でしかない相手に恋心を抱いていた。
    いつも夢に見ていたあの告白の場面の続きを不意に思い出したのを皮切りに
    脳内に次々と記憶が溢れかえってきた。
    松野カラ松であって、今の松野カラ松ではない、これは前世の記憶なのだと直感的に理解した。
    何故このタイミングで前世の記憶が蘇ったのか。
    十中八九、目の前に座るお見合い相手の女性が原因なのだろう。
    今目の前にいる女性が一松の生まれ変わりなのだ。
    根拠などないが、何故かそう確信できる。
    目が合った途端に見えた先程の白昼夢が、きっとその証明だ。

    脳内の洪水が収まり、カラ松がハッとして現実に帰ると、どうやら自分が声を張り上げてから
    そこまで時間は経っていないらしく、自身の声の余韻が個室から消え去ろうとしている程度だった。
    互いの両親は何事かと呆然としている。
    深い紫を称えるその瞳は、カラ松の突然の言葉に驚いていたものの、すぐにまた細められ、そして妖艶に笑った。
    紅が乗せられた艶やかな唇が開き、静かに言葉が紡がれた。

    「私でよろしければ、謹んでお受け致します。」

    今度こそ完全に置いてけぼりとなった両親を尻目に、お付き合い0日で2人は婚姻を約束した。

    ーーーーー

    2.

    正直、面倒でしかなかった。
    真面目ないい子に育った一松は、それなりに恵まれた人生を歩んできた。
    生まれつき少々身体が弱く、幼い頃は幾度となく入退院を繰り返したものの
    大人になるにつれそれも落ち着いてきた。
    両親に愛情を注がれ、器量の良いお嬢様として何不自由ない暮らしをしてきた。
    それなのに。
    それなのに、時折襲ってくるどうしようもない寂しさと苦しさは一体何なのだろうか。

    最初に気付いたのは中学生の頃だった。
    成績優秀、眉目秀麗、クールな性格だが病弱でいかにも庇護欲をそそる松野一松は
    学校では高嶺の花と云うべきポジションにいた。
    無論、目立つ事が苦手な一松にとってそれは決して本人が望んだポジションではない。
    それでも毎月、毎週のように男子から告白を受けていた。
    しかし、一松がそれに応えることは今までに一度たりともなかった。
    自分でも上手く説明できないのだが、言い寄る男子を見て、「この人は違う」と思ってしまうのだ。
    別に白馬の王子様を夢見ているわけでもないし、理想が高過ぎるわけでもない。
    それなのに「違う」と直感的に思ってしまう。
    一度そう思ってしまうともう受け入れる事なんて一松にはできなかった。
    そうして告白を断り続ける一松の姿は、益々高嶺の花に拍車をかけ、
    何としてでも落とそうとする不貞な輩もちらほら現れたものの、
    ついに学生時代に誰とも付き合うことなく成人を迎えた。
    告白を断る度に己を蝕む虚無感と泣き出したくなるような寂しさ。
    違う、この人じゃない。
    あの人でないとダメなんだ。
    まるで頭のどこかでもう1人の自分がそう叫んでいるようだった。
    あの人が一体誰の事なのか、一松自身にもわからない。
    わからないが、一松はいつも心のどこかで自分でもよくわからない"あの人"を探し求めていた。

    突然お見合いをさせられる事になったのは、大学を卒業して間もない頃だった。
    いつまでもこんな調子の一松を両親が気にして、どうやら強行に出たらしい。
    一度こういう事を体験しておけば、気が変わるかもしれないわよ、とは母の言葉だ。
    聞くところによると、相手は5つ年上のなかなかの企業に勤める人らしい。
    こちらの都合はお構いなしのまま、あれよあれよと事が運び、気付けば着付けも済まされていた。
    両親に気付かれないように、一松は小さく溜め息を吐いた。
    どうせ、お見合いをしたところで変わらない。
    この人は「違う」と思ってしまえばそれまでだ。
    違うと感じてしまえば受け入れられない。
    何か理由を見つけて断ろう。
    慣れない振袖に歩くのも四苦八苦しながら、一松は考えた。

    ホテルの中に設けられた和食レストランの個室の襖が開いた。
    中で待っていたのはいかにも女性受けしそうな精悍な顔立ちの男性。
    お見合い相手の男性は、一松の姿を見て驚いたように目を見開いている。
    一体何をそんなに驚いているのかはわからないが、気にせずに男性の正面に腰を下ろし、
    互いの父親がテンプレに沿った挨拶を始めた時だった。

    「結婚してください!」

    目の前に座る男性がよく通る声でそう言った。
    突然の言葉に今度は一松が目を見開く番となった。
    視線が交わる。
    その目を見て、思った。

    あ、この人だ。

    探し求めていたのは、間違いなくこの人だ、と頭の片隅にいるもう1人の自分が騒ぎ立てた。
    この人だ、この人だ。
    何故そう思ったのか、一松自身にも説明のしようがない。
    ただ、本能的にそう感じたとしか言えないのだが、目の前に座るお見合い相手の男性は
    間違いなく一松が追い求めていた人だった。
    だから、自然と綻ぶ口元をなんとかバレないようにしながら
    男性の、カラ松の言葉に応えた。

    「私でよろしければ、謹んでお受け致します。」

    カコン、と庭園に誂えられた鹿威しの音が聞こえた。

    ーーー

    それからはあっという間だった。
    何度かカラ松と2人で出掛けたりしながら親睦を深めつつ、
    新居を探し家具を揃え、お見合いから半年たった頃に婚姻届を役所に出しに行った。
    あの時本能的にこの人だと感じた己の直感は間違っていなかったようで、
    カラ松と過ごす時間は一松にとって非常に心地好いもので、
    出会って日が浅いのにも関わらず気の置けない相手になっていた。
    まるで、元からそうだったかのように、ごく自然に互いの生活に互いの存在が溶け込んでいった。

    新婚生活は至って順調だ。
    親族のみでささやかな式を挙げ、新婚旅行にも行った。
    新居は閑静な住宅街の一角の新築の戸建てを購入し、ご近所さんも皆いい人達だ。
    カラ松はいつだって優しくこちらを気遣ってくれる。
    けれど。
    時折、本当に時折なのだけど
    カラ松は一松を見つめては、ふと寂しげな表情をする事があった。
    その顔はカラ松でありながら別の誰かのようにも見えて、
    同時にその目は一松を見つめながら一松ではない誰かを求めているようにも見えた。
    さり気なく自分が何か気に障る事をしたのかと訊いてみたが、
    一松は何も悪くないのだと自嘲じみた笑みで返されるばかりでそれ以上は何も聞けなかった。

    もしかしたら、カラ松は本当は自分と結婚したくなかったのではないだろうか。
    あのお見合いの席での突然のプロポーズは、実は一松に断ってもらうために言い放った言葉だったのかもしれない。
    だって自分達は一度も、所謂夫婦の営みというやつをしていない。
    ああ、きっとカラ松は嫌々付き合ってくれていたんだ。そうに違いない。
    元より一松はネガティブ思考だ。
    一度思い込んでしまった己の推測を考え直すことのないまま、
    更なる負の連鎖に陥っている事にも気付けていない。
    夕食を作りながら尚も一松は考え込む。
    好きでもないのに付き合わされているなら、解放してあげた方がいいのではないか。
    バツがついてしまうが、カラ松ならすぐに自分なんかよりずっといい人が見つかるだろう。
    あの時、一松は自分が探し求めていたのはカラ松だと本能的に感じた。
    けれど、カラ松にとって探し求めている人は一松ではないのだ。
    あいつは優しいから、自分のことを憐れんで別れを切り出さずにいてくれているのだろう。
    そう考えると自然と涙がこみ上げてきた。
    流れる涙を拭いもせず、一松はキッチンに立ち尽くした。


    「…一松?」

    一体どれだけの間そうしていたのか、気付けばカラ松が帰宅していた。
    一松の様子にカラ松はギョッとした顔をして慌てて駆け寄る。

    「一松?!どうした、何かあったのか?」

    ハラハラと静かに涙を零す一松の顔を心配そうに覗き込み、優しく背中をさすり出した。
    だがその優しさすら、今の一松には苦しくて仕方なかった。

    「やめて…」
    「い、一松?」
    「やめてよ…もう僕なんかに…いい夫を演じることない…」
    「おい、本当にどうしたんだ一松?!」

    どこまでも優しいカラ松に、ひとりネガティブ思考でとことん自虐的になっていた一松は
    背を撫でるカラ松の腕を振り払い、今度は癇癪を起こした子供のように泣き出した。
    カラ松の眉根が困ったように下がったのと同時に
    その顔に昔を懐かしみ慈しむような表情を浮かべた事に一松は気付いていない。

    「無理してっ…僕に、つ、付き…合わないで、いいよっ…!
     すっ好きでも、ないクセにっ…優しく、され、たら…よけい、ツライよ…っ!」
    「一松?何を言っている?!」
    「ねぇ、何でっ…何で、僕とけっこん、なんて…したの…」
    「一松!!」

    しゃくりあげながら言葉を紡ぐ一松をカラ松は強引に腕の中に閉じ込めた。
    一松の薄い肩が跳ね上がったが構わずに力を込められる。

    「カ…カラま「黙れ」っ!」

    いつもより1オクターブ低い声に遮られる。
    一瞬、空気が震えた。
    カラ松を怒らせたのだと理解するのに時間は要しなかった。
    体格の良い男性のカラ松と平均より細く頼りない女性の一松では力の差は歴然で、一松に抜け出すことは不可能だ。
    一体何がどうなっているのか。
    考える暇も与えず、今度は顎を掴まれ上を向かされたかと思ったら唇を塞がれた。
    無理やり口元をこじ開けられ、歯列を舌でなぞられ、驚いて逃げ惑う舌を絡め取られた。
    一松にとって今まで経験したことのない、ねっとりとした濃厚な口付けだった。
    されるがままの状態で呼吸が上手くいかない。
    頭がボンヤリと白んできた。

    …………



    『好きなんだ、一松のことが』

    夕暮れ時に、何の前触れもなく告げられた愛の言葉。
    それは自分が夢にまで見るほどに欲しかった言葉のはずだった。
    けれど、実際にそれを目の前にいとも簡単に差し出されて、一松がまず感じたのは罪悪感と恐怖だった。
    差し伸べられたその手を取れば、甘ったるく幸せな時間を手に入れることができただろう。
    しかしそれは一時のぬるま湯に過ぎない。

    『…俺は…俺、は…カラ松に応えることは…できない…』
    『何故だ?俺のことは嫌いか?』
    『そ、そうじゃない…!』
    『ならどうしてだ?』
    『あ…アンタはさ、ちゃんといい人を見つけて、結婚して…子供を作って…
     平凡で幸せな家庭を築く方が、似合ってるよ…。
     こんなクズを相手にして…人生を棒に振ることない…。』
    『一松!!』
    『ヒッ…!』
    『…あ、すまない。怖がらせるつもりはなかったんだ。
    なあ、俺は一松と幸せになりたいんだ。一松は俺じゃダメなのか?』
    『俺、は…』

    (僕もカラ松が好きだよ。…でも)

    『ごめん…カラ松。』
    『……そうか。』
    『ごめん。』
    『いや…俺こそすまなかった。今のは忘れてくれ。』
    『……。』

    言えない。僕もカラ松が好きだよだなんて、言ってはならない。
    だって不毛過ぎる。
    同性で、実の兄で、しかも一卵性の兄弟で。
    ただでさえ社会不適合者で燃えないゴミの自分がこれ以上罪を重ねてどうするのか。
    いや、自分が罪を背負うのはこの際構わない。
    けどカラ松はダメだ。
    カラ松は、ちゃんといい人を見つけて、幸せになってほしかった。
    自分ではどう足掻いたってカラ松を幸せになんてできやしない。
    だからこの想いは報われてはいけないのだ。

    突然カラ松から想いを告げられた時、本当は天にも飛び上がる程嬉しかった。
    こんな自分を好きだと言ってくれることが泣きたいくらい嬉しかった。
    でも、だからこそ一松はカラ松を突き放した。

    幸せになんてなってはいけない。
    そうだね、来世にでも期待しよう。
    来世来世 ー…

    …………




    まるで貪るようなカラ松の口付けに思わず意識を手放そうとしたところに
    一松の中に突如として再生された、誰かの記憶。
    誰か…いや違う。あれは自分だ。
    あれはかつての自分自身だった。
    六つ子の兄弟の1人だった頃の記憶。
    かつての自分は、実の兄に想いを寄せていた。
    まさか、そのかつての実の兄は。
    突然頭の中に溢れかえった記憶に頭痛を覚えながらも、
    一松はカラ松の力が緩んだ瞬間に力いっぱいカラ松の顔を押しのけた。

    「は、なせ、クソ松…!!」

    何故どんなにハイスペックな男性に言い寄られても、この人は違うとその気になれなかったのか
    何故この男を探し求めていたとあの時感じたのか、ようやく理解できた。
    冗談交じりに「来世来世」なんて言ったが、まさか本当に来世に持ち越されることになろうとは。
    どうやらお互いに相当執念深かったらしい。

    腕の中から逃れることはできなかったものの、執拗に口内を絡め取る舌からは何とか逃れた。
    2人の口元を繋ぐ透明な糸が一瞬伸びて霧散した。
    いつもの一松とは異なる荒々しい口調と懐かしい呼称にカラ松が目を瞠った。

    「その呼び方…一松、まさかお前…!」
    「…お、思い、出した…。」
    「ほ、本当か?!
     ああぁよかった!っていうかそうじゃなくて!すまない!いきなり乱暴なことをっ!
     いやでも一松が好きでもないくせにとか言い出すから!
     つ、つい頭に血が上って!!」
    「もういいよ…結果的にクソ松の無理やりなディープキスが思い出すきっかけになったんだし…。」

    非常にわかりやすく慌てふためき出したカラ松に話を聞いてみれば、彼は学生時代から夢は見ていたものの
    思い出すまでには至らず見合いの席で一松の姿を見て前世の六つ子だった頃の記憶を思い出したらしい。
    あの時に一松が前世の一松だと確信して思わず突然プロポーズの言葉を吐いていたのだとか。

    「じゃぁ、たまに僕を見てなんだか寂しそうな顔してたのって…」
    「ああ…。俺には前世の記憶があるのに、一松にはそれがないのがどうにも寂しく感じる時があってな。
     今世でこうして出会って、夫婦になれたのだからこれ以上の幸せはないし
     贅沢を言うべきではないと分かってはいたのだが…、
    人は一度幸せに慣れてしまうと、それ以上を望んでしまう欲深い生き物なんだな…。」
    「…じ、じゃぁ…今まで、全然…手を出してこなかったのは…?」
    「そ、それはだな…。」
    「うん?」
    「壊しそうで怖かった。」
    「は?」
    「今の一松は、可憐な女性だし、身体も決して丈夫とは言えないだろう?
     だからその…抱いた時に今まで溜め込んできた欲をブチまけすぎて
     傷つけてしまうのが怖かったんだ。
     ましてや、一松には前世の記憶がなかったから…優しくする自信がなかった。」
    「…アンタ、ほんとバカだね。」
    「えっ…?!」
    「確かに前世に比べたら、僕は力も弱いし頼りないけど…そのくらいで壊れたりしないよ。
     それに、今はもう記憶がある。
     …だから、その…た、溜め込んでたっていう分、全部受け止められると思う、から…。」
    「い、一松うぅぅぅ!!」
    「うっせぇ抱きつくなクソ松!」
    「フッ…やはり俺達は愛の女神によって結ばれし運命…ディスティニーだったんだな…。」
    「何でこのタイミングでイッタイ事言った?!」
    「ぐふっ!…な、殴らないでくれ…いや、もう解禁してもいいかなーと思って。
     解き放つぜ俺の魂の[[rb:詩 > うた]]…!」
    「解き放つな死ぬ程ウゼェわ!!」

    「一松。」
    「…何。」
    「生まれる前から好きだった。」
    「………僕もだよ。」

    その夜、本当の意味で思いが通じ合ったカラ松と一松は目出度く心ゆくまで愛し合ったのであった。

    ーーーーー

    3.

    目を覚ますと、まず目に飛び込んできたのは見慣れた天井だった。
    顔だけを横に向けると、そこには昨晩散々抱き潰した一松が眠っていた。
    宣言通り、一松はその細い身体でカラ松がこれまで溜めに溜めてきた想いを一身に受け止めてくれた。
    柔らかくしなやかな体を思い出し、自然と頬が緩む。
    結婚当初、かつて六つ子の兄弟だった前世の記憶を一松は持っていなかった。
    その事に少しの寂しさを感じてしまったために、
    知らずの内に一松を傷つけてしまっていたことを知ったのは昨日のことだった。
    気付かれないようにしていたつもりだったが、勘づかれていた事に申し訳なさを感じた。
    好きでもないのに優しくするな、等と言われて思わず頭に血がのぼり、
    噛み付くように半ば強引に嗚咽を漏らす一松の唇を塞いで。
    乱暴な事をしてしまったと今では反省しているが、その口付けによって一松にも前世の記憶が蘇ったのだから
    結果オーライと思っておくとしよう。
    時を越えて抱え続けてきたと言っても過言ではない想いがようやく結ばれて、
    これ以上ない幸福感と心地好い疲労感を感じながら、カラ松はすやすやと寝息を立てる一松を抱き寄せた。
    枕元の時計は9時半を示している。
    一松の額にキスを落とすと、カラ松はベッドから抜け出した。
    昨晩一松には無理をさせてしまったことだし、今日の朝食は自分が作ろうと思い立ったのだ。

    手早くトーストとベーコンエッグを作ってしまうと、カラ松は再び寝室へと向かう。
    部屋の扉を開けるとちょうど一松が目を覚ましたところだったようだ。

    「お目覚めかい、カラ松Girl?」
    「だまれくそまつ…。」
    「フッ…起き抜けの舌ったらずな声で言われてもキュートでしかないぜ?」
    「うっざ」

    朝食を済ませ、リビングには一松が食器を洗うカチャカチャとした音とテレビの音が控えめにこだましている。
    今日は休日だ。
    天気も良いし、何処かに出掛けるのもいいかもしれない。
    そういえばこの辺も桜が満開になったとかニュースで言っていた。
    花見なんてのもいいな。
    少し遠出して桜の名所を散歩するだけでも楽しめそうだ。
    ソファに腰掛けてテレビを見つめながら、なんとなくそんな事を考えていたカラ松だったが
    一松に話しかけられたため、現実に戻ってきた。
    洗い物は終えたようで、一松はカラ松の隣に三角座りで腰掛けた。

    「ねぇ。」
    「うん?」
    「僕達は奇跡的な確率でこうして会えたけどさ、他の兄弟も転生してるのかな。」
    「ああ、そういえばそうだな。
     もし同じ時代に生きているのなら会ってみたいよなぁ…。」
    「まぁ、そうだね。」

    話はそれ以上進まなかった。
    昔から見ていた夢のせいで一松のことしか気にかけていなかったが
    言われてみれば、かつての六つ子の兄弟もこうして転生している可能性もある。
    もし今を生きているなら会ってみたいものだ。

    ーーー

    それから月日は流れたが、他の兄弟に出会う事は未だなかった。
    進んで探したりしていないのだから、当然の結果とも言える。
    もし、今この同じ時代に生きているなら、幸せな人生を歩んでほしいものだ。
    人知れず、カラ松はそう思った。

    そんなある日の事。

    いつも通り仕事から帰ると、いつにも増して畏まって座る一松の姿があった。
    食卓にはきちんと湯気の立っている夕食が並べられている。
    本日のメニューは唐揚げのようだ。

    「ただいま帰ったぜマイハニー!」
    「おかえり…。」
    「…?どうかしたのか、一松。」
    「あー…うん。ちゃんと話すから、とりあえず手洗ってきたら。」
    「わ、わかった!」

    一松に促され、カラ松はスーツのジャケットを脱いでハンガーに掛けると、
    洗面所で丁寧に手洗いうがいを済ませて食卓へ戻った。
    先程からダイニングテーブルにつく一松はどこかソワソワしているように見えた。
    その様子に首を傾げながらもカラ松も席に着く。

    「それで、何かあったのか?」
    「えー…と、その…。」
    「一松?」
    「あ…」
    「あ?」
    「あ、赤ちゃんが、できた…。」

    一瞬、思考がフリーズした。
    赤ちゃん。
    …赤ちゃん?!
    頬を薄桃色に染めてカラ松にそう告げた一松は、恥ずかしさに耐えられなくなったのか
    パンッと大きめの音を立てて手を合わせ、上擦った声音で「いただきます!」と言うと唐揚げを頬張り始めた。
    カラ松は停止したままだ。
    一松が一つ目の唐揚げを咀嚼し終え、飲み込んだところで、ようやくカラ松は事態を理解した。

    「こっ子供?!」
    「うぇっ?!…あ、うん。」
    「お、俺と一松のか?!」
    「なっ…アンタの子に決まってんじゃん。…何、疑ってる?」
    「いや、疑ってなどいないぞ!
    そうか!赤ちゃんか!…そうかぁ~。…ぐすっ」
    「え。…え?!ちょっと、何泣いてんの?も、もしかして嫌だった…?」
    「まさか!嬉しいぞ!この上なく幸せだ!幸せ過ぎてつい涙が…っ
    嗚呼、ありがとう一松!ありがとう!!」

    現状を把握したカラ松は天を仰ぎ声高らかにセラヴィー!と叫び出したが
    一松にうるさい、と口に唐揚げを無理やり突っ込まれた。
    唐揚げは美味かった。

    妊娠を告げられてからというものの、カラ松は今まで以上に一松に献身的になった。
    検診には毎回同行したし、つわりがひどくて動けない時は代わりに家事の一切を引き受けた。
    産院の両親学級にも参加した。
    切迫流産で緊急入院になった時は毎日病室を訪れた。
    お腹が目立ってきた頃には毎晩のように話し掛けて、子守唄も歌ったりした。
    手を触れた一松の腹越しにお腹の子が蹴り返してきた時は感動を覚えたものだ。
    日毎どんどん大きくなる一松の腹を見ながら、カラ松は日々の幸せを噛み締めていた。
    前世では一松と結局結ばれる事はなかった。
    確かに互いに思い合っていたが、だからこそカラ松の身を案じた一松が拒絶したのだ。
    その事がひどくもどかしくもあったが、今世でこうして結ばれる事ができたのだ。
    夫婦となって、もうすぐ子供も生まれる。
    幸福感もひとしおだった。

    ーーーーー

    4.

    再び桜が咲き始めた季節の明け方、一松はカラ松の立会いの元、闘いの真っ最中だった。
    昨日の夕方に病院に入院し、日付が変わって空が白んできた頃にようやくここまできた。

    「松野さん、頭が見えてきましたよ!もう少しですからねー」

    「一松、一松!あと一息だ、頑張れ!」

    意識が朦朧として、気を抜くと眠ってしまいそうだ。
    実際に何度か意識を飛ばしては、痛みにまた目を覚ますという流れを繰り返していた。
    一松の右手を握るカラ松の声がどこか遠くに聞こえる。
    とにかく必死で腹に力を込めた。

    産声が響き渡った頃には、気力体力共に限界を超えていた。
    いつの間にか日は昇りきっている。

    「おめでとうございます。男の子ですよ。」

    産科医が祝福の言葉と共に一松の胸元に温めたバスタオルを広げ
    その上にたった今産まれたばかりの我が子を乗せてくれた。
    妊娠がわかったその時から、待ち焦がれていた瞬間だ。
    小さな身体で力いっぱい泣き声をあげる子を胸に抱くと、自然と涙が一筋零れ落ちた。
    1人産むのでさえ妊娠中から何から何まで大変だったというのに
    前世の母は一度に6人生んだのだから本当に尊敬に値する。
    今になって改めてマジ松代リスペクトである。
    …それよりも傍らに立つカラ松が大号泣している。
    えぐえぐと嗚咽を漏らすカラ松を呆れたように笑って一瞥し、我が子の顔をのぞき込んだ。
    生まれたばかりのはずなのにぱっちり開いた大きな目と、ぱっかり開いた大きな口。
    ……んん?

    「…………十四松?!」

    生まれたばかりの赤子なのだが、顔を見た瞬間、一松の直感がそう告げた。
    一松の掠れた呟きに、カラ松は気付いていない。
    気のせいだろうか?
    いや、確かにこの子は十四松だ。そう思えてならない。
    え?ってことは前世の兄弟が息子として生まれてきたの?マジで?!
    驚愕の事実にまた気を失いそうになった。
    頭がクラクラして眩暈がするのは決して産後の疲労だけではないはずだ。
    カラ松は相変わらず感動の涙を流しながらセラヴィセラヴィ言っているため、おそらくまだ気付いていない。


    結局カラ松が生まれた我が子の顔をしっかりと見たのは、母子共に後処理も終えて一段落し
    一松が病室のベッドに横になっている時だった。
    産湯で綺麗にしてもらった息子が白い産着に包まれ、小さな新生児用のベビーベッドに乗せられて
    運ばれてきたのでカラ松が抱っこに初挑戦することになったのだ。
    初めて腕に抱いたその子の顔を見て、カラ松は一松と同じ反応をしてみせた。

    「…………十四松?!」

    「…やっぱりそう思う?…僕も思った。」
    「一松もそう感じたのなら間違いないんじゃないか?
     そうか…まさか十四松が俺達の子供として生まれてくるとはなぁ。」
    「ん…驚いたよね…。」
    「ああ。…そうだ、一松。お疲れさま、よく頑張ったな。
     俺を父親にしてくれて、ありがとう。
     こんな可愛い奥さんと息子を持てて俺は果報者だ!」
    「ヒヒ…どういたしまして。
     つーか、前世の兄弟だけどね。」
    「俺達六つ子の縁は生まれ変わった程度じゃ切れたりしないってことだな!」

    小さな十四松(もう決定だ)をベビーベッドにそっと寝かせると、
    カラ松は部屋の隅に畳んで置いてあったパイプ椅子を広げ、一松が横たわるベッドの脇に腰掛けた。
    一松の腕には産後の感染症予防のための点滴が打たれている。
    明らかに疲労の色が見える一松の頬をカラ松が優しく撫でる。
    それから顔を近づけて、額に小さなリップ音を立てて口付けを落とした。
    いつもは照れ隠しで殴り飛ばす一松も
    (とは言っても前世と違ってカラ松にとっては大したダメージになっていない)
    今は抵抗する気力はないのかされるがままだ。

    「本当に、お疲れ。」
    「…ん。」
    「…ところで思ったんだが。」
    「何。」
    「俺達が他の兄弟に会ってなくて尚且つ今日、十四松が生まれてきたってことは…」
    「え…え?…ちょっと、嘘でしょ。僕も少しその線も考えたけどさすがに…」
    「いや、他の兄弟に会えない理由が、まだあいつらがこの世に生まれていないからだとすると…」
    「まさか…ないないない!というかないと思いたいんだけど!」

    「「…………。」」


    「一松、あと3人頑張ろうか。」
    「嘘だろおぉぉぉぉ?!!!?!」

    ーーー

    その後、
    十四松が生まれた2年後にトド松(♀)が
    更にその3年後にチョロ松が
    更に更にその2年後におそ松が生まれて
    無事に今世でも六つ子が揃いました。

    「待って、こいつら僕らが育てていくの?!」
    「フッ…当たり前だろう。俺と一松の愛の結晶達なんだからn「荷が重ーーーい!!!」えっ…」

    ーーーーー

    蛇足

    ●カラ松パパ
    一家のパパ。27歳の時に一松と結婚してその翌年に十四松が誕生。
    割と有名な大企業に勤める一家の大黒柱。
    転生してイタさは緩和されたがたまにイタイ言動をする(確信犯)
    一松マジ愛してる。死んでも離さない。
    子供達マジ可愛い。
    中でも女の子として生まれてきたトド松は特に可愛くて仕方ない。
    お嫁?絶対許しません!

    ●一松ママ
    一家のママ。22歳の時にカラ松と結婚してその翌年に十四松が誕生。
    大学を卒業してすぐに結婚したので就職はしてなかったが、
    現在は近所のドラッグストアでパートをしている。
    今世では少々身体が弱いのが悩み。
    子供達はみんな健康に生まれてくれたのはホッとしている。
    気恥ずかしさが勝ってしまうため素直になれないがカラ松のことはちゃんと愛してます。
    子供達にはデレ100%

    ●十四松
    明るく元気な長男。
    弟妹の面倒もちゃんと見るイイコ。
    中でもトド松が大好きな隠れシスコンでカラ松と共にトド松護衛隊を結成している。
    前世に比べてそこまで狂人ではないけど運動神経は抜群。
    前世の記憶は割と早い段階で思い出した。

    ●トド松
    おしゃまさんであざとい長女。
    お兄ちゃんの十四松が大好きな隠さないブラコン。
    彼氏?十四松兄さんよりカッコイイ人がいたら考えるよ!いるワケないけどね♡
    生まれ変わってもカラ松に「イッタイよねぇ〜」とツッコむのは忘れない。
    前世の記憶は小学校に上がった頃に少し思い出した。
    現在も随時記憶補完中。

    ●チョロ松
    しっかり者な次男。
    おそ松が生まれるまではヤンチャ坊主だったが自分以上にヤンチャな弟ができたことで
    お兄ちゃん心が芽生えたのかしっかり者のおそ松ストッパーに成長した。
    あざとい姉にいいようにパシられる率No.1
    両親も兄も姉もあんなんなので今世でも立派にツッコミ役を果たしている。
    前世の記憶はまだない。

    ●おそ松
    やんちゃな末っ子。
    末っ子なのでみんなに甘やかされてそうで実はそうでもない。
    とにかくやんちゃな悪ガキ。
    時折、一体どこで覚えてきたんだという下ネタを暴発する。
    常にチョロ松に怒られて引き摺られているが、なんだかんだでチョロ松にべったりなお兄ちゃん子。
    前世の記憶はまだない。


    お粗末様でした。
    ちなみに子供達の順番はあみだくじで決めました。
    #BL松 #カラ一 #転生 #女体化 ##転生カラ一

    ※非常に読む人を選ぶ文です。

    この作品は以下の要素を含みます。
    少しでも嫌悪感を感じましたら、今すぐブラウザバックをお願いいたします。
    ①転生パロです
    ②キャラの女体化、妊娠・出産の描写を含みます
    ③当然のようにキャラ崩壊
    ④書きたいところだけ書いてます

    ーーーーー

    1.


    (なぁ、一松…その、俺は…お前のことが…)

    ………



    ああ、またこの夢だ。



    スマホにセットしたアラーム音が鳴り響く。
    時刻は午前6時過ぎ。
    目覚めは最悪だ。

    一人暮らしのワンルーム。
    家具は必要最低限しかない簡素な部屋だ。
    アラームを止めてのそりと起き上がり
    寝ぼけ眼のままトースターに食パンを突っ込むと顔を洗いに洗面台へ向かった。
    顔を洗い、寝癖を直して部屋に戻るとトースターがチン、と軽快な音を立てた。
    程よく焼けたトーストを皿に移してローテーブルに置き、コップに牛乳を注いでテレビをつけた。
    テレビから流れる朝のニュースを流し見しながらトーストを齧り、
    食べ終わったら歯を磨いて着替えて家を出る。
    これがここ数年の松野カラ松のルーチンワークだ。
    就職を機に一人暮らしを始めて早5年。
    それなりの企業でそれなりの成績を上げているし、友人もいる。
    充実した日々を送っているはずだ。
    だが最近、カラ松にはある悩みがあった。

    夢を見るのだ。

    夢の中で、自分は誰かに想いを伝えようとしている。
    けれどそれは結局最後まで伝えられずに目が覚める。
    最初にこの夢を見たのは中学生の頃だった。
    それからというもの、ふとした時に思い出したように同じ夢を見る。
    夢の中で、カラ松は一松という人物に想いを告げようとしていた。
    わかっているのは一松という名前だけだ。
    夢の中で相手の顔をしっかりと見ているはずなのに、
    目が覚めるとその顔は途端にボヤけて思い出せなくなる。
    それなのに、相手を想う切なく胸が締め付けられるような気持ちは目覚める度に胸に残る。
    この夢から覚めた後は、いつもどうしようもない虚無感に襲われた。
    いっそ泣き出したい程に、確かに夢の中でカラ松は一松という人物を愛していた。

    さて、松野カラ松は容姿は悪くはない方だ。
    それなりの企業に勤めているし、今はそれなりの立場になった。
    言い寄ってくる女性も決して少なくないし、何人かと付き合ったことだってあった。
    しかし、どれもこれも全く長続きしなかったのである。
    興味がない訳ではない。
    恋人を作っていつか結婚して平凡な家庭を持ちたい、という思いがない訳でもない。
    自分を好きだと言ってくれた愛らしく可憐な女性と並んで歩き、
    少し高めのレストランで食事をして、ホテルで甘い時間を過ごして。
    ところがそうして愛の言葉を囁いた時に、脳裏にいつも一松のことが過ぎるのだ。
    どんな美女を相手にしても、いい感じの雰囲気になってきたところで毎回一松の事を思い出してしまう。
    そんなわけで、結局目の前の女性とそれ以上付き合うことが出来ず、呆気なく破局を迎えてしまう。
    それもこれもあの夢のせいだ。
    そもそも一松は実在するのかどうかも定かではない。
    それなのに、カラ松は一松に恋をしていてその影を追っている。
    夢を見る度に実際に会ったことすらない一松に惹かれていく自分自身に気付き、
    カラ松は己の救えなさに溜め息を吐いた。
    胸中に燻る虚しさや寂しさを紛らわそうと、何度か女性と関係を持ったが、
    こんな調子で返って逆効果だと気付き、もうここ最近は一切女性と関係は持っていない。
    どうかしている。
    夢の中の、それも姿を思い出せない相手に恋慕するなんて。
    しかし日毎増していくその想いをどうすることもできず、ただただ翻弄されるばかりだった。

    ーーー

    土曜日。
    完全週休二日制の会社のため、ありがたく休日を謳歌するカラ松はベッドの中で惰眠を貪っていた。
    今日はアラームに起こされることもない。
    日はとうに空高く昇っているが、そんな事はお構いなしに夢心地で微睡んでいた。
    が、
    そんなささやかな幸せの時間を破るようにスマホから着信音が鳴り響いた。
    予期せぬ着信に無理やり起こされたカラ松は眉間に皺を寄せ、寝ぼけ眼のまま手を伸ばしスマホを手に取った。
    相手を確認すると自分の母親の名前が表示されていた。
    その事により一層顔を顰める。
    正直無視したくて仕方ないのだが、そうすると後々もっと面倒な事になるのはこれまでの経験則で分かっている。
    カラ松は目を擦りつつ、渋々通話ボタンをタップしてスマホを耳に押し当てた。

    「…もしもし。」
    『もしもし、なんだか声が擦れてるわね。まさかさっきまで寝てたの?』
    「寝てたぞ…今日休日だからな。」
    『あらそう。ちゃんと食べてるの?次のお盆休みには帰って来なさいね?』
    「…ああ。」
    『ところで、来週の日曜日は空けておきなさいね。』
    「…え、何でだ?」
    『父さんがね、お見合い話を持ってきたのよ。何でも得意先の方のお嬢さんなんだとかで。』
    「は?!お見合い?誰が?!」
    『アンタに決まってるでしょ!断ることもできなかったみたいだし、
     父さんの顔を立てると思って、頼むわよ。
     いい加減アンタもそういうの考えてもいいんじゃないの。』
    「え、ちょ…」
    『それじゃ、来週日曜日に赤塚ホテルよ、ちゃんとしたスーツで来なさいね。』
    「いや、待っ」ブツッ

    ツー…ツー…ツー…

    「……嘘だろ。」

    まるで突然の嵐に見舞われたかのようだった。
    全く口を挟む間もなく、一方的に約束を取り付けた母はさっさと通話を切ってしまい、
    後に残るのは呆然としたカラ松の呟きと無機質な機械音のみ。
    唐突に告げられたお見合いの話は、カラ松の心に重くのしかかるばかりであった。
    今までも女性に対して散々な態度しか取れなかったのだ。
    ましてやお見合いだなんて無理に決まっている。
    相手には悪いが、適当に顔だけ合わせて理由を付けて断ってしまおう。
    その方がきっと幸せだ。
    自分にとっても、お見合い相手の女性にとっても。
    カラ松は今日何度目かの溜め息を吐いた。

    ーーー

    迎えた日曜日。
    薄く縦のストライプ模様が入ったスーツにパステルブルーのワイシャツを着たカラ松は、ホテルのロビーに佇んでいた。
    その表情は明らかに沈んでいる。
    表情が冴えない理由は乗り気でないお見合いをしなければならないだけではない。
    今朝またしてもあの夢を見たのだ。
    よりによってお見合いをする今日、見てしまったのだ。
    夢の中で、やっぱり自分は一松という人物に恋焦がれていて、その想いを伝えようとしていた。
    けれど、やはり最後まで想いを口にするのは叶わなかった。
    ただ、いつもと違って一松の姿は少しだけ記憶に残っている。
    ボンヤリとはしているが、確か瞳が深い紫色をしていた。
    瞳の色を覚えていたのは今日が初めてだ。
    それだけで胸の高鳴りを覚えたが、同時にまだ顔も見ていないお見合い相手に罪悪感も感じた。

    久々に会った両親と合流し、ホテルの一階に設けられた上品な装いの和食のレストランの個室に通され、
    相手方を待つことになった。
    憂鬱だ。
    早くこの時間を終えてしまいたい。
    カラ松は俯いてただただ時間が過ぎるのを待っていた。

    しばらく続いた沈黙を破り、個室の襖が開いた。
    反射的に顔を上げたカラ松は、相手女性の顔を見て思わず目を見開いた。

    (一松…?!)

    もう何年も夢の中で恋をしてきた相手。
    顔すらまともに覚えていないのに、何故かそう確信した。

    一松だ、やっと会えた!
    ずっとずっと君を探し求めていたんだ!

    心が、そう叫んでいるようだった。

    薄紫の振袖を身に纏った目の前の女性は、伏し目がちな深い紫色の瞳でカラ松を一瞥すると、
    何も言わずに静かに腰を下ろした。
    凛とした、けれどどこか色香を感じる人だと思った。
    互いの父親が決まり文句を並べた挨拶を交わしているが、それを遮ってカラ松は声を張り上げた。

    「結婚してください!」

    伏して半目状態になっていた振袖女性の目が驚愕でぱっちりと見開かれた。
    カラ松と一松の視線が交わった。

    視線がかち合ったその瞬間、世界が停止した。

    ………



    (なぁ、一松…その、俺は…お前のことが…)

    それを告げたのは確か家に2人きりの夕方だった。
    桜が咲き始め、日中の陽射しが暖かくなってきたものの夜はまだ冷え込む、そんな時期。
    長男はパチンコへ、三男はアイドルのイベントへ、五男と六男は連れ立って何処かへ遊びにそれぞれ出掛けていて、
    家には2人きり。
    お互い自由に家の中で過ごしていたが、チラリと窓際へ目をやると
    壁にもたれ掛かって微睡む一松の姿が目に入った。
    夕陽が一松の白い頬を照らし、窓から入り込む風で柔らかな髪をフワリと靡いた。
    一体どこからやってきたのか、窓から桜の花弁が一片ヒラリと舞い込み、一松の髪に乗った。
    その姿が、とてもとても綺麗に見えて息を呑んだ。

    カラ松は一松に…2つ下の一卵性の兄弟に恋をしていた。

    『一松。』
    『…何。』
    『なあ、一松…その、俺は…』
    『…どうかしたの。』
    『俺は、お前のことが好きだ』
    『……………え。』
    『突然すまない…だが、好きなんだ、一松のことが。』
    『ちょ、ちょっと待って』
    『一松…。』
    『待てってば!』

    一松の瞳に戸惑いの色が浮かんだのがわかった。
    カラ松にやけにキツくあたる一松の鋭い眼差しを直に受け止める度に
    一松がここまで横暴に自身を曝け出せる相手は自分だけなのだと歪んだ優越感を覚えた。
    同時に、その強気な顔を自分の手で歪めてやりたいと、
    その気怠げな目をドロドロに溶かして泣かせてやりたいと、薄暗い欲望が胸を擽った。
    一松もカラ松にキツく当たり散らしながらも、どこかカラ松のことを特別に見ていたことも察していた。
    自分と同じように、一松がカラ松の事を無意識のうちに目で追っているのをカラ松が見逃さないはずがなかった。
    世間一般から見れば到底赦されることのない想いだ。
    報われてはいけない想いだという事はカラ松も一松も十分に理解していた。
    しかし考えてみれば自分達はとうに世間からはじかれている者同士だ。
    そこに更なる不毛を重ねたとて、大して問題ではない。
    カラ松は単純にそう考えていた。

    『…俺は…俺、は…カラ松に応えることは…できない…』
    『何故だ?俺のことは嫌いか?』
    『そ、そうじゃない…!』
    『ならどうして?』
    『あ…アンタはさ、ちゃんといい人を見つけて、結婚して…子供を作って…
     平凡で幸せな家庭を築く方が、似合ってるよ…。
     こんなクズを相手にして…人生を棒に振ることない…。』
    『一松!!』
    『ヒッ…!』
    『…あ、すまない。怖がらせるつもりはなかったんだ。
    なあ、俺は一松と幸せになりたいんだ。一松は俺じゃダメなのか?』
    『俺、は…』

    ……………



    そうだ。
    同性で、実の弟で、しかも一卵性の兄弟という不毛でしかない相手に恋心を抱いていた。
    いつも夢に見ていたあの告白の場面の続きを不意に思い出したのを皮切りに
    脳内に次々と記憶が溢れかえってきた。
    松野カラ松であって、今の松野カラ松ではない、これは前世の記憶なのだと直感的に理解した。
    何故このタイミングで前世の記憶が蘇ったのか。
    十中八九、目の前に座るお見合い相手の女性が原因なのだろう。
    今目の前にいる女性が一松の生まれ変わりなのだ。
    根拠などないが、何故かそう確信できる。
    目が合った途端に見えた先程の白昼夢が、きっとその証明だ。

    脳内の洪水が収まり、カラ松がハッとして現実に帰ると、どうやら自分が声を張り上げてから
    そこまで時間は経っていないらしく、自身の声の余韻が個室から消え去ろうとしている程度だった。
    互いの両親は何事かと呆然としている。
    深い紫を称えるその瞳は、カラ松の突然の言葉に驚いていたものの、すぐにまた細められ、そして妖艶に笑った。
    紅が乗せられた艶やかな唇が開き、静かに言葉が紡がれた。

    「私でよろしければ、謹んでお受け致します。」

    今度こそ完全に置いてけぼりとなった両親を尻目に、お付き合い0日で2人は婚姻を約束した。

    ーーーーー

    2.

    正直、面倒でしかなかった。
    真面目ないい子に育った一松は、それなりに恵まれた人生を歩んできた。
    生まれつき少々身体が弱く、幼い頃は幾度となく入退院を繰り返したものの
    大人になるにつれそれも落ち着いてきた。
    両親に愛情を注がれ、器量の良いお嬢様として何不自由ない暮らしをしてきた。
    それなのに。
    それなのに、時折襲ってくるどうしようもない寂しさと苦しさは一体何なのだろうか。

    最初に気付いたのは中学生の頃だった。
    成績優秀、眉目秀麗、クールな性格だが病弱でいかにも庇護欲をそそる松野一松は
    学校では高嶺の花と云うべきポジションにいた。
    無論、目立つ事が苦手な一松にとってそれは決して本人が望んだポジションではない。
    それでも毎月、毎週のように男子から告白を受けていた。
    しかし、一松がそれに応えることは今までに一度たりともなかった。
    自分でも上手く説明できないのだが、言い寄る男子を見て、「この人は違う」と思ってしまうのだ。
    別に白馬の王子様を夢見ているわけでもないし、理想が高過ぎるわけでもない。
    それなのに「違う」と直感的に思ってしまう。
    一度そう思ってしまうともう受け入れる事なんて一松にはできなかった。
    そうして告白を断り続ける一松の姿は、益々高嶺の花に拍車をかけ、
    何としてでも落とそうとする不貞な輩もちらほら現れたものの、
    ついに学生時代に誰とも付き合うことなく成人を迎えた。
    告白を断る度に己を蝕む虚無感と泣き出したくなるような寂しさ。
    違う、この人じゃない。
    あの人でないとダメなんだ。
    まるで頭のどこかでもう1人の自分がそう叫んでいるようだった。
    あの人が一体誰の事なのか、一松自身にもわからない。
    わからないが、一松はいつも心のどこかで自分でもよくわからない"あの人"を探し求めていた。

    突然お見合いをさせられる事になったのは、大学を卒業して間もない頃だった。
    いつまでもこんな調子の一松を両親が気にして、どうやら強行に出たらしい。
    一度こういう事を体験しておけば、気が変わるかもしれないわよ、とは母の言葉だ。
    聞くところによると、相手は5つ年上のなかなかの企業に勤める人らしい。
    こちらの都合はお構いなしのまま、あれよあれよと事が運び、気付けば着付けも済まされていた。
    両親に気付かれないように、一松は小さく溜め息を吐いた。
    どうせ、お見合いをしたところで変わらない。
    この人は「違う」と思ってしまえばそれまでだ。
    違うと感じてしまえば受け入れられない。
    何か理由を見つけて断ろう。
    慣れない振袖に歩くのも四苦八苦しながら、一松は考えた。

    ホテルの中に設けられた和食レストランの個室の襖が開いた。
    中で待っていたのはいかにも女性受けしそうな精悍な顔立ちの男性。
    お見合い相手の男性は、一松の姿を見て驚いたように目を見開いている。
    一体何をそんなに驚いているのかはわからないが、気にせずに男性の正面に腰を下ろし、
    互いの父親がテンプレに沿った挨拶を始めた時だった。

    「結婚してください!」

    目の前に座る男性がよく通る声でそう言った。
    突然の言葉に今度は一松が目を見開く番となった。
    視線が交わる。
    その目を見て、思った。

    あ、この人だ。

    探し求めていたのは、間違いなくこの人だ、と頭の片隅にいるもう1人の自分が騒ぎ立てた。
    この人だ、この人だ。
    何故そう思ったのか、一松自身にも説明のしようがない。
    ただ、本能的にそう感じたとしか言えないのだが、目の前に座るお見合い相手の男性は
    間違いなく一松が追い求めていた人だった。
    だから、自然と綻ぶ口元をなんとかバレないようにしながら
    男性の、カラ松の言葉に応えた。

    「私でよろしければ、謹んでお受け致します。」

    カコン、と庭園に誂えられた鹿威しの音が聞こえた。

    ーーー

    それからはあっという間だった。
    何度かカラ松と2人で出掛けたりしながら親睦を深めつつ、
    新居を探し家具を揃え、お見合いから半年たった頃に婚姻届を役所に出しに行った。
    あの時本能的にこの人だと感じた己の直感は間違っていなかったようで、
    カラ松と過ごす時間は一松にとって非常に心地好いもので、
    出会って日が浅いのにも関わらず気の置けない相手になっていた。
    まるで、元からそうだったかのように、ごく自然に互いの生活に互いの存在が溶け込んでいった。

    新婚生活は至って順調だ。
    親族のみでささやかな式を挙げ、新婚旅行にも行った。
    新居は閑静な住宅街の一角の新築の戸建てを購入し、ご近所さんも皆いい人達だ。
    カラ松はいつだって優しくこちらを気遣ってくれる。
    けれど。
    時折、本当に時折なのだけど
    カラ松は一松を見つめては、ふと寂しげな表情をする事があった。
    その顔はカラ松でありながら別の誰かのようにも見えて、
    同時にその目は一松を見つめながら一松ではない誰かを求めているようにも見えた。
    さり気なく自分が何か気に障る事をしたのかと訊いてみたが、
    一松は何も悪くないのだと自嘲じみた笑みで返されるばかりでそれ以上は何も聞けなかった。

    もしかしたら、カラ松は本当は自分と結婚したくなかったのではないだろうか。
    あのお見合いの席での突然のプロポーズは、実は一松に断ってもらうために言い放った言葉だったのかもしれない。
    だって自分達は一度も、所謂夫婦の営みというやつをしていない。
    ああ、きっとカラ松は嫌々付き合ってくれていたんだ。そうに違いない。
    元より一松はネガティブ思考だ。
    一度思い込んでしまった己の推測を考え直すことのないまま、
    更なる負の連鎖に陥っている事にも気付けていない。
    夕食を作りながら尚も一松は考え込む。
    好きでもないのに付き合わされているなら、解放してあげた方がいいのではないか。
    バツがついてしまうが、カラ松ならすぐに自分なんかよりずっといい人が見つかるだろう。
    あの時、一松は自分が探し求めていたのはカラ松だと本能的に感じた。
    けれど、カラ松にとって探し求めている人は一松ではないのだ。
    あいつは優しいから、自分のことを憐れんで別れを切り出さずにいてくれているのだろう。
    そう考えると自然と涙がこみ上げてきた。
    流れる涙を拭いもせず、一松はキッチンに立ち尽くした。


    「…一松?」

    一体どれだけの間そうしていたのか、気付けばカラ松が帰宅していた。
    一松の様子にカラ松はギョッとした顔をして慌てて駆け寄る。

    「一松?!どうした、何かあったのか?」

    ハラハラと静かに涙を零す一松の顔を心配そうに覗き込み、優しく背中をさすり出した。
    だがその優しさすら、今の一松には苦しくて仕方なかった。

    「やめて…」
    「い、一松?」
    「やめてよ…もう僕なんかに…いい夫を演じることない…」
    「おい、本当にどうしたんだ一松?!」

    どこまでも優しいカラ松に、ひとりネガティブ思考でとことん自虐的になっていた一松は
    背を撫でるカラ松の腕を振り払い、今度は癇癪を起こした子供のように泣き出した。
    カラ松の眉根が困ったように下がったのと同時に
    その顔に昔を懐かしみ慈しむような表情を浮かべた事に一松は気付いていない。

    「無理してっ…僕に、つ、付き…合わないで、いいよっ…!
     すっ好きでも、ないクセにっ…優しく、され、たら…よけい、ツライよ…っ!」
    「一松?何を言っている?!」
    「ねぇ、何でっ…何で、僕とけっこん、なんて…したの…」
    「一松!!」

    しゃくりあげながら言葉を紡ぐ一松をカラ松は強引に腕の中に閉じ込めた。
    一松の薄い肩が跳ね上がったが構わずに力を込められる。

    「カ…カラま「黙れ」っ!」

    いつもより1オクターブ低い声に遮られる。
    一瞬、空気が震えた。
    カラ松を怒らせたのだと理解するのに時間は要しなかった。
    体格の良い男性のカラ松と平均より細く頼りない女性の一松では力の差は歴然で、一松に抜け出すことは不可能だ。
    一体何がどうなっているのか。
    考える暇も与えず、今度は顎を掴まれ上を向かされたかと思ったら唇を塞がれた。
    無理やり口元をこじ開けられ、歯列を舌でなぞられ、驚いて逃げ惑う舌を絡め取られた。
    一松にとって今まで経験したことのない、ねっとりとした濃厚な口付けだった。
    されるがままの状態で呼吸が上手くいかない。
    頭がボンヤリと白んできた。

    …………



    『好きなんだ、一松のことが』

    夕暮れ時に、何の前触れもなく告げられた愛の言葉。
    それは自分が夢にまで見るほどに欲しかった言葉のはずだった。
    けれど、実際にそれを目の前にいとも簡単に差し出されて、一松がまず感じたのは罪悪感と恐怖だった。
    差し伸べられたその手を取れば、甘ったるく幸せな時間を手に入れることができただろう。
    しかしそれは一時のぬるま湯に過ぎない。

    『…俺は…俺、は…カラ松に応えることは…できない…』
    『何故だ?俺のことは嫌いか?』
    『そ、そうじゃない…!』
    『ならどうしてだ?』
    『あ…アンタはさ、ちゃんといい人を見つけて、結婚して…子供を作って…
     平凡で幸せな家庭を築く方が、似合ってるよ…。
     こんなクズを相手にして…人生を棒に振ることない…。』
    『一松!!』
    『ヒッ…!』
    『…あ、すまない。怖がらせるつもりはなかったんだ。
    なあ、俺は一松と幸せになりたいんだ。一松は俺じゃダメなのか?』
    『俺、は…』

    (僕もカラ松が好きだよ。…でも)

    『ごめん…カラ松。』
    『……そうか。』
    『ごめん。』
    『いや…俺こそすまなかった。今のは忘れてくれ。』
    『……。』

    言えない。僕もカラ松が好きだよだなんて、言ってはならない。
    だって不毛過ぎる。
    同性で、実の兄で、しかも一卵性の兄弟で。
    ただでさえ社会不適合者で燃えないゴミの自分がこれ以上罪を重ねてどうするのか。
    いや、自分が罪を背負うのはこの際構わない。
    けどカラ松はダメだ。
    カラ松は、ちゃんといい人を見つけて、幸せになってほしかった。
    自分ではどう足掻いたってカラ松を幸せになんてできやしない。
    だからこの想いは報われてはいけないのだ。

    突然カラ松から想いを告げられた時、本当は天にも飛び上がる程嬉しかった。
    こんな自分を好きだと言ってくれることが泣きたいくらい嬉しかった。
    でも、だからこそ一松はカラ松を突き放した。

    幸せになんてなってはいけない。
    そうだね、来世にでも期待しよう。
    来世来世 ー…

    …………




    まるで貪るようなカラ松の口付けに思わず意識を手放そうとしたところに
    一松の中に突如として再生された、誰かの記憶。
    誰か…いや違う。あれは自分だ。
    あれはかつての自分自身だった。
    六つ子の兄弟の1人だった頃の記憶。
    かつての自分は、実の兄に想いを寄せていた。
    まさか、そのかつての実の兄は。
    突然頭の中に溢れかえった記憶に頭痛を覚えながらも、
    一松はカラ松の力が緩んだ瞬間に力いっぱいカラ松の顔を押しのけた。

    「は、なせ、クソ松…!!」

    何故どんなにハイスペックな男性に言い寄られても、この人は違うとその気になれなかったのか
    何故この男を探し求めていたとあの時感じたのか、ようやく理解できた。
    冗談交じりに「来世来世」なんて言ったが、まさか本当に来世に持ち越されることになろうとは。
    どうやらお互いに相当執念深かったらしい。

    腕の中から逃れることはできなかったものの、執拗に口内を絡め取る舌からは何とか逃れた。
    2人の口元を繋ぐ透明な糸が一瞬伸びて霧散した。
    いつもの一松とは異なる荒々しい口調と懐かしい呼称にカラ松が目を瞠った。

    「その呼び方…一松、まさかお前…!」
    「…お、思い、出した…。」
    「ほ、本当か?!
     ああぁよかった!っていうかそうじゃなくて!すまない!いきなり乱暴なことをっ!
     いやでも一松が好きでもないくせにとか言い出すから!
     つ、つい頭に血が上って!!」
    「もういいよ…結果的にクソ松の無理やりなディープキスが思い出すきっかけになったんだし…。」

    非常にわかりやすく慌てふためき出したカラ松に話を聞いてみれば、彼は学生時代から夢は見ていたものの
    思い出すまでには至らず見合いの席で一松の姿を見て前世の六つ子だった頃の記憶を思い出したらしい。
    あの時に一松が前世の一松だと確信して思わず突然プロポーズの言葉を吐いていたのだとか。

    「じゃぁ、たまに僕を見てなんだか寂しそうな顔してたのって…」
    「ああ…。俺には前世の記憶があるのに、一松にはそれがないのがどうにも寂しく感じる時があってな。
     今世でこうして出会って、夫婦になれたのだからこれ以上の幸せはないし
     贅沢を言うべきではないと分かってはいたのだが…、
    人は一度幸せに慣れてしまうと、それ以上を望んでしまう欲深い生き物なんだな…。」
    「…じ、じゃぁ…今まで、全然…手を出してこなかったのは…?」
    「そ、それはだな…。」
    「うん?」
    「壊しそうで怖かった。」
    「は?」
    「今の一松は、可憐な女性だし、身体も決して丈夫とは言えないだろう?
     だからその…抱いた時に今まで溜め込んできた欲をブチまけすぎて
     傷つけてしまうのが怖かったんだ。
     ましてや、一松には前世の記憶がなかったから…優しくする自信がなかった。」
    「…アンタ、ほんとバカだね。」
    「えっ…?!」
    「確かに前世に比べたら、僕は力も弱いし頼りないけど…そのくらいで壊れたりしないよ。
     それに、今はもう記憶がある。
     …だから、その…た、溜め込んでたっていう分、全部受け止められると思う、から…。」
    「い、一松うぅぅぅ!!」
    「うっせぇ抱きつくなクソ松!」
    「フッ…やはり俺達は愛の女神によって結ばれし運命…ディスティニーだったんだな…。」
    「何でこのタイミングでイッタイ事言った?!」
    「ぐふっ!…な、殴らないでくれ…いや、もう解禁してもいいかなーと思って。
     解き放つぜ俺の魂の[[rb:詩 > うた]]…!」
    「解き放つな死ぬ程ウゼェわ!!」

    「一松。」
    「…何。」
    「生まれる前から好きだった。」
    「………僕もだよ。」

    その夜、本当の意味で思いが通じ合ったカラ松と一松は目出度く心ゆくまで愛し合ったのであった。

    ーーーーー

    3.

    目を覚ますと、まず目に飛び込んできたのは見慣れた天井だった。
    顔だけを横に向けると、そこには昨晩散々抱き潰した一松が眠っていた。
    宣言通り、一松はその細い身体でカラ松がこれまで溜めに溜めてきた想いを一身に受け止めてくれた。
    柔らかくしなやかな体を思い出し、自然と頬が緩む。
    結婚当初、かつて六つ子の兄弟だった前世の記憶を一松は持っていなかった。
    その事に少しの寂しさを感じてしまったために、
    知らずの内に一松を傷つけてしまっていたことを知ったのは昨日のことだった。
    気付かれないようにしていたつもりだったが、勘づかれていた事に申し訳なさを感じた。
    好きでもないのに優しくするな、等と言われて思わず頭に血がのぼり、
    噛み付くように半ば強引に嗚咽を漏らす一松の唇を塞いで。
    乱暴な事をしてしまったと今では反省しているが、その口付けによって一松にも前世の記憶が蘇ったのだから
    結果オーライと思っておくとしよう。
    時を越えて抱え続けてきたと言っても過言ではない想いがようやく結ばれて、
    これ以上ない幸福感と心地好い疲労感を感じながら、カラ松はすやすやと寝息を立てる一松を抱き寄せた。
    枕元の時計は9時半を示している。
    一松の額にキスを落とすと、カラ松はベッドから抜け出した。
    昨晩一松には無理をさせてしまったことだし、今日の朝食は自分が作ろうと思い立ったのだ。

    手早くトーストとベーコンエッグを作ってしまうと、カラ松は再び寝室へと向かう。
    部屋の扉を開けるとちょうど一松が目を覚ましたところだったようだ。

    「お目覚めかい、カラ松Girl?」
    「だまれくそまつ…。」
    「フッ…起き抜けの舌ったらずな声で言われてもキュートでしかないぜ?」
    「うっざ」

    朝食を済ませ、リビングには一松が食器を洗うカチャカチャとした音とテレビの音が控えめにこだましている。
    今日は休日だ。
    天気も良いし、何処かに出掛けるのもいいかもしれない。
    そういえばこの辺も桜が満開になったとかニュースで言っていた。
    花見なんてのもいいな。
    少し遠出して桜の名所を散歩するだけでも楽しめそうだ。
    ソファに腰掛けてテレビを見つめながら、なんとなくそんな事を考えていたカラ松だったが
    一松に話しかけられたため、現実に戻ってきた。
    洗い物は終えたようで、一松はカラ松の隣に三角座りで腰掛けた。

    「ねぇ。」
    「うん?」
    「僕達は奇跡的な確率でこうして会えたけどさ、他の兄弟も転生してるのかな。」
    「ああ、そういえばそうだな。
     もし同じ時代に生きているのなら会ってみたいよなぁ…。」
    「まぁ、そうだね。」

    話はそれ以上進まなかった。
    昔から見ていた夢のせいで一松のことしか気にかけていなかったが
    言われてみれば、かつての六つ子の兄弟もこうして転生している可能性もある。
    もし今を生きているなら会ってみたいものだ。

    ーーー

    それから月日は流れたが、他の兄弟に出会う事は未だなかった。
    進んで探したりしていないのだから、当然の結果とも言える。
    もし、今この同じ時代に生きているなら、幸せな人生を歩んでほしいものだ。
    人知れず、カラ松はそう思った。

    そんなある日の事。

    いつも通り仕事から帰ると、いつにも増して畏まって座る一松の姿があった。
    食卓にはきちんと湯気の立っている夕食が並べられている。
    本日のメニューは唐揚げのようだ。

    「ただいま帰ったぜマイハニー!」
    「おかえり…。」
    「…?どうかしたのか、一松。」
    「あー…うん。ちゃんと話すから、とりあえず手洗ってきたら。」
    「わ、わかった!」

    一松に促され、カラ松はスーツのジャケットを脱いでハンガーに掛けると、
    洗面所で丁寧に手洗いうがいを済ませて食卓へ戻った。
    先程からダイニングテーブルにつく一松はどこかソワソワしているように見えた。
    その様子に首を傾げながらもカラ松も席に着く。

    「それで、何かあったのか?」
    「えー…と、その…。」
    「一松?」
    「あ…」
    「あ?」
    「あ、赤ちゃんが、できた…。」

    一瞬、思考がフリーズした。
    赤ちゃん。
    …赤ちゃん?!
    頬を薄桃色に染めてカラ松にそう告げた一松は、恥ずかしさに耐えられなくなったのか
    パンッと大きめの音を立てて手を合わせ、上擦った声音で「いただきます!」と言うと唐揚げを頬張り始めた。
    カラ松は停止したままだ。
    一松が一つ目の唐揚げを咀嚼し終え、飲み込んだところで、ようやくカラ松は事態を理解した。

    「こっ子供?!」
    「うぇっ?!…あ、うん。」
    「お、俺と一松のか?!」
    「なっ…アンタの子に決まってんじゃん。…何、疑ってる?」
    「いや、疑ってなどいないぞ!
    そうか!赤ちゃんか!…そうかぁ~。…ぐすっ」
    「え。…え?!ちょっと、何泣いてんの?も、もしかして嫌だった…?」
    「まさか!嬉しいぞ!この上なく幸せだ!幸せ過ぎてつい涙が…っ
    嗚呼、ありがとう一松!ありがとう!!」

    現状を把握したカラ松は天を仰ぎ声高らかにセラヴィー!と叫び出したが
    一松にうるさい、と口に唐揚げを無理やり突っ込まれた。
    唐揚げは美味かった。

    妊娠を告げられてからというものの、カラ松は今まで以上に一松に献身的になった。
    検診には毎回同行したし、つわりがひどくて動けない時は代わりに家事の一切を引き受けた。
    産院の両親学級にも参加した。
    切迫流産で緊急入院になった時は毎日病室を訪れた。
    お腹が目立ってきた頃には毎晩のように話し掛けて、子守唄も歌ったりした。
    手を触れた一松の腹越しにお腹の子が蹴り返してきた時は感動を覚えたものだ。
    日毎どんどん大きくなる一松の腹を見ながら、カラ松は日々の幸せを噛み締めていた。
    前世では一松と結局結ばれる事はなかった。
    確かに互いに思い合っていたが、だからこそカラ松の身を案じた一松が拒絶したのだ。
    その事がひどくもどかしくもあったが、今世でこうして結ばれる事ができたのだ。
    夫婦となって、もうすぐ子供も生まれる。
    幸福感もひとしおだった。

    ーーーーー

    4.

    再び桜が咲き始めた季節の明け方、一松はカラ松の立会いの元、闘いの真っ最中だった。
    昨日の夕方に病院に入院し、日付が変わって空が白んできた頃にようやくここまできた。

    「松野さん、頭が見えてきましたよ!もう少しですからねー」

    「一松、一松!あと一息だ、頑張れ!」

    意識が朦朧として、気を抜くと眠ってしまいそうだ。
    実際に何度か意識を飛ばしては、痛みにまた目を覚ますという流れを繰り返していた。
    一松の右手を握るカラ松の声がどこか遠くに聞こえる。
    とにかく必死で腹に力を込めた。

    産声が響き渡った頃には、気力体力共に限界を超えていた。
    いつの間にか日は昇りきっている。

    「おめでとうございます。男の子ですよ。」

    産科医が祝福の言葉と共に一松の胸元に温めたバスタオルを広げ
    その上にたった今産まれたばかりの我が子を乗せてくれた。
    妊娠がわかったその時から、待ち焦がれていた瞬間だ。
    小さな身体で力いっぱい泣き声をあげる子を胸に抱くと、自然と涙が一筋零れ落ちた。
    1人産むのでさえ妊娠中から何から何まで大変だったというのに
    前世の母は一度に6人生んだのだから本当に尊敬に値する。
    今になって改めてマジ松代リスペクトである。
    …それよりも傍らに立つカラ松が大号泣している。
    えぐえぐと嗚咽を漏らすカラ松を呆れたように笑って一瞥し、我が子の顔をのぞき込んだ。
    生まれたばかりのはずなのにぱっちり開いた大きな目と、ぱっかり開いた大きな口。
    ……んん?

    「…………十四松?!」

    生まれたばかりの赤子なのだが、顔を見た瞬間、一松の直感がそう告げた。
    一松の掠れた呟きに、カラ松は気付いていない。
    気のせいだろうか?
    いや、確かにこの子は十四松だ。そう思えてならない。
    え?ってことは前世の兄弟が息子として生まれてきたの?マジで?!
    驚愕の事実にまた気を失いそうになった。
    頭がクラクラして眩暈がするのは決して産後の疲労だけではないはずだ。
    カラ松は相変わらず感動の涙を流しながらセラヴィセラヴィ言っているため、おそらくまだ気付いていない。


    結局カラ松が生まれた我が子の顔をしっかりと見たのは、母子共に後処理も終えて一段落し
    一松が病室のベッドに横になっている時だった。
    産湯で綺麗にしてもらった息子が白い産着に包まれ、小さな新生児用のベビーベッドに乗せられて
    運ばれてきたのでカラ松が抱っこに初挑戦することになったのだ。
    初めて腕に抱いたその子の顔を見て、カラ松は一松と同じ反応をしてみせた。

    「…………十四松?!」

    「…やっぱりそう思う?…僕も思った。」
    「一松もそう感じたのなら間違いないんじゃないか?
     そうか…まさか十四松が俺達の子供として生まれてくるとはなぁ。」
    「ん…驚いたよね…。」
    「ああ。…そうだ、一松。お疲れさま、よく頑張ったな。
     俺を父親にしてくれて、ありがとう。
     こんな可愛い奥さんと息子を持てて俺は果報者だ!」
    「ヒヒ…どういたしまして。
     つーか、前世の兄弟だけどね。」
    「俺達六つ子の縁は生まれ変わった程度じゃ切れたりしないってことだな!」

    小さな十四松(もう決定だ)をベビーベッドにそっと寝かせると、
    カラ松は部屋の隅に畳んで置いてあったパイプ椅子を広げ、一松が横たわるベッドの脇に腰掛けた。
    一松の腕には産後の感染症予防のための点滴が打たれている。
    明らかに疲労の色が見える一松の頬をカラ松が優しく撫でる。
    それから顔を近づけて、額に小さなリップ音を立てて口付けを落とした。
    いつもは照れ隠しで殴り飛ばす一松も
    (とは言っても前世と違ってカラ松にとっては大したダメージになっていない)
    今は抵抗する気力はないのかされるがままだ。

    「本当に、お疲れ。」
    「…ん。」
    「…ところで思ったんだが。」
    「何。」
    「俺達が他の兄弟に会ってなくて尚且つ今日、十四松が生まれてきたってことは…」
    「え…え?…ちょっと、嘘でしょ。僕も少しその線も考えたけどさすがに…」
    「いや、他の兄弟に会えない理由が、まだあいつらがこの世に生まれていないからだとすると…」
    「まさか…ないないない!というかないと思いたいんだけど!」

    「「…………。」」


    「一松、あと3人頑張ろうか。」
    「嘘だろおぉぉぉぉ?!!!?!」

    ーーー

    その後、
    十四松が生まれた2年後にトド松(♀)が
    更にその3年後にチョロ松が
    更に更にその2年後におそ松が生まれて
    無事に今世でも六つ子が揃いました。

    「待って、こいつら僕らが育てていくの?!」
    「フッ…当たり前だろう。俺と一松の愛の結晶達なんだからn「荷が重ーーーい!!!」えっ…」

    ーーーーー

    蛇足

    ●カラ松パパ
    一家のパパ。27歳の時に一松と結婚してその翌年に十四松が誕生。
    割と有名な大企業に勤める一家の大黒柱。
    転生してイタさは緩和されたがたまにイタイ言動をする(確信犯)
    一松マジ愛してる。死んでも離さない。
    子供達マジ可愛い。
    中でも女の子として生まれてきたトド松は特に可愛くて仕方ない。
    お嫁?絶対許しません!

    ●一松ママ
    一家のママ。22歳の時にカラ松と結婚してその翌年に十四松が誕生。
    大学を卒業してすぐに結婚したので就職はしてなかったが、
    現在は近所のドラッグストアでパートをしている。
    今世では少々身体が弱いのが悩み。
    子供達はみんな健康に生まれてくれたのはホッとしている。
    気恥ずかしさが勝ってしまうため素直になれないがカラ松のことはちゃんと愛してます。
    子供達にはデレ100%

    ●十四松
    明るく元気な長男。
    弟妹の面倒もちゃんと見るイイコ。
    中でもトド松が大好きな隠れシスコンでカラ松と共にトド松護衛隊を結成している。
    前世に比べてそこまで狂人ではないけど運動神経は抜群。
    前世の記憶は割と早い段階で思い出した。

    ●トド松
    おしゃまさんであざとい長女。
    お兄ちゃんの十四松が大好きな隠さないブラコン。
    彼氏?十四松兄さんよりカッコイイ人がいたら考えるよ!いるワケないけどね♡
    生まれ変わってもカラ松に「イッタイよねぇ〜」とツッコむのは忘れない。
    前世の記憶は小学校に上がった頃に少し思い出した。
    現在も随時記憶補完中。

    ●チョロ松
    しっかり者な次男。
    おそ松が生まれるまではヤンチャ坊主だったが自分以上にヤンチャな弟ができたことで
    お兄ちゃん心が芽生えたのかしっかり者のおそ松ストッパーに成長した。
    あざとい姉にいいようにパシられる率No.1
    両親も兄も姉もあんなんなので今世でも立派にツッコミ役を果たしている。
    前世の記憶はまだない。

    ●おそ松
    やんちゃな末っ子。
    末っ子なのでみんなに甘やかされてそうで実はそうでもない。
    とにかくやんちゃな悪ガキ。
    時折、一体どこで覚えてきたんだという下ネタを暴発する。
    常にチョロ松に怒られて引き摺られているが、なんだかんだでチョロ松にべったりなお兄ちゃん子。
    前世の記憶はまだない。


    お粗末様でした。
    ちなみに子供達の順番はあみだくじで決めました。
    焼きナス
  • 三男と四男が囚われた話2 #BL松 #カラ一 #おそチョロ #監禁 #年中松 #死ネタ

    !ATTENTION!
    この話は以下の要素を含みます。
    一つでも嫌悪感を感じるものがございましたら早急にブラウザバックをお願いいたします。

    1.おそチョロ、カラ一前提(くっついてない)の上での、一チョロ一です
    2.変態なモブのオッサンが出張ります
    3.拉致、監禁要素があります(被害者:年中松)
    4.異常性癖の表現があります(被害者:年中松)
    5.本編はハッピーエンドで終わります。…が、最後にif分岐として死ネタルートをオマケとして置いてます。


    OKな方はお進みください。


    ーーー

    猫達の協力を得て、チョロ松と一松が何者かに攫われたらしいことは判明したが
    そこから居場所を探し出すのは難航していた。
    2人は黒い車に押し込められて何処かへ連れていかれたらしいのだが
    黒い車など日本全国山ほど走っているし、
    目撃した猫は当然車のナンバーなど覚えているはずもない。
    それに2人を乗せた車が県外へ走り去ってしまったのなら
    猫のネットワークでは限界がある。
    エスパーニャンコはすでに2つ目の薬を飲んでもらっている。
    その効力も明日で切れてしまう。
    残った薬は後1つ。
    デカパン博士からはまだ連絡がないし、猫達に協力してもらえるのは後1週間だろう。

    その日の夜、就寝前にトド松が気になる話を聞いた、と俺たちを真剣な眼差しで見据えながら言ってきた。
    目撃情報や手がかりとは直接関係のない話だけど、と前置きしてからトド松は口を開いた。

    「ここ1年、東京で青年の失踪事件が異様に多発しているらしいんだ。」
    「失踪事件?」
    「うん。その失踪者がね、全員10代〜20代半ばの男性なんだって。」
    「チョロ松と一松もその失踪者の条件に当て嵌まるな。」
    「でもあいつらは誘拐だろ?」
    「そうだけどさ…例えばだよ?
     例えば…その失踪した人達も、兄さん達と同様に誘拐されたんだとしたら?」
    「…どういう事だ?」
    「チョロ松兄さんと一松兄さん以外にも、攫われた人がいるかもってコトかな?!」
    「あくまでも憶測の域だけど…
     でも無関係とも言い切れないと思わない?」
    「確かに、トド松の言うことも一理あるかなー…。
     なぁ、その失踪者ってまだ誰も発見されてねーの?」
    「うん。全員行方不明。…兄さん達も含めて、ね。」

    直接関係のある話ではなかったが、確かに気になる話だ。
    トド松は、念のため失踪した男性達のことも少し調べてみると言って
    さっさと布団に潜り込んでしまった。
    おそ松が電気を消す。
    4人だけの布団の中は温まるのに時間を要するせいか少し寒い。
    隣にいるはずの一松の体温が感じられないのがひどく寂しかった。
    チョロ松と一松が姿を消してから既に1ヶ月半程が経とうとしている。
    2人がいなくなってから、トド松が夜中にこっそりすすり泣いているのを、
    十四松が路地裏で1人涙を流しているのを、
    そして、おそ松が時折緑色のパーカーを目を腫らしてボンヤリ見つめているのを知っている。
    そういう俺も、ふとした拍子に部屋の隅…一松の定位置に目を向けてしまい、
    何も無い空間を見ては情けないことに泣きそうになるのを必死で堪えていた。
    真ん中2人が抜けた穴は想像以上に大きくて、俺も含めた兄弟の落ち込みようはひどいものだった。
    なんだかんだで俺もおそ松も真ん中組を甘やかすのは好きだし、
    末2人も真ん中組に甘えるのが大好きだ。
    もう見つからないのかもしれない、
    そんな思いが一瞬脳裏を過ぎったが、すぐ様頭をブンブン振って思い直す。
    俺はまだ諦めない。
    諦めるわけにはいかない。
    もちろん他の兄弟達だってその思いは同じだ。
    明日はもう少し遠くへ足を伸ばして探してみようか。
    その前にエスパーニャンコに薬をもう一度飲んでもらって、
    あとは協力してくれている一松キャット達にお礼の猫缶を持って行ってやらなければ。
    そんな事を考えながらウトウトとし始めていた時だった。

    カリカリ、と部屋の窓ガラスを引っ掻く音が聞こえた。
    上体だけを起こして窓の方を見ると、そこには外の街灯に照らされて薄っすらと猫のシルエットが見て取れた。
    次いで「ニャーォ」と猫の鳴き声。
    エスパーニャンコだ。
    布団から這い出て窓を開けると、エスパーニャンコはピョイと部屋の中に入ってきた。
    その物音に兄弟達も起き出して先ほど消したばかりの明かりを再び点ける。
    俺たちを見渡して、明るい橙色の毛色の猫が言った。

    『みつけた。』

    ーーー

    深夜、鬱蒼とした森に囲まれた狭い道路を1台の車が走っていた。

    「おいコラもうちょいスピード出せっての!」
    「十分スピード出してるザンス!
     乗せてもらってる分際で文句を言うんじゃないザンス!」

    「そうだよ!もっと急いでよイヤミー!」
    「これでもかなり飛ばしてるザンスよ!
     だからうるさいザンス!」

    「エンジン全開!全カーーーーイ!!ハッスルハッスル!」
    「ええいやかましいザンス!!」

    「フッ…今こそお前の眠れるフォースを解放すべき時だぜ。
     俺はお前を………信じてるぜ!」
    「やかま…イッタイザンスね!!」

    兄貴がイヤミに脅…お願いして8人乗りのワゴン車を出してもらい、
    俺たちは山奥のとある屋敷へ向かっていた。

    エスパーニャンコが夜中に俺たちに教えてくれた。
    山奥の大きな屋敷にチョロ松と一松が囚われていると。
    屋敷の周辺を縄張りにしている猫が庭で一松と遊んだことがあるのだそうだ。
    その猫から近隣の猫へ伝達され、更にまた近隣へ伝達され…
    そうしてとうとうこの辺りを縄張りとする猫達の耳にも入る次第となった。
    猫のネットワークは想像以上に強力だ。
    猫達から受け取った情報を元にトド松が場所を割り出し、
    大切な弟達を取り戻すために真夜中の森を爆走中という訳である。
    話を聞いてみると、何やら不穏な気配も感じられた。
    チョロ松と一松は鎖で繋がれていたとか、とても体温が低かったとか、
    ここ最近は庭に行っても姿を見せない、とか。
    2人は無事なのだろうか。
    どうか無事でいてくれ。

    「カラ松、すっげー顔してんぞ。」
    「え…。」
    「お前今こそ鏡見ろよ。
     そんな顔でチョロ松と一松に会ってみろ、確実に引かれちゃうよ~?」
    「す、すまない…。」

    一体どんな顔をしていたというのか。
    しかし手鏡は生憎家に置いてきてしまった。
    ペシペシと自分の頬を叩く俺を、おそ松は可笑しそうに眺めていたが
    やがて俺の両肩に手を置いて真剣な目で俺を見た。

    「絶対に取り乱すなよ。
     俺たちが最優先するのはチョロ松と一松の無事だ。
     お前キレたら手に負えねーんだからな。」
    「ああ、わかってる。」

    おそ松に背中を叩かれて、知らず握り締めていた拳が少し緩んだ。

    やがて車は県境に位置する山奥の大きな屋敷の前にたどり着いた。
    まるでそこだけタイムスリップしたかのような景観だ。
    闇夜に浮かび上がるようにして佇むそれは、少し不気味に見える。
    俺たちは車を降り、運転手のイヤミには屋敷から少し離れた目立たない場所で待機してもらうことにした。

    「さてと、どっから入るかだけど。」
    「はいはいはい!」
    「はい、十四松くん。」
    「バットで窓ガッシャーン!!」
    「うむ、採用。」
    「ちょっと!何言ってんのおそ松兄さん馬鹿なの?!」
    「え、駄目なのか?」
    「ダメに決まってんだろこのサイコパスが!」
    「…何故だ?」
    「あー!!僕1人でツッコミ捌き切れない!助けてチョロ松兄さぁん!」
    「えー、じゃあどうするんだよー。」
    「…もうこの際正面突破でいいんじゃないか?」
    「正面突破!」
    「待って兄さん達は何する気なの?!
     言っとくけどこの屋敷にチョロ松兄さんと一松兄さんがいる確証はないんだよ?
     もし強引に押し入って全くの無関係な家だったらどうするのさ、
     器物破損で僕達が捕まっちゃうよ!」
    「あー…そうか~まぁそうだなー…。
     うん、よし正面から堂々と行こう。」

    言うや否や、おそ松は玄関のベルを鳴らした。
    背後でトド松が「ちょっと待ってよまだ心の準備が!」と喚いているが、
    済まないが一刻を争うためスルーさせてもらった。
    こんな真夜中に非常識な客人だがこちらはそうも言ってられないのだ。

    暫しの沈黙の後、大きな扉がゆっくりと開いた。

    「こんな夜更けに…一体どなたです?」
    「あ、どーもぉ~」
    「ヒッ…!!お前…!いや、まさか、そんな…!」
    「え?」

    扉から出てきた男はおそ松の顔を見るなり突然青ざめた顔をして中に引っ込んでしまった。
    一体どうしたというのか。

    「あれ…俺なんかした?」
    「俺が見る限り何もしていないと思うが。」
    「うん…非常識な時間にベル鳴らした以外は何もしてないと思うけど。」
    「だよなぁ…?」
    「なんかビックリーというより、怖がってたねー?」
    「俺の隠しきれないカリスマレジェンドなオーラにビビったとか?」
    「いやそれはない。」
    「トド松否定速すぎじゃね?」
    「ったりめーだろ!
     てゆーか、カラ松兄さんばりにイッタイ事言うのやめてくんない?
     今ツッコミ要員いないんだからね?!」
    「え…?」

    玄関扉の前で気の抜けた会話を繰り広げていると再び扉が開いた。
    先ほどの男だ。
    何がそんなに恐ろしいのか、俺たちを見てガクガクと震えながら屋敷の中へ招き入れてくれた。
    男の態度は気になるが、ひとまず中に入れた事に一安心だ。
    それにしても広い屋敷だ。
    豪者な内装に煌びやかな調度品、そして至るところに人形が飾られている。

    この人形達、やけにリアルで少し不気味だ。
    しかも少年や青年の人形ばかりだ。
    この屋敷の持ち主の趣味なのだろうか。
    なかなかいい趣味をしているようだ。
    他人の嗜好にとやかく言うつもり等全く無いが、是非ともお友達にはなりたくない。

    案内されたのは、広々とした応接間だった。
    ソファには、壮年の気品ある男性が腰掛けている。
    こちらにも伝わってくる風格からして、この男性がここの主人なのだろう。
    彼は、俺たちの顔を見るなり目を細めて口角を釣り上げた。

    「ほう…双子人形にはまだ兄弟がいたのか。」

    舐めるようにして俺達の顔をじっくりと眺め、心底愉快そうに笑う男性から発せられた言葉に、
    姿を消したチョロ松と一松を知っているのだろうと確信できた。

    「先ほどはうちの使用人が失礼したね。
     何せ君達が私の双子人形と同じ顔をしていたものだから
     どうやら震え上がってしまったらしい。」

    喉の奥でクツクツと男は笑う。
    その姿に苛立ちを隠そうともせず、おそ松が一歩前に出て挑発的に口を開いた。

    「人形とかどーでもいいんだけどさ、
     俺たち六つ子なの。
     その内2人が行方不明なんだよね。
     なぁオッサン、あんた2人の居場所知ってるんだろ?」
    「ふむ…そうだね。
     折角兄弟が会いに来てくれたんだ。
     少し早いが私の双子人形を特別にお披露目するとしよう。」

    男性はこちらを見て、一層笑みを深めた。

    ーーー


    愉快そうに笑いながら屋敷の主人は立ち上がると、4人の顔を見比べるように眺めた。
    ついてきたまえ、とおそ松達に声を掛けると、徐に応接間の扉を開けて歩き出す。
    おそ松達は顔を見合わせ、しかしすぐに意を決して男の後を追った。

    廊下を進み、辿り着いたのは重厚な扉の前。
    使用人が鍵を開け、扉を押し開けた。
    ギ…と重たい音が響く。
    男に促されるまま中に足を踏み入れると、やけに甘ったるい香りが鼻をついた。

    窓はなく、天井から伸びるシャンデリアが部屋を明るく照らしている。
    高級ホテルのスイートルームのような装いの其処は、まるで生活感が感じられなかった。
    奥には天蓋付きの大きなベッドが存在感を放っている。
    レースカーテンで視界を遮られ、ベッドの中はよく見えなかったが、そこに人影を確認できた。
    それに最初に気付いたのは十四松だった。
    十四松がベッドに駆け寄り、勢いよくカーテンを開け放つ。
    その音に、他の兄弟も自然と視線がベッドへ向かった。
    開け放たれたカーテンの向こう側、ベッドの中には、
    はたしてまるで人形遊びのように着飾られたチョロ松と一松が静かに眠っていた。

    「チョロ松兄さん!一松兄さん!」
    「兄さん達…!本当にここに攫われてたんだ…!」
    「チョロ松、一松…!」
    「やっと見つけた…!!」

    眠る2人を起こそうとトド松がチョロ松を、十四松が一松をガクガクと揺さぶる。

    「兄さん!兄さん、起きて!」
    「兄さん!」

    末の2人が真ん中の2人を起こそうとしている中、おそ松はある事に気付いた。
    チョロ松と一松に枷が嵌められ、鎖で繋がれている。
    思わず呆然と呟いた。

    「おい…なんだよコレ。」

    手枷はチョロ松の左手と一松の右手を繋いでおり、
    足枷はベッドの足に繋がっていた。
    真ん中の2人が自由を奪われ、この部屋に監禁されていただろうことは、容易に想像できた。
    ふつふつと怒りが沸き上がりつつある中、チョロ松と一松が同時に身じろぎ、ゆっくりと瞼を持ち上げた。

    「チョロ松兄さん、一松兄さん!大丈夫?どこか痛くない?!」
    「チョロ松、一松!俺達が分かるか?もう大丈夫だからな!」
    「兄さん、兄さーーん!僕たち迎えに来たんだよ!帰ろ!」
    「チョロ松、一松!……おい、2人とも…どうしたんだよ?!
     なぁ…何か言えって!」

    チョロ松と一松が目を開けたことにより4人に一瞬ホッとした空気が生まれたが、それはすぐに霧散してしまった。
    2人とも目を覚ましたものの、焦点は定まっておらず、虚ろな瞳は虚空を映すばかりだった。
    耳元で必死に語りかける兄弟の声も届いていないのか
    どんなに大声を上げても、手を取ってみても、何の反応も帰ってこない。
    おそ松達の表情が、どんどん凍っていった。

    「…兄さん?」
    「………。」
    「チョロ松兄さん、一松兄さん…?
     ねぇ、どうしたの…?」
    「どうした?!返事してくれ!」
    「チョロ松、一松!
     …なぁ、折角お兄ちゃん達迎えに来てやったんだぞ?
     ガン無視はねーだろ?泣いちゃうよ?!」

    反応は無い。
    おそ松達の事はまるで視界に入っていないようだった。
    双子人形…。
    男の言葉を頭の中で反芻する。
    これでは本当に人形ではないか。
    ここでおそ松は1人納得してしまった。
    屋敷の主人がやけにあっさりとチョロ松と一松に会わせてくれたのは
    何か裏があるのかと勘繰り警戒していたのだが
    あの男にそういった考えはなく、単純におそ松達ではどうにもできないと践んでいたのだろう。
    枷はひどく頑丈で、鍵がなければ真ん中2人を解放する事はできそうにない。
    チョロ松と一松を「双子人形」などと言う頭のイカれたあの男は
    こいつらを手放す気など毛頭ないのだ。
    そして、おそ松達がどう足掻いても2人を連れ出すことはできないと高を括っている。

    (…ナメてくれやがって。)

    この屋敷のどこかに枷を外す鍵があるはず。
    もしくはあの男か、使用人の誰かが所持しているのだろう。
    そう推測したおそ松は薄ら寒い笑みを浮かべる屋敷の主人とその使用人達をみわたした。
    先程この部屋の扉を開けた使用人あたりだろうか。
    そうして思案を巡らせるおそ松の胸中を知ってか知らずか
    屋敷の主人が満足そうな笑みを浮かべて背後から近づいてきた。

    「私の双子人形は可愛いだろう?
     まぁ、まだこれは未完成作品なのだがね。
     完成の日もすぐそこだ。」

    男が笑う。
    人形の完成。
    その意味を理解したおそ松は、衝動のままその男を殴り飛ばした。
    チョロ松と一松に付いていたトド松が声を上げたが、構わずにそのまま殴り飛ばした男に近づいた。

    「おい…オッサン。
     てめぇ俺の弟達に何しやがった…?」

    おそ松は自分でもびっくりする程、胸中がスーッと冷めていくのを感じていた。
    殴られ、仰向けに倒れていた男の胸倉を掴み、
    そのまま馬乗りになって更にもう一発拳を叩き込んだ。

    「答えろよ…!
     チョロ松と一松に何しやがったんだよ…!!」

    一切の手加減なく叩き込まれた拳によって男は気絶してしまったようだ。
    白目を剥く男を見ておそ松は思わず舌打ちをした。
    部屋に武装した使用人が押し入ってきたが、そいつらはカラ松にあっさりとのされていた。
    武装は格好だけで、本当にただの使用人なのだろう。
    トド松に警察を呼んでもらうよう頼むと、おそ松は4人を最初に出迎え応接間へ案内した使用人に詰め寄った。
    再び使用人の顔が青ざめたが、知ったこっちゃない。

    「ヒ…!」
    「なぁ、お兄さん。
     あんたが知ってること教えてくんない?」
    「お、お、俺は、何も…!」
    「へーぇ?
     今俺の弟が警察呼んだよ?
     このオッサンの監禁の手伝いしてたなんてバレたらどうなるかなー?」
    「あ……。」
    「教えてくれたらさぁ〜
     警察の事情聴取で俺達お兄さんの事庇ってあげられるよ?」
    「……わ、わかっ…た…。」

    使用人達は主人への忠誠よりも己の保身を選んだ。
    さほどあの男に忠誠心は持ち合わせていなかったのか
    それとも人形遊びと称した監禁の手伝いをさせられていた事に
    後ろめたさがあったのかはおそ松達の知るところではないが。

    使用人の男から聞いた話だと、この屋敷の主人は元々男色家だったそうだ。
    若く、自分好みの少年や青年を拉致っては、人形のように着飾らせ愛でていた。
    拉致った青年達を抱いたりする事がなかったのは、
    屋敷の主人が不能だった為なのだが、その代わり主人はとんでもない性癖を持ってしまった。
    それが、人形遊び。
    催眠と洗脳を誘発する香を焚き続け、食事に無味無臭の薬を混ぜ、
    連れ去った青年を少しずつ、少しずつ内側から壊して、思考を奪い、身体の自由を奪い
    最終的には命すらも奪う。
    緩やかに緩やかに、当人も気付かないくらいゆっくりと。
    そうして「完全な人形」に仕上げていく事にこの上ない悦びを感じていたのだとか。
    悪趣味過ぎて反吐が出そうだ。
    そうして、命を奪われた人形は防腐処理が施され、永遠にその姿を留めたまま飾られる。
    そう…この屋敷の至る所に飾られた等身大の人形達。
    あれは異常性癖持ちの屋敷の主人に連れ去られ、人形遊びの道具とされ
    人形となってしまった成れの果てだったのだ。

    そして、チョロ松と一松もまた「完全な人形」になってしまう一歩手前だったのだろう。
    状況は決して良いとは言えないが、屋敷に飾られる人形達の仲間入りをしてしまう前に
    おそ松達がたどり着けたのは不幸中の幸いだったと言える。

    その後警察が到着し、4人は軽く事情聴取をされた後に解放された。
    チョロ松と一松は検査のため病院へ搬送される事になった。
    本当は早く家に連れ帰りたかったが、仕方ない。

    屋敷に飾られていた人形となってしまった青年達は
    前にトド松が話していた失踪した青年と一致していた。
    トド松の憶測通り、彼らも連れ去られていたらしい。
    その被害者は実に50人を超えていた。





    夜明けを待って、チョロ松と一松が搬送された病院へ向かった。
    兄弟だと説明すると(同じ顔だから説明するまでもなかったかもしれないが)
    担当医が出てきてすんなりと病室に通してもらえた。
    ドアには「面会謝絶」の札がかけられている。

    ドアの向こう、白い空間にチョロ松と一松は眠っていた。
    搬送される際に枷は外されたが、長く嵌められたままだったのか
    手首と足首には赤く跡が残っている。
    容体は決して良いとは言えないそうだ。
    生命力が著しく低下し、脳の働きもかなり落ちていると聞いた。

    「…兄さん達、大丈夫だよね?」
    「ああ…きっと大丈夫だ。
     今は、2人を信じるしかない。」
    「チョロ松兄さん…一松兄さん…。」
    「………。」

    眠り続ける2人を見て、ふと人形のようだと思ってしまって
    慌ててその考えを振り払った。
    冗談でもそんな事思ってはいけない。
    人形なんかじゃない。
    チョロ松も一松も人間だ。
    呼吸も、体温もちゃんとある。
    ちゃんと血の通った、人間なのだ。

    それから、おそ松達は交代で病院へチョロ松と一松の様子を見に行く事にした。
    2人は度々目を覚ます事もあるのだが、意識朦朧としていてほとんど会話が成立しない。
    当然自力で食事もできず、身体中を何本もの管で繋がれていた。
    鎖よりはずっとマシだが痛々しくてたまに見ていられなくなる。
    植物状態と言って差し支えない程だ。

    生きている。
    2人は生きているのだ。
    たとえ目を覚まさなくとも、言葉を交わすことが出来なくとも、
    その事実だけが、4人を支え続けている。

    今日も、チョロ松と一松は静かに眠り続けている。



    ーーー

    ー ある日の長男の独白

    静かにただひたすら眠り続け、たまに目を開けても意識朦朧としていて
    会話もできなくなったチョロ松と一松を見守り続けて、どのくらい経っただろうか。
    あの屋敷から助け出せた時は、2人を取り戻せた事にただただホッとしていたけど
    植物状態な2人を見続けるのは思っていた以上に辛い。
    カラ松も、十四松も、トド松もそろそろ疲れと諦めの色がチラつき始めている。
    もうチョロ松と一松は一生このままなんじゃないかって。
    誰もそんな事口には出さない、いや出せないけど…おそらく皆が薄々考え始めている。
    考えたくない。いつか2人がまた俺の事を見て、「おそ松兄さん」と呼んでくれる日が来ることを、信じていたいけど。
    信じ続ける事に疲弊してしまう程度には、月日が経ってしまったのだ。
    今日も病室で寝顔を眺めて1日が終わる。

    チョロ松の白い頬をそっと撫でると、陶磁器を思わせる肌触りだった。
    その頬に今度は顔を寄せて唇を押し当ててみた。
    いつもだったら「何しやがんだクソ長男!」って怒号混じりのツッコミが飛んでくるところだ。
    でも今は何も返ってこない。
    何も伝わらない。
    何も、伝えることができない。
    頼むよ、俺ホントチョロ松がいないと割とマジでダメっぽい。
    …いつまで続くのかわからない日々を過ごすのがこんなにも辛いとは思わなかった。

    俺、兄ちゃんなのにな。
    ちゃんと助けてやれなくて、ごめんな。


    ー ある日の次男の独白

    兄弟で交代制でチョロ松と一松の傍にいる事を決めたあの日から、
    何回目かも分からない俺の番が回ってきた。
    何度この部屋を訪れただろう。
    今日も眠り続けるチョロ松と一松の周りだけ、時間が止まってしまったかのようだった。
    2人を眺めながら、いつも思う。
    もう少し早く見つけてやっていれば、
    2人で買い物に出掛けた日に、探してやっていれば、
    そもそも、買い物に俺も付いていけばよかったのかもしれない。
    どれもこれも、今更考えたって無意味なのは解っているが、
    チョロ松と一松が屋敷に監禁されていた間、俺達は平然といつもと変わりない日常を過ごしていたのかと思うと
    どうしてもあの時ああしてれば、と考えてしまうのだ。
    仮に俺も一緒に付いて行ったとして、2人が誘拐される事なく無事に帰ってくる確証などないのだが。
    頭に浮かぶのは後悔と謝罪の言葉ばかりだ。
    俺にはもう「信じてる」なんて言う資格すらないのかもしれない。
    けど、言わせてほしい。
    再び、6人揃って笑い合える日が来るのを、俺は信じてる。

    眠る一松の髪をそっと撫でた。
    柔らかな猫っ毛が、指の間をすり抜けていく。
    前髪を撫ぜると、普段は隠された一松の額と短めの眉が顔を出した。
    吸い寄せられるように、その額にそっと口付けた。
    こんな事したのがバレたら一発殴られるどころじゃ済まないだろうな。
    それこそ、いつかのように石臼をぶん投げられるかもしれない。
    ああ、でも。
    それで目を覚ましてくれるなら、石臼くらい受け入れようじゃないか。
    何だったら俺は一松のその唇に躊躇うことなく自身の唇を重ねてやれる自信がある。

    だって、眠れる姫を起こすのは王子様のキスなんだろう?
    いや、みすみす愛する兄弟を危険に晒した俺は王子などではないし、
    仮に一松の唇を奪ったとて、目を覚ましてはくれないだろう。
    一体何を馬鹿な事を。

    すまない、こんな兄を許してくれ。


    ー ある日の五男の独白

    チョロ松兄さんと一松兄さんが帰ってきてくれたのは嬉しいけど、
    手放しに喜ぶことはできない状況だった。
    あの大きな屋敷で人形にされていたチョロ松兄さんと一松兄さんは、
    頭も体も自由を奪われていて、命すら失う寸前だった。
    まだそこから回復せずに今も眠っている。
    それでも僕は、眠る兄さん達に今日も取り留めのない事をたくさん話した。
    そしたら、いつか目を覚ましてくれるんじゃないかって思ったから。
    野球の事はもちろん、おそ松兄さんがパチンコに行かなくなったとか、
    カラ松兄さんが橋へ出掛けなくなったとか
    トド松が夜中に僕にトイレに付いてくるの頼むようになったとか。
    それはもう思い付く限りの事を時間の許す限り、いろいろと。
    でも、2人の容態はなかなか改善しなくて…。
    おそ松兄さんは病院から帰るとベランダで煙草をふかして物思いにふけるようになった。
    前に盗み見た時は、煙を吐き出しながら泣くのを堪えるように空を見上げていた。
    カラ松兄さんは病院から帰ると部屋でボーっとするようになった。
    部屋の隅、いつも一松兄さんがいた場所に何度も何度も視線を向けていた。

    病院の先生は、回復には時間が掛かる、もしかしたら一生このままかもしれない。と言っていた。
    一生このまま?
    それは嫌だ。
    僕は、またチョロ松兄さんと一松兄さんの声が聞きたい。
    また話がしたい。一緒に野球もしたい。

    神様なんて、普段は別段信じたりしてないけど、いるならお願い。
    チョロ松兄さんと一松兄さんが失ってしまった分、僕のを分けてあげるから。
    僕が持ってる分をあげられるだけ分けてあげるから。
    だから、兄さん達を助けて。


    ー ある日の末弟の独白

    今日は僕が病院に行く番だ。
    この順番が回ってくるのは一体何度目なのか、もう数え切れない程の月日は経ったはずだ。
    チョロ松兄さんと一松兄さんは、相変わらず眠っていた。
    2人の寝顔はなんだかとても綺麗なものに見える。
    綺麗な顔して寝ちゃってさ、僕達が今どんな思いでいると思っているのか。
    …正直、僕は病室に来るのが辛かった。
    おそ松兄さんがベランダでボンヤリと煙草を吸ってるのを見る度に
    カラ松兄さんが部屋の隅へ視線を巡らせては微かにその顔が悲しげに歪むのを見る度に
    十四松兄さんが「今日も眠ってた。でもたくさん話しかけてきたよ。」と泣きそうな笑顔で言うのを見る度に
    僕は絶望感と共に病室に足を踏み入れるハメになるのだ。
    今日もやっぱりダメだったんだ、と。
    病室にいると、何をしたらいいのかわからない。
    僕はおそ松兄さんのようにチョロ松兄さんに優しく触れる勇気も
    カラ松兄さんのように一松兄さんの髪を撫でる勇気も
    十四松兄さんのようにひたすら2人に話しかけ続ける勇気も持ち合わせていなかった。
    つまりは、僕はチョロ松兄さんと一松兄さんの悲惨な現状を受け入れたくなくて逃げているのだ。
    このままじゃダメだってわかってるのに。
    そう、このままじゃダメなんだ。
    でもどうしよう、僕にはどうしても勇気がない。
    眠る兄さん達を直視するのが怖い。
    けど僕だって兄さん達には触れたい。

    …そうだ、いっそのこと目を瞑って触ってみようか。
    一体それに何の意味があるのかは自分でもよく分からないけれど。
    何もせずに眺めているだけよりかは、何か意味があるはずだ。
    そうと決まれば、臆病な心が顔を出す前に実行だ。
    ひとまず、チョロ松兄さんのベッド脇に置かれたパイプ椅子に腰掛け、
    細い手を確認すると、それを恐る恐る掴んでギュッと目を閉じた。
    それに呼応するようにチョロ松兄さんの手を握った僕の手にも力がこもった。

    僕、もう逃げたくないよ。
    ううん、逃げないから。
    だから兄さん達も戻ってきて。

    ーーー

    トド松がキツく目を瞑りながらチョロ松の手を握り締めて、さほど時間は経っていない。
    相変わらずトド松は肩を縮こまらせ、目を瞑っていたが

    「ぅ…」

    小さな呻き声が聞こえて、ハッと目を開けた。
    反射的にチョロ松の顔を見ると、その瞳は薄らと開いていた。

    「…チョロ松兄さん?」
    「…ぃ、…たい…。」

    「チョロ松兄さん?!」

    ほとんど掠れていて声になっていなかったが、それでもトド松にはハッキリと理解出来た。
    言葉を発した。
    チョロ松が、あの日から初めて声を出した。
    トド松があまりにも強く、加減を知らずに手を握った事に反応したのだろうか。
    気付けば再びチョロ松は瞼を下ろして眠ってしまっていたが、これまでの事を考えると大きな前進だ。

    トド松は大きく深呼吸すると、震える手で兄達へ連絡を入れた。

    ーーー


    トド松から連絡を受け、いてもたってもいられなかった俺はカラ松と十四松と共に雪崩込むようにして病室に押し入った。
    話に聞いたチョロ松の反応は微かなものだが、それでも今までの様子から比べたら大きな変化だ。
    それこそ、俺達に「もう一度目覚めてくれるかもしれない」と淡い期待を持たせる程には。
    部屋に入るとトド松の呆れたような視線が降り注ぐ。

    「ちょっと…気持ちはわかるけどここ病院なんだからね?」
    「ごめんって!」
    「すまん…どうにも気が急いてな。」
    「めっちゃ走った!」
    「なぁ、トド松。チョロ松が喋ったって…。」
    「うん。僕が、結構強めに手を握ったら、
     少しだけ目を開けて「痛い」って言ったんだ。
     またすぐに寝ちゃったけど…。」
    「十分だ!今まではそんな反応すらもなかったんだからな!」

    カラ松も十四松も、トド松もどこか嬉しそうだ。
    もちろん俺も嬉しい。
    少しでも希望が見えたのだ。
    真ん中2人には何が何でも頑張ってもらいたいところだ。
    いつもより幾分明るい雰囲気の病室で、十四松が元気よく挙手しながら口を開いた。

    「ねぇねぇ!!じゃあ一松兄さんの手もギューってしたら何か反応してくれるかな?!」
    「そうだね…そういえば一松兄さんにはやってなかったな。」
    「んじゃ、やってみようぜ!」
    「よし、なら俺が…」
    「待てカラ松。お前はダメだ。」
    「え?!何故だ!」
    「お前自分が怪力だって事わかってるか?
     一松の手を粉砕する気か。」
    「確かに、カラ松兄さんが力込めて握ったりなんかしたら骨折しかねないよね。」
    「怪我させるのダメ!スリーアウト!チェーンジッ!!」
    「ううっ…!」
    「って事でお兄ちゃんがやってみるな。」

    そう言って落ち込むカラ松を横目に一松のベッドの脇に立った。
    手を握り、そして力を込める。
    …まだ反応は無い。
    跡が残らない程度に、もう少しだけ強く握ってみる。
    …すると、一松の眉間に微かに皺が寄り

    「おわっ!」
    「動いた!一松兄さん自分で手を動かしたッスね!!」
    「眠っててもおそ松兄さんがウザイのわかったのかなぁ?」
    「おいこらトド松!お兄ちゃん割とショック受けてるから!!」

    そう、人形のようだった一松の手が動いたのだ。
    不機嫌そうに、バシッと俺の手を振り払うようにして。
    というか、これは絶対振り払っただろう。
    反応があったのは喜ばしいのだが少しばかり複雑だ。
    兎に角、チョロ松も一松も少しではあるが確かに回復に向かっているということだ。
    いつか、しっかりとその目で俺達を見返してくれる日も来るはずだ。

    ーーー

    チョロ松と一松が少しの反応を見せてくれた日から、1週間が経った。
    わかり易く反応してくれたのはあの日だけで、2人は相変わらずの沈黙を保っている。
    1週間前に声を上げたり、手を動かしたりしたのは気のせいだったんじゃないかって思えるくらいだ。
    昨日もおそ松がチョロ松の手を握ってみたらしいが、反応してくれなかったと困ったように笑っていた。
    おそ松らしくない笑い方だったが、俺は何も言うことが出来なかった。

    どうして2人とも何も返してくれなくなったんだ?
    俺達があまりにしつこいからか?
    …………そうか、しつこかったからか。
    そうだな、そうに違いない。
    チョロ松と一松は兄弟の中でも特出して素直になれない性格だ。
    素直に俺達に返事をする事ができないのだろう。
    ひょっとしたら「いい加減にしやがれ」とそっぽを向いてしまっているのかもしれない。
    …ならば、こちらを無理矢理にでも向かせるまでだ。
    さてどうしたものか。
    生憎と俺はおそ松によって手を握るのは禁止令が出ている。
    手を握る事はできない。
    かと言って、延々と話し掛け続けるのも、チョロ松と一松はすっかり慣れてしまって良い反応は無いだろう。
    怪我をさせることなく、何か身体に慣れない衝撃を与える方法はないだろうか。

    (…………。)

    しばらく考え込んで、俺は一つの方法を思い付いた。
    早速それを実行すべく、一松の傍に寄る。
    白い頬に手を添えると滑らかな感触が手を擽った。
    眠り続けているせいだろう、少し痩せたな。
    前は、一松の頬はもっともっちりしていた気がする。
    そんな事を考えつつも、俺は眠る一松に顔を近付けて
    一松の唇に自身の唇を重ねた。
    無理矢理口をこじ開け、舌をねじ込み、
    文字通り貪るように、意図的に激しくイヤらしく、呼吸を奪うように。
    一松の口内はちゃんと体温があった。
    噛み付くように唇を重ねているうちに、僅かながら頬が上気し息が荒くなってきたのがわかった。

    「んっ…ふ……」

    一松から掠れたような声が漏れ出たが、構わず口内を蹂躙し続けた。
    真っ白なシーツにどちらのものかわからない唾液が染みを作っている。
    段々と口内が熱を帯びてきた。
    その事に興奮して頬に添えていた手を離し、顎を掴んだ。
    その、瞬間

    「~~~い゛っ!!」

    頬に走った強烈な痛みに、思わずガバリと勢いよく上体を起こした。
    次いで、誰かにグッと腕を強く掴まれる感触。

    「えっ…な……い、一松?!」
    「…………。」
    「一松、俺が解るか?!」

    「く…そま、つ……」

    ベッドを見下ろせば、瞳を潤ませ、頬を紅く染め、
    肩で息をしながら胸を上下させる一松の姿があった。
    その目は確かにハッキリと俺を視界に捉えている。
    一松の右手は俺の腕をしっかりと掴み、更に掠れた小さな小さな声だったが、確かに俺を呼んだ。
    本当は本名で呼んで欲しかったが贅沢は言うまい。
    左頬にヒリヒリと痛みが走る。
    俺の腕を掴む手とは反対側の手を見て、一松に引っ掻かれたのだとようやく頭が理解した。

    「一松、気が付いたんだな!
     よかった…本当によかった…!!」
    「く、そ松…てめ…ゼェ、ゼェ…おれ、に…ゼェ、ハァ…何、しやがっ……。」
    「すっすまない!
     ついつい夢中になってな!」
    「しね!!……ゼェ、ゼェ…」

    ディープキスは眠り続けていた一松には結構な身体の負担だったようだ。
    そこは反省した。
    嗚呼、でもお姫様は本当に王子のキスで目が覚めるんだな!
    容赦なく引っ掻かれたが、子猫に噛みつかれたようなものだと思おう。
    御伽噺は決してファンタジーではないのだ。
    …そうだ、チョロ松も同じようにおそ松が起こしてやればいいのではないか?

    しばらくしてなんとか息を整えたらしい一松が、唐突に俺に話しかけてきた。

    「チョロ松兄さんは?」
    「ん?」
    「チョロ松兄さん、どこ?」
    「ああ、隣のベッドにいるぞ。」
    「……!!
     チョロ松兄さ…」
    「ま、待て一松!
     お前もまだ身体が万全じゃないだろう、急に動くな!」

    一松は隣のベッドに眠るチョロ松の姿を確認すると、身体を起こそうとした。
    が、やはりまだ上手く身体が動かせないのだろう
    バランスを崩し、危うくベッドから転倒するところだった。

    「一松、お前がこうして目覚めたんだ。
     チョロ松もきっとすぐに気が付く。」
    「連れてけ。」
    「…はい?」
    「だから、俺をチョロ松兄さんのとこまで、連れてけ。」
    「え…何故?」
    「はやくしろ」
    「あ、はい。」

    自分で歩く事は早々に諦めたらしい一松に言われるがまま、点滴の管に気を付けながら一松を抱き上げ
    チョロ松のベッドまで連れて行った。
    一松は眠るチョロ松の顔をしばらくまじまじと眺めていたが、やがてチョロ松の額に手をそっと置いた。
    そして、チョロ松の耳元でそっと囁いた。

    「兄さん、チョロ松兄さん…。」


    「……一松…?」
    「おはよ、チョロ松兄さん。」
    「ん、おはよう一松。……ここは?」
    「あ、そういえば。
     おいクソ松、どこだここ。」
    「び、病院だが…ちょっと待ってくれ、
     色々整理させてくれないか。」

    まさかの光景だった。
    一松が囁いたたったの一言。
    それで、チョロ松も目を覚ましたのだ。

    ーーー

    「あらまーマジでお目覚めじゃん!
     チョロ松も一松も元気かー?」
    「全然元気じゃない。」
    「僕も最悪だよ…身体が思うように動かないし。」
    「何ヶ月もあんな調子だったんだ。無理もないさ。」
    「チョロ松兄さん!一松兄さん!
     おはようございマッスル!!」
    「うん、おはよう十四松。」
    「ほんとよかったよ…もう!心配したんだからねっ!
     今度何か奢ってくれなきゃ許さないんだから!!」
    「トド松もごめん。心配かけたね。」

    カラ松兄さんから連絡を受けて、僕達は1週間前と同じように慌てて病院に駆けつけた。
    病室には、横にはなっているものの、しっかりと目を開けて僕らを見るチョロ松兄さんと一松兄さんがいた。
    ついついあんな事言っちゃったけど、別に奢ってくれなくたって許してあげるよ。
    だってこうしてまた兄さん達と会話ができたんだもん。
    ちゃんと僕の名前を呼んでくれた。
    もうそれで十分だ。
    あ、奢ってくれるならそこは喜んで奢られるけどね。

    話を聞くと、まずカラ松兄さんが一松兄さんの意識を浮上させる事に成功し
    一松兄さんがチョロ松兄さんを起こした、という事らしい。
    カラ松兄さん曰く、一言ボソッと呟いただけなのにチョロ松兄さんがあっさりと目を覚ましたのだそうだ。
    何それ。
    僕らの苦労は一体何だったの。

    「ところでカラ松は一体どうやって一松を起こしたんだ?」
    「ああ、それはn「喋ったら殺すぞクソ松」…えっ。」
    「なんスかなんスか?!」
    「なになに~?
     つまり一松にとっては恥ずかしい起こされ方だったって事かな~??」

    説明しようとしたカラ松兄さんを一松兄さんが遮った。
    身体が動かせないせいで殴ったりはされなかったけど、物凄い殺意を向けられている。
    の、割に一松兄さんの顔は僅かに赤くなっているもんだから、僕はなんとなく想像がついてしまった。

    「それよりも、なんでチョロ松兄さんは
     一松兄さんの小さな声で目が覚めたの?
     今まで僕ら散々兄さん達に話しかけたり
     触ったりしても何の反応も返ってこなかったのに。」
    「うーん…それが自分でもよく分からないんだよね。」
    「…………暗示だと思う。」
    「え、一松?」
    「あの屋敷にいた間も…チョロ松兄さん、
     俺が声を掛けるとすぐに正気に戻ってたから。」
    「そうなの?!」
    「あー…言われてみればそんな気がするなぁ。
     僕が完全に正気を失っちゃったのって、
     一松の声が聞こえなくなってからだろうし。」
    「じゃあ、一松兄さんの声で元に戻るように、
     無意識のうちに自分で自分に暗示をかけてたってこと?」
    「そうなるのかな…?」

    兄さん達が囚われていたあの屋敷。
    今は解体処分されたらしい其処はさながら檻の中だった。
    悪趣味な男にすべてを奪われそうになる中、チョロ松兄さんも一松兄さんも互いが互いの拠り所だったのだと思う。
    特にチョロ松兄さんは兄の立場だったから、弟である一松兄さんを守るために
    一松兄さんの声には敏感に反応出来るようになったのだろう。
    当然、一松兄さんが眠ってしまうと、もう声も聞けなくなる。
    つまり気を張り続ける事が出来ていた、守るべき相手がいなくなってしまった事で
    チョロ松兄さんも眠りに堕ちてしまったのだ。
    そう考えると、チョロ松兄さんと一松兄さんの間に看過できない共依存関係が出来上がってしまったように思うのだけど
    そこはまぁ、上2人に任せるとしよう。
    ひとまず、今は真ん中の兄さん達の目覚めを喜ぶのが先だ。


    チョロ松兄さんも一松兄さんも、完全に意識を取り戻したことで衰弱していた身体も回復して行った。
    意識が戻った日の病院からの帰り道、カラ松兄さんにもう一度一松兄さんを起こした方法を聞いてみたら、

    「眠り姫を起こすには王子の情熱的なキッスだと相場が決まっているだろう?アンダースタン?」

    …と、概ね予想通りの回答が返ってきた。
    イッタイ言い回しまで予想の範囲内ってどういう事なの。
    もう少し突っ込んで聞いてみると、どうやら王子様の優しい目覚めのキスだなんて生優しいものではなく、
    超濃厚なディープキスをかましたらしい。
    一松兄さんのあの反応も納得だ。
    横で「えー、俺もチョロ松にやればよかった!」とか言ってる長男は無視しておいた。


    ーーー


    暗い、暗い海の底に沈んだみたいだった。
    無理矢理沈められた身体はちっとも言う事を聞かなくて、だんだん意識も薄れていった。
    このままゆっくりと死んでいくんだろう。
    そう思ってた。
    もう少しで深海の闇に完全に沈んでしまう。
    けど僕の身体はその寸でのところでピタリと止まって、今度は少しずつ少しずつ浮上し始めた。
    少しずつ、声が聞こえ始めた。
    少しずつ、誰かに撫でられる感覚を感じ始めた。
    少しずつ、身体の自由がきいてきた。

    あと少し、あと少しで水面に顔を出せそうだ。
    必死にもがいて上に上がろうとしていた僕の身体が、ある日突然フワッと急浮上して
    気付けば僕は2つ上の兄にディープキスをされていた。
    戻ってこれたのは感謝してるけど、感謝はしてるんだけど…
    とりあえず、思い切り殴れないのが残念でならなかった。


    ーーー


    真っ暗な海の底へと沈んでいく1つ下の弟を必死で追いかけた。
    追いかければ僕だってもう引き返すことはできないのはわかってたけど、
    独りにしたくなくて。独りになりたくなくて。
    弟がまた僕を呼んでさえくれれば、一緒に浮上する事ができるはずだと。
    その時はそう信じてた。
    けど、辺りはどんどん暗くなって、いつの間にか僕は見失ってしまったのだ。
    光の届かない深海で、弟を探して、必死にもがいた。
    上を目指せば少しずつ、声が聞こえ始めた。
    少しずつ、誰かの手の感触を感じ始めた。
    少しずつ、声を出せるようになってきた。

    そんな中、ずっと探していた1つ下の弟の声がしたから
    僕は慌てて水面に顔を出したのだ。


    ーーー



    水底から無事に戻ってこれた僕らを出迎えたのは、兄弟達の涙と怒号と笑顔だった。

    両親と共に家に帰ってきた僕らは、家の前でぼんやりとその昭和テイストな古い家屋を見上げていた。
    久々の我が家だ。
    懐かしい。

    母親に促されて扉を開けると、4つの色が視界に飛び込んできた。
    赤、青、黄、桃 ー…

    「「「「おかえり!!」」」」
    「「ただいま。」」

    永く欠けていた緑と紫が戻り
    この家にようやく6つの色が揃った。


    (happy end!!)


    ーーー


    以下はIF分岐の死ネタルートです。
    ハピエンのまま終わりたい方はここでバックをお願いします。
















    優雅に、且つ愉快そうに笑いながら男性は立ち上がると、
    殺気を隠そうともせずに己を睨みつける客人の顔を見比べるように順番に眺めた。
    あっさりと会わせてくれると言い放った男によりおそ松達が一層の不信感を募らせる。

    「ちょうど今日の夕刻に大広間に飾ったところなのだよ。」
    「は?何言って…」
    「非常に素晴らしい出来だ。
     君たちもきっと気に入るだろう。」

    おそ松の声を遮って、尚も屋敷の主人は上機嫌な様子で言葉を続ける。
    男はついてきたまえ、とおそ松達に声を掛けると、応接間の扉を開けて歩き出した。
    おそ松は一瞬迷った様子を見せたものの、すぐに意を決し弟達に目配せして男の後に続いた。

    長い廊下を進み、大広間に足を踏み入れると、
    正面には2人掛けのゴテゴテとした装飾の煌びやかな椅子が置かれていた。
    そして、その椅子には

    「なんだよ、これ…」
    「……っ!!」
    「ぁ……」
    「チョロ松!一松!」

    おそ松が呆然と呟き、
    十四松が息を呑み、
    トド松が声を失い、
    カラ松が叫ぶように2人の名前を呼んだ。
    椅子に座していたのは、紛れもなく彼らが探し続けていたチョロ松と一松だった。

    正しくは
    かつて、チョロ松と一松だったもの、だ。

    人形遊びのような綺麗な服を身にまとった2人は固く目を閉じたまま、
    見事なシンメトリーを描いて寄り添うように静かに椅子に座らされていた。
    まるで人形のよう…いや、正しく人形だった。
    血の気を完全に失った白い肌や目元を縁取る長い睫毛が妖しくも退廃的な雰囲気を醸し出している。
    「人形」に成り果てた三男と四男の姿に打ちひしがれる兄弟の背後では屋敷の主人が満足そうな笑みを浮かべていた。
    屋敷の主人の新たな人形の仲間入りを果たしてしまったチョロ松と一松の元に兄弟が駆け寄る。
    十四松が一松を強く抱き締め、トド松がチョロ松の手を両手で握り締めた。
    おそ松とカラ松はその様子を固唾を飲んで見守った。

    4人はまだ心のどこかで希望を捨て切れずにいたのだ。
    自分達が呼びかければ目を覚ましてくれるのではないか、と。
    しかし、沈黙を貫く真ん中2人に触れた末2人は青ざめ、その顔を盛大に歪めた。

    「チョロ松兄さん、一松兄さん!ねぇ!僕達迎えに来てあげたんだよ?!
     ほら…早く、早く起きて?起きて帰ろう?
     ねえ、お願いだから…!
     お願い…起きて、起きてよぉ…っ」
    「な、んで…なんで、なんでチョロ松兄さんも一松兄さんもこんなに冷たいの?!
     僕知ってるよ!2人ともギューってするとすごく温かいんだよ!
     なのに、なんで?!
     なんで、冷たいの…なんで、息、してない、の…
     なんでなんで?!
     なんで、チョロ松兄さんも…一松兄さんも…心臓の音が、聞こえてこないの…
     兄さん…ヤダよ…!」
    「う、うぅ…うああぁっ…兄さん、兄さあああん!!」

    十四松とトド松の様子から、最悪の事態であることは明白だった。
    末の2人はチョロ松と一松に縋り付いて大声を上げて泣いている。
    その様子におそ松は思わず顔を顰めて手が白くなるくらい拳を握り締め
    カラ松はただただ弟達を感情の抜け切った無表情で呆然と見つめていた。

    「おや、お気に召さなかったかね?」
    「てめぇ…ふざけんなよ!
     チョロ松と一松に…俺の弟達に何しやがった?!」
    「先程から申しているでしょう?
     彼らは双子人形だと。
     実に素晴らしい素材だったよ。
     丈夫でありながら儚さも持ち合わせて…
     ゆっくりゆっくり人形に仕立て上げていくのは実に心躍るものだった。
     時間を掛けて、完璧な人形になったのだよ。
     永遠に美しいままの…っぐ!」

    男が長々と演説のように何か語り出したが、言い終わる前にそれはカラ松の拳によって遮られた。
    無言でゴキリ、と腕を鳴らしたカラ松は、いっそ恐ろしい程の無表情だ。
    カラ松に殴られ、床に仰向けに倒れ伏した男の胸倉を今度はおそ松が掴みあげた。
    紳士然としたその顔に渾身の一発を叩き込む。

    「なあ…こいつらはさ、俺の大事なだーいじな弟達だったワケ。
     人形なんかじゃない、れっきとした人間だったワケ。
     そりゃあ俺達揃いも揃ってクズだしニートだし童貞だけどさぁ?
     それでも人として生きる権利はあったはずなんだよね。」
    「……私にとっては、人形だよ。」
    「ふざけるな!!
     …返せよ…チョロ松と一松を返せ!
     あ、あ…あああああああ!!!」
    「カラ松!バカ抑えろ!!」
    「何故止めるんだおそ松…!こいつのっ!こいつのせいで!」
    「カラ松!」

    男の言葉に激昂したカラ松が一切の容赦なく男を殴り飛ばした。
    おそ松が慌ててカラ松を押さえ込む。
    普段は温厚で沸点が異様に高いカラ松が怒りを顕にするのは、大抵が兄弟が傷付けられた時だ。
    今、目の前には悪趣味な男によって理不尽に「人形」にされ事切れてしまった弟がいる。
    片方は、普段から何でも相談できてしまえそうな、
    それこそ六つ子の中でも特段シンパシーを感じていた優しげな緑の似合う弟。
    片方は、誰よりも寂しがり屋なクセして甘えるのが下手くそで、
    まるで自分から逃げるようにキツく当り散らし暴力を振るう姿さえ可愛く見えて、
    知らずの内に特別な感情を抱いていた紫の似合う弟。
    この場でカラ松の怒りが振り切れてしまうのは必然だった。

    おそ松とてメチャクチャに殴って蹴ってそれこそ殺す勢いで暴力を奮ってやりたかった。
    が、これはチンピラ相手の喧嘩とはわけが違う。
    これ以上こちらが手を出せば面倒なことになる。
    おそ松はそう言い聞かせながらカラ松を必死に押さえ込んだ。
    カラ松の表情は怒りと悲しみと絶望で塗り固められ、その目からはとめどなく涙が溢れている。
    だがその表情とは裏腹に男に向かってとてつもない殺気が放たれていた。


    その後、トド松が呼んだ警察に男は引き渡された。
    おそ松とカラ松が思い切り男を殴った点に関しては、トド松が上手いこと口添えしてくれて
    厳重注意のみのお咎め無しにしてもらえた。
    どう見てもこちらは遺族で被害者なのだ。
    情状酌量を与えてくれたのだろう。

    この屋敷にも捜査の手が入り、至るところに飾られていた等身大の人形達も
    トド松が話していた失踪者達だったことが判明した。
    チョロ松や一松と同様に突然攫われ、男に人形にされてしまったようだ。
    最も古いもので死後半年以上経っている人形もあったが、
    一体どんな技術なのか何かしらの防腐処理を施され、腐敗は見られなかったらしい。
    当然、逮捕された男は重罪に問われることになるだろう。
    おそ松達からすれば、もちろん然るべき処罰は受けて欲しいが、
    それでチョロ松と一松が戻ってくるわけではない。
    自分達の手で制裁を下せないのが、酷く歯痒く悔しかった。

    検察の検証とやらを終えたチョロ松と一松が無言の帰宅をしたのは
    おそ松達が屋敷に乗り込んだ翌々日のことだった。
    父も母も泣き崩れていた。
    残された兄弟も、皆涙を流した。


    ふとおそ松が目を開けると部屋の中は薄暗かった。
    時刻を確認すると午後6時を過ぎた頃だった。
    2階の子供部屋で、どうやら泣きじゃくる末2人を抱き締めながら一緒になっていつの間にか眠ってしまったらしい。
    おそ松の傍らには目元を赤くしながら眠る十四松とトド松の姿があった。
    2人に毛布を掛け直してやったところで、カラ松の姿がないことに気付く。
    眠る末2人を起こさないようにそっと部屋を抜け出し、階段を降りて居間に向かった。
    両親は寝室に籠ってしまっいるようだ。
    居間の襖を開くと、棺に入れられたチョロ松と一松の元に座り込む青色の背中を見つけた。
    カラ松は先程の十四松とトド松と同様に目元を赤く腫らし、静かに一松の髪を撫でていた。
    しばらくの間、ひたすら髪を撫で続けていたカラ松だったが、ふと手を止めると
    今度は一松の頬に手を添え、顔を近づけたかと思うと、眠る一松に口付けた。
    まるで命を吹き込むように、祈りを込めるように。
    当然、一松は目覚めてはくれない。
    その様子に、おそ松は何も言えなかった。
    やがてカラ松は顔を上げ、居間の入口で立ちすくむおそ松と目が合うと、
    眉尻を下げ自嘲気味に笑みを浮かべると
    何も言わずにおそ松の横を通り過ぎ、階段を上がって行った。

    部屋には、おそ松と何も言わずに眠るチョロ松と一松だけが残された。
    おそ松はそっと棺に近寄ると、カラ松が座っていた場所とは反対側に腰を下ろした。
    眠る2人を覗き込む。
    陳腐な言葉だが、本当にただの人形のようだ。
    死んでいるのに、なんでこんなに綺麗に見えるんだろう。
    手を伸ばし、チョロ松の頬に手を添える。
    滑らかで、冷たい。

    カラ松の真似事ではないけれど、
    別にお伽噺の王子様のキスなんてのを信じてるわけでもないのだけど…
    そう、別れの挨拶とでも言おうか。
    明日には2人とも骨だけになって埋葬されてしまう。
    触れ合えるのは今だけだ。
    頬に手を添えたまま、そっと口付けてみた。

    触れた唇も、泣きたいくらい冷たかった。

    (bad end...)
    #BL松 #カラ一 #おそチョロ #監禁 #年中松 #死ネタ

    !ATTENTION!
    この話は以下の要素を含みます。
    一つでも嫌悪感を感じるものがございましたら早急にブラウザバックをお願いいたします。

    1.おそチョロ、カラ一前提(くっついてない)の上での、一チョロ一です
    2.変態なモブのオッサンが出張ります
    3.拉致、監禁要素があります(被害者:年中松)
    4.異常性癖の表現があります(被害者:年中松)
    5.本編はハッピーエンドで終わります。…が、最後にif分岐として死ネタルートをオマケとして置いてます。


    OKな方はお進みください。


    ーーー

    猫達の協力を得て、チョロ松と一松が何者かに攫われたらしいことは判明したが
    そこから居場所を探し出すのは難航していた。
    2人は黒い車に押し込められて何処かへ連れていかれたらしいのだが
    黒い車など日本全国山ほど走っているし、
    目撃した猫は当然車のナンバーなど覚えているはずもない。
    それに2人を乗せた車が県外へ走り去ってしまったのなら
    猫のネットワークでは限界がある。
    エスパーニャンコはすでに2つ目の薬を飲んでもらっている。
    その効力も明日で切れてしまう。
    残った薬は後1つ。
    デカパン博士からはまだ連絡がないし、猫達に協力してもらえるのは後1週間だろう。

    その日の夜、就寝前にトド松が気になる話を聞いた、と俺たちを真剣な眼差しで見据えながら言ってきた。
    目撃情報や手がかりとは直接関係のない話だけど、と前置きしてからトド松は口を開いた。

    「ここ1年、東京で青年の失踪事件が異様に多発しているらしいんだ。」
    「失踪事件?」
    「うん。その失踪者がね、全員10代〜20代半ばの男性なんだって。」
    「チョロ松と一松もその失踪者の条件に当て嵌まるな。」
    「でもあいつらは誘拐だろ?」
    「そうだけどさ…例えばだよ?
     例えば…その失踪した人達も、兄さん達と同様に誘拐されたんだとしたら?」
    「…どういう事だ?」
    「チョロ松兄さんと一松兄さん以外にも、攫われた人がいるかもってコトかな?!」
    「あくまでも憶測の域だけど…
     でも無関係とも言い切れないと思わない?」
    「確かに、トド松の言うことも一理あるかなー…。
     なぁ、その失踪者ってまだ誰も発見されてねーの?」
    「うん。全員行方不明。…兄さん達も含めて、ね。」

    直接関係のある話ではなかったが、確かに気になる話だ。
    トド松は、念のため失踪した男性達のことも少し調べてみると言って
    さっさと布団に潜り込んでしまった。
    おそ松が電気を消す。
    4人だけの布団の中は温まるのに時間を要するせいか少し寒い。
    隣にいるはずの一松の体温が感じられないのがひどく寂しかった。
    チョロ松と一松が姿を消してから既に1ヶ月半程が経とうとしている。
    2人がいなくなってから、トド松が夜中にこっそりすすり泣いているのを、
    十四松が路地裏で1人涙を流しているのを、
    そして、おそ松が時折緑色のパーカーを目を腫らしてボンヤリ見つめているのを知っている。
    そういう俺も、ふとした拍子に部屋の隅…一松の定位置に目を向けてしまい、
    何も無い空間を見ては情けないことに泣きそうになるのを必死で堪えていた。
    真ん中2人が抜けた穴は想像以上に大きくて、俺も含めた兄弟の落ち込みようはひどいものだった。
    なんだかんだで俺もおそ松も真ん中組を甘やかすのは好きだし、
    末2人も真ん中組に甘えるのが大好きだ。
    もう見つからないのかもしれない、
    そんな思いが一瞬脳裏を過ぎったが、すぐ様頭をブンブン振って思い直す。
    俺はまだ諦めない。
    諦めるわけにはいかない。
    もちろん他の兄弟達だってその思いは同じだ。
    明日はもう少し遠くへ足を伸ばして探してみようか。
    その前にエスパーニャンコに薬をもう一度飲んでもらって、
    あとは協力してくれている一松キャット達にお礼の猫缶を持って行ってやらなければ。
    そんな事を考えながらウトウトとし始めていた時だった。

    カリカリ、と部屋の窓ガラスを引っ掻く音が聞こえた。
    上体だけを起こして窓の方を見ると、そこには外の街灯に照らされて薄っすらと猫のシルエットが見て取れた。
    次いで「ニャーォ」と猫の鳴き声。
    エスパーニャンコだ。
    布団から這い出て窓を開けると、エスパーニャンコはピョイと部屋の中に入ってきた。
    その物音に兄弟達も起き出して先ほど消したばかりの明かりを再び点ける。
    俺たちを見渡して、明るい橙色の毛色の猫が言った。

    『みつけた。』

    ーーー

    深夜、鬱蒼とした森に囲まれた狭い道路を1台の車が走っていた。

    「おいコラもうちょいスピード出せっての!」
    「十分スピード出してるザンス!
     乗せてもらってる分際で文句を言うんじゃないザンス!」

    「そうだよ!もっと急いでよイヤミー!」
    「これでもかなり飛ばしてるザンスよ!
     だからうるさいザンス!」

    「エンジン全開!全カーーーーイ!!ハッスルハッスル!」
    「ええいやかましいザンス!!」

    「フッ…今こそお前の眠れるフォースを解放すべき時だぜ。
     俺はお前を………信じてるぜ!」
    「やかま…イッタイザンスね!!」

    兄貴がイヤミに脅…お願いして8人乗りのワゴン車を出してもらい、
    俺たちは山奥のとある屋敷へ向かっていた。

    エスパーニャンコが夜中に俺たちに教えてくれた。
    山奥の大きな屋敷にチョロ松と一松が囚われていると。
    屋敷の周辺を縄張りにしている猫が庭で一松と遊んだことがあるのだそうだ。
    その猫から近隣の猫へ伝達され、更にまた近隣へ伝達され…
    そうしてとうとうこの辺りを縄張りとする猫達の耳にも入る次第となった。
    猫のネットワークは想像以上に強力だ。
    猫達から受け取った情報を元にトド松が場所を割り出し、
    大切な弟達を取り戻すために真夜中の森を爆走中という訳である。
    話を聞いてみると、何やら不穏な気配も感じられた。
    チョロ松と一松は鎖で繋がれていたとか、とても体温が低かったとか、
    ここ最近は庭に行っても姿を見せない、とか。
    2人は無事なのだろうか。
    どうか無事でいてくれ。

    「カラ松、すっげー顔してんぞ。」
    「え…。」
    「お前今こそ鏡見ろよ。
     そんな顔でチョロ松と一松に会ってみろ、確実に引かれちゃうよ~?」
    「す、すまない…。」

    一体どんな顔をしていたというのか。
    しかし手鏡は生憎家に置いてきてしまった。
    ペシペシと自分の頬を叩く俺を、おそ松は可笑しそうに眺めていたが
    やがて俺の両肩に手を置いて真剣な目で俺を見た。

    「絶対に取り乱すなよ。
     俺たちが最優先するのはチョロ松と一松の無事だ。
     お前キレたら手に負えねーんだからな。」
    「ああ、わかってる。」

    おそ松に背中を叩かれて、知らず握り締めていた拳が少し緩んだ。

    やがて車は県境に位置する山奥の大きな屋敷の前にたどり着いた。
    まるでそこだけタイムスリップしたかのような景観だ。
    闇夜に浮かび上がるようにして佇むそれは、少し不気味に見える。
    俺たちは車を降り、運転手のイヤミには屋敷から少し離れた目立たない場所で待機してもらうことにした。

    「さてと、どっから入るかだけど。」
    「はいはいはい!」
    「はい、十四松くん。」
    「バットで窓ガッシャーン!!」
    「うむ、採用。」
    「ちょっと!何言ってんのおそ松兄さん馬鹿なの?!」
    「え、駄目なのか?」
    「ダメに決まってんだろこのサイコパスが!」
    「…何故だ?」
    「あー!!僕1人でツッコミ捌き切れない!助けてチョロ松兄さぁん!」
    「えー、じゃあどうするんだよー。」
    「…もうこの際正面突破でいいんじゃないか?」
    「正面突破!」
    「待って兄さん達は何する気なの?!
     言っとくけどこの屋敷にチョロ松兄さんと一松兄さんがいる確証はないんだよ?
     もし強引に押し入って全くの無関係な家だったらどうするのさ、
     器物破損で僕達が捕まっちゃうよ!」
    「あー…そうか~まぁそうだなー…。
     うん、よし正面から堂々と行こう。」

    言うや否や、おそ松は玄関のベルを鳴らした。
    背後でトド松が「ちょっと待ってよまだ心の準備が!」と喚いているが、
    済まないが一刻を争うためスルーさせてもらった。
    こんな真夜中に非常識な客人だがこちらはそうも言ってられないのだ。

    暫しの沈黙の後、大きな扉がゆっくりと開いた。

    「こんな夜更けに…一体どなたです?」
    「あ、どーもぉ~」
    「ヒッ…!!お前…!いや、まさか、そんな…!」
    「え?」

    扉から出てきた男はおそ松の顔を見るなり突然青ざめた顔をして中に引っ込んでしまった。
    一体どうしたというのか。

    「あれ…俺なんかした?」
    「俺が見る限り何もしていないと思うが。」
    「うん…非常識な時間にベル鳴らした以外は何もしてないと思うけど。」
    「だよなぁ…?」
    「なんかビックリーというより、怖がってたねー?」
    「俺の隠しきれないカリスマレジェンドなオーラにビビったとか?」
    「いやそれはない。」
    「トド松否定速すぎじゃね?」
    「ったりめーだろ!
     てゆーか、カラ松兄さんばりにイッタイ事言うのやめてくんない?
     今ツッコミ要員いないんだからね?!」
    「え…?」

    玄関扉の前で気の抜けた会話を繰り広げていると再び扉が開いた。
    先ほどの男だ。
    何がそんなに恐ろしいのか、俺たちを見てガクガクと震えながら屋敷の中へ招き入れてくれた。
    男の態度は気になるが、ひとまず中に入れた事に一安心だ。
    それにしても広い屋敷だ。
    豪者な内装に煌びやかな調度品、そして至るところに人形が飾られている。

    この人形達、やけにリアルで少し不気味だ。
    しかも少年や青年の人形ばかりだ。
    この屋敷の持ち主の趣味なのだろうか。
    なかなかいい趣味をしているようだ。
    他人の嗜好にとやかく言うつもり等全く無いが、是非ともお友達にはなりたくない。

    案内されたのは、広々とした応接間だった。
    ソファには、壮年の気品ある男性が腰掛けている。
    こちらにも伝わってくる風格からして、この男性がここの主人なのだろう。
    彼は、俺たちの顔を見るなり目を細めて口角を釣り上げた。

    「ほう…双子人形にはまだ兄弟がいたのか。」

    舐めるようにして俺達の顔をじっくりと眺め、心底愉快そうに笑う男性から発せられた言葉に、
    姿を消したチョロ松と一松を知っているのだろうと確信できた。

    「先ほどはうちの使用人が失礼したね。
     何せ君達が私の双子人形と同じ顔をしていたものだから
     どうやら震え上がってしまったらしい。」

    喉の奥でクツクツと男は笑う。
    その姿に苛立ちを隠そうともせず、おそ松が一歩前に出て挑発的に口を開いた。

    「人形とかどーでもいいんだけどさ、
     俺たち六つ子なの。
     その内2人が行方不明なんだよね。
     なぁオッサン、あんた2人の居場所知ってるんだろ?」
    「ふむ…そうだね。
     折角兄弟が会いに来てくれたんだ。
     少し早いが私の双子人形を特別にお披露目するとしよう。」

    男性はこちらを見て、一層笑みを深めた。

    ーーー


    愉快そうに笑いながら屋敷の主人は立ち上がると、4人の顔を見比べるように眺めた。
    ついてきたまえ、とおそ松達に声を掛けると、徐に応接間の扉を開けて歩き出す。
    おそ松達は顔を見合わせ、しかしすぐに意を決して男の後を追った。

    廊下を進み、辿り着いたのは重厚な扉の前。
    使用人が鍵を開け、扉を押し開けた。
    ギ…と重たい音が響く。
    男に促されるまま中に足を踏み入れると、やけに甘ったるい香りが鼻をついた。

    窓はなく、天井から伸びるシャンデリアが部屋を明るく照らしている。
    高級ホテルのスイートルームのような装いの其処は、まるで生活感が感じられなかった。
    奥には天蓋付きの大きなベッドが存在感を放っている。
    レースカーテンで視界を遮られ、ベッドの中はよく見えなかったが、そこに人影を確認できた。
    それに最初に気付いたのは十四松だった。
    十四松がベッドに駆け寄り、勢いよくカーテンを開け放つ。
    その音に、他の兄弟も自然と視線がベッドへ向かった。
    開け放たれたカーテンの向こう側、ベッドの中には、
    はたしてまるで人形遊びのように着飾られたチョロ松と一松が静かに眠っていた。

    「チョロ松兄さん!一松兄さん!」
    「兄さん達…!本当にここに攫われてたんだ…!」
    「チョロ松、一松…!」
    「やっと見つけた…!!」

    眠る2人を起こそうとトド松がチョロ松を、十四松が一松をガクガクと揺さぶる。

    「兄さん!兄さん、起きて!」
    「兄さん!」

    末の2人が真ん中の2人を起こそうとしている中、おそ松はある事に気付いた。
    チョロ松と一松に枷が嵌められ、鎖で繋がれている。
    思わず呆然と呟いた。

    「おい…なんだよコレ。」

    手枷はチョロ松の左手と一松の右手を繋いでおり、
    足枷はベッドの足に繋がっていた。
    真ん中の2人が自由を奪われ、この部屋に監禁されていただろうことは、容易に想像できた。
    ふつふつと怒りが沸き上がりつつある中、チョロ松と一松が同時に身じろぎ、ゆっくりと瞼を持ち上げた。

    「チョロ松兄さん、一松兄さん!大丈夫?どこか痛くない?!」
    「チョロ松、一松!俺達が分かるか?もう大丈夫だからな!」
    「兄さん、兄さーーん!僕たち迎えに来たんだよ!帰ろ!」
    「チョロ松、一松!……おい、2人とも…どうしたんだよ?!
     なぁ…何か言えって!」

    チョロ松と一松が目を開けたことにより4人に一瞬ホッとした空気が生まれたが、それはすぐに霧散してしまった。
    2人とも目を覚ましたものの、焦点は定まっておらず、虚ろな瞳は虚空を映すばかりだった。
    耳元で必死に語りかける兄弟の声も届いていないのか
    どんなに大声を上げても、手を取ってみても、何の反応も帰ってこない。
    おそ松達の表情が、どんどん凍っていった。

    「…兄さん?」
    「………。」
    「チョロ松兄さん、一松兄さん…?
     ねぇ、どうしたの…?」
    「どうした?!返事してくれ!」
    「チョロ松、一松!
     …なぁ、折角お兄ちゃん達迎えに来てやったんだぞ?
     ガン無視はねーだろ?泣いちゃうよ?!」

    反応は無い。
    おそ松達の事はまるで視界に入っていないようだった。
    双子人形…。
    男の言葉を頭の中で反芻する。
    これでは本当に人形ではないか。
    ここでおそ松は1人納得してしまった。
    屋敷の主人がやけにあっさりとチョロ松と一松に会わせてくれたのは
    何か裏があるのかと勘繰り警戒していたのだが
    あの男にそういった考えはなく、単純におそ松達ではどうにもできないと践んでいたのだろう。
    枷はひどく頑丈で、鍵がなければ真ん中2人を解放する事はできそうにない。
    チョロ松と一松を「双子人形」などと言う頭のイカれたあの男は
    こいつらを手放す気など毛頭ないのだ。
    そして、おそ松達がどう足掻いても2人を連れ出すことはできないと高を括っている。

    (…ナメてくれやがって。)

    この屋敷のどこかに枷を外す鍵があるはず。
    もしくはあの男か、使用人の誰かが所持しているのだろう。
    そう推測したおそ松は薄ら寒い笑みを浮かべる屋敷の主人とその使用人達をみわたした。
    先程この部屋の扉を開けた使用人あたりだろうか。
    そうして思案を巡らせるおそ松の胸中を知ってか知らずか
    屋敷の主人が満足そうな笑みを浮かべて背後から近づいてきた。

    「私の双子人形は可愛いだろう?
     まぁ、まだこれは未完成作品なのだがね。
     完成の日もすぐそこだ。」

    男が笑う。
    人形の完成。
    その意味を理解したおそ松は、衝動のままその男を殴り飛ばした。
    チョロ松と一松に付いていたトド松が声を上げたが、構わずにそのまま殴り飛ばした男に近づいた。

    「おい…オッサン。
     てめぇ俺の弟達に何しやがった…?」

    おそ松は自分でもびっくりする程、胸中がスーッと冷めていくのを感じていた。
    殴られ、仰向けに倒れていた男の胸倉を掴み、
    そのまま馬乗りになって更にもう一発拳を叩き込んだ。

    「答えろよ…!
     チョロ松と一松に何しやがったんだよ…!!」

    一切の手加減なく叩き込まれた拳によって男は気絶してしまったようだ。
    白目を剥く男を見ておそ松は思わず舌打ちをした。
    部屋に武装した使用人が押し入ってきたが、そいつらはカラ松にあっさりとのされていた。
    武装は格好だけで、本当にただの使用人なのだろう。
    トド松に警察を呼んでもらうよう頼むと、おそ松は4人を最初に出迎え応接間へ案内した使用人に詰め寄った。
    再び使用人の顔が青ざめたが、知ったこっちゃない。

    「ヒ…!」
    「なぁ、お兄さん。
     あんたが知ってること教えてくんない?」
    「お、お、俺は、何も…!」
    「へーぇ?
     今俺の弟が警察呼んだよ?
     このオッサンの監禁の手伝いしてたなんてバレたらどうなるかなー?」
    「あ……。」
    「教えてくれたらさぁ〜
     警察の事情聴取で俺達お兄さんの事庇ってあげられるよ?」
    「……わ、わかっ…た…。」

    使用人達は主人への忠誠よりも己の保身を選んだ。
    さほどあの男に忠誠心は持ち合わせていなかったのか
    それとも人形遊びと称した監禁の手伝いをさせられていた事に
    後ろめたさがあったのかはおそ松達の知るところではないが。

    使用人の男から聞いた話だと、この屋敷の主人は元々男色家だったそうだ。
    若く、自分好みの少年や青年を拉致っては、人形のように着飾らせ愛でていた。
    拉致った青年達を抱いたりする事がなかったのは、
    屋敷の主人が不能だった為なのだが、その代わり主人はとんでもない性癖を持ってしまった。
    それが、人形遊び。
    催眠と洗脳を誘発する香を焚き続け、食事に無味無臭の薬を混ぜ、
    連れ去った青年を少しずつ、少しずつ内側から壊して、思考を奪い、身体の自由を奪い
    最終的には命すらも奪う。
    緩やかに緩やかに、当人も気付かないくらいゆっくりと。
    そうして「完全な人形」に仕上げていく事にこの上ない悦びを感じていたのだとか。
    悪趣味過ぎて反吐が出そうだ。
    そうして、命を奪われた人形は防腐処理が施され、永遠にその姿を留めたまま飾られる。
    そう…この屋敷の至る所に飾られた等身大の人形達。
    あれは異常性癖持ちの屋敷の主人に連れ去られ、人形遊びの道具とされ
    人形となってしまった成れの果てだったのだ。

    そして、チョロ松と一松もまた「完全な人形」になってしまう一歩手前だったのだろう。
    状況は決して良いとは言えないが、屋敷に飾られる人形達の仲間入りをしてしまう前に
    おそ松達がたどり着けたのは不幸中の幸いだったと言える。

    その後警察が到着し、4人は軽く事情聴取をされた後に解放された。
    チョロ松と一松は検査のため病院へ搬送される事になった。
    本当は早く家に連れ帰りたかったが、仕方ない。

    屋敷に飾られていた人形となってしまった青年達は
    前にトド松が話していた失踪した青年と一致していた。
    トド松の憶測通り、彼らも連れ去られていたらしい。
    その被害者は実に50人を超えていた。





    夜明けを待って、チョロ松と一松が搬送された病院へ向かった。
    兄弟だと説明すると(同じ顔だから説明するまでもなかったかもしれないが)
    担当医が出てきてすんなりと病室に通してもらえた。
    ドアには「面会謝絶」の札がかけられている。

    ドアの向こう、白い空間にチョロ松と一松は眠っていた。
    搬送される際に枷は外されたが、長く嵌められたままだったのか
    手首と足首には赤く跡が残っている。
    容体は決して良いとは言えないそうだ。
    生命力が著しく低下し、脳の働きもかなり落ちていると聞いた。

    「…兄さん達、大丈夫だよね?」
    「ああ…きっと大丈夫だ。
     今は、2人を信じるしかない。」
    「チョロ松兄さん…一松兄さん…。」
    「………。」

    眠り続ける2人を見て、ふと人形のようだと思ってしまって
    慌ててその考えを振り払った。
    冗談でもそんな事思ってはいけない。
    人形なんかじゃない。
    チョロ松も一松も人間だ。
    呼吸も、体温もちゃんとある。
    ちゃんと血の通った、人間なのだ。

    それから、おそ松達は交代で病院へチョロ松と一松の様子を見に行く事にした。
    2人は度々目を覚ます事もあるのだが、意識朦朧としていてほとんど会話が成立しない。
    当然自力で食事もできず、身体中を何本もの管で繋がれていた。
    鎖よりはずっとマシだが痛々しくてたまに見ていられなくなる。
    植物状態と言って差し支えない程だ。

    生きている。
    2人は生きているのだ。
    たとえ目を覚まさなくとも、言葉を交わすことが出来なくとも、
    その事実だけが、4人を支え続けている。

    今日も、チョロ松と一松は静かに眠り続けている。



    ーーー

    ー ある日の長男の独白

    静かにただひたすら眠り続け、たまに目を開けても意識朦朧としていて
    会話もできなくなったチョロ松と一松を見守り続けて、どのくらい経っただろうか。
    あの屋敷から助け出せた時は、2人を取り戻せた事にただただホッとしていたけど
    植物状態な2人を見続けるのは思っていた以上に辛い。
    カラ松も、十四松も、トド松もそろそろ疲れと諦めの色がチラつき始めている。
    もうチョロ松と一松は一生このままなんじゃないかって。
    誰もそんな事口には出さない、いや出せないけど…おそらく皆が薄々考え始めている。
    考えたくない。いつか2人がまた俺の事を見て、「おそ松兄さん」と呼んでくれる日が来ることを、信じていたいけど。
    信じ続ける事に疲弊してしまう程度には、月日が経ってしまったのだ。
    今日も病室で寝顔を眺めて1日が終わる。

    チョロ松の白い頬をそっと撫でると、陶磁器を思わせる肌触りだった。
    その頬に今度は顔を寄せて唇を押し当ててみた。
    いつもだったら「何しやがんだクソ長男!」って怒号混じりのツッコミが飛んでくるところだ。
    でも今は何も返ってこない。
    何も伝わらない。
    何も、伝えることができない。
    頼むよ、俺ホントチョロ松がいないと割とマジでダメっぽい。
    …いつまで続くのかわからない日々を過ごすのがこんなにも辛いとは思わなかった。

    俺、兄ちゃんなのにな。
    ちゃんと助けてやれなくて、ごめんな。


    ー ある日の次男の独白

    兄弟で交代制でチョロ松と一松の傍にいる事を決めたあの日から、
    何回目かも分からない俺の番が回ってきた。
    何度この部屋を訪れただろう。
    今日も眠り続けるチョロ松と一松の周りだけ、時間が止まってしまったかのようだった。
    2人を眺めながら、いつも思う。
    もう少し早く見つけてやっていれば、
    2人で買い物に出掛けた日に、探してやっていれば、
    そもそも、買い物に俺も付いていけばよかったのかもしれない。
    どれもこれも、今更考えたって無意味なのは解っているが、
    チョロ松と一松が屋敷に監禁されていた間、俺達は平然といつもと変わりない日常を過ごしていたのかと思うと
    どうしてもあの時ああしてれば、と考えてしまうのだ。
    仮に俺も一緒に付いて行ったとして、2人が誘拐される事なく無事に帰ってくる確証などないのだが。
    頭に浮かぶのは後悔と謝罪の言葉ばかりだ。
    俺にはもう「信じてる」なんて言う資格すらないのかもしれない。
    けど、言わせてほしい。
    再び、6人揃って笑い合える日が来るのを、俺は信じてる。

    眠る一松の髪をそっと撫でた。
    柔らかな猫っ毛が、指の間をすり抜けていく。
    前髪を撫ぜると、普段は隠された一松の額と短めの眉が顔を出した。
    吸い寄せられるように、その額にそっと口付けた。
    こんな事したのがバレたら一発殴られるどころじゃ済まないだろうな。
    それこそ、いつかのように石臼をぶん投げられるかもしれない。
    ああ、でも。
    それで目を覚ましてくれるなら、石臼くらい受け入れようじゃないか。
    何だったら俺は一松のその唇に躊躇うことなく自身の唇を重ねてやれる自信がある。

    だって、眠れる姫を起こすのは王子様のキスなんだろう?
    いや、みすみす愛する兄弟を危険に晒した俺は王子などではないし、
    仮に一松の唇を奪ったとて、目を覚ましてはくれないだろう。
    一体何を馬鹿な事を。

    すまない、こんな兄を許してくれ。


    ー ある日の五男の独白

    チョロ松兄さんと一松兄さんが帰ってきてくれたのは嬉しいけど、
    手放しに喜ぶことはできない状況だった。
    あの大きな屋敷で人形にされていたチョロ松兄さんと一松兄さんは、
    頭も体も自由を奪われていて、命すら失う寸前だった。
    まだそこから回復せずに今も眠っている。
    それでも僕は、眠る兄さん達に今日も取り留めのない事をたくさん話した。
    そしたら、いつか目を覚ましてくれるんじゃないかって思ったから。
    野球の事はもちろん、おそ松兄さんがパチンコに行かなくなったとか、
    カラ松兄さんが橋へ出掛けなくなったとか
    トド松が夜中に僕にトイレに付いてくるの頼むようになったとか。
    それはもう思い付く限りの事を時間の許す限り、いろいろと。
    でも、2人の容態はなかなか改善しなくて…。
    おそ松兄さんは病院から帰るとベランダで煙草をふかして物思いにふけるようになった。
    前に盗み見た時は、煙を吐き出しながら泣くのを堪えるように空を見上げていた。
    カラ松兄さんは病院から帰ると部屋でボーっとするようになった。
    部屋の隅、いつも一松兄さんがいた場所に何度も何度も視線を向けていた。

    病院の先生は、回復には時間が掛かる、もしかしたら一生このままかもしれない。と言っていた。
    一生このまま?
    それは嫌だ。
    僕は、またチョロ松兄さんと一松兄さんの声が聞きたい。
    また話がしたい。一緒に野球もしたい。

    神様なんて、普段は別段信じたりしてないけど、いるならお願い。
    チョロ松兄さんと一松兄さんが失ってしまった分、僕のを分けてあげるから。
    僕が持ってる分をあげられるだけ分けてあげるから。
    だから、兄さん達を助けて。


    ー ある日の末弟の独白

    今日は僕が病院に行く番だ。
    この順番が回ってくるのは一体何度目なのか、もう数え切れない程の月日は経ったはずだ。
    チョロ松兄さんと一松兄さんは、相変わらず眠っていた。
    2人の寝顔はなんだかとても綺麗なものに見える。
    綺麗な顔して寝ちゃってさ、僕達が今どんな思いでいると思っているのか。
    …正直、僕は病室に来るのが辛かった。
    おそ松兄さんがベランダでボンヤリと煙草を吸ってるのを見る度に
    カラ松兄さんが部屋の隅へ視線を巡らせては微かにその顔が悲しげに歪むのを見る度に
    十四松兄さんが「今日も眠ってた。でもたくさん話しかけてきたよ。」と泣きそうな笑顔で言うのを見る度に
    僕は絶望感と共に病室に足を踏み入れるハメになるのだ。
    今日もやっぱりダメだったんだ、と。
    病室にいると、何をしたらいいのかわからない。
    僕はおそ松兄さんのようにチョロ松兄さんに優しく触れる勇気も
    カラ松兄さんのように一松兄さんの髪を撫でる勇気も
    十四松兄さんのようにひたすら2人に話しかけ続ける勇気も持ち合わせていなかった。
    つまりは、僕はチョロ松兄さんと一松兄さんの悲惨な現状を受け入れたくなくて逃げているのだ。
    このままじゃダメだってわかってるのに。
    そう、このままじゃダメなんだ。
    でもどうしよう、僕にはどうしても勇気がない。
    眠る兄さん達を直視するのが怖い。
    けど僕だって兄さん達には触れたい。

    …そうだ、いっそのこと目を瞑って触ってみようか。
    一体それに何の意味があるのかは自分でもよく分からないけれど。
    何もせずに眺めているだけよりかは、何か意味があるはずだ。
    そうと決まれば、臆病な心が顔を出す前に実行だ。
    ひとまず、チョロ松兄さんのベッド脇に置かれたパイプ椅子に腰掛け、
    細い手を確認すると、それを恐る恐る掴んでギュッと目を閉じた。
    それに呼応するようにチョロ松兄さんの手を握った僕の手にも力がこもった。

    僕、もう逃げたくないよ。
    ううん、逃げないから。
    だから兄さん達も戻ってきて。

    ーーー

    トド松がキツく目を瞑りながらチョロ松の手を握り締めて、さほど時間は経っていない。
    相変わらずトド松は肩を縮こまらせ、目を瞑っていたが

    「ぅ…」

    小さな呻き声が聞こえて、ハッと目を開けた。
    反射的にチョロ松の顔を見ると、その瞳は薄らと開いていた。

    「…チョロ松兄さん?」
    「…ぃ、…たい…。」

    「チョロ松兄さん?!」

    ほとんど掠れていて声になっていなかったが、それでもトド松にはハッキリと理解出来た。
    言葉を発した。
    チョロ松が、あの日から初めて声を出した。
    トド松があまりにも強く、加減を知らずに手を握った事に反応したのだろうか。
    気付けば再びチョロ松は瞼を下ろして眠ってしまっていたが、これまでの事を考えると大きな前進だ。

    トド松は大きく深呼吸すると、震える手で兄達へ連絡を入れた。

    ーーー


    トド松から連絡を受け、いてもたってもいられなかった俺はカラ松と十四松と共に雪崩込むようにして病室に押し入った。
    話に聞いたチョロ松の反応は微かなものだが、それでも今までの様子から比べたら大きな変化だ。
    それこそ、俺達に「もう一度目覚めてくれるかもしれない」と淡い期待を持たせる程には。
    部屋に入るとトド松の呆れたような視線が降り注ぐ。

    「ちょっと…気持ちはわかるけどここ病院なんだからね?」
    「ごめんって!」
    「すまん…どうにも気が急いてな。」
    「めっちゃ走った!」
    「なぁ、トド松。チョロ松が喋ったって…。」
    「うん。僕が、結構強めに手を握ったら、
     少しだけ目を開けて「痛い」って言ったんだ。
     またすぐに寝ちゃったけど…。」
    「十分だ!今まではそんな反応すらもなかったんだからな!」

    カラ松も十四松も、トド松もどこか嬉しそうだ。
    もちろん俺も嬉しい。
    少しでも希望が見えたのだ。
    真ん中2人には何が何でも頑張ってもらいたいところだ。
    いつもより幾分明るい雰囲気の病室で、十四松が元気よく挙手しながら口を開いた。

    「ねぇねぇ!!じゃあ一松兄さんの手もギューってしたら何か反応してくれるかな?!」
    「そうだね…そういえば一松兄さんにはやってなかったな。」
    「んじゃ、やってみようぜ!」
    「よし、なら俺が…」
    「待てカラ松。お前はダメだ。」
    「え?!何故だ!」
    「お前自分が怪力だって事わかってるか?
     一松の手を粉砕する気か。」
    「確かに、カラ松兄さんが力込めて握ったりなんかしたら骨折しかねないよね。」
    「怪我させるのダメ!スリーアウト!チェーンジッ!!」
    「ううっ…!」
    「って事でお兄ちゃんがやってみるな。」

    そう言って落ち込むカラ松を横目に一松のベッドの脇に立った。
    手を握り、そして力を込める。
    …まだ反応は無い。
    跡が残らない程度に、もう少しだけ強く握ってみる。
    …すると、一松の眉間に微かに皺が寄り

    「おわっ!」
    「動いた!一松兄さん自分で手を動かしたッスね!!」
    「眠っててもおそ松兄さんがウザイのわかったのかなぁ?」
    「おいこらトド松!お兄ちゃん割とショック受けてるから!!」

    そう、人形のようだった一松の手が動いたのだ。
    不機嫌そうに、バシッと俺の手を振り払うようにして。
    というか、これは絶対振り払っただろう。
    反応があったのは喜ばしいのだが少しばかり複雑だ。
    兎に角、チョロ松も一松も少しではあるが確かに回復に向かっているということだ。
    いつか、しっかりとその目で俺達を見返してくれる日も来るはずだ。

    ーーー

    チョロ松と一松が少しの反応を見せてくれた日から、1週間が経った。
    わかり易く反応してくれたのはあの日だけで、2人は相変わらずの沈黙を保っている。
    1週間前に声を上げたり、手を動かしたりしたのは気のせいだったんじゃないかって思えるくらいだ。
    昨日もおそ松がチョロ松の手を握ってみたらしいが、反応してくれなかったと困ったように笑っていた。
    おそ松らしくない笑い方だったが、俺は何も言うことが出来なかった。

    どうして2人とも何も返してくれなくなったんだ?
    俺達があまりにしつこいからか?
    …………そうか、しつこかったからか。
    そうだな、そうに違いない。
    チョロ松と一松は兄弟の中でも特出して素直になれない性格だ。
    素直に俺達に返事をする事ができないのだろう。
    ひょっとしたら「いい加減にしやがれ」とそっぽを向いてしまっているのかもしれない。
    …ならば、こちらを無理矢理にでも向かせるまでだ。
    さてどうしたものか。
    生憎と俺はおそ松によって手を握るのは禁止令が出ている。
    手を握る事はできない。
    かと言って、延々と話し掛け続けるのも、チョロ松と一松はすっかり慣れてしまって良い反応は無いだろう。
    怪我をさせることなく、何か身体に慣れない衝撃を与える方法はないだろうか。

    (…………。)

    しばらく考え込んで、俺は一つの方法を思い付いた。
    早速それを実行すべく、一松の傍に寄る。
    白い頬に手を添えると滑らかな感触が手を擽った。
    眠り続けているせいだろう、少し痩せたな。
    前は、一松の頬はもっともっちりしていた気がする。
    そんな事を考えつつも、俺は眠る一松に顔を近付けて
    一松の唇に自身の唇を重ねた。
    無理矢理口をこじ開け、舌をねじ込み、
    文字通り貪るように、意図的に激しくイヤらしく、呼吸を奪うように。
    一松の口内はちゃんと体温があった。
    噛み付くように唇を重ねているうちに、僅かながら頬が上気し息が荒くなってきたのがわかった。

    「んっ…ふ……」

    一松から掠れたような声が漏れ出たが、構わず口内を蹂躙し続けた。
    真っ白なシーツにどちらのものかわからない唾液が染みを作っている。
    段々と口内が熱を帯びてきた。
    その事に興奮して頬に添えていた手を離し、顎を掴んだ。
    その、瞬間

    「~~~い゛っ!!」

    頬に走った強烈な痛みに、思わずガバリと勢いよく上体を起こした。
    次いで、誰かにグッと腕を強く掴まれる感触。

    「えっ…な……い、一松?!」
    「…………。」
    「一松、俺が解るか?!」

    「く…そま、つ……」

    ベッドを見下ろせば、瞳を潤ませ、頬を紅く染め、
    肩で息をしながら胸を上下させる一松の姿があった。
    その目は確かにハッキリと俺を視界に捉えている。
    一松の右手は俺の腕をしっかりと掴み、更に掠れた小さな小さな声だったが、確かに俺を呼んだ。
    本当は本名で呼んで欲しかったが贅沢は言うまい。
    左頬にヒリヒリと痛みが走る。
    俺の腕を掴む手とは反対側の手を見て、一松に引っ掻かれたのだとようやく頭が理解した。

    「一松、気が付いたんだな!
     よかった…本当によかった…!!」
    「く、そ松…てめ…ゼェ、ゼェ…おれ、に…ゼェ、ハァ…何、しやがっ……。」
    「すっすまない!
     ついつい夢中になってな!」
    「しね!!……ゼェ、ゼェ…」

    ディープキスは眠り続けていた一松には結構な身体の負担だったようだ。
    そこは反省した。
    嗚呼、でもお姫様は本当に王子のキスで目が覚めるんだな!
    容赦なく引っ掻かれたが、子猫に噛みつかれたようなものだと思おう。
    御伽噺は決してファンタジーではないのだ。
    …そうだ、チョロ松も同じようにおそ松が起こしてやればいいのではないか?

    しばらくしてなんとか息を整えたらしい一松が、唐突に俺に話しかけてきた。

    「チョロ松兄さんは?」
    「ん?」
    「チョロ松兄さん、どこ?」
    「ああ、隣のベッドにいるぞ。」
    「……!!
     チョロ松兄さ…」
    「ま、待て一松!
     お前もまだ身体が万全じゃないだろう、急に動くな!」

    一松は隣のベッドに眠るチョロ松の姿を確認すると、身体を起こそうとした。
    が、やはりまだ上手く身体が動かせないのだろう
    バランスを崩し、危うくベッドから転倒するところだった。

    「一松、お前がこうして目覚めたんだ。
     チョロ松もきっとすぐに気が付く。」
    「連れてけ。」
    「…はい?」
    「だから、俺をチョロ松兄さんのとこまで、連れてけ。」
    「え…何故?」
    「はやくしろ」
    「あ、はい。」

    自分で歩く事は早々に諦めたらしい一松に言われるがまま、点滴の管に気を付けながら一松を抱き上げ
    チョロ松のベッドまで連れて行った。
    一松は眠るチョロ松の顔をしばらくまじまじと眺めていたが、やがてチョロ松の額に手をそっと置いた。
    そして、チョロ松の耳元でそっと囁いた。

    「兄さん、チョロ松兄さん…。」


    「……一松…?」
    「おはよ、チョロ松兄さん。」
    「ん、おはよう一松。……ここは?」
    「あ、そういえば。
     おいクソ松、どこだここ。」
    「び、病院だが…ちょっと待ってくれ、
     色々整理させてくれないか。」

    まさかの光景だった。
    一松が囁いたたったの一言。
    それで、チョロ松も目を覚ましたのだ。

    ーーー

    「あらまーマジでお目覚めじゃん!
     チョロ松も一松も元気かー?」
    「全然元気じゃない。」
    「僕も最悪だよ…身体が思うように動かないし。」
    「何ヶ月もあんな調子だったんだ。無理もないさ。」
    「チョロ松兄さん!一松兄さん!
     おはようございマッスル!!」
    「うん、おはよう十四松。」
    「ほんとよかったよ…もう!心配したんだからねっ!
     今度何か奢ってくれなきゃ許さないんだから!!」
    「トド松もごめん。心配かけたね。」

    カラ松兄さんから連絡を受けて、僕達は1週間前と同じように慌てて病院に駆けつけた。
    病室には、横にはなっているものの、しっかりと目を開けて僕らを見るチョロ松兄さんと一松兄さんがいた。
    ついついあんな事言っちゃったけど、別に奢ってくれなくたって許してあげるよ。
    だってこうしてまた兄さん達と会話ができたんだもん。
    ちゃんと僕の名前を呼んでくれた。
    もうそれで十分だ。
    あ、奢ってくれるならそこは喜んで奢られるけどね。

    話を聞くと、まずカラ松兄さんが一松兄さんの意識を浮上させる事に成功し
    一松兄さんがチョロ松兄さんを起こした、という事らしい。
    カラ松兄さん曰く、一言ボソッと呟いただけなのにチョロ松兄さんがあっさりと目を覚ましたのだそうだ。
    何それ。
    僕らの苦労は一体何だったの。

    「ところでカラ松は一体どうやって一松を起こしたんだ?」
    「ああ、それはn「喋ったら殺すぞクソ松」…えっ。」
    「なんスかなんスか?!」
    「なになに~?
     つまり一松にとっては恥ずかしい起こされ方だったって事かな~??」

    説明しようとしたカラ松兄さんを一松兄さんが遮った。
    身体が動かせないせいで殴ったりはされなかったけど、物凄い殺意を向けられている。
    の、割に一松兄さんの顔は僅かに赤くなっているもんだから、僕はなんとなく想像がついてしまった。

    「それよりも、なんでチョロ松兄さんは
     一松兄さんの小さな声で目が覚めたの?
     今まで僕ら散々兄さん達に話しかけたり
     触ったりしても何の反応も返ってこなかったのに。」
    「うーん…それが自分でもよく分からないんだよね。」
    「…………暗示だと思う。」
    「え、一松?」
    「あの屋敷にいた間も…チョロ松兄さん、
     俺が声を掛けるとすぐに正気に戻ってたから。」
    「そうなの?!」
    「あー…言われてみればそんな気がするなぁ。
     僕が完全に正気を失っちゃったのって、
     一松の声が聞こえなくなってからだろうし。」
    「じゃあ、一松兄さんの声で元に戻るように、
     無意識のうちに自分で自分に暗示をかけてたってこと?」
    「そうなるのかな…?」

    兄さん達が囚われていたあの屋敷。
    今は解体処分されたらしい其処はさながら檻の中だった。
    悪趣味な男にすべてを奪われそうになる中、チョロ松兄さんも一松兄さんも互いが互いの拠り所だったのだと思う。
    特にチョロ松兄さんは兄の立場だったから、弟である一松兄さんを守るために
    一松兄さんの声には敏感に反応出来るようになったのだろう。
    当然、一松兄さんが眠ってしまうと、もう声も聞けなくなる。
    つまり気を張り続ける事が出来ていた、守るべき相手がいなくなってしまった事で
    チョロ松兄さんも眠りに堕ちてしまったのだ。
    そう考えると、チョロ松兄さんと一松兄さんの間に看過できない共依存関係が出来上がってしまったように思うのだけど
    そこはまぁ、上2人に任せるとしよう。
    ひとまず、今は真ん中の兄さん達の目覚めを喜ぶのが先だ。


    チョロ松兄さんも一松兄さんも、完全に意識を取り戻したことで衰弱していた身体も回復して行った。
    意識が戻った日の病院からの帰り道、カラ松兄さんにもう一度一松兄さんを起こした方法を聞いてみたら、

    「眠り姫を起こすには王子の情熱的なキッスだと相場が決まっているだろう?アンダースタン?」

    …と、概ね予想通りの回答が返ってきた。
    イッタイ言い回しまで予想の範囲内ってどういう事なの。
    もう少し突っ込んで聞いてみると、どうやら王子様の優しい目覚めのキスだなんて生優しいものではなく、
    超濃厚なディープキスをかましたらしい。
    一松兄さんのあの反応も納得だ。
    横で「えー、俺もチョロ松にやればよかった!」とか言ってる長男は無視しておいた。


    ーーー


    暗い、暗い海の底に沈んだみたいだった。
    無理矢理沈められた身体はちっとも言う事を聞かなくて、だんだん意識も薄れていった。
    このままゆっくりと死んでいくんだろう。
    そう思ってた。
    もう少しで深海の闇に完全に沈んでしまう。
    けど僕の身体はその寸でのところでピタリと止まって、今度は少しずつ少しずつ浮上し始めた。
    少しずつ、声が聞こえ始めた。
    少しずつ、誰かに撫でられる感覚を感じ始めた。
    少しずつ、身体の自由がきいてきた。

    あと少し、あと少しで水面に顔を出せそうだ。
    必死にもがいて上に上がろうとしていた僕の身体が、ある日突然フワッと急浮上して
    気付けば僕は2つ上の兄にディープキスをされていた。
    戻ってこれたのは感謝してるけど、感謝はしてるんだけど…
    とりあえず、思い切り殴れないのが残念でならなかった。


    ーーー


    真っ暗な海の底へと沈んでいく1つ下の弟を必死で追いかけた。
    追いかければ僕だってもう引き返すことはできないのはわかってたけど、
    独りにしたくなくて。独りになりたくなくて。
    弟がまた僕を呼んでさえくれれば、一緒に浮上する事ができるはずだと。
    その時はそう信じてた。
    けど、辺りはどんどん暗くなって、いつの間にか僕は見失ってしまったのだ。
    光の届かない深海で、弟を探して、必死にもがいた。
    上を目指せば少しずつ、声が聞こえ始めた。
    少しずつ、誰かの手の感触を感じ始めた。
    少しずつ、声を出せるようになってきた。

    そんな中、ずっと探していた1つ下の弟の声がしたから
    僕は慌てて水面に顔を出したのだ。


    ーーー



    水底から無事に戻ってこれた僕らを出迎えたのは、兄弟達の涙と怒号と笑顔だった。

    両親と共に家に帰ってきた僕らは、家の前でぼんやりとその昭和テイストな古い家屋を見上げていた。
    久々の我が家だ。
    懐かしい。

    母親に促されて扉を開けると、4つの色が視界に飛び込んできた。
    赤、青、黄、桃 ー…

    「「「「おかえり!!」」」」
    「「ただいま。」」

    永く欠けていた緑と紫が戻り
    この家にようやく6つの色が揃った。


    (happy end!!)


    ーーー


    以下はIF分岐の死ネタルートです。
    ハピエンのまま終わりたい方はここでバックをお願いします。
















    優雅に、且つ愉快そうに笑いながら男性は立ち上がると、
    殺気を隠そうともせずに己を睨みつける客人の顔を見比べるように順番に眺めた。
    あっさりと会わせてくれると言い放った男によりおそ松達が一層の不信感を募らせる。

    「ちょうど今日の夕刻に大広間に飾ったところなのだよ。」
    「は?何言って…」
    「非常に素晴らしい出来だ。
     君たちもきっと気に入るだろう。」

    おそ松の声を遮って、尚も屋敷の主人は上機嫌な様子で言葉を続ける。
    男はついてきたまえ、とおそ松達に声を掛けると、応接間の扉を開けて歩き出した。
    おそ松は一瞬迷った様子を見せたものの、すぐに意を決し弟達に目配せして男の後に続いた。

    長い廊下を進み、大広間に足を踏み入れると、
    正面には2人掛けのゴテゴテとした装飾の煌びやかな椅子が置かれていた。
    そして、その椅子には

    「なんだよ、これ…」
    「……っ!!」
    「ぁ……」
    「チョロ松!一松!」

    おそ松が呆然と呟き、
    十四松が息を呑み、
    トド松が声を失い、
    カラ松が叫ぶように2人の名前を呼んだ。
    椅子に座していたのは、紛れもなく彼らが探し続けていたチョロ松と一松だった。

    正しくは
    かつて、チョロ松と一松だったもの、だ。

    人形遊びのような綺麗な服を身にまとった2人は固く目を閉じたまま、
    見事なシンメトリーを描いて寄り添うように静かに椅子に座らされていた。
    まるで人形のよう…いや、正しく人形だった。
    血の気を完全に失った白い肌や目元を縁取る長い睫毛が妖しくも退廃的な雰囲気を醸し出している。
    「人形」に成り果てた三男と四男の姿に打ちひしがれる兄弟の背後では屋敷の主人が満足そうな笑みを浮かべていた。
    屋敷の主人の新たな人形の仲間入りを果たしてしまったチョロ松と一松の元に兄弟が駆け寄る。
    十四松が一松を強く抱き締め、トド松がチョロ松の手を両手で握り締めた。
    おそ松とカラ松はその様子を固唾を飲んで見守った。

    4人はまだ心のどこかで希望を捨て切れずにいたのだ。
    自分達が呼びかければ目を覚ましてくれるのではないか、と。
    しかし、沈黙を貫く真ん中2人に触れた末2人は青ざめ、その顔を盛大に歪めた。

    「チョロ松兄さん、一松兄さん!ねぇ!僕達迎えに来てあげたんだよ?!
     ほら…早く、早く起きて?起きて帰ろう?
     ねえ、お願いだから…!
     お願い…起きて、起きてよぉ…っ」
    「な、んで…なんで、なんでチョロ松兄さんも一松兄さんもこんなに冷たいの?!
     僕知ってるよ!2人ともギューってするとすごく温かいんだよ!
     なのに、なんで?!
     なんで、冷たいの…なんで、息、してない、の…
     なんでなんで?!
     なんで、チョロ松兄さんも…一松兄さんも…心臓の音が、聞こえてこないの…
     兄さん…ヤダよ…!」
    「う、うぅ…うああぁっ…兄さん、兄さあああん!!」

    十四松とトド松の様子から、最悪の事態であることは明白だった。
    末の2人はチョロ松と一松に縋り付いて大声を上げて泣いている。
    その様子におそ松は思わず顔を顰めて手が白くなるくらい拳を握り締め
    カラ松はただただ弟達を感情の抜け切った無表情で呆然と見つめていた。

    「おや、お気に召さなかったかね?」
    「てめぇ…ふざけんなよ!
     チョロ松と一松に…俺の弟達に何しやがった?!」
    「先程から申しているでしょう?
     彼らは双子人形だと。
     実に素晴らしい素材だったよ。
     丈夫でありながら儚さも持ち合わせて…
     ゆっくりゆっくり人形に仕立て上げていくのは実に心躍るものだった。
     時間を掛けて、完璧な人形になったのだよ。
     永遠に美しいままの…っぐ!」

    男が長々と演説のように何か語り出したが、言い終わる前にそれはカラ松の拳によって遮られた。
    無言でゴキリ、と腕を鳴らしたカラ松は、いっそ恐ろしい程の無表情だ。
    カラ松に殴られ、床に仰向けに倒れ伏した男の胸倉を今度はおそ松が掴みあげた。
    紳士然としたその顔に渾身の一発を叩き込む。

    「なあ…こいつらはさ、俺の大事なだーいじな弟達だったワケ。
     人形なんかじゃない、れっきとした人間だったワケ。
     そりゃあ俺達揃いも揃ってクズだしニートだし童貞だけどさぁ?
     それでも人として生きる権利はあったはずなんだよね。」
    「……私にとっては、人形だよ。」
    「ふざけるな!!
     …返せよ…チョロ松と一松を返せ!
     あ、あ…あああああああ!!!」
    「カラ松!バカ抑えろ!!」
    「何故止めるんだおそ松…!こいつのっ!こいつのせいで!」
    「カラ松!」

    男の言葉に激昂したカラ松が一切の容赦なく男を殴り飛ばした。
    おそ松が慌ててカラ松を押さえ込む。
    普段は温厚で沸点が異様に高いカラ松が怒りを顕にするのは、大抵が兄弟が傷付けられた時だ。
    今、目の前には悪趣味な男によって理不尽に「人形」にされ事切れてしまった弟がいる。
    片方は、普段から何でも相談できてしまえそうな、
    それこそ六つ子の中でも特段シンパシーを感じていた優しげな緑の似合う弟。
    片方は、誰よりも寂しがり屋なクセして甘えるのが下手くそで、
    まるで自分から逃げるようにキツく当り散らし暴力を振るう姿さえ可愛く見えて、
    知らずの内に特別な感情を抱いていた紫の似合う弟。
    この場でカラ松の怒りが振り切れてしまうのは必然だった。

    おそ松とてメチャクチャに殴って蹴ってそれこそ殺す勢いで暴力を奮ってやりたかった。
    が、これはチンピラ相手の喧嘩とはわけが違う。
    これ以上こちらが手を出せば面倒なことになる。
    おそ松はそう言い聞かせながらカラ松を必死に押さえ込んだ。
    カラ松の表情は怒りと悲しみと絶望で塗り固められ、その目からはとめどなく涙が溢れている。
    だがその表情とは裏腹に男に向かってとてつもない殺気が放たれていた。


    その後、トド松が呼んだ警察に男は引き渡された。
    おそ松とカラ松が思い切り男を殴った点に関しては、トド松が上手いこと口添えしてくれて
    厳重注意のみのお咎め無しにしてもらえた。
    どう見てもこちらは遺族で被害者なのだ。
    情状酌量を与えてくれたのだろう。

    この屋敷にも捜査の手が入り、至るところに飾られていた等身大の人形達も
    トド松が話していた失踪者達だったことが判明した。
    チョロ松や一松と同様に突然攫われ、男に人形にされてしまったようだ。
    最も古いもので死後半年以上経っている人形もあったが、
    一体どんな技術なのか何かしらの防腐処理を施され、腐敗は見られなかったらしい。
    当然、逮捕された男は重罪に問われることになるだろう。
    おそ松達からすれば、もちろん然るべき処罰は受けて欲しいが、
    それでチョロ松と一松が戻ってくるわけではない。
    自分達の手で制裁を下せないのが、酷く歯痒く悔しかった。

    検察の検証とやらを終えたチョロ松と一松が無言の帰宅をしたのは
    おそ松達が屋敷に乗り込んだ翌々日のことだった。
    父も母も泣き崩れていた。
    残された兄弟も、皆涙を流した。


    ふとおそ松が目を開けると部屋の中は薄暗かった。
    時刻を確認すると午後6時を過ぎた頃だった。
    2階の子供部屋で、どうやら泣きじゃくる末2人を抱き締めながら一緒になっていつの間にか眠ってしまったらしい。
    おそ松の傍らには目元を赤くしながら眠る十四松とトド松の姿があった。
    2人に毛布を掛け直してやったところで、カラ松の姿がないことに気付く。
    眠る末2人を起こさないようにそっと部屋を抜け出し、階段を降りて居間に向かった。
    両親は寝室に籠ってしまっいるようだ。
    居間の襖を開くと、棺に入れられたチョロ松と一松の元に座り込む青色の背中を見つけた。
    カラ松は先程の十四松とトド松と同様に目元を赤く腫らし、静かに一松の髪を撫でていた。
    しばらくの間、ひたすら髪を撫で続けていたカラ松だったが、ふと手を止めると
    今度は一松の頬に手を添え、顔を近づけたかと思うと、眠る一松に口付けた。
    まるで命を吹き込むように、祈りを込めるように。
    当然、一松は目覚めてはくれない。
    その様子に、おそ松は何も言えなかった。
    やがてカラ松は顔を上げ、居間の入口で立ちすくむおそ松と目が合うと、
    眉尻を下げ自嘲気味に笑みを浮かべると
    何も言わずにおそ松の横を通り過ぎ、階段を上がって行った。

    部屋には、おそ松と何も言わずに眠るチョロ松と一松だけが残された。
    おそ松はそっと棺に近寄ると、カラ松が座っていた場所とは反対側に腰を下ろした。
    眠る2人を覗き込む。
    陳腐な言葉だが、本当にただの人形のようだ。
    死んでいるのに、なんでこんなに綺麗に見えるんだろう。
    手を伸ばし、チョロ松の頬に手を添える。
    滑らかで、冷たい。

    カラ松の真似事ではないけれど、
    別にお伽噺の王子様のキスなんてのを信じてるわけでもないのだけど…
    そう、別れの挨拶とでも言おうか。
    明日には2人とも骨だけになって埋葬されてしまう。
    触れ合えるのは今だけだ。
    頬に手を添えたまま、そっと口付けてみた。

    触れた唇も、泣きたいくらい冷たかった。

    (bad end...)
    焼きナス
  • 三男と四男が囚われた話 #BL松 #カラ一 #おそチョロ #チョロ一 #一チョロ #監禁

    !ATTENTION!

    この話は以下の要素を含みます。
    一つでも嫌悪感を感じるものがございましたら早急にブラウザバックをお願いいたします。

    1.おそチョロ、カラ一前提(くっついてない)の上での、一チョロ一です
    2.変態なモブのオッサンが出張ります
    3.拉致、監禁要素があります(被害者:年中松)
    4.異常性癖の表現があります(被害者:年中松)
    5.年中松が身体の関係を持ちます(ただし年中松に互いの恋愛感情はなく、2人は兄弟愛の範疇)
    6.救いがありません
    7.死を仄めかす表現があります(今のところ死ネタではありません)



    ーーー

    目を覚ますと、見慣れない天井が視界に入った。
    不思議に思って身を起こしてみれば、そこは完全に自分の全く知らない世界が広がっていた。

    一体どういう事なのか、内心焦りながらもひとまず周りを見渡してみる。
    まず僕は何故かふかふかとした、いかにも高級そうなキングサイズのベッドの上にいる。
    天井だと思って見上げていたそれはベッドの天蓋で、
    その天蓋は金糸と銀糸で見事な刺繍が施された薄く白いカーテンで覆われていた。
    こんな豪華な天蓋付きベッドなんて初めて見る。
    カーテンの向こう側には上品そうなカウチソファに、ガラス製のローテーブル。
    床に敷かれた絨毯は見るからに厚く滑らかそうだ。
    天井からは豪奢なシャンデリアが吊り下げられ、この部屋を明るく照らしている。
    部屋は中々の広さだが、窓も時計もなかった。
    どこからか甘ったるい香りがする。

    此処は一体何処だろう?
    何故自分はこんなところに?

    己に置かれた状況が理解できないまま視線を彷徨わせていると、ふと左手に違和感を感じた。
    その左手を動かしてみると、ジャラリ、と重たい金属音。
    辺りを窺い彷徨っていた視線を左手に向けてみれば、そこには鈍く銀色に光る手枷。
    左手を捕らえた手枷からは銀色の鎖が伸びていた。
    その鎖を辿ってみれば

    「……えっ?!い、一松?!」
    「………ん…?
     …え、チョロ、松…兄さん…?」

    自分のすぐ隣に、ベッドに沈む一つ下の弟の姿があった。
    そこまで大きな声を出したつもりはないのだが、静寂に包まれたこの部屋で発せられた僕の声は
    思いの外響いたようで、一松は薄っすらと目を開けた。
    まだ寝惚けているようだが。
    それにしても触れ合う程すぐ近くにいたというのに、それに気付けない程自分の頭は混乱していたのだろうか。
    しかし、弟の姿を確認すると同時にまた異常を見つけた。
    一つは先に見つけた左手の手枷。
    手枷から伸びる銀の鎖を辿ると、どういうわけか一松の右手に嵌められた手枷に繋がっていたのだ。
    今この不可解なやたらと豪華な見知らぬ部屋で、僕と一松は手枷で繋がっていた。
    わけが分からないが、見知らぬ誰かではなく気の置けない兄弟だった事がせめてもの救いだ。
    もう一つは僕と一松の服装。
    一松を見ると、いつものパーカーではなく白いシルク素材のワイシャツに黒の七分丈パンツという
    普段の弟であればまず身に付けないであろう装いだった。
    ワイシャツのカフス部分と前立て部分には大きく緩やかなフリルがあしらわれており
    首元には深い紫色の大きなリボンタイが結ばれていた。
    リボンタイの色が深緑色である事を除いて、僕も一松と同じ格好だった。
    いつの間に、誰が着替えさせたのだろうか。
    最後に、足枷。
    僕の右足首には足枷が嵌められており、やはり銀の鎖でそれはベッドの脚と繋がっていた。
    一松も同様に左足首とベッドが足枷で繋がれている。
    自分達も含め、そこはまるで異空間に迷い込んでしまったかのような異様な空間だった。

    「え…何これ…えっ…え?!」
    「僕にもわからない…気が付いたらこうだった。」
    「え、チョロ松兄さん…だよね?」
    「うん。」
    「あれ…俺とチョロ松兄さん、母さんに頼まれた買い物に行く途中だったよね?」
    「…の、はずだよね。」

    ようやく覚醒したらしい一松が不安そうな声を上げた。
    そう、買い物だ。
    僕と一松はじゃんけんに負けて母から頼まれた買い物のために近所のスーパーへ向かっている途中だったはずだ。
    そこで、確か…

    「なんか…変な薬を嗅がされて…
     黒塗りの車に引きずり込まれた…ような気がする…。」
    「奇遇だね、一松。僕もそんな覚えがあるよ。」

    2人してのんびりダラダラとスーパーに向かって歩いているところを、突然何者かに襲われてしまった。
    気配を殺した男が背後からホールドしてきたかと思った次の瞬間には、
    白いハンカチで鼻と口を覆われて、みるみる間に睡魔に襲われた。
    重くなる瞼になんとか逆らいながら横に目をやると、一松も同様に羽交い締めにされた上でハンカチで顔を覆われていた。
    そのまま2人一緒に黒塗りの車に詰め込まれて。
    身体中から力が抜けて意識が途絶えるのと、エンジン音がして車が動き出すのは同時だった。
    …そして気付けばこの部屋でこんな事になっていたのである。

    わけがわからない。
    わからないが、こうしていても仕方ない。
    そろそろと一松と2人ベッドから足を下ろし、もう少し部屋の中を探索してみることにした。

    ベッド横の扉は洗面所とシャワールームに続いていた。
    その横の扉は手洗い。
    更にその向こうにある一際重たそうな扉は、鍵が掛かっているのかびくともしなかった。
    動く度に鎖が引きずられる音がして不愉快だ。
    足枷から伸びる鎖はちょうど部屋の端から端までを移動出来る長さに調節されているようだ。
    背中に張り付いている一松が微かに震えているのが分かる。
    安心させるようにぎゅ、と強く手を握ったが、自分も同じくらい震えている事に気付いてしまい思わず俯いてしまった。

    「此処…何なんだろうね。」
    「うん…。」
    「でも…チョロ松兄さんが一緒でよかった…。」
    「え?」
    「独りだったら絶対パニクってた。」
    「まあ、確かにね。僕も一松が傍にいてくれてよかったよ。」

    一松の言う通り、この空間に自分1人だけだったとしたらもっとパニックに陥っていたに違いない。
    弟が傍にいるという事実が己を奮い立たせ、冷静にさせている。

    結局ここからは出られそうになかったため、部屋の探索はそこそこに僕と一松はカウチソファに腰を下ろした。
    こんな所で別行動したくはないのだが、しかし手枷で繋がれているせいで一松と離れられないのは些か不便ではある。
    こうして2人で寄り添うように座っている分には構わないのだが
    トイレや風呂はどうすればいいのだろうか。
    そんな事を考えながら、一松とぴったりと肩を寄せていると、
    開けることのできなかった重たい扉がギ…と軋む音を響かせて開いた。
    咄嗟に一松を抱き寄せ、背にかばうようにして扉を睨みつけた。

    部屋に入ってきたのは、初老を幾らか過ぎたくらいの、上品さと気迫を兼ね備えた紳士然とした男性だった。
    男性の背後には使用人らしき何人かの男達が控えている。
    男性がにこやかな笑みを浮かべて口を開く。

    「お目覚めかな、私の人形達。」

    ーー……は?

    「人形……?」

    気品ある佇まいのまま、男性は僕らに近づいた。
    一松を抱き締める腕に自然と力が篭る。
    しかしそんな僕らを見て男性は可笑しそうに笑みを深めるだけだった。
    男性はそのまま僕らの前に立つと、まるで演説をするかのように語り出した。

    「双子人形が欲しかったのだよ。
     綺麗で、丈夫な、鏡合わせのような双子の人形。
     君達は完璧だ。
     力強さの中に脆さがある。
     虚勢で塗り固められた壁の隙間を軽く突いてやれば
     一瞬にして崩れ落ちてしまうような危うさを潜めている。
     実に素晴らしいね。正に私の理想だよ…理想の人形だ。」

    その口調は柔らかく優しげであるのに、どこか薄ら寒さを感じる。
    男性と目が合った瞬間にゾクリとした寒気が背骨を抜けていった。
    この男が一体何を言っているのか全く理解できない。

    「いや…失礼、少々感情が昂ぶってしまったようだ。
     しかし私は感動すら覚えているのだよ。
     君達は私の理想の双子人形だ。
     私は人形をコレクションするのが趣味でね。
     これまでも何体も集めてきたのだが…
     ふふ…どれもこれも脆くてね。
     だから丈夫な人形が欲しかったのだよ。
     しかしただ単に丈夫なだけでは味気ない。
     人形とは美しさと儚さを持ってこそだ。
     その点君達は実に素晴らしい。
     丈夫さと脆さという相反する2つの要素を絶妙なバランスで併せ持っている。
     ここまで理想に近い人形に出会えるとは思ってもみなかったよ。」

    この男は一体何を言っているんだ?
    人形とはなんだ?
    双子人形?…いや、巫山戯るのも大概にしてほしい。
    ていうか僕ら六つ子だし。
    大体、僕らのどこをどう見れば人形に見えるというのか。
    ……と、思ったところで視界の隅に入った一松の姿に、僕は息を呑んだ。
    綺麗な服で着飾られ、驚愕と得体の知れない恐怖で青白い顔をした一松の姿は、
    正しく「まるで人形のよう」だったのだ。
    そして、僕も今一松と同じような顔をしているのだろうと思うと、再び背筋に冷たいものが這い上がった。
    何も言えないでいる僕と一松をうっとりと眺めながら、男性は尚も続ける。

    「安心してくれたまえ。
     悪いようにはしないよ。
     君達はただ…私に愛される人形になればいいだけのことだ。」
    「人形に…なる?」
    「そう、私の可愛い可愛い人形だ。
     人形のように、愛くるしく私に従えば生活は保証するよ。」

    悪いようにはしない、などと言われてもこの男性の人形になるという大前提がそもそも安心できない。
    男性は僕と一松を交互に眺めながら、まるで慈愛に満ちたような眼差しを向けている。
    けれどその目の奥は何か冷たいものを感じるのだ。
    この男性は正気なのだろうか。
    いや、成人男性をこうして誘拐して着飾って恍惚の表情を浮かべている時点で
    とても正気の沙汰とは思えない。
    しかしどうやら逃げ場はない。
    男性の背後には使用人らしき男達が数人控えているし、
    よく見ると扉には武装した人がまるで門番のように佇んでいる。
    暴れようにも、手枷と足枷のせいで思うようにはいかないだろう。
    何より、今ここで僕が暴れたら一松が巻き添えを喰らってしまう。
    悔しいが今は身の安全のためにこの男性に従う振りをするしかなさそうだ。
    一松を見ると、不安と緊張の混ざったような目をして僕の服の袖を握っていた。
    ああ、そうだ。
    此処にいるのは僕だけじゃない。
    一松が一緒にいるんだ。
    僕がしっかりしなきゃ。

    いつまでもくっ付いたままの僕らを見て、男性が笑う。
    そして使用人らしき人に手で指示を送ると、使用人の1人が鍵を取り出し僕と一松の手枷と足枷の鎖を外した。
    それと同時に僕も一松も複数の使用人に囲まれた。

    「さて…お腹が空いただろう?夕食にしよう。
     食堂へ連れて行ってあげよう。
     …ついでに、他の人形達にも会わせてあげるよ。」

    男性がそう言って踵を返し部屋から出て行く。
    呆然とする僕と一松も、僕らを囲む使用人に促され歩き出した。

    広い屋敷だった。
    夕食、と言っていたから時刻は夕方かそのくらいなのだろう。
    装飾が施された窓の外は暗く、窓の向こうは森や山に囲まれていた。
    山奥の豪華な別荘、といったところだろうか。
    一体何処なのだろう、全く分からない。
    そして、食堂までの道には至る所に人形が置かれていた。
    小さなものから、僕らと同じくらいの等身大のものまで。
    そのどれもが少年から青年の姿の人形で、僕と一松と同じように着飾られている。
    等身大の人形はまるで本物の人間のようにリアルで見るのが少し怖かった。
    食堂へ行くまでの間、僕らが見ただけでも大小合わせて実に20体以上の人形が飾られていた。
    人形だらけの大きな屋敷。…怖すぎる。
    やはりあの男性は異常だ。

    「…女の子の人形が…一つもないね。」
    「うん…別の部屋にある、とかかな…。」
    「ちっとも良くないけどそうだといいね…。」
    「そう思っておこうよ…
     マジで男の人形だけだったら完全に異常性癖だよ…。」

    小声で一松とそんな会話をしていると、程なくして食堂にたどり着いた。
    白いテーブルクロスが掛けられた長テーブルの一番奥、いわゆるお誕生日席に例の男性が座っている。
    使用人に連れられ、僕と一松はそのすぐ近くに向かい合うようにして座らされた。
    目の前には食欲をそそる豪華な料理の数々。
    脚や背もたれにゴテゴテとした装飾が付いた重たい椅子に腰掛けると、
    食堂で待っていたウェイター姿の男性がグラスにシャンパンを注いだ。
    男性が穏やかに笑ってグラスを手に取った。

    「では、乾杯。」
    「…………。」
    「…………。」
    「2人とも、どうしたんだね?
     さあ、グラスを取りなさい。」

    穏やかな笑みはそのままに、男性から有無を言わせないピリ、とした空気が発せられて
    僕と一松はほぼ同時にグラスに手を伸ばした。
    男性はそれに満足げに笑うと、再び「乾杯」と口にしてシャンパンを煽る。
    向かいに座る一松と視線を交わし、お互いに戸惑いの表情を浮かべていたが
    男性から早く飲むように促され、意を決してそれを一気に飲み干した。
    普通のシャンパンだ、多分。
    料理に何か仕込まれているのではないかとも思ったが、何故かこの男性には逆らう事ができなくて
    結局僕らは料理に口をつけた。
    遠慮がちに料理を口にして(悔しいことに非常に美味だった)また使用人に囲まれながら部屋に戻され
    部屋に着くなり再び手枷と足枷の鎖が繋がれた。
    ガチャリ、と部屋の鍵が閉まる音が響いた。
    部屋の中は相変わらず甘ったるい香りがしている。
    後から気付いたが、この香りの正体は棚の上に置かれた香炉からしているようだ。

    「チョロ松兄さん…。」
    「うん…。」
    「これってさ…俺たち拉致られたってことかな…。」
    「そうなるのかな。
     いや、そうだよね確実に拉致だよね。」
    「しかも異常性癖持ちの金持ちのおっさんに…。」
    「どう考えても金持ちの道楽だよね。…いい迷惑なんだけど!」
    「俺達…あのおっさんの愛玩人形にされちゃうのかな…。」
    「やめて一松マジでやめて!!」
    「うん…ごめん…。」
    「いや僕もちょっとそれ思っちゃったけどさ。
     つーかこの服なんなんだよ?!
     どっかの貴族の坊ちゃんかよ?!
     何気に一松似合ってるし!!」
    「チョロ松兄さんも何気に似合ってるよ…。」
    「ありがとう嬉しくない!
     そもそも人形って何だよ!!
     こちとら人間だっつの!クズ極めた童貞ニートだっつのこの野郎!
     何であのオッサンの性癖に付き合わされてんだよケツ毛燃えるわ!!!」
    「だよねーこんな人間のクズ捕まえて何する気なんだろ…。」
    「これ明らかに犯罪だよ犯罪!!
     あのオッサン今に慰謝料毟り取ってやるからなクソがっ!!」
    「ヒヒッ……!」
    「何笑ってんの一松。」
    「いや…いつものチョロ松兄さんの調子に戻ったなって。」
    「え。」

    自分が突然放り込まれた状況をようやく脳がしっかりと理解し飲み込めたのか
    口から自然とツッコミと愚痴と罵倒の言葉が流れるように出てきた。
    確かに、少し落ち着いて考えられるようになってきたかもしれない。
    それは隣に一松がいてくれるというのが一番大きいと思うけど。
    そうだ、こんなこと付き合ってられない。
    なんとかして脱出する手段を考えないと。
    そりゃ僕も一松も一生働かずに養われたいとか思ってたけど、
    こんな形で養われるだなんてまっぴらごめんだ。
    ましてや一松の言うように愛玩人形になんてなってたまるか。

    「一松、ひとまず今日はもう寝よう。」
    「…そうだね。」
    「明日、なんとか逃げる方法を考えようか。」
    「うん。」
    「…おそ松兄さん達、心配してるかな。」
    「…どうかな。」
    「………。」
    「チョロ松兄さん。」
    「ん?」
    「また…会えるよね。
     おそ松兄さんにも、クソ松にも、十四松にもトド松にも…
     父さんと母さんにも…。」
    「うん、絶対会える。」
    「ん。」
    「会えるように頑張らなきゃ。」
    「ん。」
    「とりあえず、今日は休もう。」
    「ん。おやすみ…。」
    「おやすみ。」

    そうして、キングサイズのベッドに2人で潜り込んだ。
    目を閉じてふと思い浮かぶのは鮮やかな赤色。
    …いや、ちょっと待て。
    ここは家族みんなを思い浮かべるところだろう。
    そう思っても脳裏に浮かぶのは長男の顔で。
    いやいやいや、待て待て待て。
    これはアレだ、昔の相棒だったからついつい浮かんできただけであって
    決して邪な気持ちではない、はずだ。
    何故か自分で自分に言い訳をしながらも赤色は頭から去ってはくれない。
    赤色を振り払おうとしてそろりと目を開ければ、静かに寝息を立てる一松の姿があった。
    それを見て少し心が安らいだ僕もまた目を閉じる。
    僕の左手と一松の右手を繋ぐ鎖が少し邪魔だったけど、程なくして僕も深い眠りに誘われた。


    この時は、まだそこまで事態を重く受け止めていなかったのだ。
    僕も、一松も。

    ーーー



    チョロ松と一松が姿を消した。


    その日の夕方近く、俺達ニート兄弟は2階の部屋でそれぞれが各々の時間を過ごしていた。
    俺は競馬新聞を広げてお馬さんの予想をしてて
    カラ松は相変わらず鏡を眺めていて
    チョロ松は何かよく分からない自己啓発系の分厚い本を読んでいて
    一松は隅っこで猫と遊んでいて
    十四松はバランスボールに乗っかってゆらゆら揺れていて
    トド松はスマホをいじっていた。

    そんな中、ガラリと襖が開き発せられた一言。

    「ニート達、誰か買い物に行ってきてちょうだい。」

    我が家では母松代の言葉は絶対である。
    そんなわけで雌雄を決する壮絶な戦い(という名のただのジャンケン)が繰り広げられ、
    敗者となったチョロ松と一松はまだ日の沈みきらない街へと出掛けていった。

    …それが、1ヶ月前の事だ。

    頼まれた買い物の為に出掛けたチョロ松と一松はなかなか帰って来なかった。
    夕飯の時間になっても、銭湯へ行く時間になっても、寝る時間になっても。
    最初は一体どこで油を売っているんだと皆して口々に呆れていたが、
    次の日になってもその次の日になっても帰ってこない真ん中2人に、次第に俺達も焦り始めた。

    チョロ松と一松は何かの事件に巻き込まれてしまったのではないか?…と。

    先にも述べた通り、我が家では松代の言は絶対だ。
    自称ではあるが常識人のチョロ松と、なんだかんだ元々は真面目な一松が母のおつかいを放り出すとは考えにくい。
    2人してどこかに逃げたにしても、あの日の外出時の2人は大した荷物も持っていなかったはずだ。
    チョロ松も一松も手ぶらのまま、チョロ松はポケットに財布と携帯を入れただけ、
    一松に至っては携帯不携帯だ。
    それにあのおつかいもたまたま松代に頼まれて、しかもたまたまジャンケンに負けたからであって、
    偶然真ん中2人で行く事になっただけだ。
    自主的にどこかに逃げたとは考えられなかった。
    トド松があの日からずっとチョロ松の携帯に連絡を入れているが、メールの返信はないし、
    電話をしても電源が切られているらしく、繋がらないという。

    さすがにこれはおかしい、と失踪3日目に父さんと母さんが警察に連絡をした。
    俺達も2人を探そうとそれぞれ動き出した。
    俺やカラ松、十四松は自身の足で色々な場所へ赴いては聞き込みをして
    トド松はそれに加えてSNSを駆使して
    どうにかチョロ松と一松の目撃情報を掴めないかと、動き回ったが
    当然ではあるがそう簡単に情報は入ってこない。
    そうして、今日で1ヶ月。

    警察も今のところ何の手掛かりも見つけられていないらしく
    家の中は重苦しい空気に包まれていた。
    カラ松は拳を痛いくらいに握り締め、今にも人を殺しそうな顔してやがるし
    トド松はそれにビビって泣きそうな顔してるクセして俺とカラ松にいつも以上に悪態ついてくるし
    十四松はそんな俺達を見て必死に明るい空気にしようとしてるけどオロオロしてるし
    俺といえばそんな兄弟の様子に思わず舌打ちが漏れる始末だし。
    分かってる。
    カラ松も十四松もトド松も、突然いなくなったチョロ松と一松が心配で心配でたまらないだけなのだと。
    それはもちろん俺もだ。
    母さんは自分が買い物を頼んだから、と自分を責めて泣き崩れてるし、
    父さんはそんな母さんを支えるのに精一杯だ。
    だから、情緒不安定になってる弟達を支えるのは俺の役目だろう。
    なんたって俺、カリスマレジェンドな長男様だし!
    …と、己で己を奮い立たせると、沈む弟達に努めて明るく声を掛けた。

    「はーい、みんな集合~!」
    「…何なの?!下らない用事だったらころすよ?」
    「トド松ー、一旦スマホ弄る手休めようか。」
    「何か用か。」
    「カラ松、ちょっとお前深呼吸しろ。3人くらい殺ってそうな顔してんぞ。」
    「どうしたんスか、おそ松兄さん!」
    「そして十四松、お前も一旦手に持った金属バット下ろそうな。」

    皆して怖い顔だ。
    けどこんな怖い顔して俯いていては、見つかるものも見つからない。
    こんなにも殺伐としてしまうのは、いなくなったのが真ん中2人だからだろうと俺は思う。
    他の誰かでも、そりゃ皆同じくらい心配するに決まっているが、こんな重苦しい空気にはならないはずだ。
    手掛かり一つ見つからず、イラつくのは痛いほど分かる。
    けれど、ここで俺が気分転換と称して無理やり飲みに連れ出してもそれは逆効果だろう。
    今は言うなれば手詰まりの状態だ。
    だからほんの少しでもいい、
    何か突破口となりそうなものが必要だ。
    そう思って、俺なりに考えたのは、

    「なあ、十四松。」
    「あい。」
    「一松の友達ってどの辺までいるか分かるか?」
    「一松兄さんの友達…
     えーと、隣町までは余裕でいる!」
    「なるほど、あいつ猫の為なら努力惜しまねーのな。」
    「そんな事聞いてどうするの?」
    「んー?いや…
     人からの目撃情報が得られないなら、猫からの目撃情報はねーかなって。」
    「猫ッスか!!一松兄さんの友達に協力してもらうッスか??」
    「そーそー、デカパン博士なら猫と話せる薬くらい作れそうじゃね?
     この辺りの野良猫は大体一松の事知ってそうだしさぁ」
    「何それ……。
     …まぁ、でも他に方法思いつかないもんね。
     何気に有力情報ゲット出来そうな気がしてきた。」
    「確かに、今は俺達の力では為す術もないからな…。」
    「って事でさ!明日デカパン博士の所に行ってみようぜ!!」
    「りょーかいッス!マッスルマッスル!!」
    「しょーがないなぁ~付き合ってあげるよ。」
    「フッ…もちろん俺も行くぜ…!」

    正直、突拍子もない手だとは思うのだが、一松の友達
    つまり野良猫ネットワークに懸けるくらいしか思いつかなかった。
    けど、次にすべき目標が見つかった事で、みんなの表情も少し和らいだように思う。
    さすが長男様と誰か褒めてほしいものだ。

    なぁ、チョロ松、一松。
    お前らは今どこにいるんだ?
    早く帰ってきてくれないとお兄ちゃん1人でこいつらのフォローしきれないよ?
    一松、お前のこと大好きな十四松とトド松が泣いてるぞ?
    弟達泣かせるなよ。
    あと、カラ松がマジでヤバイから。
    もうこれ以上はさすがの俺でも抑え切れそうにないから。
    だから早く戻ってこい、一松。
    チョロ松、連絡の一つでも寄越してくれたっていいんじゃないの?
    寂しくて寂しくてお兄ちゃん死んじゃいそう!
    無事でいるのか?無事でいてくれるなら許してやるから、だから早く帰ってこい。
    …俺、自分で思ってた以上にお前がいないとダメみたいだから。

    ーーー

    次の日、事の次第をデカパン博士に説明すれば彼は快く協力を申し出てくれた。
    割とあっけなく猫と話せる薬を手に入れる事に成功したわけだが、ここで問題が浮上した。
    まず、デカパンから貰った猫と話せる薬は、猫側に飲ませる必要があるのだ。
    手元にある薬は3つ。
    つまりは、俺達と話せるようになる猫は最高でも3匹までという事になる。
    そして薬の効果の継続時間。
    効果はもって一週間らしい。
    デカパン博士はもっと利便性の高い薬の開発に着手してくれるそうだが、
    完成がいつになるかは分からないとの事だった。
    猫達の協力でチョロ松と一松の手掛かりを探すことができるのは一週間と考えた方がいいだろう。

    4人でどうするか話し合い、最終的に薬はエスパーニャンコだけに飲んでもらうことにした。
    こいつは一松と1番仲がいい猫だし、行動範囲も顔も何気に広いらしいのだ。
    エスパーニャンコに周りの猫達から情報を収集してもらい、俺達に伝えてもらおうというわけである。
    この方法によって、猫達の協力を仰ぐことが可能な期間が3週間となった。

    一松がいないのにエスパーニャンコを見つける事ができるかどうか心配だったが、それは杞憂に終わった。
    まるで事情は分かっているとでも云うように、エスパーニャンコ自ら家にひょっこりと現れたのだ。
    いや、単に一松に会いに来ただけなのかもしれないが。
    小瓶に入れられた不思議な色の液体を猫用ミルクに混ぜて与えると、
    エスパーニャンコはそれを飲み干してくれた。
    まずは第一関門クリアだ。
    エスパーニャンコは俺達に向かってニャアと一声鳴くと、家を飛び出して行った。



    それからすぐに動きはあった。
    薬を飲んでもらったエスパーニャンコを見送った次の日、ニャンコは再び家の居間に何処からか入り込んでいた。
    それに気付いた十四松が話を聞くと、1ヶ月ほど前に人気のない道で一松と兄弟の誰かが
    突然黒い服を着た男達に取り押さえられ、黒塗りの車に押し込められたところを目撃した猫がいたらしいのだ。
    車はすぐに走り去ってしまい、何処へ向かったかは分からなかったらしい。
    どうやらチョロ松と一松は何者かに誘拐されたらしいことが判明した。
    元々は八方塞がりで精神的に追い詰められていた兄弟を元気付けるために提案した猫作戦だが、
    こうも効果があるとは思わなかった。
    猫ネットワーク恐るべしである。

    しかし誘拐とはあってほしくなかった事実だ。
    それでも一歩前進したのは間違いない。
    となれば、次は2人を連れ去った輩と囚われている場所を突き止めなければならない。
    猫達にはお礼に猫缶と煮干しをたっぷり贈呈し、引き続き協力をお願いしておいた。
    1ヶ月、…1ヶ月もの間、あの2人は何者かに囚われていたというのか。
    早く、早く助け出さなければ。

    この時、俺は何故か言い様のない胸騒ぎを感じていた。

    ーーー

    この屋敷に監禁されて、どれくらい経ったのだろう。
    時計もない、窓もないこの部屋はまるで時間が止まったかのようだった。
    屋敷の使用人が運んでくる食事と着替えだけが、時間を知る手掛かりだ。
    あの日から変わらず僕の右手とチョロ松兄さんの左手は鎖で繋がっているし、
    僕の左足首とチョロ松兄さんの右足首も鎖でベッドの脚に繋がれて部屋から出れないようになっていた。
    部屋から出れるとすれば、屋敷の主人が気まぐれに食堂に呼び出す時や、中庭に連れ出す時くらいで、
    移動中は使用人に囲まれて逃げ道はすっかり塞がれてしまう。
    部屋の外に出られるのは確かに気分転換にはなるのだが
    この屋敷には至るところにやけにリアルな人形が置かれていて、
    それが僕には酷く不気味な物に見える。
    そんなわけで屋敷内を歩き回るのは好きじゃないが、中庭に行くのは好きだ。
    外の空気に触れることができるし、何よりたまに野良猫がやって来るのだ。
    猫達は初めて見る顔ぶればかりで、
    やはりここは家から離れた場所なのだろうと実感した。
    猫達は僕にすぐ懐いてくれて、猫と戯れる時間は一時の幸福だった。

    僕とチョロ松兄さんを「双子人形」などと宣った男は、毎日飽きもせず僕らに新しい服を寄越した。
    それは毎回決まってお揃いで、ゴシック調などこぞの貴族のような服だった。
    ご丁寧に下着まで毎日新調だ。
    本日は白のワイシャツにグレーと黒のチェック模様のハーフパンツ、
    そしてパンツと同じ生地のベストを身に付けている。
    ベストの背中部分には紫色のリボンがシューレースのように編み込まれている。
    胸元には結び目に宝石があしらわれたリボンタイ。
    当然チョロ松兄さんはリボンが緑色である。
    こうして着飾った僕達を、この屋敷の主人は満足そうに眺めて、時には髪を、頬を撫でては去っていく。

    そんな屋敷の主人は異常な性癖なのは間違いないが、自分から僕らに手を出そうとはしてこない。
    せいぜいうっとりと笑いながら身体を撫でるだけだ。
    見るだけで満足なのだろうか。
    それならそれで助かるけど。
    まったくこんなゴミクズを着飾って何が楽しいんだか。
    金持ちの考える事はわからない。
    …家族はどうしているだろうか。
    僕らが突然いなくなって、悲しんでいるだろうか。
    それとも、特に気にせず過ごしてるとか?
    いや、それはさすがに悲しすぎる。
    僕はいいとしてチョロ松兄さんが消えた事は皆悲しんでるだろうけど。
    けれどもうここに来てから結構経っただろうから、案外いつも通り生活しているかもしれない。
    おそ松兄さんは、十四松は、トド松は今頃どうしているだろう。
    クソま…カラ松は、今何しているんだろう。
    相変わらず、いもしないカラ松girlとやらを待っているのだろうか。
    それとも僕達を探してくれている?
    ちょっと待て、何でこんな時に、ふと会いたいと思うのがカラ松なのだろうか。
    おかしい。
    おかしいだろ。
    いや何がおかしいのか自分でもよく分からないけども。

    …嗚呼、なんだかもう考えるのすら億劫だ。
    何も考えたくない。

    部屋に置かれた香炉から甘い香りが漂ってくる。
    この香りを嗅ぐと、不思議と頭がボンヤリして眠たくなった。
    囚われ、行動を制限された僕の脳は確実に麻痺しているようだ。



    そんなある日の事。
    部屋にやって来た屋敷の主人がとんでもない事を言い出した。

    「「………え?」」
    「聞こえなかったのかい?
     もう一度言ってあげよう、私の人形達。
     君達がセックスするところを見せてほしいのだよ。」
    「な…何言って…!」
    「嫌なのかい?
     …ならば、この屋敷で働く薄汚い下男にでも抱いてもらうかい?」
    「……っ!」

    ああホントこいつ頭おかしいだろ。
    同じ顔した男同士の兄弟のセックス見たいとか頭イッてるとしか考えられない。
    男は表面上は穏やかにニコニコと笑みを浮かべているが、その瞳の奥はゾッとするほど冷たかった。
    何故か逆らえない気迫がこの男にはあるのだ。
    隣に座るチョロ松兄さんが震えている。
    チョロ松兄さんの事は好きだけど、それはあくまでも兄弟として、家族としての親愛の情だ。
    兄さんとそんな事するなんて…こんなゴミクズとセックスなんかしたら、
    兄さんが汚れてしまうし、何よりおそ松兄さんに殺される。僕が。
    けれどこのままでは本当にこの男は薄汚い下男とやらを呼びそうだ。
    チョロ松兄さんが見ず知らずの薄汚い男に犯されるなんて絶対に嫌だし、
    自分だってそんなのに抱かれるなんて御免だ。
    ごめん、兄さん。
    それならば、いっそのこと

    「チョロ松兄さん…。」
    「一松…?」

    小さく深呼吸をしてから、チョロ松兄さんをギュッと抱き寄せた。
    肩口に顔を埋める振りをしながら、小さく耳打ちする。

    「…俺の事、抱いて。」
    「なっ…で、でも…っ」
    「見ず知らずのおっさんなんかに抱かれるなんて絶対やだ。
     …俺、チョロ松兄さんになら、いいよ…。」
    「………。」

    両手でチョロ松兄さんの頬を包んで、今度は正面から向き合った。
    チョロ松兄さんの瞳は悩ましげに揺れていたが、
    やがて腹を括ったのか深く息を吐いて小さく呟いた。

    「……わかった。」

    屋敷の主人がひどく愉快そうに笑っていた。

    男の恍惚とした視線を感じながら、僕はチョロ松兄さんに抱かれた。
    一体何がそんなにお気に召したのかは知らないが、その日から屋敷の主人は
    度々僕達にセックスを見せるよう強要してくるようになった。
    僕がチョロ松兄さんを抱く日もあれば、抱かれる日もあった。
    兄さんの白い肌はキメ細やかで滑らかで、温かかった。
    …おそ松兄さんが独占欲を剥き出しにするのも理解できる。
    おそ松兄さん、本当にごめん。
    主人は相変わらず目を細めては絡み合う僕とチョロ松兄さんを愛おしげに眺めるだけだ。

    男が去った後は2人で身体を引き摺るようにしてシャワールームへ入り身体を清めながら、
    そしてお互い涙を流しながらお互いを慰めた。
    僕もチョロ松兄さんも何度も何度も「ごめん」と繰り返して、
    そうして寄り添いながら眠りにつくのが、セックスした日の習慣になっていた。
    涙を流す兄さんは、すごく綺麗だった。

    それでも回数を重ねる毎に見られることへの躊躇いも羞恥心も薄れていく。
    今ではもう何も感じない。
    囚われの生活に僕の、いや僕らの頭は溶けてドロドロになって、
    何も考えられなくなってしまったのかもしれない。

    香炉から漂う甘い香りがやけに鼻をついた。

    ーーー

    はっきりと違和感を感じたのは、チョロ松兄さんと行為をした後くらいだ。
    一体どのくらいの月日が経ったのかすら分かっていないから、
    1ヶ月くらいなのかもしれないし、1週間程度なのかもしれない。
    いずれにしろ、それなりに時間が経った頃に僕は自分の身体に違和感を覚えた。
    身体がひどく重たくて怠いのだ。
    なんだか頭もスッキリしない。
    まるで脳内に靄がかかっているようだった。
    気を抜くと眠ってしまいそうな、そんな倦怠感を全身に感じた。
    それは隣でベッドに沈み込むチョロ松兄さんも同様のようで、
    仰向けになった兄さんはボンヤリとベッドの天蓋を見つめていた。
    その目の焦点があっていたのか否かは定かではない。

    その後も違和感は続いた。
    一つは食事。
    食べられる量が段々減ってきた気がする。
    今まで1日3食だったのが、気付けば2食に、そしてついには1食に。
    もう一つは排泄。
    食べなくなったのが原因なのだろうけど、なんというか明らかに催さなくなった。
    まるで身体が少しずつ死んでいくようだった。

    ベッドに寝そべったまま、ゆっくりと顔を横に向けると眠るチョロ松兄さんの顔がすぐそこにあった。
    白い肌、長い睫毛、細い手足…死んだように眠る兄さんはまるで人形のようだ。
    それこそ、この屋敷の至るところに飾られた等身大の人形達のような…。
    もうここからは逃げられないのだろう。
    ああでも…この頭が完全に溶けて何もわからなくなってしまう前に
    皆に、カラ松に会いたい。
    心の内でそう願えば、チリ、と胸と頭に痛みが走った。
    最近はいつもそうだ。
    何か考えようとすればする程、頭痛に襲われる。

    …頭が痛い。
    もう何も考えたくない。

    眠くて眠くて仕方ない。



    ねぇ、誰か、助けて。

    ーーー

    身体が重い。
    頭はノイズが入ったように朦朧として、何も考えられない。
    この屋敷に拉致られてどれくらい経ったのか、最早確認する術さえもない。
    ここに来てから僕達の身体はゆっくりと、しかし確実に死に向かっている気がする。
    少し身じろぐと、右手から伸びた銀の鎖が小さく音を立てた。
    酷く眠い。
    さっきまで泥のように眠っていたはずなのに。
    頭が溶けていくようだ。

    ここに連れてこられたばかりの頃はなんとか逃げ出せないかと一松と思案しては、
    なんだかんだで僕は口うるさく一松にツッコミを入れていた覚えがあるのだけど
    最近ではそんな気力もなかった。
    囚われの日々は部屋から自由に出られない事を除けば、何一つ不自由はなかった。
    気まぐれにやって来る屋敷の主人の要望に応えて、あとは部屋の中で一松と2人で静かに過ごすだけ。
    肉体的にも精神的にも大した苦痛は受けていない。
    なのに最近調子がイマイチだ。
    僕も一松も明らかに食事の量が減ったし、睡眠時間が格段に増えた。
    いつからだっけ。
    たぶん、はっきりと身体の異変を感じたのは一松を抱いたくらいからだろうか。

    屋敷の主人に強要されて、僕は一松を抱いたし、抱かれた。
    一松の身体は柔らかくて、気持ち良くて、温かかった。
    行為の後にシャワールームで涙を流す姿もどこかいじらしくて、
    カラ松が目を離せないのも理解できる。
    この異常な空間の中、一松との行為も今となっては何も感じなくなってしまったが
    カラ松にはなんとなく申し訳なく感じていた。
    僕が一松を独り占めしてごめん、カラ松。

    その一松は僕の隣で死んだように眠っている。
    白い肌、長い睫毛、細い手首…まるで人形のようだ。
    前までは屋敷の主人に連れられて中庭に行ったりする事もあったのだけど、
    もう身体が怠くてそんな気も起こらない。
    中庭には時折猫がやって来ていた。
    猫と嬉しそうに遊んでいる一松を見ると、心が少し軽くなったのだけど、
    もうそこに行くこともないのだろうなと、なんとなく思った。

    ああ眠たい。
    一松もまだ寝ているし、僕も寝てしまおう。

    そう思ってうつらうつらと夢と現実の境をさまよっていた時だ。
    部屋の扉が開いて屋敷の主人が入ってきた。

    「…おや、私の双子人形は眠っているようだね。」

    まだ完全には寝てないけど、返事をするのも億劫で
    僕は男を無視して目を閉じたままでいた。

    「ああ、もう少しだね。
     もう少しでこの子達も完全な人形になる…。
     君達はやはり素晴らしかったよ。
     これまでの人形達とは比べ物にならないくらい丈夫で、
     随分と楽しませてもらった。
     この可愛い双子人形は何処に飾るのがいいだろうか。
     やはり大広間か…いや、玄関ホールでもよく映えそうだ。
     ふふ…君達はもうすぐ永遠を手に入れる。
     もう何も考えなくていい。何も感じなくていいのだよ。」

    そう言って屋敷の主人は僕と一松の髪を撫でるとそっと部屋を出て行った。

    どういう意味だろう。
    完全な人形?
    永遠を手に入れる?
    僕らは大広間か玄関ホールに飾られるのかな?
    この屋敷中に置かれている人形達のように。
    …人形。
    ああ、僕らは人形なんだっけ?
    そうか、人形なんだ。
    だから何か考えたり身体を動かすなんてことする必要ないんだ。
    人形だから、何も考えず、何も感じずそこにいるだけ。
    香炉から甘い香りがする。
    頭がボーッとしてくる。
    ふと脳裏にいつかと同じように赤色が過ぎったけど、
    それをはっきりと認識するよりも早く僕は眠りに落ちてしまった。




    意識が朦朧として、死んだように眠る時間が増えた僕らだけど
    それでも稀に寝起きに妙に頭がスッキリしている時がある。
    そんな時は決まって自分自身が恐ろしくなる。
    手首と足首に嵌められた枷と、人形遊びのような服を纏った己の姿に寒気を覚える。
    先程まで朦朧とした頭でまるで死人のようにベッドに沈んでいたのだと理解した途端、
    底知れない恐怖に襲われた。
    僕はどうなってしまうのだろう。
    ふと、眠る前の屋敷の主人の言葉を思い出した。

    …もうすぐ完璧な人形になる。

    …大広間か玄関ホールに飾ろうか。

    飾る、とは一体どういう事か。
    確かにこの屋敷にはやけにリアルな人形がたくさん飾られているけれど。
    …やけにリアルな?
    そもそもあれらは本当に人形なのか?
    まさか、まさか屋敷中に飾られている等身大の人形達は…。
    僕達も、いずれあの仲間入りをするのだとしたら…。
    そこまで考えて、ゾクリと背筋が震えた。
    震えが止まらない。
    嫌だ、考えたくない。

    腕を胸の前で交差させて蹲っていると、ふと頬に柔らかな感触を感じた。
    次いで視界が深い紫色に覆われる。
    隣で寝ていたはずの一松がいつの間にか起き上がって
    僕を抱き締めているのだと理解するのに、そう時間は掛からなかった。
    しかし見上げた一松の表情は読めない。
    瞳は虚ろで、何も映していない。
    なんの感情も籠っていない目をしていた。
    …そういえば、ずっと隣にいるというのに一つ下の弟の声をもう暫らく聞いていない。
    最後に言葉を交わしたのはいつだっただろうか?
    最後に一松の笑顔を見たのはいつだった?

    不幸な事に、久々に冴えてスッキリしていた僕の頭は理解してしまった。
    いつの間にか一松は、壊れてしまっていたのだと。
    思考を奪われ、身体の自由を奪われ、
    本当の人形のようになってしまったその身で、
    それでも辛うじて残っていた本能で僕の事を案じて抱き締めてくれたのだ。
    思わず縋るように一松を抱き締め返した。
    泣き叫びたいのに、大声を張り上げたいのに、どうしても出来なかった。
    声すらも出せない。
    まるでお前は人形なのだからそんな事するのは許されないと身体が拒絶しているようだった。

    このまま、僕もいずれは壊れて何も分からなくなってしまうのだろうか。
    あの屋敷の主人の掌の上で転がされて人形にされてしまうのだろうか。
    ずっと隣にいた一松が壊れてしまったのだから
    僕が壊れてしまうのも時間の問題だろう。
    今この時間は死ぬ前の最後の小康状態というわけか。

    いつもの甘い香りが漂ってくる。
    嗅覚がそれを認識すると同時に、また酷い眠気に襲われた。
    僕を抱き締めていた一松も、甘い香りに包まれた途端
    力なくベッドの上に倒れ伏して眠ってしまった。
    眠い。
    けど、ここで眠ってしまったら、次に目覚めた時
    もう僕は一松と同じように壊れて人形のようになってしまっているかもしれない。
    そう思っても、波のように押し寄せる眠気に抗うことはできなかった。

    …皆はどうしているんだろう。
    父さんと母さんは。
    カラ松は、十四松は、トド松は…。
    …おそ松兄さんは…どうしているだろう。


    せめて僕が僕でいられる内に、会いたかった。


    もう逃げられない。
    …身体が、動かないんだ。



    お願い、誰か、助けて



    ーーー


    あとがき

    えーと、まずはスミマセンでした(土下座)

    おかしいなー年中松に可愛いお洋服で着せ替えキャッキャうふふして可愛がりたかっただけなのになー
    どうしてこうなった
    #BL松 #カラ一 #おそチョロ #チョロ一 #一チョロ #監禁

    !ATTENTION!

    この話は以下の要素を含みます。
    一つでも嫌悪感を感じるものがございましたら早急にブラウザバックをお願いいたします。

    1.おそチョロ、カラ一前提(くっついてない)の上での、一チョロ一です
    2.変態なモブのオッサンが出張ります
    3.拉致、監禁要素があります(被害者:年中松)
    4.異常性癖の表現があります(被害者:年中松)
    5.年中松が身体の関係を持ちます(ただし年中松に互いの恋愛感情はなく、2人は兄弟愛の範疇)
    6.救いがありません
    7.死を仄めかす表現があります(今のところ死ネタではありません)



    ーーー

    目を覚ますと、見慣れない天井が視界に入った。
    不思議に思って身を起こしてみれば、そこは完全に自分の全く知らない世界が広がっていた。

    一体どういう事なのか、内心焦りながらもひとまず周りを見渡してみる。
    まず僕は何故かふかふかとした、いかにも高級そうなキングサイズのベッドの上にいる。
    天井だと思って見上げていたそれはベッドの天蓋で、
    その天蓋は金糸と銀糸で見事な刺繍が施された薄く白いカーテンで覆われていた。
    こんな豪華な天蓋付きベッドなんて初めて見る。
    カーテンの向こう側には上品そうなカウチソファに、ガラス製のローテーブル。
    床に敷かれた絨毯は見るからに厚く滑らかそうだ。
    天井からは豪奢なシャンデリアが吊り下げられ、この部屋を明るく照らしている。
    部屋は中々の広さだが、窓も時計もなかった。
    どこからか甘ったるい香りがする。

    此処は一体何処だろう?
    何故自分はこんなところに?

    己に置かれた状況が理解できないまま視線を彷徨わせていると、ふと左手に違和感を感じた。
    その左手を動かしてみると、ジャラリ、と重たい金属音。
    辺りを窺い彷徨っていた視線を左手に向けてみれば、そこには鈍く銀色に光る手枷。
    左手を捕らえた手枷からは銀色の鎖が伸びていた。
    その鎖を辿ってみれば

    「……えっ?!い、一松?!」
    「………ん…?
     …え、チョロ、松…兄さん…?」

    自分のすぐ隣に、ベッドに沈む一つ下の弟の姿があった。
    そこまで大きな声を出したつもりはないのだが、静寂に包まれたこの部屋で発せられた僕の声は
    思いの外響いたようで、一松は薄っすらと目を開けた。
    まだ寝惚けているようだが。
    それにしても触れ合う程すぐ近くにいたというのに、それに気付けない程自分の頭は混乱していたのだろうか。
    しかし、弟の姿を確認すると同時にまた異常を見つけた。
    一つは先に見つけた左手の手枷。
    手枷から伸びる銀の鎖を辿ると、どういうわけか一松の右手に嵌められた手枷に繋がっていたのだ。
    今この不可解なやたらと豪華な見知らぬ部屋で、僕と一松は手枷で繋がっていた。
    わけが分からないが、見知らぬ誰かではなく気の置けない兄弟だった事がせめてもの救いだ。
    もう一つは僕と一松の服装。
    一松を見ると、いつものパーカーではなく白いシルク素材のワイシャツに黒の七分丈パンツという
    普段の弟であればまず身に付けないであろう装いだった。
    ワイシャツのカフス部分と前立て部分には大きく緩やかなフリルがあしらわれており
    首元には深い紫色の大きなリボンタイが結ばれていた。
    リボンタイの色が深緑色である事を除いて、僕も一松と同じ格好だった。
    いつの間に、誰が着替えさせたのだろうか。
    最後に、足枷。
    僕の右足首には足枷が嵌められており、やはり銀の鎖でそれはベッドの脚と繋がっていた。
    一松も同様に左足首とベッドが足枷で繋がれている。
    自分達も含め、そこはまるで異空間に迷い込んでしまったかのような異様な空間だった。

    「え…何これ…えっ…え?!」
    「僕にもわからない…気が付いたらこうだった。」
    「え、チョロ松兄さん…だよね?」
    「うん。」
    「あれ…俺とチョロ松兄さん、母さんに頼まれた買い物に行く途中だったよね?」
    「…の、はずだよね。」

    ようやく覚醒したらしい一松が不安そうな声を上げた。
    そう、買い物だ。
    僕と一松はじゃんけんに負けて母から頼まれた買い物のために近所のスーパーへ向かっている途中だったはずだ。
    そこで、確か…

    「なんか…変な薬を嗅がされて…
     黒塗りの車に引きずり込まれた…ような気がする…。」
    「奇遇だね、一松。僕もそんな覚えがあるよ。」

    2人してのんびりダラダラとスーパーに向かって歩いているところを、突然何者かに襲われてしまった。
    気配を殺した男が背後からホールドしてきたかと思った次の瞬間には、
    白いハンカチで鼻と口を覆われて、みるみる間に睡魔に襲われた。
    重くなる瞼になんとか逆らいながら横に目をやると、一松も同様に羽交い締めにされた上でハンカチで顔を覆われていた。
    そのまま2人一緒に黒塗りの車に詰め込まれて。
    身体中から力が抜けて意識が途絶えるのと、エンジン音がして車が動き出すのは同時だった。
    …そして気付けばこの部屋でこんな事になっていたのである。

    わけがわからない。
    わからないが、こうしていても仕方ない。
    そろそろと一松と2人ベッドから足を下ろし、もう少し部屋の中を探索してみることにした。

    ベッド横の扉は洗面所とシャワールームに続いていた。
    その横の扉は手洗い。
    更にその向こうにある一際重たそうな扉は、鍵が掛かっているのかびくともしなかった。
    動く度に鎖が引きずられる音がして不愉快だ。
    足枷から伸びる鎖はちょうど部屋の端から端までを移動出来る長さに調節されているようだ。
    背中に張り付いている一松が微かに震えているのが分かる。
    安心させるようにぎゅ、と強く手を握ったが、自分も同じくらい震えている事に気付いてしまい思わず俯いてしまった。

    「此処…何なんだろうね。」
    「うん…。」
    「でも…チョロ松兄さんが一緒でよかった…。」
    「え?」
    「独りだったら絶対パニクってた。」
    「まあ、確かにね。僕も一松が傍にいてくれてよかったよ。」

    一松の言う通り、この空間に自分1人だけだったとしたらもっとパニックに陥っていたに違いない。
    弟が傍にいるという事実が己を奮い立たせ、冷静にさせている。

    結局ここからは出られそうになかったため、部屋の探索はそこそこに僕と一松はカウチソファに腰を下ろした。
    こんな所で別行動したくはないのだが、しかし手枷で繋がれているせいで一松と離れられないのは些か不便ではある。
    こうして2人で寄り添うように座っている分には構わないのだが
    トイレや風呂はどうすればいいのだろうか。
    そんな事を考えながら、一松とぴったりと肩を寄せていると、
    開けることのできなかった重たい扉がギ…と軋む音を響かせて開いた。
    咄嗟に一松を抱き寄せ、背にかばうようにして扉を睨みつけた。

    部屋に入ってきたのは、初老を幾らか過ぎたくらいの、上品さと気迫を兼ね備えた紳士然とした男性だった。
    男性の背後には使用人らしき何人かの男達が控えている。
    男性がにこやかな笑みを浮かべて口を開く。

    「お目覚めかな、私の人形達。」

    ーー……は?

    「人形……?」

    気品ある佇まいのまま、男性は僕らに近づいた。
    一松を抱き締める腕に自然と力が篭る。
    しかしそんな僕らを見て男性は可笑しそうに笑みを深めるだけだった。
    男性はそのまま僕らの前に立つと、まるで演説をするかのように語り出した。

    「双子人形が欲しかったのだよ。
     綺麗で、丈夫な、鏡合わせのような双子の人形。
     君達は完璧だ。
     力強さの中に脆さがある。
     虚勢で塗り固められた壁の隙間を軽く突いてやれば
     一瞬にして崩れ落ちてしまうような危うさを潜めている。
     実に素晴らしいね。正に私の理想だよ…理想の人形だ。」

    その口調は柔らかく優しげであるのに、どこか薄ら寒さを感じる。
    男性と目が合った瞬間にゾクリとした寒気が背骨を抜けていった。
    この男が一体何を言っているのか全く理解できない。

    「いや…失礼、少々感情が昂ぶってしまったようだ。
     しかし私は感動すら覚えているのだよ。
     君達は私の理想の双子人形だ。
     私は人形をコレクションするのが趣味でね。
     これまでも何体も集めてきたのだが…
     ふふ…どれもこれも脆くてね。
     だから丈夫な人形が欲しかったのだよ。
     しかしただ単に丈夫なだけでは味気ない。
     人形とは美しさと儚さを持ってこそだ。
     その点君達は実に素晴らしい。
     丈夫さと脆さという相反する2つの要素を絶妙なバランスで併せ持っている。
     ここまで理想に近い人形に出会えるとは思ってもみなかったよ。」

    この男は一体何を言っているんだ?
    人形とはなんだ?
    双子人形?…いや、巫山戯るのも大概にしてほしい。
    ていうか僕ら六つ子だし。
    大体、僕らのどこをどう見れば人形に見えるというのか。
    ……と、思ったところで視界の隅に入った一松の姿に、僕は息を呑んだ。
    綺麗な服で着飾られ、驚愕と得体の知れない恐怖で青白い顔をした一松の姿は、
    正しく「まるで人形のよう」だったのだ。
    そして、僕も今一松と同じような顔をしているのだろうと思うと、再び背筋に冷たいものが這い上がった。
    何も言えないでいる僕と一松をうっとりと眺めながら、男性は尚も続ける。

    「安心してくれたまえ。
     悪いようにはしないよ。
     君達はただ…私に愛される人形になればいいだけのことだ。」
    「人形に…なる?」
    「そう、私の可愛い可愛い人形だ。
     人形のように、愛くるしく私に従えば生活は保証するよ。」

    悪いようにはしない、などと言われてもこの男性の人形になるという大前提がそもそも安心できない。
    男性は僕と一松を交互に眺めながら、まるで慈愛に満ちたような眼差しを向けている。
    けれどその目の奥は何か冷たいものを感じるのだ。
    この男性は正気なのだろうか。
    いや、成人男性をこうして誘拐して着飾って恍惚の表情を浮かべている時点で
    とても正気の沙汰とは思えない。
    しかしどうやら逃げ場はない。
    男性の背後には使用人らしき男達が数人控えているし、
    よく見ると扉には武装した人がまるで門番のように佇んでいる。
    暴れようにも、手枷と足枷のせいで思うようにはいかないだろう。
    何より、今ここで僕が暴れたら一松が巻き添えを喰らってしまう。
    悔しいが今は身の安全のためにこの男性に従う振りをするしかなさそうだ。
    一松を見ると、不安と緊張の混ざったような目をして僕の服の袖を握っていた。
    ああ、そうだ。
    此処にいるのは僕だけじゃない。
    一松が一緒にいるんだ。
    僕がしっかりしなきゃ。

    いつまでもくっ付いたままの僕らを見て、男性が笑う。
    そして使用人らしき人に手で指示を送ると、使用人の1人が鍵を取り出し僕と一松の手枷と足枷の鎖を外した。
    それと同時に僕も一松も複数の使用人に囲まれた。

    「さて…お腹が空いただろう?夕食にしよう。
     食堂へ連れて行ってあげよう。
     …ついでに、他の人形達にも会わせてあげるよ。」

    男性がそう言って踵を返し部屋から出て行く。
    呆然とする僕と一松も、僕らを囲む使用人に促され歩き出した。

    広い屋敷だった。
    夕食、と言っていたから時刻は夕方かそのくらいなのだろう。
    装飾が施された窓の外は暗く、窓の向こうは森や山に囲まれていた。
    山奥の豪華な別荘、といったところだろうか。
    一体何処なのだろう、全く分からない。
    そして、食堂までの道には至る所に人形が置かれていた。
    小さなものから、僕らと同じくらいの等身大のものまで。
    そのどれもが少年から青年の姿の人形で、僕と一松と同じように着飾られている。
    等身大の人形はまるで本物の人間のようにリアルで見るのが少し怖かった。
    食堂へ行くまでの間、僕らが見ただけでも大小合わせて実に20体以上の人形が飾られていた。
    人形だらけの大きな屋敷。…怖すぎる。
    やはりあの男性は異常だ。

    「…女の子の人形が…一つもないね。」
    「うん…別の部屋にある、とかかな…。」
    「ちっとも良くないけどそうだといいね…。」
    「そう思っておこうよ…
     マジで男の人形だけだったら完全に異常性癖だよ…。」

    小声で一松とそんな会話をしていると、程なくして食堂にたどり着いた。
    白いテーブルクロスが掛けられた長テーブルの一番奥、いわゆるお誕生日席に例の男性が座っている。
    使用人に連れられ、僕と一松はそのすぐ近くに向かい合うようにして座らされた。
    目の前には食欲をそそる豪華な料理の数々。
    脚や背もたれにゴテゴテとした装飾が付いた重たい椅子に腰掛けると、
    食堂で待っていたウェイター姿の男性がグラスにシャンパンを注いだ。
    男性が穏やかに笑ってグラスを手に取った。

    「では、乾杯。」
    「…………。」
    「…………。」
    「2人とも、どうしたんだね?
     さあ、グラスを取りなさい。」

    穏やかな笑みはそのままに、男性から有無を言わせないピリ、とした空気が発せられて
    僕と一松はほぼ同時にグラスに手を伸ばした。
    男性はそれに満足げに笑うと、再び「乾杯」と口にしてシャンパンを煽る。
    向かいに座る一松と視線を交わし、お互いに戸惑いの表情を浮かべていたが
    男性から早く飲むように促され、意を決してそれを一気に飲み干した。
    普通のシャンパンだ、多分。
    料理に何か仕込まれているのではないかとも思ったが、何故かこの男性には逆らう事ができなくて
    結局僕らは料理に口をつけた。
    遠慮がちに料理を口にして(悔しいことに非常に美味だった)また使用人に囲まれながら部屋に戻され
    部屋に着くなり再び手枷と足枷の鎖が繋がれた。
    ガチャリ、と部屋の鍵が閉まる音が響いた。
    部屋の中は相変わらず甘ったるい香りがしている。
    後から気付いたが、この香りの正体は棚の上に置かれた香炉からしているようだ。

    「チョロ松兄さん…。」
    「うん…。」
    「これってさ…俺たち拉致られたってことかな…。」
    「そうなるのかな。
     いや、そうだよね確実に拉致だよね。」
    「しかも異常性癖持ちの金持ちのおっさんに…。」
    「どう考えても金持ちの道楽だよね。…いい迷惑なんだけど!」
    「俺達…あのおっさんの愛玩人形にされちゃうのかな…。」
    「やめて一松マジでやめて!!」
    「うん…ごめん…。」
    「いや僕もちょっとそれ思っちゃったけどさ。
     つーかこの服なんなんだよ?!
     どっかの貴族の坊ちゃんかよ?!
     何気に一松似合ってるし!!」
    「チョロ松兄さんも何気に似合ってるよ…。」
    「ありがとう嬉しくない!
     そもそも人形って何だよ!!
     こちとら人間だっつの!クズ極めた童貞ニートだっつのこの野郎!
     何であのオッサンの性癖に付き合わされてんだよケツ毛燃えるわ!!!」
    「だよねーこんな人間のクズ捕まえて何する気なんだろ…。」
    「これ明らかに犯罪だよ犯罪!!
     あのオッサン今に慰謝料毟り取ってやるからなクソがっ!!」
    「ヒヒッ……!」
    「何笑ってんの一松。」
    「いや…いつものチョロ松兄さんの調子に戻ったなって。」
    「え。」

    自分が突然放り込まれた状況をようやく脳がしっかりと理解し飲み込めたのか
    口から自然とツッコミと愚痴と罵倒の言葉が流れるように出てきた。
    確かに、少し落ち着いて考えられるようになってきたかもしれない。
    それは隣に一松がいてくれるというのが一番大きいと思うけど。
    そうだ、こんなこと付き合ってられない。
    なんとかして脱出する手段を考えないと。
    そりゃ僕も一松も一生働かずに養われたいとか思ってたけど、
    こんな形で養われるだなんてまっぴらごめんだ。
    ましてや一松の言うように愛玩人形になんてなってたまるか。

    「一松、ひとまず今日はもう寝よう。」
    「…そうだね。」
    「明日、なんとか逃げる方法を考えようか。」
    「うん。」
    「…おそ松兄さん達、心配してるかな。」
    「…どうかな。」
    「………。」
    「チョロ松兄さん。」
    「ん?」
    「また…会えるよね。
     おそ松兄さんにも、クソ松にも、十四松にもトド松にも…
     父さんと母さんにも…。」
    「うん、絶対会える。」
    「ん。」
    「会えるように頑張らなきゃ。」
    「ん。」
    「とりあえず、今日は休もう。」
    「ん。おやすみ…。」
    「おやすみ。」

    そうして、キングサイズのベッドに2人で潜り込んだ。
    目を閉じてふと思い浮かぶのは鮮やかな赤色。
    …いや、ちょっと待て。
    ここは家族みんなを思い浮かべるところだろう。
    そう思っても脳裏に浮かぶのは長男の顔で。
    いやいやいや、待て待て待て。
    これはアレだ、昔の相棒だったからついつい浮かんできただけであって
    決して邪な気持ちではない、はずだ。
    何故か自分で自分に言い訳をしながらも赤色は頭から去ってはくれない。
    赤色を振り払おうとしてそろりと目を開ければ、静かに寝息を立てる一松の姿があった。
    それを見て少し心が安らいだ僕もまた目を閉じる。
    僕の左手と一松の右手を繋ぐ鎖が少し邪魔だったけど、程なくして僕も深い眠りに誘われた。


    この時は、まだそこまで事態を重く受け止めていなかったのだ。
    僕も、一松も。

    ーーー



    チョロ松と一松が姿を消した。


    その日の夕方近く、俺達ニート兄弟は2階の部屋でそれぞれが各々の時間を過ごしていた。
    俺は競馬新聞を広げてお馬さんの予想をしてて
    カラ松は相変わらず鏡を眺めていて
    チョロ松は何かよく分からない自己啓発系の分厚い本を読んでいて
    一松は隅っこで猫と遊んでいて
    十四松はバランスボールに乗っかってゆらゆら揺れていて
    トド松はスマホをいじっていた。

    そんな中、ガラリと襖が開き発せられた一言。

    「ニート達、誰か買い物に行ってきてちょうだい。」

    我が家では母松代の言葉は絶対である。
    そんなわけで雌雄を決する壮絶な戦い(という名のただのジャンケン)が繰り広げられ、
    敗者となったチョロ松と一松はまだ日の沈みきらない街へと出掛けていった。

    …それが、1ヶ月前の事だ。

    頼まれた買い物の為に出掛けたチョロ松と一松はなかなか帰って来なかった。
    夕飯の時間になっても、銭湯へ行く時間になっても、寝る時間になっても。
    最初は一体どこで油を売っているんだと皆して口々に呆れていたが、
    次の日になってもその次の日になっても帰ってこない真ん中2人に、次第に俺達も焦り始めた。

    チョロ松と一松は何かの事件に巻き込まれてしまったのではないか?…と。

    先にも述べた通り、我が家では松代の言は絶対だ。
    自称ではあるが常識人のチョロ松と、なんだかんだ元々は真面目な一松が母のおつかいを放り出すとは考えにくい。
    2人してどこかに逃げたにしても、あの日の外出時の2人は大した荷物も持っていなかったはずだ。
    チョロ松も一松も手ぶらのまま、チョロ松はポケットに財布と携帯を入れただけ、
    一松に至っては携帯不携帯だ。
    それにあのおつかいもたまたま松代に頼まれて、しかもたまたまジャンケンに負けたからであって、
    偶然真ん中2人で行く事になっただけだ。
    自主的にどこかに逃げたとは考えられなかった。
    トド松があの日からずっとチョロ松の携帯に連絡を入れているが、メールの返信はないし、
    電話をしても電源が切られているらしく、繋がらないという。

    さすがにこれはおかしい、と失踪3日目に父さんと母さんが警察に連絡をした。
    俺達も2人を探そうとそれぞれ動き出した。
    俺やカラ松、十四松は自身の足で色々な場所へ赴いては聞き込みをして
    トド松はそれに加えてSNSを駆使して
    どうにかチョロ松と一松の目撃情報を掴めないかと、動き回ったが
    当然ではあるがそう簡単に情報は入ってこない。
    そうして、今日で1ヶ月。

    警察も今のところ何の手掛かりも見つけられていないらしく
    家の中は重苦しい空気に包まれていた。
    カラ松は拳を痛いくらいに握り締め、今にも人を殺しそうな顔してやがるし
    トド松はそれにビビって泣きそうな顔してるクセして俺とカラ松にいつも以上に悪態ついてくるし
    十四松はそんな俺達を見て必死に明るい空気にしようとしてるけどオロオロしてるし
    俺といえばそんな兄弟の様子に思わず舌打ちが漏れる始末だし。
    分かってる。
    カラ松も十四松もトド松も、突然いなくなったチョロ松と一松が心配で心配でたまらないだけなのだと。
    それはもちろん俺もだ。
    母さんは自分が買い物を頼んだから、と自分を責めて泣き崩れてるし、
    父さんはそんな母さんを支えるのに精一杯だ。
    だから、情緒不安定になってる弟達を支えるのは俺の役目だろう。
    なんたって俺、カリスマレジェンドな長男様だし!
    …と、己で己を奮い立たせると、沈む弟達に努めて明るく声を掛けた。

    「はーい、みんな集合~!」
    「…何なの?!下らない用事だったらころすよ?」
    「トド松ー、一旦スマホ弄る手休めようか。」
    「何か用か。」
    「カラ松、ちょっとお前深呼吸しろ。3人くらい殺ってそうな顔してんぞ。」
    「どうしたんスか、おそ松兄さん!」
    「そして十四松、お前も一旦手に持った金属バット下ろそうな。」

    皆して怖い顔だ。
    けどこんな怖い顔して俯いていては、見つかるものも見つからない。
    こんなにも殺伐としてしまうのは、いなくなったのが真ん中2人だからだろうと俺は思う。
    他の誰かでも、そりゃ皆同じくらい心配するに決まっているが、こんな重苦しい空気にはならないはずだ。
    手掛かり一つ見つからず、イラつくのは痛いほど分かる。
    けれど、ここで俺が気分転換と称して無理やり飲みに連れ出してもそれは逆効果だろう。
    今は言うなれば手詰まりの状態だ。
    だからほんの少しでもいい、
    何か突破口となりそうなものが必要だ。
    そう思って、俺なりに考えたのは、

    「なあ、十四松。」
    「あい。」
    「一松の友達ってどの辺までいるか分かるか?」
    「一松兄さんの友達…
     えーと、隣町までは余裕でいる!」
    「なるほど、あいつ猫の為なら努力惜しまねーのな。」
    「そんな事聞いてどうするの?」
    「んー?いや…
     人からの目撃情報が得られないなら、猫からの目撃情報はねーかなって。」
    「猫ッスか!!一松兄さんの友達に協力してもらうッスか??」
    「そーそー、デカパン博士なら猫と話せる薬くらい作れそうじゃね?
     この辺りの野良猫は大体一松の事知ってそうだしさぁ」
    「何それ……。
     …まぁ、でも他に方法思いつかないもんね。
     何気に有力情報ゲット出来そうな気がしてきた。」
    「確かに、今は俺達の力では為す術もないからな…。」
    「って事でさ!明日デカパン博士の所に行ってみようぜ!!」
    「りょーかいッス!マッスルマッスル!!」
    「しょーがないなぁ~付き合ってあげるよ。」
    「フッ…もちろん俺も行くぜ…!」

    正直、突拍子もない手だとは思うのだが、一松の友達
    つまり野良猫ネットワークに懸けるくらいしか思いつかなかった。
    けど、次にすべき目標が見つかった事で、みんなの表情も少し和らいだように思う。
    さすが長男様と誰か褒めてほしいものだ。

    なぁ、チョロ松、一松。
    お前らは今どこにいるんだ?
    早く帰ってきてくれないとお兄ちゃん1人でこいつらのフォローしきれないよ?
    一松、お前のこと大好きな十四松とトド松が泣いてるぞ?
    弟達泣かせるなよ。
    あと、カラ松がマジでヤバイから。
    もうこれ以上はさすがの俺でも抑え切れそうにないから。
    だから早く戻ってこい、一松。
    チョロ松、連絡の一つでも寄越してくれたっていいんじゃないの?
    寂しくて寂しくてお兄ちゃん死んじゃいそう!
    無事でいるのか?無事でいてくれるなら許してやるから、だから早く帰ってこい。
    …俺、自分で思ってた以上にお前がいないとダメみたいだから。

    ーーー

    次の日、事の次第をデカパン博士に説明すれば彼は快く協力を申し出てくれた。
    割とあっけなく猫と話せる薬を手に入れる事に成功したわけだが、ここで問題が浮上した。
    まず、デカパンから貰った猫と話せる薬は、猫側に飲ませる必要があるのだ。
    手元にある薬は3つ。
    つまりは、俺達と話せるようになる猫は最高でも3匹までという事になる。
    そして薬の効果の継続時間。
    効果はもって一週間らしい。
    デカパン博士はもっと利便性の高い薬の開発に着手してくれるそうだが、
    完成がいつになるかは分からないとの事だった。
    猫達の協力でチョロ松と一松の手掛かりを探すことができるのは一週間と考えた方がいいだろう。

    4人でどうするか話し合い、最終的に薬はエスパーニャンコだけに飲んでもらうことにした。
    こいつは一松と1番仲がいい猫だし、行動範囲も顔も何気に広いらしいのだ。
    エスパーニャンコに周りの猫達から情報を収集してもらい、俺達に伝えてもらおうというわけである。
    この方法によって、猫達の協力を仰ぐことが可能な期間が3週間となった。

    一松がいないのにエスパーニャンコを見つける事ができるかどうか心配だったが、それは杞憂に終わった。
    まるで事情は分かっているとでも云うように、エスパーニャンコ自ら家にひょっこりと現れたのだ。
    いや、単に一松に会いに来ただけなのかもしれないが。
    小瓶に入れられた不思議な色の液体を猫用ミルクに混ぜて与えると、
    エスパーニャンコはそれを飲み干してくれた。
    まずは第一関門クリアだ。
    エスパーニャンコは俺達に向かってニャアと一声鳴くと、家を飛び出して行った。



    それからすぐに動きはあった。
    薬を飲んでもらったエスパーニャンコを見送った次の日、ニャンコは再び家の居間に何処からか入り込んでいた。
    それに気付いた十四松が話を聞くと、1ヶ月ほど前に人気のない道で一松と兄弟の誰かが
    突然黒い服を着た男達に取り押さえられ、黒塗りの車に押し込められたところを目撃した猫がいたらしいのだ。
    車はすぐに走り去ってしまい、何処へ向かったかは分からなかったらしい。
    どうやらチョロ松と一松は何者かに誘拐されたらしいことが判明した。
    元々は八方塞がりで精神的に追い詰められていた兄弟を元気付けるために提案した猫作戦だが、
    こうも効果があるとは思わなかった。
    猫ネットワーク恐るべしである。

    しかし誘拐とはあってほしくなかった事実だ。
    それでも一歩前進したのは間違いない。
    となれば、次は2人を連れ去った輩と囚われている場所を突き止めなければならない。
    猫達にはお礼に猫缶と煮干しをたっぷり贈呈し、引き続き協力をお願いしておいた。
    1ヶ月、…1ヶ月もの間、あの2人は何者かに囚われていたというのか。
    早く、早く助け出さなければ。

    この時、俺は何故か言い様のない胸騒ぎを感じていた。

    ーーー

    この屋敷に監禁されて、どれくらい経ったのだろう。
    時計もない、窓もないこの部屋はまるで時間が止まったかのようだった。
    屋敷の使用人が運んでくる食事と着替えだけが、時間を知る手掛かりだ。
    あの日から変わらず僕の右手とチョロ松兄さんの左手は鎖で繋がっているし、
    僕の左足首とチョロ松兄さんの右足首も鎖でベッドの脚に繋がれて部屋から出れないようになっていた。
    部屋から出れるとすれば、屋敷の主人が気まぐれに食堂に呼び出す時や、中庭に連れ出す時くらいで、
    移動中は使用人に囲まれて逃げ道はすっかり塞がれてしまう。
    部屋の外に出られるのは確かに気分転換にはなるのだが
    この屋敷には至るところにやけにリアルな人形が置かれていて、
    それが僕には酷く不気味な物に見える。
    そんなわけで屋敷内を歩き回るのは好きじゃないが、中庭に行くのは好きだ。
    外の空気に触れることができるし、何よりたまに野良猫がやって来るのだ。
    猫達は初めて見る顔ぶればかりで、
    やはりここは家から離れた場所なのだろうと実感した。
    猫達は僕にすぐ懐いてくれて、猫と戯れる時間は一時の幸福だった。

    僕とチョロ松兄さんを「双子人形」などと宣った男は、毎日飽きもせず僕らに新しい服を寄越した。
    それは毎回決まってお揃いで、ゴシック調などこぞの貴族のような服だった。
    ご丁寧に下着まで毎日新調だ。
    本日は白のワイシャツにグレーと黒のチェック模様のハーフパンツ、
    そしてパンツと同じ生地のベストを身に付けている。
    ベストの背中部分には紫色のリボンがシューレースのように編み込まれている。
    胸元には結び目に宝石があしらわれたリボンタイ。
    当然チョロ松兄さんはリボンが緑色である。
    こうして着飾った僕達を、この屋敷の主人は満足そうに眺めて、時には髪を、頬を撫でては去っていく。

    そんな屋敷の主人は異常な性癖なのは間違いないが、自分から僕らに手を出そうとはしてこない。
    せいぜいうっとりと笑いながら身体を撫でるだけだ。
    見るだけで満足なのだろうか。
    それならそれで助かるけど。
    まったくこんなゴミクズを着飾って何が楽しいんだか。
    金持ちの考える事はわからない。
    …家族はどうしているだろうか。
    僕らが突然いなくなって、悲しんでいるだろうか。
    それとも、特に気にせず過ごしてるとか?
    いや、それはさすがに悲しすぎる。
    僕はいいとしてチョロ松兄さんが消えた事は皆悲しんでるだろうけど。
    けれどもうここに来てから結構経っただろうから、案外いつも通り生活しているかもしれない。
    おそ松兄さんは、十四松は、トド松は今頃どうしているだろう。
    クソま…カラ松は、今何しているんだろう。
    相変わらず、いもしないカラ松girlとやらを待っているのだろうか。
    それとも僕達を探してくれている?
    ちょっと待て、何でこんな時に、ふと会いたいと思うのがカラ松なのだろうか。
    おかしい。
    おかしいだろ。
    いや何がおかしいのか自分でもよく分からないけども。

    …嗚呼、なんだかもう考えるのすら億劫だ。
    何も考えたくない。

    部屋に置かれた香炉から甘い香りが漂ってくる。
    この香りを嗅ぐと、不思議と頭がボンヤリして眠たくなった。
    囚われ、行動を制限された僕の脳は確実に麻痺しているようだ。



    そんなある日の事。
    部屋にやって来た屋敷の主人がとんでもない事を言い出した。

    「「………え?」」
    「聞こえなかったのかい?
     もう一度言ってあげよう、私の人形達。
     君達がセックスするところを見せてほしいのだよ。」
    「な…何言って…!」
    「嫌なのかい?
     …ならば、この屋敷で働く薄汚い下男にでも抱いてもらうかい?」
    「……っ!」

    ああホントこいつ頭おかしいだろ。
    同じ顔した男同士の兄弟のセックス見たいとか頭イッてるとしか考えられない。
    男は表面上は穏やかにニコニコと笑みを浮かべているが、その瞳の奥はゾッとするほど冷たかった。
    何故か逆らえない気迫がこの男にはあるのだ。
    隣に座るチョロ松兄さんが震えている。
    チョロ松兄さんの事は好きだけど、それはあくまでも兄弟として、家族としての親愛の情だ。
    兄さんとそんな事するなんて…こんなゴミクズとセックスなんかしたら、
    兄さんが汚れてしまうし、何よりおそ松兄さんに殺される。僕が。
    けれどこのままでは本当にこの男は薄汚い下男とやらを呼びそうだ。
    チョロ松兄さんが見ず知らずの薄汚い男に犯されるなんて絶対に嫌だし、
    自分だってそんなのに抱かれるなんて御免だ。
    ごめん、兄さん。
    それならば、いっそのこと

    「チョロ松兄さん…。」
    「一松…?」

    小さく深呼吸をしてから、チョロ松兄さんをギュッと抱き寄せた。
    肩口に顔を埋める振りをしながら、小さく耳打ちする。

    「…俺の事、抱いて。」
    「なっ…で、でも…っ」
    「見ず知らずのおっさんなんかに抱かれるなんて絶対やだ。
     …俺、チョロ松兄さんになら、いいよ…。」
    「………。」

    両手でチョロ松兄さんの頬を包んで、今度は正面から向き合った。
    チョロ松兄さんの瞳は悩ましげに揺れていたが、
    やがて腹を括ったのか深く息を吐いて小さく呟いた。

    「……わかった。」

    屋敷の主人がひどく愉快そうに笑っていた。

    男の恍惚とした視線を感じながら、僕はチョロ松兄さんに抱かれた。
    一体何がそんなにお気に召したのかは知らないが、その日から屋敷の主人は
    度々僕達にセックスを見せるよう強要してくるようになった。
    僕がチョロ松兄さんを抱く日もあれば、抱かれる日もあった。
    兄さんの白い肌はキメ細やかで滑らかで、温かかった。
    …おそ松兄さんが独占欲を剥き出しにするのも理解できる。
    おそ松兄さん、本当にごめん。
    主人は相変わらず目を細めては絡み合う僕とチョロ松兄さんを愛おしげに眺めるだけだ。

    男が去った後は2人で身体を引き摺るようにしてシャワールームへ入り身体を清めながら、
    そしてお互い涙を流しながらお互いを慰めた。
    僕もチョロ松兄さんも何度も何度も「ごめん」と繰り返して、
    そうして寄り添いながら眠りにつくのが、セックスした日の習慣になっていた。
    涙を流す兄さんは、すごく綺麗だった。

    それでも回数を重ねる毎に見られることへの躊躇いも羞恥心も薄れていく。
    今ではもう何も感じない。
    囚われの生活に僕の、いや僕らの頭は溶けてドロドロになって、
    何も考えられなくなってしまったのかもしれない。

    香炉から漂う甘い香りがやけに鼻をついた。

    ーーー

    はっきりと違和感を感じたのは、チョロ松兄さんと行為をした後くらいだ。
    一体どのくらいの月日が経ったのかすら分かっていないから、
    1ヶ月くらいなのかもしれないし、1週間程度なのかもしれない。
    いずれにしろ、それなりに時間が経った頃に僕は自分の身体に違和感を覚えた。
    身体がひどく重たくて怠いのだ。
    なんだか頭もスッキリしない。
    まるで脳内に靄がかかっているようだった。
    気を抜くと眠ってしまいそうな、そんな倦怠感を全身に感じた。
    それは隣でベッドに沈み込むチョロ松兄さんも同様のようで、
    仰向けになった兄さんはボンヤリとベッドの天蓋を見つめていた。
    その目の焦点があっていたのか否かは定かではない。

    その後も違和感は続いた。
    一つは食事。
    食べられる量が段々減ってきた気がする。
    今まで1日3食だったのが、気付けば2食に、そしてついには1食に。
    もう一つは排泄。
    食べなくなったのが原因なのだろうけど、なんというか明らかに催さなくなった。
    まるで身体が少しずつ死んでいくようだった。

    ベッドに寝そべったまま、ゆっくりと顔を横に向けると眠るチョロ松兄さんの顔がすぐそこにあった。
    白い肌、長い睫毛、細い手足…死んだように眠る兄さんはまるで人形のようだ。
    それこそ、この屋敷の至るところに飾られた等身大の人形達のような…。
    もうここからは逃げられないのだろう。
    ああでも…この頭が完全に溶けて何もわからなくなってしまう前に
    皆に、カラ松に会いたい。
    心の内でそう願えば、チリ、と胸と頭に痛みが走った。
    最近はいつもそうだ。
    何か考えようとすればする程、頭痛に襲われる。

    …頭が痛い。
    もう何も考えたくない。

    眠くて眠くて仕方ない。



    ねぇ、誰か、助けて。

    ーーー

    身体が重い。
    頭はノイズが入ったように朦朧として、何も考えられない。
    この屋敷に拉致られてどれくらい経ったのか、最早確認する術さえもない。
    ここに来てから僕達の身体はゆっくりと、しかし確実に死に向かっている気がする。
    少し身じろぐと、右手から伸びた銀の鎖が小さく音を立てた。
    酷く眠い。
    さっきまで泥のように眠っていたはずなのに。
    頭が溶けていくようだ。

    ここに連れてこられたばかりの頃はなんとか逃げ出せないかと一松と思案しては、
    なんだかんだで僕は口うるさく一松にツッコミを入れていた覚えがあるのだけど
    最近ではそんな気力もなかった。
    囚われの日々は部屋から自由に出られない事を除けば、何一つ不自由はなかった。
    気まぐれにやって来る屋敷の主人の要望に応えて、あとは部屋の中で一松と2人で静かに過ごすだけ。
    肉体的にも精神的にも大した苦痛は受けていない。
    なのに最近調子がイマイチだ。
    僕も一松も明らかに食事の量が減ったし、睡眠時間が格段に増えた。
    いつからだっけ。
    たぶん、はっきりと身体の異変を感じたのは一松を抱いたくらいからだろうか。

    屋敷の主人に強要されて、僕は一松を抱いたし、抱かれた。
    一松の身体は柔らかくて、気持ち良くて、温かかった。
    行為の後にシャワールームで涙を流す姿もどこかいじらしくて、
    カラ松が目を離せないのも理解できる。
    この異常な空間の中、一松との行為も今となっては何も感じなくなってしまったが
    カラ松にはなんとなく申し訳なく感じていた。
    僕が一松を独り占めしてごめん、カラ松。

    その一松は僕の隣で死んだように眠っている。
    白い肌、長い睫毛、細い手首…まるで人形のようだ。
    前までは屋敷の主人に連れられて中庭に行ったりする事もあったのだけど、
    もう身体が怠くてそんな気も起こらない。
    中庭には時折猫がやって来ていた。
    猫と嬉しそうに遊んでいる一松を見ると、心が少し軽くなったのだけど、
    もうそこに行くこともないのだろうなと、なんとなく思った。

    ああ眠たい。
    一松もまだ寝ているし、僕も寝てしまおう。

    そう思ってうつらうつらと夢と現実の境をさまよっていた時だ。
    部屋の扉が開いて屋敷の主人が入ってきた。

    「…おや、私の双子人形は眠っているようだね。」

    まだ完全には寝てないけど、返事をするのも億劫で
    僕は男を無視して目を閉じたままでいた。

    「ああ、もう少しだね。
     もう少しでこの子達も完全な人形になる…。
     君達はやはり素晴らしかったよ。
     これまでの人形達とは比べ物にならないくらい丈夫で、
     随分と楽しませてもらった。
     この可愛い双子人形は何処に飾るのがいいだろうか。
     やはり大広間か…いや、玄関ホールでもよく映えそうだ。
     ふふ…君達はもうすぐ永遠を手に入れる。
     もう何も考えなくていい。何も感じなくていいのだよ。」

    そう言って屋敷の主人は僕と一松の髪を撫でるとそっと部屋を出て行った。

    どういう意味だろう。
    完全な人形?
    永遠を手に入れる?
    僕らは大広間か玄関ホールに飾られるのかな?
    この屋敷中に置かれている人形達のように。
    …人形。
    ああ、僕らは人形なんだっけ?
    そうか、人形なんだ。
    だから何か考えたり身体を動かすなんてことする必要ないんだ。
    人形だから、何も考えず、何も感じずそこにいるだけ。
    香炉から甘い香りがする。
    頭がボーッとしてくる。
    ふと脳裏にいつかと同じように赤色が過ぎったけど、
    それをはっきりと認識するよりも早く僕は眠りに落ちてしまった。




    意識が朦朧として、死んだように眠る時間が増えた僕らだけど
    それでも稀に寝起きに妙に頭がスッキリしている時がある。
    そんな時は決まって自分自身が恐ろしくなる。
    手首と足首に嵌められた枷と、人形遊びのような服を纏った己の姿に寒気を覚える。
    先程まで朦朧とした頭でまるで死人のようにベッドに沈んでいたのだと理解した途端、
    底知れない恐怖に襲われた。
    僕はどうなってしまうのだろう。
    ふと、眠る前の屋敷の主人の言葉を思い出した。

    …もうすぐ完璧な人形になる。

    …大広間か玄関ホールに飾ろうか。

    飾る、とは一体どういう事か。
    確かにこの屋敷にはやけにリアルな人形がたくさん飾られているけれど。
    …やけにリアルな?
    そもそもあれらは本当に人形なのか?
    まさか、まさか屋敷中に飾られている等身大の人形達は…。
    僕達も、いずれあの仲間入りをするのだとしたら…。
    そこまで考えて、ゾクリと背筋が震えた。
    震えが止まらない。
    嫌だ、考えたくない。

    腕を胸の前で交差させて蹲っていると、ふと頬に柔らかな感触を感じた。
    次いで視界が深い紫色に覆われる。
    隣で寝ていたはずの一松がいつの間にか起き上がって
    僕を抱き締めているのだと理解するのに、そう時間は掛からなかった。
    しかし見上げた一松の表情は読めない。
    瞳は虚ろで、何も映していない。
    なんの感情も籠っていない目をしていた。
    …そういえば、ずっと隣にいるというのに一つ下の弟の声をもう暫らく聞いていない。
    最後に言葉を交わしたのはいつだっただろうか?
    最後に一松の笑顔を見たのはいつだった?

    不幸な事に、久々に冴えてスッキリしていた僕の頭は理解してしまった。
    いつの間にか一松は、壊れてしまっていたのだと。
    思考を奪われ、身体の自由を奪われ、
    本当の人形のようになってしまったその身で、
    それでも辛うじて残っていた本能で僕の事を案じて抱き締めてくれたのだ。
    思わず縋るように一松を抱き締め返した。
    泣き叫びたいのに、大声を張り上げたいのに、どうしても出来なかった。
    声すらも出せない。
    まるでお前は人形なのだからそんな事するのは許されないと身体が拒絶しているようだった。

    このまま、僕もいずれは壊れて何も分からなくなってしまうのだろうか。
    あの屋敷の主人の掌の上で転がされて人形にされてしまうのだろうか。
    ずっと隣にいた一松が壊れてしまったのだから
    僕が壊れてしまうのも時間の問題だろう。
    今この時間は死ぬ前の最後の小康状態というわけか。

    いつもの甘い香りが漂ってくる。
    嗅覚がそれを認識すると同時に、また酷い眠気に襲われた。
    僕を抱き締めていた一松も、甘い香りに包まれた途端
    力なくベッドの上に倒れ伏して眠ってしまった。
    眠い。
    けど、ここで眠ってしまったら、次に目覚めた時
    もう僕は一松と同じように壊れて人形のようになってしまっているかもしれない。
    そう思っても、波のように押し寄せる眠気に抗うことはできなかった。

    …皆はどうしているんだろう。
    父さんと母さんは。
    カラ松は、十四松は、トド松は…。
    …おそ松兄さんは…どうしているだろう。


    せめて僕が僕でいられる内に、会いたかった。


    もう逃げられない。
    …身体が、動かないんだ。



    お願い、誰か、助けて



    ーーー


    あとがき

    えーと、まずはスミマセンでした(土下座)

    おかしいなー年中松に可愛いお洋服で着せ替えキャッキャうふふして可愛がりたかっただけなのになー
    どうしてこうなった
    焼きナス
  • 三男と四男が憑かれた話 #BL松 #おそチョロ #カラ一 #年中松 #ホラー松

    1.

    そもそも、今日は出掛けるべきではなかったのだ。
    家で大人しくしていればよかった。
    しかし、だ。
    今日は隣町で推し中のアイドルの限定グッズの発売日だったのだ。
    何日も前から今日この日の為に金銭を準備して店舗を調べて万全にしてきた自分に、出掛けないという選択肢は残念ながら頭になかった。
    家を出た時に一瞬だけ背中にゾワリと感じた悪寒。
    あまりにも一瞬だったものだから、つい気のせいで片付けてしまった。
    自分の体質はよく理解していたはずだったのに。
    その体質のせいで、兄弟に度々迷惑を掛けてしまうことも分かっていたのに。
    いや、今更いくら後悔したって遅い。
    それよりも現状をどうにかしなければならない。
    何故こんな事になったのか、気持ちを落ち着けて整理するためにも順を追って思い出してみよう。

    ーーー

    目当てのグッズを手に入れて、上機嫌で帰路についていた僕は、
    家の最寄り駅前の大通りで見慣れた後姿を見つけた。
    細い路地から出てきたそいつは間違いなく一つ下の弟だ。
    おそらく彼の友人である猫達に餌をやっていたのだろう。
    時刻は午後5時半過ぎ。
    日没直後、西の空は未だ赤く太陽の名残を感じる。
    ちょうど「黄昏時」と呼ばれる時間帯だろう。
    一つ下の弟も家に帰るところのようだ。
    どうせ向かう先は同じなのだし、と、僕は丸まった背中に声をかけた。

    「おーい、一松ー。」
    「……ん。」
    「一松も今帰り?」
    「…ん。」

    一松は僕の声にゆったりと振り返り、言葉少なに返事をした。
    僕らの会話が少ないのはいつもの事なので別段気にしたりはしない。
    一松の隣に並んで、のそのそとした歩調に合わせて家を目指した。

    今日の一つ目の失敗が外出したことだとすれば、二つ目の失敗は一松と2人になったことだろう。
    少し考えれば分かることだ。
    そんなにアイドルグッズに浮かれていたのだろうか、僕は。
    そうだとしたらポンコツだと罵られる事も今だけ甘んじて受け入れよう。うん、今だけ。
    思えば、やたらとゆっくり歩く一松は暗に僕に「先に帰れ」と距離を取ろうとしていたのかもしれない。
    兄弟の中でも俊足の僕は普段の歩くスピードも速い方だ。
    対して、一松の歩調はいつもゆったりしている。
    のんびり歩く一松に一声掛けて、さっさと帰ってしまえば…
    いや、それだと一松1人だけが巻き込まれていた可能性も否定できない。
    結局何が正解だったかなんて今考えても仕方がない。
    何故一松は口に出して言わなかったのかって?
    口にしてたら気付かれてしまうからだ。
    うん?理解できない?
    そう。…なら少し非現実的な話をしよう。
    リアリストには到底理解出来ない内容だ。

    ーーー

    僕ら兄弟は霊感というヤツが人より優れていた。
    六つ子所以なのかどうなのかは分からないが、とにかく揃いも揃ってそういうヤツが視える。
    視えるし聞こえるし、長兄2人に至っては自分で祓う事も出来てしまうチートっぷりだ。
    何であのクズとバカにだけそんなチートなチカラがあるんだろう。
    全く以って腹立たしい限りだ。
    そんな霊能兄弟の中でも僕と一松は厄介な事に所謂、霊媒体質というやつだった。
    更に言えば、どうやら僕はそういう霊的なものを引き寄せてしまうらしいのだ。
    そして一松は、そういうものに誘われてしまいやすい。
    つまり、だ。
    霊媒体質な僕と一松が2人で並んで歩いていて。
    色々と引き寄せてしまう僕と一緒にいて。
    僕が意図せず引き寄せた「有り得ないモノ」に、誘われやすく取り込まれやすい一松が引き摺られてしまうのは最早必然的だった。

    ーーー

    大通りから逸れた人通りの疎らな道に入って数歩のうちに、視界が突然ぐらりと揺らぎ、
    気付けば僕らは朽ち果てた木造日本家屋が連なる集落跡のような場所にいた。
    先程まで赤く染まっていたはずの西の空は既に黒く塗り潰されている。
    薄暗い視界の中、月と星の微かな明かりだけが頼りだった。
    顔を右に向けると一松の姿があって、その事に少しの安堵を覚える。
    全然安心できない状況ではあるのだけど、とりあえず一松とはぐれなかったのは不幸中の幸いだ。

    「…やっちゃったね。」
    「うん、そうだね…ごめん、一松。」
    「別にチョロ松兄さんのせいじゃないでしょ…。」
    「いや…僕の不注意でしょ。」
    「…俺も油断してたし…。」

    さて、回想と僕らの奇特な体質のおさらいが終わったところで改めて現状を整理しよう。
    僕と一松はどうやら「神隠し」ってやつに遭って異空間に引き込まれたようだ。
    集落跡のようなこの場所、背後は鬱蒼とした森が続いている。
    目の前には崩れかけた廃屋が数軒。
    一応、田んぼや畑、あぜ道だった跡が見られる。
    田んぼに続く用水路らしき堀もある。
    こんな景色、明らかに近所に存在しない。
    家族に連絡を取ろうとするも、電話は繋がらないし、メールも宛先不明で戻ってくる。
    しばらく携帯を触っていたが、とうとう画面が文字化けしてしまい時間すら分からなくなってしまった。
    …マジかよ、困った。
    携帯の画面を眺めながら小さくため息を吐くと、不意に突然一松に強く腕を引かれた。
    そのまま一松は僕を引き摺りながら、朽ちた廃屋の影に身を潜めるようにしてしゃがみ込むと、僕の耳元で、小さく耳打ちした。

    「…なんか、いる…。」
    「え…。」

    一松のその言葉に廃屋の影からあぜ道を窺い、ゴクリと息を呑む。
    何かがうごめいていた。
    気味の悪さに思わず声を上げそうになる。
    寸でのところで堪えたけど。
    うん、本当によく堪えたよ僕。
    辛うじて人の形を留めているものの、そいつの首はどう考えてもおかしい方向に曲がっており、片目が潰れている。
    もう片方の目は虚ろに、しかしギョロギョロと何かを探すように辺りを見廻し、半開きの口は何か呻き声をあげていた。
    着物姿の男だと理解できたがその着物もどうやら血濡れだ。
    極めつけに、そいつを取り巻くどす黒い影からは無数の手が伸びていた。
    おそらくだけど、血濡れの男を中心に様々な悪霊が取り込まれて、一体化したのだろう。
    とにかく、あまりよろしくない類の霊である事は明らかだ。
    …これまでの経験上、異空間に引き込んでしまう程の力を持つ怨霊やら悪霊は、まず僕らでは歯が立たない。
    (長兄2人がいてくれたら話は別なのだが)

    おぞましい姿を目にしてしまった僕は、咄嗟に自分と、そして傍にしゃがみ込む一松の周りに結界を張った。
    引き寄せやすい&誘われやすい体質で霊媒体質な僕らはこれまでも結界で身を守ってきた。
    どうやって身に付けたかなんて覚えていない。
    ただ、自分の身を守る手段として、いつの間にか出来るようになっていた。
    正式に結界と呼んでいいのかどうかも分からないが、便宜上結界ということにしている。
    …ただ、僕が張れる結界はそこまで強力ではない。
    弱い霊くらいしか弾けない。
    普段生活する上ではこの程度で十分なのだが、今は少し頼りないかもしれない。
    力は弱いがその代わり疲れにくく、1日張りっぱなしでも問題ない。
    逆に一松の張る結界はとてつもなく強力だ。
    だがすぐにガス欠を起こし長くは保てない。
    僕のように1日張り続けたりしたら多分死んでしまうと思う。
    今のところ僕の結界だけを張っておいて、一松の強い結界はここぞという時に張ってもらおう。
    何が起こるか分からない。体力気力は温存しなければ。
    …しばらく一松と2人、身を寄せ合って息を潜めていたが、やがて血濡れ男の気配が去ったのを確認すると、今度は揃って盛大なため息を吐いた。
    ほんと、生きた心地がしなかった。
    割とこういうの経験するんだけど、何回体験しても慣れないものだ。
    慣れちゃいけない気もするけど。
    それよりも、早くここから出る手段を探そう。
    僕らは防御はできるが追い払ったり除霊したりは出来ないのだ。

    「兄さん、ごめん…。」
    「一松が謝ることじゃないだろ。とにかく出口を探そう。」
    「ごめん、ね...兄さん…。ごめんなさい…。」

    一松が僕の服の裾をギュッと掴む。
    謝罪の言葉を口にするその表情はひどく不安げだ。
    なんとか安心させたくて極力優しく笑いかけるも、一松は泣き出しそうな瞳で僕を見るだけだった。

    今日の僕の失敗のうち、
    一つ目が外出したこと。
    二つ目が一松と2人になったこと。
    そして、三つ目がこの時の一松の異変に気づいてやれなかったこと、だ。

    一松のあの謝罪は僕だけに向けられたものではなかったのだ。

    ++++++++++++++++++++++

    2

    迷い込んだ空間はもう随分前に住む人が居なくなったであろう集落跡だった。
    黄昏時に駅前でチョロ松兄さんに声を掛けられた時、すぐに気付いた。
    色々なモノを引き寄せてきてしまうこの一つ上の兄はまだ気付いていないようだったが、
    チョロ松兄さんの背後に、兄さんを虎視眈々と狙う黒い影を感じて、僕は思わず身震いした。
    え、チョロ松兄さん何で気付いてないの?
    …あ、なんか今日はいい事あって浮かれてるとか?
    いや、例えそうだとしても気付かないのはおかしい。
    黒い影が、チョロ松兄さんに気付かれないようにしているのだろうか。
    …兄さんには気付かれないように、その黒い影を睨みつける。
    僕はお前の事が見えているぞ、と主張するように。
    僕もチョロ松兄さんも霊媒体質という共通点があるが引き寄せやすいチョロ松兄さんに対して、
    僕はどういうわけか兄さんが引き寄せたヤツに取り込まれやすい。
    自分でも気づかない内に、本当にあっさりと霊に取り付かれているのだから、
    これまで兄弟に掛けてきた迷惑といったら星の数程と言っていいくらいだ。
    …それでも僕を見捨ててくれないあたり、みんなお人好しだよね。
    そんなわけだから、チョロ松兄さんに引き寄せられてきた霊達は、大体僕にとり憑こうとこちらに流れてくる。
    だから、今日兄さんが連れてきたヤツもそうだと思った。
    そいつが兄さんからターゲットを僕に変更して、こちらに近づいてきたところで、
    兄さんと距離を置けば被害に遭うのは僕だけで済む筈だ。
    …そう思ったのだが、今日に限ってチョロ松兄さんは僕のノロノロした歩調に合わせてゆっくりと肩を並べて歩いた。
    こうしている間にも、黒い影は兄さんを狙っている。
    狙いは兄さんのまま。
    どうやらこいつは僕より兄さんの方がお気に召しているようだ。
    まあ、引き寄せてしまうだけあって、僕の次に憑かれる事が多いのはチョロ松兄さんだから、
    こういう事態も不思議ではないのだけど。
    でもどうしよう。
    これじゃ兄さんから離れるわけにもいかなくなった。
    …なんて思っていたら、2人揃って神隠しに遭ってしまったのだ。

    ーーー

    あぜ道や畑を見回していると、夕刻にチョロ松兄さんと会った時に感じた黒い影の気配がして、
    思わず兄さんの腕を掴んで崩れかけた日本家屋の影に身を潜めた。
    なんだ、アイツ…ヤバイだろ、色々と。
    咄嗟に身を潜めた家屋の壁はボロボロで、壊れた壁から少し中を窺えた。
    土間に板の間、中央には囲炉裏。
    昔ながらの日本家屋って感じだ。
    異空間にしてはリアルな気がする。
    どこかを模しているのか、それとも実在する場所なのか。

    そんな事を考えていると、兄さんが結界を張ってくれたのを感じた。
    チョロ松兄さんの結界の中で、しばらく2人で息を潜めていると、血濡れの着物姿の霊はどこかに去っていった。
    …あいつ、絶対チョロ松兄さんに取りつこうとしてたヤツだろ。
    随分と気に入られちゃったみたいだね、兄さん。お気の毒様です。
    一体チョロ松兄さんのどのへんがそんなに気に入ったのか、こんな所にまで引き摺り込んで、大した執念だ。
    兄さんが連れて行かれそうな気がして、怖くなって思わず兄さんの服の裾を掴んだ。

    もっと早く何かできていたら、兄さんがこんな目に遭うことなかったのに。
    僕が、ぼくのせいで。
    ぼくのせいで、ぼくのせい…。

    「兄さん、ごめん…。」
    「一松が謝ることじゃないだろ。とにかく出口を探そう。」
    「ごめん、ね...兄さん…。ごめんなさい…。」

    ぼくが、いたから。
    そのせいで兄さんは。

    ぼくのせいだ、ぼくのせいだぼくのせいだ……!
    ごめんなさい、
    ごめんなさい、
    ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい

    ごめんなさ…あれ?僕何してたんだっけ?

    そうだ、チョロ松兄さんと神隠しに遭ったんだ。
    で、なんとか脱出方法を探そうとしてる。
    うん、そのはず。
    …あ、なんか気分悪い。

    「大丈夫?一松…。」
    「そっちこそ…酷い顔してるよ。」
    「うん…正直キツイ。」
    「だろうね…俺も吐きそう。」
    「歩けそう?」
    「…なんとか。兄さんは?」
    「僕も、なんとか。」
    「じゃあ、移動する?」
    「そうしようか…ここにいても仕方ないし。」

    2人してノロノロと足を引き摺るように歩き出した。
    この空間に長く居座るのは危険だ。
    なんだろう、瘴気?っていうのかな…。
    とにかく、嫌な感じがする。
    身体が重たいし、息苦しいし、頭痛も眩暈も吐き気もする。
    そしてそれは僕の隣を歩くチョロ松兄さんも同様らしく、
    今僕らは揃って青い顔をしているに違いない。
    チョロ松兄さんの結界のおかげでなんとか持ち堪えてるけど。
    動き回るのは危険だけど、じっとしていたって脱出はできない。
    何か帰るための手掛かりを探した方がいい。
    もしくは、兄弟になんとか連絡を取る手段を探すか、だ。

    ひとまず、あぜ道に戻り集落の入口らしき雑木林を歩いてみたのだが
    …何度やっても元のあぜ道に戻ってきてしまう。
    なんとなく予想出来てたけどね。
    完全に閉じ込められてるパターンだね。
    仕方なく集落の奥へと進んでみた。
    幅の広いあぜ道の右手側には廃墟と化した家屋が軒を連ねている。
    反対側は畑や田んぼ。
    そして、しばらく歩くと一際大きな屋敷があった。
    多分、村の権力者の屋敷とかだと思う。
    その屋敷の脇には細い道が続いており、水が引かれている。
    田んぼの方まで続く用水路のようだ。
    人が居なくなっても、用水路は未だに現役のようで、ちゃんと水が流れている。
    でも水には近づきたくないかな。
    水ってさ、そういうのが結構集まってきたりするんだよね。
    澱みを含んだ水は特に。
    清められた水は御神水とか呼ばれたり浄化の力もあるんだど、この水は澱みが酷い。

    「さらに奥に何かありそうだけど…。」
    「この水、あまりいい感じしない。」
    「同感。こういう川とかに溜まってたり流れてきたりするし、これ以上僕らだけで近づきたくないね。」
    「うん。…じゃあどうする、この大きい屋敷調べてみる?」
    「えぇ~…気が乗らないなぁ。」
    「でも調べられそうなの此処くらいじゃない?」
    「ちなみに一松、体力どのくらい残ってる?」
    「1時間くらいなら頑張って結界張れるくらいには残ってる。」
    「じゃあ、なんとか大丈夫そうかな。」

    「ほら。」と言ってチョロ松兄さんは手を差し出した。
    特に何も言わず黙って僕も自分の手を出すと、ぎゅ、と握られた。
    はぐれないように、ということだろう。
    成人男性が、しかも同じ顔した野郎が手を繋いでる様とか滑稽にも程があるが
    そんな事言ってる場合ではないし、突っ込んでくるようなヤツもこの場にはいない。
    集落の奥にそびえ立つこの屋敷はちょっとしたお化け屋敷よりも遥かに気味が悪かったが、意を決して僕らは中に踏み込んだ。

    ーーー

    中は典型的な武家屋敷といった感じで、やはり権力者の住まいだったのだろう。
    玄関のすぐ奥には八畳間、そのさらに奥には廊下。
    八畳の間の左隣には四畳程の小さな部屋。廊下の突き当たりには階段があるようだ。
    調度品はそのままになっているようで、古びた箪笥だとか、刀だとか、着物なんかも置かれていた。

    「一松!」
    「…!!」

    廊下に出ようとしたところで、長い廊下の向こうに広がる中庭に先程の血濡れ男と再遭遇した。
    アイツどんだけこの辺うろついてんだよ夢遊病かよ!
    あ、真っ当な夢遊病患者の方ゴメンナサイ貴方を貶す意図はなかったんですホントです。
    咄嗟に、普段から持ち歩いている御札をそいつに向かって投げつけ、僕とチョロ松兄さんは物陰に隠れた。
    御札がハラリと力なく床に落ちる。
    え、嘘だろ。御札が効いてない。
    想定外の展開に隠れながら僕も結界をかけた。
    体力が減るが仕方ない。

    「トド松お手製の御札が効かないとか…。」
    「これは…いよいよ僕と一松だけじゃ厳しいね。」
    「ん…。なんとか兄さん達と連絡取らないと。」
    「そうだな…。つーか、どのくらい時間経ったんだろう。」
    「わからない…。十四松かトド松が気づいてくれないかな…。」
    「弟に頼ることになるのは情けないけど仕方ないね。
     確かに、気づいてもらえるとしたら末2人だよね。」
    「それまであれから逃げ回らないといけないわけか…。」
    「うわぁ…やだよ僕アレとこれ以上エンカウントするの。」
    「俺もやだよ…。」
    「てかさ、アレがこの空間の主?」
    「…だと思うけど。」

    末弟のトド松は護符やら御守りやらといった呪具を作るのが得意だ。
    霊媒体質な僕らにお手製の御守りと、何かあった時の為にと何枚か御札を手渡してくれている。
    さっき僕が投げつけたのも、トド松が渡してくれたもの。
    …が、その御札がどうも効力を発揮していない。
    つまりはこの空間は少なくともトド松より霊力の強い存在がいるというわけで。
    いや、トド松は決して弱くないよ?
    むしろ強いよ?
    そのトド松が作ってくれた特製の御札が効かないってアイツやばくない?!

    その時、僕はおぞましい姿をした血濡れ男に気を取られていて気付かなかったのだ。
    ここら一帯を彷徨っていた、あいつ意外の存在に。

    ++++++++++++++++++++++

    3.

    一松と手を繋いで屋敷の中を探索中、また血濡れ男と遭遇してしまった。
    名前なんか知らないから、もう便宜上この呼び名でいかせてもらおう。
    一松が投げつけたトド松特製の御札が効かなかったことに衝撃を受けた。
    嘘だろ…これ、詰んだ?
    一松がやむを得ず結界を張ってくれたおかげで事なきを得たけども。
    …それにしても、さすが一松の結界だ。僕の弱い結界とは息苦しさが全然ちがう。
    けど、いつまでもかけておくわけにはいかない。
    体力は温存しとかないと。
    一松はただでさえスタミナがないのだ。
    僕も人の事言えないけど。いや、一松よりはマシだけど。
    ヤツの気配が消えたので、一松には結界を解いてもらい、再び僕の結界のみになった。
    身を寄せ合うようにして隠れていた物陰から出て、同時に小さく溜息を吐いた。
    一松の顔は青いを通り越して白く見える。
    僕もきっと似たような顔してるんだろう。

    「あれ、そういえば一松。」
    「…何。」
    「今日は猫連れてないの?」
    「連れてない。…ていうか、チョロ松兄さんに会った時に帰した。」
    「そっか…。なんかごめん。」
    「いや…猫達がこんな所に巻き込まれずに済んだし、いいよ。」

    一松はよく猫に囲まれている。
    生きてる猫はもちろん、猫の霊も寄ってくる。
    猫の霊達は単純に寂しかったり、遊んでほしかったり、生前も一松に可愛がってもらったりという理由で集まってくるらしい。
    動物霊、特に猫霊に好かれるのもこの四男の特徴だ。
    いつもは猫の霊を何匹か連れていたりして、その子達が一松を守ってくれたりもするのだけど、
    一松は霊であろうとそのせいで猫達が傷付くのを酷く嫌がる。
    だから今日の帰り道、僕が声を掛けて、引き込まれる直前に猫霊達を自分から引き離したというわけか。
    一松からすれば特に守護霊というわけでもなく、普通の野良猫と同じような感覚で世話をする対象なのだろう。
    昔に比べると随分と卑屈になったけど、こういうところは優しいままなんだな、なんて。

    ーーー

    しばらく屋敷をうろついていたが、2階のとある部屋で足を止めた。
    どうやら書斎のようだ。
    中に入ると、触れただけでボロボロになりそうな書物が積み上がっていた。
    一松と繋いでいた手を離して、その中の一つを手に取って開いてみる。
    達筆なのかそうじゃないのかよくわからない字で、ほとんど読み取る事は出来なかったけど
    1箇所だけ読み取れた部分があった。
    「瓶宮湖ノ儀」
    多分、へいきゅうこのぎ、と読むのだと思う。
    少し読み進めてみれば、瓶宮湖はこの集落の最奥部にある湖のようだ。
    かつてはこの集落の人々の生活を支える資源だったのだろう。
    この屋敷に入る前に見えた用水路と細い小道の先にあるらしい。
    その湖はこの集落の人々にとって、命の源であり、聖なるものだったようだ。
    海や湖などの水そのものを御神体として崇拝の対象とするような信仰はたまに聞くことがある。
    この集落にも、地域独自の信仰として湖崇拝の文化が根付いていたらしかった。
    そして、その聖なる湖で神事も行われていたようだ。
    それが瓶宮湖ノ儀か。
    儀式の内容までは読む気が起こらなかった。

    読み物はこのへんまでにしておこう。
    というか、これ以上は僕では無理だ。
    呪具作りが得意なトド松なら、読めるのだろうけど。
    元々資料整理はそこまで苦手なわけではないのだけど、それはあくまでも落ち着いた状況の場合であって、
    こんなSAN値がすり減りそうなところで、やりたくはない。
    まあ、この集落の最奥にある湖が聖なるものだということは分かった。
    …けど、湖に繋がっているであろう水路から感じたのは決して清浄なものではなかった。
    むしろ、その逆だ。
    とすると、湖が穢れてしまったせいでこの辺りに重苦しい瘴気が溢れたのか。
    もしくは、瘴気のせいで湖が穢れてしまったのか…。
    うーん、やっぱり湖に行ってみた方がいいかな。
    大分危険な気がするけど。
    少なくとも何かヒントはありそうだ。

    「一松、ひとまずこの屋敷から出…一松?」

    振り返り、一つ下の弟を呼んだが後ろにいると思っていた一松の姿がなかった。
    青白いであろう自分の顔が更に青ざめていく気がした。
    いついなくなったんだ?

    「おい、一松?!一松っ!どこだ?!」

    慌てて部屋を出て辺りを見回すも、姿は見えない。
    何処へ、何処へ行った?
    どうして僕は気づけなかった?!
    早く見つけなければ。こんな所に1人など危険過ぎる。
    一松にとっても、僕にとっても。

    探さないと、探さないと。
    あんなのでも弟だ。
    僕の大切な弟の1人だ。

    だから、連れていかないで。
    弟を返して。
    返して
    返せ、かえせ

    かえせ、
    かえせかえせ、
    かえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせ!!



    …あれ?僕は何をしようとしてたんだっけ?
    ああそうだ、一松を探さないと。
    弟を、かえしてもらわないと…。

    おとうと、おれの、おとうとを

    どこに、どこにやった?
    どこにかくした?

    待って、僕じゃない…これは…。


    ゆるさない

    ゆるさない


    ゆるさない

    おとうとを、かえせ



    むかえに…いくから


    ++++++++++++++++++++++

    4.

    「トド松ー!!」
    「ぐふぅっ!じ、十四松兄さん…。」
    「消えた!気配が!!」

    夕日が沈んで町の街灯が点き始める頃、僕は最近知り合った女の子とLINEをしていた。
    けど、スマホをタップしていた時、不意に何かが抜け落ちるような感覚を覚えたのだ。
    その不思議な感覚には心当たりがあったから、適当に理由を付けてLINEを切り上げ、
    目を閉じて意識を集中…させようとしたところで十四松兄さんのタックルをモロに喰らったのであった。
    兄さんからすれば軽くじゃれついた程度なのだろうけど。
    もう少し下に入ってたら腹に直撃して3時のおやつをリバースしてたかもしれない。

    …僕達兄弟はどういうわけか「そういうもの」が見えるし感じることが出来る。
    僕にとっては、怖いのとか無理だし、全くもって勘弁してほしい話だ。
    ホント、何が悲しくてあんなの見えなきゃならないの。
    上の兄2人のように祓える力があればまだ怖くなかったかもしれないけど
    …いや、やっぱり無理だ怖いものは怖い。
    で、その中でも僕と十四松兄さんは感じる力が特に強い。
    探索系とでもいうのかな。
    意識を集中させれば、どの辺りにどんな霊がいるのか大体分かる。
    六つ子故なのかどうかは知らないけど、僕ら兄弟の気配もなんとなく分かるくらいだ。
    そして、その十四松兄さんが「気配が消えた」と言っている。
    僕も、さっき何かが抜け落ちたような感じがした。
    これは、ほぼ間違いなく…

    「チョロ松兄さんと、一松兄さん?」
    「うん!!どこかに引き込まれちゃったかも!」
    「十四松兄さん、兄さん達の形跡、追える?」
    「んーと、やってみる!」
    「お願いね。僕はおそ松兄さんとカラ松兄さん呼んでくるから。」
    「おう!頼んだトッティー!!」

    十四松兄さんは「行ってきまーッスルマッスル!」と叫びながら、勢いよく飛び出して行った。
    それを見送って、僕は長兄2人に連絡を入れる。
    LINEやメールでもよかったけど、緊急性を考慮して電話をかけた。
    おそ松兄さんに掛けると、3コール目で聞き慣れた声がした。
    電話の向こうで騒がしい音が聞こえる。
    大方パチンコだろう。

    「トド松か、どしたー?俺今忙しいんだけどー?」
    「あ、おそ松兄さん!チョロ松兄さんと一松兄さんが神隠しに遭ったっぽい!」
    「…場所は。」
    「今、十四松兄さんが形跡を追いかけてくれてる。」
    「わかった。カラ松は?」
    「今から連絡するところ。」
    「りょーかい。とりあえず家帰るわ。」
    「うん、お願い。」

    通話を終えて、同様にカラ松兄さんにもコールする。
    要件を伝えると、カラ松兄さんも声色を変えてすぐに戻る、と言ってくれて、通話を切った。
    おそ松兄さんもカラ松兄さんもちょっと怖かったよ。
    兄弟が危険な目に遭ってるかもしれないのだから気持ちは分かるけど。
    …けど、あの2人はそれだけじゃないんだろうな。

    チョロ松兄さんと一松兄さんは霊媒体質だ。
    しかもチョロ松兄さんはいろんなのを引き寄せてきちゃうし、
    一松兄さんはその引き寄せられた奴にあっさり取り込まれちゃうしで、
    僕らの中でも特にあぶなっかしくて注意が必要なのが真ん中の兄さん達。
    そんな兄さん達に、僕は定期的に御守りや護符を渡している。
    僕には祓う力なんてないし、結界を張ることだってできない。
    このくらいしか出来ることがないから。
    気休めかもしれないけど、兄さん達が僕が作った呪具をちゃんと持ってくれているのはちょっぴり嬉しかった。

    しばらくしておそ松兄さんとカラ松兄さんが帰ってきた。
    急いで帰って来てくれたのだろう、呼吸が少し乱れている。
    兄さん達に何か声を掛ける前に、タイミングを計ったかのように、僕のスマホが振動した。
    十四松兄さんからだった。
    短いメッセージで
    「駅からの帰り道、大通りから曲がった所!」
    と記されている。
    それを長兄2人にも見せて、3人で駆け出した。
    長兄2人の走るスピードに必死で食らいつくように、僕も走った。
    というか、兄さん達さっき散々走っただろうにまだ走れるとか化け物なの?!
    …あ、化け物だったわ。こいつらチートだったわ。
    はあ、こんなに走ったのいつ以来だろう。

    駅に向かう途中の道で、僕らは十四松兄さんと合流した。

    「この辺りなんだな?」
    「うっす!この辺で気配が途切れたから、多分!」
    「よし、トド松。空間裂けそうな所探してくれ。」
    「分かった。…あ!!」
    「どうした?」
    「御札が使われたみたい!」

    そう、僕が兄さんに手渡した御札が使用された気配を感じたのだ。
    僕が作って、僕の霊力を込めた御札だもん、使われれば分かる。
    しかも、相手に効かなかったようだ。
    つまりチョロ松兄さんと一松兄さんは、僕の持つ霊力よりも強い悪霊(かどうかはまだ分からないけど)に引きずり込まれてるってことになる。
    なかなかの強さってことだよね。
    …真ん中の兄さん達大丈夫かな。
    ともかく、チョロ松兄さんか一松兄さんのどちらか知らないけど、御札を使ってくれたおかげで、空間の裂け目が分かりやすくなった。

    「カラ松兄さん、この辺殴ってみて。」
    「ああ、分かった。」
    「御札使われたんなら倒せたんじゃね?」
    「ううん、倒せてない。無効化されたっぽい。」
    「おいそれヤバくないか。」
    「うへぇー!トッティの御札が無効化されちゃうとかヤッべーー!!」
    「急いだ方が良さそうだな。行くぞ。」

    いつものイタさがログアウトして、いつもより声が幾分低い(そして怖い)カラ松兄さんの渾身のパンチが、何も無いはずの空間に向かって振り下ろされる。
    普通なら単に空振りするだけのはずのそれは、何かにめり込んでバリンッと音が鳴った。
    音の出どころへ顔を向ければ、無理やり破かれた空間の裂け目が眼前に広がっていた。
    途端に、裂け目から溢れる瘴気。
    …うわ、気持ち悪い。
    真ん中の兄さん達、いつからここに閉じ込められているんだろう。
    早く見つけないとヤバイかも。
    同じ事を兄さん達も感じ取ったのだろう。
    顔を上げると、十四松兄さんは珍しく口を閉じてじっと1点を見つめているし、
    カラ松兄さんは眉間に皺を寄せて人殺せそうなくらい険しい顔をしているし、
    おそ松兄さんは怖いくらいの無表情だし。

    …そんな中、おそ松兄さんが口を開く。

    「っし。そんじゃ手の掛かる真ん中共を迎えに行くとしますか。
     …一応聞くけど、みんな来るつもりだよな?」
    「当たり前だろう。」
    「うっす!兄さん達探す!」
    「僕も行くよ!ちょっと怖いけど、探し物は僕の得意分野なんだからね。」

    僕らの言葉に、おそ松兄さんは満足そうに頷いた。

    「そんじゃ、突撃ー!」

    目は全然笑ってないクセにやけに明るいおそ松兄さんの掛け声を合図に、
    僕らは一斉に空間の裂け目に飛び込んだ。

    ++++++++++++++++++++++

    5.

    トド松から報せを受けて、急いで家に帰り、
    十四松とトド松が見つけてくれた異空間への入口をカラ松がぶん殴って無理やりこじ開けて、中に突撃した。
    ハイこれ今までの経緯ね。
    ほんとはあの時、あのスロットフィーバーしかけてたんだけど、まぁ仕方ない。

    異空間は集落跡のような場所だった。
    目の前には大きな武家屋敷。
    田んぼや畑の周りには民家らしき日本家屋も見受けられる。
    そして、辺り一帯に漂うヒンヤリとした嫌な空気と瘴気。
    こりゃまた厄介なモンに巻き込まれやがったな、あいつら。

    「十四松、トド松。あいつらの気配追えそうか?」
    「うぅ~…いろんなモノにジャマされて、追えない…!ヘンなにおいする!」
    「ごめん、僕も無理…なんか、気持ち悪…。」
    「まずいな、俺達もあまり長居は出来そうにないぞ。」
    「分かってる。…しかたねぇ2手に別れるか。
     トド松は俺とな。カラ松は十四松と頼むぜ。」
    「フッ…了解、確かに頼まれたぜ兄貴。」
    「ウィッス!兄さん達絶対見つけるッス!マッスルマッスル!!」

    カラ松、こんな暗闇でサングラスはやめた方がいいと思うぞ。
    あと十四松、バット振り回すの止めような。それどこから持ってきた?
    そんな中、トド松があまりの瘴気に口元を手で覆っている。
    本気で気持ち悪いんだろーけど、こんな時まであざといポージングなのはさすが末っ子歪みねぇな。
    …正直、この瘴気は俺も結構キツイ。
    カラ松と十四松は悪霊とかそういう害のあるものは寄せ付けない質だから
    幾分か大丈夫そうだけど、それでも霊感持ってる限りは影響が全くないとは言い切れない。
    早急に真ん中2人を見つけて、この空間をなんとかして帰る必要がある。

    「いいか、身の危険を感じたら絶対に逃げろよ?
     ミイラ取りがミイラになっちまったら元も子もねぇからな。」
    「分かってる。兄貴も気をつけろよ。」

    カラ松と十四松と別れて、俺とトド松は目の前の大きな屋敷を調べることにした。
    本来、十四松とトド松は霊や兄弟の気配を追うのが得意だ。
    感知に関しては兄弟の中で最も優れているし、トド松は特にコントロールも上手い。
    そのコントロール力があるから呪具を作ったりできるのだ。
    …しかし今は、瘴気や周りに漂う地縛霊だったり浮遊霊だったりが邪魔なせいで、気配を上手く追えない。
    だから虱潰しに探すしかない。
    俺は除霊したりとか、攻撃する事に関しては結構な強さだと思うんだけど、
    こういう、他のことに関してはてんでダメなんだよね。

    ーーー

    屋敷はそれなりの広さがあった。
    怖がりなトド松が震え上がっているのがわかる。
    うん、確かに不気味だよな。
    古びた刀やら人形やらがそのまま放置されてるし、正に王道ジャパニーズホラー。
    屋敷内をウロつく悪霊の群れを祓いながら、マジでお化け屋敷だわーなんてわざとらしくゴチて歩みを進めていると、
    広い部屋から廊下に出たところで、トド松が小さく声をあげた。

    「…あ。」
    「どした?」
    「チョロ松兄さんと一松兄さん、此処に居たのかも。」
    「お、マジで?」
    「結界の気配がしたから。しかも結構強いよ。一松兄さんが結界張ったのかな。」
    「ふーん…お。トド松、それ間違いなさそう。」
    「え?」
    「これ、見てみ?」
    「あ!」

    長い廊下に面した中庭に落ちていたのは、トド松お手製の御札。
    もう効力は無くなっているようだけど、末弟が三男と四男に持たせたモノに間違いなさそうだ。
    ここで居なくなった2人のうちどちらかが御札を使って、
    しかし相手に効かなくてどこかに逃げた、ってところだろう。
    トド松に効力の切れた御札を手渡した。
    それを受け取り、トド松は御札を握り締めて悔しそうに唇を噛み締めている。
    …そりゃ、悔しいだろうな。
    手渡した御札が効力を発揮出来ずに、真ん中2人を守りきれなかったのだ。
    でも馬鹿だな、トド松の作る御守りが普段どんだけ年中組を助けてると思ってんだよ。
    言っておくがこんなのは例外中の例外だ。
    だからさ、

    「トド松、お前のせいじゃねぇよ。ちょーっと相手が悪かっただけだ。」
    「……うん。」
    「ほらほら、落ち込むのは後な?今やらなきゃいけねぇこと、わかるよな?」
    「わかってる!」

    少し拗ねたように声を荒らげて、トド松はキツく目を閉じた。
    何かに集中するように。
    実際、集中しているのがわかったから声は掛けずに静かに見守った。
    うん、切り替えが上手いのは流石だよな。

    「上の階。」
    「りょーかい、行くか。」

    此処で感じ取った結界と落ちていた御札から気配を辿ったのだろう。
    キッパリと言い切った末弟の言葉に従い、階段へと足を向けた。
    迷いなく進んでいくトド松を追うと、たどり着いたのは書斎のような部屋。
    末弟曰く、此処でチョロ松と一松の気配が途絶えているらしい。
    こんな屋敷のド真ん中で気配が途切れてるってどういうこった。
    …と、気付くとトド松が部屋の中の書物?っていうの?を物色し始めていた。

    「何してんのトド松。」
    「この屋敷、集落の権力者の家っぽいじゃない?
     なんか、この集落についての記録がないかなって思って。
     何か手掛かりあるかもだし。」
    「そりゃそうだろうけど…俺、そういうの手伝うの無理よ?」
    「わかってるよ、その辺に関してはおそ松兄さんには期待してないから。」
    「さり気なくお兄ちゃんのこと馬鹿にするの止めてくんない?」
    「あっ、これ見て!」
    「無視かよオイ。」

    トド松後で覚えてろよ。
    と内心で思いながらトド松が開いて見せた書物をのぞき込む。
    うん、なるほどわからん。
    読めるかよこんなモン!
    トド松は御守りやら御札やらを作ってるせいか、古い文献を読み解くのがやたらと上手い。
    俺にはミミズが這った跡にしか見えないけど。

    「…何て書いてあんの?」
    「この集落の信仰と儀式の記録。」
    「信仰?」
    「うん。この集落、実在した場所みたいだよ。
     集落の奥にある湖を御神体として崇拝してたみたい。」
    「へえ…地域独自の信仰ってやつか。」
    「で、湖…瓶宮湖っていうらしいけど、そこで神事もやってたみたいだね。」
    「神事って?」
    「この集落…生贄の習慣があったみたい。」
    「…マジか。」
    「何年前かは分からないけど、農作物が不作だった年があって、
     村を救うために生贄を差し出して儀式を行うとかなんとか書いてる。
     儀式の決定の記録から先は何も書かれてない。」

    村を救うために儀式が執り行われたものの、それで突然村が安泰になるわけがない。
    集落は農作物の不作によって飢饉に陥り壊滅した。
    この辺りは、飢饉により命を落とした者達が無念の思いと共に彷徨っているのではないか、というのがトド松の推測だ。
    なるほどな。
    トド松の推測は概ね間違ってないと思う。
    …けど、なんとなくそれだけじゃないような気がする。
    農作物の不作やら儀式やらは関係してそうだけど。
    いや、これはただの勘。

    「トド松、その儀式ってどんなものか書いてる?」
    「書いてる。
     …生贄の神子を石棺に生きたまま閉じ込めて、湖に沈めるんだって。」
    「うわ、えげつねぇな。」
    「ほんとにね…。
     湖が聖なる物だから、そこに贄を捧げて祈祷するってことじゃないかな。」

    さて、この集落の事情は少しわかった。
    ちょっとタイムロスになったが、興味深い情報だ。
    しかしこれ以上ここには何も無さそうだし、俺達は屋敷から出ることにした。

    ーーー

    書斎から出て、玄関に向かった時だ。
    ゾワリ、と凍るような悪寒が背骨を突き抜けた。
    トド松が「ヒッ」と小さな悲鳴をあげて俺のパーカーの裾を握ったのがわかった。
    何かが近づいている。
    どす黒い影を引き摺った、おどろおどろしい何か。
    しがみつくトド松が震えている。
    安心させるように肩をトンと叩き、玄関前の生垣の陰に隠れるように促した。
    何者か知らねぇけど、いっちょお兄ちゃんが祓ってやりますか。
    ゆっくりと近づいてくる黒い影に飲み込まれないように、意識を集中させる。
    グッと右の拳を握りしめて、そいつと対峙した俺は、動きを止めて目を見開いた。
    黒い影を引き摺ったそいつは、見慣れた緑色のパーカーを身にまとっていた。
    思わず固まった俺に向かって、そいつが腕を振り上げる。
    その手には錆び付いた日本刀。
    ってオイ?!
    なんちゅー物騒なモン振り回してんだよ!
    なんとか避けて距離を取ったけどマジヒビったっての。

    「おいおいチョロちゃん…
     折角お兄ちゃんがお迎えに来てやったってのにさぁ、それはないんじゃない?」

    「かえせ、かえせかえせかえせかえせ…!」
    「あー、ダメだなこりゃ…。」

    姿を確認した時点で察しは付いていたけど、完全に憑かれてる。
    乗り移られたチョロ松の目は虚ろで焦点が定まっていない。
    片目が黒い影に覆われいた。
    うわ言のように「かえせ」と繰り返し、刀を振り回しながら…涙を流していた。
    ふらつく足取りでこちらに向かってくるチョロ松の周りを黒い影が覆い、
    そこから無数に伸びた手やらギョロギョロした目やら顔やらが伸びている。
    さっさと祓ってやりたかったが、1つ問題がある。
    俺は確かに祓う力は強いのだけど、人に憑いてる奴は祓えないのだ。
    だから一旦、取り憑いたヤツから引き剥がす必要がある。
    そのためにも、まずはチョロ松が手にする日本刀をなんとかしないといけない。

    「チョロ松、何を返してほしいんだよ?」
    「かえせ、かえせ…ゆるさない、ゆるさないゆるさない」
    「っと!」

    チョロ松が日本刀を振り下ろし、ブンッと空気を割くような音が鳴った。
    俺の前髪が数本切られて、ハラリと落ちる。
    うわ流石に肝が冷えたぞコレは。
    思った以上に動きが俊敏だ。
    しかも本気で叩っ切ろうとしてきやがった。
    元よりチョロ松はスピードに関しては兄弟随一だし、スタートダッシュからフルパワーになるまでの時間が極端に短い。
    スタミナがそこまでないから持久走ならこちらにも勝機があるのだが、いまこの状況で持久戦は危険過ぎる。
    …隙をつくしかないな。

    チョロ松と一定の距離を保ち、次に刀を振り上げるタイミングを待つ。
    再び右手が振り上げられたのを見逃さず、懐に飛び込むと、
    すかさず右手に握られた日本刀をたたき落とし、胸ぐらを掴んで引き寄せ、鳩尾に拳を叩き込んだ。
    少々手荒だが許してほしい。
    不意打ちは上手くいったようで、チョロ松の身体から力が抜けるのがわかった。
    気を失って崩れ落ちたチョロ松を受け止める。
    鳩尾にパンチした衝撃で、取り憑いていたヤツは離れたようだ。
    ゆっくりとチョロ松を横たえて頭を膝に置き、頬に伝う涙をそっと拭った。
    一体どこのどいつが、こいつにこんな顔させやがった。
    …と、生垣に隠れながら様子を見守っていたトド松が、慌てて駆け寄ってきた。

    「おそ松兄さん!」
    「あー、久々に肝が冷えたマジで。」
    「チョロ松兄さんは?」
    「多分、気を失ってるだけだろ。」
    「そう…よかった。」

    異空間に飛び込んだ以上、この空間を作り出している元凶をなんとかしなくては脱出は難しい。
    さっきまでチョロ松に取り憑いていたやつがそれっぽいけどなー。
    取り逃がしちまったけど、チョロ松を取り戻せたのは幸いだ。
    大きくため息を吐いて抱え込むようにして二つ下の弟の頭を抱きしめた。
    固く目を閉じたまま青い顔をしたチョロ松はしばらく目覚めそうにない。

    ーーー

    結局、チョロ松を連れて俺とトド松はさっきまでいた屋敷にUターンした。
    衰弱したチョロ松を休ませるには屋内の方がいいだろうし、
    この際トド松にも調べ物の続きをしてもらおうって事で、俺達は書斎へと戻った。
    比較的綺麗な畳の上にチョロ松を寝かせて、俺は近くにあった机に肘をついてその寝顔を眺めていた。
    トド松がガサゴソと文献を漁る音以外は何も聞こえてこない。
    チョロ松へと手を伸ばす。
    癖のない前髪をそっと撫でる。
    温度を失った頬にそっと触れる。
    …起きない。
    頬に触れた手はそのままに、ゆっくりと顔を近づける。
    微かに呼吸する音が聞こえてきた。
    その事にひどく安心した。
    互いの鼻が触れてしまいそうなくらい、更に顔を近づける。
    もう少しで、唇に触れてしまいそうなくらいに。

    「…いや、何やってんだ俺…。」
    「おそ松兄さん?どうかしたの?」
    「なんでもー。」

    やめとこう。
    こんな所で、しかも寝込みを襲うような真似。
    チョロ松が起きて、ちゃんと全員無事にここを出られたらだ、うん。

    ちなみに、俺のキス未遂は末弟にしっかりと見られていた。
    …と、後日知った。

    ++++++++++++++++++++++

    6.

    「さて、何処から迷子の子猫ちゃんを探すとしようk「えっ?!」えっ。」
    「いや…どこか怪しい所はあるか?十四松。」
    「んーと、多分こっち!」
    「ん?水路の方か?」
    「そう!なんかいろんなにおいがしてやべー!!」

    行方知らずになったブラザーを探して異空間に飛び込んだはいいが、
    どうやら此処は悪しき魂に支配され、不浄な気で満ちているようだ。
    気配を察知するのが得意な十四松が、チョロ松や一松の気配を上手く辿れないくらいには、様々なモノが蔓延っているらしい。
    ちなみに十四松はこういった気配を「におい」と称している。
    この異質な空間の中、いつもの明るい調子を崩さない十四松のなんと心強いことか。
    そもそも、俺も十四松も、悪霊だとか怨霊だとかこちらに害を為すモノは寄せ付けない体質らしいのだ。
    だからこの異質な空間の中でも割と自由に動ける。
    十四松が野生の勘で指し示した方向からは如何にもな雰囲気が漂っていた。
    だからこそ、此処に来てから気分が優れない様子だった兄貴や、明らかに青ざめた顔をしていたトド松よりも、
    影響の少ない俺達が調べるべきだろう。

    「それじゃ、行くとするか。先導は任せたぜ、ブラザー!」
    「あいあい!」

    水路に沿った細い道を進む。
    道中襲い掛かってくる悪霊を祓いながらひたすら歩いた。
    前を歩く十四松はいつも通りだが、周りはしっかりと警戒してくれている。
    …俺と兄貴は兄弟の中でも除霊ができるという強みがあるが、実は他の事は何もできない。
    年中2人のように結界を張ることも、末2人のように気配を察知して追うこともできない。
    ただ己の拳を奮って攻撃するのみなのだ。
    そう、いうなれば俺は剣…自らの身を武器に己が拳に宿る聖なる力をもって道を切り拓くのだ。
    俺とおそ松、上2人が除霊が出来るのは、きっとそうして弟達を守るためだ。
    「そういうモノ」が視えて、聞こえて、引き寄せやすかったり、誘われやすかったり、
    感じ過ぎて怖がる弟達を守るため、聖なる浄化の力があるのだと思っている。
    だから待っていろ。
    必ず俺が助けに行くからな。

    「カラ松兄さん!トンネルだ!水路まだ続いてるよー!」
    「そうだな…トンネルというより、天然洞窟か?」
    「この奥!」
    「うん?」
    「この奥にいるよ、一松兄さんがいる!たぶん!!」
    「そうか!なら急ごう。走るか!」
    「うっす!僕走るのすっげー速いよ!」

    細い道を進むと、洞窟の入り口までたどり着いた。
    洞窟の中へと水路は続いているようだ。
    こんな不気味な集落跡の奥に佇む洞窟…さながら冥界へと伸びるバージンロードのようだ。
    おっと、いくらバージンロードとはいえ、半透明で足のないレディーと腕を組んで進むのは、さすがの俺でもノーサンキューだな。
    …その洞窟はさほど長いわけではないようで、漆黒の闇の中、遠くに微かな光が漏れているのを確認出来た。
    十四松が「この先に一松がいる」と言っているのだ。
    きっとそうなのだろう。
    はやる気持ちを抑えて、十四松を追って走った。
    洞窟の内部は道は無く、水路のみだ。靴もジーンズの裾も濡れたが気にしない。
    派手な水しぶきを上げて前を走る十四松のスリッパと靴下もずぶ濡れだ。

    …洞窟を抜けた先は湖だった。
    湖面に月明かりが反射して煌めいている。
    辿ってきた水路はこの湖から引かれていたようだ。
    洞窟から湖へ向かっていくつか鳥居が立っていて、湖と陸の境にそびえ立つ鳥居は特に巨大だった。
    その巨大な鳥居の下には石で作られた精巧な箱が置かれている。
    縦も横も高さも1m前後くらいだろうか。
    箱の半分程は湖に浸かり、今もゆっくり、ゆっくりと沈んでいっていた。

    「…!!
     カラ松兄さん!こっち!!」

    珍しく焦った表情の十四松が湖に向かって走り出したかと思うと、水底へ沈みつつある石の箱に手をかけた。
    服が濡れるのを厭わずに陸の方へとズリズリ引っ張り上げようとしているようだ。

    「十四松?」
    「うおおぉりゃあぁぁ!!」
    「よ、よくわからんがコレを引き上げればいいんだな?!」

    2人掛かりでずっしりと重たい石の箱を陸地へと引き上げた。
    俺も十四松も靴とかズボンとか、もうすっかり水を吸って色が変わっている。

    「ふう…一体どうしたんだ、十四ま…」
    「カラ松兄さん!これ!開けて!!早く!!」
    「え…わ、わかった。」

    言われるがまま、箱の上部、蓋のようになっている箇所を持ち上げた。
    石と石が擦れる重たい音が響く。

    「…っ?!」

    「兄さん!!」
    「一松?!…一松!おい、しっかりしろ!」

    蓋を開けてみれば、石の箱の中には探していた弟の姿があったのだ。

    一気に自分の体温が下がったような気がした。
    実際下がったんじゃないか、一度くらいは。
    それ程に背筋が凍った。
    箱の中、膝を折り曲げ身体を丸めて詰め込まれた状態の一松は、胸元まで水に浸かり、ぐったりとしていた。
    …もし、このまま気付けずにこの石の箱が湖の底に沈んでいたら…考えるとゾッとする。
    十四松がいてくれてよかった。
    慌てて箱の中から一松を引き出せば、一松の身体は冷えきっていて、その顔は青いを通り越して最早白い。
    そのまま抱き上げ、少し悩んだが最初にここに降り立った屋敷の前まで移動する事にした。
    このままでは一松の体温は奪われていく一方だ。
    気休めかもしれないが、屋内ならいくらかマシだろう。
    俺の肩に力なく埋まった一松の額が冷たい。
    首元に微かに呼吸で息が掛かるのを感じて、どうしようもなくホッとした。
    よかった、生きている。

    「十四松、最初の屋敷まで戻ろう。」
    「あいあい!」

    とにかく、今は一松を休ませる必要がある。
    俺と十四松は辿ってきた道を逆方向に走り出した。

    ーーー

    屋敷まで戻ると、ひとまず玄関のすぐ奥にあった八畳間に一松を寝かせて水を吸った服を脱がせた。
    いつものつっかけのサンダルはどこかに紛失してしまったようだ。
    …外傷はない。
    濡れてしまったパーカーの代わりに俺のジャケットを着せておいた。
    冷えきった身体を温めたくて、一松を強く抱きしめ、自分を落ち着かせるようにその湿った髪を梳いた。
    上手く言えないが、こうしてしっかりと抱きとめていないと消えそうで怖かった。
    十四松は一松の手を両手で握り、じっと座り込んでいる。

    どのくらいそうしていただろうか。
    腕の中の一松が身じろぎして、長めの睫毛が僅かに震えた。

    「一松?」
    「一松兄さん!」

    「う……」

    ゆっくりと一松の目が開いた。
    が、その瞳は俺達を捉えてはいなかった。
    虚ろな目でどこか遠くを眺めながら、突如涙を流し始めた。

    「にいさ、ん…どこ、にいさん…おいてかないで…
    ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…」

    「一松!おい、しっかりしろ!一松!!」
    「一松兄さん!…じゃないね、誰?一松兄さんの身体返して!」

    十四松の言葉に一松は何かに取り憑かれているのだと理解した。
    俺の腕の中から抜け出そうと暴れる一松を慌てて抑え込む。
    腰を引き寄せて自分の身体と密着させると、ジタバタする一松を無理やり抱え込んで自分の両手指を祈りを捧げるように組んだ。
    これは、攻撃しか出来ない俺の唯一の護りの術だ。
    「身固め」と呼ばれるそれは、憑かれたその人が連れていかれないように、ここに留めさせるために引き留める技らしい。
    その昔、この術を俺に教えてくれたのは一松だった。
    それを一松本人にする事になるとはな。

    「ねえ、君誰なの?その身体は一松兄さんのだよ?返して?!」
    「一松!一松、聞こえるか?!帰ってこい!!」

    「にいさん、にいさん、どこ…どこにいったの…ごめんなさい、ごめんなさい…」

    駄目だ、俺の声も十四松の声も届いていない。
    一松は取り憑かれた何者かに同調してしまっている。
    俺は取り憑いた霊を祓うことはできない。
    一度引き剥がさなければならないのだが、生憎それもできない。
    おそ松なら容赦なく殴って無理やり引き剥せるのだが、俺はその辺が上手くコントロールできないのだ。
    一松が霊と同調してしまっている状態で俺が無理に力を振るえば、一松の精神ごと吹き飛ばしかねない。
    だから、こうしてせめて一松が連れていかれないようキツく抱きしめるしかない。

    「一松兄さん!一松兄さ…っあ、えっ?!」
    「十四松?!」
    「カラ松兄さん!なんか上からヤッベーの来る!!」
    「おいおい…笑えないなこの状況で…。」


    「かえせ、かえせかえせかえせ、ゆるさない、ゆるさない…いかないと、むかえにいかないと…むかえにいくから…」

    「え…!」
    「チョロ、松…?!」

    背後から凄まじい冷気と共に姿を表したのは、虚ろな目で何か呟き続けるチョロ松だった。
    いや、正確にはチョロ松の身体を借りた何か、と言うべきだろう。
    黒い影を纏い、まるでこの世の絶望全てを背負ったような空気だ。
    薄らと血塗れの着物の男性の姿が重なって見えた。
    右手に持つ古びた日本刀の切っ先からポタリと血が滴っている。
    …おい、それ一体誰の血だ。
    とにかく、このまま放っておけば、チョロ松は完全に飲み込まれてしまう。
    怖いもの知らずな十四松さえもチョロ松に取りく黒い影に息を飲んで後ずさりしている。

    「にい、さん…?」

    さっきまで腕の中で暴れていた一松が大人しくなり、チョロ松をじっと見つめている。
    その視線に気付いたチョロ松がこちらに向かってきた。
    2人共何かに取り憑かれているのは明らかだ。
    チョロ松から距離を取ろうとして、違和感に気付く。

    「…っ?!身体が…!」
    「カラ松兄さん…!なんか、身体が動かない!」

    身体が動かない。
    金縛りってやつか。指先一つ動かせない。
    目の前が真っ黒な靄に覆われる。
    腕の中から一松がスルリと抜け出したのが分かった。

    「駄目だ一松!!行くな!!」
    「一松兄さん!チョロ松兄さん!だめだよ!いっちゃだめ!
    やだ、遠くに行っちゃう…!」

    駄目だ!頼む、行かないでくれ!
    必死に声を張り上げたが、一面真っ暗に染まった視界で何も見えない。
    何も見えないが、チョロ松と一松が遠ざかっていくのはわかった。
    2人が遠ざかるのに比例して、だんだんと身体の自由もきいてくる。

    「カラ松兄さん!」
    「!…十四松か?」
    「はい!十四松でっす!!」
    「お前は無事か?どこも怪我していないな?」
    「へーき!カラ松兄さん、こっち!!」

    暗闇の中、気配を追ってくれたのか十四松が駆けつけてくれた。
    俺の腕を掴み、ぐいぐい引っ張り出した。

    「十四松?」
    「おそ松兄さんとトド松が近くにいる!」
    「わかった、頼んだぞ。」

    どうやら十四松は兄貴とトド松の元へ向かっているようだ。
    迷いなく進む十四松の後に続いた。

    ++++++++++++++++++++++

    7.

    両親は弟が五つの頃に相次いで死んだ。
    他の村と関わりをあまり持たない閉鎖的な村の中で、おれは幼い弟と共に生きてきた。
    弟は身体が弱く、いつも寝たきりだった。
    朝早く出掛けて、夜遅くに帰ってくるおれを弟はいつも笑顔で見送り、そして出迎えてくれた。
    その屈託のない笑顔が好きだった。
    何よりも大切だった。
    この笑顔だけは守らなければならない。
    おれの、唯一の家族なのだ。


    その年は数度に渡る嵐のせいで、農作物が不作だった。
    冬を越せるだけの蓄えを用意出来なかった。
    だから、いつもの農作業に加えて山で山菜や木の実を採ったり、魚を釣ってきたりして来たる冬に備えているところだった。
    帰り道、村の年寄衆に呼ばれたおれは長老の家に通された。
    一体何の話かと思えば
    「今年農作物が不作に終わったのは瓶宮湖の神様がお怒りなせいだ。
     怒りを鎮めるために、供物を捧げなければならない。」
    などと言う。
    嫌な予感がした。
    長老は無表情のまま続けた。
    「お前の弟を供物として捧げることに決まった。」
    それを聞いて、おれは全力で抵抗した。
    ふざけるな、ふざけるな。
    弟を、あの子をあの石の箱に入れて冷たい湖の底に沈めるというのか。
    そんな事絶対させない。
    そう喚き散らして暴れ回った。
    暴れるおれを村の大人達は数人掛りで押さえつけ、頭を殴られた。

    目を覚ました時、既に儀式は執り行われた後だった。
    後ろ手で手首を縛られていた。
    片目がじくじくと痛む。
    幸い足は自由だったから急いで外に出た。
    家に帰るも、弟の姿はない。
    少し争ったような形跡があったから、弟は無理やり連れていかれたのだろう。
    何故だ。
    何故あの子が死ななければならなかったのだ。
    あの子を犠牲にして村の大人達が助かるだなんてゆるせない。
    ゆるせない
    ゆるさない
    弟を、あの子をかえせ
    かえせ、かえせかえせ
    かえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせ

    父の形見として仕舞ってあった日本刀を抜き取った。
    手を縛っていた縄を切る。
    少し掌も切ったが気にしなかった。
    おれは村中を暴れ周り、見つけた村人を片っ端から切り付けていった。

    ゆるさない、ゆるさないゆるさないゆるさない!

    ああ、弟をむかえにいかなければ。

    ーーー

    ぼくの兄さんはとても優しい。
    両親を亡くして、2人きりになってしまったぼくらは、2人だけで静かに暮らしていた。
    身体の弱いぼくは外に働きに出ることが出来なかったから、毎朝兄さんを見送って、毎晩兄さんを出迎えた。
    そうして、ぼくに優しく笑いかけてくれる兄さんが好きだった。
    ぼくを撫でてくれる大きな、擦り傷だらけの手が好きだった。
    だけど、同時に申し訳なくも感じた。
    身体の弱いぼくなんかがいるせいで、兄さんは自由になれないのではないか。
    ぼくは兄さんの足枷になっているのではないか、と。

    ある日、家に村の大人達がやって来た。
    兄さんはまだ帰ってきていない。
    その人たちはみんな一様に怖い顔をしていて、ぼくは身を縮めて震えることしか出来なかった。
    大した抵抗もできずに無理やり連れていかれた地下の座敷牢に長老様がやってきてぼくに言った。
    「おまえは村を救う儀式のために供物になるのだ。
     おまえが大人しく供物になる事を認めれば、兄の生活は豊かなものになると約束してやろう。」
    …ぼくが神様の捧げものになれば、兄さんは豊かに暮らせるの?
    ならば、それならばぼくは。
    ぼくが役に立てることなんて、そのくらいなのだから。
    ぼくは供物になることを受け入れた。

    石の箱に詰め込まれて、湖の底に沈められた。
    苦しくて苦しくて、何度もなんども心の中で兄さんに助けを求めた。
    兄さん、兄さん…と繰り返しながら、やがてぼくの意識は薄れていった。


    気付いた時には、ぼくは湖の鳥居の下に立っていた。
    どうしてぼくはこんなところに?
    …ああ、そうだ。
    儀式の供物になったんだ。
    おかしいな。水の底にいたはずなのに。
    儀式がうまくいかなかったの?

    そんなことを考えていたら、村から悲鳴が聞こえてきた。
    気になって村へ行ってみると、そこは地獄絵図だった。
    村の人たちが無残に切り裂かれている。
    一体何が。

    戸惑いながらも村を見て廻っていると、大通りで修羅のような顔で刀を振るい、村人達を切り裂いていく兄さんの姿があった。
    何故、何故兄さんが。
    兄さんはぼくの名を呼んでいる。
    ぼくをかえせと叫んでいる。
    ぼくのせい?
    ぼくのせいで、兄さんはああなってしまったの?

    ああ、あんなに優しい兄さんが
    ぼくのせいで、ぼくのせいで

    にいさんを、おいかけなきゃ
    おいてかないで、ぼくをおいていかないで

    ごめんなさい

    ごめんなさい、ごめんなさい兄さん
    ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい

    ++++++++++++++++++++++

    8.

    「トド松、泣くなって。」
    「ぐすっ…ひぐっだ、だれの…せいだとっふぇっ…」
    「あーはいはい俺のせい俺のせい。悪かったから。あと、手当てあんがとな。」
    「も…兄さんの、ばかぁ!」

    いやぁ、油断したね。
    まさか眠りこけていたチョロ松が突然目を覚ましていきなり襲い掛かってくるとは思わないじゃん?
    つか、俺が確かに叩き落とした筈の日本刀をいつの間にか手に持ってたし。
    どーゆー原理よ、アレ。
    背後に薄らと血濡れの着物を纏った男が見えた。
    あれが親玉だろう。
    なんとか致命傷は避けたんだけど、肩を綺麗に切られちゃって、トド松が泣きながら応急処置をしてくれた。
    いくらチョロ松が取り憑かれていたとはいえ、同じ顔した兄弟が兄弟を本気で殺そうとしてる光景はショックだっただろう。
    怖がりなのにそれに耐えて異空間に付いてきてくれたってのに、可哀想なことをした。
    プリンで許してもらえねーかな。
    見た目より傷は深くないけど、さすがに動かすのはツライ。

    …ん?なんか引き戸の向こうが騒がしいような

    ードタドタドタッスパァン!

    「おそ松兄さん!トド松!!」
    「えっ十四松兄さん?!あとカラ松兄さんも。」
    「2人共無事……ではないな、何があったんだ?」
    「そっちこそ、びしょ濡れじゃん。」

    騒々しく登場したのはカラ松と十四松だった。
    何故か2人共下半身がずぶ濡れだ。
    しかもカラ松は着ていた筈のイッタイ革ジャンがなくなっていて、タンクトップだ。寒そう。
    カラ松は俺の肩の怪我を見て険しい顔をしてるし、
    十四松は泣きついてきたトド松の頭を伸びきった袖のまま撫でている。

    「うん…情報交換といこうぜ。年中組救出作戦も立てねーとな。」

    さて、ここいらで少し状況を整理するとしよう。

    ーーー

    おそ松の話
    …俺とトド松はこの空間に来てから、目の前にあった屋敷の中を調べてた。
    どうやらチョロ松と一松も此処にいたのは間違いないみたいだぜ。
    トド松がさ、一松が張ったらしい結界の気配感じたって。
    あと、廊下の先にある中庭に効力切れの御札が落ちてたんだよ。
    で、トド松がそれを元に2人の気配を辿って書斎に着いたってわけ。
    うん、この部屋ね。
    そんでしばらくここで調べ物して
    …あ、調べ物の内容はトド松から聞いてくれよ。
    で、一通り調べ終えて屋敷から出たところで、悪霊に取り憑かれたチョロ松と鉢合わせた。
    もうね、とんでもない憎悪だけに支配されちゃった感じになってるわ、
    日本刀振り回してて物騒だわ、さすがのお兄ちゃんも冷や汗モノだったわー。
    見たところチョロ松に憑いたのがこの空間の元凶な気がするな。
    「かえせ」だの「ゆるさない」だの延々とブツブツ繰り返してさ。
    チョロ松を気絶させて、それで取り憑いてた奴の気配も消えたから、
    気絶したチョロ松を連れてもう一回この書斎に戻ってきてたんだよ。
    トド松も、もう少し色々調べたいつってたし。
    しばらくチョロ松は静かに寝てたんだけど、突然目を覚まして襲い掛かってきたんだよね。
    あれは確実に俺の喉を狙ってたね。
    なんとか避けたけど。
    まぁ、完全に避け切れずに肩怪我しちまったけど。
    チョロ松…というか、チョロ松の身体を乗っ取ったヤツはそのままどっか行っちまった。
    で、トド松が手当てしてくれてたところにカラ松と十四松がここに来たってワケ。
    俺が話せるのはこんだけだな。

    ーーー

    カラ松の話
    あの時見たのはやはり…ん?ああすまない。最初から順を追って話さないとな。
    俺と十四松は屋敷の脇にあった水路を辿っていったんだ。
    奥には洞窟があって、洞窟を抜けた先には湖があった。
    鳥居も立ってたから、何か特別な場所だったのかもな。
    その鳥居の下に石で造られた箱があって…その、箱の中に一松が閉じ込められていた。
    あの石の箱、少しずつ湖に沈んでいってたんだ。
    …もう少し気付くのが遅れたら、と思うと背筋が凍る思いだ。
    今思い出してもゾッとする。
    ああ、気付いたのは俺じゃない。
    十四松のお手柄だ。
    それから一松を連れて、この屋敷に入ったんだ。
    玄関のすぐ傍の広間で一松を休ませてた。
    だが目を覚ました一松は既に取り憑かれていたようでな…、
    「ごめんなさい」と泣きながらしきりに繰り返していた。
    そうこうしているうちに、背後からチョロ松が現れて…。
    あいつが持っていた刀に血が付いてた。
    兄貴に襲い掛かった後だったんだろうな。
    それで、突然俺も十四松も金縛りにあって、目の前が真っ暗になったんだ。
    その隙に、チョロ松も一松も見失ってしまったんだ。
    金縛りが解けても、目の前は真っ暗闇のままだったんだが、十四松がここまで引っ張ってきてくれた。
    すまない、…俺があの時動けていれば…。

    ーーー

    十四松の話
    水のほうにいろんなものが混じりあったにおいがしたんだ。
    その中に、ほんのちょっとだけ一松兄さんのにおいも感じたから、カラ松兄さんと水路をたどった!
    湖にあった石の箱の中から一松兄さんのにおいを感じて、すっごく焦って必死に一松兄さんを引っ張り出した!
    兄さん、ぐったりしててしんだみたいだった。怖かった。…怖かった。
    …あとはカラ松兄さんの言ってたことと一緒!
    僕も真っ暗だったけど、近くにおそ松兄さんとトド松のにおいがあるのに気付いたから、
    カラ松兄さんを引っ張ってここまで来た!
    チョロ松兄さんが突然目を覚ましたのって、僕たちが一松兄さんをここに連れてきたからじゃないかな。
    たぶん、チョロ松兄さんに憑いてるひとは、一松兄さんに憑いてるひとを探してるんだと思う。
    …一松兄さんね、取り憑かれた霊と完全に同調しちゃってた。
    そのせいでにおいがわからなかったんだ。石の箱から助けたときに、
    憑かれてるって気付けなかったんだ。
    チョロ松兄さんも、たぶん同調しちゃってると思う。
    2人ともすごく悲しんでる。すごく苦しそうだった。
    なんかね、ここ、いろんなにおいがしてチョロ松兄さんと一松兄さんのにおいがよくわからなくなる。
    追いかけられなくて、兄さん達が遠くに行っちゃうみたいで、すごく怖いよ。

    ーーー

    トド松の話
    大筋はおそ松兄さんが話してくれた通りだよ。
    僕もいろんな気配に邪魔されて気付けなかったんだ。
    一度おそ松兄さんがチョロ松兄さんを気絶させた時、剥がれたんじゃなくて、中に潜んだだけだったんだよ。
    それに気付けなかった。
    近くにいたのにね。
    …ごめん。調べた事の話だよね。
    この屋敷、集落の権力者の家だったみたいで、この部屋にいろんな記録が残ってたよ。
    ここに残ってる記録と兄さん達の話で、ちょっとわかってきた。
    うん、今話すからちょっと待って…。
    僕も自分の頭の中を整理しながらなんだからさ。
    えーと、まずこの村。
    この村についてわかったことはね、

    ひとつめ、村の奥の湖を御神体として崇拝する信仰があった
    ふたつめ、何年前かはわからないけど、農作物が不作で冬を越せないくらい危うい状態になった年があった
    みっつめ、湖に生贄を捧げる習慣があった
    よっつめ、不作の年、生贄の儀式が行われた
    いつつめ、儀式の後に何か事件が起こって村は壊滅状態になった

    …このくらいかな。
    で、生贄の儀式についてだけどね、石で出来た箱に生贄を入れて生きたまま湖に沈めるんだって。
    そう、カラ松兄さんと十四松兄さんが一松兄さんを見つけたときの状態…村の儀式とほとんど同じなんだよ。
    …ちょっと今から胸糞悪い話するけど、我慢して聞いてよね。
    記録によると、最後に生贄に選ばれたのは親を亡くした少年だったんだ。
    病弱な子だったみたい。
    その子には兄がいて、お兄さんが世話を焼いて兄弟2人で暮らしてたらしいよ。
    でね、弟が生贄に決まったって聞いて、お兄さんがめちゃくちゃ反抗して暴れまわったらしいんだ。
    でも結局、お兄さんが村人の手で気絶させられてる間に儀式は行われて、
    お兄さんが目を覚ましたときには弟は湖に沈められた後だった。
    …その後、お兄さんは狂っちゃったみたい。
    日本刀を振り回して、村の人達手当り次第に斬殺して回ったって。
    その後どうなったかまでは、わからなかったけど…。
    多分だけどね、チョロ松兄さんにはその怨霊化した兄の霊に取り憑かれてるんじゃないかな。
    そして一松兄さんは生贄になった弟の霊が取り憑いてる。
    兄弟って点で、2人共同調しちゃったのかも。

    ++++++++++++++++++++++

    9.

    片っ端から切り刻んだ。
    向かってくる全てが敵に思えたから。
    視界に入ったものは全てころした。
    そうだ、綺麗に掃除してしまおう。
    邪魔なものを全部片付けてから、あの子を迎えに行こう。

    視界に入ったものは全て。
    だからおれに向かってきた赤い色にも躊躇せずに刀を振り上げた。

    ーもう十分だよ

    どこかから声がした。
    もう十分だよ。もう誰もいない。
    邪魔する人達は誰も残ってないんだ。
    だから早く迎えに行こう、あの子が待ってるよ。
    あの子に謝りたいなら、僕の身体を使っていいから。

    頭に響くような声だった。
    待ってる?おれを?
    それなら行かないと…。
    あの子を迎えに行かないと…。

    ーーー

    恐ろしくて恐ろしくて、逃げて逃げて、必死に逃げた。
    そして気付いた。
    ああ、なんて事をしてしまったのかと。
    兄さんはぼくのために壊れてしまったのに、その兄さんを恐ろしく思って逃げてしまうなど。
    ごめんなさい、ごめんなさい。
    ぼくは一体どう償えばいいんだろう。
    満足に供物にもなれず、結局は村を滅ぼしてしまった。
    もう兄さんに会わせる顔なんてない。
    ごめんなさいごめんなさい兄さん、ごめんなさい。

    でも、追いかけなきゃ。
    兄さんを追いかけないと。

    ー大丈夫、きっと許してくれる

    どこかから声がした
    大丈夫、きっと許してくれる。
    兄さんは君を何より大切にしているから。
    いつも一番に君の事を案じているから。
    だからもう赦しを乞いながら逃げなくていいんだ。
    ほら、元いた場所に戻ろう。
    きっと迎えに来てくれる。
    兄さんに伝えたいことがあるなら、僕の身体を貸してあげるから。

    頭に響くような声だった。
    迎えに?ぼくの元へ?
    ならばあるべき場所で待たないと。
    兄さんの帰りを出迎えるのは、ぼくの役目だったのだから…。


    ++++++++++++++++++++++

    10.

    「「「「…………。」」」」

    みんなで現状を確認し合うと、部屋は重苦しい沈黙に包まれた。
    水を吸って重くなった一松兄さんの紫色のパーカーをぎゅっと握りしめた。
    状況はなかなか厳しい。
    僕とトド松は瘴気に邪魔されて兄さん達のにおいを追えないし、
    しかもチョロ松兄さんも一松兄さんも取り憑かれていて且つ同調しちゃってる。
    おそ松兄さんとカラ松兄さんは取り憑いた霊は除霊できない。
    無理やり祓おうとすると、憑かれてるチョロ松兄さんや一松兄さんの精神にまで影響を与えちゃうからできないんだって。

    僕が思うに、チョロ松兄さんと一松兄さんは優しすぎるんだ。
    あの2人は近寄ってきた霊を完全に拒絶することってないから。
    心のどこかで相手が抱いてる思い、寂しいとか悲しいとか苦しいとか、
    そういうのを受け入れて共感しちゃうんだよ。
    いくら霊媒体質とはいっても、共感して同調しちゃうなんて、そんなの優しくないとできない。
    確かにいろいろと大変な目に遭うし、今も現在進行形で大変なことになってるけど、
    兄さん達は優しいままでいいと思う。
    その度に僕達が助ければいいから!
    …そうだ、早く助けてあげなきゃ。
    いつものように、においで追いかけることはできないけど、2人が行きそうな所はどこだろう…。
    トド松の推測が正しければ、一松兄さんは儀式の生贄にされた子の霊に、
    チョロ松兄さんはそのお兄さんの霊に憑かれてる。
    たぶん、お兄さんの霊は弟を探してて、弟もお兄さんを探してる。
    その2人が、最終的にたどり着きそうな場所って…、

    「湖!」
    「えっ、どうしたの十四松兄さん?」
    「湖に行ってみよーよ!」
    「俺達が一松を見つけた所か?」
    「うん!なんかね、そこにいる気がするー!たぶんだけど!!」
    「んー、じゃあ行ってみるか。ここでクサってても仕方ねーしな!」

    ーーー

    洞窟を抜けて、また湖にやってきた。
    トド松から聞いたけど、へいきゅーこっていうんだって。
    湖の淵、大きな鳥居の下に、誰かが倒れ込んでいた。

    「チョロ松!一松!」

    鳥居の下に倒れる兄さん達に真っ先に気付いたおそ松兄さんとカラ松兄さんが同時に駆け出した。
    僕とトド松も慌てて後を追う。
    チョロ松兄さんをおそ松兄さんが、
    一松兄さんをカラ松兄さんが抱き起こした。
    チョロ松兄さんから黒い影は消えてる。
    でも、兄さんから、兄さん以外のなにかのにおいも感じたから、まだ憑かれたままみたいだ。

    先に意識を取り戻したのは一松兄さんだった。
    ゆっくりと開いた目は最初に見つけた時と違って、ちゃんと一松兄さんの目だった。

    「え…カ、ラ松?」
    「一松!大丈夫か?!苦しくないか?どこか痛いところはないか?!」
    「…っ…耳元で騒ぐな…頭に響く…。」
    「すっすまん!」

    いつものカラ松兄さんと一松兄さんのやり取りだ。
    一松兄さんからも、一松兄さんとは別のなにかのにおいがする…。
    やっぱりまだ2人共憑かれたままだ。
    そうこうしてるうちに、チョロ松兄さんも目を覚ました。
    咄嗟にみんな身構える。
    おそ松兄さんがガッチリ押さえ込んでるから、
    また日本刀を振り回すなんてことはないだろうけど。
    チョロ松兄さんと一松兄さんの目が合った。

    「「わかった、もう少しだけ貸してあげる。」」

    2人同時にそう呟いた。
    一体何の事?と思ってる間に2人は目を閉じて、
    そして、また目を開いたときは別の人だった。
    兄さん達に憑いた人格が表に出てきたのだと理解して焦った。
    すうっと一松兄さん、の身体を借りた誰かが息を吸い込んだ。
    …かと、思ったら

    『こんの…バカ兄イイイイイィィ!!!!』

    一松兄さんの声に重なるようにして、少し幼さが残る少年の声が響いた。
    「えっ?えっ?!」とトド松がオロオロしてる。
    僕も固まってしまった。

    『バカじゃないの?!ほんとバカじゃないの何してんの?!
     キレて村中の人という人大虐殺とか笑えないよ?ほんと何してんのバカなの?!』

    一気に捲し立てる一松兄さんの中にいる誰か。
    こんなに喋る一松兄さんすごく珍しい。
    厳密には一松兄さんじゃないんだけど。
    トド松が言ってたように、儀式の生贄にされた弟なのかな。
    それに対してチョロ松兄さん、の中にいる誰かも言い返し始めた。

    『はあああああぁぁぁ?!
     誰のせいだと思ってんのお前があっさり供物になること了承するからだろ
     残されたこっちの身にもなれってんだよこの愚弟がぁっ!!』
    『知らないよ!そもそも何でそこまでブチギレちゃったワケ?!
     ぼくみたいな病弱で働きに出れもしない穀潰しをたった1人で世話し続けることなんかなかったんだよ?!』
    『ざけんな!!おれはお前の兄貴なんだから面倒見るのは当然だろうが!
     両親亡くして1人だけになってたらとっくに死んでたわ!
     お前を守ることがおれの人生そのものだったの!!
     それを奪われたんだからブチギレて当たり前だろうが!!』
    『意味わかんないよ!ぼくが供物になればその家族の兄さんは不自由ない暮らしが約束されるんだよ?!
     なんで切り捨ててくれなかったの?!
     ぼくは兄さんの負担にしかなれないのに!!
     供物になることが唯一兄さんに何かを与えられることだと思ったから!!』
    『そっちこそ意味わかんねぇよ!弟の命差し出して与えられるモノって何だよそこまで落ちぶれてねえよ!
     お前はこれまで通り大人しくおれに世話されてりゃよかったんだよ!
     家にいてくれるだけで十分だったんだよ!!なのに!どうして!!』
    『知らないよ!バカ!!』
    『バカはそっちだろバカ!!』
    『うるさい!バカバカバカ!!』
    『そっちこそ黙れよバカバカ!!』

    もう、なんというか、ものすごい言い合いだ。
    最後の方バカしか言ってないよ。
    トド松は僕の横で呆然としてるし、
    チョロ松兄さんを押さえ込んでるおそ松兄さんは苦笑い、
    一松兄さんを抱え込むカラ松兄さんも顔が引きつってる。
    チョロ松兄さんと一松兄さんは一気に捲し立て過ぎて肩で息をしている。

    話を聞いてて、なんだかこの兄弟はとても可哀想だったんだな、って思った。
    どちらもお互いをとてもとても大切にしていて、
    でも少しのすれ違いで悲しい結果になっちゃったんだ。
    真ん中の兄さん達の身体を借りて、洗いざらい本音をぶちまけたのであろう兄弟は、
    さっきまでの勢いをなくして今度は力なく呟いた。

    『ごめんね、兄さん…助けてくれようとしてくれたのに…逃げたりして…。』
    『…いいよ、おれの方こそ、ごめん。守ってやれなくて…気付いてやれなくて…。』

    空気が和らいだ。
    途端に、チョロ松兄さんと一松兄さんの身体から力が抜けて同時に崩れ落ちた。
    2人の中からすっ…と兄弟の霊が抜けたのがわかった。
    ずっと様子を見守っていたおそ松兄さんが、それを見て大きく深呼吸した。
    いや、どちらかというと盛大なため息だったのかも。
    そして黒いモノが無くなった兄弟の霊を見て、一言。

    「満足できたか?…そろそろ逝くか?」

    兄弟が頷いた。
    おそ松兄さんがそっと手を触れると、手を取り合った兄弟は静かに空気に溶けていった。

    ++++++++++++++++++++++

    11.

    目が覚めると、見慣れた天井が視界に映った。
    窓の外は微かに明るい。
    頭がガンガンする。
    なんだか身体も痛い。
    声を出そうとしたものの、笑えるくらい掠れた音しか出なかった。
    軋む身体をなんとか動かして寝返りをうつと、視界に入ったのは一つ下の弟の姿。

    「ぃ…ちま、つ?」
    「…チョロま…に、さん?」

    掠れた声で呼びかけると、一松の睫毛が微かに震えて、それから目を開けた。
    一松も僕と同じで掠れ声だ。

    えーと、ここ家だよね?
    僕は何してたんだっけ…?
    確か駅前で一松と会って、神隠しに遭って…それから、それからどうしたんだっけ。

    「僕ら…どうやって帰ってきたんだっけ…。」
    「よく覚えてない、けど…兄さん達が見つけてくれたってことかな…。」

    ああ、きっとまた兄弟に迷惑を掛けたんだろうな。
    今回は一松も巻き込んで。
    回らない頭で記憶を辿っていると、襖が開く音がした。
    一松の目線が上を向く。

    「おっ2人とも気がついたか!」
    「おそ松兄さん…?」
    「いやぁ~お前ら大変な目に遭ったよなー。丸2日仲良く眠りっぱなしだっんだぜ?」
    「え…。」
    「うそ、マジで…?」
    「マジマジ。っと、他のヤツらも呼んでくるわ。」

    そう言って部屋を出ていったかと思うと、すぐに騒がしい足音が迫ってきた。

    「チョロ松!一松!」
    「兄さーん!起きた!よかった!!」
    「もうっほんっと心配したんだからね?!」

    カラ松、十四松、トド松が顔を覗かせた。
    それから粗方なにがあったかおそ松兄さんが話してくれた。
    どうやら僕も一松も憑かれて大変だったそうだ。
    うん、なんとなく思い出してきたかも。

    「もー最後にはお前らの身体借りて口喧嘩おっ始めてさー、
     笑うしかなかったわ。成仏してくれたっぽいけど。」
    「…あ、なんとなく思い出してきた。」
    「うん、僕も…。」

    そうだ、あの黒い影を纏った血濡れ男に捕まって
    その内側に秘めた激情に触れた。
    何よりも大切にしていた弟を守れなかった無念さ、己の不甲斐なさ、行き場のない怒り、悲しみ。
    弟を失って荒れ狂う魂に同調してしまい、僕は兄弟を…。

    「!…おそ松兄さん、その肩の怪我…!」
    「んー?ああ、ヘーキヘーキ!見た目より浅いし大した事ないし。」
    「そ、それ…やっぱり僕がやったん…だよ、ね…?」
    「いやまぁそうだけど、チョロ松あの時完全に意識乗っ取られてたから。」
    「…っ、ご、ごめん…!」

    兄さんを傷付けてしまった。
    落ち込む僕の額をペシペシと撫でるように叩いた兄さんは「もう少し休め。」
    と言って僕と一松を布団に押し込み、カラ松達を連れて部屋を出て行った。

    再び部屋に訪れる静寂。
    その静寂を破ったのは隣に横たわる一松だった。

    「…チョロ松兄さん。」
    「どうしたの。」
    「その…。」
    「うん。」
    「ごめん、巻き込んじゃって…。」
    「…え、おかしくない?むしろ一松が僕に巻き込まれたんでしょ…僕こそごめん。」

    突然の一松からの謝罪に驚いて、目を丸くした。
    そして僕も謝罪で返すと、一松はキョトンとした顔になり、やがていつもの妙な笑い声をたてた。

    「…ふひっ」
    「え、なに?」
    「いや…なんか、あの取り憑かれてた兄弟の最後のやり取り、思い出して。」
    「ああ、あれね…。」

    弟を思う気持ち、兄を思う気持ちに反応して、僕らと同調してしまった兄弟。
    最後に僕らの身体を使ってお互いの思いを吐き出して消えていった。
    彼らが消えた後、異空間も消えて僕らは河川敷に戻ってきたらしい。
    気を失った僕と一松を、おそ松兄さんとカラ松が運んでくれたそうだ。
    あの霊と同調してしまった理由も、今ならなんとなくわかる。
    兄弟を思う気持ちってやつに引っ張られたんだろう。
    それから、兄の異常なまでの弟に対する愛情とか、執着なんかも一因かもしれない。

    「…えらい目に遭ったよね。」
    「ほんとそれ。」
    「もう一松と2人で出掛けるとか無理だね。」
    「いや、今回みたいな事そうそう起こらないでしょ…。」
    「そうだけどさ…。」

    「チョロ松兄さん、一松兄さん、起きてる?」
    「トド松?うん、起きてるよ。」

    襖を開けて入ってきたのは末弟。
    手には何やら御札やら御守りやらを持っている。

    「これ、新しく作ったから。」
    「あー、ありがと。ほんと器用だよねトド松。」
    「その…ごめんね、兄さん達。」
    「「は?」」

    あ、思わず揃っちゃったじゃん。
    なんか今日は謝られてばっかりだな。
    謝らないといけないのは僕のはずなんだけど。

    「僕がもうちょっと強い御札作れていたら…ここまで酷いことには…。」
    「…ちょっと聞きましたチョロ松さーん、僕らの末弟がなんかお馬鹿な事言ってますわよー。」
    「聞きましたわよ一松さーん、ほんとお馬鹿な末弟なんですからー。」
    「ええええぇっ?!何ソレ?!つーか2人してローテンションなクセに変なノリで喋んないでよ!怖いし!」
    「トド松。」
    「な…なに。」
    「トド松の作る御札や御守りはすごく強いよ。」
    「ん。…すごく、助かってるから…。」
    「ほ、ほんと?!」
    「ほんとだよ。」
    「ん。」
    「そっ…か。」
    「御守りありがとね。」
    「…ちゃんと持っとく…。」
    「うん、そうして!」

    それじゃあね!とトド松は元気に出て行った。
    切り替えが上手くて立ち直りが早いのがトド松のいいところだ。
    トド松の作ってくれる御守りがとても頼りになるのは本当だし。
    …なんで、みんなこんなに優しいんだろう。
    霊媒体質な上に引き寄せてしまう僕なんて、迷惑でしかないのに。
    一松は眠ってしまったようだ。
    びしょ濡れで石の箱の中にいたらしいから熱を出してしまったらしい。
    一松の汗ばんだ前髪をそっと撫でて、僕も眠りについた。

    ++++++++++++++++++++++

    12.

    身体中が痛い。
    おそ松兄さんによると丸2日寝ていたという身体は気だるさに支配されていた。
    横を見るとチョロ松兄さんは既に起きたようで、布団はすっかり冷たくなっていた。
    身体を起こし、窓の外を見ると日の射し方から正午過ぎくらいだとわかった。
    まだ身体がだるい。
    しかしお腹が空いた。喉も乾いた。
    どうしようか、一旦下に降りようか。
    ぼんやりとした頭で考える。
    聞いた話によると、僕は石の箱にずぶ濡れで無理やり詰め込まれていたそうだ。
    そりゃあ身体も痛くなるし風邪もひく。
    けほ、と軽く咳が出た。

    「一松、調子はどうだ?」
    「…最悪。」

    突然襖が開いて顔を出したのはカラ松だった。
    全く気配に気付けなかった。不覚。
    そんなにボーッとしてたのだろうか。
    僕の枕元に腰を下ろしたカラ松の手にはスポーツドリンクと卵粥。
    ペットボトルのスポーツドリンクを差し出してきたので、何も言わずに受け取り喉を潤した。

    「食べれそうか?」
    「ん。…食べる。」
    「そうか!…じゃぁ、ほら」
    「………は?」

    喜々とした表情のカラ松が粥をレンゲで救ってぼくの口元に持ってきた。
    いわゆる「はい、あーん」状態である。
    いやいやいや、僕起き上がってるじゃん?
    自分で食べれるんですけど??

    「いや…自分で持てるから。」
    「遠慮するな。」
    「遠慮じゃねえし!ほんと自分で食べれるって。」
    「…嫌、か?」

    おい。
    おい、何でそんなションボリした顔してんだよ。
    僕が虐めてるみたいじゃないか。
    あ、割といつもコイツのこと虐めてたわ。
    なんだ、別にいつものことじゃないか。
    …と、そう思っても、嫌か?と眉根を下げて聞かれると言葉に詰まってしまう。
    ……まあ、今回コイツに助けられたし。
    必死に身固めしてくれてたのは覚えてるし。
    今回だけだ、今回だけ。

    「べ、別に、嫌では、ない…。」
    「そうか!よかった!」
    「……あー。」
    「うん、ほら。」

    最初の1口2口くらいで終わろうと思ったのだが、結局全部カラ松に食べさせてもらうハメになった。
    卵粥を平らげると、まだ横になっていろと布団に戻され、
    いつの間にか額に貼られていた冷却シートを交換される。
    何か言ってやろうかと思ったが、満足げに笑うカラ松に何も言葉が出てこなかった。
    たぶん熱のせいだ。
    カラ松が僕の横に寝そべった。
    顔が近い。

    「何…近いんだけど。」
    「すまなかった、一松。」
    「え、なんなの突然。」
    「守ることが、出来なかった。辛い思いをさせたな…。」
    「なんで、アンタが責任感じてるわけ…。」
    「心に決めていたんだ。一松の事は俺が守るって。」
    「は…なにそれ頼んだ覚えないんだけど…。」
    「今回は不甲斐ない結果になって済まなかった。だが、次は絶対に!俺が守るからな!!」
    「つ、次って!そんな何回もこんな事があってたまるか!」
    「だから一松、お前の事を俺に守らせてくれ…!」
    「いや「だから」ってなんだよ、全然話繋がってないから…。つーか、さっきから俺の話聞いてる?」

    突然何なんだ。
    本当に何なんだよ。
    ダメだコイツ今完全に自分の世界だ。
    なんだよ守らせてくれって。
    成人過ぎた弟に言う台詞じゃねーわ。
    ふざけてんだろ。
    何が一番ふざけてるって、こんな事を言われて嫌な気がしないどころか嬉しいとか思ってしまった自分がふざけてる。
    え、なんでこんな心臓バクバクいってんの僕?!

    「一松。」
    「~~~っ」
    「もう俺は、あんな思いをするのはごめんだ。
    あの時、お前を失ってしまうのではないかと一瞬考えた…本当に、怖かった。
    帰ってきてからも…このまま目を覚ましてくれなかったら、と思うと恐ろしかった。」

    ゴツゴツした両手で両頬を包まれた。
    カラ松の指先はひんやりしていた。
    それとも僕の頬が火照っているのか。
    …前者だと信じたい。
    カラ松の目は真っ直ぐに、真っ直ぐ過ぎて苦しいくらいに僕を見据えている。
    ちょっと待てって。
    カラ松お前マジでどうした。
    何突然雄み増してんだよ。
    そんでもってなんで僕はそれにドギマギしてんだ。

    「だから、もう俺から離れるな、一松。
     お前を引き込もうとする悪しき魂も取り入ろうとする魂も何もかも俺が祓ってやる。
     取り入る隙がないくらいお前の心を埋めてやる。」
    「な…あ、アンタ…自分が何言ってるか、わかってんのか…?」
    「わかってるに決まってるだろう。」
    「そ、れは…告白なわけ?」
    「そうだな。」
    「…俺が、本気にしたらどうするつもりだよ…?」
    「むしろ本気にしてもらわないと困るんだが。」
    「いや、待てって…。アンタは単にあんな事があったから気がふれてるだけで…」
    「一松。」
    「っ!!」
    「もう一度言うぞ。もう俺から離れるな。」
    「わかっ…た…。」

    有無を言わさぬ視線でそんな事を言われたら、僕にはイエスと応えるしか選択肢がなかった。
    くそ、そんな真剣な目でなんて事言ってきやがるんだ。
    自分の心臓の音がうるさい。

    「言ったからには…絶対守れよな、クソ松…。」
    「ああ!望むところだ!」

    あー、うん。
    僕も大概馬鹿だよね。
    カラ松の言葉が死ぬほど嬉しいなんてどうかしてる。
    ほんとどうかしてる。

    「一松…キスしていいか?」

    だから!なんでお前は!!そう唐突なの?!

    「…いいよ。」

    そして!なんで僕は!!あっさりOK出しちゃったの?!

    触れてきたカラ松の唇は指先と同じくひんやりしてて気持ちよかった。
    クソ松てめぇ熱が下がったら覚えとけよ。

    ++++++++++++++++++++++

    13.

    チョロ松も一松も目を覚ましてくれた。
    これでようやく一安心だ。
    ほんと、真ん中2人の体質は困ったモンだね。
    今回は久々に俺もヒヤヒヤした。
    卓袱台に頬杖をついてぼんやりしていると、誰かが階段を降りてくる音。
    カラ松は買出しに行ってるし、十四松とトド松は近所の寺にもう少し強力な御札や御守りの作り方を相談しに出掛けている。
    一松はまだ熱が下がっていないだろうから、階段を降りるなんてことはしないだろう。
    となると、この足音はチョロ松だろうな。

    入口に目を向けると、予想通りチョロ松の姿。
    足取りも顔色も問題なさそうだ。

    「おそ松兄さん…。」
    「おー、おはよチョロ松。」
    「うん、おはよう…。」
    「どした?ンなとこ突っ立ってないでこっち来いよ。」

    トントンと畳を叩くと、チョロ松は大人しくそれに従って俺の隣に腰を下ろした。
    いつもより大分口数が少ないチョロ松の視線は、俺の肩に当てられたガーゼに注がれていた。

    「肩、痛む…?」
    「ヘーキだって。心配症だな~!」
    「でも…」
    「だーから見た目より全然大した事ないからって。」
    「……。」

    あーあ、黙り込んじゃった。
    なんか面倒なこと考えてるに違いない。
    え?なんでわかるのかって?
    そりゃぁ俺カリスマレジェンド長男様よ?
    可愛い可愛い弟が何考えてるかなんてお見通しなんですー。

    「…おそ松兄さん。」
    「んー?」
    「なんで、見捨ててくれなかったの。」
    「はい?」
    「いい加減嫌にならない?毎度毎度こんな面倒ごと引き起こしてさ、
     一松もそのせいで酷い目に遭って、十四松やトド松にも迷惑掛けて
     …おそ松兄さんに、こんな、怪我…させて…。それなのに、なんでみんな…。」

    ほら、すっげ面倒なこと考えてた。
    自分のせいで兄弟を巻き込んだって責めてるんだろう。
    ンなモン仕方ねーじゃんって開き直っちまえばいいのに、どうやらコイツはそれができないらしい。
    確かに霊媒体質な上に引き寄せ体質なチョロ松は霊的なトラブルをよく持ち込む。
    それに一番被害に遭うのは同じく霊媒体質で取り込まれやすい一松だ。
    実は一松自身はそこまでホイホイじゃなかったりするんだよな。
    チョロ松が連れて来ちゃったヤツが流れて来るだけで。
    で、一松が取り込まれてしまえばそれこそ兄弟総動員で除霊合戦となるわけだが。
    その事が余計にチョロ松の心に暗い影を落としている。
    自分がいなければ、だなんて柄でもない事を考えてるのだろう。
    そーゆー自傷系はお前の一つ下のキャラだろうが。

    ひとまず、あの屋敷にいた時におあずけになってたことだし…と、チョロ松を引き寄せた。
    油断していたのか、チョロ松の頭ははあっさりとボスンと音を立てて俺の胸の内に収まった。

    「ちょ…何して…」
    「なあ、チョロ松さ、『宿曜占術』って知ってる?」
    「え…?」
    「んー、いや、俺もそこまで詳しいわけじゃないんだけどさ、簡単に言うと東洋の27星座占いって感じ。」
    「…それが、何…ていうか僕の話聞いてた?」
    「まー、聞けって。その宿曜ってのはな、占星盤でそれぞれの宿との相性が距離で細かく決まってるんだよ。」

    例えば俺は「危宿」という宿。
    同じ生年月日の俺達六つ子全員がこの宿だ。
    この宿だと、参宿とか、亢宿の生まれの人と相性がいいらしい。
    まー、それは置いといて。

    「同じ宿同士の相性って「命の関係」って言われてるんだと。
     わかる?命の関係。この関係の人と出会う確率って、宿曜の数ある関係性の中で一番低い。
     でな、運命的な縁がすっごく深いんだと。
     滅多に出会うことがないけど、一度出会っちまうと強力な因縁が生まれて、なかなか離れなれねーの。」
    「………。」
    「つまりさ、俺達は生まれた時から命の関係にあたる人と5人も出会っちまってんの。
     そりゃあもうとてつもなく深い因縁だと思うわけよ。
     仮にお前を見捨てたとして、そんな事くらいじゃ簡単に切れやしない縁で結ばれてるんだよ。
     そもそも、俺はチョロ松を手放す気なんてこれっぽっちもねーよ?
     一生掴んで離さねーって勢いよ?
     …だから、うだうだ考えてないでもうこういう運命なんだって諦めろ。
     大丈夫、俺が何度でも助けに行ってやる。」
    「何それ…いきなりなに言い出すかと思えば…。」

    俺の胸元に顔を押し付けてるせいでチョロ松の声はくぐもっている。
    視線を落とすと、少しだけ耳が赤く染まっているのがわかった。
    頭を押し上げると、赤く染まった頬と薄く膜の張った潤んだ瞳。
    あ、すっげーそそる。
    もう絶対離してなんかやんない。

    「絶対に捨ててなんかやんないよ?
     泣いてお願いしたってしつこく付きまとってやるから。」
    「おそ松兄さ…」

    だって俺の相棒は今も昔もお前なんだからさ。
    どこかの知りもしない悪霊なんかに取られてたまるかっての。
    あ、そういえば異空間の屋敷にいた時にコイツにキスしようとして出来なかったんだっけ。
    続きは帰ってからしようと思ってたんだっけ。
    よし、ちゅーしちまえ。

    「チョロ松」
    「なに、おそま…んぅ?!」

    少し強引に唇を重ねた。
    面白いくらい跳ね上がったチョロ松の肩を抱き込んで逃がさないようにホールドしてやる。
    最初は抵抗していたチョロ松もやがて諦めたのか大人しくなった。
    かさついたチョロ松の唇を舐めて、吸い付くように。
    やべ、ちょっと止めらんないかも。

    結局、玄関の戸が開く音がして、買出しに出掛けていたカラ松が帰ってくるま甘ったるい口付けを続けていた。
    無理やりそれ以上の行為には及ばなかった事を褒めてほしい。

    後に、真っ赤な顔をしたチョロ松に思いっきり殴られたのはいうまでもなかった。

    ++++++++++++++++++++++

    14.

    チョロ松の話
    あれから色々あって、僕らは異空間ではない、実際の集落跡にやってきていた。
    本当は一松と2人で来ようと思ってたけど、兄弟に心配されて結局6人全員で来た。
    そこまで遠い場所ではなかったし。
    湖に佇む鳥居に一松と花を手向けて、2人で手を合わせて目を閉じた。
    湖は澄んだ空気に包まれている。
    あの澱んだ瘴気は今は全く感じない。
    血濡れ男こと、贄の少年の兄が無事に成仏したからだろう。
    正直言うと、僕はあの時このまま一緒に滅びてもいいと思っていた。
    取り憑かれて思考がぶっ飛んでいたのかもしれないけど、
    心の依り所にしていた弟を理不尽に奪われ、怒りのまま村人を襲い返り血で真っ赤になった着物姿の彼を
    救いたいと思ったのは紛れもなく僕の本心だった。
    憑かれた時に見えた彼の最期。
    虐殺を繰り返し我を失って暴れ狂うその人は最期には生き残った村人によって殺された。
    頭を殴られて、その衝撃で片目が潰れて。
    それでも自分が死んだことに気付けず、怒りのまま彷徨っていた哀しい魂はようやく怒りから解放された。
    天国では兄弟仲良くね、なんて。

    ーーー

    一松の話
    チョロ松兄さんと隣合って手を合わせる。
    なんだか不思議な気分だ。
    僕は此処で石の箱に詰め込まれていたのだが、ぶっちゃけどうやって箱の中に入ったのかは全く覚えていない。
    思い出したくもない。
    この集落に根付いていた儀式によって命を落としたその子は、後悔の念に支配されていた。
    あんなに慕っていた兄を恐ろしいと感じてしまった事、
    兄を悲しませてしまった事に罪悪感を抱いて、水底に沈むことが出来ずにその思いは浮かび上がって咽び泣いていた。
    僕が弟の霊に憑かれたのは、そういった兄弟に対する複雑に捻じ曲がった思いに共鳴したからだと思う。
    身体を貸して、兄への思いをぶちまける彼の言葉の中には、ほんの少しだけ自分の本音も混じっていた。
    本当に、ほんの少しだけど。
    僕はあんなに素直に思いを吐露することができないから、思いを吐き出す彼が少しだけ羨ましく思った。
    あの長い一晩の間にいろいろあったけど、結果的にこれでよかったんじゃないかな。
    これでいいのだ、なんて。

    ーーー

    「お待たせ。」
    「おう。2人とも気ぃ済んだか?」
    「うん。」
    「そんじゃ、帰るとするか!」

    6人揃って湖に背を向けた時、どこからか声が聞こえた。

    ーありがとう

    それに少しだけ笑って、けれど振り返ることはせずに集落跡を後にした。
    さて、帰ろう。



    end.

    ーーー


    蛇足の霊感松設定。

    おそ松
    見える・聞こえる・触れる・祓える。
    物理系チートその1。大抵のことは対処できる。
    塩を掴んで一殴りすれば大体除霊できてしまう。
    ただし、人に憑いた霊は祓うことが出来ない。
    基本的には傍観体制でいるけど自分達に降りかかる火の粉は払いたいので向かってくる奴には容赦しない。
    自分からは動かないが助けを求められたら必ず助けに来てくれる。
    圧倒的ラスボス感。

    カラ松
    見える・聞こえる・触れる・祓える。
    物理系チートその2。
    とりあえずブン殴れば大体除霊できるし、結界も破壊できる。
    おそ松同様、人に憑いた霊は祓えない。
    悪霊等を寄せ付けない体質。
    兄弟を守りたい。弟達は自分が守るという意識が強い。
    そのため近づいてくる霊はどんなものでも問答無用で祓おうとする傾向にある。
    兄貴は放っておいても大丈夫だろ、的な信頼という名の放置。

    チョロ松
    見える・聞こえる・祓えない。
    引き寄せやすい&霊媒体質。
    祓う力がないのに色々と引き寄せてしまうので
    おそ松と行動を共にする事が多かった。
    結界を張るのが得意な防御型。
    そこまで結界の力は強くないが日常的に張れるくらい長続きできる。
    おそ松が一緒だったり結界が得意だったりするので
    体質の割に引き寄せたのが一松へ流れるせいで取り込まれる事は多くない。(全くないわけではない。)

    一松
    見える・聞こえる・祓えない。
    誘われやすい&霊媒体質。
    動物霊に好かれやすい。
    最後を看取った猫が何匹か守るように守護してくれている。
    下級霊なら猫達が追い払ってくれる。
    ただ、霊とはいえ猫を傷つけたくないので
    自分からは滅多に使役しようとしない。
    チョロ松同様に結界が得意。
    チョロ松よりも強力な結界を張ることができるが長続きしない。
    霊に同調しやすいので兄弟の中で一番危なっかしい。

    十四松
    見える・聞こえる・触れる。
    野生的な勘が鋭く気配を察知するのが得意。
    兄弟の気配なら多少離れていても把握できる。
    人と区別がつかないくらいハッキリ見えているので
    幽霊とかそういうのはあまり気にしていない。
    無害な霊と悪霊の区別はなんとなく察せられるので
    ヤバイ奴には本能的に近づこうとしない。
    祓う力はないが、悪霊とか害のあるものを寄せ付けない体質。
    なので取り込まれやすい一松とよく一緒にいる。

    トド松
    見える・聞こえる。
    十四松と同様に気配を察知するのに長けている。
    お守りやお札等の呪具を作るのが得意。
    霊媒体質のチョロ松と一松に護符を定期的に手渡している。
    怖がりなため喩え無害な霊であっても絶対に自分から関わろうとしない。
    霊に狙われることもあるが、自分に近づいてきた霊は
    高確率でチョロ松や一松の方へ流れていってしまうので
    その辺は2人に申し訳ないな、とは思っている。
    自分だけで対処するのは怖くてできないので
    自分のせいでヤバイのが2人に向かってしまった時は大体おそ松に助けを求める。


    ーーー

    更に蛇足。

    ここまで読んで下さりありがとうございました。
    無駄に長い上に相変わらずの超展開で申し訳ございません。
    そして突然ぶっ込まれるおそチョロとカラ一!

    ちなみに、おそ松兄さんが話していた「宿曜占術」ですが、
    六つ子の宿はおそ松くんが発表された1962年で出しています。
    1962/5/24で占うと彼らは危宿です。
    ちなみに危宿の基本的な性格は以下のように説明されてます。
    (説明は「宿曜占星術光晴堂」様から拝借いたしました。)
    ーーー
    自分を偽らないイノセントな人。
    周囲の視線をさらうスタイリッシュな魅力に恵まれています。
    好奇心旺盛で新しいものが大好き。
    平凡を嫌い逆に風変わりなものを好む傾向が強く、その興味の対象もコロコロと変化します。
    知的思考が強く、精神の自由を何よりも尊重するあなたは、
    現実の行動より夢や幻想の世界を好む夢想家タイプです。
    不自由な安定よりも、不安定な自由を好む傾向が強く、
    それだけに楽なほうへ流されがちなのが欠点です。
    ーーー

    あながち間違っていないような…笑
    #BL松 #おそチョロ #カラ一 #年中松 #ホラー松

    1.

    そもそも、今日は出掛けるべきではなかったのだ。
    家で大人しくしていればよかった。
    しかし、だ。
    今日は隣町で推し中のアイドルの限定グッズの発売日だったのだ。
    何日も前から今日この日の為に金銭を準備して店舗を調べて万全にしてきた自分に、出掛けないという選択肢は残念ながら頭になかった。
    家を出た時に一瞬だけ背中にゾワリと感じた悪寒。
    あまりにも一瞬だったものだから、つい気のせいで片付けてしまった。
    自分の体質はよく理解していたはずだったのに。
    その体質のせいで、兄弟に度々迷惑を掛けてしまうことも分かっていたのに。
    いや、今更いくら後悔したって遅い。
    それよりも現状をどうにかしなければならない。
    何故こんな事になったのか、気持ちを落ち着けて整理するためにも順を追って思い出してみよう。

    ーーー

    目当てのグッズを手に入れて、上機嫌で帰路についていた僕は、
    家の最寄り駅前の大通りで見慣れた後姿を見つけた。
    細い路地から出てきたそいつは間違いなく一つ下の弟だ。
    おそらく彼の友人である猫達に餌をやっていたのだろう。
    時刻は午後5時半過ぎ。
    日没直後、西の空は未だ赤く太陽の名残を感じる。
    ちょうど「黄昏時」と呼ばれる時間帯だろう。
    一つ下の弟も家に帰るところのようだ。
    どうせ向かう先は同じなのだし、と、僕は丸まった背中に声をかけた。

    「おーい、一松ー。」
    「……ん。」
    「一松も今帰り?」
    「…ん。」

    一松は僕の声にゆったりと振り返り、言葉少なに返事をした。
    僕らの会話が少ないのはいつもの事なので別段気にしたりはしない。
    一松の隣に並んで、のそのそとした歩調に合わせて家を目指した。

    今日の一つ目の失敗が外出したことだとすれば、二つ目の失敗は一松と2人になったことだろう。
    少し考えれば分かることだ。
    そんなにアイドルグッズに浮かれていたのだろうか、僕は。
    そうだとしたらポンコツだと罵られる事も今だけ甘んじて受け入れよう。うん、今だけ。
    思えば、やたらとゆっくり歩く一松は暗に僕に「先に帰れ」と距離を取ろうとしていたのかもしれない。
    兄弟の中でも俊足の僕は普段の歩くスピードも速い方だ。
    対して、一松の歩調はいつもゆったりしている。
    のんびり歩く一松に一声掛けて、さっさと帰ってしまえば…
    いや、それだと一松1人だけが巻き込まれていた可能性も否定できない。
    結局何が正解だったかなんて今考えても仕方がない。
    何故一松は口に出して言わなかったのかって?
    口にしてたら気付かれてしまうからだ。
    うん?理解できない?
    そう。…なら少し非現実的な話をしよう。
    リアリストには到底理解出来ない内容だ。

    ーーー

    僕ら兄弟は霊感というヤツが人より優れていた。
    六つ子所以なのかどうなのかは分からないが、とにかく揃いも揃ってそういうヤツが視える。
    視えるし聞こえるし、長兄2人に至っては自分で祓う事も出来てしまうチートっぷりだ。
    何であのクズとバカにだけそんなチートなチカラがあるんだろう。
    全く以って腹立たしい限りだ。
    そんな霊能兄弟の中でも僕と一松は厄介な事に所謂、霊媒体質というやつだった。
    更に言えば、どうやら僕はそういう霊的なものを引き寄せてしまうらしいのだ。
    そして一松は、そういうものに誘われてしまいやすい。
    つまり、だ。
    霊媒体質な僕と一松が2人で並んで歩いていて。
    色々と引き寄せてしまう僕と一緒にいて。
    僕が意図せず引き寄せた「有り得ないモノ」に、誘われやすく取り込まれやすい一松が引き摺られてしまうのは最早必然的だった。

    ーーー

    大通りから逸れた人通りの疎らな道に入って数歩のうちに、視界が突然ぐらりと揺らぎ、
    気付けば僕らは朽ち果てた木造日本家屋が連なる集落跡のような場所にいた。
    先程まで赤く染まっていたはずの西の空は既に黒く塗り潰されている。
    薄暗い視界の中、月と星の微かな明かりだけが頼りだった。
    顔を右に向けると一松の姿があって、その事に少しの安堵を覚える。
    全然安心できない状況ではあるのだけど、とりあえず一松とはぐれなかったのは不幸中の幸いだ。

    「…やっちゃったね。」
    「うん、そうだね…ごめん、一松。」
    「別にチョロ松兄さんのせいじゃないでしょ…。」
    「いや…僕の不注意でしょ。」
    「…俺も油断してたし…。」

    さて、回想と僕らの奇特な体質のおさらいが終わったところで改めて現状を整理しよう。
    僕と一松はどうやら「神隠し」ってやつに遭って異空間に引き込まれたようだ。
    集落跡のようなこの場所、背後は鬱蒼とした森が続いている。
    目の前には崩れかけた廃屋が数軒。
    一応、田んぼや畑、あぜ道だった跡が見られる。
    田んぼに続く用水路らしき堀もある。
    こんな景色、明らかに近所に存在しない。
    家族に連絡を取ろうとするも、電話は繋がらないし、メールも宛先不明で戻ってくる。
    しばらく携帯を触っていたが、とうとう画面が文字化けしてしまい時間すら分からなくなってしまった。
    …マジかよ、困った。
    携帯の画面を眺めながら小さくため息を吐くと、不意に突然一松に強く腕を引かれた。
    そのまま一松は僕を引き摺りながら、朽ちた廃屋の影に身を潜めるようにしてしゃがみ込むと、僕の耳元で、小さく耳打ちした。

    「…なんか、いる…。」
    「え…。」

    一松のその言葉に廃屋の影からあぜ道を窺い、ゴクリと息を呑む。
    何かがうごめいていた。
    気味の悪さに思わず声を上げそうになる。
    寸でのところで堪えたけど。
    うん、本当によく堪えたよ僕。
    辛うじて人の形を留めているものの、そいつの首はどう考えてもおかしい方向に曲がっており、片目が潰れている。
    もう片方の目は虚ろに、しかしギョロギョロと何かを探すように辺りを見廻し、半開きの口は何か呻き声をあげていた。
    着物姿の男だと理解できたがその着物もどうやら血濡れだ。
    極めつけに、そいつを取り巻くどす黒い影からは無数の手が伸びていた。
    おそらくだけど、血濡れの男を中心に様々な悪霊が取り込まれて、一体化したのだろう。
    とにかく、あまりよろしくない類の霊である事は明らかだ。
    …これまでの経験上、異空間に引き込んでしまう程の力を持つ怨霊やら悪霊は、まず僕らでは歯が立たない。
    (長兄2人がいてくれたら話は別なのだが)

    おぞましい姿を目にしてしまった僕は、咄嗟に自分と、そして傍にしゃがみ込む一松の周りに結界を張った。
    引き寄せやすい&誘われやすい体質で霊媒体質な僕らはこれまでも結界で身を守ってきた。
    どうやって身に付けたかなんて覚えていない。
    ただ、自分の身を守る手段として、いつの間にか出来るようになっていた。
    正式に結界と呼んでいいのかどうかも分からないが、便宜上結界ということにしている。
    …ただ、僕が張れる結界はそこまで強力ではない。
    弱い霊くらいしか弾けない。
    普段生活する上ではこの程度で十分なのだが、今は少し頼りないかもしれない。
    力は弱いがその代わり疲れにくく、1日張りっぱなしでも問題ない。
    逆に一松の張る結界はとてつもなく強力だ。
    だがすぐにガス欠を起こし長くは保てない。
    僕のように1日張り続けたりしたら多分死んでしまうと思う。
    今のところ僕の結界だけを張っておいて、一松の強い結界はここぞという時に張ってもらおう。
    何が起こるか分からない。体力気力は温存しなければ。
    …しばらく一松と2人、身を寄せ合って息を潜めていたが、やがて血濡れ男の気配が去ったのを確認すると、今度は揃って盛大なため息を吐いた。
    ほんと、生きた心地がしなかった。
    割とこういうの経験するんだけど、何回体験しても慣れないものだ。
    慣れちゃいけない気もするけど。
    それよりも、早くここから出る手段を探そう。
    僕らは防御はできるが追い払ったり除霊したりは出来ないのだ。

    「兄さん、ごめん…。」
    「一松が謝ることじゃないだろ。とにかく出口を探そう。」
    「ごめん、ね...兄さん…。ごめんなさい…。」

    一松が僕の服の裾をギュッと掴む。
    謝罪の言葉を口にするその表情はひどく不安げだ。
    なんとか安心させたくて極力優しく笑いかけるも、一松は泣き出しそうな瞳で僕を見るだけだった。

    今日の僕の失敗のうち、
    一つ目が外出したこと。
    二つ目が一松と2人になったこと。
    そして、三つ目がこの時の一松の異変に気づいてやれなかったこと、だ。

    一松のあの謝罪は僕だけに向けられたものではなかったのだ。

    ++++++++++++++++++++++

    2

    迷い込んだ空間はもう随分前に住む人が居なくなったであろう集落跡だった。
    黄昏時に駅前でチョロ松兄さんに声を掛けられた時、すぐに気付いた。
    色々なモノを引き寄せてきてしまうこの一つ上の兄はまだ気付いていないようだったが、
    チョロ松兄さんの背後に、兄さんを虎視眈々と狙う黒い影を感じて、僕は思わず身震いした。
    え、チョロ松兄さん何で気付いてないの?
    …あ、なんか今日はいい事あって浮かれてるとか?
    いや、例えそうだとしても気付かないのはおかしい。
    黒い影が、チョロ松兄さんに気付かれないようにしているのだろうか。
    …兄さんには気付かれないように、その黒い影を睨みつける。
    僕はお前の事が見えているぞ、と主張するように。
    僕もチョロ松兄さんも霊媒体質という共通点があるが引き寄せやすいチョロ松兄さんに対して、
    僕はどういうわけか兄さんが引き寄せたヤツに取り込まれやすい。
    自分でも気づかない内に、本当にあっさりと霊に取り付かれているのだから、
    これまで兄弟に掛けてきた迷惑といったら星の数程と言っていいくらいだ。
    …それでも僕を見捨ててくれないあたり、みんなお人好しだよね。
    そんなわけだから、チョロ松兄さんに引き寄せられてきた霊達は、大体僕にとり憑こうとこちらに流れてくる。
    だから、今日兄さんが連れてきたヤツもそうだと思った。
    そいつが兄さんからターゲットを僕に変更して、こちらに近づいてきたところで、
    兄さんと距離を置けば被害に遭うのは僕だけで済む筈だ。
    …そう思ったのだが、今日に限ってチョロ松兄さんは僕のノロノロした歩調に合わせてゆっくりと肩を並べて歩いた。
    こうしている間にも、黒い影は兄さんを狙っている。
    狙いは兄さんのまま。
    どうやらこいつは僕より兄さんの方がお気に召しているようだ。
    まあ、引き寄せてしまうだけあって、僕の次に憑かれる事が多いのはチョロ松兄さんだから、
    こういう事態も不思議ではないのだけど。
    でもどうしよう。
    これじゃ兄さんから離れるわけにもいかなくなった。
    …なんて思っていたら、2人揃って神隠しに遭ってしまったのだ。

    ーーー

    あぜ道や畑を見回していると、夕刻にチョロ松兄さんと会った時に感じた黒い影の気配がして、
    思わず兄さんの腕を掴んで崩れかけた日本家屋の影に身を潜めた。
    なんだ、アイツ…ヤバイだろ、色々と。
    咄嗟に身を潜めた家屋の壁はボロボロで、壊れた壁から少し中を窺えた。
    土間に板の間、中央には囲炉裏。
    昔ながらの日本家屋って感じだ。
    異空間にしてはリアルな気がする。
    どこかを模しているのか、それとも実在する場所なのか。

    そんな事を考えていると、兄さんが結界を張ってくれたのを感じた。
    チョロ松兄さんの結界の中で、しばらく2人で息を潜めていると、血濡れの着物姿の霊はどこかに去っていった。
    …あいつ、絶対チョロ松兄さんに取りつこうとしてたヤツだろ。
    随分と気に入られちゃったみたいだね、兄さん。お気の毒様です。
    一体チョロ松兄さんのどのへんがそんなに気に入ったのか、こんな所にまで引き摺り込んで、大した執念だ。
    兄さんが連れて行かれそうな気がして、怖くなって思わず兄さんの服の裾を掴んだ。

    もっと早く何かできていたら、兄さんがこんな目に遭うことなかったのに。
    僕が、ぼくのせいで。
    ぼくのせいで、ぼくのせい…。

    「兄さん、ごめん…。」
    「一松が謝ることじゃないだろ。とにかく出口を探そう。」
    「ごめん、ね...兄さん…。ごめんなさい…。」

    ぼくが、いたから。
    そのせいで兄さんは。

    ぼくのせいだ、ぼくのせいだぼくのせいだ……!
    ごめんなさい、
    ごめんなさい、
    ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい

    ごめんなさ…あれ?僕何してたんだっけ?

    そうだ、チョロ松兄さんと神隠しに遭ったんだ。
    で、なんとか脱出方法を探そうとしてる。
    うん、そのはず。
    …あ、なんか気分悪い。

    「大丈夫?一松…。」
    「そっちこそ…酷い顔してるよ。」
    「うん…正直キツイ。」
    「だろうね…俺も吐きそう。」
    「歩けそう?」
    「…なんとか。兄さんは?」
    「僕も、なんとか。」
    「じゃあ、移動する?」
    「そうしようか…ここにいても仕方ないし。」

    2人してノロノロと足を引き摺るように歩き出した。
    この空間に長く居座るのは危険だ。
    なんだろう、瘴気?っていうのかな…。
    とにかく、嫌な感じがする。
    身体が重たいし、息苦しいし、頭痛も眩暈も吐き気もする。
    そしてそれは僕の隣を歩くチョロ松兄さんも同様らしく、
    今僕らは揃って青い顔をしているに違いない。
    チョロ松兄さんの結界のおかげでなんとか持ち堪えてるけど。
    動き回るのは危険だけど、じっとしていたって脱出はできない。
    何か帰るための手掛かりを探した方がいい。
    もしくは、兄弟になんとか連絡を取る手段を探すか、だ。

    ひとまず、あぜ道に戻り集落の入口らしき雑木林を歩いてみたのだが
    …何度やっても元のあぜ道に戻ってきてしまう。
    なんとなく予想出来てたけどね。
    完全に閉じ込められてるパターンだね。
    仕方なく集落の奥へと進んでみた。
    幅の広いあぜ道の右手側には廃墟と化した家屋が軒を連ねている。
    反対側は畑や田んぼ。
    そして、しばらく歩くと一際大きな屋敷があった。
    多分、村の権力者の屋敷とかだと思う。
    その屋敷の脇には細い道が続いており、水が引かれている。
    田んぼの方まで続く用水路のようだ。
    人が居なくなっても、用水路は未だに現役のようで、ちゃんと水が流れている。
    でも水には近づきたくないかな。
    水ってさ、そういうのが結構集まってきたりするんだよね。
    澱みを含んだ水は特に。
    清められた水は御神水とか呼ばれたり浄化の力もあるんだど、この水は澱みが酷い。

    「さらに奥に何かありそうだけど…。」
    「この水、あまりいい感じしない。」
    「同感。こういう川とかに溜まってたり流れてきたりするし、これ以上僕らだけで近づきたくないね。」
    「うん。…じゃあどうする、この大きい屋敷調べてみる?」
    「えぇ~…気が乗らないなぁ。」
    「でも調べられそうなの此処くらいじゃない?」
    「ちなみに一松、体力どのくらい残ってる?」
    「1時間くらいなら頑張って結界張れるくらいには残ってる。」
    「じゃあ、なんとか大丈夫そうかな。」

    「ほら。」と言ってチョロ松兄さんは手を差し出した。
    特に何も言わず黙って僕も自分の手を出すと、ぎゅ、と握られた。
    はぐれないように、ということだろう。
    成人男性が、しかも同じ顔した野郎が手を繋いでる様とか滑稽にも程があるが
    そんな事言ってる場合ではないし、突っ込んでくるようなヤツもこの場にはいない。
    集落の奥にそびえ立つこの屋敷はちょっとしたお化け屋敷よりも遥かに気味が悪かったが、意を決して僕らは中に踏み込んだ。

    ーーー

    中は典型的な武家屋敷といった感じで、やはり権力者の住まいだったのだろう。
    玄関のすぐ奥には八畳間、そのさらに奥には廊下。
    八畳の間の左隣には四畳程の小さな部屋。廊下の突き当たりには階段があるようだ。
    調度品はそのままになっているようで、古びた箪笥だとか、刀だとか、着物なんかも置かれていた。

    「一松!」
    「…!!」

    廊下に出ようとしたところで、長い廊下の向こうに広がる中庭に先程の血濡れ男と再遭遇した。
    アイツどんだけこの辺うろついてんだよ夢遊病かよ!
    あ、真っ当な夢遊病患者の方ゴメンナサイ貴方を貶す意図はなかったんですホントです。
    咄嗟に、普段から持ち歩いている御札をそいつに向かって投げつけ、僕とチョロ松兄さんは物陰に隠れた。
    御札がハラリと力なく床に落ちる。
    え、嘘だろ。御札が効いてない。
    想定外の展開に隠れながら僕も結界をかけた。
    体力が減るが仕方ない。

    「トド松お手製の御札が効かないとか…。」
    「これは…いよいよ僕と一松だけじゃ厳しいね。」
    「ん…。なんとか兄さん達と連絡取らないと。」
    「そうだな…。つーか、どのくらい時間経ったんだろう。」
    「わからない…。十四松かトド松が気づいてくれないかな…。」
    「弟に頼ることになるのは情けないけど仕方ないね。
     確かに、気づいてもらえるとしたら末2人だよね。」
    「それまであれから逃げ回らないといけないわけか…。」
    「うわぁ…やだよ僕アレとこれ以上エンカウントするの。」
    「俺もやだよ…。」
    「てかさ、アレがこの空間の主?」
    「…だと思うけど。」

    末弟のトド松は護符やら御守りやらといった呪具を作るのが得意だ。
    霊媒体質な僕らにお手製の御守りと、何かあった時の為にと何枚か御札を手渡してくれている。
    さっき僕が投げつけたのも、トド松が渡してくれたもの。
    …が、その御札がどうも効力を発揮していない。
    つまりはこの空間は少なくともトド松より霊力の強い存在がいるというわけで。
    いや、トド松は決して弱くないよ?
    むしろ強いよ?
    そのトド松が作ってくれた特製の御札が効かないってアイツやばくない?!

    その時、僕はおぞましい姿をした血濡れ男に気を取られていて気付かなかったのだ。
    ここら一帯を彷徨っていた、あいつ意外の存在に。

    ++++++++++++++++++++++

    3.

    一松と手を繋いで屋敷の中を探索中、また血濡れ男と遭遇してしまった。
    名前なんか知らないから、もう便宜上この呼び名でいかせてもらおう。
    一松が投げつけたトド松特製の御札が効かなかったことに衝撃を受けた。
    嘘だろ…これ、詰んだ?
    一松がやむを得ず結界を張ってくれたおかげで事なきを得たけども。
    …それにしても、さすが一松の結界だ。僕の弱い結界とは息苦しさが全然ちがう。
    けど、いつまでもかけておくわけにはいかない。
    体力は温存しとかないと。
    一松はただでさえスタミナがないのだ。
    僕も人の事言えないけど。いや、一松よりはマシだけど。
    ヤツの気配が消えたので、一松には結界を解いてもらい、再び僕の結界のみになった。
    身を寄せ合うようにして隠れていた物陰から出て、同時に小さく溜息を吐いた。
    一松の顔は青いを通り越して白く見える。
    僕もきっと似たような顔してるんだろう。

    「あれ、そういえば一松。」
    「…何。」
    「今日は猫連れてないの?」
    「連れてない。…ていうか、チョロ松兄さんに会った時に帰した。」
    「そっか…。なんかごめん。」
    「いや…猫達がこんな所に巻き込まれずに済んだし、いいよ。」

    一松はよく猫に囲まれている。
    生きてる猫はもちろん、猫の霊も寄ってくる。
    猫の霊達は単純に寂しかったり、遊んでほしかったり、生前も一松に可愛がってもらったりという理由で集まってくるらしい。
    動物霊、特に猫霊に好かれるのもこの四男の特徴だ。
    いつもは猫の霊を何匹か連れていたりして、その子達が一松を守ってくれたりもするのだけど、
    一松は霊であろうとそのせいで猫達が傷付くのを酷く嫌がる。
    だから今日の帰り道、僕が声を掛けて、引き込まれる直前に猫霊達を自分から引き離したというわけか。
    一松からすれば特に守護霊というわけでもなく、普通の野良猫と同じような感覚で世話をする対象なのだろう。
    昔に比べると随分と卑屈になったけど、こういうところは優しいままなんだな、なんて。

    ーーー

    しばらく屋敷をうろついていたが、2階のとある部屋で足を止めた。
    どうやら書斎のようだ。
    中に入ると、触れただけでボロボロになりそうな書物が積み上がっていた。
    一松と繋いでいた手を離して、その中の一つを手に取って開いてみる。
    達筆なのかそうじゃないのかよくわからない字で、ほとんど読み取る事は出来なかったけど
    1箇所だけ読み取れた部分があった。
    「瓶宮湖ノ儀」
    多分、へいきゅうこのぎ、と読むのだと思う。
    少し読み進めてみれば、瓶宮湖はこの集落の最奥部にある湖のようだ。
    かつてはこの集落の人々の生活を支える資源だったのだろう。
    この屋敷に入る前に見えた用水路と細い小道の先にあるらしい。
    その湖はこの集落の人々にとって、命の源であり、聖なるものだったようだ。
    海や湖などの水そのものを御神体として崇拝の対象とするような信仰はたまに聞くことがある。
    この集落にも、地域独自の信仰として湖崇拝の文化が根付いていたらしかった。
    そして、その聖なる湖で神事も行われていたようだ。
    それが瓶宮湖ノ儀か。
    儀式の内容までは読む気が起こらなかった。

    読み物はこのへんまでにしておこう。
    というか、これ以上は僕では無理だ。
    呪具作りが得意なトド松なら、読めるのだろうけど。
    元々資料整理はそこまで苦手なわけではないのだけど、それはあくまでも落ち着いた状況の場合であって、
    こんなSAN値がすり減りそうなところで、やりたくはない。
    まあ、この集落の最奥にある湖が聖なるものだということは分かった。
    …けど、湖に繋がっているであろう水路から感じたのは決して清浄なものではなかった。
    むしろ、その逆だ。
    とすると、湖が穢れてしまったせいでこの辺りに重苦しい瘴気が溢れたのか。
    もしくは、瘴気のせいで湖が穢れてしまったのか…。
    うーん、やっぱり湖に行ってみた方がいいかな。
    大分危険な気がするけど。
    少なくとも何かヒントはありそうだ。

    「一松、ひとまずこの屋敷から出…一松?」

    振り返り、一つ下の弟を呼んだが後ろにいると思っていた一松の姿がなかった。
    青白いであろう自分の顔が更に青ざめていく気がした。
    いついなくなったんだ?

    「おい、一松?!一松っ!どこだ?!」

    慌てて部屋を出て辺りを見回すも、姿は見えない。
    何処へ、何処へ行った?
    どうして僕は気づけなかった?!
    早く見つけなければ。こんな所に1人など危険過ぎる。
    一松にとっても、僕にとっても。

    探さないと、探さないと。
    あんなのでも弟だ。
    僕の大切な弟の1人だ。

    だから、連れていかないで。
    弟を返して。
    返して
    返せ、かえせ

    かえせ、
    かえせかえせ、
    かえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせ!!



    …あれ?僕は何をしようとしてたんだっけ?
    ああそうだ、一松を探さないと。
    弟を、かえしてもらわないと…。

    おとうと、おれの、おとうとを

    どこに、どこにやった?
    どこにかくした?

    待って、僕じゃない…これは…。


    ゆるさない

    ゆるさない


    ゆるさない

    おとうとを、かえせ



    むかえに…いくから


    ++++++++++++++++++++++

    4.

    「トド松ー!!」
    「ぐふぅっ!じ、十四松兄さん…。」
    「消えた!気配が!!」

    夕日が沈んで町の街灯が点き始める頃、僕は最近知り合った女の子とLINEをしていた。
    けど、スマホをタップしていた時、不意に何かが抜け落ちるような感覚を覚えたのだ。
    その不思議な感覚には心当たりがあったから、適当に理由を付けてLINEを切り上げ、
    目を閉じて意識を集中…させようとしたところで十四松兄さんのタックルをモロに喰らったのであった。
    兄さんからすれば軽くじゃれついた程度なのだろうけど。
    もう少し下に入ってたら腹に直撃して3時のおやつをリバースしてたかもしれない。

    …僕達兄弟はどういうわけか「そういうもの」が見えるし感じることが出来る。
    僕にとっては、怖いのとか無理だし、全くもって勘弁してほしい話だ。
    ホント、何が悲しくてあんなの見えなきゃならないの。
    上の兄2人のように祓える力があればまだ怖くなかったかもしれないけど
    …いや、やっぱり無理だ怖いものは怖い。
    で、その中でも僕と十四松兄さんは感じる力が特に強い。
    探索系とでもいうのかな。
    意識を集中させれば、どの辺りにどんな霊がいるのか大体分かる。
    六つ子故なのかどうかは知らないけど、僕ら兄弟の気配もなんとなく分かるくらいだ。
    そして、その十四松兄さんが「気配が消えた」と言っている。
    僕も、さっき何かが抜け落ちたような感じがした。
    これは、ほぼ間違いなく…

    「チョロ松兄さんと、一松兄さん?」
    「うん!!どこかに引き込まれちゃったかも!」
    「十四松兄さん、兄さん達の形跡、追える?」
    「んーと、やってみる!」
    「お願いね。僕はおそ松兄さんとカラ松兄さん呼んでくるから。」
    「おう!頼んだトッティー!!」

    十四松兄さんは「行ってきまーッスルマッスル!」と叫びながら、勢いよく飛び出して行った。
    それを見送って、僕は長兄2人に連絡を入れる。
    LINEやメールでもよかったけど、緊急性を考慮して電話をかけた。
    おそ松兄さんに掛けると、3コール目で聞き慣れた声がした。
    電話の向こうで騒がしい音が聞こえる。
    大方パチンコだろう。

    「トド松か、どしたー?俺今忙しいんだけどー?」
    「あ、おそ松兄さん!チョロ松兄さんと一松兄さんが神隠しに遭ったっぽい!」
    「…場所は。」
    「今、十四松兄さんが形跡を追いかけてくれてる。」
    「わかった。カラ松は?」
    「今から連絡するところ。」
    「りょーかい。とりあえず家帰るわ。」
    「うん、お願い。」

    通話を終えて、同様にカラ松兄さんにもコールする。
    要件を伝えると、カラ松兄さんも声色を変えてすぐに戻る、と言ってくれて、通話を切った。
    おそ松兄さんもカラ松兄さんもちょっと怖かったよ。
    兄弟が危険な目に遭ってるかもしれないのだから気持ちは分かるけど。
    …けど、あの2人はそれだけじゃないんだろうな。

    チョロ松兄さんと一松兄さんは霊媒体質だ。
    しかもチョロ松兄さんはいろんなのを引き寄せてきちゃうし、
    一松兄さんはその引き寄せられた奴にあっさり取り込まれちゃうしで、
    僕らの中でも特にあぶなっかしくて注意が必要なのが真ん中の兄さん達。
    そんな兄さん達に、僕は定期的に御守りや護符を渡している。
    僕には祓う力なんてないし、結界を張ることだってできない。
    このくらいしか出来ることがないから。
    気休めかもしれないけど、兄さん達が僕が作った呪具をちゃんと持ってくれているのはちょっぴり嬉しかった。

    しばらくしておそ松兄さんとカラ松兄さんが帰ってきた。
    急いで帰って来てくれたのだろう、呼吸が少し乱れている。
    兄さん達に何か声を掛ける前に、タイミングを計ったかのように、僕のスマホが振動した。
    十四松兄さんからだった。
    短いメッセージで
    「駅からの帰り道、大通りから曲がった所!」
    と記されている。
    それを長兄2人にも見せて、3人で駆け出した。
    長兄2人の走るスピードに必死で食らいつくように、僕も走った。
    というか、兄さん達さっき散々走っただろうにまだ走れるとか化け物なの?!
    …あ、化け物だったわ。こいつらチートだったわ。
    はあ、こんなに走ったのいつ以来だろう。

    駅に向かう途中の道で、僕らは十四松兄さんと合流した。

    「この辺りなんだな?」
    「うっす!この辺で気配が途切れたから、多分!」
    「よし、トド松。空間裂けそうな所探してくれ。」
    「分かった。…あ!!」
    「どうした?」
    「御札が使われたみたい!」

    そう、僕が兄さんに手渡した御札が使用された気配を感じたのだ。
    僕が作って、僕の霊力を込めた御札だもん、使われれば分かる。
    しかも、相手に効かなかったようだ。
    つまりチョロ松兄さんと一松兄さんは、僕の持つ霊力よりも強い悪霊(かどうかはまだ分からないけど)に引きずり込まれてるってことになる。
    なかなかの強さってことだよね。
    …真ん中の兄さん達大丈夫かな。
    ともかく、チョロ松兄さんか一松兄さんのどちらか知らないけど、御札を使ってくれたおかげで、空間の裂け目が分かりやすくなった。

    「カラ松兄さん、この辺殴ってみて。」
    「ああ、分かった。」
    「御札使われたんなら倒せたんじゃね?」
    「ううん、倒せてない。無効化されたっぽい。」
    「おいそれヤバくないか。」
    「うへぇー!トッティの御札が無効化されちゃうとかヤッべーー!!」
    「急いだ方が良さそうだな。行くぞ。」

    いつものイタさがログアウトして、いつもより声が幾分低い(そして怖い)カラ松兄さんの渾身のパンチが、何も無いはずの空間に向かって振り下ろされる。
    普通なら単に空振りするだけのはずのそれは、何かにめり込んでバリンッと音が鳴った。
    音の出どころへ顔を向ければ、無理やり破かれた空間の裂け目が眼前に広がっていた。
    途端に、裂け目から溢れる瘴気。
    …うわ、気持ち悪い。
    真ん中の兄さん達、いつからここに閉じ込められているんだろう。
    早く見つけないとヤバイかも。
    同じ事を兄さん達も感じ取ったのだろう。
    顔を上げると、十四松兄さんは珍しく口を閉じてじっと1点を見つめているし、
    カラ松兄さんは眉間に皺を寄せて人殺せそうなくらい険しい顔をしているし、
    おそ松兄さんは怖いくらいの無表情だし。

    …そんな中、おそ松兄さんが口を開く。

    「っし。そんじゃ手の掛かる真ん中共を迎えに行くとしますか。
     …一応聞くけど、みんな来るつもりだよな?」
    「当たり前だろう。」
    「うっす!兄さん達探す!」
    「僕も行くよ!ちょっと怖いけど、探し物は僕の得意分野なんだからね。」

    僕らの言葉に、おそ松兄さんは満足そうに頷いた。

    「そんじゃ、突撃ー!」

    目は全然笑ってないクセにやけに明るいおそ松兄さんの掛け声を合図に、
    僕らは一斉に空間の裂け目に飛び込んだ。

    ++++++++++++++++++++++

    5.

    トド松から報せを受けて、急いで家に帰り、
    十四松とトド松が見つけてくれた異空間への入口をカラ松がぶん殴って無理やりこじ開けて、中に突撃した。
    ハイこれ今までの経緯ね。
    ほんとはあの時、あのスロットフィーバーしかけてたんだけど、まぁ仕方ない。

    異空間は集落跡のような場所だった。
    目の前には大きな武家屋敷。
    田んぼや畑の周りには民家らしき日本家屋も見受けられる。
    そして、辺り一帯に漂うヒンヤリとした嫌な空気と瘴気。
    こりゃまた厄介なモンに巻き込まれやがったな、あいつら。

    「十四松、トド松。あいつらの気配追えそうか?」
    「うぅ~…いろんなモノにジャマされて、追えない…!ヘンなにおいする!」
    「ごめん、僕も無理…なんか、気持ち悪…。」
    「まずいな、俺達もあまり長居は出来そうにないぞ。」
    「分かってる。…しかたねぇ2手に別れるか。
     トド松は俺とな。カラ松は十四松と頼むぜ。」
    「フッ…了解、確かに頼まれたぜ兄貴。」
    「ウィッス!兄さん達絶対見つけるッス!マッスルマッスル!!」

    カラ松、こんな暗闇でサングラスはやめた方がいいと思うぞ。
    あと十四松、バット振り回すの止めような。それどこから持ってきた?
    そんな中、トド松があまりの瘴気に口元を手で覆っている。
    本気で気持ち悪いんだろーけど、こんな時まであざといポージングなのはさすが末っ子歪みねぇな。
    …正直、この瘴気は俺も結構キツイ。
    カラ松と十四松は悪霊とかそういう害のあるものは寄せ付けない質だから
    幾分か大丈夫そうだけど、それでも霊感持ってる限りは影響が全くないとは言い切れない。
    早急に真ん中2人を見つけて、この空間をなんとかして帰る必要がある。

    「いいか、身の危険を感じたら絶対に逃げろよ?
     ミイラ取りがミイラになっちまったら元も子もねぇからな。」
    「分かってる。兄貴も気をつけろよ。」

    カラ松と十四松と別れて、俺とトド松は目の前の大きな屋敷を調べることにした。
    本来、十四松とトド松は霊や兄弟の気配を追うのが得意だ。
    感知に関しては兄弟の中で最も優れているし、トド松は特にコントロールも上手い。
    そのコントロール力があるから呪具を作ったりできるのだ。
    …しかし今は、瘴気や周りに漂う地縛霊だったり浮遊霊だったりが邪魔なせいで、気配を上手く追えない。
    だから虱潰しに探すしかない。
    俺は除霊したりとか、攻撃する事に関しては結構な強さだと思うんだけど、
    こういう、他のことに関してはてんでダメなんだよね。

    ーーー

    屋敷はそれなりの広さがあった。
    怖がりなトド松が震え上がっているのがわかる。
    うん、確かに不気味だよな。
    古びた刀やら人形やらがそのまま放置されてるし、正に王道ジャパニーズホラー。
    屋敷内をウロつく悪霊の群れを祓いながら、マジでお化け屋敷だわーなんてわざとらしくゴチて歩みを進めていると、
    広い部屋から廊下に出たところで、トド松が小さく声をあげた。

    「…あ。」
    「どした?」
    「チョロ松兄さんと一松兄さん、此処に居たのかも。」
    「お、マジで?」
    「結界の気配がしたから。しかも結構強いよ。一松兄さんが結界張ったのかな。」
    「ふーん…お。トド松、それ間違いなさそう。」
    「え?」
    「これ、見てみ?」
    「あ!」

    長い廊下に面した中庭に落ちていたのは、トド松お手製の御札。
    もう効力は無くなっているようだけど、末弟が三男と四男に持たせたモノに間違いなさそうだ。
    ここで居なくなった2人のうちどちらかが御札を使って、
    しかし相手に効かなくてどこかに逃げた、ってところだろう。
    トド松に効力の切れた御札を手渡した。
    それを受け取り、トド松は御札を握り締めて悔しそうに唇を噛み締めている。
    …そりゃ、悔しいだろうな。
    手渡した御札が効力を発揮出来ずに、真ん中2人を守りきれなかったのだ。
    でも馬鹿だな、トド松の作る御守りが普段どんだけ年中組を助けてると思ってんだよ。
    言っておくがこんなのは例外中の例外だ。
    だからさ、

    「トド松、お前のせいじゃねぇよ。ちょーっと相手が悪かっただけだ。」
    「……うん。」
    「ほらほら、落ち込むのは後な?今やらなきゃいけねぇこと、わかるよな?」
    「わかってる!」

    少し拗ねたように声を荒らげて、トド松はキツく目を閉じた。
    何かに集中するように。
    実際、集中しているのがわかったから声は掛けずに静かに見守った。
    うん、切り替えが上手いのは流石だよな。

    「上の階。」
    「りょーかい、行くか。」

    此処で感じ取った結界と落ちていた御札から気配を辿ったのだろう。
    キッパリと言い切った末弟の言葉に従い、階段へと足を向けた。
    迷いなく進んでいくトド松を追うと、たどり着いたのは書斎のような部屋。
    末弟曰く、此処でチョロ松と一松の気配が途絶えているらしい。
    こんな屋敷のド真ん中で気配が途切れてるってどういうこった。
    …と、気付くとトド松が部屋の中の書物?っていうの?を物色し始めていた。

    「何してんのトド松。」
    「この屋敷、集落の権力者の家っぽいじゃない?
     なんか、この集落についての記録がないかなって思って。
     何か手掛かりあるかもだし。」
    「そりゃそうだろうけど…俺、そういうの手伝うの無理よ?」
    「わかってるよ、その辺に関してはおそ松兄さんには期待してないから。」
    「さり気なくお兄ちゃんのこと馬鹿にするの止めてくんない?」
    「あっ、これ見て!」
    「無視かよオイ。」

    トド松後で覚えてろよ。
    と内心で思いながらトド松が開いて見せた書物をのぞき込む。
    うん、なるほどわからん。
    読めるかよこんなモン!
    トド松は御守りやら御札やらを作ってるせいか、古い文献を読み解くのがやたらと上手い。
    俺にはミミズが這った跡にしか見えないけど。

    「…何て書いてあんの?」
    「この集落の信仰と儀式の記録。」
    「信仰?」
    「うん。この集落、実在した場所みたいだよ。
     集落の奥にある湖を御神体として崇拝してたみたい。」
    「へえ…地域独自の信仰ってやつか。」
    「で、湖…瓶宮湖っていうらしいけど、そこで神事もやってたみたいだね。」
    「神事って?」
    「この集落…生贄の習慣があったみたい。」
    「…マジか。」
    「何年前かは分からないけど、農作物が不作だった年があって、
     村を救うために生贄を差し出して儀式を行うとかなんとか書いてる。
     儀式の決定の記録から先は何も書かれてない。」

    村を救うために儀式が執り行われたものの、それで突然村が安泰になるわけがない。
    集落は農作物の不作によって飢饉に陥り壊滅した。
    この辺りは、飢饉により命を落とした者達が無念の思いと共に彷徨っているのではないか、というのがトド松の推測だ。
    なるほどな。
    トド松の推測は概ね間違ってないと思う。
    …けど、なんとなくそれだけじゃないような気がする。
    農作物の不作やら儀式やらは関係してそうだけど。
    いや、これはただの勘。

    「トド松、その儀式ってどんなものか書いてる?」
    「書いてる。
     …生贄の神子を石棺に生きたまま閉じ込めて、湖に沈めるんだって。」
    「うわ、えげつねぇな。」
    「ほんとにね…。
     湖が聖なる物だから、そこに贄を捧げて祈祷するってことじゃないかな。」

    さて、この集落の事情は少しわかった。
    ちょっとタイムロスになったが、興味深い情報だ。
    しかしこれ以上ここには何も無さそうだし、俺達は屋敷から出ることにした。

    ーーー

    書斎から出て、玄関に向かった時だ。
    ゾワリ、と凍るような悪寒が背骨を突き抜けた。
    トド松が「ヒッ」と小さな悲鳴をあげて俺のパーカーの裾を握ったのがわかった。
    何かが近づいている。
    どす黒い影を引き摺った、おどろおどろしい何か。
    しがみつくトド松が震えている。
    安心させるように肩をトンと叩き、玄関前の生垣の陰に隠れるように促した。
    何者か知らねぇけど、いっちょお兄ちゃんが祓ってやりますか。
    ゆっくりと近づいてくる黒い影に飲み込まれないように、意識を集中させる。
    グッと右の拳を握りしめて、そいつと対峙した俺は、動きを止めて目を見開いた。
    黒い影を引き摺ったそいつは、見慣れた緑色のパーカーを身にまとっていた。
    思わず固まった俺に向かって、そいつが腕を振り上げる。
    その手には錆び付いた日本刀。
    ってオイ?!
    なんちゅー物騒なモン振り回してんだよ!
    なんとか避けて距離を取ったけどマジヒビったっての。

    「おいおいチョロちゃん…
     折角お兄ちゃんがお迎えに来てやったってのにさぁ、それはないんじゃない?」

    「かえせ、かえせかえせかえせかえせ…!」
    「あー、ダメだなこりゃ…。」

    姿を確認した時点で察しは付いていたけど、完全に憑かれてる。
    乗り移られたチョロ松の目は虚ろで焦点が定まっていない。
    片目が黒い影に覆われいた。
    うわ言のように「かえせ」と繰り返し、刀を振り回しながら…涙を流していた。
    ふらつく足取りでこちらに向かってくるチョロ松の周りを黒い影が覆い、
    そこから無数に伸びた手やらギョロギョロした目やら顔やらが伸びている。
    さっさと祓ってやりたかったが、1つ問題がある。
    俺は確かに祓う力は強いのだけど、人に憑いてる奴は祓えないのだ。
    だから一旦、取り憑いたヤツから引き剥がす必要がある。
    そのためにも、まずはチョロ松が手にする日本刀をなんとかしないといけない。

    「チョロ松、何を返してほしいんだよ?」
    「かえせ、かえせ…ゆるさない、ゆるさないゆるさない」
    「っと!」

    チョロ松が日本刀を振り下ろし、ブンッと空気を割くような音が鳴った。
    俺の前髪が数本切られて、ハラリと落ちる。
    うわ流石に肝が冷えたぞコレは。
    思った以上に動きが俊敏だ。
    しかも本気で叩っ切ろうとしてきやがった。
    元よりチョロ松はスピードに関しては兄弟随一だし、スタートダッシュからフルパワーになるまでの時間が極端に短い。
    スタミナがそこまでないから持久走ならこちらにも勝機があるのだが、いまこの状況で持久戦は危険過ぎる。
    …隙をつくしかないな。

    チョロ松と一定の距離を保ち、次に刀を振り上げるタイミングを待つ。
    再び右手が振り上げられたのを見逃さず、懐に飛び込むと、
    すかさず右手に握られた日本刀をたたき落とし、胸ぐらを掴んで引き寄せ、鳩尾に拳を叩き込んだ。
    少々手荒だが許してほしい。
    不意打ちは上手くいったようで、チョロ松の身体から力が抜けるのがわかった。
    気を失って崩れ落ちたチョロ松を受け止める。
    鳩尾にパンチした衝撃で、取り憑いていたヤツは離れたようだ。
    ゆっくりとチョロ松を横たえて頭を膝に置き、頬に伝う涙をそっと拭った。
    一体どこのどいつが、こいつにこんな顔させやがった。
    …と、生垣に隠れながら様子を見守っていたトド松が、慌てて駆け寄ってきた。

    「おそ松兄さん!」
    「あー、久々に肝が冷えたマジで。」
    「チョロ松兄さんは?」
    「多分、気を失ってるだけだろ。」
    「そう…よかった。」

    異空間に飛び込んだ以上、この空間を作り出している元凶をなんとかしなくては脱出は難しい。
    さっきまでチョロ松に取り憑いていたやつがそれっぽいけどなー。
    取り逃がしちまったけど、チョロ松を取り戻せたのは幸いだ。
    大きくため息を吐いて抱え込むようにして二つ下の弟の頭を抱きしめた。
    固く目を閉じたまま青い顔をしたチョロ松はしばらく目覚めそうにない。

    ーーー

    結局、チョロ松を連れて俺とトド松はさっきまでいた屋敷にUターンした。
    衰弱したチョロ松を休ませるには屋内の方がいいだろうし、
    この際トド松にも調べ物の続きをしてもらおうって事で、俺達は書斎へと戻った。
    比較的綺麗な畳の上にチョロ松を寝かせて、俺は近くにあった机に肘をついてその寝顔を眺めていた。
    トド松がガサゴソと文献を漁る音以外は何も聞こえてこない。
    チョロ松へと手を伸ばす。
    癖のない前髪をそっと撫でる。
    温度を失った頬にそっと触れる。
    …起きない。
    頬に触れた手はそのままに、ゆっくりと顔を近づける。
    微かに呼吸する音が聞こえてきた。
    その事にひどく安心した。
    互いの鼻が触れてしまいそうなくらい、更に顔を近づける。
    もう少しで、唇に触れてしまいそうなくらいに。

    「…いや、何やってんだ俺…。」
    「おそ松兄さん?どうかしたの?」
    「なんでもー。」

    やめとこう。
    こんな所で、しかも寝込みを襲うような真似。
    チョロ松が起きて、ちゃんと全員無事にここを出られたらだ、うん。

    ちなみに、俺のキス未遂は末弟にしっかりと見られていた。
    …と、後日知った。

    ++++++++++++++++++++++

    6.

    「さて、何処から迷子の子猫ちゃんを探すとしようk「えっ?!」えっ。」
    「いや…どこか怪しい所はあるか?十四松。」
    「んーと、多分こっち!」
    「ん?水路の方か?」
    「そう!なんかいろんなにおいがしてやべー!!」

    行方知らずになったブラザーを探して異空間に飛び込んだはいいが、
    どうやら此処は悪しき魂に支配され、不浄な気で満ちているようだ。
    気配を察知するのが得意な十四松が、チョロ松や一松の気配を上手く辿れないくらいには、様々なモノが蔓延っているらしい。
    ちなみに十四松はこういった気配を「におい」と称している。
    この異質な空間の中、いつもの明るい調子を崩さない十四松のなんと心強いことか。
    そもそも、俺も十四松も、悪霊だとか怨霊だとかこちらに害を為すモノは寄せ付けない体質らしいのだ。
    だからこの異質な空間の中でも割と自由に動ける。
    十四松が野生の勘で指し示した方向からは如何にもな雰囲気が漂っていた。
    だからこそ、此処に来てから気分が優れない様子だった兄貴や、明らかに青ざめた顔をしていたトド松よりも、
    影響の少ない俺達が調べるべきだろう。

    「それじゃ、行くとするか。先導は任せたぜ、ブラザー!」
    「あいあい!」

    水路に沿った細い道を進む。
    道中襲い掛かってくる悪霊を祓いながらひたすら歩いた。
    前を歩く十四松はいつも通りだが、周りはしっかりと警戒してくれている。
    …俺と兄貴は兄弟の中でも除霊ができるという強みがあるが、実は他の事は何もできない。
    年中2人のように結界を張ることも、末2人のように気配を察知して追うこともできない。
    ただ己の拳を奮って攻撃するのみなのだ。
    そう、いうなれば俺は剣…自らの身を武器に己が拳に宿る聖なる力をもって道を切り拓くのだ。
    俺とおそ松、上2人が除霊が出来るのは、きっとそうして弟達を守るためだ。
    「そういうモノ」が視えて、聞こえて、引き寄せやすかったり、誘われやすかったり、
    感じ過ぎて怖がる弟達を守るため、聖なる浄化の力があるのだと思っている。
    だから待っていろ。
    必ず俺が助けに行くからな。

    「カラ松兄さん!トンネルだ!水路まだ続いてるよー!」
    「そうだな…トンネルというより、天然洞窟か?」
    「この奥!」
    「うん?」
    「この奥にいるよ、一松兄さんがいる!たぶん!!」
    「そうか!なら急ごう。走るか!」
    「うっす!僕走るのすっげー速いよ!」

    細い道を進むと、洞窟の入り口までたどり着いた。
    洞窟の中へと水路は続いているようだ。
    こんな不気味な集落跡の奥に佇む洞窟…さながら冥界へと伸びるバージンロードのようだ。
    おっと、いくらバージンロードとはいえ、半透明で足のないレディーと腕を組んで進むのは、さすがの俺でもノーサンキューだな。
    …その洞窟はさほど長いわけではないようで、漆黒の闇の中、遠くに微かな光が漏れているのを確認出来た。
    十四松が「この先に一松がいる」と言っているのだ。
    きっとそうなのだろう。
    はやる気持ちを抑えて、十四松を追って走った。
    洞窟の内部は道は無く、水路のみだ。靴もジーンズの裾も濡れたが気にしない。
    派手な水しぶきを上げて前を走る十四松のスリッパと靴下もずぶ濡れだ。

    …洞窟を抜けた先は湖だった。
    湖面に月明かりが反射して煌めいている。
    辿ってきた水路はこの湖から引かれていたようだ。
    洞窟から湖へ向かっていくつか鳥居が立っていて、湖と陸の境にそびえ立つ鳥居は特に巨大だった。
    その巨大な鳥居の下には石で作られた精巧な箱が置かれている。
    縦も横も高さも1m前後くらいだろうか。
    箱の半分程は湖に浸かり、今もゆっくり、ゆっくりと沈んでいっていた。

    「…!!
     カラ松兄さん!こっち!!」

    珍しく焦った表情の十四松が湖に向かって走り出したかと思うと、水底へ沈みつつある石の箱に手をかけた。
    服が濡れるのを厭わずに陸の方へとズリズリ引っ張り上げようとしているようだ。

    「十四松?」
    「うおおぉりゃあぁぁ!!」
    「よ、よくわからんがコレを引き上げればいいんだな?!」

    2人掛かりでずっしりと重たい石の箱を陸地へと引き上げた。
    俺も十四松も靴とかズボンとか、もうすっかり水を吸って色が変わっている。

    「ふう…一体どうしたんだ、十四ま…」
    「カラ松兄さん!これ!開けて!!早く!!」
    「え…わ、わかった。」

    言われるがまま、箱の上部、蓋のようになっている箇所を持ち上げた。
    石と石が擦れる重たい音が響く。

    「…っ?!」

    「兄さん!!」
    「一松?!…一松!おい、しっかりしろ!」

    蓋を開けてみれば、石の箱の中には探していた弟の姿があったのだ。

    一気に自分の体温が下がったような気がした。
    実際下がったんじゃないか、一度くらいは。
    それ程に背筋が凍った。
    箱の中、膝を折り曲げ身体を丸めて詰め込まれた状態の一松は、胸元まで水に浸かり、ぐったりとしていた。
    …もし、このまま気付けずにこの石の箱が湖の底に沈んでいたら…考えるとゾッとする。
    十四松がいてくれてよかった。
    慌てて箱の中から一松を引き出せば、一松の身体は冷えきっていて、その顔は青いを通り越して最早白い。
    そのまま抱き上げ、少し悩んだが最初にここに降り立った屋敷の前まで移動する事にした。
    このままでは一松の体温は奪われていく一方だ。
    気休めかもしれないが、屋内ならいくらかマシだろう。
    俺の肩に力なく埋まった一松の額が冷たい。
    首元に微かに呼吸で息が掛かるのを感じて、どうしようもなくホッとした。
    よかった、生きている。

    「十四松、最初の屋敷まで戻ろう。」
    「あいあい!」

    とにかく、今は一松を休ませる必要がある。
    俺と十四松は辿ってきた道を逆方向に走り出した。

    ーーー

    屋敷まで戻ると、ひとまず玄関のすぐ奥にあった八畳間に一松を寝かせて水を吸った服を脱がせた。
    いつものつっかけのサンダルはどこかに紛失してしまったようだ。
    …外傷はない。
    濡れてしまったパーカーの代わりに俺のジャケットを着せておいた。
    冷えきった身体を温めたくて、一松を強く抱きしめ、自分を落ち着かせるようにその湿った髪を梳いた。
    上手く言えないが、こうしてしっかりと抱きとめていないと消えそうで怖かった。
    十四松は一松の手を両手で握り、じっと座り込んでいる。

    どのくらいそうしていただろうか。
    腕の中の一松が身じろぎして、長めの睫毛が僅かに震えた。

    「一松?」
    「一松兄さん!」

    「う……」

    ゆっくりと一松の目が開いた。
    が、その瞳は俺達を捉えてはいなかった。
    虚ろな目でどこか遠くを眺めながら、突如涙を流し始めた。

    「にいさ、ん…どこ、にいさん…おいてかないで…
    ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…」

    「一松!おい、しっかりしろ!一松!!」
    「一松兄さん!…じゃないね、誰?一松兄さんの身体返して!」

    十四松の言葉に一松は何かに取り憑かれているのだと理解した。
    俺の腕の中から抜け出そうと暴れる一松を慌てて抑え込む。
    腰を引き寄せて自分の身体と密着させると、ジタバタする一松を無理やり抱え込んで自分の両手指を祈りを捧げるように組んだ。
    これは、攻撃しか出来ない俺の唯一の護りの術だ。
    「身固め」と呼ばれるそれは、憑かれたその人が連れていかれないように、ここに留めさせるために引き留める技らしい。
    その昔、この術を俺に教えてくれたのは一松だった。
    それを一松本人にする事になるとはな。

    「ねえ、君誰なの?その身体は一松兄さんのだよ?返して?!」
    「一松!一松、聞こえるか?!帰ってこい!!」

    「にいさん、にいさん、どこ…どこにいったの…ごめんなさい、ごめんなさい…」

    駄目だ、俺の声も十四松の声も届いていない。
    一松は取り憑かれた何者かに同調してしまっている。
    俺は取り憑いた霊を祓うことはできない。
    一度引き剥がさなければならないのだが、生憎それもできない。
    おそ松なら容赦なく殴って無理やり引き剥せるのだが、俺はその辺が上手くコントロールできないのだ。
    一松が霊と同調してしまっている状態で俺が無理に力を振るえば、一松の精神ごと吹き飛ばしかねない。
    だから、こうしてせめて一松が連れていかれないようキツく抱きしめるしかない。

    「一松兄さん!一松兄さ…っあ、えっ?!」
    「十四松?!」
    「カラ松兄さん!なんか上からヤッベーの来る!!」
    「おいおい…笑えないなこの状況で…。」


    「かえせ、かえせかえせかえせ、ゆるさない、ゆるさない…いかないと、むかえにいかないと…むかえにいくから…」

    「え…!」
    「チョロ、松…?!」

    背後から凄まじい冷気と共に姿を表したのは、虚ろな目で何か呟き続けるチョロ松だった。
    いや、正確にはチョロ松の身体を借りた何か、と言うべきだろう。
    黒い影を纏い、まるでこの世の絶望全てを背負ったような空気だ。
    薄らと血塗れの着物の男性の姿が重なって見えた。
    右手に持つ古びた日本刀の切っ先からポタリと血が滴っている。
    …おい、それ一体誰の血だ。
    とにかく、このまま放っておけば、チョロ松は完全に飲み込まれてしまう。
    怖いもの知らずな十四松さえもチョロ松に取りく黒い影に息を飲んで後ずさりしている。

    「にい、さん…?」

    さっきまで腕の中で暴れていた一松が大人しくなり、チョロ松をじっと見つめている。
    その視線に気付いたチョロ松がこちらに向かってきた。
    2人共何かに取り憑かれているのは明らかだ。
    チョロ松から距離を取ろうとして、違和感に気付く。

    「…っ?!身体が…!」
    「カラ松兄さん…!なんか、身体が動かない!」

    身体が動かない。
    金縛りってやつか。指先一つ動かせない。
    目の前が真っ黒な靄に覆われる。
    腕の中から一松がスルリと抜け出したのが分かった。

    「駄目だ一松!!行くな!!」
    「一松兄さん!チョロ松兄さん!だめだよ!いっちゃだめ!
    やだ、遠くに行っちゃう…!」

    駄目だ!頼む、行かないでくれ!
    必死に声を張り上げたが、一面真っ暗に染まった視界で何も見えない。
    何も見えないが、チョロ松と一松が遠ざかっていくのはわかった。
    2人が遠ざかるのに比例して、だんだんと身体の自由もきいてくる。

    「カラ松兄さん!」
    「!…十四松か?」
    「はい!十四松でっす!!」
    「お前は無事か?どこも怪我していないな?」
    「へーき!カラ松兄さん、こっち!!」

    暗闇の中、気配を追ってくれたのか十四松が駆けつけてくれた。
    俺の腕を掴み、ぐいぐい引っ張り出した。

    「十四松?」
    「おそ松兄さんとトド松が近くにいる!」
    「わかった、頼んだぞ。」

    どうやら十四松は兄貴とトド松の元へ向かっているようだ。
    迷いなく進む十四松の後に続いた。

    ++++++++++++++++++++++

    7.

    両親は弟が五つの頃に相次いで死んだ。
    他の村と関わりをあまり持たない閉鎖的な村の中で、おれは幼い弟と共に生きてきた。
    弟は身体が弱く、いつも寝たきりだった。
    朝早く出掛けて、夜遅くに帰ってくるおれを弟はいつも笑顔で見送り、そして出迎えてくれた。
    その屈託のない笑顔が好きだった。
    何よりも大切だった。
    この笑顔だけは守らなければならない。
    おれの、唯一の家族なのだ。


    その年は数度に渡る嵐のせいで、農作物が不作だった。
    冬を越せるだけの蓄えを用意出来なかった。
    だから、いつもの農作業に加えて山で山菜や木の実を採ったり、魚を釣ってきたりして来たる冬に備えているところだった。
    帰り道、村の年寄衆に呼ばれたおれは長老の家に通された。
    一体何の話かと思えば
    「今年農作物が不作に終わったのは瓶宮湖の神様がお怒りなせいだ。
     怒りを鎮めるために、供物を捧げなければならない。」
    などと言う。
    嫌な予感がした。
    長老は無表情のまま続けた。
    「お前の弟を供物として捧げることに決まった。」
    それを聞いて、おれは全力で抵抗した。
    ふざけるな、ふざけるな。
    弟を、あの子をあの石の箱に入れて冷たい湖の底に沈めるというのか。
    そんな事絶対させない。
    そう喚き散らして暴れ回った。
    暴れるおれを村の大人達は数人掛りで押さえつけ、頭を殴られた。

    目を覚ました時、既に儀式は執り行われた後だった。
    後ろ手で手首を縛られていた。
    片目がじくじくと痛む。
    幸い足は自由だったから急いで外に出た。
    家に帰るも、弟の姿はない。
    少し争ったような形跡があったから、弟は無理やり連れていかれたのだろう。
    何故だ。
    何故あの子が死ななければならなかったのだ。
    あの子を犠牲にして村の大人達が助かるだなんてゆるせない。
    ゆるせない
    ゆるさない
    弟を、あの子をかえせ
    かえせ、かえせかえせ
    かえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせ

    父の形見として仕舞ってあった日本刀を抜き取った。
    手を縛っていた縄を切る。
    少し掌も切ったが気にしなかった。
    おれは村中を暴れ周り、見つけた村人を片っ端から切り付けていった。

    ゆるさない、ゆるさないゆるさないゆるさない!

    ああ、弟をむかえにいかなければ。

    ーーー

    ぼくの兄さんはとても優しい。
    両親を亡くして、2人きりになってしまったぼくらは、2人だけで静かに暮らしていた。
    身体の弱いぼくは外に働きに出ることが出来なかったから、毎朝兄さんを見送って、毎晩兄さんを出迎えた。
    そうして、ぼくに優しく笑いかけてくれる兄さんが好きだった。
    ぼくを撫でてくれる大きな、擦り傷だらけの手が好きだった。
    だけど、同時に申し訳なくも感じた。
    身体の弱いぼくなんかがいるせいで、兄さんは自由になれないのではないか。
    ぼくは兄さんの足枷になっているのではないか、と。

    ある日、家に村の大人達がやって来た。
    兄さんはまだ帰ってきていない。
    その人たちはみんな一様に怖い顔をしていて、ぼくは身を縮めて震えることしか出来なかった。
    大した抵抗もできずに無理やり連れていかれた地下の座敷牢に長老様がやってきてぼくに言った。
    「おまえは村を救う儀式のために供物になるのだ。
     おまえが大人しく供物になる事を認めれば、兄の生活は豊かなものになると約束してやろう。」
    …ぼくが神様の捧げものになれば、兄さんは豊かに暮らせるの?
    ならば、それならばぼくは。
    ぼくが役に立てることなんて、そのくらいなのだから。
    ぼくは供物になることを受け入れた。

    石の箱に詰め込まれて、湖の底に沈められた。
    苦しくて苦しくて、何度もなんども心の中で兄さんに助けを求めた。
    兄さん、兄さん…と繰り返しながら、やがてぼくの意識は薄れていった。


    気付いた時には、ぼくは湖の鳥居の下に立っていた。
    どうしてぼくはこんなところに?
    …ああ、そうだ。
    儀式の供物になったんだ。
    おかしいな。水の底にいたはずなのに。
    儀式がうまくいかなかったの?

    そんなことを考えていたら、村から悲鳴が聞こえてきた。
    気になって村へ行ってみると、そこは地獄絵図だった。
    村の人たちが無残に切り裂かれている。
    一体何が。

    戸惑いながらも村を見て廻っていると、大通りで修羅のような顔で刀を振るい、村人達を切り裂いていく兄さんの姿があった。
    何故、何故兄さんが。
    兄さんはぼくの名を呼んでいる。
    ぼくをかえせと叫んでいる。
    ぼくのせい?
    ぼくのせいで、兄さんはああなってしまったの?

    ああ、あんなに優しい兄さんが
    ぼくのせいで、ぼくのせいで

    にいさんを、おいかけなきゃ
    おいてかないで、ぼくをおいていかないで

    ごめんなさい

    ごめんなさい、ごめんなさい兄さん
    ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい

    ++++++++++++++++++++++

    8.

    「トド松、泣くなって。」
    「ぐすっ…ひぐっだ、だれの…せいだとっふぇっ…」
    「あーはいはい俺のせい俺のせい。悪かったから。あと、手当てあんがとな。」
    「も…兄さんの、ばかぁ!」

    いやぁ、油断したね。
    まさか眠りこけていたチョロ松が突然目を覚ましていきなり襲い掛かってくるとは思わないじゃん?
    つか、俺が確かに叩き落とした筈の日本刀をいつの間にか手に持ってたし。
    どーゆー原理よ、アレ。
    背後に薄らと血濡れの着物を纏った男が見えた。
    あれが親玉だろう。
    なんとか致命傷は避けたんだけど、肩を綺麗に切られちゃって、トド松が泣きながら応急処置をしてくれた。
    いくらチョロ松が取り憑かれていたとはいえ、同じ顔した兄弟が兄弟を本気で殺そうとしてる光景はショックだっただろう。
    怖がりなのにそれに耐えて異空間に付いてきてくれたってのに、可哀想なことをした。
    プリンで許してもらえねーかな。
    見た目より傷は深くないけど、さすがに動かすのはツライ。

    …ん?なんか引き戸の向こうが騒がしいような

    ードタドタドタッスパァン!

    「おそ松兄さん!トド松!!」
    「えっ十四松兄さん?!あとカラ松兄さんも。」
    「2人共無事……ではないな、何があったんだ?」
    「そっちこそ、びしょ濡れじゃん。」

    騒々しく登場したのはカラ松と十四松だった。
    何故か2人共下半身がずぶ濡れだ。
    しかもカラ松は着ていた筈のイッタイ革ジャンがなくなっていて、タンクトップだ。寒そう。
    カラ松は俺の肩の怪我を見て険しい顔をしてるし、
    十四松は泣きついてきたトド松の頭を伸びきった袖のまま撫でている。

    「うん…情報交換といこうぜ。年中組救出作戦も立てねーとな。」

    さて、ここいらで少し状況を整理するとしよう。

    ーーー

    おそ松の話
    …俺とトド松はこの空間に来てから、目の前にあった屋敷の中を調べてた。
    どうやらチョロ松と一松も此処にいたのは間違いないみたいだぜ。
    トド松がさ、一松が張ったらしい結界の気配感じたって。
    あと、廊下の先にある中庭に効力切れの御札が落ちてたんだよ。
    で、トド松がそれを元に2人の気配を辿って書斎に着いたってわけ。
    うん、この部屋ね。
    そんでしばらくここで調べ物して
    …あ、調べ物の内容はトド松から聞いてくれよ。
    で、一通り調べ終えて屋敷から出たところで、悪霊に取り憑かれたチョロ松と鉢合わせた。
    もうね、とんでもない憎悪だけに支配されちゃった感じになってるわ、
    日本刀振り回してて物騒だわ、さすがのお兄ちゃんも冷や汗モノだったわー。
    見たところチョロ松に憑いたのがこの空間の元凶な気がするな。
    「かえせ」だの「ゆるさない」だの延々とブツブツ繰り返してさ。
    チョロ松を気絶させて、それで取り憑いてた奴の気配も消えたから、
    気絶したチョロ松を連れてもう一回この書斎に戻ってきてたんだよ。
    トド松も、もう少し色々調べたいつってたし。
    しばらくチョロ松は静かに寝てたんだけど、突然目を覚まして襲い掛かってきたんだよね。
    あれは確実に俺の喉を狙ってたね。
    なんとか避けたけど。
    まぁ、完全に避け切れずに肩怪我しちまったけど。
    チョロ松…というか、チョロ松の身体を乗っ取ったヤツはそのままどっか行っちまった。
    で、トド松が手当てしてくれてたところにカラ松と十四松がここに来たってワケ。
    俺が話せるのはこんだけだな。

    ーーー

    カラ松の話
    あの時見たのはやはり…ん?ああすまない。最初から順を追って話さないとな。
    俺と十四松は屋敷の脇にあった水路を辿っていったんだ。
    奥には洞窟があって、洞窟を抜けた先には湖があった。
    鳥居も立ってたから、何か特別な場所だったのかもな。
    その鳥居の下に石で造られた箱があって…その、箱の中に一松が閉じ込められていた。
    あの石の箱、少しずつ湖に沈んでいってたんだ。
    …もう少し気付くのが遅れたら、と思うと背筋が凍る思いだ。
    今思い出してもゾッとする。
    ああ、気付いたのは俺じゃない。
    十四松のお手柄だ。
    それから一松を連れて、この屋敷に入ったんだ。
    玄関のすぐ傍の広間で一松を休ませてた。
    だが目を覚ました一松は既に取り憑かれていたようでな…、
    「ごめんなさい」と泣きながらしきりに繰り返していた。
    そうこうしているうちに、背後からチョロ松が現れて…。
    あいつが持っていた刀に血が付いてた。
    兄貴に襲い掛かった後だったんだろうな。
    それで、突然俺も十四松も金縛りにあって、目の前が真っ暗になったんだ。
    その隙に、チョロ松も一松も見失ってしまったんだ。
    金縛りが解けても、目の前は真っ暗闇のままだったんだが、十四松がここまで引っ張ってきてくれた。
    すまない、…俺があの時動けていれば…。

    ーーー

    十四松の話
    水のほうにいろんなものが混じりあったにおいがしたんだ。
    その中に、ほんのちょっとだけ一松兄さんのにおいも感じたから、カラ松兄さんと水路をたどった!
    湖にあった石の箱の中から一松兄さんのにおいを感じて、すっごく焦って必死に一松兄さんを引っ張り出した!
    兄さん、ぐったりしててしんだみたいだった。怖かった。…怖かった。
    …あとはカラ松兄さんの言ってたことと一緒!
    僕も真っ暗だったけど、近くにおそ松兄さんとトド松のにおいがあるのに気付いたから、
    カラ松兄さんを引っ張ってここまで来た!
    チョロ松兄さんが突然目を覚ましたのって、僕たちが一松兄さんをここに連れてきたからじゃないかな。
    たぶん、チョロ松兄さんに憑いてるひとは、一松兄さんに憑いてるひとを探してるんだと思う。
    …一松兄さんね、取り憑かれた霊と完全に同調しちゃってた。
    そのせいでにおいがわからなかったんだ。石の箱から助けたときに、
    憑かれてるって気付けなかったんだ。
    チョロ松兄さんも、たぶん同調しちゃってると思う。
    2人ともすごく悲しんでる。すごく苦しそうだった。
    なんかね、ここ、いろんなにおいがしてチョロ松兄さんと一松兄さんのにおいがよくわからなくなる。
    追いかけられなくて、兄さん達が遠くに行っちゃうみたいで、すごく怖いよ。

    ーーー

    トド松の話
    大筋はおそ松兄さんが話してくれた通りだよ。
    僕もいろんな気配に邪魔されて気付けなかったんだ。
    一度おそ松兄さんがチョロ松兄さんを気絶させた時、剥がれたんじゃなくて、中に潜んだだけだったんだよ。
    それに気付けなかった。
    近くにいたのにね。
    …ごめん。調べた事の話だよね。
    この屋敷、集落の権力者の家だったみたいで、この部屋にいろんな記録が残ってたよ。
    ここに残ってる記録と兄さん達の話で、ちょっとわかってきた。
    うん、今話すからちょっと待って…。
    僕も自分の頭の中を整理しながらなんだからさ。
    えーと、まずこの村。
    この村についてわかったことはね、

    ひとつめ、村の奥の湖を御神体として崇拝する信仰があった
    ふたつめ、何年前かはわからないけど、農作物が不作で冬を越せないくらい危うい状態になった年があった
    みっつめ、湖に生贄を捧げる習慣があった
    よっつめ、不作の年、生贄の儀式が行われた
    いつつめ、儀式の後に何か事件が起こって村は壊滅状態になった

    …このくらいかな。
    で、生贄の儀式についてだけどね、石で出来た箱に生贄を入れて生きたまま湖に沈めるんだって。
    そう、カラ松兄さんと十四松兄さんが一松兄さんを見つけたときの状態…村の儀式とほとんど同じなんだよ。
    …ちょっと今から胸糞悪い話するけど、我慢して聞いてよね。
    記録によると、最後に生贄に選ばれたのは親を亡くした少年だったんだ。
    病弱な子だったみたい。
    その子には兄がいて、お兄さんが世話を焼いて兄弟2人で暮らしてたらしいよ。
    でね、弟が生贄に決まったって聞いて、お兄さんがめちゃくちゃ反抗して暴れまわったらしいんだ。
    でも結局、お兄さんが村人の手で気絶させられてる間に儀式は行われて、
    お兄さんが目を覚ましたときには弟は湖に沈められた後だった。
    …その後、お兄さんは狂っちゃったみたい。
    日本刀を振り回して、村の人達手当り次第に斬殺して回ったって。
    その後どうなったかまでは、わからなかったけど…。
    多分だけどね、チョロ松兄さんにはその怨霊化した兄の霊に取り憑かれてるんじゃないかな。
    そして一松兄さんは生贄になった弟の霊が取り憑いてる。
    兄弟って点で、2人共同調しちゃったのかも。

    ++++++++++++++++++++++

    9.

    片っ端から切り刻んだ。
    向かってくる全てが敵に思えたから。
    視界に入ったものは全てころした。
    そうだ、綺麗に掃除してしまおう。
    邪魔なものを全部片付けてから、あの子を迎えに行こう。

    視界に入ったものは全て。
    だからおれに向かってきた赤い色にも躊躇せずに刀を振り上げた。

    ーもう十分だよ

    どこかから声がした。
    もう十分だよ。もう誰もいない。
    邪魔する人達は誰も残ってないんだ。
    だから早く迎えに行こう、あの子が待ってるよ。
    あの子に謝りたいなら、僕の身体を使っていいから。

    頭に響くような声だった。
    待ってる?おれを?
    それなら行かないと…。
    あの子を迎えに行かないと…。

    ーーー

    恐ろしくて恐ろしくて、逃げて逃げて、必死に逃げた。
    そして気付いた。
    ああ、なんて事をしてしまったのかと。
    兄さんはぼくのために壊れてしまったのに、その兄さんを恐ろしく思って逃げてしまうなど。
    ごめんなさい、ごめんなさい。
    ぼくは一体どう償えばいいんだろう。
    満足に供物にもなれず、結局は村を滅ぼしてしまった。
    もう兄さんに会わせる顔なんてない。
    ごめんなさいごめんなさい兄さん、ごめんなさい。

    でも、追いかけなきゃ。
    兄さんを追いかけないと。

    ー大丈夫、きっと許してくれる

    どこかから声がした
    大丈夫、きっと許してくれる。
    兄さんは君を何より大切にしているから。
    いつも一番に君の事を案じているから。
    だからもう赦しを乞いながら逃げなくていいんだ。
    ほら、元いた場所に戻ろう。
    きっと迎えに来てくれる。
    兄さんに伝えたいことがあるなら、僕の身体を貸してあげるから。

    頭に響くような声だった。
    迎えに?ぼくの元へ?
    ならばあるべき場所で待たないと。
    兄さんの帰りを出迎えるのは、ぼくの役目だったのだから…。


    ++++++++++++++++++++++

    10.

    「「「「…………。」」」」

    みんなで現状を確認し合うと、部屋は重苦しい沈黙に包まれた。
    水を吸って重くなった一松兄さんの紫色のパーカーをぎゅっと握りしめた。
    状況はなかなか厳しい。
    僕とトド松は瘴気に邪魔されて兄さん達のにおいを追えないし、
    しかもチョロ松兄さんも一松兄さんも取り憑かれていて且つ同調しちゃってる。
    おそ松兄さんとカラ松兄さんは取り憑いた霊は除霊できない。
    無理やり祓おうとすると、憑かれてるチョロ松兄さんや一松兄さんの精神にまで影響を与えちゃうからできないんだって。

    僕が思うに、チョロ松兄さんと一松兄さんは優しすぎるんだ。
    あの2人は近寄ってきた霊を完全に拒絶することってないから。
    心のどこかで相手が抱いてる思い、寂しいとか悲しいとか苦しいとか、
    そういうのを受け入れて共感しちゃうんだよ。
    いくら霊媒体質とはいっても、共感して同調しちゃうなんて、そんなの優しくないとできない。
    確かにいろいろと大変な目に遭うし、今も現在進行形で大変なことになってるけど、
    兄さん達は優しいままでいいと思う。
    その度に僕達が助ければいいから!
    …そうだ、早く助けてあげなきゃ。
    いつものように、においで追いかけることはできないけど、2人が行きそうな所はどこだろう…。
    トド松の推測が正しければ、一松兄さんは儀式の生贄にされた子の霊に、
    チョロ松兄さんはそのお兄さんの霊に憑かれてる。
    たぶん、お兄さんの霊は弟を探してて、弟もお兄さんを探してる。
    その2人が、最終的にたどり着きそうな場所って…、

    「湖!」
    「えっ、どうしたの十四松兄さん?」
    「湖に行ってみよーよ!」
    「俺達が一松を見つけた所か?」
    「うん!なんかね、そこにいる気がするー!たぶんだけど!!」
    「んー、じゃあ行ってみるか。ここでクサってても仕方ねーしな!」

    ーーー

    洞窟を抜けて、また湖にやってきた。
    トド松から聞いたけど、へいきゅーこっていうんだって。
    湖の淵、大きな鳥居の下に、誰かが倒れ込んでいた。

    「チョロ松!一松!」

    鳥居の下に倒れる兄さん達に真っ先に気付いたおそ松兄さんとカラ松兄さんが同時に駆け出した。
    僕とトド松も慌てて後を追う。
    チョロ松兄さんをおそ松兄さんが、
    一松兄さんをカラ松兄さんが抱き起こした。
    チョロ松兄さんから黒い影は消えてる。
    でも、兄さんから、兄さん以外のなにかのにおいも感じたから、まだ憑かれたままみたいだ。

    先に意識を取り戻したのは一松兄さんだった。
    ゆっくりと開いた目は最初に見つけた時と違って、ちゃんと一松兄さんの目だった。

    「え…カ、ラ松?」
    「一松!大丈夫か?!苦しくないか?どこか痛いところはないか?!」
    「…っ…耳元で騒ぐな…頭に響く…。」
    「すっすまん!」

    いつものカラ松兄さんと一松兄さんのやり取りだ。
    一松兄さんからも、一松兄さんとは別のなにかのにおいがする…。
    やっぱりまだ2人共憑かれたままだ。
    そうこうしてるうちに、チョロ松兄さんも目を覚ました。
    咄嗟にみんな身構える。
    おそ松兄さんがガッチリ押さえ込んでるから、
    また日本刀を振り回すなんてことはないだろうけど。
    チョロ松兄さんと一松兄さんの目が合った。

    「「わかった、もう少しだけ貸してあげる。」」

    2人同時にそう呟いた。
    一体何の事?と思ってる間に2人は目を閉じて、
    そして、また目を開いたときは別の人だった。
    兄さん達に憑いた人格が表に出てきたのだと理解して焦った。
    すうっと一松兄さん、の身体を借りた誰かが息を吸い込んだ。
    …かと、思ったら

    『こんの…バカ兄イイイイイィィ!!!!』

    一松兄さんの声に重なるようにして、少し幼さが残る少年の声が響いた。
    「えっ?えっ?!」とトド松がオロオロしてる。
    僕も固まってしまった。

    『バカじゃないの?!ほんとバカじゃないの何してんの?!
     キレて村中の人という人大虐殺とか笑えないよ?ほんと何してんのバカなの?!』

    一気に捲し立てる一松兄さんの中にいる誰か。
    こんなに喋る一松兄さんすごく珍しい。
    厳密には一松兄さんじゃないんだけど。
    トド松が言ってたように、儀式の生贄にされた弟なのかな。
    それに対してチョロ松兄さん、の中にいる誰かも言い返し始めた。

    『はあああああぁぁぁ?!
     誰のせいだと思ってんのお前があっさり供物になること了承するからだろ
     残されたこっちの身にもなれってんだよこの愚弟がぁっ!!』
    『知らないよ!そもそも何でそこまでブチギレちゃったワケ?!
     ぼくみたいな病弱で働きに出れもしない穀潰しをたった1人で世話し続けることなんかなかったんだよ?!』
    『ざけんな!!おれはお前の兄貴なんだから面倒見るのは当然だろうが!
     両親亡くして1人だけになってたらとっくに死んでたわ!
     お前を守ることがおれの人生そのものだったの!!
     それを奪われたんだからブチギレて当たり前だろうが!!』
    『意味わかんないよ!ぼくが供物になればその家族の兄さんは不自由ない暮らしが約束されるんだよ?!
     なんで切り捨ててくれなかったの?!
     ぼくは兄さんの負担にしかなれないのに!!
     供物になることが唯一兄さんに何かを与えられることだと思ったから!!』
    『そっちこそ意味わかんねぇよ!弟の命差し出して与えられるモノって何だよそこまで落ちぶれてねえよ!
     お前はこれまで通り大人しくおれに世話されてりゃよかったんだよ!
     家にいてくれるだけで十分だったんだよ!!なのに!どうして!!』
    『知らないよ!バカ!!』
    『バカはそっちだろバカ!!』
    『うるさい!バカバカバカ!!』
    『そっちこそ黙れよバカバカ!!』

    もう、なんというか、ものすごい言い合いだ。
    最後の方バカしか言ってないよ。
    トド松は僕の横で呆然としてるし、
    チョロ松兄さんを押さえ込んでるおそ松兄さんは苦笑い、
    一松兄さんを抱え込むカラ松兄さんも顔が引きつってる。
    チョロ松兄さんと一松兄さんは一気に捲し立て過ぎて肩で息をしている。

    話を聞いてて、なんだかこの兄弟はとても可哀想だったんだな、って思った。
    どちらもお互いをとてもとても大切にしていて、
    でも少しのすれ違いで悲しい結果になっちゃったんだ。
    真ん中の兄さん達の身体を借りて、洗いざらい本音をぶちまけたのであろう兄弟は、
    さっきまでの勢いをなくして今度は力なく呟いた。

    『ごめんね、兄さん…助けてくれようとしてくれたのに…逃げたりして…。』
    『…いいよ、おれの方こそ、ごめん。守ってやれなくて…気付いてやれなくて…。』

    空気が和らいだ。
    途端に、チョロ松兄さんと一松兄さんの身体から力が抜けて同時に崩れ落ちた。
    2人の中からすっ…と兄弟の霊が抜けたのがわかった。
    ずっと様子を見守っていたおそ松兄さんが、それを見て大きく深呼吸した。
    いや、どちらかというと盛大なため息だったのかも。
    そして黒いモノが無くなった兄弟の霊を見て、一言。

    「満足できたか?…そろそろ逝くか?」

    兄弟が頷いた。
    おそ松兄さんがそっと手を触れると、手を取り合った兄弟は静かに空気に溶けていった。

    ++++++++++++++++++++++

    11.

    目が覚めると、見慣れた天井が視界に映った。
    窓の外は微かに明るい。
    頭がガンガンする。
    なんだか身体も痛い。
    声を出そうとしたものの、笑えるくらい掠れた音しか出なかった。
    軋む身体をなんとか動かして寝返りをうつと、視界に入ったのは一つ下の弟の姿。

    「ぃ…ちま、つ?」
    「…チョロま…に、さん?」

    掠れた声で呼びかけると、一松の睫毛が微かに震えて、それから目を開けた。
    一松も僕と同じで掠れ声だ。

    えーと、ここ家だよね?
    僕は何してたんだっけ…?
    確か駅前で一松と会って、神隠しに遭って…それから、それからどうしたんだっけ。

    「僕ら…どうやって帰ってきたんだっけ…。」
    「よく覚えてない、けど…兄さん達が見つけてくれたってことかな…。」

    ああ、きっとまた兄弟に迷惑を掛けたんだろうな。
    今回は一松も巻き込んで。
    回らない頭で記憶を辿っていると、襖が開く音がした。
    一松の目線が上を向く。

    「おっ2人とも気がついたか!」
    「おそ松兄さん…?」
    「いやぁ~お前ら大変な目に遭ったよなー。丸2日仲良く眠りっぱなしだっんだぜ?」
    「え…。」
    「うそ、マジで…?」
    「マジマジ。っと、他のヤツらも呼んでくるわ。」

    そう言って部屋を出ていったかと思うと、すぐに騒がしい足音が迫ってきた。

    「チョロ松!一松!」
    「兄さーん!起きた!よかった!!」
    「もうっほんっと心配したんだからね?!」

    カラ松、十四松、トド松が顔を覗かせた。
    それから粗方なにがあったかおそ松兄さんが話してくれた。
    どうやら僕も一松も憑かれて大変だったそうだ。
    うん、なんとなく思い出してきたかも。

    「もー最後にはお前らの身体借りて口喧嘩おっ始めてさー、
     笑うしかなかったわ。成仏してくれたっぽいけど。」
    「…あ、なんとなく思い出してきた。」
    「うん、僕も…。」

    そうだ、あの黒い影を纏った血濡れ男に捕まって
    その内側に秘めた激情に触れた。
    何よりも大切にしていた弟を守れなかった無念さ、己の不甲斐なさ、行き場のない怒り、悲しみ。
    弟を失って荒れ狂う魂に同調してしまい、僕は兄弟を…。

    「!…おそ松兄さん、その肩の怪我…!」
    「んー?ああ、ヘーキヘーキ!見た目より浅いし大した事ないし。」
    「そ、それ…やっぱり僕がやったん…だよ、ね…?」
    「いやまぁそうだけど、チョロ松あの時完全に意識乗っ取られてたから。」
    「…っ、ご、ごめん…!」

    兄さんを傷付けてしまった。
    落ち込む僕の額をペシペシと撫でるように叩いた兄さんは「もう少し休め。」
    と言って僕と一松を布団に押し込み、カラ松達を連れて部屋を出て行った。

    再び部屋に訪れる静寂。
    その静寂を破ったのは隣に横たわる一松だった。

    「…チョロ松兄さん。」
    「どうしたの。」
    「その…。」
    「うん。」
    「ごめん、巻き込んじゃって…。」
    「…え、おかしくない?むしろ一松が僕に巻き込まれたんでしょ…僕こそごめん。」

    突然の一松からの謝罪に驚いて、目を丸くした。
    そして僕も謝罪で返すと、一松はキョトンとした顔になり、やがていつもの妙な笑い声をたてた。

    「…ふひっ」
    「え、なに?」
    「いや…なんか、あの取り憑かれてた兄弟の最後のやり取り、思い出して。」
    「ああ、あれね…。」

    弟を思う気持ち、兄を思う気持ちに反応して、僕らと同調してしまった兄弟。
    最後に僕らの身体を使ってお互いの思いを吐き出して消えていった。
    彼らが消えた後、異空間も消えて僕らは河川敷に戻ってきたらしい。
    気を失った僕と一松を、おそ松兄さんとカラ松が運んでくれたそうだ。
    あの霊と同調してしまった理由も、今ならなんとなくわかる。
    兄弟を思う気持ちってやつに引っ張られたんだろう。
    それから、兄の異常なまでの弟に対する愛情とか、執着なんかも一因かもしれない。

    「…えらい目に遭ったよね。」
    「ほんとそれ。」
    「もう一松と2人で出掛けるとか無理だね。」
    「いや、今回みたいな事そうそう起こらないでしょ…。」
    「そうだけどさ…。」

    「チョロ松兄さん、一松兄さん、起きてる?」
    「トド松?うん、起きてるよ。」

    襖を開けて入ってきたのは末弟。
    手には何やら御札やら御守りやらを持っている。

    「これ、新しく作ったから。」
    「あー、ありがと。ほんと器用だよねトド松。」
    「その…ごめんね、兄さん達。」
    「「は?」」

    あ、思わず揃っちゃったじゃん。
    なんか今日は謝られてばっかりだな。
    謝らないといけないのは僕のはずなんだけど。

    「僕がもうちょっと強い御札作れていたら…ここまで酷いことには…。」
    「…ちょっと聞きましたチョロ松さーん、僕らの末弟がなんかお馬鹿な事言ってますわよー。」
    「聞きましたわよ一松さーん、ほんとお馬鹿な末弟なんですからー。」
    「ええええぇっ?!何ソレ?!つーか2人してローテンションなクセに変なノリで喋んないでよ!怖いし!」
    「トド松。」
    「な…なに。」
    「トド松の作る御札や御守りはすごく強いよ。」
    「ん。…すごく、助かってるから…。」
    「ほ、ほんと?!」
    「ほんとだよ。」
    「ん。」
    「そっ…か。」
    「御守りありがとね。」
    「…ちゃんと持っとく…。」
    「うん、そうして!」

    それじゃあね!とトド松は元気に出て行った。
    切り替えが上手くて立ち直りが早いのがトド松のいいところだ。
    トド松の作ってくれる御守りがとても頼りになるのは本当だし。
    …なんで、みんなこんなに優しいんだろう。
    霊媒体質な上に引き寄せてしまう僕なんて、迷惑でしかないのに。
    一松は眠ってしまったようだ。
    びしょ濡れで石の箱の中にいたらしいから熱を出してしまったらしい。
    一松の汗ばんだ前髪をそっと撫でて、僕も眠りについた。

    ++++++++++++++++++++++

    12.

    身体中が痛い。
    おそ松兄さんによると丸2日寝ていたという身体は気だるさに支配されていた。
    横を見るとチョロ松兄さんは既に起きたようで、布団はすっかり冷たくなっていた。
    身体を起こし、窓の外を見ると日の射し方から正午過ぎくらいだとわかった。
    まだ身体がだるい。
    しかしお腹が空いた。喉も乾いた。
    どうしようか、一旦下に降りようか。
    ぼんやりとした頭で考える。
    聞いた話によると、僕は石の箱にずぶ濡れで無理やり詰め込まれていたそうだ。
    そりゃあ身体も痛くなるし風邪もひく。
    けほ、と軽く咳が出た。

    「一松、調子はどうだ?」
    「…最悪。」

    突然襖が開いて顔を出したのはカラ松だった。
    全く気配に気付けなかった。不覚。
    そんなにボーッとしてたのだろうか。
    僕の枕元に腰を下ろしたカラ松の手にはスポーツドリンクと卵粥。
    ペットボトルのスポーツドリンクを差し出してきたので、何も言わずに受け取り喉を潤した。

    「食べれそうか?」
    「ん。…食べる。」
    「そうか!…じゃぁ、ほら」
    「………は?」

    喜々とした表情のカラ松が粥をレンゲで救ってぼくの口元に持ってきた。
    いわゆる「はい、あーん」状態である。
    いやいやいや、僕起き上がってるじゃん?
    自分で食べれるんですけど??

    「いや…自分で持てるから。」
    「遠慮するな。」
    「遠慮じゃねえし!ほんと自分で食べれるって。」
    「…嫌、か?」

    おい。
    おい、何でそんなションボリした顔してんだよ。
    僕が虐めてるみたいじゃないか。
    あ、割といつもコイツのこと虐めてたわ。
    なんだ、別にいつものことじゃないか。
    …と、そう思っても、嫌か?と眉根を下げて聞かれると言葉に詰まってしまう。
    ……まあ、今回コイツに助けられたし。
    必死に身固めしてくれてたのは覚えてるし。
    今回だけだ、今回だけ。

    「べ、別に、嫌では、ない…。」
    「そうか!よかった!」
    「……あー。」
    「うん、ほら。」

    最初の1口2口くらいで終わろうと思ったのだが、結局全部カラ松に食べさせてもらうハメになった。
    卵粥を平らげると、まだ横になっていろと布団に戻され、
    いつの間にか額に貼られていた冷却シートを交換される。
    何か言ってやろうかと思ったが、満足げに笑うカラ松に何も言葉が出てこなかった。
    たぶん熱のせいだ。
    カラ松が僕の横に寝そべった。
    顔が近い。

    「何…近いんだけど。」
    「すまなかった、一松。」
    「え、なんなの突然。」
    「守ることが、出来なかった。辛い思いをさせたな…。」
    「なんで、アンタが責任感じてるわけ…。」
    「心に決めていたんだ。一松の事は俺が守るって。」
    「は…なにそれ頼んだ覚えないんだけど…。」
    「今回は不甲斐ない結果になって済まなかった。だが、次は絶対に!俺が守るからな!!」
    「つ、次って!そんな何回もこんな事があってたまるか!」
    「だから一松、お前の事を俺に守らせてくれ…!」
    「いや「だから」ってなんだよ、全然話繋がってないから…。つーか、さっきから俺の話聞いてる?」

    突然何なんだ。
    本当に何なんだよ。
    ダメだコイツ今完全に自分の世界だ。
    なんだよ守らせてくれって。
    成人過ぎた弟に言う台詞じゃねーわ。
    ふざけてんだろ。
    何が一番ふざけてるって、こんな事を言われて嫌な気がしないどころか嬉しいとか思ってしまった自分がふざけてる。
    え、なんでこんな心臓バクバクいってんの僕?!

    「一松。」
    「~~~っ」
    「もう俺は、あんな思いをするのはごめんだ。
    あの時、お前を失ってしまうのではないかと一瞬考えた…本当に、怖かった。
    帰ってきてからも…このまま目を覚ましてくれなかったら、と思うと恐ろしかった。」

    ゴツゴツした両手で両頬を包まれた。
    カラ松の指先はひんやりしていた。
    それとも僕の頬が火照っているのか。
    …前者だと信じたい。
    カラ松の目は真っ直ぐに、真っ直ぐ過ぎて苦しいくらいに僕を見据えている。
    ちょっと待てって。
    カラ松お前マジでどうした。
    何突然雄み増してんだよ。
    そんでもってなんで僕はそれにドギマギしてんだ。

    「だから、もう俺から離れるな、一松。
     お前を引き込もうとする悪しき魂も取り入ろうとする魂も何もかも俺が祓ってやる。
     取り入る隙がないくらいお前の心を埋めてやる。」
    「な…あ、アンタ…自分が何言ってるか、わかってんのか…?」
    「わかってるに決まってるだろう。」
    「そ、れは…告白なわけ?」
    「そうだな。」
    「…俺が、本気にしたらどうするつもりだよ…?」
    「むしろ本気にしてもらわないと困るんだが。」
    「いや、待てって…。アンタは単にあんな事があったから気がふれてるだけで…」
    「一松。」
    「っ!!」
    「もう一度言うぞ。もう俺から離れるな。」
    「わかっ…た…。」

    有無を言わさぬ視線でそんな事を言われたら、僕にはイエスと応えるしか選択肢がなかった。
    くそ、そんな真剣な目でなんて事言ってきやがるんだ。
    自分の心臓の音がうるさい。

    「言ったからには…絶対守れよな、クソ松…。」
    「ああ!望むところだ!」

    あー、うん。
    僕も大概馬鹿だよね。
    カラ松の言葉が死ぬほど嬉しいなんてどうかしてる。
    ほんとどうかしてる。

    「一松…キスしていいか?」

    だから!なんでお前は!!そう唐突なの?!

    「…いいよ。」

    そして!なんで僕は!!あっさりOK出しちゃったの?!

    触れてきたカラ松の唇は指先と同じくひんやりしてて気持ちよかった。
    クソ松てめぇ熱が下がったら覚えとけよ。

    ++++++++++++++++++++++

    13.

    チョロ松も一松も目を覚ましてくれた。
    これでようやく一安心だ。
    ほんと、真ん中2人の体質は困ったモンだね。
    今回は久々に俺もヒヤヒヤした。
    卓袱台に頬杖をついてぼんやりしていると、誰かが階段を降りてくる音。
    カラ松は買出しに行ってるし、十四松とトド松は近所の寺にもう少し強力な御札や御守りの作り方を相談しに出掛けている。
    一松はまだ熱が下がっていないだろうから、階段を降りるなんてことはしないだろう。
    となると、この足音はチョロ松だろうな。

    入口に目を向けると、予想通りチョロ松の姿。
    足取りも顔色も問題なさそうだ。

    「おそ松兄さん…。」
    「おー、おはよチョロ松。」
    「うん、おはよう…。」
    「どした?ンなとこ突っ立ってないでこっち来いよ。」

    トントンと畳を叩くと、チョロ松は大人しくそれに従って俺の隣に腰を下ろした。
    いつもより大分口数が少ないチョロ松の視線は、俺の肩に当てられたガーゼに注がれていた。

    「肩、痛む…?」
    「ヘーキだって。心配症だな~!」
    「でも…」
    「だーから見た目より全然大した事ないからって。」
    「……。」

    あーあ、黙り込んじゃった。
    なんか面倒なこと考えてるに違いない。
    え?なんでわかるのかって?
    そりゃぁ俺カリスマレジェンド長男様よ?
    可愛い可愛い弟が何考えてるかなんてお見通しなんですー。

    「…おそ松兄さん。」
    「んー?」
    「なんで、見捨ててくれなかったの。」
    「はい?」
    「いい加減嫌にならない?毎度毎度こんな面倒ごと引き起こしてさ、
     一松もそのせいで酷い目に遭って、十四松やトド松にも迷惑掛けて
     …おそ松兄さんに、こんな、怪我…させて…。それなのに、なんでみんな…。」

    ほら、すっげ面倒なこと考えてた。
    自分のせいで兄弟を巻き込んだって責めてるんだろう。
    ンなモン仕方ねーじゃんって開き直っちまえばいいのに、どうやらコイツはそれができないらしい。
    確かに霊媒体質な上に引き寄せ体質なチョロ松は霊的なトラブルをよく持ち込む。
    それに一番被害に遭うのは同じく霊媒体質で取り込まれやすい一松だ。
    実は一松自身はそこまでホイホイじゃなかったりするんだよな。
    チョロ松が連れて来ちゃったヤツが流れて来るだけで。
    で、一松が取り込まれてしまえばそれこそ兄弟総動員で除霊合戦となるわけだが。
    その事が余計にチョロ松の心に暗い影を落としている。
    自分がいなければ、だなんて柄でもない事を考えてるのだろう。
    そーゆー自傷系はお前の一つ下のキャラだろうが。

    ひとまず、あの屋敷にいた時におあずけになってたことだし…と、チョロ松を引き寄せた。
    油断していたのか、チョロ松の頭ははあっさりとボスンと音を立てて俺の胸の内に収まった。

    「ちょ…何して…」
    「なあ、チョロ松さ、『宿曜占術』って知ってる?」
    「え…?」
    「んー、いや、俺もそこまで詳しいわけじゃないんだけどさ、簡単に言うと東洋の27星座占いって感じ。」
    「…それが、何…ていうか僕の話聞いてた?」
    「まー、聞けって。その宿曜ってのはな、占星盤でそれぞれの宿との相性が距離で細かく決まってるんだよ。」

    例えば俺は「危宿」という宿。
    同じ生年月日の俺達六つ子全員がこの宿だ。
    この宿だと、参宿とか、亢宿の生まれの人と相性がいいらしい。
    まー、それは置いといて。

    「同じ宿同士の相性って「命の関係」って言われてるんだと。
     わかる?命の関係。この関係の人と出会う確率って、宿曜の数ある関係性の中で一番低い。
     でな、運命的な縁がすっごく深いんだと。
     滅多に出会うことがないけど、一度出会っちまうと強力な因縁が生まれて、なかなか離れなれねーの。」
    「………。」
    「つまりさ、俺達は生まれた時から命の関係にあたる人と5人も出会っちまってんの。
     そりゃあもうとてつもなく深い因縁だと思うわけよ。
     仮にお前を見捨てたとして、そんな事くらいじゃ簡単に切れやしない縁で結ばれてるんだよ。
     そもそも、俺はチョロ松を手放す気なんてこれっぽっちもねーよ?
     一生掴んで離さねーって勢いよ?
     …だから、うだうだ考えてないでもうこういう運命なんだって諦めろ。
     大丈夫、俺が何度でも助けに行ってやる。」
    「何それ…いきなりなに言い出すかと思えば…。」

    俺の胸元に顔を押し付けてるせいでチョロ松の声はくぐもっている。
    視線を落とすと、少しだけ耳が赤く染まっているのがわかった。
    頭を押し上げると、赤く染まった頬と薄く膜の張った潤んだ瞳。
    あ、すっげーそそる。
    もう絶対離してなんかやんない。

    「絶対に捨ててなんかやんないよ?
     泣いてお願いしたってしつこく付きまとってやるから。」
    「おそ松兄さ…」

    だって俺の相棒は今も昔もお前なんだからさ。
    どこかの知りもしない悪霊なんかに取られてたまるかっての。
    あ、そういえば異空間の屋敷にいた時にコイツにキスしようとして出来なかったんだっけ。
    続きは帰ってからしようと思ってたんだっけ。
    よし、ちゅーしちまえ。

    「チョロ松」
    「なに、おそま…んぅ?!」

    少し強引に唇を重ねた。
    面白いくらい跳ね上がったチョロ松の肩を抱き込んで逃がさないようにホールドしてやる。
    最初は抵抗していたチョロ松もやがて諦めたのか大人しくなった。
    かさついたチョロ松の唇を舐めて、吸い付くように。
    やべ、ちょっと止めらんないかも。

    結局、玄関の戸が開く音がして、買出しに出掛けていたカラ松が帰ってくるま甘ったるい口付けを続けていた。
    無理やりそれ以上の行為には及ばなかった事を褒めてほしい。

    後に、真っ赤な顔をしたチョロ松に思いっきり殴られたのはいうまでもなかった。

    ++++++++++++++++++++++

    14.

    チョロ松の話
    あれから色々あって、僕らは異空間ではない、実際の集落跡にやってきていた。
    本当は一松と2人で来ようと思ってたけど、兄弟に心配されて結局6人全員で来た。
    そこまで遠い場所ではなかったし。
    湖に佇む鳥居に一松と花を手向けて、2人で手を合わせて目を閉じた。
    湖は澄んだ空気に包まれている。
    あの澱んだ瘴気は今は全く感じない。
    血濡れ男こと、贄の少年の兄が無事に成仏したからだろう。
    正直言うと、僕はあの時このまま一緒に滅びてもいいと思っていた。
    取り憑かれて思考がぶっ飛んでいたのかもしれないけど、
    心の依り所にしていた弟を理不尽に奪われ、怒りのまま村人を襲い返り血で真っ赤になった着物姿の彼を
    救いたいと思ったのは紛れもなく僕の本心だった。
    憑かれた時に見えた彼の最期。
    虐殺を繰り返し我を失って暴れ狂うその人は最期には生き残った村人によって殺された。
    頭を殴られて、その衝撃で片目が潰れて。
    それでも自分が死んだことに気付けず、怒りのまま彷徨っていた哀しい魂はようやく怒りから解放された。
    天国では兄弟仲良くね、なんて。

    ーーー

    一松の話
    チョロ松兄さんと隣合って手を合わせる。
    なんだか不思議な気分だ。
    僕は此処で石の箱に詰め込まれていたのだが、ぶっちゃけどうやって箱の中に入ったのかは全く覚えていない。
    思い出したくもない。
    この集落に根付いていた儀式によって命を落としたその子は、後悔の念に支配されていた。
    あんなに慕っていた兄を恐ろしいと感じてしまった事、
    兄を悲しませてしまった事に罪悪感を抱いて、水底に沈むことが出来ずにその思いは浮かび上がって咽び泣いていた。
    僕が弟の霊に憑かれたのは、そういった兄弟に対する複雑に捻じ曲がった思いに共鳴したからだと思う。
    身体を貸して、兄への思いをぶちまける彼の言葉の中には、ほんの少しだけ自分の本音も混じっていた。
    本当に、ほんの少しだけど。
    僕はあんなに素直に思いを吐露することができないから、思いを吐き出す彼が少しだけ羨ましく思った。
    あの長い一晩の間にいろいろあったけど、結果的にこれでよかったんじゃないかな。
    これでいいのだ、なんて。

    ーーー

    「お待たせ。」
    「おう。2人とも気ぃ済んだか?」
    「うん。」
    「そんじゃ、帰るとするか!」

    6人揃って湖に背を向けた時、どこからか声が聞こえた。

    ーありがとう

    それに少しだけ笑って、けれど振り返ることはせずに集落跡を後にした。
    さて、帰ろう。



    end.

    ーーー


    蛇足の霊感松設定。

    おそ松
    見える・聞こえる・触れる・祓える。
    物理系チートその1。大抵のことは対処できる。
    塩を掴んで一殴りすれば大体除霊できてしまう。
    ただし、人に憑いた霊は祓うことが出来ない。
    基本的には傍観体制でいるけど自分達に降りかかる火の粉は払いたいので向かってくる奴には容赦しない。
    自分からは動かないが助けを求められたら必ず助けに来てくれる。
    圧倒的ラスボス感。

    カラ松
    見える・聞こえる・触れる・祓える。
    物理系チートその2。
    とりあえずブン殴れば大体除霊できるし、結界も破壊できる。
    おそ松同様、人に憑いた霊は祓えない。
    悪霊等を寄せ付けない体質。
    兄弟を守りたい。弟達は自分が守るという意識が強い。
    そのため近づいてくる霊はどんなものでも問答無用で祓おうとする傾向にある。
    兄貴は放っておいても大丈夫だろ、的な信頼という名の放置。

    チョロ松
    見える・聞こえる・祓えない。
    引き寄せやすい&霊媒体質。
    祓う力がないのに色々と引き寄せてしまうので
    おそ松と行動を共にする事が多かった。
    結界を張るのが得意な防御型。
    そこまで結界の力は強くないが日常的に張れるくらい長続きできる。
    おそ松が一緒だったり結界が得意だったりするので
    体質の割に引き寄せたのが一松へ流れるせいで取り込まれる事は多くない。(全くないわけではない。)

    一松
    見える・聞こえる・祓えない。
    誘われやすい&霊媒体質。
    動物霊に好かれやすい。
    最後を看取った猫が何匹か守るように守護してくれている。
    下級霊なら猫達が追い払ってくれる。
    ただ、霊とはいえ猫を傷つけたくないので
    自分からは滅多に使役しようとしない。
    チョロ松同様に結界が得意。
    チョロ松よりも強力な結界を張ることができるが長続きしない。
    霊に同調しやすいので兄弟の中で一番危なっかしい。

    十四松
    見える・聞こえる・触れる。
    野生的な勘が鋭く気配を察知するのが得意。
    兄弟の気配なら多少離れていても把握できる。
    人と区別がつかないくらいハッキリ見えているので
    幽霊とかそういうのはあまり気にしていない。
    無害な霊と悪霊の区別はなんとなく察せられるので
    ヤバイ奴には本能的に近づこうとしない。
    祓う力はないが、悪霊とか害のあるものを寄せ付けない体質。
    なので取り込まれやすい一松とよく一緒にいる。

    トド松
    見える・聞こえる。
    十四松と同様に気配を察知するのに長けている。
    お守りやお札等の呪具を作るのが得意。
    霊媒体質のチョロ松と一松に護符を定期的に手渡している。
    怖がりなため喩え無害な霊であっても絶対に自分から関わろうとしない。
    霊に狙われることもあるが、自分に近づいてきた霊は
    高確率でチョロ松や一松の方へ流れていってしまうので
    その辺は2人に申し訳ないな、とは思っている。
    自分だけで対処するのは怖くてできないので
    自分のせいでヤバイのが2人に向かってしまった時は大体おそ松に助けを求める。


    ーーー

    更に蛇足。

    ここまで読んで下さりありがとうございました。
    無駄に長い上に相変わらずの超展開で申し訳ございません。
    そして突然ぶっ込まれるおそチョロとカラ一!

    ちなみに、おそ松兄さんが話していた「宿曜占術」ですが、
    六つ子の宿はおそ松くんが発表された1962年で出しています。
    1962/5/24で占うと彼らは危宿です。
    ちなみに危宿の基本的な性格は以下のように説明されてます。
    (説明は「宿曜占星術光晴堂」様から拝借いたしました。)
    ーーー
    自分を偽らないイノセントな人。
    周囲の視線をさらうスタイリッシュな魅力に恵まれています。
    好奇心旺盛で新しいものが大好き。
    平凡を嫌い逆に風変わりなものを好む傾向が強く、その興味の対象もコロコロと変化します。
    知的思考が強く、精神の自由を何よりも尊重するあなたは、
    現実の行動より夢や幻想の世界を好む夢想家タイプです。
    不自由な安定よりも、不安定な自由を好む傾向が強く、
    それだけに楽なほうへ流されがちなのが欠点です。
    ーーー

    あながち間違っていないような…笑
    焼きナス
  • 【腐】カメ音カメラマン要素とカラ一要素のないカメ音。
    ※音声さん要素はヘッドホンw #デジタル #カラ一 #腐向け #おそ松さん ##おそ松さん
    みくりぃあ
  • 1月8日大阪インテ 新刊表紙問題ないければ保バス本だします。
    コピ本になりますが
    ご興味があればお願いします^^ #インテ #色松 #カラ一 #一カラ #一松 #カラ松 #保バス
    カラ松girl ぬめ
  • からじぇい #一松 #カラ松 #カラジェイ #色松 #カラ一カラ松girl ぬめ
  • 2家宝は寝て松5 サンプル家宝は寝て松5にでます!
    宜しくお願いします。11/6大阪 K13b #一カラ #カラ一 #サンプル #家宝は寝て松 #色松
    カラ松girl ぬめ
  • 3合同本表紙絵 11月家宝でます!11月家宝でます!宜しくお願いします! #一カラ #カラ一 #イチカラ #カライチ #家宝 #色松 #一松 #カラ松 #おそ松さんカラ松girl ぬめ
  • 2色松ウェディング #カラ一 #色松カラ松girl ぬめ
  • 色松 #色松 #カラ一 #一カラカラ松girl ぬめ
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