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  • ##2018年 #カラ松 #JK弁弁ちゃん #カラカラ弁弁 #カラカラ #BL松八頭身派(はっと) 颯仁
  • ##2018年 #BL松 #カラ松 #カラカラ #透視次男 #透視くん #透視君 #青戸唐次八頭身派(はっと) 颯仁
  • ##2018年 #BL松 #カラ松 #カラカラ #JK弁弁ちゃん八頭身派(はっと) 颯仁
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  • 2 ##2018年 #カラ松 #JK弁弁ちゃん #カラカラ弁弁 #カラカラ #BL松八頭身派(はっと) 颯仁
  • 13CPごちゃまぜ松 #腐向け #BL松 #おそカラおそ #チョロカラ #カラトド #チョロおそチョロ咲島
  • 4おそカラおそジャンケンでタチネコ決める同軸リバが三度の飯より好き #腐向け #BL松 #おそカラおそ咲島
  • 524過去に描いたカラ一 #腐向け #BL松 #カラ一咲島
  • 6チョロおそチョロ過去に描いたチョロおそチョロ #腐向け #BL松 #チョロおそチョロ咲島
  • 4【チョロおそ】恋人の好きなパーツにキスしてください過去に描いたチョロおそ編 #腐向け #BL松 #チョロおそ咲島
  • 2【カラトド】恋人の好きなパーツにキスしてください過去に描いたカラトド編 #腐向け #BL松 #カラトド咲島
  • 51MATSU Log 7遅くなりましたがツイッターのログになります。安定のスマヒラさんが多めになっております。最近第五人格にもハマって別垢にいたりしますがオフ活動は松のみなのでご安心をw

    #BL松 #一カラ #壱ヒラ #アラヒラ ##スマヒラさん
    てくの
  • 820181124家宝にて無配で配ったものです。
    第五パロなので興味ない方はスルーでお願いします。
    とても楽しいイベントでした。新刊・既刊お手に取ってくれた方々ありがとうございました!
    次回は2月の春コミを予定しております。

    #BL松 #一カラ
    てくの
  • 119/17発行 【ドンの華麗な?スマホ生活】オフ 32p ¥500

    イタリアからとある目的のためにやってきたドンとスマヒラさんのお話です。
    ナチュラルに班マフィも存在してます。
    ヒラさんがスマホだったり小さかったりしますので、そういった特殊なものが苦手な方はご注意ください。

    ※壱くんの快適スマホ生活シリーズの番外編ですが、話に繋がりはないので単体で読めます。
    販売終了時にこのページは削除いたします。11月も多少持っていく予定です。

    通販:https://ec.toranoana.shop/joshi/ec/item/040030667768

    #BL松 #一カラ #ドンヒラ ##スマヒラさん
    てくの
  • 30MATSU Log6原稿の修羅場に入る前に直近のまとめです。スマヒラさんから店さげまで色々。 ##スマヒラさん #BL松 #一カラ #壱ヒラ #チンオナ #ドンヒラてくの
  • 68MATSU Log4支部からの移行4つ目。かなり抜粋したので見やすいものばかりかと(笑)
    Twitterのフォロワー様とコラボしたものもあります。
    ##スマヒラさん #BL松 #一カラ #壱ヒラ
    てくの
  • 3チンとオナと飴ちゃんと #チンオナ #BL松てくの
  • 3直近のまとめ #ドンヒラ #アラヒラ #BL松てくの
  • 柏手は深夜に響く #BL松 #チョロ一 #長兄一 #一松愛され #一松 #妖怪松

    妖怪長兄(※二人とも狐)と白ラン年中と式神末によるエセ大正浪漫風な話。
    一松中心。チョロ一基本の一松愛され風味。
    ちょっとだけおそチョロっぽいところも有ります。

    !ご注意!
    ・長兄が妖怪(次男が烏じゃなくてごめん)
    ・年中が学生(白ランのつもりだったのに気付けば要素が消えた)
    ・末が長兄の式神(式神のようなもの?)
    ・エセ大正ファンタジー風。時代考証できてません
    ・年中がナチュラルに共依存状態
    ・怪我の表現有
    ・年中がちょっと可哀想(でもむしろ皆可哀想)
    ・無駄に長い

    ────────

    柏手は深夜に響く

    《序》

    ー 大正三年 三月十日 午前二時

    草木も眠る真夜中丑三つ時。
    一人の少年が狭く急な山路を辿っていた。
    その山路はろくに手入れもされておらず、崩れかけた急勾配な石段の隙間からは雑草が蔓延り、当然街灯もなく真っ暗だ。
    辺りは鬱蒼と生い茂る木々に囲まれている。
    白い切石が暗闇の中ぼんやりと浮かんで見えた。
    そんな険しい道のりを、やや猫背気味の少年は黙々と登り続けていた。
    深緑の松模様があしらわれた藤色の袴下に紫紺の袴。
    年の頃はおよそ十代後半だろうと思われるが、伏せられがちで気怠げな目元からはどことなく大人びた雰囲気を感じさせる。
    しかしながら、その面立ちは未だあどけない幼さも抜け切っていない。
    少年の額には汗が滲んでおり、時折それを袖口で乱暴に拭いながらも山路を登る歩を緩めることはなかった。

    どれくらい歩いたのだろうか、やがて石段を登りきり、僅かに視界がひらけた所で少年はようやく動かし続けていた足を止めた。
    少年の目の前には所々塗装が剥がれ落ちた朱塗りの鳥居、
    そしてその奥には古ぼけた小さな社が鎮座していた。
    しばし社をじっと見据えていた少年は、上がった息を整えると、鳥居をくぐりゆっくりと社へと近づいた。
    小さな賽銭箱は苔に浸食されており、鈴もすっかり錆び付いている。
    そんな、朽ち果てたと言われても致し方ない様相は気にも留めず、少年は懐から丁寧に折り畳まれた懐紙を取り出し、それを賽銭箱に落とすと鈴を鳴らした。
    錆び付いた鈴からは掠れたような音が響いてやけに不愉快だ。
    拍手を二度。
    そして祈るようにぎゅっと目を閉じ、
    最後に深く一礼して大きく息を吐く。

    真夜中、誰にも見つからないようにたった1人で険しい山路を登り、朽ちかけた小さな社に参拝する ー……

    この奇妙な参拝を、少年はもう三月以上続けていた。
    ー… 今夜で、ちょうど百日目。
    雨の日も、雪の日も、毎晩休む事なく通い続け、これが百回目の参拝である。

    百度目の参拝を終えてぼんやりと社を眺める少年の耳に、不意に誰かの拍手が聞こえてきた。
    音のする方へと振り向けば、そこには鮮やかな紅い着物に身を包んだ一人の男の姿。
    ただ男が普通と違っていたのは、頭部は狐の耳を冠しており
    背には滑らかで豊かな毛並みの尾を携えている点で、人ならざる存在である事は火を見るより明らかであった。
    男は一見すると人好きのする柔らかな笑みを称えているが、その雰囲気はどこか威圧的で見る者を思わず平伏させてしまうような冷たい鋭さが見え隠れしている。

    異形とも云うべき男の姿を目にしても、少年は特に驚いた様子を見せなかった。
    それも当然だ。
    何故なら少年が毎夜この小さな社を参拝するきっかけを作ったのが、他ならぬこの異形の姿をした男だからである。
    手を叩く事を止めた男は、人懐こい笑みを浮かべ、少年に言った。

    「お見事。頑張ったじゃん、一松。」

    ────────

    《一》

    ー 大正二年 四月十四日 午後八時半

    「一松。」
    「何、チョロ松。」

    名を呼ばれ、少年…一松は振り返った。
    目線の先には一松と瓜二つの兄、チョロ松の姿。
    よくよく見ればその顔つきや表情はそれぞれ異なり個性を持っているのだが、それを見分けるのは非常に困難だ。

    双子の兄弟であるチョロ松と一松は、とある華族の血筋の名家に生まれた。
    双子の男児。
    二人が生まれた時、父親はその事実に僅かに顔を顰めた。
    二人が幼い頃に死別した母は双子に惜しみない愛情を分け隔てなく与えてくれたが、父親は息子達への愛情よりもこの家の未来を危ぶんだ。
    双子が成長した時に、後継問題が起こるのではないか、と。
    いずれこの家の後継問題を引き起こす火種になり得る可能性を潰したいがために父親が取った策は、チョロ松と一松の扱いをはっきりと区別する事だった。
    兄であるチョロ松がこの家の跡継ぎなのだと二人に言い聞かせ、跡継ぎたる教育はチョロ松だけに受けさせた。
    園遊会や会合も、連れて行くのはチョロ松のみ。
    一松には満足な教育を受けさせず、表立った席にも決して出させなかった。
    そうして、二人の立場を明確にして諍いが起こらないように仕向けようとしたのだ。

    しかし、父親はまだ気付いていない。
    この愚かな目論見に大きな誤算があることに。

    母親の死後、跡継ぎとして勉学と作法を強要され、周りからの重圧に晒される羽目になったチョロ松と
    存在を隠され、まるで忌み子さながらに扱われることになった一松。
    満足に家族の愛情を得られない二人が互いを唯一無二の存在と認識し、心の拠り所として求め合うようになったのは、物心付くか付かないかくらいの頃からで。
    チョロ松は安らぎを与えてくれる存在を求め、一松は己を肯定してくれる存在を求め、幼かった彼らは無意識のうちに、互いに心の安寧を求め合ったのだ。
    勿論、互いが互いを羨み妬みたい時もあるのだが、それ以上に片割れの不遇を哀れんだ。
    そんな双子の兄弟には、二人だけの秘密がある。

    「明日さ、僕の代わりに学校行ってほしいんだ。
     どうしても朝一で買いたい本があってさ。」
    「ん、いいよ。」

    こっそりと交わされる口約束。
    父親の誤算はこれだ。
    双子の兄であるチョロ松のみに跡継ぎとしての教育を施しているはずが、この兄弟、時折入れ替わっていたのである。
    誰一人入れ替わりに気付くこと無く、まるで大人達を欺くかのように、それは見事に。

    チョロ松は藤色の袴姿となり、髪を少々乱れさせ猫背に、逆に一松は真白な学生服に袖を通し、髪を整え背筋を伸ばせば簡単に入れ替わりは完了だ。
    互いの振りなど双子の彼らには造作もないこと。
    チョロ松を演じる為に、一松は兄が通う学校の友人を覚え、更に学業にも追いつく必要があったが、教科書を借りたりチョロ松から教えてもらったりしているうちに、今では学業面もチョロ松と同程度にまでなっている。
    チョロ松もチョロ松で、一松を演じる時は弟が世話をしている猫達と戯れながら自由に羽を伸ばしていた。
    そうして、入れ替わった日は互いの一日を事細かに共有して、何食わぬ顔で元に戻るのだ。

    この兄弟二人だけの秘密事は、彼らに刺激と高揚感を与え、唯一無二の兄弟に対する独占欲と優越感を擽った。
    元々は幼い時分にチョロ松が自分だけ勉学や園遊を迫られる事に不満を覚え、軽い気持ちで一松に入れ替わりを提案した事が始まりだった。
    その時はちょっとした気晴らしで、ちょうどいい気分転換が出来ればいい程度の思いだったのだが
    長い月日を経て、この「秘密の入れ替わり」は心を満たす為の、ある種、儀式めいたものになりつつあった。

    「明日、僕は『一松』で」
    「明日、俺は『チョロ松』」

    互いを演じ、互いの生活をその身に感じると、まるで兄の、弟の、総てを手に入れたような錯覚に陥る。
    二人だけの秘密を重ねる度に、片割れへの依存心は少しずつ、しかし確実に大きくなっていく。
    おそらく、今ではもう引き返すことが出来ないくらいにはなっているだろう。
    家を空けることの多い父親とは顔を合わせる機会も少なく、二人が偶に入れ替わっている事など露ほども知りはしない。

    小さな声で確かめ合うように、まるで呪文のように言葉を交わし、最後にそっと唇を重ねれば
    もうそこは二人だけの世界と言っても過言ではなかった。
    額と額をくっつけてクスクスと笑い合う姿は一見すると(少々距離は近過ぎるものの)非常に微笑ましくも見える。
    兄弟、という一言では片付けられない関係に拗れてしまってはいるものの、
    この二人だけの時間が、チョロ松にとっても一松にとっても、心の安息所とも云うべきひと時だった。


    ー 大正二年 十一月二十四日 午後五時

    陽射しは穏やかだが、吹き付ける風が冷たくなってきた時節、その日、一松は自室に篭もりきりだった。
    父親は一松が人目につく明るい時間帯に外出する事に、あまりいい顔をしない。
    なるべく、一松の存在を隠しておきたいのだろう。
    この家に双子の男児が生まれた事は、親族や交友のある家は知っているのだから、意味があるとは思えないが。
    屋敷の使用人達は一応、一松を家の者の一人に数えてくれているし、チョロ松と明らかに態度が違うわけでもないのだが
    主人である父親の目を恐れているのか、必要最低限のやり取りしかしなかった。
    一松も、使用人の顔と名前は朧気にしか覚えておらず、使用人を誰か一人でも名前で呼んだためしがなかった。
    名前を覚えるのが面倒だ、というのが大半を占めるが、特定の使用人と親しくなり、それが父の知るところになったとして、その使用人の処遇に悪影響を及ぼしてはいけない、という思いも、僅かながらあった。

    日が落ちてきたら、近所の仲の良い野良猫に餌をやりに行って、夕餉の時間になる前に帰ってこようか。
    自室で本を読みながら、一松は夕刻以降の予定を立てていたが、それは変更せざるを得なくなってしまった。
    というのも、穏やかな夕時の空気が突如として騒然としたものに変わったかと思うと、次いで屋敷の使用人達の慌ただしく駆け回る足音やざわめきが聞こえてきたのだ。
    …何かあったのだろうか。
    眉を顰めながら自室の戸を開けて屋内の様子を伺えば、顔を出した一松に気付いた使用人の一人が、血相を変えて駆け寄ってきた。
    そして発せられた言葉は、彼にとって俄に信じ難いものであった。

    「一松様、大変です!
     チョロ松様が事故に遭われて…!」
    「え……?!」

    使用人の言葉を最後まで待たず、一松はチョロ松の部屋へと駆け出した。
    双子の兄弟であるはずの二人だが、父親が彼らに宛がった部屋は随分離れている。
    チョロ松の部屋が父の書斎横の日当たりの良い八畳間なのに対し、一松の部屋は屋敷の隅、階段下の四畳半部屋だった。
    途中、桶と手拭いを持った侍女とすれ違いざまに危うくぶつかりそうになったが、今は気にしていられない。
    本人達は知らないが、使用人達にとって、双子の兄弟の仲の良さは常識として知れ渡っている。
    先ほどの侍女も一松を見て察したのだろう、特に気にした様子はなかった。
    一松がやや乱暴に部屋の戸を開けると、医者らしき初老の男性と、この家の使用人達のまとめ役である番頭がこちらを振り向いた。
    部屋の奥の寝台には、チョロ松が寝かされていた。
    目元、肩口から胸部、右腕と右脚は白い包帯で覆われ、包帯の下から覗く白い肌は血の気をすっかり失っている。
    生気をまるで感じられない兄の姿に、ほんの一瞬、一松の脳裏には最悪の事態が過ぎったが、兄の胸元が僅かに上下しているのを確認し、思わずその場にへたりと座り込みそうになった。
    持ちうる理性を総動員し、言う事を聞かない己の足をなんとか動かして、チョロ松が横たわる寝台のすぐ傍まで足を動かせば、番頭が座椅子を差し出してくれた。
    有り難くそれに腰掛けて改めてチョロ松の様子をうかがえば、医学に精通していない一松の目から見ても、兄の容態が芳しくない事は明白であった。

    聞けば、チョロ松は学校からの帰り道、暴走した荷馬車の横転事故に運悪く巻き込まれてしまったのだという。
    これは一松が後から知った事だが、その事故は人通りの多い大通りで起こり、兄の他にも、帰路を急いでいた学生や社会人、通りで商売をしていた商人等、大勢の人が巻き込まれ、大勢の死傷者を出したらしい。
    建設事務所を目指していたらしい荷馬車の荷台に積まれた木材や硝子は、人々を傷付けながら通りに散らばり、平和な夕時は一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図と成り果てたのだろう。
    翌日の新聞には、この事故が大見出しで報じられていた。

    不幸にもこの大事故に巻き込まれてしまったチョロ松は、荷馬車が運んでいた様々な木材、石材によって全身に打撲や深い切傷を負い、砕け散った硝子は彼の瞳を傷付けた。
    中でも右脚と両目の怪我は深刻で、医師によれば回復はほぼ見込めないだろうとのことだった。
    もしかすると、もうずっとこのまま寝たきりかもしれない、と。

    「チョロ、松…。」
    「………一松?」
    「ん。…起きてたんだ。」
    「うん。一松、そこにいるの?」
    「いるよ。」

    番頭と共に医師を見送り、一松が再びチョロ松の部屋へ入ったときにもチョロ松は相変わらず寝台に横たわったまま身じろぎ一つしていなかった。
    していなかった、と言うより動くことが出来なかったのだろう。
    ほぼ無意識に一松の口から漏れた、まるで縋るように兄を呼ぶ小さく掠れた声は、チョロ松の耳にはしっかりと届いたらしい。
    チョロ松は声がしたであろう方へと、ほんの少しだけ首を動かした。
    兄の目は包帯によって完全に塞がれている。
    光を亡くしてしまった兄の目は、もうこの先暗闇しか映せないのだろうか。
    一松には、それが何よりも残念でならなかった。
    チョロ松の瞳は少し小さく三白眼気味で、チョロ松自身はそれを嫌がって一松の人並みな大きさの黒目を羨んでいたが
    (一見すると二人の瞳の大きさの違いなど、すぐに気付ける人は皆無に等しいにしても、だ)
    小さな瞳は実に表情豊かであった。
    元来チョロ松は非常に口が回る人で、無口な一松の分まで立板の水のように澱みなく、よく喋るのだが、本当に雄弁なのは口よりもむしろ、その表情豊かな目なのだと一松は思っている。
    そんな目まぐるしく色を変える兄の目が、一松は好きだったし、その目が自分をゆるりと捉え、下がり眉を更に下げて優しく笑う兄が好きだった。
    その瞳も、もう見れないのだろうか。
    そんな事を頭の片隅で思いながら、一松はチョロ松の手を取った。
    常から体温の低いチョロ松の、ひやりとした手に一松の手のひらの温度がじわりと溶け合うように伝わった。
    チョロ松は己の右手をしっかりと握る一松の手の上に、更に自身の左手を重ねると僅かに口元を綻ばせた。

    「一松…泣いてるの?」
    「泣いてないよ…なんで?」
    「そう?…なんだか、お前が泣いてる気がしたものだから。」

    実際のところ、あまりに痛々しい兄の姿に、一松はみっともなく泣き出したい衝動に駆られていたが、それは強く目を閉じて堪えていた。
    「泣いてない」とは応えたものの、その声はすっかり震えていて、チョロ松には一松の強がりが手に取るようにわかっただろうが、それ以上の詮索はしなかった。


    ー 大正二年 十一月二十五日 午後八時半

    次の日の夜、チョロ松の自室で一松は兄の食事の介助を終え、食器を使用人に預けると、お湯で濡らした手拭いで簡単にチョロ松の身体を拭き、医師から処方された塗り薬を塗布して包帯を巻き直してやっていた。
    覚束無い手つきだが、昨日あらかじめ医師から手順の説明を受けていたこともあって、その仕事はゆっくりではあるが丁寧で、ほどけそうな気配もなくしっかりしている。
    途中、うっかり包帯を取り落としたりしたが、チョロ松は何も言わずだまって介助されている。
    これは、一松自ら「自分がやる」と使用人達に宣言していた。
    一松の突然の申し出に使用人達は戸惑ったが、チョロ松も目が見えなくなったことで他の感覚が過敏になっているのか、一松以外の人に身体を触られることを酷く嫌がったため、結局のところこの仕事は一松にしか出来ない事だった。

    チョロ松の身体は、随分と火照っている。
    昨日の青白い肌と低い体温が嘘のようだ。
    医師は鎮痛剤と解熱剤も多めに置いていってくれたが、昨晩からチョロ松は大怪我の影響なのか高熱にうなされ、今日も卵粥をようやく茶碗一杯なんとか流し込めたところだった。
    寝台に沈み込むチョロ松の姿は、驚く程弱々しくて一松を一層不安にさせる。

    (死なないで、チョロ松…お願いだから。)

    思わず、そんな風に祈らずにはいられなかった。

    一松が包帯を巻き終え、薬箱の後片付けをしていると、不意に部屋の戸が開けられた。
    その時には下を向いていたため、戸を開けた人物の顔はすぐに見れなかったが、誰なのかは瞬時に理解できた。
    使用人ならば跡継ぎであるチョロ松の自室に入ろうとする前に、戸の前で必ず伺い立てをするはずだ。
    それをせず、何も言わずに無礼にもいきなり戸を開けるような人物は、広いこの屋敷において、一松は一人しか知らない。

    「父さん…。」

    この屋敷の現当主たる双子の父親、その人だった。
    戸口に立つ父親の顔は眉間に深く皺が刻まれており、中には入らずに入口から寝台で眠るチョロ松をじっくりと眺めている。
    その様子に、一松は何か声掛けをすればいいのか、この部屋から去るべきなのか、どうすればいいのか判らず戸惑ったが
    …ああ、チョロ松の怪我が心配で慌てていたのだろう、だから余裕も持てずいきなり戸を開けてしまったのだ。
    そしてチョロ松の痛々しい姿に、打ちのめされてしまっているのだろう。
    …と、父親の様子を最大限好意的に解釈することにした。
    やがて父親は視線を部屋の奥の寝台から薬箱を片付ける一松へと移すと、低い声で言い放った。

    「ついてきなさい。」

    一松には、拒否権などない。
    足早に部屋を去っていく父親の後を慌てて追いかけると、着いた先は隣の部屋…父の書斎だった。
    部屋の中央に誂えられた西洋座卓を挟み、向かい合う形で腰を下ろすと、父親は徐に切り出した。

    「あれは、もう助かるまい。
     一松、今後はお前が「チョロ松」となり後継者となるように。」
    「え…。」

    話はそれだけだ、と言わんばかりに父親はそれ一言だけを伝えると、さっさと部屋を去ってしまった。
    一人書斎に残された一松は、呆然としたまま父親の言葉を反芻した。

    「チョロ松に…なる…?」

    それは、父親が先ほどのチョロ松の様子を見て、早々に切り捨てる決断を下した証明だった。
    あの時、戸口で父は大怪我を負ったチョロ松の姿に打ちのめされ、悲観していたのではない。
    単純に、品定めをしていたのだ。
    チョロ松はもう使えない。
    だが、存在をひた隠しにされてきた一松が今更チョロ松に代わって表に出ていくのは外聞が悪い。
    ならば、大怪我を負ったのは一松だったという事にしてしまえばよい。
    そして、一松は今後「チョロ松」として跡継ぎになってもらえばよい。
    父親の考えを理解した一松はただただ呆然とするしかなかった。
    結局のところ、自分達は父親にとって家を守る為の手駒に過ぎなかったのだ。
    チョロ松の振りをするなど、元々内緒で「入れ替わり」をしていた一松にとっては容易いことだが、自分達の心の平静を保つために自主的にするのと、強要されるのとではわけが違う。
    父の言葉は、二人の意思と精神を冒涜するに足るものだったのだ。


    ー 大正二年 十一月三十日 午後八時

    あれから一松はチョロ松の介助をしながら、深く考え込む事が多くなった。
    父親の下した決定は、次の日にはもうチョロ松の耳にも届いており、チョロ松自身はその決定を静かに受け止めていた。
    一松の日課となった包帯交換の時に、小さく「ごめんね、一松。」と零したチョロ松に、一松は虚を突かれ、思わず手を止め兄の方を見た。
    包帯に覆われた兄の目は、果たして今どんな表情をしているのかは判らなかったが、きっと眉を下げて哀しそうな顔をしているのだろうと一松は思った。

    もしも、もし、万が一にも、チョロ松がこのまま快方に向かわなかったとしたら。
    酷く儚く見える兄が、その命を手放してしまう日が来てしまったとしたら。
    そのような事を考えるのは無粋だと理解はしていたが、一松は考えずにはいられなかった。
    チョロ松を失えば、一松は父親の言うように一生兄を演じて生きていかなければならない。
    それどころか、心の拠り所を、「一松」自身を見てくれて認めてくれる存在を、唯一無二の半身を失う事になるのだ。
    チョロ松がいなくなってしまえば、一松はもう誰にも「一松」としての存在を認識してもらえなくなる。
    「一松」も「チョロ松」もいなくなり、現し世に残るのはきっと偽りの「チョロ松」だ。
    便宜上、兄の名を呼ばれながらも、その正体は実は一松で、しかし、一松も心を手放し、ただ兄を演じる人形に成り果て、もうそこにはかつての一松もいないのだろう。
    チョロ松のいない世界など、一松にとっては到底耐えることなど出来そうにない生活だった。
    一松にしてみれば、チョロ松の死は己の死と同義と言っていいくらいには、兄への依存は膨れ上がっていたのだ。
    いまこの瞬間にも、少しでも気を緩めれば一松の涙腺はたちまち決壊してしまいそうであった。
    同時刻、チョロ松ももう涙など流せないであろう己の目を自嘲しながらも、嗚咽を噛み殺していた事は、強く目を閉じて涙腺を守っていた一松には気付けなかった。

    沈んだ表情のまま日課を終えた一松は、チョロ松が静かに寝息を立て始めたのを確認して部屋を後にした。
    もう日はすっかり沈んでいる。
    使用人達も、一部を除いて各々の部屋へ戻るなり家路につくなりしたのだろう。
    広い屋敷は水を打ったような静けさだった。
    長い廊下を歩きながら、一松は考える。
    あの父親は何故こんなにも息子達…チョロ松と一松に対して無関心を貫くのか。
    思えば父親らしいことをしてもらった覚えもない。
    それは、チョロ松の代わりでしかなかった一松にとっては当然のことなのだが、こっそりと兄と入れ替わって茶会や演奏会へ出席した時も、父が息子を見る目は同じだった。
    名家の血と伝統を重んじるあまりに、人の心を亡くしてしまったのだろうか。
    だとしたらなんて哀れな人だろう。
    …もしも幼い時分に他界した母親が生きていれば、少しは違っていただろうか。
    幼い自分達を愛し、抱き締めてくれた母の腕はどのくらい温かかっただろうか。
    優しく呼びかける声は、どんな声色をしていだだろうか。
    母親を思い出そうとして、一松はその記憶がひどく曖昧な事に気付いた。
    記憶に残る母親はチョロ松と一松に平等に優しく、温かな存在だった事は間違いないのだが、その声や顔はぼんやりとしている。
    思い出そうとすればする程、兄の顔がうかんでしまうので、一松はもうこれ以上母親の顔を思い出そうとするのは諦めてしまった。

    その代わり、一松はふと幼き日に母から聞いたある逸話を思い出した。
    確か、こんな話だった筈だ。

    ー 松林の山の頂上には、小さなお社があって、
    そこにはもう何百年も生き続けるお狐様が暮らしている。
    お狐様の元に参拝して願い事をすると
    気まぐれにお狐様は参拝者に試練を与え、
    それを達成出来れば叶えてくれる ー

    いつ頃聞いたのだったか、子供向けの昔話だろうが、何故かはっきりと、一字一句覚えていた。
    今まで記憶の底に眠ったままだったのが不思議なくらいだった。
    単なる昔話、子供向けの物語。
    一松はそう思ったのだが、この話と一緒に記憶に蘇った母の声と表情が、真摯に己を見つめていて…、

    だから、少し縋ってみたくなったのだ。


    ー 大正二年 十二月一日 午前二時

    草木も眠る真夜中丑三つ時。
    一人の少年…一松は狭く急な山路を辿っていた。
    その山路はろくに手入れもされておらず、崩れかけた急勾配な石段の隙間からは雑草が蔓延り、当然街灯もなく真っ暗だ。
    辺りは鬱蒼と生い茂る木々に囲まれている。
    白い切石が暗闇の中ぼんやりと浮かんで見えた。
    そんな険しい道のりを、ただ黙々と登り続けていた。
    幼い頃に母親から聞いたお狐様の昔話を信じた訳ではない。
    むしろ一松は端から信じてなどいなかった。
    けれど、何も出来ずに家に閉じこもっているよりは、こうして何か行動を起こした方が幾分ましに思えたのだ。
    要するに、単に気を紛らわせたいだけの自己満足も少なくない割合で含まれていた。
    自己満足であっても、祈っておくくらいは減るものでもなし、やっておいて損することはないだろう。
    そう思って、一松は黙々と石段を上り続けた。

    やがて石段を登り切り、視界が開けた。
    目の前にはところどころ塗装の剥がれ落ちた朱塗りの鳥居、更にその奥には古びた小さな社が鎮座していた。
    どちらも、もう何年、何十年も手入れをされていないのだろう。
    鳥居をくぐり、社へ近づくと、社の前には申し訳程度に小さな賽銭箱が置かれていた。
    いつからあるのだろうか、随分と苔が蔓延っている。

    一松は懐から小銭を取り出し、それを賽銭箱へ投げ入れると鈴を鳴らした。
    鈴は錆び付いているのか、妙な擦れた音が響いた。
    柏手を二度。
    そして祈るようにぎゅっと目を閉じ、
    最後に深く一礼して大きく息を吐く。
    しばし社をぼんやりと眺めていたが、やがて一松はゆっくりと踵を返した。
    子供騙しではあるが、少し気分が落ち着いた気がする。
    …さあ、もう戻ろう。
    そう思い、一松が再び鳥居をくぐった時だ。
    不意に、背後で声がしたのだ。

    「いや~、久々だねぇ。人の子が訪ねてくるなんてさ。」

    「ーーーっ?!」

    勢い良く振り向けば、そこには鮮やかな紅い着物に身を包んだ一人の男が立っていた。
    一体いつの間に。
    一松がここにたどり着いた時、他の誰かの気配なんてなかったはずだ。
    いや、それよりも。
    一松は男の姿を見て、普段眠そうに半分閉じられた眼を見開いた。
    男の頭部は狐の耳を冠しており、背には滑らかで豊かな白銀の毛並みの尾を携えている。
    人ならざる存在である事は火を見るより明らかだった。
    男が笑みを絶やさぬまま一歩踏み出し、一松へ近づく。
    一松が一歩後ずさる。
    じっと男を見つめる一松の様子は、まるで天敵を目の前にして恐怖で目を離せず震え上がる小動物のようで、男は思わず笑みを深めた。
    どのくらいそうしていただろうか。
    数秒にも満たなかったかもしれないが、一松にはひどく長い時間のように感じた。
    ふと、ほんの一瞬…風が吹いた。
    かと思うと、男の姿が一松の目の前から消え去り、次の瞬間には互いの鼻と鼻が触れ合いそうなほど近くまで迫られていた。
    この人ならざる男が目で追えない程の速さで動き、そして間合いを詰められたのだと、一松の脳が理解するのにはしばしの時間を要した。

    「?!」
    「あれ、お前……。いや、まぁいいか。
     なぁ人の子、さっき祈ったお前の願い、叶えてやろうか?」
    「………は?」

    男は心底愉快そうに目を細め、右手で一松の顎を捕らえた。
    一松と異形の男の目と目が合う。
    男の手はひんやりとしていて、愉快そうに笑うその目は吸い込まれそうなほどの漆黒だった。
    都合のいい口上を並べ立てて、取って食われるのだろうか。
    そう考えると同時に、男の目を見て、一松は場違いにも、ああ綺麗な目だな、と思った。
    彼が昔母から聞いた、何百年も生き続けるお狐様とやらなのだろうか。
    耳と尻尾を見る限りは狐に間違いはなさそうだし、それにこの男は願いを叶えてやろうかと言ってきた。
    人気のない山奥で、鮮やかな紅が一層際立つ。
    …紅。
    何故だろう、今何かを思い出しかけたような気がした。
    いや、それよりも。
    返答すべきなのだろうか、それとも無視を決め込むべきか?

    「おーい、少年?聞いてる??」
    「…誰?」
    「それ今聞いちゃう?」
    「だって…。」

    一松の顎を掴んだまま、男が更に言葉を続けようとした時だ。
    紅い着物の背後で突如、音もなく蒼い焔が浮かび上がった。
    思わず一松の視線がそちらへと向かう。
    一松の様子に男も顎を掴む手はそのままに振り向くと、「げっ」と小さく呟きながら顔を歪めた。
    それでも一松を離そうとはしなかったが。
    蒼焔は今度は風を起こしながら火柱を上げている。
    燃え上がっていた蒼い火柱はやがて霧散し、蒼い焔が上がっていた場所には男が立っていた。
    蒼い着物、顔立ちは紅い着物の男とよく似ている。
    そして、蒼い着物に身を包んだ男もまた、頭に狐の耳、そして背に八本の尻尾を携えていた。
    紅い着物と蒼い着物を交互に見つめる一松をよそに、蒼い着物の男は紅い着物の男につかつかと歩み寄り、拳を振り上げると容赦なく紅い着物の男の脳天にそれを振り下ろした。
    辺りに鈍い音…いや、なかなかいい音が響いた。
    この瞬間、あれ、こいつの頭って実は中身ないのかな、と失礼極まりないことを一松が考えていたのは、完全なる余談である。

    「おそ松!いたずらに人の子を怖がらせるんじゃない。」
    「えぇ~?別に苛めてねーよ?
     ただ、こいつの願い叶えてやろうかって聞いただけだって。」
    「だったらその手は何だ?んん~?」
    「あーもう!わーかったって!」

    突然現れた蒼い着物の男に咎められて、紅い着物の男(どうやらおそ松という名らしい)は一松から手を離した。
    一松といえば、目の前で起こっている展開についていけず、

    「うん、帰ろう…。」

    何か変な夢でも見ているのだろうと都合の良い解釈をし、元来た石段を下ろうと再び踵を返そうとした。
    …が、石段を下りることは残念ながら叶わなかった。
    今度は紅い着物の男に手首を掴まれてしまったのだ。
    見かけによらずその力は強く、一松には振り解けそうにない。

    「ちょ、待て待て待て!
     え、嘘でしょこの流れで無視?!有り得ないだろ!
     シカトとかお兄ちゃん泣いちゃうよ?!」
    「少年!先程はこいつが無礼を働き悪かった!
     こんな山奥に人の子が訪ねてくるなんて久々の事でな…少々はしゃいでしまったんだろう。
     何か困っている事があるのだろう?詫びというわけではないが、話を聞こうじゃないか!」
    「………チッ」
    「ええええ、舌打ちしたよこの子?!」

    何故か二人の異形の男達にしつこく引き留められ、一松は渋々此処に残る他なかったのだった。

    ーーー

    二人の男は一松を古びた社の前、ちょうど腰を下ろすのに丁度いい大きな置き石に座らせた。
    話を聞くに、二人は妖狐の兄弟で、紅い着物の男が兄のおそ松、蒼い着物の男が弟のカラ松というらしい。
    気の遠くなるほど昔からこの地に住み着き、この社を訪れる人の願いを気まぐれに叶えたり、偶に人の姿に化けて人里へ下って遊んだりして過ごしてきたそうだ。
    話し相手が欲しかったのだろうか、思いの外人懐っこい妖狐の兄弟は実によく喋る。
    二人とも背の八本の尻尾を機嫌良さげに揺らしていた。
    とりあえず妖怪に喰われる、という心配は今のところ無さそうである。

    「最近は此処を訪れる人もいないし、人里へ下りることもなくなったけどな。
     ここ数十年は西洋から来たおかしな道具が溢れかえってて、俺達妖にとっては溶け込み辛くなってきちまったし。」
    「ふーん…。」
    「ふーん、てお前ね。もうちょい興味持ってよ~。」
    「なぁ、一松といったか。お前は…、」
    「何?」
    「いや、何でもない。」
    「?」

    カラ松が一松の顔をじっと見つめ、そして何かを言いかけたが、結局言葉にはしなかった。
    そういえば、最初に顔を合わせたおそ松も似たような反応をしていた気がするが、一体何だったのか、一松には知る由もない。
    小首を傾げる一松に、カラ松は慌てて話題の矛先を一松へと向けた。

    「俺達の話はもういいだろう。
     そろそろ一松の願いを聞こうじゃないか。」
    「え…いや、別に。」
    「何遠慮してんの一松?大怪我したお前のおにーちゃん助けたいんだろ?」
    「!!」
    「あはは、何で分かったの、って顔してるな。
     わかるよ。ここら一帯は俺達の縄張りだからね。
     お前が社の前で祈った想いは妖狐の俺には筒抜けなの。」
    「なるほど、兄を助ける為にこんな所まで…!なんて美しき兄弟愛!」
    「…別にそんなんじゃ、ない。」

    カラ松の言う、美しい兄弟愛と言える程、綺麗な感情ではないことくらいは、一松も理解している。
    兄へ向けるこの想いは執着、そして依存だ。
    兄弟愛と呼ぶには度が過ぎていて、恋心と呼ぶには歪み過ぎている。
    事実、こうして此処に足を運んだのも、もちろんチョロ松の想いが強かったのもあるが、それ以上に自分自身の為だった。
    万が一、心の拠り所を失ってしまった時、自身が壊れてしまうのが怖くて、気持ちを落ち着けたかったのもある。

    「助けてやろうか。お前の兄貴。」
    「…助けられるの?」
    「怪我の程度にもよるけどな。普通の生活できるくらいなら治せるかもよ?」
    「…………代償は?」
    「へ?」
    「そんな虫のいい話あるわけないでしょ。
     チョロ松を治してくれる代わりに、俺は何を犠牲にすればいいの?」
    「一松、お前…、」
    「へぇ~、人間ってのは強欲な奴ばかりだと思ってたけど、一松は利口な子だな。気に入った!
     そうだな…それじゃ、一松。今から俺が言う事を成し遂げられたら、お前の兄貴を助けてやるよ。」
    「おそ松、折角此処まで来てくれたんだ。
     すぐにでも治してやったらどうだ。」
    「だーめ。
     さっきこいつも言っただろ?犠牲は何かって。
     無償で受け取るのは赦されない。対価は必要だよ。」
    「だが…、」
    「俺に出来る事ならいいよ。
     何も無しじゃ、あんたらに貸しを作ったみたいで居心地悪いし。」
    「む…一松が納得しているなら、構わないが…。」
    「さて…それじゃあ俺から一松へ試練を与えよう。」

    おそ松から告げられた、兄を助ける為の試練、それが「百日参り」だった。
    今日から百日、雨の日も雪の日も一日たりとも休まず毎日この社へ参拝すること。
    そして、参拝の際には賽銭の代わりに一松の髪を一本、奉納すること。
    これが条件だった。

    「何で髪の毛…?」
    「髪は妖力を込める媒体として一番手頃で手っ取り早いんだよ。
     直接俺が妖力をぶつけると何が起こるかわかんねーし、緩衝材みたいなもん?
     本当なら治癒を施す対象のお前の兄貴の髪がいいんだろうけど、双子の兄弟なら一松のでも問題ないだろ。」
    「そういうもん…?」
    「そーいうもん、そーいうもん。」
    「俺が百日通えば、兄さんは助かる?」
    「おう。俺の出来る限りの力を尽くしてやるよ。」
    「…わかった、百日参りする。」
    「よし。交渉成立、だな。」

    斯くして、一松の百日参りが始まったのである。

    ────────

    《二》

    ー 大正三年 三月十日 午前二時

    妖狐のおそ松が与えた条件を呑み、一松は今日、百日参りをやり遂げた。
    文字通り雨の日も風の日も、雪の日も、険しく暗い山路を真夜中に辿り、懐紙に包んだ髪を古びた社へ奉納した。

    柏手を二度。
    手を合わせるとぎゅっと祈るように目を閉じて
    最後に一礼してその場を足早に去る。

    誰にも内緒で、チョロ松にさえも内緒で、夜中こっそりと家を抜け出し、明け方になる前にまたこっそりと戻る。
    日中は父親の望む通り、「チョロ松」の振りをし続けた。
    チョロ松の代わりに学校へ通い、偶に園遊会へ参加しながらの百日参りは体力の少ない一松にはなかなかの重労働ではあったが。
    そんな日々を続けて百日目だ。
    その間、おそ松もカラ松も一松の前に現れることはなかった。
    だから目の前で上機嫌な様子で手を叩くおそ松を見るのは、実に百日ぶりだ。

    「お見事。頑張ったじゃん、一松。」

    おそ松がそう言った直後、蒼い焔と共にカラ松も現れた。
    こちらも百日ぶりの再会となるが、カラ松の表情は非常に晴れやかで、立ちすくむ一松へ勢いよく飛びつかんばかりだった。

    「おめでとう一松!お前は見事試練に打ち勝った!
     満願成就のこの目出度き日を盛大に祝福しようじゃないか!
     ああ、そうだ。英国ではこういう時、『こんぐらっちゅえいしょん』と言うらしいな!」
    「…え、うん。
     てか、初めて会った時も思ったんだけど、そのちょいちょい気障な言い方なんなの?」
    「あー、ごめんね。カラ松は劇舞台みたいな言い回しで喋んないと死んじゃう病なの。」
    「な…?!お、俺は知らぬ間に病に侵されていたというのか…?!」
    「ほんと、イッタイよねー!」
    「どぅーん!おっはよー!!」
    「真夜中だよ十四松兄さん。」
    「え…。」

    おそ松とカラ松の背後から飛び出してきた新たな登場人物に、一松は百日前と同じように瞠目した。
    ちなみに自分の世界に入ってしまったカラ松は早々に無視を決め込むことにした。
    突然一松の前へと躍り出てきたのは、おそ松とカラ松に顔立ちのよく似た、しかし受ける印象は大きく異なる者達。
    片方は薄桃色の着物を纏い、大きく可愛らしい瞳が印象的で、
    もう片方は蒲公英色の着物に、大口を開けて底抜けに明るい声を上げている。

    「あ、こいつらは俺達の式神。
     蒲公英色がカラ松の式神の十四松で、薄桃色が俺の式神のトド松な。」
    「話には聞いてたけど、君が一松くんかぁ~。
     おそ松兄さんの気まぐれに律儀に付き合っちゃったなんて、真面目なの?
     ま、よろしくね♪」
    「ぼくね、十四松!すっげー足速いよ!!」
    「え?あ…うん?よろしく??」

    式神は陰陽師が使役する鬼神のことだ。
    本来の式神とは多少の違いがあるのかもしれないが、使役神を持っているということは、おそ松もカラ松も一松が想像している以上に高位の妖なのだろう。
    もっとも、式神だという十四松とトド松の様子を見る限り、やけにしっかりとした自我を持っているようで、主に敬意を払っている様子は見受けられない。
    が、おそ松とカラ松にとっては日常的なことらしく、気にしている様子はなかった。
    十四松とトド松を従え、おそ松は徐にぽんと手を打つと、一松に向き直った。
    その手は綺麗に束ねられた短めの髪を持っている。
    この百日間、一松が一本ずつ奉納してきた髪のようだ。

    「…さてと、それじゃぁ約束通り一松のお兄ちゃんを治すとするかー。」
    「…今更なんだけど、本当に出来るの?」
    「え、まだ疑ってる?
     ちゃんと治すから大丈夫だって。」

    おそ松を疑ったわけではない。
    ただ、いざ治そうという場面に直面して、少し不安になったのだ。
    一松がこっそりと百日参りに勤しんでいた間、チョロ松の容態が悪化するようなことはなかったが、快方に向かうこともなかった。
    流石に傷は塞がったが、もうその目は光を捕らえることが出来ないし、手足も満足に動かせない。
    介護無しには生活できない、完全に寝たきりの状態になってしまったのだ。
    「一松」と請われるように伸ばされる手を取れば、チョロ松の手の冷たさにぞっとした事も少なくない。
    兄の状態は誰が見ても絶望的で、現代の医学ではどうにもならないだろう。

    「治すって言っても…どうやって?」
    「まずは一松の兄…チョロ松だっけ?の所に行くかー。」
    「は?!」
    「いや、だって怪我人の所に行かないと治せないじゃん?」
    「そ、そうだけど…。え、待って家に来るの?」
    「いやぁ~人里に下りるなんて久々だな~!
     あ、大丈夫、大丈夫。ちゃんと見つからないようにするから。」
    「善は急げだな!そうと決まれば急ぐぞ。一松、つかまれ!」
    「は、え?!ちょ、ちょっ!待っ…!!」

    言うや否や、気付けば一松はカラ松に引き寄せられていた。
    カラ松は素早く一松を横抱きにすると勢い良く地を蹴る。
    背後から「あ、待てよカラ松~」とおそ松の間延びした声が聞こえてきた。
    カラ松は一松を横抱きにしたまま、軽々と木々を飛び移っていく。
    そうして、一松が目を白黒させている間に山を下り、あっという間に人里まで来たかと思えば、今度は家々の屋根から屋根へと飛び移っていった。
    カラ松の後を同じようにおそ松が追ってきているのと、おそ松の背中に十四松とトド松がしがみついているのを、
    ついでに言うと「おいお前ら自分で走れよ!」「え~やだよ面倒くさい。」「兄さんがんばれー!!」
    というやり取りをしていた事も、この時になってようやく一松はその目と耳に認めることが出来た。
    先刻、見つからないようにする、と言っていなかっただろうか。
    誰かに見られていたらどうするんだ、と妖狐の兄弟に言ってやりたかったが、
    ふと上を見上げて目が合ったカラ松が得意そうに片目を瞑って笑うものだから、一松は呆れてすっかり脱力してしまい、それきり咎める機会を失くしてしまったのだった。

    やがて一行はチョロ松と一松が住まう屋敷の屋根へと辿り着くと、中庭へ下り、そこからチョロ松が眠る部屋へと向かった。
    屋敷はしんと静まり返っており、誰とすれ違うこともない。
    この屋敷は父親の意向で、住み込みで働く使用人はほんの数人で、ほとんどが通い勤めだからだろう。
    使用人達が帰った夜はとても静かだ。
    そっと部屋の戸を開けて中へ入ると、トド松が何やら手を不思議な形に組んで詠唱している。
    部屋の四隅が、一瞬だけ青白く光った気がした。

    「よし、簡易だけどこの部屋に結界張ったから、しばらく誰も入ってこれないよ。多少騒いでも大丈夫。」
    「それは有難いけど騒がないでよ。チョロ松は起こさないで。」
    「はいはい。そんじゃ、まずは怪我の程度を見せてもらおっかな~。」

    少し声を落として言いながら、おそ松は寝台に横たわり寝息を立てるチョロ松の胸元に懐紙を置き、その上に束ねられた髪を置くと、手を置いた。
    そのままじっと目を閉じ、何かを探っているようだった。

    「…どうだ?おそ松。」
    「うん、大体治せるな。…ただ、」
    「ただ?」
    「わりぃ、目は難しいかも。」
    「目?」
    「うん。こいつの目、どうやら完全に壊れちまってるみたいでさ。
     腕とか脚は、まだ身体の組織が死んでないっぽいから治せそうだけど。
     …人の身体ってさ、速さは違えど怪我すれば自然と回復する力を持ってるだろ?
     俺の治癒って、乱暴に言えば人が持ってる回復力をめーっちゃ高めて回復促すようなもんだから
     治そうとしてる部分そのものが死滅しちまってるとなぁ…。」
    「…なんとか、ならないの?」
    「うーーーん、そーだなぁ~…。
     あ、取り敢えず他のところは治しとくな。」

    おそ松の手に淡い光が集まり、そして光はチョロ松の身体へと吸い込まれていく。
    その光景を見ながら、一松はばれないように拳を握り締めた。
    目は、治せないのか。
    人ならざる妖と関わりを持って、百日山路を登り続けたというのに。
    …いや、寝たきり状態からは解放されるのだ、それだけでも十分な奇跡だ。
    そうは思っても、落胆は隠せようもない。
    そんな一松の様子を、カラ松が心配そうにうかがっていた。
    やがてカラ松は何かを思い付いたのか、声量を落として一松に話し掛けてきた。

    「……なぁ、一松。一つ提案なんだが。」
    「…何?」
    「片目を交換するのはどうだ?」
    「交換…?」
    「ああ。お前の片目とチョロ松の片目を入れ替えるんだ。
     そうすれば、一松は片目が見えなくなってしまうが、チョロ松は片目が見えるようになる。」
    「片目、を………。」
    「カラ松、お前マジで言ってんの?
     それ、つまりは一松に兄の為に片目を潰せって言ってるのと同じだぞ?」
    「それは、そうなんだが…。」
    「いいよ。」
    「はい?」
    「俺の片目、チョロ松にあげていいよ。」
    「一松本気?…後になって元に戻すとか無しよ?」
    「うん。なんなら両目あげてもいい。チョロ松に僕の目あげて。」
    「うーんと、…うん、お前の覚悟は分かったから。そこは片方にしとこうか。」

    カラ松の提案に、一松は躊躇なく乗っかった。
    元々、おそ松からチョロ松を治癒してやると聞かされた時も自身は滅ぶ覚悟だったし、片目を差し出す程度でいいのなら悩む必要などなかった。
    おそ松とカラ松、そして十四松とトド松がじっと一松を見つめる。
    その目は程度は違えど、一様に何かを堪えているような、心配しているような、そんな表情をしていた。
    一松を囲む人ならざる四人が一体今ここで何を考えていたのか、知らぬは一松本人のみである。

    「一松、…本当にいいんだな?」
    「うん。」
    「わかった。…それじゃ、お前らの右目を入れ替えようか。」

    おそ松が右手をチョロ松に、そして左手を一松に、顔半分を覆うようにして手を置いた。
    瞬間、右目がどくりと脈打ち、一気に熱を持った。
    かと思うと、次第に熱は引き、今度はじくじくとした鈍い痛みがゆっくりと一松を襲う。
    反射的に肩が震え、思わず目を閉じたが、やがておそ松がチョロ松と一松から手を離した時には痛みは治まっていた。
    一松が再び目を開く。
    先程までと見える世界が違う。
    どうにも目の前が平坦に見えて、距離感が上手く掴めない。
    なるほど、確かに一松の右目は視力を失っていた。

    「チョロ松の身体は少しずつ動くようになっていくよ。
     目は…まぁ、片目はしばらく不自由を感じるだろうけど、時期に慣れるだろ。」
    「さて、夜が明ける前に俺達は戻るとするか。
     今宵の逢瀬はここまでだな、しかし、俺達が縁で結ばれていれば、近く必ずや相見える日がく」「ばいばーい、またね!」え…。」

    やるべき事をやり終えると、妖狐の兄弟とその式神は颯爽とその場を去っていった。
    約一名、何かわけの分からぬ事をぐだぐだと並び立てていたが。

    薄暗い部屋には、チョロ松と一松だけが取り残された。
    先程までの賑やかさが嘘のように、部屋は再び静けさを取り戻している。

    (あ。お礼…言いそびれた、な…。)

    視力を失った右目を手で押さえながら、一松はふと思った。

    ーーー

    ー 大正三年 三月二十日 午後三時

    あれから、チョロ松は奇跡的な回復を遂げた。
    おそ松が言い残した通り、治癒を施した次の日の朝には右目が光を宿し、三日後には両の手を自由に動かせるようになり、一週間が経った頃には、自力で歩けるまでになった。
    屋敷の使用人達は皆驚きながらも回復を祝福し、彼らなりの祝の心配りなのだろう、夕餉が少し豪華になったりした。
    おそ松がチョロ松を治癒し、更にチョロ松と一松の片目を交換した次の日の朝、一松は鏡の前に立ち、いつもより念入りに己の顔、と言うよりも目元をじっくりと眺めたが、視力を失った右目は確かに一松の目であった。
    どうやら物理的に目と目が入れ替わったというわけではないようだ。
    しかし、右目の何かが確かにチョロ松と入れ替わったのだろう。
    父親といえば、チョロ松の回復を知るなり、百日と少し前に一松へ言い放った「チョロ松として振舞え」 という発言は、まるでなかった事のように白紙に戻していた。
    素っ気なく「あの日の言葉は忘れろ」とだけ伝えると、再びチョロ松が表舞台へ上がることになっていた。
    この点については一松の予想していた通りである。

    …が、一松が予想だにしていなかった事も起こった。
    まず一つ目は、一松が片目が見えないという事が、早々にチョロ松本人にばれてしまったことだ。
    一松としては、出来る限り隠しておきたかったが、やはり片方だけとはいえ、瞳に光を取り戻した双子の兄には隠し事など到底無理なようで、
    チョロ松は視力を取り戻したその日にごくごく自然に、あっさりと、一松の様子がおかしい事に勘づいてしまった。
    そこから、一松の片目が見えていない事に気付くのには少々の時間を要したが、何か物を取ろうと手を伸ばした一松がやたらと空振りするのを見て、チョロ松は怪訝そうに眉を顰め、控え目に一松に言ったのだ。

    「一松…お前、もしかして片目、見えてないの?」

    兄にあっさりと気付かれ、どう返答したものかと固まってしまった一松とチョロ松を襲ったのが、二つ目の予想外な事であった。

    「「………あれ?」」

    呟いたのは、二人同時だった。
    お互い顔を見合わせ、双子故なのか全く同じ拍子に目を瞬かせる。
    その驚いた表情も何から何まで、まるで鏡合わせだ。
    チョロ松と一松が顔を見合わせ瞠目している理由…それは自身の視界に、何か別の視界が重なって見えたからだ。
    自分の目で見た、目の前に広がる光景とは別に、脳裏に異なる風景がちらついている。
    互いの片割れを見つめる自身の視界と、自分自身を見つめている誰かの視界。
    互いの視界が共有されているのだと理解するのに、さほど時間は掛からなかった。

    「待って、一松が僕を見てる様子が、僕にも見えてる?」
    「え…チョロ松の目を通して自分が見えてるの?」
    「どういう事?」
    「俺に聞かれても…。」
    「だよなぁ…。」
    「何なんだろうね。」
    「うん。」

    不思議な事は間違いなかったのだが、チョロ松も一松も、特に気味悪がったりする事はなかった。
    自身の見るもの全てがばれていたとしても、相手が双子の片割れならば別段気にする事はない。
    むしろ、片割れが見ている世界を自分も見ること出来るのは、心地良くさえあった。
    異常とも言える感覚なのだが、二人にとってはこれが至って普通の感覚らしい。

    ーーー

    チョロ松と一松が視界の共有に気付いて、二人で色々と試した結果、幾つか分かった事がある。
    まず、互いの視界を見るには条件があるらしいことだ。
    どちらかが眠っていたりして意識がない場合や、二人のいる距離が物理的に離れている場合は共有が出来ない。
    そして、どちらか一方が共有を拒んだ場合もどうやら相手に共有される事は無いようだった。
    そして、共有出来るのは視界だけで、相手が見ている景色は分かっても、それに付随してくる音や匂い、触覚等は分からない、という事がわかった。
    しかし、何故突然こんなチカラが二人に宿ったのかは依然として謎だ。
    チョロ松にとっては本当にわけの解らない事態であったが、その一方、一松は解らないながらも心当たりはあった。
    というより、一松には原因がそれとしか考えられなかった。


    ー 大正三年 三月二十一日 午前一時半

    真夜中、一松は再び例の山路を辿っていた。
    チョロ松の身体を治すという目的を果たした今、もうこの場所に来る事はないだろうと思っていたのだが、どうしてもあの妖狐に聞きたいことがあった。
    聞きたいこととは無論、チョロ松との視界の共有に関してだ。
    チョロ松と一松が右目を交換した事が影響していると、一松は確証はないものの、ほとんど確信していた。

    社の前に辿り着き、鳥居をくぐると、一松が社の前に立つ前に目当ての相手の方から姿を現した。
    いや、現したというよりも社の前に、いた。

    「あれー?一松兄さんだ!」
    「ほんとだ。どうしたの?」
    「ちょっと聞きたいことがあったから…。
     十四松とトド松は何してんの。」
    「鞠遊びだよ~。」
    「僕ね、めちゃめちゃ遠くまで投げれるよ!」
    「そう…。」

    社の横で式神の十四松とトド松が遊んでいた。
    暗闇の中、蒲公英色と薄桃色の鮮やかな着物が場違いなほどに明るく浮かび上がって見える。
    二人の手には、身に纏う着物と同じくらい色鮮やかな手毬があった。
    薄桃色、蒲公英色、そして藤色の花模様が散りばめられ、その周りは柳葉色の葉模様があしらわれている。
    そして、鮮やかな紅色と蒼色の糸で縁取りが施されていた。
    なんとも色とりどりで目にも鮮やかな手毬だ。
    一松の視線は、自然と美しい色彩の手毬へと向かった。

    (…なんかこの鞠、何処かで見たことある、ような…。)

    そう、ふと思ったのだが

    「あれ?一松じゃん。」
    「一松!会いに来てくれたのか!!」
    「なんだよー!呼んでくれりゃ迎えに行ったのに〜!」
    「よく来てくれたな、一松!
     ここまで登ってくるのは人の足では大変だろう?茶でも入れよう「いらない。」えっ…。」

    背後から気配もなく、紅と蒼の妖狐の兄弟が現れたため、一瞬、色鮮やかな鞠に感じた既視感についてそれ以上考える余裕はなくなってしまった。
    振り向けば、一松の記憶にある通りの鮮やかな紅色と蒼色。
    二人とも、やたらと人懐こい笑みを浮かべている。
    おそ松が一松の肩に腕を回し、ぐりぐりと乱暴な頰ずりを始めた。
    一瞬だけ一松に鳥肌が立ったが、結局はされるがままだ。
    その様子をカラ松が何故かやたらと羨ましそうな目で見ている。
    気づけば鞠遊びをしていた十四松とトド松も一松の傍まで寄ってきていた。
    あっという間に妖狐と式神に囲まれた一松は、「呼ぶってどうやって」だとか、「妖怪にお茶出しされる人間てどうなの」だとか、色々と言いたい事はあったのだが、
    このまま流されて態々ここまでやって来た目的を忘れてしまう前にと、おそ松の頭を両手を使って押しのけながら本題に入ろうとした。

    「ちょっと聞きたいことがあ「一松から離れろ!!」…え。」
    「うわっ…ちょ、あっぶね!」
    「え…チョロ松?」

    顔のすぐ横で鋭い音と風を感じた。
    それと同時に、おそ松が一松から離れて素早く間合いを取ったのが分かった。
    驚いて音の出所へと目を向ければ、そこに立っていたのは双子の片割れ、チョロ松の姿で。
    双子の兄は、片足を上げた状態で、光の宿った右目でおそ松を睨みつけていた。
    先ほど一松が感じた鋭い音と風は、どうやらチョロ松の蹴りだったらしい。
    チョロ松は松模様があしらわれた柳葉色の袴下に深緑の袴姿で、少々息を乱していた。
    ちなみに、一松はチョロ松と色違いの藤色の袴下に紫紺の袴姿だ。
    袴で、しかも体調も万全ではなく、片目が見えていない状態で、よくここまで鋭い蹴りが繰り出せたものである。

    「なんで、ここに…。」
    「はぁ?!何でじゃないよ!
     たまたま厠に起きたら視界に変な森やら石段やら社が見えてくるし!更にはよく分からない奴らに囲まれているわ馴れ馴れしくベタベタされてるわワケわかんないしお前何でこんな真夜中にこんな処に来てんの?!てか、あいつら何なの?!ていうか、僕に黙って何してたの?!
     一松、あの紅い奴に何された?ちょっと待ってて軽く殺してくるから!」
    「ちょ、落ち着いて…、」
    「チョロ松くーん?恩人に向かっていきなり蹴り入れるのはどうなのー?
     というか、ぞっとしちゃったんだけど!やめてお願い。」
    「ああ?!黙れクソが一松にベタベタ触ってんじゃねぇ!」
    「うわお、噛み付くね~。お兄ちゃんちょっと感心しちゃったわ。」
    「あの、チョロ松…ちゃ、ちゃんと話す、話すから落ち着いてってば。」

    どうやら夜中に目を覚ましたせいで、一松の視界をチョロ松も見てしまったらしい。
    その目に広がる景色を不審に思い、後を追ってきたようだ。
    おそ松に対して敵意を剥き出しにしているチョロ松をどうにか宥めながら、一松は己の迂闊さを反省した。
    チョロ松には知られたくなかった。
    とは思いつつも、山路の道中の視界がチョロ松と共有されていたということは、一松も拒否していなかったということだ。
    それとも、この兄に隠し事は出来ないという無意識の諦めが働いたのだろうか。
    兎も角、この社と、そして妖狐の兄弟達と話しているところを見られてしまっては、もうどうにも言い訳は出来そうもなく、チョロ松に総てを話す他ないように思えた。
    下手な誤魔化しはチョロ松には通用しないし、何よりそうすると後が怖い。
    一松は、初めておそ松達に出会った際におそ松がそうしたように、チョロ松を社の前の置き石に座らせると、大きく息を吐いてから静かに事の顛末を話し出した。

    チョロ松が大怪我を負ってから、幼い頃に母から聞いた子供向けの昔話をふと思い出したこと、
    屋敷で何も出来ずにいるのが嫌で、自身の気持ちを落ち着けたくて、この社へ来たこと、
    そこで妖狐であるおそ松とカラ松に出会い、百日参りを果たせば、チョロ松の身体を治してやるという条件を持ち掛けられたこと、
    そして、その条件を呑み、百日間この社に通い続けたこと、
    おそ松の力によってチョロ松の身体は治せたが、目だけは力が及ばず、一松と右目を交換したこと。

    「…で、チョロ松と視界の共有が出来るようになった原因、目を交換した事が何か関係してるんじゃないかって、それを確かめたくて、また此処に来たんだけど…。」
    「……。」
    「今日に限ってチョロ松が夜中に目を覚ますとは思わなくて…その、」
    「…僕の身体が突然良くなったのは、そういうわけだったんだ…。
     おかしいと思ったんだよ。急に調子が良くなるものだから。
     ねぇ、一松。」
    「……うん。」
    「頑張ってくれたのは、嬉しいよ。
     でもさ、自分の身体を犠牲にするようなこと、するなよ。」
    「ごめん…。」
    「僕、怒ってるよ?」
    「うん…。」
    「ほんと怒ってるよ?」
    「ごめんなさい。」
    「あのさ、一松。
     こうして僕が回復しても、そこにお前がいなかったら、意味ないんだよ。
     ……わかるだろ?」
    「うん…。」
    「…………まぁ、でも、ありがとう。」
    「チョロ松…。」
    「ほんとお前は、頭がいいのに馬鹿だよね。
     たまに思考がぶっ飛んでて危なっかしいったらないよ。
     やっぱり一松には僕が付いてないと。」
    「ふ…チョロ松には、言われたくないよ。」
    「ふふ…そう?」

    困ったように眉を下げて笑ったチョロ松を見て、一松はほっと息を吐いた。
    一松が黙って危険な百日参りをしていた点についてチョロ松が腹を立てたのは事実だが、自分の為に動いてくれた事は間違いない故に、チョロ松は頭ごなしに怒る気にはなれなかった。
    一松がチョロ松の為に片目を差し出してくれたことに、チョロ松の胸中には薄暗い悦びと、言葉に出来ない愛しさが同時に込み上げていた。
    けれど、自己犠牲には走ってほしくはない。
    自分のせいで、一松が身を滅ぼすような事はあってはならないのだ。
    その身に置かれた環境故に一松は自己評価が著しく低い。故に自ら身を引いたり、損な役回りになろうとするのだから、チョロ松としては気が気ではない。
    しかし、チョロ松にとっては一松のそんなところも全てひっくるめて、大切な弟だ。
    愚かで、一途で、愛しい、大切な弟。
    そしてその弟に不貞を働く輩は、人であろうが妖であろうが、関係ない。
    一松に纏わり付く者達が人ならざる者だと、チョロ松は瞬時に理解したが、かと言って一発蹴りを入れるという選択肢を却下する事はなかったのだった。

    「お話終わったー?
     ね、分かったでしょ?俺お前の恩人よ?」
    「うん、その点については一応感謝してるよ。」
    「一応かよ。」
    「感謝はするけど、それと一松に馴れ馴れしく擦り寄ってたこととは、別の話だよね?
     お前誰の許可得て一松に好き勝手やってんの?あ?」
    「えええ、怖っ!一松ぅ~お前のお兄ちゃん独占欲強過ぎじゃね?」
    「…え、そう?」
    「お前この状況見てわかんねーの?!やばくない?!」

    状況を整理し、理解した上で、チョロ松は今度こそ本気の蹴りをおそ松へ向かって放とうとしていた。
    十四松とトド松はその様を眺めながら、

    「あははっ緑のにーさんの蹴りすっげーね!」
    「いいぞいいぞー緑のおにいさん、そのままやっちゃえ~!」

    などと茶々を入れている始末だ。
    人の子相手に心配する必要はないと考えたのか、そもそも主を助ける気が更々ないのかは謎である。
    その横に立つカラ松はといえば、

    「(余計なことしなくてよかった…。)」

    と、一人で内心ホッとしていた。
    こちらもおそ松を手助けする気は毛頭ないらしい。

    程なくして、背中に綺麗な下駄の跡を作ったおそ松と、少しばかりすっきりとした顔をしたチョロ松が戻ってきた。

    「お前らな!ちょっとはお兄ちゃんの心配しろよ!
     一松も!チョロ松止めに入れよ!」
    「ああ、おかえり。勿論心配したぞ、ちょっとだけ。
     おそ松が大人げなくチョロ松を殺しやしないかとな。」
    「おそ松兄さん楽しそうだったねー!」
    「よかったじゃん、人の子に構ってもらえて。」
    「あーもう!弟達が冷たい!!」

    「…ねぇ、ところで、聞きたいこと…」
    「あー、視界が共有出来るようになっちゃったってヤツね。」
    「そう、それ。目を交換した事、関係してる?」

    一松に聞かれ、おそ松は先ほどまでのおどけた表情から一変し、真剣な顔つきでチョロ松と一松を交互にじっと見つめた。
    やがて、おそ松はウデを組み、大きく頷いてみせた。

    「うん、関係してるな。」
    「…どういう事?」
    「お前らの目を交換した時に、俺の妖力の影響でこうなったっぽい。」
    「えっ…じゃあ、それっておそ松兄さんの失敗ってこと?」
    「兄さん失敗っすか!珍しーね!」
    「違いますぅー!失敗じゃないですー!!
     …普通なら、人間が俺の操る妖力に反応するなんてこと、ありえねぇんだよ。
     多分、お前らは人間にしては、そういうチカラが…人間に言わせると非科学的な力を持ってる方なんだろうな。」
    「失敗ではないにしても、原因を作ったのはおそ松だろう?治せないのか?」
    「ごめん、治し方わかんねーわ。」
    「いや、別に不自由はないからいいんだけどさ…。」
    「うん。まぁ、原因分かってすっきりした。」
    「え、いいの?そんなんで?!
     お前らほんと大丈夫?お兄ちゃん心配!!」

    もう夜明けが近い。
    元々ここにはチョロ松と一松が視界を共有出来るようになってしまった原因をはっきりさせる為に来たのだ。
    その目的を果たせたのだから、これ以上ここに留まる必要はない。
    送っていこうと言うカラ松の申し出は断って、(多分、あの時と同じく担がれて家々を飛び移るのだろうから)チョロ松と一松は妖狐と式神に別れを告げて山路を下った。

    ーーー

    ー 大正三年 三月二十一日 午前五時半

    だんだんと白んできた空を、カラ松はぼんやりと眺めていた。
    視線を少し下に下げれば、山から人里を見下ろすおそ松の姿を確認出来た。
    兄の背中に何か声を掛けようとしたところで、カラ松の足元に何かが転がってくる。
    十四松とトド松が遊んでいた色鮮やかな手鞠だった。
    腰を屈めて、それを拾い上げた。
    手鞠程度ならば、わざわざ腰を屈めずとも尻尾を使って拾い上げることくらいできるのだが、この手鞠はきちんと手を使わなければならない気がした。

    「カラ松兄さーーん!そっちいっちゃった!!」
    「もぉ~十四松兄さん、飛ばし過ぎだよ!」

    十四松とトド松が駆け寄ってくる。
    カラ松が手鞠を差し出せば、十四松が笑顔でそれを受け取った。

    「大切な手鞠だろう?なくさないようにな。」
    「うん!」

    薄桃色、蒲公英色、藤色の花模様に、柳葉色の葉模様、そしてそれを縁取る蒼と紅。
    殊更、十四松とトド松が大切にしている手鞠を見ると、カラ松はいつも昔を思い出した。
    それは多分、兄のおそ松も同様の筈だ。
    十四松とトド松が社へと引っ込んでいったのを確認して、カラ松は再びおそ松の方へ視線を向けた。
    おそ松は相変わらず遠くの人里を見つめている。

    「おそ松。」
    「ん~?」

    おそ松の紅い背中に声を掛けると、いつもの間延びした声が返ってきた。
    しかしその横顔は、いつものどこか飄々とした様子からは随分とかけ離れており、真剣な目で、僅かに顔を歪めて、相変わらず人里を見下ろしている。
    何か見えるわけでもないだろうに。
    いや、ひょっとすると、この兄には何かが見えているのかもしれないが。
    おそ松が振り返ることはなかったが、カラ松は構わず続けた。

    「あの二人、チョロ松と一松は…やはり、」
    「あー、うん…間違いないだろうな。」
    「そうか。」

    おそ松がようやくカラ松の方へと振り返った。
    その目は喜色に満ちていて、けれど、どこか泣きそうにも見えた。

    朝日が、もう少しで昇ろうとしていた。

    ────────

    《三》

    ー 大正三年 四月二十一日 午後三時

    年度が変わり、チョロ松と一松の生活には少しの変化が訪れた。
    まずは学校。
    まだチョロ松の身体が万全ではないこともあり、日替わりで通うようになったのだ。
    無論、他の人には内緒の話。
    学校に在席しているのはチョロ松だけだし、一松はチョロ松の振りをして学校生活を送っている。
    一度だけ、危うく入れ替わりがばれそうになった事があるが、それは別の機会があればお話しよう。

    そして、父親との関わり。
    分かってはいた事なのだが、チョロ松が大怪我を負った件で、父の双子に対する無関心さは浮き彫りとなってしまった。
    あれ以来、私事で父と顔を合わせる事はますます無くなり、もはや事務的なやり取りしか交わさなくなってしまった。
    こればかりは、双方の意識が変わらなければどうしようもない。

    しかし、これらはささやかな変化と言っていい。
    チョロ松と一松に訪れた変化は、実はそれだけではない。
    最も大きな環境の変化、それは

    「やっほー!チョロ松兄さん、一松兄さん♪」
    「おっはようございマッスルマッスル!」
    「……十四松、トド松、また来たんだ?」
    「おはよう…そろそろ夕方だけど。」
    「今日は狐どもはいないの?」
    「うん、今日は僕らだけだよー。」
    「ならいいや。入っていいよ。」
    「「おじゃましまーす!」」

    元気よくやって来たのは、十四松とトド松だ。
    おそ松達妖狐の存在をチョロ松も知るところになって以来、式神である十四松とトド松はちょくちょく屋敷へ遊びに来るようになった。
    おそ松やカラ松と異なり、彼らは狐の耳や尾は持ち合わせていないため、見た目はほぼ人間である。
    チョロ松が何か口添えしたのか、屋敷の使用人達も彼らの訪問について何も言わないし、今のところ父親から咎められるという事もなかった。
    使用人達は、十四松とトド松のことを「少々装いの派手な友人達」とでも思っているのだろう。
    鮮やかな蒲公英色と薄桃色は人目を引くに違いないが、それでも番頭を始め使用人達が眉を顰めることが無いのは、一に十四松とトド松が纏う無垢で無邪気な空気のお陰なのだろうと、一松は考えている。
    その証拠と言っていいのか、おそ松とカラ松にはあんなにも敵意を剥き出しにしていたチョロ松も、十四松とトド松に対しては、僅かに警戒心は残るものの、チョロ松なりに彼らを可愛がっている節が見受けられた。
    今日も、彼ら式神達の主の姿があれば、こんなにすんなりと自室へ招き入れたりはしないだろう。

    ところで、十四松もトド松も、何故かチョロ松と一松を「兄さん」と呼び慕っている。
    生を受けてほんの十七年しか経っていないチョロ松と一松に比べ、彼らは遥かに永い年月を生きているのだろうから、チョロ松と一松からすれば複雑な心境ではあるのだが、彼らに「兄さん」と呼ばれるのは何故だかやけにしっくりときて、そのまま自由に呼ばせているというのが現状だ。

    「ねぇねぇ!これ何?!食べ物?」
    「ん?…あぁ、西洋菓子だよ。『かすてら』っていうんだって。…食べる?」
    「うん!」
    「僕も僕も~!」

    日中、この屋敷には客人が訪れることが少なくない。
    大体が父親の知り合いであったり仕事相手なのだが、客人達はその多くが手土産として菓子折りを持参する。
    そうした手土産は、まずチョロ松と一松の元に届き、余れば使用人達に分け合ってもらっていた。
    今日も来客があったらしい。
    八つ時に侍女がチョロ松の自室へ綺麗に切り分けられたカステラを持ってきてくれていたのだ。
    それを十四松が目敏く見つけたわけだが、結構な量があったために、チョロ松と一松の二人だけでは食べ切れなかったところで、式神達の訪問は、むしろちょうどよかったのかもしれない。
    十四松とトド松は、カステラを一切れ頬張ると、たちまちそのあどけない顔を破顔させた。

    「甘んまぁ~!!美味いっすなトッティ!!」
    「うん♪僕こんなに甘くて美味しいお菓子初めて~!
     あとトッティやめて十四松兄さん。」
    「美味しい?…よかった。」
    「もうちょっと落ち着いて食べろよ。別に取らないし全部食べていいから。
     喉に詰まっても知らないぞ。」
    「…お茶、もらってくる。」
    「うん。頼むね、一松。」

    それ程に美味しかったのだろうか、もぐもぐと必死に口を動かし幸せそうな顔をする式神達に、チョロ松と一松は視線だけを合わせ、ふ、と微笑んだ。
    一松が部屋を出たのを見送り、チョロ松が十四松とトド松へと視線を戻せば、彼らは相変わらずカステラを頬張っていた。
    こんなに喜んでくれたのならば、この菓子折りを持ってきた何処ぞの客人も、ひいてはこのカステラ自身も本望であろう。
    やがてカステラを綺麗に平らげたところで、使用人に淹れてもらった茶を持って一松が戻ってきた。
    それを受け取り、丁度いい温度で淹れられたお茶を啜っていた十四松とトド松は、「あ。」と何か思い出したように話題を切り替えた。

    「そうだ!おそ松兄さんから言伝があるんだった。」
    「え、何それすごく聞きたくないんだけど…。」
    「そんなこと言わないであげてよチョロ松兄さん!
     一応僕ら言伝のお使いってことで来たんだから!」
    「お菓子集りに来たんじゃなくて…?」
    「もうっ!一松兄さんまで~!」
    「僕もね、カラ松兄さんの伝言預かってるよ!今から言うね!!」
    「え…うん。」
    「『我が愛しの子猫達よ、知っているか?今宵は満月だ。…聖なる砦から見る月は格別だ。月明かりを受けながら空虚と成り果てた心を共に満たそうじゃないか。』
     …だって!」
    「うん?十四松、申し訳ないんだけどもう一回言ってくれない?全然理解出来なかった。」
    「わかり易く言っちゃうとね、
     『寂しいから一緒にお月見しよーよ!』
     ってことじゃないかな!」
    「だったら最初からそう言えよ!くっそ痛いし分かりにくいわ!!」
    「…春なのに月見すんの?」
    「兄さん達はね、割と何でもありだから!!」
    「なるほど…なるほ、ど…?」
    「僕もおそ松兄さんからの言伝、一応伝えとくね。
     『ね~チョロ松に一松ぅ~、お兄ちゃん暇だよぉ遊ぼうよ~。
     あ、そだ!月見しようぜ月見!
     今夜八時に迎えに行くから待ってろよ!』
     …だってさ。」
    「…あ゛あ?!何が悲しくてクソ狐共と月見なんぞしなきゃなんないわけ?!
     ていうか一方的過ぎるだろふざけんな!」
    「チョロ松…あいつらが絡むと怖いね…。」

    おそ松とカラ松からの、ある意味自分勝手な伝言に、チョロ松は先ほどまでの涼し気な顔はどこへやら、盛大に顔を歪めてとんでもない凶悪面になっていた。
    人間三人くらいは手に掛けてそうな勢いである。
    …が、青筋立ったチョロ松のこめかみを、一松がちょんちょん、と軽くつつけば、凶悪面は一瞬で霧散した。
    その様子を見守りつつ、面白い兄弟だなぁ、とお前がそれを言うのかと指摘されそうな事を考えていたトド松だが、このままチョロ松と一松を放置すると二人の世界になってしまう事が予想できたため、徐に上目遣いで二人に詰め寄った。
    十四松とトド松には、言伝の他にまだ使命があるのだ。

    「…で、どうする?お月見。」
    「は?!行くわけないよね?!」
    「チョロ松が行かないなら、俺も行かない…。」
    「うーん…まぁ、そうだよね…。」
    「兄さん達来ないの?!
     お月見楽しーよ!お団子とね、お酒いっぱいあるっす!!」
    「いや、僕達まだ酒飲めないから。」
    「どうしても、だめ?」
    「うっ…。」
    「兄さん達が来てくれなかったら…」
    「ぼくたち、おそ松兄さんとカラ松兄さんに怒られちゃう!!」
    「うぅ…。」

    式神達に可愛らしく詰め寄られ、チョロ松と一松が戸惑いの色を見せる。
    十四松とトド松の本日の使命、それは「チョロ松と一松を月見に誘い、参加の返事をもらうこと」である。
    企画者はもちろん、暇を持て余している妖狐のおそ松である。
    ついでに言うと、カラ松もチョロ松と一松に会いたがっていたため当然それに乗っかった。
    妖狐の兄弟の企てと言ってもいいかもしれない。

    それよりも、計算づくだと頭では理解しているのだが、大きな瞳を潤ませ上目遣いでこちらを見上げるトド松を見ると、どうにも一松は断ることに一層の躊躇と罪悪感を覚えた。
    それはチョロ松も同様だったようで、への字口が明らかに険しくなっている。
    その一方で、十四松とトド松はといえば、もう一押しでいけそうだと判断したのか、更に畳み掛けてきたのだった。

    「ねぇ…僕たちもチョロ松兄さんと一松兄さんとお月見したいな…だめ、かな?」
    「ぼくも兄さん達と一緒がいいっすー!」
    「う…、」
    「んんん……」
    「「お願い!」」
    「仕方ないな…。」
    「わかった…。」
    「ぃよっしゃあー!!チョロ松兄さんと一松兄さんとお月見でっせー!!!」
    「よかったぁ~ありがとう兄さん達!
     これでおそ松兄さんもカラ松兄さんもしばらく大人しくなるよ!」
    「うん!カラ松兄さんとか
     『今頃チョロ松と一松はどうしているだろうか。次はいつ会えるだろうか。嗚呼!今こうして見上げる空をあの二人も見ているのだろうな!』
     って三分おきに言ってたもんね!」
    「三分おきに空見上げるとか暇人か。」
    「妖って暇なの…?」
    「そうそう!おそ松兄さんも
     『お兄ちゃん寂しい~構えよ~!!』
     って、構って攻撃がいつもより二割増だったからさぁ~。
     うんまぁ、割と暇を持て余してるよね。」
    「なんか…お前らも割と苦労してんだね。」
    「なんかごめんね…。」

    チョロ松と一松が是と応えれば、十四松とトド松は文字通り飛び上がって喜んでくれた。
    二人が来てくれることが嬉しいのも間違いないが、それ以上に主たる妖狐達の問題が由々しき事態であり、式神達にとって、双子の参加は非常に切実なものだったのだと、二人は理解した。
    人里離れた山奥で数百の時を生き続けてきた妖狐が、何故今更、人の子にここまで心を傾けるのかは分からないが、歓迎してくれているなら、別に悪い気はしないのだ。

    ーーー

    ー 大正三年 四月二十一日 午後八時

    言伝にあった通り、おそ松とカラ松が音も無く屋敷へと降り立った。
    妖狐の兄弟は、チョロ松と一松を見つけるなり、何時ぞやと同じく、カラ松は颯爽と一松を横抱きにし、おそ松はチョロ松を軽々と担ぎ上げて、さっさと山へ向けて走り出してしまった。
    言葉を交わす余裕さえ与えないその所業は、まるで人攫いである。
    というよりも、人攫いそのものである。

    「ちょっ、うわ、待っ…!待ってほんと待って!
     酔う!乗り物酔いする!!」
    「だぁいじょーぶ、だいじょーぶ。安全運転だからさ。」
    「ひとっつも安心できねーよ!降ろせぇぇぇ!!」
    「え?なになに??お兄ちゃん聞こえなーい。」
    「ほざけクソ狐があぁぁぁ!!!
     …うっぷ…、」
    「え、嘘でしょチョロ松お前まじで酔った?!」
    「吐く…。」
    「やめてぇぇぇ!!お兄ちゃんの一張羅にゲロるのやめてえぇぇぇぇぇ!!!」

    先頭をひた走るおそ松に担がれているチョロ松が、何やら喧しく噛み付いているが、おそ松はどこ吹く風といった様子で、むしろ楽しそうだ。
    「降ろせ」と言いながらも、チョロ松は半ば青ざめた顔をしながら、しっかりとおそ松の紅い着物を掴んでいる。
    本格的に乗り物酔い(と、言っていいのか分からないが)してしまったチョロ松の為に、おそ松は俵担ぎの状態から、カラ松が一松にしているような横抱きに変えたようだ。
    そんな互いの兄の様子を、カラ松と一松はすぐ後ろで見ながら追う形だ。
    カラ松は周りに可憐な花がぽん、と浮かびそうな程の笑顔で腕に抱く一松を見下ろし、一松はそれを一瞥して小さくため息を吐いた。
    何故この妖狐達は、こんなにも嬉しそうなのだろうか。
    少々の縁があったとはいえ、自分達はただの人間で、妖狐の彼らには取るに足らない存在の筈なのに…。
    カラ松に横抱きにされながら、人知れず一松は考えるも、もちろん答えなど出るはずがなかった。
    あまりにも真っ直ぐに好意を向けてくるカラ松に、その実、一松はかなり戸惑ってもいた。
    一松自身を見て、惜しみない愛情を向けてくれる存在は、今までに他界した母親の他には双子の兄であるチョロ松以外に存在しなかった。
    チョロ松の通う学校の友人達は、一松のことをチョロ松として見ているし、屋敷の使用人達とは必要以上の接触をしない。
    今までに「一松」としての友人と言える存在は、近所の野良猫達しかいなかった。
    けれど、この人ならざる者達は違う。
    チョロ松とは違った形で、一松の懐に躊躇なく飛び込んでこようとする。
    それが、一松にとっては、なんとも言えない不思議な心持ちだった。
    ふと顔を上げてみれば、再びカラ松と目が合う。

    「どうした?一松も酔ったか?」
    「いや、平気…。」
    「そうか!しかし、晴れて良かったな!
     天も俺達の味方をしてくれたようだ。
     "ろまんちっく"な逢瀬には最高の夜だと思わないか?」
    「あ゛?!」
    「ヒッ!すみません!!」

    気障ったらしい物言いに、思わず一松が顔を顰めて凄むと、カラ松は萎縮した様子を見せた。
    妖狐が人間に怖気付いてどうするのだ、と人知れず一松は思ったが、なんとなく、一松自身もどうしてそう思ったのか分からないが、カラ松はそれでいい気がした。
    そして、前方で未だにやいのやいのと言葉の応酬を続けるおそ松とチョロ松の姿にも、何故か不思議な既視感と安心感があったのだった。
    ちなみに、一松の耳が拾い上げた会話はご覧の通りである。

    「つーか何なのこの抱き方?!僕男なんだけど?」
    「えー?いいじゃんこっちのが酔わねぇだろ?」
    「いや、それはそうだけど!野郎が野郎を抱っことか地獄の絵面でしかないだろ!」
    「え、チョロ松お前、俺のこと男だと思ってる…?」
    「え…?!え、違うの?妖怪には性別がないとか?!」
    「いや男だけど。」
    「男なのかよ!!じゃあ何でそんな無駄過ぎる確認した?!明らかに必要なかったよね今の!!」
    「いや~面白いねーお前。」
    「ざっけんなクソ狐があぁぁぁ!!」

    全くもって仲が宜しいことだ。
    尤も、おそ松はどうだか知らないが、チョロ松にそれを言えば、機関銃の如く否定の言葉を浴びせられる羽目になるだろうが。

    ーーー

    そうこうしている内に、一行は山奥の社へたどり着いた。
    一松にとっては、もうすっかり見慣れたそれだが、今夜は社に明かりが灯り、仄かに甘い香りが漂っていた。

    「チョロ松兄さん!一松兄さん!こっちこっちー!!」
    「えへへ、来てくれてありがとっ!
     お団子もお酒も準備出来てるから、好きなだけ食べてね♪
     あ、お茶もあるから安心してね。」

    明かりの灯った社に脚を踏み入れると、十四松とトド松が出迎えてくれた。
    二人は此処で準備をして一行の到着を待っていたらしい。
    縁側に通されれば、三方の上に団子が綺麗に盛られていた。
    随分と大きな三方だ。上に盛られている団子は見事に積み上げられているが、明らかに十五個より遥かに多い。
    十五夜というわけではないのだから幾つでも問題ないのだろうが、これは積み過ぎではなかろうか。
    と、チョロ松と一松が要らぬ心配をする程度には盛られていた。
    その横には酒瓶。
    芒(すすき)の代わりなのだろうか、団子の横には菜の花が添えられている。

    月明かりが山の木々を照らしている。
    見上げた月は幽かに霞み、今宵は朧月夜といったところだろう。

    「あー、走ったら腹減ったー!」
    「ちょっと、おそ松兄さんもうお酒空けちゃったの?!」
    「お団子たくさん作ったよ!いただきまーす!!」
    「俺も頂こう…月明かりの下、まるで俺達を照らす月を象ったような円かな「ほらほら、チョロ松兄さんと一松兄さんも!」…え。」

    カラ松の謎めいた独り言を遮り、トド松がチョロ松と一松に声を掛ける。
    一瞬躊躇ったが、十四松に「一松兄さん、あーん!」と団子を差し出されると、一松は反射的に口を開けてしまい、そこにすかさず団子が放り込まれた。
    咀嚼すれば、よくよく知る素朴な団子の味がした。

    「一松兄さん、美味しい?」
    「…ん、美味しい。」
    「よかったー!!これね、ぼくとトド松で作ったんだよ!
     チョロ松兄さんと一松兄さんには、いつも美味しいお菓子もらってたから、そのお礼!!」
    「ふふ~ん♪人里で団子粉いっぱい買って頑張ったんだよ~!
     兄さん達、褒めて褒めて!」
    「ん、えらいえらい。」
    「一松兄さん、ぼくも!」
    「十四松もえらいえらい。」
    「えへへ~。」

    一松が式神の十四松とトド松の頭を撫でている様子をチョロ松がぼんやり眺めていると、突如背中に重みを感じた。
    確認しなくても察しはついていたが、念の為、と首だけ動かしてみれば、無邪気な笑みを浮かべるおそ松の顔がすぐ傍にあって、チョロ松は思わず声を上げそうになってしまった。
    無意識に身を固くしたチョロ松に気付いているのかいないのか(十中八九気付いているだろうが)おそ松は笑みはそのままに、豊かな八本の尾を揺らしてみせた。
    どうやらチョロ松から離れるつもりはないらしい。

    「いや~…弟達が戯れてる様子を見るのは和むね。」
    「弟達、って…あいつらは式神だろ?
     あと一松はお前の弟じゃないから。」
    「んー?俺にとっては皆弟みたいなもんよ?カラ松は勿論弟だし、十四松もトド松も、それに一松も。
     …チョロ松、お前もな。」
    「え…。」

    何を巫山戯た事を、とチョロ松は口にしようとした。
    が、チョロ松を見るおそ松の目は、存外真剣な表情を灯していて、チョロ松はすんでのところで言いかけた言葉を呑み込んだ。
    少しの戸惑いを見せたチョロ松に、おそ松は笑みを深めて続ける。

    「トド松はな、俺の六番目の尻尾を器にして魂を宿らせたんだ。
     ちなみに十四松はカラ松の五番目の尻尾なんだぜ。
     あいつらは俺の身体の一部…弟みたいなもんだろ?
     一松はさ…百日参りをずっと見守ってきたんだし
     チョロ松だって俺が怪我治したんだし。
     お前らだって弟達みたいなもんだよ。」
    「……。」

    それはまるで独り言のようだった。
    一瞬、ほんの刹那、チョロ松は、おそ松が何故かひどく優しい顔で微笑んだのを目にしたが、瞬きをした後には、もういつもの表情に戻っていた。
    いっそ見間違いだと片付けてしまえたらよかったのだろう。
    けれど、確かにチョロ松の片目はそれを捉えてしまったのだ。
    笑みを浮かべるおそ松を、チョロ松がじっと見つめる。
    ちり、と脳内で何かが短絡したような気がした。
    何か、大切なことを忘れてしまっているような気がするのに、それが何か分からない。
    そんなひどくもどかしい気持ちが、チョロ松の胸中に渦巻いた。
    黙り込んでしまったチョロ松の胸中を見透かしたかのように、おそ松が呟いた。

    「お前らはそのままでいいんだよ。」
    「え?」
    「何も変わらなくていい。
     何も考える必要なんて無いし、無理に何かを思い出す必要も無いってこと。」
    「意味が分からないんだけど…。」
    「んー?いや、ただの俺の独り言だし?
     …あ、団子なくなりそうじゃん!!おーいカラ松、十四松ー!!俺の分残しとけよ~。」

    立ちすくむチョロ松を残して、おそ松は駆け出してしまった。
    三方に綺麗に積まれていた団子はすっかり崩れ、いつの間にか随分と数が減っていた。
    一体なんだというのか、あの妖狐は。
    こちらを好き勝手に引っ掻き回すだけ引っ掻き回してそのまま放置など、チョロ松からすればたまったものではない。
    しばし憮然とした顔で突っ立っていたチョロ松だが、やがてゆっくりと溜め息を吐いた。
    視線を一松の方へ向ければ、彼はもう団子には満足したのか、十四松とトド松と共に色鮮やかな手鞠を転がして遊んでいた。
    「月見団子!」「ご…胡麻。」「んっと、まくら。」「ら?!ら、らー…落語!」「え、またご…?ごみ。」「ちょ、ごみって一松兄さん…。み、えーっと…」
    …そんな会話が聞こえてくる。
    鞠を転がしつつ、しりとり遊びをしているようだ。なんだか微笑ましい。
    弟と式神達から視線を外し、空を見上げる。
    少し霞がかった春の月夜は、まだ終わる気配を見せない。


    《終》
    →以下、本文に生かしきれなかった無駄な設定があります。

    ────────

    設定とか

    ○一松
    とある名家の次男。チョロ松は双子の兄。
    世継ぎ争い忌避の策として、存在を隠されるようにして育てられた。
    周りの認識は一様に「チョロ松の予備」のため、一松自身を見てくれるチョロ松が絶対的な存在であり、かなり依存心が強い。
    チョロ松が大怪我を負った事をきっかけに妖狐のおそ松達と出会い、百日参りを果たして怪我を治してもらった。
    目だけは治すことが出来ず、自身の右目をチョロ松の右目と交換してもらい、その影響でチョロ松と視界の共有が出来るように。
    何かとちょっかいをかけてくる妖狐や式神達と関わるのは戸惑いも感じるが、居心地は悪くないと思っている。
    実は生前は六つ子の妖狐の四男で、おそ松とカラ松の弟であり、十四松とトド松の兄だった。
    百年前、長兄不在中に根城としていた社が人間に襲撃されてしまい、弟の十四松とトド松を庇って命を落としてしまった。
    妖狐にとって、人間の一人や二人は取るに足らないが、集団で武器を持たれると話は変わってくる。
    その後チョロ松と共に人間に転生。
    妖狐だった頃の記憶はない。
    が、無意識に十四松とトド松に対しては甘く、守る対象だと思っている節がある。


    ○チョロ松
    とある名家の長男。一松は双子の弟。
    名家の跡継ぎとして厳しく育てられたため、表向きは品行方正だが、素だと割と口が悪い。
    素のままの自分を認めてくれる一松が何よりも大切な存在。
    その一方で、自分のせいで一松が不遇な扱いを受けていることを申し訳なく思っている。
    こちらも依存心が強い。加えて一松に対してかなり過保護でもある。
    大怪我を負った際、一松が自分の為に頑張ってくれたのは素直に嬉しい。
    おそ松達にも一応感謝はしているが、一松に馴れ馴れしくするのは我慢ならない。
    一松を気に入っている様子のおそ松やカラ松に敵対意識を向けていたが、段々と絆されていく。
    絆されはするがつっこみは止めない。
    実は生前は六つ子の妖狐の三男で、おそ松とカラ松の弟であり、十四松とトド松の兄だった。
    百年前、長兄不在中に社が人間に襲撃されてしまった際、矢面に立って弟達を庇っていたが、命を落としてしまった。
    その後一松と共に人間に転生。
    妖狐だった頃の記憶はない。
    おそ松とカラ松は家にあげようとしないが、十四松とトド松には無意識に結構甘やかしている。
    何気に交友関係が広い。学生服は例の白ラン。


    ○おそ松
    八本の尾を持つ妖狐。本来は九本あったがその内の一本をトド松に無期限貸出中。
    妖狐の一族の中でもかなり力が強く、首領的な存在。
    山奥の社を根城に、数百年の時を人間を手助けしたり、いたずらしたりしながら過ごしてきた。
    六つ子の妖狐の長男。
    百年前、留守中に人間に社を襲われ、カラ松を除く弟達を失ってしまった。
    弟達を守れなかったことを今でも悪夢に見て魘される程に後悔しており、トラウマになっている。
    慌てて帰った先で、命が消えかかっていたトド松に自身の六番目の尻尾を与え、式神としてこの世に留まらせたものの、チョロ松と一松は間に合わず、その事を悔やみに悔やんで数年はかなり荒れていた。
    弟達を失う原因となった人間のことを憎んでいたが、チョロ松と一松は別。
    この二人と出会って人間を憎む気持ちも少しずつ薄らいでおり、悪夢を見る日も減ってきたらしい。
    チョロ松と一松に初めて合った時は、かつての弟達だとすぐに気付いた。
    記憶もなく、今は人間として生きている二人に何も語ることなく、たまにちょっかいをかけながら見守る日々。
    構ってちゃんは割と俺様な感じに発動する。
    未だに警戒心を解いてくれないチョロ松一松と早く打ち解けたい。
    お兄ちゃんのこと構えよー遊びに来いよぉ~!
    人間に転生したチョロ松と一松が、家庭環境故に互いに依存している事はなんとなく気付いている。
    チョロ松のツッコミ気質や一松の猫好きな一面は妖狐だった頃と変わらず健在で、そういったかつての名残を見る度に切ない。
    でも絶対に顔には出さない。


    ○カラ松
    おそ松と同じく八本の尾を持つ妖狐。
    六つ子の妖狐の次男。
    兄のおそ松と共に出掛けていた際に社が襲撃に遭い、弟達を守ることが出来なかったことを後悔している。
    が、自分以上にショックを受けて荒れ狂う兄を案じ、右腕として長年支えて続けてきた。
    社が襲撃された際に、命が消えそうになっていた十四松に自身の五番目の尻尾を与え、式神としてこの世に留まらせた。
    人間になっていようともチョロ松と一松と再び出会えたことが嬉しくて堪らない。
    ついでに言うとまだ17歳の、幼さが抜けきらない二人が可愛くて仕方ない。お巡りさんこいつです。
    どうにか仲良くなりたい。
    なんか西洋から入ってきた外来語をことある度に使おうとする。
    最近覚えた言葉は「せらびぃ」
    意味は正しく理解していないと思われる。
    今度は絶対に弟達を守りきってみせると意気込んでいるが、持ち前のイタさで若干ウザがられている。
    しかしながらその決意は純粋なまでに実直で揺るぎがない。
    普段温厚な分、怒らせると多分一番手が付けられない。
    兄弟のことに関しては殊更沸点が低い。
    人間に転生したチョロ松と一松の共依存に気付いているのかいないのかは謎だが、時折妙に鋭いことを言う。
    目の交換を一松に持ちかけておきながら、一松が妖狐の頃と変わらず自己犠牲に走りがちなのが心配。


    ○十四松
    カラ松の式神。カラ松の五番目の尻尾を器として魂を吹き込まれた。
    いつも元気に社まわりを走り回っている。癒し。
    元々は六つ子の妖狐の五男。
    長兄不在中に社が襲撃された際、三男と四男に庇われたものの、二人が倒され自身も致命傷を負ってしまい、間一髪で駆け付けた長兄の手によって式神として生まれ変わった。
    妖狐だった頃の記憶は持っている。
    自分よりかなり年下のはずのチョロ松と一松を「兄さん」と呼ぶのは二人がかつての兄だと気付いているから。
    式神としての姿は人間に近いが、実は狐耳と尻尾は自由に出し入れできる。
    よくトド松と一緒に長兄達から言伝を預かってチョロ松と一松が住む屋敷へ赴くが、毎回美味しいお菓子を出してくれるのでとても楽しみ。向こうに記憶がなくてもかつての兄達と会えるのは嬉しい。
    思い出せば辛い思いをするだろうから、チョロ松と一松の記憶は戻らなくてもいいと思っている。
    けど、本当は襲撃にあった日のことを謝りたいし、お礼も言いたい。


    ○トド松
    おそ松の式神。おそ松の六番目の尻尾を器として魂を吹き込まれた。
    人間は(チョロ松一松を除いて)あまり好きではないが、人間の文化や服装には興味津々。
    兄弟一の衣装持ちで、社の自室の籠の中には着物コレクションが眠っている。
    元々は六つ子の妖狐の末弟。
    長兄不在中に社が襲撃された際、三男と四男に庇われたものの、二人が倒され自身も致命傷を負ってしまい、間一髪で駆け付けた長兄の手によって式神として生まれ変わった。
    十四松と同様に妖狐だった頃の記憶は持っている。
    自分よりかなり年下のはずのチョロ松と一松を「兄さん」と呼ぶのはそのため。
    狐耳と尻尾も出し入れできるが、暑いのでやらない。
    頻繁に言伝を預ける長兄に呆れて「も~、しょうがないなぁ」と口では言いつつも、チョロ松と一松に会いに行けるのは嬉しい。
    人間に転生した兄達の記憶がないのは寂しいが、思い出してしまえばチョロ松も一松も、末の弟達を守れなかったことを悔やんで苦しむだろうし、そんな姿は見たくないので複雑な気持ち。
    チョロ松と一松が妖狐だった頃に針入れをしてくれた鞠を、今でも肌身離さず大事に持っている。
    #BL松 #チョロ一 #長兄一 #一松愛され #一松 #妖怪松

    妖怪長兄(※二人とも狐)と白ラン年中と式神末によるエセ大正浪漫風な話。
    一松中心。チョロ一基本の一松愛され風味。
    ちょっとだけおそチョロっぽいところも有ります。

    !ご注意!
    ・長兄が妖怪(次男が烏じゃなくてごめん)
    ・年中が学生(白ランのつもりだったのに気付けば要素が消えた)
    ・末が長兄の式神(式神のようなもの?)
    ・エセ大正ファンタジー風。時代考証できてません
    ・年中がナチュラルに共依存状態
    ・怪我の表現有
    ・年中がちょっと可哀想(でもむしろ皆可哀想)
    ・無駄に長い

    ────────

    柏手は深夜に響く

    《序》

    ー 大正三年 三月十日 午前二時

    草木も眠る真夜中丑三つ時。
    一人の少年が狭く急な山路を辿っていた。
    その山路はろくに手入れもされておらず、崩れかけた急勾配な石段の隙間からは雑草が蔓延り、当然街灯もなく真っ暗だ。
    辺りは鬱蒼と生い茂る木々に囲まれている。
    白い切石が暗闇の中ぼんやりと浮かんで見えた。
    そんな険しい道のりを、やや猫背気味の少年は黙々と登り続けていた。
    深緑の松模様があしらわれた藤色の袴下に紫紺の袴。
    年の頃はおよそ十代後半だろうと思われるが、伏せられがちで気怠げな目元からはどことなく大人びた雰囲気を感じさせる。
    しかしながら、その面立ちは未だあどけない幼さも抜け切っていない。
    少年の額には汗が滲んでおり、時折それを袖口で乱暴に拭いながらも山路を登る歩を緩めることはなかった。

    どれくらい歩いたのだろうか、やがて石段を登りきり、僅かに視界がひらけた所で少年はようやく動かし続けていた足を止めた。
    少年の目の前には所々塗装が剥がれ落ちた朱塗りの鳥居、
    そしてその奥には古ぼけた小さな社が鎮座していた。
    しばし社をじっと見据えていた少年は、上がった息を整えると、鳥居をくぐりゆっくりと社へと近づいた。
    小さな賽銭箱は苔に浸食されており、鈴もすっかり錆び付いている。
    そんな、朽ち果てたと言われても致し方ない様相は気にも留めず、少年は懐から丁寧に折り畳まれた懐紙を取り出し、それを賽銭箱に落とすと鈴を鳴らした。
    錆び付いた鈴からは掠れたような音が響いてやけに不愉快だ。
    拍手を二度。
    そして祈るようにぎゅっと目を閉じ、
    最後に深く一礼して大きく息を吐く。

    真夜中、誰にも見つからないようにたった1人で険しい山路を登り、朽ちかけた小さな社に参拝する ー……

    この奇妙な参拝を、少年はもう三月以上続けていた。
    ー… 今夜で、ちょうど百日目。
    雨の日も、雪の日も、毎晩休む事なく通い続け、これが百回目の参拝である。

    百度目の参拝を終えてぼんやりと社を眺める少年の耳に、不意に誰かの拍手が聞こえてきた。
    音のする方へと振り向けば、そこには鮮やかな紅い着物に身を包んだ一人の男の姿。
    ただ男が普通と違っていたのは、頭部は狐の耳を冠しており
    背には滑らかで豊かな毛並みの尾を携えている点で、人ならざる存在である事は火を見るより明らかであった。
    男は一見すると人好きのする柔らかな笑みを称えているが、その雰囲気はどこか威圧的で見る者を思わず平伏させてしまうような冷たい鋭さが見え隠れしている。

    異形とも云うべき男の姿を目にしても、少年は特に驚いた様子を見せなかった。
    それも当然だ。
    何故なら少年が毎夜この小さな社を参拝するきっかけを作ったのが、他ならぬこの異形の姿をした男だからである。
    手を叩く事を止めた男は、人懐こい笑みを浮かべ、少年に言った。

    「お見事。頑張ったじゃん、一松。」

    ────────

    《一》

    ー 大正二年 四月十四日 午後八時半

    「一松。」
    「何、チョロ松。」

    名を呼ばれ、少年…一松は振り返った。
    目線の先には一松と瓜二つの兄、チョロ松の姿。
    よくよく見ればその顔つきや表情はそれぞれ異なり個性を持っているのだが、それを見分けるのは非常に困難だ。

    双子の兄弟であるチョロ松と一松は、とある華族の血筋の名家に生まれた。
    双子の男児。
    二人が生まれた時、父親はその事実に僅かに顔を顰めた。
    二人が幼い頃に死別した母は双子に惜しみない愛情を分け隔てなく与えてくれたが、父親は息子達への愛情よりもこの家の未来を危ぶんだ。
    双子が成長した時に、後継問題が起こるのではないか、と。
    いずれこの家の後継問題を引き起こす火種になり得る可能性を潰したいがために父親が取った策は、チョロ松と一松の扱いをはっきりと区別する事だった。
    兄であるチョロ松がこの家の跡継ぎなのだと二人に言い聞かせ、跡継ぎたる教育はチョロ松だけに受けさせた。
    園遊会や会合も、連れて行くのはチョロ松のみ。
    一松には満足な教育を受けさせず、表立った席にも決して出させなかった。
    そうして、二人の立場を明確にして諍いが起こらないように仕向けようとしたのだ。

    しかし、父親はまだ気付いていない。
    この愚かな目論見に大きな誤算があることに。

    母親の死後、跡継ぎとして勉学と作法を強要され、周りからの重圧に晒される羽目になったチョロ松と
    存在を隠され、まるで忌み子さながらに扱われることになった一松。
    満足に家族の愛情を得られない二人が互いを唯一無二の存在と認識し、心の拠り所として求め合うようになったのは、物心付くか付かないかくらいの頃からで。
    チョロ松は安らぎを与えてくれる存在を求め、一松は己を肯定してくれる存在を求め、幼かった彼らは無意識のうちに、互いに心の安寧を求め合ったのだ。
    勿論、互いが互いを羨み妬みたい時もあるのだが、それ以上に片割れの不遇を哀れんだ。
    そんな双子の兄弟には、二人だけの秘密がある。

    「明日さ、僕の代わりに学校行ってほしいんだ。
     どうしても朝一で買いたい本があってさ。」
    「ん、いいよ。」

    こっそりと交わされる口約束。
    父親の誤算はこれだ。
    双子の兄であるチョロ松のみに跡継ぎとしての教育を施しているはずが、この兄弟、時折入れ替わっていたのである。
    誰一人入れ替わりに気付くこと無く、まるで大人達を欺くかのように、それは見事に。

    チョロ松は藤色の袴姿となり、髪を少々乱れさせ猫背に、逆に一松は真白な学生服に袖を通し、髪を整え背筋を伸ばせば簡単に入れ替わりは完了だ。
    互いの振りなど双子の彼らには造作もないこと。
    チョロ松を演じる為に、一松は兄が通う学校の友人を覚え、更に学業にも追いつく必要があったが、教科書を借りたりチョロ松から教えてもらったりしているうちに、今では学業面もチョロ松と同程度にまでなっている。
    チョロ松もチョロ松で、一松を演じる時は弟が世話をしている猫達と戯れながら自由に羽を伸ばしていた。
    そうして、入れ替わった日は互いの一日を事細かに共有して、何食わぬ顔で元に戻るのだ。

    この兄弟二人だけの秘密事は、彼らに刺激と高揚感を与え、唯一無二の兄弟に対する独占欲と優越感を擽った。
    元々は幼い時分にチョロ松が自分だけ勉学や園遊を迫られる事に不満を覚え、軽い気持ちで一松に入れ替わりを提案した事が始まりだった。
    その時はちょっとした気晴らしで、ちょうどいい気分転換が出来ればいい程度の思いだったのだが
    長い月日を経て、この「秘密の入れ替わり」は心を満たす為の、ある種、儀式めいたものになりつつあった。

    「明日、僕は『一松』で」
    「明日、俺は『チョロ松』」

    互いを演じ、互いの生活をその身に感じると、まるで兄の、弟の、総てを手に入れたような錯覚に陥る。
    二人だけの秘密を重ねる度に、片割れへの依存心は少しずつ、しかし確実に大きくなっていく。
    おそらく、今ではもう引き返すことが出来ないくらいにはなっているだろう。
    家を空けることの多い父親とは顔を合わせる機会も少なく、二人が偶に入れ替わっている事など露ほども知りはしない。

    小さな声で確かめ合うように、まるで呪文のように言葉を交わし、最後にそっと唇を重ねれば
    もうそこは二人だけの世界と言っても過言ではなかった。
    額と額をくっつけてクスクスと笑い合う姿は一見すると(少々距離は近過ぎるものの)非常に微笑ましくも見える。
    兄弟、という一言では片付けられない関係に拗れてしまってはいるものの、
    この二人だけの時間が、チョロ松にとっても一松にとっても、心の安息所とも云うべきひと時だった。


    ー 大正二年 十一月二十四日 午後五時

    陽射しは穏やかだが、吹き付ける風が冷たくなってきた時節、その日、一松は自室に篭もりきりだった。
    父親は一松が人目につく明るい時間帯に外出する事に、あまりいい顔をしない。
    なるべく、一松の存在を隠しておきたいのだろう。
    この家に双子の男児が生まれた事は、親族や交友のある家は知っているのだから、意味があるとは思えないが。
    屋敷の使用人達は一応、一松を家の者の一人に数えてくれているし、チョロ松と明らかに態度が違うわけでもないのだが
    主人である父親の目を恐れているのか、必要最低限のやり取りしかしなかった。
    一松も、使用人の顔と名前は朧気にしか覚えておらず、使用人を誰か一人でも名前で呼んだためしがなかった。
    名前を覚えるのが面倒だ、というのが大半を占めるが、特定の使用人と親しくなり、それが父の知るところになったとして、その使用人の処遇に悪影響を及ぼしてはいけない、という思いも、僅かながらあった。

    日が落ちてきたら、近所の仲の良い野良猫に餌をやりに行って、夕餉の時間になる前に帰ってこようか。
    自室で本を読みながら、一松は夕刻以降の予定を立てていたが、それは変更せざるを得なくなってしまった。
    というのも、穏やかな夕時の空気が突如として騒然としたものに変わったかと思うと、次いで屋敷の使用人達の慌ただしく駆け回る足音やざわめきが聞こえてきたのだ。
    …何かあったのだろうか。
    眉を顰めながら自室の戸を開けて屋内の様子を伺えば、顔を出した一松に気付いた使用人の一人が、血相を変えて駆け寄ってきた。
    そして発せられた言葉は、彼にとって俄に信じ難いものであった。

    「一松様、大変です!
     チョロ松様が事故に遭われて…!」
    「え……?!」

    使用人の言葉を最後まで待たず、一松はチョロ松の部屋へと駆け出した。
    双子の兄弟であるはずの二人だが、父親が彼らに宛がった部屋は随分離れている。
    チョロ松の部屋が父の書斎横の日当たりの良い八畳間なのに対し、一松の部屋は屋敷の隅、階段下の四畳半部屋だった。
    途中、桶と手拭いを持った侍女とすれ違いざまに危うくぶつかりそうになったが、今は気にしていられない。
    本人達は知らないが、使用人達にとって、双子の兄弟の仲の良さは常識として知れ渡っている。
    先ほどの侍女も一松を見て察したのだろう、特に気にした様子はなかった。
    一松がやや乱暴に部屋の戸を開けると、医者らしき初老の男性と、この家の使用人達のまとめ役である番頭がこちらを振り向いた。
    部屋の奥の寝台には、チョロ松が寝かされていた。
    目元、肩口から胸部、右腕と右脚は白い包帯で覆われ、包帯の下から覗く白い肌は血の気をすっかり失っている。
    生気をまるで感じられない兄の姿に、ほんの一瞬、一松の脳裏には最悪の事態が過ぎったが、兄の胸元が僅かに上下しているのを確認し、思わずその場にへたりと座り込みそうになった。
    持ちうる理性を総動員し、言う事を聞かない己の足をなんとか動かして、チョロ松が横たわる寝台のすぐ傍まで足を動かせば、番頭が座椅子を差し出してくれた。
    有り難くそれに腰掛けて改めてチョロ松の様子をうかがえば、医学に精通していない一松の目から見ても、兄の容態が芳しくない事は明白であった。

    聞けば、チョロ松は学校からの帰り道、暴走した荷馬車の横転事故に運悪く巻き込まれてしまったのだという。
    これは一松が後から知った事だが、その事故は人通りの多い大通りで起こり、兄の他にも、帰路を急いでいた学生や社会人、通りで商売をしていた商人等、大勢の人が巻き込まれ、大勢の死傷者を出したらしい。
    建設事務所を目指していたらしい荷馬車の荷台に積まれた木材や硝子は、人々を傷付けながら通りに散らばり、平和な夕時は一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図と成り果てたのだろう。
    翌日の新聞には、この事故が大見出しで報じられていた。

    不幸にもこの大事故に巻き込まれてしまったチョロ松は、荷馬車が運んでいた様々な木材、石材によって全身に打撲や深い切傷を負い、砕け散った硝子は彼の瞳を傷付けた。
    中でも右脚と両目の怪我は深刻で、医師によれば回復はほぼ見込めないだろうとのことだった。
    もしかすると、もうずっとこのまま寝たきりかもしれない、と。

    「チョロ、松…。」
    「………一松?」
    「ん。…起きてたんだ。」
    「うん。一松、そこにいるの?」
    「いるよ。」

    番頭と共に医師を見送り、一松が再びチョロ松の部屋へ入ったときにもチョロ松は相変わらず寝台に横たわったまま身じろぎ一つしていなかった。
    していなかった、と言うより動くことが出来なかったのだろう。
    ほぼ無意識に一松の口から漏れた、まるで縋るように兄を呼ぶ小さく掠れた声は、チョロ松の耳にはしっかりと届いたらしい。
    チョロ松は声がしたであろう方へと、ほんの少しだけ首を動かした。
    兄の目は包帯によって完全に塞がれている。
    光を亡くしてしまった兄の目は、もうこの先暗闇しか映せないのだろうか。
    一松には、それが何よりも残念でならなかった。
    チョロ松の瞳は少し小さく三白眼気味で、チョロ松自身はそれを嫌がって一松の人並みな大きさの黒目を羨んでいたが
    (一見すると二人の瞳の大きさの違いなど、すぐに気付ける人は皆無に等しいにしても、だ)
    小さな瞳は実に表情豊かであった。
    元来チョロ松は非常に口が回る人で、無口な一松の分まで立板の水のように澱みなく、よく喋るのだが、本当に雄弁なのは口よりもむしろ、その表情豊かな目なのだと一松は思っている。
    そんな目まぐるしく色を変える兄の目が、一松は好きだったし、その目が自分をゆるりと捉え、下がり眉を更に下げて優しく笑う兄が好きだった。
    その瞳も、もう見れないのだろうか。
    そんな事を頭の片隅で思いながら、一松はチョロ松の手を取った。
    常から体温の低いチョロ松の、ひやりとした手に一松の手のひらの温度がじわりと溶け合うように伝わった。
    チョロ松は己の右手をしっかりと握る一松の手の上に、更に自身の左手を重ねると僅かに口元を綻ばせた。

    「一松…泣いてるの?」
    「泣いてないよ…なんで?」
    「そう?…なんだか、お前が泣いてる気がしたものだから。」

    実際のところ、あまりに痛々しい兄の姿に、一松はみっともなく泣き出したい衝動に駆られていたが、それは強く目を閉じて堪えていた。
    「泣いてない」とは応えたものの、その声はすっかり震えていて、チョロ松には一松の強がりが手に取るようにわかっただろうが、それ以上の詮索はしなかった。


    ー 大正二年 十一月二十五日 午後八時半

    次の日の夜、チョロ松の自室で一松は兄の食事の介助を終え、食器を使用人に預けると、お湯で濡らした手拭いで簡単にチョロ松の身体を拭き、医師から処方された塗り薬を塗布して包帯を巻き直してやっていた。
    覚束無い手つきだが、昨日あらかじめ医師から手順の説明を受けていたこともあって、その仕事はゆっくりではあるが丁寧で、ほどけそうな気配もなくしっかりしている。
    途中、うっかり包帯を取り落としたりしたが、チョロ松は何も言わずだまって介助されている。
    これは、一松自ら「自分がやる」と使用人達に宣言していた。
    一松の突然の申し出に使用人達は戸惑ったが、チョロ松も目が見えなくなったことで他の感覚が過敏になっているのか、一松以外の人に身体を触られることを酷く嫌がったため、結局のところこの仕事は一松にしか出来ない事だった。

    チョロ松の身体は、随分と火照っている。
    昨日の青白い肌と低い体温が嘘のようだ。
    医師は鎮痛剤と解熱剤も多めに置いていってくれたが、昨晩からチョロ松は大怪我の影響なのか高熱にうなされ、今日も卵粥をようやく茶碗一杯なんとか流し込めたところだった。
    寝台に沈み込むチョロ松の姿は、驚く程弱々しくて一松を一層不安にさせる。

    (死なないで、チョロ松…お願いだから。)

    思わず、そんな風に祈らずにはいられなかった。

    一松が包帯を巻き終え、薬箱の後片付けをしていると、不意に部屋の戸が開けられた。
    その時には下を向いていたため、戸を開けた人物の顔はすぐに見れなかったが、誰なのかは瞬時に理解できた。
    使用人ならば跡継ぎであるチョロ松の自室に入ろうとする前に、戸の前で必ず伺い立てをするはずだ。
    それをせず、何も言わずに無礼にもいきなり戸を開けるような人物は、広いこの屋敷において、一松は一人しか知らない。

    「父さん…。」

    この屋敷の現当主たる双子の父親、その人だった。
    戸口に立つ父親の顔は眉間に深く皺が刻まれており、中には入らずに入口から寝台で眠るチョロ松をじっくりと眺めている。
    その様子に、一松は何か声掛けをすればいいのか、この部屋から去るべきなのか、どうすればいいのか判らず戸惑ったが
    …ああ、チョロ松の怪我が心配で慌てていたのだろう、だから余裕も持てずいきなり戸を開けてしまったのだ。
    そしてチョロ松の痛々しい姿に、打ちのめされてしまっているのだろう。
    …と、父親の様子を最大限好意的に解釈することにした。
    やがて父親は視線を部屋の奥の寝台から薬箱を片付ける一松へと移すと、低い声で言い放った。

    「ついてきなさい。」

    一松には、拒否権などない。
    足早に部屋を去っていく父親の後を慌てて追いかけると、着いた先は隣の部屋…父の書斎だった。
    部屋の中央に誂えられた西洋座卓を挟み、向かい合う形で腰を下ろすと、父親は徐に切り出した。

    「あれは、もう助かるまい。
     一松、今後はお前が「チョロ松」となり後継者となるように。」
    「え…。」

    話はそれだけだ、と言わんばかりに父親はそれ一言だけを伝えると、さっさと部屋を去ってしまった。
    一人書斎に残された一松は、呆然としたまま父親の言葉を反芻した。

    「チョロ松に…なる…?」

    それは、父親が先ほどのチョロ松の様子を見て、早々に切り捨てる決断を下した証明だった。
    あの時、戸口で父は大怪我を負ったチョロ松の姿に打ちのめされ、悲観していたのではない。
    単純に、品定めをしていたのだ。
    チョロ松はもう使えない。
    だが、存在をひた隠しにされてきた一松が今更チョロ松に代わって表に出ていくのは外聞が悪い。
    ならば、大怪我を負ったのは一松だったという事にしてしまえばよい。
    そして、一松は今後「チョロ松」として跡継ぎになってもらえばよい。
    父親の考えを理解した一松はただただ呆然とするしかなかった。
    結局のところ、自分達は父親にとって家を守る為の手駒に過ぎなかったのだ。
    チョロ松の振りをするなど、元々内緒で「入れ替わり」をしていた一松にとっては容易いことだが、自分達の心の平静を保つために自主的にするのと、強要されるのとではわけが違う。
    父の言葉は、二人の意思と精神を冒涜するに足るものだったのだ。


    ー 大正二年 十一月三十日 午後八時

    あれから一松はチョロ松の介助をしながら、深く考え込む事が多くなった。
    父親の下した決定は、次の日にはもうチョロ松の耳にも届いており、チョロ松自身はその決定を静かに受け止めていた。
    一松の日課となった包帯交換の時に、小さく「ごめんね、一松。」と零したチョロ松に、一松は虚を突かれ、思わず手を止め兄の方を見た。
    包帯に覆われた兄の目は、果たして今どんな表情をしているのかは判らなかったが、きっと眉を下げて哀しそうな顔をしているのだろうと一松は思った。

    もしも、もし、万が一にも、チョロ松がこのまま快方に向かわなかったとしたら。
    酷く儚く見える兄が、その命を手放してしまう日が来てしまったとしたら。
    そのような事を考えるのは無粋だと理解はしていたが、一松は考えずにはいられなかった。
    チョロ松を失えば、一松は父親の言うように一生兄を演じて生きていかなければならない。
    それどころか、心の拠り所を、「一松」自身を見てくれて認めてくれる存在を、唯一無二の半身を失う事になるのだ。
    チョロ松がいなくなってしまえば、一松はもう誰にも「一松」としての存在を認識してもらえなくなる。
    「一松」も「チョロ松」もいなくなり、現し世に残るのはきっと偽りの「チョロ松」だ。
    便宜上、兄の名を呼ばれながらも、その正体は実は一松で、しかし、一松も心を手放し、ただ兄を演じる人形に成り果て、もうそこにはかつての一松もいないのだろう。
    チョロ松のいない世界など、一松にとっては到底耐えることなど出来そうにない生活だった。
    一松にしてみれば、チョロ松の死は己の死と同義と言っていいくらいには、兄への依存は膨れ上がっていたのだ。
    いまこの瞬間にも、少しでも気を緩めれば一松の涙腺はたちまち決壊してしまいそうであった。
    同時刻、チョロ松ももう涙など流せないであろう己の目を自嘲しながらも、嗚咽を噛み殺していた事は、強く目を閉じて涙腺を守っていた一松には気付けなかった。

    沈んだ表情のまま日課を終えた一松は、チョロ松が静かに寝息を立て始めたのを確認して部屋を後にした。
    もう日はすっかり沈んでいる。
    使用人達も、一部を除いて各々の部屋へ戻るなり家路につくなりしたのだろう。
    広い屋敷は水を打ったような静けさだった。
    長い廊下を歩きながら、一松は考える。
    あの父親は何故こんなにも息子達…チョロ松と一松に対して無関心を貫くのか。
    思えば父親らしいことをしてもらった覚えもない。
    それは、チョロ松の代わりでしかなかった一松にとっては当然のことなのだが、こっそりと兄と入れ替わって茶会や演奏会へ出席した時も、父が息子を見る目は同じだった。
    名家の血と伝統を重んじるあまりに、人の心を亡くしてしまったのだろうか。
    だとしたらなんて哀れな人だろう。
    …もしも幼い時分に他界した母親が生きていれば、少しは違っていただろうか。
    幼い自分達を愛し、抱き締めてくれた母の腕はどのくらい温かかっただろうか。
    優しく呼びかける声は、どんな声色をしていだだろうか。
    母親を思い出そうとして、一松はその記憶がひどく曖昧な事に気付いた。
    記憶に残る母親はチョロ松と一松に平等に優しく、温かな存在だった事は間違いないのだが、その声や顔はぼんやりとしている。
    思い出そうとすればする程、兄の顔がうかんでしまうので、一松はもうこれ以上母親の顔を思い出そうとするのは諦めてしまった。

    その代わり、一松はふと幼き日に母から聞いたある逸話を思い出した。
    確か、こんな話だった筈だ。

    ー 松林の山の頂上には、小さなお社があって、
    そこにはもう何百年も生き続けるお狐様が暮らしている。
    お狐様の元に参拝して願い事をすると
    気まぐれにお狐様は参拝者に試練を与え、
    それを達成出来れば叶えてくれる ー

    いつ頃聞いたのだったか、子供向けの昔話だろうが、何故かはっきりと、一字一句覚えていた。
    今まで記憶の底に眠ったままだったのが不思議なくらいだった。
    単なる昔話、子供向けの物語。
    一松はそう思ったのだが、この話と一緒に記憶に蘇った母の声と表情が、真摯に己を見つめていて…、

    だから、少し縋ってみたくなったのだ。


    ー 大正二年 十二月一日 午前二時

    草木も眠る真夜中丑三つ時。
    一人の少年…一松は狭く急な山路を辿っていた。
    その山路はろくに手入れもされておらず、崩れかけた急勾配な石段の隙間からは雑草が蔓延り、当然街灯もなく真っ暗だ。
    辺りは鬱蒼と生い茂る木々に囲まれている。
    白い切石が暗闇の中ぼんやりと浮かんで見えた。
    そんな険しい道のりを、ただ黙々と登り続けていた。
    幼い頃に母親から聞いたお狐様の昔話を信じた訳ではない。
    むしろ一松は端から信じてなどいなかった。
    けれど、何も出来ずに家に閉じこもっているよりは、こうして何か行動を起こした方が幾分ましに思えたのだ。
    要するに、単に気を紛らわせたいだけの自己満足も少なくない割合で含まれていた。
    自己満足であっても、祈っておくくらいは減るものでもなし、やっておいて損することはないだろう。
    そう思って、一松は黙々と石段を上り続けた。

    やがて石段を登り切り、視界が開けた。
    目の前にはところどころ塗装の剥がれ落ちた朱塗りの鳥居、更にその奥には古びた小さな社が鎮座していた。
    どちらも、もう何年、何十年も手入れをされていないのだろう。
    鳥居をくぐり、社へ近づくと、社の前には申し訳程度に小さな賽銭箱が置かれていた。
    いつからあるのだろうか、随分と苔が蔓延っている。

    一松は懐から小銭を取り出し、それを賽銭箱へ投げ入れると鈴を鳴らした。
    鈴は錆び付いているのか、妙な擦れた音が響いた。
    柏手を二度。
    そして祈るようにぎゅっと目を閉じ、
    最後に深く一礼して大きく息を吐く。
    しばし社をぼんやりと眺めていたが、やがて一松はゆっくりと踵を返した。
    子供騙しではあるが、少し気分が落ち着いた気がする。
    …さあ、もう戻ろう。
    そう思い、一松が再び鳥居をくぐった時だ。
    不意に、背後で声がしたのだ。

    「いや~、久々だねぇ。人の子が訪ねてくるなんてさ。」

    「ーーーっ?!」

    勢い良く振り向けば、そこには鮮やかな紅い着物に身を包んだ一人の男が立っていた。
    一体いつの間に。
    一松がここにたどり着いた時、他の誰かの気配なんてなかったはずだ。
    いや、それよりも。
    一松は男の姿を見て、普段眠そうに半分閉じられた眼を見開いた。
    男の頭部は狐の耳を冠しており、背には滑らかで豊かな白銀の毛並みの尾を携えている。
    人ならざる存在である事は火を見るより明らかだった。
    男が笑みを絶やさぬまま一歩踏み出し、一松へ近づく。
    一松が一歩後ずさる。
    じっと男を見つめる一松の様子は、まるで天敵を目の前にして恐怖で目を離せず震え上がる小動物のようで、男は思わず笑みを深めた。
    どのくらいそうしていただろうか。
    数秒にも満たなかったかもしれないが、一松にはひどく長い時間のように感じた。
    ふと、ほんの一瞬…風が吹いた。
    かと思うと、男の姿が一松の目の前から消え去り、次の瞬間には互いの鼻と鼻が触れ合いそうなほど近くまで迫られていた。
    この人ならざる男が目で追えない程の速さで動き、そして間合いを詰められたのだと、一松の脳が理解するのにはしばしの時間を要した。

    「?!」
    「あれ、お前……。いや、まぁいいか。
     なぁ人の子、さっき祈ったお前の願い、叶えてやろうか?」
    「………は?」

    男は心底愉快そうに目を細め、右手で一松の顎を捕らえた。
    一松と異形の男の目と目が合う。
    男の手はひんやりとしていて、愉快そうに笑うその目は吸い込まれそうなほどの漆黒だった。
    都合のいい口上を並べ立てて、取って食われるのだろうか。
    そう考えると同時に、男の目を見て、一松は場違いにも、ああ綺麗な目だな、と思った。
    彼が昔母から聞いた、何百年も生き続けるお狐様とやらなのだろうか。
    耳と尻尾を見る限りは狐に間違いはなさそうだし、それにこの男は願いを叶えてやろうかと言ってきた。
    人気のない山奥で、鮮やかな紅が一層際立つ。
    …紅。
    何故だろう、今何かを思い出しかけたような気がした。
    いや、それよりも。
    返答すべきなのだろうか、それとも無視を決め込むべきか?

    「おーい、少年?聞いてる??」
    「…誰?」
    「それ今聞いちゃう?」
    「だって…。」

    一松の顎を掴んだまま、男が更に言葉を続けようとした時だ。
    紅い着物の背後で突如、音もなく蒼い焔が浮かび上がった。
    思わず一松の視線がそちらへと向かう。
    一松の様子に男も顎を掴む手はそのままに振り向くと、「げっ」と小さく呟きながら顔を歪めた。
    それでも一松を離そうとはしなかったが。
    蒼焔は今度は風を起こしながら火柱を上げている。
    燃え上がっていた蒼い火柱はやがて霧散し、蒼い焔が上がっていた場所には男が立っていた。
    蒼い着物、顔立ちは紅い着物の男とよく似ている。
    そして、蒼い着物に身を包んだ男もまた、頭に狐の耳、そして背に八本の尻尾を携えていた。
    紅い着物と蒼い着物を交互に見つめる一松をよそに、蒼い着物の男は紅い着物の男につかつかと歩み寄り、拳を振り上げると容赦なく紅い着物の男の脳天にそれを振り下ろした。
    辺りに鈍い音…いや、なかなかいい音が響いた。
    この瞬間、あれ、こいつの頭って実は中身ないのかな、と失礼極まりないことを一松が考えていたのは、完全なる余談である。

    「おそ松!いたずらに人の子を怖がらせるんじゃない。」
    「えぇ~?別に苛めてねーよ?
     ただ、こいつの願い叶えてやろうかって聞いただけだって。」
    「だったらその手は何だ?んん~?」
    「あーもう!わーかったって!」

    突然現れた蒼い着物の男に咎められて、紅い着物の男(どうやらおそ松という名らしい)は一松から手を離した。
    一松といえば、目の前で起こっている展開についていけず、

    「うん、帰ろう…。」

    何か変な夢でも見ているのだろうと都合の良い解釈をし、元来た石段を下ろうと再び踵を返そうとした。
    …が、石段を下りることは残念ながら叶わなかった。
    今度は紅い着物の男に手首を掴まれてしまったのだ。
    見かけによらずその力は強く、一松には振り解けそうにない。

    「ちょ、待て待て待て!
     え、嘘でしょこの流れで無視?!有り得ないだろ!
     シカトとかお兄ちゃん泣いちゃうよ?!」
    「少年!先程はこいつが無礼を働き悪かった!
     こんな山奥に人の子が訪ねてくるなんて久々の事でな…少々はしゃいでしまったんだろう。
     何か困っている事があるのだろう?詫びというわけではないが、話を聞こうじゃないか!」
    「………チッ」
    「ええええ、舌打ちしたよこの子?!」

    何故か二人の異形の男達にしつこく引き留められ、一松は渋々此処に残る他なかったのだった。

    ーーー

    二人の男は一松を古びた社の前、ちょうど腰を下ろすのに丁度いい大きな置き石に座らせた。
    話を聞くに、二人は妖狐の兄弟で、紅い着物の男が兄のおそ松、蒼い着物の男が弟のカラ松というらしい。
    気の遠くなるほど昔からこの地に住み着き、この社を訪れる人の願いを気まぐれに叶えたり、偶に人の姿に化けて人里へ下って遊んだりして過ごしてきたそうだ。
    話し相手が欲しかったのだろうか、思いの外人懐っこい妖狐の兄弟は実によく喋る。
    二人とも背の八本の尻尾を機嫌良さげに揺らしていた。
    とりあえず妖怪に喰われる、という心配は今のところ無さそうである。

    「最近は此処を訪れる人もいないし、人里へ下りることもなくなったけどな。
     ここ数十年は西洋から来たおかしな道具が溢れかえってて、俺達妖にとっては溶け込み辛くなってきちまったし。」
    「ふーん…。」
    「ふーん、てお前ね。もうちょい興味持ってよ~。」
    「なぁ、一松といったか。お前は…、」
    「何?」
    「いや、何でもない。」
    「?」

    カラ松が一松の顔をじっと見つめ、そして何かを言いかけたが、結局言葉にはしなかった。
    そういえば、最初に顔を合わせたおそ松も似たような反応をしていた気がするが、一体何だったのか、一松には知る由もない。
    小首を傾げる一松に、カラ松は慌てて話題の矛先を一松へと向けた。

    「俺達の話はもういいだろう。
     そろそろ一松の願いを聞こうじゃないか。」
    「え…いや、別に。」
    「何遠慮してんの一松?大怪我したお前のおにーちゃん助けたいんだろ?」
    「!!」
    「あはは、何で分かったの、って顔してるな。
     わかるよ。ここら一帯は俺達の縄張りだからね。
     お前が社の前で祈った想いは妖狐の俺には筒抜けなの。」
    「なるほど、兄を助ける為にこんな所まで…!なんて美しき兄弟愛!」
    「…別にそんなんじゃ、ない。」

    カラ松の言う、美しい兄弟愛と言える程、綺麗な感情ではないことくらいは、一松も理解している。
    兄へ向けるこの想いは執着、そして依存だ。
    兄弟愛と呼ぶには度が過ぎていて、恋心と呼ぶには歪み過ぎている。
    事実、こうして此処に足を運んだのも、もちろんチョロ松の想いが強かったのもあるが、それ以上に自分自身の為だった。
    万が一、心の拠り所を失ってしまった時、自身が壊れてしまうのが怖くて、気持ちを落ち着けたかったのもある。

    「助けてやろうか。お前の兄貴。」
    「…助けられるの?」
    「怪我の程度にもよるけどな。普通の生活できるくらいなら治せるかもよ?」
    「…………代償は?」
    「へ?」
    「そんな虫のいい話あるわけないでしょ。
     チョロ松を治してくれる代わりに、俺は何を犠牲にすればいいの?」
    「一松、お前…、」
    「へぇ~、人間ってのは強欲な奴ばかりだと思ってたけど、一松は利口な子だな。気に入った!
     そうだな…それじゃ、一松。今から俺が言う事を成し遂げられたら、お前の兄貴を助けてやるよ。」
    「おそ松、折角此処まで来てくれたんだ。
     すぐにでも治してやったらどうだ。」
    「だーめ。
     さっきこいつも言っただろ?犠牲は何かって。
     無償で受け取るのは赦されない。対価は必要だよ。」
    「だが…、」
    「俺に出来る事ならいいよ。
     何も無しじゃ、あんたらに貸しを作ったみたいで居心地悪いし。」
    「む…一松が納得しているなら、構わないが…。」
    「さて…それじゃあ俺から一松へ試練を与えよう。」

    おそ松から告げられた、兄を助ける為の試練、それが「百日参り」だった。
    今日から百日、雨の日も雪の日も一日たりとも休まず毎日この社へ参拝すること。
    そして、参拝の際には賽銭の代わりに一松の髪を一本、奉納すること。
    これが条件だった。

    「何で髪の毛…?」
    「髪は妖力を込める媒体として一番手頃で手っ取り早いんだよ。
     直接俺が妖力をぶつけると何が起こるかわかんねーし、緩衝材みたいなもん?
     本当なら治癒を施す対象のお前の兄貴の髪がいいんだろうけど、双子の兄弟なら一松のでも問題ないだろ。」
    「そういうもん…?」
    「そーいうもん、そーいうもん。」
    「俺が百日通えば、兄さんは助かる?」
    「おう。俺の出来る限りの力を尽くしてやるよ。」
    「…わかった、百日参りする。」
    「よし。交渉成立、だな。」

    斯くして、一松の百日参りが始まったのである。

    ────────

    《二》

    ー 大正三年 三月十日 午前二時

    妖狐のおそ松が与えた条件を呑み、一松は今日、百日参りをやり遂げた。
    文字通り雨の日も風の日も、雪の日も、険しく暗い山路を真夜中に辿り、懐紙に包んだ髪を古びた社へ奉納した。

    柏手を二度。
    手を合わせるとぎゅっと祈るように目を閉じて
    最後に一礼してその場を足早に去る。

    誰にも内緒で、チョロ松にさえも内緒で、夜中こっそりと家を抜け出し、明け方になる前にまたこっそりと戻る。
    日中は父親の望む通り、「チョロ松」の振りをし続けた。
    チョロ松の代わりに学校へ通い、偶に園遊会へ参加しながらの百日参りは体力の少ない一松にはなかなかの重労働ではあったが。
    そんな日々を続けて百日目だ。
    その間、おそ松もカラ松も一松の前に現れることはなかった。
    だから目の前で上機嫌な様子で手を叩くおそ松を見るのは、実に百日ぶりだ。

    「お見事。頑張ったじゃん、一松。」

    おそ松がそう言った直後、蒼い焔と共にカラ松も現れた。
    こちらも百日ぶりの再会となるが、カラ松の表情は非常に晴れやかで、立ちすくむ一松へ勢いよく飛びつかんばかりだった。

    「おめでとう一松!お前は見事試練に打ち勝った!
     満願成就のこの目出度き日を盛大に祝福しようじゃないか!
     ああ、そうだ。英国ではこういう時、『こんぐらっちゅえいしょん』と言うらしいな!」
    「…え、うん。
     てか、初めて会った時も思ったんだけど、そのちょいちょい気障な言い方なんなの?」
    「あー、ごめんね。カラ松は劇舞台みたいな言い回しで喋んないと死んじゃう病なの。」
    「な…?!お、俺は知らぬ間に病に侵されていたというのか…?!」
    「ほんと、イッタイよねー!」
    「どぅーん!おっはよー!!」
    「真夜中だよ十四松兄さん。」
    「え…。」

    おそ松とカラ松の背後から飛び出してきた新たな登場人物に、一松は百日前と同じように瞠目した。
    ちなみに自分の世界に入ってしまったカラ松は早々に無視を決め込むことにした。
    突然一松の前へと躍り出てきたのは、おそ松とカラ松に顔立ちのよく似た、しかし受ける印象は大きく異なる者達。
    片方は薄桃色の着物を纏い、大きく可愛らしい瞳が印象的で、
    もう片方は蒲公英色の着物に、大口を開けて底抜けに明るい声を上げている。

    「あ、こいつらは俺達の式神。
     蒲公英色がカラ松の式神の十四松で、薄桃色が俺の式神のトド松な。」
    「話には聞いてたけど、君が一松くんかぁ~。
     おそ松兄さんの気まぐれに律儀に付き合っちゃったなんて、真面目なの?
     ま、よろしくね♪」
    「ぼくね、十四松!すっげー足速いよ!!」
    「え?あ…うん?よろしく??」

    式神は陰陽師が使役する鬼神のことだ。
    本来の式神とは多少の違いがあるのかもしれないが、使役神を持っているということは、おそ松もカラ松も一松が想像している以上に高位の妖なのだろう。
    もっとも、式神だという十四松とトド松の様子を見る限り、やけにしっかりとした自我を持っているようで、主に敬意を払っている様子は見受けられない。
    が、おそ松とカラ松にとっては日常的なことらしく、気にしている様子はなかった。
    十四松とトド松を従え、おそ松は徐にぽんと手を打つと、一松に向き直った。
    その手は綺麗に束ねられた短めの髪を持っている。
    この百日間、一松が一本ずつ奉納してきた髪のようだ。

    「…さてと、それじゃぁ約束通り一松のお兄ちゃんを治すとするかー。」
    「…今更なんだけど、本当に出来るの?」
    「え、まだ疑ってる?
     ちゃんと治すから大丈夫だって。」

    おそ松を疑ったわけではない。
    ただ、いざ治そうという場面に直面して、少し不安になったのだ。
    一松がこっそりと百日参りに勤しんでいた間、チョロ松の容態が悪化するようなことはなかったが、快方に向かうこともなかった。
    流石に傷は塞がったが、もうその目は光を捕らえることが出来ないし、手足も満足に動かせない。
    介護無しには生活できない、完全に寝たきりの状態になってしまったのだ。
    「一松」と請われるように伸ばされる手を取れば、チョロ松の手の冷たさにぞっとした事も少なくない。
    兄の状態は誰が見ても絶望的で、現代の医学ではどうにもならないだろう。

    「治すって言っても…どうやって?」
    「まずは一松の兄…チョロ松だっけ?の所に行くかー。」
    「は?!」
    「いや、だって怪我人の所に行かないと治せないじゃん?」
    「そ、そうだけど…。え、待って家に来るの?」
    「いやぁ~人里に下りるなんて久々だな~!
     あ、大丈夫、大丈夫。ちゃんと見つからないようにするから。」
    「善は急げだな!そうと決まれば急ぐぞ。一松、つかまれ!」
    「は、え?!ちょ、ちょっ!待っ…!!」

    言うや否や、気付けば一松はカラ松に引き寄せられていた。
    カラ松は素早く一松を横抱きにすると勢い良く地を蹴る。
    背後から「あ、待てよカラ松~」とおそ松の間延びした声が聞こえてきた。
    カラ松は一松を横抱きにしたまま、軽々と木々を飛び移っていく。
    そうして、一松が目を白黒させている間に山を下り、あっという間に人里まで来たかと思えば、今度は家々の屋根から屋根へと飛び移っていった。
    カラ松の後を同じようにおそ松が追ってきているのと、おそ松の背中に十四松とトド松がしがみついているのを、
    ついでに言うと「おいお前ら自分で走れよ!」「え~やだよ面倒くさい。」「兄さんがんばれー!!」
    というやり取りをしていた事も、この時になってようやく一松はその目と耳に認めることが出来た。
    先刻、見つからないようにする、と言っていなかっただろうか。
    誰かに見られていたらどうするんだ、と妖狐の兄弟に言ってやりたかったが、
    ふと上を見上げて目が合ったカラ松が得意そうに片目を瞑って笑うものだから、一松は呆れてすっかり脱力してしまい、それきり咎める機会を失くしてしまったのだった。

    やがて一行はチョロ松と一松が住まう屋敷の屋根へと辿り着くと、中庭へ下り、そこからチョロ松が眠る部屋へと向かった。
    屋敷はしんと静まり返っており、誰とすれ違うこともない。
    この屋敷は父親の意向で、住み込みで働く使用人はほんの数人で、ほとんどが通い勤めだからだろう。
    使用人達が帰った夜はとても静かだ。
    そっと部屋の戸を開けて中へ入ると、トド松が何やら手を不思議な形に組んで詠唱している。
    部屋の四隅が、一瞬だけ青白く光った気がした。

    「よし、簡易だけどこの部屋に結界張ったから、しばらく誰も入ってこれないよ。多少騒いでも大丈夫。」
    「それは有難いけど騒がないでよ。チョロ松は起こさないで。」
    「はいはい。そんじゃ、まずは怪我の程度を見せてもらおっかな~。」

    少し声を落として言いながら、おそ松は寝台に横たわり寝息を立てるチョロ松の胸元に懐紙を置き、その上に束ねられた髪を置くと、手を置いた。
    そのままじっと目を閉じ、何かを探っているようだった。

    「…どうだ?おそ松。」
    「うん、大体治せるな。…ただ、」
    「ただ?」
    「わりぃ、目は難しいかも。」
    「目?」
    「うん。こいつの目、どうやら完全に壊れちまってるみたいでさ。
     腕とか脚は、まだ身体の組織が死んでないっぽいから治せそうだけど。
     …人の身体ってさ、速さは違えど怪我すれば自然と回復する力を持ってるだろ?
     俺の治癒って、乱暴に言えば人が持ってる回復力をめーっちゃ高めて回復促すようなもんだから
     治そうとしてる部分そのものが死滅しちまってるとなぁ…。」
    「…なんとか、ならないの?」
    「うーーーん、そーだなぁ~…。
     あ、取り敢えず他のところは治しとくな。」

    おそ松の手に淡い光が集まり、そして光はチョロ松の身体へと吸い込まれていく。
    その光景を見ながら、一松はばれないように拳を握り締めた。
    目は、治せないのか。
    人ならざる妖と関わりを持って、百日山路を登り続けたというのに。
    …いや、寝たきり状態からは解放されるのだ、それだけでも十分な奇跡だ。
    そうは思っても、落胆は隠せようもない。
    そんな一松の様子を、カラ松が心配そうにうかがっていた。
    やがてカラ松は何かを思い付いたのか、声量を落として一松に話し掛けてきた。

    「……なぁ、一松。一つ提案なんだが。」
    「…何?」
    「片目を交換するのはどうだ?」
    「交換…?」
    「ああ。お前の片目とチョロ松の片目を入れ替えるんだ。
     そうすれば、一松は片目が見えなくなってしまうが、チョロ松は片目が見えるようになる。」
    「片目、を………。」
    「カラ松、お前マジで言ってんの?
     それ、つまりは一松に兄の為に片目を潰せって言ってるのと同じだぞ?」
    「それは、そうなんだが…。」
    「いいよ。」
    「はい?」
    「俺の片目、チョロ松にあげていいよ。」
    「一松本気?…後になって元に戻すとか無しよ?」
    「うん。なんなら両目あげてもいい。チョロ松に僕の目あげて。」
    「うーんと、…うん、お前の覚悟は分かったから。そこは片方にしとこうか。」

    カラ松の提案に、一松は躊躇なく乗っかった。
    元々、おそ松からチョロ松を治癒してやると聞かされた時も自身は滅ぶ覚悟だったし、片目を差し出す程度でいいのなら悩む必要などなかった。
    おそ松とカラ松、そして十四松とトド松がじっと一松を見つめる。
    その目は程度は違えど、一様に何かを堪えているような、心配しているような、そんな表情をしていた。
    一松を囲む人ならざる四人が一体今ここで何を考えていたのか、知らぬは一松本人のみである。

    「一松、…本当にいいんだな?」
    「うん。」
    「わかった。…それじゃ、お前らの右目を入れ替えようか。」

    おそ松が右手をチョロ松に、そして左手を一松に、顔半分を覆うようにして手を置いた。
    瞬間、右目がどくりと脈打ち、一気に熱を持った。
    かと思うと、次第に熱は引き、今度はじくじくとした鈍い痛みがゆっくりと一松を襲う。
    反射的に肩が震え、思わず目を閉じたが、やがておそ松がチョロ松と一松から手を離した時には痛みは治まっていた。
    一松が再び目を開く。
    先程までと見える世界が違う。
    どうにも目の前が平坦に見えて、距離感が上手く掴めない。
    なるほど、確かに一松の右目は視力を失っていた。

    「チョロ松の身体は少しずつ動くようになっていくよ。
     目は…まぁ、片目はしばらく不自由を感じるだろうけど、時期に慣れるだろ。」
    「さて、夜が明ける前に俺達は戻るとするか。
     今宵の逢瀬はここまでだな、しかし、俺達が縁で結ばれていれば、近く必ずや相見える日がく」「ばいばーい、またね!」え…。」

    やるべき事をやり終えると、妖狐の兄弟とその式神は颯爽とその場を去っていった。
    約一名、何かわけの分からぬ事をぐだぐだと並び立てていたが。

    薄暗い部屋には、チョロ松と一松だけが取り残された。
    先程までの賑やかさが嘘のように、部屋は再び静けさを取り戻している。

    (あ。お礼…言いそびれた、な…。)

    視力を失った右目を手で押さえながら、一松はふと思った。

    ーーー

    ー 大正三年 三月二十日 午後三時

    あれから、チョロ松は奇跡的な回復を遂げた。
    おそ松が言い残した通り、治癒を施した次の日の朝には右目が光を宿し、三日後には両の手を自由に動かせるようになり、一週間が経った頃には、自力で歩けるまでになった。
    屋敷の使用人達は皆驚きながらも回復を祝福し、彼らなりの祝の心配りなのだろう、夕餉が少し豪華になったりした。
    おそ松がチョロ松を治癒し、更にチョロ松と一松の片目を交換した次の日の朝、一松は鏡の前に立ち、いつもより念入りに己の顔、と言うよりも目元をじっくりと眺めたが、視力を失った右目は確かに一松の目であった。
    どうやら物理的に目と目が入れ替わったというわけではないようだ。
    しかし、右目の何かが確かにチョロ松と入れ替わったのだろう。
    父親といえば、チョロ松の回復を知るなり、百日と少し前に一松へ言い放った「チョロ松として振舞え」 という発言は、まるでなかった事のように白紙に戻していた。
    素っ気なく「あの日の言葉は忘れろ」とだけ伝えると、再びチョロ松が表舞台へ上がることになっていた。
    この点については一松の予想していた通りである。

    …が、一松が予想だにしていなかった事も起こった。
    まず一つ目は、一松が片目が見えないという事が、早々にチョロ松本人にばれてしまったことだ。
    一松としては、出来る限り隠しておきたかったが、やはり片方だけとはいえ、瞳に光を取り戻した双子の兄には隠し事など到底無理なようで、
    チョロ松は視力を取り戻したその日にごくごく自然に、あっさりと、一松の様子がおかしい事に勘づいてしまった。
    そこから、一松の片目が見えていない事に気付くのには少々の時間を要したが、何か物を取ろうと手を伸ばした一松がやたらと空振りするのを見て、チョロ松は怪訝そうに眉を顰め、控え目に一松に言ったのだ。

    「一松…お前、もしかして片目、見えてないの?」

    兄にあっさりと気付かれ、どう返答したものかと固まってしまった一松とチョロ松を襲ったのが、二つ目の予想外な事であった。

    「「………あれ?」」

    呟いたのは、二人同時だった。
    お互い顔を見合わせ、双子故なのか全く同じ拍子に目を瞬かせる。
    その驚いた表情も何から何まで、まるで鏡合わせだ。
    チョロ松と一松が顔を見合わせ瞠目している理由…それは自身の視界に、何か別の視界が重なって見えたからだ。
    自分の目で見た、目の前に広がる光景とは別に、脳裏に異なる風景がちらついている。
    互いの片割れを見つめる自身の視界と、自分自身を見つめている誰かの視界。
    互いの視界が共有されているのだと理解するのに、さほど時間は掛からなかった。

    「待って、一松が僕を見てる様子が、僕にも見えてる?」
    「え…チョロ松の目を通して自分が見えてるの?」
    「どういう事?」
    「俺に聞かれても…。」
    「だよなぁ…。」
    「何なんだろうね。」
    「うん。」

    不思議な事は間違いなかったのだが、チョロ松も一松も、特に気味悪がったりする事はなかった。
    自身の見るもの全てがばれていたとしても、相手が双子の片割れならば別段気にする事はない。
    むしろ、片割れが見ている世界を自分も見ること出来るのは、心地良くさえあった。
    異常とも言える感覚なのだが、二人にとってはこれが至って普通の感覚らしい。

    ーーー

    チョロ松と一松が視界の共有に気付いて、二人で色々と試した結果、幾つか分かった事がある。
    まず、互いの視界を見るには条件があるらしいことだ。
    どちらかが眠っていたりして意識がない場合や、二人のいる距離が物理的に離れている場合は共有が出来ない。
    そして、どちらか一方が共有を拒んだ場合もどうやら相手に共有される事は無いようだった。
    そして、共有出来るのは視界だけで、相手が見ている景色は分かっても、それに付随してくる音や匂い、触覚等は分からない、という事がわかった。
    しかし、何故突然こんなチカラが二人に宿ったのかは依然として謎だ。
    チョロ松にとっては本当にわけの解らない事態であったが、その一方、一松は解らないながらも心当たりはあった。
    というより、一松には原因がそれとしか考えられなかった。


    ー 大正三年 三月二十一日 午前一時半

    真夜中、一松は再び例の山路を辿っていた。
    チョロ松の身体を治すという目的を果たした今、もうこの場所に来る事はないだろうと思っていたのだが、どうしてもあの妖狐に聞きたいことがあった。
    聞きたいこととは無論、チョロ松との視界の共有に関してだ。
    チョロ松と一松が右目を交換した事が影響していると、一松は確証はないものの、ほとんど確信していた。

    社の前に辿り着き、鳥居をくぐると、一松が社の前に立つ前に目当ての相手の方から姿を現した。
    いや、現したというよりも社の前に、いた。

    「あれー?一松兄さんだ!」
    「ほんとだ。どうしたの?」
    「ちょっと聞きたいことがあったから…。
     十四松とトド松は何してんの。」
    「鞠遊びだよ~。」
    「僕ね、めちゃめちゃ遠くまで投げれるよ!」
    「そう…。」

    社の横で式神の十四松とトド松が遊んでいた。
    暗闇の中、蒲公英色と薄桃色の鮮やかな着物が場違いなほどに明るく浮かび上がって見える。
    二人の手には、身に纏う着物と同じくらい色鮮やかな手毬があった。
    薄桃色、蒲公英色、そして藤色の花模様が散りばめられ、その周りは柳葉色の葉模様があしらわれている。
    そして、鮮やかな紅色と蒼色の糸で縁取りが施されていた。
    なんとも色とりどりで目にも鮮やかな手毬だ。
    一松の視線は、自然と美しい色彩の手毬へと向かった。

    (…なんかこの鞠、何処かで見たことある、ような…。)

    そう、ふと思ったのだが

    「あれ?一松じゃん。」
    「一松!会いに来てくれたのか!!」
    「なんだよー!呼んでくれりゃ迎えに行ったのに〜!」
    「よく来てくれたな、一松!
     ここまで登ってくるのは人の足では大変だろう?茶でも入れよう「いらない。」えっ…。」

    背後から気配もなく、紅と蒼の妖狐の兄弟が現れたため、一瞬、色鮮やかな鞠に感じた既視感についてそれ以上考える余裕はなくなってしまった。
    振り向けば、一松の記憶にある通りの鮮やかな紅色と蒼色。
    二人とも、やたらと人懐こい笑みを浮かべている。
    おそ松が一松の肩に腕を回し、ぐりぐりと乱暴な頰ずりを始めた。
    一瞬だけ一松に鳥肌が立ったが、結局はされるがままだ。
    その様子をカラ松が何故かやたらと羨ましそうな目で見ている。
    気づけば鞠遊びをしていた十四松とトド松も一松の傍まで寄ってきていた。
    あっという間に妖狐と式神に囲まれた一松は、「呼ぶってどうやって」だとか、「妖怪にお茶出しされる人間てどうなの」だとか、色々と言いたい事はあったのだが、
    このまま流されて態々ここまでやって来た目的を忘れてしまう前にと、おそ松の頭を両手を使って押しのけながら本題に入ろうとした。

    「ちょっと聞きたいことがあ「一松から離れろ!!」…え。」
    「うわっ…ちょ、あっぶね!」
    「え…チョロ松?」

    顔のすぐ横で鋭い音と風を感じた。
    それと同時に、おそ松が一松から離れて素早く間合いを取ったのが分かった。
    驚いて音の出所へと目を向ければ、そこに立っていたのは双子の片割れ、チョロ松の姿で。
    双子の兄は、片足を上げた状態で、光の宿った右目でおそ松を睨みつけていた。
    先ほど一松が感じた鋭い音と風は、どうやらチョロ松の蹴りだったらしい。
    チョロ松は松模様があしらわれた柳葉色の袴下に深緑の袴姿で、少々息を乱していた。
    ちなみに、一松はチョロ松と色違いの藤色の袴下に紫紺の袴姿だ。
    袴で、しかも体調も万全ではなく、片目が見えていない状態で、よくここまで鋭い蹴りが繰り出せたものである。

    「なんで、ここに…。」
    「はぁ?!何でじゃないよ!
     たまたま厠に起きたら視界に変な森やら石段やら社が見えてくるし!更にはよく分からない奴らに囲まれているわ馴れ馴れしくベタベタされてるわワケわかんないしお前何でこんな真夜中にこんな処に来てんの?!てか、あいつら何なの?!ていうか、僕に黙って何してたの?!
     一松、あの紅い奴に何された?ちょっと待ってて軽く殺してくるから!」
    「ちょ、落ち着いて…、」
    「チョロ松くーん?恩人に向かっていきなり蹴り入れるのはどうなのー?
     というか、ぞっとしちゃったんだけど!やめてお願い。」
    「ああ?!黙れクソが一松にベタベタ触ってんじゃねぇ!」
    「うわお、噛み付くね~。お兄ちゃんちょっと感心しちゃったわ。」
    「あの、チョロ松…ちゃ、ちゃんと話す、話すから落ち着いてってば。」

    どうやら夜中に目を覚ましたせいで、一松の視界をチョロ松も見てしまったらしい。
    その目に広がる景色を不審に思い、後を追ってきたようだ。
    おそ松に対して敵意を剥き出しにしているチョロ松をどうにか宥めながら、一松は己の迂闊さを反省した。
    チョロ松には知られたくなかった。
    とは思いつつも、山路の道中の視界がチョロ松と共有されていたということは、一松も拒否していなかったということだ。
    それとも、この兄に隠し事は出来ないという無意識の諦めが働いたのだろうか。
    兎も角、この社と、そして妖狐の兄弟達と話しているところを見られてしまっては、もうどうにも言い訳は出来そうもなく、チョロ松に総てを話す他ないように思えた。
    下手な誤魔化しはチョロ松には通用しないし、何よりそうすると後が怖い。
    一松は、初めておそ松達に出会った際におそ松がそうしたように、チョロ松を社の前の置き石に座らせると、大きく息を吐いてから静かに事の顛末を話し出した。

    チョロ松が大怪我を負ってから、幼い頃に母から聞いた子供向けの昔話をふと思い出したこと、
    屋敷で何も出来ずにいるのが嫌で、自身の気持ちを落ち着けたくて、この社へ来たこと、
    そこで妖狐であるおそ松とカラ松に出会い、百日参りを果たせば、チョロ松の身体を治してやるという条件を持ち掛けられたこと、
    そして、その条件を呑み、百日間この社に通い続けたこと、
    おそ松の力によってチョロ松の身体は治せたが、目だけは力が及ばず、一松と右目を交換したこと。

    「…で、チョロ松と視界の共有が出来るようになった原因、目を交換した事が何か関係してるんじゃないかって、それを確かめたくて、また此処に来たんだけど…。」
    「……。」
    「今日に限ってチョロ松が夜中に目を覚ますとは思わなくて…その、」
    「…僕の身体が突然良くなったのは、そういうわけだったんだ…。
     おかしいと思ったんだよ。急に調子が良くなるものだから。
     ねぇ、一松。」
    「……うん。」
    「頑張ってくれたのは、嬉しいよ。
     でもさ、自分の身体を犠牲にするようなこと、するなよ。」
    「ごめん…。」
    「僕、怒ってるよ?」
    「うん…。」
    「ほんと怒ってるよ?」
    「ごめんなさい。」
    「あのさ、一松。
     こうして僕が回復しても、そこにお前がいなかったら、意味ないんだよ。
     ……わかるだろ?」
    「うん…。」
    「…………まぁ、でも、ありがとう。」
    「チョロ松…。」
    「ほんとお前は、頭がいいのに馬鹿だよね。
     たまに思考がぶっ飛んでて危なっかしいったらないよ。
     やっぱり一松には僕が付いてないと。」
    「ふ…チョロ松には、言われたくないよ。」
    「ふふ…そう?」

    困ったように眉を下げて笑ったチョロ松を見て、一松はほっと息を吐いた。
    一松が黙って危険な百日参りをしていた点についてチョロ松が腹を立てたのは事実だが、自分の為に動いてくれた事は間違いない故に、チョロ松は頭ごなしに怒る気にはなれなかった。
    一松がチョロ松の為に片目を差し出してくれたことに、チョロ松の胸中には薄暗い悦びと、言葉に出来ない愛しさが同時に込み上げていた。
    けれど、自己犠牲には走ってほしくはない。
    自分のせいで、一松が身を滅ぼすような事はあってはならないのだ。
    その身に置かれた環境故に一松は自己評価が著しく低い。故に自ら身を引いたり、損な役回りになろうとするのだから、チョロ松としては気が気ではない。
    しかし、チョロ松にとっては一松のそんなところも全てひっくるめて、大切な弟だ。
    愚かで、一途で、愛しい、大切な弟。
    そしてその弟に不貞を働く輩は、人であろうが妖であろうが、関係ない。
    一松に纏わり付く者達が人ならざる者だと、チョロ松は瞬時に理解したが、かと言って一発蹴りを入れるという選択肢を却下する事はなかったのだった。

    「お話終わったー?
     ね、分かったでしょ?俺お前の恩人よ?」
    「うん、その点については一応感謝してるよ。」
    「一応かよ。」
    「感謝はするけど、それと一松に馴れ馴れしく擦り寄ってたこととは、別の話だよね?
     お前誰の許可得て一松に好き勝手やってんの?あ?」
    「えええ、怖っ!一松ぅ~お前のお兄ちゃん独占欲強過ぎじゃね?」
    「…え、そう?」
    「お前この状況見てわかんねーの?!やばくない?!」

    状況を整理し、理解した上で、チョロ松は今度こそ本気の蹴りをおそ松へ向かって放とうとしていた。
    十四松とトド松はその様を眺めながら、

    「あははっ緑のにーさんの蹴りすっげーね!」
    「いいぞいいぞー緑のおにいさん、そのままやっちゃえ~!」

    などと茶々を入れている始末だ。
    人の子相手に心配する必要はないと考えたのか、そもそも主を助ける気が更々ないのかは謎である。
    その横に立つカラ松はといえば、

    「(余計なことしなくてよかった…。)」

    と、一人で内心ホッとしていた。
    こちらもおそ松を手助けする気は毛頭ないらしい。

    程なくして、背中に綺麗な下駄の跡を作ったおそ松と、少しばかりすっきりとした顔をしたチョロ松が戻ってきた。

    「お前らな!ちょっとはお兄ちゃんの心配しろよ!
     一松も!チョロ松止めに入れよ!」
    「ああ、おかえり。勿論心配したぞ、ちょっとだけ。
     おそ松が大人げなくチョロ松を殺しやしないかとな。」
    「おそ松兄さん楽しそうだったねー!」
    「よかったじゃん、人の子に構ってもらえて。」
    「あーもう!弟達が冷たい!!」

    「…ねぇ、ところで、聞きたいこと…」
    「あー、視界が共有出来るようになっちゃったってヤツね。」
    「そう、それ。目を交換した事、関係してる?」

    一松に聞かれ、おそ松は先ほどまでのおどけた表情から一変し、真剣な顔つきでチョロ松と一松を交互にじっと見つめた。
    やがて、おそ松はウデを組み、大きく頷いてみせた。

    「うん、関係してるな。」
    「…どういう事?」
    「お前らの目を交換した時に、俺の妖力の影響でこうなったっぽい。」
    「えっ…じゃあ、それっておそ松兄さんの失敗ってこと?」
    「兄さん失敗っすか!珍しーね!」
    「違いますぅー!失敗じゃないですー!!
     …普通なら、人間が俺の操る妖力に反応するなんてこと、ありえねぇんだよ。
     多分、お前らは人間にしては、そういうチカラが…人間に言わせると非科学的な力を持ってる方なんだろうな。」
    「失敗ではないにしても、原因を作ったのはおそ松だろう?治せないのか?」
    「ごめん、治し方わかんねーわ。」
    「いや、別に不自由はないからいいんだけどさ…。」
    「うん。まぁ、原因分かってすっきりした。」
    「え、いいの?そんなんで?!
     お前らほんと大丈夫?お兄ちゃん心配!!」

    もう夜明けが近い。
    元々ここにはチョロ松と一松が視界を共有出来るようになってしまった原因をはっきりさせる為に来たのだ。
    その目的を果たせたのだから、これ以上ここに留まる必要はない。
    送っていこうと言うカラ松の申し出は断って、(多分、あの時と同じく担がれて家々を飛び移るのだろうから)チョロ松と一松は妖狐と式神に別れを告げて山路を下った。

    ーーー

    ー 大正三年 三月二十一日 午前五時半

    だんだんと白んできた空を、カラ松はぼんやりと眺めていた。
    視線を少し下に下げれば、山から人里を見下ろすおそ松の姿を確認出来た。
    兄の背中に何か声を掛けようとしたところで、カラ松の足元に何かが転がってくる。
    十四松とトド松が遊んでいた色鮮やかな手鞠だった。
    腰を屈めて、それを拾い上げた。
    手鞠程度ならば、わざわざ腰を屈めずとも尻尾を使って拾い上げることくらいできるのだが、この手鞠はきちんと手を使わなければならない気がした。

    「カラ松兄さーーん!そっちいっちゃった!!」
    「もぉ~十四松兄さん、飛ばし過ぎだよ!」

    十四松とトド松が駆け寄ってくる。
    カラ松が手鞠を差し出せば、十四松が笑顔でそれを受け取った。

    「大切な手鞠だろう?なくさないようにな。」
    「うん!」

    薄桃色、蒲公英色、藤色の花模様に、柳葉色の葉模様、そしてそれを縁取る蒼と紅。
    殊更、十四松とトド松が大切にしている手鞠を見ると、カラ松はいつも昔を思い出した。
    それは多分、兄のおそ松も同様の筈だ。
    十四松とトド松が社へと引っ込んでいったのを確認して、カラ松は再びおそ松の方へ視線を向けた。
    おそ松は相変わらず遠くの人里を見つめている。

    「おそ松。」
    「ん~?」

    おそ松の紅い背中に声を掛けると、いつもの間延びした声が返ってきた。
    しかしその横顔は、いつものどこか飄々とした様子からは随分とかけ離れており、真剣な目で、僅かに顔を歪めて、相変わらず人里を見下ろしている。
    何か見えるわけでもないだろうに。
    いや、ひょっとすると、この兄には何かが見えているのかもしれないが。
    おそ松が振り返ることはなかったが、カラ松は構わず続けた。

    「あの二人、チョロ松と一松は…やはり、」
    「あー、うん…間違いないだろうな。」
    「そうか。」

    おそ松がようやくカラ松の方へと振り返った。
    その目は喜色に満ちていて、けれど、どこか泣きそうにも見えた。

    朝日が、もう少しで昇ろうとしていた。

    ────────

    《三》

    ー 大正三年 四月二十一日 午後三時

    年度が変わり、チョロ松と一松の生活には少しの変化が訪れた。
    まずは学校。
    まだチョロ松の身体が万全ではないこともあり、日替わりで通うようになったのだ。
    無論、他の人には内緒の話。
    学校に在席しているのはチョロ松だけだし、一松はチョロ松の振りをして学校生活を送っている。
    一度だけ、危うく入れ替わりがばれそうになった事があるが、それは別の機会があればお話しよう。

    そして、父親との関わり。
    分かってはいた事なのだが、チョロ松が大怪我を負った件で、父の双子に対する無関心さは浮き彫りとなってしまった。
    あれ以来、私事で父と顔を合わせる事はますます無くなり、もはや事務的なやり取りしか交わさなくなってしまった。
    こればかりは、双方の意識が変わらなければどうしようもない。

    しかし、これらはささやかな変化と言っていい。
    チョロ松と一松に訪れた変化は、実はそれだけではない。
    最も大きな環境の変化、それは

    「やっほー!チョロ松兄さん、一松兄さん♪」
    「おっはようございマッスルマッスル!」
    「……十四松、トド松、また来たんだ?」
    「おはよう…そろそろ夕方だけど。」
    「今日は狐どもはいないの?」
    「うん、今日は僕らだけだよー。」
    「ならいいや。入っていいよ。」
    「「おじゃましまーす!」」

    元気よくやって来たのは、十四松とトド松だ。
    おそ松達妖狐の存在をチョロ松も知るところになって以来、式神である十四松とトド松はちょくちょく屋敷へ遊びに来るようになった。
    おそ松やカラ松と異なり、彼らは狐の耳や尾は持ち合わせていないため、見た目はほぼ人間である。
    チョロ松が何か口添えしたのか、屋敷の使用人達も彼らの訪問について何も言わないし、今のところ父親から咎められるという事もなかった。
    使用人達は、十四松とトド松のことを「少々装いの派手な友人達」とでも思っているのだろう。
    鮮やかな蒲公英色と薄桃色は人目を引くに違いないが、それでも番頭を始め使用人達が眉を顰めることが無いのは、一に十四松とトド松が纏う無垢で無邪気な空気のお陰なのだろうと、一松は考えている。
    その証拠と言っていいのか、おそ松とカラ松にはあんなにも敵意を剥き出しにしていたチョロ松も、十四松とトド松に対しては、僅かに警戒心は残るものの、チョロ松なりに彼らを可愛がっている節が見受けられた。
    今日も、彼ら式神達の主の姿があれば、こんなにすんなりと自室へ招き入れたりはしないだろう。

    ところで、十四松もトド松も、何故かチョロ松と一松を「兄さん」と呼び慕っている。
    生を受けてほんの十七年しか経っていないチョロ松と一松に比べ、彼らは遥かに永い年月を生きているのだろうから、チョロ松と一松からすれば複雑な心境ではあるのだが、彼らに「兄さん」と呼ばれるのは何故だかやけにしっくりときて、そのまま自由に呼ばせているというのが現状だ。

    「ねぇねぇ!これ何?!食べ物?」
    「ん?…あぁ、西洋菓子だよ。『かすてら』っていうんだって。…食べる?」
    「うん!」
    「僕も僕も~!」

    日中、この屋敷には客人が訪れることが少なくない。
    大体が父親の知り合いであったり仕事相手なのだが、客人達はその多くが手土産として菓子折りを持参する。
    そうした手土産は、まずチョロ松と一松の元に届き、余れば使用人達に分け合ってもらっていた。
    今日も来客があったらしい。
    八つ時に侍女がチョロ松の自室へ綺麗に切り分けられたカステラを持ってきてくれていたのだ。
    それを十四松が目敏く見つけたわけだが、結構な量があったために、チョロ松と一松の二人だけでは食べ切れなかったところで、式神達の訪問は、むしろちょうどよかったのかもしれない。
    十四松とトド松は、カステラを一切れ頬張ると、たちまちそのあどけない顔を破顔させた。

    「甘んまぁ~!!美味いっすなトッティ!!」
    「うん♪僕こんなに甘くて美味しいお菓子初めて~!
     あとトッティやめて十四松兄さん。」
    「美味しい?…よかった。」
    「もうちょっと落ち着いて食べろよ。別に取らないし全部食べていいから。
     喉に詰まっても知らないぞ。」
    「…お茶、もらってくる。」
    「うん。頼むね、一松。」

    それ程に美味しかったのだろうか、もぐもぐと必死に口を動かし幸せそうな顔をする式神達に、チョロ松と一松は視線だけを合わせ、ふ、と微笑んだ。
    一松が部屋を出たのを見送り、チョロ松が十四松とトド松へと視線を戻せば、彼らは相変わらずカステラを頬張っていた。
    こんなに喜んでくれたのならば、この菓子折りを持ってきた何処ぞの客人も、ひいてはこのカステラ自身も本望であろう。
    やがてカステラを綺麗に平らげたところで、使用人に淹れてもらった茶を持って一松が戻ってきた。
    それを受け取り、丁度いい温度で淹れられたお茶を啜っていた十四松とトド松は、「あ。」と何か思い出したように話題を切り替えた。

    「そうだ!おそ松兄さんから言伝があるんだった。」
    「え、何それすごく聞きたくないんだけど…。」
    「そんなこと言わないであげてよチョロ松兄さん!
     一応僕ら言伝のお使いってことで来たんだから!」
    「お菓子集りに来たんじゃなくて…?」
    「もうっ!一松兄さんまで~!」
    「僕もね、カラ松兄さんの伝言預かってるよ!今から言うね!!」
    「え…うん。」
    「『我が愛しの子猫達よ、知っているか?今宵は満月だ。…聖なる砦から見る月は格別だ。月明かりを受けながら空虚と成り果てた心を共に満たそうじゃないか。』
     …だって!」
    「うん?十四松、申し訳ないんだけどもう一回言ってくれない?全然理解出来なかった。」
    「わかり易く言っちゃうとね、
     『寂しいから一緒にお月見しよーよ!』
     ってことじゃないかな!」
    「だったら最初からそう言えよ!くっそ痛いし分かりにくいわ!!」
    「…春なのに月見すんの?」
    「兄さん達はね、割と何でもありだから!!」
    「なるほど…なるほ、ど…?」
    「僕もおそ松兄さんからの言伝、一応伝えとくね。
     『ね~チョロ松に一松ぅ~、お兄ちゃん暇だよぉ遊ぼうよ~。
     あ、そだ!月見しようぜ月見!
     今夜八時に迎えに行くから待ってろよ!』
     …だってさ。」
    「…あ゛あ?!何が悲しくてクソ狐共と月見なんぞしなきゃなんないわけ?!
     ていうか一方的過ぎるだろふざけんな!」
    「チョロ松…あいつらが絡むと怖いね…。」

    おそ松とカラ松からの、ある意味自分勝手な伝言に、チョロ松は先ほどまでの涼し気な顔はどこへやら、盛大に顔を歪めてとんでもない凶悪面になっていた。
    人間三人くらいは手に掛けてそうな勢いである。
    …が、青筋立ったチョロ松のこめかみを、一松がちょんちょん、と軽くつつけば、凶悪面は一瞬で霧散した。
    その様子を見守りつつ、面白い兄弟だなぁ、とお前がそれを言うのかと指摘されそうな事を考えていたトド松だが、このままチョロ松と一松を放置すると二人の世界になってしまう事が予想できたため、徐に上目遣いで二人に詰め寄った。
    十四松とトド松には、言伝の他にまだ使命があるのだ。

    「…で、どうする?お月見。」
    「は?!行くわけないよね?!」
    「チョロ松が行かないなら、俺も行かない…。」
    「うーん…まぁ、そうだよね…。」
    「兄さん達来ないの?!
     お月見楽しーよ!お団子とね、お酒いっぱいあるっす!!」
    「いや、僕達まだ酒飲めないから。」
    「どうしても、だめ?」
    「うっ…。」
    「兄さん達が来てくれなかったら…」
    「ぼくたち、おそ松兄さんとカラ松兄さんに怒られちゃう!!」
    「うぅ…。」

    式神達に可愛らしく詰め寄られ、チョロ松と一松が戸惑いの色を見せる。
    十四松とトド松の本日の使命、それは「チョロ松と一松を月見に誘い、参加の返事をもらうこと」である。
    企画者はもちろん、暇を持て余している妖狐のおそ松である。
    ついでに言うと、カラ松もチョロ松と一松に会いたがっていたため当然それに乗っかった。
    妖狐の兄弟の企てと言ってもいいかもしれない。

    それよりも、計算づくだと頭では理解しているのだが、大きな瞳を潤ませ上目遣いでこちらを見上げるトド松を見ると、どうにも一松は断ることに一層の躊躇と罪悪感を覚えた。
    それはチョロ松も同様だったようで、への字口が明らかに険しくなっている。
    その一方で、十四松とトド松はといえば、もう一押しでいけそうだと判断したのか、更に畳み掛けてきたのだった。

    「ねぇ…僕たちもチョロ松兄さんと一松兄さんとお月見したいな…だめ、かな?」
    「ぼくも兄さん達と一緒がいいっすー!」
    「う…、」
    「んんん……」
    「「お願い!」」
    「仕方ないな…。」
    「わかった…。」
    「ぃよっしゃあー!!チョロ松兄さんと一松兄さんとお月見でっせー!!!」
    「よかったぁ~ありがとう兄さん達!
     これでおそ松兄さんもカラ松兄さんもしばらく大人しくなるよ!」
    「うん!カラ松兄さんとか
     『今頃チョロ松と一松はどうしているだろうか。次はいつ会えるだろうか。嗚呼!今こうして見上げる空をあの二人も見ているのだろうな!』
     って三分おきに言ってたもんね!」
    「三分おきに空見上げるとか暇人か。」
    「妖って暇なの…?」
    「そうそう!おそ松兄さんも
     『お兄ちゃん寂しい~構えよ~!!』
     って、構って攻撃がいつもより二割増だったからさぁ~。
     うんまぁ、割と暇を持て余してるよね。」
    「なんか…お前らも割と苦労してんだね。」
    「なんかごめんね…。」

    チョロ松と一松が是と応えれば、十四松とトド松は文字通り飛び上がって喜んでくれた。
    二人が来てくれることが嬉しいのも間違いないが、それ以上に主たる妖狐達の問題が由々しき事態であり、式神達にとって、双子の参加は非常に切実なものだったのだと、二人は理解した。
    人里離れた山奥で数百の時を生き続けてきた妖狐が、何故今更、人の子にここまで心を傾けるのかは分からないが、歓迎してくれているなら、別に悪い気はしないのだ。

    ーーー

    ー 大正三年 四月二十一日 午後八時

    言伝にあった通り、おそ松とカラ松が音も無く屋敷へと降り立った。
    妖狐の兄弟は、チョロ松と一松を見つけるなり、何時ぞやと同じく、カラ松は颯爽と一松を横抱きにし、おそ松はチョロ松を軽々と担ぎ上げて、さっさと山へ向けて走り出してしまった。
    言葉を交わす余裕さえ与えないその所業は、まるで人攫いである。
    というよりも、人攫いそのものである。

    「ちょっ、うわ、待っ…!待ってほんと待って!
     酔う!乗り物酔いする!!」
    「だぁいじょーぶ、だいじょーぶ。安全運転だからさ。」
    「ひとっつも安心できねーよ!降ろせぇぇぇ!!」
    「え?なになに??お兄ちゃん聞こえなーい。」
    「ほざけクソ狐があぁぁぁ!!!
     …うっぷ…、」
    「え、嘘でしょチョロ松お前まじで酔った?!」
    「吐く…。」
    「やめてぇぇぇ!!お兄ちゃんの一張羅にゲロるのやめてえぇぇぇぇぇ!!!」

    先頭をひた走るおそ松に担がれているチョロ松が、何やら喧しく噛み付いているが、おそ松はどこ吹く風といった様子で、むしろ楽しそうだ。
    「降ろせ」と言いながらも、チョロ松は半ば青ざめた顔をしながら、しっかりとおそ松の紅い着物を掴んでいる。
    本格的に乗り物酔い(と、言っていいのか分からないが)してしまったチョロ松の為に、おそ松は俵担ぎの状態から、カラ松が一松にしているような横抱きに変えたようだ。
    そんな互いの兄の様子を、カラ松と一松はすぐ後ろで見ながら追う形だ。
    カラ松は周りに可憐な花がぽん、と浮かびそうな程の笑顔で腕に抱く一松を見下ろし、一松はそれを一瞥して小さくため息を吐いた。
    何故この妖狐達は、こんなにも嬉しそうなのだろうか。
    少々の縁があったとはいえ、自分達はただの人間で、妖狐の彼らには取るに足らない存在の筈なのに…。
    カラ松に横抱きにされながら、人知れず一松は考えるも、もちろん答えなど出るはずがなかった。
    あまりにも真っ直ぐに好意を向けてくるカラ松に、その実、一松はかなり戸惑ってもいた。
    一松自身を見て、惜しみない愛情を向けてくれる存在は、今までに他界した母親の他には双子の兄であるチョロ松以外に存在しなかった。
    チョロ松の通う学校の友人達は、一松のことをチョロ松として見ているし、屋敷の使用人達とは必要以上の接触をしない。
    今までに「一松」としての友人と言える存在は、近所の野良猫達しかいなかった。
    けれど、この人ならざる者達は違う。
    チョロ松とは違った形で、一松の懐に躊躇なく飛び込んでこようとする。
    それが、一松にとっては、なんとも言えない不思議な心持ちだった。
    ふと顔を上げてみれば、再びカラ松と目が合う。

    「どうした?一松も酔ったか?」
    「いや、平気…。」
    「そうか!しかし、晴れて良かったな!
     天も俺達の味方をしてくれたようだ。
     "ろまんちっく"な逢瀬には最高の夜だと思わないか?」
    「あ゛?!」
    「ヒッ!すみません!!」

    気障ったらしい物言いに、思わず一松が顔を顰めて凄むと、カラ松は萎縮した様子を見せた。
    妖狐が人間に怖気付いてどうするのだ、と人知れず一松は思ったが、なんとなく、一松自身もどうしてそう思ったのか分からないが、カラ松はそれでいい気がした。
    そして、前方で未だにやいのやいのと言葉の応酬を続けるおそ松とチョロ松の姿にも、何故か不思議な既視感と安心感があったのだった。
    ちなみに、一松の耳が拾い上げた会話はご覧の通りである。

    「つーか何なのこの抱き方?!僕男なんだけど?」
    「えー?いいじゃんこっちのが酔わねぇだろ?」
    「いや、それはそうだけど!野郎が野郎を抱っことか地獄の絵面でしかないだろ!」
    「え、チョロ松お前、俺のこと男だと思ってる…?」
    「え…?!え、違うの?妖怪には性別がないとか?!」
    「いや男だけど。」
    「男なのかよ!!じゃあ何でそんな無駄過ぎる確認した?!明らかに必要なかったよね今の!!」
    「いや~面白いねーお前。」
    「ざっけんなクソ狐があぁぁぁ!!」

    全くもって仲が宜しいことだ。
    尤も、おそ松はどうだか知らないが、チョロ松にそれを言えば、機関銃の如く否定の言葉を浴びせられる羽目になるだろうが。

    ーーー

    そうこうしている内に、一行は山奥の社へたどり着いた。
    一松にとっては、もうすっかり見慣れたそれだが、今夜は社に明かりが灯り、仄かに甘い香りが漂っていた。

    「チョロ松兄さん!一松兄さん!こっちこっちー!!」
    「えへへ、来てくれてありがとっ!
     お団子もお酒も準備出来てるから、好きなだけ食べてね♪
     あ、お茶もあるから安心してね。」

    明かりの灯った社に脚を踏み入れると、十四松とトド松が出迎えてくれた。
    二人は此処で準備をして一行の到着を待っていたらしい。
    縁側に通されれば、三方の上に団子が綺麗に盛られていた。
    随分と大きな三方だ。上に盛られている団子は見事に積み上げられているが、明らかに十五個より遥かに多い。
    十五夜というわけではないのだから幾つでも問題ないのだろうが、これは積み過ぎではなかろうか。
    と、チョロ松と一松が要らぬ心配をする程度には盛られていた。
    その横には酒瓶。
    芒(すすき)の代わりなのだろうか、団子の横には菜の花が添えられている。

    月明かりが山の木々を照らしている。
    見上げた月は幽かに霞み、今宵は朧月夜といったところだろう。

    「あー、走ったら腹減ったー!」
    「ちょっと、おそ松兄さんもうお酒空けちゃったの?!」
    「お団子たくさん作ったよ!いただきまーす!!」
    「俺も頂こう…月明かりの下、まるで俺達を照らす月を象ったような円かな「ほらほら、チョロ松兄さんと一松兄さんも!」…え。」

    カラ松の謎めいた独り言を遮り、トド松がチョロ松と一松に声を掛ける。
    一瞬躊躇ったが、十四松に「一松兄さん、あーん!」と団子を差し出されると、一松は反射的に口を開けてしまい、そこにすかさず団子が放り込まれた。
    咀嚼すれば、よくよく知る素朴な団子の味がした。

    「一松兄さん、美味しい?」
    「…ん、美味しい。」
    「よかったー!!これね、ぼくとトド松で作ったんだよ!
     チョロ松兄さんと一松兄さんには、いつも美味しいお菓子もらってたから、そのお礼!!」
    「ふふ~ん♪人里で団子粉いっぱい買って頑張ったんだよ~!
     兄さん達、褒めて褒めて!」
    「ん、えらいえらい。」
    「一松兄さん、ぼくも!」
    「十四松もえらいえらい。」
    「えへへ~。」

    一松が式神の十四松とトド松の頭を撫でている様子をチョロ松がぼんやり眺めていると、突如背中に重みを感じた。
    確認しなくても察しはついていたが、念の為、と首だけ動かしてみれば、無邪気な笑みを浮かべるおそ松の顔がすぐ傍にあって、チョロ松は思わず声を上げそうになってしまった。
    無意識に身を固くしたチョロ松に気付いているのかいないのか(十中八九気付いているだろうが)おそ松は笑みはそのままに、豊かな八本の尾を揺らしてみせた。
    どうやらチョロ松から離れるつもりはないらしい。

    「いや~…弟達が戯れてる様子を見るのは和むね。」
    「弟達、って…あいつらは式神だろ?
     あと一松はお前の弟じゃないから。」
    「んー?俺にとっては皆弟みたいなもんよ?カラ松は勿論弟だし、十四松もトド松も、それに一松も。
     …チョロ松、お前もな。」
    「え…。」

    何を巫山戯た事を、とチョロ松は口にしようとした。
    が、チョロ松を見るおそ松の目は、存外真剣な表情を灯していて、チョロ松はすんでのところで言いかけた言葉を呑み込んだ。
    少しの戸惑いを見せたチョロ松に、おそ松は笑みを深めて続ける。

    「トド松はな、俺の六番目の尻尾を器にして魂を宿らせたんだ。
     ちなみに十四松はカラ松の五番目の尻尾なんだぜ。
     あいつらは俺の身体の一部…弟みたいなもんだろ?
     一松はさ…百日参りをずっと見守ってきたんだし
     チョロ松だって俺が怪我治したんだし。
     お前らだって弟達みたいなもんだよ。」
    「……。」

    それはまるで独り言のようだった。
    一瞬、ほんの刹那、チョロ松は、おそ松が何故かひどく優しい顔で微笑んだのを目にしたが、瞬きをした後には、もういつもの表情に戻っていた。
    いっそ見間違いだと片付けてしまえたらよかったのだろう。
    けれど、確かにチョロ松の片目はそれを捉えてしまったのだ。
    笑みを浮かべるおそ松を、チョロ松がじっと見つめる。
    ちり、と脳内で何かが短絡したような気がした。
    何か、大切なことを忘れてしまっているような気がするのに、それが何か分からない。
    そんなひどくもどかしい気持ちが、チョロ松の胸中に渦巻いた。
    黙り込んでしまったチョロ松の胸中を見透かしたかのように、おそ松が呟いた。

    「お前らはそのままでいいんだよ。」
    「え?」
    「何も変わらなくていい。
     何も考える必要なんて無いし、無理に何かを思い出す必要も無いってこと。」
    「意味が分からないんだけど…。」
    「んー?いや、ただの俺の独り言だし?
     …あ、団子なくなりそうじゃん!!おーいカラ松、十四松ー!!俺の分残しとけよ~。」

    立ちすくむチョロ松を残して、おそ松は駆け出してしまった。
    三方に綺麗に積まれていた団子はすっかり崩れ、いつの間にか随分と数が減っていた。
    一体なんだというのか、あの妖狐は。
    こちらを好き勝手に引っ掻き回すだけ引っ掻き回してそのまま放置など、チョロ松からすればたまったものではない。
    しばし憮然とした顔で突っ立っていたチョロ松だが、やがてゆっくりと溜め息を吐いた。
    視線を一松の方へ向ければ、彼はもう団子には満足したのか、十四松とトド松と共に色鮮やかな手鞠を転がして遊んでいた。
    「月見団子!」「ご…胡麻。」「んっと、まくら。」「ら?!ら、らー…落語!」「え、またご…?ごみ。」「ちょ、ごみって一松兄さん…。み、えーっと…」
    …そんな会話が聞こえてくる。
    鞠を転がしつつ、しりとり遊びをしているようだ。なんだか微笑ましい。
    弟と式神達から視線を外し、空を見上げる。
    少し霞がかった春の月夜は、まだ終わる気配を見せない。


    《終》
    →以下、本文に生かしきれなかった無駄な設定があります。

    ────────

    設定とか

    ○一松
    とある名家の次男。チョロ松は双子の兄。
    世継ぎ争い忌避の策として、存在を隠されるようにして育てられた。
    周りの認識は一様に「チョロ松の予備」のため、一松自身を見てくれるチョロ松が絶対的な存在であり、かなり依存心が強い。
    チョロ松が大怪我を負った事をきっかけに妖狐のおそ松達と出会い、百日参りを果たして怪我を治してもらった。
    目だけは治すことが出来ず、自身の右目をチョロ松の右目と交換してもらい、その影響でチョロ松と視界の共有が出来るように。
    何かとちょっかいをかけてくる妖狐や式神達と関わるのは戸惑いも感じるが、居心地は悪くないと思っている。
    実は生前は六つ子の妖狐の四男で、おそ松とカラ松の弟であり、十四松とトド松の兄だった。
    百年前、長兄不在中に根城としていた社が人間に襲撃されてしまい、弟の十四松とトド松を庇って命を落としてしまった。
    妖狐にとって、人間の一人や二人は取るに足らないが、集団で武器を持たれると話は変わってくる。
    その後チョロ松と共に人間に転生。
    妖狐だった頃の記憶はない。
    が、無意識に十四松とトド松に対しては甘く、守る対象だと思っている節がある。


    ○チョロ松
    とある名家の長男。一松は双子の弟。
    名家の跡継ぎとして厳しく育てられたため、表向きは品行方正だが、素だと割と口が悪い。
    素のままの自分を認めてくれる一松が何よりも大切な存在。
    その一方で、自分のせいで一松が不遇な扱いを受けていることを申し訳なく思っている。
    こちらも依存心が強い。加えて一松に対してかなり過保護でもある。
    大怪我を負った際、一松が自分の為に頑張ってくれたのは素直に嬉しい。
    おそ松達にも一応感謝はしているが、一松に馴れ馴れしくするのは我慢ならない。
    一松を気に入っている様子のおそ松やカラ松に敵対意識を向けていたが、段々と絆されていく。
    絆されはするがつっこみは止めない。
    実は生前は六つ子の妖狐の三男で、おそ松とカラ松の弟であり、十四松とトド松の兄だった。
    百年前、長兄不在中に社が人間に襲撃されてしまった際、矢面に立って弟達を庇っていたが、命を落としてしまった。
    その後一松と共に人間に転生。
    妖狐だった頃の記憶はない。
    おそ松とカラ松は家にあげようとしないが、十四松とトド松には無意識に結構甘やかしている。
    何気に交友関係が広い。学生服は例の白ラン。


    ○おそ松
    八本の尾を持つ妖狐。本来は九本あったがその内の一本をトド松に無期限貸出中。
    妖狐の一族の中でもかなり力が強く、首領的な存在。
    山奥の社を根城に、数百年の時を人間を手助けしたり、いたずらしたりしながら過ごしてきた。
    六つ子の妖狐の長男。
    百年前、留守中に人間に社を襲われ、カラ松を除く弟達を失ってしまった。
    弟達を守れなかったことを今でも悪夢に見て魘される程に後悔しており、トラウマになっている。
    慌てて帰った先で、命が消えかかっていたトド松に自身の六番目の尻尾を与え、式神としてこの世に留まらせたものの、チョロ松と一松は間に合わず、その事を悔やみに悔やんで数年はかなり荒れていた。
    弟達を失う原因となった人間のことを憎んでいたが、チョロ松と一松は別。
    この二人と出会って人間を憎む気持ちも少しずつ薄らいでおり、悪夢を見る日も減ってきたらしい。
    チョロ松と一松に初めて合った時は、かつての弟達だとすぐに気付いた。
    記憶もなく、今は人間として生きている二人に何も語ることなく、たまにちょっかいをかけながら見守る日々。
    構ってちゃんは割と俺様な感じに発動する。
    未だに警戒心を解いてくれないチョロ松一松と早く打ち解けたい。
    お兄ちゃんのこと構えよー遊びに来いよぉ~!
    人間に転生したチョロ松と一松が、家庭環境故に互いに依存している事はなんとなく気付いている。
    チョロ松のツッコミ気質や一松の猫好きな一面は妖狐だった頃と変わらず健在で、そういったかつての名残を見る度に切ない。
    でも絶対に顔には出さない。


    ○カラ松
    おそ松と同じく八本の尾を持つ妖狐。
    六つ子の妖狐の次男。
    兄のおそ松と共に出掛けていた際に社が襲撃に遭い、弟達を守ることが出来なかったことを後悔している。
    が、自分以上にショックを受けて荒れ狂う兄を案じ、右腕として長年支えて続けてきた。
    社が襲撃された際に、命が消えそうになっていた十四松に自身の五番目の尻尾を与え、式神としてこの世に留まらせた。
    人間になっていようともチョロ松と一松と再び出会えたことが嬉しくて堪らない。
    ついでに言うとまだ17歳の、幼さが抜けきらない二人が可愛くて仕方ない。お巡りさんこいつです。
    どうにか仲良くなりたい。
    なんか西洋から入ってきた外来語をことある度に使おうとする。
    最近覚えた言葉は「せらびぃ」
    意味は正しく理解していないと思われる。
    今度は絶対に弟達を守りきってみせると意気込んでいるが、持ち前のイタさで若干ウザがられている。
    しかしながらその決意は純粋なまでに実直で揺るぎがない。
    普段温厚な分、怒らせると多分一番手が付けられない。
    兄弟のことに関しては殊更沸点が低い。
    人間に転生したチョロ松と一松の共依存に気付いているのかいないのかは謎だが、時折妙に鋭いことを言う。
    目の交換を一松に持ちかけておきながら、一松が妖狐の頃と変わらず自己犠牲に走りがちなのが心配。


    ○十四松
    カラ松の式神。カラ松の五番目の尻尾を器として魂を吹き込まれた。
    いつも元気に社まわりを走り回っている。癒し。
    元々は六つ子の妖狐の五男。
    長兄不在中に社が襲撃された際、三男と四男に庇われたものの、二人が倒され自身も致命傷を負ってしまい、間一髪で駆け付けた長兄の手によって式神として生まれ変わった。
    妖狐だった頃の記憶は持っている。
    自分よりかなり年下のはずのチョロ松と一松を「兄さん」と呼ぶのは二人がかつての兄だと気付いているから。
    式神としての姿は人間に近いが、実は狐耳と尻尾は自由に出し入れできる。
    よくトド松と一緒に長兄達から言伝を預かってチョロ松と一松が住む屋敷へ赴くが、毎回美味しいお菓子を出してくれるのでとても楽しみ。向こうに記憶がなくてもかつての兄達と会えるのは嬉しい。
    思い出せば辛い思いをするだろうから、チョロ松と一松の記憶は戻らなくてもいいと思っている。
    けど、本当は襲撃にあった日のことを謝りたいし、お礼も言いたい。


    ○トド松
    おそ松の式神。おそ松の六番目の尻尾を器として魂を吹き込まれた。
    人間は(チョロ松一松を除いて)あまり好きではないが、人間の文化や服装には興味津々。
    兄弟一の衣装持ちで、社の自室の籠の中には着物コレクションが眠っている。
    元々は六つ子の妖狐の末弟。
    長兄不在中に社が襲撃された際、三男と四男に庇われたものの、二人が倒され自身も致命傷を負ってしまい、間一髪で駆け付けた長兄の手によって式神として生まれ変わった。
    十四松と同様に妖狐だった頃の記憶は持っている。
    自分よりかなり年下のはずのチョロ松と一松を「兄さん」と呼ぶのはそのため。
    狐耳と尻尾も出し入れできるが、暑いのでやらない。
    頻繁に言伝を預ける長兄に呆れて「も~、しょうがないなぁ」と口では言いつつも、チョロ松と一松に会いに行けるのは嬉しい。
    人間に転生した兄達の記憶がないのは寂しいが、思い出してしまえばチョロ松も一松も、末の弟達を守れなかったことを悔やんで苦しむだろうし、そんな姿は見たくないので複雑な気持ち。
    チョロ松と一松が妖狐だった頃に針入れをしてくれた鞠を、今でも肌身離さず大事に持っている。
    焼きナス
  • 年中松の恋路を見守り隊が発足しました #BL松 #チョロ一 #チョロ松愛され #一松愛され ##チョロ松と一松の話

    !ご注意!
    ・チョロ一好きの作者による「年中松が愛されていればそれでいい」という趣味と妄想が爆発したものです。
    ・チョロ松愛され+一松愛されチックです。
    ・突然LINE風味が始まったりします。
    ・トト子ちゃんが何故か腐っていらっしゃる。
    ・時間的には三男と四男と猫の嫁入りの後
    ・トッティが少しだけ不憫です。
    ・最後の方ちょっとだけ下品な表現があります。


    ────────


    事例1:

    ども!松野家長男、松野おそ松でっす。
    突然ですが俺は今、気配を殺して少~しだけ開けた襖から我が家の居間の様子を伺ってまーす。
    何でそんな事してるかって?
    話せば長くなるんだけどさ~、暇なら聞いてくれる?

    ………………

    少し前に、チョロ松と一松が何も言わずに2人で出掛けちゃったことがあったんだよね。
    夜遅くになっても帰ってこないし、俺はなんとなく2人の関係とか最近2人が悶々と悩んでいる事とか
    薄らと察していたから焦った。
    ひょっとして2人で出てったのかって。
    いやまぁ、出ていった程度ならまだいい。
    駆け落ちとか、最悪心中なんてしてやいないだろうか。
    携帯に何度も何度も連絡しても繋がらないし、一松に至っては携帯家をに置きっぱなしだったし。
    俺達はその時かなり焦って、結構必死で真ん中2人を探し回った。

    まぁ、結果から言うと俺達の考えすぎで、単に2人で出掛けていただけだと判明したんだけど。
    ポカン、とした顔で息を切らす俺達を見て、チョロ松は大笑いしやがるし、一松もつられて笑っていた。
    何だよマジで心配したってのに!
    連絡くらいしろっての!
    まぁ、元より俺達の勘違いだったわけだし、笑った顔に心底安心したから特別に許してやったけどな。
    なんたって俺カリスマレジェンドな長男様ですから?

    チョロ松と一松の笑顔は、ここ最近の鬱屈とした表情が嘘のようにずいぶんと晴れやかだった。
    よくわかんないけど2人の仲は良い方向に動いたようだ。
    俺達にチョロ松と一松が「そういう仲」だとカミングアウトし、なんやかんやで俺達も受け入れて今に至る。

    ………………

    はい、これ前置きね。
    え?あっさり受け入れたのかって?
    まぁね~。
    チョロ松も一松も俺にとっては可愛い可愛い弟達なわけよ。
    その2人が一緒になる事を選んで、幸せに過ごしてるなら別にいーんでない?

    それにさぁ…。
    ぶっちゃけ、真ん中2人が仲良くキャッキャウフフしてんのって、めーっちゃ可愛いし癒されるんだよね!
    何だろうな、末2人がじゃれついてんのも可愛いんだけど、それとはまた違った可愛さっての?
    ねぇわかる?わかるよね??
    なんつーかもう、このままずっと眺めていたいくらいには可愛いの。

    …と、いうわけで
    茨の道を行く真ん中2人が心配だし、なんだかんだ見てると和むし、
    松野家には「年中組の恋路を見守り隊」が発足されたのでありまーす。
    隊員は俺、カラ松、十四松、トド松。
    それと何故か最近トト子ちゃんが入隊した。
    年中見守り隊の活動内容は至極簡単、
    チョロ松と一松を陰からこっそり見守る事だ。
    別に覗きじゃねーし!見守ってるんだし!!
    最近は、その見守り内容を何故かトト子ちゃんに「本日の年中松」として報告する事が義務付けられた。
    トト子ちゃんこんなん知ってどうすんの?と思ったけど、トド松に
    「知らない方がいい事もあるんだよ、おそ松兄さん…。」
    とやたら真剣な目で言われて、それ以上は追求していない。

    あ、話が逸れた。
    そうそう、んでね、ただいまのチョロ松と一松はというと
    居間の隅っこで膝枕してます。
    具体的に言うと、チョロ松が一松の太ももに頭乗せてる。
    チョロ松の事を見下ろす一松の表情は緩みきっていて、
    どこに闇を落としてきたんだってくらい優しい顔して微笑んでいる。
    チョロ松の顔はここからだとよく見えないが、同じような顔をしてるんだろう。
    あ、一松がチョロ松の前髪を梳いてる。
    チョロ松は「くすぐったいよ」なんて言ってるけど、されるがままだ。
    一松に向けて発せられた声がびっくりするほど穏やかな上に甘ったるくて、
    お兄ちゃんちょっと変な声出しそうになっちゃった。
    必死で押さえ込んだけどね。誰か褒めて。
    クスクスと笑い合ってるお2人は大変可愛い。
    うん、俺の弟達が可愛くて今日も世界は平和だありがとう!

    …と、ここでチョロ松が右手で一松の頭を引き寄せた。

    こっからじゃよく見えなかったけど、あれは確実にチューしてたね。
    マウストゥーマウスでチューしてたね。
    つーかチョロ松お前童貞拗らせてるクセしていつの間にそんなテク身に付けちゃったの?!
    頭を持ち上げた一松の顔はほのかに赤くなってて、なんかもう覗いてるこっちが恥ずかしい。

    何これ、何このナチュラルなイチャつきっぷり。
    ラブラブかよ。ラブラブカップルかよ。

    むしろこれは新婚か?新婚夫婦か??
    くっそ可愛いわ!

    ーーー
    LINE
    年中組の恋路を見守り隊(5)

    おそ松:…以上が、「本日の年中松」でーす。

    トト子♡:ありがとう♪

    トト子♡:膝枕からの引き寄せキス…!最高ね!

    トド松:わかる

    十四松:さいこーだね!

    カラ松:また今日も女神と天使の戯れの記録に新たな1ページが刻まれたな…

    おそ松:新婚夫婦感がヤバくてさ~

    トト子♡:夫婦だとしたらどっちが夫なの?

    おそ松:ん~?どっちだろ?

    トド松:チョロ松兄さんじゃない?

    十四松:チョロ松兄さんだね!

    カラ松:チョロ松だろうな

    トト子♡:という事はチョロ一ね…

    トド松:トト子ちゃん、ストップ♡

    トト子♡:あ、ごっめ~ん!トト子うっかり♡

    トト子♡:とにかくありがと、みんな!明日もよろしくね♡

    おそ松:(≧∀≦)ゝイエッサ!

    カラ松:(≧∀≦)ゝイエッサ!

    十四松:(≧∀≦)ゝイエッサ!

    トド松:(≧∀≦)ゝイエッサ!

    ────────


    事例2:

    フッ…松野家に生まれし次男、松野カラ松だ。
    突然だが俺は今、とある重大な使命を帯び気配を殺し町中に潜んでいる。
    俺の視線の先にはマイブラザーズ、チョロ松と一松の姿。
    事の次第は数分前…、おでん屋の屋台を営む友人から連絡を受けたのが始まりだった。

    『おい、おめぇんトコの真ん中ども大丈夫か?』

    聞けばどうやらチョロ松と一松は2人でチビ太の屋台に来ているらしいのだが、様子がおかしいというのだ。
    俺は連絡をもらってすぐに駆け付けた。
    ここは先日発足した年中組の恋路を見守り隊の出動であろう。

    俺の使命…つまりそれはチョロ松と一松を陰から見守り、悪しき者共やあらゆる災厄から護り抜き
    そして最後にトト子ちゃんに本日の年中松を報告する事だ。
    ちなみに俺の存在に気付いたチビ太には咄嗟に人差し指を立てて「Shh...」と言っておいたぜ。
    チビ太のヤツは呆れた顔をしながらも俺がいる事は言わないでくれたようだ。
    理解ある友人を持って俺は幸せ者だな!

    さて、チョロ松と一松の様子はというと…。

    2人仲良く並んでおでんを食べているようだな。
    具がたっぷり乗せられた皿は2人で共有している。
    しかし特に変な様子は見られないな?
    もう少し近くへ寄って見るべきだろうか?
    いやいや、気付かれて2人きりの甘い時間を邪魔してしまうのは不本意だ。
    (2人きりじゃねーよおいらが目の前にいるってのバーローチキショー! byおでん屋)

    俺が頭を悩ませていると、おもむろにチョロ松と一松が皿へと同時に手を伸ばし、
    2人の手と手が触れ合った瞬間、揃って肩を跳ね上げながら手を引っ込めた。

    「あ、ご、ごめん…。」
    「う、ううん…。」
    「一松、先取っていいよ。」
    「え、いや…チョロ松兄さんが先取って。」
    「いいって、好きなの取りなよ。」
    「う、うん…。」

    2人して真っ赤な顔をしながら、こんな会話が聞こえてきた。
    ついでに言うとおでん屋台の主人の顔は死んでいる。

    「えと…じゃあ、チ、チョロ松、兄さん。」
    「…どうしたの?」
    「…何食べたい?」
    「え、じ、じゃあ…大根。」
    「ん。…はい。」
    「え」
    「…はんぶんこ。」

    軽く手が触れただけで仲良く頬を染め、たどたどしくもいじらしい会話を繰り広げ
    しかしちゃっかりはんぶんこと称していわゆる「あーん」は実行し
    そして「あーん」をやっておきながら再び2人で照れている。
    ついでに言うとおでん屋台の主人は悟りを開けそうな顔をしている。

    …思春期か?中学生日記か??

    チョロ松お前昨日聞いた話じゃ大胆に一松を引き寄せて熱いkissを贈っていたそうじゃないか。
    一松もごくごく自然にそれを受け入れてたそうじゃないか。
    なのに何故ここでそんなに照れているんだ?
    後からおでん屋台の主人から聞いたが、ずっとこんな調子だったらしい。
    ならばもっと早く連絡してくれ、チビ太よ。
    どれだけ見逃し分があったというのか。

    しかし真っ赤な顔をした真ん中達はさながら恋に恋する天使のそれ…
    微かに潤んだその瞳に見つめられてしまえば穢れた魂など瞬く間に浄化されてしまうに違いない。
    顔を見合わせて微笑み合う姿はクソカワの一言である。
    年中松天使説は此処に確かに証明されたのであった。
    フッ…まったく、つくづく周囲の人間を惑わせる困った子猫ちゃん達だ。

    ーーー
    LINE
    年中松の恋路を見守り隊(5)

    カラ松:「本日の年中松」は以上だぜ、バーン☆

    トト子♡:うふふ、ありがとう!

    トド松:なんでまた新婚から中学生日記に遡っちゃったかな?!

    おそ松:いやいや、イマドキ中学生だってあそこまでウブじゃねーだろ

    トト子♡:とりあえず可愛いシチュだったからトト子は気にしないわ♪

    十四松:ねえねえ!ダイコンの他にもはんぶんこしたのかな?!

    カラ松:他にもどころか全部はんぶんこしてたぞ。

    トト子♡:やだカワイイ!

    おそ松:なにそれカワイイ

    トド松:なにそれカワイイ

    十四松:チョロ松兄さんと一松兄さんかわいい!

    ────────


    事例3:

    はいはいははいはーーーい!十四松でっす!!
    今ね、ぼくね、屋根裏にいるよ!
    ぼくのえろ本の隠し場所だからね!あっこのコトみんなにはナイショだよ!
    でね、ここの屋根裏、ちょっとだけ穴が空いてる所があって、2階のぼく達の部屋が少し見えるんだー。
    ……あ!チョロ松兄さんと一松兄さんのにおいがする!
    2階に上がってくるかな??
    ねんちゅー松のこいじを見守りたい、しゅつどーーかな!!
    マッスルマッスル!ハッスルハッスル!!

    部屋に入ってきたチョロ松兄さんと一松兄さんは無言のままソファに腰を下ろした。
    チョロ松兄さんはソファに座って何かの雑誌を読み始めて、一松兄さんはソファのすぐ傍に座り込んでる。
    少しの間、一松兄さんはチョロ松兄さんの事をじーっと見てたんだけど、

    「…一松?」
    「んー。」
    「もう…しょうがないなぁ。」

    一松兄さんが雑誌を読んでいたチョロ松兄さんの服の裾をグイグイ引っぱって、チョロ松兄さんに向かって腕を伸ばした。
    まるでちっちゃい子が抱っこせがんでるみたいだね!
    チョロ松兄さんはそんな一松兄さんに困ったように(でも幸せそう!)笑って、一松兄さんを抱っこした。
    一松兄さんはしばらくチョロ松兄さんの腕にしがみついたり、髪の毛いじったり
    ほっぺたつついたりしてじゃれついてたんだけど、最終的にチョロ松兄さんの膝枕で寝息を立て始めたよ!
    チョロ松兄さんはというと、その間ずっと雑誌に目を通しつつ一松兄さんの頭をナデナデしてた!

    「…おやすみ、一松。」

    びっくりするくらい優しい声で、それにすごく優しい笑顔でチョロ松兄さんはそう言って、
    その後、チョロ松兄さんは一松兄さんが起きるまで一松兄さんの背中を優しくポンポンしたり
    頭をナデナデしたりしてたよ!

    ……親子かな?!
    優しいママと甘えん坊の赤ちゃんかな?!

    なんかね、今チョロ松兄さんの手に雑誌じゃなくてガラガラが握られててもなんも違和感ないと思うよ!
    むしろ何でガラガラじゃないんだろうね?!

    眠ってる一松兄さんは安心しきった顔をしてるし、チョロ松兄さんもすっごく幸せそうでした!
    ぼくもなんだかほっこりしました!
    以上、十四松でした!!

    ーーー
    LINE
    年中松の恋路を見守り隊(5)

    十四松:本日の年中松!どぅーん!!

    トト子♡:2人きりだと甘える展開…王道ね!!

    カラ松:女神と天使は実在した…

    おそ松:一松って前からチョロ松にはわりと素直だったもんな。

    トド松:チョロ松兄さんがガラガラ持ち出したらさすがに何のプレイだってならない?

    おそ松:そうか?サイリウムとそんなに変わらなくね?

    トド松:やめてサイリウム見る目が変わりそう!

    トト子♡:猫のように甘える受けと冷静に見せかけて内心悶えて大荒れの攻め…いいわ…!

    トド松:トト子ちゃんストップ♡

    トト子♡:いっけなーい!トト子うっかり(・ω<) テヘペロ

    カラ松:やはりあの2人は女神と天使の化身…この薄汚れた世界に与えられし癒しのオアシス…!

    おそ松:くっそイタイけど否定しきれない自分がいる

    トド松:わかる

    十四松:わかる!

    ────────


    事例4:

    やあ、トド松だよ。
    君も大変だね、今まで散々いちゃつくチョロ松兄さんと一松兄さんの話を聞かされてきたんでしょ?
    あの人達真ん中の兄さん達のことが大好きだから許してあげてね?
    まあ、もちろん僕も例外じゃないんだけどね。
    僕だって年中松の恋路を見守り隊の一員だしね。
    あ、それとトト子ちゃんをメンバーに迎えるきっかけを作ったのは僕だよ。

    さて、僕も今こっそりとチョロ松兄さんと一松兄さんの様子を窺っている。
    早速実況していこうかな♪

    2階の僕らが使っている子供部屋は、チョロ松兄さんと一松兄さんの2人きり。
    今日はいつもと違って少しピリピリした空気が漂っている。
    …珍しくケンカでもしたのかな?

    「ねぇ、一松。」
    「…はい。」
    「何か僕に言う事ない?」
    「…ご、ごめんなさ…。」

    え?!待ってほんとにケンカ?
    ケンカというより一松兄さんがチョロ松兄さんを怒らせたのかな?!
    え、どうしよう。仲裁に入るべきなの?
    それとももう少し様子を見た方が…?

    「『ごめんなさい』?
     何に対して謝ってるの、それ。」
    「ごっごめ…」
    「一松。」
    「ヒッ…!」

    チョロ松兄さんによって壁際に追いやられた一松兄さんは、完全に退路を絶たれた状態だ。
    壁を背に座り込む一松兄さんを見下ろすように、チョロ松兄さんは膝立ちをしている。
    ほんと何してくれちゃったの?!
    家庭内修羅場とかやめてほしいんだけど?!

    チョロ松兄さんがグッと一松兄さんの前髪を掴んだ。
    一松兄さんは一瞬顔を顰めたけど、怯えた顔でチョロ松兄さんを見上げている。

    「約束を守らなかった悪い子にはお仕置きが必要だよね?」
    「にいさ…っ んぐっ?!」
    「ねぇ、一松。」

    前髪を掴んでいた手は、今度は一松兄さんの首を掴んでいる。
    え、え?!
    待って待って待って首締めてる?!あれ締めてない?!

    「一松は僕だけを見ていればいいんだよ僕以外の奴と話す必要なんてないし視界にだって入れる必要ないんだからね
     猫だって本当は止めてほしいのにそれはさすがに可哀想かなと思って大目に見てあげているんだよ
     ねぇ僕だけを見てよ一松僕以外の奴なんか見ないでよねぇ一松一松いちまつ」
    「ちょろ、ま…にいさ…」
    「何?お前首締められて喜んでんの?
     とんだ変態だな。」
    「うあ…!」
    「ここ、硬くなってるじゃん。
     こういうの興奮するワケ?変態。」
    「ごめっ、ごめ…な、さ」
    「ねぇ、一松。

     …僕の舐めて。それで許してあげる。」

    ちょっと待てーーーー!!!

    ねえ?!僕は一体何を見せられてるの?!
    いや勝手に覗いてる僕が悪いんだけど!!
    でもでも、何でおそ松兄さんとカラ松兄さんと十四松兄さんはほのぼのだったのに僕は病み系SMプレイなワケ?!
    これずっとのんびりホワホワしてる真ん中を愛でる流れだったじゃん?!
    つーかチョロ松兄さん、舐めてって何を?!ナニを?!?!
    マジで一松兄さんは何をしでかしたのやめてよホント!!
    ついでに一松兄さんは何で首締められてちょっと嬉しそうな顔してんのさこのM松が!!
    今すぐここから逃げ出したい!助けて兄さん達!!!

    その後、ナニかが始まってしまう前に僕は気配を必死に殺しつつ慌ててその場を立ち去ったのだった。
    いくら見守るっていってもそこまで見守る気は毛頭ないからね?!

    ーーー
    LINE
    年中松の恋路を見守り隊(5)

    トド松:…というワケです。

    トト子♡:続きは?

    トド松:ごめん、さすがにそこまで見守れない。

    トト子♡:ねぇ、トド松君、続きは?

    トド松:ごめんなさい

    おそ松:たまにSMプレイ始めるよなあいつら。しかも前触れもなく突然。

    十四松:トッティどんまい!

    トド松:うわーん十四松兄さあぁぁん!!

    十四松:よしよーし(`・ω・)ノ( ´д`*)なでなで

    トド松:(*´ω`*)

    おそ松:はいそこ、可愛いことしてないで。

    十四松:うっす!

    トド松:はーい

    カラ松:おそ松、何故たまに真ん中がSMしてる事を知っているんだ?

    カラ松:それに一松は一体何をチョロ松をそんなに怒らせてしまったんだろうな?

    おそ松:いや、たまたま目撃しちゃっただけだって。

    おそ松:別に下らない理由だと思うよー?

    おそ松:前なんて服に1本だけ猫の毛がついてたってだけだったらしいし。

    カラ松:oh……

    トト子♡:猫であっても自分のものに誰も触ってほしくないってことかしら?

    トド松:チョロ松兄さんて潔癖だもんねー

    トト子♡:結局あの2人は新婚夫婦なの?中学生日記なの?親子なの?SMなの?どれなの??

    トト子♡:ちょっとはっきりさせてほしいわ

    トト子♡:ね?

    おそ松:え…?

    トト子♡:ね???

    おそ松:ハイ。

    カラ松:了解しました

    十四松:はーーい!!!

    トド松:はーい。。

    ────────


    「……と、いうわけでだ。」
    「いや、どういうわけだよクソ長男。」
    「ぶっちゃけお前らは新婚か思春期か親子かSMかどれなんだ?」
    「え…何その四択。意味わかんないんだけど。」

    再び俺、おそ松でーす。
    結局こいつらはなんなのかハッキリさせるべく、思い切って本人に直撃インタビューすることにした。
    ってことで居間で寛いでいたところを突撃ー。

    「チョロ松兄さん。」
    「ん?…ああ、はい。」
    「ん。」
    「…ありがとう、一松。」

    はい皆さん。今何が起こったかわかった?
    一松がチョロ松に向かって手を差し出して、チョロ松が一松に空になった湯呑みを渡したの。
    で、一松はお茶淹れてまた渡したってわけ。
    チョロ松好みの少し薄めのお茶である。
    熱さもちゃんと調整されてるっぽい。
    一松お前普段そんな事絶対しないじゃん。
    チョロ松だから?チョロ松の好みはちゃんと把握して甲斐甲斐しくお茶入れしてんの?

    「…で、何の話だっけ?」
    「新婚か思春期か親子かSMのどれだよって話。」
    「だからその四択なんなの。」

    並んでズズ…とお茶を啜る姿はなんというか、アレだ。

    「…………熟年夫婦か?」


    結論:その気になれば何にでもなれる。



    お粗末!
    #BL松 #チョロ一 #チョロ松愛され #一松愛され ##チョロ松と一松の話

    !ご注意!
    ・チョロ一好きの作者による「年中松が愛されていればそれでいい」という趣味と妄想が爆発したものです。
    ・チョロ松愛され+一松愛されチックです。
    ・突然LINE風味が始まったりします。
    ・トト子ちゃんが何故か腐っていらっしゃる。
    ・時間的には三男と四男と猫の嫁入りの後
    ・トッティが少しだけ不憫です。
    ・最後の方ちょっとだけ下品な表現があります。


    ────────


    事例1:

    ども!松野家長男、松野おそ松でっす。
    突然ですが俺は今、気配を殺して少~しだけ開けた襖から我が家の居間の様子を伺ってまーす。
    何でそんな事してるかって?
    話せば長くなるんだけどさ~、暇なら聞いてくれる?

    ………………

    少し前に、チョロ松と一松が何も言わずに2人で出掛けちゃったことがあったんだよね。
    夜遅くになっても帰ってこないし、俺はなんとなく2人の関係とか最近2人が悶々と悩んでいる事とか
    薄らと察していたから焦った。
    ひょっとして2人で出てったのかって。
    いやまぁ、出ていった程度ならまだいい。
    駆け落ちとか、最悪心中なんてしてやいないだろうか。
    携帯に何度も何度も連絡しても繋がらないし、一松に至っては携帯家をに置きっぱなしだったし。
    俺達はその時かなり焦って、結構必死で真ん中2人を探し回った。

    まぁ、結果から言うと俺達の考えすぎで、単に2人で出掛けていただけだと判明したんだけど。
    ポカン、とした顔で息を切らす俺達を見て、チョロ松は大笑いしやがるし、一松もつられて笑っていた。
    何だよマジで心配したってのに!
    連絡くらいしろっての!
    まぁ、元より俺達の勘違いだったわけだし、笑った顔に心底安心したから特別に許してやったけどな。
    なんたって俺カリスマレジェンドな長男様ですから?

    チョロ松と一松の笑顔は、ここ最近の鬱屈とした表情が嘘のようにずいぶんと晴れやかだった。
    よくわかんないけど2人の仲は良い方向に動いたようだ。
    俺達にチョロ松と一松が「そういう仲」だとカミングアウトし、なんやかんやで俺達も受け入れて今に至る。

    ………………

    はい、これ前置きね。
    え?あっさり受け入れたのかって?
    まぁね~。
    チョロ松も一松も俺にとっては可愛い可愛い弟達なわけよ。
    その2人が一緒になる事を選んで、幸せに過ごしてるなら別にいーんでない?

    それにさぁ…。
    ぶっちゃけ、真ん中2人が仲良くキャッキャウフフしてんのって、めーっちゃ可愛いし癒されるんだよね!
    何だろうな、末2人がじゃれついてんのも可愛いんだけど、それとはまた違った可愛さっての?
    ねぇわかる?わかるよね??
    なんつーかもう、このままずっと眺めていたいくらいには可愛いの。

    …と、いうわけで
    茨の道を行く真ん中2人が心配だし、なんだかんだ見てると和むし、
    松野家には「年中組の恋路を見守り隊」が発足されたのでありまーす。
    隊員は俺、カラ松、十四松、トド松。
    それと何故か最近トト子ちゃんが入隊した。
    年中見守り隊の活動内容は至極簡単、
    チョロ松と一松を陰からこっそり見守る事だ。
    別に覗きじゃねーし!見守ってるんだし!!
    最近は、その見守り内容を何故かトト子ちゃんに「本日の年中松」として報告する事が義務付けられた。
    トト子ちゃんこんなん知ってどうすんの?と思ったけど、トド松に
    「知らない方がいい事もあるんだよ、おそ松兄さん…。」
    とやたら真剣な目で言われて、それ以上は追求していない。

    あ、話が逸れた。
    そうそう、んでね、ただいまのチョロ松と一松はというと
    居間の隅っこで膝枕してます。
    具体的に言うと、チョロ松が一松の太ももに頭乗せてる。
    チョロ松の事を見下ろす一松の表情は緩みきっていて、
    どこに闇を落としてきたんだってくらい優しい顔して微笑んでいる。
    チョロ松の顔はここからだとよく見えないが、同じような顔をしてるんだろう。
    あ、一松がチョロ松の前髪を梳いてる。
    チョロ松は「くすぐったいよ」なんて言ってるけど、されるがままだ。
    一松に向けて発せられた声がびっくりするほど穏やかな上に甘ったるくて、
    お兄ちゃんちょっと変な声出しそうになっちゃった。
    必死で押さえ込んだけどね。誰か褒めて。
    クスクスと笑い合ってるお2人は大変可愛い。
    うん、俺の弟達が可愛くて今日も世界は平和だありがとう!

    …と、ここでチョロ松が右手で一松の頭を引き寄せた。

    こっからじゃよく見えなかったけど、あれは確実にチューしてたね。
    マウストゥーマウスでチューしてたね。
    つーかチョロ松お前童貞拗らせてるクセしていつの間にそんなテク身に付けちゃったの?!
    頭を持ち上げた一松の顔はほのかに赤くなってて、なんかもう覗いてるこっちが恥ずかしい。

    何これ、何このナチュラルなイチャつきっぷり。
    ラブラブかよ。ラブラブカップルかよ。

    むしろこれは新婚か?新婚夫婦か??
    くっそ可愛いわ!

    ーーー
    LINE
    年中組の恋路を見守り隊(5)

    おそ松:…以上が、「本日の年中松」でーす。

    トト子♡:ありがとう♪

    トト子♡:膝枕からの引き寄せキス…!最高ね!

    トド松:わかる

    十四松:さいこーだね!

    カラ松:また今日も女神と天使の戯れの記録に新たな1ページが刻まれたな…

    おそ松:新婚夫婦感がヤバくてさ~

    トト子♡:夫婦だとしたらどっちが夫なの?

    おそ松:ん~?どっちだろ?

    トド松:チョロ松兄さんじゃない?

    十四松:チョロ松兄さんだね!

    カラ松:チョロ松だろうな

    トト子♡:という事はチョロ一ね…

    トド松:トト子ちゃん、ストップ♡

    トト子♡:あ、ごっめ~ん!トト子うっかり♡

    トト子♡:とにかくありがと、みんな!明日もよろしくね♡

    おそ松:(≧∀≦)ゝイエッサ!

    カラ松:(≧∀≦)ゝイエッサ!

    十四松:(≧∀≦)ゝイエッサ!

    トド松:(≧∀≦)ゝイエッサ!

    ────────


    事例2:

    フッ…松野家に生まれし次男、松野カラ松だ。
    突然だが俺は今、とある重大な使命を帯び気配を殺し町中に潜んでいる。
    俺の視線の先にはマイブラザーズ、チョロ松と一松の姿。
    事の次第は数分前…、おでん屋の屋台を営む友人から連絡を受けたのが始まりだった。

    『おい、おめぇんトコの真ん中ども大丈夫か?』

    聞けばどうやらチョロ松と一松は2人でチビ太の屋台に来ているらしいのだが、様子がおかしいというのだ。
    俺は連絡をもらってすぐに駆け付けた。
    ここは先日発足した年中組の恋路を見守り隊の出動であろう。

    俺の使命…つまりそれはチョロ松と一松を陰から見守り、悪しき者共やあらゆる災厄から護り抜き
    そして最後にトト子ちゃんに本日の年中松を報告する事だ。
    ちなみに俺の存在に気付いたチビ太には咄嗟に人差し指を立てて「Shh...」と言っておいたぜ。
    チビ太のヤツは呆れた顔をしながらも俺がいる事は言わないでくれたようだ。
    理解ある友人を持って俺は幸せ者だな!

    さて、チョロ松と一松の様子はというと…。

    2人仲良く並んでおでんを食べているようだな。
    具がたっぷり乗せられた皿は2人で共有している。
    しかし特に変な様子は見られないな?
    もう少し近くへ寄って見るべきだろうか?
    いやいや、気付かれて2人きりの甘い時間を邪魔してしまうのは不本意だ。
    (2人きりじゃねーよおいらが目の前にいるってのバーローチキショー! byおでん屋)

    俺が頭を悩ませていると、おもむろにチョロ松と一松が皿へと同時に手を伸ばし、
    2人の手と手が触れ合った瞬間、揃って肩を跳ね上げながら手を引っ込めた。

    「あ、ご、ごめん…。」
    「う、ううん…。」
    「一松、先取っていいよ。」
    「え、いや…チョロ松兄さんが先取って。」
    「いいって、好きなの取りなよ。」
    「う、うん…。」

    2人して真っ赤な顔をしながら、こんな会話が聞こえてきた。
    ついでに言うとおでん屋台の主人の顔は死んでいる。

    「えと…じゃあ、チ、チョロ松、兄さん。」
    「…どうしたの?」
    「…何食べたい?」
    「え、じ、じゃあ…大根。」
    「ん。…はい。」
    「え」
    「…はんぶんこ。」

    軽く手が触れただけで仲良く頬を染め、たどたどしくもいじらしい会話を繰り広げ
    しかしちゃっかりはんぶんこと称していわゆる「あーん」は実行し
    そして「あーん」をやっておきながら再び2人で照れている。
    ついでに言うとおでん屋台の主人は悟りを開けそうな顔をしている。

    …思春期か?中学生日記か??

    チョロ松お前昨日聞いた話じゃ大胆に一松を引き寄せて熱いkissを贈っていたそうじゃないか。
    一松もごくごく自然にそれを受け入れてたそうじゃないか。
    なのに何故ここでそんなに照れているんだ?
    後からおでん屋台の主人から聞いたが、ずっとこんな調子だったらしい。
    ならばもっと早く連絡してくれ、チビ太よ。
    どれだけ見逃し分があったというのか。

    しかし真っ赤な顔をした真ん中達はさながら恋に恋する天使のそれ…
    微かに潤んだその瞳に見つめられてしまえば穢れた魂など瞬く間に浄化されてしまうに違いない。
    顔を見合わせて微笑み合う姿はクソカワの一言である。
    年中松天使説は此処に確かに証明されたのであった。
    フッ…まったく、つくづく周囲の人間を惑わせる困った子猫ちゃん達だ。

    ーーー
    LINE
    年中松の恋路を見守り隊(5)

    カラ松:「本日の年中松」は以上だぜ、バーン☆

    トト子♡:うふふ、ありがとう!

    トド松:なんでまた新婚から中学生日記に遡っちゃったかな?!

    おそ松:いやいや、イマドキ中学生だってあそこまでウブじゃねーだろ

    トト子♡:とりあえず可愛いシチュだったからトト子は気にしないわ♪

    十四松:ねえねえ!ダイコンの他にもはんぶんこしたのかな?!

    カラ松:他にもどころか全部はんぶんこしてたぞ。

    トト子♡:やだカワイイ!

    おそ松:なにそれカワイイ

    トド松:なにそれカワイイ

    十四松:チョロ松兄さんと一松兄さんかわいい!

    ────────


    事例3:

    はいはいははいはーーーい!十四松でっす!!
    今ね、ぼくね、屋根裏にいるよ!
    ぼくのえろ本の隠し場所だからね!あっこのコトみんなにはナイショだよ!
    でね、ここの屋根裏、ちょっとだけ穴が空いてる所があって、2階のぼく達の部屋が少し見えるんだー。
    ……あ!チョロ松兄さんと一松兄さんのにおいがする!
    2階に上がってくるかな??
    ねんちゅー松のこいじを見守りたい、しゅつどーーかな!!
    マッスルマッスル!ハッスルハッスル!!

    部屋に入ってきたチョロ松兄さんと一松兄さんは無言のままソファに腰を下ろした。
    チョロ松兄さんはソファに座って何かの雑誌を読み始めて、一松兄さんはソファのすぐ傍に座り込んでる。
    少しの間、一松兄さんはチョロ松兄さんの事をじーっと見てたんだけど、

    「…一松?」
    「んー。」
    「もう…しょうがないなぁ。」

    一松兄さんが雑誌を読んでいたチョロ松兄さんの服の裾をグイグイ引っぱって、チョロ松兄さんに向かって腕を伸ばした。
    まるでちっちゃい子が抱っこせがんでるみたいだね!
    チョロ松兄さんはそんな一松兄さんに困ったように(でも幸せそう!)笑って、一松兄さんを抱っこした。
    一松兄さんはしばらくチョロ松兄さんの腕にしがみついたり、髪の毛いじったり
    ほっぺたつついたりしてじゃれついてたんだけど、最終的にチョロ松兄さんの膝枕で寝息を立て始めたよ!
    チョロ松兄さんはというと、その間ずっと雑誌に目を通しつつ一松兄さんの頭をナデナデしてた!

    「…おやすみ、一松。」

    びっくりするくらい優しい声で、それにすごく優しい笑顔でチョロ松兄さんはそう言って、
    その後、チョロ松兄さんは一松兄さんが起きるまで一松兄さんの背中を優しくポンポンしたり
    頭をナデナデしたりしてたよ!

    ……親子かな?!
    優しいママと甘えん坊の赤ちゃんかな?!

    なんかね、今チョロ松兄さんの手に雑誌じゃなくてガラガラが握られててもなんも違和感ないと思うよ!
    むしろ何でガラガラじゃないんだろうね?!

    眠ってる一松兄さんは安心しきった顔をしてるし、チョロ松兄さんもすっごく幸せそうでした!
    ぼくもなんだかほっこりしました!
    以上、十四松でした!!

    ーーー
    LINE
    年中松の恋路を見守り隊(5)

    十四松:本日の年中松!どぅーん!!

    トト子♡:2人きりだと甘える展開…王道ね!!

    カラ松:女神と天使は実在した…

    おそ松:一松って前からチョロ松にはわりと素直だったもんな。

    トド松:チョロ松兄さんがガラガラ持ち出したらさすがに何のプレイだってならない?

    おそ松:そうか?サイリウムとそんなに変わらなくね?

    トド松:やめてサイリウム見る目が変わりそう!

    トト子♡:猫のように甘える受けと冷静に見せかけて内心悶えて大荒れの攻め…いいわ…!

    トド松:トト子ちゃんストップ♡

    トト子♡:いっけなーい!トト子うっかり(・ω<) テヘペロ

    カラ松:やはりあの2人は女神と天使の化身…この薄汚れた世界に与えられし癒しのオアシス…!

    おそ松:くっそイタイけど否定しきれない自分がいる

    トド松:わかる

    十四松:わかる!

    ────────


    事例4:

    やあ、トド松だよ。
    君も大変だね、今まで散々いちゃつくチョロ松兄さんと一松兄さんの話を聞かされてきたんでしょ?
    あの人達真ん中の兄さん達のことが大好きだから許してあげてね?
    まあ、もちろん僕も例外じゃないんだけどね。
    僕だって年中松の恋路を見守り隊の一員だしね。
    あ、それとトト子ちゃんをメンバーに迎えるきっかけを作ったのは僕だよ。

    さて、僕も今こっそりとチョロ松兄さんと一松兄さんの様子を窺っている。
    早速実況していこうかな♪

    2階の僕らが使っている子供部屋は、チョロ松兄さんと一松兄さんの2人きり。
    今日はいつもと違って少しピリピリした空気が漂っている。
    …珍しくケンカでもしたのかな?

    「ねぇ、一松。」
    「…はい。」
    「何か僕に言う事ない?」
    「…ご、ごめんなさ…。」

    え?!待ってほんとにケンカ?
    ケンカというより一松兄さんがチョロ松兄さんを怒らせたのかな?!
    え、どうしよう。仲裁に入るべきなの?
    それとももう少し様子を見た方が…?

    「『ごめんなさい』?
     何に対して謝ってるの、それ。」
    「ごっごめ…」
    「一松。」
    「ヒッ…!」

    チョロ松兄さんによって壁際に追いやられた一松兄さんは、完全に退路を絶たれた状態だ。
    壁を背に座り込む一松兄さんを見下ろすように、チョロ松兄さんは膝立ちをしている。
    ほんと何してくれちゃったの?!
    家庭内修羅場とかやめてほしいんだけど?!

    チョロ松兄さんがグッと一松兄さんの前髪を掴んだ。
    一松兄さんは一瞬顔を顰めたけど、怯えた顔でチョロ松兄さんを見上げている。

    「約束を守らなかった悪い子にはお仕置きが必要だよね?」
    「にいさ…っ んぐっ?!」
    「ねぇ、一松。」

    前髪を掴んでいた手は、今度は一松兄さんの首を掴んでいる。
    え、え?!
    待って待って待って首締めてる?!あれ締めてない?!

    「一松は僕だけを見ていればいいんだよ僕以外の奴と話す必要なんてないし視界にだって入れる必要ないんだからね
     猫だって本当は止めてほしいのにそれはさすがに可哀想かなと思って大目に見てあげているんだよ
     ねぇ僕だけを見てよ一松僕以外の奴なんか見ないでよねぇ一松一松いちまつ」
    「ちょろ、ま…にいさ…」
    「何?お前首締められて喜んでんの?
     とんだ変態だな。」
    「うあ…!」
    「ここ、硬くなってるじゃん。
     こういうの興奮するワケ?変態。」
    「ごめっ、ごめ…な、さ」
    「ねぇ、一松。

     …僕の舐めて。それで許してあげる。」

    ちょっと待てーーーー!!!

    ねえ?!僕は一体何を見せられてるの?!
    いや勝手に覗いてる僕が悪いんだけど!!
    でもでも、何でおそ松兄さんとカラ松兄さんと十四松兄さんはほのぼのだったのに僕は病み系SMプレイなワケ?!
    これずっとのんびりホワホワしてる真ん中を愛でる流れだったじゃん?!
    つーかチョロ松兄さん、舐めてって何を?!ナニを?!?!
    マジで一松兄さんは何をしでかしたのやめてよホント!!
    ついでに一松兄さんは何で首締められてちょっと嬉しそうな顔してんのさこのM松が!!
    今すぐここから逃げ出したい!助けて兄さん達!!!

    その後、ナニかが始まってしまう前に僕は気配を必死に殺しつつ慌ててその場を立ち去ったのだった。
    いくら見守るっていってもそこまで見守る気は毛頭ないからね?!

    ーーー
    LINE
    年中松の恋路を見守り隊(5)

    トド松:…というワケです。

    トト子♡:続きは?

    トド松:ごめん、さすがにそこまで見守れない。

    トト子♡:ねぇ、トド松君、続きは?

    トド松:ごめんなさい

    おそ松:たまにSMプレイ始めるよなあいつら。しかも前触れもなく突然。

    十四松:トッティどんまい!

    トド松:うわーん十四松兄さあぁぁん!!

    十四松:よしよーし(`・ω・)ノ( ´д`*)なでなで

    トド松:(*´ω`*)

    おそ松:はいそこ、可愛いことしてないで。

    十四松:うっす!

    トド松:はーい

    カラ松:おそ松、何故たまに真ん中がSMしてる事を知っているんだ?

    カラ松:それに一松は一体何をチョロ松をそんなに怒らせてしまったんだろうな?

    おそ松:いや、たまたま目撃しちゃっただけだって。

    おそ松:別に下らない理由だと思うよー?

    おそ松:前なんて服に1本だけ猫の毛がついてたってだけだったらしいし。

    カラ松:oh……

    トト子♡:猫であっても自分のものに誰も触ってほしくないってことかしら?

    トド松:チョロ松兄さんて潔癖だもんねー

    トト子♡:結局あの2人は新婚夫婦なの?中学生日記なの?親子なの?SMなの?どれなの??

    トト子♡:ちょっとはっきりさせてほしいわ

    トト子♡:ね?

    おそ松:え…?

    トト子♡:ね???

    おそ松:ハイ。

    カラ松:了解しました

    十四松:はーーい!!!

    トド松:はーい。。

    ────────


    「……と、いうわけでだ。」
    「いや、どういうわけだよクソ長男。」
    「ぶっちゃけお前らは新婚か思春期か親子かSMかどれなんだ?」
    「え…何その四択。意味わかんないんだけど。」

    再び俺、おそ松でーす。
    結局こいつらはなんなのかハッキリさせるべく、思い切って本人に直撃インタビューすることにした。
    ってことで居間で寛いでいたところを突撃ー。

    「チョロ松兄さん。」
    「ん?…ああ、はい。」
    「ん。」
    「…ありがとう、一松。」

    はい皆さん。今何が起こったかわかった?
    一松がチョロ松に向かって手を差し出して、チョロ松が一松に空になった湯呑みを渡したの。
    で、一松はお茶淹れてまた渡したってわけ。
    チョロ松好みの少し薄めのお茶である。
    熱さもちゃんと調整されてるっぽい。
    一松お前普段そんな事絶対しないじゃん。
    チョロ松だから?チョロ松の好みはちゃんと把握して甲斐甲斐しくお茶入れしてんの?

    「…で、何の話だっけ?」
    「新婚か思春期か親子かSMのどれだよって話。」
    「だからその四択なんなの。」

    並んでズズ…とお茶を啜る姿はなんというか、アレだ。

    「…………熟年夫婦か?」


    結論:その気になれば何にでもなれる。



    お粗末!
    焼きナス
  • 三男と四男と北国の駅舎 #BL松 #チョロ一 #チョロ松 #一松 トラベル松 ##チョロ松と一松の話

    日曜日の夜。

    ホームに降りた途端、冷たい空気に包まれて思わず肩を縮こませ、身を震わせた。
    寒い。
    話には聞いてたけどここまで寒いとは。
    1年の大半を雪に覆われた陸地の末端の末端とも言うべき北国の大地。
    僕、チョロ松は今日から1週間だけここで駅員として働くことになった。

    何故1週間なのかというと、僕は正規ではなく、ヘルプ要員だからだ。
    元々ここの駅には1人だけではあるがちゃんと駅員がいる。
    …が、その駅員が捻挫で右足を痛めてしまったため、治るまでの間だけ手助けということで呼ばれてきたのだ。

    そんなわけで、
    スーツケースに必要最低限の荷物を詰め込んで、最終列車に揺られてたどり着いた北の大地は正に雪国だった。

    辺りは一面真っ白で、僕の吐く息も白い。
    木造の駅舎はいかにも田舎の駅といった風情で、どこか懐かしさすら感じた。

    「チョロ松兄さん!お疲れさまー!」
    「うん、十四松もお疲れ。」
    「早く行こ!一松兄さん待ってるよ!!」
    「そうだね。」

    僕たち六つ子の兄弟のうち、三男四男五男の3人は赤塚鉄道の駅員として働いている。
    僕は都市部の駅員、十四松は主に今僕が乗ってきた路線の運転手、
    そして一松はこの北国の田舎町の駅員として、それぞれ配属されている。

    そう、僕が行くことになった雪深い北国の末端のその末端の駅は、一松が配属されている駅。
    いわゆる赤字路線の1つではあるのだけど、鉄道が無くなってしまうと近隣の住民にとっては死活問題なので、住民のために運営されている路線と言っていいだろう。
    そんな陸地の末端の末端の駅で、右足を捻挫してしまった駅員とは、つまり一松のことだ。
    なんでも、線路の雪かき作業を終え、除雪車から降りようとしたときに
    うっかり足を滑らせて転倒してしまった拍子に捻ったらしい。
    …相変わらず変なところでドンくさい。
    駅員が1人しかいない中、足を負傷したままで業務をこなすのは厳しいだろうということで
    兄弟なんだしやりやすいだろ?という上司の計らいもあって
    僕が手助けするために1週間、一松と働くことになったのだ。

    足の具合は心配ではあるけど、少しだけ一松と一緒に働くことが楽しみだったりする。
    僕らは同じ鉄道会社に入社したけれど、研修を終えてからは一松と十四松と顔を合わせる機会がほとんどなかったから。

    改札を抜けると、駅舎の中に設けられたベンチに一松が腰掛けていた。
    傍らには松葉杖が無造作に立て掛けられている。
    十四松は車両の確認をしてくる、と先程別れた。
    一松は僕の姿を確認すると、少し表情を和らげてくれた。

    「チョロ松兄さん。」
    「久しぶり、一松。足の具合どう?立てる?」
    「大げさに見えるけど、大したことないよ。」

    久々に会った一松は少しも変わっていない。
    …と思う。
    あ、でも北国で生活しているせいか、心なしか肌が白くなった気がするな。

    十四松を待って3人で駅員の宿舎へ向かった。
    十四松が一松を背負い、僕は何故か自分のスーツケースに加え、一松と十四松の荷物も一緒に持っている。
    十四松はこの路線の日曜日の終電と月曜日の始発を担当しているらしく、毎週日曜日は一松の部屋に泊まっているそうだ。
    ここは終着駅であり、始発駅でもあるのだ。
    その割には車庫が非常に小さいのは、まぁ時刻表の本数の少なさを見ればお察しだ。

    宿舎は駅のすぐ傍で、3分もかからなかった。

    「チョロ松兄さん、兄さんの部屋なんだけど…、」
    「うん?」
    「急な話だったから手配が間に合わなくて…
     ここにいる間、おれと同じ部屋になるけど、いい?」
    「あー…まぁ、うん。いいよ。なんか今更だし。」
    「なんかごめん…。」
    「いや、いいって。」

    少し戸惑いはしたが、思えば就職前はプライベートなどあったもんじゃない6人一部屋な生活だったのだ。
    赤の他人ならともかく、一緒に寝泊りするのが一松ならそんなに大きな問題ではないだろう。
    それに一松の言う通り、僕がここに来るのは急な話だったし、足を負傷した一松に業務の傍ら部屋の準備なんて不可能に近い。

    「今日はぼくも一松兄さんの部屋に泊まるから、3人一緒っすねー!」
    「あ、そうか。…布団2つしかない。」
    「まぁ、2枚敷いて3人で寝たらいいんじゃないの?
     6人並んで寝てた頃と変わらないでしょ。」
    「チョロ松兄さんと十四松がそれでいいなら、いいけど…。」
    「あ!ぼく知ってる!
     下にバスタオル敷くと布団がズレないんだって!」
    「へー…試してみよ。」

    一松の部屋はおよそ2DKと存外広くて驚いた。
    田舎はこのくらいの広さが普通だし、
    それにここは雪が多いからサンルームがあるのが当たり前だから
    と説明されて、納得出来たような出来ないような心持ちだが
    これなら2人で過ごしても手狭にはならなさそうだ。
    キッチンも水周りも意外と綺麗にされていた。
    一松もやれば出来る子なんだよなぁ。と少しばかり感傷に浸ってみたりした。

    その日は2枚の布団で一松と十四松と3人寄り添うようにして眠った。
    両側から感じる一松と十四松の体温が、なんだか心地よかった。

    ーーー

    月曜日。

    「チョロ松兄さん、起きて。」

    朝6時、一松の声に起こされた。
    十四松は既に起き上がっていて、洗面所でバシャバシャと顔を洗っている。

    「おはよう…。」
    「ん、おはよ。」

    小さなテーブルを見れば、バターが乗ったトーストに、トマトとレタス、ブロッコリーの簡易なサラダ、あとはゆで卵。

    「結構ちゃんとした朝ごはんだね…。」
    「まあ、今日は十四松もいるし、それにチョロ松兄さんが来たから…。」
    「おはようございまーッスルマッスル!
     洗面所空いたよチョロ松兄さん!」
    「あ、うん。ありがとう十四松。」
    「一松兄さん!ジャム使っていい?オレンジジャム!」
    「いーよ。…あ、もうなくなりそう。」
    「また買い足ししとかないとね!
     あ、ぼく見つけたら買っておこうか?」
    「ほな、お願いしますわ〜。」
    「えっへへ〜任せなはれ〜!」

    久々にのんびりと朝ごはんを食べた。
    思えば駅員になってからというもの、時間に追われて毎日の食事も適当にコンビニ弁当をかき込むだけだった気がする。
    こんな風に団欒しながら食べるご飯はいつ振りだろう。
    一松と十四松の謎の掛け合いを見るのも久々だ。

    それから適当に片付けて着替えて準備して、3人一緒に駅舎へ向かう。
    駅舎に着くと、十四松が除雪車で線路の雪かきをしている間に一松が簡単に駅周りを案内してくれた。
    案内といっても駅の周囲は見渡す限りの白銀だし、今は何も植えられていない田んぼや畑の向こうに
    ポツポツと年季の入った家屋が見えるだけだ。

    「…買い物とかどうしてるの。」
    「食べ物系とか日用品は農協のおじさんが毎週火曜と金曜に販売車で来てくれる。
     服とかはまぁ…基本通販だけど、ぶっちゃけ3年くらい買ってない。」
    「なるほど…移動販売車ね。」

    話によれば、ここから一番近いコンビニへ行くのに車で30分掛かるそうだ。
    何だそれ、全然コンビニエンスじゃねーよ。
    近所のスーパーも電車で3駅先が最寄りとか、それ最早近所じゃねーし。
    想像以上の不便さに驚いている僕を見て、一松がヒヒッと笑みを零す。
    笑み、なんて可愛らしいモンじゃなかったが。

    「でもまぁ、そんなに困ってないよ。
     割となんとかなる。」
    「ふーん…そういうモン?」
    「そういうモン。」
    「なんて言ったらいいか…不便だからこそ、見えてくるものもあるよ。」
    「へぇ。…例えば?」
    「それはチョロ松兄さんが自分で見つけてみれば。」


    十四松が運転する始発の電車は8時ちょうど発。
    乗客は学校へ向かうのだろう学生数人と、3つ先の駅前スーパーへ行くらしいお年寄り数人。
    両手の指で事足りてしまう人数だった。
    車両もたったの2両編成だ。

    「出発、進行〜!」

    「いってらっしゃい。」
    「十四松、気をつけて。」

    「あいあい!いってきまーッスル!!」

    ワンマン線の田舎のローカル電車。
    車掌はおらず、ドアの開閉は乗客が自分で行うシステムだ。
    (もちろん、走行中は開かないようにロックがかかっている。)
    どこかの路線のお古らしい使い込まれた古い車体を揺らし、元気よく発進していった十四松を手を振って見送ると
    僕と一松は駅長室に戻った。
    足の具合はそれなりに回復しているのか、松葉杖はほとんど使っていない。

    次の電車は2時間後だ。
    ちら、と一松を見れば呑気にお茶を入れて啜っていた。
    よく見れば机の上にはミカンも転がっている。

    「…お前、いつもこんな感じなの?」
    「うん。」
    「……へぇ。」

    なんというか、駅員ってもっと慌ただしいものだと思っていたんだけど。
    都内の駅に比べるとあまりに静かであまりにのんびりしているものだから、なんだか拍子抜けだ。
    完全に寛いでいる一松を見て、つい笑ってしまった。
    可愛いな、なんて…いや思ってないよ?!
    歳の変わらない男の兄弟だよ有り得ない。

    まぁともかく、

    一松と一緒に働き始めた初日は、ひたすら平和でゆったりした空気が漂っていた。

    ーーー

    火曜日。

    今日の朝ごはんは白米に海藻の味噌汁、それに焼きジャケと漬け物。
    昨日とは打って変わって和テイストだ。
    漬け物は貰い物らしい。

    駅員の制服に着替え、コートを着込み、マフラーも装備して
    一松の足を気遣いつつ、ゆっくりとした歩調で駅舎へ向かった。

    この駅舎には、改札横にちょっとした憩いのスペースが設けられている。
    2畳ほどの広さで四角く区切られたそこは、コの字型に木でできたベンチでグルリと囲まれ
    中央には同じ木でできたテーブルが固定されている。
    ベンチには誰が用意したのか、くたびれてペチャンコになった座布団が敷かれていた。
    (聞けば、一松が配属された時には既にあったそうだ。)
    スペースの奥には昔懐かしのガスストーブが点灯していて、
    ストーブの上にはヤカンが置かれシュンシュンと湯気を吹き出している。

    そんな駅舎の憩いの場は、この近辺のお年寄り達が集う場所でもあるらしい。
    ベンチに腰掛け、世間話に花を咲かせるご老人の皆さんの楽しげな声が聞こえてくる。
    次の電車が来るまでおよそ1時間。
    電車を待ちながらこうして世間話をするのが、この町の人々の常なのだとか。

    過疎化の進む小さな町。
    町の人は全員顔見知りだそうで、今朝は物珍しさからか町の人に囲まれてちょっと大変だった。

    「一松くん、足の具合はどうだい?」
    「え、あ、僕は一松の兄で…」

    「あれま?!トメさん、一松くんが2人おるでよ?」
    「ほんとだねぇ〜いやぁ本当にそっくりだわ。」
    「アンタが一松くんが話してたお兄さんかい?」
    「兄さんが来てくれたなら一松くんも安心だねぇ〜。」

    「え、は…いや…その、」

    数人のお年寄りの皆さんに囲まれて困惑している僕を、一松は横目で面白そうに眺めていた。
    必死に笑いを堪えてたっぽいけど、心底愉快そうに「クヒヒッ」て笑ってたの聞こえてたからな。
    お前覚えてろよ。
    けどまぁ、嫌な気はしない。
    お年寄り方から聞く話の節々で、一松はこの町の人達に可愛がられているんだろうな、というのが伝わってきたから。

    「この町は年寄りばっかりでなぁ、
     若い子が少ないから年寄りはみ〜んな一松くんのこと
     孫みたいに可愛がってるんだわ。」
    「そうなんですか。」

    そんな孫のように可愛がられている一松は、いつの間にかお年寄り方に混ざって
    憩いの場のベンチに腰掛けて何故かおにぎりを食べていた。
    …何お前、実はジジババキラーだったのか?
    一松の膝の上には、どこから来たのか橙の毛色をした猫が乗っている。

    おい、お前駅員だぞ。

    というツッコみは必死に飲み込んだ。
    ほら、よく言うでしょ。
    田舎の常識は都会の非常識。
    多分、この駅ではあれはいつもの風景なのだろう。
    それに、この和やかな空気を壊してしまうのは少し気が引けた。

    数少ない電車がホームに入ってくると、お年寄り方はゾロゾロと電車へ向かっていった。
    同時に僕も改札へと向かい、切符を切る。
    (この駅には自動改札機なんてものはない。駅員が手動で切符を切るのだ。)
    そのうちの1人が「毎日ご苦労さん、これでもお食べ。」と手渡してくれたのはホカホカの肉まんだった。
    …一体どこから取り出したんだろうと思ったが、あまり考えないでおこう。

    一松は発車する列車に向かって、先ほど貰った肉まんを頬張りながら手を振って見送っている。

    「いっへはっひゃーい(いってらっしゃーい)」
    「コラ一松!口に入れたまま喋るなよ!」

    いや、口に肉まんを入れたまま喋るどうこう以前に、一応今は勤務中だ。
    呑気に肉まんを頬張りながら列車を見送る駅員など、横柄な態度にもほどがある。
    …が、ここではそれが許されてしまうのだろう。
    僕らのやり取りを見て、お年寄り方は大層楽しげに大笑いしながら電車に乗り込み、颯爽と去っていったのだった。

    はふはふと肉まんを頬張る一松にどう表現したらいいのか解らない感情がこみ上げてきたけど
    気のせいだと必死に言い聞かせた。
    可愛いなんて…思ってないよ。

    ーーー

    水曜日。

    「チョロ松兄さん、これもらった。」

    始発を見送った少し後、一松から話しかけられて振り向けば
    その手には大きくて立派なサツマイモが2本。
    町のお年寄り方の1人から貰ったらしい。
    そういえば朝食に出てくる漬け物や魚もお年寄りにもらったんだったか。
    お前ほんと可愛がられてるな。

    「もらったって…どうするんだよ、それ。」
    「え?焼いて食べよう?」
    「は?!」

    いうや否や、一松はどこからか取り出したアルミホイルでサツマイモを包み、ガスストーブの上へ乗せた。
    昨日の肉まんといい、日々こうして町の人達から色々もらっているのは、ほんの数日で何度も目にした。
    もう公私混同過ぎるだろ、とつっこむ気も起きない。
    元々配属されていた慌ただしい都市部の駅とは全く違う、ゆったりとした空気にも3日も経てば慣れてくる。

    ここは人々も、空気も、何もかもが穏やかだ。
    たった1週間なのが惜しいと思うくらいには、僕はこの雪深い田舎町での生活に馴染みつつあった。

    次の列車が来るまであと2時間。
    ガスストーブの上にはアルミホイルに包まれたサツマイモとミカン。

    …ん?ミカン?!

    「え、待って何でミカン乗ってんの?!
     てか、どっから出てきたこのミカンは?!」
    「焼きミカン…。割とイケる。
     あとミカンは八百屋のじいちゃんにもらった。」
    「ウソだろマジで?
     つーかもらい過ぎだろ!」
    「マジマジ、大マジ。」

    一松と2人、サツマイモを見守りながら憩いの場で湯呑みのお茶を啜った。
    焼きミカンは一松の言う通り、甘みが増していて割とイケた。新発見。
    今日は少し寒い。
    大きめの膝掛けに2人一緒に包まって身を寄せ合いながら
    僕も一松も降り続く雪をぼんやり見上げていた。

    北国の、過疎化が進んだ陸地の末端の末端の町。
    終電は20時30分だし、近くにスーパーもコンビニもない。
    何もない不便な町。
    けれど不思議と流れる時間は穏やかで
    こうして一松と肩を並べて過ごす時間が…陳腐な言葉だけど、かけがえのないものに思えた。
    ずっとこの時間が続いたらいいのにな、なんて思えるくらいには僕は田舎向きだったようだ。

    その後集まってきた町の人たちに「仲のえぇ兄弟だねぇ」と
    ニコニコされたのは非常に恥ずかしい限りだ。

    ホクホクに焼きあがったサツマイモは、駅舎に遊びに来た町の人たちと一緒に食べた。

    僕と一緒に食べるんじゃなかったのかよ。
    と、一瞬だけ思ったのは内緒だ。

    ーーー

    木曜日。

    その日は珍しく他の土地からの乗客が降りてきた。
    この駅を利用するのは地元の人がほとんどで、ほんの数日しかいない僕でさえ顔ぶれが大体頭に入っているくらいだ。
    その人は雪の降るこの土地でやけに薄着で、荷物は小さめのボストンバッグ一つ。
    20代前半くらいの女性客だった。
    垢抜けた、いかにも都会人です。といった装いはどう考えてもこの町にはそぐわない。
    古びた駅舎に佇むその姿がまるで下手くそな合成写真のように、やけに浮いて見えた。
    切符を切ると彼女はゆっくりと外を見渡し、そして遠慮がちに僕に尋ねた。

    「あの…涯の峠へ行きたいのですが。」
    「はてのとうげ…?えーと…すみません、僕はここに来て日が浅いもので…。
     他の駅員を呼びますね。

     ……一松!」

    憩いの場で猫を撫でていた一松に声を掛ける。
    一松は顔を上げて、僕の後ろにいる女性客を見ると
    しばらくじっと女性を眺め、そして微かに表情を曇らせた。
    猫の背を撫でる手は止めずに、一松はおずおずと口を開く。

    「え…っと…今は雪が降ってる、から…
     その軽装で涯の峠に行くのは、危険だと、思います…。」
    「…なら、行き方だけでも、教えて下さいませんか?」
    「…………。」
    「あの…駅員さん?」
    「一松?」

    「寒い、でしょう…?少し、ここで温まっていきませんか…?」
    「え?」
    「チョロ松兄さん、お茶入れてあげて。」
    「え?あ、うん。」

    言われるがまま、ガスストーブの上に乗ったヤカンを手に取り、来客用の湯呑みにお茶を入れた。
    女性は戸惑いながらも憩いの場のベンチに腰掛けたようだ。
    お茶を手渡すと、今度は一松が
    「駅長室の机にある、一番上の引き出しに地図が入ってるから取ってきて。」
    というから素直に取りに行った。

    地図を受け取った一松はそれを広げて少しの躊躇いを見せながらも、たどたどしく話し出した。

    「ここが、今いる駅。…涯の峠は、ここから歩くと1時間以上、かかります。
     峠って名前が付いてるけど…足場も悪いし…それに今は雪だし…
     しっかりとした防寒と登山の準備をして入らないと、危険です。
     それに…ここに入山するには、自治体の許可と
     ガイドを1人以上つける決まりが…。」
    「え?!そ、そんなの…聞いたことないです!」
    「えーと、じゃあ…今から、ガイドさん呼びましょうか…?」

    女性客は何故か悔しそうに唇を噛んでいる。
    そんなに涯の峠とやらに行きたかったのだろうか?
    一松がお茶と一緒にミカンを差し出したが、女性はそれを一瞥しただけだった。
    どこか空気が重苦しい上に、一松は口を噤んでしまった。

    どうしたものか、と考えあぐねていると、駅舎にやたらと明るい声が聞こえてきた。

    「はいよーガイドが来ましたよー」
    「え、トメさん?」
    「あーアンタは…チョロ松くんの方だね!」
    「あーはい、正解ですけど、え?」

    一松は町のお年寄りの代表的存在、トメさんの姿を確認すると、後は任せたと言わんばかりに憩いの場から離れてしまった。
    代わりにトメさんが女性の横に座り、何やら話始めている。

    …わけがわからない。

    駅長室に篭ってしまった一松の様子を窺いながらも、僕は駅のホームに立ち尽くす他なかった。

    女性客がトメさんとしばらく話した後、涙を流しながら再び電車に乗って
    引き返して行ったのはわかった。
    それを見送った一松が少しホッとした表情をしていたのも。
    一体どんな会話が繰り広げられていたのか、僕の知るところではないけれど。

    「一松。」
    「……何。」
    「あの女の人さ…何しにここに来たんだろうね?」
    「…さあね。」

    「ねぇ、待ってよ一松。」
    「………。」
    「本当は、何か分かってたんじゃないの…?」

    その日の夜、あの女性客に対する一松の態度が何故かどうしても気になって、
    僕は思い切って聞いてみた。
    後から調べてみたけど、涯の峠へ行くのに、自治体の許可やガイドなんて決まりは無かったのだ。
    つまり、一松はあの女性客涯の峠へ1人で向かわせないために嘘を吐いたということになる。
    …何故、そんなことを?
    素知らぬ振りをするべきだったのかもしれない。
    でも、それをしてはいけない気がした。
    一瞬だけ僕の目を見た一松の瞳が大きく揺らいだ。

    「ごめん…。」
    「一松…?」
    「聞かないで。
     …お願い、チョロ松兄さん。」
    「……。」

    それ以上一松は何も言ってくれなかった。
    そんな顔で言われては、これ以上の追及なんて、いくら遠慮の要らない弟であっても出来やしない。
    一松の絞り出すような声は今にも泣き出しそうな危うさを孕んでいて、
    布団の中で震える一松に僕はただただ寄り添うしかできなかった。

    ーーー

    金曜日。

    いつも通り除雪して、始発を見送って、憩いの場でガスストーブにあたり
    膝掛けを共有しながら湯飲みでお茶を啜る。

    このゆったりとした非日常な日常も今日と明日で終わりだ。
    そう考えると、昨日やってきた女性客によってもたらされた小さな事件で
    一松との間に僅かなしこりができてしまった事が悔やまれてならない。
    やっぱり見て見ぬ振りをするべきだった?
    いや、多分それは最悪手だ。根拠はないけど。

    帰るまでに、どうにかしたい。
    膝上の猫を撫でながら雪空を見上げる一松を見て、そう思った。
    一松の右足はもうすっかり良くなっている。
    僕は足が治るまでの手助けとしてここに来たのだから、
    完治すればこれ以上この駅にいる理由はなくなってしまうのだ。
    昨晩「聞かないで」とまるで怯えた子供のようだった一松の姿が頭から離れない。

    なあ、一松。
    お前は何を抱えているんだ?
    この穏やかな町で、一体何があったんだ?
    …何か心に傷を抱えているのなら、それを知りたいと思うし、少しでも痛みを和らげてあげたいと思う。
    けど、一松自身に拒絶されてしまってはそれも難しい。

    昨日みたいに、どうしたものかと湯呑みを片手に唸っていると、背後から突然声を掛けられた。
    思わず肩が飛び上がる。

    「あれ、そんなに驚いたかね?」
    「あ、いえ…すみません。
     少し考え事をしていたものですから…。」

    声を掛けてきたのは町のお年寄り方の1人だった。
    使い古したショッピングカートを引いているから、3つ先の駅前スーパーへ向かうのだろう。

    「昨日ここに来たっていうお嬢さんのことかい?
     無事に帰ってくれたか分からんが、引き返してくれてよかったよねぇ。」
    「え…?それってどういう…。」

    目を見開く僕を見て、お年寄りは
    「あちゃ~お兄さんの方だったか、まずったねぇ。」
    なんて、ちっとも焦った様子は見せずに僅かに微笑んだ。
    僕が「話を聞かせてほしい。」と言えば、町のお年寄りはすんなりと話してくれた。

    それから、

    お年寄りから話を聞いた僕は、お礼を述べると迷わず一松の元へと走った。


    「一松!」
    「え…どうしたのチョロ松兄さん。」
    「ごめん…昨日の女の人のことと、
     あと…2年前の話…聞いちゃって…。」
    「…!」

    一松の身体が強ばったのが分かった。
    ついさっき、町のお年寄りから聞いた話が脳裏に蘇る。

    ー 昨日この駅へ降り立って涯の峠へ向かおうとしたお嬢さんはね、自殺志願者だったんだよ。
    それに気付いた一松くんはこっそりうちらに連絡を入れてくれたんだ。
    そんで、話を聞いてやって考え直してもらってね。
    もちろん、来る人全員が引き返してくれるわけじゃぁない。
    強引に飛び出して行ってしまった人も過去にはいる。

    涯の峠はね、たまにそうやって全てを終わらせようとする人が訪れるんだ。
    その人達は、電車を降りると大体駅員さんに…一松くんに尋ねるんだよ。
    「涯の峠へはどうやって行けばいいですか」
    ってね。

    …2年前だったかねぇ。
    一松くんが涯の峠への道を聞かれたのは、その時が初めてだったんだよ。
    当時の一松くんは何も知らずに丁寧に峠までの行き方を教えてあげた。
    その人は何度も頭を下げて一松くんにお礼を行って峠へ向かったんだけど…
    その3日後に、遺体で発見されてね。
    一緒に遺書も見つかったから、自殺だって断定されたんだけど、
    一松くんは酷くショックを受けた様子だったよ。
    自殺の手助けをしてしまった、
    って自分を責めたんだろうねぇ…可哀想に。


    ………

    一松がそんな思いをしていたなんて、僕は知らなかった。
    不本意で見知らぬ誰かの自殺の手助けをしてしまい、それを責めて心に傷を負っていたなんて、知らなかった。

    「なんで…話してくれなかったんだよ…。」
    「………。」
    「一松が、そんな辛い思いしてたなんて…知らなかった…。」
    「だって…、」
    「僕の単なるエゴだけどさ、少しくらい頼ってほしかった…。」
    「チョロ松、兄さん…。」
    「なぁ、一松。僕ってそんなに頼りない兄かな?」

    「…ぼくのこと、軽蔑しない、の…?」
    「え?」

    「自殺の、手伝いしちゃったんだよ…。
     ぼくが道を教えたせいで、人が1人死んじゃったんだ。」
    「一松、」
    「ぼくのせいで…人が死んだんだよ…。」
    「一松、お前は何も悪くないよ。」

    一松は何かに怯えるように、そして同時に縋るような目で僕を見ていた。
    …ああ、ずっと独りで罪悪感に苛まれてきたんだな。
    昨日のあの女性客に対しても、何かを感じ取って、コミュ障のくせして咄嗟に引き止めたのだろう。
    再び罪を重ねないように、必死になって。

    「お前は悪くない、悪くないよ。」
    「…チョロ松兄さん、」
    「一松はいい子。
     はなまるぴっぴのいい子だから、ね?」

    寒さのせいなのか、泣いてるせいなのか、或いはその両方か
    肩を震わせる一松を、僕の体温を分け与えるようにぎゅっと抱き締めた。
    話を聞いて、昨日の出来事に合点がいった。
    僕だけ蚊帳の外なんて、酷いじゃないか。
    軽蔑なんてするわけがない。
    だからもう少し頼ってほしかった。
    隣同士だし歳も変わらないけど、僕は一松の兄なんだよ?
    …それに、
    それに、兄弟以上に一松の事は。
    …いや、これ以上はやめておこう。

    震える一松の肩は、なんだか酷く小さくか弱いものに感じた。

    ーーー

    土曜日。

    登りの最終列車を見送って、その1時間後に下りの最終列車を受け入れて
    車両の最終点検を済ませれば、もうここでの業務はほぼ終わったに等しい。
    明日の朝には始発の列車に乗って、僕は元いた職場へ戻らなければならない。

    「なんだか1週間あっという間だったなぁ。」
    「そう?…どうだった、田舎の駅での1週間は。」
    「なかなか楽しかったよ。
     このままずっとここにいたいくらいには。」
    「そう。」
    「週初めに一松が言ってた、「不便だからこそ見えるもの」もなんとなく分かった気がするし。」
    「そりゃよかった。」

    町の人達から肉まんやお芋を貰って。
    ガスストーブにあたりながら、一松と2人でお茶を飲んで。
    ちらつく雪を2人で見上げて。
    古びたワンマンの車両を見送って。
    町の人達から色んな話を聞いて。

    ここは、本当に本当にびっくりするくらいゆっくり時間が流れている。
    一松と2人で過ごす日々があまりにも穏やかだったものだから、正直帰りたくないな、なんて思ってしまった。

    「点検、終わったよ。」
    「うん、じゃあ帰ろうか。」
    「うん…あ、ねぇチョロ松兄さん。」
    「何?」
    「晩ご飯何がいい?
     今日は最後の晩餐だし、兄さんの好きなのでいいよ。」
    「ほんとに?じゃあお言葉に甘えようかなー。」
    「つっても、町のおばちゃん達がチョロ松兄さんへの餞別に、ってくれたお惣菜がたくさんあるんだけどね。」
    「え、何それそうだったの?!
     うわお礼言ってないよ教えろよ!
     なら今日はそれ食べよう!」
    「ん。でもメインで何か作るよ。」

    自販機で少しお酒を買って、そんな事を話しながら歩けばあっという間に宿舎にたどり着く。
    町の人達からもらったというお惣菜に、一松が作ってくれた肉野菜炒めを食べて、缶チューハイを開けて、
    僕らはいつもより遅い時間にようやく布団に潜り込んだ。
    こうして一松と並んで眠るのも、今日で最後だ。

    「…チョロ松兄さん。」
    「…うん?」
    「その…そっち、行ってもいい?」
    「へ?…あ、うん。いいよ。」

    くぐもった声で唐突にそんな事を言い出した一松がもぞもぞとこちらの布団に移動してきた。
    肩が触れ合って、そこからじわりと一松の体温を感じる。

    「どうしたの、一松。」
    「え…っと、」
    「うん?」
    「その…ありがと。
     …1週間、おれの手伝いしてくれて。」
    「まあ、それは…僕も結構楽しめたし。」
    「あと…おれのこと、いい子って…言ってくれて、あ、ありがと…。」
    「え…。」

    僕の肩口に顔を埋めてしまった一松の表情は見えない。

    「怖かったんだ…自殺の手助けをしたって知られたら
     みんなに軽蔑されるんじゃないか、って…。
     みんなに嫌われちゃうんじゃないかって…。」
    「一松…。」
    「ぼく、いい子なんかじゃないよ。
     あの時だって、あの人を助けたかったんじゃない…。
     自分が助かりたかっただけなんだ。
    もうあの時みたいな思いをするのが嫌で、ただ保身に走っただけで…。」
    「…それでもさ、」
    「え、」
    「結果的に、助けたことになったじゃない。」
    「でも、」
    「でもじゃない。
     一松はいい子だよ。はなまるぴっぴのいい子。
     …僕の言うこと信じられない?」
    「……その言い方は、ズルイ…。」

    ごろりと寝返りを打って一松の方を向くと、布団の中で一松を抱き締めた。
    なんだかこのまま一緒に溶け合ってしまえそうだ。
    嗚呼、やっぱり僕は一松に兄弟以上の感情を抱いているのかな。
    なんか今なら素直に認められる気がする。
    こうして腕の中に収まった一松を見下ろしてみると、こういう時は存外幼い表情をしているのが分かる。
    北国の小さな駅で穏やかな日々を過ごしながらも、人の命と向き合い葛藤してきたのであろう1つ下の弟が、途端に愛おしく感じた。
    誰にも話せず、胸の内に後悔と自責の念を抱え独りで耐えてきたのだろう。
    根幹にある真面目さ故に、悔いて悩んで人知れず涙を流してきたのかと思うと、どうにも今まで感じた事のない庇護欲がせり上がってくる。

    やっぱり、帰りたくないなぁ。

    最後の夜、僕は一松を腕の中に抱いたまま気付けば眠りに落ちていた。

    ーーー

    日曜日の朝。

    この駅とも今日でしばしの別れだ。
    今日僕は駅員の制服ではなく、私服に身を包んでいる。
    手にはスーツケース。そして町の人達からもらったお饅頭やら漬け物やらの餞別。

    午前8時ちょうど。
    始発列車が出発する時刻。

    「それじゃ、一松…元気で。」
    「うん…チョロ松兄さんもね。」
    「あ、今日は十四松が泊まる日だっけ。
     十四松にもよろしくね。」

    「うん。…チョロ松兄さん。」
    「ん?
     …………?!」

    ドアが閉まる直前、誰からも見えない死角から一松が身体を乗り出し
    僕と一松の唇が一瞬だけ重なった。
    突然のことに反応出来ず、呆然とする僕に構わず
    次の瞬間にはドアが閉まり列車は動き出す。
    一松はそんな僕に笑みを向け、普段と同じように見送った。

    「1週間ありがと。

     …いい子って言ってくれて、嬉しかった。」

    やがて一松も、駅のホームも見えなくなって
    僕は触れ合った唇を名残惜しむかのように指の腹でそっとなぞるだけで精一杯だった。




    その1ヶ月後、
    今度はホームの雪かき中に足を滑らせ、変な受身を取ったせいで左腕を骨折してしまった一松を見兼ねて
    チョロ松が再び北国の田舎駅へ行くことになり、
    更には「一松1人じゃ心配だから」とチョロ松もそのままその駅の正規担当となるのだった。

    ーーー

    陸地の最果て。
    末端の末端のとある田舎の駅。
    1年の大半を雪に覆われたその町の、木造で風情溢れるその駅に降り立つと、同じ顔をした駅員が出迎えてくれる。
    「こんな辺鄙な所によく来たね。
    寒いでしょう?少し温まって行きなよ。」
    と緑のマフラーの駅員が温かいお茶を差し出せば
    「そこ…座ったら…?」
    と橙の毛色の猫を引き連れた紫マフラーの駅員がミカンやサツマイモを手渡してくれる。
    改札横のスペースには古びたベンチと昔懐かしのガスストーブ。
    お昼頃に赴けば、ストーブにあたりながら大きめの膝掛けを共有し、仲良く並んで雪空を見上げる駅員さん達の姿が見れるのだとか…。

    fin.
    #BL松 #チョロ一 #チョロ松 #一松 トラベル松 ##チョロ松と一松の話

    日曜日の夜。

    ホームに降りた途端、冷たい空気に包まれて思わず肩を縮こませ、身を震わせた。
    寒い。
    話には聞いてたけどここまで寒いとは。
    1年の大半を雪に覆われた陸地の末端の末端とも言うべき北国の大地。
    僕、チョロ松は今日から1週間だけここで駅員として働くことになった。

    何故1週間なのかというと、僕は正規ではなく、ヘルプ要員だからだ。
    元々ここの駅には1人だけではあるがちゃんと駅員がいる。
    …が、その駅員が捻挫で右足を痛めてしまったため、治るまでの間だけ手助けということで呼ばれてきたのだ。

    そんなわけで、
    スーツケースに必要最低限の荷物を詰め込んで、最終列車に揺られてたどり着いた北の大地は正に雪国だった。

    辺りは一面真っ白で、僕の吐く息も白い。
    木造の駅舎はいかにも田舎の駅といった風情で、どこか懐かしさすら感じた。

    「チョロ松兄さん!お疲れさまー!」
    「うん、十四松もお疲れ。」
    「早く行こ!一松兄さん待ってるよ!!」
    「そうだね。」

    僕たち六つ子の兄弟のうち、三男四男五男の3人は赤塚鉄道の駅員として働いている。
    僕は都市部の駅員、十四松は主に今僕が乗ってきた路線の運転手、
    そして一松はこの北国の田舎町の駅員として、それぞれ配属されている。

    そう、僕が行くことになった雪深い北国の末端のその末端の駅は、一松が配属されている駅。
    いわゆる赤字路線の1つではあるのだけど、鉄道が無くなってしまうと近隣の住民にとっては死活問題なので、住民のために運営されている路線と言っていいだろう。
    そんな陸地の末端の末端の駅で、右足を捻挫してしまった駅員とは、つまり一松のことだ。
    なんでも、線路の雪かき作業を終え、除雪車から降りようとしたときに
    うっかり足を滑らせて転倒してしまった拍子に捻ったらしい。
    …相変わらず変なところでドンくさい。
    駅員が1人しかいない中、足を負傷したままで業務をこなすのは厳しいだろうということで
    兄弟なんだしやりやすいだろ?という上司の計らいもあって
    僕が手助けするために1週間、一松と働くことになったのだ。

    足の具合は心配ではあるけど、少しだけ一松と一緒に働くことが楽しみだったりする。
    僕らは同じ鉄道会社に入社したけれど、研修を終えてからは一松と十四松と顔を合わせる機会がほとんどなかったから。

    改札を抜けると、駅舎の中に設けられたベンチに一松が腰掛けていた。
    傍らには松葉杖が無造作に立て掛けられている。
    十四松は車両の確認をしてくる、と先程別れた。
    一松は僕の姿を確認すると、少し表情を和らげてくれた。

    「チョロ松兄さん。」
    「久しぶり、一松。足の具合どう?立てる?」
    「大げさに見えるけど、大したことないよ。」

    久々に会った一松は少しも変わっていない。
    …と思う。
    あ、でも北国で生活しているせいか、心なしか肌が白くなった気がするな。

    十四松を待って3人で駅員の宿舎へ向かった。
    十四松が一松を背負い、僕は何故か自分のスーツケースに加え、一松と十四松の荷物も一緒に持っている。
    十四松はこの路線の日曜日の終電と月曜日の始発を担当しているらしく、毎週日曜日は一松の部屋に泊まっているそうだ。
    ここは終着駅であり、始発駅でもあるのだ。
    その割には車庫が非常に小さいのは、まぁ時刻表の本数の少なさを見ればお察しだ。

    宿舎は駅のすぐ傍で、3分もかからなかった。

    「チョロ松兄さん、兄さんの部屋なんだけど…、」
    「うん?」
    「急な話だったから手配が間に合わなくて…
     ここにいる間、おれと同じ部屋になるけど、いい?」
    「あー…まぁ、うん。いいよ。なんか今更だし。」
    「なんかごめん…。」
    「いや、いいって。」

    少し戸惑いはしたが、思えば就職前はプライベートなどあったもんじゃない6人一部屋な生活だったのだ。
    赤の他人ならともかく、一緒に寝泊りするのが一松ならそんなに大きな問題ではないだろう。
    それに一松の言う通り、僕がここに来るのは急な話だったし、足を負傷した一松に業務の傍ら部屋の準備なんて不可能に近い。

    「今日はぼくも一松兄さんの部屋に泊まるから、3人一緒っすねー!」
    「あ、そうか。…布団2つしかない。」
    「まぁ、2枚敷いて3人で寝たらいいんじゃないの?
     6人並んで寝てた頃と変わらないでしょ。」
    「チョロ松兄さんと十四松がそれでいいなら、いいけど…。」
    「あ!ぼく知ってる!
     下にバスタオル敷くと布団がズレないんだって!」
    「へー…試してみよ。」

    一松の部屋はおよそ2DKと存外広くて驚いた。
    田舎はこのくらいの広さが普通だし、
    それにここは雪が多いからサンルームがあるのが当たり前だから
    と説明されて、納得出来たような出来ないような心持ちだが
    これなら2人で過ごしても手狭にはならなさそうだ。
    キッチンも水周りも意外と綺麗にされていた。
    一松もやれば出来る子なんだよなぁ。と少しばかり感傷に浸ってみたりした。

    その日は2枚の布団で一松と十四松と3人寄り添うようにして眠った。
    両側から感じる一松と十四松の体温が、なんだか心地よかった。

    ーーー

    月曜日。

    「チョロ松兄さん、起きて。」

    朝6時、一松の声に起こされた。
    十四松は既に起き上がっていて、洗面所でバシャバシャと顔を洗っている。

    「おはよう…。」
    「ん、おはよ。」

    小さなテーブルを見れば、バターが乗ったトーストに、トマトとレタス、ブロッコリーの簡易なサラダ、あとはゆで卵。

    「結構ちゃんとした朝ごはんだね…。」
    「まあ、今日は十四松もいるし、それにチョロ松兄さんが来たから…。」
    「おはようございまーッスルマッスル!
     洗面所空いたよチョロ松兄さん!」
    「あ、うん。ありがとう十四松。」
    「一松兄さん!ジャム使っていい?オレンジジャム!」
    「いーよ。…あ、もうなくなりそう。」
    「また買い足ししとかないとね!
     あ、ぼく見つけたら買っておこうか?」
    「ほな、お願いしますわ〜。」
    「えっへへ〜任せなはれ〜!」

    久々にのんびりと朝ごはんを食べた。
    思えば駅員になってからというもの、時間に追われて毎日の食事も適当にコンビニ弁当をかき込むだけだった気がする。
    こんな風に団欒しながら食べるご飯はいつ振りだろう。
    一松と十四松の謎の掛け合いを見るのも久々だ。

    それから適当に片付けて着替えて準備して、3人一緒に駅舎へ向かう。
    駅舎に着くと、十四松が除雪車で線路の雪かきをしている間に一松が簡単に駅周りを案内してくれた。
    案内といっても駅の周囲は見渡す限りの白銀だし、今は何も植えられていない田んぼや畑の向こうに
    ポツポツと年季の入った家屋が見えるだけだ。

    「…買い物とかどうしてるの。」
    「食べ物系とか日用品は農協のおじさんが毎週火曜と金曜に販売車で来てくれる。
     服とかはまぁ…基本通販だけど、ぶっちゃけ3年くらい買ってない。」
    「なるほど…移動販売車ね。」

    話によれば、ここから一番近いコンビニへ行くのに車で30分掛かるそうだ。
    何だそれ、全然コンビニエンスじゃねーよ。
    近所のスーパーも電車で3駅先が最寄りとか、それ最早近所じゃねーし。
    想像以上の不便さに驚いている僕を見て、一松がヒヒッと笑みを零す。
    笑み、なんて可愛らしいモンじゃなかったが。

    「でもまぁ、そんなに困ってないよ。
     割となんとかなる。」
    「ふーん…そういうモン?」
    「そういうモン。」
    「なんて言ったらいいか…不便だからこそ、見えてくるものもあるよ。」
    「へぇ。…例えば?」
    「それはチョロ松兄さんが自分で見つけてみれば。」


    十四松が運転する始発の電車は8時ちょうど発。
    乗客は学校へ向かうのだろう学生数人と、3つ先の駅前スーパーへ行くらしいお年寄り数人。
    両手の指で事足りてしまう人数だった。
    車両もたったの2両編成だ。

    「出発、進行〜!」

    「いってらっしゃい。」
    「十四松、気をつけて。」

    「あいあい!いってきまーッスル!!」

    ワンマン線の田舎のローカル電車。
    車掌はおらず、ドアの開閉は乗客が自分で行うシステムだ。
    (もちろん、走行中は開かないようにロックがかかっている。)
    どこかの路線のお古らしい使い込まれた古い車体を揺らし、元気よく発進していった十四松を手を振って見送ると
    僕と一松は駅長室に戻った。
    足の具合はそれなりに回復しているのか、松葉杖はほとんど使っていない。

    次の電車は2時間後だ。
    ちら、と一松を見れば呑気にお茶を入れて啜っていた。
    よく見れば机の上にはミカンも転がっている。

    「…お前、いつもこんな感じなの?」
    「うん。」
    「……へぇ。」

    なんというか、駅員ってもっと慌ただしいものだと思っていたんだけど。
    都内の駅に比べるとあまりに静かであまりにのんびりしているものだから、なんだか拍子抜けだ。
    完全に寛いでいる一松を見て、つい笑ってしまった。
    可愛いな、なんて…いや思ってないよ?!
    歳の変わらない男の兄弟だよ有り得ない。

    まぁともかく、

    一松と一緒に働き始めた初日は、ひたすら平和でゆったりした空気が漂っていた。

    ーーー

    火曜日。

    今日の朝ごはんは白米に海藻の味噌汁、それに焼きジャケと漬け物。
    昨日とは打って変わって和テイストだ。
    漬け物は貰い物らしい。

    駅員の制服に着替え、コートを着込み、マフラーも装備して
    一松の足を気遣いつつ、ゆっくりとした歩調で駅舎へ向かった。

    この駅舎には、改札横にちょっとした憩いのスペースが設けられている。
    2畳ほどの広さで四角く区切られたそこは、コの字型に木でできたベンチでグルリと囲まれ
    中央には同じ木でできたテーブルが固定されている。
    ベンチには誰が用意したのか、くたびれてペチャンコになった座布団が敷かれていた。
    (聞けば、一松が配属された時には既にあったそうだ。)
    スペースの奥には昔懐かしのガスストーブが点灯していて、
    ストーブの上にはヤカンが置かれシュンシュンと湯気を吹き出している。

    そんな駅舎の憩いの場は、この近辺のお年寄り達が集う場所でもあるらしい。
    ベンチに腰掛け、世間話に花を咲かせるご老人の皆さんの楽しげな声が聞こえてくる。
    次の電車が来るまでおよそ1時間。
    電車を待ちながらこうして世間話をするのが、この町の人々の常なのだとか。

    過疎化の進む小さな町。
    町の人は全員顔見知りだそうで、今朝は物珍しさからか町の人に囲まれてちょっと大変だった。

    「一松くん、足の具合はどうだい?」
    「え、あ、僕は一松の兄で…」

    「あれま?!トメさん、一松くんが2人おるでよ?」
    「ほんとだねぇ〜いやぁ本当にそっくりだわ。」
    「アンタが一松くんが話してたお兄さんかい?」
    「兄さんが来てくれたなら一松くんも安心だねぇ〜。」

    「え、は…いや…その、」

    数人のお年寄りの皆さんに囲まれて困惑している僕を、一松は横目で面白そうに眺めていた。
    必死に笑いを堪えてたっぽいけど、心底愉快そうに「クヒヒッ」て笑ってたの聞こえてたからな。
    お前覚えてろよ。
    けどまぁ、嫌な気はしない。
    お年寄り方から聞く話の節々で、一松はこの町の人達に可愛がられているんだろうな、というのが伝わってきたから。

    「この町は年寄りばっかりでなぁ、
     若い子が少ないから年寄りはみ〜んな一松くんのこと
     孫みたいに可愛がってるんだわ。」
    「そうなんですか。」

    そんな孫のように可愛がられている一松は、いつの間にかお年寄り方に混ざって
    憩いの場のベンチに腰掛けて何故かおにぎりを食べていた。
    …何お前、実はジジババキラーだったのか?
    一松の膝の上には、どこから来たのか橙の毛色をした猫が乗っている。

    おい、お前駅員だぞ。

    というツッコみは必死に飲み込んだ。
    ほら、よく言うでしょ。
    田舎の常識は都会の非常識。
    多分、この駅ではあれはいつもの風景なのだろう。
    それに、この和やかな空気を壊してしまうのは少し気が引けた。

    数少ない電車がホームに入ってくると、お年寄り方はゾロゾロと電車へ向かっていった。
    同時に僕も改札へと向かい、切符を切る。
    (この駅には自動改札機なんてものはない。駅員が手動で切符を切るのだ。)
    そのうちの1人が「毎日ご苦労さん、これでもお食べ。」と手渡してくれたのはホカホカの肉まんだった。
    …一体どこから取り出したんだろうと思ったが、あまり考えないでおこう。

    一松は発車する列車に向かって、先ほど貰った肉まんを頬張りながら手を振って見送っている。

    「いっへはっひゃーい(いってらっしゃーい)」
    「コラ一松!口に入れたまま喋るなよ!」

    いや、口に肉まんを入れたまま喋るどうこう以前に、一応今は勤務中だ。
    呑気に肉まんを頬張りながら列車を見送る駅員など、横柄な態度にもほどがある。
    …が、ここではそれが許されてしまうのだろう。
    僕らのやり取りを見て、お年寄り方は大層楽しげに大笑いしながら電車に乗り込み、颯爽と去っていったのだった。

    はふはふと肉まんを頬張る一松にどう表現したらいいのか解らない感情がこみ上げてきたけど
    気のせいだと必死に言い聞かせた。
    可愛いなんて…思ってないよ。

    ーーー

    水曜日。

    「チョロ松兄さん、これもらった。」

    始発を見送った少し後、一松から話しかけられて振り向けば
    その手には大きくて立派なサツマイモが2本。
    町のお年寄り方の1人から貰ったらしい。
    そういえば朝食に出てくる漬け物や魚もお年寄りにもらったんだったか。
    お前ほんと可愛がられてるな。

    「もらったって…どうするんだよ、それ。」
    「え?焼いて食べよう?」
    「は?!」

    いうや否や、一松はどこからか取り出したアルミホイルでサツマイモを包み、ガスストーブの上へ乗せた。
    昨日の肉まんといい、日々こうして町の人達から色々もらっているのは、ほんの数日で何度も目にした。
    もう公私混同過ぎるだろ、とつっこむ気も起きない。
    元々配属されていた慌ただしい都市部の駅とは全く違う、ゆったりとした空気にも3日も経てば慣れてくる。

    ここは人々も、空気も、何もかもが穏やかだ。
    たった1週間なのが惜しいと思うくらいには、僕はこの雪深い田舎町での生活に馴染みつつあった。

    次の列車が来るまであと2時間。
    ガスストーブの上にはアルミホイルに包まれたサツマイモとミカン。

    …ん?ミカン?!

    「え、待って何でミカン乗ってんの?!
     てか、どっから出てきたこのミカンは?!」
    「焼きミカン…。割とイケる。
     あとミカンは八百屋のじいちゃんにもらった。」
    「ウソだろマジで?
     つーかもらい過ぎだろ!」
    「マジマジ、大マジ。」

    一松と2人、サツマイモを見守りながら憩いの場で湯呑みのお茶を啜った。
    焼きミカンは一松の言う通り、甘みが増していて割とイケた。新発見。
    今日は少し寒い。
    大きめの膝掛けに2人一緒に包まって身を寄せ合いながら
    僕も一松も降り続く雪をぼんやり見上げていた。

    北国の、過疎化が進んだ陸地の末端の末端の町。
    終電は20時30分だし、近くにスーパーもコンビニもない。
    何もない不便な町。
    けれど不思議と流れる時間は穏やかで
    こうして一松と肩を並べて過ごす時間が…陳腐な言葉だけど、かけがえのないものに思えた。
    ずっとこの時間が続いたらいいのにな、なんて思えるくらいには僕は田舎向きだったようだ。

    その後集まってきた町の人たちに「仲のえぇ兄弟だねぇ」と
    ニコニコされたのは非常に恥ずかしい限りだ。

    ホクホクに焼きあがったサツマイモは、駅舎に遊びに来た町の人たちと一緒に食べた。

    僕と一緒に食べるんじゃなかったのかよ。
    と、一瞬だけ思ったのは内緒だ。

    ーーー

    木曜日。

    その日は珍しく他の土地からの乗客が降りてきた。
    この駅を利用するのは地元の人がほとんどで、ほんの数日しかいない僕でさえ顔ぶれが大体頭に入っているくらいだ。
    その人は雪の降るこの土地でやけに薄着で、荷物は小さめのボストンバッグ一つ。
    20代前半くらいの女性客だった。
    垢抜けた、いかにも都会人です。といった装いはどう考えてもこの町にはそぐわない。
    古びた駅舎に佇むその姿がまるで下手くそな合成写真のように、やけに浮いて見えた。
    切符を切ると彼女はゆっくりと外を見渡し、そして遠慮がちに僕に尋ねた。

    「あの…涯の峠へ行きたいのですが。」
    「はてのとうげ…?えーと…すみません、僕はここに来て日が浅いもので…。
     他の駅員を呼びますね。

     ……一松!」

    憩いの場で猫を撫でていた一松に声を掛ける。
    一松は顔を上げて、僕の後ろにいる女性客を見ると
    しばらくじっと女性を眺め、そして微かに表情を曇らせた。
    猫の背を撫でる手は止めずに、一松はおずおずと口を開く。

    「え…っと…今は雪が降ってる、から…
     その軽装で涯の峠に行くのは、危険だと、思います…。」
    「…なら、行き方だけでも、教えて下さいませんか?」
    「…………。」
    「あの…駅員さん?」
    「一松?」

    「寒い、でしょう…?少し、ここで温まっていきませんか…?」
    「え?」
    「チョロ松兄さん、お茶入れてあげて。」
    「え?あ、うん。」

    言われるがまま、ガスストーブの上に乗ったヤカンを手に取り、来客用の湯呑みにお茶を入れた。
    女性は戸惑いながらも憩いの場のベンチに腰掛けたようだ。
    お茶を手渡すと、今度は一松が
    「駅長室の机にある、一番上の引き出しに地図が入ってるから取ってきて。」
    というから素直に取りに行った。

    地図を受け取った一松はそれを広げて少しの躊躇いを見せながらも、たどたどしく話し出した。

    「ここが、今いる駅。…涯の峠は、ここから歩くと1時間以上、かかります。
     峠って名前が付いてるけど…足場も悪いし…それに今は雪だし…
     しっかりとした防寒と登山の準備をして入らないと、危険です。
     それに…ここに入山するには、自治体の許可と
     ガイドを1人以上つける決まりが…。」
    「え?!そ、そんなの…聞いたことないです!」
    「えーと、じゃあ…今から、ガイドさん呼びましょうか…?」

    女性客は何故か悔しそうに唇を噛んでいる。
    そんなに涯の峠とやらに行きたかったのだろうか?
    一松がお茶と一緒にミカンを差し出したが、女性はそれを一瞥しただけだった。
    どこか空気が重苦しい上に、一松は口を噤んでしまった。

    どうしたものか、と考えあぐねていると、駅舎にやたらと明るい声が聞こえてきた。

    「はいよーガイドが来ましたよー」
    「え、トメさん?」
    「あーアンタは…チョロ松くんの方だね!」
    「あーはい、正解ですけど、え?」

    一松は町のお年寄りの代表的存在、トメさんの姿を確認すると、後は任せたと言わんばかりに憩いの場から離れてしまった。
    代わりにトメさんが女性の横に座り、何やら話始めている。

    …わけがわからない。

    駅長室に篭ってしまった一松の様子を窺いながらも、僕は駅のホームに立ち尽くす他なかった。

    女性客がトメさんとしばらく話した後、涙を流しながら再び電車に乗って
    引き返して行ったのはわかった。
    それを見送った一松が少しホッとした表情をしていたのも。
    一体どんな会話が繰り広げられていたのか、僕の知るところではないけれど。

    「一松。」
    「……何。」
    「あの女の人さ…何しにここに来たんだろうね?」
    「…さあね。」

    「ねぇ、待ってよ一松。」
    「………。」
    「本当は、何か分かってたんじゃないの…?」

    その日の夜、あの女性客に対する一松の態度が何故かどうしても気になって、
    僕は思い切って聞いてみた。
    後から調べてみたけど、涯の峠へ行くのに、自治体の許可やガイドなんて決まりは無かったのだ。
    つまり、一松はあの女性客涯の峠へ1人で向かわせないために嘘を吐いたということになる。
    …何故、そんなことを?
    素知らぬ振りをするべきだったのかもしれない。
    でも、それをしてはいけない気がした。
    一瞬だけ僕の目を見た一松の瞳が大きく揺らいだ。

    「ごめん…。」
    「一松…?」
    「聞かないで。
     …お願い、チョロ松兄さん。」
    「……。」

    それ以上一松は何も言ってくれなかった。
    そんな顔で言われては、これ以上の追及なんて、いくら遠慮の要らない弟であっても出来やしない。
    一松の絞り出すような声は今にも泣き出しそうな危うさを孕んでいて、
    布団の中で震える一松に僕はただただ寄り添うしかできなかった。

    ーーー

    金曜日。

    いつも通り除雪して、始発を見送って、憩いの場でガスストーブにあたり
    膝掛けを共有しながら湯飲みでお茶を啜る。

    このゆったりとした非日常な日常も今日と明日で終わりだ。
    そう考えると、昨日やってきた女性客によってもたらされた小さな事件で
    一松との間に僅かなしこりができてしまった事が悔やまれてならない。
    やっぱり見て見ぬ振りをするべきだった?
    いや、多分それは最悪手だ。根拠はないけど。

    帰るまでに、どうにかしたい。
    膝上の猫を撫でながら雪空を見上げる一松を見て、そう思った。
    一松の右足はもうすっかり良くなっている。
    僕は足が治るまでの手助けとしてここに来たのだから、
    完治すればこれ以上この駅にいる理由はなくなってしまうのだ。
    昨晩「聞かないで」とまるで怯えた子供のようだった一松の姿が頭から離れない。

    なあ、一松。
    お前は何を抱えているんだ?
    この穏やかな町で、一体何があったんだ?
    …何か心に傷を抱えているのなら、それを知りたいと思うし、少しでも痛みを和らげてあげたいと思う。
    けど、一松自身に拒絶されてしまってはそれも難しい。

    昨日みたいに、どうしたものかと湯呑みを片手に唸っていると、背後から突然声を掛けられた。
    思わず肩が飛び上がる。

    「あれ、そんなに驚いたかね?」
    「あ、いえ…すみません。
     少し考え事をしていたものですから…。」

    声を掛けてきたのは町のお年寄り方の1人だった。
    使い古したショッピングカートを引いているから、3つ先の駅前スーパーへ向かうのだろう。

    「昨日ここに来たっていうお嬢さんのことかい?
     無事に帰ってくれたか分からんが、引き返してくれてよかったよねぇ。」
    「え…?それってどういう…。」

    目を見開く僕を見て、お年寄りは
    「あちゃ~お兄さんの方だったか、まずったねぇ。」
    なんて、ちっとも焦った様子は見せずに僅かに微笑んだ。
    僕が「話を聞かせてほしい。」と言えば、町のお年寄りはすんなりと話してくれた。

    それから、

    お年寄りから話を聞いた僕は、お礼を述べると迷わず一松の元へと走った。


    「一松!」
    「え…どうしたのチョロ松兄さん。」
    「ごめん…昨日の女の人のことと、
     あと…2年前の話…聞いちゃって…。」
    「…!」

    一松の身体が強ばったのが分かった。
    ついさっき、町のお年寄りから聞いた話が脳裏に蘇る。

    ー 昨日この駅へ降り立って涯の峠へ向かおうとしたお嬢さんはね、自殺志願者だったんだよ。
    それに気付いた一松くんはこっそりうちらに連絡を入れてくれたんだ。
    そんで、話を聞いてやって考え直してもらってね。
    もちろん、来る人全員が引き返してくれるわけじゃぁない。
    強引に飛び出して行ってしまった人も過去にはいる。

    涯の峠はね、たまにそうやって全てを終わらせようとする人が訪れるんだ。
    その人達は、電車を降りると大体駅員さんに…一松くんに尋ねるんだよ。
    「涯の峠へはどうやって行けばいいですか」
    ってね。

    …2年前だったかねぇ。
    一松くんが涯の峠への道を聞かれたのは、その時が初めてだったんだよ。
    当時の一松くんは何も知らずに丁寧に峠までの行き方を教えてあげた。
    その人は何度も頭を下げて一松くんにお礼を行って峠へ向かったんだけど…
    その3日後に、遺体で発見されてね。
    一緒に遺書も見つかったから、自殺だって断定されたんだけど、
    一松くんは酷くショックを受けた様子だったよ。
    自殺の手助けをしてしまった、
    って自分を責めたんだろうねぇ…可哀想に。


    ………

    一松がそんな思いをしていたなんて、僕は知らなかった。
    不本意で見知らぬ誰かの自殺の手助けをしてしまい、それを責めて心に傷を負っていたなんて、知らなかった。

    「なんで…話してくれなかったんだよ…。」
    「………。」
    「一松が、そんな辛い思いしてたなんて…知らなかった…。」
    「だって…、」
    「僕の単なるエゴだけどさ、少しくらい頼ってほしかった…。」
    「チョロ松、兄さん…。」
    「なぁ、一松。僕ってそんなに頼りない兄かな?」

    「…ぼくのこと、軽蔑しない、の…?」
    「え?」

    「自殺の、手伝いしちゃったんだよ…。
     ぼくが道を教えたせいで、人が1人死んじゃったんだ。」
    「一松、」
    「ぼくのせいで…人が死んだんだよ…。」
    「一松、お前は何も悪くないよ。」

    一松は何かに怯えるように、そして同時に縋るような目で僕を見ていた。
    …ああ、ずっと独りで罪悪感に苛まれてきたんだな。
    昨日のあの女性客に対しても、何かを感じ取って、コミュ障のくせして咄嗟に引き止めたのだろう。
    再び罪を重ねないように、必死になって。

    「お前は悪くない、悪くないよ。」
    「…チョロ松兄さん、」
    「一松はいい子。
     はなまるぴっぴのいい子だから、ね?」

    寒さのせいなのか、泣いてるせいなのか、或いはその両方か
    肩を震わせる一松を、僕の体温を分け与えるようにぎゅっと抱き締めた。
    話を聞いて、昨日の出来事に合点がいった。
    僕だけ蚊帳の外なんて、酷いじゃないか。
    軽蔑なんてするわけがない。
    だからもう少し頼ってほしかった。
    隣同士だし歳も変わらないけど、僕は一松の兄なんだよ?
    …それに、
    それに、兄弟以上に一松の事は。
    …いや、これ以上はやめておこう。

    震える一松の肩は、なんだか酷く小さくか弱いものに感じた。

    ーーー

    土曜日。

    登りの最終列車を見送って、その1時間後に下りの最終列車を受け入れて
    車両の最終点検を済ませれば、もうここでの業務はほぼ終わったに等しい。
    明日の朝には始発の列車に乗って、僕は元いた職場へ戻らなければならない。

    「なんだか1週間あっという間だったなぁ。」
    「そう?…どうだった、田舎の駅での1週間は。」
    「なかなか楽しかったよ。
     このままずっとここにいたいくらいには。」
    「そう。」
    「週初めに一松が言ってた、「不便だからこそ見えるもの」もなんとなく分かった気がするし。」
    「そりゃよかった。」

    町の人達から肉まんやお芋を貰って。
    ガスストーブにあたりながら、一松と2人でお茶を飲んで。
    ちらつく雪を2人で見上げて。
    古びたワンマンの車両を見送って。
    町の人達から色んな話を聞いて。

    ここは、本当に本当にびっくりするくらいゆっくり時間が流れている。
    一松と2人で過ごす日々があまりにも穏やかだったものだから、正直帰りたくないな、なんて思ってしまった。

    「点検、終わったよ。」
    「うん、じゃあ帰ろうか。」
    「うん…あ、ねぇチョロ松兄さん。」
    「何?」
    「晩ご飯何がいい?
     今日は最後の晩餐だし、兄さんの好きなのでいいよ。」
    「ほんとに?じゃあお言葉に甘えようかなー。」
    「つっても、町のおばちゃん達がチョロ松兄さんへの餞別に、ってくれたお惣菜がたくさんあるんだけどね。」
    「え、何それそうだったの?!
     うわお礼言ってないよ教えろよ!
     なら今日はそれ食べよう!」
    「ん。でもメインで何か作るよ。」

    自販機で少しお酒を買って、そんな事を話しながら歩けばあっという間に宿舎にたどり着く。
    町の人達からもらったというお惣菜に、一松が作ってくれた肉野菜炒めを食べて、缶チューハイを開けて、
    僕らはいつもより遅い時間にようやく布団に潜り込んだ。
    こうして一松と並んで眠るのも、今日で最後だ。

    「…チョロ松兄さん。」
    「…うん?」
    「その…そっち、行ってもいい?」
    「へ?…あ、うん。いいよ。」

    くぐもった声で唐突にそんな事を言い出した一松がもぞもぞとこちらの布団に移動してきた。
    肩が触れ合って、そこからじわりと一松の体温を感じる。

    「どうしたの、一松。」
    「え…っと、」
    「うん?」
    「その…ありがと。
     …1週間、おれの手伝いしてくれて。」
    「まあ、それは…僕も結構楽しめたし。」
    「あと…おれのこと、いい子って…言ってくれて、あ、ありがと…。」
    「え…。」

    僕の肩口に顔を埋めてしまった一松の表情は見えない。

    「怖かったんだ…自殺の手助けをしたって知られたら
     みんなに軽蔑されるんじゃないか、って…。
     みんなに嫌われちゃうんじゃないかって…。」
    「一松…。」
    「ぼく、いい子なんかじゃないよ。
     あの時だって、あの人を助けたかったんじゃない…。
     自分が助かりたかっただけなんだ。
    もうあの時みたいな思いをするのが嫌で、ただ保身に走っただけで…。」
    「…それでもさ、」
    「え、」
    「結果的に、助けたことになったじゃない。」
    「でも、」
    「でもじゃない。
     一松はいい子だよ。はなまるぴっぴのいい子。
     …僕の言うこと信じられない?」
    「……その言い方は、ズルイ…。」

    ごろりと寝返りを打って一松の方を向くと、布団の中で一松を抱き締めた。
    なんだかこのまま一緒に溶け合ってしまえそうだ。
    嗚呼、やっぱり僕は一松に兄弟以上の感情を抱いているのかな。
    なんか今なら素直に認められる気がする。
    こうして腕の中に収まった一松を見下ろしてみると、こういう時は存外幼い表情をしているのが分かる。
    北国の小さな駅で穏やかな日々を過ごしながらも、人の命と向き合い葛藤してきたのであろう1つ下の弟が、途端に愛おしく感じた。
    誰にも話せず、胸の内に後悔と自責の念を抱え独りで耐えてきたのだろう。
    根幹にある真面目さ故に、悔いて悩んで人知れず涙を流してきたのかと思うと、どうにも今まで感じた事のない庇護欲がせり上がってくる。

    やっぱり、帰りたくないなぁ。

    最後の夜、僕は一松を腕の中に抱いたまま気付けば眠りに落ちていた。

    ーーー

    日曜日の朝。

    この駅とも今日でしばしの別れだ。
    今日僕は駅員の制服ではなく、私服に身を包んでいる。
    手にはスーツケース。そして町の人達からもらったお饅頭やら漬け物やらの餞別。

    午前8時ちょうど。
    始発列車が出発する時刻。

    「それじゃ、一松…元気で。」
    「うん…チョロ松兄さんもね。」
    「あ、今日は十四松が泊まる日だっけ。
     十四松にもよろしくね。」

    「うん。…チョロ松兄さん。」
    「ん?
     …………?!」

    ドアが閉まる直前、誰からも見えない死角から一松が身体を乗り出し
    僕と一松の唇が一瞬だけ重なった。
    突然のことに反応出来ず、呆然とする僕に構わず
    次の瞬間にはドアが閉まり列車は動き出す。
    一松はそんな僕に笑みを向け、普段と同じように見送った。

    「1週間ありがと。

     …いい子って言ってくれて、嬉しかった。」

    やがて一松も、駅のホームも見えなくなって
    僕は触れ合った唇を名残惜しむかのように指の腹でそっとなぞるだけで精一杯だった。




    その1ヶ月後、
    今度はホームの雪かき中に足を滑らせ、変な受身を取ったせいで左腕を骨折してしまった一松を見兼ねて
    チョロ松が再び北国の田舎駅へ行くことになり、
    更には「一松1人じゃ心配だから」とチョロ松もそのままその駅の正規担当となるのだった。

    ーーー

    陸地の最果て。
    末端の末端のとある田舎の駅。
    1年の大半を雪に覆われたその町の、木造で風情溢れるその駅に降り立つと、同じ顔をした駅員が出迎えてくれる。
    「こんな辺鄙な所によく来たね。
    寒いでしょう?少し温まって行きなよ。」
    と緑のマフラーの駅員が温かいお茶を差し出せば
    「そこ…座ったら…?」
    と橙の毛色の猫を引き連れた紫マフラーの駅員がミカンやサツマイモを手渡してくれる。
    改札横のスペースには古びたベンチと昔懐かしのガスストーブ。
    お昼頃に赴けば、ストーブにあたりながら大きめの膝掛けを共有し、仲良く並んで雪空を見上げる駅員さん達の姿が見れるのだとか…。

    fin.
    焼きナス
  • 三男と四男と猫の嫁入り #BL松 #チョロ一 #チョロ松 #一松 ##チョロ松と一松の話

    チョロ松兄さんと僕が同性という枠を、そして一卵性の兄弟という枠すらも飛び越えて
    所謂「恋人同士」という関係になったのは、少し前のことだ。
    一体どんな経緯でこんな異常とも言える関係に落ち着いたのかは、また別の機会に語るとして。
    兎も角、それ以来僕らはお付き合いを続けている。
    ただ、お付き合いと言っても別段いつもの日常に何ら変わったことはなかった。
    親にも兄弟にも未だ打ち明けられていないのだ。
    (ひょっとして兄弟は、特におそ松兄さんあたりは勘づいているかもしれないが。)
    家に誰もいない隙を見て寄り添ってみたり、少しだけ唇を重ねてみたり、
    偶に2人で出掛けて、デート気分を味わってみたり…。
    それだけだ。
    特に何が変わったわけでもない。
    もちろん、チョロ松兄さんとそれ以上の事をしたくないわけじゃない。
    でも、常識人を自称するチョロ松兄さんにとって、実の弟と恋人関係にあるなんて事実
    周囲には隠しておきたいだろうし元より末弟に負けず劣らずドライで体裁を気にする人だ。
    チョロ松兄さんは今以上の関係になる事は望んでいないのかもしれない。
    少しの寂しさはあるものの、それでも僕が望めば兄さんはちゃんと手を握り返してくれるし、
    兄さんの細長い指は僕なんかを撫でることも少しも厭わない。
    これ以上の高望みはしてはいけない。
    身の丈に合った、今の状態がきっと僕らにとって丁度いいのだろう。
    そう考えて日々を過ごしていた。

    チョロ松兄さんから「明日2人で出掛けよう」と誘われたのはその日の夕食後の事だった。
    他の兄弟の目を盗んでこっそりと伝えられた「デート」のお誘い。

    「出掛けるって…何処に?」
    「ちょっと遠出してみよう。
     行ってみたい場所があるんだ。
     明日は早起きしろよ?」
    「ん、わかった。」

    珍しい。
    今まで一緒に出掛けると言っても僕の猫の餌やりに付き合って近所の路地裏に行ったり、
    ちょっとした食事処だったり、公園だったり、その程度だったのに。
    2人で出掛けるなんて、いつ以来だろう。
    嬉しさのあまり気を抜くと頬が緩んでしまいそうになるのを必死に堪えて、
    僕はその日心を踊らせながら眠りについた。

    ーーー

    次の日、まだ夢の中を漂う兄弟を起こさないように特注サイズの布団を抜け出し、チョロ松兄さんと共に家を出た。
    今日はいつものつっかけサンダルではなくちゃんとしたスニーカーだ。
    まぁ、パーカーはいつも通りだけども。
    チョロ松兄さんだっていつもの緑色のパーカーだし、構わないだろう。

    まだ日の昇りきらない静まり返った町を歩き、電車を乗り継いでやって来たのは海だった。

    少し向こうには島と言うには小さ過ぎるくらいに小さな島がポツンと浮かんでいる。
    そして、海岸から島へと一筋の道が浮かび上がるかのように伸びていた。
    どうやら此処は地元ではそこそこ有名な場所で、干潮時にだけこうして小さな島へと続く道が現れるそうだ。

    「手を繋いで島まで渡ったカップルは幸せになれるんだって。」
    「え…。」

    チョロ松兄さんの言葉に、僕はきょとんと目を丸くする。
    普段からリアリスト寄りの思考を持つ兄さんが、わざわざこんな縁結びスポットに僕を連れてくるなんて意外だった。
    そんな僕の考えが解ったのだろう、チョロ松兄さんはフイ、と顔を逸らした。
    少しだけ頬が紅く染まっている。

    「べ…別にいいだろ。
     偶には、その…こ、恋人、らしい事してみたって…。」
    「…………。」
    「せめて何か言って一松!
     いや、別に強制じゃないから!嫌なら渡らなくていいから!」
    「え…あ、い、行く!」

    ひたすら呆然とチョロ松兄さんを見ていたら、本格的に顔を赤くした兄さんが
    「嫌なら渡らなくていい」なんて言い出したから慌てて「行く」と応えた。
    少々声が上擦ってしまったのはきっと気のせいだ。
    それに、僕の返答にチョロ松兄さんが少し安心したように笑ってくれたから、少々の失態はもうどうでもよくなった。

    どうしよう、嬉しい。

    何て言ったらいいのか分からないけど、チョロ松兄さんとこうして恋人らしい事出来るのが、とても嬉しい。

    「…じゃ、行こうか。」
    「ん。」

    平日の朝という事もあって、周りに他の人はいない。
    兄さんの手をいつもより強めに握り締めれば、同じ強さで握り返された。
    繋いだ手はいつもより熱くて、2人して変に緊張してるのが笑える。
    波間に浮かぶ道を2人でゆっくりと渡った。
    小さな島に辿り着くまで、僕もチョロ松兄さんも無言で、砂浜を歩くサクサクとした足音と波音だけが辺りに響いていた。
    干潮時だけ現れる波間の道。
    なんだかバージンロードみたいだなんて、柄にもない事を思って慌ててかぶりを振った。
    手を繋いで島まで渡ったカップルは幸せになれる。
    …僕らにとっての幸せって何だろう。
    この秘密の関係を続けていくこと?
    それとも…。

    ついつい僕の頭は余計な事を考え始めそうになったけど、
    少し先を歩いていたチョロ松兄さんが立ち止まった事で、それは叶わなかった。
    僕もチョロ松兄さんに合わせて立ち止まる。

    「渡り切っちゃったね。」
    「幸せカップル誕生?」
    「さあ、どうだろ?
     …どう思う?」
    「ヒヒッ…さあね。」

    こんな子供騙しのおまじないであっても、普通の恋人同士なら
    ここで「これで幸せだね」と笑い合い絆を深める事が出来るのだろう。
    けど、誰がどう見ても普通じゃない僕らは、更に言うと兄弟の中でもとりわけ素直になれないツートップの僕らは、
    残念ながら純粋におまじないを信じるには捻くれ過ぎていた。
    こうして恋人同士らしい事をしてみても、僕もチョロ松兄さんも未来を信じられずにいる。
    それでも傍を離れる事が出来ないし、チョロ松兄さんがいなくなったら生きていけないなんて
    割と本気で思っているのだから、僕は本当に救えない。

    「折角だから、島を一回りしてみようか。」
    「…うん。」

    繋いだ手はそのままに、また歩き出した。
    島と呼べるのかどうかも分からない程小さな島だ。
    周囲をぐるりと一周するのに、5分も掛からなかった。
    大した物もなかったし、あっという間に元いた場所に戻ってきた。

    …と、そう思ったのだけど。

    「え…潮が満ちてる。」
    「嘘だろ?有り得ないだろこんな短時間で!!」

    一周して戻ってくると、僕達が渡ってきた波間の道が海の底に沈んでいた。
    もう満潮の時間になったのか?
    いや、先程までしっかりと道があったのだ。
    仮に満潮になったのだとしても、チョロ松兄さんが突っ込んでいる通りこんな短時間で突然道がなくなるなんて有り得ない。
    呆然とする僕らに追い討ちをかけるように、陽が射しているというのに今度は雨が降り出した。
    今日の天気は全国的に晴れて傘は要らないでしょう、とテレビのお天気キャスターが言っていたはずだけど。

    「とりあえず雨を凌げる場所を探そうか。」
    「そうだね…。」

    そうは言っても5分足らずで一周出来てしまう小さな島だ。
    雨をしのげるような場所なんてあるとは思えない。
    小さな島にチョロ松兄さんと2人きり。
    まるで僕らだけ世界から切り離されたような錯覚に陥りそうになる。
    また変な思考に沈みそうになったけど、チョロ松兄さんの素っ頓狂な声に現実に引き戻された。

    「あれ?こんな所に鳥居なんてあったっけ?
     渡ってきた時には気付かなかったなぁ。」
    「え…。」
    「ねえ、ちょっと行ってみようよ、一松。」
    「え、チョロ松兄さん…本気?」
    「しばらく潮は引かないだろうし、雨も降ってるし、此処にいても仕方ないだろ?」
    「そうだけど…。」

    チョロ松兄さんの言う通り、此処にいても雨に濡れるだけだ。
    でも、
    その目の前にある鳥居、この島に渡ってきた時は無かったはずだ。
    絶対無かった。
    誓って言える、絶対無かったよこんなの。
    「気付かなかった」なんて言ってるけどチョロ松兄さんだって気付いているはず。
    …なのに、何でかな?
    チョロ松兄さんときたら少年のように目を輝かせている。
    ちょっと待って、何で今このタイミングで昔のやんちゃだった頃の顔が表に出てきちゃったの兄さん?
    それ冒険してみたくてたまらない顔だね?
    普段の兄さんなら他の誰かが行こうとするのを止める役のはずなんだけど
    今はちょっとした例外処理が発生中らしい。
    そして目を輝かせて何だかウズウズしているチョロ松兄さんの事を可愛い、なんて思ってしまった僕には
    多分拒否権なんて無いのだろう。

    「…危険だと思ったら、すぐに引き返してよ?」
    「分かってるよ。
     大丈夫、一松の事は僕が守るから。」
    「え……う、うん。」

    急にさらりと言わないでほしい。
    自覚があるのかないのか、チョロ松兄さんは偶にこういう事を言うから困る。
    そんなわけで、僕らは目の前に立つ鳥居をくぐり抜けた。

    ーーー

    鳥居を抜けた先は、石畳が続いていた。
    随分と奥まで続くそれは、明らかに小さな島では尺が足りない長さで、
    どういうワケか僕らが何処か別世界に迷い込んでしまった事は決定事項なのだろう。
    多分だけど、あの鳥居が入り口だったのではないだろうか。
    一体何処に迷い込んだのか、無事に元の世界へ戻る事は出来るのか。
    色々思ったけど、僕が真っ先に考えたのは、
    チョロ松兄さんと2人で異世界に迷い込んだのなら、ずっと帰れないままでもいいかもしれない。
    というものだった。
    だって、そうだろう。
    僕らの暮らす世界とは何処か別の世界線。
    きっと僕とチョロ松兄さんを知ってる人なんて存在しない。
    元の世界に居ても、どうせ今の関係以上の事が望めないのなら、いっその事2人きりで遠い場所へ行くのも、
    はたまた閉じ込められてやがて地獄に堕ちるのもいいかもしれない。
    このまま此処から出られなくても、チョロ松兄さんと一緒ならそれでいいかな、なんて思ってしまう。
    つまりはこれって何だろう。
    意図せずともチョロ松兄さんと駆け落ちみたいな事をしたことになるのだろうか。
    石畳を歩きながら、そんな事を考えた。
    チョロ松兄さんも黙ったままだから、僕の歪んだ思考回路もグルグルとクズな思考を続けている。

    やがて沈黙を破ったのは、チョロ松兄さんの方だった。

    「一松、何か聞こえない?」
    「…聞こえるって、何が?」
    「ほら、鈴の音とか…それに、何か近づいてくるような…。」

    言われて耳をすませると、確かに小さく鈴の音がした。
    それはどんどんこちらに近づいている。
    近づいてくるにつれて、鈴の音だけでなく雅楽のような音も聞こえてきた。
    じっと音のする方へと目を凝らしていると、やがてこちらにゆっくりと近づいてくる影が見えた。

    響き渡る雅楽の音、
    色鮮やかな紅い番傘、
    先頭を歩く白い狩衣を来た者、巫女、そして白無垢と紋付袴、
    その後ろに続く和装の行列。
    これって…

    「花嫁行列…?」

    こんな所で誰かが結婚式を挙げているのか?
    それだけでも十分な驚きだったのだが、次に僕らが気付いた事実は
    そんな事どうでもよくなるくらい衝撃だった。

    「待って…この花嫁行列、人じゃない…。」
    「え、ま、まさか…。」
    「あれ…猫?」
    「猫?!」

    行列がすぐ近くまで迫ってきた。
    二本足で悠々と歩く花嫁行列の御一行様は、見れば見る程確かに猫だった。
    茶トラにキジトラ、ブチ、ミケ…実に様々な種々の猫達が花嫁行列を彩っている。
    え、何で猫?
    猫ってこんな厳かな挙式するの?
    呆然と立ち竦む僕とチョロ松兄さんを見向きもせず、猫の花嫁行列は僕らを素通りして石畳を更に奥へと進んでいく。
    紋付袴の新郎はハチワレ猫で、白無垢の新婦は白猫だった。
    新婦の白猫が、通り過ぎさまに一瞬僕らを見て、微かに笑った気がした。

    やがて行列が通り過ぎ、その姿が見えなくなった頃、

    「はあぁぁぁ?!
     何で猫?!
     百歩譲って…、いや、一万歩くらい譲って狐なら分かるよ?分かんないけど!
     今ちょうど天気雨だし、狐の嫁入りならまだ納得出来るよワケ分かんないけども!!
     でも猫って何?!何で猫?!?」
    「さあ…?」

    我に返ったチョロ松兄さんが一気に捲し立てた。
    言いたいことは分かるけど、猫と仲が良いと自負している僕も流石にそこは分からない。
    確かに今みたいな天気雨の事を「狐の嫁入り」と言ったりするから
    狐ならまだ理解しようと思えば出来たかもしれないが
    「猫の嫁入り」は聞いたことがない。

    「あの猫達…何処に向かったんだろうね。」
    「この先に行ったみたいだし、追いかけてみる?」
    「うん。」

    もうこの際考えるのは止めよう。
    異空間だか別世界だか知らないが、猫の花嫁行列が通り過ぎたってことは此処はひょっとして猫の王国なんじゃないの?
    そしたら天国万々歳だ。
    そんな頭の悪そうな事を考えながら行列が進んで行った石畳を辿ると、
    やがて古びた社にたどり着いた。
    どうやらここで行き止まりのようだ。
    とりあえず、ようやく屋根のある所に来れたので社の軒先で雨宿りをさせてもらうことにした。
    天気雨に打たれて、僕もチョロ松兄さんもズブ濡れだったから最早雨宿りの意味は無いようにも思えたけど。
    こっそりと社の中を覗けば、中は案外広く奥に台座らしきものが見えた。

    「一松、中で少し休ませてもらおうよ。」
    「勝手に入って化け物に襲われたりしないかな。」
    「おい!怖い事言うなって!」
    「冗談だよ、行こう。」

    見たところ誰もいないし、と中へ入らせてもらった。
    社の中は存外温かい。
    水を吸って重たくなってしまったパーカーを脱ごうかどうか悩んでいると、
    不意にチョロ松兄さんが背中に体重をかけてきた。
    背中越しにチョロ松兄さんの低めの体温を感じる。

    「ごめん、一松。」
    「…何が。」
    「偶には、恋人らしい事をしてみたかった。
     本当に、ただそれだけだったんだ。」
    「うん。」
    「こんな事になるなんて思ってなかったんだけどさ…、」
    「わかってるよ。」
    「ううん、そうじゃなくて。」
    「?」
    「鳥居をくぐるのはマズイって、何となく分かってたんだ。」
    「え、」
    「でも…何処かに迷い込んだら、
     このまま一松のことを連れ去ることが出来るんじゃないかって、そう思って…。」
    「チョロ松兄さん」
    「もしかしたら、誰にも邪魔されない処へ一松を独り占めできるんじゃないかって…。」
    「………。」
    「今の状態に、不満があるわけじゃないんだ。
     皆の目を盗んでお前と寄り添ってみたり、たまに出掛けたり…。
     でも何でかな、もっと一松と色んな事したいって思うのに、
     なんか、その…ちょっと怖くて。お前に拒絶されるのが。」

    背中越しに伝えられた、チョロ松兄さんの告白。
    まさか兄さんがそんな事を考えてくれていたなんて。
    僕みたいなクズを独占しようとしてくれて、もっと色んな事したいと思ってくれていたなんて
    分かっていたけどチョロ松兄さんも大概クズだ。
    そして、それを心底喜んでいる僕は矢張り救えないクズだった。
    付き合いを始めてからも特に代わり映えのなかった日々をほんの少し憂いていたのは、
    チョロ松兄さんも同じだったのかと思うと胸の奥が疼いて擽ったくて仕方なかった。
    とりあえず、兄さんが申し訳なく思うのはお門違いだし拒絶なんて絶対しない。
    それだけでも何とか伝えたいけれど。

    「ほんとごめん、
     こんな事に巻き込んで。」
    「…別にいいよ。
     むしろ、このままチョロ松兄さんと一生2人きりっていうのも、悪くないし。
     いっその事連れ去ってくれて、全然よかったのに。」
    「一松…。」
    「それに…チョロ松兄さんのこと、
     拒絶するなんて、絶対しない、から…。」
    「………ふふ。」

    ちゃんと伝わったのだろうか。
    わからないけど、それでも珍しく素直に胸中の言葉を吐き出す事が出来た僕は、
    振り向いてチョロ松兄さんの背中を抱き締めた。
    華奢というわけではないけれど、細い身体だ。
    チョロ松兄さんから漏れた溜息のような笑い声は何だったのか。
    自嘲のような、安堵のような、そんな色を含んでいたと思う。
    このまま無理やりこちらを向かせて兄さんの唇を奪ってやろうか。

    そんな事を考えていると、社の襖が開いた。
    驚いてそちらに目を向ければ、そこにいたのは先程の猫の花嫁行列で先陣を切っていた2匹の巫女姿の猫で。

    にゃ~ぉ

    一方は大中小の3つの杯を、一方はお神酒を手に一声鳴いて僕らに近付いてきた。
    巫女姿の猫の後に、白無垢姿の白猫と紋付袴のハチワレ猫が続く。
    白猫が僕の傍に、そしてハチワレ猫がチョロ松兄さんの傍に行儀よく座ると、僕らに向かってまた巫女姿の猫が鳴いた。

    「え、え?」
    「えーと…座れってこと?」

    よく分からないが、何となく巫女姿の猫…もうメンドイから巫女猫って呼ぼう、巫女猫の意図を汲んで
    チョロ松兄さんと向かい合うようにして正座しておいた。
    奇妙な猫に囲まれて、僕とチョロ松兄さんは何故か膝を突き合わせている形だ。
    すると今度は白猫が自身にさしていた小さな簪を僕の髪に引っ掛けた。
    ハチワレ猫もチョロ松兄さんのパーカーのポケットに何故か白扇子を突っ込んでいる。

    「え…待って、何?何なの?!」
    「…???」

    チョロ松兄さんが狼狽えている。
    そして僕もあまりのわけの分からなさに硬直状態だ。
    そんな僕らはお構い無しといった様子で、今度は杯を持った巫女猫が一番小さな杯をチョロ松兄さんに押し付ける。
    頭上にクエスチョンマークを大量に浮かべながらも、雰囲気に飲まれたのかチョロ松兄さんは杯を受け取った。
    すかさずお神酒を持った巫女猫が杯にそれを注ぐ。
    小さな杯に3回、次は中くらいの杯に3回お神酒が注がれ、
    一番大きな杯がチョロ松兄さんに手渡されたところでようやく僕らはハッとなった。

    あれ…これ、もしかして「三三九度」ってヤツでは?

    流石は六つ子というべきか、僕とチョロ松兄さんがそれに気付いたのは同時だったらしい。
    僕らは一体何をやらされているのか気付いてしまった。
    向かい合って正座するチョロ松兄さんと目が合った。
    兄さんの顔は真っ赤で、でもどこかこのまま事が進むことを期待している目をしていて、
    多分、僕も全く同じ目をしているのだろう。
    大きな杯でも3回お神酒を飲み干せば、どこからともなく聞こえてきた神楽に合わせて巫女猫が舞い始めた。

    これではまるで、
    まるで、僕とチョロ松兄さんが神前式をしているみたいだ。

    その後も、榊を手渡されて玉串奉奠の真似事をさせられ
    斎主らしき猫が祝詞らしきものを読み上げて(ほとんど「にゃー」だったけど)
    猫と一緒にままごとのような挙式は滞りなく進んでいく。
    ままごとだと分かっていても、この結婚式は僕の気持ちをひどく高揚させた。
    チョロ松兄さんと兄弟である限り、決して叶うことのないものが今ここで実現している。
    たとえ真似事であっても、身に余る幸福だと、本気でそう思ったから。

    「…一松。」
    「チョロ松、兄さん…。」

    熱に浮かされたような顔で、頬を染めて瞳を微かに潤ませて僕を見るチョロ松兄さんが、あまりに優しく呼ぶものだから、
    いろんな感情が綯交ぜになって、どうにも涙が止まらなかったのは、きっと仕方の無い事だったのだ。

    ーーー

    気付けば小さな島の入口に戻って来ていた。
    目の前には朝来た海岸へ続く波間の道が浮かび上がっている。
    あんなに雨に打たれてズブ濡れだったはずなのに、服も髪もちっとも濡れてはいなくて
    一体どの位あの異質な空間にいたのか、日はどっぷりと暮れていて辺りは真っ暗だった。

    どうやってあの社を後にしたのかはよく覚えていない。
    ひょっとして僕の見た白昼夢だったんじゃないかと思える程、現実離れした出来事だったのだけど
    僕の髪には白無垢の猫が引っ掛けた小さな簪が確かに残っていて、
    チョロ松兄さんのポケットにも白扇子が残されていて、
    猫の花嫁行列を見てその後何故か僕とチョロ松兄さんが流されるまま婚姻の儀を交わしたのは現実に起こった事なのだろう。

    「…一松。」
    「うん。」
    「本当は、あの場で言えたらよかったんだけど、」
    「うん、」
    「僕ら…世間一般には到底許されないし、胸張って外を歩けない関係だけどさ。」
    「うん。」
    「でも、僕は一松の事を手放す気はないんだ。」
    「…僕も、チョロ松兄さんから離れてやる気なんて、さらさら無いよ。」
    「うん、だからさ、一松。

     あの場所で契った通り、ずっと一緒にいてね。」
    「うん。」
    「絶対逃がさないから。」
    「ん。こっちだってそのつもり。」
    「…好きだよ。」
    「うん……僕も、好きだよ。」

    世界から切り離されたような小さな島で、誓い合うように口付けを交わした。

    「…帰ろうか。」
    「…そうだね。」

    波間に浮かぶ道をまた手を繋いで渡った。
    振り向いてみても、もうそこには鳥居なんて存在していなかった。
    あれは何だったのだろう。

    「ここのジンクスも、ただの噂じゃないのかもね。」
    「え?」
    「猫の花嫁行列を見て、なんとなく思ったんだ。
     …一松と神前式をしてるって気付いた時は
     僕の邪な願望が現実になったのかと思ったけど…
     あの猫達はさ、多分だけど僕らの他にも今までああやって
     悩める恋人達を巻き込んできたんじゃないかなーって。」
    「なるほどね…。」

    関係に思い悩む恋人達を巻き込んで、ままごとの結婚式をさせる猫達、か。
    冷静に考えてみるとなかなか笑える話ではあるのだけど、
    猫達のお蔭で少しだけ僕の心も救われた気がしているのも確かで。
    猫達はああやって、小難しく考えるのが馬鹿馬鹿しくなるくらいに肩の力を抜けさせて、
    突然三三九度をさせて、そして最後には笑わせてきたのかな、なんて思うと妙に納得出来てしまった。
    「手を繋いで渡ったカップルは幸せになれる」だなんておまじないも今なら信じられる気がする。
    隣を歩く兄さんも、その表情は朝よりも幾分晴れやかで穏やかに見えた。

    すっかり暗くなった海岸沿いの道を歩き、終電間際の電車に滑り込み
    ようやく最寄りの駅まで帰ってきたのは日付が変わって数十分が過ぎた頃だった。
    駅の改札口を抜け、駅前の大通りに出たところで聞き覚えのある声が響いた。

    「あぁーーーっ!こんな所にいたぁ!!」
    「あれ、トッティ?」
    「え、何どうしたの?こんな夜遅くに。」
    「ハアァ?!
     こっちの台詞なんだけど!
     どんだけ2人のこと探したと思ってんの?!」

    「「……???」」

    駅前の大通りでバッタリ出会った末弟は何故か分からないが怒り狂っている。
    僕とチョロ松兄さんが顔を見合わせて揃って首を傾げている間に、
    トド松はスマホを素早く操作して誰かに連絡を取っている様子だった。
    とりあえず家路につきながらトド松から話を聞いてみれば、僕とチョロ松兄さんが朝から姿が見えないし
    連絡がつかないしで他の兄弟は心配して探し回っていたらしい。
    いや、成人男性だよ?1日くらい家空けてそんなに心配する?
    …と思ったら、他の兄弟達の間で僕とチョロ松兄さんが駆け落ちしたんじゃないかとか、
    もしかしたら心中したんじゃないかという疑惑が持ち上がっていたらしい。
    なんだそれ。
    いや、確かに途中駆け落ちっぽい感じにはなったけども。
    そもそも僕もチョロ松兄さんもそんな気1ミリたりとも持ち合わせていないのだから
    プリプリという効果音が付きそうな感じにあざとく憤りながら捲し立てる末弟の話に
    僕とチョロ松兄さんはキョトンと顔を見合わせるしかなかった。
    程なくしてトド松から連絡を受けたのだろう長男次男五男も駆けつけてきた。
    何を馬鹿なことを、と鼻で笑ってやろうかと思ったけど
    額に汗を滲ませて息を切らしている長兄2人と、今にも泣き出しそうな顔をしている末2人を見たら
    さすがにクズな僕でもそれは憚られた。
    僕とチョロ松兄さんが駆け落ちしたと本気で思って、
    そして必死に探してくれていただろう事が分かって、何とも言えない気持ちになる。
    割と真剣に駆け落ちまたは心中疑惑が持ち上がっていたということは、
    僕とチョロ松兄さんの関係が少なくとも兄弟には勘づかれていたという事だ。
    マジかよ、いつから気付かれていたんだろう。

    「あーーもーー何だよーーーー!!
     出掛けるなら一言くれよ!
     割とマジで探しちゃったじゃねーかぁ~!!」
    「フッ…まったくイタズラな子猫ちゃん達だぜ…。
     まぁ、何事もなくて良かった。」
    「にーさん達おかえりー!!」
    「あーあ、もぉ~!僕の労力返してよね!
     今日女の子と遊ぶ約束キャンセルしたんだから!」

    「ねぇ…本気で僕と一松が駆け落ちしたと思ったの?」
    「いや、だってさ…。」

    チョロ松兄さんの問いに珍しくおそ松兄さんが口ごもる。
    クソ松も十四松もトド松も気まずそうに視線を宙に彷徨わせていた。
    あれ…そんなにみんなに迷惑掛けてたかな。
    隣を歩くチョロ松兄さんも小首を傾げている。

    「だってさぁ…お前ら偶に2人でくっ付いてると思ったら、
     チョロ松にしろ一松にしろ、すげー思い詰めた顔してるんだもん。」
    「え…。」
    「なんとなく、お前らの関係は理解してたつもりなんだけどさ。
     何も言ってこないし、そのうち打ち明けてくれるかな~
     なんて待ってみたりしたんだけどさ
     チョロ松も一松も何も相談してくんねーし、
     そのクセ揃って眉間のシワ増やしてくし…。」
    「そうだった…?」
    「そーだよ!
     んで、思い詰めすぎて今日ついに出て行っちまったのかって思った。」
    「チョロ松も一松も、何かと考え過ぎる傾向があるからな。」
    「ちょっと焦った!!」
    「ほんと人騒がせだよね!」

    眉間に皺が寄るまで、しかも他の兄弟に心配をかける程に思い詰めていたのだろうか。
    少し申し訳なく思うと同時に、僕とチョロ松兄さんのこんな歪な関係が明らかになっても
    何一つ態度を変えない兄弟が有難かった。
    今日何度目になるのか、またチョロ松兄さんと顔を見合わせる。
    そしてチョロ松兄さんは兄弟を見渡して、

    「プッ…ふふ…あっはははは!」

    心底可笑しそうに笑い出した。
    何もかも吹っ切れたような晴れやかな笑い顔に、僕も思わず釣られて吹き出した。

    「ちょっ、そこまで笑う?!
     お兄ちゃん結構マジメに心配したのに!」
    「ご、ごめっ、ふは、ははは!」

    やたらと明るく笑い出したチョロ松兄さんに、おそ松兄さんは呆れたように笑って
    クソ松は少しホッとしたような顔をして
    十四松は兄さんに釣られて笑いだし
    トド松は「何笑ってんの?!」と文句を言いながらも肩の力は抜け切っていた。
    ふと、幸せだな、と思った。
    誰にも、血を分けた兄弟達にさえ言えずに、怯えながら息を潜めるようにして寄り添うよりも
    こうして兄弟に認めてもらって大きく深呼吸出来たこの瞬間が
    幸せだな、と感じた。
    あのおまじないは、本当に効果があるのかも…いや、猫達のお蔭?

    「まぁでも取り越し苦労でよかったわ。」
    「なんか、ごめん?」
    「…サーセンした。」
    「フッ…気にするなブラザー!」
    「黙れクソ松。」
    「何で?!」
    「どーでもいいけどさ、
     一松兄さん、クソ童貞ライジングシコ松兄さんのどこがいいわけ?
     シコ松兄さんも脱糞未遂闇ゼロノーマル猫松兄さんのどこが気に入ってるわけ?」
    「よし、そこに直れトッティ。」
    「よし、歯ぁ食いしばれトッティ。」
    「ナニナニ?やきう?!」
    「違うからね十四松兄さ…ぎゃあああ痛い痛いっ!!」

    「なあ、ところでさ、お前ら何処行ってたんだ?」

    仲良く末弟虐めに勤しみ始めた僕らに、おそ松兄さんが尋ねた。
    胸中に絡み付いていたしがらみを一つ残らず取り払い、
    何もかも吹っ切れたような実に晴れやかな表情のチョロ松兄さんから次に発せられた言葉に、
    長兄2人と末2人は目を点にし、僕は耳まで顔を赤くする羽目になった。

    おい、吹っ切れ過ぎだろ三男。
    もう普通に好き…!

    「ちょっと一松と結婚式挙げてきた。」

    Fin.

    ────────

    【後書き(読む必要ありません)】

    この度は「年中ジューンブライド企画」なる素敵な企画に参加させていただきました。
    企画物の作品を投稿するのは初めてなもので本気でgkbrしてます。
    …こ、これちゃんと企画に沿ってるかな(マジで不安)
    「三男と四男の言葉遊び」と同じ世界線をイメージしています。

    ところで、年中2人が出かけた「手を繋いで渡ったカップルは幸せになれる」という海ですが
    モデルにした場所はありますがもちろん場所もジンクスも架空のものです。
    あと、お猫様の花嫁行列とかも猫の嫁入りももちろん架空のものです。
    本当はイッチに白無垢着て欲しかったけど、チョロちゃんにも白無垢着てほしいし
    どうしようかと思った挙句お猫様に着せるという謎の結末に落ち着きました。
    あまりジューンブライドになってなくてマジでごめんなさい。
    一応、作品テーマが「結婚」「花嫁」なのでギリセーフかな、と信じては…います(小声)

    最後に、この素敵な企画を立てて下さった主催様には
    厚く御礼申し上げます。


    2016/6/3
    #BL松 #チョロ一 #チョロ松 #一松 ##チョロ松と一松の話

    チョロ松兄さんと僕が同性という枠を、そして一卵性の兄弟という枠すらも飛び越えて
    所謂「恋人同士」という関係になったのは、少し前のことだ。
    一体どんな経緯でこんな異常とも言える関係に落ち着いたのかは、また別の機会に語るとして。
    兎も角、それ以来僕らはお付き合いを続けている。
    ただ、お付き合いと言っても別段いつもの日常に何ら変わったことはなかった。
    親にも兄弟にも未だ打ち明けられていないのだ。
    (ひょっとして兄弟は、特におそ松兄さんあたりは勘づいているかもしれないが。)
    家に誰もいない隙を見て寄り添ってみたり、少しだけ唇を重ねてみたり、
    偶に2人で出掛けて、デート気分を味わってみたり…。
    それだけだ。
    特に何が変わったわけでもない。
    もちろん、チョロ松兄さんとそれ以上の事をしたくないわけじゃない。
    でも、常識人を自称するチョロ松兄さんにとって、実の弟と恋人関係にあるなんて事実
    周囲には隠しておきたいだろうし元より末弟に負けず劣らずドライで体裁を気にする人だ。
    チョロ松兄さんは今以上の関係になる事は望んでいないのかもしれない。
    少しの寂しさはあるものの、それでも僕が望めば兄さんはちゃんと手を握り返してくれるし、
    兄さんの細長い指は僕なんかを撫でることも少しも厭わない。
    これ以上の高望みはしてはいけない。
    身の丈に合った、今の状態がきっと僕らにとって丁度いいのだろう。
    そう考えて日々を過ごしていた。

    チョロ松兄さんから「明日2人で出掛けよう」と誘われたのはその日の夕食後の事だった。
    他の兄弟の目を盗んでこっそりと伝えられた「デート」のお誘い。

    「出掛けるって…何処に?」
    「ちょっと遠出してみよう。
     行ってみたい場所があるんだ。
     明日は早起きしろよ?」
    「ん、わかった。」

    珍しい。
    今まで一緒に出掛けると言っても僕の猫の餌やりに付き合って近所の路地裏に行ったり、
    ちょっとした食事処だったり、公園だったり、その程度だったのに。
    2人で出掛けるなんて、いつ以来だろう。
    嬉しさのあまり気を抜くと頬が緩んでしまいそうになるのを必死に堪えて、
    僕はその日心を踊らせながら眠りについた。

    ーーー

    次の日、まだ夢の中を漂う兄弟を起こさないように特注サイズの布団を抜け出し、チョロ松兄さんと共に家を出た。
    今日はいつものつっかけサンダルではなくちゃんとしたスニーカーだ。
    まぁ、パーカーはいつも通りだけども。
    チョロ松兄さんだっていつもの緑色のパーカーだし、構わないだろう。

    まだ日の昇りきらない静まり返った町を歩き、電車を乗り継いでやって来たのは海だった。

    少し向こうには島と言うには小さ過ぎるくらいに小さな島がポツンと浮かんでいる。
    そして、海岸から島へと一筋の道が浮かび上がるかのように伸びていた。
    どうやら此処は地元ではそこそこ有名な場所で、干潮時にだけこうして小さな島へと続く道が現れるそうだ。

    「手を繋いで島まで渡ったカップルは幸せになれるんだって。」
    「え…。」

    チョロ松兄さんの言葉に、僕はきょとんと目を丸くする。
    普段からリアリスト寄りの思考を持つ兄さんが、わざわざこんな縁結びスポットに僕を連れてくるなんて意外だった。
    そんな僕の考えが解ったのだろう、チョロ松兄さんはフイ、と顔を逸らした。
    少しだけ頬が紅く染まっている。

    「べ…別にいいだろ。
     偶には、その…こ、恋人、らしい事してみたって…。」
    「…………。」
    「せめて何か言って一松!
     いや、別に強制じゃないから!嫌なら渡らなくていいから!」
    「え…あ、い、行く!」

    ひたすら呆然とチョロ松兄さんを見ていたら、本格的に顔を赤くした兄さんが
    「嫌なら渡らなくていい」なんて言い出したから慌てて「行く」と応えた。
    少々声が上擦ってしまったのはきっと気のせいだ。
    それに、僕の返答にチョロ松兄さんが少し安心したように笑ってくれたから、少々の失態はもうどうでもよくなった。

    どうしよう、嬉しい。

    何て言ったらいいのか分からないけど、チョロ松兄さんとこうして恋人らしい事出来るのが、とても嬉しい。

    「…じゃ、行こうか。」
    「ん。」

    平日の朝という事もあって、周りに他の人はいない。
    兄さんの手をいつもより強めに握り締めれば、同じ強さで握り返された。
    繋いだ手はいつもより熱くて、2人して変に緊張してるのが笑える。
    波間に浮かぶ道を2人でゆっくりと渡った。
    小さな島に辿り着くまで、僕もチョロ松兄さんも無言で、砂浜を歩くサクサクとした足音と波音だけが辺りに響いていた。
    干潮時だけ現れる波間の道。
    なんだかバージンロードみたいだなんて、柄にもない事を思って慌ててかぶりを振った。
    手を繋いで島まで渡ったカップルは幸せになれる。
    …僕らにとっての幸せって何だろう。
    この秘密の関係を続けていくこと?
    それとも…。

    ついつい僕の頭は余計な事を考え始めそうになったけど、
    少し先を歩いていたチョロ松兄さんが立ち止まった事で、それは叶わなかった。
    僕もチョロ松兄さんに合わせて立ち止まる。

    「渡り切っちゃったね。」
    「幸せカップル誕生?」
    「さあ、どうだろ?
     …どう思う?」
    「ヒヒッ…さあね。」

    こんな子供騙しのおまじないであっても、普通の恋人同士なら
    ここで「これで幸せだね」と笑い合い絆を深める事が出来るのだろう。
    けど、誰がどう見ても普通じゃない僕らは、更に言うと兄弟の中でもとりわけ素直になれないツートップの僕らは、
    残念ながら純粋におまじないを信じるには捻くれ過ぎていた。
    こうして恋人同士らしい事をしてみても、僕もチョロ松兄さんも未来を信じられずにいる。
    それでも傍を離れる事が出来ないし、チョロ松兄さんがいなくなったら生きていけないなんて
    割と本気で思っているのだから、僕は本当に救えない。

    「折角だから、島を一回りしてみようか。」
    「…うん。」

    繋いだ手はそのままに、また歩き出した。
    島と呼べるのかどうかも分からない程小さな島だ。
    周囲をぐるりと一周するのに、5分も掛からなかった。
    大した物もなかったし、あっという間に元いた場所に戻ってきた。

    …と、そう思ったのだけど。

    「え…潮が満ちてる。」
    「嘘だろ?有り得ないだろこんな短時間で!!」

    一周して戻ってくると、僕達が渡ってきた波間の道が海の底に沈んでいた。
    もう満潮の時間になったのか?
    いや、先程までしっかりと道があったのだ。
    仮に満潮になったのだとしても、チョロ松兄さんが突っ込んでいる通りこんな短時間で突然道がなくなるなんて有り得ない。
    呆然とする僕らに追い討ちをかけるように、陽が射しているというのに今度は雨が降り出した。
    今日の天気は全国的に晴れて傘は要らないでしょう、とテレビのお天気キャスターが言っていたはずだけど。

    「とりあえず雨を凌げる場所を探そうか。」
    「そうだね…。」

    そうは言っても5分足らずで一周出来てしまう小さな島だ。
    雨をしのげるような場所なんてあるとは思えない。
    小さな島にチョロ松兄さんと2人きり。
    まるで僕らだけ世界から切り離されたような錯覚に陥りそうになる。
    また変な思考に沈みそうになったけど、チョロ松兄さんの素っ頓狂な声に現実に引き戻された。

    「あれ?こんな所に鳥居なんてあったっけ?
     渡ってきた時には気付かなかったなぁ。」
    「え…。」
    「ねえ、ちょっと行ってみようよ、一松。」
    「え、チョロ松兄さん…本気?」
    「しばらく潮は引かないだろうし、雨も降ってるし、此処にいても仕方ないだろ?」
    「そうだけど…。」

    チョロ松兄さんの言う通り、此処にいても雨に濡れるだけだ。
    でも、
    その目の前にある鳥居、この島に渡ってきた時は無かったはずだ。
    絶対無かった。
    誓って言える、絶対無かったよこんなの。
    「気付かなかった」なんて言ってるけどチョロ松兄さんだって気付いているはず。
    …なのに、何でかな?
    チョロ松兄さんときたら少年のように目を輝かせている。
    ちょっと待って、何で今このタイミングで昔のやんちゃだった頃の顔が表に出てきちゃったの兄さん?
    それ冒険してみたくてたまらない顔だね?
    普段の兄さんなら他の誰かが行こうとするのを止める役のはずなんだけど
    今はちょっとした例外処理が発生中らしい。
    そして目を輝かせて何だかウズウズしているチョロ松兄さんの事を可愛い、なんて思ってしまった僕には
    多分拒否権なんて無いのだろう。

    「…危険だと思ったら、すぐに引き返してよ?」
    「分かってるよ。
     大丈夫、一松の事は僕が守るから。」
    「え……う、うん。」

    急にさらりと言わないでほしい。
    自覚があるのかないのか、チョロ松兄さんは偶にこういう事を言うから困る。
    そんなわけで、僕らは目の前に立つ鳥居をくぐり抜けた。

    ーーー

    鳥居を抜けた先は、石畳が続いていた。
    随分と奥まで続くそれは、明らかに小さな島では尺が足りない長さで、
    どういうワケか僕らが何処か別世界に迷い込んでしまった事は決定事項なのだろう。
    多分だけど、あの鳥居が入り口だったのではないだろうか。
    一体何処に迷い込んだのか、無事に元の世界へ戻る事は出来るのか。
    色々思ったけど、僕が真っ先に考えたのは、
    チョロ松兄さんと2人で異世界に迷い込んだのなら、ずっと帰れないままでもいいかもしれない。
    というものだった。
    だって、そうだろう。
    僕らの暮らす世界とは何処か別の世界線。
    きっと僕とチョロ松兄さんを知ってる人なんて存在しない。
    元の世界に居ても、どうせ今の関係以上の事が望めないのなら、いっその事2人きりで遠い場所へ行くのも、
    はたまた閉じ込められてやがて地獄に堕ちるのもいいかもしれない。
    このまま此処から出られなくても、チョロ松兄さんと一緒ならそれでいいかな、なんて思ってしまう。
    つまりはこれって何だろう。
    意図せずともチョロ松兄さんと駆け落ちみたいな事をしたことになるのだろうか。
    石畳を歩きながら、そんな事を考えた。
    チョロ松兄さんも黙ったままだから、僕の歪んだ思考回路もグルグルとクズな思考を続けている。

    やがて沈黙を破ったのは、チョロ松兄さんの方だった。

    「一松、何か聞こえない?」
    「…聞こえるって、何が?」
    「ほら、鈴の音とか…それに、何か近づいてくるような…。」

    言われて耳をすませると、確かに小さく鈴の音がした。
    それはどんどんこちらに近づいている。
    近づいてくるにつれて、鈴の音だけでなく雅楽のような音も聞こえてきた。
    じっと音のする方へと目を凝らしていると、やがてこちらにゆっくりと近づいてくる影が見えた。

    響き渡る雅楽の音、
    色鮮やかな紅い番傘、
    先頭を歩く白い狩衣を来た者、巫女、そして白無垢と紋付袴、
    その後ろに続く和装の行列。
    これって…

    「花嫁行列…?」

    こんな所で誰かが結婚式を挙げているのか?
    それだけでも十分な驚きだったのだが、次に僕らが気付いた事実は
    そんな事どうでもよくなるくらい衝撃だった。

    「待って…この花嫁行列、人じゃない…。」
    「え、ま、まさか…。」
    「あれ…猫?」
    「猫?!」

    行列がすぐ近くまで迫ってきた。
    二本足で悠々と歩く花嫁行列の御一行様は、見れば見る程確かに猫だった。
    茶トラにキジトラ、ブチ、ミケ…実に様々な種々の猫達が花嫁行列を彩っている。
    え、何で猫?
    猫ってこんな厳かな挙式するの?
    呆然と立ち竦む僕とチョロ松兄さんを見向きもせず、猫の花嫁行列は僕らを素通りして石畳を更に奥へと進んでいく。
    紋付袴の新郎はハチワレ猫で、白無垢の新婦は白猫だった。
    新婦の白猫が、通り過ぎさまに一瞬僕らを見て、微かに笑った気がした。

    やがて行列が通り過ぎ、その姿が見えなくなった頃、

    「はあぁぁぁ?!
     何で猫?!
     百歩譲って…、いや、一万歩くらい譲って狐なら分かるよ?分かんないけど!
     今ちょうど天気雨だし、狐の嫁入りならまだ納得出来るよワケ分かんないけども!!
     でも猫って何?!何で猫?!?」
    「さあ…?」

    我に返ったチョロ松兄さんが一気に捲し立てた。
    言いたいことは分かるけど、猫と仲が良いと自負している僕も流石にそこは分からない。
    確かに今みたいな天気雨の事を「狐の嫁入り」と言ったりするから
    狐ならまだ理解しようと思えば出来たかもしれないが
    「猫の嫁入り」は聞いたことがない。

    「あの猫達…何処に向かったんだろうね。」
    「この先に行ったみたいだし、追いかけてみる?」
    「うん。」

    もうこの際考えるのは止めよう。
    異空間だか別世界だか知らないが、猫の花嫁行列が通り過ぎたってことは此処はひょっとして猫の王国なんじゃないの?
    そしたら天国万々歳だ。
    そんな頭の悪そうな事を考えながら行列が進んで行った石畳を辿ると、
    やがて古びた社にたどり着いた。
    どうやらここで行き止まりのようだ。
    とりあえず、ようやく屋根のある所に来れたので社の軒先で雨宿りをさせてもらうことにした。
    天気雨に打たれて、僕もチョロ松兄さんもズブ濡れだったから最早雨宿りの意味は無いようにも思えたけど。
    こっそりと社の中を覗けば、中は案外広く奥に台座らしきものが見えた。

    「一松、中で少し休ませてもらおうよ。」
    「勝手に入って化け物に襲われたりしないかな。」
    「おい!怖い事言うなって!」
    「冗談だよ、行こう。」

    見たところ誰もいないし、と中へ入らせてもらった。
    社の中は存外温かい。
    水を吸って重たくなってしまったパーカーを脱ごうかどうか悩んでいると、
    不意にチョロ松兄さんが背中に体重をかけてきた。
    背中越しにチョロ松兄さんの低めの体温を感じる。

    「ごめん、一松。」
    「…何が。」
    「偶には、恋人らしい事をしてみたかった。
     本当に、ただそれだけだったんだ。」
    「うん。」
    「こんな事になるなんて思ってなかったんだけどさ…、」
    「わかってるよ。」
    「ううん、そうじゃなくて。」
    「?」
    「鳥居をくぐるのはマズイって、何となく分かってたんだ。」
    「え、」
    「でも…何処かに迷い込んだら、
     このまま一松のことを連れ去ることが出来るんじゃないかって、そう思って…。」
    「チョロ松兄さん」
    「もしかしたら、誰にも邪魔されない処へ一松を独り占めできるんじゃないかって…。」
    「………。」
    「今の状態に、不満があるわけじゃないんだ。
     皆の目を盗んでお前と寄り添ってみたり、たまに出掛けたり…。
     でも何でかな、もっと一松と色んな事したいって思うのに、
     なんか、その…ちょっと怖くて。お前に拒絶されるのが。」

    背中越しに伝えられた、チョロ松兄さんの告白。
    まさか兄さんがそんな事を考えてくれていたなんて。
    僕みたいなクズを独占しようとしてくれて、もっと色んな事したいと思ってくれていたなんて
    分かっていたけどチョロ松兄さんも大概クズだ。
    そして、それを心底喜んでいる僕は矢張り救えないクズだった。
    付き合いを始めてからも特に代わり映えのなかった日々をほんの少し憂いていたのは、
    チョロ松兄さんも同じだったのかと思うと胸の奥が疼いて擽ったくて仕方なかった。
    とりあえず、兄さんが申し訳なく思うのはお門違いだし拒絶なんて絶対しない。
    それだけでも何とか伝えたいけれど。

    「ほんとごめん、
     こんな事に巻き込んで。」
    「…別にいいよ。
     むしろ、このままチョロ松兄さんと一生2人きりっていうのも、悪くないし。
     いっその事連れ去ってくれて、全然よかったのに。」
    「一松…。」
    「それに…チョロ松兄さんのこと、
     拒絶するなんて、絶対しない、から…。」
    「………ふふ。」

    ちゃんと伝わったのだろうか。
    わからないけど、それでも珍しく素直に胸中の言葉を吐き出す事が出来た僕は、
    振り向いてチョロ松兄さんの背中を抱き締めた。
    華奢というわけではないけれど、細い身体だ。
    チョロ松兄さんから漏れた溜息のような笑い声は何だったのか。
    自嘲のような、安堵のような、そんな色を含んでいたと思う。
    このまま無理やりこちらを向かせて兄さんの唇を奪ってやろうか。

    そんな事を考えていると、社の襖が開いた。
    驚いてそちらに目を向ければ、そこにいたのは先程の猫の花嫁行列で先陣を切っていた2匹の巫女姿の猫で。

    にゃ~ぉ

    一方は大中小の3つの杯を、一方はお神酒を手に一声鳴いて僕らに近付いてきた。
    巫女姿の猫の後に、白無垢姿の白猫と紋付袴のハチワレ猫が続く。
    白猫が僕の傍に、そしてハチワレ猫がチョロ松兄さんの傍に行儀よく座ると、僕らに向かってまた巫女姿の猫が鳴いた。

    「え、え?」
    「えーと…座れってこと?」

    よく分からないが、何となく巫女姿の猫…もうメンドイから巫女猫って呼ぼう、巫女猫の意図を汲んで
    チョロ松兄さんと向かい合うようにして正座しておいた。
    奇妙な猫に囲まれて、僕とチョロ松兄さんは何故か膝を突き合わせている形だ。
    すると今度は白猫が自身にさしていた小さな簪を僕の髪に引っ掛けた。
    ハチワレ猫もチョロ松兄さんのパーカーのポケットに何故か白扇子を突っ込んでいる。

    「え…待って、何?何なの?!」
    「…???」

    チョロ松兄さんが狼狽えている。
    そして僕もあまりのわけの分からなさに硬直状態だ。
    そんな僕らはお構い無しといった様子で、今度は杯を持った巫女猫が一番小さな杯をチョロ松兄さんに押し付ける。
    頭上にクエスチョンマークを大量に浮かべながらも、雰囲気に飲まれたのかチョロ松兄さんは杯を受け取った。
    すかさずお神酒を持った巫女猫が杯にそれを注ぐ。
    小さな杯に3回、次は中くらいの杯に3回お神酒が注がれ、
    一番大きな杯がチョロ松兄さんに手渡されたところでようやく僕らはハッとなった。

    あれ…これ、もしかして「三三九度」ってヤツでは?

    流石は六つ子というべきか、僕とチョロ松兄さんがそれに気付いたのは同時だったらしい。
    僕らは一体何をやらされているのか気付いてしまった。
    向かい合って正座するチョロ松兄さんと目が合った。
    兄さんの顔は真っ赤で、でもどこかこのまま事が進むことを期待している目をしていて、
    多分、僕も全く同じ目をしているのだろう。
    大きな杯でも3回お神酒を飲み干せば、どこからともなく聞こえてきた神楽に合わせて巫女猫が舞い始めた。

    これではまるで、
    まるで、僕とチョロ松兄さんが神前式をしているみたいだ。

    その後も、榊を手渡されて玉串奉奠の真似事をさせられ
    斎主らしき猫が祝詞らしきものを読み上げて(ほとんど「にゃー」だったけど)
    猫と一緒にままごとのような挙式は滞りなく進んでいく。
    ままごとだと分かっていても、この結婚式は僕の気持ちをひどく高揚させた。
    チョロ松兄さんと兄弟である限り、決して叶うことのないものが今ここで実現している。
    たとえ真似事であっても、身に余る幸福だと、本気でそう思ったから。

    「…一松。」
    「チョロ松、兄さん…。」

    熱に浮かされたような顔で、頬を染めて瞳を微かに潤ませて僕を見るチョロ松兄さんが、あまりに優しく呼ぶものだから、
    いろんな感情が綯交ぜになって、どうにも涙が止まらなかったのは、きっと仕方の無い事だったのだ。

    ーーー

    気付けば小さな島の入口に戻って来ていた。
    目の前には朝来た海岸へ続く波間の道が浮かび上がっている。
    あんなに雨に打たれてズブ濡れだったはずなのに、服も髪もちっとも濡れてはいなくて
    一体どの位あの異質な空間にいたのか、日はどっぷりと暮れていて辺りは真っ暗だった。

    どうやってあの社を後にしたのかはよく覚えていない。
    ひょっとして僕の見た白昼夢だったんじゃないかと思える程、現実離れした出来事だったのだけど
    僕の髪には白無垢の猫が引っ掛けた小さな簪が確かに残っていて、
    チョロ松兄さんのポケットにも白扇子が残されていて、
    猫の花嫁行列を見てその後何故か僕とチョロ松兄さんが流されるまま婚姻の儀を交わしたのは現実に起こった事なのだろう。

    「…一松。」
    「うん。」
    「本当は、あの場で言えたらよかったんだけど、」
    「うん、」
    「僕ら…世間一般には到底許されないし、胸張って外を歩けない関係だけどさ。」
    「うん。」
    「でも、僕は一松の事を手放す気はないんだ。」
    「…僕も、チョロ松兄さんから離れてやる気なんて、さらさら無いよ。」
    「うん、だからさ、一松。

     あの場所で契った通り、ずっと一緒にいてね。」
    「うん。」
    「絶対逃がさないから。」
    「ん。こっちだってそのつもり。」
    「…好きだよ。」
    「うん……僕も、好きだよ。」

    世界から切り離されたような小さな島で、誓い合うように口付けを交わした。

    「…帰ろうか。」
    「…そうだね。」

    波間に浮かぶ道をまた手を繋いで渡った。
    振り向いてみても、もうそこには鳥居なんて存在していなかった。
    あれは何だったのだろう。

    「ここのジンクスも、ただの噂じゃないのかもね。」
    「え?」
    「猫の花嫁行列を見て、なんとなく思ったんだ。
     …一松と神前式をしてるって気付いた時は
     僕の邪な願望が現実になったのかと思ったけど…
     あの猫達はさ、多分だけど僕らの他にも今までああやって
     悩める恋人達を巻き込んできたんじゃないかなーって。」
    「なるほどね…。」

    関係に思い悩む恋人達を巻き込んで、ままごとの結婚式をさせる猫達、か。
    冷静に考えてみるとなかなか笑える話ではあるのだけど、
    猫達のお蔭で少しだけ僕の心も救われた気がしているのも確かで。
    猫達はああやって、小難しく考えるのが馬鹿馬鹿しくなるくらいに肩の力を抜けさせて、
    突然三三九度をさせて、そして最後には笑わせてきたのかな、なんて思うと妙に納得出来てしまった。
    「手を繋いで渡ったカップルは幸せになれる」だなんておまじないも今なら信じられる気がする。
    隣を歩く兄さんも、その表情は朝よりも幾分晴れやかで穏やかに見えた。

    すっかり暗くなった海岸沿いの道を歩き、終電間際の電車に滑り込み
    ようやく最寄りの駅まで帰ってきたのは日付が変わって数十分が過ぎた頃だった。
    駅の改札口を抜け、駅前の大通りに出たところで聞き覚えのある声が響いた。

    「あぁーーーっ!こんな所にいたぁ!!」
    「あれ、トッティ?」
    「え、何どうしたの?こんな夜遅くに。」
    「ハアァ?!
     こっちの台詞なんだけど!
     どんだけ2人のこと探したと思ってんの?!」

    「「……???」」

    駅前の大通りでバッタリ出会った末弟は何故か分からないが怒り狂っている。
    僕とチョロ松兄さんが顔を見合わせて揃って首を傾げている間に、
    トド松はスマホを素早く操作して誰かに連絡を取っている様子だった。
    とりあえず家路につきながらトド松から話を聞いてみれば、僕とチョロ松兄さんが朝から姿が見えないし
    連絡がつかないしで他の兄弟は心配して探し回っていたらしい。
    いや、成人男性だよ?1日くらい家空けてそんなに心配する?
    …と思ったら、他の兄弟達の間で僕とチョロ松兄さんが駆け落ちしたんじゃないかとか、
    もしかしたら心中したんじゃないかという疑惑が持ち上がっていたらしい。
    なんだそれ。
    いや、確かに途中駆け落ちっぽい感じにはなったけども。
    そもそも僕もチョロ松兄さんもそんな気1ミリたりとも持ち合わせていないのだから
    プリプリという効果音が付きそうな感じにあざとく憤りながら捲し立てる末弟の話に
    僕とチョロ松兄さんはキョトンと顔を見合わせるしかなかった。
    程なくしてトド松から連絡を受けたのだろう長男次男五男も駆けつけてきた。
    何を馬鹿なことを、と鼻で笑ってやろうかと思ったけど
    額に汗を滲ませて息を切らしている長兄2人と、今にも泣き出しそうな顔をしている末2人を見たら
    さすがにクズな僕でもそれは憚られた。
    僕とチョロ松兄さんが駆け落ちしたと本気で思って、
    そして必死に探してくれていただろう事が分かって、何とも言えない気持ちになる。
    割と真剣に駆け落ちまたは心中疑惑が持ち上がっていたということは、
    僕とチョロ松兄さんの関係が少なくとも兄弟には勘づかれていたという事だ。
    マジかよ、いつから気付かれていたんだろう。

    「あーーもーー何だよーーーー!!
     出掛けるなら一言くれよ!
     割とマジで探しちゃったじゃねーかぁ~!!」
    「フッ…まったくイタズラな子猫ちゃん達だぜ…。
     まぁ、何事もなくて良かった。」
    「にーさん達おかえりー!!」
    「あーあ、もぉ~!僕の労力返してよね!
     今日女の子と遊ぶ約束キャンセルしたんだから!」

    「ねぇ…本気で僕と一松が駆け落ちしたと思ったの?」
    「いや、だってさ…。」

    チョロ松兄さんの問いに珍しくおそ松兄さんが口ごもる。
    クソ松も十四松もトド松も気まずそうに視線を宙に彷徨わせていた。
    あれ…そんなにみんなに迷惑掛けてたかな。
    隣を歩くチョロ松兄さんも小首を傾げている。

    「だってさぁ…お前ら偶に2人でくっ付いてると思ったら、
     チョロ松にしろ一松にしろ、すげー思い詰めた顔してるんだもん。」
    「え…。」
    「なんとなく、お前らの関係は理解してたつもりなんだけどさ。
     何も言ってこないし、そのうち打ち明けてくれるかな~
     なんて待ってみたりしたんだけどさ
     チョロ松も一松も何も相談してくんねーし、
     そのクセ揃って眉間のシワ増やしてくし…。」
    「そうだった…?」
    「そーだよ!
     んで、思い詰めすぎて今日ついに出て行っちまったのかって思った。」
    「チョロ松も一松も、何かと考え過ぎる傾向があるからな。」
    「ちょっと焦った!!」
    「ほんと人騒がせだよね!」

    眉間に皺が寄るまで、しかも他の兄弟に心配をかける程に思い詰めていたのだろうか。
    少し申し訳なく思うと同時に、僕とチョロ松兄さんのこんな歪な関係が明らかになっても
    何一つ態度を変えない兄弟が有難かった。
    今日何度目になるのか、またチョロ松兄さんと顔を見合わせる。
    そしてチョロ松兄さんは兄弟を見渡して、

    「プッ…ふふ…あっはははは!」

    心底可笑しそうに笑い出した。
    何もかも吹っ切れたような晴れやかな笑い顔に、僕も思わず釣られて吹き出した。

    「ちょっ、そこまで笑う?!
     お兄ちゃん結構マジメに心配したのに!」
    「ご、ごめっ、ふは、ははは!」

    やたらと明るく笑い出したチョロ松兄さんに、おそ松兄さんは呆れたように笑って
    クソ松は少しホッとしたような顔をして
    十四松は兄さんに釣られて笑いだし
    トド松は「何笑ってんの?!」と文句を言いながらも肩の力は抜け切っていた。
    ふと、幸せだな、と思った。
    誰にも、血を分けた兄弟達にさえ言えずに、怯えながら息を潜めるようにして寄り添うよりも
    こうして兄弟に認めてもらって大きく深呼吸出来たこの瞬間が
    幸せだな、と感じた。
    あのおまじないは、本当に効果があるのかも…いや、猫達のお蔭?

    「まぁでも取り越し苦労でよかったわ。」
    「なんか、ごめん?」
    「…サーセンした。」
    「フッ…気にするなブラザー!」
    「黙れクソ松。」
    「何で?!」
    「どーでもいいけどさ、
     一松兄さん、クソ童貞ライジングシコ松兄さんのどこがいいわけ?
     シコ松兄さんも脱糞未遂闇ゼロノーマル猫松兄さんのどこが気に入ってるわけ?」
    「よし、そこに直れトッティ。」
    「よし、歯ぁ食いしばれトッティ。」
    「ナニナニ?やきう?!」
    「違うからね十四松兄さ…ぎゃあああ痛い痛いっ!!」

    「なあ、ところでさ、お前ら何処行ってたんだ?」

    仲良く末弟虐めに勤しみ始めた僕らに、おそ松兄さんが尋ねた。
    胸中に絡み付いていたしがらみを一つ残らず取り払い、
    何もかも吹っ切れたような実に晴れやかな表情のチョロ松兄さんから次に発せられた言葉に、
    長兄2人と末2人は目を点にし、僕は耳まで顔を赤くする羽目になった。

    おい、吹っ切れ過ぎだろ三男。
    もう普通に好き…!

    「ちょっと一松と結婚式挙げてきた。」

    Fin.

    ────────

    【後書き(読む必要ありません)】

    この度は「年中ジューンブライド企画」なる素敵な企画に参加させていただきました。
    企画物の作品を投稿するのは初めてなもので本気でgkbrしてます。
    …こ、これちゃんと企画に沿ってるかな(マジで不安)
    「三男と四男の言葉遊び」と同じ世界線をイメージしています。

    ところで、年中2人が出かけた「手を繋いで渡ったカップルは幸せになれる」という海ですが
    モデルにした場所はありますがもちろん場所もジンクスも架空のものです。
    あと、お猫様の花嫁行列とかも猫の嫁入りももちろん架空のものです。
    本当はイッチに白無垢着て欲しかったけど、チョロちゃんにも白無垢着てほしいし
    どうしようかと思った挙句お猫様に着せるという謎の結末に落ち着きました。
    あまりジューンブライドになってなくてマジでごめんなさい。
    一応、作品テーマが「結婚」「花嫁」なのでギリセーフかな、と信じては…います(小声)

    最後に、この素敵な企画を立てて下さった主催様には
    厚く御礼申し上げます。


    2016/6/3
    焼きナス
  • 【カラ一】再び家族になりました #BL松 #カラ一 #転生 #女体化 ##転生カラ一

    ※非常に読む人を選ぶ文です。
    この作品は以下の要素を含みます。
    少しでも嫌悪感を感じましたら、今すぐブラウザバックをお願いいたします。
    ①転生パロです
    ②キャラの女体化、妊娠・出産の描写を含みます
     (一松とトド松が女の子)
    ③当然のようにキャラ崩壊
    ④書きたいところだけ書いてます

    ーーーーー

    1.

    いろいろあって結婚相手が前世で愛した兄弟だったり、
    生まれてきた息子が前世の兄弟だったりとトンデモナイ展開に見舞われたワケだが、
    そんな事実は何処吹く風、家庭内は至って平和で穏やかな日々が続いていた。
    今世では第1子長男となった十四松はちょっぴり泣き虫な、
    けれど明るく元気いっぱいな子にすくすく成長中だ。
    ただ今休日の昼下がり。
    今年で2歳になった十四松はカラ松と共に玩具のボールとバットを両手に抱えて外へと飛び出して行った。

    一松は2階にある夫婦の寝室で、先月生まれた娘の授乳中だった。
    2年前に十四松が生まれた時点である程度の覚悟はしていたが、
    第2子として誕生したこの娘、やはり何の因果か前世の兄弟だったのだ。
    今世は一松と同じく女の性を持って生まれた娘は大きめの瞳と
    可愛らしいアヒル口を持つ、かつての末弟トド松だ。
    ちなみに、生まれたばかりのトド松を見た瞬間

    「一松、どうしよう娘だ!
     娘ってだけでめちゃくちゃ可愛い!娘超可愛い!!
     きっと美人に育つんだろうな、ああああでも絶対お嫁になんて行かせない!
     彼氏なんて連れてきたら決闘だ!
     娘可愛い!!
     oh マイリトルスイートエンジェル!!」

    と、カラ松が若干キャラを見失いかけながらも、
    しかし安定のイタさとウザさで大興奮だった事もココにお伝えしておく。
    大層な大はしゃぎっぷりだったがこの男、もうそろそろ三十路に突入である。
    そんなカラ松を黙らせなければという前世から続く謎の義務感によって
    「うるせぇ黙れクソ松!」と一松が横っ腹に一発御見舞したのは言うまでもない。
    娘を構いたくて仕方ないカラ松が率先してトド松の世話を焼いてくれたため、
    一松は諸々楽する事ができたのでその辺は感謝しているが。
    ウザイものはどうにも殴って止めなければ気が済まないのである。
    普段キリリと上がった男らしい眉を下げながらトド松の世話を焼くカラ松を間近め見ていたせいか、
    十四松も妹を可愛がり、懸命にお兄ちゃんしようとしている様子は非常に微笑ましかった。

    授乳を終えた頃、遊びに出掛けていたカラ松と十四松が帰ってきた。
    玄関から微かに聞こえてくるカラ松の声に耳をすますと、
    どうやら十四松を連れて風呂場へ直行したようだ。
    きっとたくさん遊んで泥んこになって帰ってきたのだろう。
    そう考えながら、一松はトド松の背中をトントンと叩いてゲップを促す。

    しばらくしてトド松から「げぷっ」と声が聞こえたのと同時に、1階が何やら騒がしくなった。
    トド松もちゃんとゲップ出せたし丁度いいと思い、
    一松は母乳を飲み終えてウトウトしているトド松を腕に抱えて階段を降りた。
    リビングに足を踏み入れると

    カ「十四松!じゅうしまぁ~つ!
      ストップ!ストーップ!!待ちなさい!」
    十「あいあい!」
    カ「いや、止まれ!止まってくれ!!」
    十「あんしんしてください!はいてますよ!!」
    カ「いやいやいや、履いてない!何も履いてない!
      何も安心出来ないぞじゅうしまぁ~つ!!
      服来たら好きなだけ走っていいから!」

    一「…なんだコレ。」

    そこには生まれたてすっぽんぽん状態でキャッキャと走り回る十四松と、
    それを追い掛けるカラ松の姿があった。
    カラ松も十四松と一緒に汗を流したのだろう、バスローブ1枚羽織っただけだ。
    十四松は2歳児とは思えない身のこなしでカラ松の腕をすり抜け
    ちょこまかと楽しそうに逃げ回っている。
    楽しそうに逃げ回る2歳児と必死に追い掛ける三十路のバスローブ男性…実にシュールな光景である。
    クソほど頑丈なカラ松はどうでもいいが、
    まだ幼い十四松がこのまま湯冷めして風邪を引いてしまうのはいただけない。
    仕方なく、一松は助け舟を出すことにした。

    一「十四松、おいで。」
    十「あい!」

    一松が呼ぶと、十四松はパッと明るい笑顔を向けてこちらへ駆け寄ってきた。
    カラ松が「俺の苦労は一体…」と涙しているので、
    「外遊びとシャワーありがとね」と一応労いの言葉をかけておく。
    その一言で復活したカラ松に、こいつチョロ過ぎないかと
    一松は少し心配になったが、深く考えるのはやめておいた。
    折角シャワーを浴びたのに再び汗をかいてしまったカラ松から十四松の着替えを受け取ると、
    腕に抱えていたトド松をベビーベッドに下ろし、一松は十四松をささっと着替えさせた。

    一「十四松、次からはお風呂から出たらすぐに服着ような。」
    十「あい!」
    一「約束できる?」
    十「あい!やくそく!」
    一「ん、いい子。」
    カ「十四松、次から追いかけっこは服を着てからだぜ?アンダースタン?」
    十「あいあい!」
    カ「フッ…頼むぜ、我が息子よ。」

    カラ松と十四松の愉快な追いかけっこが一段落したところで、
    十四松が何かを思い出したように「そーだ!」と玄関へ駆けていった。
    一松は頭上にクエスチョンマークを浮かべているが、
    カラ松は思い当たることがあったらしい。
    程なくして十四松はパタパタと軽やかな足音を響かせて戻ってきた。

    十「ママ、これあげる!」
    一「ん…ありがと、十四松。…これ、どんぐり?」
    十「どんぐり!こうえんにね、いっぱいおちてた!」
    一「へー。たくさん拾ってきたね。」
    十「あい!これはママのぶんで、これはトッティのぶん!」
    一「…トッティ?」
    十「トッティ!トドまつー!」
    一「……そ、う。
      十四松、トド松の分もちゃんと拾ってきてくれたんだ。
      ありがとね。」
    十「えへへー」
    一「ところで何でトッティなの?」
    十「んー?んー…なんでかなぁ?わかんない!」

    チラリとカラ松の方を見ると、
    「俺が教えたワケじゃないぞ。気付けばこう呼んでたんだ。」
    と、眉尻を下げながら一松が聞こうとした事の答えを先回りして答えてくれた。
    "トッティ"はご存知トド松のあだ名だ。
    けれどカラ松も一松も今世のトド松を1度もそのあだ名で呼んだ事はない。
    因みに、一松に至っては十四松やトド松の前ではカラ松の事をクソ松呼ばわりしないようにしている。
    生後1ヶ月の、交友関係など当然築いていないトド松に、あだ名を付けるような友人はまだいない。
    つまり十四松が自分で呼び始めた事になる。
    前世の記憶があるのだろうかと思ったが、十四松の様子を見る限りそのような様子ではない。
    生まれ変わる前からこういった勘は野生並みだったから、
    本能で無意識にそのあだ名が出てきたのかもしれない。

    今思えば、この時に既に兆候は顕れていたのだ。

    ーーー

    そして月日は更に流れ、
    十四松は5歳に、トド松は3歳になった頃。

    ト「やあぁぁーーだああ!
      トドうさぎさんがいいのーーー!!」
    一「うん、気持ちはわかるんだけどね、
      ウサギさん今洗濯中なんだよ。
      アヒルさんとネコさんならあるよ?どっちがいい?」
    ト「ヤ!!うさぎさんっ!!」
    一「うーん、参ったな~。」

    朝の時間とは、即ち戦争の時間である。
    トド松はまだまだイヤイヤ期が抜けず、
    靴下選び1つとっても毎回のようにこんな調子だ。

    一「うーん、じゃあトド松。とりあえずジュース飲む?」
    ト「のむ~♪」

    こういう時は全く違う事に意識を向けさせてしまうに限る。
    一松の作戦が功を奏し、トド松はジュースで機嫌も直ったようだ。
    十四松のイヤイヤ期はそこまで激しくなかったが、トド松はどうにも自己主張が激しい。
    女の子は言語の発達が早いと言うが、確かに十四松と比べても言葉も達者である。
    ハイハイや歩き始めるのは十四松より大分ゆっくりだったが。

    一松がトド松に手を焼いている横では、カラ松がコーヒーを啜りつつ
    ご飯を頬張る十四松を見守っている。
    やがて朝ご飯を食べ終えた十四松が一松に飛び付いてきた。

    十「たべたー!ごちそうさまー!どぅーーん!!」
    一「うわっ」
    カ「十四松!ママのお腹には赤ちゃんがいるんだから
      ぶつかったらダメだと言っただろう?!」
    十「あ…!あい。ごめんなさい…。
      ママ、だいじょうぶ?」
    一「大丈夫、大丈夫。次から気をつけような。」
    十「あい!」

    十四松とはいえ、まだ身体が小さいしそこまで思い切りぶつかってきた
    ワケではないので、大したダメージではなかった。
    そう、現在一松は第3子を妊娠中だ。
    3人目はつわりも軽かったし、特に大きなトラブルもなく順調に育っている。
    ただ、胎動が激しい。
    お腹を蹴る力がやたらと強くて、一松は何度夜中に目を覚ましたか分からない。
    元気な証拠だと思って気にしないようにしているが。

    気付けば、十四松とトド松が一松のお腹にしがみついていた。

    一「2人ともどうした?赤ちゃん動いてる?」
    十「あいさつしてる!」
    ト「トドもあいさつ~♪」
    カ「はは、赤ちゃんは何か言ってるか?」
    ト「ぽんぽんけっけしてる!」
    一「うん、お腹蹴ってるね。あいさつしてるのかな。」
    十「………」
    一「…十四松?」

    一松の大きなお腹にしがみつき、耳をピタリと腹に当てたまま十四松は黙りこくってしまった。
    具合でも悪くなったのか、と危惧した一松が声をかけると、
    十四松は一松を見上げて二パッと笑った。
    具合が悪いわけではなさそうだ。
    その事にホッとしつつも、十四松の向ける笑顔が気になった。
    それは、一松もカラ松もとてもよく知る懐かしい笑顔で。

    一「十四松?」
    十「チョロまつにいさんだ」
    一「…え?!」
    十「いちまつかーさんのおなかにいるの、
      チョロまつにいさんだよ!」

    まだ5歳の幼い子供の声で、しかし十四松はしっかりとした口調でそう言った。
    カラ松と一松が思わず顔を見合わせる。
    トド松はわけが分からずキョトンとしていた。

    カ「十四松、お前…。」
    十「あはは!カラまつにいさんがおとーさんで、
      いちまつにいさんがおかーさんになってる!
      ぼく、こんどはちょうなんだ!すっげーね!!」
    一「十四松、思い出した…の…?!」
    十「うっす!おもいだしちゃった!
      マッスルマッスル!ハッスルハッスル!」

    カラ松と一松が再び顔を見合わせた。
    2人ともその目は驚愕に満ちている。
    カラ松も一松も前世の記憶があるのだから、将来子供たちにも記憶が蘇ることは十分に考えられた。
    トド松が生まれた時も、誰に教えられたわけでもなく「トッティ」と呼んだりしていたが。
    けれどまさか。
    まさか、こんなに早く十四松が前世を思い出すとは思ってもみなかったのだ。
    まだまだ幼い身体と心で、自身とは他の誰かの記憶を抱えるのはかなりの負担だ。
    カラ松も一松も記憶が戻ったのは成人後だが、それでも最初は大いに戸惑った。

    一「…カラ松、そろそろ出ないと時間ないよ。」
    カ「いや、だが…!」
    一「ひとまず十四松は僕が見ておくから。」
    カ「…分かった、頼んだぞ。
      何かあったらすぐに連絡してくれ。」
    一「ん。いってらっしゃい。」
    十「いってらっしゃーい!」
    ト「パパいってらっしゃーい!」
    カ「ああ、いってきます」

    カラ松を見送った後、一松は十四松に向き直った。
    見返してくる無邪気な目は、一松のよく知る六つ子の弟としての十四松の目だった。

    一「さっき思い出したの?」
    十「うん!さっき!」
    一「そっか…どこまで思い出した?」
    十「うーんとね、わりといろいろ!」
    一「いろいろ?」
    十「うん!
      ちいさいころは、いっつもぼくがなきべそかいてて、
      いちまつにいさんがぼくのうで、ひいててくれてたよね!
      ぼくら6にんで、いれかわってイタズラとかしてた!
      それから、カラまつにいさんとやねのうえでうたったり、
      いちまつにいさんとやきうしたりしたね!
      あ、トッティのバイトさきでパフェたべたり、
      プラスとマイナスになっちゃったり、
      ダヨーンのなかにすいこまれちゃったり、
      あとやきう!!」
    一「…そうだね。」
    十「えっとね、えっと…うぇ…い、ろいろ…ヒック、
      おぼえて、ぼく、おぼえてるっ!
      う、うぇぇぇ…!」
    一「十四松!」

    前世の記憶を必死で一松に伝えていた十四松は、限界がきたのか泣き出してしまった。
    一松が小さな十四松を抱きしめる。
    背中をトントンと優しく叩き、「大丈夫だから、大丈夫」と繰り返した。
    トド松が心配そうにこちらを見ている。
    大きな瞳は揺らいでいて、今にも涙が零れ落ちそうだ。

    ト「おにいちゃん、どうしたの?いたいの?」
    一「大丈夫、トド松もこっちおいで。」
    ト「おにいちゃん、トドがイイコイイコしてあげるね」
    十「ヒック…グスっ…うわあぁぁぁぁん!!」
    一「よしよし」
    ト「おにいちゃんイイコ、イイコ…
      なかないで…なか、な…ふぇっ…ぐすっ…」

    十四松の話を聞いた限り、この子はほとんどの記憶を取り戻している。
    幼い身体と心がそう容易く耐えられるわけがないのだ。
    大声を上げて泣き出した十四松につられてトド松も泣き出してしまい、
    そんな2人を一松はしばらくの間、ただただ抱きしめ続けていた。

    どれくらいそうしていただろうか。
    泣き疲れて眠ってしまった十四松とトド松をベッドに運び、
    十四松が通う幼稚園に今日は欠席する旨の連絡を済ませると、一松は深く溜息を吐いた。

    十四松、お前はお前だよ。
    お前の人生なんだ。前世の記憶に引っ張られる事なんてないんだよ。
    お前の好きにしていいんだよ。
    僕もカラ松も、今世の十四松が今世の十四松らしく生きていけることを願っている。
    そう、心で願った。



    やがて3人目が生まれた頃には、カラ松と一松の心配をよそに
    十四松はすっかり落ち着きを取り戻していた。
    幼い子供ながらに、前世の記憶を受け入れたようだ。
    元より前世の十四松は成人後もまるで無邪気な子供のような面があったためか、
    さほど大きな影響も出なかったらしい。
    それでも言動は少々大人びた。

    生まれた3人目は十四松が予言した通り、
    小さめの瞳にへの字口という紛れもなくチョロ松だった。
    前世でも今世でも3番目だ。
    超安産だった。すんなり生まれてくれてありがとう、さすがはチョロ松。

    一「そういえば十四松、どうしてチョロ松だってわかったの?」
    十「えーとね、こえがしたんだよ!」
    カ「声?」
    十「うん!いちまつかーさんのおなかに、みみをあてたらね、
      チョロまつにいさんのこえがしたの!
      それでね、いろいろおもいだしたんだよ!」
    一「そっかー。」
    カ「よくわからんが、お腹から聞こえたというチョロ松の声が
      十四松の記憶が戻るきっかけになったという事か?」
    一「たぶんそうだと思う…ってトド松!コラ叩いちゃダメ!」
    ト「ダメ?」
    一「ダメ!」

    トド松が目をキラキラさせながら一松の腕に抱かれて眠る生後1週間のチョロ松を覗き込み
    小さな額をペチペチと頻りに叩いている。
    止めろと言っても止める気配がない。
    この様子に、カラ松と一松は今世におけるトド松とチョロ松の関係性が見えた気がした。
    トド松は今世では女の子で「姉」だ。
    そしてチョロ松は今世では男の子で「弟」だ。
    弟とはどうやっても姉に勝つのは難しい。
    悲しいかなそういう生き物だ。

    (頑張れ、チョロ松。ご愁傷様、チョロ松…。)

    カラ松と一松は目が合うと思わず同時に苦笑いを浮かべたのだった。

    ーーーーー

    2.

    しつこいようだが、朝とは即ち戦いの時間である。
    それに拍車をかけたのは、間違いなく前世における我らが六つ子の長男にして、
    今世では末っ子として生まれてきたおそ松の存在だ。
    今年で小学校に上がる十四松は食事も着替えも自分のことは自分でできるようになり、
    尚且つトド松やチョロ松の面倒を見てくれるようになった。
    今年で年中のトド松はそんな兄の十四松にベッタリで、最近では
    「ぼく、おおきくなったらじゅーしまつおにーちゃんとけっこんする!」
    と宣言するくらいのブラコンっぷりだ。
    完全なる余談だが、
    「そこは『大きくなったらパパと結婚する』が定番じゃないのか…」
    と、唯一の娘であるトド松を特に可愛がっているカラ松が拗ねて一松に冷めた目で見られ、
    十四松に「ドンマイ、カラまつとーさん」と頭を撫でられていたりした。
    2歳になったチョロ松はトド松のように口達者にわがままは言わないものの、とにかくじっとしていない。
    しかも逃げ足が早いので片時も目を離すことができない。
    そして、生後半年に突入した末っ子おそ松は、とにかくやかましい。
    少しでも一松が傍を離れると、たちまち大声で泣きわめく。
    そんなワケで、一松がトド松やチョロ松に朝ご飯を食べさせたり着替えさせたりする時は、
    いつもおそ松のぎゃーぎゃー喚く泣き声がBGMだった。
    それに対してチョロ松が幼児特有の甲高い声で
    「うるせぇぇぇ!!」
    と怒鳴るものだから更にギャン泣きが悪化するという負のスパイラルである。
    ちなみに、そんなおそ松だがカラ松が抱っこしても泣き止まないのだから困ったものだ。
    どうやら一松でないとダメらしい。
    十四松もトド松もチョロ松もそんな事はなかったというのに
    何故おそ松だけ懐いてくれないのか。
    不可解だ。実に不可解だ。
    そんなに俺が父親なのが気に食わないかおそ松このやろう。

    思えば、おそ松は一松のお腹に宿った時からすでに大変手の掛かる子であった。
    妊娠初期には今までで一番重たいつわりに悩まされ、
    ついには一松は水さえ飲むことができずに入院する羽目になり
    しかも重たいつわりは安定期に入っても中々治まってくれなかったし。
    安定期に入ると度々一松はお腹の張りを訴え、
    切迫早産で絶対安静を強いられ再び入院する羽目になり。
    やっと後期に入ったと思ったら今度は逆児が判明したため
    4人目にして初めて一松は逆児体操をしていたのだが、
    努力の甲斐も虚しく逆児は結局直らず。
    それに加えてどうやら胎盤の位置が産道を妨げていたらしく、早々に帝王切開が決定した。
    カラ松は不安がったが、
    「母子共に最も命に危険がない方法だ」
    と医師から説明され、頷くしかなかった。
    一松は自分の腹を切開するどうこうよりも
    「じゃぁ逆児体操する意味なかったんじゃないの」
    とそちらの方をブツクサ文句を言っていた。
    カラ松が一松に「不安じゃないのか」と聞くと
    「え?別にいいよ、だってお腹の子の命が最優先でしょ」とケロッと返された。
    もちろん、一松にも不安が全くなかったわけではないのだろうが
    母は強し。とこの時ほど痛感した日はない。
    帝王切開することが決まっているため、生まれる日も決まっているはずだったのだが
    薬を服用してもお腹の張りが治まらず
    結局予定日よりも2ヶ月以上早く陣痛が始まってしまい
    更には出血が酷かったため、救急車で担ぎ込まれた一松は緊急帝王切開となり
    おそ松は未熟児のラインをギリギリクリアする小ささでなんとか無事に生まれてきた。
    それでも生後3日間は保育器の中だったため、随分心配させたものだ。

    おそ松が生まれた直後の会話を思い出す。

    カ「今回は本当に大変だったな…一松、本当にお疲れ。」
    一「本当に大変だったよ…。
      カラ松も僕が入院してる間わざわざ会社休んで
      十四松たちの面倒見ててくれてありがと。」
    カ「当然だろう!
      俺に出来る事と言ったらそのくらいしかなかったしな。
      …身体の調子どうだ?」
    一「めっちゃお腹痛い…全然身体動かせないヤバイ。
      はぁ…まだお腹にいた方がいい時期だったのに…
      …可哀想なことしちゃった。」
    カ「そうか。…無理するなよ。
      それに、おそ松が待ちきれなくて早く出てきてしまっただけだ。
      一松がその事に責任を感じることはないぞ。
      家の事は気にしないでいいからな。お義母さんも来てくれてるし。」
    一「ん。…それにしても本当に、随分とせっかちだったね、おそ松兄さん。」
    カ「一番最後だったからな。待ちくたびれたんじゃないか?」
    一「おそ松兄さんってばどんだけ構ってちゃんなんだよって話だよね…。
      本当散っ々な目に遭わせてくれたよね。
      そんなに僕の股から出てくるのが嫌だったのかな。
      てめぇの腹かっ開けってか…ヒヒ…あ、ヤバお腹痛い。イタタタ…。」
    カ「だっ大丈夫か一松!いろんな意味で!!」
    一「大丈夫なワケあるかボケころすぞ」
    カ「ヒッすいません!」

    一松は若干の闇オーラを発していたが、妊娠中に散々大変な思いをしていたのは
    間近で見ていて十分に知っていたため何も言えなかった。
    少しくらい愚痴がこぼれても仕方あるまい。
    お腹の中にいた時から構ってちゃんだったおそ松は、生まれてからもやはり構ってちゃんだった。

    ーーー

    カラ松が帰宅する頃には子供達は既に夢の中だ。
    手の掛かるおそ松も、今のところまだ夜泣きは始まっておらず夜は比較的ぐっすり眠ってくれていた。
    リビングに入ると、テーブルにはラップのかけられた1人分の夕食が置かれている。
    ネクタイを解きながら、それをレンジに入れて温めていると、2階から一松が降りてきた。
    玄関が開く音が聞こえたのだろう。

    一「おかえり。」
    カ「ああ、ただいま。」

    キッチンへ引っ込んだ一松は、温かいお茶を持って戻ってきた。
    その手に湯呑みは2つ。
    どうやら一松もここで一休みするらしい。
    夕飯を咀嚼しつつ、カラ松は向かいに腰掛けた一松に話しかけた。

    カ「毎日お疲れ様だな。」
    一「ん。まぁ確かに毎日戦争だよね。でもまぁ、意外となんとかなるモンだね…。」
    カ「一松は何気に要領がいいからな。」
    一「…そっちこそ、毎日…仕事、お疲れ。」
    カ「ああ、ありがとう!大切な家族のためだからな。愛してるぞ一松!」
    一「うるせぇ黙れ。」
    カ「何で?!」

    ドスのきいた一松の声に一瞬怯んだが、照れ隠しだと理解しているカラ松は後ろから一松を抱きすくめた。
    肩口に顔を埋め、腕にぎゅうと力を込めると、「痛いわ馬鹿力が」と一松から抗議の声が上がった。
    その言葉に多少腕の力は緩めたものの、開放するつもりはない。
    微かに石鹸とシャンプーの柔らかな香りがした。

    カ「一松。」
    一「…なに、どうしたの。」
    カ「いや、最近ご無沙汰だと思ってな…。」
    一「な、お、お前な…!」

    悪態をつきながらも、顔を背けた一松の頬が朱色に染まったのを見逃さなかったカラ松は
    耳元でいつもより低い声で囁いた。
    前世も今世も、一松はどうやらカラ松の声に弱いらしい事はなんとなく解っている。

    カ「…一松。」
    一「~~~っ!」
    カ「なぁ、一松…いいだろ?」

    一「…………ん。いい、よ。」

    耳まで赤くした一松にフ、と笑みを零し、
    後ろから抱きしめた体制のまま一松の頬に手を添え、口付けようとしたその時、

    お「うあ゛ああああぁぁぁん!」

    一「え、あっ、おそ松起きた…?!」
    カ「Why?!何で今日に限って夜中に目を覚ますんだおそ松!!」
    一「まあ、仕方ないね。」
    カ「くっ…まさか我が聖なる領域の中に俺達の甘美な夜の邪魔する者がいようとは…!」
    一「はいはい、拗ねない拗ねない。」

    明らかにブスくれているカラ松の頭を、まるで子供をあやすようにポンポンと撫でた一松は
    カラ松の腕からするりと抜け出し、幼い我が子の元へ向かった。
    階段を上りながら「ついに夜泣きが始まったかなー?」なんて呑気に呟いている。
    小さな子がいるのだから仕方ない。
    仕方ないのは、カラ松も頭では理解している。
    しているのだが…。

    (邪魔したようにしか見えないぞ、兄貴…!いや、マイサンおそ松!!)

    高ぶっていた気持ちを何とか沈めようと、カラ松は深く溜息を吐いて
    ダイニングテーブルに置かれた椅子に腰掛けた。
    そういえば、まだ夕食を食べていなかった。
    一度温めていたが、すっかり冷めてしまっている。
    かといって温め直すのも億劫だったため、このまま箸を取った。
    冷めても美味しいし、問題ない。

    黙々と咀嚼を繰り返していると、泣き声がこちらに近づいてきた。
    扉に目を向けていると、泣き喚くおそ松を腕に抱いた一松が顔を出した。
    なかなか泣き止まないので下に連れてきたようだ。

    一「おそ松は1回泣き出すと泣き止まないねぇ…。」
    カ「いつも思うんだが、おそ松の泣き方って兄弟で一番やかましいな。」
    一「だね。
      声が大きいのは十四松だけど、泣き声はそこまで酷くなかったし。
      てゆーか、十四松はよく笑いよく寝る子だったから。」
    カ「トド松は女の子なだけあって泣き方も可愛らしかったしな。」
    一「チョロ松はギャーギャー喚くような泣き方じゃなかったしね。」
    カ「…おそ松は生まれ変わっても構ってちゃんか。
      今世では俺がその根性叩き直してやる。」
    一「カラ松っておそ松兄さんには容赦ないよね。
      今世のおそ松くんはまだ赤ちゃんだからね?」
    カ「もちろん、それはわかっているぞ!」

    かといって、久々の夫婦の甘い時間を邪魔された恨みは消えないのだが。
    これが他の…チョロ松か十四松かトド松だったら仕方ない、で済ませてしまえただろうに
    やはりカラ松はおそ松には幾分容赦がない。

    一「カラ松。」
    カ「…うん?」
    一「続きは…また、今度。…ね?」
    カ「……っ!ああ!!」

    続きを再開出来たのは、それから半月後だった。

    ーーーーー


    オマケ1
    最初の言葉


    一「初めて喋った言葉?」
    十「うん!学校の宿題でね、出されたんだ!」

    この春から小学校6年生となった十四松がそんな事を聞いてきたのは、休日の昼食後のことだった。
    ちなみにトド松は小学校4年生、チョロ松が小学校1年生、おそ松が幼稚園の年中さんだ。
    どうやら、6年生となった今年は幼い頃の自分を振り返るような授業があるらしく、
    小さい頃の写真やら思い出話を両親から聞いてくるように言われたらしい。

    一「十四松が最初に喋ったのは、確か『ママ』だったかな。」
    十「ママ!ぼく初めて話した言葉は『ママ』っすか!」
    一「うん。」
    ト「ねぇねぇ、トドはトドはー?」
    一「トド松?…トド松は『パパ』だったね。」
    ト「えぇー?!」
    カ「えっ…何か不満か?!」
    一「十四松が最初に『ママ』だったからね…
      カラ松ってばトド松は絶対最初にパパって呼んでもらう!
      って躍起になってたから。」
    カ「フッ…毎日『パパ』って囁いた甲斐があったぜ…!」
    ト「何それイッタイよねぇー!
      ってコトは言わされたんじゃん!
      ぼくも十四松兄さんとおそろいでママがよかったー!」
    カ「何故だトド松…!」
    チ「かあさん、じゃあぼくは?」
    十「あ、ぼくチョロ松の最初の言葉覚えてるよ!
      『まんま』って言ってた!」
    チ「そーなの?」
    カ「ああ、そうだったな。」
    一「十四松が「チョロまんまだよー」って
      チョロ松によくご飯食べさせたりしてくれてたからね。
      十四松の真似して言ったのかな。」
    チ「そーなんだ。」
    お「じゃあおれはー?おれおれ!!」
    カ「あー…おそ松は…」
    お「?」

    カラ松は気まずそうに視線を泳がせてから一松の方を向いた。
    が、一松はそんなカラ松の視線にも動じることはなく。

    一「『おっぱい』」
    お「ん?」
    一「だから、『おっぱい』
      おそ松が最初に喋った言葉。」
    お「おっぱい?」
    一「うん。」
    お「なんで?」
    一「さあ?」
    お「まじウケる!!」
    一「そらコッチの台詞だ。」
    カ「んんん?コッチの台詞なのか?!」

    気付けば十四松の宿題に関係なく、兄弟の最初の言葉の話になっていた。
    宿題をしなければならない十四松本人はというと
    特にそれに気にする様子もなく、兄弟の話を聞きながら楽しそうだ。

    ト「プフッ…おそ松『おっぱい』とか!」
    チ「おそ松おまえ…」
    お「なんだよーいいじゃんかー!」
    十「えー?おそ松らしくていいと思うよー?
      まじウケるね!」

    新生松野家は本日も騒がしい。

    ーーーーー

    オマケ2
    母と娘のお買い物


    一「トド松、買い物行くから手伝って。」
    ト「はーい。」

    夕方、パートから帰ってきた一松はリビングでくつろいでいたトド松に声をかけた。
    スーパーの卵特売お一人様1パックまで、だとか
    野菜ジュース箱売りお一人様1箱まで、だとか
    そういった特売には母によって子供達が駆り出されるのはどこの家庭でも同じだろう。
    トド松も、今日はそういう特売があるのだろうと特に疑問も持たずに返事をした。
    素直についてけば、この母は自分の好きなおやつを買ってくれるし
    別にそうでなくても買い物に出かけるくらいなんてことない。
    それに、一松と2人で出掛けるのが密かにトド松は好きだった。


    トド松に前世の記憶が蘇ったのは小学校に上がった頃だ。
    桜舞い散る入学式の日、淡い桃色のワンピースに白のボレロを纏い
    胸元にはピンク色のバラのコサージュを身につけたトド松を見て
    「トッティかわいーね!」
    と笑う兄の十四松の顔を見て、静かに脳裏に浮上した一つの情景。

    桜並木の下、一つ上の兄に背負われて微睡む自身と、前を歩く兄達。
    兄達は一様に缶ビールを手にしていた。
    今日この日みたいに、桜の花びらが風に乗ってヒラヒラと舞い散る季節だった。

    入学式の帰り道、
    「ねぇ…僕らって六つ子だったりした?」
    と、手を引いて歩くカラ松に尋ねたトド松は両親を随分と驚かせた。
    数年前に記憶を取り戻した十四松と大きく違っていたのは、
    トド松は十四松のように一気に大量の記憶が蘇らなかった事だ。
    最初はボンヤリと、かつての六つ子の兄弟だった、程度しか思い出さなかった。
    それから事あるごとに前世の記憶が少しずつトド松の中に蘇り
    その記憶はゆっくりゆっくりとトド松に溶け込んでいった。


    さて、そんなトド松だが前世は前世、今は今とこの現状を割り切って考えているようで
    両親がかつての兄弟だったという事実もさして問題視していない。
    幼さ故もあるかもしれないが、その辺はさすがのドライモンスターである。

    ト「あれ?スーパー行くんじゃないの?どこ向かってる??」
    一「今日はね、駅近くのショッピングモールまで行くよ。」
    ト「え、そうなの?何買うの?」
    一「トド松、友達のお誕生日会に呼ばれたんでしょ?
      プレゼントと、あとその時に着ていく服買いに行こ。」
    ト「え…!」

    確かに、先日トド松は仲良くなった友達のお誕生日会に招待されていた。
    その事を母である一松に伝えたのは昨日の事だ。
    プレゼントを用意しなければとは考えていたが、
    まさか一松がこうして先に動いてくれるとは思っていなかった。
    驚いて隣を歩く母を見上げるトド松の視線に気付き、
    更にその心情を察したのであろう一松は、いたずらっぽく笑った。

    一「今月ね、ヘルプ要請があってパート入ったりしてたから臨時収入があったの。
      だから少し余裕があるんだよ。男共には内緒、ね?」
    ト「…うん!ありがと、一松かあさん!!」

    今世で女性として生まれてきたのは、一松とトド松だけだ。
    トド松を特別可愛がって甘やかしているのはカラ松だが
    一松もこうして兄弟唯一の女の子であるトド松をちゃんと気にかけてくれているのがわかって
    トド松はなんだかくすぐったい気持ちになった。
    改めて、トド松はまじまじと一松を眺めてみる。
    一松は肩まである髪を右耳の横で淡い紫のシュシュで一つにまとめている。
    少しクセのある髪は緩くウェーブを描き、シュシュから零れ落ちた髪は
    歩く度にフワリと靡いていた。
    オフホワイトのタートルネックにシュシュと同じ淡い紫のカーディガン、下はロングスカート。
    こうして見てみると、どこからどう見てもイイ所の奥様だ。
    それなのに確かに六つ子の兄弟だった頃の面影も色濃く残っているのだから不思議だ。

    一「…トド松、どうかした?」
    ト「ううん、なんでもないよ。」
    一「そう…?」

    たどり着いたショッピングモールでメ●ピアノやポンポ○ットを物色し
    友達へのプレゼントと可愛い洋服を買ってもらったトド松は
    上機嫌で一松と並んで帰路についていた。

    ト「ねぇ、一松かあさんってさ、なんだかんだで
      僕に可愛い服とかアクセとか買ってくれるよね。」
    一「んー…?そう?たまにでしょ。」
    ト「そうだけど、なんか意外だなって。
      だって前世の『一松兄さん』はそういうの無頓着だったもん。」
    一「そりゃ、前世はね。」
    ト「今世はちがうの?」
    一「どーかなぁ…。
      僕はそこまで気にしないし、女子力とかもないけど。
      でもさ…ほら、トド松はせっかく可愛い女の子として生まれてきたんだもん。
      トド松は自分で勝手に女子力は磨くだろうから、
      その辺は放っておいても大丈夫だろうから心配してないんだけど。
      だから、僕は親としてその手助けくらいはするべきかなって思っただけ。」
    ト「…それで、可愛い服?」
    一「そう。嫌だった?」
    ト「ううん!嬉しい!!」
    一「なら良かった。」

    一松が自分の事を可愛い娘だと思ってくれていたことが素直に嬉しくて
    トド松は思わず顔を赤くした。
    そんなトド松を見て目を細める姿は母のそれなのに、
    確かにトド松がよく知る兄だ。
    本当に、今世はこの上なく面白い形で6人が揃ったものだとつくづく思う。

    ト「ねぇ、僕が大きくなっても、大人になっても
      またこうして一緒に買い物行ってくれる?」
    一「…トド松がいいなら、いいよ。」

    夕焼けが2つの長い影を作っていた。


    ーーー

    お粗末さまでした!
    #BL松 #カラ一 #転生 #女体化 ##転生カラ一

    ※非常に読む人を選ぶ文です。
    この作品は以下の要素を含みます。
    少しでも嫌悪感を感じましたら、今すぐブラウザバックをお願いいたします。
    ①転生パロです
    ②キャラの女体化、妊娠・出産の描写を含みます
     (一松とトド松が女の子)
    ③当然のようにキャラ崩壊
    ④書きたいところだけ書いてます

    ーーーーー

    1.

    いろいろあって結婚相手が前世で愛した兄弟だったり、
    生まれてきた息子が前世の兄弟だったりとトンデモナイ展開に見舞われたワケだが、
    そんな事実は何処吹く風、家庭内は至って平和で穏やかな日々が続いていた。
    今世では第1子長男となった十四松はちょっぴり泣き虫な、
    けれど明るく元気いっぱいな子にすくすく成長中だ。
    ただ今休日の昼下がり。
    今年で2歳になった十四松はカラ松と共に玩具のボールとバットを両手に抱えて外へと飛び出して行った。

    一松は2階にある夫婦の寝室で、先月生まれた娘の授乳中だった。
    2年前に十四松が生まれた時点である程度の覚悟はしていたが、
    第2子として誕生したこの娘、やはり何の因果か前世の兄弟だったのだ。
    今世は一松と同じく女の性を持って生まれた娘は大きめの瞳と
    可愛らしいアヒル口を持つ、かつての末弟トド松だ。
    ちなみに、生まれたばかりのトド松を見た瞬間

    「一松、どうしよう娘だ!
     娘ってだけでめちゃくちゃ可愛い!娘超可愛い!!
     きっと美人に育つんだろうな、ああああでも絶対お嫁になんて行かせない!
     彼氏なんて連れてきたら決闘だ!
     娘可愛い!!
     oh マイリトルスイートエンジェル!!」

    と、カラ松が若干キャラを見失いかけながらも、
    しかし安定のイタさとウザさで大興奮だった事もココにお伝えしておく。
    大層な大はしゃぎっぷりだったがこの男、もうそろそろ三十路に突入である。
    そんなカラ松を黙らせなければという前世から続く謎の義務感によって
    「うるせぇ黙れクソ松!」と一松が横っ腹に一発御見舞したのは言うまでもない。
    娘を構いたくて仕方ないカラ松が率先してトド松の世話を焼いてくれたため、
    一松は諸々楽する事ができたのでその辺は感謝しているが。
    ウザイものはどうにも殴って止めなければ気が済まないのである。
    普段キリリと上がった男らしい眉を下げながらトド松の世話を焼くカラ松を間近め見ていたせいか、
    十四松も妹を可愛がり、懸命にお兄ちゃんしようとしている様子は非常に微笑ましかった。

    授乳を終えた頃、遊びに出掛けていたカラ松と十四松が帰ってきた。
    玄関から微かに聞こえてくるカラ松の声に耳をすますと、
    どうやら十四松を連れて風呂場へ直行したようだ。
    きっとたくさん遊んで泥んこになって帰ってきたのだろう。
    そう考えながら、一松はトド松の背中をトントンと叩いてゲップを促す。

    しばらくしてトド松から「げぷっ」と声が聞こえたのと同時に、1階が何やら騒がしくなった。
    トド松もちゃんとゲップ出せたし丁度いいと思い、
    一松は母乳を飲み終えてウトウトしているトド松を腕に抱えて階段を降りた。
    リビングに足を踏み入れると

    カ「十四松!じゅうしまぁ~つ!
      ストップ!ストーップ!!待ちなさい!」
    十「あいあい!」
    カ「いや、止まれ!止まってくれ!!」
    十「あんしんしてください!はいてますよ!!」
    カ「いやいやいや、履いてない!何も履いてない!
      何も安心出来ないぞじゅうしまぁ~つ!!
      服来たら好きなだけ走っていいから!」

    一「…なんだコレ。」

    そこには生まれたてすっぽんぽん状態でキャッキャと走り回る十四松と、
    それを追い掛けるカラ松の姿があった。
    カラ松も十四松と一緒に汗を流したのだろう、バスローブ1枚羽織っただけだ。
    十四松は2歳児とは思えない身のこなしでカラ松の腕をすり抜け
    ちょこまかと楽しそうに逃げ回っている。
    楽しそうに逃げ回る2歳児と必死に追い掛ける三十路のバスローブ男性…実にシュールな光景である。
    クソほど頑丈なカラ松はどうでもいいが、
    まだ幼い十四松がこのまま湯冷めして風邪を引いてしまうのはいただけない。
    仕方なく、一松は助け舟を出すことにした。

    一「十四松、おいで。」
    十「あい!」

    一松が呼ぶと、十四松はパッと明るい笑顔を向けてこちらへ駆け寄ってきた。
    カラ松が「俺の苦労は一体…」と涙しているので、
    「外遊びとシャワーありがとね」と一応労いの言葉をかけておく。
    その一言で復活したカラ松に、こいつチョロ過ぎないかと
    一松は少し心配になったが、深く考えるのはやめておいた。
    折角シャワーを浴びたのに再び汗をかいてしまったカラ松から十四松の着替えを受け取ると、
    腕に抱えていたトド松をベビーベッドに下ろし、一松は十四松をささっと着替えさせた。

    一「十四松、次からはお風呂から出たらすぐに服着ような。」
    十「あい!」
    一「約束できる?」
    十「あい!やくそく!」
    一「ん、いい子。」
    カ「十四松、次から追いかけっこは服を着てからだぜ?アンダースタン?」
    十「あいあい!」
    カ「フッ…頼むぜ、我が息子よ。」

    カラ松と十四松の愉快な追いかけっこが一段落したところで、
    十四松が何かを思い出したように「そーだ!」と玄関へ駆けていった。
    一松は頭上にクエスチョンマークを浮かべているが、
    カラ松は思い当たることがあったらしい。
    程なくして十四松はパタパタと軽やかな足音を響かせて戻ってきた。

    十「ママ、これあげる!」
    一「ん…ありがと、十四松。…これ、どんぐり?」
    十「どんぐり!こうえんにね、いっぱいおちてた!」
    一「へー。たくさん拾ってきたね。」
    十「あい!これはママのぶんで、これはトッティのぶん!」
    一「…トッティ?」
    十「トッティ!トドまつー!」
    一「……そ、う。
      十四松、トド松の分もちゃんと拾ってきてくれたんだ。
      ありがとね。」
    十「えへへー」
    一「ところで何でトッティなの?」
    十「んー?んー…なんでかなぁ?わかんない!」

    チラリとカラ松の方を見ると、
    「俺が教えたワケじゃないぞ。気付けばこう呼んでたんだ。」
    と、眉尻を下げながら一松が聞こうとした事の答えを先回りして答えてくれた。
    "トッティ"はご存知トド松のあだ名だ。
    けれどカラ松も一松も今世のトド松を1度もそのあだ名で呼んだ事はない。
    因みに、一松に至っては十四松やトド松の前ではカラ松の事をクソ松呼ばわりしないようにしている。
    生後1ヶ月の、交友関係など当然築いていないトド松に、あだ名を付けるような友人はまだいない。
    つまり十四松が自分で呼び始めた事になる。
    前世の記憶があるのだろうかと思ったが、十四松の様子を見る限りそのような様子ではない。
    生まれ変わる前からこういった勘は野生並みだったから、
    本能で無意識にそのあだ名が出てきたのかもしれない。

    今思えば、この時に既に兆候は顕れていたのだ。

    ーーー

    そして月日は更に流れ、
    十四松は5歳に、トド松は3歳になった頃。

    ト「やあぁぁーーだああ!
      トドうさぎさんがいいのーーー!!」
    一「うん、気持ちはわかるんだけどね、
      ウサギさん今洗濯中なんだよ。
      アヒルさんとネコさんならあるよ?どっちがいい?」
    ト「ヤ!!うさぎさんっ!!」
    一「うーん、参ったな~。」

    朝の時間とは、即ち戦争の時間である。
    トド松はまだまだイヤイヤ期が抜けず、
    靴下選び1つとっても毎回のようにこんな調子だ。

    一「うーん、じゃあトド松。とりあえずジュース飲む?」
    ト「のむ~♪」

    こういう時は全く違う事に意識を向けさせてしまうに限る。
    一松の作戦が功を奏し、トド松はジュースで機嫌も直ったようだ。
    十四松のイヤイヤ期はそこまで激しくなかったが、トド松はどうにも自己主張が激しい。
    女の子は言語の発達が早いと言うが、確かに十四松と比べても言葉も達者である。
    ハイハイや歩き始めるのは十四松より大分ゆっくりだったが。

    一松がトド松に手を焼いている横では、カラ松がコーヒーを啜りつつ
    ご飯を頬張る十四松を見守っている。
    やがて朝ご飯を食べ終えた十四松が一松に飛び付いてきた。

    十「たべたー!ごちそうさまー!どぅーーん!!」
    一「うわっ」
    カ「十四松!ママのお腹には赤ちゃんがいるんだから
      ぶつかったらダメだと言っただろう?!」
    十「あ…!あい。ごめんなさい…。
      ママ、だいじょうぶ?」
    一「大丈夫、大丈夫。次から気をつけような。」
    十「あい!」

    十四松とはいえ、まだ身体が小さいしそこまで思い切りぶつかってきた
    ワケではないので、大したダメージではなかった。
    そう、現在一松は第3子を妊娠中だ。
    3人目はつわりも軽かったし、特に大きなトラブルもなく順調に育っている。
    ただ、胎動が激しい。
    お腹を蹴る力がやたらと強くて、一松は何度夜中に目を覚ましたか分からない。
    元気な証拠だと思って気にしないようにしているが。

    気付けば、十四松とトド松が一松のお腹にしがみついていた。

    一「2人ともどうした?赤ちゃん動いてる?」
    十「あいさつしてる!」
    ト「トドもあいさつ~♪」
    カ「はは、赤ちゃんは何か言ってるか?」
    ト「ぽんぽんけっけしてる!」
    一「うん、お腹蹴ってるね。あいさつしてるのかな。」
    十「………」
    一「…十四松?」

    一松の大きなお腹にしがみつき、耳をピタリと腹に当てたまま十四松は黙りこくってしまった。
    具合でも悪くなったのか、と危惧した一松が声をかけると、
    十四松は一松を見上げて二パッと笑った。
    具合が悪いわけではなさそうだ。
    その事にホッとしつつも、十四松の向ける笑顔が気になった。
    それは、一松もカラ松もとてもよく知る懐かしい笑顔で。

    一「十四松?」
    十「チョロまつにいさんだ」
    一「…え?!」
    十「いちまつかーさんのおなかにいるの、
      チョロまつにいさんだよ!」

    まだ5歳の幼い子供の声で、しかし十四松はしっかりとした口調でそう言った。
    カラ松と一松が思わず顔を見合わせる。
    トド松はわけが分からずキョトンとしていた。

    カ「十四松、お前…。」
    十「あはは!カラまつにいさんがおとーさんで、
      いちまつにいさんがおかーさんになってる!
      ぼく、こんどはちょうなんだ!すっげーね!!」
    一「十四松、思い出した…の…?!」
    十「うっす!おもいだしちゃった!
      マッスルマッスル!ハッスルハッスル!」

    カラ松と一松が再び顔を見合わせた。
    2人ともその目は驚愕に満ちている。
    カラ松も一松も前世の記憶があるのだから、将来子供たちにも記憶が蘇ることは十分に考えられた。
    トド松が生まれた時も、誰に教えられたわけでもなく「トッティ」と呼んだりしていたが。
    けれどまさか。
    まさか、こんなに早く十四松が前世を思い出すとは思ってもみなかったのだ。
    まだまだ幼い身体と心で、自身とは他の誰かの記憶を抱えるのはかなりの負担だ。
    カラ松も一松も記憶が戻ったのは成人後だが、それでも最初は大いに戸惑った。

    一「…カラ松、そろそろ出ないと時間ないよ。」
    カ「いや、だが…!」
    一「ひとまず十四松は僕が見ておくから。」
    カ「…分かった、頼んだぞ。
      何かあったらすぐに連絡してくれ。」
    一「ん。いってらっしゃい。」
    十「いってらっしゃーい!」
    ト「パパいってらっしゃーい!」
    カ「ああ、いってきます」

    カラ松を見送った後、一松は十四松に向き直った。
    見返してくる無邪気な目は、一松のよく知る六つ子の弟としての十四松の目だった。

    一「さっき思い出したの?」
    十「うん!さっき!」
    一「そっか…どこまで思い出した?」
    十「うーんとね、わりといろいろ!」
    一「いろいろ?」
    十「うん!
      ちいさいころは、いっつもぼくがなきべそかいてて、
      いちまつにいさんがぼくのうで、ひいててくれてたよね!
      ぼくら6にんで、いれかわってイタズラとかしてた!
      それから、カラまつにいさんとやねのうえでうたったり、
      いちまつにいさんとやきうしたりしたね!
      あ、トッティのバイトさきでパフェたべたり、
      プラスとマイナスになっちゃったり、
      ダヨーンのなかにすいこまれちゃったり、
      あとやきう!!」
    一「…そうだね。」
    十「えっとね、えっと…うぇ…い、ろいろ…ヒック、
      おぼえて、ぼく、おぼえてるっ!
      う、うぇぇぇ…!」
    一「十四松!」

    前世の記憶を必死で一松に伝えていた十四松は、限界がきたのか泣き出してしまった。
    一松が小さな十四松を抱きしめる。
    背中をトントンと優しく叩き、「大丈夫だから、大丈夫」と繰り返した。
    トド松が心配そうにこちらを見ている。
    大きな瞳は揺らいでいて、今にも涙が零れ落ちそうだ。

    ト「おにいちゃん、どうしたの?いたいの?」
    一「大丈夫、トド松もこっちおいで。」
    ト「おにいちゃん、トドがイイコイイコしてあげるね」
    十「ヒック…グスっ…うわあぁぁぁぁん!!」
    一「よしよし」
    ト「おにいちゃんイイコ、イイコ…
      なかないで…なか、な…ふぇっ…ぐすっ…」

    十四松の話を聞いた限り、この子はほとんどの記憶を取り戻している。
    幼い身体と心がそう容易く耐えられるわけがないのだ。
    大声を上げて泣き出した十四松につられてトド松も泣き出してしまい、
    そんな2人を一松はしばらくの間、ただただ抱きしめ続けていた。

    どれくらいそうしていただろうか。
    泣き疲れて眠ってしまった十四松とトド松をベッドに運び、
    十四松が通う幼稚園に今日は欠席する旨の連絡を済ませると、一松は深く溜息を吐いた。

    十四松、お前はお前だよ。
    お前の人生なんだ。前世の記憶に引っ張られる事なんてないんだよ。
    お前の好きにしていいんだよ。
    僕もカラ松も、今世の十四松が今世の十四松らしく生きていけることを願っている。
    そう、心で願った。



    やがて3人目が生まれた頃には、カラ松と一松の心配をよそに
    十四松はすっかり落ち着きを取り戻していた。
    幼い子供ながらに、前世の記憶を受け入れたようだ。
    元より前世の十四松は成人後もまるで無邪気な子供のような面があったためか、
    さほど大きな影響も出なかったらしい。
    それでも言動は少々大人びた。

    生まれた3人目は十四松が予言した通り、
    小さめの瞳にへの字口という紛れもなくチョロ松だった。
    前世でも今世でも3番目だ。
    超安産だった。すんなり生まれてくれてありがとう、さすがはチョロ松。

    一「そういえば十四松、どうしてチョロ松だってわかったの?」
    十「えーとね、こえがしたんだよ!」
    カ「声?」
    十「うん!いちまつかーさんのおなかに、みみをあてたらね、
      チョロまつにいさんのこえがしたの!
      それでね、いろいろおもいだしたんだよ!」
    一「そっかー。」
    カ「よくわからんが、お腹から聞こえたというチョロ松の声が
      十四松の記憶が戻るきっかけになったという事か?」
    一「たぶんそうだと思う…ってトド松!コラ叩いちゃダメ!」
    ト「ダメ?」
    一「ダメ!」

    トド松が目をキラキラさせながら一松の腕に抱かれて眠る生後1週間のチョロ松を覗き込み
    小さな額をペチペチと頻りに叩いている。
    止めろと言っても止める気配がない。
    この様子に、カラ松と一松は今世におけるトド松とチョロ松の関係性が見えた気がした。
    トド松は今世では女の子で「姉」だ。
    そしてチョロ松は今世では男の子で「弟」だ。
    弟とはどうやっても姉に勝つのは難しい。
    悲しいかなそういう生き物だ。

    (頑張れ、チョロ松。ご愁傷様、チョロ松…。)

    カラ松と一松は目が合うと思わず同時に苦笑いを浮かべたのだった。

    ーーーーー

    2.

    しつこいようだが、朝とは即ち戦いの時間である。
    それに拍車をかけたのは、間違いなく前世における我らが六つ子の長男にして、
    今世では末っ子として生まれてきたおそ松の存在だ。
    今年で小学校に上がる十四松は食事も着替えも自分のことは自分でできるようになり、
    尚且つトド松やチョロ松の面倒を見てくれるようになった。
    今年で年中のトド松はそんな兄の十四松にベッタリで、最近では
    「ぼく、おおきくなったらじゅーしまつおにーちゃんとけっこんする!」
    と宣言するくらいのブラコンっぷりだ。
    完全なる余談だが、
    「そこは『大きくなったらパパと結婚する』が定番じゃないのか…」
    と、唯一の娘であるトド松を特に可愛がっているカラ松が拗ねて一松に冷めた目で見られ、
    十四松に「ドンマイ、カラまつとーさん」と頭を撫でられていたりした。
    2歳になったチョロ松はトド松のように口達者にわがままは言わないものの、とにかくじっとしていない。
    しかも逃げ足が早いので片時も目を離すことができない。
    そして、生後半年に突入した末っ子おそ松は、とにかくやかましい。
    少しでも一松が傍を離れると、たちまち大声で泣きわめく。
    そんなワケで、一松がトド松やチョロ松に朝ご飯を食べさせたり着替えさせたりする時は、
    いつもおそ松のぎゃーぎゃー喚く泣き声がBGMだった。
    それに対してチョロ松が幼児特有の甲高い声で
    「うるせぇぇぇ!!」
    と怒鳴るものだから更にギャン泣きが悪化するという負のスパイラルである。
    ちなみに、そんなおそ松だがカラ松が抱っこしても泣き止まないのだから困ったものだ。
    どうやら一松でないとダメらしい。
    十四松もトド松もチョロ松もそんな事はなかったというのに
    何故おそ松だけ懐いてくれないのか。
    不可解だ。実に不可解だ。
    そんなに俺が父親なのが気に食わないかおそ松このやろう。

    思えば、おそ松は一松のお腹に宿った時からすでに大変手の掛かる子であった。
    妊娠初期には今までで一番重たいつわりに悩まされ、
    ついには一松は水さえ飲むことができずに入院する羽目になり
    しかも重たいつわりは安定期に入っても中々治まってくれなかったし。
    安定期に入ると度々一松はお腹の張りを訴え、
    切迫早産で絶対安静を強いられ再び入院する羽目になり。
    やっと後期に入ったと思ったら今度は逆児が判明したため
    4人目にして初めて一松は逆児体操をしていたのだが、
    努力の甲斐も虚しく逆児は結局直らず。
    それに加えてどうやら胎盤の位置が産道を妨げていたらしく、早々に帝王切開が決定した。
    カラ松は不安がったが、
    「母子共に最も命に危険がない方法だ」
    と医師から説明され、頷くしかなかった。
    一松は自分の腹を切開するどうこうよりも
    「じゃぁ逆児体操する意味なかったんじゃないの」
    とそちらの方をブツクサ文句を言っていた。
    カラ松が一松に「不安じゃないのか」と聞くと
    「え?別にいいよ、だってお腹の子の命が最優先でしょ」とケロッと返された。
    もちろん、一松にも不安が全くなかったわけではないのだろうが
    母は強し。とこの時ほど痛感した日はない。
    帝王切開することが決まっているため、生まれる日も決まっているはずだったのだが
    薬を服用してもお腹の張りが治まらず
    結局予定日よりも2ヶ月以上早く陣痛が始まってしまい
    更には出血が酷かったため、救急車で担ぎ込まれた一松は緊急帝王切開となり
    おそ松は未熟児のラインをギリギリクリアする小ささでなんとか無事に生まれてきた。
    それでも生後3日間は保育器の中だったため、随分心配させたものだ。

    おそ松が生まれた直後の会話を思い出す。

    カ「今回は本当に大変だったな…一松、本当にお疲れ。」
    一「本当に大変だったよ…。
      カラ松も僕が入院してる間わざわざ会社休んで
      十四松たちの面倒見ててくれてありがと。」
    カ「当然だろう!
      俺に出来る事と言ったらそのくらいしかなかったしな。
      …身体の調子どうだ?」
    一「めっちゃお腹痛い…全然身体動かせないヤバイ。
      はぁ…まだお腹にいた方がいい時期だったのに…
      …可哀想なことしちゃった。」
    カ「そうか。…無理するなよ。
      それに、おそ松が待ちきれなくて早く出てきてしまっただけだ。
      一松がその事に責任を感じることはないぞ。
      家の事は気にしないでいいからな。お義母さんも来てくれてるし。」
    一「ん。…それにしても本当に、随分とせっかちだったね、おそ松兄さん。」
    カ「一番最後だったからな。待ちくたびれたんじゃないか?」
    一「おそ松兄さんってばどんだけ構ってちゃんなんだよって話だよね…。
      本当散っ々な目に遭わせてくれたよね。
      そんなに僕の股から出てくるのが嫌だったのかな。
      てめぇの腹かっ開けってか…ヒヒ…あ、ヤバお腹痛い。イタタタ…。」
    カ「だっ大丈夫か一松!いろんな意味で!!」
    一「大丈夫なワケあるかボケころすぞ」
    カ「ヒッすいません!」

    一松は若干の闇オーラを発していたが、妊娠中に散々大変な思いをしていたのは
    間近で見ていて十分に知っていたため何も言えなかった。
    少しくらい愚痴がこぼれても仕方あるまい。
    お腹の中にいた時から構ってちゃんだったおそ松は、生まれてからもやはり構ってちゃんだった。

    ーーー

    カラ松が帰宅する頃には子供達は既に夢の中だ。
    手の掛かるおそ松も、今のところまだ夜泣きは始まっておらず夜は比較的ぐっすり眠ってくれていた。
    リビングに入ると、テーブルにはラップのかけられた1人分の夕食が置かれている。
    ネクタイを解きながら、それをレンジに入れて温めていると、2階から一松が降りてきた。
    玄関が開く音が聞こえたのだろう。

    一「おかえり。」
    カ「ああ、ただいま。」

    キッチンへ引っ込んだ一松は、温かいお茶を持って戻ってきた。
    その手に湯呑みは2つ。
    どうやら一松もここで一休みするらしい。
    夕飯を咀嚼しつつ、カラ松は向かいに腰掛けた一松に話しかけた。

    カ「毎日お疲れ様だな。」
    一「ん。まぁ確かに毎日戦争だよね。でもまぁ、意外となんとかなるモンだね…。」
    カ「一松は何気に要領がいいからな。」
    一「…そっちこそ、毎日…仕事、お疲れ。」
    カ「ああ、ありがとう!大切な家族のためだからな。愛してるぞ一松!」
    一「うるせぇ黙れ。」
    カ「何で?!」

    ドスのきいた一松の声に一瞬怯んだが、照れ隠しだと理解しているカラ松は後ろから一松を抱きすくめた。
    肩口に顔を埋め、腕にぎゅうと力を込めると、「痛いわ馬鹿力が」と一松から抗議の声が上がった。
    その言葉に多少腕の力は緩めたものの、開放するつもりはない。
    微かに石鹸とシャンプーの柔らかな香りがした。

    カ「一松。」
    一「…なに、どうしたの。」
    カ「いや、最近ご無沙汰だと思ってな…。」
    一「な、お、お前な…!」

    悪態をつきながらも、顔を背けた一松の頬が朱色に染まったのを見逃さなかったカラ松は
    耳元でいつもより低い声で囁いた。
    前世も今世も、一松はどうやらカラ松の声に弱いらしい事はなんとなく解っている。

    カ「…一松。」
    一「~~~っ!」
    カ「なぁ、一松…いいだろ?」

    一「…………ん。いい、よ。」

    耳まで赤くした一松にフ、と笑みを零し、
    後ろから抱きしめた体制のまま一松の頬に手を添え、口付けようとしたその時、

    お「うあ゛ああああぁぁぁん!」

    一「え、あっ、おそ松起きた…?!」
    カ「Why?!何で今日に限って夜中に目を覚ますんだおそ松!!」
    一「まあ、仕方ないね。」
    カ「くっ…まさか我が聖なる領域の中に俺達の甘美な夜の邪魔する者がいようとは…!」
    一「はいはい、拗ねない拗ねない。」

    明らかにブスくれているカラ松の頭を、まるで子供をあやすようにポンポンと撫でた一松は
    カラ松の腕からするりと抜け出し、幼い我が子の元へ向かった。
    階段を上りながら「ついに夜泣きが始まったかなー?」なんて呑気に呟いている。
    小さな子がいるのだから仕方ない。
    仕方ないのは、カラ松も頭では理解している。
    しているのだが…。

    (邪魔したようにしか見えないぞ、兄貴…!いや、マイサンおそ松!!)

    高ぶっていた気持ちを何とか沈めようと、カラ松は深く溜息を吐いて
    ダイニングテーブルに置かれた椅子に腰掛けた。
    そういえば、まだ夕食を食べていなかった。
    一度温めていたが、すっかり冷めてしまっている。
    かといって温め直すのも億劫だったため、このまま箸を取った。
    冷めても美味しいし、問題ない。

    黙々と咀嚼を繰り返していると、泣き声がこちらに近づいてきた。
    扉に目を向けていると、泣き喚くおそ松を腕に抱いた一松が顔を出した。
    なかなか泣き止まないので下に連れてきたようだ。

    一「おそ松は1回泣き出すと泣き止まないねぇ…。」
    カ「いつも思うんだが、おそ松の泣き方って兄弟で一番やかましいな。」
    一「だね。
      声が大きいのは十四松だけど、泣き声はそこまで酷くなかったし。
      てゆーか、十四松はよく笑いよく寝る子だったから。」
    カ「トド松は女の子なだけあって泣き方も可愛らしかったしな。」
    一「チョロ松はギャーギャー喚くような泣き方じゃなかったしね。」
    カ「…おそ松は生まれ変わっても構ってちゃんか。
      今世では俺がその根性叩き直してやる。」
    一「カラ松っておそ松兄さんには容赦ないよね。
      今世のおそ松くんはまだ赤ちゃんだからね?」
    カ「もちろん、それはわかっているぞ!」

    かといって、久々の夫婦の甘い時間を邪魔された恨みは消えないのだが。
    これが他の…チョロ松か十四松かトド松だったら仕方ない、で済ませてしまえただろうに
    やはりカラ松はおそ松には幾分容赦がない。

    一「カラ松。」
    カ「…うん?」
    一「続きは…また、今度。…ね?」
    カ「……っ!ああ!!」

    続きを再開出来たのは、それから半月後だった。

    ーーーーー


    オマケ1
    最初の言葉


    一「初めて喋った言葉?」
    十「うん!学校の宿題でね、出されたんだ!」

    この春から小学校6年生となった十四松がそんな事を聞いてきたのは、休日の昼食後のことだった。
    ちなみにトド松は小学校4年生、チョロ松が小学校1年生、おそ松が幼稚園の年中さんだ。
    どうやら、6年生となった今年は幼い頃の自分を振り返るような授業があるらしく、
    小さい頃の写真やら思い出話を両親から聞いてくるように言われたらしい。

    一「十四松が最初に喋ったのは、確か『ママ』だったかな。」
    十「ママ!ぼく初めて話した言葉は『ママ』っすか!」
    一「うん。」
    ト「ねぇねぇ、トドはトドはー?」
    一「トド松?…トド松は『パパ』だったね。」
    ト「えぇー?!」
    カ「えっ…何か不満か?!」
    一「十四松が最初に『ママ』だったからね…
      カラ松ってばトド松は絶対最初にパパって呼んでもらう!
      って躍起になってたから。」
    カ「フッ…毎日『パパ』って囁いた甲斐があったぜ…!」
    ト「何それイッタイよねぇー!
      ってコトは言わされたんじゃん!
      ぼくも十四松兄さんとおそろいでママがよかったー!」
    カ「何故だトド松…!」
    チ「かあさん、じゃあぼくは?」
    十「あ、ぼくチョロ松の最初の言葉覚えてるよ!
      『まんま』って言ってた!」
    チ「そーなの?」
    カ「ああ、そうだったな。」
    一「十四松が「チョロまんまだよー」って
      チョロ松によくご飯食べさせたりしてくれてたからね。
      十四松の真似して言ったのかな。」
    チ「そーなんだ。」
    お「じゃあおれはー?おれおれ!!」
    カ「あー…おそ松は…」
    お「?」

    カラ松は気まずそうに視線を泳がせてから一松の方を向いた。
    が、一松はそんなカラ松の視線にも動じることはなく。

    一「『おっぱい』」
    お「ん?」
    一「だから、『おっぱい』
      おそ松が最初に喋った言葉。」
    お「おっぱい?」
    一「うん。」
    お「なんで?」
    一「さあ?」
    お「まじウケる!!」
    一「そらコッチの台詞だ。」
    カ「んんん?コッチの台詞なのか?!」

    気付けば十四松の宿題に関係なく、兄弟の最初の言葉の話になっていた。
    宿題をしなければならない十四松本人はというと
    特にそれに気にする様子もなく、兄弟の話を聞きながら楽しそうだ。

    ト「プフッ…おそ松『おっぱい』とか!」
    チ「おそ松おまえ…」
    お「なんだよーいいじゃんかー!」
    十「えー?おそ松らしくていいと思うよー?
      まじウケるね!」

    新生松野家は本日も騒がしい。

    ーーーーー

    オマケ2
    母と娘のお買い物


    一「トド松、買い物行くから手伝って。」
    ト「はーい。」

    夕方、パートから帰ってきた一松はリビングでくつろいでいたトド松に声をかけた。
    スーパーの卵特売お一人様1パックまで、だとか
    野菜ジュース箱売りお一人様1箱まで、だとか
    そういった特売には母によって子供達が駆り出されるのはどこの家庭でも同じだろう。
    トド松も、今日はそういう特売があるのだろうと特に疑問も持たずに返事をした。
    素直についてけば、この母は自分の好きなおやつを買ってくれるし
    別にそうでなくても買い物に出かけるくらいなんてことない。
    それに、一松と2人で出掛けるのが密かにトド松は好きだった。


    トド松に前世の記憶が蘇ったのは小学校に上がった頃だ。
    桜舞い散る入学式の日、淡い桃色のワンピースに白のボレロを纏い
    胸元にはピンク色のバラのコサージュを身につけたトド松を見て
    「トッティかわいーね!」
    と笑う兄の十四松の顔を見て、静かに脳裏に浮上した一つの情景。

    桜並木の下、一つ上の兄に背負われて微睡む自身と、前を歩く兄達。
    兄達は一様に缶ビールを手にしていた。
    今日この日みたいに、桜の花びらが風に乗ってヒラヒラと舞い散る季節だった。

    入学式の帰り道、
    「ねぇ…僕らって六つ子だったりした?」
    と、手を引いて歩くカラ松に尋ねたトド松は両親を随分と驚かせた。
    数年前に記憶を取り戻した十四松と大きく違っていたのは、
    トド松は十四松のように一気に大量の記憶が蘇らなかった事だ。
    最初はボンヤリと、かつての六つ子の兄弟だった、程度しか思い出さなかった。
    それから事あるごとに前世の記憶が少しずつトド松の中に蘇り
    その記憶はゆっくりゆっくりとトド松に溶け込んでいった。


    さて、そんなトド松だが前世は前世、今は今とこの現状を割り切って考えているようで
    両親がかつての兄弟だったという事実もさして問題視していない。
    幼さ故もあるかもしれないが、その辺はさすがのドライモンスターである。

    ト「あれ?スーパー行くんじゃないの?どこ向かってる??」
    一「今日はね、駅近くのショッピングモールまで行くよ。」
    ト「え、そうなの?何買うの?」
    一「トド松、友達のお誕生日会に呼ばれたんでしょ?
      プレゼントと、あとその時に着ていく服買いに行こ。」
    ト「え…!」

    確かに、先日トド松は仲良くなった友達のお誕生日会に招待されていた。
    その事を母である一松に伝えたのは昨日の事だ。
    プレゼントを用意しなければとは考えていたが、
    まさか一松がこうして先に動いてくれるとは思っていなかった。
    驚いて隣を歩く母を見上げるトド松の視線に気付き、
    更にその心情を察したのであろう一松は、いたずらっぽく笑った。

    一「今月ね、ヘルプ要請があってパート入ったりしてたから臨時収入があったの。
      だから少し余裕があるんだよ。男共には内緒、ね?」
    ト「…うん!ありがと、一松かあさん!!」

    今世で女性として生まれてきたのは、一松とトド松だけだ。
    トド松を特別可愛がって甘やかしているのはカラ松だが
    一松もこうして兄弟唯一の女の子であるトド松をちゃんと気にかけてくれているのがわかって
    トド松はなんだかくすぐったい気持ちになった。
    改めて、トド松はまじまじと一松を眺めてみる。
    一松は肩まである髪を右耳の横で淡い紫のシュシュで一つにまとめている。
    少しクセのある髪は緩くウェーブを描き、シュシュから零れ落ちた髪は
    歩く度にフワリと靡いていた。
    オフホワイトのタートルネックにシュシュと同じ淡い紫のカーディガン、下はロングスカート。
    こうして見てみると、どこからどう見てもイイ所の奥様だ。
    それなのに確かに六つ子の兄弟だった頃の面影も色濃く残っているのだから不思議だ。

    一「…トド松、どうかした?」
    ト「ううん、なんでもないよ。」
    一「そう…?」

    たどり着いたショッピングモールでメ●ピアノやポンポ○ットを物色し
    友達へのプレゼントと可愛い洋服を買ってもらったトド松は
    上機嫌で一松と並んで帰路についていた。

    ト「ねぇ、一松かあさんってさ、なんだかんだで
      僕に可愛い服とかアクセとか買ってくれるよね。」
    一「んー…?そう?たまにでしょ。」
    ト「そうだけど、なんか意外だなって。
      だって前世の『一松兄さん』はそういうの無頓着だったもん。」
    一「そりゃ、前世はね。」
    ト「今世はちがうの?」
    一「どーかなぁ…。
      僕はそこまで気にしないし、女子力とかもないけど。
      でもさ…ほら、トド松はせっかく可愛い女の子として生まれてきたんだもん。
      トド松は自分で勝手に女子力は磨くだろうから、
      その辺は放っておいても大丈夫だろうから心配してないんだけど。
      だから、僕は親としてその手助けくらいはするべきかなって思っただけ。」
    ト「…それで、可愛い服?」
    一「そう。嫌だった?」
    ト「ううん!嬉しい!!」
    一「なら良かった。」

    一松が自分の事を可愛い娘だと思ってくれていたことが素直に嬉しくて
    トド松は思わず顔を赤くした。
    そんなトド松を見て目を細める姿は母のそれなのに、
    確かにトド松がよく知る兄だ。
    本当に、今世はこの上なく面白い形で6人が揃ったものだとつくづく思う。

    ト「ねぇ、僕が大きくなっても、大人になっても
      またこうして一緒に買い物行ってくれる?」
    一「…トド松がいいなら、いいよ。」

    夕焼けが2つの長い影を作っていた。


    ーーー

    お粗末さまでした!
    焼きナス
  • 【カラ一】この度夫婦になりました #BL松 #カラ一 #転生 #女体化 ##転生カラ一

    ※非常に読む人を選ぶ文です。

    この作品は以下の要素を含みます。
    少しでも嫌悪感を感じましたら、今すぐブラウザバックをお願いいたします。
    ①転生パロです
    ②キャラの女体化、妊娠・出産の描写を含みます
    ③当然のようにキャラ崩壊
    ④書きたいところだけ書いてます

    ーーーーー

    1.


    (なぁ、一松…その、俺は…お前のことが…)

    ………



    ああ、またこの夢だ。



    スマホにセットしたアラーム音が鳴り響く。
    時刻は午前6時過ぎ。
    目覚めは最悪だ。

    一人暮らしのワンルーム。
    家具は必要最低限しかない簡素な部屋だ。
    アラームを止めてのそりと起き上がり
    寝ぼけ眼のままトースターに食パンを突っ込むと顔を洗いに洗面台へ向かった。
    顔を洗い、寝癖を直して部屋に戻るとトースターがチン、と軽快な音を立てた。
    程よく焼けたトーストを皿に移してローテーブルに置き、コップに牛乳を注いでテレビをつけた。
    テレビから流れる朝のニュースを流し見しながらトーストを齧り、
    食べ終わったら歯を磨いて着替えて家を出る。
    これがここ数年の松野カラ松のルーチンワークだ。
    就職を機に一人暮らしを始めて早5年。
    それなりの企業でそれなりの成績を上げているし、友人もいる。
    充実した日々を送っているはずだ。
    だが最近、カラ松にはある悩みがあった。

    夢を見るのだ。

    夢の中で、自分は誰かに想いを伝えようとしている。
    けれどそれは結局最後まで伝えられずに目が覚める。
    最初にこの夢を見たのは中学生の頃だった。
    それからというもの、ふとした時に思い出したように同じ夢を見る。
    夢の中で、カラ松は一松という人物に想いを告げようとしていた。
    わかっているのは一松という名前だけだ。
    夢の中で相手の顔をしっかりと見ているはずなのに、
    目が覚めるとその顔は途端にボヤけて思い出せなくなる。
    それなのに、相手を想う切なく胸が締め付けられるような気持ちは目覚める度に胸に残る。
    この夢から覚めた後は、いつもどうしようもない虚無感に襲われた。
    いっそ泣き出したい程に、確かに夢の中でカラ松は一松という人物を愛していた。

    さて、松野カラ松は容姿は悪くはない方だ。
    それなりの企業に勤めているし、今はそれなりの立場になった。
    言い寄ってくる女性も決して少なくないし、何人かと付き合ったことだってあった。
    しかし、どれもこれも全く長続きしなかったのである。
    興味がない訳ではない。
    恋人を作っていつか結婚して平凡な家庭を持ちたい、という思いがない訳でもない。
    自分を好きだと言ってくれた愛らしく可憐な女性と並んで歩き、
    少し高めのレストランで食事をして、ホテルで甘い時間を過ごして。
    ところがそうして愛の言葉を囁いた時に、脳裏にいつも一松のことが過ぎるのだ。
    どんな美女を相手にしても、いい感じの雰囲気になってきたところで毎回一松の事を思い出してしまう。
    そんなわけで、結局目の前の女性とそれ以上付き合うことが出来ず、呆気なく破局を迎えてしまう。
    それもこれもあの夢のせいだ。
    そもそも一松は実在するのかどうかも定かではない。
    それなのに、カラ松は一松に恋をしていてその影を追っている。
    夢を見る度に実際に会ったことすらない一松に惹かれていく自分自身に気付き、
    カラ松は己の救えなさに溜め息を吐いた。
    胸中に燻る虚しさや寂しさを紛らわそうと、何度か女性と関係を持ったが、
    こんな調子で返って逆効果だと気付き、もうここ最近は一切女性と関係は持っていない。
    どうかしている。
    夢の中の、それも姿を思い出せない相手に恋慕するなんて。
    しかし日毎増していくその想いをどうすることもできず、ただただ翻弄されるばかりだった。

    ーーー

    土曜日。
    完全週休二日制の会社のため、ありがたく休日を謳歌するカラ松はベッドの中で惰眠を貪っていた。
    今日はアラームに起こされることもない。
    日はとうに空高く昇っているが、そんな事はお構いなしに夢心地で微睡んでいた。
    が、
    そんなささやかな幸せの時間を破るようにスマホから着信音が鳴り響いた。
    予期せぬ着信に無理やり起こされたカラ松は眉間に皺を寄せ、寝ぼけ眼のまま手を伸ばしスマホを手に取った。
    相手を確認すると自分の母親の名前が表示されていた。
    その事により一層顔を顰める。
    正直無視したくて仕方ないのだが、そうすると後々もっと面倒な事になるのはこれまでの経験則で分かっている。
    カラ松は目を擦りつつ、渋々通話ボタンをタップしてスマホを耳に押し当てた。

    「…もしもし。」
    『もしもし、なんだか声が擦れてるわね。まさかさっきまで寝てたの?』
    「寝てたぞ…今日休日だからな。」
    『あらそう。ちゃんと食べてるの?次のお盆休みには帰って来なさいね?』
    「…ああ。」
    『ところで、来週の日曜日は空けておきなさいね。』
    「…え、何でだ?」
    『父さんがね、お見合い話を持ってきたのよ。何でも得意先の方のお嬢さんなんだとかで。』
    「は?!お見合い?誰が?!」
    『アンタに決まってるでしょ!断ることもできなかったみたいだし、
     父さんの顔を立てると思って、頼むわよ。
     いい加減アンタもそういうの考えてもいいんじゃないの。』
    「え、ちょ…」
    『それじゃ、来週日曜日に赤塚ホテルよ、ちゃんとしたスーツで来なさいね。』
    「いや、待っ」ブツッ

    ツー…ツー…ツー…

    「……嘘だろ。」

    まるで突然の嵐に見舞われたかのようだった。
    全く口を挟む間もなく、一方的に約束を取り付けた母はさっさと通話を切ってしまい、
    後に残るのは呆然としたカラ松の呟きと無機質な機械音のみ。
    唐突に告げられたお見合いの話は、カラ松の心に重くのしかかるばかりであった。
    今までも女性に対して散々な態度しか取れなかったのだ。
    ましてやお見合いだなんて無理に決まっている。
    相手には悪いが、適当に顔だけ合わせて理由を付けて断ってしまおう。
    その方がきっと幸せだ。
    自分にとっても、お見合い相手の女性にとっても。
    カラ松は今日何度目かの溜め息を吐いた。

    ーーー

    迎えた日曜日。
    薄く縦のストライプ模様が入ったスーツにパステルブルーのワイシャツを着たカラ松は、ホテルのロビーに佇んでいた。
    その表情は明らかに沈んでいる。
    表情が冴えない理由は乗り気でないお見合いをしなければならないだけではない。
    今朝またしてもあの夢を見たのだ。
    よりによってお見合いをする今日、見てしまったのだ。
    夢の中で、やっぱり自分は一松という人物に恋焦がれていて、その想いを伝えようとしていた。
    けれど、やはり最後まで想いを口にするのは叶わなかった。
    ただ、いつもと違って一松の姿は少しだけ記憶に残っている。
    ボンヤリとはしているが、確か瞳が深い紫色をしていた。
    瞳の色を覚えていたのは今日が初めてだ。
    それだけで胸の高鳴りを覚えたが、同時にまだ顔も見ていないお見合い相手に罪悪感も感じた。

    久々に会った両親と合流し、ホテルの一階に設けられた上品な装いの和食のレストランの個室に通され、
    相手方を待つことになった。
    憂鬱だ。
    早くこの時間を終えてしまいたい。
    カラ松は俯いてただただ時間が過ぎるのを待っていた。

    しばらく続いた沈黙を破り、個室の襖が開いた。
    反射的に顔を上げたカラ松は、相手女性の顔を見て思わず目を見開いた。

    (一松…?!)

    もう何年も夢の中で恋をしてきた相手。
    顔すらまともに覚えていないのに、何故かそう確信した。

    一松だ、やっと会えた!
    ずっとずっと君を探し求めていたんだ!

    心が、そう叫んでいるようだった。

    薄紫の振袖を身に纏った目の前の女性は、伏し目がちな深い紫色の瞳でカラ松を一瞥すると、
    何も言わずに静かに腰を下ろした。
    凛とした、けれどどこか色香を感じる人だと思った。
    互いの父親が決まり文句を並べた挨拶を交わしているが、それを遮ってカラ松は声を張り上げた。

    「結婚してください!」

    伏して半目状態になっていた振袖女性の目が驚愕でぱっちりと見開かれた。
    カラ松と一松の視線が交わった。

    視線がかち合ったその瞬間、世界が停止した。

    ………



    (なぁ、一松…その、俺は…お前のことが…)

    それを告げたのは確か家に2人きりの夕方だった。
    桜が咲き始め、日中の陽射しが暖かくなってきたものの夜はまだ冷え込む、そんな時期。
    長男はパチンコへ、三男はアイドルのイベントへ、五男と六男は連れ立って何処かへ遊びにそれぞれ出掛けていて、
    家には2人きり。
    お互い自由に家の中で過ごしていたが、チラリと窓際へ目をやると
    壁にもたれ掛かって微睡む一松の姿が目に入った。
    夕陽が一松の白い頬を照らし、窓から入り込む風で柔らかな髪をフワリと靡いた。
    一体どこからやってきたのか、窓から桜の花弁が一片ヒラリと舞い込み、一松の髪に乗った。
    その姿が、とてもとても綺麗に見えて息を呑んだ。

    カラ松は一松に…2つ下の一卵性の兄弟に恋をしていた。

    『一松。』
    『…何。』
    『なあ、一松…その、俺は…』
    『…どうかしたの。』
    『俺は、お前のことが好きだ』
    『……………え。』
    『突然すまない…だが、好きなんだ、一松のことが。』
    『ちょ、ちょっと待って』
    『一松…。』
    『待てってば!』

    一松の瞳に戸惑いの色が浮かんだのがわかった。
    カラ松にやけにキツくあたる一松の鋭い眼差しを直に受け止める度に
    一松がここまで横暴に自身を曝け出せる相手は自分だけなのだと歪んだ優越感を覚えた。
    同時に、その強気な顔を自分の手で歪めてやりたいと、
    その気怠げな目をドロドロに溶かして泣かせてやりたいと、薄暗い欲望が胸を擽った。
    一松もカラ松にキツく当たり散らしながらも、どこかカラ松のことを特別に見ていたことも察していた。
    自分と同じように、一松がカラ松の事を無意識のうちに目で追っているのをカラ松が見逃さないはずがなかった。
    世間一般から見れば到底赦されることのない想いだ。
    報われてはいけない想いだという事はカラ松も一松も十分に理解していた。
    しかし考えてみれば自分達はとうに世間からはじかれている者同士だ。
    そこに更なる不毛を重ねたとて、大して問題ではない。
    カラ松は単純にそう考えていた。

    『…俺は…俺、は…カラ松に応えることは…できない…』
    『何故だ?俺のことは嫌いか?』
    『そ、そうじゃない…!』
    『ならどうして?』
    『あ…アンタはさ、ちゃんといい人を見つけて、結婚して…子供を作って…
     平凡で幸せな家庭を築く方が、似合ってるよ…。
     こんなクズを相手にして…人生を棒に振ることない…。』
    『一松!!』
    『ヒッ…!』
    『…あ、すまない。怖がらせるつもりはなかったんだ。
    なあ、俺は一松と幸せになりたいんだ。一松は俺じゃダメなのか?』
    『俺、は…』

    ……………



    そうだ。
    同性で、実の弟で、しかも一卵性の兄弟という不毛でしかない相手に恋心を抱いていた。
    いつも夢に見ていたあの告白の場面の続きを不意に思い出したのを皮切りに
    脳内に次々と記憶が溢れかえってきた。
    松野カラ松であって、今の松野カラ松ではない、これは前世の記憶なのだと直感的に理解した。
    何故このタイミングで前世の記憶が蘇ったのか。
    十中八九、目の前に座るお見合い相手の女性が原因なのだろう。
    今目の前にいる女性が一松の生まれ変わりなのだ。
    根拠などないが、何故かそう確信できる。
    目が合った途端に見えた先程の白昼夢が、きっとその証明だ。

    脳内の洪水が収まり、カラ松がハッとして現実に帰ると、どうやら自分が声を張り上げてから
    そこまで時間は経っていないらしく、自身の声の余韻が個室から消え去ろうとしている程度だった。
    互いの両親は何事かと呆然としている。
    深い紫を称えるその瞳は、カラ松の突然の言葉に驚いていたものの、すぐにまた細められ、そして妖艶に笑った。
    紅が乗せられた艶やかな唇が開き、静かに言葉が紡がれた。

    「私でよろしければ、謹んでお受け致します。」

    今度こそ完全に置いてけぼりとなった両親を尻目に、お付き合い0日で2人は婚姻を約束した。

    ーーーーー

    2.

    正直、面倒でしかなかった。
    真面目ないい子に育った一松は、それなりに恵まれた人生を歩んできた。
    生まれつき少々身体が弱く、幼い頃は幾度となく入退院を繰り返したものの
    大人になるにつれそれも落ち着いてきた。
    両親に愛情を注がれ、器量の良いお嬢様として何不自由ない暮らしをしてきた。
    それなのに。
    それなのに、時折襲ってくるどうしようもない寂しさと苦しさは一体何なのだろうか。

    最初に気付いたのは中学生の頃だった。
    成績優秀、眉目秀麗、クールな性格だが病弱でいかにも庇護欲をそそる松野一松は
    学校では高嶺の花と云うべきポジションにいた。
    無論、目立つ事が苦手な一松にとってそれは決して本人が望んだポジションではない。
    それでも毎月、毎週のように男子から告白を受けていた。
    しかし、一松がそれに応えることは今までに一度たりともなかった。
    自分でも上手く説明できないのだが、言い寄る男子を見て、「この人は違う」と思ってしまうのだ。
    別に白馬の王子様を夢見ているわけでもないし、理想が高過ぎるわけでもない。
    それなのに「違う」と直感的に思ってしまう。
    一度そう思ってしまうともう受け入れる事なんて一松にはできなかった。
    そうして告白を断り続ける一松の姿は、益々高嶺の花に拍車をかけ、
    何としてでも落とそうとする不貞な輩もちらほら現れたものの、
    ついに学生時代に誰とも付き合うことなく成人を迎えた。
    告白を断る度に己を蝕む虚無感と泣き出したくなるような寂しさ。
    違う、この人じゃない。
    あの人でないとダメなんだ。
    まるで頭のどこかでもう1人の自分がそう叫んでいるようだった。
    あの人が一体誰の事なのか、一松自身にもわからない。
    わからないが、一松はいつも心のどこかで自分でもよくわからない"あの人"を探し求めていた。

    突然お見合いをさせられる事になったのは、大学を卒業して間もない頃だった。
    いつまでもこんな調子の一松を両親が気にして、どうやら強行に出たらしい。
    一度こういう事を体験しておけば、気が変わるかもしれないわよ、とは母の言葉だ。
    聞くところによると、相手は5つ年上のなかなかの企業に勤める人らしい。
    こちらの都合はお構いなしのまま、あれよあれよと事が運び、気付けば着付けも済まされていた。
    両親に気付かれないように、一松は小さく溜め息を吐いた。
    どうせ、お見合いをしたところで変わらない。
    この人は「違う」と思ってしまえばそれまでだ。
    違うと感じてしまえば受け入れられない。
    何か理由を見つけて断ろう。
    慣れない振袖に歩くのも四苦八苦しながら、一松は考えた。

    ホテルの中に設けられた和食レストランの個室の襖が開いた。
    中で待っていたのはいかにも女性受けしそうな精悍な顔立ちの男性。
    お見合い相手の男性は、一松の姿を見て驚いたように目を見開いている。
    一体何をそんなに驚いているのかはわからないが、気にせずに男性の正面に腰を下ろし、
    互いの父親がテンプレに沿った挨拶を始めた時だった。

    「結婚してください!」

    目の前に座る男性がよく通る声でそう言った。
    突然の言葉に今度は一松が目を見開く番となった。
    視線が交わる。
    その目を見て、思った。

    あ、この人だ。

    探し求めていたのは、間違いなくこの人だ、と頭の片隅にいるもう1人の自分が騒ぎ立てた。
    この人だ、この人だ。
    何故そう思ったのか、一松自身にも説明のしようがない。
    ただ、本能的にそう感じたとしか言えないのだが、目の前に座るお見合い相手の男性は
    間違いなく一松が追い求めていた人だった。
    だから、自然と綻ぶ口元をなんとかバレないようにしながら
    男性の、カラ松の言葉に応えた。

    「私でよろしければ、謹んでお受け致します。」

    カコン、と庭園に誂えられた鹿威しの音が聞こえた。

    ーーー

    それからはあっという間だった。
    何度かカラ松と2人で出掛けたりしながら親睦を深めつつ、
    新居を探し家具を揃え、お見合いから半年たった頃に婚姻届を役所に出しに行った。
    あの時本能的にこの人だと感じた己の直感は間違っていなかったようで、
    カラ松と過ごす時間は一松にとって非常に心地好いもので、
    出会って日が浅いのにも関わらず気の置けない相手になっていた。
    まるで、元からそうだったかのように、ごく自然に互いの生活に互いの存在が溶け込んでいった。

    新婚生活は至って順調だ。
    親族のみでささやかな式を挙げ、新婚旅行にも行った。
    新居は閑静な住宅街の一角の新築の戸建てを購入し、ご近所さんも皆いい人達だ。
    カラ松はいつだって優しくこちらを気遣ってくれる。
    けれど。
    時折、本当に時折なのだけど
    カラ松は一松を見つめては、ふと寂しげな表情をする事があった。
    その顔はカラ松でありながら別の誰かのようにも見えて、
    同時にその目は一松を見つめながら一松ではない誰かを求めているようにも見えた。
    さり気なく自分が何か気に障る事をしたのかと訊いてみたが、
    一松は何も悪くないのだと自嘲じみた笑みで返されるばかりでそれ以上は何も聞けなかった。

    もしかしたら、カラ松は本当は自分と結婚したくなかったのではないだろうか。
    あのお見合いの席での突然のプロポーズは、実は一松に断ってもらうために言い放った言葉だったのかもしれない。
    だって自分達は一度も、所謂夫婦の営みというやつをしていない。
    ああ、きっとカラ松は嫌々付き合ってくれていたんだ。そうに違いない。
    元より一松はネガティブ思考だ。
    一度思い込んでしまった己の推測を考え直すことのないまま、
    更なる負の連鎖に陥っている事にも気付けていない。
    夕食を作りながら尚も一松は考え込む。
    好きでもないのに付き合わされているなら、解放してあげた方がいいのではないか。
    バツがついてしまうが、カラ松ならすぐに自分なんかよりずっといい人が見つかるだろう。
    あの時、一松は自分が探し求めていたのはカラ松だと本能的に感じた。
    けれど、カラ松にとって探し求めている人は一松ではないのだ。
    あいつは優しいから、自分のことを憐れんで別れを切り出さずにいてくれているのだろう。
    そう考えると自然と涙がこみ上げてきた。
    流れる涙を拭いもせず、一松はキッチンに立ち尽くした。


    「…一松?」

    一体どれだけの間そうしていたのか、気付けばカラ松が帰宅していた。
    一松の様子にカラ松はギョッとした顔をして慌てて駆け寄る。

    「一松?!どうした、何かあったのか?」

    ハラハラと静かに涙を零す一松の顔を心配そうに覗き込み、優しく背中をさすり出した。
    だがその優しさすら、今の一松には苦しくて仕方なかった。

    「やめて…」
    「い、一松?」
    「やめてよ…もう僕なんかに…いい夫を演じることない…」
    「おい、本当にどうしたんだ一松?!」

    どこまでも優しいカラ松に、ひとりネガティブ思考でとことん自虐的になっていた一松は
    背を撫でるカラ松の腕を振り払い、今度は癇癪を起こした子供のように泣き出した。
    カラ松の眉根が困ったように下がったのと同時に
    その顔に昔を懐かしみ慈しむような表情を浮かべた事に一松は気付いていない。

    「無理してっ…僕に、つ、付き…合わないで、いいよっ…!
     すっ好きでも、ないクセにっ…優しく、され、たら…よけい、ツライよ…っ!」
    「一松?何を言っている?!」
    「ねぇ、何でっ…何で、僕とけっこん、なんて…したの…」
    「一松!!」

    しゃくりあげながら言葉を紡ぐ一松をカラ松は強引に腕の中に閉じ込めた。
    一松の薄い肩が跳ね上がったが構わずに力を込められる。

    「カ…カラま「黙れ」っ!」

    いつもより1オクターブ低い声に遮られる。
    一瞬、空気が震えた。
    カラ松を怒らせたのだと理解するのに時間は要しなかった。
    体格の良い男性のカラ松と平均より細く頼りない女性の一松では力の差は歴然で、一松に抜け出すことは不可能だ。
    一体何がどうなっているのか。
    考える暇も与えず、今度は顎を掴まれ上を向かされたかと思ったら唇を塞がれた。
    無理やり口元をこじ開けられ、歯列を舌でなぞられ、驚いて逃げ惑う舌を絡め取られた。
    一松にとって今まで経験したことのない、ねっとりとした濃厚な口付けだった。
    されるがままの状態で呼吸が上手くいかない。
    頭がボンヤリと白んできた。

    …………



    『好きなんだ、一松のことが』

    夕暮れ時に、何の前触れもなく告げられた愛の言葉。
    それは自分が夢にまで見るほどに欲しかった言葉のはずだった。
    けれど、実際にそれを目の前にいとも簡単に差し出されて、一松がまず感じたのは罪悪感と恐怖だった。
    差し伸べられたその手を取れば、甘ったるく幸せな時間を手に入れることができただろう。
    しかしそれは一時のぬるま湯に過ぎない。

    『…俺は…俺、は…カラ松に応えることは…できない…』
    『何故だ?俺のことは嫌いか?』
    『そ、そうじゃない…!』
    『ならどうしてだ?』
    『あ…アンタはさ、ちゃんといい人を見つけて、結婚して…子供を作って…
     平凡で幸せな家庭を築く方が、似合ってるよ…。
     こんなクズを相手にして…人生を棒に振ることない…。』
    『一松!!』
    『ヒッ…!』
    『…あ、すまない。怖がらせるつもりはなかったんだ。
    なあ、俺は一松と幸せになりたいんだ。一松は俺じゃダメなのか?』
    『俺、は…』

    (僕もカラ松が好きだよ。…でも)

    『ごめん…カラ松。』
    『……そうか。』
    『ごめん。』
    『いや…俺こそすまなかった。今のは忘れてくれ。』
    『……。』

    言えない。僕もカラ松が好きだよだなんて、言ってはならない。
    だって不毛過ぎる。
    同性で、実の兄で、しかも一卵性の兄弟で。
    ただでさえ社会不適合者で燃えないゴミの自分がこれ以上罪を重ねてどうするのか。
    いや、自分が罪を背負うのはこの際構わない。
    けどカラ松はダメだ。
    カラ松は、ちゃんといい人を見つけて、幸せになってほしかった。
    自分ではどう足掻いたってカラ松を幸せになんてできやしない。
    だからこの想いは報われてはいけないのだ。

    突然カラ松から想いを告げられた時、本当は天にも飛び上がる程嬉しかった。
    こんな自分を好きだと言ってくれることが泣きたいくらい嬉しかった。
    でも、だからこそ一松はカラ松を突き放した。

    幸せになんてなってはいけない。
    そうだね、来世にでも期待しよう。
    来世来世 ー…

    …………




    まるで貪るようなカラ松の口付けに思わず意識を手放そうとしたところに
    一松の中に突如として再生された、誰かの記憶。
    誰か…いや違う。あれは自分だ。
    あれはかつての自分自身だった。
    六つ子の兄弟の1人だった頃の記憶。
    かつての自分は、実の兄に想いを寄せていた。
    まさか、そのかつての実の兄は。
    突然頭の中に溢れかえった記憶に頭痛を覚えながらも、
    一松はカラ松の力が緩んだ瞬間に力いっぱいカラ松の顔を押しのけた。

    「は、なせ、クソ松…!!」

    何故どんなにハイスペックな男性に言い寄られても、この人は違うとその気になれなかったのか
    何故この男を探し求めていたとあの時感じたのか、ようやく理解できた。
    冗談交じりに「来世来世」なんて言ったが、まさか本当に来世に持ち越されることになろうとは。
    どうやらお互いに相当執念深かったらしい。

    腕の中から逃れることはできなかったものの、執拗に口内を絡め取る舌からは何とか逃れた。
    2人の口元を繋ぐ透明な糸が一瞬伸びて霧散した。
    いつもの一松とは異なる荒々しい口調と懐かしい呼称にカラ松が目を瞠った。

    「その呼び方…一松、まさかお前…!」
    「…お、思い、出した…。」
    「ほ、本当か?!
     ああぁよかった!っていうかそうじゃなくて!すまない!いきなり乱暴なことをっ!
     いやでも一松が好きでもないくせにとか言い出すから!
     つ、つい頭に血が上って!!」
    「もういいよ…結果的にクソ松の無理やりなディープキスが思い出すきっかけになったんだし…。」

    非常にわかりやすく慌てふためき出したカラ松に話を聞いてみれば、彼は学生時代から夢は見ていたものの
    思い出すまでには至らず見合いの席で一松の姿を見て前世の六つ子だった頃の記憶を思い出したらしい。
    あの時に一松が前世の一松だと確信して思わず突然プロポーズの言葉を吐いていたのだとか。

    「じゃぁ、たまに僕を見てなんだか寂しそうな顔してたのって…」
    「ああ…。俺には前世の記憶があるのに、一松にはそれがないのがどうにも寂しく感じる時があってな。
     今世でこうして出会って、夫婦になれたのだからこれ以上の幸せはないし
     贅沢を言うべきではないと分かってはいたのだが…、
    人は一度幸せに慣れてしまうと、それ以上を望んでしまう欲深い生き物なんだな…。」
    「…じ、じゃぁ…今まで、全然…手を出してこなかったのは…?」
    「そ、それはだな…。」
    「うん?」
    「壊しそうで怖かった。」
    「は?」
    「今の一松は、可憐な女性だし、身体も決して丈夫とは言えないだろう?
     だからその…抱いた時に今まで溜め込んできた欲をブチまけすぎて
     傷つけてしまうのが怖かったんだ。
     ましてや、一松には前世の記憶がなかったから…優しくする自信がなかった。」
    「…アンタ、ほんとバカだね。」
    「えっ…?!」
    「確かに前世に比べたら、僕は力も弱いし頼りないけど…そのくらいで壊れたりしないよ。
     それに、今はもう記憶がある。
     …だから、その…た、溜め込んでたっていう分、全部受け止められると思う、から…。」
    「い、一松うぅぅぅ!!」
    「うっせぇ抱きつくなクソ松!」
    「フッ…やはり俺達は愛の女神によって結ばれし運命…ディスティニーだったんだな…。」
    「何でこのタイミングでイッタイ事言った?!」
    「ぐふっ!…な、殴らないでくれ…いや、もう解禁してもいいかなーと思って。
     解き放つぜ俺の魂の[[rb:詩 > うた]]…!」
    「解き放つな死ぬ程ウゼェわ!!」

    「一松。」
    「…何。」
    「生まれる前から好きだった。」
    「………僕もだよ。」

    その夜、本当の意味で思いが通じ合ったカラ松と一松は目出度く心ゆくまで愛し合ったのであった。

    ーーーーー

    3.

    目を覚ますと、まず目に飛び込んできたのは見慣れた天井だった。
    顔だけを横に向けると、そこには昨晩散々抱き潰した一松が眠っていた。
    宣言通り、一松はその細い身体でカラ松がこれまで溜めに溜めてきた想いを一身に受け止めてくれた。
    柔らかくしなやかな体を思い出し、自然と頬が緩む。
    結婚当初、かつて六つ子の兄弟だった前世の記憶を一松は持っていなかった。
    その事に少しの寂しさを感じてしまったために、
    知らずの内に一松を傷つけてしまっていたことを知ったのは昨日のことだった。
    気付かれないようにしていたつもりだったが、勘づかれていた事に申し訳なさを感じた。
    好きでもないのに優しくするな、等と言われて思わず頭に血がのぼり、
    噛み付くように半ば強引に嗚咽を漏らす一松の唇を塞いで。
    乱暴な事をしてしまったと今では反省しているが、その口付けによって一松にも前世の記憶が蘇ったのだから
    結果オーライと思っておくとしよう。
    時を越えて抱え続けてきたと言っても過言ではない想いがようやく結ばれて、
    これ以上ない幸福感と心地好い疲労感を感じながら、カラ松はすやすやと寝息を立てる一松を抱き寄せた。
    枕元の時計は9時半を示している。
    一松の額にキスを落とすと、カラ松はベッドから抜け出した。
    昨晩一松には無理をさせてしまったことだし、今日の朝食は自分が作ろうと思い立ったのだ。

    手早くトーストとベーコンエッグを作ってしまうと、カラ松は再び寝室へと向かう。
    部屋の扉を開けるとちょうど一松が目を覚ましたところだったようだ。

    「お目覚めかい、カラ松Girl?」
    「だまれくそまつ…。」
    「フッ…起き抜けの舌ったらずな声で言われてもキュートでしかないぜ?」
    「うっざ」

    朝食を済ませ、リビングには一松が食器を洗うカチャカチャとした音とテレビの音が控えめにこだましている。
    今日は休日だ。
    天気も良いし、何処かに出掛けるのもいいかもしれない。
    そういえばこの辺も桜が満開になったとかニュースで言っていた。
    花見なんてのもいいな。
    少し遠出して桜の名所を散歩するだけでも楽しめそうだ。
    ソファに腰掛けてテレビを見つめながら、なんとなくそんな事を考えていたカラ松だったが
    一松に話しかけられたため、現実に戻ってきた。
    洗い物は終えたようで、一松はカラ松の隣に三角座りで腰掛けた。

    「ねぇ。」
    「うん?」
    「僕達は奇跡的な確率でこうして会えたけどさ、他の兄弟も転生してるのかな。」
    「ああ、そういえばそうだな。
     もし同じ時代に生きているのなら会ってみたいよなぁ…。」
    「まぁ、そうだね。」

    話はそれ以上進まなかった。
    昔から見ていた夢のせいで一松のことしか気にかけていなかったが
    言われてみれば、かつての六つ子の兄弟もこうして転生している可能性もある。
    もし今を生きているなら会ってみたいものだ。

    ーーー

    それから月日は流れたが、他の兄弟に出会う事は未だなかった。
    進んで探したりしていないのだから、当然の結果とも言える。
    もし、今この同じ時代に生きているなら、幸せな人生を歩んでほしいものだ。
    人知れず、カラ松はそう思った。

    そんなある日の事。

    いつも通り仕事から帰ると、いつにも増して畏まって座る一松の姿があった。
    食卓にはきちんと湯気の立っている夕食が並べられている。
    本日のメニューは唐揚げのようだ。

    「ただいま帰ったぜマイハニー!」
    「おかえり…。」
    「…?どうかしたのか、一松。」
    「あー…うん。ちゃんと話すから、とりあえず手洗ってきたら。」
    「わ、わかった!」

    一松に促され、カラ松はスーツのジャケットを脱いでハンガーに掛けると、
    洗面所で丁寧に手洗いうがいを済ませて食卓へ戻った。
    先程からダイニングテーブルにつく一松はどこかソワソワしているように見えた。
    その様子に首を傾げながらもカラ松も席に着く。

    「それで、何かあったのか?」
    「えー…と、その…。」
    「一松?」
    「あ…」
    「あ?」
    「あ、赤ちゃんが、できた…。」

    一瞬、思考がフリーズした。
    赤ちゃん。
    …赤ちゃん?!
    頬を薄桃色に染めてカラ松にそう告げた一松は、恥ずかしさに耐えられなくなったのか
    パンッと大きめの音を立てて手を合わせ、上擦った声音で「いただきます!」と言うと唐揚げを頬張り始めた。
    カラ松は停止したままだ。
    一松が一つ目の唐揚げを咀嚼し終え、飲み込んだところで、ようやくカラ松は事態を理解した。

    「こっ子供?!」
    「うぇっ?!…あ、うん。」
    「お、俺と一松のか?!」
    「なっ…アンタの子に決まってんじゃん。…何、疑ってる?」
    「いや、疑ってなどいないぞ!
    そうか!赤ちゃんか!…そうかぁ~。…ぐすっ」
    「え。…え?!ちょっと、何泣いてんの?も、もしかして嫌だった…?」
    「まさか!嬉しいぞ!この上なく幸せだ!幸せ過ぎてつい涙が…っ
    嗚呼、ありがとう一松!ありがとう!!」

    現状を把握したカラ松は天を仰ぎ声高らかにセラヴィー!と叫び出したが
    一松にうるさい、と口に唐揚げを無理やり突っ込まれた。
    唐揚げは美味かった。

    妊娠を告げられてからというものの、カラ松は今まで以上に一松に献身的になった。
    検診には毎回同行したし、つわりがひどくて動けない時は代わりに家事の一切を引き受けた。
    産院の両親学級にも参加した。
    切迫流産で緊急入院になった時は毎日病室を訪れた。
    お腹が目立ってきた頃には毎晩のように話し掛けて、子守唄も歌ったりした。
    手を触れた一松の腹越しにお腹の子が蹴り返してきた時は感動を覚えたものだ。
    日毎どんどん大きくなる一松の腹を見ながら、カラ松は日々の幸せを噛み締めていた。
    前世では一松と結局結ばれる事はなかった。
    確かに互いに思い合っていたが、だからこそカラ松の身を案じた一松が拒絶したのだ。
    その事がひどくもどかしくもあったが、今世でこうして結ばれる事ができたのだ。
    夫婦となって、もうすぐ子供も生まれる。
    幸福感もひとしおだった。

    ーーーーー

    4.

    再び桜が咲き始めた季節の明け方、一松はカラ松の立会いの元、闘いの真っ最中だった。
    昨日の夕方に病院に入院し、日付が変わって空が白んできた頃にようやくここまできた。

    「松野さん、頭が見えてきましたよ!もう少しですからねー」

    「一松、一松!あと一息だ、頑張れ!」

    意識が朦朧として、気を抜くと眠ってしまいそうだ。
    実際に何度か意識を飛ばしては、痛みにまた目を覚ますという流れを繰り返していた。
    一松の右手を握るカラ松の声がどこか遠くに聞こえる。
    とにかく必死で腹に力を込めた。

    産声が響き渡った頃には、気力体力共に限界を超えていた。
    いつの間にか日は昇りきっている。

    「おめでとうございます。男の子ですよ。」

    産科医が祝福の言葉と共に一松の胸元に温めたバスタオルを広げ
    その上にたった今産まれたばかりの我が子を乗せてくれた。
    妊娠がわかったその時から、待ち焦がれていた瞬間だ。
    小さな身体で力いっぱい泣き声をあげる子を胸に抱くと、自然と涙が一筋零れ落ちた。
    1人産むのでさえ妊娠中から何から何まで大変だったというのに
    前世の母は一度に6人生んだのだから本当に尊敬に値する。
    今になって改めてマジ松代リスペクトである。
    …それよりも傍らに立つカラ松が大号泣している。
    えぐえぐと嗚咽を漏らすカラ松を呆れたように笑って一瞥し、我が子の顔をのぞき込んだ。
    生まれたばかりのはずなのにぱっちり開いた大きな目と、ぱっかり開いた大きな口。
    ……んん?

    「…………十四松?!」

    生まれたばかりの赤子なのだが、顔を見た瞬間、一松の直感がそう告げた。
    一松の掠れた呟きに、カラ松は気付いていない。
    気のせいだろうか?
    いや、確かにこの子は十四松だ。そう思えてならない。
    え?ってことは前世の兄弟が息子として生まれてきたの?マジで?!
    驚愕の事実にまた気を失いそうになった。
    頭がクラクラして眩暈がするのは決して産後の疲労だけではないはずだ。
    カラ松は相変わらず感動の涙を流しながらセラヴィセラヴィ言っているため、おそらくまだ気付いていない。


    結局カラ松が生まれた我が子の顔をしっかりと見たのは、母子共に後処理も終えて一段落し
    一松が病室のベッドに横になっている時だった。
    産湯で綺麗にしてもらった息子が白い産着に包まれ、小さな新生児用のベビーベッドに乗せられて
    運ばれてきたのでカラ松が抱っこに初挑戦することになったのだ。
    初めて腕に抱いたその子の顔を見て、カラ松は一松と同じ反応をしてみせた。

    「…………十四松?!」

    「…やっぱりそう思う?…僕も思った。」
    「一松もそう感じたのなら間違いないんじゃないか?
     そうか…まさか十四松が俺達の子供として生まれてくるとはなぁ。」
    「ん…驚いたよね…。」
    「ああ。…そうだ、一松。お疲れさま、よく頑張ったな。
     俺を父親にしてくれて、ありがとう。
     こんな可愛い奥さんと息子を持てて俺は果報者だ!」
    「ヒヒ…どういたしまして。
     つーか、前世の兄弟だけどね。」
    「俺達六つ子の縁は生まれ変わった程度じゃ切れたりしないってことだな!」

    小さな十四松(もう決定だ)をベビーベッドにそっと寝かせると、
    カラ松は部屋の隅に畳んで置いてあったパイプ椅子を広げ、一松が横たわるベッドの脇に腰掛けた。
    一松の腕には産後の感染症予防のための点滴が打たれている。
    明らかに疲労の色が見える一松の頬をカラ松が優しく撫でる。
    それから顔を近づけて、額に小さなリップ音を立てて口付けを落とした。
    いつもは照れ隠しで殴り飛ばす一松も
    (とは言っても前世と違ってカラ松にとっては大したダメージになっていない)
    今は抵抗する気力はないのかされるがままだ。

    「本当に、お疲れ。」
    「…ん。」
    「…ところで思ったんだが。」
    「何。」
    「俺達が他の兄弟に会ってなくて尚且つ今日、十四松が生まれてきたってことは…」
    「え…え?…ちょっと、嘘でしょ。僕も少しその線も考えたけどさすがに…」
    「いや、他の兄弟に会えない理由が、まだあいつらがこの世に生まれていないからだとすると…」
    「まさか…ないないない!というかないと思いたいんだけど!」

    「「…………。」」


    「一松、あと3人頑張ろうか。」
    「嘘だろおぉぉぉぉ?!!!?!」

    ーーー

    その後、
    十四松が生まれた2年後にトド松(♀)が
    更にその3年後にチョロ松が
    更に更にその2年後におそ松が生まれて
    無事に今世でも六つ子が揃いました。

    「待って、こいつら僕らが育てていくの?!」
    「フッ…当たり前だろう。俺と一松の愛の結晶達なんだからn「荷が重ーーーい!!!」えっ…」

    ーーーーー

    蛇足

    ●カラ松パパ
    一家のパパ。27歳の時に一松と結婚してその翌年に十四松が誕生。
    割と有名な大企業に勤める一家の大黒柱。
    転生してイタさは緩和されたがたまにイタイ言動をする(確信犯)
    一松マジ愛してる。死んでも離さない。
    子供達マジ可愛い。
    中でも女の子として生まれてきたトド松は特に可愛くて仕方ない。
    お嫁?絶対許しません!

    ●一松ママ
    一家のママ。22歳の時にカラ松と結婚してその翌年に十四松が誕生。
    大学を卒業してすぐに結婚したので就職はしてなかったが、
    現在は近所のドラッグストアでパートをしている。
    今世では少々身体が弱いのが悩み。
    子供達はみんな健康に生まれてくれたのはホッとしている。
    気恥ずかしさが勝ってしまうため素直になれないがカラ松のことはちゃんと愛してます。
    子供達にはデレ100%

    ●十四松
    明るく元気な長男。
    弟妹の面倒もちゃんと見るイイコ。
    中でもトド松が大好きな隠れシスコンでカラ松と共にトド松護衛隊を結成している。
    前世に比べてそこまで狂人ではないけど運動神経は抜群。
    前世の記憶は割と早い段階で思い出した。

    ●トド松
    おしゃまさんであざとい長女。
    お兄ちゃんの十四松が大好きな隠さないブラコン。
    彼氏?十四松兄さんよりカッコイイ人がいたら考えるよ!いるワケないけどね♡
    生まれ変わってもカラ松に「イッタイよねぇ〜」とツッコむのは忘れない。
    前世の記憶は小学校に上がった頃に少し思い出した。
    現在も随時記憶補完中。

    ●チョロ松
    しっかり者な次男。
    おそ松が生まれるまではヤンチャ坊主だったが自分以上にヤンチャな弟ができたことで
    お兄ちゃん心が芽生えたのかしっかり者のおそ松ストッパーに成長した。
    あざとい姉にいいようにパシられる率No.1
    両親も兄も姉もあんなんなので今世でも立派にツッコミ役を果たしている。
    前世の記憶はまだない。

    ●おそ松
    やんちゃな末っ子。
    末っ子なのでみんなに甘やかされてそうで実はそうでもない。
    とにかくやんちゃな悪ガキ。
    時折、一体どこで覚えてきたんだという下ネタを暴発する。
    常にチョロ松に怒られて引き摺られているが、なんだかんだでチョロ松にべったりなお兄ちゃん子。
    前世の記憶はまだない。


    お粗末様でした。
    ちなみに子供達の順番はあみだくじで決めました。
    #BL松 #カラ一 #転生 #女体化 ##転生カラ一

    ※非常に読む人を選ぶ文です。

    この作品は以下の要素を含みます。
    少しでも嫌悪感を感じましたら、今すぐブラウザバックをお願いいたします。
    ①転生パロです
    ②キャラの女体化、妊娠・出産の描写を含みます
    ③当然のようにキャラ崩壊
    ④書きたいところだけ書いてます

    ーーーーー

    1.


    (なぁ、一松…その、俺は…お前のことが…)

    ………



    ああ、またこの夢だ。



    スマホにセットしたアラーム音が鳴り響く。
    時刻は午前6時過ぎ。
    目覚めは最悪だ。

    一人暮らしのワンルーム。
    家具は必要最低限しかない簡素な部屋だ。
    アラームを止めてのそりと起き上がり
    寝ぼけ眼のままトースターに食パンを突っ込むと顔を洗いに洗面台へ向かった。
    顔を洗い、寝癖を直して部屋に戻るとトースターがチン、と軽快な音を立てた。
    程よく焼けたトーストを皿に移してローテーブルに置き、コップに牛乳を注いでテレビをつけた。
    テレビから流れる朝のニュースを流し見しながらトーストを齧り、
    食べ終わったら歯を磨いて着替えて家を出る。
    これがここ数年の松野カラ松のルーチンワークだ。
    就職を機に一人暮らしを始めて早5年。
    それなりの企業でそれなりの成績を上げているし、友人もいる。
    充実した日々を送っているはずだ。
    だが最近、カラ松にはある悩みがあった。

    夢を見るのだ。

    夢の中で、自分は誰かに想いを伝えようとしている。
    けれどそれは結局最後まで伝えられずに目が覚める。
    最初にこの夢を見たのは中学生の頃だった。
    それからというもの、ふとした時に思い出したように同じ夢を見る。
    夢の中で、カラ松は一松という人物に想いを告げようとしていた。
    わかっているのは一松という名前だけだ。
    夢の中で相手の顔をしっかりと見ているはずなのに、
    目が覚めるとその顔は途端にボヤけて思い出せなくなる。
    それなのに、相手を想う切なく胸が締め付けられるような気持ちは目覚める度に胸に残る。
    この夢から覚めた後は、いつもどうしようもない虚無感に襲われた。
    いっそ泣き出したい程に、確かに夢の中でカラ松は一松という人物を愛していた。

    さて、松野カラ松は容姿は悪くはない方だ。
    それなりの企業に勤めているし、今はそれなりの立場になった。
    言い寄ってくる女性も決して少なくないし、何人かと付き合ったことだってあった。
    しかし、どれもこれも全く長続きしなかったのである。
    興味がない訳ではない。
    恋人を作っていつか結婚して平凡な家庭を持ちたい、という思いがない訳でもない。
    自分を好きだと言ってくれた愛らしく可憐な女性と並んで歩き、
    少し高めのレストランで食事をして、ホテルで甘い時間を過ごして。
    ところがそうして愛の言葉を囁いた時に、脳裏にいつも一松のことが過ぎるのだ。
    どんな美女を相手にしても、いい感じの雰囲気になってきたところで毎回一松の事を思い出してしまう。
    そんなわけで、結局目の前の女性とそれ以上付き合うことが出来ず、呆気なく破局を迎えてしまう。
    それもこれもあの夢のせいだ。
    そもそも一松は実在するのかどうかも定かではない。
    それなのに、カラ松は一松に恋をしていてその影を追っている。
    夢を見る度に実際に会ったことすらない一松に惹かれていく自分自身に気付き、
    カラ松は己の救えなさに溜め息を吐いた。
    胸中に燻る虚しさや寂しさを紛らわそうと、何度か女性と関係を持ったが、
    こんな調子で返って逆効果だと気付き、もうここ最近は一切女性と関係は持っていない。
    どうかしている。
    夢の中の、それも姿を思い出せない相手に恋慕するなんて。
    しかし日毎増していくその想いをどうすることもできず、ただただ翻弄されるばかりだった。

    ーーー

    土曜日。
    完全週休二日制の会社のため、ありがたく休日を謳歌するカラ松はベッドの中で惰眠を貪っていた。
    今日はアラームに起こされることもない。
    日はとうに空高く昇っているが、そんな事はお構いなしに夢心地で微睡んでいた。
    が、
    そんなささやかな幸せの時間を破るようにスマホから着信音が鳴り響いた。
    予期せぬ着信に無理やり起こされたカラ松は眉間に皺を寄せ、寝ぼけ眼のまま手を伸ばしスマホを手に取った。
    相手を確認すると自分の母親の名前が表示されていた。
    その事により一層顔を顰める。
    正直無視したくて仕方ないのだが、そうすると後々もっと面倒な事になるのはこれまでの経験則で分かっている。
    カラ松は目を擦りつつ、渋々通話ボタンをタップしてスマホを耳に押し当てた。

    「…もしもし。」
    『もしもし、なんだか声が擦れてるわね。まさかさっきまで寝てたの?』
    「寝てたぞ…今日休日だからな。」
    『あらそう。ちゃんと食べてるの?次のお盆休みには帰って来なさいね?』
    「…ああ。」
    『ところで、来週の日曜日は空けておきなさいね。』
    「…え、何でだ?」
    『父さんがね、お見合い話を持ってきたのよ。何でも得意先の方のお嬢さんなんだとかで。』
    「は?!お見合い?誰が?!」
    『アンタに決まってるでしょ!断ることもできなかったみたいだし、
     父さんの顔を立てると思って、頼むわよ。
     いい加減アンタもそういうの考えてもいいんじゃないの。』
    「え、ちょ…」
    『それじゃ、来週日曜日に赤塚ホテルよ、ちゃんとしたスーツで来なさいね。』
    「いや、待っ」ブツッ

    ツー…ツー…ツー…

    「……嘘だろ。」

    まるで突然の嵐に見舞われたかのようだった。
    全く口を挟む間もなく、一方的に約束を取り付けた母はさっさと通話を切ってしまい、
    後に残るのは呆然としたカラ松の呟きと無機質な機械音のみ。
    唐突に告げられたお見合いの話は、カラ松の心に重くのしかかるばかりであった。
    今までも女性に対して散々な態度しか取れなかったのだ。
    ましてやお見合いだなんて無理に決まっている。
    相手には悪いが、適当に顔だけ合わせて理由を付けて断ってしまおう。
    その方がきっと幸せだ。
    自分にとっても、お見合い相手の女性にとっても。
    カラ松は今日何度目かの溜め息を吐いた。

    ーーー

    迎えた日曜日。
    薄く縦のストライプ模様が入ったスーツにパステルブルーのワイシャツを着たカラ松は、ホテルのロビーに佇んでいた。
    その表情は明らかに沈んでいる。
    表情が冴えない理由は乗り気でないお見合いをしなければならないだけではない。
    今朝またしてもあの夢を見たのだ。
    よりによってお見合いをする今日、見てしまったのだ。
    夢の中で、やっぱり自分は一松という人物に恋焦がれていて、その想いを伝えようとしていた。
    けれど、やはり最後まで想いを口にするのは叶わなかった。
    ただ、いつもと違って一松の姿は少しだけ記憶に残っている。
    ボンヤリとはしているが、確か瞳が深い紫色をしていた。
    瞳の色を覚えていたのは今日が初めてだ。
    それだけで胸の高鳴りを覚えたが、同時にまだ顔も見ていないお見合い相手に罪悪感も感じた。

    久々に会った両親と合流し、ホテルの一階に設けられた上品な装いの和食のレストランの個室に通され、
    相手方を待つことになった。
    憂鬱だ。
    早くこの時間を終えてしまいたい。
    カラ松は俯いてただただ時間が過ぎるのを待っていた。

    しばらく続いた沈黙を破り、個室の襖が開いた。
    反射的に顔を上げたカラ松は、相手女性の顔を見て思わず目を見開いた。

    (一松…?!)

    もう何年も夢の中で恋をしてきた相手。
    顔すらまともに覚えていないのに、何故かそう確信した。

    一松だ、やっと会えた!
    ずっとずっと君を探し求めていたんだ!

    心が、そう叫んでいるようだった。

    薄紫の振袖を身に纏った目の前の女性は、伏し目がちな深い紫色の瞳でカラ松を一瞥すると、
    何も言わずに静かに腰を下ろした。
    凛とした、けれどどこか色香を感じる人だと思った。
    互いの父親が決まり文句を並べた挨拶を交わしているが、それを遮ってカラ松は声を張り上げた。

    「結婚してください!」

    伏して半目状態になっていた振袖女性の目が驚愕でぱっちりと見開かれた。
    カラ松と一松の視線が交わった。

    視線がかち合ったその瞬間、世界が停止した。

    ………



    (なぁ、一松…その、俺は…お前のことが…)

    それを告げたのは確か家に2人きりの夕方だった。
    桜が咲き始め、日中の陽射しが暖かくなってきたものの夜はまだ冷え込む、そんな時期。
    長男はパチンコへ、三男はアイドルのイベントへ、五男と六男は連れ立って何処かへ遊びにそれぞれ出掛けていて、
    家には2人きり。
    お互い自由に家の中で過ごしていたが、チラリと窓際へ目をやると
    壁にもたれ掛かって微睡む一松の姿が目に入った。
    夕陽が一松の白い頬を照らし、窓から入り込む風で柔らかな髪をフワリと靡いた。
    一体どこからやってきたのか、窓から桜の花弁が一片ヒラリと舞い込み、一松の髪に乗った。
    その姿が、とてもとても綺麗に見えて息を呑んだ。

    カラ松は一松に…2つ下の一卵性の兄弟に恋をしていた。

    『一松。』
    『…何。』
    『なあ、一松…その、俺は…』
    『…どうかしたの。』
    『俺は、お前のことが好きだ』
    『……………え。』
    『突然すまない…だが、好きなんだ、一松のことが。』
    『ちょ、ちょっと待って』
    『一松…。』
    『待てってば!』

    一松の瞳に戸惑いの色が浮かんだのがわかった。
    カラ松にやけにキツくあたる一松の鋭い眼差しを直に受け止める度に
    一松がここまで横暴に自身を曝け出せる相手は自分だけなのだと歪んだ優越感を覚えた。
    同時に、その強気な顔を自分の手で歪めてやりたいと、
    その気怠げな目をドロドロに溶かして泣かせてやりたいと、薄暗い欲望が胸を擽った。
    一松もカラ松にキツく当たり散らしながらも、どこかカラ松のことを特別に見ていたことも察していた。
    自分と同じように、一松がカラ松の事を無意識のうちに目で追っているのをカラ松が見逃さないはずがなかった。
    世間一般から見れば到底赦されることのない想いだ。
    報われてはいけない想いだという事はカラ松も一松も十分に理解していた。
    しかし考えてみれば自分達はとうに世間からはじかれている者同士だ。
    そこに更なる不毛を重ねたとて、大して問題ではない。
    カラ松は単純にそう考えていた。

    『…俺は…俺、は…カラ松に応えることは…できない…』
    『何故だ?俺のことは嫌いか?』
    『そ、そうじゃない…!』
    『ならどうして?』
    『あ…アンタはさ、ちゃんといい人を見つけて、結婚して…子供を作って…
     平凡で幸せな家庭を築く方が、似合ってるよ…。
     こんなクズを相手にして…人生を棒に振ることない…。』
    『一松!!』
    『ヒッ…!』
    『…あ、すまない。怖がらせるつもりはなかったんだ。
    なあ、俺は一松と幸せになりたいんだ。一松は俺じゃダメなのか?』
    『俺、は…』

    ……………



    そうだ。
    同性で、実の弟で、しかも一卵性の兄弟という不毛でしかない相手に恋心を抱いていた。
    いつも夢に見ていたあの告白の場面の続きを不意に思い出したのを皮切りに
    脳内に次々と記憶が溢れかえってきた。
    松野カラ松であって、今の松野カラ松ではない、これは前世の記憶なのだと直感的に理解した。
    何故このタイミングで前世の記憶が蘇ったのか。
    十中八九、目の前に座るお見合い相手の女性が原因なのだろう。
    今目の前にいる女性が一松の生まれ変わりなのだ。
    根拠などないが、何故かそう確信できる。
    目が合った途端に見えた先程の白昼夢が、きっとその証明だ。

    脳内の洪水が収まり、カラ松がハッとして現実に帰ると、どうやら自分が声を張り上げてから
    そこまで時間は経っていないらしく、自身の声の余韻が個室から消え去ろうとしている程度だった。
    互いの両親は何事かと呆然としている。
    深い紫を称えるその瞳は、カラ松の突然の言葉に驚いていたものの、すぐにまた細められ、そして妖艶に笑った。
    紅が乗せられた艶やかな唇が開き、静かに言葉が紡がれた。

    「私でよろしければ、謹んでお受け致します。」

    今度こそ完全に置いてけぼりとなった両親を尻目に、お付き合い0日で2人は婚姻を約束した。

    ーーーーー

    2.

    正直、面倒でしかなかった。
    真面目ないい子に育った一松は、それなりに恵まれた人生を歩んできた。
    生まれつき少々身体が弱く、幼い頃は幾度となく入退院を繰り返したものの
    大人になるにつれそれも落ち着いてきた。
    両親に愛情を注がれ、器量の良いお嬢様として何不自由ない暮らしをしてきた。
    それなのに。
    それなのに、時折襲ってくるどうしようもない寂しさと苦しさは一体何なのだろうか。

    最初に気付いたのは中学生の頃だった。
    成績優秀、眉目秀麗、クールな性格だが病弱でいかにも庇護欲をそそる松野一松は
    学校では高嶺の花と云うべきポジションにいた。
    無論、目立つ事が苦手な一松にとってそれは決して本人が望んだポジションではない。
    それでも毎月、毎週のように男子から告白を受けていた。
    しかし、一松がそれに応えることは今までに一度たりともなかった。
    自分でも上手く説明できないのだが、言い寄る男子を見て、「この人は違う」と思ってしまうのだ。
    別に白馬の王子様を夢見ているわけでもないし、理想が高過ぎるわけでもない。
    それなのに「違う」と直感的に思ってしまう。
    一度そう思ってしまうともう受け入れる事なんて一松にはできなかった。
    そうして告白を断り続ける一松の姿は、益々高嶺の花に拍車をかけ、
    何としてでも落とそうとする不貞な輩もちらほら現れたものの、
    ついに学生時代に誰とも付き合うことなく成人を迎えた。
    告白を断る度に己を蝕む虚無感と泣き出したくなるような寂しさ。
    違う、この人じゃない。
    あの人でないとダメなんだ。
    まるで頭のどこかでもう1人の自分がそう叫んでいるようだった。
    あの人が一体誰の事なのか、一松自身にもわからない。
    わからないが、一松はいつも心のどこかで自分でもよくわからない"あの人"を探し求めていた。

    突然お見合いをさせられる事になったのは、大学を卒業して間もない頃だった。
    いつまでもこんな調子の一松を両親が気にして、どうやら強行に出たらしい。
    一度こういう事を体験しておけば、気が変わるかもしれないわよ、とは母の言葉だ。
    聞くところによると、相手は5つ年上のなかなかの企業に勤める人らしい。
    こちらの都合はお構いなしのまま、あれよあれよと事が運び、気付けば着付けも済まされていた。
    両親に気付かれないように、一松は小さく溜め息を吐いた。
    どうせ、お見合いをしたところで変わらない。
    この人は「違う」と思ってしまえばそれまでだ。
    違うと感じてしまえば受け入れられない。
    何か理由を見つけて断ろう。
    慣れない振袖に歩くのも四苦八苦しながら、一松は考えた。

    ホテルの中に設けられた和食レストランの個室の襖が開いた。
    中で待っていたのはいかにも女性受けしそうな精悍な顔立ちの男性。
    お見合い相手の男性は、一松の姿を見て驚いたように目を見開いている。
    一体何をそんなに驚いているのかはわからないが、気にせずに男性の正面に腰を下ろし、
    互いの父親がテンプレに沿った挨拶を始めた時だった。

    「結婚してください!」

    目の前に座る男性がよく通る声でそう言った。
    突然の言葉に今度は一松が目を見開く番となった。
    視線が交わる。
    その目を見て、思った。

    あ、この人だ。

    探し求めていたのは、間違いなくこの人だ、と頭の片隅にいるもう1人の自分が騒ぎ立てた。
    この人だ、この人だ。
    何故そう思ったのか、一松自身にも説明のしようがない。
    ただ、本能的にそう感じたとしか言えないのだが、目の前に座るお見合い相手の男性は
    間違いなく一松が追い求めていた人だった。
    だから、自然と綻ぶ口元をなんとかバレないようにしながら
    男性の、カラ松の言葉に応えた。

    「私でよろしければ、謹んでお受け致します。」

    カコン、と庭園に誂えられた鹿威しの音が聞こえた。

    ーーー

    それからはあっという間だった。
    何度かカラ松と2人で出掛けたりしながら親睦を深めつつ、
    新居を探し家具を揃え、お見合いから半年たった頃に婚姻届を役所に出しに行った。
    あの時本能的にこの人だと感じた己の直感は間違っていなかったようで、
    カラ松と過ごす時間は一松にとって非常に心地好いもので、
    出会って日が浅いのにも関わらず気の置けない相手になっていた。
    まるで、元からそうだったかのように、ごく自然に互いの生活に互いの存在が溶け込んでいった。

    新婚生活は至って順調だ。
    親族のみでささやかな式を挙げ、新婚旅行にも行った。
    新居は閑静な住宅街の一角の新築の戸建てを購入し、ご近所さんも皆いい人達だ。
    カラ松はいつだって優しくこちらを気遣ってくれる。
    けれど。
    時折、本当に時折なのだけど
    カラ松は一松を見つめては、ふと寂しげな表情をする事があった。
    その顔はカラ松でありながら別の誰かのようにも見えて、
    同時にその目は一松を見つめながら一松ではない誰かを求めているようにも見えた。
    さり気なく自分が何か気に障る事をしたのかと訊いてみたが、
    一松は何も悪くないのだと自嘲じみた笑みで返されるばかりでそれ以上は何も聞けなかった。

    もしかしたら、カラ松は本当は自分と結婚したくなかったのではないだろうか。
    あのお見合いの席での突然のプロポーズは、実は一松に断ってもらうために言い放った言葉だったのかもしれない。
    だって自分達は一度も、所謂夫婦の営みというやつをしていない。
    ああ、きっとカラ松は嫌々付き合ってくれていたんだ。そうに違いない。
    元より一松はネガティブ思考だ。
    一度思い込んでしまった己の推測を考え直すことのないまま、
    更なる負の連鎖に陥っている事にも気付けていない。
    夕食を作りながら尚も一松は考え込む。
    好きでもないのに付き合わされているなら、解放してあげた方がいいのではないか。
    バツがついてしまうが、カラ松ならすぐに自分なんかよりずっといい人が見つかるだろう。
    あの時、一松は自分が探し求めていたのはカラ松だと本能的に感じた。
    けれど、カラ松にとって探し求めている人は一松ではないのだ。
    あいつは優しいから、自分のことを憐れんで別れを切り出さずにいてくれているのだろう。
    そう考えると自然と涙がこみ上げてきた。
    流れる涙を拭いもせず、一松はキッチンに立ち尽くした。


    「…一松?」

    一体どれだけの間そうしていたのか、気付けばカラ松が帰宅していた。
    一松の様子にカラ松はギョッとした顔をして慌てて駆け寄る。

    「一松?!どうした、何かあったのか?」

    ハラハラと静かに涙を零す一松の顔を心配そうに覗き込み、優しく背中をさすり出した。
    だがその優しさすら、今の一松には苦しくて仕方なかった。

    「やめて…」
    「い、一松?」
    「やめてよ…もう僕なんかに…いい夫を演じることない…」
    「おい、本当にどうしたんだ一松?!」

    どこまでも優しいカラ松に、ひとりネガティブ思考でとことん自虐的になっていた一松は
    背を撫でるカラ松の腕を振り払い、今度は癇癪を起こした子供のように泣き出した。
    カラ松の眉根が困ったように下がったのと同時に
    その顔に昔を懐かしみ慈しむような表情を浮かべた事に一松は気付いていない。

    「無理してっ…僕に、つ、付き…合わないで、いいよっ…!
     すっ好きでも、ないクセにっ…優しく、され、たら…よけい、ツライよ…っ!」
    「一松?何を言っている?!」
    「ねぇ、何でっ…何で、僕とけっこん、なんて…したの…」
    「一松!!」

    しゃくりあげながら言葉を紡ぐ一松をカラ松は強引に腕の中に閉じ込めた。
    一松の薄い肩が跳ね上がったが構わずに力を込められる。

    「カ…カラま「黙れ」っ!」

    いつもより1オクターブ低い声に遮られる。
    一瞬、空気が震えた。
    カラ松を怒らせたのだと理解するのに時間は要しなかった。
    体格の良い男性のカラ松と平均より細く頼りない女性の一松では力の差は歴然で、一松に抜け出すことは不可能だ。
    一体何がどうなっているのか。
    考える暇も与えず、今度は顎を掴まれ上を向かされたかと思ったら唇を塞がれた。
    無理やり口元をこじ開けられ、歯列を舌でなぞられ、驚いて逃げ惑う舌を絡め取られた。
    一松にとって今まで経験したことのない、ねっとりとした濃厚な口付けだった。
    されるがままの状態で呼吸が上手くいかない。
    頭がボンヤリと白んできた。

    …………



    『好きなんだ、一松のことが』

    夕暮れ時に、何の前触れもなく告げられた愛の言葉。
    それは自分が夢にまで見るほどに欲しかった言葉のはずだった。
    けれど、実際にそれを目の前にいとも簡単に差し出されて、一松がまず感じたのは罪悪感と恐怖だった。
    差し伸べられたその手を取れば、甘ったるく幸せな時間を手に入れることができただろう。
    しかしそれは一時のぬるま湯に過ぎない。

    『…俺は…俺、は…カラ松に応えることは…できない…』
    『何故だ?俺のことは嫌いか?』
    『そ、そうじゃない…!』
    『ならどうしてだ?』
    『あ…アンタはさ、ちゃんといい人を見つけて、結婚して…子供を作って…
     平凡で幸せな家庭を築く方が、似合ってるよ…。
     こんなクズを相手にして…人生を棒に振ることない…。』
    『一松!!』
    『ヒッ…!』
    『…あ、すまない。怖がらせるつもりはなかったんだ。
    なあ、俺は一松と幸せになりたいんだ。一松は俺じゃダメなのか?』
    『俺、は…』

    (僕もカラ松が好きだよ。…でも)

    『ごめん…カラ松。』
    『……そうか。』
    『ごめん。』
    『いや…俺こそすまなかった。今のは忘れてくれ。』
    『……。』

    言えない。僕もカラ松が好きだよだなんて、言ってはならない。
    だって不毛過ぎる。
    同性で、実の兄で、しかも一卵性の兄弟で。
    ただでさえ社会不適合者で燃えないゴミの自分がこれ以上罪を重ねてどうするのか。
    いや、自分が罪を背負うのはこの際構わない。
    けどカラ松はダメだ。
    カラ松は、ちゃんといい人を見つけて、幸せになってほしかった。
    自分ではどう足掻いたってカラ松を幸せになんてできやしない。
    だからこの想いは報われてはいけないのだ。

    突然カラ松から想いを告げられた時、本当は天にも飛び上がる程嬉しかった。
    こんな自分を好きだと言ってくれることが泣きたいくらい嬉しかった。
    でも、だからこそ一松はカラ松を突き放した。

    幸せになんてなってはいけない。
    そうだね、来世にでも期待しよう。
    来世来世 ー…

    …………




    まるで貪るようなカラ松の口付けに思わず意識を手放そうとしたところに
    一松の中に突如として再生された、誰かの記憶。
    誰か…いや違う。あれは自分だ。
    あれはかつての自分自身だった。
    六つ子の兄弟の1人だった頃の記憶。
    かつての自分は、実の兄に想いを寄せていた。
    まさか、そのかつての実の兄は。
    突然頭の中に溢れかえった記憶に頭痛を覚えながらも、
    一松はカラ松の力が緩んだ瞬間に力いっぱいカラ松の顔を押しのけた。

    「は、なせ、クソ松…!!」

    何故どんなにハイスペックな男性に言い寄られても、この人は違うとその気になれなかったのか
    何故この男を探し求めていたとあの時感じたのか、ようやく理解できた。
    冗談交じりに「来世来世」なんて言ったが、まさか本当に来世に持ち越されることになろうとは。
    どうやらお互いに相当執念深かったらしい。

    腕の中から逃れることはできなかったものの、執拗に口内を絡め取る舌からは何とか逃れた。
    2人の口元を繋ぐ透明な糸が一瞬伸びて霧散した。
    いつもの一松とは異なる荒々しい口調と懐かしい呼称にカラ松が目を瞠った。

    「その呼び方…一松、まさかお前…!」
    「…お、思い、出した…。」
    「ほ、本当か?!
     ああぁよかった!っていうかそうじゃなくて!すまない!いきなり乱暴なことをっ!
     いやでも一松が好きでもないくせにとか言い出すから!
     つ、つい頭に血が上って!!」
    「もういいよ…結果的にクソ松の無理やりなディープキスが思い出すきっかけになったんだし…。」

    非常にわかりやすく慌てふためき出したカラ松に話を聞いてみれば、彼は学生時代から夢は見ていたものの
    思い出すまでには至らず見合いの席で一松の姿を見て前世の六つ子だった頃の記憶を思い出したらしい。
    あの時に一松が前世の一松だと確信して思わず突然プロポーズの言葉を吐いていたのだとか。

    「じゃぁ、たまに僕を見てなんだか寂しそうな顔してたのって…」
    「ああ…。俺には前世の記憶があるのに、一松にはそれがないのがどうにも寂しく感じる時があってな。
     今世でこうして出会って、夫婦になれたのだからこれ以上の幸せはないし
     贅沢を言うべきではないと分かってはいたのだが…、
    人は一度幸せに慣れてしまうと、それ以上を望んでしまう欲深い生き物なんだな…。」
    「…じ、じゃぁ…今まで、全然…手を出してこなかったのは…?」
    「そ、それはだな…。」
    「うん?」
    「壊しそうで怖かった。」
    「は?」
    「今の一松は、可憐な女性だし、身体も決して丈夫とは言えないだろう?
     だからその…抱いた時に今まで溜め込んできた欲をブチまけすぎて
     傷つけてしまうのが怖かったんだ。
     ましてや、一松には前世の記憶がなかったから…優しくする自信がなかった。」
    「…アンタ、ほんとバカだね。」
    「えっ…?!」
    「確かに前世に比べたら、僕は力も弱いし頼りないけど…そのくらいで壊れたりしないよ。
     それに、今はもう記憶がある。
     …だから、その…た、溜め込んでたっていう分、全部受け止められると思う、から…。」
    「い、一松うぅぅぅ!!」
    「うっせぇ抱きつくなクソ松!」
    「フッ…やはり俺達は愛の女神によって結ばれし運命…ディスティニーだったんだな…。」
    「何でこのタイミングでイッタイ事言った?!」
    「ぐふっ!…な、殴らないでくれ…いや、もう解禁してもいいかなーと思って。
     解き放つぜ俺の魂の[[rb:詩 > うた]]…!」
    「解き放つな死ぬ程ウゼェわ!!」

    「一松。」
    「…何。」
    「生まれる前から好きだった。」
    「………僕もだよ。」

    その夜、本当の意味で思いが通じ合ったカラ松と一松は目出度く心ゆくまで愛し合ったのであった。

    ーーーーー

    3.

    目を覚ますと、まず目に飛び込んできたのは見慣れた天井だった。
    顔だけを横に向けると、そこには昨晩散々抱き潰した一松が眠っていた。
    宣言通り、一松はその細い身体でカラ松がこれまで溜めに溜めてきた想いを一身に受け止めてくれた。
    柔らかくしなやかな体を思い出し、自然と頬が緩む。
    結婚当初、かつて六つ子の兄弟だった前世の記憶を一松は持っていなかった。
    その事に少しの寂しさを感じてしまったために、
    知らずの内に一松を傷つけてしまっていたことを知ったのは昨日のことだった。
    気付かれないようにしていたつもりだったが、勘づかれていた事に申し訳なさを感じた。
    好きでもないのに優しくするな、等と言われて思わず頭に血がのぼり、
    噛み付くように半ば強引に嗚咽を漏らす一松の唇を塞いで。
    乱暴な事をしてしまったと今では反省しているが、その口付けによって一松にも前世の記憶が蘇ったのだから
    結果オーライと思っておくとしよう。
    時を越えて抱え続けてきたと言っても過言ではない想いがようやく結ばれて、
    これ以上ない幸福感と心地好い疲労感を感じながら、カラ松はすやすやと寝息を立てる一松を抱き寄せた。
    枕元の時計は9時半を示している。
    一松の額にキスを落とすと、カラ松はベッドから抜け出した。
    昨晩一松には無理をさせてしまったことだし、今日の朝食は自分が作ろうと思い立ったのだ。

    手早くトーストとベーコンエッグを作ってしまうと、カラ松は再び寝室へと向かう。
    部屋の扉を開けるとちょうど一松が目を覚ましたところだったようだ。

    「お目覚めかい、カラ松Girl?」
    「だまれくそまつ…。」
    「フッ…起き抜けの舌ったらずな声で言われてもキュートでしかないぜ?」
    「うっざ」

    朝食を済ませ、リビングには一松が食器を洗うカチャカチャとした音とテレビの音が控えめにこだましている。
    今日は休日だ。
    天気も良いし、何処かに出掛けるのもいいかもしれない。
    そういえばこの辺も桜が満開になったとかニュースで言っていた。
    花見なんてのもいいな。
    少し遠出して桜の名所を散歩するだけでも楽しめそうだ。
    ソファに腰掛けてテレビを見つめながら、なんとなくそんな事を考えていたカラ松だったが
    一松に話しかけられたため、現実に戻ってきた。
    洗い物は終えたようで、一松はカラ松の隣に三角座りで腰掛けた。

    「ねぇ。」
    「うん?」
    「僕達は奇跡的な確率でこうして会えたけどさ、他の兄弟も転生してるのかな。」
    「ああ、そういえばそうだな。
     もし同じ時代に生きているのなら会ってみたいよなぁ…。」
    「まぁ、そうだね。」

    話はそれ以上進まなかった。
    昔から見ていた夢のせいで一松のことしか気にかけていなかったが
    言われてみれば、かつての六つ子の兄弟もこうして転生している可能性もある。
    もし今を生きているなら会ってみたいものだ。

    ーーー

    それから月日は流れたが、他の兄弟に出会う事は未だなかった。
    進んで探したりしていないのだから、当然の結果とも言える。
    もし、今この同じ時代に生きているなら、幸せな人生を歩んでほしいものだ。
    人知れず、カラ松はそう思った。

    そんなある日の事。

    いつも通り仕事から帰ると、いつにも増して畏まって座る一松の姿があった。
    食卓にはきちんと湯気の立っている夕食が並べられている。
    本日のメニューは唐揚げのようだ。

    「ただいま帰ったぜマイハニー!」
    「おかえり…。」
    「…?どうかしたのか、一松。」
    「あー…うん。ちゃんと話すから、とりあえず手洗ってきたら。」
    「わ、わかった!」

    一松に促され、カラ松はスーツのジャケットを脱いでハンガーに掛けると、
    洗面所で丁寧に手洗いうがいを済ませて食卓へ戻った。
    先程からダイニングテーブルにつく一松はどこかソワソワしているように見えた。
    その様子に首を傾げながらもカラ松も席に着く。

    「それで、何かあったのか?」
    「えー…と、その…。」
    「一松?」
    「あ…」
    「あ?」
    「あ、赤ちゃんが、できた…。」

    一瞬、思考がフリーズした。
    赤ちゃん。
    …赤ちゃん?!
    頬を薄桃色に染めてカラ松にそう告げた一松は、恥ずかしさに耐えられなくなったのか
    パンッと大きめの音を立てて手を合わせ、上擦った声音で「いただきます!」と言うと唐揚げを頬張り始めた。
    カラ松は停止したままだ。
    一松が一つ目の唐揚げを咀嚼し終え、飲み込んだところで、ようやくカラ松は事態を理解した。

    「こっ子供?!」
    「うぇっ?!…あ、うん。」
    「お、俺と一松のか?!」
    「なっ…アンタの子に決まってんじゃん。…何、疑ってる?」
    「いや、疑ってなどいないぞ!
    そうか!赤ちゃんか!…そうかぁ~。…ぐすっ」
    「え。…え?!ちょっと、何泣いてんの?も、もしかして嫌だった…?」
    「まさか!嬉しいぞ!この上なく幸せだ!幸せ過ぎてつい涙が…っ
    嗚呼、ありがとう一松!ありがとう!!」

    現状を把握したカラ松は天を仰ぎ声高らかにセラヴィー!と叫び出したが
    一松にうるさい、と口に唐揚げを無理やり突っ込まれた。
    唐揚げは美味かった。

    妊娠を告げられてからというものの、カラ松は今まで以上に一松に献身的になった。
    検診には毎回同行したし、つわりがひどくて動けない時は代わりに家事の一切を引き受けた。
    産院の両親学級にも参加した。
    切迫流産で緊急入院になった時は毎日病室を訪れた。
    お腹が目立ってきた頃には毎晩のように話し掛けて、子守唄も歌ったりした。
    手を触れた一松の腹越しにお腹の子が蹴り返してきた時は感動を覚えたものだ。
    日毎どんどん大きくなる一松の腹を見ながら、カラ松は日々の幸せを噛み締めていた。
    前世では一松と結局結ばれる事はなかった。
    確かに互いに思い合っていたが、だからこそカラ松の身を案じた一松が拒絶したのだ。
    その事がひどくもどかしくもあったが、今世でこうして結ばれる事ができたのだ。
    夫婦となって、もうすぐ子供も生まれる。
    幸福感もひとしおだった。

    ーーーーー

    4.

    再び桜が咲き始めた季節の明け方、一松はカラ松の立会いの元、闘いの真っ最中だった。
    昨日の夕方に病院に入院し、日付が変わって空が白んできた頃にようやくここまできた。

    「松野さん、頭が見えてきましたよ!もう少しですからねー」

    「一松、一松!あと一息だ、頑張れ!」

    意識が朦朧として、気を抜くと眠ってしまいそうだ。
    実際に何度か意識を飛ばしては、痛みにまた目を覚ますという流れを繰り返していた。
    一松の右手を握るカラ松の声がどこか遠くに聞こえる。
    とにかく必死で腹に力を込めた。

    産声が響き渡った頃には、気力体力共に限界を超えていた。
    いつの間にか日は昇りきっている。

    「おめでとうございます。男の子ですよ。」

    産科医が祝福の言葉と共に一松の胸元に温めたバスタオルを広げ
    その上にたった今産まれたばかりの我が子を乗せてくれた。
    妊娠がわかったその時から、待ち焦がれていた瞬間だ。
    小さな身体で力いっぱい泣き声をあげる子を胸に抱くと、自然と涙が一筋零れ落ちた。
    1人産むのでさえ妊娠中から何から何まで大変だったというのに
    前世の母は一度に6人生んだのだから本当に尊敬に値する。
    今になって改めてマジ松代リスペクトである。
    …それよりも傍らに立つカラ松が大号泣している。
    えぐえぐと嗚咽を漏らすカラ松を呆れたように笑って一瞥し、我が子の顔をのぞき込んだ。
    生まれたばかりのはずなのにぱっちり開いた大きな目と、ぱっかり開いた大きな口。
    ……んん?

    「…………十四松?!」

    生まれたばかりの赤子なのだが、顔を見た瞬間、一松の直感がそう告げた。
    一松の掠れた呟きに、カラ松は気付いていない。
    気のせいだろうか?
    いや、確かにこの子は十四松だ。そう思えてならない。
    え?ってことは前世の兄弟が息子として生まれてきたの?マジで?!
    驚愕の事実にまた気を失いそうになった。
    頭がクラクラして眩暈がするのは決して産後の疲労だけではないはずだ。
    カラ松は相変わらず感動の涙を流しながらセラヴィセラヴィ言っているため、おそらくまだ気付いていない。


    結局カラ松が生まれた我が子の顔をしっかりと見たのは、母子共に後処理も終えて一段落し
    一松が病室のベッドに横になっている時だった。
    産湯で綺麗にしてもらった息子が白い産着に包まれ、小さな新生児用のベビーベッドに乗せられて
    運ばれてきたのでカラ松が抱っこに初挑戦することになったのだ。
    初めて腕に抱いたその子の顔を見て、カラ松は一松と同じ反応をしてみせた。

    「…………十四松?!」

    「…やっぱりそう思う?…僕も思った。」
    「一松もそう感じたのなら間違いないんじゃないか?
     そうか…まさか十四松が俺達の子供として生まれてくるとはなぁ。」
    「ん…驚いたよね…。」
    「ああ。…そうだ、一松。お疲れさま、よく頑張ったな。
     俺を父親にしてくれて、ありがとう。
     こんな可愛い奥さんと息子を持てて俺は果報者だ!」
    「ヒヒ…どういたしまして。
     つーか、前世の兄弟だけどね。」
    「俺達六つ子の縁は生まれ変わった程度じゃ切れたりしないってことだな!」

    小さな十四松(もう決定だ)をベビーベッドにそっと寝かせると、
    カラ松は部屋の隅に畳んで置いてあったパイプ椅子を広げ、一松が横たわるベッドの脇に腰掛けた。
    一松の腕には産後の感染症予防のための点滴が打たれている。
    明らかに疲労の色が見える一松の頬をカラ松が優しく撫でる。
    それから顔を近づけて、額に小さなリップ音を立てて口付けを落とした。
    いつもは照れ隠しで殴り飛ばす一松も
    (とは言っても前世と違ってカラ松にとっては大したダメージになっていない)
    今は抵抗する気力はないのかされるがままだ。

    「本当に、お疲れ。」
    「…ん。」
    「…ところで思ったんだが。」
    「何。」
    「俺達が他の兄弟に会ってなくて尚且つ今日、十四松が生まれてきたってことは…」
    「え…え?…ちょっと、嘘でしょ。僕も少しその線も考えたけどさすがに…」
    「いや、他の兄弟に会えない理由が、まだあいつらがこの世に生まれていないからだとすると…」
    「まさか…ないないない!というかないと思いたいんだけど!」

    「「…………。」」


    「一松、あと3人頑張ろうか。」
    「嘘だろおぉぉぉぉ?!!!?!」

    ーーー

    その後、
    十四松が生まれた2年後にトド松(♀)が
    更にその3年後にチョロ松が
    更に更にその2年後におそ松が生まれて
    無事に今世でも六つ子が揃いました。

    「待って、こいつら僕らが育てていくの?!」
    「フッ…当たり前だろう。俺と一松の愛の結晶達なんだからn「荷が重ーーーい!!!」えっ…」

    ーーーーー

    蛇足

    ●カラ松パパ
    一家のパパ。27歳の時に一松と結婚してその翌年に十四松が誕生。
    割と有名な大企業に勤める一家の大黒柱。
    転生してイタさは緩和されたがたまにイタイ言動をする(確信犯)
    一松マジ愛してる。死んでも離さない。
    子供達マジ可愛い。
    中でも女の子として生まれてきたトド松は特に可愛くて仕方ない。
    お嫁?絶対許しません!

    ●一松ママ
    一家のママ。22歳の時にカラ松と結婚してその翌年に十四松が誕生。
    大学を卒業してすぐに結婚したので就職はしてなかったが、
    現在は近所のドラッグストアでパートをしている。
    今世では少々身体が弱いのが悩み。
    子供達はみんな健康に生まれてくれたのはホッとしている。
    気恥ずかしさが勝ってしまうため素直になれないがカラ松のことはちゃんと愛してます。
    子供達にはデレ100%

    ●十四松
    明るく元気な長男。
    弟妹の面倒もちゃんと見るイイコ。
    中でもトド松が大好きな隠れシスコンでカラ松と共にトド松護衛隊を結成している。
    前世に比べてそこまで狂人ではないけど運動神経は抜群。
    前世の記憶は割と早い段階で思い出した。

    ●トド松
    おしゃまさんであざとい長女。
    お兄ちゃんの十四松が大好きな隠さないブラコン。
    彼氏?十四松兄さんよりカッコイイ人がいたら考えるよ!いるワケないけどね♡
    生まれ変わってもカラ松に「イッタイよねぇ〜」とツッコむのは忘れない。
    前世の記憶は小学校に上がった頃に少し思い出した。
    現在も随時記憶補完中。

    ●チョロ松
    しっかり者な次男。
    おそ松が生まれるまではヤンチャ坊主だったが自分以上にヤンチャな弟ができたことで
    お兄ちゃん心が芽生えたのかしっかり者のおそ松ストッパーに成長した。
    あざとい姉にいいようにパシられる率No.1
    両親も兄も姉もあんなんなので今世でも立派にツッコミ役を果たしている。
    前世の記憶はまだない。

    ●おそ松
    やんちゃな末っ子。
    末っ子なのでみんなに甘やかされてそうで実はそうでもない。
    とにかくやんちゃな悪ガキ。
    時折、一体どこで覚えてきたんだという下ネタを暴発する。
    常にチョロ松に怒られて引き摺られているが、なんだかんだでチョロ松にべったりなお兄ちゃん子。
    前世の記憶はまだない。


    お粗末様でした。
    ちなみに子供達の順番はあみだくじで決めました。
    焼きナス
  • 三男と四男が囚われた話2 #BL松 #カラ一 #おそチョロ #監禁 #年中松 #死ネタ

    !ATTENTION!
    この話は以下の要素を含みます。
    一つでも嫌悪感を感じるものがございましたら早急にブラウザバックをお願いいたします。

    1.おそチョロ、カラ一前提(くっついてない)の上での、一チョロ一です
    2.変態なモブのオッサンが出張ります
    3.拉致、監禁要素があります(被害者:年中松)
    4.異常性癖の表現があります(被害者:年中松)
    5.本編はハッピーエンドで終わります。…が、最後にif分岐として死ネタルートをオマケとして置いてます。


    OKな方はお進みください。


    ーーー

    猫達の協力を得て、チョロ松と一松が何者かに攫われたらしいことは判明したが
    そこから居場所を探し出すのは難航していた。
    2人は黒い車に押し込められて何処かへ連れていかれたらしいのだが
    黒い車など日本全国山ほど走っているし、
    目撃した猫は当然車のナンバーなど覚えているはずもない。
    それに2人を乗せた車が県外へ走り去ってしまったのなら
    猫のネットワークでは限界がある。
    エスパーニャンコはすでに2つ目の薬を飲んでもらっている。
    その効力も明日で切れてしまう。
    残った薬は後1つ。
    デカパン博士からはまだ連絡がないし、猫達に協力してもらえるのは後1週間だろう。

    その日の夜、就寝前にトド松が気になる話を聞いた、と俺たちを真剣な眼差しで見据えながら言ってきた。
    目撃情報や手がかりとは直接関係のない話だけど、と前置きしてからトド松は口を開いた。

    「ここ1年、東京で青年の失踪事件が異様に多発しているらしいんだ。」
    「失踪事件?」
    「うん。その失踪者がね、全員10代〜20代半ばの男性なんだって。」
    「チョロ松と一松もその失踪者の条件に当て嵌まるな。」
    「でもあいつらは誘拐だろ?」
    「そうだけどさ…例えばだよ?
     例えば…その失踪した人達も、兄さん達と同様に誘拐されたんだとしたら?」
    「…どういう事だ?」
    「チョロ松兄さんと一松兄さん以外にも、攫われた人がいるかもってコトかな?!」
    「あくまでも憶測の域だけど…
     でも無関係とも言い切れないと思わない?」
    「確かに、トド松の言うことも一理あるかなー…。
     なぁ、その失踪者ってまだ誰も発見されてねーの?」
    「うん。全員行方不明。…兄さん達も含めて、ね。」

    直接関係のある話ではなかったが、確かに気になる話だ。
    トド松は、念のため失踪した男性達のことも少し調べてみると言って
    さっさと布団に潜り込んでしまった。
    おそ松が電気を消す。
    4人だけの布団の中は温まるのに時間を要するせいか少し寒い。
    隣にいるはずの一松の体温が感じられないのがひどく寂しかった。
    チョロ松と一松が姿を消してから既に1ヶ月半程が経とうとしている。
    2人がいなくなってから、トド松が夜中にこっそりすすり泣いているのを、
    十四松が路地裏で1人涙を流しているのを、
    そして、おそ松が時折緑色のパーカーを目を腫らしてボンヤリ見つめているのを知っている。
    そういう俺も、ふとした拍子に部屋の隅…一松の定位置に目を向けてしまい、
    何も無い空間を見ては情けないことに泣きそうになるのを必死で堪えていた。
    真ん中2人が抜けた穴は想像以上に大きくて、俺も含めた兄弟の落ち込みようはひどいものだった。
    なんだかんだで俺もおそ松も真ん中組を甘やかすのは好きだし、
    末2人も真ん中組に甘えるのが大好きだ。
    もう見つからないのかもしれない、
    そんな思いが一瞬脳裏を過ぎったが、すぐ様頭をブンブン振って思い直す。
    俺はまだ諦めない。
    諦めるわけにはいかない。
    もちろん他の兄弟達だってその思いは同じだ。
    明日はもう少し遠くへ足を伸ばして探してみようか。
    その前にエスパーニャンコに薬をもう一度飲んでもらって、
    あとは協力してくれている一松キャット達にお礼の猫缶を持って行ってやらなければ。
    そんな事を考えながらウトウトとし始めていた時だった。

    カリカリ、と部屋の窓ガラスを引っ掻く音が聞こえた。
    上体だけを起こして窓の方を見ると、そこには外の街灯に照らされて薄っすらと猫のシルエットが見て取れた。
    次いで「ニャーォ」と猫の鳴き声。
    エスパーニャンコだ。
    布団から這い出て窓を開けると、エスパーニャンコはピョイと部屋の中に入ってきた。
    その物音に兄弟達も起き出して先ほど消したばかりの明かりを再び点ける。
    俺たちを見渡して、明るい橙色の毛色の猫が言った。

    『みつけた。』

    ーーー

    深夜、鬱蒼とした森に囲まれた狭い道路を1台の車が走っていた。

    「おいコラもうちょいスピード出せっての!」
    「十分スピード出してるザンス!
     乗せてもらってる分際で文句を言うんじゃないザンス!」

    「そうだよ!もっと急いでよイヤミー!」
    「これでもかなり飛ばしてるザンスよ!
     だからうるさいザンス!」

    「エンジン全開!全カーーーーイ!!ハッスルハッスル!」
    「ええいやかましいザンス!!」

    「フッ…今こそお前の眠れるフォースを解放すべき時だぜ。
     俺はお前を………信じてるぜ!」
    「やかま…イッタイザンスね!!」

    兄貴がイヤミに脅…お願いして8人乗りのワゴン車を出してもらい、
    俺たちは山奥のとある屋敷へ向かっていた。

    エスパーニャンコが夜中に俺たちに教えてくれた。
    山奥の大きな屋敷にチョロ松と一松が囚われていると。
    屋敷の周辺を縄張りにしている猫が庭で一松と遊んだことがあるのだそうだ。
    その猫から近隣の猫へ伝達され、更にまた近隣へ伝達され…
    そうしてとうとうこの辺りを縄張りとする猫達の耳にも入る次第となった。
    猫のネットワークは想像以上に強力だ。
    猫達から受け取った情報を元にトド松が場所を割り出し、
    大切な弟達を取り戻すために真夜中の森を爆走中という訳である。
    話を聞いてみると、何やら不穏な気配も感じられた。
    チョロ松と一松は鎖で繋がれていたとか、とても体温が低かったとか、
    ここ最近は庭に行っても姿を見せない、とか。
    2人は無事なのだろうか。
    どうか無事でいてくれ。

    「カラ松、すっげー顔してんぞ。」
    「え…。」
    「お前今こそ鏡見ろよ。
     そんな顔でチョロ松と一松に会ってみろ、確実に引かれちゃうよ~?」
    「す、すまない…。」

    一体どんな顔をしていたというのか。
    しかし手鏡は生憎家に置いてきてしまった。
    ペシペシと自分の頬を叩く俺を、おそ松は可笑しそうに眺めていたが
    やがて俺の両肩に手を置いて真剣な目で俺を見た。

    「絶対に取り乱すなよ。
     俺たちが最優先するのはチョロ松と一松の無事だ。
     お前キレたら手に負えねーんだからな。」
    「ああ、わかってる。」

    おそ松に背中を叩かれて、知らず握り締めていた拳が少し緩んだ。

    やがて車は県境に位置する山奥の大きな屋敷の前にたどり着いた。
    まるでそこだけタイムスリップしたかのような景観だ。
    闇夜に浮かび上がるようにして佇むそれは、少し不気味に見える。
    俺たちは車を降り、運転手のイヤミには屋敷から少し離れた目立たない場所で待機してもらうことにした。

    「さてと、どっから入るかだけど。」
    「はいはいはい!」
    「はい、十四松くん。」
    「バットで窓ガッシャーン!!」
    「うむ、採用。」
    「ちょっと!何言ってんのおそ松兄さん馬鹿なの?!」
    「え、駄目なのか?」
    「ダメに決まってんだろこのサイコパスが!」
    「…何故だ?」
    「あー!!僕1人でツッコミ捌き切れない!助けてチョロ松兄さぁん!」
    「えー、じゃあどうするんだよー。」
    「…もうこの際正面突破でいいんじゃないか?」
    「正面突破!」
    「待って兄さん達は何する気なの?!
     言っとくけどこの屋敷にチョロ松兄さんと一松兄さんがいる確証はないんだよ?
     もし強引に押し入って全くの無関係な家だったらどうするのさ、
     器物破損で僕達が捕まっちゃうよ!」
    「あー…そうか~まぁそうだなー…。
     うん、よし正面から堂々と行こう。」

    言うや否や、おそ松は玄関のベルを鳴らした。
    背後でトド松が「ちょっと待ってよまだ心の準備が!」と喚いているが、
    済まないが一刻を争うためスルーさせてもらった。
    こんな真夜中に非常識な客人だがこちらはそうも言ってられないのだ。

    暫しの沈黙の後、大きな扉がゆっくりと開いた。

    「こんな夜更けに…一体どなたです?」
    「あ、どーもぉ~」
    「ヒッ…!!お前…!いや、まさか、そんな…!」
    「え?」

    扉から出てきた男はおそ松の顔を見るなり突然青ざめた顔をして中に引っ込んでしまった。
    一体どうしたというのか。

    「あれ…俺なんかした?」
    「俺が見る限り何もしていないと思うが。」
    「うん…非常識な時間にベル鳴らした以外は何もしてないと思うけど。」
    「だよなぁ…?」
    「なんかビックリーというより、怖がってたねー?」
    「俺の隠しきれないカリスマレジェンドなオーラにビビったとか?」
    「いやそれはない。」
    「トド松否定速すぎじゃね?」
    「ったりめーだろ!
     てゆーか、カラ松兄さんばりにイッタイ事言うのやめてくんない?
     今ツッコミ要員いないんだからね?!」
    「え…?」

    玄関扉の前で気の抜けた会話を繰り広げていると再び扉が開いた。
    先ほどの男だ。
    何がそんなに恐ろしいのか、俺たちを見てガクガクと震えながら屋敷の中へ招き入れてくれた。
    男の態度は気になるが、ひとまず中に入れた事に一安心だ。
    それにしても広い屋敷だ。
    豪者な内装に煌びやかな調度品、そして至るところに人形が飾られている。

    この人形達、やけにリアルで少し不気味だ。
    しかも少年や青年の人形ばかりだ。
    この屋敷の持ち主の趣味なのだろうか。
    なかなかいい趣味をしているようだ。
    他人の嗜好にとやかく言うつもり等全く無いが、是非ともお友達にはなりたくない。

    案内されたのは、広々とした応接間だった。
    ソファには、壮年の気品ある男性が腰掛けている。
    こちらにも伝わってくる風格からして、この男性がここの主人なのだろう。
    彼は、俺たちの顔を見るなり目を細めて口角を釣り上げた。

    「ほう…双子人形にはまだ兄弟がいたのか。」

    舐めるようにして俺達の顔をじっくりと眺め、心底愉快そうに笑う男性から発せられた言葉に、
    姿を消したチョロ松と一松を知っているのだろうと確信できた。

    「先ほどはうちの使用人が失礼したね。
     何せ君達が私の双子人形と同じ顔をしていたものだから
     どうやら震え上がってしまったらしい。」

    喉の奥でクツクツと男は笑う。
    その姿に苛立ちを隠そうともせず、おそ松が一歩前に出て挑発的に口を開いた。

    「人形とかどーでもいいんだけどさ、
     俺たち六つ子なの。
     その内2人が行方不明なんだよね。
     なぁオッサン、あんた2人の居場所知ってるんだろ?」
    「ふむ…そうだね。
     折角兄弟が会いに来てくれたんだ。
     少し早いが私の双子人形を特別にお披露目するとしよう。」

    男性はこちらを見て、一層笑みを深めた。

    ーーー


    愉快そうに笑いながら屋敷の主人は立ち上がると、4人の顔を見比べるように眺めた。
    ついてきたまえ、とおそ松達に声を掛けると、徐に応接間の扉を開けて歩き出す。
    おそ松達は顔を見合わせ、しかしすぐに意を決して男の後を追った。

    廊下を進み、辿り着いたのは重厚な扉の前。
    使用人が鍵を開け、扉を押し開けた。
    ギ…と重たい音が響く。
    男に促されるまま中に足を踏み入れると、やけに甘ったるい香りが鼻をついた。

    窓はなく、天井から伸びるシャンデリアが部屋を明るく照らしている。
    高級ホテルのスイートルームのような装いの其処は、まるで生活感が感じられなかった。
    奥には天蓋付きの大きなベッドが存在感を放っている。
    レースカーテンで視界を遮られ、ベッドの中はよく見えなかったが、そこに人影を確認できた。
    それに最初に気付いたのは十四松だった。
    十四松がベッドに駆け寄り、勢いよくカーテンを開け放つ。
    その音に、他の兄弟も自然と視線がベッドへ向かった。
    開け放たれたカーテンの向こう側、ベッドの中には、
    はたしてまるで人形遊びのように着飾られたチョロ松と一松が静かに眠っていた。

    「チョロ松兄さん!一松兄さん!」
    「兄さん達…!本当にここに攫われてたんだ…!」
    「チョロ松、一松…!」
    「やっと見つけた…!!」

    眠る2人を起こそうとトド松がチョロ松を、十四松が一松をガクガクと揺さぶる。

    「兄さん!兄さん、起きて!」
    「兄さん!」

    末の2人が真ん中の2人を起こそうとしている中、おそ松はある事に気付いた。
    チョロ松と一松に枷が嵌められ、鎖で繋がれている。
    思わず呆然と呟いた。

    「おい…なんだよコレ。」

    手枷はチョロ松の左手と一松の右手を繋いでおり、
    足枷はベッドの足に繋がっていた。
    真ん中の2人が自由を奪われ、この部屋に監禁されていただろうことは、容易に想像できた。
    ふつふつと怒りが沸き上がりつつある中、チョロ松と一松が同時に身じろぎ、ゆっくりと瞼を持ち上げた。

    「チョロ松兄さん、一松兄さん!大丈夫?どこか痛くない?!」
    「チョロ松、一松!俺達が分かるか?もう大丈夫だからな!」
    「兄さん、兄さーーん!僕たち迎えに来たんだよ!帰ろ!」
    「チョロ松、一松!……おい、2人とも…どうしたんだよ?!
     なぁ…何か言えって!」

    チョロ松と一松が目を開けたことにより4人に一瞬ホッとした空気が生まれたが、それはすぐに霧散してしまった。
    2人とも目を覚ましたものの、焦点は定まっておらず、虚ろな瞳は虚空を映すばかりだった。
    耳元で必死に語りかける兄弟の声も届いていないのか
    どんなに大声を上げても、手を取ってみても、何の反応も帰ってこない。
    おそ松達の表情が、どんどん凍っていった。

    「…兄さん?」
    「………。」
    「チョロ松兄さん、一松兄さん…?
     ねぇ、どうしたの…?」
    「どうした?!返事してくれ!」
    「チョロ松、一松!
     …なぁ、折角お兄ちゃん達迎えに来てやったんだぞ?
     ガン無視はねーだろ?泣いちゃうよ?!」

    反応は無い。
    おそ松達の事はまるで視界に入っていないようだった。
    双子人形…。
    男の言葉を頭の中で反芻する。
    これでは本当に人形ではないか。
    ここでおそ松は1人納得してしまった。
    屋敷の主人がやけにあっさりとチョロ松と一松に会わせてくれたのは
    何か裏があるのかと勘繰り警戒していたのだが
    あの男にそういった考えはなく、単純におそ松達ではどうにもできないと践んでいたのだろう。
    枷はひどく頑丈で、鍵がなければ真ん中2人を解放する事はできそうにない。
    チョロ松と一松を「双子人形」などと言う頭のイカれたあの男は
    こいつらを手放す気など毛頭ないのだ。
    そして、おそ松達がどう足掻いても2人を連れ出すことはできないと高を括っている。

    (…ナメてくれやがって。)

    この屋敷のどこかに枷を外す鍵があるはず。
    もしくはあの男か、使用人の誰かが所持しているのだろう。
    そう推測したおそ松は薄ら寒い笑みを浮かべる屋敷の主人とその使用人達をみわたした。
    先程この部屋の扉を開けた使用人あたりだろうか。
    そうして思案を巡らせるおそ松の胸中を知ってか知らずか
    屋敷の主人が満足そうな笑みを浮かべて背後から近づいてきた。

    「私の双子人形は可愛いだろう?
     まぁ、まだこれは未完成作品なのだがね。
     完成の日もすぐそこだ。」

    男が笑う。
    人形の完成。
    その意味を理解したおそ松は、衝動のままその男を殴り飛ばした。
    チョロ松と一松に付いていたトド松が声を上げたが、構わずにそのまま殴り飛ばした男に近づいた。

    「おい…オッサン。
     てめぇ俺の弟達に何しやがった…?」

    おそ松は自分でもびっくりする程、胸中がスーッと冷めていくのを感じていた。
    殴られ、仰向けに倒れていた男の胸倉を掴み、
    そのまま馬乗りになって更にもう一発拳を叩き込んだ。

    「答えろよ…!
     チョロ松と一松に何しやがったんだよ…!!」

    一切の手加減なく叩き込まれた拳によって男は気絶してしまったようだ。
    白目を剥く男を見ておそ松は思わず舌打ちをした。
    部屋に武装した使用人が押し入ってきたが、そいつらはカラ松にあっさりとのされていた。
    武装は格好だけで、本当にただの使用人なのだろう。
    トド松に警察を呼んでもらうよう頼むと、おそ松は4人を最初に出迎え応接間へ案内した使用人に詰め寄った。
    再び使用人の顔が青ざめたが、知ったこっちゃない。

    「ヒ…!」
    「なぁ、お兄さん。
     あんたが知ってること教えてくんない?」
    「お、お、俺は、何も…!」
    「へーぇ?
     今俺の弟が警察呼んだよ?
     このオッサンの監禁の手伝いしてたなんてバレたらどうなるかなー?」
    「あ……。」
    「教えてくれたらさぁ〜
     警察の事情聴取で俺達お兄さんの事庇ってあげられるよ?」
    「……わ、わかっ…た…。」

    使用人達は主人への忠誠よりも己の保身を選んだ。
    さほどあの男に忠誠心は持ち合わせていなかったのか
    それとも人形遊びと称した監禁の手伝いをさせられていた事に
    後ろめたさがあったのかはおそ松達の知るところではないが。

    使用人の男から聞いた話だと、この屋敷の主人は元々男色家だったそうだ。
    若く、自分好みの少年や青年を拉致っては、人形のように着飾らせ愛でていた。
    拉致った青年達を抱いたりする事がなかったのは、
    屋敷の主人が不能だった為なのだが、その代わり主人はとんでもない性癖を持ってしまった。
    それが、人形遊び。
    催眠と洗脳を誘発する香を焚き続け、食事に無味無臭の薬を混ぜ、
    連れ去った青年を少しずつ、少しずつ内側から壊して、思考を奪い、身体の自由を奪い
    最終的には命すらも奪う。
    緩やかに緩やかに、当人も気付かないくらいゆっくりと。
    そうして「完全な人形」に仕上げていく事にこの上ない悦びを感じていたのだとか。
    悪趣味過ぎて反吐が出そうだ。
    そうして、命を奪われた人形は防腐処理が施され、永遠にその姿を留めたまま飾られる。
    そう…この屋敷の至る所に飾られた等身大の人形達。
    あれは異常性癖持ちの屋敷の主人に連れ去られ、人形遊びの道具とされ
    人形となってしまった成れの果てだったのだ。

    そして、チョロ松と一松もまた「完全な人形」になってしまう一歩手前だったのだろう。
    状況は決して良いとは言えないが、屋敷に飾られる人形達の仲間入りをしてしまう前に
    おそ松達がたどり着けたのは不幸中の幸いだったと言える。

    その後警察が到着し、4人は軽く事情聴取をされた後に解放された。
    チョロ松と一松は検査のため病院へ搬送される事になった。
    本当は早く家に連れ帰りたかったが、仕方ない。

    屋敷に飾られていた人形となってしまった青年達は
    前にトド松が話していた失踪した青年と一致していた。
    トド松の憶測通り、彼らも連れ去られていたらしい。
    その被害者は実に50人を超えていた。





    夜明けを待って、チョロ松と一松が搬送された病院へ向かった。
    兄弟だと説明すると(同じ顔だから説明するまでもなかったかもしれないが)
    担当医が出てきてすんなりと病室に通してもらえた。
    ドアには「面会謝絶」の札がかけられている。

    ドアの向こう、白い空間にチョロ松と一松は眠っていた。
    搬送される際に枷は外されたが、長く嵌められたままだったのか
    手首と足首には赤く跡が残っている。
    容体は決して良いとは言えないそうだ。
    生命力が著しく低下し、脳の働きもかなり落ちていると聞いた。

    「…兄さん達、大丈夫だよね?」
    「ああ…きっと大丈夫だ。
     今は、2人を信じるしかない。」
    「チョロ松兄さん…一松兄さん…。」
    「………。」

    眠り続ける2人を見て、ふと人形のようだと思ってしまって
    慌ててその考えを振り払った。
    冗談でもそんな事思ってはいけない。
    人形なんかじゃない。
    チョロ松も一松も人間だ。
    呼吸も、体温もちゃんとある。
    ちゃんと血の通った、人間なのだ。

    それから、おそ松達は交代で病院へチョロ松と一松の様子を見に行く事にした。
    2人は度々目を覚ます事もあるのだが、意識朦朧としていてほとんど会話が成立しない。
    当然自力で食事もできず、身体中を何本もの管で繋がれていた。
    鎖よりはずっとマシだが痛々しくてたまに見ていられなくなる。
    植物状態と言って差し支えない程だ。

    生きている。
    2人は生きているのだ。
    たとえ目を覚まさなくとも、言葉を交わすことが出来なくとも、
    その事実だけが、4人を支え続けている。

    今日も、チョロ松と一松は静かに眠り続けている。



    ーーー

    ー ある日の長男の独白

    静かにただひたすら眠り続け、たまに目を開けても意識朦朧としていて
    会話もできなくなったチョロ松と一松を見守り続けて、どのくらい経っただろうか。
    あの屋敷から助け出せた時は、2人を取り戻せた事にただただホッとしていたけど
    植物状態な2人を見続けるのは思っていた以上に辛い。
    カラ松も、十四松も、トド松もそろそろ疲れと諦めの色がチラつき始めている。
    もうチョロ松と一松は一生このままなんじゃないかって。
    誰もそんな事口には出さない、いや出せないけど…おそらく皆が薄々考え始めている。
    考えたくない。いつか2人がまた俺の事を見て、「おそ松兄さん」と呼んでくれる日が来ることを、信じていたいけど。
    信じ続ける事に疲弊してしまう程度には、月日が経ってしまったのだ。
    今日も病室で寝顔を眺めて1日が終わる。

    チョロ松の白い頬をそっと撫でると、陶磁器を思わせる肌触りだった。
    その頬に今度は顔を寄せて唇を押し当ててみた。
    いつもだったら「何しやがんだクソ長男!」って怒号混じりのツッコミが飛んでくるところだ。
    でも今は何も返ってこない。
    何も伝わらない。
    何も、伝えることができない。
    頼むよ、俺ホントチョロ松がいないと割とマジでダメっぽい。
    …いつまで続くのかわからない日々を過ごすのがこんなにも辛いとは思わなかった。

    俺、兄ちゃんなのにな。
    ちゃんと助けてやれなくて、ごめんな。


    ー ある日の次男の独白

    兄弟で交代制でチョロ松と一松の傍にいる事を決めたあの日から、
    何回目かも分からない俺の番が回ってきた。
    何度この部屋を訪れただろう。
    今日も眠り続けるチョロ松と一松の周りだけ、時間が止まってしまったかのようだった。
    2人を眺めながら、いつも思う。
    もう少し早く見つけてやっていれば、
    2人で買い物に出掛けた日に、探してやっていれば、
    そもそも、買い物に俺も付いていけばよかったのかもしれない。
    どれもこれも、今更考えたって無意味なのは解っているが、
    チョロ松と一松が屋敷に監禁されていた間、俺達は平然といつもと変わりない日常を過ごしていたのかと思うと
    どうしてもあの時ああしてれば、と考えてしまうのだ。
    仮に俺も一緒に付いて行ったとして、2人が誘拐される事なく無事に帰ってくる確証などないのだが。
    頭に浮かぶのは後悔と謝罪の言葉ばかりだ。
    俺にはもう「信じてる」なんて言う資格すらないのかもしれない。
    けど、言わせてほしい。
    再び、6人揃って笑い合える日が来るのを、俺は信じてる。

    眠る一松の髪をそっと撫でた。
    柔らかな猫っ毛が、指の間をすり抜けていく。
    前髪を撫ぜると、普段は隠された一松の額と短めの眉が顔を出した。
    吸い寄せられるように、その額にそっと口付けた。
    こんな事したのがバレたら一発殴られるどころじゃ済まないだろうな。
    それこそ、いつかのように石臼をぶん投げられるかもしれない。
    ああ、でも。
    それで目を覚ましてくれるなら、石臼くらい受け入れようじゃないか。
    何だったら俺は一松のその唇に躊躇うことなく自身の唇を重ねてやれる自信がある。

    だって、眠れる姫を起こすのは王子様のキスなんだろう?
    いや、みすみす愛する兄弟を危険に晒した俺は王子などではないし、
    仮に一松の唇を奪ったとて、目を覚ましてはくれないだろう。
    一体何を馬鹿な事を。

    すまない、こんな兄を許してくれ。


    ー ある日の五男の独白

    チョロ松兄さんと一松兄さんが帰ってきてくれたのは嬉しいけど、
    手放しに喜ぶことはできない状況だった。
    あの大きな屋敷で人形にされていたチョロ松兄さんと一松兄さんは、
    頭も体も自由を奪われていて、命すら失う寸前だった。
    まだそこから回復せずに今も眠っている。
    それでも僕は、眠る兄さん達に今日も取り留めのない事をたくさん話した。
    そしたら、いつか目を覚ましてくれるんじゃないかって思ったから。
    野球の事はもちろん、おそ松兄さんがパチンコに行かなくなったとか、
    カラ松兄さんが橋へ出掛けなくなったとか
    トド松が夜中に僕にトイレに付いてくるの頼むようになったとか。
    それはもう思い付く限りの事を時間の許す限り、いろいろと。
    でも、2人の容態はなかなか改善しなくて…。
    おそ松兄さんは病院から帰るとベランダで煙草をふかして物思いにふけるようになった。
    前に盗み見た時は、煙を吐き出しながら泣くのを堪えるように空を見上げていた。
    カラ松兄さんは病院から帰ると部屋でボーっとするようになった。
    部屋の隅、いつも一松兄さんがいた場所に何度も何度も視線を向けていた。

    病院の先生は、回復には時間が掛かる、もしかしたら一生このままかもしれない。と言っていた。
    一生このまま?
    それは嫌だ。
    僕は、またチョロ松兄さんと一松兄さんの声が聞きたい。
    また話がしたい。一緒に野球もしたい。

    神様なんて、普段は別段信じたりしてないけど、いるならお願い。
    チョロ松兄さんと一松兄さんが失ってしまった分、僕のを分けてあげるから。
    僕が持ってる分をあげられるだけ分けてあげるから。
    だから、兄さん達を助けて。


    ー ある日の末弟の独白

    今日は僕が病院に行く番だ。
    この順番が回ってくるのは一体何度目なのか、もう数え切れない程の月日は経ったはずだ。
    チョロ松兄さんと一松兄さんは、相変わらず眠っていた。
    2人の寝顔はなんだかとても綺麗なものに見える。
    綺麗な顔して寝ちゃってさ、僕達が今どんな思いでいると思っているのか。
    …正直、僕は病室に来るのが辛かった。
    おそ松兄さんがベランダでボンヤリと煙草を吸ってるのを見る度に
    カラ松兄さんが部屋の隅へ視線を巡らせては微かにその顔が悲しげに歪むのを見る度に
    十四松兄さんが「今日も眠ってた。でもたくさん話しかけてきたよ。」と泣きそうな笑顔で言うのを見る度に
    僕は絶望感と共に病室に足を踏み入れるハメになるのだ。
    今日もやっぱりダメだったんだ、と。
    病室にいると、何をしたらいいのかわからない。
    僕はおそ松兄さんのようにチョロ松兄さんに優しく触れる勇気も
    カラ松兄さんのように一松兄さんの髪を撫でる勇気も
    十四松兄さんのようにひたすら2人に話しかけ続ける勇気も持ち合わせていなかった。
    つまりは、僕はチョロ松兄さんと一松兄さんの悲惨な現状を受け入れたくなくて逃げているのだ。
    このままじゃダメだってわかってるのに。
    そう、このままじゃダメなんだ。
    でもどうしよう、僕にはどうしても勇気がない。
    眠る兄さん達を直視するのが怖い。
    けど僕だって兄さん達には触れたい。

    …そうだ、いっそのこと目を瞑って触ってみようか。
    一体それに何の意味があるのかは自分でもよく分からないけれど。
    何もせずに眺めているだけよりかは、何か意味があるはずだ。
    そうと決まれば、臆病な心が顔を出す前に実行だ。
    ひとまず、チョロ松兄さんのベッド脇に置かれたパイプ椅子に腰掛け、
    細い手を確認すると、それを恐る恐る掴んでギュッと目を閉じた。
    それに呼応するようにチョロ松兄さんの手を握った僕の手にも力がこもった。

    僕、もう逃げたくないよ。
    ううん、逃げないから。
    だから兄さん達も戻ってきて。

    ーーー

    トド松がキツく目を瞑りながらチョロ松の手を握り締めて、さほど時間は経っていない。
    相変わらずトド松は肩を縮こまらせ、目を瞑っていたが

    「ぅ…」

    小さな呻き声が聞こえて、ハッと目を開けた。
    反射的にチョロ松の顔を見ると、その瞳は薄らと開いていた。

    「…チョロ松兄さん?」
    「…ぃ、…たい…。」

    「チョロ松兄さん?!」

    ほとんど掠れていて声になっていなかったが、それでもトド松にはハッキリと理解出来た。
    言葉を発した。
    チョロ松が、あの日から初めて声を出した。
    トド松があまりにも強く、加減を知らずに手を握った事に反応したのだろうか。
    気付けば再びチョロ松は瞼を下ろして眠ってしまっていたが、これまでの事を考えると大きな前進だ。

    トド松は大きく深呼吸すると、震える手で兄達へ連絡を入れた。

    ーーー


    トド松から連絡を受け、いてもたってもいられなかった俺はカラ松と十四松と共に雪崩込むようにして病室に押し入った。
    話に聞いたチョロ松の反応は微かなものだが、それでも今までの様子から比べたら大きな変化だ。
    それこそ、俺達に「もう一度目覚めてくれるかもしれない」と淡い期待を持たせる程には。
    部屋に入るとトド松の呆れたような視線が降り注ぐ。

    「ちょっと…気持ちはわかるけどここ病院なんだからね?」
    「ごめんって!」
    「すまん…どうにも気が急いてな。」
    「めっちゃ走った!」
    「なぁ、トド松。チョロ松が喋ったって…。」
    「うん。僕が、結構強めに手を握ったら、
     少しだけ目を開けて「痛い」って言ったんだ。
     またすぐに寝ちゃったけど…。」
    「十分だ!今まではそんな反応すらもなかったんだからな!」

    カラ松も十四松も、トド松もどこか嬉しそうだ。
    もちろん俺も嬉しい。
    少しでも希望が見えたのだ。
    真ん中2人には何が何でも頑張ってもらいたいところだ。
    いつもより幾分明るい雰囲気の病室で、十四松が元気よく挙手しながら口を開いた。

    「ねぇねぇ!!じゃあ一松兄さんの手もギューってしたら何か反応してくれるかな?!」
    「そうだね…そういえば一松兄さんにはやってなかったな。」
    「んじゃ、やってみようぜ!」
    「よし、なら俺が…」
    「待てカラ松。お前はダメだ。」
    「え?!何故だ!」
    「お前自分が怪力だって事わかってるか?
     一松の手を粉砕する気か。」
    「確かに、カラ松兄さんが力込めて握ったりなんかしたら骨折しかねないよね。」
    「怪我させるのダメ!スリーアウト!チェーンジッ!!」
    「ううっ…!」
    「って事でお兄ちゃんがやってみるな。」

    そう言って落ち込むカラ松を横目に一松のベッドの脇に立った。
    手を握り、そして力を込める。
    …まだ反応は無い。
    跡が残らない程度に、もう少しだけ強く握ってみる。
    …すると、一松の眉間に微かに皺が寄り

    「おわっ!」
    「動いた!一松兄さん自分で手を動かしたッスね!!」
    「眠っててもおそ松兄さんがウザイのわかったのかなぁ?」
    「おいこらトド松!お兄ちゃん割とショック受けてるから!!」

    そう、人形のようだった一松の手が動いたのだ。
    不機嫌そうに、バシッと俺の手を振り払うようにして。
    というか、これは絶対振り払っただろう。
    反応があったのは喜ばしいのだが少しばかり複雑だ。
    兎に角、チョロ松も一松も少しではあるが確かに回復に向かっているということだ。
    いつか、しっかりとその目で俺達を見返してくれる日も来るはずだ。

    ーーー

    チョロ松と一松が少しの反応を見せてくれた日から、1週間が経った。
    わかり易く反応してくれたのはあの日だけで、2人は相変わらずの沈黙を保っている。
    1週間前に声を上げたり、手を動かしたりしたのは気のせいだったんじゃないかって思えるくらいだ。
    昨日もおそ松がチョロ松の手を握ってみたらしいが、反応してくれなかったと困ったように笑っていた。
    おそ松らしくない笑い方だったが、俺は何も言うことが出来なかった。

    どうして2人とも何も返してくれなくなったんだ?
    俺達があまりにしつこいからか?
    …………そうか、しつこかったからか。
    そうだな、そうに違いない。
    チョロ松と一松は兄弟の中でも特出して素直になれない性格だ。
    素直に俺達に返事をする事ができないのだろう。
    ひょっとしたら「いい加減にしやがれ」とそっぽを向いてしまっているのかもしれない。
    …ならば、こちらを無理矢理にでも向かせるまでだ。
    さてどうしたものか。
    生憎と俺はおそ松によって手を握るのは禁止令が出ている。
    手を握る事はできない。
    かと言って、延々と話し掛け続けるのも、チョロ松と一松はすっかり慣れてしまって良い反応は無いだろう。
    怪我をさせることなく、何か身体に慣れない衝撃を与える方法はないだろうか。

    (…………。)

    しばらく考え込んで、俺は一つの方法を思い付いた。
    早速それを実行すべく、一松の傍に寄る。
    白い頬に手を添えると滑らかな感触が手を擽った。
    眠り続けているせいだろう、少し痩せたな。
    前は、一松の頬はもっともっちりしていた気がする。
    そんな事を考えつつも、俺は眠る一松に顔を近付けて
    一松の唇に自身の唇を重ねた。
    無理矢理口をこじ開け、舌をねじ込み、
    文字通り貪るように、意図的に激しくイヤらしく、呼吸を奪うように。
    一松の口内はちゃんと体温があった。
    噛み付くように唇を重ねているうちに、僅かながら頬が上気し息が荒くなってきたのがわかった。

    「んっ…ふ……」

    一松から掠れたような声が漏れ出たが、構わず口内を蹂躙し続けた。
    真っ白なシーツにどちらのものかわからない唾液が染みを作っている。
    段々と口内が熱を帯びてきた。
    その事に興奮して頬に添えていた手を離し、顎を掴んだ。
    その、瞬間

    「~~~い゛っ!!」

    頬に走った強烈な痛みに、思わずガバリと勢いよく上体を起こした。
    次いで、誰かにグッと腕を強く掴まれる感触。

    「えっ…な……い、一松?!」
    「…………。」
    「一松、俺が解るか?!」

    「く…そま、つ……」

    ベッドを見下ろせば、瞳を潤ませ、頬を紅く染め、
    肩で息をしながら胸を上下させる一松の姿があった。
    その目は確かにハッキリと俺を視界に捉えている。
    一松の右手は俺の腕をしっかりと掴み、更に掠れた小さな小さな声だったが、確かに俺を呼んだ。
    本当は本名で呼んで欲しかったが贅沢は言うまい。
    左頬にヒリヒリと痛みが走る。
    俺の腕を掴む手とは反対側の手を見て、一松に引っ掻かれたのだとようやく頭が理解した。

    「一松、気が付いたんだな!
     よかった…本当によかった…!!」
    「く、そ松…てめ…ゼェ、ゼェ…おれ、に…ゼェ、ハァ…何、しやがっ……。」
    「すっすまない!
     ついつい夢中になってな!」
    「しね!!……ゼェ、ゼェ…」

    ディープキスは眠り続けていた一松には結構な身体の負担だったようだ。
    そこは反省した。
    嗚呼、でもお姫様は本当に王子のキスで目が覚めるんだな!
    容赦なく引っ掻かれたが、子猫に噛みつかれたようなものだと思おう。
    御伽噺は決してファンタジーではないのだ。
    …そうだ、チョロ松も同じようにおそ松が起こしてやればいいのではないか?

    しばらくしてなんとか息を整えたらしい一松が、唐突に俺に話しかけてきた。

    「チョロ松兄さんは?」
    「ん?」
    「チョロ松兄さん、どこ?」
    「ああ、隣のベッドにいるぞ。」
    「……!!
     チョロ松兄さ…」
    「ま、待て一松!
     お前もまだ身体が万全じゃないだろう、急に動くな!」

    一松は隣のベッドに眠るチョロ松の姿を確認すると、身体を起こそうとした。
    が、やはりまだ上手く身体が動かせないのだろう
    バランスを崩し、危うくベッドから転倒するところだった。

    「一松、お前がこうして目覚めたんだ。
     チョロ松もきっとすぐに気が付く。」
    「連れてけ。」
    「…はい?」
    「だから、俺をチョロ松兄さんのとこまで、連れてけ。」
    「え…何故?」
    「はやくしろ」
    「あ、はい。」

    自分で歩く事は早々に諦めたらしい一松に言われるがまま、点滴の管に気を付けながら一松を抱き上げ
    チョロ松のベッドまで連れて行った。
    一松は眠るチョロ松の顔をしばらくまじまじと眺めていたが、やがてチョロ松の額に手をそっと置いた。
    そして、チョロ松の耳元でそっと囁いた。

    「兄さん、チョロ松兄さん…。」


    「……一松…?」
    「おはよ、チョロ松兄さん。」
    「ん、おはよう一松。……ここは?」
    「あ、そういえば。
     おいクソ松、どこだここ。」
    「び、病院だが…ちょっと待ってくれ、
     色々整理させてくれないか。」

    まさかの光景だった。
    一松が囁いたたったの一言。
    それで、チョロ松も目を覚ましたのだ。

    ーーー

    「あらまーマジでお目覚めじゃん!
     チョロ松も一松も元気かー?」
    「全然元気じゃない。」
    「僕も最悪だよ…身体が思うように動かないし。」
    「何ヶ月もあんな調子だったんだ。無理もないさ。」
    「チョロ松兄さん!一松兄さん!
     おはようございマッスル!!」
    「うん、おはよう十四松。」
    「ほんとよかったよ…もう!心配したんだからねっ!
     今度何か奢ってくれなきゃ許さないんだから!!」
    「トド松もごめん。心配かけたね。」

    カラ松兄さんから連絡を受けて、僕達は1週間前と同じように慌てて病院に駆けつけた。
    病室には、横にはなっているものの、しっかりと目を開けて僕らを見るチョロ松兄さんと一松兄さんがいた。
    ついついあんな事言っちゃったけど、別に奢ってくれなくたって許してあげるよ。
    だってこうしてまた兄さん達と会話ができたんだもん。
    ちゃんと僕の名前を呼んでくれた。
    もうそれで十分だ。
    あ、奢ってくれるならそこは喜んで奢られるけどね。

    話を聞くと、まずカラ松兄さんが一松兄さんの意識を浮上させる事に成功し
    一松兄さんがチョロ松兄さんを起こした、という事らしい。
    カラ松兄さん曰く、一言ボソッと呟いただけなのにチョロ松兄さんがあっさりと目を覚ましたのだそうだ。
    何それ。
    僕らの苦労は一体何だったの。

    「ところでカラ松は一体どうやって一松を起こしたんだ?」
    「ああ、それはn「喋ったら殺すぞクソ松」…えっ。」
    「なんスかなんスか?!」
    「なになに~?
     つまり一松にとっては恥ずかしい起こされ方だったって事かな~??」

    説明しようとしたカラ松兄さんを一松兄さんが遮った。
    身体が動かせないせいで殴ったりはされなかったけど、物凄い殺意を向けられている。
    の、割に一松兄さんの顔は僅かに赤くなっているもんだから、僕はなんとなく想像がついてしまった。

    「それよりも、なんでチョロ松兄さんは
     一松兄さんの小さな声で目が覚めたの?
     今まで僕ら散々兄さん達に話しかけたり
     触ったりしても何の反応も返ってこなかったのに。」
    「うーん…それが自分でもよく分からないんだよね。」
    「…………暗示だと思う。」
    「え、一松?」
    「あの屋敷にいた間も…チョロ松兄さん、
     俺が声を掛けるとすぐに正気に戻ってたから。」
    「そうなの?!」
    「あー…言われてみればそんな気がするなぁ。
     僕が完全に正気を失っちゃったのって、
     一松の声が聞こえなくなってからだろうし。」
    「じゃあ、一松兄さんの声で元に戻るように、
     無意識のうちに自分で自分に暗示をかけてたってこと?」
    「そうなるのかな…?」

    兄さん達が囚われていたあの屋敷。
    今は解体処分されたらしい其処はさながら檻の中だった。
    悪趣味な男にすべてを奪われそうになる中、チョロ松兄さんも一松兄さんも互いが互いの拠り所だったのだと思う。
    特にチョロ松兄さんは兄の立場だったから、弟である一松兄さんを守るために
    一松兄さんの声には敏感に反応出来るようになったのだろう。
    当然、一松兄さんが眠ってしまうと、もう声も聞けなくなる。
    つまり気を張り続ける事が出来ていた、守るべき相手がいなくなってしまった事で
    チョロ松兄さんも眠りに堕ちてしまったのだ。
    そう考えると、チョロ松兄さんと一松兄さんの間に看過できない共依存関係が出来上がってしまったように思うのだけど
    そこはまぁ、上2人に任せるとしよう。
    ひとまず、今は真ん中の兄さん達の目覚めを喜ぶのが先だ。


    チョロ松兄さんも一松兄さんも、完全に意識を取り戻したことで衰弱していた身体も回復して行った。
    意識が戻った日の病院からの帰り道、カラ松兄さんにもう一度一松兄さんを起こした方法を聞いてみたら、

    「眠り姫を起こすには王子の情熱的なキッスだと相場が決まっているだろう?アンダースタン?」

    …と、概ね予想通りの回答が返ってきた。
    イッタイ言い回しまで予想の範囲内ってどういう事なの。
    もう少し突っ込んで聞いてみると、どうやら王子様の優しい目覚めのキスだなんて生優しいものではなく、
    超濃厚なディープキスをかましたらしい。
    一松兄さんのあの反応も納得だ。
    横で「えー、俺もチョロ松にやればよかった!」とか言ってる長男は無視しておいた。


    ーーー


    暗い、暗い海の底に沈んだみたいだった。
    無理矢理沈められた身体はちっとも言う事を聞かなくて、だんだん意識も薄れていった。
    このままゆっくりと死んでいくんだろう。
    そう思ってた。
    もう少しで深海の闇に完全に沈んでしまう。
    けど僕の身体はその寸でのところでピタリと止まって、今度は少しずつ少しずつ浮上し始めた。
    少しずつ、声が聞こえ始めた。
    少しずつ、誰かに撫でられる感覚を感じ始めた。
    少しずつ、身体の自由がきいてきた。

    あと少し、あと少しで水面に顔を出せそうだ。
    必死にもがいて上に上がろうとしていた僕の身体が、ある日突然フワッと急浮上して
    気付けば僕は2つ上の兄にディープキスをされていた。
    戻ってこれたのは感謝してるけど、感謝はしてるんだけど…
    とりあえず、思い切り殴れないのが残念でならなかった。


    ーーー


    真っ暗な海の底へと沈んでいく1つ下の弟を必死で追いかけた。
    追いかければ僕だってもう引き返すことはできないのはわかってたけど、
    独りにしたくなくて。独りになりたくなくて。
    弟がまた僕を呼んでさえくれれば、一緒に浮上する事ができるはずだと。
    その時はそう信じてた。
    けど、辺りはどんどん暗くなって、いつの間にか僕は見失ってしまったのだ。
    光の届かない深海で、弟を探して、必死にもがいた。
    上を目指せば少しずつ、声が聞こえ始めた。
    少しずつ、誰かの手の感触を感じ始めた。
    少しずつ、声を出せるようになってきた。

    そんな中、ずっと探していた1つ下の弟の声がしたから
    僕は慌てて水面に顔を出したのだ。


    ーーー



    水底から無事に戻ってこれた僕らを出迎えたのは、兄弟達の涙と怒号と笑顔だった。

    両親と共に家に帰ってきた僕らは、家の前でぼんやりとその昭和テイストな古い家屋を見上げていた。
    久々の我が家だ。
    懐かしい。

    母親に促されて扉を開けると、4つの色が視界に飛び込んできた。
    赤、青、黄、桃 ー…

    「「「「おかえり!!」」」」
    「「ただいま。」」

    永く欠けていた緑と紫が戻り
    この家にようやく6つの色が揃った。


    (happy end!!)


    ーーー


    以下はIF分岐の死ネタルートです。
    ハピエンのまま終わりたい方はここでバックをお願いします。
















    優雅に、且つ愉快そうに笑いながら男性は立ち上がると、
    殺気を隠そうともせずに己を睨みつける客人の顔を見比べるように順番に眺めた。
    あっさりと会わせてくれると言い放った男によりおそ松達が一層の不信感を募らせる。

    「ちょうど今日の夕刻に大広間に飾ったところなのだよ。」
    「は?何言って…」
    「非常に素晴らしい出来だ。
     君たちもきっと気に入るだろう。」

    おそ松の声を遮って、尚も屋敷の主人は上機嫌な様子で言葉を続ける。
    男はついてきたまえ、とおそ松達に声を掛けると、応接間の扉を開けて歩き出した。
    おそ松は一瞬迷った様子を見せたものの、すぐに意を決し弟達に目配せして男の後に続いた。

    長い廊下を進み、大広間に足を踏み入れると、
    正面には2人掛けのゴテゴテとした装飾の煌びやかな椅子が置かれていた。
    そして、その椅子には

    「なんだよ、これ…」
    「……っ!!」
    「ぁ……」
    「チョロ松!一松!」

    おそ松が呆然と呟き、
    十四松が息を呑み、
    トド松が声を失い、
    カラ松が叫ぶように2人の名前を呼んだ。
    椅子に座していたのは、紛れもなく彼らが探し続けていたチョロ松と一松だった。

    正しくは
    かつて、チョロ松と一松だったもの、だ。

    人形遊びのような綺麗な服を身にまとった2人は固く目を閉じたまま、
    見事なシンメトリーを描いて寄り添うように静かに椅子に座らされていた。
    まるで人形のよう…いや、正しく人形だった。
    血の気を完全に失った白い肌や目元を縁取る長い睫毛が妖しくも退廃的な雰囲気を醸し出している。
    「人形」に成り果てた三男と四男の姿に打ちひしがれる兄弟の背後では屋敷の主人が満足そうな笑みを浮かべていた。
    屋敷の主人の新たな人形の仲間入りを果たしてしまったチョロ松と一松の元に兄弟が駆け寄る。
    十四松が一松を強く抱き締め、トド松がチョロ松の手を両手で握り締めた。
    おそ松とカラ松はその様子を固唾を飲んで見守った。

    4人はまだ心のどこかで希望を捨て切れずにいたのだ。
    自分達が呼びかければ目を覚ましてくれるのではないか、と。
    しかし、沈黙を貫く真ん中2人に触れた末2人は青ざめ、その顔を盛大に歪めた。

    「チョロ松兄さん、一松兄さん!ねぇ!僕達迎えに来てあげたんだよ?!
     ほら…早く、早く起きて?起きて帰ろう?
     ねえ、お願いだから…!
     お願い…起きて、起きてよぉ…っ」
    「な、んで…なんで、なんでチョロ松兄さんも一松兄さんもこんなに冷たいの?!
     僕知ってるよ!2人ともギューってするとすごく温かいんだよ!
     なのに、なんで?!
     なんで、冷たいの…なんで、息、してない、の…
     なんでなんで?!
     なんで、チョロ松兄さんも…一松兄さんも…心臓の音が、聞こえてこないの…
     兄さん…ヤダよ…!」
    「う、うぅ…うああぁっ…兄さん、兄さあああん!!」

    十四松とトド松の様子から、最悪の事態であることは明白だった。
    末の2人はチョロ松と一松に縋り付いて大声を上げて泣いている。
    その様子におそ松は思わず顔を顰めて手が白くなるくらい拳を握り締め
    カラ松はただただ弟達を感情の抜け切った無表情で呆然と見つめていた。

    「おや、お気に召さなかったかね?」
    「てめぇ…ふざけんなよ!
     チョロ松と一松に…俺の弟達に何しやがった?!」
    「先程から申しているでしょう?
     彼らは双子人形だと。
     実に素晴らしい素材だったよ。
     丈夫でありながら儚さも持ち合わせて…
     ゆっくりゆっくり人形に仕立て上げていくのは実に心躍るものだった。
     時間を掛けて、完璧な人形になったのだよ。
     永遠に美しいままの…っぐ!」

    男が長々と演説のように何か語り出したが、言い終わる前にそれはカラ松の拳によって遮られた。
    無言でゴキリ、と腕を鳴らしたカラ松は、いっそ恐ろしい程の無表情だ。
    カラ松に殴られ、床に仰向けに倒れ伏した男の胸倉を今度はおそ松が掴みあげた。
    紳士然としたその顔に渾身の一発を叩き込む。

    「なあ…こいつらはさ、俺の大事なだーいじな弟達だったワケ。
     人形なんかじゃない、れっきとした人間だったワケ。
     そりゃあ俺達揃いも揃ってクズだしニートだし童貞だけどさぁ?
     それでも人として生きる権利はあったはずなんだよね。」
    「……私にとっては、人形だよ。」
    「ふざけるな!!
     …返せよ…チョロ松と一松を返せ!
     あ、あ…あああああああ!!!」
    「カラ松!バカ抑えろ!!」
    「何故止めるんだおそ松…!こいつのっ!こいつのせいで!」
    「カラ松!」

    男の言葉に激昂したカラ松が一切の容赦なく男を殴り飛ばした。
    おそ松が慌ててカラ松を押さえ込む。
    普段は温厚で沸点が異様に高いカラ松が怒りを顕にするのは、大抵が兄弟が傷付けられた時だ。
    今、目の前には悪趣味な男によって理不尽に「人形」にされ事切れてしまった弟がいる。
    片方は、普段から何でも相談できてしまえそうな、
    それこそ六つ子の中でも特段シンパシーを感じていた優しげな緑の似合う弟。
    片方は、誰よりも寂しがり屋なクセして甘えるのが下手くそで、
    まるで自分から逃げるようにキツく当り散らし暴力を振るう姿さえ可愛く見えて、
    知らずの内に特別な感情を抱いていた紫の似合う弟。
    この場でカラ松の怒りが振り切れてしまうのは必然だった。

    おそ松とてメチャクチャに殴って蹴ってそれこそ殺す勢いで暴力を奮ってやりたかった。
    が、これはチンピラ相手の喧嘩とはわけが違う。
    これ以上こちらが手を出せば面倒なことになる。
    おそ松はそう言い聞かせながらカラ松を必死に押さえ込んだ。
    カラ松の表情は怒りと悲しみと絶望で塗り固められ、その目からはとめどなく涙が溢れている。
    だがその表情とは裏腹に男に向かってとてつもない殺気が放たれていた。


    その後、トド松が呼んだ警察に男は引き渡された。
    おそ松とカラ松が思い切り男を殴った点に関しては、トド松が上手いこと口添えしてくれて
    厳重注意のみのお咎め無しにしてもらえた。
    どう見てもこちらは遺族で被害者なのだ。
    情状酌量を与えてくれたのだろう。

    この屋敷にも捜査の手が入り、至るところに飾られていた等身大の人形達も
    トド松が話していた失踪者達だったことが判明した。
    チョロ松や一松と同様に突然攫われ、男に人形にされてしまったようだ。
    最も古いもので死後半年以上経っている人形もあったが、
    一体どんな技術なのか何かしらの防腐処理を施され、腐敗は見られなかったらしい。
    当然、逮捕された男は重罪に問われることになるだろう。
    おそ松達からすれば、もちろん然るべき処罰は受けて欲しいが、
    それでチョロ松と一松が戻ってくるわけではない。
    自分達の手で制裁を下せないのが、酷く歯痒く悔しかった。

    検察の検証とやらを終えたチョロ松と一松が無言の帰宅をしたのは
    おそ松達が屋敷に乗り込んだ翌々日のことだった。
    父も母も泣き崩れていた。
    残された兄弟も、皆涙を流した。


    ふとおそ松が目を開けると部屋の中は薄暗かった。
    時刻を確認すると午後6時を過ぎた頃だった。
    2階の子供部屋で、どうやら泣きじゃくる末2人を抱き締めながら一緒になっていつの間にか眠ってしまったらしい。
    おそ松の傍らには目元を赤くしながら眠る十四松とトド松の姿があった。
    2人に毛布を掛け直してやったところで、カラ松の姿がないことに気付く。
    眠る末2人を起こさないようにそっと部屋を抜け出し、階段を降りて居間に向かった。
    両親は寝室に籠ってしまっいるようだ。
    居間の襖を開くと、棺に入れられたチョロ松と一松の元に座り込む青色の背中を見つけた。
    カラ松は先程の十四松とトド松と同様に目元を赤く腫らし、静かに一松の髪を撫でていた。
    しばらくの間、ひたすら髪を撫で続けていたカラ松だったが、ふと手を止めると
    今度は一松の頬に手を添え、顔を近づけたかと思うと、眠る一松に口付けた。
    まるで命を吹き込むように、祈りを込めるように。
    当然、一松は目覚めてはくれない。
    その様子に、おそ松は何も言えなかった。
    やがてカラ松は顔を上げ、居間の入口で立ちすくむおそ松と目が合うと、
    眉尻を下げ自嘲気味に笑みを浮かべると
    何も言わずにおそ松の横を通り過ぎ、階段を上がって行った。

    部屋には、おそ松と何も言わずに眠るチョロ松と一松だけが残された。
    おそ松はそっと棺に近寄ると、カラ松が座っていた場所とは反対側に腰を下ろした。
    眠る2人を覗き込む。
    陳腐な言葉だが、本当にただの人形のようだ。
    死んでいるのに、なんでこんなに綺麗に見えるんだろう。
    手を伸ばし、チョロ松の頬に手を添える。
    滑らかで、冷たい。

    カラ松の真似事ではないけれど、
    別にお伽噺の王子様のキスなんてのを信じてるわけでもないのだけど…
    そう、別れの挨拶とでも言おうか。
    明日には2人とも骨だけになって埋葬されてしまう。
    触れ合えるのは今だけだ。
    頬に手を添えたまま、そっと口付けてみた。

    触れた唇も、泣きたいくらい冷たかった。

    (bad end...)
    #BL松 #カラ一 #おそチョロ #監禁 #年中松 #死ネタ

    !ATTENTION!
    この話は以下の要素を含みます。
    一つでも嫌悪感を感じるものがございましたら早急にブラウザバックをお願いいたします。

    1.おそチョロ、カラ一前提(くっついてない)の上での、一チョロ一です
    2.変態なモブのオッサンが出張ります
    3.拉致、監禁要素があります(被害者:年中松)
    4.異常性癖の表現があります(被害者:年中松)
    5.本編はハッピーエンドで終わります。…が、最後にif分岐として死ネタルートをオマケとして置いてます。


    OKな方はお進みください。


    ーーー

    猫達の協力を得て、チョロ松と一松が何者かに攫われたらしいことは判明したが
    そこから居場所を探し出すのは難航していた。
    2人は黒い車に押し込められて何処かへ連れていかれたらしいのだが
    黒い車など日本全国山ほど走っているし、
    目撃した猫は当然車のナンバーなど覚えているはずもない。
    それに2人を乗せた車が県外へ走り去ってしまったのなら
    猫のネットワークでは限界がある。
    エスパーニャンコはすでに2つ目の薬を飲んでもらっている。
    その効力も明日で切れてしまう。
    残った薬は後1つ。
    デカパン博士からはまだ連絡がないし、猫達に協力してもらえるのは後1週間だろう。

    その日の夜、就寝前にトド松が気になる話を聞いた、と俺たちを真剣な眼差しで見据えながら言ってきた。
    目撃情報や手がかりとは直接関係のない話だけど、と前置きしてからトド松は口を開いた。

    「ここ1年、東京で青年の失踪事件が異様に多発しているらしいんだ。」
    「失踪事件?」
    「うん。その失踪者がね、全員10代〜20代半ばの男性なんだって。」
    「チョロ松と一松もその失踪者の条件に当て嵌まるな。」
    「でもあいつらは誘拐だろ?」
    「そうだけどさ…例えばだよ?
     例えば…その失踪した人達も、兄さん達と同様に誘拐されたんだとしたら?」
    「…どういう事だ?」
    「チョロ松兄さんと一松兄さん以外にも、攫われた人がいるかもってコトかな?!」
    「あくまでも憶測の域だけど…
     でも無関係とも言い切れないと思わない?」
    「確かに、トド松の言うことも一理あるかなー…。
     なぁ、その失踪者ってまだ誰も発見されてねーの?」
    「うん。全員行方不明。…兄さん達も含めて、ね。」

    直接関係のある話ではなかったが、確かに気になる話だ。
    トド松は、念のため失踪した男性達のことも少し調べてみると言って
    さっさと布団に潜り込んでしまった。
    おそ松が電気を消す。
    4人だけの布団の中は温まるのに時間を要するせいか少し寒い。
    隣にいるはずの一松の体温が感じられないのがひどく寂しかった。
    チョロ松と一松が姿を消してから既に1ヶ月半程が経とうとしている。
    2人がいなくなってから、トド松が夜中にこっそりすすり泣いているのを、
    十四松が路地裏で1人涙を流しているのを、
    そして、おそ松が時折緑色のパーカーを目を腫らしてボンヤリ見つめているのを知っている。
    そういう俺も、ふとした拍子に部屋の隅…一松の定位置に目を向けてしまい、
    何も無い空間を見ては情けないことに泣きそうになるのを必死で堪えていた。
    真ん中2人が抜けた穴は想像以上に大きくて、俺も含めた兄弟の落ち込みようはひどいものだった。
    なんだかんだで俺もおそ松も真ん中組を甘やかすのは好きだし、
    末2人も真ん中組に甘えるのが大好きだ。
    もう見つからないのかもしれない、
    そんな思いが一瞬脳裏を過ぎったが、すぐ様頭をブンブン振って思い直す。
    俺はまだ諦めない。
    諦めるわけにはいかない。
    もちろん他の兄弟達だってその思いは同じだ。
    明日はもう少し遠くへ足を伸ばして探してみようか。
    その前にエスパーニャンコに薬をもう一度飲んでもらって、
    あとは協力してくれている一松キャット達にお礼の猫缶を持って行ってやらなければ。
    そんな事を考えながらウトウトとし始めていた時だった。

    カリカリ、と部屋の窓ガラスを引っ掻く音が聞こえた。
    上体だけを起こして窓の方を見ると、そこには外の街灯に照らされて薄っすらと猫のシルエットが見て取れた。
    次いで「ニャーォ」と猫の鳴き声。
    エスパーニャンコだ。
    布団から這い出て窓を開けると、エスパーニャンコはピョイと部屋の中に入ってきた。
    その物音に兄弟達も起き出して先ほど消したばかりの明かりを再び点ける。
    俺たちを見渡して、明るい橙色の毛色の猫が言った。

    『みつけた。』

    ーーー

    深夜、鬱蒼とした森に囲まれた狭い道路を1台の車が走っていた。

    「おいコラもうちょいスピード出せっての!」
    「十分スピード出してるザンス!
     乗せてもらってる分際で文句を言うんじゃないザンス!」

    「そうだよ!もっと急いでよイヤミー!」
    「これでもかなり飛ばしてるザンスよ!
     だからうるさいザンス!」

    「エンジン全開!全カーーーーイ!!ハッスルハッスル!」
    「ええいやかましいザンス!!」

    「フッ…今こそお前の眠れるフォースを解放すべき時だぜ。
     俺はお前を………信じてるぜ!」
    「やかま…イッタイザンスね!!」

    兄貴がイヤミに脅…お願いして8人乗りのワゴン車を出してもらい、
    俺たちは山奥のとある屋敷へ向かっていた。

    エスパーニャンコが夜中に俺たちに教えてくれた。
    山奥の大きな屋敷にチョロ松と一松が囚われていると。
    屋敷の周辺を縄張りにしている猫が庭で一松と遊んだことがあるのだそうだ。
    その猫から近隣の猫へ伝達され、更にまた近隣へ伝達され…
    そうしてとうとうこの辺りを縄張りとする猫達の耳にも入る次第となった。
    猫のネットワークは想像以上に強力だ。
    猫達から受け取った情報を元にトド松が場所を割り出し、
    大切な弟達を取り戻すために真夜中の森を爆走中という訳である。
    話を聞いてみると、何やら不穏な気配も感じられた。
    チョロ松と一松は鎖で繋がれていたとか、とても体温が低かったとか、
    ここ最近は庭に行っても姿を見せない、とか。
    2人は無事なのだろうか。
    どうか無事でいてくれ。

    「カラ松、すっげー顔してんぞ。」
    「え…。」
    「お前今こそ鏡見ろよ。
     そんな顔でチョロ松と一松に会ってみろ、確実に引かれちゃうよ~?」
    「す、すまない…。」

    一体どんな顔をしていたというのか。
    しかし手鏡は生憎家に置いてきてしまった。
    ペシペシと自分の頬を叩く俺を、おそ松は可笑しそうに眺めていたが
    やがて俺の両肩に手を置いて真剣な目で俺を見た。

    「絶対に取り乱すなよ。
     俺たちが最優先するのはチョロ松と一松の無事だ。
     お前キレたら手に負えねーんだからな。」
    「ああ、わかってる。」

    おそ松に背中を叩かれて、知らず握り締めていた拳が少し緩んだ。

    やがて車は県境に位置する山奥の大きな屋敷の前にたどり着いた。
    まるでそこだけタイムスリップしたかのような景観だ。
    闇夜に浮かび上がるようにして佇むそれは、少し不気味に見える。
    俺たちは車を降り、運転手のイヤミには屋敷から少し離れた目立たない場所で待機してもらうことにした。

    「さてと、どっから入るかだけど。」
    「はいはいはい!」
    「はい、十四松くん。」
    「バットで窓ガッシャーン!!」
    「うむ、採用。」
    「ちょっと!何言ってんのおそ松兄さん馬鹿なの?!」
    「え、駄目なのか?」
    「ダメに決まってんだろこのサイコパスが!」
    「…何故だ?」
    「あー!!僕1人でツッコミ捌き切れない!助けてチョロ松兄さぁん!」
    「えー、じゃあどうするんだよー。」
    「…もうこの際正面突破でいいんじゃないか?」
    「正面突破!」
    「待って兄さん達は何する気なの?!
     言っとくけどこの屋敷にチョロ松兄さんと一松兄さんがいる確証はないんだよ?
     もし強引に押し入って全くの無関係な家だったらどうするのさ、
     器物破損で僕達が捕まっちゃうよ!」
    「あー…そうか~まぁそうだなー…。
     うん、よし正面から堂々と行こう。」

    言うや否や、おそ松は玄関のベルを鳴らした。
    背後でトド松が「ちょっと待ってよまだ心の準備が!」と喚いているが、
    済まないが一刻を争うためスルーさせてもらった。
    こんな真夜中に非常識な客人だがこちらはそうも言ってられないのだ。

    暫しの沈黙の後、大きな扉がゆっくりと開いた。

    「こんな夜更けに…一体どなたです?」
    「あ、どーもぉ~」
    「ヒッ…!!お前…!いや、まさか、そんな…!」
    「え?」

    扉から出てきた男はおそ松の顔を見るなり突然青ざめた顔をして中に引っ込んでしまった。
    一体どうしたというのか。

    「あれ…俺なんかした?」
    「俺が見る限り何もしていないと思うが。」
    「うん…非常識な時間にベル鳴らした以外は何もしてないと思うけど。」
    「だよなぁ…?」
    「なんかビックリーというより、怖がってたねー?」
    「俺の隠しきれないカリスマレジェンドなオーラにビビったとか?」
    「いやそれはない。」
    「トド松否定速すぎじゃね?」
    「ったりめーだろ!
     てゆーか、カラ松兄さんばりにイッタイ事言うのやめてくんない?
     今ツッコミ要員いないんだからね?!」
    「え…?」

    玄関扉の前で気の抜けた会話を繰り広げていると再び扉が開いた。
    先ほどの男だ。
    何がそんなに恐ろしいのか、俺たちを見てガクガクと震えながら屋敷の中へ招き入れてくれた。
    男の態度は気になるが、ひとまず中に入れた事に一安心だ。
    それにしても広い屋敷だ。
    豪者な内装に煌びやかな調度品、そして至るところに人形が飾られている。

    この人形達、やけにリアルで少し不気味だ。
    しかも少年や青年の人形ばかりだ。
    この屋敷の持ち主の趣味なのだろうか。
    なかなかいい趣味をしているようだ。
    他人の嗜好にとやかく言うつもり等全く無いが、是非ともお友達にはなりたくない。

    案内されたのは、広々とした応接間だった。
    ソファには、壮年の気品ある男性が腰掛けている。
    こちらにも伝わってくる風格からして、この男性がここの主人なのだろう。
    彼は、俺たちの顔を見るなり目を細めて口角を釣り上げた。

    「ほう…双子人形にはまだ兄弟がいたのか。」

    舐めるようにして俺達の顔をじっくりと眺め、心底愉快そうに笑う男性から発せられた言葉に、
    姿を消したチョロ松と一松を知っているのだろうと確信できた。

    「先ほどはうちの使用人が失礼したね。
     何せ君達が私の双子人形と同じ顔をしていたものだから
     どうやら震え上がってしまったらしい。」

    喉の奥でクツクツと男は笑う。
    その姿に苛立ちを隠そうともせず、おそ松が一歩前に出て挑発的に口を開いた。

    「人形とかどーでもいいんだけどさ、
     俺たち六つ子なの。
     その内2人が行方不明なんだよね。
     なぁオッサン、あんた2人の居場所知ってるんだろ?」
    「ふむ…そうだね。
     折角兄弟が会いに来てくれたんだ。
     少し早いが私の双子人形を特別にお披露目するとしよう。」

    男性はこちらを見て、一層笑みを深めた。

    ーーー


    愉快そうに笑いながら屋敷の主人は立ち上がると、4人の顔を見比べるように眺めた。
    ついてきたまえ、とおそ松達に声を掛けると、徐に応接間の扉を開けて歩き出す。
    おそ松達は顔を見合わせ、しかしすぐに意を決して男の後を追った。

    廊下を進み、辿り着いたのは重厚な扉の前。
    使用人が鍵を開け、扉を押し開けた。
    ギ…と重たい音が響く。
    男に促されるまま中に足を踏み入れると、やけに甘ったるい香りが鼻をついた。

    窓はなく、天井から伸びるシャンデリアが部屋を明るく照らしている。
    高級ホテルのスイートルームのような装いの其処は、まるで生活感が感じられなかった。
    奥には天蓋付きの大きなベッドが存在感を放っている。
    レースカーテンで視界を遮られ、ベッドの中はよく見えなかったが、そこに人影を確認できた。
    それに最初に気付いたのは十四松だった。
    十四松がベッドに駆け寄り、勢いよくカーテンを開け放つ。
    その音に、他の兄弟も自然と視線がベッドへ向かった。
    開け放たれたカーテンの向こう側、ベッドの中には、
    はたしてまるで人形遊びのように着飾られたチョロ松と一松が静かに眠っていた。

    「チョロ松兄さん!一松兄さん!」
    「兄さん達…!本当にここに攫われてたんだ…!」
    「チョロ松、一松…!」
    「やっと見つけた…!!」

    眠る2人を起こそうとトド松がチョロ松を、十四松が一松をガクガクと揺さぶる。

    「兄さん!兄さん、起きて!」
    「兄さん!」

    末の2人が真ん中の2人を起こそうとしている中、おそ松はある事に気付いた。
    チョロ松と一松に枷が嵌められ、鎖で繋がれている。
    思わず呆然と呟いた。

    「おい…なんだよコレ。」

    手枷はチョロ松の左手と一松の右手を繋いでおり、
    足枷はベッドの足に繋がっていた。
    真ん中の2人が自由を奪われ、この部屋に監禁されていただろうことは、容易に想像できた。
    ふつふつと怒りが沸き上がりつつある中、チョロ松と一松が同時に身じろぎ、ゆっくりと瞼を持ち上げた。

    「チョロ松兄さん、一松兄さん!大丈夫?どこか痛くない?!」
    「チョロ松、一松!俺達が分かるか?もう大丈夫だからな!」
    「兄さん、兄さーーん!僕たち迎えに来たんだよ!帰ろ!」
    「チョロ松、一松!……おい、2人とも…どうしたんだよ?!
     なぁ…何か言えって!」

    チョロ松と一松が目を開けたことにより4人に一瞬ホッとした空気が生まれたが、それはすぐに霧散してしまった。
    2人とも目を覚ましたものの、焦点は定まっておらず、虚ろな瞳は虚空を映すばかりだった。
    耳元で必死に語りかける兄弟の声も届いていないのか
    どんなに大声を上げても、手を取ってみても、何の反応も帰ってこない。
    おそ松達の表情が、どんどん凍っていった。

    「…兄さん?」
    「………。」
    「チョロ松兄さん、一松兄さん…?
     ねぇ、どうしたの…?」
    「どうした?!返事してくれ!」
    「チョロ松、一松!
     …なぁ、折角お兄ちゃん達迎えに来てやったんだぞ?
     ガン無視はねーだろ?泣いちゃうよ?!」

    反応は無い。
    おそ松達の事はまるで視界に入っていないようだった。
    双子人形…。
    男の言葉を頭の中で反芻する。
    これでは本当に人形ではないか。
    ここでおそ松は1人納得してしまった。
    屋敷の主人がやけにあっさりとチョロ松と一松に会わせてくれたのは
    何か裏があるのかと勘繰り警戒していたのだが
    あの男にそういった考えはなく、単純におそ松達ではどうにもできないと践んでいたのだろう。
    枷はひどく頑丈で、鍵がなければ真ん中2人を解放する事はできそうにない。
    チョロ松と一松を「双子人形」などと言う頭のイカれたあの男は
    こいつらを手放す気など毛頭ないのだ。
    そして、おそ松達がどう足掻いても2人を連れ出すことはできないと高を括っている。

    (…ナメてくれやがって。)

    この屋敷のどこかに枷を外す鍵があるはず。
    もしくはあの男か、使用人の誰かが所持しているのだろう。
    そう推測したおそ松は薄ら寒い笑みを浮かべる屋敷の主人とその使用人達をみわたした。
    先程この部屋の扉を開けた使用人あたりだろうか。
    そうして思案を巡らせるおそ松の胸中を知ってか知らずか
    屋敷の主人が満足そうな笑みを浮かべて背後から近づいてきた。

    「私の双子人形は可愛いだろう?
     まぁ、まだこれは未完成作品なのだがね。
     完成の日もすぐそこだ。」

    男が笑う。
    人形の完成。
    その意味を理解したおそ松は、衝動のままその男を殴り飛ばした。
    チョロ松と一松に付いていたトド松が声を上げたが、構わずにそのまま殴り飛ばした男に近づいた。

    「おい…オッサン。
     てめぇ俺の弟達に何しやがった…?」

    おそ松は自分でもびっくりする程、胸中がスーッと冷めていくのを感じていた。
    殴られ、仰向けに倒れていた男の胸倉を掴み、
    そのまま馬乗りになって更にもう一発拳を叩き込んだ。

    「答えろよ…!
     チョロ松と一松に何しやがったんだよ…!!」

    一切の手加減なく叩き込まれた拳によって男は気絶してしまったようだ。
    白目を剥く男を見ておそ松は思わず舌打ちをした。
    部屋に武装した使用人が押し入ってきたが、そいつらはカラ松にあっさりとのされていた。
    武装は格好だけで、本当にただの使用人なのだろう。
    トド松に警察を呼んでもらうよう頼むと、おそ松は4人を最初に出迎え応接間へ案内した使用人に詰め寄った。
    再び使用人の顔が青ざめたが、知ったこっちゃない。

    「ヒ…!」
    「なぁ、お兄さん。
     あんたが知ってること教えてくんない?」
    「お、お、俺は、何も…!」
    「へーぇ?
     今俺の弟が警察呼んだよ?
     このオッサンの監禁の手伝いしてたなんてバレたらどうなるかなー?」
    「あ……。」
    「教えてくれたらさぁ〜
     警察の事情聴取で俺達お兄さんの事庇ってあげられるよ?」
    「……わ、わかっ…た…。」

    使用人達は主人への忠誠よりも己の保身を選んだ。
    さほどあの男に忠誠心は持ち合わせていなかったのか
    それとも人形遊びと称した監禁の手伝いをさせられていた事に
    後ろめたさがあったのかはおそ松達の知るところではないが。

    使用人の男から聞いた話だと、この屋敷の主人は元々男色家だったそうだ。
    若く、自分好みの少年や青年を拉致っては、人形のように着飾らせ愛でていた。
    拉致った青年達を抱いたりする事がなかったのは、
    屋敷の主人が不能だった為なのだが、その代わり主人はとんでもない性癖を持ってしまった。
    それが、人形遊び。
    催眠と洗脳を誘発する香を焚き続け、食事に無味無臭の薬を混ぜ、
    連れ去った青年を少しずつ、少しずつ内側から壊して、思考を奪い、身体の自由を奪い
    最終的には命すらも奪う。
    緩やかに緩やかに、当人も気付かないくらいゆっくりと。
    そうして「完全な人形」に仕上げていく事にこの上ない悦びを感じていたのだとか。
    悪趣味過ぎて反吐が出そうだ。
    そうして、命を奪われた人形は防腐処理が施され、永遠にその姿を留めたまま飾られる。
    そう…この屋敷の至る所に飾られた等身大の人形達。
    あれは異常性癖持ちの屋敷の主人に連れ去られ、人形遊びの道具とされ
    人形となってしまった成れの果てだったのだ。

    そして、チョロ松と一松もまた「完全な人形」になってしまう一歩手前だったのだろう。
    状況は決して良いとは言えないが、屋敷に飾られる人形達の仲間入りをしてしまう前に
    おそ松達がたどり着けたのは不幸中の幸いだったと言える。

    その後警察が到着し、4人は軽く事情聴取をされた後に解放された。
    チョロ松と一松は検査のため病院へ搬送される事になった。
    本当は早く家に連れ帰りたかったが、仕方ない。

    屋敷に飾られていた人形となってしまった青年達は
    前にトド松が話していた失踪した青年と一致していた。
    トド松の憶測通り、彼らも連れ去られていたらしい。
    その被害者は実に50人を超えていた。





    夜明けを待って、チョロ松と一松が搬送された病院へ向かった。
    兄弟だと説明すると(同じ顔だから説明するまでもなかったかもしれないが)
    担当医が出てきてすんなりと病室に通してもらえた。
    ドアには「面会謝絶」の札がかけられている。

    ドアの向こう、白い空間にチョロ松と一松は眠っていた。
    搬送される際に枷は外されたが、長く嵌められたままだったのか
    手首と足首には赤く跡が残っている。
    容体は決して良いとは言えないそうだ。
    生命力が著しく低下し、脳の働きもかなり落ちていると聞いた。

    「…兄さん達、大丈夫だよね?」
    「ああ…きっと大丈夫だ。
     今は、2人を信じるしかない。」
    「チョロ松兄さん…一松兄さん…。」
    「………。」

    眠り続ける2人を見て、ふと人形のようだと思ってしまって
    慌ててその考えを振り払った。
    冗談でもそんな事思ってはいけない。
    人形なんかじゃない。
    チョロ松も一松も人間だ。
    呼吸も、体温もちゃんとある。
    ちゃんと血の通った、人間なのだ。

    それから、おそ松達は交代で病院へチョロ松と一松の様子を見に行く事にした。
    2人は度々目を覚ます事もあるのだが、意識朦朧としていてほとんど会話が成立しない。
    当然自力で食事もできず、身体中を何本もの管で繋がれていた。
    鎖よりはずっとマシだが痛々しくてたまに見ていられなくなる。
    植物状態と言って差し支えない程だ。

    生きている。
    2人は生きているのだ。
    たとえ目を覚まさなくとも、言葉を交わすことが出来なくとも、
    その事実だけが、4人を支え続けている。

    今日も、チョロ松と一松は静かに眠り続けている。



    ーーー

    ー ある日の長男の独白

    静かにただひたすら眠り続け、たまに目を開けても意識朦朧としていて
    会話もできなくなったチョロ松と一松を見守り続けて、どのくらい経っただろうか。
    あの屋敷から助け出せた時は、2人を取り戻せた事にただただホッとしていたけど
    植物状態な2人を見続けるのは思っていた以上に辛い。
    カラ松も、十四松も、トド松もそろそろ疲れと諦めの色がチラつき始めている。
    もうチョロ松と一松は一生このままなんじゃないかって。
    誰もそんな事口には出さない、いや出せないけど…おそらく皆が薄々考え始めている。
    考えたくない。いつか2人がまた俺の事を見て、「おそ松兄さん」と呼んでくれる日が来ることを、信じていたいけど。
    信じ続ける事に疲弊してしまう程度には、月日が経ってしまったのだ。
    今日も病室で寝顔を眺めて1日が終わる。

    チョロ松の白い頬をそっと撫でると、陶磁器を思わせる肌触りだった。
    その頬に今度は顔を寄せて唇を押し当ててみた。
    いつもだったら「何しやがんだクソ長男!」って怒号混じりのツッコミが飛んでくるところだ。
    でも今は何も返ってこない。
    何も伝わらない。
    何も、伝えることができない。
    頼むよ、俺ホントチョロ松がいないと割とマジでダメっぽい。
    …いつまで続くのかわからない日々を過ごすのがこんなにも辛いとは思わなかった。

    俺、兄ちゃんなのにな。
    ちゃんと助けてやれなくて、ごめんな。


    ー ある日の次男の独白

    兄弟で交代制でチョロ松と一松の傍にいる事を決めたあの日から、
    何回目かも分からない俺の番が回ってきた。
    何度この部屋を訪れただろう。
    今日も眠り続けるチョロ松と一松の周りだけ、時間が止まってしまったかのようだった。
    2人を眺めながら、いつも思う。
    もう少し早く見つけてやっていれば、
    2人で買い物に出掛けた日に、探してやっていれば、
    そもそも、買い物に俺も付いていけばよかったのかもしれない。
    どれもこれも、今更考えたって無意味なのは解っているが、
    チョロ松と一松が屋敷に監禁されていた間、俺達は平然といつもと変わりない日常を過ごしていたのかと思うと
    どうしてもあの時ああしてれば、と考えてしまうのだ。
    仮に俺も一緒に付いて行ったとして、2人が誘拐される事なく無事に帰ってくる確証などないのだが。
    頭に浮かぶのは後悔と謝罪の言葉ばかりだ。
    俺にはもう「信じてる」なんて言う資格すらないのかもしれない。
    けど、言わせてほしい。
    再び、6人揃って笑い合える日が来るのを、俺は信じてる。

    眠る一松の髪をそっと撫でた。
    柔らかな猫っ毛が、指の間をすり抜けていく。
    前髪を撫ぜると、普段は隠された一松の額と短めの眉が顔を出した。
    吸い寄せられるように、その額にそっと口付けた。
    こんな事したのがバレたら一発殴られるどころじゃ済まないだろうな。
    それこそ、いつかのように石臼をぶん投げられるかもしれない。
    ああ、でも。
    それで目を覚ましてくれるなら、石臼くらい受け入れようじゃないか。
    何だったら俺は一松のその唇に躊躇うことなく自身の唇を重ねてやれる自信がある。

    だって、眠れる姫を起こすのは王子様のキスなんだろう?
    いや、みすみす愛する兄弟を危険に晒した俺は王子などではないし、
    仮に一松の唇を奪ったとて、目を覚ましてはくれないだろう。
    一体何を馬鹿な事を。

    すまない、こんな兄を許してくれ。


    ー ある日の五男の独白

    チョロ松兄さんと一松兄さんが帰ってきてくれたのは嬉しいけど、
    手放しに喜ぶことはできない状況だった。
    あの大きな屋敷で人形にされていたチョロ松兄さんと一松兄さんは、
    頭も体も自由を奪われていて、命すら失う寸前だった。
    まだそこから回復せずに今も眠っている。
    それでも僕は、眠る兄さん達に今日も取り留めのない事をたくさん話した。
    そしたら、いつか目を覚ましてくれるんじゃないかって思ったから。
    野球の事はもちろん、おそ松兄さんがパチンコに行かなくなったとか、
    カラ松兄さんが橋へ出掛けなくなったとか
    トド松が夜中に僕にトイレに付いてくるの頼むようになったとか。
    それはもう思い付く限りの事を時間の許す限り、いろいろと。
    でも、2人の容態はなかなか改善しなくて…。
    おそ松兄さんは病院から帰るとベランダで煙草をふかして物思いにふけるようになった。
    前に盗み見た時は、煙を吐き出しながら泣くのを堪えるように空を見上げていた。
    カラ松兄さんは病院から帰ると部屋でボーっとするようになった。
    部屋の隅、いつも一松兄さんがいた場所に何度も何度も視線を向けていた。

    病院の先生は、回復には時間が掛かる、もしかしたら一生このままかもしれない。と言っていた。
    一生このまま?
    それは嫌だ。
    僕は、またチョロ松兄さんと一松兄さんの声が聞きたい。
    また話がしたい。一緒に野球もしたい。

    神様なんて、普段は別段信じたりしてないけど、いるならお願い。
    チョロ松兄さんと一松兄さんが失ってしまった分、僕のを分けてあげるから。
    僕が持ってる分をあげられるだけ分けてあげるから。
    だから、兄さん達を助けて。


    ー ある日の末弟の独白

    今日は僕が病院に行く番だ。
    この順番が回ってくるのは一体何度目なのか、もう数え切れない程の月日は経ったはずだ。
    チョロ松兄さんと一松兄さんは、相変わらず眠っていた。
    2人の寝顔はなんだかとても綺麗なものに見える。
    綺麗な顔して寝ちゃってさ、僕達が今どんな思いでいると思っているのか。
    …正直、僕は病室に来るのが辛かった。
    おそ松兄さんがベランダでボンヤリと煙草を吸ってるのを見る度に
    カラ松兄さんが部屋の隅へ視線を巡らせては微かにその顔が悲しげに歪むのを見る度に
    十四松兄さんが「今日も眠ってた。でもたくさん話しかけてきたよ。」と泣きそうな笑顔で言うのを見る度に
    僕は絶望感と共に病室に足を踏み入れるハメになるのだ。
    今日もやっぱりダメだったんだ、と。
    病室にいると、何をしたらいいのかわからない。
    僕はおそ松兄さんのようにチョロ松兄さんに優しく触れる勇気も
    カラ松兄さんのように一松兄さんの髪を撫でる勇気も
    十四松兄さんのようにひたすら2人に話しかけ続ける勇気も持ち合わせていなかった。
    つまりは、僕はチョロ松兄さんと一松兄さんの悲惨な現状を受け入れたくなくて逃げているのだ。
    このままじゃダメだってわかってるのに。
    そう、このままじゃダメなんだ。
    でもどうしよう、僕にはどうしても勇気がない。
    眠る兄さん達を直視するのが怖い。
    けど僕だって兄さん達には触れたい。

    …そうだ、いっそのこと目を瞑って触ってみようか。
    一体それに何の意味があるのかは自分でもよく分からないけれど。
    何もせずに眺めているだけよりかは、何か意味があるはずだ。
    そうと決まれば、臆病な心が顔を出す前に実行だ。
    ひとまず、チョロ松兄さんのベッド脇に置かれたパイプ椅子に腰掛け、
    細い手を確認すると、それを恐る恐る掴んでギュッと目を閉じた。
    それに呼応するようにチョロ松兄さんの手を握った僕の手にも力がこもった。

    僕、もう逃げたくないよ。
    ううん、逃げないから。
    だから兄さん達も戻ってきて。

    ーーー

    トド松がキツく目を瞑りながらチョロ松の手を握り締めて、さほど時間は経っていない。
    相変わらずトド松は肩を縮こまらせ、目を瞑っていたが

    「ぅ…」

    小さな呻き声が聞こえて、ハッと目を開けた。
    反射的にチョロ松の顔を見ると、その瞳は薄らと開いていた。

    「…チョロ松兄さん?」
    「…ぃ、…たい…。」

    「チョロ松兄さん?!」

    ほとんど掠れていて声になっていなかったが、それでもトド松にはハッキリと理解出来た。
    言葉を発した。
    チョロ松が、あの日から初めて声を出した。
    トド松があまりにも強く、加減を知らずに手を握った事に反応したのだろうか。
    気付けば再びチョロ松は瞼を下ろして眠ってしまっていたが、これまでの事を考えると大きな前進だ。

    トド松は大きく深呼吸すると、震える手で兄達へ連絡を入れた。

    ーーー


    トド松から連絡を受け、いてもたってもいられなかった俺はカラ松と十四松と共に雪崩込むようにして病室に押し入った。
    話に聞いたチョロ松の反応は微かなものだが、それでも今までの様子から比べたら大きな変化だ。
    それこそ、俺達に「もう一度目覚めてくれるかもしれない」と淡い期待を持たせる程には。
    部屋に入るとトド松の呆れたような視線が降り注ぐ。

    「ちょっと…気持ちはわかるけどここ病院なんだからね?」
    「ごめんって!」
    「すまん…どうにも気が急いてな。」
    「めっちゃ走った!」
    「なぁ、トド松。チョロ松が喋ったって…。」
    「うん。僕が、結構強めに手を握ったら、
     少しだけ目を開けて「痛い」って言ったんだ。
     またすぐに寝ちゃったけど…。」
    「十分だ!今まではそんな反応すらもなかったんだからな!」

    カラ松も十四松も、トド松もどこか嬉しそうだ。
    もちろん俺も嬉しい。
    少しでも希望が見えたのだ。
    真ん中2人には何が何でも頑張ってもらいたいところだ。
    いつもより幾分明るい雰囲気の病室で、十四松が元気よく挙手しながら口を開いた。

    「ねぇねぇ!!じゃあ一松兄さんの手もギューってしたら何か反応してくれるかな?!」
    「そうだね…そういえば一松兄さんにはやってなかったな。」
    「んじゃ、やってみようぜ!」
    「よし、なら俺が…」
    「待てカラ松。お前はダメだ。」
    「え?!何故だ!」
    「お前自分が怪力だって事わかってるか?
     一松の手を粉砕する気か。」
    「確かに、カラ松兄さんが力込めて握ったりなんかしたら骨折しかねないよね。」
    「怪我させるのダメ!スリーアウト!チェーンジッ!!」
    「ううっ…!」
    「って事でお兄ちゃんがやってみるな。」

    そう言って落ち込むカラ松を横目に一松のベッドの脇に立った。
    手を握り、そして力を込める。
    …まだ反応は無い。
    跡が残らない程度に、もう少しだけ強く握ってみる。
    …すると、一松の眉間に微かに皺が寄り

    「おわっ!」
    「動いた!一松兄さん自分で手を動かしたッスね!!」
    「眠っててもおそ松兄さんがウザイのわかったのかなぁ?」
    「おいこらトド松!お兄ちゃん割とショック受けてるから!!」

    そう、人形のようだった一松の手が動いたのだ。
    不機嫌そうに、バシッと俺の手を振り払うようにして。
    というか、これは絶対振り払っただろう。
    反応があったのは喜ばしいのだが少しばかり複雑だ。
    兎に角、チョロ松も一松も少しではあるが確かに回復に向かっているということだ。
    いつか、しっかりとその目で俺達を見返してくれる日も来るはずだ。

    ーーー

    チョロ松と一松が少しの反応を見せてくれた日から、1週間が経った。
    わかり易く反応してくれたのはあの日だけで、2人は相変わらずの沈黙を保っている。
    1週間前に声を上げたり、手を動かしたりしたのは気のせいだったんじゃないかって思えるくらいだ。
    昨日もおそ松がチョロ松の手を握ってみたらしいが、反応してくれなかったと困ったように笑っていた。
    おそ松らしくない笑い方だったが、俺は何も言うことが出来なかった。

    どうして2人とも何も返してくれなくなったんだ?
    俺達があまりにしつこいからか?
    …………そうか、しつこかったからか。
    そうだな、そうに違いない。
    チョロ松と一松は兄弟の中でも特出して素直になれない性格だ。
    素直に俺達に返事をする事ができないのだろう。
    ひょっとしたら「いい加減にしやがれ」とそっぽを向いてしまっているのかもしれない。
    …ならば、こちらを無理矢理にでも向かせるまでだ。
    さてどうしたものか。
    生憎と俺はおそ松によって手を握るのは禁止令が出ている。
    手を握る事はできない。
    かと言って、延々と話し掛け続けるのも、チョロ松と一松はすっかり慣れてしまって良い反応は無いだろう。
    怪我をさせることなく、何か身体に慣れない衝撃を与える方法はないだろうか。

    (…………。)

    しばらく考え込んで、俺は一つの方法を思い付いた。
    早速それを実行すべく、一松の傍に寄る。
    白い頬に手を添えると滑らかな感触が手を擽った。
    眠り続けているせいだろう、少し痩せたな。
    前は、一松の頬はもっともっちりしていた気がする。
    そんな事を考えつつも、俺は眠る一松に顔を近付けて
    一松の唇に自身の唇を重ねた。
    無理矢理口をこじ開け、舌をねじ込み、
    文字通り貪るように、意図的に激しくイヤらしく、呼吸を奪うように。
    一松の口内はちゃんと体温があった。
    噛み付くように唇を重ねているうちに、僅かながら頬が上気し息が荒くなってきたのがわかった。

    「んっ…ふ……」

    一松から掠れたような声が漏れ出たが、構わず口内を蹂躙し続けた。
    真っ白なシーツにどちらのものかわからない唾液が染みを作っている。
    段々と口内が熱を帯びてきた。
    その事に興奮して頬に添えていた手を離し、顎を掴んだ。
    その、瞬間

    「~~~い゛っ!!」

    頬に走った強烈な痛みに、思わずガバリと勢いよく上体を起こした。
    次いで、誰かにグッと腕を強く掴まれる感触。

    「えっ…な……い、一松?!」
    「…………。」
    「一松、俺が解るか?!」

    「く…そま、つ……」

    ベッドを見下ろせば、瞳を潤ませ、頬を紅く染め、
    肩で息をしながら胸を上下させる一松の姿があった。
    その目は確かにハッキリと俺を視界に捉えている。
    一松の右手は俺の腕をしっかりと掴み、更に掠れた小さな小さな声だったが、確かに俺を呼んだ。
    本当は本名で呼んで欲しかったが贅沢は言うまい。
    左頬にヒリヒリと痛みが走る。
    俺の腕を掴む手とは反対側の手を見て、一松に引っ掻かれたのだとようやく頭が理解した。

    「一松、気が付いたんだな!
     よかった…本当によかった…!!」
    「く、そ松…てめ…ゼェ、ゼェ…おれ、に…ゼェ、ハァ…何、しやがっ……。」
    「すっすまない!
     ついつい夢中になってな!」
    「しね!!……ゼェ、ゼェ…」

    ディープキスは眠り続けていた一松には結構な身体の負担だったようだ。
    そこは反省した。
    嗚呼、でもお姫様は本当に王子のキスで目が覚めるんだな!
    容赦なく引っ掻かれたが、子猫に噛みつかれたようなものだと思おう。
    御伽噺は決してファンタジーではないのだ。
    …そうだ、チョロ松も同じようにおそ松が起こしてやればいいのではないか?

    しばらくしてなんとか息を整えたらしい一松が、唐突に俺に話しかけてきた。

    「チョロ松兄さんは?」
    「ん?」
    「チョロ松兄さん、どこ?」
    「ああ、隣のベッドにいるぞ。」
    「……!!
     チョロ松兄さ…」
    「ま、待て一松!
     お前もまだ身体が万全じゃないだろう、急に動くな!」

    一松は隣のベッドに眠るチョロ松の姿を確認すると、身体を起こそうとした。
    が、やはりまだ上手く身体が動かせないのだろう
    バランスを崩し、危うくベッドから転倒するところだった。

    「一松、お前がこうして目覚めたんだ。
     チョロ松もきっとすぐに気が付く。」
    「連れてけ。」
    「…はい?」
    「だから、俺をチョロ松兄さんのとこまで、連れてけ。」
    「え…何故?」
    「はやくしろ」
    「あ、はい。」

    自分で歩く事は早々に諦めたらしい一松に言われるがまま、点滴の管に気を付けながら一松を抱き上げ
    チョロ松のベッドまで連れて行った。
    一松は眠るチョロ松の顔をしばらくまじまじと眺めていたが、やがてチョロ松の額に手をそっと置いた。
    そして、チョロ松の耳元でそっと囁いた。

    「兄さん、チョロ松兄さん…。」


    「……一松…?」
    「おはよ、チョロ松兄さん。」
    「ん、おはよう一松。……ここは?」
    「あ、そういえば。
     おいクソ松、どこだここ。」
    「び、病院だが…ちょっと待ってくれ、
     色々整理させてくれないか。」

    まさかの光景だった。
    一松が囁いたたったの一言。
    それで、チョロ松も目を覚ましたのだ。

    ーーー

    「あらまーマジでお目覚めじゃん!
     チョロ松も一松も元気かー?」
    「全然元気じゃない。」
    「僕も最悪だよ…身体が思うように動かないし。」
    「何ヶ月もあんな調子だったんだ。無理もないさ。」
    「チョロ松兄さん!一松兄さん!
     おはようございマッスル!!」
    「うん、おはよう十四松。」
    「ほんとよかったよ…もう!心配したんだからねっ!
     今度何か奢ってくれなきゃ許さないんだから!!」
    「トド松もごめん。心配かけたね。」

    カラ松兄さんから連絡を受けて、僕達は1週間前と同じように慌てて病院に駆けつけた。
    病室には、横にはなっているものの、しっかりと目を開けて僕らを見るチョロ松兄さんと一松兄さんがいた。
    ついついあんな事言っちゃったけど、別に奢ってくれなくたって許してあげるよ。
    だってこうしてまた兄さん達と会話ができたんだもん。
    ちゃんと僕の名前を呼んでくれた。
    もうそれで十分だ。
    あ、奢ってくれるならそこは喜んで奢られるけどね。

    話を聞くと、まずカラ松兄さんが一松兄さんの意識を浮上させる事に成功し
    一松兄さんがチョロ松兄さんを起こした、という事らしい。
    カラ松兄さん曰く、一言ボソッと呟いただけなのにチョロ松兄さんがあっさりと目を覚ましたのだそうだ。
    何それ。
    僕らの苦労は一体何だったの。

    「ところでカラ松は一体どうやって一松を起こしたんだ?」
    「ああ、それはn「喋ったら殺すぞクソ松」…えっ。」
    「なんスかなんスか?!」
    「なになに~?
     つまり一松にとっては恥ずかしい起こされ方だったって事かな~??」

    説明しようとしたカラ松兄さんを一松兄さんが遮った。
    身体が動かせないせいで殴ったりはされなかったけど、物凄い殺意を向けられている。
    の、割に一松兄さんの顔は僅かに赤くなっているもんだから、僕はなんとなく想像がついてしまった。

    「それよりも、なんでチョロ松兄さんは
     一松兄さんの小さな声で目が覚めたの?
     今まで僕ら散々兄さん達に話しかけたり
     触ったりしても何の反応も返ってこなかったのに。」
    「うーん…それが自分でもよく分からないんだよね。」
    「…………暗示だと思う。」
    「え、一松?」
    「あの屋敷にいた間も…チョロ松兄さん、
     俺が声を掛けるとすぐに正気に戻ってたから。」
    「そうなの?!」
    「あー…言われてみればそんな気がするなぁ。
     僕が完全に正気を失っちゃったのって、
     一松の声が聞こえなくなってからだろうし。」
    「じゃあ、一松兄さんの声で元に戻るように、
     無意識のうちに自分で自分に暗示をかけてたってこと?」
    「そうなるのかな…?」

    兄さん達が囚われていたあの屋敷。
    今は解体処分されたらしい其処はさながら檻の中だった。
    悪趣味な男にすべてを奪われそうになる中、チョロ松兄さんも一松兄さんも互いが互いの拠り所だったのだと思う。
    特にチョロ松兄さんは兄の立場だったから、弟である一松兄さんを守るために
    一松兄さんの声には敏感に反応出来るようになったのだろう。
    当然、一松兄さんが眠ってしまうと、もう声も聞けなくなる。
    つまり気を張り続ける事が出来ていた、守るべき相手がいなくなってしまった事で
    チョロ松兄さんも眠りに堕ちてしまったのだ。
    そう考えると、チョロ松兄さんと一松兄さんの間に看過できない共依存関係が出来上がってしまったように思うのだけど
    そこはまぁ、上2人に任せるとしよう。
    ひとまず、今は真ん中の兄さん達の目覚めを喜ぶのが先だ。


    チョロ松兄さんも一松兄さんも、完全に意識を取り戻したことで衰弱していた身体も回復して行った。
    意識が戻った日の病院からの帰り道、カラ松兄さんにもう一度一松兄さんを起こした方法を聞いてみたら、

    「眠り姫を起こすには王子の情熱的なキッスだと相場が決まっているだろう?アンダースタン?」

    …と、概ね予想通りの回答が返ってきた。
    イッタイ言い回しまで予想の範囲内ってどういう事なの。
    もう少し突っ込んで聞いてみると、どうやら王子様の優しい目覚めのキスだなんて生優しいものではなく、
    超濃厚なディープキスをかましたらしい。
    一松兄さんのあの反応も納得だ。
    横で「えー、俺もチョロ松にやればよかった!」とか言ってる長男は無視しておいた。


    ーーー


    暗い、暗い海の底に沈んだみたいだった。
    無理矢理沈められた身体はちっとも言う事を聞かなくて、だんだん意識も薄れていった。
    このままゆっくりと死んでいくんだろう。
    そう思ってた。
    もう少しで深海の闇に完全に沈んでしまう。
    けど僕の身体はその寸でのところでピタリと止まって、今度は少しずつ少しずつ浮上し始めた。
    少しずつ、声が聞こえ始めた。
    少しずつ、誰かに撫でられる感覚を感じ始めた。
    少しずつ、身体の自由がきいてきた。

    あと少し、あと少しで水面に顔を出せそうだ。
    必死にもがいて上に上がろうとしていた僕の身体が、ある日突然フワッと急浮上して
    気付けば僕は2つ上の兄にディープキスをされていた。
    戻ってこれたのは感謝してるけど、感謝はしてるんだけど…
    とりあえず、思い切り殴れないのが残念でならなかった。


    ーーー


    真っ暗な海の底へと沈んでいく1つ下の弟を必死で追いかけた。
    追いかければ僕だってもう引き返すことはできないのはわかってたけど、
    独りにしたくなくて。独りになりたくなくて。
    弟がまた僕を呼んでさえくれれば、一緒に浮上する事ができるはずだと。
    その時はそう信じてた。
    けど、辺りはどんどん暗くなって、いつの間にか僕は見失ってしまったのだ。
    光の届かない深海で、弟を探して、必死にもがいた。
    上を目指せば少しずつ、声が聞こえ始めた。
    少しずつ、誰かの手の感触を感じ始めた。
    少しずつ、声を出せるようになってきた。

    そんな中、ずっと探していた1つ下の弟の声がしたから
    僕は慌てて水面に顔を出したのだ。


    ーーー



    水底から無事に戻ってこれた僕らを出迎えたのは、兄弟達の涙と怒号と笑顔だった。

    両親と共に家に帰ってきた僕らは、家の前でぼんやりとその昭和テイストな古い家屋を見上げていた。
    久々の我が家だ。
    懐かしい。

    母親に促されて扉を開けると、4つの色が視界に飛び込んできた。
    赤、青、黄、桃 ー…

    「「「「おかえり!!」」」」
    「「ただいま。」」

    永く欠けていた緑と紫が戻り
    この家にようやく6つの色が揃った。


    (happy end!!)


    ーーー


    以下はIF分岐の死ネタルートです。
    ハピエンのまま終わりたい方はここでバックをお願いします。
















    優雅に、且つ愉快そうに笑いながら男性は立ち上がると、
    殺気を隠そうともせずに己を睨みつける客人の顔を見比べるように順番に眺めた。
    あっさりと会わせてくれると言い放った男によりおそ松達が一層の不信感を募らせる。

    「ちょうど今日の夕刻に大広間に飾ったところなのだよ。」
    「は?何言って…」
    「非常に素晴らしい出来だ。
     君たちもきっと気に入るだろう。」

    おそ松の声を遮って、尚も屋敷の主人は上機嫌な様子で言葉を続ける。
    男はついてきたまえ、とおそ松達に声を掛けると、応接間の扉を開けて歩き出した。
    おそ松は一瞬迷った様子を見せたものの、すぐに意を決し弟達に目配せして男の後に続いた。

    長い廊下を進み、大広間に足を踏み入れると、
    正面には2人掛けのゴテゴテとした装飾の煌びやかな椅子が置かれていた。
    そして、その椅子には

    「なんだよ、これ…」
    「……っ!!」
    「ぁ……」
    「チョロ松!一松!」

    おそ松が呆然と呟き、
    十四松が息を呑み、
    トド松が声を失い、
    カラ松が叫ぶように2人の名前を呼んだ。
    椅子に座していたのは、紛れもなく彼らが探し続けていたチョロ松と一松だった。

    正しくは
    かつて、チョロ松と一松だったもの、だ。

    人形遊びのような綺麗な服を身にまとった2人は固く目を閉じたまま、
    見事なシンメトリーを描いて寄り添うように静かに椅子に座らされていた。
    まるで人形のよう…いや、正しく人形だった。
    血の気を完全に失った白い肌や目元を縁取る長い睫毛が妖しくも退廃的な雰囲気を醸し出している。
    「人形」に成り果てた三男と四男の姿に打ちひしがれる兄弟の背後では屋敷の主人が満足そうな笑みを浮かべていた。
    屋敷の主人の新たな人形の仲間入りを果たしてしまったチョロ松と一松の元に兄弟が駆け寄る。
    十四松が一松を強く抱き締め、トド松がチョロ松の手を両手で握り締めた。
    おそ松とカラ松はその様子を固唾を飲んで見守った。

    4人はまだ心のどこかで希望を捨て切れずにいたのだ。
    自分達が呼びかければ目を覚ましてくれるのではないか、と。
    しかし、沈黙を貫く真ん中2人に触れた末2人は青ざめ、その顔を盛大に歪めた。

    「チョロ松兄さん、一松兄さん!ねぇ!僕達迎えに来てあげたんだよ?!
     ほら…早く、早く起きて?起きて帰ろう?
     ねえ、お願いだから…!
     お願い…起きて、起きてよぉ…っ」
    「な、んで…なんで、なんでチョロ松兄さんも一松兄さんもこんなに冷たいの?!
     僕知ってるよ!2人ともギューってするとすごく温かいんだよ!
     なのに、なんで?!
     なんで、冷たいの…なんで、息、してない、の…
     なんでなんで?!
     なんで、チョロ松兄さんも…一松兄さんも…心臓の音が、聞こえてこないの…
     兄さん…ヤダよ…!」
    「う、うぅ…うああぁっ…兄さん、兄さあああん!!」

    十四松とトド松の様子から、最悪の事態であることは明白だった。
    末の2人はチョロ松と一松に縋り付いて大声を上げて泣いている。
    その様子におそ松は思わず顔を顰めて手が白くなるくらい拳を握り締め
    カラ松はただただ弟達を感情の抜け切った無表情で呆然と見つめていた。

    「おや、お気に召さなかったかね?」
    「てめぇ…ふざけんなよ!
     チョロ松と一松に…俺の弟達に何しやがった?!」
    「先程から申しているでしょう?
     彼らは双子人形だと。
     実に素晴らしい素材だったよ。
     丈夫でありながら儚さも持ち合わせて…
     ゆっくりゆっくり人形に仕立て上げていくのは実に心躍るものだった。
     時間を掛けて、完璧な人形になったのだよ。
     永遠に美しいままの…っぐ!」

    男が長々と演説のように何か語り出したが、言い終わる前にそれはカラ松の拳によって遮られた。
    無言でゴキリ、と腕を鳴らしたカラ松は、いっそ恐ろしい程の無表情だ。
    カラ松に殴られ、床に仰向けに倒れ伏した男の胸倉を今度はおそ松が掴みあげた。
    紳士然としたその顔に渾身の一発を叩き込む。

    「なあ…こいつらはさ、俺の大事なだーいじな弟達だったワケ。
     人形なんかじゃない、れっきとした人間だったワケ。
     そりゃあ俺達揃いも揃ってクズだしニートだし童貞だけどさぁ?
     それでも人として生きる権利はあったはずなんだよね。」
    「……私にとっては、人形だよ。」
    「ふざけるな!!
     …返せよ…チョロ松と一松を返せ!
     あ、あ…あああああああ!!!」
    「カラ松!バカ抑えろ!!」
    「何故止めるんだおそ松…!こいつのっ!こいつのせいで!」
    「カラ松!」

    男の言葉に激昂したカラ松が一切の容赦なく男を殴り飛ばした。
    おそ松が慌ててカラ松を押さえ込む。
    普段は温厚で沸点が異様に高いカラ松が怒りを顕にするのは、大抵が兄弟が傷付けられた時だ。
    今、目の前には悪趣味な男によって理不尽に「人形」にされ事切れてしまった弟がいる。
    片方は、普段から何でも相談できてしまえそうな、
    それこそ六つ子の中でも特段シンパシーを感じていた優しげな緑の似合う弟。
    片方は、誰よりも寂しがり屋なクセして甘えるのが下手くそで、
    まるで自分から逃げるようにキツく当り散らし暴力を振るう姿さえ可愛く見えて、
    知らずの内に特別な感情を抱いていた紫の似合う弟。
    この場でカラ松の怒りが振り切れてしまうのは必然だった。

    おそ松とてメチャクチャに殴って蹴ってそれこそ殺す勢いで暴力を奮ってやりたかった。
    が、これはチンピラ相手の喧嘩とはわけが違う。
    これ以上こちらが手を出せば面倒なことになる。
    おそ松はそう言い聞かせながらカラ松を必死に押さえ込んだ。
    カラ松の表情は怒りと悲しみと絶望で塗り固められ、その目からはとめどなく涙が溢れている。
    だがその表情とは裏腹に男に向かってとてつもない殺気が放たれていた。


    その後、トド松が呼んだ警察に男は引き渡された。
    おそ松とカラ松が思い切り男を殴った点に関しては、トド松が上手いこと口添えしてくれて
    厳重注意のみのお咎め無しにしてもらえた。
    どう見てもこちらは遺族で被害者なのだ。
    情状酌量を与えてくれたのだろう。

    この屋敷にも捜査の手が入り、至るところに飾られていた等身大の人形達も
    トド松が話していた失踪者達だったことが判明した。
    チョロ松や一松と同様に突然攫われ、男に人形にされてしまったようだ。
    最も古いもので死後半年以上経っている人形もあったが、
    一体どんな技術なのか何かしらの防腐処理を施され、腐敗は見られなかったらしい。
    当然、逮捕された男は重罪に問われることになるだろう。
    おそ松達からすれば、もちろん然るべき処罰は受けて欲しいが、
    それでチョロ松と一松が戻ってくるわけではない。
    自分達の手で制裁を下せないのが、酷く歯痒く悔しかった。

    検察の検証とやらを終えたチョロ松と一松が無言の帰宅をしたのは
    おそ松達が屋敷に乗り込んだ翌々日のことだった。
    父も母も泣き崩れていた。
    残された兄弟も、皆涙を流した。


    ふとおそ松が目を開けると部屋の中は薄暗かった。
    時刻を確認すると午後6時を過ぎた頃だった。
    2階の子供部屋で、どうやら泣きじゃくる末2人を抱き締めながら一緒になっていつの間にか眠ってしまったらしい。
    おそ松の傍らには目元を赤くしながら眠る十四松とトド松の姿があった。
    2人に毛布を掛け直してやったところで、カラ松の姿がないことに気付く。
    眠る末2人を起こさないようにそっと部屋を抜け出し、階段を降りて居間に向かった。
    両親は寝室に籠ってしまっいるようだ。
    居間の襖を開くと、棺に入れられたチョロ松と一松の元に座り込む青色の背中を見つけた。
    カラ松は先程の十四松とトド松と同様に目元を赤く腫らし、静かに一松の髪を撫でていた。
    しばらくの間、ひたすら髪を撫で続けていたカラ松だったが、ふと手を止めると
    今度は一松の頬に手を添え、顔を近づけたかと思うと、眠る一松に口付けた。
    まるで命を吹き込むように、祈りを込めるように。
    当然、一松は目覚めてはくれない。
    その様子に、おそ松は何も言えなかった。
    やがてカラ松は顔を上げ、居間の入口で立ちすくむおそ松と目が合うと、
    眉尻を下げ自嘲気味に笑みを浮かべると
    何も言わずにおそ松の横を通り過ぎ、階段を上がって行った。

    部屋には、おそ松と何も言わずに眠るチョロ松と一松だけが残された。
    おそ松はそっと棺に近寄ると、カラ松が座っていた場所とは反対側に腰を下ろした。
    眠る2人を覗き込む。
    陳腐な言葉だが、本当にただの人形のようだ。
    死んでいるのに、なんでこんなに綺麗に見えるんだろう。
    手を伸ばし、チョロ松の頬に手を添える。
    滑らかで、冷たい。

    カラ松の真似事ではないけれど、
    別にお伽噺の王子様のキスなんてのを信じてるわけでもないのだけど…
    そう、別れの挨拶とでも言おうか。
    明日には2人とも骨だけになって埋葬されてしまう。
    触れ合えるのは今だけだ。
    頬に手を添えたまま、そっと口付けてみた。

    触れた唇も、泣きたいくらい冷たかった。

    (bad end...)
    焼きナス
  • 三男と四男が囚われた話 #BL松 #カラ一 #おそチョロ #チョロ一 #一チョロ #監禁

    !ATTENTION!

    この話は以下の要素を含みます。
    一つでも嫌悪感を感じるものがございましたら早急にブラウザバックをお願いいたします。

    1.おそチョロ、カラ一前提(くっついてない)の上での、一チョロ一です
    2.変態なモブのオッサンが出張ります
    3.拉致、監禁要素があります(被害者:年中松)
    4.異常性癖の表現があります(被害者:年中松)
    5.年中松が身体の関係を持ちます(ただし年中松に互いの恋愛感情はなく、2人は兄弟愛の範疇)
    6.救いがありません
    7.死を仄めかす表現があります(今のところ死ネタではありません)



    ーーー

    目を覚ますと、見慣れない天井が視界に入った。
    不思議に思って身を起こしてみれば、そこは完全に自分の全く知らない世界が広がっていた。

    一体どういう事なのか、内心焦りながらもひとまず周りを見渡してみる。
    まず僕は何故かふかふかとした、いかにも高級そうなキングサイズのベッドの上にいる。
    天井だと思って見上げていたそれはベッドの天蓋で、
    その天蓋は金糸と銀糸で見事な刺繍が施された薄く白いカーテンで覆われていた。
    こんな豪華な天蓋付きベッドなんて初めて見る。
    カーテンの向こう側には上品そうなカウチソファに、ガラス製のローテーブル。
    床に敷かれた絨毯は見るからに厚く滑らかそうだ。
    天井からは豪奢なシャンデリアが吊り下げられ、この部屋を明るく照らしている。
    部屋は中々の広さだが、窓も時計もなかった。
    どこからか甘ったるい香りがする。

    此処は一体何処だろう?
    何故自分はこんなところに?

    己に置かれた状況が理解できないまま視線を彷徨わせていると、ふと左手に違和感を感じた。
    その左手を動かしてみると、ジャラリ、と重たい金属音。
    辺りを窺い彷徨っていた視線を左手に向けてみれば、そこには鈍く銀色に光る手枷。
    左手を捕らえた手枷からは銀色の鎖が伸びていた。
    その鎖を辿ってみれば

    「……えっ?!い、一松?!」
    「………ん…?
     …え、チョロ、松…兄さん…?」

    自分のすぐ隣に、ベッドに沈む一つ下の弟の姿があった。
    そこまで大きな声を出したつもりはないのだが、静寂に包まれたこの部屋で発せられた僕の声は
    思いの外響いたようで、一松は薄っすらと目を開けた。
    まだ寝惚けているようだが。
    それにしても触れ合う程すぐ近くにいたというのに、それに気付けない程自分の頭は混乱していたのだろうか。
    しかし、弟の姿を確認すると同時にまた異常を見つけた。
    一つは先に見つけた左手の手枷。
    手枷から伸びる銀の鎖を辿ると、どういうわけか一松の右手に嵌められた手枷に繋がっていたのだ。
    今この不可解なやたらと豪華な見知らぬ部屋で、僕と一松は手枷で繋がっていた。
    わけが分からないが、見知らぬ誰かではなく気の置けない兄弟だった事がせめてもの救いだ。
    もう一つは僕と一松の服装。
    一松を見ると、いつものパーカーではなく白いシルク素材のワイシャツに黒の七分丈パンツという
    普段の弟であればまず身に付けないであろう装いだった。
    ワイシャツのカフス部分と前立て部分には大きく緩やかなフリルがあしらわれており
    首元には深い紫色の大きなリボンタイが結ばれていた。
    リボンタイの色が深緑色である事を除いて、僕も一松と同じ格好だった。
    いつの間に、誰が着替えさせたのだろうか。
    最後に、足枷。
    僕の右足首には足枷が嵌められており、やはり銀の鎖でそれはベッドの脚と繋がっていた。
    一松も同様に左足首とベッドが足枷で繋がれている。
    自分達も含め、そこはまるで異空間に迷い込んでしまったかのような異様な空間だった。

    「え…何これ…えっ…え?!」
    「僕にもわからない…気が付いたらこうだった。」
    「え、チョロ松兄さん…だよね?」
    「うん。」
    「あれ…俺とチョロ松兄さん、母さんに頼まれた買い物に行く途中だったよね?」
    「…の、はずだよね。」

    ようやく覚醒したらしい一松が不安そうな声を上げた。
    そう、買い物だ。
    僕と一松はじゃんけんに負けて母から頼まれた買い物のために近所のスーパーへ向かっている途中だったはずだ。
    そこで、確か…

    「なんか…変な薬を嗅がされて…
     黒塗りの車に引きずり込まれた…ような気がする…。」
    「奇遇だね、一松。僕もそんな覚えがあるよ。」

    2人してのんびりダラダラとスーパーに向かって歩いているところを、突然何者かに襲われてしまった。
    気配を殺した男が背後からホールドしてきたかと思った次の瞬間には、
    白いハンカチで鼻と口を覆われて、みるみる間に睡魔に襲われた。
    重くなる瞼になんとか逆らいながら横に目をやると、一松も同様に羽交い締めにされた上でハンカチで顔を覆われていた。
    そのまま2人一緒に黒塗りの車に詰め込まれて。
    身体中から力が抜けて意識が途絶えるのと、エンジン音がして車が動き出すのは同時だった。
    …そして気付けばこの部屋でこんな事になっていたのである。

    わけがわからない。
    わからないが、こうしていても仕方ない。
    そろそろと一松と2人ベッドから足を下ろし、もう少し部屋の中を探索してみることにした。

    ベッド横の扉は洗面所とシャワールームに続いていた。
    その横の扉は手洗い。
    更にその向こうにある一際重たそうな扉は、鍵が掛かっているのかびくともしなかった。
    動く度に鎖が引きずられる音がして不愉快だ。
    足枷から伸びる鎖はちょうど部屋の端から端までを移動出来る長さに調節されているようだ。
    背中に張り付いている一松が微かに震えているのが分かる。
    安心させるようにぎゅ、と強く手を握ったが、自分も同じくらい震えている事に気付いてしまい思わず俯いてしまった。

    「此処…何なんだろうね。」
    「うん…。」
    「でも…チョロ松兄さんが一緒でよかった…。」
    「え?」
    「独りだったら絶対パニクってた。」
    「まあ、確かにね。僕も一松が傍にいてくれてよかったよ。」

    一松の言う通り、この空間に自分1人だけだったとしたらもっとパニックに陥っていたに違いない。
    弟が傍にいるという事実が己を奮い立たせ、冷静にさせている。

    結局ここからは出られそうになかったため、部屋の探索はそこそこに僕と一松はカウチソファに腰を下ろした。
    こんな所で別行動したくはないのだが、しかし手枷で繋がれているせいで一松と離れられないのは些か不便ではある。
    こうして2人で寄り添うように座っている分には構わないのだが
    トイレや風呂はどうすればいいのだろうか。
    そんな事を考えながら、一松とぴったりと肩を寄せていると、
    開けることのできなかった重たい扉がギ…と軋む音を響かせて開いた。
    咄嗟に一松を抱き寄せ、背にかばうようにして扉を睨みつけた。

    部屋に入ってきたのは、初老を幾らか過ぎたくらいの、上品さと気迫を兼ね備えた紳士然とした男性だった。
    男性の背後には使用人らしき何人かの男達が控えている。
    男性がにこやかな笑みを浮かべて口を開く。

    「お目覚めかな、私の人形達。」

    ーー……は?

    「人形……?」

    気品ある佇まいのまま、男性は僕らに近づいた。
    一松を抱き締める腕に自然と力が篭る。
    しかしそんな僕らを見て男性は可笑しそうに笑みを深めるだけだった。
    男性はそのまま僕らの前に立つと、まるで演説をするかのように語り出した。

    「双子人形が欲しかったのだよ。
     綺麗で、丈夫な、鏡合わせのような双子の人形。
     君達は完璧だ。
     力強さの中に脆さがある。
     虚勢で塗り固められた壁の隙間を軽く突いてやれば
     一瞬にして崩れ落ちてしまうような危うさを潜めている。
     実に素晴らしいね。正に私の理想だよ…理想の人形だ。」

    その口調は柔らかく優しげであるのに、どこか薄ら寒さを感じる。
    男性と目が合った瞬間にゾクリとした寒気が背骨を抜けていった。
    この男が一体何を言っているのか全く理解できない。

    「いや…失礼、少々感情が昂ぶってしまったようだ。
     しかし私は感動すら覚えているのだよ。
     君達は私の理想の双子人形だ。
     私は人形をコレクションするのが趣味でね。
     これまでも何体も集めてきたのだが…
     ふふ…どれもこれも脆くてね。
     だから丈夫な人形が欲しかったのだよ。
     しかしただ単に丈夫なだけでは味気ない。
     人形とは美しさと儚さを持ってこそだ。
     その点君達は実に素晴らしい。
     丈夫さと脆さという相反する2つの要素を絶妙なバランスで併せ持っている。
     ここまで理想に近い人形に出会えるとは思ってもみなかったよ。」

    この男は一体何を言っているんだ?
    人形とはなんだ?
    双子人形?…いや、巫山戯るのも大概にしてほしい。
    ていうか僕ら六つ子だし。
    大体、僕らのどこをどう見れば人形に見えるというのか。
    ……と、思ったところで視界の隅に入った一松の姿に、僕は息を呑んだ。
    綺麗な服で着飾られ、驚愕と得体の知れない恐怖で青白い顔をした一松の姿は、
    正しく「まるで人形のよう」だったのだ。
    そして、僕も今一松と同じような顔をしているのだろうと思うと、再び背筋に冷たいものが這い上がった。
    何も言えないでいる僕と一松をうっとりと眺めながら、男性は尚も続ける。

    「安心してくれたまえ。
     悪いようにはしないよ。
     君達はただ…私に愛される人形になればいいだけのことだ。」
    「人形に…なる?」
    「そう、私の可愛い可愛い人形だ。
     人形のように、愛くるしく私に従えば生活は保証するよ。」

    悪いようにはしない、などと言われてもこの男性の人形になるという大前提がそもそも安心できない。
    男性は僕と一松を交互に眺めながら、まるで慈愛に満ちたような眼差しを向けている。
    けれどその目の奥は何か冷たいものを感じるのだ。
    この男性は正気なのだろうか。
    いや、成人男性をこうして誘拐して着飾って恍惚の表情を浮かべている時点で
    とても正気の沙汰とは思えない。
    しかしどうやら逃げ場はない。
    男性の背後には使用人らしき男達が数人控えているし、
    よく見ると扉には武装した人がまるで門番のように佇んでいる。
    暴れようにも、手枷と足枷のせいで思うようにはいかないだろう。
    何より、今ここで僕が暴れたら一松が巻き添えを喰らってしまう。
    悔しいが今は身の安全のためにこの男性に従う振りをするしかなさそうだ。
    一松を見ると、不安と緊張の混ざったような目をして僕の服の袖を握っていた。
    ああ、そうだ。
    此処にいるのは僕だけじゃない。
    一松が一緒にいるんだ。
    僕がしっかりしなきゃ。

    いつまでもくっ付いたままの僕らを見て、男性が笑う。
    そして使用人らしき人に手で指示を送ると、使用人の1人が鍵を取り出し僕と一松の手枷と足枷の鎖を外した。
    それと同時に僕も一松も複数の使用人に囲まれた。

    「さて…お腹が空いただろう?夕食にしよう。
     食堂へ連れて行ってあげよう。
     …ついでに、他の人形達にも会わせてあげるよ。」

    男性がそう言って踵を返し部屋から出て行く。
    呆然とする僕と一松も、僕らを囲む使用人に促され歩き出した。

    広い屋敷だった。
    夕食、と言っていたから時刻は夕方かそのくらいなのだろう。
    装飾が施された窓の外は暗く、窓の向こうは森や山に囲まれていた。
    山奥の豪華な別荘、といったところだろうか。
    一体何処なのだろう、全く分からない。
    そして、食堂までの道には至る所に人形が置かれていた。
    小さなものから、僕らと同じくらいの等身大のものまで。
    そのどれもが少年から青年の姿の人形で、僕と一松と同じように着飾られている。
    等身大の人形はまるで本物の人間のようにリアルで見るのが少し怖かった。
    食堂へ行くまでの間、僕らが見ただけでも大小合わせて実に20体以上の人形が飾られていた。
    人形だらけの大きな屋敷。…怖すぎる。
    やはりあの男性は異常だ。

    「…女の子の人形が…一つもないね。」
    「うん…別の部屋にある、とかかな…。」
    「ちっとも良くないけどそうだといいね…。」
    「そう思っておこうよ…
     マジで男の人形だけだったら完全に異常性癖だよ…。」

    小声で一松とそんな会話をしていると、程なくして食堂にたどり着いた。
    白いテーブルクロスが掛けられた長テーブルの一番奥、いわゆるお誕生日席に例の男性が座っている。
    使用人に連れられ、僕と一松はそのすぐ近くに向かい合うようにして座らされた。
    目の前には食欲をそそる豪華な料理の数々。
    脚や背もたれにゴテゴテとした装飾が付いた重たい椅子に腰掛けると、
    食堂で待っていたウェイター姿の男性がグラスにシャンパンを注いだ。
    男性が穏やかに笑ってグラスを手に取った。

    「では、乾杯。」
    「…………。」
    「…………。」
    「2人とも、どうしたんだね?
     さあ、グラスを取りなさい。」

    穏やかな笑みはそのままに、男性から有無を言わせないピリ、とした空気が発せられて
    僕と一松はほぼ同時にグラスに手を伸ばした。
    男性はそれに満足げに笑うと、再び「乾杯」と口にしてシャンパンを煽る。
    向かいに座る一松と視線を交わし、お互いに戸惑いの表情を浮かべていたが
    男性から早く飲むように促され、意を決してそれを一気に飲み干した。
    普通のシャンパンだ、多分。
    料理に何か仕込まれているのではないかとも思ったが、何故かこの男性には逆らう事ができなくて
    結局僕らは料理に口をつけた。
    遠慮がちに料理を口にして(悔しいことに非常に美味だった)また使用人に囲まれながら部屋に戻され
    部屋に着くなり再び手枷と足枷の鎖が繋がれた。
    ガチャリ、と部屋の鍵が閉まる音が響いた。
    部屋の中は相変わらず甘ったるい香りがしている。
    後から気付いたが、この香りの正体は棚の上に置かれた香炉からしているようだ。

    「チョロ松兄さん…。」
    「うん…。」
    「これってさ…俺たち拉致られたってことかな…。」
    「そうなるのかな。
     いや、そうだよね確実に拉致だよね。」
    「しかも異常性癖持ちの金持ちのおっさんに…。」
    「どう考えても金持ちの道楽だよね。…いい迷惑なんだけど!」
    「俺達…あのおっさんの愛玩人形にされちゃうのかな…。」
    「やめて一松マジでやめて!!」
    「うん…ごめん…。」
    「いや僕もちょっとそれ思っちゃったけどさ。
     つーかこの服なんなんだよ?!
     どっかの貴族の坊ちゃんかよ?!
     何気に一松似合ってるし!!」
    「チョロ松兄さんも何気に似合ってるよ…。」
    「ありがとう嬉しくない!
     そもそも人形って何だよ!!
     こちとら人間だっつの!クズ極めた童貞ニートだっつのこの野郎!
     何であのオッサンの性癖に付き合わされてんだよケツ毛燃えるわ!!!」
    「だよねーこんな人間のクズ捕まえて何する気なんだろ…。」
    「これ明らかに犯罪だよ犯罪!!
     あのオッサン今に慰謝料毟り取ってやるからなクソがっ!!」
    「ヒヒッ……!」
    「何笑ってんの一松。」
    「いや…いつものチョロ松兄さんの調子に戻ったなって。」
    「え。」

    自分が突然放り込まれた状況をようやく脳がしっかりと理解し飲み込めたのか
    口から自然とツッコミと愚痴と罵倒の言葉が流れるように出てきた。
    確かに、少し落ち着いて考えられるようになってきたかもしれない。
    それは隣に一松がいてくれるというのが一番大きいと思うけど。
    そうだ、こんなこと付き合ってられない。
    なんとかして脱出する手段を考えないと。
    そりゃ僕も一松も一生働かずに養われたいとか思ってたけど、
    こんな形で養われるだなんてまっぴらごめんだ。
    ましてや一松の言うように愛玩人形になんてなってたまるか。

    「一松、ひとまず今日はもう寝よう。」
    「…そうだね。」
    「明日、なんとか逃げる方法を考えようか。」
    「うん。」
    「…おそ松兄さん達、心配してるかな。」
    「…どうかな。」
    「………。」
    「チョロ松兄さん。」
    「ん?」
    「また…会えるよね。
     おそ松兄さんにも、クソ松にも、十四松にもトド松にも…
     父さんと母さんにも…。」
    「うん、絶対会える。」
    「ん。」
    「会えるように頑張らなきゃ。」
    「ん。」
    「とりあえず、今日は休もう。」
    「ん。おやすみ…。」
    「おやすみ。」

    そうして、キングサイズのベッドに2人で潜り込んだ。
    目を閉じてふと思い浮かぶのは鮮やかな赤色。
    …いや、ちょっと待て。
    ここは家族みんなを思い浮かべるところだろう。
    そう思っても脳裏に浮かぶのは長男の顔で。
    いやいやいや、待て待て待て。
    これはアレだ、昔の相棒だったからついつい浮かんできただけであって
    決して邪な気持ちではない、はずだ。
    何故か自分で自分に言い訳をしながらも赤色は頭から去ってはくれない。
    赤色を振り払おうとしてそろりと目を開ければ、静かに寝息を立てる一松の姿があった。
    それを見て少し心が安らいだ僕もまた目を閉じる。
    僕の左手と一松の右手を繋ぐ鎖が少し邪魔だったけど、程なくして僕も深い眠りに誘われた。


    この時は、まだそこまで事態を重く受け止めていなかったのだ。
    僕も、一松も。

    ーーー



    チョロ松と一松が姿を消した。


    その日の夕方近く、俺達ニート兄弟は2階の部屋でそれぞれが各々の時間を過ごしていた。
    俺は競馬新聞を広げてお馬さんの予想をしてて
    カラ松は相変わらず鏡を眺めていて
    チョロ松は何かよく分からない自己啓発系の分厚い本を読んでいて
    一松は隅っこで猫と遊んでいて
    十四松はバランスボールに乗っかってゆらゆら揺れていて
    トド松はスマホをいじっていた。

    そんな中、ガラリと襖が開き発せられた一言。

    「ニート達、誰か買い物に行ってきてちょうだい。」

    我が家では母松代の言葉は絶対である。
    そんなわけで雌雄を決する壮絶な戦い(という名のただのジャンケン)が繰り広げられ、
    敗者となったチョロ松と一松はまだ日の沈みきらない街へと出掛けていった。

    …それが、1ヶ月前の事だ。

    頼まれた買い物の為に出掛けたチョロ松と一松はなかなか帰って来なかった。
    夕飯の時間になっても、銭湯へ行く時間になっても、寝る時間になっても。
    最初は一体どこで油を売っているんだと皆して口々に呆れていたが、
    次の日になってもその次の日になっても帰ってこない真ん中2人に、次第に俺達も焦り始めた。

    チョロ松と一松は何かの事件に巻き込まれてしまったのではないか?…と。

    先にも述べた通り、我が家では松代の言は絶対だ。
    自称ではあるが常識人のチョロ松と、なんだかんだ元々は真面目な一松が母のおつかいを放り出すとは考えにくい。
    2人してどこかに逃げたにしても、あの日の外出時の2人は大した荷物も持っていなかったはずだ。
    チョロ松も一松も手ぶらのまま、チョロ松はポケットに財布と携帯を入れただけ、
    一松に至っては携帯不携帯だ。
    それにあのおつかいもたまたま松代に頼まれて、しかもたまたまジャンケンに負けたからであって、
    偶然真ん中2人で行く事になっただけだ。
    自主的にどこかに逃げたとは考えられなかった。
    トド松があの日からずっとチョロ松の携帯に連絡を入れているが、メールの返信はないし、
    電話をしても電源が切られているらしく、繋がらないという。

    さすがにこれはおかしい、と失踪3日目に父さんと母さんが警察に連絡をした。
    俺達も2人を探そうとそれぞれ動き出した。
    俺やカラ松、十四松は自身の足で色々な場所へ赴いては聞き込みをして
    トド松はそれに加えてSNSを駆使して
    どうにかチョロ松と一松の目撃情報を掴めないかと、動き回ったが
    当然ではあるがそう簡単に情報は入ってこない。
    そうして、今日で1ヶ月。

    警察も今のところ何の手掛かりも見つけられていないらしく
    家の中は重苦しい空気に包まれていた。
    カラ松は拳を痛いくらいに握り締め、今にも人を殺しそうな顔してやがるし
    トド松はそれにビビって泣きそうな顔してるクセして俺とカラ松にいつも以上に悪態ついてくるし
    十四松はそんな俺達を見て必死に明るい空気にしようとしてるけどオロオロしてるし
    俺といえばそんな兄弟の様子に思わず舌打ちが漏れる始末だし。
    分かってる。
    カラ松も十四松もトド松も、突然いなくなったチョロ松と一松が心配で心配でたまらないだけなのだと。
    それはもちろん俺もだ。
    母さんは自分が買い物を頼んだから、と自分を責めて泣き崩れてるし、
    父さんはそんな母さんを支えるのに精一杯だ。
    だから、情緒不安定になってる弟達を支えるのは俺の役目だろう。
    なんたって俺、カリスマレジェンドな長男様だし!
    …と、己で己を奮い立たせると、沈む弟達に努めて明るく声を掛けた。

    「はーい、みんな集合~!」
    「…何なの?!下らない用事だったらころすよ?」
    「トド松ー、一旦スマホ弄る手休めようか。」
    「何か用か。」
    「カラ松、ちょっとお前深呼吸しろ。3人くらい殺ってそうな顔してんぞ。」
    「どうしたんスか、おそ松兄さん!」
    「そして十四松、お前も一旦手に持った金属バット下ろそうな。」

    皆して怖い顔だ。
    けどこんな怖い顔して俯いていては、見つかるものも見つからない。
    こんなにも殺伐としてしまうのは、いなくなったのが真ん中2人だからだろうと俺は思う。
    他の誰かでも、そりゃ皆同じくらい心配するに決まっているが、こんな重苦しい空気にはならないはずだ。
    手掛かり一つ見つからず、イラつくのは痛いほど分かる。
    けれど、ここで俺が気分転換と称して無理やり飲みに連れ出してもそれは逆効果だろう。
    今は言うなれば手詰まりの状態だ。
    だからほんの少しでもいい、
    何か突破口となりそうなものが必要だ。
    そう思って、俺なりに考えたのは、

    「なあ、十四松。」
    「あい。」
    「一松の友達ってどの辺までいるか分かるか?」
    「一松兄さんの友達…
     えーと、隣町までは余裕でいる!」
    「なるほど、あいつ猫の為なら努力惜しまねーのな。」
    「そんな事聞いてどうするの?」
    「んー?いや…
     人からの目撃情報が得られないなら、猫からの目撃情報はねーかなって。」
    「猫ッスか!!一松兄さんの友達に協力してもらうッスか??」
    「そーそー、デカパン博士なら猫と話せる薬くらい作れそうじゃね?
     この辺りの野良猫は大体一松の事知ってそうだしさぁ」
    「何それ……。
     …まぁ、でも他に方法思いつかないもんね。
     何気に有力情報ゲット出来そうな気がしてきた。」
    「確かに、今は俺達の力では為す術もないからな…。」
    「って事でさ!明日デカパン博士の所に行ってみようぜ!!」
    「りょーかいッス!マッスルマッスル!!」
    「しょーがないなぁ~付き合ってあげるよ。」
    「フッ…もちろん俺も行くぜ…!」

    正直、突拍子もない手だとは思うのだが、一松の友達
    つまり野良猫ネットワークに懸けるくらいしか思いつかなかった。
    けど、次にすべき目標が見つかった事で、みんなの表情も少し和らいだように思う。
    さすが長男様と誰か褒めてほしいものだ。

    なぁ、チョロ松、一松。
    お前らは今どこにいるんだ?
    早く帰ってきてくれないとお兄ちゃん1人でこいつらのフォローしきれないよ?
    一松、お前のこと大好きな十四松とトド松が泣いてるぞ?
    弟達泣かせるなよ。
    あと、カラ松がマジでヤバイから。
    もうこれ以上はさすがの俺でも抑え切れそうにないから。
    だから早く戻ってこい、一松。
    チョロ松、連絡の一つでも寄越してくれたっていいんじゃないの?
    寂しくて寂しくてお兄ちゃん死んじゃいそう!
    無事でいるのか?無事でいてくれるなら許してやるから、だから早く帰ってこい。
    …俺、自分で思ってた以上にお前がいないとダメみたいだから。

    ーーー

    次の日、事の次第をデカパン博士に説明すれば彼は快く協力を申し出てくれた。
    割とあっけなく猫と話せる薬を手に入れる事に成功したわけだが、ここで問題が浮上した。
    まず、デカパンから貰った猫と話せる薬は、猫側に飲ませる必要があるのだ。
    手元にある薬は3つ。
    つまりは、俺達と話せるようになる猫は最高でも3匹までという事になる。
    そして薬の効果の継続時間。
    効果はもって一週間らしい。
    デカパン博士はもっと利便性の高い薬の開発に着手してくれるそうだが、
    完成がいつになるかは分からないとの事だった。
    猫達の協力でチョロ松と一松の手掛かりを探すことができるのは一週間と考えた方がいいだろう。

    4人でどうするか話し合い、最終的に薬はエスパーニャンコだけに飲んでもらうことにした。
    こいつは一松と1番仲がいい猫だし、行動範囲も顔も何気に広いらしいのだ。
    エスパーニャンコに周りの猫達から情報を収集してもらい、俺達に伝えてもらおうというわけである。
    この方法によって、猫達の協力を仰ぐことが可能な期間が3週間となった。

    一松がいないのにエスパーニャンコを見つける事ができるかどうか心配だったが、それは杞憂に終わった。
    まるで事情は分かっているとでも云うように、エスパーニャンコ自ら家にひょっこりと現れたのだ。
    いや、単に一松に会いに来ただけなのかもしれないが。
    小瓶に入れられた不思議な色の液体を猫用ミルクに混ぜて与えると、
    エスパーニャンコはそれを飲み干してくれた。
    まずは第一関門クリアだ。
    エスパーニャンコは俺達に向かってニャアと一声鳴くと、家を飛び出して行った。



    それからすぐに動きはあった。
    薬を飲んでもらったエスパーニャンコを見送った次の日、ニャンコは再び家の居間に何処からか入り込んでいた。
    それに気付いた十四松が話を聞くと、1ヶ月ほど前に人気のない道で一松と兄弟の誰かが
    突然黒い服を着た男達に取り押さえられ、黒塗りの車に押し込められたところを目撃した猫がいたらしいのだ。
    車はすぐに走り去ってしまい、何処へ向かったかは分からなかったらしい。
    どうやらチョロ松と一松は何者かに誘拐されたらしいことが判明した。
    元々は八方塞がりで精神的に追い詰められていた兄弟を元気付けるために提案した猫作戦だが、
    こうも効果があるとは思わなかった。
    猫ネットワーク恐るべしである。

    しかし誘拐とはあってほしくなかった事実だ。
    それでも一歩前進したのは間違いない。
    となれば、次は2人を連れ去った輩と囚われている場所を突き止めなければならない。
    猫達にはお礼に猫缶と煮干しをたっぷり贈呈し、引き続き協力をお願いしておいた。
    1ヶ月、…1ヶ月もの間、あの2人は何者かに囚われていたというのか。
    早く、早く助け出さなければ。

    この時、俺は何故か言い様のない胸騒ぎを感じていた。

    ーーー

    この屋敷に監禁されて、どれくらい経ったのだろう。
    時計もない、窓もないこの部屋はまるで時間が止まったかのようだった。
    屋敷の使用人が運んでくる食事と着替えだけが、時間を知る手掛かりだ。
    あの日から変わらず僕の右手とチョロ松兄さんの左手は鎖で繋がっているし、
    僕の左足首とチョロ松兄さんの右足首も鎖でベッドの脚に繋がれて部屋から出れないようになっていた。
    部屋から出れるとすれば、屋敷の主人が気まぐれに食堂に呼び出す時や、中庭に連れ出す時くらいで、
    移動中は使用人に囲まれて逃げ道はすっかり塞がれてしまう。
    部屋の外に出られるのは確かに気分転換にはなるのだが
    この屋敷には至るところにやけにリアルな人形が置かれていて、
    それが僕には酷く不気味な物に見える。
    そんなわけで屋敷内を歩き回るのは好きじゃないが、中庭に行くのは好きだ。
    外の空気に触れることができるし、何よりたまに野良猫がやって来るのだ。
    猫達は初めて見る顔ぶればかりで、
    やはりここは家から離れた場所なのだろうと実感した。
    猫達は僕にすぐ懐いてくれて、猫と戯れる時間は一時の幸福だった。

    僕とチョロ松兄さんを「双子人形」などと宣った男は、毎日飽きもせず僕らに新しい服を寄越した。
    それは毎回決まってお揃いで、ゴシック調などこぞの貴族のような服だった。
    ご丁寧に下着まで毎日新調だ。
    本日は白のワイシャツにグレーと黒のチェック模様のハーフパンツ、
    そしてパンツと同じ生地のベストを身に付けている。
    ベストの背中部分には紫色のリボンがシューレースのように編み込まれている。
    胸元には結び目に宝石があしらわれたリボンタイ。
    当然チョロ松兄さんはリボンが緑色である。
    こうして着飾った僕達を、この屋敷の主人は満足そうに眺めて、時には髪を、頬を撫でては去っていく。

    そんな屋敷の主人は異常な性癖なのは間違いないが、自分から僕らに手を出そうとはしてこない。
    せいぜいうっとりと笑いながら身体を撫でるだけだ。
    見るだけで満足なのだろうか。
    それならそれで助かるけど。
    まったくこんなゴミクズを着飾って何が楽しいんだか。
    金持ちの考える事はわからない。
    …家族はどうしているだろうか。
    僕らが突然いなくなって、悲しんでいるだろうか。
    それとも、特に気にせず過ごしてるとか?
    いや、それはさすがに悲しすぎる。
    僕はいいとしてチョロ松兄さんが消えた事は皆悲しんでるだろうけど。
    けれどもうここに来てから結構経っただろうから、案外いつも通り生活しているかもしれない。
    おそ松兄さんは、十四松は、トド松は今頃どうしているだろう。
    クソま…カラ松は、今何しているんだろう。
    相変わらず、いもしないカラ松girlとやらを待っているのだろうか。
    それとも僕達を探してくれている?
    ちょっと待て、何でこんな時に、ふと会いたいと思うのがカラ松なのだろうか。
    おかしい。
    おかしいだろ。
    いや何がおかしいのか自分でもよく分からないけども。

    …嗚呼、なんだかもう考えるのすら億劫だ。
    何も考えたくない。

    部屋に置かれた香炉から甘い香りが漂ってくる。
    この香りを嗅ぐと、不思議と頭がボンヤリして眠たくなった。
    囚われ、行動を制限された僕の脳は確実に麻痺しているようだ。



    そんなある日の事。
    部屋にやって来た屋敷の主人がとんでもない事を言い出した。

    「「………え?」」
    「聞こえなかったのかい?
     もう一度言ってあげよう、私の人形達。
     君達がセックスするところを見せてほしいのだよ。」
    「な…何言って…!」
    「嫌なのかい?
     …ならば、この屋敷で働く薄汚い下男にでも抱いてもらうかい?」
    「……っ!」

    ああホントこいつ頭おかしいだろ。
    同じ顔した男同士の兄弟のセックス見たいとか頭イッてるとしか考えられない。
    男は表面上は穏やかにニコニコと笑みを浮かべているが、その瞳の奥はゾッとするほど冷たかった。
    何故か逆らえない気迫がこの男にはあるのだ。
    隣に座るチョロ松兄さんが震えている。
    チョロ松兄さんの事は好きだけど、それはあくまでも兄弟として、家族としての親愛の情だ。
    兄さんとそんな事するなんて…こんなゴミクズとセックスなんかしたら、
    兄さんが汚れてしまうし、何よりおそ松兄さんに殺される。僕が。
    けれどこのままでは本当にこの男は薄汚い下男とやらを呼びそうだ。
    チョロ松兄さんが見ず知らずの薄汚い男に犯されるなんて絶対に嫌だし、
    自分だってそんなのに抱かれるなんて御免だ。
    ごめん、兄さん。
    それならば、いっそのこと

    「チョロ松兄さん…。」
    「一松…?」

    小さく深呼吸をしてから、チョロ松兄さんをギュッと抱き寄せた。
    肩口に顔を埋める振りをしながら、小さく耳打ちする。

    「…俺の事、抱いて。」
    「なっ…で、でも…っ」
    「見ず知らずのおっさんなんかに抱かれるなんて絶対やだ。
     …俺、チョロ松兄さんになら、いいよ…。」
    「………。」

    両手でチョロ松兄さんの頬を包んで、今度は正面から向き合った。
    チョロ松兄さんの瞳は悩ましげに揺れていたが、
    やがて腹を括ったのか深く息を吐いて小さく呟いた。

    「……わかった。」

    屋敷の主人がひどく愉快そうに笑っていた。

    男の恍惚とした視線を感じながら、僕はチョロ松兄さんに抱かれた。
    一体何がそんなにお気に召したのかは知らないが、その日から屋敷の主人は
    度々僕達にセックスを見せるよう強要してくるようになった。
    僕がチョロ松兄さんを抱く日もあれば、抱かれる日もあった。
    兄さんの白い肌はキメ細やかで滑らかで、温かかった。
    …おそ松兄さんが独占欲を剥き出しにするのも理解できる。
    おそ松兄さん、本当にごめん。
    主人は相変わらず目を細めては絡み合う僕とチョロ松兄さんを愛おしげに眺めるだけだ。

    男が去った後は2人で身体を引き摺るようにしてシャワールームへ入り身体を清めながら、
    そしてお互い涙を流しながらお互いを慰めた。
    僕もチョロ松兄さんも何度も何度も「ごめん」と繰り返して、
    そうして寄り添いながら眠りにつくのが、セックスした日の習慣になっていた。
    涙を流す兄さんは、すごく綺麗だった。

    それでも回数を重ねる毎に見られることへの躊躇いも羞恥心も薄れていく。
    今ではもう何も感じない。
    囚われの生活に僕の、いや僕らの頭は溶けてドロドロになって、
    何も考えられなくなってしまったのかもしれない。

    香炉から漂う甘い香りがやけに鼻をついた。

    ーーー

    はっきりと違和感を感じたのは、チョロ松兄さんと行為をした後くらいだ。
    一体どのくらいの月日が経ったのかすら分かっていないから、
    1ヶ月くらいなのかもしれないし、1週間程度なのかもしれない。
    いずれにしろ、それなりに時間が経った頃に僕は自分の身体に違和感を覚えた。
    身体がひどく重たくて怠いのだ。
    なんだか頭もスッキリしない。
    まるで脳内に靄がかかっているようだった。
    気を抜くと眠ってしまいそうな、そんな倦怠感を全身に感じた。
    それは隣でベッドに沈み込むチョロ松兄さんも同様のようで、
    仰向けになった兄さんはボンヤリとベッドの天蓋を見つめていた。
    その目の焦点があっていたのか否かは定かではない。

    その後も違和感は続いた。
    一つは食事。
    食べられる量が段々減ってきた気がする。
    今まで1日3食だったのが、気付けば2食に、そしてついには1食に。
    もう一つは排泄。
    食べなくなったのが原因なのだろうけど、なんというか明らかに催さなくなった。
    まるで身体が少しずつ死んでいくようだった。

    ベッドに寝そべったまま、ゆっくりと顔を横に向けると眠るチョロ松兄さんの顔がすぐそこにあった。
    白い肌、長い睫毛、細い手足…死んだように眠る兄さんはまるで人形のようだ。
    それこそ、この屋敷の至るところに飾られた等身大の人形達のような…。
    もうここからは逃げられないのだろう。
    ああでも…この頭が完全に溶けて何もわからなくなってしまう前に
    皆に、カラ松に会いたい。
    心の内でそう願えば、チリ、と胸と頭に痛みが走った。
    最近はいつもそうだ。
    何か考えようとすればする程、頭痛に襲われる。

    …頭が痛い。
    もう何も考えたくない。

    眠くて眠くて仕方ない。



    ねぇ、誰か、助けて。

    ーーー

    身体が重い。
    頭はノイズが入ったように朦朧として、何も考えられない。
    この屋敷に拉致られてどれくらい経ったのか、最早確認する術さえもない。
    ここに来てから僕達の身体はゆっくりと、しかし確実に死に向かっている気がする。
    少し身じろぐと、右手から伸びた銀の鎖が小さく音を立てた。
    酷く眠い。
    さっきまで泥のように眠っていたはずなのに。
    頭が溶けていくようだ。

    ここに連れてこられたばかりの頃はなんとか逃げ出せないかと一松と思案しては、
    なんだかんだで僕は口うるさく一松にツッコミを入れていた覚えがあるのだけど
    最近ではそんな気力もなかった。
    囚われの日々は部屋から自由に出られない事を除けば、何一つ不自由はなかった。
    気まぐれにやって来る屋敷の主人の要望に応えて、あとは部屋の中で一松と2人で静かに過ごすだけ。
    肉体的にも精神的にも大した苦痛は受けていない。
    なのに最近調子がイマイチだ。
    僕も一松も明らかに食事の量が減ったし、睡眠時間が格段に増えた。
    いつからだっけ。
    たぶん、はっきりと身体の異変を感じたのは一松を抱いたくらいからだろうか。

    屋敷の主人に強要されて、僕は一松を抱いたし、抱かれた。
    一松の身体は柔らかくて、気持ち良くて、温かかった。
    行為の後にシャワールームで涙を流す姿もどこかいじらしくて、
    カラ松が目を離せないのも理解できる。
    この異常な空間の中、一松との行為も今となっては何も感じなくなってしまったが
    カラ松にはなんとなく申し訳なく感じていた。
    僕が一松を独り占めしてごめん、カラ松。

    その一松は僕の隣で死んだように眠っている。
    白い肌、長い睫毛、細い手首…まるで人形のようだ。
    前までは屋敷の主人に連れられて中庭に行ったりする事もあったのだけど、
    もう身体が怠くてそんな気も起こらない。
    中庭には時折猫がやって来ていた。
    猫と嬉しそうに遊んでいる一松を見ると、心が少し軽くなったのだけど、
    もうそこに行くこともないのだろうなと、なんとなく思った。

    ああ眠たい。
    一松もまだ寝ているし、僕も寝てしまおう。

    そう思ってうつらうつらと夢と現実の境をさまよっていた時だ。
    部屋の扉が開いて屋敷の主人が入ってきた。

    「…おや、私の双子人形は眠っているようだね。」

    まだ完全には寝てないけど、返事をするのも億劫で
    僕は男を無視して目を閉じたままでいた。

    「ああ、もう少しだね。
     もう少しでこの子達も完全な人形になる…。
     君達はやはり素晴らしかったよ。
     これまでの人形達とは比べ物にならないくらい丈夫で、
     随分と楽しませてもらった。
     この可愛い双子人形は何処に飾るのがいいだろうか。
     やはり大広間か…いや、玄関ホールでもよく映えそうだ。
     ふふ…君達はもうすぐ永遠を手に入れる。
     もう何も考えなくていい。何も感じなくていいのだよ。」

    そう言って屋敷の主人は僕と一松の髪を撫でるとそっと部屋を出て行った。

    どういう意味だろう。
    完全な人形?
    永遠を手に入れる?
    僕らは大広間か玄関ホールに飾られるのかな?
    この屋敷中に置かれている人形達のように。
    …人形。
    ああ、僕らは人形なんだっけ?
    そうか、人形なんだ。
    だから何か考えたり身体を動かすなんてことする必要ないんだ。
    人形だから、何も考えず、何も感じずそこにいるだけ。
    香炉から甘い香りがする。
    頭がボーッとしてくる。
    ふと脳裏にいつかと同じように赤色が過ぎったけど、
    それをはっきりと認識するよりも早く僕は眠りに落ちてしまった。




    意識が朦朧として、死んだように眠る時間が増えた僕らだけど
    それでも稀に寝起きに妙に頭がスッキリしている時がある。
    そんな時は決まって自分自身が恐ろしくなる。
    手首と足首に嵌められた枷と、人形遊びのような服を纏った己の姿に寒気を覚える。
    先程まで朦朧とした頭でまるで死人のようにベッドに沈んでいたのだと理解した途端、
    底知れない恐怖に襲われた。
    僕はどうなってしまうのだろう。
    ふと、眠る前の屋敷の主人の言葉を思い出した。

    …もうすぐ完璧な人形になる。

    …大広間か玄関ホールに飾ろうか。

    飾る、とは一体どういう事か。
    確かにこの屋敷にはやけにリアルな人形がたくさん飾られているけれど。
    …やけにリアルな?
    そもそもあれらは本当に人形なのか?
    まさか、まさか屋敷中に飾られている等身大の人形達は…。
    僕達も、いずれあの仲間入りをするのだとしたら…。
    そこまで考えて、ゾクリと背筋が震えた。
    震えが止まらない。
    嫌だ、考えたくない。

    腕を胸の前で交差させて蹲っていると、ふと頬に柔らかな感触を感じた。
    次いで視界が深い紫色に覆われる。
    隣で寝ていたはずの一松がいつの間にか起き上がって
    僕を抱き締めているのだと理解するのに、そう時間は掛からなかった。
    しかし見上げた一松の表情は読めない。
    瞳は虚ろで、何も映していない。
    なんの感情も籠っていない目をしていた。
    …そういえば、ずっと隣にいるというのに一つ下の弟の声をもう暫らく聞いていない。
    最後に言葉を交わしたのはいつだっただろうか?
    最後に一松の笑顔を見たのはいつだった?

    不幸な事に、久々に冴えてスッキリしていた僕の頭は理解してしまった。
    いつの間にか一松は、壊れてしまっていたのだと。
    思考を奪われ、身体の自由を奪われ、
    本当の人形のようになってしまったその身で、
    それでも辛うじて残っていた本能で僕の事を案じて抱き締めてくれたのだ。
    思わず縋るように一松を抱き締め返した。
    泣き叫びたいのに、大声を張り上げたいのに、どうしても出来なかった。
    声すらも出せない。
    まるでお前は人形なのだからそんな事するのは許されないと身体が拒絶しているようだった。

    このまま、僕もいずれは壊れて何も分からなくなってしまうのだろうか。
    あの屋敷の主人の掌の上で転がされて人形にされてしまうのだろうか。
    ずっと隣にいた一松が壊れてしまったのだから
    僕が壊れてしまうのも時間の問題だろう。
    今この時間は死ぬ前の最後の小康状態というわけか。

    いつもの甘い香りが漂ってくる。
    嗅覚がそれを認識すると同時に、また酷い眠気に襲われた。
    僕を抱き締めていた一松も、甘い香りに包まれた途端
    力なくベッドの上に倒れ伏して眠ってしまった。
    眠い。
    けど、ここで眠ってしまったら、次に目覚めた時
    もう僕は一松と同じように壊れて人形のようになってしまっているかもしれない。
    そう思っても、波のように押し寄せる眠気に抗うことはできなかった。

    …皆はどうしているんだろう。
    父さんと母さんは。
    カラ松は、十四松は、トド松は…。
    …おそ松兄さんは…どうしているだろう。


    せめて僕が僕でいられる内に、会いたかった。


    もう逃げられない。
    …身体が、動かないんだ。



    お願い、誰か、助けて



    ーーー


    あとがき

    えーと、まずはスミマセンでした(土下座)

    おかしいなー年中松に可愛いお洋服で着せ替えキャッキャうふふして可愛がりたかっただけなのになー
    どうしてこうなった
    #BL松 #カラ一 #おそチョロ #チョロ一 #一チョロ #監禁

    !ATTENTION!

    この話は以下の要素を含みます。
    一つでも嫌悪感を感じるものがございましたら早急にブラウザバックをお願いいたします。

    1.おそチョロ、カラ一前提(くっついてない)の上での、一チョロ一です
    2.変態なモブのオッサンが出張ります
    3.拉致、監禁要素があります(被害者:年中松)
    4.異常性癖の表現があります(被害者:年中松)
    5.年中松が身体の関係を持ちます(ただし年中松に互いの恋愛感情はなく、2人は兄弟愛の範疇)
    6.救いがありません
    7.死を仄めかす表現があります(今のところ死ネタではありません)



    ーーー

    目を覚ますと、見慣れない天井が視界に入った。
    不思議に思って身を起こしてみれば、そこは完全に自分の全く知らない世界が広がっていた。

    一体どういう事なのか、内心焦りながらもひとまず周りを見渡してみる。
    まず僕は何故かふかふかとした、いかにも高級そうなキングサイズのベッドの上にいる。
    天井だと思って見上げていたそれはベッドの天蓋で、
    その天蓋は金糸と銀糸で見事な刺繍が施された薄く白いカーテンで覆われていた。
    こんな豪華な天蓋付きベッドなんて初めて見る。
    カーテンの向こう側には上品そうなカウチソファに、ガラス製のローテーブル。
    床に敷かれた絨毯は見るからに厚く滑らかそうだ。
    天井からは豪奢なシャンデリアが吊り下げられ、この部屋を明るく照らしている。
    部屋は中々の広さだが、窓も時計もなかった。
    どこからか甘ったるい香りがする。

    此処は一体何処だろう?
    何故自分はこんなところに?

    己に置かれた状況が理解できないまま視線を彷徨わせていると、ふと左手に違和感を感じた。
    その左手を動かしてみると、ジャラリ、と重たい金属音。
    辺りを窺い彷徨っていた視線を左手に向けてみれば、そこには鈍く銀色に光る手枷。
    左手を捕らえた手枷からは銀色の鎖が伸びていた。
    その鎖を辿ってみれば

    「……えっ?!い、一松?!」
    「………ん…?
     …え、チョロ、松…兄さん…?」

    自分のすぐ隣に、ベッドに沈む一つ下の弟の姿があった。
    そこまで大きな声を出したつもりはないのだが、静寂に包まれたこの部屋で発せられた僕の声は
    思いの外響いたようで、一松は薄っすらと目を開けた。
    まだ寝惚けているようだが。
    それにしても触れ合う程すぐ近くにいたというのに、それに気付けない程自分の頭は混乱していたのだろうか。
    しかし、弟の姿を確認すると同時にまた異常を見つけた。
    一つは先に見つけた左手の手枷。
    手枷から伸びる銀の鎖を辿ると、どういうわけか一松の右手に嵌められた手枷に繋がっていたのだ。
    今この不可解なやたらと豪華な見知らぬ部屋で、僕と一松は手枷で繋がっていた。
    わけが分からないが、見知らぬ誰かではなく気の置けない兄弟だった事がせめてもの救いだ。
    もう一つは僕と一松の服装。
    一松を見ると、いつものパーカーではなく白いシルク素材のワイシャツに黒の七分丈パンツという
    普段の弟であればまず身に付けないであろう装いだった。
    ワイシャツのカフス部分と前立て部分には大きく緩やかなフリルがあしらわれており
    首元には深い紫色の大きなリボンタイが結ばれていた。
    リボンタイの色が深緑色である事を除いて、僕も一松と同じ格好だった。
    いつの間に、誰が着替えさせたのだろうか。
    最後に、足枷。
    僕の右足首には足枷が嵌められており、やはり銀の鎖でそれはベッドの脚と繋がっていた。
    一松も同様に左足首とベッドが足枷で繋がれている。
    自分達も含め、そこはまるで異空間に迷い込んでしまったかのような異様な空間だった。

    「え…何これ…えっ…え?!」
    「僕にもわからない…気が付いたらこうだった。」
    「え、チョロ松兄さん…だよね?」
    「うん。」
    「あれ…俺とチョロ松兄さん、母さんに頼まれた買い物に行く途中だったよね?」
    「…の、はずだよね。」

    ようやく覚醒したらしい一松が不安そうな声を上げた。
    そう、買い物だ。
    僕と一松はじゃんけんに負けて母から頼まれた買い物のために近所のスーパーへ向かっている途中だったはずだ。
    そこで、確か…

    「なんか…変な薬を嗅がされて…
     黒塗りの車に引きずり込まれた…ような気がする…。」
    「奇遇だね、一松。僕もそんな覚えがあるよ。」

    2人してのんびりダラダラとスーパーに向かって歩いているところを、突然何者かに襲われてしまった。
    気配を殺した男が背後からホールドしてきたかと思った次の瞬間には、
    白いハンカチで鼻と口を覆われて、みるみる間に睡魔に襲われた。
    重くなる瞼になんとか逆らいながら横に目をやると、一松も同様に羽交い締めにされた上でハンカチで顔を覆われていた。
    そのまま2人一緒に黒塗りの車に詰め込まれて。
    身体中から力が抜けて意識が途絶えるのと、エンジン音がして車が動き出すのは同時だった。
    …そして気付けばこの部屋でこんな事になっていたのである。

    わけがわからない。
    わからないが、こうしていても仕方ない。
    そろそろと一松と2人ベッドから足を下ろし、もう少し部屋の中を探索してみることにした。

    ベッド横の扉は洗面所とシャワールームに続いていた。
    その横の扉は手洗い。
    更にその向こうにある一際重たそうな扉は、鍵が掛かっているのかびくともしなかった。
    動く度に鎖が引きずられる音がして不愉快だ。
    足枷から伸びる鎖はちょうど部屋の端から端までを移動出来る長さに調節されているようだ。
    背中に張り付いている一松が微かに震えているのが分かる。
    安心させるようにぎゅ、と強く手を握ったが、自分も同じくらい震えている事に気付いてしまい思わず俯いてしまった。

    「此処…何なんだろうね。」
    「うん…。」
    「でも…チョロ松兄さんが一緒でよかった…。」
    「え?」
    「独りだったら絶対パニクってた。」
    「まあ、確かにね。僕も一松が傍にいてくれてよかったよ。」

    一松の言う通り、この空間に自分1人だけだったとしたらもっとパニックに陥っていたに違いない。
    弟が傍にいるという事実が己を奮い立たせ、冷静にさせている。

    結局ここからは出られそうになかったため、部屋の探索はそこそこに僕と一松はカウチソファに腰を下ろした。
    こんな所で別行動したくはないのだが、しかし手枷で繋がれているせいで一松と離れられないのは些か不便ではある。
    こうして2人で寄り添うように座っている分には構わないのだが
    トイレや風呂はどうすればいいのだろうか。
    そんな事を考えながら、一松とぴったりと肩を寄せていると、
    開けることのできなかった重たい扉がギ…と軋む音を響かせて開いた。
    咄嗟に一松を抱き寄せ、背にかばうようにして扉を睨みつけた。

    部屋に入ってきたのは、初老を幾らか過ぎたくらいの、上品さと気迫を兼ね備えた紳士然とした男性だった。
    男性の背後には使用人らしき何人かの男達が控えている。
    男性がにこやかな笑みを浮かべて口を開く。

    「お目覚めかな、私の人形達。」

    ーー……は?

    「人形……?」

    気品ある佇まいのまま、男性は僕らに近づいた。
    一松を抱き締める腕に自然と力が篭る。
    しかしそんな僕らを見て男性は可笑しそうに笑みを深めるだけだった。
    男性はそのまま僕らの前に立つと、まるで演説をするかのように語り出した。

    「双子人形が欲しかったのだよ。
     綺麗で、丈夫な、鏡合わせのような双子の人形。
     君達は完璧だ。
     力強さの中に脆さがある。
     虚勢で塗り固められた壁の隙間を軽く突いてやれば
     一瞬にして崩れ落ちてしまうような危うさを潜めている。
     実に素晴らしいね。正に私の理想だよ…理想の人形だ。」

    その口調は柔らかく優しげであるのに、どこか薄ら寒さを感じる。
    男性と目が合った瞬間にゾクリとした寒気が背骨を抜けていった。
    この男が一体何を言っているのか全く理解できない。

    「いや…失礼、少々感情が昂ぶってしまったようだ。
     しかし私は感動すら覚えているのだよ。
     君達は私の理想の双子人形だ。
     私は人形をコレクションするのが趣味でね。
     これまでも何体も集めてきたのだが…
     ふふ…どれもこれも脆くてね。
     だから丈夫な人形が欲しかったのだよ。
     しかしただ単に丈夫なだけでは味気ない。
     人形とは美しさと儚さを持ってこそだ。
     その点君達は実に素晴らしい。
     丈夫さと脆さという相反する2つの要素を絶妙なバランスで併せ持っている。
     ここまで理想に近い人形に出会えるとは思ってもみなかったよ。」

    この男は一体何を言っているんだ?
    人形とはなんだ?
    双子人形?…いや、巫山戯るのも大概にしてほしい。
    ていうか僕ら六つ子だし。
    大体、僕らのどこをどう見れば人形に見えるというのか。
    ……と、思ったところで視界の隅に入った一松の姿に、僕は息を呑んだ。
    綺麗な服で着飾られ、驚愕と得体の知れない恐怖で青白い顔をした一松の姿は、
    正しく「まるで人形のよう」だったのだ。
    そして、僕も今一松と同じような顔をしているのだろうと思うと、再び背筋に冷たいものが這い上がった。
    何も言えないでいる僕と一松をうっとりと眺めながら、男性は尚も続ける。

    「安心してくれたまえ。
     悪いようにはしないよ。
     君達はただ…私に愛される人形になればいいだけのことだ。」
    「人形に…なる?」
    「そう、私の可愛い可愛い人形だ。
     人形のように、愛くるしく私に従えば生活は保証するよ。」

    悪いようにはしない、などと言われてもこの男性の人形になるという大前提がそもそも安心できない。
    男性は僕と一松を交互に眺めながら、まるで慈愛に満ちたような眼差しを向けている。
    けれどその目の奥は何か冷たいものを感じるのだ。
    この男性は正気なのだろうか。
    いや、成人男性をこうして誘拐して着飾って恍惚の表情を浮かべている時点で
    とても正気の沙汰とは思えない。
    しかしどうやら逃げ場はない。
    男性の背後には使用人らしき男達が数人控えているし、
    よく見ると扉には武装した人がまるで門番のように佇んでいる。
    暴れようにも、手枷と足枷のせいで思うようにはいかないだろう。
    何より、今ここで僕が暴れたら一松が巻き添えを喰らってしまう。
    悔しいが今は身の安全のためにこの男性に従う振りをするしかなさそうだ。
    一松を見ると、不安と緊張の混ざったような目をして僕の服の袖を握っていた。
    ああ、そうだ。
    此処にいるのは僕だけじゃない。
    一松が一緒にいるんだ。
    僕がしっかりしなきゃ。

    いつまでもくっ付いたままの僕らを見て、男性が笑う。
    そして使用人らしき人に手で指示を送ると、使用人の1人が鍵を取り出し僕と一松の手枷と足枷の鎖を外した。
    それと同時に僕も一松も複数の使用人に囲まれた。

    「さて…お腹が空いただろう?夕食にしよう。
     食堂へ連れて行ってあげよう。
     …ついでに、他の人形達にも会わせてあげるよ。」

    男性がそう言って踵を返し部屋から出て行く。
    呆然とする僕と一松も、僕らを囲む使用人に促され歩き出した。

    広い屋敷だった。
    夕食、と言っていたから時刻は夕方かそのくらいなのだろう。
    装飾が施された窓の外は暗く、窓の向こうは森や山に囲まれていた。
    山奥の豪華な別荘、といったところだろうか。
    一体何処なのだろう、全く分からない。
    そして、食堂までの道には至る所に人形が置かれていた。
    小さなものから、僕らと同じくらいの等身大のものまで。
    そのどれもが少年から青年の姿の人形で、僕と一松と同じように着飾られている。
    等身大の人形はまるで本物の人間のようにリアルで見るのが少し怖かった。
    食堂へ行くまでの間、僕らが見ただけでも大小合わせて実に20体以上の人形が飾られていた。
    人形だらけの大きな屋敷。…怖すぎる。
    やはりあの男性は異常だ。

    「…女の子の人形が…一つもないね。」
    「うん…別の部屋にある、とかかな…。」
    「ちっとも良くないけどそうだといいね…。」
    「そう思っておこうよ…
     マジで男の人形だけだったら完全に異常性癖だよ…。」

    小声で一松とそんな会話をしていると、程なくして食堂にたどり着いた。
    白いテーブルクロスが掛けられた長テーブルの一番奥、いわゆるお誕生日席に例の男性が座っている。
    使用人に連れられ、僕と一松はそのすぐ近くに向かい合うようにして座らされた。
    目の前には食欲をそそる豪華な料理の数々。
    脚や背もたれにゴテゴテとした装飾が付いた重たい椅子に腰掛けると、
    食堂で待っていたウェイター姿の男性がグラスにシャンパンを注いだ。
    男性が穏やかに笑ってグラスを手に取った。

    「では、乾杯。」
    「…………。」
    「…………。」
    「2人とも、どうしたんだね?
     さあ、グラスを取りなさい。」

    穏やかな笑みはそのままに、男性から有無を言わせないピリ、とした空気が発せられて
    僕と一松はほぼ同時にグラスに手を伸ばした。
    男性はそれに満足げに笑うと、再び「乾杯」と口にしてシャンパンを煽る。
    向かいに座る一松と視線を交わし、お互いに戸惑いの表情を浮かべていたが
    男性から早く飲むように促され、意を決してそれを一気に飲み干した。
    普通のシャンパンだ、多分。
    料理に何か仕込まれているのではないかとも思ったが、何故かこの男性には逆らう事ができなくて
    結局僕らは料理に口をつけた。
    遠慮がちに料理を口にして(悔しいことに非常に美味だった)また使用人に囲まれながら部屋に戻され
    部屋に着くなり再び手枷と足枷の鎖が繋がれた。
    ガチャリ、と部屋の鍵が閉まる音が響いた。
    部屋の中は相変わらず甘ったるい香りがしている。
    後から気付いたが、この香りの正体は棚の上に置かれた香炉からしているようだ。

    「チョロ松兄さん…。」
    「うん…。」
    「これってさ…俺たち拉致られたってことかな…。」
    「そうなるのかな。
     いや、そうだよね確実に拉致だよね。」
    「しかも異常性癖持ちの金持ちのおっさんに…。」
    「どう考えても金持ちの道楽だよね。…いい迷惑なんだけど!」
    「俺達…あのおっさんの愛玩人形にされちゃうのかな…。」
    「やめて一松マジでやめて!!」
    「うん…ごめん…。」
    「いや僕もちょっとそれ思っちゃったけどさ。
     つーかこの服なんなんだよ?!
     どっかの貴族の坊ちゃんかよ?!
     何気に一松似合ってるし!!」
    「チョロ松兄さんも何気に似合ってるよ…。」
    「ありがとう嬉しくない!
     そもそも人形って何だよ!!
     こちとら人間だっつの!クズ極めた童貞ニートだっつのこの野郎!
     何であのオッサンの性癖に付き合わされてんだよケツ毛燃えるわ!!!」
    「だよねーこんな人間のクズ捕まえて何する気なんだろ…。」
    「これ明らかに犯罪だよ犯罪!!
     あのオッサン今に慰謝料毟り取ってやるからなクソがっ!!」
    「ヒヒッ……!」
    「何笑ってんの一松。」
    「いや…いつものチョロ松兄さんの調子に戻ったなって。」
    「え。」

    自分が突然放り込まれた状況をようやく脳がしっかりと理解し飲み込めたのか
    口から自然とツッコミと愚痴と罵倒の言葉が流れるように出てきた。
    確かに、少し落ち着いて考えられるようになってきたかもしれない。
    それは隣に一松がいてくれるというのが一番大きいと思うけど。
    そうだ、こんなこと付き合ってられない。
    なんとかして脱出する手段を考えないと。
    そりゃ僕も一松も一生働かずに養われたいとか思ってたけど、
    こんな形で養われるだなんてまっぴらごめんだ。
    ましてや一松の言うように愛玩人形になんてなってたまるか。

    「一松、ひとまず今日はもう寝よう。」
    「…そうだね。」
    「明日、なんとか逃げる方法を考えようか。」
    「うん。」
    「…おそ松兄さん達、心配してるかな。」
    「…どうかな。」
    「………。」
    「チョロ松兄さん。」
    「ん?」
    「また…会えるよね。
     おそ松兄さんにも、クソ松にも、十四松にもトド松にも…
     父さんと母さんにも…。」
    「うん、絶対会える。」
    「ん。」
    「会えるように頑張らなきゃ。」
    「ん。」
    「とりあえず、今日は休もう。」
    「ん。おやすみ…。」
    「おやすみ。」

    そうして、キングサイズのベッドに2人で潜り込んだ。
    目を閉じてふと思い浮かぶのは鮮やかな赤色。
    …いや、ちょっと待て。
    ここは家族みんなを思い浮かべるところだろう。
    そう思っても脳裏に浮かぶのは長男の顔で。
    いやいやいや、待て待て待て。
    これはアレだ、昔の相棒だったからついつい浮かんできただけであって
    決して邪な気持ちではない、はずだ。
    何故か自分で自分に言い訳をしながらも赤色は頭から去ってはくれない。
    赤色を振り払おうとしてそろりと目を開ければ、静かに寝息を立てる一松の姿があった。
    それを見て少し心が安らいだ僕もまた目を閉じる。
    僕の左手と一松の右手を繋ぐ鎖が少し邪魔だったけど、程なくして僕も深い眠りに誘われた。


    この時は、まだそこまで事態を重く受け止めていなかったのだ。
    僕も、一松も。

    ーーー



    チョロ松と一松が姿を消した。


    その日の夕方近く、俺達ニート兄弟は2階の部屋でそれぞれが各々の時間を過ごしていた。
    俺は競馬新聞を広げてお馬さんの予想をしてて
    カラ松は相変わらず鏡を眺めていて
    チョロ松は何かよく分からない自己啓発系の分厚い本を読んでいて
    一松は隅っこで猫と遊んでいて
    十四松はバランスボールに乗っかってゆらゆら揺れていて
    トド松はスマホをいじっていた。

    そんな中、ガラリと襖が開き発せられた一言。

    「ニート達、誰か買い物に行ってきてちょうだい。」

    我が家では母松代の言葉は絶対である。
    そんなわけで雌雄を決する壮絶な戦い(という名のただのジャンケン)が繰り広げられ、
    敗者となったチョロ松と一松はまだ日の沈みきらない街へと出掛けていった。

    …それが、1ヶ月前の事だ。

    頼まれた買い物の為に出掛けたチョロ松と一松はなかなか帰って来なかった。
    夕飯の時間になっても、銭湯へ行く時間になっても、寝る時間になっても。
    最初は一体どこで油を売っているんだと皆して口々に呆れていたが、
    次の日になってもその次の日になっても帰ってこない真ん中2人に、次第に俺達も焦り始めた。

    チョロ松と一松は何かの事件に巻き込まれてしまったのではないか?…と。

    先にも述べた通り、我が家では松代の言は絶対だ。
    自称ではあるが常識人のチョロ松と、なんだかんだ元々は真面目な一松が母のおつかいを放り出すとは考えにくい。
    2人してどこかに逃げたにしても、あの日の外出時の2人は大した荷物も持っていなかったはずだ。
    チョロ松も一松も手ぶらのまま、チョロ松はポケットに財布と携帯を入れただけ、
    一松に至っては携帯不携帯だ。
    それにあのおつかいもたまたま松代に頼まれて、しかもたまたまジャンケンに負けたからであって、
    偶然真ん中2人で行く事になっただけだ。
    自主的にどこかに逃げたとは考えられなかった。
    トド松があの日からずっとチョロ松の携帯に連絡を入れているが、メールの返信はないし、
    電話をしても電源が切られているらしく、繋がらないという。

    さすがにこれはおかしい、と失踪3日目に父さんと母さんが警察に連絡をした。
    俺達も2人を探そうとそれぞれ動き出した。
    俺やカラ松、十四松は自身の足で色々な場所へ赴いては聞き込みをして
    トド松はそれに加えてSNSを駆使して
    どうにかチョロ松と一松の目撃情報を掴めないかと、動き回ったが
    当然ではあるがそう簡単に情報は入ってこない。
    そうして、今日で1ヶ月。

    警察も今のところ何の手掛かりも見つけられていないらしく
    家の中は重苦しい空気に包まれていた。
    カラ松は拳を痛いくらいに握り締め、今にも人を殺しそうな顔してやがるし
    トド松はそれにビビって泣きそうな顔してるクセして俺とカラ松にいつも以上に悪態ついてくるし
    十四松はそんな俺達を見て必死に明るい空気にしようとしてるけどオロオロしてるし
    俺といえばそんな兄弟の様子に思わず舌打ちが漏れる始末だし。
    分かってる。
    カラ松も十四松もトド松も、突然いなくなったチョロ松と一松が心配で心配でたまらないだけなのだと。
    それはもちろん俺もだ。
    母さんは自分が買い物を頼んだから、と自分を責めて泣き崩れてるし、
    父さんはそんな母さんを支えるのに精一杯だ。
    だから、情緒不安定になってる弟達を支えるのは俺の役目だろう。
    なんたって俺、カリスマレジェンドな長男様だし!
    …と、己で己を奮い立たせると、沈む弟達に努めて明るく声を掛けた。

    「はーい、みんな集合~!」
    「…何なの?!下らない用事だったらころすよ?」
    「トド松ー、一旦スマホ弄る手休めようか。」
    「何か用か。」
    「カラ松、ちょっとお前深呼吸しろ。3人くらい殺ってそうな顔してんぞ。」
    「どうしたんスか、おそ松兄さん!」
    「そして十四松、お前も一旦手に持った金属バット下ろそうな。」

    皆して怖い顔だ。
    けどこんな怖い顔して俯いていては、見つかるものも見つからない。
    こんなにも殺伐としてしまうのは、いなくなったのが真ん中2人だからだろうと俺は思う。
    他の誰かでも、そりゃ皆同じくらい心配するに決まっているが、こんな重苦しい空気にはならないはずだ。
    手掛かり一つ見つからず、イラつくのは痛いほど分かる。
    けれど、ここで俺が気分転換と称して無理やり飲みに連れ出してもそれは逆効果だろう。
    今は言うなれば手詰まりの状態だ。
    だからほんの少しでもいい、
    何か突破口となりそうなものが必要だ。
    そう思って、俺なりに考えたのは、

    「なあ、十四松。」
    「あい。」
    「一松の友達ってどの辺までいるか分かるか?」
    「一松兄さんの友達…
     えーと、隣町までは余裕でいる!」
    「なるほど、あいつ猫の為なら努力惜しまねーのな。」
    「そんな事聞いてどうするの?」
    「んー?いや…
     人からの目撃情報が得られないなら、猫からの目撃情報はねーかなって。」
    「猫ッスか!!一松兄さんの友達に協力してもらうッスか??」
    「そーそー、デカパン博士なら猫と話せる薬くらい作れそうじゃね?
     この辺りの野良猫は大体一松の事知ってそうだしさぁ」
    「何それ……。
     …まぁ、でも他に方法思いつかないもんね。
     何気に有力情報ゲット出来そうな気がしてきた。」
    「確かに、今は俺達の力では為す術もないからな…。」
    「って事でさ!明日デカパン博士の所に行ってみようぜ!!」
    「りょーかいッス!マッスルマッスル!!」
    「しょーがないなぁ~付き合ってあげるよ。」
    「フッ…もちろん俺も行くぜ…!」

    正直、突拍子もない手だとは思うのだが、一松の友達
    つまり野良猫ネットワークに懸けるくらいしか思いつかなかった。
    けど、次にすべき目標が見つかった事で、みんなの表情も少し和らいだように思う。
    さすが長男様と誰か褒めてほしいものだ。

    なぁ、チョロ松、一松。
    お前らは今どこにいるんだ?
    早く帰ってきてくれないとお兄ちゃん1人でこいつらのフォローしきれないよ?
    一松、お前のこと大好きな十四松とトド松が泣いてるぞ?
    弟達泣かせるなよ。
    あと、カラ松がマジでヤバイから。
    もうこれ以上はさすがの俺でも抑え切れそうにないから。
    だから早く戻ってこい、一松。
    チョロ松、連絡の一つでも寄越してくれたっていいんじゃないの?
    寂しくて寂しくてお兄ちゃん死んじゃいそう!
    無事でいるのか?無事でいてくれるなら許してやるから、だから早く帰ってこい。
    …俺、自分で思ってた以上にお前がいないとダメみたいだから。

    ーーー

    次の日、事の次第をデカパン博士に説明すれば彼は快く協力を申し出てくれた。
    割とあっけなく猫と話せる薬を手に入れる事に成功したわけだが、ここで問題が浮上した。
    まず、デカパンから貰った猫と話せる薬は、猫側に飲ませる必要があるのだ。
    手元にある薬は3つ。
    つまりは、俺達と話せるようになる猫は最高でも3匹までという事になる。
    そして薬の効果の継続時間。
    効果はもって一週間らしい。
    デカパン博士はもっと利便性の高い薬の開発に着手してくれるそうだが、
    完成がいつになるかは分からないとの事だった。
    猫達の協力でチョロ松と一松の手掛かりを探すことができるのは一週間と考えた方がいいだろう。

    4人でどうするか話し合い、最終的に薬はエスパーニャンコだけに飲んでもらうことにした。
    こいつは一松と1番仲がいい猫だし、行動範囲も顔も何気に広いらしいのだ。
    エスパーニャンコに周りの猫達から情報を収集してもらい、俺達に伝えてもらおうというわけである。
    この方法によって、猫達の協力を仰ぐことが可能な期間が3週間となった。

    一松がいないのにエスパーニャンコを見つける事ができるかどうか心配だったが、それは杞憂に終わった。
    まるで事情は分かっているとでも云うように、エスパーニャンコ自ら家にひょっこりと現れたのだ。
    いや、単に一松に会いに来ただけなのかもしれないが。
    小瓶に入れられた不思議な色の液体を猫用ミルクに混ぜて与えると、
    エスパーニャンコはそれを飲み干してくれた。
    まずは第一関門クリアだ。
    エスパーニャンコは俺達に向かってニャアと一声鳴くと、家を飛び出して行った。



    それからすぐに動きはあった。
    薬を飲んでもらったエスパーニャンコを見送った次の日、ニャンコは再び家の居間に何処からか入り込んでいた。
    それに気付いた十四松が話を聞くと、1ヶ月ほど前に人気のない道で一松と兄弟の誰かが
    突然黒い服を着た男達に取り押さえられ、黒塗りの車に押し込められたところを目撃した猫がいたらしいのだ。
    車はすぐに走り去ってしまい、何処へ向かったかは分からなかったらしい。
    どうやらチョロ松と一松は何者かに誘拐されたらしいことが判明した。
    元々は八方塞がりで精神的に追い詰められていた兄弟を元気付けるために提案した猫作戦だが、
    こうも効果があるとは思わなかった。
    猫ネットワーク恐るべしである。

    しかし誘拐とはあってほしくなかった事実だ。
    それでも一歩前進したのは間違いない。
    となれば、次は2人を連れ去った輩と囚われている場所を突き止めなければならない。
    猫達にはお礼に猫缶と煮干しをたっぷり贈呈し、引き続き協力をお願いしておいた。
    1ヶ月、…1ヶ月もの間、あの2人は何者かに囚われていたというのか。
    早く、早く助け出さなければ。

    この時、俺は何故か言い様のない胸騒ぎを感じていた。

    ーーー

    この屋敷に監禁されて、どれくらい経ったのだろう。
    時計もない、窓もないこの部屋はまるで時間が止まったかのようだった。
    屋敷の使用人が運んでくる食事と着替えだけが、時間を知る手掛かりだ。
    あの日から変わらず僕の右手とチョロ松兄さんの左手は鎖で繋がっているし、
    僕の左足首とチョロ松兄さんの右足首も鎖でベッドの脚に繋がれて部屋から出れないようになっていた。
    部屋から出れるとすれば、屋敷の主人が気まぐれに食堂に呼び出す時や、中庭に連れ出す時くらいで、
    移動中は使用人に囲まれて逃げ道はすっかり塞がれてしまう。
    部屋の外に出られるのは確かに気分転換にはなるのだが
    この屋敷には至るところにやけにリアルな人形が置かれていて、
    それが僕には酷く不気味な物に見える。
    そんなわけで屋敷内を歩き回るのは好きじゃないが、中庭に行くのは好きだ。
    外の空気に触れることができるし、何よりたまに野良猫がやって来るのだ。
    猫達は初めて見る顔ぶればかりで、
    やはりここは家から離れた場所なのだろうと実感した。
    猫達は僕にすぐ懐いてくれて、猫と戯れる時間は一時の幸福だった。

    僕とチョロ松兄さんを「双子人形」などと宣った男は、毎日飽きもせず僕らに新しい服を寄越した。
    それは毎回決まってお揃いで、ゴシック調などこぞの貴族のような服だった。
    ご丁寧に下着まで毎日新調だ。
    本日は白のワイシャツにグレーと黒のチェック模様のハーフパンツ、
    そしてパンツと同じ生地のベストを身に付けている。
    ベストの背中部分には紫色のリボンがシューレースのように編み込まれている。
    胸元には結び目に宝石があしらわれたリボンタイ。
    当然チョロ松兄さんはリボンが緑色である。
    こうして着飾った僕達を、この屋敷の主人は満足そうに眺めて、時には髪を、頬を撫でては去っていく。

    そんな屋敷の主人は異常な性癖なのは間違いないが、自分から僕らに手を出そうとはしてこない。
    せいぜいうっとりと笑いながら身体を撫でるだけだ。
    見るだけで満足なのだろうか。
    それならそれで助かるけど。
    まったくこんなゴミクズを着飾って何が楽しいんだか。
    金持ちの考える事はわからない。
    …家族はどうしているだろうか。
    僕らが突然いなくなって、悲しんでいるだろうか。
    それとも、特に気にせず過ごしてるとか?
    いや、それはさすがに悲しすぎる。
    僕はいいとしてチョロ松兄さんが消えた事は皆悲しんでるだろうけど。
    けれどもうここに来てから結構経っただろうから、案外いつも通り生活しているかもしれない。
    おそ松兄さんは、十四松は、トド松は今頃どうしているだろう。
    クソま…カラ松は、今何しているんだろう。
    相変わらず、いもしないカラ松girlとやらを待っているのだろうか。
    それとも僕達を探してくれている?
    ちょっと待て、何でこんな時に、ふと会いたいと思うのがカラ松なのだろうか。
    おかしい。
    おかしいだろ。
    いや何がおかしいのか自分でもよく分からないけども。

    …嗚呼、なんだかもう考えるのすら億劫だ。
    何も考えたくない。

    部屋に置かれた香炉から甘い香りが漂ってくる。
    この香りを嗅ぐと、不思議と頭がボンヤリして眠たくなった。
    囚われ、行動を制限された僕の脳は確実に麻痺しているようだ。



    そんなある日の事。
    部屋にやって来た屋敷の主人がとんでもない事を言い出した。

    「「………え?」」
    「聞こえなかったのかい?
     もう一度言ってあげよう、私の人形達。
     君達がセックスするところを見せてほしいのだよ。」
    「な…何言って…!」
    「嫌なのかい?
     …ならば、この屋敷で働く薄汚い下男にでも抱いてもらうかい?」
    「……っ!」

    ああホントこいつ頭おかしいだろ。
    同じ顔した男同士の兄弟のセックス見たいとか頭イッてるとしか考えられない。
    男は表面上は穏やかにニコニコと笑みを浮かべているが、その瞳の奥はゾッとするほど冷たかった。
    何故か逆らえない気迫がこの男にはあるのだ。
    隣に座るチョロ松兄さんが震えている。
    チョロ松兄さんの事は好きだけど、それはあくまでも兄弟として、家族としての親愛の情だ。
    兄さんとそんな事するなんて…こんなゴミクズとセックスなんかしたら、
    兄さんが汚れてしまうし、何よりおそ松兄さんに殺される。僕が。
    けれどこのままでは本当にこの男は薄汚い下男とやらを呼びそうだ。
    チョロ松兄さんが見ず知らずの薄汚い男に犯されるなんて絶対に嫌だし、
    自分だってそんなのに抱かれるなんて御免だ。
    ごめん、兄さん。
    それならば、いっそのこと

    「チョロ松兄さん…。」
    「一松…?」

    小さく深呼吸をしてから、チョロ松兄さんをギュッと抱き寄せた。
    肩口に顔を埋める振りをしながら、小さく耳打ちする。

    「…俺の事、抱いて。」
    「なっ…で、でも…っ」
    「見ず知らずのおっさんなんかに抱かれるなんて絶対やだ。
     …俺、チョロ松兄さんになら、いいよ…。」
    「………。」

    両手でチョロ松兄さんの頬を包んで、今度は正面から向き合った。
    チョロ松兄さんの瞳は悩ましげに揺れていたが、
    やがて腹を括ったのか深く息を吐いて小さく呟いた。

    「……わかった。」

    屋敷の主人がひどく愉快そうに笑っていた。

    男の恍惚とした視線を感じながら、僕はチョロ松兄さんに抱かれた。
    一体何がそんなにお気に召したのかは知らないが、その日から屋敷の主人は
    度々僕達にセックスを見せるよう強要してくるようになった。
    僕がチョロ松兄さんを抱く日もあれば、抱かれる日もあった。
    兄さんの白い肌はキメ細やかで滑らかで、温かかった。
    …おそ松兄さんが独占欲を剥き出しにするのも理解できる。
    おそ松兄さん、本当にごめん。
    主人は相変わらず目を細めては絡み合う僕とチョロ松兄さんを愛おしげに眺めるだけだ。

    男が去った後は2人で身体を引き摺るようにしてシャワールームへ入り身体を清めながら、
    そしてお互い涙を流しながらお互いを慰めた。
    僕もチョロ松兄さんも何度も何度も「ごめん」と繰り返して、
    そうして寄り添いながら眠りにつくのが、セックスした日の習慣になっていた。
    涙を流す兄さんは、すごく綺麗だった。

    それでも回数を重ねる毎に見られることへの躊躇いも羞恥心も薄れていく。
    今ではもう何も感じない。
    囚われの生活に僕の、いや僕らの頭は溶けてドロドロになって、
    何も考えられなくなってしまったのかもしれない。

    香炉から漂う甘い香りがやけに鼻をついた。

    ーーー

    はっきりと違和感を感じたのは、チョロ松兄さんと行為をした後くらいだ。
    一体どのくらいの月日が経ったのかすら分かっていないから、
    1ヶ月くらいなのかもしれないし、1週間程度なのかもしれない。
    いずれにしろ、それなりに時間が経った頃に僕は自分の身体に違和感を覚えた。
    身体がひどく重たくて怠いのだ。
    なんだか頭もスッキリしない。
    まるで脳内に靄がかかっているようだった。
    気を抜くと眠ってしまいそうな、そんな倦怠感を全身に感じた。
    それは隣でベッドに沈み込むチョロ松兄さんも同様のようで、
    仰向けになった兄さんはボンヤリとベッドの天蓋を見つめていた。
    その目の焦点があっていたのか否かは定かではない。

    その後も違和感は続いた。
    一つは食事。
    食べられる量が段々減ってきた気がする。
    今まで1日3食だったのが、気付けば2食に、そしてついには1食に。
    もう一つは排泄。
    食べなくなったのが原因なのだろうけど、なんというか明らかに催さなくなった。
    まるで身体が少しずつ死んでいくようだった。

    ベッドに寝そべったまま、ゆっくりと顔を横に向けると眠るチョロ松兄さんの顔がすぐそこにあった。
    白い肌、長い睫毛、細い手足…死んだように眠る兄さんはまるで人形のようだ。
    それこそ、この屋敷の至るところに飾られた等身大の人形達のような…。
    もうここからは逃げられないのだろう。
    ああでも…この頭が完全に溶けて何もわからなくなってしまう前に
    皆に、カラ松に会いたい。
    心の内でそう願えば、チリ、と胸と頭に痛みが走った。
    最近はいつもそうだ。
    何か考えようとすればする程、頭痛に襲われる。

    …頭が痛い。
    もう何も考えたくない。

    眠くて眠くて仕方ない。



    ねぇ、誰か、助けて。

    ーーー

    身体が重い。
    頭はノイズが入ったように朦朧として、何も考えられない。
    この屋敷に拉致られてどれくらい経ったのか、最早確認する術さえもない。
    ここに来てから僕達の身体はゆっくりと、しかし確実に死に向かっている気がする。
    少し身じろぐと、右手から伸びた銀の鎖が小さく音を立てた。
    酷く眠い。
    さっきまで泥のように眠っていたはずなのに。
    頭が溶けていくようだ。

    ここに連れてこられたばかりの頃はなんとか逃げ出せないかと一松と思案しては、
    なんだかんだで僕は口うるさく一松にツッコミを入れていた覚えがあるのだけど
    最近ではそんな気力もなかった。
    囚われの日々は部屋から自由に出られない事を除けば、何一つ不自由はなかった。
    気まぐれにやって来る屋敷の主人の要望に応えて、あとは部屋の中で一松と2人で静かに過ごすだけ。
    肉体的にも精神的にも大した苦痛は受けていない。
    なのに最近調子がイマイチだ。
    僕も一松も明らかに食事の量が減ったし、睡眠時間が格段に増えた。
    いつからだっけ。
    たぶん、はっきりと身体の異変を感じたのは一松を抱いたくらいからだろうか。

    屋敷の主人に強要されて、僕は一松を抱いたし、抱かれた。
    一松の身体は柔らかくて、気持ち良くて、温かかった。
    行為の後にシャワールームで涙を流す姿もどこかいじらしくて、
    カラ松が目を離せないのも理解できる。
    この異常な空間の中、一松との行為も今となっては何も感じなくなってしまったが
    カラ松にはなんとなく申し訳なく感じていた。
    僕が一松を独り占めしてごめん、カラ松。

    その一松は僕の隣で死んだように眠っている。
    白い肌、長い睫毛、細い手首…まるで人形のようだ。
    前までは屋敷の主人に連れられて中庭に行ったりする事もあったのだけど、
    もう身体が怠くてそんな気も起こらない。
    中庭には時折猫がやって来ていた。
    猫と嬉しそうに遊んでいる一松を見ると、心が少し軽くなったのだけど、
    もうそこに行くこともないのだろうなと、なんとなく思った。

    ああ眠たい。
    一松もまだ寝ているし、僕も寝てしまおう。

    そう思ってうつらうつらと夢と現実の境をさまよっていた時だ。
    部屋の扉が開いて屋敷の主人が入ってきた。

    「…おや、私の双子人形は眠っているようだね。」

    まだ完全には寝てないけど、返事をするのも億劫で
    僕は男を無視して目を閉じたままでいた。

    「ああ、もう少しだね。
     もう少しでこの子達も完全な人形になる…。
     君達はやはり素晴らしかったよ。
     これまでの人形達とは比べ物にならないくらい丈夫で、
     随分と楽しませてもらった。
     この可愛い双子人形は何処に飾るのがいいだろうか。
     やはり大広間か…いや、玄関ホールでもよく映えそうだ。
     ふふ…君達はもうすぐ永遠を手に入れる。
     もう何も考えなくていい。何も感じなくていいのだよ。」

    そう言って屋敷の主人は僕と一松の髪を撫でるとそっと部屋を出て行った。

    どういう意味だろう。
    完全な人形?
    永遠を手に入れる?
    僕らは大広間か玄関ホールに飾られるのかな?
    この屋敷中に置かれている人形達のように。
    …人形。
    ああ、僕らは人形なんだっけ?
    そうか、人形なんだ。
    だから何か考えたり身体を動かすなんてことする必要ないんだ。
    人形だから、何も考えず、何も感じずそこにいるだけ。
    香炉から甘い香りがする。
    頭がボーッとしてくる。
    ふと脳裏にいつかと同じように赤色が過ぎったけど、
    それをはっきりと認識するよりも早く僕は眠りに落ちてしまった。




    意識が朦朧として、死んだように眠る時間が増えた僕らだけど
    それでも稀に寝起きに妙に頭がスッキリしている時がある。
    そんな時は決まって自分自身が恐ろしくなる。
    手首と足首に嵌められた枷と、人形遊びのような服を纏った己の姿に寒気を覚える。
    先程まで朦朧とした頭でまるで死人のようにベッドに沈んでいたのだと理解した途端、
    底知れない恐怖に襲われた。
    僕はどうなってしまうのだろう。
    ふと、眠る前の屋敷の主人の言葉を思い出した。

    …もうすぐ完璧な人形になる。

    …大広間か玄関ホールに飾ろうか。

    飾る、とは一体どういう事か。
    確かにこの屋敷にはやけにリアルな人形がたくさん飾られているけれど。
    …やけにリアルな?
    そもそもあれらは本当に人形なのか?
    まさか、まさか屋敷中に飾られている等身大の人形達は…。
    僕達も、いずれあの仲間入りをするのだとしたら…。
    そこまで考えて、ゾクリと背筋が震えた。
    震えが止まらない。
    嫌だ、考えたくない。

    腕を胸の前で交差させて蹲っていると、ふと頬に柔らかな感触を感じた。
    次いで視界が深い紫色に覆われる。
    隣で寝ていたはずの一松がいつの間にか起き上がって
    僕を抱き締めているのだと理解するのに、そう時間は掛からなかった。
    しかし見上げた一松の表情は読めない。
    瞳は虚ろで、何も映していない。
    なんの感情も籠っていない目をしていた。
    …そういえば、ずっと隣にいるというのに一つ下の弟の声をもう暫らく聞いていない。
    最後に言葉を交わしたのはいつだっただろうか?
    最後に一松の笑顔を見たのはいつだった?

    不幸な事に、久々に冴えてスッキリしていた僕の頭は理解してしまった。
    いつの間にか一松は、壊れてしまっていたのだと。
    思考を奪われ、身体の自由を奪われ、
    本当の人形のようになってしまったその身で、
    それでも辛うじて残っていた本能で僕の事を案じて抱き締めてくれたのだ。
    思わず縋るように一松を抱き締め返した。
    泣き叫びたいのに、大声を張り上げたいのに、どうしても出来なかった。
    声すらも出せない。
    まるでお前は人形なのだからそんな事するのは許されないと身体が拒絶しているようだった。

    このまま、僕もいずれは壊れて何も分からなくなってしまうのだろうか。
    あの屋敷の主人の掌の上で転がされて人形にされてしまうのだろうか。
    ずっと隣にいた一松が壊れてしまったのだから
    僕が壊れてしまうのも時間の問題だろう。
    今この時間は死ぬ前の最後の小康状態というわけか。

    いつもの甘い香りが漂ってくる。
    嗅覚がそれを認識すると同時に、また酷い眠気に襲われた。
    僕を抱き締めていた一松も、甘い香りに包まれた途端
    力なくベッドの上に倒れ伏して眠ってしまった。
    眠い。
    けど、ここで眠ってしまったら、次に目覚めた時
    もう僕は一松と同じように壊れて人形のようになってしまっているかもしれない。
    そう思っても、波のように押し寄せる眠気に抗うことはできなかった。

    …皆はどうしているんだろう。
    父さんと母さんは。
    カラ松は、十四松は、トド松は…。
    …おそ松兄さんは…どうしているだろう。


    せめて僕が僕でいられる内に、会いたかった。


    もう逃げられない。
    …身体が、動かないんだ。



    お願い、誰か、助けて



    ーーー


    あとがき

    えーと、まずはスミマセンでした(土下座)

    おかしいなー年中松に可愛いお洋服で着せ替えキャッキャうふふして可愛がりたかっただけなのになー
    どうしてこうなった
    焼きナス
  • 三男と四男が憑かれた話 #BL松 #おそチョロ #カラ一 #年中松 #ホラー松

    1.

    そもそも、今日は出掛けるべきではなかったのだ。
    家で大人しくしていればよかった。
    しかし、だ。
    今日は隣町で推し中のアイドルの限定グッズの発売日だったのだ。
    何日も前から今日この日の為に金銭を準備して店舗を調べて万全にしてきた自分に、出掛けないという選択肢は残念ながら頭になかった。
    家を出た時に一瞬だけ背中にゾワリと感じた悪寒。
    あまりにも一瞬だったものだから、つい気のせいで片付けてしまった。
    自分の体質はよく理解していたはずだったのに。
    その体質のせいで、兄弟に度々迷惑を掛けてしまうことも分かっていたのに。
    いや、今更いくら後悔したって遅い。
    それよりも現状をどうにかしなければならない。
    何故こんな事になったのか、気持ちを落ち着けて整理するためにも順を追って思い出してみよう。

    ーーー

    目当てのグッズを手に入れて、上機嫌で帰路についていた僕は、
    家の最寄り駅前の大通りで見慣れた後姿を見つけた。
    細い路地から出てきたそいつは間違いなく一つ下の弟だ。
    おそらく彼の友人である猫達に餌をやっていたのだろう。
    時刻は午後5時半過ぎ。
    日没直後、西の空は未だ赤く太陽の名残を感じる。
    ちょうど「黄昏時」と呼ばれる時間帯だろう。
    一つ下の弟も家に帰るところのようだ。
    どうせ向かう先は同じなのだし、と、僕は丸まった背中に声をかけた。

    「おーい、一松ー。」
    「……ん。」
    「一松も今帰り?」
    「…ん。」

    一松は僕の声にゆったりと振り返り、言葉少なに返事をした。
    僕らの会話が少ないのはいつもの事なので別段気にしたりはしない。
    一松の隣に並んで、のそのそとした歩調に合わせて家を目指した。

    今日の一つ目の失敗が外出したことだとすれば、二つ目の失敗は一松と2人になったことだろう。
    少し考えれば分かることだ。
    そんなにアイドルグッズに浮かれていたのだろうか、僕は。
    そうだとしたらポンコツだと罵られる事も今だけ甘んじて受け入れよう。うん、今だけ。
    思えば、やたらとゆっくり歩く一松は暗に僕に「先に帰れ」と距離を取ろうとしていたのかもしれない。
    兄弟の中でも俊足の僕は普段の歩くスピードも速い方だ。
    対して、一松の歩調はいつもゆったりしている。
    のんびり歩く一松に一声掛けて、さっさと帰ってしまえば…
    いや、それだと一松1人だけが巻き込まれていた可能性も否定できない。
    結局何が正解だったかなんて今考えても仕方がない。
    何故一松は口に出して言わなかったのかって?
    口にしてたら気付かれてしまうからだ。
    うん?理解できない?
    そう。…なら少し非現実的な話をしよう。
    リアリストには到底理解出来ない内容だ。

    ーーー

    僕ら兄弟は霊感というヤツが人より優れていた。
    六つ子所以なのかどうなのかは分からないが、とにかく揃いも揃ってそういうヤツが視える。
    視えるし聞こえるし、長兄2人に至っては自分で祓う事も出来てしまうチートっぷりだ。
    何であのクズとバカにだけそんなチートなチカラがあるんだろう。
    全く以って腹立たしい限りだ。
    そんな霊能兄弟の中でも僕と一松は厄介な事に所謂、霊媒体質というやつだった。
    更に言えば、どうやら僕はそういう霊的なものを引き寄せてしまうらしいのだ。
    そして一松は、そういうものに誘われてしまいやすい。
    つまり、だ。
    霊媒体質な僕と一松が2人で並んで歩いていて。
    色々と引き寄せてしまう僕と一緒にいて。
    僕が意図せず引き寄せた「有り得ないモノ」に、誘われやすく取り込まれやすい一松が引き摺られてしまうのは最早必然的だった。

    ーーー

    大通りから逸れた人通りの疎らな道に入って数歩のうちに、視界が突然ぐらりと揺らぎ、
    気付けば僕らは朽ち果てた木造日本家屋が連なる集落跡のような場所にいた。
    先程まで赤く染まっていたはずの西の空は既に黒く塗り潰されている。
    薄暗い視界の中、月と星の微かな明かりだけが頼りだった。
    顔を右に向けると一松の姿があって、その事に少しの安堵を覚える。
    全然安心できない状況ではあるのだけど、とりあえず一松とはぐれなかったのは不幸中の幸いだ。

    「…やっちゃったね。」
    「うん、そうだね…ごめん、一松。」
    「別にチョロ松兄さんのせいじゃないでしょ…。」
    「いや…僕の不注意でしょ。」
    「…俺も油断してたし…。」

    さて、回想と僕らの奇特な体質のおさらいが終わったところで改めて現状を整理しよう。
    僕と一松はどうやら「神隠し」ってやつに遭って異空間に引き込まれたようだ。
    集落跡のようなこの場所、背後は鬱蒼とした森が続いている。
    目の前には崩れかけた廃屋が数軒。
    一応、田んぼや畑、あぜ道だった跡が見られる。
    田んぼに続く用水路らしき堀もある。
    こんな景色、明らかに近所に存在しない。
    家族に連絡を取ろうとするも、電話は繋がらないし、メールも宛先不明で戻ってくる。
    しばらく携帯を触っていたが、とうとう画面が文字化けしてしまい時間すら分からなくなってしまった。
    …マジかよ、困った。
    携帯の画面を眺めながら小さくため息を吐くと、不意に突然一松に強く腕を引かれた。
    そのまま一松は僕を引き摺りながら、朽ちた廃屋の影に身を潜めるようにしてしゃがみ込むと、僕の耳元で、小さく耳打ちした。

    「…なんか、いる…。」
    「え…。」

    一松のその言葉に廃屋の影からあぜ道を窺い、ゴクリと息を呑む。
    何かがうごめいていた。
    気味の悪さに思わず声を上げそうになる。
    寸でのところで堪えたけど。
    うん、本当によく堪えたよ僕。
    辛うじて人の形を留めているものの、そいつの首はどう考えてもおかしい方向に曲がっており、片目が潰れている。
    もう片方の目は虚ろに、しかしギョロギョロと何かを探すように辺りを見廻し、半開きの口は何か呻き声をあげていた。
    着物姿の男だと理解できたがその着物もどうやら血濡れだ。
    極めつけに、そいつを取り巻くどす黒い影からは無数の手が伸びていた。
    おそらくだけど、血濡れの男を中心に様々な悪霊が取り込まれて、一体化したのだろう。
    とにかく、あまりよろしくない類の霊である事は明らかだ。
    …これまでの経験上、異空間に引き込んでしまう程の力を持つ怨霊やら悪霊は、まず僕らでは歯が立たない。
    (長兄2人がいてくれたら話は別なのだが)

    おぞましい姿を目にしてしまった僕は、咄嗟に自分と、そして傍にしゃがみ込む一松の周りに結界を張った。
    引き寄せやすい&誘われやすい体質で霊媒体質な僕らはこれまでも結界で身を守ってきた。
    どうやって身に付けたかなんて覚えていない。
    ただ、自分の身を守る手段として、いつの間にか出来るようになっていた。
    正式に結界と呼んでいいのかどうかも分からないが、便宜上結界ということにしている。
    …ただ、僕が張れる結界はそこまで強力ではない。
    弱い霊くらいしか弾けない。
    普段生活する上ではこの程度で十分なのだが、今は少し頼りないかもしれない。
    力は弱いがその代わり疲れにくく、1日張りっぱなしでも問題ない。
    逆に一松の張る結界はとてつもなく強力だ。
    だがすぐにガス欠を起こし長くは保てない。
    僕のように1日張り続けたりしたら多分死んでしまうと思う。
    今のところ僕の結界だけを張っておいて、一松の強い結界はここぞという時に張ってもらおう。
    何が起こるか分からない。体力気力は温存しなければ。
    …しばらく一松と2人、身を寄せ合って息を潜めていたが、やがて血濡れ男の気配が去ったのを確認すると、今度は揃って盛大なため息を吐いた。
    ほんと、生きた心地がしなかった。
    割とこういうの経験するんだけど、何回体験しても慣れないものだ。
    慣れちゃいけない気もするけど。
    それよりも、早くここから出る手段を探そう。
    僕らは防御はできるが追い払ったり除霊したりは出来ないのだ。

    「兄さん、ごめん…。」
    「一松が謝ることじゃないだろ。とにかく出口を探そう。」
    「ごめん、ね...兄さん…。ごめんなさい…。」

    一松が僕の服の裾をギュッと掴む。
    謝罪の言葉を口にするその表情はひどく不安げだ。
    なんとか安心させたくて極力優しく笑いかけるも、一松は泣き出しそうな瞳で僕を見るだけだった。

    今日の僕の失敗のうち、
    一つ目が外出したこと。
    二つ目が一松と2人になったこと。
    そして、三つ目がこの時の一松の異変に気づいてやれなかったこと、だ。

    一松のあの謝罪は僕だけに向けられたものではなかったのだ。

    ++++++++++++++++++++++

    2

    迷い込んだ空間はもう随分前に住む人が居なくなったであろう集落跡だった。
    黄昏時に駅前でチョロ松兄さんに声を掛けられた時、すぐに気付いた。
    色々なモノを引き寄せてきてしまうこの一つ上の兄はまだ気付いていないようだったが、
    チョロ松兄さんの背後に、兄さんを虎視眈々と狙う黒い影を感じて、僕は思わず身震いした。
    え、チョロ松兄さん何で気付いてないの?
    …あ、なんか今日はいい事あって浮かれてるとか?
    いや、例えそうだとしても気付かないのはおかしい。
    黒い影が、チョロ松兄さんに気付かれないようにしているのだろうか。
    …兄さんには気付かれないように、その黒い影を睨みつける。
    僕はお前の事が見えているぞ、と主張するように。
    僕もチョロ松兄さんも霊媒体質という共通点があるが引き寄せやすいチョロ松兄さんに対して、
    僕はどういうわけか兄さんが引き寄せたヤツに取り込まれやすい。
    自分でも気づかない内に、本当にあっさりと霊に取り付かれているのだから、
    これまで兄弟に掛けてきた迷惑といったら星の数程と言っていいくらいだ。
    …それでも僕を見捨ててくれないあたり、みんなお人好しだよね。
    そんなわけだから、チョロ松兄さんに引き寄せられてきた霊達は、大体僕にとり憑こうとこちらに流れてくる。
    だから、今日兄さんが連れてきたヤツもそうだと思った。
    そいつが兄さんからターゲットを僕に変更して、こちらに近づいてきたところで、
    兄さんと距離を置けば被害に遭うのは僕だけで済む筈だ。
    …そう思ったのだが、今日に限ってチョロ松兄さんは僕のノロノロした歩調に合わせてゆっくりと肩を並べて歩いた。
    こうしている間にも、黒い影は兄さんを狙っている。
    狙いは兄さんのまま。
    どうやらこいつは僕より兄さんの方がお気に召しているようだ。
    まあ、引き寄せてしまうだけあって、僕の次に憑かれる事が多いのはチョロ松兄さんだから、
    こういう事態も不思議ではないのだけど。
    でもどうしよう。
    これじゃ兄さんから離れるわけにもいかなくなった。
    …なんて思っていたら、2人揃って神隠しに遭ってしまったのだ。

    ーーー

    あぜ道や畑を見回していると、夕刻にチョロ松兄さんと会った時に感じた黒い影の気配がして、
    思わず兄さんの腕を掴んで崩れかけた日本家屋の影に身を潜めた。
    なんだ、アイツ…ヤバイだろ、色々と。
    咄嗟に身を潜めた家屋の壁はボロボロで、壊れた壁から少し中を窺えた。
    土間に板の間、中央には囲炉裏。
    昔ながらの日本家屋って感じだ。
    異空間にしてはリアルな気がする。
    どこかを模しているのか、それとも実在する場所なのか。

    そんな事を考えていると、兄さんが結界を張ってくれたのを感じた。
    チョロ松兄さんの結界の中で、しばらく2人で息を潜めていると、血濡れの着物姿の霊はどこかに去っていった。
    …あいつ、絶対チョロ松兄さんに取りつこうとしてたヤツだろ。
    随分と気に入られちゃったみたいだね、兄さん。お気の毒様です。
    一体チョロ松兄さんのどのへんがそんなに気に入ったのか、こんな所にまで引き摺り込んで、大した執念だ。
    兄さんが連れて行かれそうな気がして、怖くなって思わず兄さんの服の裾を掴んだ。

    もっと早く何かできていたら、兄さんがこんな目に遭うことなかったのに。
    僕が、ぼくのせいで。
    ぼくのせいで、ぼくのせい…。

    「兄さん、ごめん…。」
    「一松が謝ることじゃないだろ。とにかく出口を探そう。」
    「ごめん、ね...兄さん…。ごめんなさい…。」

    ぼくが、いたから。
    そのせいで兄さんは。

    ぼくのせいだ、ぼくのせいだぼくのせいだ……!
    ごめんなさい、
    ごめんなさい、
    ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい

    ごめんなさ…あれ?僕何してたんだっけ?

    そうだ、チョロ松兄さんと神隠しに遭ったんだ。
    で、なんとか脱出方法を探そうとしてる。
    うん、そのはず。
    …あ、なんか気分悪い。

    「大丈夫?一松…。」
    「そっちこそ…酷い顔してるよ。」
    「うん…正直キツイ。」
    「だろうね…俺も吐きそう。」
    「歩けそう?」
    「…なんとか。兄さんは?」
    「僕も、なんとか。」
    「じゃあ、移動する?」
    「そうしようか…ここにいても仕方ないし。」

    2人してノロノロと足を引き摺るように歩き出した。
    この空間に長く居座るのは危険だ。
    なんだろう、瘴気?っていうのかな…。
    とにかく、嫌な感じがする。
    身体が重たいし、息苦しいし、頭痛も眩暈も吐き気もする。
    そしてそれは僕の隣を歩くチョロ松兄さんも同様らしく、
    今僕らは揃って青い顔をしているに違いない。
    チョロ松兄さんの結界のおかげでなんとか持ち堪えてるけど。
    動き回るのは危険だけど、じっとしていたって脱出はできない。
    何か帰るための手掛かりを探した方がいい。
    もしくは、兄弟になんとか連絡を取る手段を探すか、だ。

    ひとまず、あぜ道に戻り集落の入口らしき雑木林を歩いてみたのだが
    …何度やっても元のあぜ道に戻ってきてしまう。
    なんとなく予想出来てたけどね。
    完全に閉じ込められてるパターンだね。
    仕方なく集落の奥へと進んでみた。
    幅の広いあぜ道の右手側には廃墟と化した家屋が軒を連ねている。
    反対側は畑や田んぼ。
    そして、しばらく歩くと一際大きな屋敷があった。
    多分、村の権力者の屋敷とかだと思う。
    その屋敷の脇には細い道が続いており、水が引かれている。
    田んぼの方まで続く用水路のようだ。
    人が居なくなっても、用水路は未だに現役のようで、ちゃんと水が流れている。
    でも水には近づきたくないかな。
    水ってさ、そういうのが結構集まってきたりするんだよね。
    澱みを含んだ水は特に。
    清められた水は御神水とか呼ばれたり浄化の力もあるんだど、この水は澱みが酷い。

    「さらに奥に何かありそうだけど…。」
    「この水、あまりいい感じしない。」
    「同感。こういう川とかに溜まってたり流れてきたりするし、これ以上僕らだけで近づきたくないね。」
    「うん。…じゃあどうする、この大きい屋敷調べてみる?」
    「えぇ~…気が乗らないなぁ。」
    「でも調べられそうなの此処くらいじゃない?」
    「ちなみに一松、体力どのくらい残ってる?」
    「1時間くらいなら頑張って結界張れるくらいには残ってる。」
    「じゃあ、なんとか大丈夫そうかな。」

    「ほら。」と言ってチョロ松兄さんは手を差し出した。
    特に何も言わず黙って僕も自分の手を出すと、ぎゅ、と握られた。
    はぐれないように、ということだろう。
    成人男性が、しかも同じ顔した野郎が手を繋いでる様とか滑稽にも程があるが
    そんな事言ってる場合ではないし、突っ込んでくるようなヤツもこの場にはいない。
    集落の奥にそびえ立つこの屋敷はちょっとしたお化け屋敷よりも遥かに気味が悪かったが、意を決して僕らは中に踏み込んだ。

    ーーー

    中は典型的な武家屋敷といった感じで、やはり権力者の住まいだったのだろう。
    玄関のすぐ奥には八畳間、そのさらに奥には廊下。
    八畳の間の左隣には四畳程の小さな部屋。廊下の突き当たりには階段があるようだ。
    調度品はそのままになっているようで、古びた箪笥だとか、刀だとか、着物なんかも置かれていた。

    「一松!」
    「…!!」

    廊下に出ようとしたところで、長い廊下の向こうに広がる中庭に先程の血濡れ男と再遭遇した。
    アイツどんだけこの辺うろついてんだよ夢遊病かよ!
    あ、真っ当な夢遊病患者の方ゴメンナサイ貴方を貶す意図はなかったんですホントです。
    咄嗟に、普段から持ち歩いている御札をそいつに向かって投げつけ、僕とチョロ松兄さんは物陰に隠れた。
    御札がハラリと力なく床に落ちる。
    え、嘘だろ。御札が効いてない。
    想定外の展開に隠れながら僕も結界をかけた。
    体力が減るが仕方ない。

    「トド松お手製の御札が効かないとか…。」
    「これは…いよいよ僕と一松だけじゃ厳しいね。」
    「ん…。なんとか兄さん達と連絡取らないと。」
    「そうだな…。つーか、どのくらい時間経ったんだろう。」
    「わからない…。十四松かトド松が気づいてくれないかな…。」
    「弟に頼ることになるのは情けないけど仕方ないね。
     確かに、気づいてもらえるとしたら末2人だよね。」
    「それまであれから逃げ回らないといけないわけか…。」
    「うわぁ…やだよ僕アレとこれ以上エンカウントするの。」
    「俺もやだよ…。」
    「てかさ、アレがこの空間の主?」
    「…だと思うけど。」

    末弟のトド松は護符やら御守りやらといった呪具を作るのが得意だ。
    霊媒体質な僕らにお手製の御守りと、何かあった時の為にと何枚か御札を手渡してくれている。
    さっき僕が投げつけたのも、トド松が渡してくれたもの。
    …が、その御札がどうも効力を発揮していない。
    つまりはこの空間は少なくともトド松より霊力の強い存在がいるというわけで。
    いや、トド松は決して弱くないよ?
    むしろ強いよ?
    そのトド松が作ってくれた特製の御札が効かないってアイツやばくない?!

    その時、僕はおぞましい姿をした血濡れ男に気を取られていて気付かなかったのだ。
    ここら一帯を彷徨っていた、あいつ意外の存在に。

    ++++++++++++++++++++++

    3.

    一松と手を繋いで屋敷の中を探索中、また血濡れ男と遭遇してしまった。
    名前なんか知らないから、もう便宜上この呼び名でいかせてもらおう。
    一松が投げつけたトド松特製の御札が効かなかったことに衝撃を受けた。
    嘘だろ…これ、詰んだ?
    一松がやむを得ず結界を張ってくれたおかげで事なきを得たけども。
    …それにしても、さすが一松の結界だ。僕の弱い結界とは息苦しさが全然ちがう。
    けど、いつまでもかけておくわけにはいかない。
    体力は温存しとかないと。
    一松はただでさえスタミナがないのだ。
    僕も人の事言えないけど。いや、一松よりはマシだけど。
    ヤツの気配が消えたので、一松には結界を解いてもらい、再び僕の結界のみになった。
    身を寄せ合うようにして隠れていた物陰から出て、同時に小さく溜息を吐いた。
    一松の顔は青いを通り越して白く見える。
    僕もきっと似たような顔してるんだろう。

    「あれ、そういえば一松。」
    「…何。」
    「今日は猫連れてないの?」
    「連れてない。…ていうか、チョロ松兄さんに会った時に帰した。」
    「そっか…。なんかごめん。」
    「いや…猫達がこんな所に巻き込まれずに済んだし、いいよ。」

    一松はよく猫に囲まれている。
    生きてる猫はもちろん、猫の霊も寄ってくる。
    猫の霊達は単純に寂しかったり、遊んでほしかったり、生前も一松に可愛がってもらったりという理由で集まってくるらしい。
    動物霊、特に猫霊に好かれるのもこの四男の特徴だ。
    いつもは猫の霊を何匹か連れていたりして、その子達が一松を守ってくれたりもするのだけど、
    一松は霊であろうとそのせいで猫達が傷付くのを酷く嫌がる。
    だから今日の帰り道、僕が声を掛けて、引き込まれる直前に猫霊達を自分から引き離したというわけか。
    一松からすれば特に守護霊というわけでもなく、普通の野良猫と同じような感覚で世話をする対象なのだろう。
    昔に比べると随分と卑屈になったけど、こういうところは優しいままなんだな、なんて。

    ーーー

    しばらく屋敷をうろついていたが、2階のとある部屋で足を止めた。
    どうやら書斎のようだ。
    中に入ると、触れただけでボロボロになりそうな書物が積み上がっていた。
    一松と繋いでいた手を離して、その中の一つを手に取って開いてみる。
    達筆なのかそうじゃないのかよくわからない字で、ほとんど読み取る事は出来なかったけど
    1箇所だけ読み取れた部分があった。
    「瓶宮湖ノ儀」
    多分、へいきゅうこのぎ、と読むのだと思う。
    少し読み進めてみれば、瓶宮湖はこの集落の最奥部にある湖のようだ。
    かつてはこの集落の人々の生活を支える資源だったのだろう。
    この屋敷に入る前に見えた用水路と細い小道の先にあるらしい。
    その湖はこの集落の人々にとって、命の源であり、聖なるものだったようだ。
    海や湖などの水そのものを御神体として崇拝の対象とするような信仰はたまに聞くことがある。
    この集落にも、地域独自の信仰として湖崇拝の文化が根付いていたらしかった。
    そして、その聖なる湖で神事も行われていたようだ。
    それが瓶宮湖ノ儀か。
    儀式の内容までは読む気が起こらなかった。

    読み物はこのへんまでにしておこう。
    というか、これ以上は僕では無理だ。
    呪具作りが得意なトド松なら、読めるのだろうけど。
    元々資料整理はそこまで苦手なわけではないのだけど、それはあくまでも落ち着いた状況の場合であって、
    こんなSAN値がすり減りそうなところで、やりたくはない。
    まあ、この集落の最奥にある湖が聖なるものだということは分かった。
    …けど、湖に繋がっているであろう水路から感じたのは決して清浄なものではなかった。
    むしろ、その逆だ。
    とすると、湖が穢れてしまったせいでこの辺りに重苦しい瘴気が溢れたのか。
    もしくは、瘴気のせいで湖が穢れてしまったのか…。
    うーん、やっぱり湖に行ってみた方がいいかな。
    大分危険な気がするけど。
    少なくとも何かヒントはありそうだ。

    「一松、ひとまずこの屋敷から出…一松?」

    振り返り、一つ下の弟を呼んだが後ろにいると思っていた一松の姿がなかった。
    青白いであろう自分の顔が更に青ざめていく気がした。
    いついなくなったんだ?

    「おい、一松?!一松っ!どこだ?!」

    慌てて部屋を出て辺りを見回すも、姿は見えない。
    何処へ、何処へ行った?
    どうして僕は気づけなかった?!
    早く見つけなければ。こんな所に1人など危険過ぎる。
    一松にとっても、僕にとっても。

    探さないと、探さないと。
    あんなのでも弟だ。
    僕の大切な弟の1人だ。

    だから、連れていかないで。
    弟を返して。
    返して
    返せ、かえせ

    かえせ、
    かえせかえせ、
    かえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせ!!



    …あれ?僕は何をしようとしてたんだっけ?
    ああそうだ、一松を探さないと。
    弟を、かえしてもらわないと…。

    おとうと、おれの、おとうとを

    どこに、どこにやった?
    どこにかくした?

    待って、僕じゃない…これは…。


    ゆるさない

    ゆるさない


    ゆるさない

    おとうとを、かえせ



    むかえに…いくから


    ++++++++++++++++++++++

    4.

    「トド松ー!!」
    「ぐふぅっ!じ、十四松兄さん…。」
    「消えた!気配が!!」

    夕日が沈んで町の街灯が点き始める頃、僕は最近知り合った女の子とLINEをしていた。
    けど、スマホをタップしていた時、不意に何かが抜け落ちるような感覚を覚えたのだ。
    その不思議な感覚には心当たりがあったから、適当に理由を付けてLINEを切り上げ、
    目を閉じて意識を集中…させようとしたところで十四松兄さんのタックルをモロに喰らったのであった。
    兄さんからすれば軽くじゃれついた程度なのだろうけど。
    もう少し下に入ってたら腹に直撃して3時のおやつをリバースしてたかもしれない。

    …僕達兄弟はどういうわけか「そういうもの」が見えるし感じることが出来る。
    僕にとっては、怖いのとか無理だし、全くもって勘弁してほしい話だ。
    ホント、何が悲しくてあんなの見えなきゃならないの。
    上の兄2人のように祓える力があればまだ怖くなかったかもしれないけど
    …いや、やっぱり無理だ怖いものは怖い。
    で、その中でも僕と十四松兄さんは感じる力が特に強い。
    探索系とでもいうのかな。
    意識を集中させれば、どの辺りにどんな霊がいるのか大体分かる。
    六つ子故なのかどうかは知らないけど、僕ら兄弟の気配もなんとなく分かるくらいだ。
    そして、その十四松兄さんが「気配が消えた」と言っている。
    僕も、さっき何かが抜け落ちたような感じがした。
    これは、ほぼ間違いなく…

    「チョロ松兄さんと、一松兄さん?」
    「うん!!どこかに引き込まれちゃったかも!」
    「十四松兄さん、兄さん達の形跡、追える?」
    「んーと、やってみる!」
    「お願いね。僕はおそ松兄さんとカラ松兄さん呼んでくるから。」
    「おう!頼んだトッティー!!」

    十四松兄さんは「行ってきまーッスルマッスル!」と叫びながら、勢いよく飛び出して行った。
    それを見送って、僕は長兄2人に連絡を入れる。
    LINEやメールでもよかったけど、緊急性を考慮して電話をかけた。
    おそ松兄さんに掛けると、3コール目で聞き慣れた声がした。
    電話の向こうで騒がしい音が聞こえる。
    大方パチンコだろう。

    「トド松か、どしたー?俺今忙しいんだけどー?」
    「あ、おそ松兄さん!チョロ松兄さんと一松兄さんが神隠しに遭ったっぽい!」
    「…場所は。」
    「今、十四松兄さんが形跡を追いかけてくれてる。」
    「わかった。カラ松は?」
    「今から連絡するところ。」
    「りょーかい。とりあえず家帰るわ。」
    「うん、お願い。」

    通話を終えて、同様にカラ松兄さんにもコールする。
    要件を伝えると、カラ松兄さんも声色を変えてすぐに戻る、と言ってくれて、通話を切った。
    おそ松兄さんもカラ松兄さんもちょっと怖かったよ。
    兄弟が危険な目に遭ってるかもしれないのだから気持ちは分かるけど。
    …けど、あの2人はそれだけじゃないんだろうな。

    チョロ松兄さんと一松兄さんは霊媒体質だ。
    しかもチョロ松兄さんはいろんなのを引き寄せてきちゃうし、
    一松兄さんはその引き寄せられた奴にあっさり取り込まれちゃうしで、
    僕らの中でも特にあぶなっかしくて注意が必要なのが真ん中の兄さん達。
    そんな兄さん達に、僕は定期的に御守りや護符を渡している。
    僕には祓う力なんてないし、結界を張ることだってできない。
    このくらいしか出来ることがないから。
    気休めかもしれないけど、兄さん達が僕が作った呪具をちゃんと持ってくれているのはちょっぴり嬉しかった。

    しばらくしておそ松兄さんとカラ松兄さんが帰ってきた。
    急いで帰って来てくれたのだろう、呼吸が少し乱れている。
    兄さん達に何か声を掛ける前に、タイミングを計ったかのように、僕のスマホが振動した。
    十四松兄さんからだった。
    短いメッセージで
    「駅からの帰り道、大通りから曲がった所!」
    と記されている。
    それを長兄2人にも見せて、3人で駆け出した。
    長兄2人の走るスピードに必死で食らいつくように、僕も走った。
    というか、兄さん達さっき散々走っただろうにまだ走れるとか化け物なの?!
    …あ、化け物だったわ。こいつらチートだったわ。
    はあ、こんなに走ったのいつ以来だろう。

    駅に向かう途中の道で、僕らは十四松兄さんと合流した。

    「この辺りなんだな?」
    「うっす!この辺で気配が途切れたから、多分!」
    「よし、トド松。空間裂けそうな所探してくれ。」
    「分かった。…あ!!」
    「どうした?」
    「御札が使われたみたい!」

    そう、僕が兄さんに手渡した御札が使用された気配を感じたのだ。
    僕が作って、僕の霊力を込めた御札だもん、使われれば分かる。
    しかも、相手に効かなかったようだ。
    つまりチョロ松兄さんと一松兄さんは、僕の持つ霊力よりも強い悪霊(かどうかはまだ分からないけど)に引きずり込まれてるってことになる。
    なかなかの強さってことだよね。
    …真ん中の兄さん達大丈夫かな。
    ともかく、チョロ松兄さんか一松兄さんのどちらか知らないけど、御札を使ってくれたおかげで、空間の裂け目が分かりやすくなった。

    「カラ松兄さん、この辺殴ってみて。」
    「ああ、分かった。」
    「御札使われたんなら倒せたんじゃね?」
    「ううん、倒せてない。無効化されたっぽい。」
    「おいそれヤバくないか。」
    「うへぇー!トッティの御札が無効化されちゃうとかヤッべーー!!」
    「急いだ方が良さそうだな。行くぞ。」

    いつものイタさがログアウトして、いつもより声が幾分低い(そして怖い)カラ松兄さんの渾身のパンチが、何も無いはずの空間に向かって振り下ろされる。
    普通なら単に空振りするだけのはずのそれは、何かにめり込んでバリンッと音が鳴った。
    音の出どころへ顔を向ければ、無理やり破かれた空間の裂け目が眼前に広がっていた。
    途端に、裂け目から溢れる瘴気。
    …うわ、気持ち悪い。
    真ん中の兄さん達、いつからここに閉じ込められているんだろう。
    早く見つけないとヤバイかも。
    同じ事を兄さん達も感じ取ったのだろう。
    顔を上げると、十四松兄さんは珍しく口を閉じてじっと1点を見つめているし、
    カラ松兄さんは眉間に皺を寄せて人殺せそうなくらい険しい顔をしているし、
    おそ松兄さんは怖いくらいの無表情だし。

    …そんな中、おそ松兄さんが口を開く。

    「っし。そんじゃ手の掛かる真ん中共を迎えに行くとしますか。
     …一応聞くけど、みんな来るつもりだよな?」
    「当たり前だろう。」
    「うっす!兄さん達探す!」
    「僕も行くよ!ちょっと怖いけど、探し物は僕の得意分野なんだからね。」

    僕らの言葉に、おそ松兄さんは満足そうに頷いた。

    「そんじゃ、突撃ー!」

    目は全然笑ってないクセにやけに明るいおそ松兄さんの掛け声を合図に、
    僕らは一斉に空間の裂け目に飛び込んだ。

    ++++++++++++++++++++++

    5.

    トド松から報せを受けて、急いで家に帰り、
    十四松とトド松が見つけてくれた異空間への入口をカラ松がぶん殴って無理やりこじ開けて、中に突撃した。
    ハイこれ今までの経緯ね。
    ほんとはあの時、あのスロットフィーバーしかけてたんだけど、まぁ仕方ない。

    異空間は集落跡のような場所だった。
    目の前には大きな武家屋敷。
    田んぼや畑の周りには民家らしき日本家屋も見受けられる。
    そして、辺り一帯に漂うヒンヤリとした嫌な空気と瘴気。
    こりゃまた厄介なモンに巻き込まれやがったな、あいつら。

    「十四松、トド松。あいつらの気配追えそうか?」
    「うぅ~…いろんなモノにジャマされて、追えない…!ヘンなにおいする!」
    「ごめん、僕も無理…なんか、気持ち悪…。」
    「まずいな、俺達もあまり長居は出来そうにないぞ。」
    「分かってる。…しかたねぇ2手に別れるか。
     トド松は俺とな。カラ松は十四松と頼むぜ。」
    「フッ…了解、確かに頼まれたぜ兄貴。」
    「ウィッス!兄さん達絶対見つけるッス!マッスルマッスル!!」

    カラ松、こんな暗闇でサングラスはやめた方がいいと思うぞ。
    あと十四松、バット振り回すの止めような。それどこから持ってきた?
    そんな中、トド松があまりの瘴気に口元を手で覆っている。
    本気で気持ち悪いんだろーけど、こんな時まであざといポージングなのはさすが末っ子歪みねぇな。
    …正直、この瘴気は俺も結構キツイ。
    カラ松と十四松は悪霊とかそういう害のあるものは寄せ付けない質だから
    幾分か大丈夫そうだけど、それでも霊感持ってる限りは影響が全くないとは言い切れない。
    早急に真ん中2人を見つけて、この空間をなんとかして帰る必要がある。

    「いいか、身の危険を感じたら絶対に逃げろよ?
     ミイラ取りがミイラになっちまったら元も子もねぇからな。」
    「分かってる。兄貴も気をつけろよ。」

    カラ松と十四松と別れて、俺とトド松は目の前の大きな屋敷を調べることにした。
    本来、十四松とトド松は霊や兄弟の気配を追うのが得意だ。
    感知に関しては兄弟の中で最も優れているし、トド松は特にコントロールも上手い。
    そのコントロール力があるから呪具を作ったりできるのだ。
    …しかし今は、瘴気や周りに漂う地縛霊だったり浮遊霊だったりが邪魔なせいで、気配を上手く追えない。
    だから虱潰しに探すしかない。
    俺は除霊したりとか、攻撃する事に関しては結構な強さだと思うんだけど、
    こういう、他のことに関してはてんでダメなんだよね。

    ーーー

    屋敷はそれなりの広さがあった。
    怖がりなトド松が震え上がっているのがわかる。
    うん、確かに不気味だよな。
    古びた刀やら人形やらがそのまま放置されてるし、正に王道ジャパニーズホラー。
    屋敷内をウロつく悪霊の群れを祓いながら、マジでお化け屋敷だわーなんてわざとらしくゴチて歩みを進めていると、
    広い部屋から廊下に出たところで、トド松が小さく声をあげた。

    「…あ。」
    「どした?」
    「チョロ松兄さんと一松兄さん、此処に居たのかも。」
    「お、マジで?」
    「結界の気配がしたから。しかも結構強いよ。一松兄さんが結界張ったのかな。」
    「ふーん…お。トド松、それ間違いなさそう。」
    「え?」
    「これ、見てみ?」
    「あ!」

    長い廊下に面した中庭に落ちていたのは、トド松お手製の御札。
    もう効力は無くなっているようだけど、末弟が三男と四男に持たせたモノに間違いなさそうだ。
    ここで居なくなった2人のうちどちらかが御札を使って、
    しかし相手に効かなくてどこかに逃げた、ってところだろう。
    トド松に効力の切れた御札を手渡した。
    それを受け取り、トド松は御札を握り締めて悔しそうに唇を噛み締めている。
    …そりゃ、悔しいだろうな。
    手渡した御札が効力を発揮出来ずに、真ん中2人を守りきれなかったのだ。
    でも馬鹿だな、トド松の作る御守りが普段どんだけ年中組を助けてると思ってんだよ。
    言っておくがこんなのは例外中の例外だ。
    だからさ、

    「トド松、お前のせいじゃねぇよ。ちょーっと相手が悪かっただけだ。」
    「……うん。」
    「ほらほら、落ち込むのは後な?今やらなきゃいけねぇこと、わかるよな?」
    「わかってる!」

    少し拗ねたように声を荒らげて、トド松はキツく目を閉じた。
    何かに集中するように。
    実際、集中しているのがわかったから声は掛けずに静かに見守った。
    うん、切り替えが上手いのは流石だよな。

    「上の階。」
    「りょーかい、行くか。」

    此処で感じ取った結界と落ちていた御札から気配を辿ったのだろう。
    キッパリと言い切った末弟の言葉に従い、階段へと足を向けた。
    迷いなく進んでいくトド松を追うと、たどり着いたのは書斎のような部屋。
    末弟曰く、此処でチョロ松と一松の気配が途絶えているらしい。
    こんな屋敷のド真ん中で気配が途切れてるってどういうこった。
    …と、気付くとトド松が部屋の中の書物?っていうの?を物色し始めていた。

    「何してんのトド松。」
    「この屋敷、集落の権力者の家っぽいじゃない?
     なんか、この集落についての記録がないかなって思って。
     何か手掛かりあるかもだし。」
    「そりゃそうだろうけど…俺、そういうの手伝うの無理よ?」
    「わかってるよ、その辺に関してはおそ松兄さんには期待してないから。」
    「さり気なくお兄ちゃんのこと馬鹿にするの止めてくんない?」
    「あっ、これ見て!」
    「無視かよオイ。」

    トド松後で覚えてろよ。
    と内心で思いながらトド松が開いて見せた書物をのぞき込む。
    うん、なるほどわからん。
    読めるかよこんなモン!
    トド松は御守りやら御札やらを作ってるせいか、古い文献を読み解くのがやたらと上手い。
    俺にはミミズが這った跡にしか見えないけど。

    「…何て書いてあんの?」
    「この集落の信仰と儀式の記録。」
    「信仰?」
    「うん。この集落、実在した場所みたいだよ。
     集落の奥にある湖を御神体として崇拝してたみたい。」
    「へえ…地域独自の信仰ってやつか。」
    「で、湖…瓶宮湖っていうらしいけど、そこで神事もやってたみたいだね。」
    「神事って?」
    「この集落…生贄の習慣があったみたい。」
    「…マジか。」
    「何年前かは分からないけど、農作物が不作だった年があって、
     村を救うために生贄を差し出して儀式を行うとかなんとか書いてる。
     儀式の決定の記録から先は何も書かれてない。」

    村を救うために儀式が執り行われたものの、それで突然村が安泰になるわけがない。
    集落は農作物の不作によって飢饉に陥り壊滅した。
    この辺りは、飢饉により命を落とした者達が無念の思いと共に彷徨っているのではないか、というのがトド松の推測だ。
    なるほどな。
    トド松の推測は概ね間違ってないと思う。
    …けど、なんとなくそれだけじゃないような気がする。
    農作物の不作やら儀式やらは関係してそうだけど。
    いや、これはただの勘。

    「トド松、その儀式ってどんなものか書いてる?」
    「書いてる。
     …生贄の神子を石棺に生きたまま閉じ込めて、湖に沈めるんだって。」
    「うわ、えげつねぇな。」
    「ほんとにね…。
     湖が聖なる物だから、そこに贄を捧げて祈祷するってことじゃないかな。」

    さて、この集落の事情は少しわかった。
    ちょっとタイムロスになったが、興味深い情報だ。
    しかしこれ以上ここには何も無さそうだし、俺達は屋敷から出ることにした。

    ーーー

    書斎から出て、玄関に向かった時だ。
    ゾワリ、と凍るような悪寒が背骨を突き抜けた。
    トド松が「ヒッ」と小さな悲鳴をあげて俺のパーカーの裾を握ったのがわかった。
    何かが近づいている。
    どす黒い影を引き摺った、おどろおどろしい何か。
    しがみつくトド松が震えている。
    安心させるように肩をトンと叩き、玄関前の生垣の陰に隠れるように促した。
    何者か知らねぇけど、いっちょお兄ちゃんが祓ってやりますか。
    ゆっくりと近づいてくる黒い影に飲み込まれないように、意識を集中させる。
    グッと右の拳を握りしめて、そいつと対峙した俺は、動きを止めて目を見開いた。
    黒い影を引き摺ったそいつは、見慣れた緑色のパーカーを身にまとっていた。
    思わず固まった俺に向かって、そいつが腕を振り上げる。
    その手には錆び付いた日本刀。
    ってオイ?!
    なんちゅー物騒なモン振り回してんだよ!
    なんとか避けて距離を取ったけどマジヒビったっての。

    「おいおいチョロちゃん…
     折角お兄ちゃんがお迎えに来てやったってのにさぁ、それはないんじゃない?」

    「かえせ、かえせかえせかえせかえせ…!」
    「あー、ダメだなこりゃ…。」

    姿を確認した時点で察しは付いていたけど、完全に憑かれてる。
    乗り移られたチョロ松の目は虚ろで焦点が定まっていない。
    片目が黒い影に覆われいた。
    うわ言のように「かえせ」と繰り返し、刀を振り回しながら…涙を流していた。
    ふらつく足取りでこちらに向かってくるチョロ松の周りを黒い影が覆い、
    そこから無数に伸びた手やらギョロギョロした目やら顔やらが伸びている。
    さっさと祓ってやりたかったが、1つ問題がある。
    俺は確かに祓う力は強いのだけど、人に憑いてる奴は祓えないのだ。
    だから一旦、取り憑いたヤツから引き剥がす必要がある。
    そのためにも、まずはチョロ松が手にする日本刀をなんとかしないといけない。

    「チョロ松、何を返してほしいんだよ?」
    「かえせ、かえせ…ゆるさない、ゆるさないゆるさない」
    「っと!」

    チョロ松が日本刀を振り下ろし、ブンッと空気を割くような音が鳴った。
    俺の前髪が数本切られて、ハラリと落ちる。
    うわ流石に肝が冷えたぞコレは。
    思った以上に動きが俊敏だ。
    しかも本気で叩っ切ろうとしてきやがった。
    元よりチョロ松はスピードに関しては兄弟随一だし、スタートダッシュからフルパワーになるまでの時間が極端に短い。
    スタミナがそこまでないから持久走ならこちらにも勝機があるのだが、いまこの状況で持久戦は危険過ぎる。
    …隙をつくしかないな。

    チョロ松と一定の距離を保ち、次に刀を振り上げるタイミングを待つ。
    再び右手が振り上げられたのを見逃さず、懐に飛び込むと、
    すかさず右手に握られた日本刀をたたき落とし、胸ぐらを掴んで引き寄せ、鳩尾に拳を叩き込んだ。
    少々手荒だが許してほしい。
    不意打ちは上手くいったようで、チョロ松の身体から力が抜けるのがわかった。
    気を失って崩れ落ちたチョロ松を受け止める。
    鳩尾にパンチした衝撃で、取り憑いていたヤツは離れたようだ。
    ゆっくりとチョロ松を横たえて頭を膝に置き、頬に伝う涙をそっと拭った。
    一体どこのどいつが、こいつにこんな顔させやがった。
    …と、生垣に隠れながら様子を見守っていたトド松が、慌てて駆け寄ってきた。

    「おそ松兄さん!」
    「あー、久々に肝が冷えたマジで。」
    「チョロ松兄さんは?」
    「多分、気を失ってるだけだろ。」
    「そう…よかった。」

    異空間に飛び込んだ以上、この空間を作り出している元凶をなんとかしなくては脱出は難しい。
    さっきまでチョロ松に取り憑いていたやつがそれっぽいけどなー。
    取り逃がしちまったけど、チョロ松を取り戻せたのは幸いだ。
    大きくため息を吐いて抱え込むようにして二つ下の弟の頭を抱きしめた。
    固く目を閉じたまま青い顔をしたチョロ松はしばらく目覚めそうにない。

    ーーー

    結局、チョロ松を連れて俺とトド松はさっきまでいた屋敷にUターンした。
    衰弱したチョロ松を休ませるには屋内の方がいいだろうし、
    この際トド松にも調べ物の続きをしてもらおうって事で、俺達は書斎へと戻った。
    比較的綺麗な畳の上にチョロ松を寝かせて、俺は近くにあった机に肘をついてその寝顔を眺めていた。
    トド松がガサゴソと文献を漁る音以外は何も聞こえてこない。
    チョロ松へと手を伸ばす。
    癖のない前髪をそっと撫でる。
    温度を失った頬にそっと触れる。
    …起きない。
    頬に触れた手はそのままに、ゆっくりと顔を近づける。
    微かに呼吸する音が聞こえてきた。
    その事にひどく安心した。
    互いの鼻が触れてしまいそうなくらい、更に顔を近づける。
    もう少しで、唇に触れてしまいそうなくらいに。

    「…いや、何やってんだ俺…。」
    「おそ松兄さん?どうかしたの?」
    「なんでもー。」

    やめとこう。
    こんな所で、しかも寝込みを襲うような真似。
    チョロ松が起きて、ちゃんと全員無事にここを出られたらだ、うん。

    ちなみに、俺のキス未遂は末弟にしっかりと見られていた。
    …と、後日知った。

    ++++++++++++++++++++++

    6.

    「さて、何処から迷子の子猫ちゃんを探すとしようk「えっ?!」えっ。」
    「いや…どこか怪しい所はあるか?十四松。」
    「んーと、多分こっち!」
    「ん?水路の方か?」
    「そう!なんかいろんなにおいがしてやべー!!」

    行方知らずになったブラザーを探して異空間に飛び込んだはいいが、
    どうやら此処は悪しき魂に支配され、不浄な気で満ちているようだ。
    気配を察知するのが得意な十四松が、チョロ松や一松の気配を上手く辿れないくらいには、様々なモノが蔓延っているらしい。
    ちなみに十四松はこういった気配を「におい」と称している。
    この異質な空間の中、いつもの明るい調子を崩さない十四松のなんと心強いことか。
    そもそも、俺も十四松も、悪霊だとか怨霊だとかこちらに害を為すモノは寄せ付けない体質らしいのだ。
    だからこの異質な空間の中でも割と自由に動ける。
    十四松が野生の勘で指し示した方向からは如何にもな雰囲気が漂っていた。
    だからこそ、此処に来てから気分が優れない様子だった兄貴や、明らかに青ざめた顔をしていたトド松よりも、
    影響の少ない俺達が調べるべきだろう。

    「それじゃ、行くとするか。先導は任せたぜ、ブラザー!」
    「あいあい!」

    水路に沿った細い道を進む。
    道中襲い掛かってくる悪霊を祓いながらひたすら歩いた。
    前を歩く十四松はいつも通りだが、周りはしっかりと警戒してくれている。
    …俺と兄貴は兄弟の中でも除霊ができるという強みがあるが、実は他の事は何もできない。
    年中2人のように結界を張ることも、末2人のように気配を察知して追うこともできない。
    ただ己の拳を奮って攻撃するのみなのだ。
    そう、いうなれば俺は剣…自らの身を武器に己が拳に宿る聖なる力をもって道を切り拓くのだ。
    俺とおそ松、上2人が除霊が出来るのは、きっとそうして弟達を守るためだ。
    「そういうモノ」が視えて、聞こえて、引き寄せやすかったり、誘われやすかったり、
    感じ過ぎて怖がる弟達を守るため、聖なる浄化の力があるのだと思っている。
    だから待っていろ。
    必ず俺が助けに行くからな。

    「カラ松兄さん!トンネルだ!水路まだ続いてるよー!」
    「そうだな…トンネルというより、天然洞窟か?」
    「この奥!」
    「うん?」
    「この奥にいるよ、一松兄さんがいる!たぶん!!」
    「そうか!なら急ごう。走るか!」
    「うっす!僕走るのすっげー速いよ!」

    細い道を進むと、洞窟の入り口までたどり着いた。
    洞窟の中へと水路は続いているようだ。
    こんな不気味な集落跡の奥に佇む洞窟…さながら冥界へと伸びるバージンロードのようだ。
    おっと、いくらバージンロードとはいえ、半透明で足のないレディーと腕を組んで進むのは、さすがの俺でもノーサンキューだな。
    …その洞窟はさほど長いわけではないようで、漆黒の闇の中、遠くに微かな光が漏れているのを確認出来た。
    十四松が「この先に一松がいる」と言っているのだ。
    きっとそうなのだろう。
    はやる気持ちを抑えて、十四松を追って走った。
    洞窟の内部は道は無く、水路のみだ。靴もジーンズの裾も濡れたが気にしない。
    派手な水しぶきを上げて前を走る十四松のスリッパと靴下もずぶ濡れだ。

    …洞窟を抜けた先は湖だった。
    湖面に月明かりが反射して煌めいている。
    辿ってきた水路はこの湖から引かれていたようだ。
    洞窟から湖へ向かっていくつか鳥居が立っていて、湖と陸の境にそびえ立つ鳥居は特に巨大だった。
    その巨大な鳥居の下には石で作られた精巧な箱が置かれている。
    縦も横も高さも1m前後くらいだろうか。
    箱の半分程は湖に浸かり、今もゆっくり、ゆっくりと沈んでいっていた。

    「…!!
     カラ松兄さん!こっち!!」

    珍しく焦った表情の十四松が湖に向かって走り出したかと思うと、水底へ沈みつつある石の箱に手をかけた。
    服が濡れるのを厭わずに陸の方へとズリズリ引っ張り上げようとしているようだ。

    「十四松?」
    「うおおぉりゃあぁぁ!!」
    「よ、よくわからんがコレを引き上げればいいんだな?!」

    2人掛かりでずっしりと重たい石の箱を陸地へと引き上げた。
    俺も十四松も靴とかズボンとか、もうすっかり水を吸って色が変わっている。

    「ふう…一体どうしたんだ、十四ま…」
    「カラ松兄さん!これ!開けて!!早く!!」
    「え…わ、わかった。」

    言われるがまま、箱の上部、蓋のようになっている箇所を持ち上げた。
    石と石が擦れる重たい音が響く。

    「…っ?!」

    「兄さん!!」
    「一松?!…一松!おい、しっかりしろ!」

    蓋を開けてみれば、石の箱の中には探していた弟の姿があったのだ。

    一気に自分の体温が下がったような気がした。
    実際下がったんじゃないか、一度くらいは。
    それ程に背筋が凍った。
    箱の中、膝を折り曲げ身体を丸めて詰め込まれた状態の一松は、胸元まで水に浸かり、ぐったりとしていた。
    …もし、このまま気付けずにこの石の箱が湖の底に沈んでいたら…考えるとゾッとする。
    十四松がいてくれてよかった。
    慌てて箱の中から一松を引き出せば、一松の身体は冷えきっていて、その顔は青いを通り越して最早白い。
    そのまま抱き上げ、少し悩んだが最初にここに降り立った屋敷の前まで移動する事にした。
    このままでは一松の体温は奪われていく一方だ。
    気休めかもしれないが、屋内ならいくらかマシだろう。
    俺の肩に力なく埋まった一松の額が冷たい。
    首元に微かに呼吸で息が掛かるのを感じて、どうしようもなくホッとした。
    よかった、生きている。

    「十四松、最初の屋敷まで戻ろう。」
    「あいあい!」

    とにかく、今は一松を休ませる必要がある。
    俺と十四松は辿ってきた道を逆方向に走り出した。

    ーーー

    屋敷まで戻ると、ひとまず玄関のすぐ奥にあった八畳間に一松を寝かせて水を吸った服を脱がせた。
    いつものつっかけのサンダルはどこかに紛失してしまったようだ。
    …外傷はない。
    濡れてしまったパーカーの代わりに俺のジャケットを着せておいた。
    冷えきった身体を温めたくて、一松を強く抱きしめ、自分を落ち着かせるようにその湿った髪を梳いた。
    上手く言えないが、こうしてしっかりと抱きとめていないと消えそうで怖かった。
    十四松は一松の手を両手で握り、じっと座り込んでいる。

    どのくらいそうしていただろうか。
    腕の中の一松が身じろぎして、長めの睫毛が僅かに震えた。

    「一松?」
    「一松兄さん!」

    「う……」

    ゆっくりと一松の目が開いた。
    が、その瞳は俺達を捉えてはいなかった。
    虚ろな目でどこか遠くを眺めながら、突如涙を流し始めた。

    「にいさ、ん…どこ、にいさん…おいてかないで…
    ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…」

    「一松!おい、しっかりしろ!一松!!」
    「一松兄さん!…じゃないね、誰?一松兄さんの身体返して!」

    十四松の言葉に一松は何かに取り憑かれているのだと理解した。
    俺の腕の中から抜け出そうと暴れる一松を慌てて抑え込む。
    腰を引き寄せて自分の身体と密着させると、ジタバタする一松を無理やり抱え込んで自分の両手指を祈りを捧げるように組んだ。
    これは、攻撃しか出来ない俺の唯一の護りの術だ。
    「身固め」と呼ばれるそれは、憑かれたその人が連れていかれないように、ここに留めさせるために引き留める技らしい。
    その昔、この術を俺に教えてくれたのは一松だった。
    それを一松本人にする事になるとはな。

    「ねえ、君誰なの?その身体は一松兄さんのだよ?返して?!」
    「一松!一松、聞こえるか?!帰ってこい!!」

    「にいさん、にいさん、どこ…どこにいったの…ごめんなさい、ごめんなさい…」

    駄目だ、俺の声も十四松の声も届いていない。
    一松は取り憑かれた何者かに同調してしまっている。
    俺は取り憑いた霊を祓うことはできない。
    一度引き剥がさなければならないのだが、生憎それもできない。
    おそ松なら容赦なく殴って無理やり引き剥せるのだが、俺はその辺が上手くコントロールできないのだ。
    一松が霊と同調してしまっている状態で俺が無理に力を振るえば、一松の精神ごと吹き飛ばしかねない。
    だから、こうしてせめて一松が連れていかれないようキツく抱きしめるしかない。

    「一松兄さん!一松兄さ…っあ、えっ?!」
    「十四松?!」
    「カラ松兄さん!なんか上からヤッベーの来る!!」
    「おいおい…笑えないなこの状況で…。」


    「かえせ、かえせかえせかえせ、ゆるさない、ゆるさない…いかないと、むかえにいかないと…むかえにいくから…」

    「え…!」
    「チョロ、松…?!」

    背後から凄まじい冷気と共に姿を表したのは、虚ろな目で何か呟き続けるチョロ松だった。
    いや、正確にはチョロ松の身体を借りた何か、と言うべきだろう。
    黒い影を纏い、まるでこの世の絶望全てを背負ったような空気だ。
    薄らと血塗れの着物の男性の姿が重なって見えた。
    右手に持つ古びた日本刀の切っ先からポタリと血が滴っている。
    …おい、それ一体誰の血だ。
    とにかく、このまま放っておけば、チョロ松は完全に飲み込まれてしまう。
    怖いもの知らずな十四松さえもチョロ松に取りく黒い影に息を飲んで後ずさりしている。

    「にい、さん…?」

    さっきまで腕の中で暴れていた一松が大人しくなり、チョロ松をじっと見つめている。
    その視線に気付いたチョロ松がこちらに向かってきた。
    2人共何かに取り憑かれているのは明らかだ。
    チョロ松から距離を取ろうとして、違和感に気付く。

    「…っ?!身体が…!」
    「カラ松兄さん…!なんか、身体が動かない!」

    身体が動かない。
    金縛りってやつか。指先一つ動かせない。
    目の前が真っ黒な靄に覆われる。
    腕の中から一松がスルリと抜け出したのが分かった。

    「駄目だ一松!!行くな!!」
    「一松兄さん!チョロ松兄さん!だめだよ!いっちゃだめ!
    やだ、遠くに行っちゃう…!」

    駄目だ!頼む、行かないでくれ!
    必死に声を張り上げたが、一面真っ暗に染まった視界で何も見えない。
    何も見えないが、チョロ松と一松が遠ざかっていくのはわかった。
    2人が遠ざかるのに比例して、だんだんと身体の自由もきいてくる。

    「カラ松兄さん!」
    「!…十四松か?」
    「はい!十四松でっす!!」
    「お前は無事か?どこも怪我していないな?」
    「へーき!カラ松兄さん、こっち!!」

    暗闇の中、気配を追ってくれたのか十四松が駆けつけてくれた。
    俺の腕を掴み、ぐいぐい引っ張り出した。

    「十四松?」
    「おそ松兄さんとトド松が近くにいる!」
    「わかった、頼んだぞ。」

    どうやら十四松は兄貴とトド松の元へ向かっているようだ。
    迷いなく進む十四松の後に続いた。

    ++++++++++++++++++++++

    7.

    両親は弟が五つの頃に相次いで死んだ。
    他の村と関わりをあまり持たない閉鎖的な村の中で、おれは幼い弟と共に生きてきた。
    弟は身体が弱く、いつも寝たきりだった。
    朝早く出掛けて、夜遅くに帰ってくるおれを弟はいつも笑顔で見送り、そして出迎えてくれた。
    その屈託のない笑顔が好きだった。
    何よりも大切だった。
    この笑顔だけは守らなければならない。
    おれの、唯一の家族なのだ。


    その年は数度に渡る嵐のせいで、農作物が不作だった。
    冬を越せるだけの蓄えを用意出来なかった。
    だから、いつもの農作業に加えて山で山菜や木の実を採ったり、魚を釣ってきたりして来たる冬に備えているところだった。
    帰り道、村の年寄衆に呼ばれたおれは長老の家に通された。
    一体何の話かと思えば
    「今年農作物が不作に終わったのは瓶宮湖の神様がお怒りなせいだ。
     怒りを鎮めるために、供物を捧げなければならない。」
    などと言う。
    嫌な予感がした。
    長老は無表情のまま続けた。
    「お前の弟を供物として捧げることに決まった。」
    それを聞いて、おれは全力で抵抗した。
    ふざけるな、ふざけるな。
    弟を、あの子をあの石の箱に入れて冷たい湖の底に沈めるというのか。
    そんな事絶対させない。
    そう喚き散らして暴れ回った。
    暴れるおれを村の大人達は数人掛りで押さえつけ、頭を殴られた。

    目を覚ました時、既に儀式は執り行われた後だった。
    後ろ手で手首を縛られていた。
    片目がじくじくと痛む。
    幸い足は自由だったから急いで外に出た。
    家に帰るも、弟の姿はない。
    少し争ったような形跡があったから、弟は無理やり連れていかれたのだろう。
    何故だ。
    何故あの子が死ななければならなかったのだ。
    あの子を犠牲にして村の大人達が助かるだなんてゆるせない。
    ゆるせない
    ゆるさない
    弟を、あの子をかえせ
    かえせ、かえせかえせ
    かえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせ

    父の形見として仕舞ってあった日本刀を抜き取った。
    手を縛っていた縄を切る。
    少し掌も切ったが気にしなかった。
    おれは村中を暴れ周り、見つけた村人を片っ端から切り付けていった。

    ゆるさない、ゆるさないゆるさないゆるさない!

    ああ、弟をむかえにいかなければ。

    ーーー

    ぼくの兄さんはとても優しい。
    両親を亡くして、2人きりになってしまったぼくらは、2人だけで静かに暮らしていた。
    身体の弱いぼくは外に働きに出ることが出来なかったから、毎朝兄さんを見送って、毎晩兄さんを出迎えた。
    そうして、ぼくに優しく笑いかけてくれる兄さんが好きだった。
    ぼくを撫でてくれる大きな、擦り傷だらけの手が好きだった。
    だけど、同時に申し訳なくも感じた。
    身体の弱いぼくなんかがいるせいで、兄さんは自由になれないのではないか。
    ぼくは兄さんの足枷になっているのではないか、と。

    ある日、家に村の大人達がやって来た。
    兄さんはまだ帰ってきていない。
    その人たちはみんな一様に怖い顔をしていて、ぼくは身を縮めて震えることしか出来なかった。
    大した抵抗もできずに無理やり連れていかれた地下の座敷牢に長老様がやってきてぼくに言った。
    「おまえは村を救う儀式のために供物になるのだ。
     おまえが大人しく供物になる事を認めれば、兄の生活は豊かなものになると約束してやろう。」
    …ぼくが神様の捧げものになれば、兄さんは豊かに暮らせるの?
    ならば、それならばぼくは。
    ぼくが役に立てることなんて、そのくらいなのだから。
    ぼくは供物になることを受け入れた。

    石の箱に詰め込まれて、湖の底に沈められた。
    苦しくて苦しくて、何度もなんども心の中で兄さんに助けを求めた。
    兄さん、兄さん…と繰り返しながら、やがてぼくの意識は薄れていった。


    気付いた時には、ぼくは湖の鳥居の下に立っていた。
    どうしてぼくはこんなところに?
    …ああ、そうだ。
    儀式の供物になったんだ。
    おかしいな。水の底にいたはずなのに。
    儀式がうまくいかなかったの?

    そんなことを考えていたら、村から悲鳴が聞こえてきた。
    気になって村へ行ってみると、そこは地獄絵図だった。
    村の人たちが無残に切り裂かれている。
    一体何が。

    戸惑いながらも村を見て廻っていると、大通りで修羅のような顔で刀を振るい、村人達を切り裂いていく兄さんの姿があった。
    何故、何故兄さんが。
    兄さんはぼくの名を呼んでいる。
    ぼくをかえせと叫んでいる。
    ぼくのせい?
    ぼくのせいで、兄さんはああなってしまったの?

    ああ、あんなに優しい兄さんが
    ぼくのせいで、ぼくのせいで

    にいさんを、おいかけなきゃ
    おいてかないで、ぼくをおいていかないで

    ごめんなさい

    ごめんなさい、ごめんなさい兄さん
    ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい

    ++++++++++++++++++++++

    8.

    「トド松、泣くなって。」
    「ぐすっ…ひぐっだ、だれの…せいだとっふぇっ…」
    「あーはいはい俺のせい俺のせい。悪かったから。あと、手当てあんがとな。」
    「も…兄さんの、ばかぁ!」

    いやぁ、油断したね。
    まさか眠りこけていたチョロ松が突然目を覚ましていきなり襲い掛かってくるとは思わないじゃん?
    つか、俺が確かに叩き落とした筈の日本刀をいつの間にか手に持ってたし。
    どーゆー原理よ、アレ。
    背後に薄らと血濡れの着物を纏った男が見えた。
    あれが親玉だろう。
    なんとか致命傷は避けたんだけど、肩を綺麗に切られちゃって、トド松が泣きながら応急処置をしてくれた。
    いくらチョロ松が取り憑かれていたとはいえ、同じ顔した兄弟が兄弟を本気で殺そうとしてる光景はショックだっただろう。
    怖がりなのにそれに耐えて異空間に付いてきてくれたってのに、可哀想なことをした。
    プリンで許してもらえねーかな。
    見た目より傷は深くないけど、さすがに動かすのはツライ。

    …ん?なんか引き戸の向こうが騒がしいような

    ードタドタドタッスパァン!

    「おそ松兄さん!トド松!!」
    「えっ十四松兄さん?!あとカラ松兄さんも。」
    「2人共無事……ではないな、何があったんだ?」
    「そっちこそ、びしょ濡れじゃん。」

    騒々しく登場したのはカラ松と十四松だった。
    何故か2人共下半身がずぶ濡れだ。
    しかもカラ松は着ていた筈のイッタイ革ジャンがなくなっていて、タンクトップだ。寒そう。
    カラ松は俺の肩の怪我を見て険しい顔をしてるし、
    十四松は泣きついてきたトド松の頭を伸びきった袖のまま撫でている。

    「うん…情報交換といこうぜ。年中組救出作戦も立てねーとな。」

    さて、ここいらで少し状況を整理するとしよう。

    ーーー

    おそ松の話
    …俺とトド松はこの空間に来てから、目の前にあった屋敷の中を調べてた。
    どうやらチョロ松と一松も此処にいたのは間違いないみたいだぜ。
    トド松がさ、一松が張ったらしい結界の気配感じたって。
    あと、廊下の先にある中庭に効力切れの御札が落ちてたんだよ。
    で、トド松がそれを元に2人の気配を辿って書斎に着いたってわけ。
    うん、この部屋ね。
    そんでしばらくここで調べ物して
    …あ、調べ物の内容はトド松から聞いてくれよ。
    で、一通り調べ終えて屋敷から出たところで、悪霊に取り憑かれたチョロ松と鉢合わせた。
    もうね、とんでもない憎悪だけに支配されちゃった感じになってるわ、
    日本刀振り回してて物騒だわ、さすがのお兄ちゃんも冷や汗モノだったわー。
    見たところチョロ松に憑いたのがこの空間の元凶な気がするな。
    「かえせ」だの「ゆるさない」だの延々とブツブツ繰り返してさ。
    チョロ松を気絶させて、それで取り憑いてた奴の気配も消えたから、
    気絶したチョロ松を連れてもう一回この書斎に戻ってきてたんだよ。
    トド松も、もう少し色々調べたいつってたし。
    しばらくチョロ松は静かに寝てたんだけど、突然目を覚まして襲い掛かってきたんだよね。
    あれは確実に俺の喉を狙ってたね。
    なんとか避けたけど。
    まぁ、完全に避け切れずに肩怪我しちまったけど。
    チョロ松…というか、チョロ松の身体を乗っ取ったヤツはそのままどっか行っちまった。
    で、トド松が手当てしてくれてたところにカラ松と十四松がここに来たってワケ。
    俺が話せるのはこんだけだな。

    ーーー

    カラ松の話
    あの時見たのはやはり…ん?ああすまない。最初から順を追って話さないとな。
    俺と十四松は屋敷の脇にあった水路を辿っていったんだ。
    奥には洞窟があって、洞窟を抜けた先には湖があった。
    鳥居も立ってたから、何か特別な場所だったのかもな。
    その鳥居の下に石で造られた箱があって…その、箱の中に一松が閉じ込められていた。
    あの石の箱、少しずつ湖に沈んでいってたんだ。
    …もう少し気付くのが遅れたら、と思うと背筋が凍る思いだ。
    今思い出してもゾッとする。
    ああ、気付いたのは俺じゃない。
    十四松のお手柄だ。
    それから一松を連れて、この屋敷に入ったんだ。
    玄関のすぐ傍の広間で一松を休ませてた。
    だが目を覚ました一松は既に取り憑かれていたようでな…、
    「ごめんなさい」と泣きながらしきりに繰り返していた。
    そうこうしているうちに、背後からチョロ松が現れて…。
    あいつが持っていた刀に血が付いてた。
    兄貴に襲い掛かった後だったんだろうな。
    それで、突然俺も十四松も金縛りにあって、目の前が真っ暗になったんだ。
    その隙に、チョロ松も一松も見失ってしまったんだ。
    金縛りが解けても、目の前は真っ暗闇のままだったんだが、十四松がここまで引っ張ってきてくれた。
    すまない、…俺があの時動けていれば…。

    ーーー

    十四松の話
    水のほうにいろんなものが混じりあったにおいがしたんだ。
    その中に、ほんのちょっとだけ一松兄さんのにおいも感じたから、カラ松兄さんと水路をたどった!
    湖にあった石の箱の中から一松兄さんのにおいを感じて、すっごく焦って必死に一松兄さんを引っ張り出した!
    兄さん、ぐったりしててしんだみたいだった。怖かった。…怖かった。
    …あとはカラ松兄さんの言ってたことと一緒!
    僕も真っ暗だったけど、近くにおそ松兄さんとトド松のにおいがあるのに気付いたから、
    カラ松兄さんを引っ張ってここまで来た!
    チョロ松兄さんが突然目を覚ましたのって、僕たちが一松兄さんをここに連れてきたからじゃないかな。
    たぶん、チョロ松兄さんに憑いてるひとは、一松兄さんに憑いてるひとを探してるんだと思う。
    …一松兄さんね、取り憑かれた霊と完全に同調しちゃってた。
    そのせいでにおいがわからなかったんだ。石の箱から助けたときに、
    憑かれてるって気付けなかったんだ。
    チョロ松兄さんも、たぶん同調しちゃってると思う。
    2人ともすごく悲しんでる。すごく苦しそうだった。
    なんかね、ここ、いろんなにおいがしてチョロ松兄さんと一松兄さんのにおいがよくわからなくなる。
    追いかけられなくて、兄さん達が遠くに行っちゃうみたいで、すごく怖いよ。

    ーーー

    トド松の話
    大筋はおそ松兄さんが話してくれた通りだよ。
    僕もいろんな気配に邪魔されて気付けなかったんだ。
    一度おそ松兄さんがチョロ松兄さんを気絶させた時、剥がれたんじゃなくて、中に潜んだだけだったんだよ。
    それに気付けなかった。
    近くにいたのにね。
    …ごめん。調べた事の話だよね。
    この屋敷、集落の権力者の家だったみたいで、この部屋にいろんな記録が残ってたよ。
    ここに残ってる記録と兄さん達の話で、ちょっとわかってきた。
    うん、今話すからちょっと待って…。
    僕も自分の頭の中を整理しながらなんだからさ。
    えーと、まずこの村。
    この村についてわかったことはね、

    ひとつめ、村の奥の湖を御神体として崇拝する信仰があった
    ふたつめ、何年前かはわからないけど、農作物が不作で冬を越せないくらい危うい状態になった年があった
    みっつめ、湖に生贄を捧げる習慣があった
    よっつめ、不作の年、生贄の儀式が行われた
    いつつめ、儀式の後に何か事件が起こって村は壊滅状態になった

    …このくらいかな。
    で、生贄の儀式についてだけどね、石で出来た箱に生贄を入れて生きたまま湖に沈めるんだって。
    そう、カラ松兄さんと十四松兄さんが一松兄さんを見つけたときの状態…村の儀式とほとんど同じなんだよ。
    …ちょっと今から胸糞悪い話するけど、我慢して聞いてよね。
    記録によると、最後に生贄に選ばれたのは親を亡くした少年だったんだ。
    病弱な子だったみたい。
    その子には兄がいて、お兄さんが世話を焼いて兄弟2人で暮らしてたらしいよ。
    でね、弟が生贄に決まったって聞いて、お兄さんがめちゃくちゃ反抗して暴れまわったらしいんだ。
    でも結局、お兄さんが村人の手で気絶させられてる間に儀式は行われて、
    お兄さんが目を覚ましたときには弟は湖に沈められた後だった。
    …その後、お兄さんは狂っちゃったみたい。
    日本刀を振り回して、村の人達手当り次第に斬殺して回ったって。
    その後どうなったかまでは、わからなかったけど…。
    多分だけどね、チョロ松兄さんにはその怨霊化した兄の霊に取り憑かれてるんじゃないかな。
    そして一松兄さんは生贄になった弟の霊が取り憑いてる。
    兄弟って点で、2人共同調しちゃったのかも。

    ++++++++++++++++++++++

    9.

    片っ端から切り刻んだ。
    向かってくる全てが敵に思えたから。
    視界に入ったものは全てころした。
    そうだ、綺麗に掃除してしまおう。
    邪魔なものを全部片付けてから、あの子を迎えに行こう。

    視界に入ったものは全て。
    だからおれに向かってきた赤い色にも躊躇せずに刀を振り上げた。

    ーもう十分だよ

    どこかから声がした。
    もう十分だよ。もう誰もいない。
    邪魔する人達は誰も残ってないんだ。
    だから早く迎えに行こう、あの子が待ってるよ。
    あの子に謝りたいなら、僕の身体を使っていいから。

    頭に響くような声だった。
    待ってる?おれを?
    それなら行かないと…。
    あの子を迎えに行かないと…。

    ーーー

    恐ろしくて恐ろしくて、逃げて逃げて、必死に逃げた。
    そして気付いた。
    ああ、なんて事をしてしまったのかと。
    兄さんはぼくのために壊れてしまったのに、その兄さんを恐ろしく思って逃げてしまうなど。
    ごめんなさい、ごめんなさい。
    ぼくは一体どう償えばいいんだろう。
    満足に供物にもなれず、結局は村を滅ぼしてしまった。
    もう兄さんに会わせる顔なんてない。
    ごめんなさいごめんなさい兄さん、ごめんなさい。

    でも、追いかけなきゃ。
    兄さんを追いかけないと。

    ー大丈夫、きっと許してくれる

    どこかから声がした
    大丈夫、きっと許してくれる。
    兄さんは君を何より大切にしているから。
    いつも一番に君の事を案じているから。
    だからもう赦しを乞いながら逃げなくていいんだ。
    ほら、元いた場所に戻ろう。
    きっと迎えに来てくれる。
    兄さんに伝えたいことがあるなら、僕の身体を貸してあげるから。

    頭に響くような声だった。
    迎えに?ぼくの元へ?
    ならばあるべき場所で待たないと。
    兄さんの帰りを出迎えるのは、ぼくの役目だったのだから…。


    ++++++++++++++++++++++

    10.

    「「「「…………。」」」」

    みんなで現状を確認し合うと、部屋は重苦しい沈黙に包まれた。
    水を吸って重くなった一松兄さんの紫色のパーカーをぎゅっと握りしめた。
    状況はなかなか厳しい。
    僕とトド松は瘴気に邪魔されて兄さん達のにおいを追えないし、
    しかもチョロ松兄さんも一松兄さんも取り憑かれていて且つ同調しちゃってる。
    おそ松兄さんとカラ松兄さんは取り憑いた霊は除霊できない。
    無理やり祓おうとすると、憑かれてるチョロ松兄さんや一松兄さんの精神にまで影響を与えちゃうからできないんだって。

    僕が思うに、チョロ松兄さんと一松兄さんは優しすぎるんだ。
    あの2人は近寄ってきた霊を完全に拒絶することってないから。
    心のどこかで相手が抱いてる思い、寂しいとか悲しいとか苦しいとか、
    そういうのを受け入れて共感しちゃうんだよ。
    いくら霊媒体質とはいっても、共感して同調しちゃうなんて、そんなの優しくないとできない。
    確かにいろいろと大変な目に遭うし、今も現在進行形で大変なことになってるけど、
    兄さん達は優しいままでいいと思う。
    その度に僕達が助ければいいから!
    …そうだ、早く助けてあげなきゃ。
    いつものように、においで追いかけることはできないけど、2人が行きそうな所はどこだろう…。
    トド松の推測が正しければ、一松兄さんは儀式の生贄にされた子の霊に、
    チョロ松兄さんはそのお兄さんの霊に憑かれてる。
    たぶん、お兄さんの霊は弟を探してて、弟もお兄さんを探してる。
    その2人が、最終的にたどり着きそうな場所って…、

    「湖!」
    「えっ、どうしたの十四松兄さん?」
    「湖に行ってみよーよ!」
    「俺達が一松を見つけた所か?」
    「うん!なんかね、そこにいる気がするー!たぶんだけど!!」
    「んー、じゃあ行ってみるか。ここでクサってても仕方ねーしな!」

    ーーー

    洞窟を抜けて、また湖にやってきた。
    トド松から聞いたけど、へいきゅーこっていうんだって。
    湖の淵、大きな鳥居の下に、誰かが倒れ込んでいた。

    「チョロ松!一松!」

    鳥居の下に倒れる兄さん達に真っ先に気付いたおそ松兄さんとカラ松兄さんが同時に駆け出した。
    僕とトド松も慌てて後を追う。
    チョロ松兄さんをおそ松兄さんが、
    一松兄さんをカラ松兄さんが抱き起こした。
    チョロ松兄さんから黒い影は消えてる。
    でも、兄さんから、兄さん以外のなにかのにおいも感じたから、まだ憑かれたままみたいだ。

    先に意識を取り戻したのは一松兄さんだった。
    ゆっくりと開いた目は最初に見つけた時と違って、ちゃんと一松兄さんの目だった。

    「え…カ、ラ松?」
    「一松!大丈夫か?!苦しくないか?どこか痛いところはないか?!」
    「…っ…耳元で騒ぐな…頭に響く…。」
    「すっすまん!」

    いつものカラ松兄さんと一松兄さんのやり取りだ。
    一松兄さんからも、一松兄さんとは別のなにかのにおいがする…。
    やっぱりまだ2人共憑かれたままだ。
    そうこうしてるうちに、チョロ松兄さんも目を覚ました。
    咄嗟にみんな身構える。
    おそ松兄さんがガッチリ押さえ込んでるから、
    また日本刀を振り回すなんてことはないだろうけど。
    チョロ松兄さんと一松兄さんの目が合った。

    「「わかった、もう少しだけ貸してあげる。」」

    2人同時にそう呟いた。
    一体何の事?と思ってる間に2人は目を閉じて、
    そして、また目を開いたときは別の人だった。
    兄さん達に憑いた人格が表に出てきたのだと理解して焦った。
    すうっと一松兄さん、の身体を借りた誰かが息を吸い込んだ。
    …かと、思ったら

    『こんの…バカ兄イイイイイィィ!!!!』

    一松兄さんの声に重なるようにして、少し幼さが残る少年の声が響いた。
    「えっ?えっ?!」とトド松がオロオロしてる。
    僕も固まってしまった。

    『バカじゃないの?!ほんとバカじゃないの何してんの?!
     キレて村中の人という人大虐殺とか笑えないよ?ほんと何してんのバカなの?!』

    一気に捲し立てる一松兄さんの中にいる誰か。
    こんなに喋る一松兄さんすごく珍しい。
    厳密には一松兄さんじゃないんだけど。
    トド松が言ってたように、儀式の生贄にされた弟なのかな。
    それに対してチョロ松兄さん、の中にいる誰かも言い返し始めた。

    『はあああああぁぁぁ?!
     誰のせいだと思ってんのお前があっさり供物になること了承するからだろ
     残されたこっちの身にもなれってんだよこの愚弟がぁっ!!』
    『知らないよ!そもそも何でそこまでブチギレちゃったワケ?!
     ぼくみたいな病弱で働きに出れもしない穀潰しをたった1人で世話し続けることなんかなかったんだよ?!』
    『ざけんな!!おれはお前の兄貴なんだから面倒見るのは当然だろうが!
     両親亡くして1人だけになってたらとっくに死んでたわ!
     お前を守ることがおれの人生そのものだったの!!
     それを奪われたんだからブチギレて当たり前だろうが!!』
    『意味わかんないよ!ぼくが供物になればその家族の兄さんは不自由ない暮らしが約束されるんだよ?!
     なんで切り捨ててくれなかったの?!
     ぼくは兄さんの負担にしかなれないのに!!
     供物になることが唯一兄さんに何かを与えられることだと思ったから!!』
    『そっちこそ意味わかんねぇよ!弟の命差し出して与えられるモノって何だよそこまで落ちぶれてねえよ!
     お前はこれまで通り大人しくおれに世話されてりゃよかったんだよ!
     家にいてくれるだけで十分だったんだよ!!なのに!どうして!!』
    『知らないよ!バカ!!』
    『バカはそっちだろバカ!!』
    『うるさい!バカバカバカ!!』
    『そっちこそ黙れよバカバカ!!』

    もう、なんというか、ものすごい言い合いだ。
    最後の方バカしか言ってないよ。
    トド松は僕の横で呆然としてるし、
    チョロ松兄さんを押さえ込んでるおそ松兄さんは苦笑い、
    一松兄さんを抱え込むカラ松兄さんも顔が引きつってる。
    チョロ松兄さんと一松兄さんは一気に捲し立て過ぎて肩で息をしている。

    話を聞いてて、なんだかこの兄弟はとても可哀想だったんだな、って思った。
    どちらもお互いをとてもとても大切にしていて、
    でも少しのすれ違いで悲しい結果になっちゃったんだ。
    真ん中の兄さん達の身体を借りて、洗いざらい本音をぶちまけたのであろう兄弟は、
    さっきまでの勢いをなくして今度は力なく呟いた。

    『ごめんね、兄さん…助けてくれようとしてくれたのに…逃げたりして…。』
    『…いいよ、おれの方こそ、ごめん。守ってやれなくて…気付いてやれなくて…。』

    空気が和らいだ。
    途端に、チョロ松兄さんと一松兄さんの身体から力が抜けて同時に崩れ落ちた。
    2人の中からすっ…と兄弟の霊が抜けたのがわかった。
    ずっと様子を見守っていたおそ松兄さんが、それを見て大きく深呼吸した。
    いや、どちらかというと盛大なため息だったのかも。
    そして黒いモノが無くなった兄弟の霊を見て、一言。

    「満足できたか?…そろそろ逝くか?」

    兄弟が頷いた。
    おそ松兄さんがそっと手を触れると、手を取り合った兄弟は静かに空気に溶けていった。

    ++++++++++++++++++++++

    11.

    目が覚めると、見慣れた天井が視界に映った。
    窓の外は微かに明るい。
    頭がガンガンする。
    なんだか身体も痛い。
    声を出そうとしたものの、笑えるくらい掠れた音しか出なかった。
    軋む身体をなんとか動かして寝返りをうつと、視界に入ったのは一つ下の弟の姿。

    「ぃ…ちま、つ?」
    「…チョロま…に、さん?」

    掠れた声で呼びかけると、一松の睫毛が微かに震えて、それから目を開けた。
    一松も僕と同じで掠れ声だ。

    えーと、ここ家だよね?
    僕は何してたんだっけ…?
    確か駅前で一松と会って、神隠しに遭って…それから、それからどうしたんだっけ。

    「僕ら…どうやって帰ってきたんだっけ…。」
    「よく覚えてない、けど…兄さん達が見つけてくれたってことかな…。」

    ああ、きっとまた兄弟に迷惑を掛けたんだろうな。
    今回は一松も巻き込んで。
    回らない頭で記憶を辿っていると、襖が開く音がした。
    一松の目線が上を向く。

    「おっ2人とも気がついたか!」
    「おそ松兄さん…?」
    「いやぁ~お前ら大変な目に遭ったよなー。丸2日仲良く眠りっぱなしだっんだぜ?」
    「え…。」
    「うそ、マジで…?」
    「マジマジ。っと、他のヤツらも呼んでくるわ。」

    そう言って部屋を出ていったかと思うと、すぐに騒がしい足音が迫ってきた。

    「チョロ松!一松!」
    「兄さーん!起きた!よかった!!」
    「もうっほんっと心配したんだからね?!」

    カラ松、十四松、トド松が顔を覗かせた。
    それから粗方なにがあったかおそ松兄さんが話してくれた。
    どうやら僕も一松も憑かれて大変だったそうだ。
    うん、なんとなく思い出してきたかも。

    「もー最後にはお前らの身体借りて口喧嘩おっ始めてさー、
     笑うしかなかったわ。成仏してくれたっぽいけど。」
    「…あ、なんとなく思い出してきた。」
    「うん、僕も…。」

    そうだ、あの黒い影を纏った血濡れ男に捕まって
    その内側に秘めた激情に触れた。
    何よりも大切にしていた弟を守れなかった無念さ、己の不甲斐なさ、行き場のない怒り、悲しみ。
    弟を失って荒れ狂う魂に同調してしまい、僕は兄弟を…。

    「!…おそ松兄さん、その肩の怪我…!」
    「んー?ああ、ヘーキヘーキ!見た目より浅いし大した事ないし。」
    「そ、それ…やっぱり僕がやったん…だよ、ね…?」
    「いやまぁそうだけど、チョロ松あの時完全に意識乗っ取られてたから。」
    「…っ、ご、ごめん…!」

    兄さんを傷付けてしまった。
    落ち込む僕の額をペシペシと撫でるように叩いた兄さんは「もう少し休め。」
    と言って僕と一松を布団に押し込み、カラ松達を連れて部屋を出て行った。

    再び部屋に訪れる静寂。
    その静寂を破ったのは隣に横たわる一松だった。

    「…チョロ松兄さん。」
    「どうしたの。」
    「その…。」
    「うん。」
    「ごめん、巻き込んじゃって…。」
    「…え、おかしくない?むしろ一松が僕に巻き込まれたんでしょ…僕こそごめん。」

    突然の一松からの謝罪に驚いて、目を丸くした。
    そして僕も謝罪で返すと、一松はキョトンとした顔になり、やがていつもの妙な笑い声をたてた。

    「…ふひっ」
    「え、なに?」
    「いや…なんか、あの取り憑かれてた兄弟の最後のやり取り、思い出して。」
    「ああ、あれね…。」

    弟を思う気持ち、兄を思う気持ちに反応して、僕らと同調してしまった兄弟。
    最後に僕らの身体を使ってお互いの思いを吐き出して消えていった。
    彼らが消えた後、異空間も消えて僕らは河川敷に戻ってきたらしい。
    気を失った僕と一松を、おそ松兄さんとカラ松が運んでくれたそうだ。
    あの霊と同調してしまった理由も、今ならなんとなくわかる。
    兄弟を思う気持ちってやつに引っ張られたんだろう。
    それから、兄の異常なまでの弟に対する愛情とか、執着なんかも一因かもしれない。

    「…えらい目に遭ったよね。」
    「ほんとそれ。」
    「もう一松と2人で出掛けるとか無理だね。」
    「いや、今回みたいな事そうそう起こらないでしょ…。」
    「そうだけどさ…。」

    「チョロ松兄さん、一松兄さん、起きてる?」
    「トド松?うん、起きてるよ。」

    襖を開けて入ってきたのは末弟。
    手には何やら御札やら御守りやらを持っている。

    「これ、新しく作ったから。」
    「あー、ありがと。ほんと器用だよねトド松。」
    「その…ごめんね、兄さん達。」
    「「は?」」

    あ、思わず揃っちゃったじゃん。
    なんか今日は謝られてばっかりだな。
    謝らないといけないのは僕のはずなんだけど。

    「僕がもうちょっと強い御札作れていたら…ここまで酷いことには…。」
    「…ちょっと聞きましたチョロ松さーん、僕らの末弟がなんかお馬鹿な事言ってますわよー。」
    「聞きましたわよ一松さーん、ほんとお馬鹿な末弟なんですからー。」
    「ええええぇっ?!何ソレ?!つーか2人してローテンションなクセに変なノリで喋んないでよ!怖いし!」
    「トド松。」
    「な…なに。」
    「トド松の作る御札や御守りはすごく強いよ。」
    「ん。…すごく、助かってるから…。」
    「ほ、ほんと?!」
    「ほんとだよ。」
    「ん。」
    「そっ…か。」
    「御守りありがとね。」
    「…ちゃんと持っとく…。」
    「うん、そうして!」

    それじゃあね!とトド松は元気に出て行った。
    切り替えが上手くて立ち直りが早いのがトド松のいいところだ。
    トド松の作ってくれる御守りがとても頼りになるのは本当だし。
    …なんで、みんなこんなに優しいんだろう。
    霊媒体質な上に引き寄せてしまう僕なんて、迷惑でしかないのに。
    一松は眠ってしまったようだ。
    びしょ濡れで石の箱の中にいたらしいから熱を出してしまったらしい。
    一松の汗ばんだ前髪をそっと撫でて、僕も眠りについた。

    ++++++++++++++++++++++

    12.

    身体中が痛い。
    おそ松兄さんによると丸2日寝ていたという身体は気だるさに支配されていた。
    横を見るとチョロ松兄さんは既に起きたようで、布団はすっかり冷たくなっていた。
    身体を起こし、窓の外を見ると日の射し方から正午過ぎくらいだとわかった。
    まだ身体がだるい。
    しかしお腹が空いた。喉も乾いた。
    どうしようか、一旦下に降りようか。
    ぼんやりとした頭で考える。
    聞いた話によると、僕は石の箱にずぶ濡れで無理やり詰め込まれていたそうだ。
    そりゃあ身体も痛くなるし風邪もひく。
    けほ、と軽く咳が出た。

    「一松、調子はどうだ?」
    「…最悪。」

    突然襖が開いて顔を出したのはカラ松だった。
    全く気配に気付けなかった。不覚。
    そんなにボーッとしてたのだろうか。
    僕の枕元に腰を下ろしたカラ松の手にはスポーツドリンクと卵粥。
    ペットボトルのスポーツドリンクを差し出してきたので、何も言わずに受け取り喉を潤した。

    「食べれそうか?」
    「ん。…食べる。」
    「そうか!…じゃぁ、ほら」
    「………は?」

    喜々とした表情のカラ松が粥をレンゲで救ってぼくの口元に持ってきた。
    いわゆる「はい、あーん」状態である。
    いやいやいや、僕起き上がってるじゃん?
    自分で食べれるんですけど??

    「いや…自分で持てるから。」
    「遠慮するな。」
    「遠慮じゃねえし!ほんと自分で食べれるって。」
    「…嫌、か?」

    おい。
    おい、何でそんなションボリした顔してんだよ。
    僕が虐めてるみたいじゃないか。
    あ、割といつもコイツのこと虐めてたわ。
    なんだ、別にいつものことじゃないか。
    …と、そう思っても、嫌か?と眉根を下げて聞かれると言葉に詰まってしまう。
    ……まあ、今回コイツに助けられたし。
    必死に身固めしてくれてたのは覚えてるし。
    今回だけだ、今回だけ。

    「べ、別に、嫌では、ない…。」
    「そうか!よかった!」
    「……あー。」
    「うん、ほら。」

    最初の1口2口くらいで終わろうと思ったのだが、結局全部カラ松に食べさせてもらうハメになった。
    卵粥を平らげると、まだ横になっていろと布団に戻され、
    いつの間にか額に貼られていた冷却シートを交換される。
    何か言ってやろうかと思ったが、満足げに笑うカラ松に何も言葉が出てこなかった。
    たぶん熱のせいだ。
    カラ松が僕の横に寝そべった。
    顔が近い。

    「何…近いんだけど。」
    「すまなかった、一松。」
    「え、なんなの突然。」
    「守ることが、出来なかった。辛い思いをさせたな…。」
    「なんで、アンタが責任感じてるわけ…。」
    「心に決めていたんだ。一松の事は俺が守るって。」
    「は…なにそれ頼んだ覚えないんだけど…。」
    「今回は不甲斐ない結果になって済まなかった。だが、次は絶対に!俺が守るからな!!」
    「つ、次って!そんな何回もこんな事があってたまるか!」
    「だから一松、お前の事を俺に守らせてくれ…!」
    「いや「だから」ってなんだよ、全然話繋がってないから…。つーか、さっきから俺の話聞いてる?」

    突然何なんだ。
    本当に何なんだよ。
    ダメだコイツ今完全に自分の世界だ。
    なんだよ守らせてくれって。
    成人過ぎた弟に言う台詞じゃねーわ。
    ふざけてんだろ。
    何が一番ふざけてるって、こんな事を言われて嫌な気がしないどころか嬉しいとか思ってしまった自分がふざけてる。
    え、なんでこんな心臓バクバクいってんの僕?!

    「一松。」
    「~~~っ」
    「もう俺は、あんな思いをするのはごめんだ。
    あの時、お前を失ってしまうのではないかと一瞬考えた…本当に、怖かった。
    帰ってきてからも…このまま目を覚ましてくれなかったら、と思うと恐ろしかった。」

    ゴツゴツした両手で両頬を包まれた。
    カラ松の指先はひんやりしていた。
    それとも僕の頬が火照っているのか。
    …前者だと信じたい。
    カラ松の目は真っ直ぐに、真っ直ぐ過ぎて苦しいくらいに僕を見据えている。
    ちょっと待てって。
    カラ松お前マジでどうした。
    何突然雄み増してんだよ。
    そんでもってなんで僕はそれにドギマギしてんだ。

    「だから、もう俺から離れるな、一松。
     お前を引き込もうとする悪しき魂も取り入ろうとする魂も何もかも俺が祓ってやる。
     取り入る隙がないくらいお前の心を埋めてやる。」
    「な…あ、アンタ…自分が何言ってるか、わかってんのか…?」
    「わかってるに決まってるだろう。」
    「そ、れは…告白なわけ?」
    「そうだな。」
    「…俺が、本気にしたらどうするつもりだよ…?」
    「むしろ本気にしてもらわないと困るんだが。」
    「いや、待てって…。アンタは単にあんな事があったから気がふれてるだけで…」
    「一松。」
    「っ!!」
    「もう一度言うぞ。もう俺から離れるな。」
    「わかっ…た…。」

    有無を言わさぬ視線でそんな事を言われたら、僕にはイエスと応えるしか選択肢がなかった。
    くそ、そんな真剣な目でなんて事言ってきやがるんだ。
    自分の心臓の音がうるさい。

    「言ったからには…絶対守れよな、クソ松…。」
    「ああ!望むところだ!」

    あー、うん。
    僕も大概馬鹿だよね。
    カラ松の言葉が死ぬほど嬉しいなんてどうかしてる。
    ほんとどうかしてる。

    「一松…キスしていいか?」

    だから!なんでお前は!!そう唐突なの?!

    「…いいよ。」

    そして!なんで僕は!!あっさりOK出しちゃったの?!

    触れてきたカラ松の唇は指先と同じくひんやりしてて気持ちよかった。
    クソ松てめぇ熱が下がったら覚えとけよ。

    ++++++++++++++++++++++

    13.

    チョロ松も一松も目を覚ましてくれた。
    これでようやく一安心だ。
    ほんと、真ん中2人の体質は困ったモンだね。
    今回は久々に俺もヒヤヒヤした。
    卓袱台に頬杖をついてぼんやりしていると、誰かが階段を降りてくる音。
    カラ松は買出しに行ってるし、十四松とトド松は近所の寺にもう少し強力な御札や御守りの作り方を相談しに出掛けている。
    一松はまだ熱が下がっていないだろうから、階段を降りるなんてことはしないだろう。
    となると、この足音はチョロ松だろうな。

    入口に目を向けると、予想通りチョロ松の姿。
    足取りも顔色も問題なさそうだ。

    「おそ松兄さん…。」
    「おー、おはよチョロ松。」
    「うん、おはよう…。」
    「どした?ンなとこ突っ立ってないでこっち来いよ。」

    トントンと畳を叩くと、チョロ松は大人しくそれに従って俺の隣に腰を下ろした。
    いつもより大分口数が少ないチョロ松の視線は、俺の肩に当てられたガーゼに注がれていた。

    「肩、痛む…?」
    「ヘーキだって。心配症だな~!」
    「でも…」
    「だーから見た目より全然大した事ないからって。」
    「……。」

    あーあ、黙り込んじゃった。
    なんか面倒なこと考えてるに違いない。
    え?なんでわかるのかって?
    そりゃぁ俺カリスマレジェンド長男様よ?
    可愛い可愛い弟が何考えてるかなんてお見通しなんですー。

    「…おそ松兄さん。」
    「んー?」
    「なんで、見捨ててくれなかったの。」
    「はい?」
    「いい加減嫌にならない?毎度毎度こんな面倒ごと引き起こしてさ、
     一松もそのせいで酷い目に遭って、十四松やトド松にも迷惑掛けて
     …おそ松兄さんに、こんな、怪我…させて…。それなのに、なんでみんな…。」

    ほら、すっげ面倒なこと考えてた。
    自分のせいで兄弟を巻き込んだって責めてるんだろう。
    ンなモン仕方ねーじゃんって開き直っちまえばいいのに、どうやらコイツはそれができないらしい。
    確かに霊媒体質な上に引き寄せ体質なチョロ松は霊的なトラブルをよく持ち込む。
    それに一番被害に遭うのは同じく霊媒体質で取り込まれやすい一松だ。
    実は一松自身はそこまでホイホイじゃなかったりするんだよな。
    チョロ松が連れて来ちゃったヤツが流れて来るだけで。
    で、一松が取り込まれてしまえばそれこそ兄弟総動員で除霊合戦となるわけだが。
    その事が余計にチョロ松の心に暗い影を落としている。
    自分がいなければ、だなんて柄でもない事を考えてるのだろう。
    そーゆー自傷系はお前の一つ下のキャラだろうが。

    ひとまず、あの屋敷にいた時におあずけになってたことだし…と、チョロ松を引き寄せた。
    油断していたのか、チョロ松の頭ははあっさりとボスンと音を立てて俺の胸の内に収まった。

    「ちょ…何して…」
    「なあ、チョロ松さ、『宿曜占術』って知ってる?」
    「え…?」
    「んー、いや、俺もそこまで詳しいわけじゃないんだけどさ、簡単に言うと東洋の27星座占いって感じ。」
    「…それが、何…ていうか僕の話聞いてた?」
    「まー、聞けって。その宿曜ってのはな、占星盤でそれぞれの宿との相性が距離で細かく決まってるんだよ。」

    例えば俺は「危宿」という宿。
    同じ生年月日の俺達六つ子全員がこの宿だ。
    この宿だと、参宿とか、亢宿の生まれの人と相性がいいらしい。
    まー、それは置いといて。

    「同じ宿同士の相性って「命の関係」って言われてるんだと。
     わかる?命の関係。この関係の人と出会う確率って、宿曜の数ある関係性の中で一番低い。
     でな、運命的な縁がすっごく深いんだと。
     滅多に出会うことがないけど、一度出会っちまうと強力な因縁が生まれて、なかなか離れなれねーの。」
    「………。」
    「つまりさ、俺達は生まれた時から命の関係にあたる人と5人も出会っちまってんの。
     そりゃあもうとてつもなく深い因縁だと思うわけよ。
     仮にお前を見捨てたとして、そんな事くらいじゃ簡単に切れやしない縁で結ばれてるんだよ。
     そもそも、俺はチョロ松を手放す気なんてこれっぽっちもねーよ?
     一生掴んで離さねーって勢いよ?
     …だから、うだうだ考えてないでもうこういう運命なんだって諦めろ。
     大丈夫、俺が何度でも助けに行ってやる。」
    「何それ…いきなりなに言い出すかと思えば…。」

    俺の胸元に顔を押し付けてるせいでチョロ松の声はくぐもっている。
    視線を落とすと、少しだけ耳が赤く染まっているのがわかった。
    頭を押し上げると、赤く染まった頬と薄く膜の張った潤んだ瞳。
    あ、すっげーそそる。
    もう絶対離してなんかやんない。

    「絶対に捨ててなんかやんないよ?
     泣いてお願いしたってしつこく付きまとってやるから。」
    「おそ松兄さ…」

    だって俺の相棒は今も昔もお前なんだからさ。
    どこかの知りもしない悪霊なんかに取られてたまるかっての。
    あ、そういえば異空間の屋敷にいた時にコイツにキスしようとして出来なかったんだっけ。
    続きは帰ってからしようと思ってたんだっけ。
    よし、ちゅーしちまえ。

    「チョロ松」
    「なに、おそま…んぅ?!」

    少し強引に唇を重ねた。
    面白いくらい跳ね上がったチョロ松の肩を抱き込んで逃がさないようにホールドしてやる。
    最初は抵抗していたチョロ松もやがて諦めたのか大人しくなった。
    かさついたチョロ松の唇を舐めて、吸い付くように。
    やべ、ちょっと止めらんないかも。

    結局、玄関の戸が開く音がして、買出しに出掛けていたカラ松が帰ってくるま甘ったるい口付けを続けていた。
    無理やりそれ以上の行為には及ばなかった事を褒めてほしい。

    後に、真っ赤な顔をしたチョロ松に思いっきり殴られたのはいうまでもなかった。

    ++++++++++++++++++++++

    14.

    チョロ松の話
    あれから色々あって、僕らは異空間ではない、実際の集落跡にやってきていた。
    本当は一松と2人で来ようと思ってたけど、兄弟に心配されて結局6人全員で来た。
    そこまで遠い場所ではなかったし。
    湖に佇む鳥居に一松と花を手向けて、2人で手を合わせて目を閉じた。
    湖は澄んだ空気に包まれている。
    あの澱んだ瘴気は今は全く感じない。
    血濡れ男こと、贄の少年の兄が無事に成仏したからだろう。
    正直言うと、僕はあの時このまま一緒に滅びてもいいと思っていた。
    取り憑かれて思考がぶっ飛んでいたのかもしれないけど、
    心の依り所にしていた弟を理不尽に奪われ、怒りのまま村人を襲い返り血で真っ赤になった着物姿の彼を
    救いたいと思ったのは紛れもなく僕の本心だった。
    憑かれた時に見えた彼の最期。
    虐殺を繰り返し我を失って暴れ狂うその人は最期には生き残った村人によって殺された。
    頭を殴られて、その衝撃で片目が潰れて。
    それでも自分が死んだことに気付けず、怒りのまま彷徨っていた哀しい魂はようやく怒りから解放された。
    天国では兄弟仲良くね、なんて。

    ーーー

    一松の話
    チョロ松兄さんと隣合って手を合わせる。
    なんだか不思議な気分だ。
    僕は此処で石の箱に詰め込まれていたのだが、ぶっちゃけどうやって箱の中に入ったのかは全く覚えていない。
    思い出したくもない。
    この集落に根付いていた儀式によって命を落としたその子は、後悔の念に支配されていた。
    あんなに慕っていた兄を恐ろしいと感じてしまった事、
    兄を悲しませてしまった事に罪悪感を抱いて、水底に沈むことが出来ずにその思いは浮かび上がって咽び泣いていた。
    僕が弟の霊に憑かれたのは、そういった兄弟に対する複雑に捻じ曲がった思いに共鳴したからだと思う。
    身体を貸して、兄への思いをぶちまける彼の言葉の中には、ほんの少しだけ自分の本音も混じっていた。
    本当に、ほんの少しだけど。
    僕はあんなに素直に思いを吐露することができないから、思いを吐き出す彼が少しだけ羨ましく思った。
    あの長い一晩の間にいろいろあったけど、結果的にこれでよかったんじゃないかな。
    これでいいのだ、なんて。

    ーーー

    「お待たせ。」
    「おう。2人とも気ぃ済んだか?」
    「うん。」
    「そんじゃ、帰るとするか!」

    6人揃って湖に背を向けた時、どこからか声が聞こえた。

    ーありがとう

    それに少しだけ笑って、けれど振り返ることはせずに集落跡を後にした。
    さて、帰ろう。



    end.

    ーーー


    蛇足の霊感松設定。

    おそ松
    見える・聞こえる・触れる・祓える。
    物理系チートその1。大抵のことは対処できる。
    塩を掴んで一殴りすれば大体除霊できてしまう。
    ただし、人に憑いた霊は祓うことが出来ない。
    基本的には傍観体制でいるけど自分達に降りかかる火の粉は払いたいので向かってくる奴には容赦しない。
    自分からは動かないが助けを求められたら必ず助けに来てくれる。
    圧倒的ラスボス感。

    カラ松
    見える・聞こえる・触れる・祓える。
    物理系チートその2。
    とりあえずブン殴れば大体除霊できるし、結界も破壊できる。
    おそ松同様、人に憑いた霊は祓えない。
    悪霊等を寄せ付けない体質。
    兄弟を守りたい。弟達は自分が守るという意識が強い。
    そのため近づいてくる霊はどんなものでも問答無用で祓おうとする傾向にある。
    兄貴は放っておいても大丈夫だろ、的な信頼という名の放置。

    チョロ松
    見える・聞こえる・祓えない。
    引き寄せやすい&霊媒体質。
    祓う力がないのに色々と引き寄せてしまうので
    おそ松と行動を共にする事が多かった。
    結界を張るのが得意な防御型。
    そこまで結界の力は強くないが日常的に張れるくらい長続きできる。
    おそ松が一緒だったり結界が得意だったりするので
    体質の割に引き寄せたのが一松へ流れるせいで取り込まれる事は多くない。(全くないわけではない。)

    一松
    見える・聞こえる・祓えない。
    誘われやすい&霊媒体質。
    動物霊に好かれやすい。
    最後を看取った猫が何匹か守るように守護してくれている。
    下級霊なら猫達が追い払ってくれる。
    ただ、霊とはいえ猫を傷つけたくないので
    自分からは滅多に使役しようとしない。
    チョロ松同様に結界が得意。
    チョロ松よりも強力な結界を張ることができるが長続きしない。
    霊に同調しやすいので兄弟の中で一番危なっかしい。

    十四松
    見える・聞こえる・触れる。
    野生的な勘が鋭く気配を察知するのが得意。
    兄弟の気配なら多少離れていても把握できる。
    人と区別がつかないくらいハッキリ見えているので
    幽霊とかそういうのはあまり気にしていない。
    無害な霊と悪霊の区別はなんとなく察せられるので
    ヤバイ奴には本能的に近づこうとしない。
    祓う力はないが、悪霊とか害のあるものを寄せ付けない体質。
    なので取り込まれやすい一松とよく一緒にいる。

    トド松
    見える・聞こえる。
    十四松と同様に気配を察知するのに長けている。
    お守りやお札等の呪具を作るのが得意。
    霊媒体質のチョロ松と一松に護符を定期的に手渡している。
    怖がりなため喩え無害な霊であっても絶対に自分から関わろうとしない。
    霊に狙われることもあるが、自分に近づいてきた霊は
    高確率でチョロ松や一松の方へ流れていってしまうので
    その辺は2人に申し訳ないな、とは思っている。
    自分だけで対処するのは怖くてできないので
    自分のせいでヤバイのが2人に向かってしまった時は大体おそ松に助けを求める。


    ーーー

    更に蛇足。

    ここまで読んで下さりありがとうございました。
    無駄に長い上に相変わらずの超展開で申し訳ございません。
    そして突然ぶっ込まれるおそチョロとカラ一!

    ちなみに、おそ松兄さんが話していた「宿曜占術」ですが、
    六つ子の宿はおそ松くんが発表された1962年で出しています。
    1962/5/24で占うと彼らは危宿です。
    ちなみに危宿の基本的な性格は以下のように説明されてます。
    (説明は「宿曜占星術光晴堂」様から拝借いたしました。)
    ーーー
    自分を偽らないイノセントな人。
    周囲の視線をさらうスタイリッシュな魅力に恵まれています。
    好奇心旺盛で新しいものが大好き。
    平凡を嫌い逆に風変わりなものを好む傾向が強く、その興味の対象もコロコロと変化します。
    知的思考が強く、精神の自由を何よりも尊重するあなたは、
    現実の行動より夢や幻想の世界を好む夢想家タイプです。
    不自由な安定よりも、不安定な自由を好む傾向が強く、
    それだけに楽なほうへ流されがちなのが欠点です。
    ーーー

    あながち間違っていないような…笑
    #BL松 #おそチョロ #カラ一 #年中松 #ホラー松

    1.

    そもそも、今日は出掛けるべきではなかったのだ。
    家で大人しくしていればよかった。
    しかし、だ。
    今日は隣町で推し中のアイドルの限定グッズの発売日だったのだ。
    何日も前から今日この日の為に金銭を準備して店舗を調べて万全にしてきた自分に、出掛けないという選択肢は残念ながら頭になかった。
    家を出た時に一瞬だけ背中にゾワリと感じた悪寒。
    あまりにも一瞬だったものだから、つい気のせいで片付けてしまった。
    自分の体質はよく理解していたはずだったのに。
    その体質のせいで、兄弟に度々迷惑を掛けてしまうことも分かっていたのに。
    いや、今更いくら後悔したって遅い。
    それよりも現状をどうにかしなければならない。
    何故こんな事になったのか、気持ちを落ち着けて整理するためにも順を追って思い出してみよう。

    ーーー

    目当てのグッズを手に入れて、上機嫌で帰路についていた僕は、
    家の最寄り駅前の大通りで見慣れた後姿を見つけた。
    細い路地から出てきたそいつは間違いなく一つ下の弟だ。
    おそらく彼の友人である猫達に餌をやっていたのだろう。
    時刻は午後5時半過ぎ。
    日没直後、西の空は未だ赤く太陽の名残を感じる。
    ちょうど「黄昏時」と呼ばれる時間帯だろう。
    一つ下の弟も家に帰るところのようだ。
    どうせ向かう先は同じなのだし、と、僕は丸まった背中に声をかけた。

    「おーい、一松ー。」
    「……ん。」
    「一松も今帰り?」
    「…ん。」

    一松は僕の声にゆったりと振り返り、言葉少なに返事をした。
    僕らの会話が少ないのはいつもの事なので別段気にしたりはしない。
    一松の隣に並んで、のそのそとした歩調に合わせて家を目指した。

    今日の一つ目の失敗が外出したことだとすれば、二つ目の失敗は一松と2人になったことだろう。
    少し考えれば分かることだ。
    そんなにアイドルグッズに浮かれていたのだろうか、僕は。
    そうだとしたらポンコツだと罵られる事も今だけ甘んじて受け入れよう。うん、今だけ。
    思えば、やたらとゆっくり歩く一松は暗に僕に「先に帰れ」と距離を取ろうとしていたのかもしれない。
    兄弟の中でも俊足の僕は普段の歩くスピードも速い方だ。
    対して、一松の歩調はいつもゆったりしている。
    のんびり歩く一松に一声掛けて、さっさと帰ってしまえば…
    いや、それだと一松1人だけが巻き込まれていた可能性も否定できない。
    結局何が正解だったかなんて今考えても仕方がない。
    何故一松は口に出して言わなかったのかって?
    口にしてたら気付かれてしまうからだ。
    うん?理解できない?
    そう。…なら少し非現実的な話をしよう。
    リアリストには到底理解出来ない内容だ。

    ーーー

    僕ら兄弟は霊感というヤツが人より優れていた。
    六つ子所以なのかどうなのかは分からないが、とにかく揃いも揃ってそういうヤツが視える。
    視えるし聞こえるし、長兄2人に至っては自分で祓う事も出来てしまうチートっぷりだ。
    何であのクズとバカにだけそんなチートなチカラがあるんだろう。
    全く以って腹立たしい限りだ。
    そんな霊能兄弟の中でも僕と一松は厄介な事に所謂、霊媒体質というやつだった。
    更に言えば、どうやら僕はそういう霊的なものを引き寄せてしまうらしいのだ。
    そして一松は、そういうものに誘われてしまいやすい。
    つまり、だ。
    霊媒体質な僕と一松が2人で並んで歩いていて。
    色々と引き寄せてしまう僕と一緒にいて。
    僕が意図せず引き寄せた「有り得ないモノ」に、誘われやすく取り込まれやすい一松が引き摺られてしまうのは最早必然的だった。

    ーーー

    大通りから逸れた人通りの疎らな道に入って数歩のうちに、視界が突然ぐらりと揺らぎ、
    気付けば僕らは朽ち果てた木造日本家屋が連なる集落跡のような場所にいた。
    先程まで赤く染まっていたはずの西の空は既に黒く塗り潰されている。
    薄暗い視界の中、月と星の微かな明かりだけが頼りだった。
    顔を右に向けると一松の姿があって、その事に少しの安堵を覚える。
    全然安心できない状況ではあるのだけど、とりあえず一松とはぐれなかったのは不幸中の幸いだ。

    「…やっちゃったね。」
    「うん、そうだね…ごめん、一松。」
    「別にチョロ松兄さんのせいじゃないでしょ…。」
    「いや…僕の不注意でしょ。」
    「…俺も油断してたし…。」

    さて、回想と僕らの奇特な体質のおさらいが終わったところで改めて現状を整理しよう。
    僕と一松はどうやら「神隠し」ってやつに遭って異空間に引き込まれたようだ。
    集落跡のようなこの場所、背後は鬱蒼とした森が続いている。
    目の前には崩れかけた廃屋が数軒。
    一応、田んぼや畑、あぜ道だった跡が見られる。
    田んぼに続く用水路らしき堀もある。
    こんな景色、明らかに近所に存在しない。
    家族に連絡を取ろうとするも、電話は繋がらないし、メールも宛先不明で戻ってくる。
    しばらく携帯を触っていたが、とうとう画面が文字化けしてしまい時間すら分からなくなってしまった。
    …マジかよ、困った。
    携帯の画面を眺めながら小さくため息を吐くと、不意に突然一松に強く腕を引かれた。
    そのまま一松は僕を引き摺りながら、朽ちた廃屋の影に身を潜めるようにしてしゃがみ込むと、僕の耳元で、小さく耳打ちした。

    「…なんか、いる…。」
    「え…。」

    一松のその言葉に廃屋の影からあぜ道を窺い、ゴクリと息を呑む。
    何かがうごめいていた。
    気味の悪さに思わず声を上げそうになる。
    寸でのところで堪えたけど。
    うん、本当によく堪えたよ僕。
    辛うじて人の形を留めているものの、そいつの首はどう考えてもおかしい方向に曲がっており、片目が潰れている。
    もう片方の目は虚ろに、しかしギョロギョロと何かを探すように辺りを見廻し、半開きの口は何か呻き声をあげていた。
    着物姿の男だと理解できたがその着物もどうやら血濡れだ。
    極めつけに、そいつを取り巻くどす黒い影からは無数の手が伸びていた。
    おそらくだけど、血濡れの男を中心に様々な悪霊が取り込まれて、一体化したのだろう。
    とにかく、あまりよろしくない類の霊である事は明らかだ。
    …これまでの経験上、異空間に引き込んでしまう程の力を持つ怨霊やら悪霊は、まず僕らでは歯が立たない。
    (長兄2人がいてくれたら話は別なのだが)

    おぞましい姿を目にしてしまった僕は、咄嗟に自分と、そして傍にしゃがみ込む一松の周りに結界を張った。
    引き寄せやすい&誘われやすい体質で霊媒体質な僕らはこれまでも結界で身を守ってきた。
    どうやって身に付けたかなんて覚えていない。
    ただ、自分の身を守る手段として、いつの間にか出来るようになっていた。
    正式に結界と呼んでいいのかどうかも分からないが、便宜上結界ということにしている。
    …ただ、僕が張れる結界はそこまで強力ではない。
    弱い霊くらいしか弾けない。
    普段生活する上ではこの程度で十分なのだが、今は少し頼りないかもしれない。
    力は弱いがその代わり疲れにくく、1日張りっぱなしでも問題ない。
    逆に一松の張る結界はとてつもなく強力だ。
    だがすぐにガス欠を起こし長くは保てない。
    僕のように1日張り続けたりしたら多分死んでしまうと思う。
    今のところ僕の結界だけを張っておいて、一松の強い結界はここぞという時に張ってもらおう。
    何が起こるか分からない。体力気力は温存しなければ。
    …しばらく一松と2人、身を寄せ合って息を潜めていたが、やがて血濡れ男の気配が去ったのを確認すると、今度は揃って盛大なため息を吐いた。
    ほんと、生きた心地がしなかった。
    割とこういうの経験するんだけど、何回体験しても慣れないものだ。
    慣れちゃいけない気もするけど。
    それよりも、早くここから出る手段を探そう。
    僕らは防御はできるが追い払ったり除霊したりは出来ないのだ。

    「兄さん、ごめん…。」
    「一松が謝ることじゃないだろ。とにかく出口を探そう。」
    「ごめん、ね...兄さん…。ごめんなさい…。」

    一松が僕の服の裾をギュッと掴む。
    謝罪の言葉を口にするその表情はひどく不安げだ。
    なんとか安心させたくて極力優しく笑いかけるも、一松は泣き出しそうな瞳で僕を見るだけだった。

    今日の僕の失敗のうち、
    一つ目が外出したこと。
    二つ目が一松と2人になったこと。
    そして、三つ目がこの時の一松の異変に気づいてやれなかったこと、だ。

    一松のあの謝罪は僕だけに向けられたものではなかったのだ。

    ++++++++++++++++++++++

    2

    迷い込んだ空間はもう随分前に住む人が居なくなったであろう集落跡だった。
    黄昏時に駅前でチョロ松兄さんに声を掛けられた時、すぐに気付いた。
    色々なモノを引き寄せてきてしまうこの一つ上の兄はまだ気付いていないようだったが、
    チョロ松兄さんの背後に、兄さんを虎視眈々と狙う黒い影を感じて、僕は思わず身震いした。
    え、チョロ松兄さん何で気付いてないの?
    …あ、なんか今日はいい事あって浮かれてるとか?
    いや、例えそうだとしても気付かないのはおかしい。
    黒い影が、チョロ松兄さんに気付かれないようにしているのだろうか。
    …兄さんには気付かれないように、その黒い影を睨みつける。
    僕はお前の事が見えているぞ、と主張するように。
    僕もチョロ松兄さんも霊媒体質という共通点があるが引き寄せやすいチョロ松兄さんに対して、
    僕はどういうわけか兄さんが引き寄せたヤツに取り込まれやすい。
    自分でも気づかない内に、本当にあっさりと霊に取り付かれているのだから、
    これまで兄弟に掛けてきた迷惑といったら星の数程と言っていいくらいだ。
    …それでも僕を見捨ててくれないあたり、みんなお人好しだよね。
    そんなわけだから、チョロ松兄さんに引き寄せられてきた霊達は、大体僕にとり憑こうとこちらに流れてくる。
    だから、今日兄さんが連れてきたヤツもそうだと思った。
    そいつが兄さんからターゲットを僕に変更して、こちらに近づいてきたところで、
    兄さんと距離を置けば被害に遭うのは僕だけで済む筈だ。
    …そう思ったのだが、今日に限ってチョロ松兄さんは僕のノロノロした歩調に合わせてゆっくりと肩を並べて歩いた。
    こうしている間にも、黒い影は兄さんを狙っている。
    狙いは兄さんのまま。
    どうやらこいつは僕より兄さんの方がお気に召しているようだ。
    まあ、引き寄せてしまうだけあって、僕の次に憑かれる事が多いのはチョロ松兄さんだから、
    こういう事態も不思議ではないのだけど。
    でもどうしよう。
    これじゃ兄さんから離れるわけにもいかなくなった。
    …なんて思っていたら、2人揃って神隠しに遭ってしまったのだ。

    ーーー

    あぜ道や畑を見回していると、夕刻にチョロ松兄さんと会った時に感じた黒い影の気配がして、
    思わず兄さんの腕を掴んで崩れかけた日本家屋の影に身を潜めた。
    なんだ、アイツ…ヤバイだろ、色々と。
    咄嗟に身を潜めた家屋の壁はボロボロで、壊れた壁から少し中を窺えた。
    土間に板の間、中央には囲炉裏。
    昔ながらの日本家屋って感じだ。
    異空間にしてはリアルな気がする。
    どこかを模しているのか、それとも実在する場所なのか。

    そんな事を考えていると、兄さんが結界を張ってくれたのを感じた。
    チョロ松兄さんの結界の中で、しばらく2人で息を潜めていると、血濡れの着物姿の霊はどこかに去っていった。
    …あいつ、絶対チョロ松兄さんに取りつこうとしてたヤツだろ。
    随分と気に入られちゃったみたいだね、兄さん。お気の毒様です。
    一体チョロ松兄さんのどのへんがそんなに気に入ったのか、こんな所にまで引き摺り込んで、大した執念だ。
    兄さんが連れて行かれそうな気がして、怖くなって思わず兄さんの服の裾を掴んだ。

    もっと早く何かできていたら、兄さんがこんな目に遭うことなかったのに。
    僕が、ぼくのせいで。
    ぼくのせいで、ぼくのせい…。

    「兄さん、ごめん…。」
    「一松が謝ることじゃないだろ。とにかく出口を探そう。」
    「ごめん、ね...兄さん…。ごめんなさい…。」

    ぼくが、いたから。
    そのせいで兄さんは。

    ぼくのせいだ、ぼくのせいだぼくのせいだ……!
    ごめんなさい、
    ごめんなさい、
    ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい

    ごめんなさ…あれ?僕何してたんだっけ?

    そうだ、チョロ松兄さんと神隠しに遭ったんだ。
    で、なんとか脱出方法を探そうとしてる。
    うん、そのはず。
    …あ、なんか気分悪い。

    「大丈夫?一松…。」
    「そっちこそ…酷い顔してるよ。」
    「うん…正直キツイ。」
    「だろうね…俺も吐きそう。」
    「歩けそう?」
    「…なんとか。兄さんは?」
    「僕も、なんとか。」
    「じゃあ、移動する?」
    「そうしようか…ここにいても仕方ないし。」

    2人してノロノロと足を引き摺るように歩き出した。
    この空間に長く居座るのは危険だ。
    なんだろう、瘴気?っていうのかな…。
    とにかく、嫌な感じがする。
    身体が重たいし、息苦しいし、頭痛も眩暈も吐き気もする。
    そしてそれは僕の隣を歩くチョロ松兄さんも同様らしく、
    今僕らは揃って青い顔をしているに違いない。
    チョロ松兄さんの結界のおかげでなんとか持ち堪えてるけど。
    動き回るのは危険だけど、じっとしていたって脱出はできない。
    何か帰るための手掛かりを探した方がいい。
    もしくは、兄弟になんとか連絡を取る手段を探すか、だ。

    ひとまず、あぜ道に戻り集落の入口らしき雑木林を歩いてみたのだが
    …何度やっても元のあぜ道に戻ってきてしまう。
    なんとなく予想出来てたけどね。
    完全に閉じ込められてるパターンだね。
    仕方なく集落の奥へと進んでみた。
    幅の広いあぜ道の右手側には廃墟と化した家屋が軒を連ねている。
    反対側は畑や田んぼ。
    そして、しばらく歩くと一際大きな屋敷があった。
    多分、村の権力者の屋敷とかだと思う。
    その屋敷の脇には細い道が続いており、水が引かれている。
    田んぼの方まで続く用水路のようだ。
    人が居なくなっても、用水路は未だに現役のようで、ちゃんと水が流れている。
    でも水には近づきたくないかな。
    水ってさ、そういうのが結構集まってきたりするんだよね。
    澱みを含んだ水は特に。
    清められた水は御神水とか呼ばれたり浄化の力もあるんだど、この水は澱みが酷い。

    「さらに奥に何かありそうだけど…。」
    「この水、あまりいい感じしない。」
    「同感。こういう川とかに溜まってたり流れてきたりするし、これ以上僕らだけで近づきたくないね。」
    「うん。…じゃあどうする、この大きい屋敷調べてみる?」
    「えぇ~…気が乗らないなぁ。」
    「でも調べられそうなの此処くらいじゃない?」
    「ちなみに一松、体力どのくらい残ってる?」
    「1時間くらいなら頑張って結界張れるくらいには残ってる。」
    「じゃあ、なんとか大丈夫そうかな。」

    「ほら。」と言ってチョロ松兄さんは手を差し出した。
    特に何も言わず黙って僕も自分の手を出すと、ぎゅ、と握られた。
    はぐれないように、ということだろう。
    成人男性が、しかも同じ顔した野郎が手を繋いでる様とか滑稽にも程があるが
    そんな事言ってる場合ではないし、突っ込んでくるようなヤツもこの場にはいない。
    集落の奥にそびえ立つこの屋敷はちょっとしたお化け屋敷よりも遥かに気味が悪かったが、意を決して僕らは中に踏み込んだ。

    ーーー

    中は典型的な武家屋敷といった感じで、やはり権力者の住まいだったのだろう。
    玄関のすぐ奥には八畳間、そのさらに奥には廊下。
    八畳の間の左隣には四畳程の小さな部屋。廊下の突き当たりには階段があるようだ。
    調度品はそのままになっているようで、古びた箪笥だとか、刀だとか、着物なんかも置かれていた。

    「一松!」
    「…!!」

    廊下に出ようとしたところで、長い廊下の向こうに広がる中庭に先程の血濡れ男と再遭遇した。
    アイツどんだけこの辺うろついてんだよ夢遊病かよ!
    あ、真っ当な夢遊病患者の方ゴメンナサイ貴方を貶す意図はなかったんですホントです。
    咄嗟に、普段から持ち歩いている御札をそいつに向かって投げつけ、僕とチョロ松兄さんは物陰に隠れた。
    御札がハラリと力なく床に落ちる。
    え、嘘だろ。御札が効いてない。
    想定外の展開に隠れながら僕も結界をかけた。
    体力が減るが仕方ない。

    「トド松お手製の御札が効かないとか…。」
    「これは…いよいよ僕と一松だけじゃ厳しいね。」
    「ん…。なんとか兄さん達と連絡取らないと。」
    「そうだな…。つーか、どのくらい時間経ったんだろう。」
    「わからない…。十四松かトド松が気づいてくれないかな…。」
    「弟に頼ることになるのは情けないけど仕方ないね。
     確かに、気づいてもらえるとしたら末2人だよね。」
    「それまであれから逃げ回らないといけないわけか…。」
    「うわぁ…やだよ僕アレとこれ以上エンカウントするの。」
    「俺もやだよ…。」
    「てかさ、アレがこの空間の主?」
    「…だと思うけど。」

    末弟のトド松は護符やら御守りやらといった呪具を作るのが得意だ。
    霊媒体質な僕らにお手製の御守りと、何かあった時の為にと何枚か御札を手渡してくれている。
    さっき僕が投げつけたのも、トド松が渡してくれたもの。
    …が、その御札がどうも効力を発揮していない。
    つまりはこの空間は少なくともトド松より霊力の強い存在がいるというわけで。
    いや、トド松は決して弱くないよ?
    むしろ強いよ?
    そのトド松が作ってくれた特製の御札が効かないってアイツやばくない?!

    その時、僕はおぞましい姿をした血濡れ男に気を取られていて気付かなかったのだ。
    ここら一帯を彷徨っていた、あいつ意外の存在に。

    ++++++++++++++++++++++

    3.

    一松と手を繋いで屋敷の中を探索中、また血濡れ男と遭遇してしまった。
    名前なんか知らないから、もう便宜上この呼び名でいかせてもらおう。
    一松が投げつけたトド松特製の御札が効かなかったことに衝撃を受けた。
    嘘だろ…これ、詰んだ?
    一松がやむを得ず結界を張ってくれたおかげで事なきを得たけども。
    …それにしても、さすが一松の結界だ。僕の弱い結界とは息苦しさが全然ちがう。
    けど、いつまでもかけておくわけにはいかない。
    体力は温存しとかないと。
    一松はただでさえスタミナがないのだ。
    僕も人の事言えないけど。いや、一松よりはマシだけど。
    ヤツの気配が消えたので、一松には結界を解いてもらい、再び僕の結界のみになった。
    身を寄せ合うようにして隠れていた物陰から出て、同時に小さく溜息を吐いた。
    一松の顔は青いを通り越して白く見える。
    僕もきっと似たような顔してるんだろう。

    「あれ、そういえば一松。」
    「…何。」
    「今日は猫連れてないの?」
    「連れてない。…ていうか、チョロ松兄さんに会った時に帰した。」
    「そっか…。なんかごめん。」
    「いや…猫達がこんな所に巻き込まれずに済んだし、いいよ。」

    一松はよく猫に囲まれている。
    生きてる猫はもちろん、猫の霊も寄ってくる。
    猫の霊達は単純に寂しかったり、遊んでほしかったり、生前も一松に可愛がってもらったりという理由で集まってくるらしい。
    動物霊、特に猫霊に好かれるのもこの四男の特徴だ。
    いつもは猫の霊を何匹か連れていたりして、その子達が一松を守ってくれたりもするのだけど、
    一松は霊であろうとそのせいで猫達が傷付くのを酷く嫌がる。
    だから今日の帰り道、僕が声を掛けて、引き込まれる直前に猫霊達を自分から引き離したというわけか。
    一松からすれば特に守護霊というわけでもなく、普通の野良猫と同じような感覚で世話をする対象なのだろう。
    昔に比べると随分と卑屈になったけど、こういうところは優しいままなんだな、なんて。

    ーーー

    しばらく屋敷をうろついていたが、2階のとある部屋で足を止めた。
    どうやら書斎のようだ。
    中に入ると、触れただけでボロボロになりそうな書物が積み上がっていた。
    一松と繋いでいた手を離して、その中の一つを手に取って開いてみる。
    達筆なのかそうじゃないのかよくわからない字で、ほとんど読み取る事は出来なかったけど
    1箇所だけ読み取れた部分があった。
    「瓶宮湖ノ儀」
    多分、へいきゅうこのぎ、と読むのだと思う。
    少し読み進めてみれば、瓶宮湖はこの集落の最奥部にある湖のようだ。
    かつてはこの集落の人々の生活を支える資源だったのだろう。
    この屋敷に入る前に見えた用水路と細い小道の先にあるらしい。
    その湖はこの集落の人々にとって、命の源であり、聖なるものだったようだ。
    海や湖などの水そのものを御神体として崇拝の対象とするような信仰はたまに聞くことがある。
    この集落にも、地域独自の信仰として湖崇拝の文化が根付いていたらしかった。
    そして、その聖なる湖で神事も行われていたようだ。
    それが瓶宮湖ノ儀か。
    儀式の内容までは読む気が起こらなかった。

    読み物はこのへんまでにしておこう。
    というか、これ以上は僕では無理だ。
    呪具作りが得意なトド松なら、読めるのだろうけど。
    元々資料整理はそこまで苦手なわけではないのだけど、それはあくまでも落ち着いた状況の場合であって、
    こんなSAN値がすり減りそうなところで、やりたくはない。
    まあ、この集落の最奥にある湖が聖なるものだということは分かった。
    …けど、湖に繋がっているであろう水路から感じたのは決して清浄なものではなかった。
    むしろ、その逆だ。
    とすると、湖が穢れてしまったせいでこの辺りに重苦しい瘴気が溢れたのか。
    もしくは、瘴気のせいで湖が穢れてしまったのか…。
    うーん、やっぱり湖に行ってみた方がいいかな。
    大分危険な気がするけど。
    少なくとも何かヒントはありそうだ。

    「一松、ひとまずこの屋敷から出…一松?」

    振り返り、一つ下の弟を呼んだが後ろにいると思っていた一松の姿がなかった。
    青白いであろう自分の顔が更に青ざめていく気がした。
    いついなくなったんだ?

    「おい、一松?!一松っ!どこだ?!」

    慌てて部屋を出て辺りを見回すも、姿は見えない。
    何処へ、何処へ行った?
    どうして僕は気づけなかった?!
    早く見つけなければ。こんな所に1人など危険過ぎる。
    一松にとっても、僕にとっても。

    探さないと、探さないと。
    あんなのでも弟だ。
    僕の大切な弟の1人だ。

    だから、連れていかないで。
    弟を返して。
    返して
    返せ、かえせ

    かえせ、
    かえせかえせ、
    かえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせ!!



    …あれ?僕は何をしようとしてたんだっけ?
    ああそうだ、一松を探さないと。
    弟を、かえしてもらわないと…。

    おとうと、おれの、おとうとを

    どこに、どこにやった?
    どこにかくした?

    待って、僕じゃない…これは…。


    ゆるさない

    ゆるさない


    ゆるさない

    おとうとを、かえせ



    むかえに…いくから


    ++++++++++++++++++++++

    4.

    「トド松ー!!」
    「ぐふぅっ!じ、十四松兄さん…。」
    「消えた!気配が!!」

    夕日が沈んで町の街灯が点き始める頃、僕は最近知り合った女の子とLINEをしていた。
    けど、スマホをタップしていた時、不意に何かが抜け落ちるような感覚を覚えたのだ。
    その不思議な感覚には心当たりがあったから、適当に理由を付けてLINEを切り上げ、
    目を閉じて意識を集中…させようとしたところで十四松兄さんのタックルをモロに喰らったのであった。
    兄さんからすれば軽くじゃれついた程度なのだろうけど。
    もう少し下に入ってたら腹に直撃して3時のおやつをリバースしてたかもしれない。

    …僕達兄弟はどういうわけか「そういうもの」が見えるし感じることが出来る。
    僕にとっては、怖いのとか無理だし、全くもって勘弁してほしい話だ。
    ホント、何が悲しくてあんなの見えなきゃならないの。
    上の兄2人のように祓える力があればまだ怖くなかったかもしれないけど
    …いや、やっぱり無理だ怖いものは怖い。
    で、その中でも僕と十四松兄さんは感じる力が特に強い。
    探索系とでもいうのかな。
    意識を集中させれば、どの辺りにどんな霊がいるのか大体分かる。
    六つ子故なのかどうかは知らないけど、僕ら兄弟の気配もなんとなく分かるくらいだ。
    そして、その十四松兄さんが「気配が消えた」と言っている。
    僕も、さっき何かが抜け落ちたような感じがした。
    これは、ほぼ間違いなく…

    「チョロ松兄さんと、一松兄さん?」
    「うん!!どこかに引き込まれちゃったかも!」
    「十四松兄さん、兄さん達の形跡、追える?」
    「んーと、やってみる!」
    「お願いね。僕はおそ松兄さんとカラ松兄さん呼んでくるから。」
    「おう!頼んだトッティー!!」

    十四松兄さんは「行ってきまーッスルマッスル!」と叫びながら、勢いよく飛び出して行った。
    それを見送って、僕は長兄2人に連絡を入れる。
    LINEやメールでもよかったけど、緊急性を考慮して電話をかけた。
    おそ松兄さんに掛けると、3コール目で聞き慣れた声がした。
    電話の向こうで騒がしい音が聞こえる。
    大方パチンコだろう。

    「トド松か、どしたー?俺今忙しいんだけどー?」
    「あ、おそ松兄さん!チョロ松兄さんと一松兄さんが神隠しに遭ったっぽい!」
    「…場所は。」
    「今、十四松兄さんが形跡を追いかけてくれてる。」
    「わかった。カラ松は?」
    「今から連絡するところ。」
    「りょーかい。とりあえず家帰るわ。」
    「うん、お願い。」

    通話を終えて、同様にカラ松兄さんにもコールする。
    要件を伝えると、カラ松兄さんも声色を変えてすぐに戻る、と言ってくれて、通話を切った。
    おそ松兄さんもカラ松兄さんもちょっと怖かったよ。
    兄弟が危険な目に遭ってるかもしれないのだから気持ちは分かるけど。
    …けど、あの2人はそれだけじゃないんだろうな。

    チョロ松兄さんと一松兄さんは霊媒体質だ。
    しかもチョロ松兄さんはいろんなのを引き寄せてきちゃうし、
    一松兄さんはその引き寄せられた奴にあっさり取り込まれちゃうしで、
    僕らの中でも特にあぶなっかしくて注意が必要なのが真ん中の兄さん達。
    そんな兄さん達に、僕は定期的に御守りや護符を渡している。
    僕には祓う力なんてないし、結界を張ることだってできない。
    このくらいしか出来ることがないから。
    気休めかもしれないけど、兄さん達が僕が作った呪具をちゃんと持ってくれているのはちょっぴり嬉しかった。

    しばらくしておそ松兄さんとカラ松兄さんが帰ってきた。
    急いで帰って来てくれたのだろう、呼吸が少し乱れている。
    兄さん達に何か声を掛ける前に、タイミングを計ったかのように、僕のスマホが振動した。
    十四松兄さんからだった。
    短いメッセージで
    「駅からの帰り道、大通りから曲がった所!」
    と記されている。
    それを長兄2人にも見せて、3人で駆け出した。
    長兄2人の走るスピードに必死で食らいつくように、僕も走った。
    というか、兄さん達さっき散々走っただろうにまだ走れるとか化け物なの?!
    …あ、化け物だったわ。こいつらチートだったわ。
    はあ、こんなに走ったのいつ以来だろう。

    駅に向かう途中の道で、僕らは十四松兄さんと合流した。

    「この辺りなんだな?」
    「うっす!この辺で気配が途切れたから、多分!」
    「よし、トド松。空間裂けそうな所探してくれ。」
    「分かった。…あ!!」
    「どうした?」
    「御札が使われたみたい!」

    そう、僕が兄さんに手渡した御札が使用された気配を感じたのだ。
    僕が作って、僕の霊力を込めた御札だもん、使われれば分かる。
    しかも、相手に効かなかったようだ。
    つまりチョロ松兄さんと一松兄さんは、僕の持つ霊力よりも強い悪霊(かどうかはまだ分からないけど)に引きずり込まれてるってことになる。
    なかなかの強さってことだよね。
    …真ん中の兄さん達大丈夫かな。
    ともかく、チョロ松兄さんか一松兄さんのどちらか知らないけど、御札を使ってくれたおかげで、空間の裂け目が分かりやすくなった。

    「カラ松兄さん、この辺殴ってみて。」
    「ああ、分かった。」
    「御札使われたんなら倒せたんじゃね?」
    「ううん、倒せてない。無効化されたっぽい。」
    「おいそれヤバくないか。」
    「うへぇー!トッティの御札が無効化されちゃうとかヤッべーー!!」
    「急いだ方が良さそうだな。行くぞ。」

    いつものイタさがログアウトして、いつもより声が幾分低い(そして怖い)カラ松兄さんの渾身のパンチが、何も無いはずの空間に向かって振り下ろされる。
    普通なら単に空振りするだけのはずのそれは、何かにめり込んでバリンッと音が鳴った。
    音の出どころへ顔を向ければ、無理やり破かれた空間の裂け目が眼前に広がっていた。
    途端に、裂け目から溢れる瘴気。
    …うわ、気持ち悪い。
    真ん中の兄さん達、いつからここに閉じ込められているんだろう。
    早く見つけないとヤバイかも。
    同じ事を兄さん達も感じ取ったのだろう。
    顔を上げると、十四松兄さんは珍しく口を閉じてじっと1点を見つめているし、
    カラ松兄さんは眉間に皺を寄せて人殺せそうなくらい険しい顔をしているし、
    おそ松兄さんは怖いくらいの無表情だし。

    …そんな中、おそ松兄さんが口を開く。

    「っし。そんじゃ手の掛かる真ん中共を迎えに行くとしますか。
     …一応聞くけど、みんな来るつもりだよな?」
    「当たり前だろう。」
    「うっす!兄さん達探す!」
    「僕も行くよ!ちょっと怖いけど、探し物は僕の得意分野なんだからね。」

    僕らの言葉に、おそ松兄さんは満足そうに頷いた。

    「そんじゃ、突撃ー!」

    目は全然笑ってないクセにやけに明るいおそ松兄さんの掛け声を合図に、
    僕らは一斉に空間の裂け目に飛び込んだ。

    ++++++++++++++++++++++

    5.

    トド松から報せを受けて、急いで家に帰り、
    十四松とトド松が見つけてくれた異空間への入口をカラ松がぶん殴って無理やりこじ開けて、中に突撃した。
    ハイこれ今までの経緯ね。
    ほんとはあの時、あのスロットフィーバーしかけてたんだけど、まぁ仕方ない。

    異空間は集落跡のような場所だった。
    目の前には大きな武家屋敷。
    田んぼや畑の周りには民家らしき日本家屋も見受けられる。
    そして、辺り一帯に漂うヒンヤリとした嫌な空気と瘴気。
    こりゃまた厄介なモンに巻き込まれやがったな、あいつら。

    「十四松、トド松。あいつらの気配追えそうか?」
    「うぅ~…いろんなモノにジャマされて、追えない…!ヘンなにおいする!」
    「ごめん、僕も無理…なんか、気持ち悪…。」
    「まずいな、俺達もあまり長居は出来そうにないぞ。」
    「分かってる。…しかたねぇ2手に別れるか。
     トド松は俺とな。カラ松は十四松と頼むぜ。」
    「フッ…了解、確かに頼まれたぜ兄貴。」
    「ウィッス!兄さん達絶対見つけるッス!マッスルマッスル!!」

    カラ松、こんな暗闇でサングラスはやめた方がいいと思うぞ。
    あと十四松、バット振り回すの止めような。それどこから持ってきた?
    そんな中、トド松があまりの瘴気に口元を手で覆っている。
    本気で気持ち悪いんだろーけど、こんな時まであざといポージングなのはさすが末っ子歪みねぇな。
    …正直、この瘴気は俺も結構キツイ。
    カラ松と十四松は悪霊とかそういう害のあるものは寄せ付けない質だから
    幾分か大丈夫そうだけど、それでも霊感持ってる限りは影響が全くないとは言い切れない。
    早急に真ん中2人を見つけて、この空間をなんとかして帰る必要がある。

    「いいか、身の危険を感じたら絶対に逃げろよ?
     ミイラ取りがミイラになっちまったら元も子もねぇからな。」
    「分かってる。兄貴も気をつけろよ。」

    カラ松と十四松と別れて、俺とトド松は目の前の大きな屋敷を調べることにした。
    本来、十四松とトド松は霊や兄弟の気配を追うのが得意だ。
    感知に関しては兄弟の中で最も優れているし、トド松は特にコントロールも上手い。
    そのコントロール力があるから呪具を作ったりできるのだ。
    …しかし今は、瘴気や周りに漂う地縛霊だったり浮遊霊だったりが邪魔なせいで、気配を上手く追えない。
    だから虱潰しに探すしかない。
    俺は除霊したりとか、攻撃する事に関しては結構な強さだと思うんだけど、
    こういう、他のことに関してはてんでダメなんだよね。

    ーーー

    屋敷はそれなりの広さがあった。
    怖がりなトド松が震え上がっているのがわかる。
    うん、確かに不気味だよな。
    古びた刀やら人形やらがそのまま放置されてるし、正に王道ジャパニーズホラー。
    屋敷内をウロつく悪霊の群れを祓いながら、マジでお化け屋敷だわーなんてわざとらしくゴチて歩みを進めていると、
    広い部屋から廊下に出たところで、トド松が小さく声をあげた。

    「…あ。」
    「どした?」
    「チョロ松兄さんと一松兄さん、此処に居たのかも。」
    「お、マジで?」
    「結界の気配がしたから。しかも結構強いよ。一松兄さんが結界張ったのかな。」
    「ふーん…お。トド松、それ間違いなさそう。」
    「え?」
    「これ、見てみ?」
    「あ!」

    長い廊下に面した中庭に落ちていたのは、トド松お手製の御札。
    もう効力は無くなっているようだけど、末弟が三男と四男に持たせたモノに間違いなさそうだ。
    ここで居なくなった2人のうちどちらかが御札を使って、
    しかし相手に効かなくてどこかに逃げた、ってところだろう。
    トド松に効力の切れた御札を手渡した。
    それを受け取り、トド松は御札を握り締めて悔しそうに唇を噛み締めている。
    …そりゃ、悔しいだろうな。
    手渡した御札が効力を発揮出来ずに、真ん中2人を守りきれなかったのだ。
    でも馬鹿だな、トド松の作る御守りが普段どんだけ年中組を助けてると思ってんだよ。
    言っておくがこんなのは例外中の例外だ。
    だからさ、

    「トド松、お前のせいじゃねぇよ。ちょーっと相手が悪かっただけだ。」
    「……うん。」
    「ほらほら、落ち込むのは後な?今やらなきゃいけねぇこと、わかるよな?」
    「わかってる!」

    少し拗ねたように声を荒らげて、トド松はキツく目を閉じた。
    何かに集中するように。
    実際、集中しているのがわかったから声は掛けずに静かに見守った。
    うん、切り替えが上手いのは流石だよな。

    「上の階。」
    「りょーかい、行くか。」

    此処で感じ取った結界と落ちていた御札から気配を辿ったのだろう。
    キッパリと言い切った末弟の言葉に従い、階段へと足を向けた。
    迷いなく進んでいくトド松を追うと、たどり着いたのは書斎のような部屋。
    末弟曰く、此処でチョロ松と一松の気配が途絶えているらしい。
    こんな屋敷のド真ん中で気配が途切れてるってどういうこった。
    …と、気付くとトド松が部屋の中の書物?っていうの?を物色し始めていた。

    「何してんのトド松。」
    「この屋敷、集落の権力者の家っぽいじゃない?
     なんか、この集落についての記録がないかなって思って。
     何か手掛かりあるかもだし。」
    「そりゃそうだろうけど…俺、そういうの手伝うの無理よ?」
    「わかってるよ、その辺に関してはおそ松兄さんには期待してないから。」
    「さり気なくお兄ちゃんのこと馬鹿にするの止めてくんない?」
    「あっ、これ見て!」
    「無視かよオイ。」

    トド松後で覚えてろよ。
    と内心で思いながらトド松が開いて見せた書物をのぞき込む。
    うん、なるほどわからん。
    読めるかよこんなモン!
    トド松は御守りやら御札やらを作ってるせいか、古い文献を読み解くのがやたらと上手い。
    俺にはミミズが這った跡にしか見えないけど。

    「…何て書いてあんの?」
    「この集落の信仰と儀式の記録。」
    「信仰?」
    「うん。この集落、実在した場所みたいだよ。
     集落の奥にある湖を御神体として崇拝してたみたい。」
    「へえ…地域独自の信仰ってやつか。」
    「で、湖…瓶宮湖っていうらしいけど、そこで神事もやってたみたいだね。」
    「神事って?」
    「この集落…生贄の習慣があったみたい。」
    「…マジか。」
    「何年前かは分からないけど、農作物が不作だった年があって、
     村を救うために生贄を差し出して儀式を行うとかなんとか書いてる。
     儀式の決定の記録から先は何も書かれてない。」

    村を救うために儀式が執り行われたものの、それで突然村が安泰になるわけがない。
    集落は農作物の不作によって飢饉に陥り壊滅した。
    この辺りは、飢饉により命を落とした者達が無念の思いと共に彷徨っているのではないか、というのがトド松の推測だ。
    なるほどな。
    トド松の推測は概ね間違ってないと思う。
    …けど、なんとなくそれだけじゃないような気がする。
    農作物の不作やら儀式やらは関係してそうだけど。
    いや、これはただの勘。

    「トド松、その儀式ってどんなものか書いてる?」
    「書いてる。
     …生贄の神子を石棺に生きたまま閉じ込めて、湖に沈めるんだって。」
    「うわ、えげつねぇな。」
    「ほんとにね…。
     湖が聖なる物だから、そこに贄を捧げて祈祷するってことじゃないかな。」

    さて、この集落の事情は少しわかった。
    ちょっとタイムロスになったが、興味深い情報だ。
    しかしこれ以上ここには何も無さそうだし、俺達は屋敷から出ることにした。

    ーーー

    書斎から出て、玄関に向かった時だ。
    ゾワリ、と凍るような悪寒が背骨を突き抜けた。
    トド松が「ヒッ」と小さな悲鳴をあげて俺のパーカーの裾を握ったのがわかった。
    何かが近づいている。
    どす黒い影を引き摺った、おどろおどろしい何か。
    しがみつくトド松が震えている。
    安心させるように肩をトンと叩き、玄関前の生垣の陰に隠れるように促した。
    何者か知らねぇけど、いっちょお兄ちゃんが祓ってやりますか。
    ゆっくりと近づいてくる黒い影に飲み込まれないように、意識を集中させる。
    グッと右の拳を握りしめて、そいつと対峙した俺は、動きを止めて目を見開いた。
    黒い影を引き摺ったそいつは、見慣れた緑色のパーカーを身にまとっていた。
    思わず固まった俺に向かって、そいつが腕を振り上げる。
    その手には錆び付いた日本刀。
    ってオイ?!
    なんちゅー物騒なモン振り回してんだよ!
    なんとか避けて距離を取ったけどマジヒビったっての。

    「おいおいチョロちゃん…
     折角お兄ちゃんがお迎えに来てやったってのにさぁ、それはないんじゃない?」

    「かえせ、かえせかえせかえせかえせ…!」
    「あー、ダメだなこりゃ…。」

    姿を確認した時点で察しは付いていたけど、完全に憑かれてる。
    乗り移られたチョロ松の目は虚ろで焦点が定まっていない。
    片目が黒い影に覆われいた。
    うわ言のように「かえせ」と繰り返し、刀を振り回しながら…涙を流していた。
    ふらつく足取りでこちらに向かってくるチョロ松の周りを黒い影が覆い、
    そこから無数に伸びた手やらギョロギョロした目やら顔やらが伸びている。
    さっさと祓ってやりたかったが、1つ問題がある。
    俺は確かに祓う力は強いのだけど、人に憑いてる奴は祓えないのだ。
    だから一旦、取り憑いたヤツから引き剥がす必要がある。
    そのためにも、まずはチョロ松が手にする日本刀をなんとかしないといけない。

    「チョロ松、何を返してほしいんだよ?」
    「かえせ、かえせ…ゆるさない、ゆるさないゆるさない」
    「っと!」

    チョロ松が日本刀を振り下ろし、ブンッと空気を割くような音が鳴った。
    俺の前髪が数本切られて、ハラリと落ちる。
    うわ流石に肝が冷えたぞコレは。
    思った以上に動きが俊敏だ。
    しかも本気で叩っ切ろうとしてきやがった。
    元よりチョロ松はスピードに関しては兄弟随一だし、スタートダッシュからフルパワーになるまでの時間が極端に短い。
    スタミナがそこまでないから持久走ならこちらにも勝機があるのだが、いまこの状況で持久戦は危険過ぎる。
    …隙をつくしかないな。

    チョロ松と一定の距離を保ち、次に刀を振り上げるタイミングを待つ。
    再び右手が振り上げられたのを見逃さず、懐に飛び込むと、
    すかさず右手に握られた日本刀をたたき落とし、胸ぐらを掴んで引き寄せ、鳩尾に拳を叩き込んだ。
    少々手荒だが許してほしい。
    不意打ちは上手くいったようで、チョロ松の身体から力が抜けるのがわかった。
    気を失って崩れ落ちたチョロ松を受け止める。
    鳩尾にパンチした衝撃で、取り憑いていたヤツは離れたようだ。
    ゆっくりとチョロ松を横たえて頭を膝に置き、頬に伝う涙をそっと拭った。
    一体どこのどいつが、こいつにこんな顔させやがった。
    …と、生垣に隠れながら様子を見守っていたトド松が、慌てて駆け寄ってきた。

    「おそ松兄さん!」
    「あー、久々に肝が冷えたマジで。」
    「チョロ松兄さんは?」
    「多分、気を失ってるだけだろ。」
    「そう…よかった。」

    異空間に飛び込んだ以上、この空間を作り出している元凶をなんとかしなくては脱出は難しい。
    さっきまでチョロ松に取り憑いていたやつがそれっぽいけどなー。
    取り逃がしちまったけど、チョロ松を取り戻せたのは幸いだ。
    大きくため息を吐いて抱え込むようにして二つ下の弟の頭を抱きしめた。
    固く目を閉じたまま青い顔をしたチョロ松はしばらく目覚めそうにない。

    ーーー

    結局、チョロ松を連れて俺とトド松はさっきまでいた屋敷にUターンした。
    衰弱したチョロ松を休ませるには屋内の方がいいだろうし、
    この際トド松にも調べ物の続きをしてもらおうって事で、俺達は書斎へと戻った。
    比較的綺麗な畳の上にチョロ松を寝かせて、俺は近くにあった机に肘をついてその寝顔を眺めていた。
    トド松がガサゴソと文献を漁る音以外は何も聞こえてこない。
    チョロ松へと手を伸ばす。
    癖のない前髪をそっと撫でる。
    温度を失った頬にそっと触れる。
    …起きない。
    頬に触れた手はそのままに、ゆっくりと顔を近づける。
    微かに呼吸する音が聞こえてきた。
    その事にひどく安心した。
    互いの鼻が触れてしまいそうなくらい、更に顔を近づける。
    もう少しで、唇に触れてしまいそうなくらいに。

    「…いや、何やってんだ俺…。」
    「おそ松兄さん?どうかしたの?」
    「なんでもー。」

    やめとこう。
    こんな所で、しかも寝込みを襲うような真似。
    チョロ松が起きて、ちゃんと全員無事にここを出られたらだ、うん。

    ちなみに、俺のキス未遂は末弟にしっかりと見られていた。
    …と、後日知った。

    ++++++++++++++++++++++

    6.

    「さて、何処から迷子の子猫ちゃんを探すとしようk「えっ?!」えっ。」
    「いや…どこか怪しい所はあるか?十四松。」
    「んーと、多分こっち!」
    「ん?水路の方か?」
    「そう!なんかいろんなにおいがしてやべー!!」

    行方知らずになったブラザーを探して異空間に飛び込んだはいいが、
    どうやら此処は悪しき魂に支配され、不浄な気で満ちているようだ。
    気配を察知するのが得意な十四松が、チョロ松や一松の気配を上手く辿れないくらいには、様々なモノが蔓延っているらしい。
    ちなみに十四松はこういった気配を「におい」と称している。
    この異質な空間の中、いつもの明るい調子を崩さない十四松のなんと心強いことか。
    そもそも、俺も十四松も、悪霊だとか怨霊だとかこちらに害を為すモノは寄せ付けない体質らしいのだ。
    だからこの異質な空間の中でも割と自由に動ける。
    十四松が野生の勘で指し示した方向からは如何にもな雰囲気が漂っていた。
    だからこそ、此処に来てから気分が優れない様子だった兄貴や、明らかに青ざめた顔をしていたトド松よりも、
    影響の少ない俺達が調べるべきだろう。

    「それじゃ、行くとするか。先導は任せたぜ、ブラザー!」
    「あいあい!」

    水路に沿った細い道を進む。
    道中襲い掛かってくる悪霊を祓いながらひたすら歩いた。
    前を歩く十四松はいつも通りだが、周りはしっかりと警戒してくれている。
    …俺と兄貴は兄弟の中でも除霊ができるという強みがあるが、実は他の事は何もできない。
    年中2人のように結界を張ることも、末2人のように気配を察知して追うこともできない。
    ただ己の拳を奮って攻撃するのみなのだ。
    そう、いうなれば俺は剣…自らの身を武器に己が拳に宿る聖なる力をもって道を切り拓くのだ。
    俺とおそ松、上2人が除霊が出来るのは、きっとそうして弟達を守るためだ。
    「そういうモノ」が視えて、聞こえて、引き寄せやすかったり、誘われやすかったり、
    感じ過ぎて怖がる弟達を守るため、聖なる浄化の力があるのだと思っている。
    だから待っていろ。
    必ず俺が助けに行くからな。

    「カラ松兄さん!トンネルだ!水路まだ続いてるよー!」
    「そうだな…トンネルというより、天然洞窟か?」
    「この奥!」
    「うん?」
    「この奥にいるよ、一松兄さんがいる!たぶん!!」
    「そうか!なら急ごう。走るか!」
    「うっす!僕走るのすっげー速いよ!」

    細い道を進むと、洞窟の入り口までたどり着いた。
    洞窟の中へと水路は続いているようだ。
    こんな不気味な集落跡の奥に佇む洞窟…さながら冥界へと伸びるバージンロードのようだ。
    おっと、いくらバージンロードとはいえ、半透明で足のないレディーと腕を組んで進むのは、さすがの俺でもノーサンキューだな。
    …その洞窟はさほど長いわけではないようで、漆黒の闇の中、遠くに微かな光が漏れているのを確認出来た。
    十四松が「この先に一松がいる」と言っているのだ。
    きっとそうなのだろう。
    はやる気持ちを抑えて、十四松を追って走った。
    洞窟の内部は道は無く、水路のみだ。靴もジーンズの裾も濡れたが気にしない。
    派手な水しぶきを上げて前を走る十四松のスリッパと靴下もずぶ濡れだ。

    …洞窟を抜けた先は湖だった。
    湖面に月明かりが反射して煌めいている。
    辿ってきた水路はこの湖から引かれていたようだ。
    洞窟から湖へ向かっていくつか鳥居が立っていて、湖と陸の境にそびえ立つ鳥居は特に巨大だった。
    その巨大な鳥居の下には石で作られた精巧な箱が置かれている。
    縦も横も高さも1m前後くらいだろうか。
    箱の半分程は湖に浸かり、今もゆっくり、ゆっくりと沈んでいっていた。

    「…!!
     カラ松兄さん!こっち!!」

    珍しく焦った表情の十四松が湖に向かって走り出したかと思うと、水底へ沈みつつある石の箱に手をかけた。
    服が濡れるのを厭わずに陸の方へとズリズリ引っ張り上げようとしているようだ。

    「十四松?」
    「うおおぉりゃあぁぁ!!」
    「よ、よくわからんがコレを引き上げればいいんだな?!」

    2人掛かりでずっしりと重たい石の箱を陸地へと引き上げた。
    俺も十四松も靴とかズボンとか、もうすっかり水を吸って色が変わっている。

    「ふう…一体どうしたんだ、十四ま…」
    「カラ松兄さん!これ!開けて!!早く!!」
    「え…わ、わかった。」

    言われるがまま、箱の上部、蓋のようになっている箇所を持ち上げた。
    石と石が擦れる重たい音が響く。

    「…っ?!」

    「兄さん!!」
    「一松?!…一松!おい、しっかりしろ!」

    蓋を開けてみれば、石の箱の中には探していた弟の姿があったのだ。

    一気に自分の体温が下がったような気がした。
    実際下がったんじゃないか、一度くらいは。
    それ程に背筋が凍った。
    箱の中、膝を折り曲げ身体を丸めて詰め込まれた状態の一松は、胸元まで水に浸かり、ぐったりとしていた。
    …もし、このまま気付けずにこの石の箱が湖の底に沈んでいたら…考えるとゾッとする。
    十四松がいてくれてよかった。
    慌てて箱の中から一松を引き出せば、一松の身体は冷えきっていて、その顔は青いを通り越して最早白い。
    そのまま抱き上げ、少し悩んだが最初にここに降り立った屋敷の前まで移動する事にした。
    このままでは一松の体温は奪われていく一方だ。
    気休めかもしれないが、屋内ならいくらかマシだろう。
    俺の肩に力なく埋まった一松の額が冷たい。
    首元に微かに呼吸で息が掛かるのを感じて、どうしようもなくホッとした。
    よかった、生きている。

    「十四松、最初の屋敷まで戻ろう。」
    「あいあい!」

    とにかく、今は一松を休ませる必要がある。
    俺と十四松は辿ってきた道を逆方向に走り出した。

    ーーー

    屋敷まで戻ると、ひとまず玄関のすぐ奥にあった八畳間に一松を寝かせて水を吸った服を脱がせた。
    いつものつっかけのサンダルはどこかに紛失してしまったようだ。
    …外傷はない。
    濡れてしまったパーカーの代わりに俺のジャケットを着せておいた。
    冷えきった身体を温めたくて、一松を強く抱きしめ、自分を落ち着かせるようにその湿った髪を梳いた。
    上手く言えないが、こうしてしっかりと抱きとめていないと消えそうで怖かった。
    十四松は一松の手を両手で握り、じっと座り込んでいる。

    どのくらいそうしていただろうか。
    腕の中の一松が身じろぎして、長めの睫毛が僅かに震えた。

    「一松?」
    「一松兄さん!」

    「う……」

    ゆっくりと一松の目が開いた。
    が、その瞳は俺達を捉えてはいなかった。
    虚ろな目でどこか遠くを眺めながら、突如涙を流し始めた。

    「にいさ、ん…どこ、にいさん…おいてかないで…
    ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…」

    「一松!おい、しっかりしろ!一松!!」
    「一松兄さん!…じゃないね、誰?一松兄さんの身体返して!」

    十四松の言葉に一松は何かに取り憑かれているのだと理解した。
    俺の腕の中から抜け出そうと暴れる一松を慌てて抑え込む。
    腰を引き寄せて自分の身体と密着させると、ジタバタする一松を無理やり抱え込んで自分の両手指を祈りを捧げるように組んだ。
    これは、攻撃しか出来ない俺の唯一の護りの術だ。
    「身固め」と呼ばれるそれは、憑かれたその人が連れていかれないように、ここに留めさせるために引き留める技らしい。
    その昔、この術を俺に教えてくれたのは一松だった。
    それを一松本人にする事になるとはな。

    「ねえ、君誰なの?その身体は一松兄さんのだよ?返して?!」
    「一松!一松、聞こえるか?!帰ってこい!!」

    「にいさん、にいさん、どこ…どこにいったの…ごめんなさい、ごめんなさい…」

    駄目だ、俺の声も十四松の声も届いていない。
    一松は取り憑かれた何者かに同調してしまっている。
    俺は取り憑いた霊を祓うことはできない。
    一度引き剥がさなければならないのだが、生憎それもできない。
    おそ松なら容赦なく殴って無理やり引き剥せるのだが、俺はその辺が上手くコントロールできないのだ。
    一松が霊と同調してしまっている状態で俺が無理に力を振るえば、一松の精神ごと吹き飛ばしかねない。
    だから、こうしてせめて一松が連れていかれないようキツく抱きしめるしかない。

    「一松兄さん!一松兄さ…っあ、えっ?!」
    「十四松?!」
    「カラ松兄さん!なんか上からヤッベーの来る!!」
    「おいおい…笑えないなこの状況で…。」


    「かえせ、かえせかえせかえせ、ゆるさない、ゆるさない…いかないと、むかえにいかないと…むかえにいくから…」

    「え…!」
    「チョロ、松…?!」

    背後から凄まじい冷気と共に姿を表したのは、虚ろな目で何か呟き続けるチョロ松だった。
    いや、正確にはチョロ松の身体を借りた何か、と言うべきだろう。
    黒い影を纏い、まるでこの世の絶望全てを背負ったような空気だ。
    薄らと血塗れの着物の男性の姿が重なって見えた。
    右手に持つ古びた日本刀の切っ先からポタリと血が滴っている。
    …おい、それ一体誰の血だ。
    とにかく、このまま放っておけば、チョロ松は完全に飲み込まれてしまう。
    怖いもの知らずな十四松さえもチョロ松に取りく黒い影に息を飲んで後ずさりしている。

    「にい、さん…?」

    さっきまで腕の中で暴れていた一松が大人しくなり、チョロ松をじっと見つめている。
    その視線に気付いたチョロ松がこちらに向かってきた。
    2人共何かに取り憑かれているのは明らかだ。
    チョロ松から距離を取ろうとして、違和感に気付く。

    「…っ?!身体が…!」
    「カラ松兄さん…!なんか、身体が動かない!」

    身体が動かない。
    金縛りってやつか。指先一つ動かせない。
    目の前が真っ黒な靄に覆われる。
    腕の中から一松がスルリと抜け出したのが分かった。

    「駄目だ一松!!行くな!!」
    「一松兄さん!チョロ松兄さん!だめだよ!いっちゃだめ!
    やだ、遠くに行っちゃう…!」

    駄目だ!頼む、行かないでくれ!
    必死に声を張り上げたが、一面真っ暗に染まった視界で何も見えない。
    何も見えないが、チョロ松と一松が遠ざかっていくのはわかった。
    2人が遠ざかるのに比例して、だんだんと身体の自由もきいてくる。

    「カラ松兄さん!」
    「!…十四松か?」
    「はい!十四松でっす!!」
    「お前は無事か?どこも怪我していないな?」
    「へーき!カラ松兄さん、こっち!!」

    暗闇の中、気配を追ってくれたのか十四松が駆けつけてくれた。
    俺の腕を掴み、ぐいぐい引っ張り出した。

    「十四松?」
    「おそ松兄さんとトド松が近くにいる!」
    「わかった、頼んだぞ。」

    どうやら十四松は兄貴とトド松の元へ向かっているようだ。
    迷いなく進む十四松の後に続いた。

    ++++++++++++++++++++++

    7.

    両親は弟が五つの頃に相次いで死んだ。
    他の村と関わりをあまり持たない閉鎖的な村の中で、おれは幼い弟と共に生きてきた。
    弟は身体が弱く、いつも寝たきりだった。
    朝早く出掛けて、夜遅くに帰ってくるおれを弟はいつも笑顔で見送り、そして出迎えてくれた。
    その屈託のない笑顔が好きだった。
    何よりも大切だった。
    この笑顔だけは守らなければならない。
    おれの、唯一の家族なのだ。


    その年は数度に渡る嵐のせいで、農作物が不作だった。
    冬を越せるだけの蓄えを用意出来なかった。
    だから、いつもの農作業に加えて山で山菜や木の実を採ったり、魚を釣ってきたりして来たる冬に備えているところだった。
    帰り道、村の年寄衆に呼ばれたおれは長老の家に通された。
    一体何の話かと思えば
    「今年農作物が不作に終わったのは瓶宮湖の神様がお怒りなせいだ。
     怒りを鎮めるために、供物を捧げなければならない。」
    などと言う。
    嫌な予感がした。
    長老は無表情のまま続けた。
    「お前の弟を供物として捧げることに決まった。」
    それを聞いて、おれは全力で抵抗した。
    ふざけるな、ふざけるな。
    弟を、あの子をあの石の箱に入れて冷たい湖の底に沈めるというのか。
    そんな事絶対させない。
    そう喚き散らして暴れ回った。
    暴れるおれを村の大人達は数人掛りで押さえつけ、頭を殴られた。

    目を覚ました時、既に儀式は執り行われた後だった。
    後ろ手で手首を縛られていた。
    片目がじくじくと痛む。
    幸い足は自由だったから急いで外に出た。
    家に帰るも、弟の姿はない。
    少し争ったような形跡があったから、弟は無理やり連れていかれたのだろう。
    何故だ。
    何故あの子が死ななければならなかったのだ。
    あの子を犠牲にして村の大人達が助かるだなんてゆるせない。
    ゆるせない
    ゆるさない
    弟を、あの子をかえせ
    かえせ、かえせかえせ
    かえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせ

    父の形見として仕舞ってあった日本刀を抜き取った。
    手を縛っていた縄を切る。
    少し掌も切ったが気にしなかった。
    おれは村中を暴れ周り、見つけた村人を片っ端から切り付けていった。

    ゆるさない、ゆるさないゆるさないゆるさない!

    ああ、弟をむかえにいかなければ。

    ーーー

    ぼくの兄さんはとても優しい。
    両親を亡くして、2人きりになってしまったぼくらは、2人だけで静かに暮らしていた。
    身体の弱いぼくは外に働きに出ることが出来なかったから、毎朝兄さんを見送って、毎晩兄さんを出迎えた。
    そうして、ぼくに優しく笑いかけてくれる兄さんが好きだった。
    ぼくを撫でてくれる大きな、擦り傷だらけの手が好きだった。
    だけど、同時に申し訳なくも感じた。
    身体の弱いぼくなんかがいるせいで、兄さんは自由になれないのではないか。
    ぼくは兄さんの足枷になっているのではないか、と。

    ある日、家に村の大人達がやって来た。
    兄さんはまだ帰ってきていない。
    その人たちはみんな一様に怖い顔をしていて、ぼくは身を縮めて震えることしか出来なかった。
    大した抵抗もできずに無理やり連れていかれた地下の座敷牢に長老様がやってきてぼくに言った。
    「おまえは村を救う儀式のために供物になるのだ。
     おまえが大人しく供物になる事を認めれば、兄の生活は豊かなものになると約束してやろう。」
    …ぼくが神様の捧げものになれば、兄さんは豊かに暮らせるの?
    ならば、それならばぼくは。
    ぼくが役に立てることなんて、そのくらいなのだから。
    ぼくは供物になることを受け入れた。

    石の箱に詰め込まれて、湖の底に沈められた。
    苦しくて苦しくて、何度もなんども心の中で兄さんに助けを求めた。
    兄さん、兄さん…と繰り返しながら、やがてぼくの意識は薄れていった。


    気付いた時には、ぼくは湖の鳥居の下に立っていた。
    どうしてぼくはこんなところに?
    …ああ、そうだ。
    儀式の供物になったんだ。
    おかしいな。水の底にいたはずなのに。
    儀式がうまくいかなかったの?

    そんなことを考えていたら、村から悲鳴が聞こえてきた。
    気になって村へ行ってみると、そこは地獄絵図だった。
    村の人たちが無残に切り裂かれている。
    一体何が。

    戸惑いながらも村を見て廻っていると、大通りで修羅のような顔で刀を振るい、村人達を切り裂いていく兄さんの姿があった。
    何故、何故兄さんが。
    兄さんはぼくの名を呼んでいる。
    ぼくをかえせと叫んでいる。
    ぼくのせい?
    ぼくのせいで、兄さんはああなってしまったの?

    ああ、あんなに優しい兄さんが
    ぼくのせいで、ぼくのせいで

    にいさんを、おいかけなきゃ
    おいてかないで、ぼくをおいていかないで

    ごめんなさい

    ごめんなさい、ごめんなさい兄さん
    ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい

    ++++++++++++++++++++++

    8.

    「トド松、泣くなって。」
    「ぐすっ…ひぐっだ、だれの…せいだとっふぇっ…」
    「あーはいはい俺のせい俺のせい。悪かったから。あと、手当てあんがとな。」
    「も…兄さんの、ばかぁ!」

    いやぁ、油断したね。
    まさか眠りこけていたチョロ松が突然目を覚ましていきなり襲い掛かってくるとは思わないじゃん?
    つか、俺が確かに叩き落とした筈の日本刀をいつの間にか手に持ってたし。
    どーゆー原理よ、アレ。
    背後に薄らと血濡れの着物を纏った男が見えた。
    あれが親玉だろう。
    なんとか致命傷は避けたんだけど、肩を綺麗に切られちゃって、トド松が泣きながら応急処置をしてくれた。
    いくらチョロ松が取り憑かれていたとはいえ、同じ顔した兄弟が兄弟を本気で殺そうとしてる光景はショックだっただろう。
    怖がりなのにそれに耐えて異空間に付いてきてくれたってのに、可哀想なことをした。
    プリンで許してもらえねーかな。
    見た目より傷は深くないけど、さすがに動かすのはツライ。

    …ん?なんか引き戸の向こうが騒がしいような

    ードタドタドタッスパァン!

    「おそ松兄さん!トド松!!」
    「えっ十四松兄さん?!あとカラ松兄さんも。」
    「2人共無事……ではないな、何があったんだ?」
    「そっちこそ、びしょ濡れじゃん。」

    騒々しく登場したのはカラ松と十四松だった。
    何故か2人共下半身がずぶ濡れだ。
    しかもカラ松は着ていた筈のイッタイ革ジャンがなくなっていて、タンクトップだ。寒そう。
    カラ松は俺の肩の怪我を見て険しい顔をしてるし、
    十四松は泣きついてきたトド松の頭を伸びきった袖のまま撫でている。

    「うん…情報交換といこうぜ。年中組救出作戦も立てねーとな。」

    さて、ここいらで少し状況を整理するとしよう。

    ーーー

    おそ松の話
    …俺とトド松はこの空間に来てから、目の前にあった屋敷の中を調べてた。
    どうやらチョロ松と一松も此処にいたのは間違いないみたいだぜ。
    トド松がさ、一松が張ったらしい結界の気配感じたって。
    あと、廊下の先にある中庭に効力切れの御札が落ちてたんだよ。
    で、トド松がそれを元に2人の気配を辿って書斎に着いたってわけ。
    うん、この部屋ね。
    そんでしばらくここで調べ物して
    …あ、調べ物の内容はトド松から聞いてくれよ。
    で、一通り調べ終えて屋敷から出たところで、悪霊に取り憑かれたチョロ松と鉢合わせた。
    もうね、とんでもない憎悪だけに支配されちゃった感じになってるわ、
    日本刀振り回してて物騒だわ、さすがのお兄ちゃんも冷や汗モノだったわー。
    見たところチョロ松に憑いたのがこの空間の元凶な気がするな。
    「かえせ」だの「ゆるさない」だの延々とブツブツ繰り返してさ。
    チョロ松を気絶させて、それで取り憑いてた奴の気配も消えたから、
    気絶したチョロ松を連れてもう一回この書斎に戻ってきてたんだよ。
    トド松も、もう少し色々調べたいつってたし。
    しばらくチョロ松は静かに寝てたんだけど、突然目を覚まして襲い掛かってきたんだよね。
    あれは確実に俺の喉を狙ってたね。
    なんとか避けたけど。
    まぁ、完全に避け切れずに肩怪我しちまったけど。
    チョロ松…というか、チョロ松の身体を乗っ取ったヤツはそのままどっか行っちまった。
    で、トド松が手当てしてくれてたところにカラ松と十四松がここに来たってワケ。
    俺が話せるのはこんだけだな。

    ーーー

    カラ松の話
    あの時見たのはやはり…ん?ああすまない。最初から順を追って話さないとな。
    俺と十四松は屋敷の脇にあった水路を辿っていったんだ。
    奥には洞窟があって、洞窟を抜けた先には湖があった。
    鳥居も立ってたから、何か特別な場所だったのかもな。
    その鳥居の下に石で造られた箱があって…その、箱の中に一松が閉じ込められていた。
    あの石の箱、少しずつ湖に沈んでいってたんだ。
    …もう少し気付くのが遅れたら、と思うと背筋が凍る思いだ。
    今思い出してもゾッとする。
    ああ、気付いたのは俺じゃない。
    十四松のお手柄だ。
    それから一松を連れて、この屋敷に入ったんだ。
    玄関のすぐ傍の広間で一松を休ませてた。
    だが目を覚ました一松は既に取り憑かれていたようでな…、
    「ごめんなさい」と泣きながらしきりに繰り返していた。
    そうこうしているうちに、背後からチョロ松が現れて…。
    あいつが持っていた刀に血が付いてた。
    兄貴に襲い掛かった後だったんだろうな。
    それで、突然俺も十四松も金縛りにあって、目の前が真っ暗になったんだ。
    その隙に、チョロ松も一松も見失ってしまったんだ。
    金縛りが解けても、目の前は真っ暗闇のままだったんだが、十四松がここまで引っ張ってきてくれた。
    すまない、…俺があの時動けていれば…。

    ーーー

    十四松の話
    水のほうにいろんなものが混じりあったにおいがしたんだ。
    その中に、ほんのちょっとだけ一松兄さんのにおいも感じたから、カラ松兄さんと水路をたどった!
    湖にあった石の箱の中から一松兄さんのにおいを感じて、すっごく焦って必死に一松兄さんを引っ張り出した!
    兄さん、ぐったりしててしんだみたいだった。怖かった。…怖かった。
    …あとはカラ松兄さんの言ってたことと一緒!
    僕も真っ暗だったけど、近くにおそ松兄さんとトド松のにおいがあるのに気付いたから、
    カラ松兄さんを引っ張ってここまで来た!
    チョロ松兄さんが突然目を覚ましたのって、僕たちが一松兄さんをここに連れてきたからじゃないかな。
    たぶん、チョロ松兄さんに憑いてるひとは、一松兄さんに憑いてるひとを探してるんだと思う。
    …一松兄さんね、取り憑かれた霊と完全に同調しちゃってた。
    そのせいでにおいがわからなかったんだ。石の箱から助けたときに、
    憑かれてるって気付けなかったんだ。
    チョロ松兄さんも、たぶん同調しちゃってると思う。
    2人ともすごく悲しんでる。すごく苦しそうだった。
    なんかね、ここ、いろんなにおいがしてチョロ松兄さんと一松兄さんのにおいがよくわからなくなる。
    追いかけられなくて、兄さん達が遠くに行っちゃうみたいで、すごく怖いよ。

    ーーー

    トド松の話
    大筋はおそ松兄さんが話してくれた通りだよ。
    僕もいろんな気配に邪魔されて気付けなかったんだ。
    一度おそ松兄さんがチョロ松兄さんを気絶させた時、剥がれたんじゃなくて、中に潜んだだけだったんだよ。
    それに気付けなかった。
    近くにいたのにね。
    …ごめん。調べた事の話だよね。
    この屋敷、集落の権力者の家だったみたいで、この部屋にいろんな記録が残ってたよ。
    ここに残ってる記録と兄さん達の話で、ちょっとわかってきた。
    うん、今話すからちょっと待って…。
    僕も自分の頭の中を整理しながらなんだからさ。
    えーと、まずこの村。
    この村についてわかったことはね、

    ひとつめ、村の奥の湖を御神体として崇拝する信仰があった
    ふたつめ、何年前かはわからないけど、農作物が不作で冬を越せないくらい危うい状態になった年があった
    みっつめ、湖に生贄を捧げる習慣があった
    よっつめ、不作の年、生贄の儀式が行われた
    いつつめ、儀式の後に何か事件が起こって村は壊滅状態になった

    …このくらいかな。
    で、生贄の儀式についてだけどね、石で出来た箱に生贄を入れて生きたまま湖に沈めるんだって。
    そう、カラ松兄さんと十四松兄さんが一松兄さんを見つけたときの状態…村の儀式とほとんど同じなんだよ。
    …ちょっと今から胸糞悪い話するけど、我慢して聞いてよね。
    記録によると、最後に生贄に選ばれたのは親を亡くした少年だったんだ。
    病弱な子だったみたい。
    その子には兄がいて、お兄さんが世話を焼いて兄弟2人で暮らしてたらしいよ。
    でね、弟が生贄に決まったって聞いて、お兄さんがめちゃくちゃ反抗して暴れまわったらしいんだ。
    でも結局、お兄さんが村人の手で気絶させられてる間に儀式は行われて、
    お兄さんが目を覚ましたときには弟は湖に沈められた後だった。
    …その後、お兄さんは狂っちゃったみたい。
    日本刀を振り回して、村の人達手当り次第に斬殺して回ったって。
    その後どうなったかまでは、わからなかったけど…。
    多分だけどね、チョロ松兄さんにはその怨霊化した兄の霊に取り憑かれてるんじゃないかな。
    そして一松兄さんは生贄になった弟の霊が取り憑いてる。
    兄弟って点で、2人共同調しちゃったのかも。

    ++++++++++++++++++++++

    9.

    片っ端から切り刻んだ。
    向かってくる全てが敵に思えたから。
    視界に入ったものは全てころした。
    そうだ、綺麗に掃除してしまおう。
    邪魔なものを全部片付けてから、あの子を迎えに行こう。

    視界に入ったものは全て。
    だからおれに向かってきた赤い色にも躊躇せずに刀を振り上げた。

    ーもう十分だよ

    どこかから声がした。
    もう十分だよ。もう誰もいない。
    邪魔する人達は誰も残ってないんだ。
    だから早く迎えに行こう、あの子が待ってるよ。
    あの子に謝りたいなら、僕の身体を使っていいから。

    頭に響くような声だった。
    待ってる?おれを?
    それなら行かないと…。
    あの子を迎えに行かないと…。

    ーーー

    恐ろしくて恐ろしくて、逃げて逃げて、必死に逃げた。
    そして気付いた。
    ああ、なんて事をしてしまったのかと。
    兄さんはぼくのために壊れてしまったのに、その兄さんを恐ろしく思って逃げてしまうなど。
    ごめんなさい、ごめんなさい。
    ぼくは一体どう償えばいいんだろう。
    満足に供物にもなれず、結局は村を滅ぼしてしまった。
    もう兄さんに会わせる顔なんてない。
    ごめんなさいごめんなさい兄さん、ごめんなさい。

    でも、追いかけなきゃ。
    兄さんを追いかけないと。

    ー大丈夫、きっと許してくれる

    どこかから声がした
    大丈夫、きっと許してくれる。
    兄さんは君を何より大切にしているから。
    いつも一番に君の事を案じているから。
    だからもう赦しを乞いながら逃げなくていいんだ。
    ほら、元いた場所に戻ろう。
    きっと迎えに来てくれる。
    兄さんに伝えたいことがあるなら、僕の身体を貸してあげるから。

    頭に響くような声だった。
    迎えに?ぼくの元へ?
    ならばあるべき場所で待たないと。
    兄さんの帰りを出迎えるのは、ぼくの役目だったのだから…。


    ++++++++++++++++++++++

    10.

    「「「「…………。」」」」

    みんなで現状を確認し合うと、部屋は重苦しい沈黙に包まれた。
    水を吸って重くなった一松兄さんの紫色のパーカーをぎゅっと握りしめた。
    状況はなかなか厳しい。
    僕とトド松は瘴気に邪魔されて兄さん達のにおいを追えないし、
    しかもチョロ松兄さんも一松兄さんも取り憑かれていて且つ同調しちゃってる。
    おそ松兄さんとカラ松兄さんは取り憑いた霊は除霊できない。
    無理やり祓おうとすると、憑かれてるチョロ松兄さんや一松兄さんの精神にまで影響を与えちゃうからできないんだって。

    僕が思うに、チョロ松兄さんと一松兄さんは優しすぎるんだ。
    あの2人は近寄ってきた霊を完全に拒絶することってないから。
    心のどこかで相手が抱いてる思い、寂しいとか悲しいとか苦しいとか、
    そういうのを受け入れて共感しちゃうんだよ。
    いくら霊媒体質とはいっても、共感して同調しちゃうなんて、そんなの優しくないとできない。
    確かにいろいろと大変な目に遭うし、今も現在進行形で大変なことになってるけど、
    兄さん達は優しいままでいいと思う。
    その度に僕達が助ければいいから!
    …そうだ、早く助けてあげなきゃ。
    いつものように、においで追いかけることはできないけど、2人が行きそうな所はどこだろう…。
    トド松の推測が正しければ、一松兄さんは儀式の生贄にされた子の霊に、
    チョロ松兄さんはそのお兄さんの霊に憑かれてる。
    たぶん、お兄さんの霊は弟を探してて、弟もお兄さんを探してる。
    その2人が、最終的にたどり着きそうな場所って…、

    「湖!」
    「えっ、どうしたの十四松兄さん?」
    「湖に行ってみよーよ!」
    「俺達が一松を見つけた所か?」
    「うん!なんかね、そこにいる気がするー!たぶんだけど!!」
    「んー、じゃあ行ってみるか。ここでクサってても仕方ねーしな!」

    ーーー

    洞窟を抜けて、また湖にやってきた。
    トド松から聞いたけど、へいきゅーこっていうんだって。
    湖の淵、大きな鳥居の下に、誰かが倒れ込んでいた。

    「チョロ松!一松!」

    鳥居の下に倒れる兄さん達に真っ先に気付いたおそ松兄さんとカラ松兄さんが同時に駆け出した。
    僕とトド松も慌てて後を追う。
    チョロ松兄さんをおそ松兄さんが、
    一松兄さんをカラ松兄さんが抱き起こした。
    チョロ松兄さんから黒い影は消えてる。
    でも、兄さんから、兄さん以外のなにかのにおいも感じたから、まだ憑かれたままみたいだ。

    先に意識を取り戻したのは一松兄さんだった。
    ゆっくりと開いた目は最初に見つけた時と違って、ちゃんと一松兄さんの目だった。

    「え…カ、ラ松?」
    「一松!大丈夫か?!苦しくないか?どこか痛いところはないか?!」
    「…っ…耳元で騒ぐな…頭に響く…。」
    「すっすまん!」

    いつものカラ松兄さんと一松兄さんのやり取りだ。
    一松兄さんからも、一松兄さんとは別のなにかのにおいがする…。
    やっぱりまだ2人共憑かれたままだ。
    そうこうしてるうちに、チョロ松兄さんも目を覚ました。
    咄嗟にみんな身構える。
    おそ松兄さんがガッチリ押さえ込んでるから、
    また日本刀を振り回すなんてことはないだろうけど。
    チョロ松兄さんと一松兄さんの目が合った。

    「「わかった、もう少しだけ貸してあげる。」」

    2人同時にそう呟いた。
    一体何の事?と思ってる間に2人は目を閉じて、
    そして、また目を開いたときは別の人だった。
    兄さん達に憑いた人格が表に出てきたのだと理解して焦った。
    すうっと一松兄さん、の身体を借りた誰かが息を吸い込んだ。
    …かと、思ったら

    『こんの…バカ兄イイイイイィィ!!!!』

    一松兄さんの声に重なるようにして、少し幼さが残る少年の声が響いた。
    「えっ?えっ?!」とトド松がオロオロしてる。
    僕も固まってしまった。

    『バカじゃないの?!ほんとバカじゃないの何してんの?!
     キレて村中の人という人大虐殺とか笑えないよ?ほんと何してんのバカなの?!』

    一気に捲し立てる一松兄さんの中にいる誰か。
    こんなに喋る一松兄さんすごく珍しい。
    厳密には一松兄さんじゃないんだけど。
    トド松が言ってたように、儀式の生贄にされた弟なのかな。
    それに対してチョロ松兄さん、の中にいる誰かも言い返し始めた。

    『はあああああぁぁぁ?!
     誰のせいだと思ってんのお前があっさり供物になること了承するからだろ
     残されたこっちの身にもなれってんだよこの愚弟がぁっ!!』
    『知らないよ!そもそも何でそこまでブチギレちゃったワケ?!
     ぼくみたいな病弱で働きに出れもしない穀潰しをたった1人で世話し続けることなんかなかったんだよ?!』
    『ざけんな!!おれはお前の兄貴なんだから面倒見るのは当然だろうが!
     両親亡くして1人だけになってたらとっくに死んでたわ!
     お前を守ることがおれの人生そのものだったの!!
     それを奪われたんだからブチギレて当たり前だろうが!!』
    『意味わかんないよ!ぼくが供物になればその家族の兄さんは不自由ない暮らしが約束されるんだよ?!
     なんで切り捨ててくれなかったの?!
     ぼくは兄さんの負担にしかなれないのに!!
     供物になることが唯一兄さんに何かを与えられることだと思ったから!!』
    『そっちこそ意味わかんねぇよ!弟の命差し出して与えられるモノって何だよそこまで落ちぶれてねえよ!
     お前はこれまで通り大人しくおれに世話されてりゃよかったんだよ!
     家にいてくれるだけで十分だったんだよ!!なのに!どうして!!』
    『知らないよ!バカ!!』
    『バカはそっちだろバカ!!』
    『うるさい!バカバカバカ!!』
    『そっちこそ黙れよバカバカ!!』

    もう、なんというか、ものすごい言い合いだ。
    最後の方バカしか言ってないよ。
    トド松は僕の横で呆然としてるし、
    チョロ松兄さんを押さえ込んでるおそ松兄さんは苦笑い、
    一松兄さんを抱え込むカラ松兄さんも顔が引きつってる。
    チョロ松兄さんと一松兄さんは一気に捲し立て過ぎて肩で息をしている。

    話を聞いてて、なんだかこの兄弟はとても可哀想だったんだな、って思った。
    どちらもお互いをとてもとても大切にしていて、
    でも少しのすれ違いで悲しい結果になっちゃったんだ。
    真ん中の兄さん達の身体を借りて、洗いざらい本音をぶちまけたのであろう兄弟は、
    さっきまでの勢いをなくして今度は力なく呟いた。

    『ごめんね、兄さん…助けてくれようとしてくれたのに…逃げたりして…。』
    『…いいよ、おれの方こそ、ごめん。守ってやれなくて…気付いてやれなくて…。』

    空気が和らいだ。
    途端に、チョロ松兄さんと一松兄さんの身体から力が抜けて同時に崩れ落ちた。
    2人の中からすっ…と兄弟の霊が抜けたのがわかった。
    ずっと様子を見守っていたおそ松兄さんが、それを見て大きく深呼吸した。
    いや、どちらかというと盛大なため息だったのかも。
    そして黒いモノが無くなった兄弟の霊を見て、一言。

    「満足できたか?…そろそろ逝くか?」

    兄弟が頷いた。
    おそ松兄さんがそっと手を触れると、手を取り合った兄弟は静かに空気に溶けていった。

    ++++++++++++++++++++++

    11.

    目が覚めると、見慣れた天井が視界に映った。
    窓の外は微かに明るい。
    頭がガンガンする。
    なんだか身体も痛い。
    声を出そうとしたものの、笑えるくらい掠れた音しか出なかった。
    軋む身体をなんとか動かして寝返りをうつと、視界に入ったのは一つ下の弟の姿。

    「ぃ…ちま、つ?」
    「…チョロま…に、さん?」

    掠れた声で呼びかけると、一松の睫毛が微かに震えて、それから目を開けた。
    一松も僕と同じで掠れ声だ。

    えーと、ここ家だよね?
    僕は何してたんだっけ…?
    確か駅前で一松と会って、神隠しに遭って…それから、それからどうしたんだっけ。

    「僕ら…どうやって帰ってきたんだっけ…。」
    「よく覚えてない、けど…兄さん達が見つけてくれたってことかな…。」

    ああ、きっとまた兄弟に迷惑を掛けたんだろうな。
    今回は一松も巻き込んで。
    回らない頭で記憶を辿っていると、襖が開く音がした。
    一松の目線が上を向く。

    「おっ2人とも気がついたか!」
    「おそ松兄さん…?」
    「いやぁ~お前ら大変な目に遭ったよなー。丸2日仲良く眠りっぱなしだっんだぜ?」
    「え…。」
    「うそ、マジで…?」
    「マジマジ。っと、他のヤツらも呼んでくるわ。」

    そう言って部屋を出ていったかと思うと、すぐに騒がしい足音が迫ってきた。

    「チョロ松!一松!」
    「兄さーん!起きた!よかった!!」
    「もうっほんっと心配したんだからね?!」

    カラ松、十四松、トド松が顔を覗かせた。
    それから粗方なにがあったかおそ松兄さんが話してくれた。
    どうやら僕も一松も憑かれて大変だったそうだ。
    うん、なんとなく思い出してきたかも。

    「もー最後にはお前らの身体借りて口喧嘩おっ始めてさー、
     笑うしかなかったわ。成仏してくれたっぽいけど。」
    「…あ、なんとなく思い出してきた。」
    「うん、僕も…。」

    そうだ、あの黒い影を纏った血濡れ男に捕まって
    その内側に秘めた激情に触れた。
    何よりも大切にしていた弟を守れなかった無念さ、己の不甲斐なさ、行き場のない怒り、悲しみ。
    弟を失って荒れ狂う魂に同調してしまい、僕は兄弟を…。

    「!…おそ松兄さん、その肩の怪我…!」
    「んー?ああ、ヘーキヘーキ!見た目より浅いし大した事ないし。」
    「そ、それ…やっぱり僕がやったん…だよ、ね…?」
    「いやまぁそうだけど、チョロ松あの時完全に意識乗っ取られてたから。」
    「…っ、ご、ごめん…!」

    兄さんを傷付けてしまった。
    落ち込む僕の額をペシペシと撫でるように叩いた兄さんは「もう少し休め。」
    と言って僕と一松を布団に押し込み、カラ松達を連れて部屋を出て行った。

    再び部屋に訪れる静寂。
    その静寂を破ったのは隣に横たわる一松だった。

    「…チョロ松兄さん。」
    「どうしたの。」
    「その…。」
    「うん。」
    「ごめん、巻き込んじゃって…。」
    「…え、おかしくない?むしろ一松が僕に巻き込まれたんでしょ…僕こそごめん。」

    突然の一松からの謝罪に驚いて、目を丸くした。
    そして僕も謝罪で返すと、一松はキョトンとした顔になり、やがていつもの妙な笑い声をたてた。

    「…ふひっ」
    「え、なに?」
    「いや…なんか、あの取り憑かれてた兄弟の最後のやり取り、思い出して。」
    「ああ、あれね…。」

    弟を思う気持ち、兄を思う気持ちに反応して、僕らと同調してしまった兄弟。
    最後に僕らの身体を使ってお互いの思いを吐き出して消えていった。
    彼らが消えた後、異空間も消えて僕らは河川敷に戻ってきたらしい。
    気を失った僕と一松を、おそ松兄さんとカラ松が運んでくれたそうだ。
    あの霊と同調してしまった理由も、今ならなんとなくわかる。
    兄弟を思う気持ちってやつに引っ張られたんだろう。
    それから、兄の異常なまでの弟に対する愛情とか、執着なんかも一因かもしれない。

    「…えらい目に遭ったよね。」
    「ほんとそれ。」
    「もう一松と2人で出掛けるとか無理だね。」
    「いや、今回みたいな事そうそう起こらないでしょ…。」
    「そうだけどさ…。」

    「チョロ松兄さん、一松兄さん、起きてる?」
    「トド松?うん、起きてるよ。」

    襖を開けて入ってきたのは末弟。
    手には何やら御札やら御守りやらを持っている。

    「これ、新しく作ったから。」
    「あー、ありがと。ほんと器用だよねトド松。」
    「その…ごめんね、兄さん達。」
    「「は?」」

    あ、思わず揃っちゃったじゃん。
    なんか今日は謝られてばっかりだな。
    謝らないといけないのは僕のはずなんだけど。

    「僕がもうちょっと強い御札作れていたら…ここまで酷いことには…。」
    「…ちょっと聞きましたチョロ松さーん、僕らの末弟がなんかお馬鹿な事言ってますわよー。」
    「聞きましたわよ一松さーん、ほんとお馬鹿な末弟なんですからー。」
    「ええええぇっ?!何ソレ?!つーか2人してローテンションなクセに変なノリで喋んないでよ!怖いし!」
    「トド松。」
    「な…なに。」
    「トド松の作る御札や御守りはすごく強いよ。」
    「ん。…すごく、助かってるから…。」
    「ほ、ほんと?!」
    「ほんとだよ。」
    「ん。」
    「そっ…か。」
    「御守りありがとね。」
    「…ちゃんと持っとく…。」
    「うん、そうして!」

    それじゃあね!とトド松は元気に出て行った。
    切り替えが上手くて立ち直りが早いのがトド松のいいところだ。
    トド松の作ってくれる御守りがとても頼りになるのは本当だし。
    …なんで、みんなこんなに優しいんだろう。
    霊媒体質な上に引き寄せてしまう僕なんて、迷惑でしかないのに。
    一松は眠ってしまったようだ。
    びしょ濡れで石の箱の中にいたらしいから熱を出してしまったらしい。
    一松の汗ばんだ前髪をそっと撫でて、僕も眠りについた。

    ++++++++++++++++++++++

    12.

    身体中が痛い。
    おそ松兄さんによると丸2日寝ていたという身体は気だるさに支配されていた。
    横を見るとチョロ松兄さんは既に起きたようで、布団はすっかり冷たくなっていた。
    身体を起こし、窓の外を見ると日の射し方から正午過ぎくらいだとわかった。
    まだ身体がだるい。
    しかしお腹が空いた。喉も乾いた。
    どうしようか、一旦下に降りようか。
    ぼんやりとした頭で考える。
    聞いた話によると、僕は石の箱にずぶ濡れで無理やり詰め込まれていたそうだ。
    そりゃあ身体も痛くなるし風邪もひく。
    けほ、と軽く咳が出た。

    「一松、調子はどうだ?」
    「…最悪。」

    突然襖が開いて顔を出したのはカラ松だった。
    全く気配に気付けなかった。不覚。
    そんなにボーッとしてたのだろうか。
    僕の枕元に腰を下ろしたカラ松の手にはスポーツドリンクと卵粥。
    ペットボトルのスポーツドリンクを差し出してきたので、何も言わずに受け取り喉を潤した。

    「食べれそうか?」
    「ん。…食べる。」
    「そうか!…じゃぁ、ほら」
    「………は?」

    喜々とした表情のカラ松が粥をレンゲで救ってぼくの口元に持ってきた。
    いわゆる「はい、あーん」状態である。
    いやいやいや、僕起き上がってるじゃん?
    自分で食べれるんですけど??

    「いや…自分で持てるから。」
    「遠慮するな。」
    「遠慮じゃねえし!ほんと自分で食べれるって。」
    「…嫌、か?」

    おい。
    おい、何でそんなションボリした顔してんだよ。
    僕が虐めてるみたいじゃないか。
    あ、割といつもコイツのこと虐めてたわ。
    なんだ、別にいつものことじゃないか。
    …と、そう思っても、嫌か?と眉根を下げて聞かれると言葉に詰まってしまう。
    ……まあ、今回コイツに助けられたし。
    必死に身固めしてくれてたのは覚えてるし。
    今回だけだ、今回だけ。

    「べ、別に、嫌では、ない…。」
    「そうか!よかった!」
    「……あー。」
    「うん、ほら。」

    最初の1口2口くらいで終わろうと思ったのだが、結局全部カラ松に食べさせてもらうハメになった。
    卵粥を平らげると、まだ横になっていろと布団に戻され、
    いつの間にか額に貼られていた冷却シートを交換される。
    何か言ってやろうかと思ったが、満足げに笑うカラ松に何も言葉が出てこなかった。
    たぶん熱のせいだ。
    カラ松が僕の横に寝そべった。
    顔が近い。

    「何…近いんだけど。」
    「すまなかった、一松。」
    「え、なんなの突然。」
    「守ることが、出来なかった。辛い思いをさせたな…。」
    「なんで、アンタが責任感じてるわけ…。」
    「心に決めていたんだ。一松の事は俺が守るって。」
    「は…なにそれ頼んだ覚えないんだけど…。」
    「今回は不甲斐ない結果になって済まなかった。だが、次は絶対に!俺が守るからな!!」
    「つ、次って!そんな何回もこんな事があってたまるか!」
    「だから一松、お前の事を俺に守らせてくれ…!」
    「いや「だから」ってなんだよ、全然話繋がってないから…。つーか、さっきから俺の話聞いてる?」

    突然何なんだ。
    本当に何なんだよ。
    ダメだコイツ今完全に自分の世界だ。
    なんだよ守らせてくれって。
    成人過ぎた弟に言う台詞じゃねーわ。
    ふざけてんだろ。
    何が一番ふざけてるって、こんな事を言われて嫌な気がしないどころか嬉しいとか思ってしまった自分がふざけてる。
    え、なんでこんな心臓バクバクいってんの僕?!

    「一松。」
    「~~~っ」
    「もう俺は、あんな思いをするのはごめんだ。
    あの時、お前を失ってしまうのではないかと一瞬考えた…本当に、怖かった。
    帰ってきてからも…このまま目を覚ましてくれなかったら、と思うと恐ろしかった。」

    ゴツゴツした両手で両頬を包まれた。
    カラ松の指先はひんやりしていた。
    それとも僕の頬が火照っているのか。
    …前者だと信じたい。
    カラ松の目は真っ直ぐに、真っ直ぐ過ぎて苦しいくらいに僕を見据えている。
    ちょっと待てって。
    カラ松お前マジでどうした。
    何突然雄み増してんだよ。
    そんでもってなんで僕はそれにドギマギしてんだ。

    「だから、もう俺から離れるな、一松。
     お前を引き込もうとする悪しき魂も取り入ろうとする魂も何もかも俺が祓ってやる。
     取り入る隙がないくらいお前の心を埋めてやる。」
    「な…あ、アンタ…自分が何言ってるか、わかってんのか…?」
    「わかってるに決まってるだろう。」
    「そ、れは…告白なわけ?」
    「そうだな。」
    「…俺が、本気にしたらどうするつもりだよ…?」
    「むしろ本気にしてもらわないと困るんだが。」
    「いや、待てって…。アンタは単にあんな事があったから気がふれてるだけで…」
    「一松。」
    「っ!!」
    「もう一度言うぞ。もう俺から離れるな。」
    「わかっ…た…。」

    有無を言わさぬ視線でそんな事を言われたら、僕にはイエスと応えるしか選択肢がなかった。
    くそ、そんな真剣な目でなんて事言ってきやがるんだ。
    自分の心臓の音がうるさい。

    「言ったからには…絶対守れよな、クソ松…。」
    「ああ!望むところだ!」

    あー、うん。
    僕も大概馬鹿だよね。
    カラ松の言葉が死ぬほど嬉しいなんてどうかしてる。
    ほんとどうかしてる。

    「一松…キスしていいか?」

    だから!なんでお前は!!そう唐突なの?!

    「…いいよ。」

    そして!なんで僕は!!あっさりOK出しちゃったの?!

    触れてきたカラ松の唇は指先と同じくひんやりしてて気持ちよかった。
    クソ松てめぇ熱が下がったら覚えとけよ。

    ++++++++++++++++++++++

    13.

    チョロ松も一松も目を覚ましてくれた。
    これでようやく一安心だ。
    ほんと、真ん中2人の体質は困ったモンだね。
    今回は久々に俺もヒヤヒヤした。
    卓袱台に頬杖をついてぼんやりしていると、誰かが階段を降りてくる音。
    カラ松は買出しに行ってるし、十四松とトド松は近所の寺にもう少し強力な御札や御守りの作り方を相談しに出掛けている。
    一松はまだ熱が下がっていないだろうから、階段を降りるなんてことはしないだろう。
    となると、この足音はチョロ松だろうな。

    入口に目を向けると、予想通りチョロ松の姿。
    足取りも顔色も問題なさそうだ。

    「おそ松兄さん…。」
    「おー、おはよチョロ松。」
    「うん、おはよう…。」
    「どした?ンなとこ突っ立ってないでこっち来いよ。」

    トントンと畳を叩くと、チョロ松は大人しくそれに従って俺の隣に腰を下ろした。
    いつもより大分口数が少ないチョロ松の視線は、俺の肩に当てられたガーゼに注がれていた。

    「肩、痛む…?」
    「ヘーキだって。心配症だな~!」
    「でも…」
    「だーから見た目より全然大した事ないからって。」
    「……。」

    あーあ、黙り込んじゃった。
    なんか面倒なこと考えてるに違いない。
    え?なんでわかるのかって?
    そりゃぁ俺カリスマレジェンド長男様よ?
    可愛い可愛い弟が何考えてるかなんてお見通しなんですー。

    「…おそ松兄さん。」
    「んー?」
    「なんで、見捨ててくれなかったの。」
    「はい?」
    「いい加減嫌にならない?毎度毎度こんな面倒ごと引き起こしてさ、
     一松もそのせいで酷い目に遭って、十四松やトド松にも迷惑掛けて
     …おそ松兄さんに、こんな、怪我…させて…。それなのに、なんでみんな…。」

    ほら、すっげ面倒なこと考えてた。
    自分のせいで兄弟を巻き込んだって責めてるんだろう。
    ンなモン仕方ねーじゃんって開き直っちまえばいいのに、どうやらコイツはそれができないらしい。
    確かに霊媒体質な上に引き寄せ体質なチョロ松は霊的なトラブルをよく持ち込む。
    それに一番被害に遭うのは同じく霊媒体質で取り込まれやすい一松だ。
    実は一松自身はそこまでホイホイじゃなかったりするんだよな。
    チョロ松が連れて来ちゃったヤツが流れて来るだけで。
    で、一松が取り込まれてしまえばそれこそ兄弟総動員で除霊合戦となるわけだが。
    その事が余計にチョロ松の心に暗い影を落としている。
    自分がいなければ、だなんて柄でもない事を考えてるのだろう。
    そーゆー自傷系はお前の一つ下のキャラだろうが。

    ひとまず、あの屋敷にいた時におあずけになってたことだし…と、チョロ松を引き寄せた。
    油断していたのか、チョロ松の頭ははあっさりとボスンと音を立てて俺の胸の内に収まった。

    「ちょ…何して…」
    「なあ、チョロ松さ、『宿曜占術』って知ってる?」
    「え…?」
    「んー、いや、俺もそこまで詳しいわけじゃないんだけどさ、簡単に言うと東洋の27星座占いって感じ。」
    「…それが、何…ていうか僕の話聞いてた?」
    「まー、聞けって。その宿曜ってのはな、占星盤でそれぞれの宿との相性が距離で細かく決まってるんだよ。」

    例えば俺は「危宿」という宿。
    同じ生年月日の俺達六つ子全員がこの宿だ。
    この宿だと、参宿とか、亢宿の生まれの人と相性がいいらしい。
    まー、それは置いといて。

    「同じ宿同士の相性って「命の関係」って言われてるんだと。
     わかる?命の関係。この関係の人と出会う確率って、宿曜の数ある関係性の中で一番低い。
     でな、運命的な縁がすっごく深いんだと。
     滅多に出会うことがないけど、一度出会っちまうと強力な因縁が生まれて、なかなか離れなれねーの。」
    「………。」
    「つまりさ、俺達は生まれた時から命の関係にあたる人と5人も出会っちまってんの。
     そりゃあもうとてつもなく深い因縁だと思うわけよ。
     仮にお前を見捨てたとして、そんな事くらいじゃ簡単に切れやしない縁で結ばれてるんだよ。
     そもそも、俺はチョロ松を手放す気なんてこれっぽっちもねーよ?
     一生掴んで離さねーって勢いよ?
     …だから、うだうだ考えてないでもうこういう運命なんだって諦めろ。
     大丈夫、俺が何度でも助けに行ってやる。」
    「何それ…いきなりなに言い出すかと思えば…。」

    俺の胸元に顔を押し付けてるせいでチョロ松の声はくぐもっている。
    視線を落とすと、少しだけ耳が赤く染まっているのがわかった。
    頭を押し上げると、赤く染まった頬と薄く膜の張った潤んだ瞳。
    あ、すっげーそそる。
    もう絶対離してなんかやんない。

    「絶対に捨ててなんかやんないよ?
     泣いてお願いしたってしつこく付きまとってやるから。」
    「おそ松兄さ…」

    だって俺の相棒は今も昔もお前なんだからさ。
    どこかの知りもしない悪霊なんかに取られてたまるかっての。
    あ、そういえば異空間の屋敷にいた時にコイツにキスしようとして出来なかったんだっけ。
    続きは帰ってからしようと思ってたんだっけ。
    よし、ちゅーしちまえ。

    「チョロ松」
    「なに、おそま…んぅ?!」

    少し強引に唇を重ねた。
    面白いくらい跳ね上がったチョロ松の肩を抱き込んで逃がさないようにホールドしてやる。
    最初は抵抗していたチョロ松もやがて諦めたのか大人しくなった。
    かさついたチョロ松の唇を舐めて、吸い付くように。
    やべ、ちょっと止めらんないかも。

    結局、玄関の戸が開く音がして、買出しに出掛けていたカラ松が帰ってくるま甘ったるい口付けを続けていた。
    無理やりそれ以上の行為には及ばなかった事を褒めてほしい。

    後に、真っ赤な顔をしたチョロ松に思いっきり殴られたのはいうまでもなかった。

    ++++++++++++++++++++++

    14.

    チョロ松の話
    あれから色々あって、僕らは異空間ではない、実際の集落跡にやってきていた。
    本当は一松と2人で来ようと思ってたけど、兄弟に心配されて結局6人全員で来た。
    そこまで遠い場所ではなかったし。
    湖に佇む鳥居に一松と花を手向けて、2人で手を合わせて目を閉じた。
    湖は澄んだ空気に包まれている。
    あの澱んだ瘴気は今は全く感じない。
    血濡れ男こと、贄の少年の兄が無事に成仏したからだろう。
    正直言うと、僕はあの時このまま一緒に滅びてもいいと思っていた。
    取り憑かれて思考がぶっ飛んでいたのかもしれないけど、
    心の依り所にしていた弟を理不尽に奪われ、怒りのまま村人を襲い返り血で真っ赤になった着物姿の彼を
    救いたいと思ったのは紛れもなく僕の本心だった。
    憑かれた時に見えた彼の最期。
    虐殺を繰り返し我を失って暴れ狂うその人は最期には生き残った村人によって殺された。
    頭を殴られて、その衝撃で片目が潰れて。
    それでも自分が死んだことに気付けず、怒りのまま彷徨っていた哀しい魂はようやく怒りから解放された。
    天国では兄弟仲良くね、なんて。

    ーーー

    一松の話
    チョロ松兄さんと隣合って手を合わせる。
    なんだか不思議な気分だ。
    僕は此処で石の箱に詰め込まれていたのだが、ぶっちゃけどうやって箱の中に入ったのかは全く覚えていない。
    思い出したくもない。
    この集落に根付いていた儀式によって命を落としたその子は、後悔の念に支配されていた。
    あんなに慕っていた兄を恐ろしいと感じてしまった事、
    兄を悲しませてしまった事に罪悪感を抱いて、水底に沈むことが出来ずにその思いは浮かび上がって咽び泣いていた。
    僕が弟の霊に憑かれたのは、そういった兄弟に対する複雑に捻じ曲がった思いに共鳴したからだと思う。
    身体を貸して、兄への思いをぶちまける彼の言葉の中には、ほんの少しだけ自分の本音も混じっていた。
    本当に、ほんの少しだけど。
    僕はあんなに素直に思いを吐露することができないから、思いを吐き出す彼が少しだけ羨ましく思った。
    あの長い一晩の間にいろいろあったけど、結果的にこれでよかったんじゃないかな。
    これでいいのだ、なんて。

    ーーー

    「お待たせ。」
    「おう。2人とも気ぃ済んだか?」
    「うん。」
    「そんじゃ、帰るとするか!」

    6人揃って湖に背を向けた時、どこからか声が聞こえた。

    ーありがとう

    それに少しだけ笑って、けれど振り返ることはせずに集落跡を後にした。
    さて、帰ろう。



    end.

    ーーー


    蛇足の霊感松設定。

    おそ松
    見える・聞こえる・触れる・祓える。
    物理系チートその1。大抵のことは対処できる。
    塩を掴んで一殴りすれば大体除霊できてしまう。
    ただし、人に憑いた霊は祓うことが出来ない。
    基本的には傍観体制でいるけど自分達に降りかかる火の粉は払いたいので向かってくる奴には容赦しない。
    自分からは動かないが助けを求められたら必ず助けに来てくれる。
    圧倒的ラスボス感。

    カラ松
    見える・聞こえる・触れる・祓える。
    物理系チートその2。
    とりあえずブン殴れば大体除霊できるし、結界も破壊できる。
    おそ松同様、人に憑いた霊は祓えない。
    悪霊等を寄せ付けない体質。
    兄弟を守りたい。弟達は自分が守るという意識が強い。
    そのため近づいてくる霊はどんなものでも問答無用で祓おうとする傾向にある。
    兄貴は放っておいても大丈夫だろ、的な信頼という名の放置。

    チョロ松
    見える・聞こえる・祓えない。
    引き寄せやすい&霊媒体質。
    祓う力がないのに色々と引き寄せてしまうので
    おそ松と行動を共にする事が多かった。
    結界を張るのが得意な防御型。
    そこまで結界の力は強くないが日常的に張れるくらい長続きできる。
    おそ松が一緒だったり結界が得意だったりするので
    体質の割に引き寄せたのが一松へ流れるせいで取り込まれる事は多くない。(全くないわけではない。)

    一松
    見える・聞こえる・祓えない。
    誘われやすい&霊媒体質。
    動物霊に好かれやすい。
    最後を看取った猫が何匹か守るように守護してくれている。
    下級霊なら猫達が追い払ってくれる。
    ただ、霊とはいえ猫を傷つけたくないので
    自分からは滅多に使役しようとしない。
    チョロ松同様に結界が得意。
    チョロ松よりも強力な結界を張ることができるが長続きしない。
    霊に同調しやすいので兄弟の中で一番危なっかしい。

    十四松
    見える・聞こえる・触れる。
    野生的な勘が鋭く気配を察知するのが得意。
    兄弟の気配なら多少離れていても把握できる。
    人と区別がつかないくらいハッキリ見えているので
    幽霊とかそういうのはあまり気にしていない。
    無害な霊と悪霊の区別はなんとなく察せられるので
    ヤバイ奴には本能的に近づこうとしない。
    祓う力はないが、悪霊とか害のあるものを寄せ付けない体質。
    なので取り込まれやすい一松とよく一緒にいる。

    トド松
    見える・聞こえる。
    十四松と同様に気配を察知するのに長けている。
    お守りやお札等の呪具を作るのが得意。
    霊媒体質のチョロ松と一松に護符を定期的に手渡している。
    怖がりなため喩え無害な霊であっても絶対に自分から関わろうとしない。
    霊に狙われることもあるが、自分に近づいてきた霊は
    高確率でチョロ松や一松の方へ流れていってしまうので
    その辺は2人に申し訳ないな、とは思っている。
    自分だけで対処するのは怖くてできないので
    自分のせいでヤバイのが2人に向かってしまった時は大体おそ松に助けを求める。


    ーーー

    更に蛇足。

    ここまで読んで下さりありがとうございました。
    無駄に長い上に相変わらずの超展開で申し訳ございません。
    そして突然ぶっ込まれるおそチョロとカラ一!

    ちなみに、おそ松兄さんが話していた「宿曜占術」ですが、
    六つ子の宿はおそ松くんが発表された1962年で出しています。
    1962/5/24で占うと彼らは危宿です。
    ちなみに危宿の基本的な性格は以下のように説明されてます。
    (説明は「宿曜占星術光晴堂」様から拝借いたしました。)
    ーーー
    自分を偽らないイノセントな人。
    周囲の視線をさらうスタイリッシュな魅力に恵まれています。
    好奇心旺盛で新しいものが大好き。
    平凡を嫌い逆に風変わりなものを好む傾向が強く、その興味の対象もコロコロと変化します。
    知的思考が強く、精神の自由を何よりも尊重するあなたは、
    現実の行動より夢や幻想の世界を好む夢想家タイプです。
    不自由な安定よりも、不安定な自由を好む傾向が強く、
    それだけに楽なほうへ流されがちなのが欠点です。
    ーーー

    あながち間違っていないような…笑
    焼きナス
  • 三男と四男の言葉遊び #BL松 #チョロ一 #チョロ松 #一松 ##チョロ松と一松の話

    「『路地裏』」
    「…『にゃーちゃん』」

    「ーー猫」「正解。」

    「次ね、『電車』」
    「…『旅行』」

    「ーー駅」「うん、正解。」

    「じゃぁ次、『北国』」
    「『うどん』」

    「ーーきつね」「正解。なんなのさっきから怖いんだけど!」

    「チョロ松兄さんの答えが単純なんでしょ。次、『おやつ』」
    「……『戦争』」

    「ーー今川焼き」「うわマジかよちょっと捻ったつもりだったのに。」

    「残念だったね。『キャンプ』」
    「『屋台』」

    「ーーテント」「正解…。」

    ゲームでもしない?と誘ってきたのは一松の方だった。
    一体何のゲームかと思えば、謎の連想ゲームだ。
    まず一松がお題を出す。
    そして僕がそこから何かを2つ続けて連想する。
    僕は連想したもののうち、2つ目だけを一松に返す。
    そこから一松が、僕が1つ目に連想したものを当てる、というもの。
    例えば、一松が「赤」と言ったとしよう。
    僕はそこから、赤→おそ松兄さん→クズ、と連想する。
    え、例えがひどい?事実でしょ??
    まぁ、とにかく僕は一松に「クズ」だけを返す。
    で、一松は間に連想された「おそ松兄さん」を当てるのだ。
    今部屋にいるのは僕と一松の2人だけ。
    つまりは暇つぶしの遊びだった。

    「『真夏』」
    「『コンビニ』」

    「ーーアイス」「正解。」

    ごくたまに、一松はこうして僕をこのような言葉遊びに誘ってくる。
    今日はライブもないし、ハロワに行く予定もない。
    正直暇を持て余していたので、それに付き合った。
    一松も僕が本当に暇なのがわかっていたから声をかけたのだろう。

    「『カレー』」
    「『象』」

    「ーーインド」「正解。ねぇ僕ってそんなに分かりやすい?!」

    今のところ、一松は全問正解だ。
    なんだか思考回路を完全に読まれているような気がしてゾワリとする。
    そんな僕を見て、一松はヒヒッと笑った。え、僕ってそんな単純?
    そりゃぁ一松ほど頭は良くないけど、学生時代の成績で言えば一松の次くらいには良かったはずなんだけど。

    「『ハロワ』」
    「…『自立』」

    「ーー就職」「はい、正解。」

    一松がこんなゲームに誘うのは僕だけだろう。多分だけど。
    おそ松兄さんやトド松は面倒くさがりそうだし、カラ松はまず誘うことすらしないだろうし、十四松ではゲームにすらならないだろうし。
    一松との言葉遊びは少々頭を使うが中々に面白いので、僕は毎回付き合ってやっていた。
    そういえば、前にもこんなことしていた時にちょうどおそ松兄さんが帰ってきて、
    「お前ら何してんの?」と心底理解できない、という顔をされたことを思い出した。

    「さっきから簡単過ぎ…もうちょっと捻ってよ。『告白』」
    「そんなこと言われても……『不採用通知』」

    「ーー手紙……いや、自虐的になれとは言ってないけど。」
    「お前ほんと何なの?!僕の頭の中読んでるワケ?」

    あれ、待てよ…さっきから口にしてるこの言葉。
    本当に、僕が、僕自身が連想しているものなのか?
    いや、何を考えているんだ、僕が出している言葉のはずだ。
    視線を落とすと一松と目が合った。
    僕はこたつに足を突っ込んで、その中で膝を抱えるようにして座っていて
    一松は僕の斜め横に胸元までこたつに潜り込みながら寝転んでいる。
    目が合ってから約3秒、フイ、と視線を逸らされてしまった。
    玄関から「ただいまー」と複数の声が聞こえた。
    他の兄弟達が帰ってきたようだ。

    「じゃぁ最後ね、『ロボット』」
    「………『掃除』」

    「ーールンバ」「正解。ねぇ、一松…。」

    単純な連想ゲーム。ただの言葉遊び。
    答えを作ったのは僕のはずだ。
    でも、なんだかわからなくなってきた。

    「お前、僕の思考を操作でもした?」
    「まさか、チョロ松兄さんが自分で出した答えでしょ。」
    「口に出したのは一松だよ。」
    「思ったのはチョロ松兄さんだよ。」
    「お前がそうなるように誘導したんじゃなくて?」
    「誘導なんてしなくても分かってたから。兄さんだって「正解」って言ったでしょ。」

    わからなくなってきた。
    ああでも、この際どっちでもいい。
    どちらにしても正解であることに変わりはない。

    「じゃぁ、もういいや。2人が同時に思ってること…ってことで。」
    「何それ。」
    「全く回りくどいよね、ホント素直じゃない。」
    「……うるさいな、今更でしょ。」
    「僕らの答えってことで異論ない?」
    「…それでいいよ。」

    一松は掠れるような小さな声でそう返して、ゴロリと寝返りをうってこちらに背を向けてしまった。
    だがその耳元はしかし、わずかに赤みを帯びている。
    その様子に思わず口元が緩んだ。
    腕を伸ばして、ほんの少し熱を孕んだ指先で一松の髪をくしゃりと撫でた。

    本日のゲームはここまで。
    勝者?最初からそんなものいやしない。
    多分、どちらも敗者だ。

    end.

    ーーー

    オマケ

    「まーたあいつら意味不明な会話してるなー。お兄ちゃん仲間はずれは良くないと思いまーす!」
    「フッ…さながら2人だけの秘密の暗g「イッタイよね〜」えっ…」
    「なに?やきゅう?!」
    「ちがうよー十四松兄さん。でもホント、何なんだろうね〜。チョロ松兄さんと一松兄さんの会話って。僕もたまに全く理解できないもん。」
    「あ、なんか一松がすっげ照れてる!」
    「ほんとだー!チョロ松兄さん、一松兄さんの頭なでてるー!!」
    「えー何?ほんと何?さっきのやり取りのどこに照れる要素があったの?」

    暇なときにちょっとした言葉遊びをする年中松でした。
    チョロ松が間に連想した言葉の頭を辿ってみると、意味がわかるかもしれないし余計謎かもしれません。

    ー お粗末!
    #BL松 #チョロ一 #チョロ松 #一松 ##チョロ松と一松の話

    「『路地裏』」
    「…『にゃーちゃん』」

    「ーー猫」「正解。」

    「次ね、『電車』」
    「…『旅行』」

    「ーー駅」「うん、正解。」

    「じゃぁ次、『北国』」
    「『うどん』」

    「ーーきつね」「正解。なんなのさっきから怖いんだけど!」

    「チョロ松兄さんの答えが単純なんでしょ。次、『おやつ』」
    「……『戦争』」

    「ーー今川焼き」「うわマジかよちょっと捻ったつもりだったのに。」

    「残念だったね。『キャンプ』」
    「『屋台』」

    「ーーテント」「正解…。」

    ゲームでもしない?と誘ってきたのは一松の方だった。
    一体何のゲームかと思えば、謎の連想ゲームだ。
    まず一松がお題を出す。
    そして僕がそこから何かを2つ続けて連想する。
    僕は連想したもののうち、2つ目だけを一松に返す。
    そこから一松が、僕が1つ目に連想したものを当てる、というもの。
    例えば、一松が「赤」と言ったとしよう。
    僕はそこから、赤→おそ松兄さん→クズ、と連想する。
    え、例えがひどい?事実でしょ??
    まぁ、とにかく僕は一松に「クズ」だけを返す。
    で、一松は間に連想された「おそ松兄さん」を当てるのだ。
    今部屋にいるのは僕と一松の2人だけ。
    つまりは暇つぶしの遊びだった。

    「『真夏』」
    「『コンビニ』」

    「ーーアイス」「正解。」

    ごくたまに、一松はこうして僕をこのような言葉遊びに誘ってくる。
    今日はライブもないし、ハロワに行く予定もない。
    正直暇を持て余していたので、それに付き合った。
    一松も僕が本当に暇なのがわかっていたから声をかけたのだろう。

    「『カレー』」
    「『象』」

    「ーーインド」「正解。ねぇ僕ってそんなに分かりやすい?!」

    今のところ、一松は全問正解だ。
    なんだか思考回路を完全に読まれているような気がしてゾワリとする。
    そんな僕を見て、一松はヒヒッと笑った。え、僕ってそんな単純?
    そりゃぁ一松ほど頭は良くないけど、学生時代の成績で言えば一松の次くらいには良かったはずなんだけど。

    「『ハロワ』」
    「…『自立』」

    「ーー就職」「はい、正解。」

    一松がこんなゲームに誘うのは僕だけだろう。多分だけど。
    おそ松兄さんやトド松は面倒くさがりそうだし、カラ松はまず誘うことすらしないだろうし、十四松ではゲームにすらならないだろうし。
    一松との言葉遊びは少々頭を使うが中々に面白いので、僕は毎回付き合ってやっていた。
    そういえば、前にもこんなことしていた時にちょうどおそ松兄さんが帰ってきて、
    「お前ら何してんの?」と心底理解できない、という顔をされたことを思い出した。

    「さっきから簡単過ぎ…もうちょっと捻ってよ。『告白』」
    「そんなこと言われても……『不採用通知』」

    「ーー手紙……いや、自虐的になれとは言ってないけど。」
    「お前ほんと何なの?!僕の頭の中読んでるワケ?」

    あれ、待てよ…さっきから口にしてるこの言葉。
    本当に、僕が、僕自身が連想しているものなのか?
    いや、何を考えているんだ、僕が出している言葉のはずだ。
    視線を落とすと一松と目が合った。
    僕はこたつに足を突っ込んで、その中で膝を抱えるようにして座っていて
    一松は僕の斜め横に胸元までこたつに潜り込みながら寝転んでいる。
    目が合ってから約3秒、フイ、と視線を逸らされてしまった。
    玄関から「ただいまー」と複数の声が聞こえた。
    他の兄弟達が帰ってきたようだ。

    「じゃぁ最後ね、『ロボット』」
    「………『掃除』」

    「ーールンバ」「正解。ねぇ、一松…。」

    単純な連想ゲーム。ただの言葉遊び。
    答えを作ったのは僕のはずだ。
    でも、なんだかわからなくなってきた。

    「お前、僕の思考を操作でもした?」
    「まさか、チョロ松兄さんが自分で出した答えでしょ。」
    「口に出したのは一松だよ。」
    「思ったのはチョロ松兄さんだよ。」
    「お前がそうなるように誘導したんじゃなくて?」
    「誘導なんてしなくても分かってたから。兄さんだって「正解」って言ったでしょ。」

    わからなくなってきた。
    ああでも、この際どっちでもいい。
    どちらにしても正解であることに変わりはない。

    「じゃぁ、もういいや。2人が同時に思ってること…ってことで。」
    「何それ。」
    「全く回りくどいよね、ホント素直じゃない。」
    「……うるさいな、今更でしょ。」
    「僕らの答えってことで異論ない?」
    「…それでいいよ。」

    一松は掠れるような小さな声でそう返して、ゴロリと寝返りをうってこちらに背を向けてしまった。
    だがその耳元はしかし、わずかに赤みを帯びている。
    その様子に思わず口元が緩んだ。
    腕を伸ばして、ほんの少し熱を孕んだ指先で一松の髪をくしゃりと撫でた。

    本日のゲームはここまで。
    勝者?最初からそんなものいやしない。
    多分、どちらも敗者だ。

    end.

    ーーー

    オマケ

    「まーたあいつら意味不明な会話してるなー。お兄ちゃん仲間はずれは良くないと思いまーす!」
    「フッ…さながら2人だけの秘密の暗g「イッタイよね〜」えっ…」
    「なに?やきゅう?!」
    「ちがうよー十四松兄さん。でもホント、何なんだろうね〜。チョロ松兄さんと一松兄さんの会話って。僕もたまに全く理解できないもん。」
    「あ、なんか一松がすっげ照れてる!」
    「ほんとだー!チョロ松兄さん、一松兄さんの頭なでてるー!!」
    「えー何?ほんと何?さっきのやり取りのどこに照れる要素があったの?」

    暇なときにちょっとした言葉遊びをする年中松でした。
    チョロ松が間に連想した言葉の頭を辿ってみると、意味がわかるかもしれないし余計謎かもしれません。

    ー お粗末!
    焼きナス
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