願いごと いつものように家に帰ってくると、リタがソファで本を広げて唸っていた。レイヴンに気がつくとおかえり、とは言ってくれたものの、本の山の検分に夢中なようだ。
「どったの、それ、城から借りてきた本?」
「そう、有用なものをまとめて借りてきたんだけど」
リタのそばには大量の本が積み上がっている。リタの雑然とした自室ではとても整理しきれない冊数だ。レイヴンは一人で納得した。
「なんか不備でもあった?」
「そうじゃないんだけど、借りた覚えのない本が紛れてたのよね、本の間に挟んじゃって気づかなかったのかも」
「ありゃ、次行ったとき一緒に返せばいいんじゃない? なんならおっさんが届けたげよっか?」
リタはそうなんだけど、と言いながら、手にしたその一冊に目を落とした。題は『星座を紐解くために』と記されていた。どうやら星について解説した本のようだ。表紙の鮮やかな星空の絵画を、リタはただじっと見つめている。
「俺、読んでいい?」
レイヴンが聞くと、リタは顔を上げて目を丸くした。好きにしたら、と渡されて、そのまま立ちあがろうとするので慌てて引きとめた。
「ちょい待って、おっさんこういう専門書慣れてないからさ、解説してよ」
「あたし……星のことなんてろくに知らないわよ」
「それでもたぶん俺よりは詳しいでしょ」
リタは渋々といった様子で隣に座る。レイヴンは本を膝の上に乗せて、ぱらりとページをめくる。少し古いようだが、中身はやや色あせているくらいで綺麗なものだった。
「“星座は、古代の人々が星の並びの配置から連想した、さまざまな事物の名前で、星々を呼んだことから始まり──”……なるほど、うっすら知っちゃいたけど改めて知るとロマンじゃないの」
「そう? あたしは、こんなの考えた奴はよっぽど暇だったんじゃないかって思うけど」
「リタっちに比べたらみんなヒマに見えるでしょーよ」
「なによ、あたしがすごいせっかちみたいじゃない」
腕を揺さぶってくるリタをなだめながら、少しずつ読み進めていく。そうしてさまざまな星座についての解説が載った章まで来た。それぞれ小さな絵がついている。
「こんないっぱいあんのねえ」
感心しながら読むレイヴンの隣で、リタはじっとページに目を落としている。けっして興味がないわけではないのだろう。むしろ、逆──そう思っていると、ぽつりと口を開く。
「この、親まもの座ってやつ」
リタがある星座の解説にぴっと指をさす。
「暇なのはわかるけど、わざわざ魔物の名前つけるのってどうなの」
「そりゃ、つけた奴が魔物のこと考えてたんじゃない」
「当たり前でしょ、そういうことじゃないのよ」
リタは納得がいかなそうな表情でうつむく。今日の彼女の物言いはずっと歯切れが悪い。本当に言いたいことが分からなくて、でも遠回りをし続けているように見える。
「昔は……魔物ってやつが俺らの時代とは違う捉え方をされてたのかもだし、リタっちも昔と今じゃちょっと考え変わったんじゃないの?」
「まあ……そうかもしれないけど」
「何考えてたかなんてわかんないけどさ、そういう当時の思いとか願いとか諸々が込められてると思うと、おっさんでもいろいろ想像したくなっちゃうねえ」
「込められ、てる」
レイヴンの言葉をくり返して、視線を宙にさまよわせる。何かを探すように。願いを唱えるように。
「……おなじ」
リタは小さな声で、しかしはっきりと言った。レイヴンの首もとより少し下のほうを見つめて、あらゆる真実を噛みしめるように、唇を震わせた。
「……そんな、暇な奴が名前つけただけのものじゃないのよ、星座って」
「うん」
「空の地図を作るために、天上の住所を示したものなんだから」
「うん」
「だから……すごい発明なんだから」
ふるえる手に手を重ねると、ややあって握りかえされた。その手のあたたかさに、心が満ちる思いがした。
「リタっちは物知りねえ」
「べつに、これくらい一般常識の範囲でしょ」
「じゃあさ、リタっちの星座作ってよ」
「……はあ?」
とたんに怪訝そうな顔をされる。
「リタっちは絶対歴史に名を残す偉大な人物になるでしょ? んで、そんなリタっちが考えた星座が後世までずーっと残るのよ、
いいじゃない?」
「どっから突っ込んでいいのかわかんないんだけど」
「おっさんもさ、いろんな奴らに、あれリタっちっていうすんごい天才少女が考えたやつでさーって宣伝しとくからさ、それで星座見てリタっちのこと思い出しながら一攫千金! とかお願いするからさ」
「あんた、何年生きるつもりなの?」
「最初の突っ込みがそれかあ……」
レイヴンががっくりとうなだれてみせると、リタの頭が近く寄せられる。わずかな重みが肩にかかる。
「そうね……ばかみたいだけど、いちおう、考えとくわ」
おだやかな声で言って、リタは手を伸ばす。続きをめくらないままでいた本のページへと。レイヴンも同じように触れようとした。そっと破らないように、でも続きが気になって仕方がないとでもいうように、期待と願いをこめて、ふたつの指をかけた。