コワイもの ダングレストの路地は入り組んでいる。細いうえに見通しが悪く、曲がりくねっているところもあるので迷いやすい。
(大丈夫、こっちから来たから……)
リタはおそるおそる歩を進める。ぽつぽつと並ぶ街灯を頼りに道を行く。方向感覚を見失うようなことはない。ただ、陽の沈みかけた路地は少し気味が悪い空気が漂っている。物陰から今にも何か得体の知れないものが現れそうな――。
「お嬢さん、こんなところに一人でいちゃアブナイよ……」
そう、例えばこんな風におそろしく怪しい声が聞こえてくるとか。
「きゃあああああ!?」
リタは飛び退いてとっさに戦闘の構えを取る。腰に装着したままの精霊術装置に手をかける。
「ちょ、ちょっと待ってって!」
よく見ると、目の前にいたのは非科学的な存在ではなくただの怪しい男だった。黒いマントを羽織り変な飾りを背につけている。
「唸れ炎よ……」
「いやいや! そこは『なんだ、おっさんじゃない』って気がつくとこでしょ!? そのまま詠唱続けないで!?」
「誰よあんた、こんなわけわかんないカッコした奴知らないわ」
「いやあこれはねえ実は」
「もしおっさんだったとしたらムダに脅かされた怒りが五倍増しだから五倍の出力でぶっ飛ばす」
「ごめんなさいごめんなさいリタっち謝るからちょっと待ってぇー!!!!」
「仮装大会?」
「そうそう、なんか依頼の成り行きで手伝わされちゃってさあ。ガラじゃないって断ろうとしたんだけど、逃げそこねちまった」
レイヴンは説明しながら、マントをわざとはためかせるようにパタパタと揺らす。
「んで終わったらサクッと着替えて帰ろうと思ったのに、会場のスペースの都合で着替えユニオン本部まで運んじまったって言うからさ、人通りのないとこから目立たないように行こうかと」
「その変な服、なんなの?」
「コウモリ男? だってさ、ちょっと怪しげな雰囲気で美女の視線もいただけちゃうかもと思ったけど……ハア」
「怪しすぎて、どこからどう見ても不審者よ」
「リタっちにもめちゃくちゃ怖がられちゃったもんねえ」
「あ、あたしは怖がってなんかないから」
ぶんぶんと首を振って歩き出そうとする。と、マントがひらりと行く手を遮った。腕を掴まれる。
「なんでこんなとこ一人で歩いてんの」
じっと顔をのぞき込まれる。よく見るとレイヴンの顔はいつもよりうっすらと白く、仮装のための化粧をしているのだと分かった。
「あんたと似たような理由よ、人に会わなくてすむし、家まで近道だから」
「人がいないってことは、危ない目にあっても誰も来てくれないってことよ」
「こんなとこで早々危ない目になんて遭わないわよ、それにあたしには精霊術もあるし」
精霊術装置を見せようとしたリタの腕をレイヴンはすばやく取る。気がつけば塀に体を押さえつけられていた。痛くはないが、リタを見下ろすレイヴンの顔は少しだけいつもと違う。
「こんな風に襲われたら、どうすんの」
低い声が間近で響く。リタの体がわずかに震えた。陰になったレイヴンの表情は見えにくく、暗闇が喋っているように思えた。
「こうやって押さえ込まれたら、術も唱えらんないでしょ」
暗闇なんかじゃない。目を凝らす。惑わされてはいけない。リタの目の前にいるのはいったい誰なのか。
「ね、怖いでしょ、だから……」
「怖くなんかない」
リタはレイヴンの目を暗闇の中から見つけ出そうと顔を近づけた。少し驚いたように丸くなったその形をとらえる。よく知っている鼻筋から唇の形もちゃんと見て取れる。その顔を確かめて、目を閉じる。
「あちっ……!」
レイヴンは顎を押さえて後ずさる。ぱっと腕が解放された。
「ほんとなら髭ぜんぶ燃やしたかったけど、これくらいで勘弁してあげるわ」
「今の、どうやって」
「声に出して詠唱しなくても、このくらいの出力なら出せるのよ。科学の力をなめないでよね」
はあ、と盛大にため息をつきレイヴンは肩を落とす。ついでにマントもばさりと垂れ下がる。
「脅かしたのは悪かったけどさ、でも本当に危ない奴がここに来てたらと思うと」
「それなら初手でぶっ飛ばせてたわ。あんただから油断してただけよ」
そう言うとレイヴンは瞬きを繰り返したあと、戸惑ったような困ったような表情になる。
「ハア……リタっちってさ……」
「なによ」
「そういうとこが心配なのよ」
どういう意味よ、と聞くと、うーとかあーとか唸りながら頭をばさばさと掻く。仮装で多少整えられていたらしい髪が乱れていくのを見ながら、リタは少し口元を緩める。
「もし、あんたみたいな危ない奴が街の中にうろうろしてたとして」
「ああ……うん、俺ね、危ない奴よね……」
「ギルドユニオン幹部としてはそんなの、放置しといていいわけ?」
「いやあ、よろしくないねえ」
「じゃあせいぜい頑張るのね」
レイヴンは疲れたように笑いながらふうと長く息を吐く。へにゃりと細められた目のしわが、今はよく見える。
「リタっち、本部まで付き合ってくれたら何か買って帰ろ」
「ついでにユニオンに怪しい奴がいたって突き出せばいいのね」
「ごめん、ごめんってばあ」
無駄に長いレイヴンの黒マントは、つかんでみると表面は案外さらりとしていた。歩きながら、布地をぎゅっと手のひらに握っておく。いつも着ている羽織とそんなに変わらない感触だと思いながら。