いいことさがし リタっちってさ、おっさんのどこが好きなの──そんな滑稽な質問をしてみたらどうなるのか。考えてみるまでもない。眉をひそめて顔をしかめて、はあ? と一蹴されるのが目に浮かぶ。
だからそんなばかげた問いは心の奥にしまっておくことにしていたのだが。
「ねえ、おっさんって、あたしのどこが好きなの?」
ぶほぉっと飲んでいた珈琲で咽せそうになった。すこし震える手でカップを置く。休日、二人とも思い思いに過ごしていた昼下がりだった。自室にこもりがちな彼女がめずらしくソファで読書にふけっていると思ったら、突然そんな問いが飛んできた。
「え、急に、どしたの」
「なによその反応」
「いや、リタっちがそんなこと聞くなんて、なんか変なもんでも食べたかなと思って……」
「昼のスープに変なの入れたの?」
「覚えはないわね」
わかりやすく眉をひそめられる。リタはレイヴンの困惑の反応にご不満なようだ。
「や、ね、リタっちがどうとかじゃなくてさ、もしおっさんが同じようなこと聞いたら、リタっち絶対『はあ? 何そのバカっぽい質問』とか言うだろうなーって思って」
「それあたしの真似?」
「似てなかった?」
「当たり前でしょ」
これはいよいよ真剣に答えなければいけない流れだろうか、そう思って思考を巡らせていると、リタがふっと距離を詰めてくる。膝の上にあったはずの本はきちんと閉じられ、いったん脇に置かれている。
「あたしは答えられるわよ、あんたが言わないんだったら、あたしが言うから」
まるで戦いを挑むような目で見つめられる。いったい突然何が始まっているのか。しかし急に詰められた距離に、胸の奥は勝手に騒ぎはじめている。変な汗まで出てきた。
「じゃあ、言うから」
心臓のあたりがもどかしく震えてくる。このままここから転がるように逃げ出してしまいたくなる。耐えきれず胸に手をやり、はっと少し冷静になる。
(リタっちのことだから、まあ普通に考えたら……)
「これ」
「へ?」
リタがいきなり指し示してきたのはローテーブルに置かれた皿だった。乾いた果物を混ぜ込んだクッキーが入っている。レイヴンが皿に盛って出したときからいつの間にか半分くらい減っている。
「何作ってもまあまあ美味しいとこ」
まさかの食関係だった。
「い、いやーおっさんの腕なんて大したことないって、リタっちが食事とか料理に興味なさすぎるだけで」
「そういう、自分の力を正しく測らないとこはどうかと思うけど」
「ハ、ハイ……」
ぴしゃりと告げられ、思わず身を縮めて姿勢を正してしまう。
「でも、あんたのおかげで食べ忘れるってことなくなったから、感謝してるのよ」
かすかに表情を緩める。ほんのわずかに、柔らかく目元が綻ぶ。彼女がときどき見せる、穏やかな感情のあらわれだった。レイヴンは居たたまれなくなって、今度こそ本当に逃げ出したくなった。
「えーっと……クッキー、おかわりいる?」
「え、まだあるの?」
「いっぱい作ったからねえ、ちょっと待って」
自然な流れでこの場を離れることに成功する。足早にキッチンへ向かい、ふうと深い息をついていると、いつの間にか横にリタが立っていた。
「おわっ」
「やっぱりクッキーはもういいわ、その代わり、はやく言いなさいよ」
「言うって」
「あたしが聞いたのに、なんであたしだけ答えることになってるのよ、おかしいでしょ」
そんなことを言ったらもう始めから何もかもおかしい。謎の熱意を燃やすリタはレイヴンに詰め寄る勢いで近づいてくる。
「ちょ、ちょっと待って、なんでそんないきなり熱心に知りたがってるのか、教えてよ」
「あんたが答えるためにその理由が必要なの?」
「場合によっては……」
動揺を抑えながら答える。いつの間にか壁際まで追い詰められている。何気なく過ごしていた昼下がりのはずが、一触即発の修羅場みたいになっている。
リタは思案するような表情でしばしうつむく。さっきまでの強気がふいに息をひそめたように感じた。
「……単に、気になったから、理由」
ぼそりとごく小さな声でつぶやく。
「あたしにはあんたと一緒にいる理由なんて山ほどあるけど、あんたはそういう、必然性みたいなのって、心臓のことくらいかもって」
リタはゆらゆらと視線をさまよわせて、ふとレイヴンと目を合わせる。瞬きをくりかえす。自分の想いと相手の想いは違うかもしれない、そんな人と人のあいだにありふれたような悩みが、彼女の中にも湧き起こることがあるのだと、レイヴンは感慨をおぼえる。
「リタっち、急に、なんか……」
「……なによ」
「年頃の女の子みたい」
「はあ?」
一転、怪訝そうな顔をされてちょっと安心する。しかし、これはなにかと逃げの手を打ち続けていた自分に原因があるだろう。一緒にいるとどこかで甘えてしまう。彼女は自分とは違ってささいなことになど揺らがないと思い込んでしまう。そんな日々のうちに漂う曖昧さを解き明かして定めるために、リタは理由を探求したのだ。
「おっさんにも、そりゃ当然いーっぱいあるよ、リタっちと一緒にいたい理由」
「それを教えなさいって、最初から言ってんのよ」
彼女は問うことをあきらめない。自分の心が求めるものにかならず向かおうとする。そういうところが眩しくて苦しくて、見ていられなくて、嫌いで、好きになったのだ。
「うん、じゃあ……満を持して発表しちゃおっかな」
なぜか一世一代の告白みたいな雰囲気になる。胸の奥はさっきからずっとくすぐったく、どたばたと騒がしい。とりあえず端から一つずつ外に出していかなければおさまらないかもしれない。どんなにみっともない理由か、いよいよ観念して見てもらうことにしよう。