記念日 グラスに入った深い紅色の液体は、いつもの部屋の灯りを映してきらめく。特別な輝きをたたえて揺らめく。
「かんぱーい」
向かいで同じ色のグラスをかかげるレイヴンが、陽気な声をあげる。
「楽しそうね」
「そりゃリタっちの記念すべき日だもん、うーん美味い」
レイヴンが用意してくれた酒を、リタも少し口にふくんでみる。ひろがる果実の風味のなかに、じわりとほのかな苦味を感じる。
「どう?」
「まあまあ、悪くないかもね」
リタの言葉に、よかったわあ、と安心したように表情をくずす。
「リタっちも、大人になったよねえ」
「そんなしみじみーって言うのやめてくれない、昔はさんざんガキんちょガキんちょ言ってくれたくせに」
「いやー、だって感慨深くってさ、リタっちと出会ったころから考えると、あのときって……」
しばらく思い出話を繰り広げる。レイヴンと出会ってからのさまざまな出来事、変化、互いに選んだことの話。あまりにも溢れすぎて簡単には言葉にできないけれど、ぽつぽつと話す。
「リタっちがこれからどんどん立派になってくの、見てたいなあ」
はっはと笑いながら、なのに声の響きはなぜかさみしげに聞こえた。まるで、一億ガルドが空から降ってこないかなあ、なんて馬鹿げたことを言うときみたいに。
「……見ててよ、ちゃんと」
リタが怒ったと思ったのか、レイヴンが慌てたように首を振る。
「あーいやいや……うん、リタっちがいいんならさ、喜んで見させてもらいますとも」
「その子といっしょにね」
「そうねえ、がんばって働いてもらわんとね」
「働かせすぎもダメよ。この子が気持ちよく適正に働けるように、あんたにはがんばってもらわなきゃ」
レイヴンはぼんやりと宙を見上げる。どこかやわらかに微笑みながら。一億ガルドを探すように。
「うん、俺も……リタっちともっと美味い酒飲みたいもん」
「そんなたくさんは飲めないわよ」
「また良さそうなの探してくるからさ」
「ちょっとずつなら、べつに」
そんな風に取り留めもない会話を交わしながら、リタは切ったチーズの欠片を口に放り込み、またほんのすこしだけグラスを傾ける。
それからしばらくして。
「リタっちぃー……んー、リタっちってさあ……かわいいよねえ」
「うざい! 重い!」
いつの間にかすっかり酔っ払ってしまったレイヴンは、ソファでリタのほうへもたれかかりながらひたすらうわごとを繰り返していた。
「ほっぺぷにぷにねえー、ちゅーしていい?」
「よくない!」
だいたい、改めてその子をいたわるという話をさっきまでしていたのに、早々に酔っ払うなんてどういうことなのか。レイヴンをあしらいながら言ってみるもまったく通じている気配がない。
「うん、うん……リタっちぃ、すき~あいしてるぜぇ~」
「やっぱり聞いてないし」
ため息をつきながら、にこにこと楽しそうに笑っていた顔を思い返す。今も同じような顔はしているが。どうしてそんな風に楽しくなれるのか。ぜんぜん理解はできないが、今日くらいは、という気持ちが芽生える。今日だけ。明日からはまた問答無用でベッドに叩き込むけれど。
「ねえ」
へにゃへにゃと笑うレイヴンの鼻を人差し指でぐい、と押す。
「あたしのこと、好きなの?」
レイヴンはすこしだけ目を丸くしていったん大人しくなる。こくこく、と頷く。
「この先もずっと、ずーっと一緒にいたいくらい?」
そう言うと、泣きだしそうなこどものように目を細める。少し赤く潤んだ瞳はなんだかほんとうに涙をこぼしてしまいそうに見える。それでも、レイヴンはリタをじっとみつめて、はっきりと首を縦に振った。
「……うん」
小さく、けれどたしかに口にした。リタは押さえていた鼻をつん、とつつくと、ぼんやりとしたままの顔にそっとほほえんでみせた。
「じゃあ、特別に、今日だけは……許してあげる」
ほんのりと赤らんだ頬にふれて、漂う香りを吸い込む。これが大人のしるしなんて、笑ってしまうくらい不確かだ。それよりも、さっきもらった返事のほうが、リタにとってはずっとずっと確かな証拠だ。
さっき飲んでいた酒よりも、ほんのすこしだけ甘い味が唇にふれた。