靴下の香りしかしない部屋家に帰れば薄暗い部屋、ひんやり冷えたフローリング。
飲みかけの生ぬるいコーヒーと灰皿に残ったマルメラの入れ混じった匂いが鼻腔を伝って脳を刺激する。
窓を開けると、風が滑り込むように入ってきた。
古くこもった空気が一変し、夜の新鮮な大気にとけた。
街を見下ろし一服、ため息、葛藤、生かせなかった虚しさを飲み込んで今宵も勝てなかった吸血鬼に今度こそは…。
「倒す、刺し違えてでも」
「ピョ⁉」
「どうしたヴェントルー、拾い食いしてポンチになったか」
鉄筋塔の上で昔を薄ぼんやりと黄昏れていた意識はうちの家政夫ピヨちゃん、ヴェントルーの鳴き声で現実に呼び起こされた。
そうだ、今日も靴下ハントに勤しみシンヨコの片隅の路地裏で徘徊していたら吸血鬼「過去の寂しい思い出を蘇らせる!」とかがやってきたんだっけ。まぁ無意識下でも靴下は剥ぎ取ったが。
眼の前で大鴉姿で片足に芋と肉のパックがはみ出た買い出しのエコバックを手持ち無沙汰にユラユラさせてる。私の後ろにいる痙攣を起こし意識を失ってる吸血鬼を縄で縛り上げてる姿を見て鳴いてたのを誤魔化してるが、たいして気にもせず続ける。
「うーん、Goodsmell」
奪い取ったばかりのソレを堪能して気が済んだので吸血鬼を投げつけるとまた頭上でピヨピヨうるさく騒ぎ出すので胸ぐらを掴み白い目をじっと見つめれば次第に震えて真っ赤になり黙った。
か細く、繊細な声でこっちを見るなと零して。
しかし、先程見た光景と能力を言えば金切り声で悲鳴を上げて自宅までヴェントルータクシーで飛ばされた。
空中散歩よろしく高速で変わる景色とは裏腹に腹が減る。
「なぁ、家に帰ったらなんか芋がたくさん潰れた卵とじが食べたいな作れヴェントルー」
「…な、自分でつくれ!」
「お前が煎れたうまい茶も飲みたい」
「…うぐ」
「いいだろ?ヴェントルー」
掴まれた胴体は離されず、安定した滑空状態でもうすぐ見える自宅にポイッと投げられた。そのままベランダに着地して後ろを振り返れば小さくなったピヨちゃんが手のひらに落ちてきた。
ヴェントルーは私が咥えた靴下を奪い取って弱々しく鳴いた。
家に帰ったら靴下の山がある。
フローリングが見えないぐらいに敷き詰められてるし、日本茶のいい香りをかき消す靴下の匂いに胸が一杯になる。
「タビコ!茶ができたぞ!あとお前の言っていた料理はスパニッシュオムレツだ!」
芋となんか黄色い伸びたやつを包んだ玉子とじを口いっぱいに頬張り、火傷しそうな熱さを感じ程よく温かいお茶で流し込んだ。
「うん、うまいな」
「ふ、ふん…当たり前だ!」
懐から出した靴下を副菜にしゃぶりながら「靴下が」と言えば近所迷惑になる悲鳴が木霊した。
嗚呼、騒がしい。
冷たい部屋、タバコの臭いとあの夜の苦味、それが寂しさであるならこれは一体なんだろうなヴェントルー。
「お茶、おかわり」
おわり