【これが】2010年代出身審神者向けマニュアル読んだんだが【ジェネレーションギャップか】
1 ななしの審神者さん
書いてあることが謎すぎんだけど。
2 ななしの審神者さん
kwsk
つーか読めるのか
3 ななしの審神者さん
>2
ポータルサイトからDLできるぞ
4 ななしの審神者さん
過去からのスカウト解禁されたの何年前だっけ、あれから女性の審神者増えたよな。つーか政府もそんな昔の人間をなぜスカウトしようとした
5 ななしの審神者さん
そしてなぜ審神者も就任OKした
6 ななしの審神者さん
時間遡行軍とか刀剣の付喪神とか審神者とかな……
俺らはマヒしてるけど、あの時代に信じてスカウト受けるとか端的に言ってやべぇwwwwww
7 ななしの審神者さん
研修で聞かなかったっけ? あれだよ、刀剣男士によっては付喪神としての逸話が、この時代にだいぶ強化されたとかナントカ
8 ななしの審神者さん
あー、研修内容覚えてないけど、うちの光忠がそんなことを言ってたような
9 ななしの審神者さん
うちもほたるんが言ってたな。同じこと
10 ななしの審神者さん
あの……うちの燭台切が懐かしそうな顔で「僕も伽羅ちゃんも電車になって走ったんだよ」って言っているんですが……
11 ななしの審神者さん
>電車になって走った
日本語でおk
って近侍の三日月がスレ読んですっげーニコニコしてんだけど、え、なに、おじいちゃんも心当たりあんの? 電車になったの? え、特急?
12 ななしの審神者さん
ところで>1はどんな内容を見たんだよ
13 ななしの審神者さん
2010年代出身審神者かぁ、演練で見かけたけど不思議だったな雰囲気が
高練度の極とかカンストだらけのガチパなのに初期刀との関係すらまだちょっと手探りって感じで
14 ななしの審神者さん
刀剣男士との関係がちょっとぎこちない割に強い審神者、話してみるとだいたいそこ出身ですよね。育成と本丸の運営にかけてる時間がちぐはぐというか
15 ななしの審神者さん
>1です。まとめてきた
2010年代出身審神者向けマニュアル内容抜粋
・これは本物の戦争です、重傷進軍でなくても、折れるときは折れます。
・検非違使の出ない戦場でも、練度差のありすぎる編制はよほどのことがない限り避けましょう。ターン制ではない以上、なにが起きるかは分かりません。
・就任したら、まず刀剣男士に生活上のルールを確認しましょう。「主のやり方に合わせる」と言ってくれるかもしれませんが、本丸で過ごした時間は、彼らのほうがずっと長いということを忘れずに。
・今まで、『本丸』や『刀剣男士』はあなただけのものでした。しかし、今の本丸にいる彼らはあなたの心の中にいた彼らではありません、あなたとは別の人格と心を持つ他者です。どんなに『解釈違い』であろうと、彼があなたの刀剣男士であり、あなたを主と慕っていることに変わりはありません。
・本丸の運営で何か迷いが生じたら、すぐに刀剣男士(特に初期刀・古参)やこんのすけ、担当職員に相談しましょう。再三のことになりますが、本丸にいた時間は、彼らのほうがあなたより長いということを忘れないでください。
16 ななしの審神者さん
>重傷進軍でなくても折れるときは折れる
……いや、当たり前だろゲームじゃないんだから
さすがに草も生えない
17 ななしの審神者さん
>解釈違い
リアルワールドの人間(?)関係にそんなワードを持ち込むな、面倒くさいヲタクか
18 ななしの審神者さん
つーか、俺ら用のマニュアルよりも文体柔らかくないか?
マニュアルっつーか心構えの羅列っぽい
19 ななしの審神者さん
あらかじめ育成した本丸に就任するって流れなのか、あの年代出身の審神者
20 ななしの審神者さん
ブラック本丸とか、そういうやつでもないよな。ホワイト本丸にしたいと必死な審神者に向けてのアドバイス的な感じ?
21 ななしの審神者さん
あー、後輩がそこ出身で、マニュアルの話聞いたことある
彼女の話だと、2010年代から呼び始めたころの第一世代が、同年代出身の後輩用に自主的に集まって作成したとかなんとか。
就任の経緯が特殊だからね、あの時代組は。後輩もだいぶ悩んでたから相談に乗ってたわ、バックグラウンド違いすぎて、話聞くだけしかできなかったけど
22 ななしの審神者さん
そんなスカウト受ける時点で何かあるのかなとは思ってたけど、やっぱり特殊なん?
23 ななしの審神者さん
あー、もう知らない審神者もいるか
24 ななしの審神者さん
大先輩から聞いたあれか……?
「政府暇かよバカじゃないのって思ったら、本当に戦況が好転して度肝抜かれた」って言ってたやつ
25 ななしの審神者さん
なにがあったんだよなにが
26 ななしの審神者さん
>25
遡行軍との戦争が始まって、審神者制度が始まったころなんだけど、顕現できる刀剣男士増やすために政府が2010年代にちょっとした小細工仕込んだんだよ、やべぇ歴史改変にならない程度の
それがさ……
目が覚めると、そこはただただ白い空間だった。
見上げた天井も、少し視線を動かしたら見えた壁も、病院のように無機質な白で。ここまで白いと、もはや部屋の広さすら把握できない。
床はふわふわとやわらかい。なんだろう、人をダメにする系のクッションと、トランポリンの間くらいだろうか。コットンのシーツのような感触が、手のひらに伝わってくる。
えーと、なんでこんなことになってんだっけ。そうだ、夕方、いつものように正社員じゃないのをいいことに定時で会社を出て、家に帰って夕飯食べて、翌日の出勤の準備をしてからくたびれ果ててベッドに入って、寝る前に日課としてゲームアプリを開いて……もう遅いからとそのまま寝たんだった。
あー、つまり夢か、夢だろうなぁ。朝になったらまた仕事だし、目覚ましが鳴るまで夢の中で二度寝としゃれ込むかな。ぼんやりとそう考えつつ目を閉じようとした、そのときだった。
「……?」
隣から、誰かが起きあがった気配がする。確認しようと首をごろりと動かした私は、そのままの姿勢で固まった。
嘘でしょ。喉から飛び出しそうになったその言葉を、すんでのところでこらえる。いくら夢だからって、お化けとかは勘弁してなんて思っていたけれど、もはやそういうレベルじゃない。
少し眠そうな藤色の瞳と、寝癖のついた煤色の髪。
いつもの黒い衣装じゃなくて、浴衣……寝間着? 姿をしているけれど、その顔を見間違えるはずがない。
「……長谷部?」
あ、はい、夢で確定ですねこれは。
ゲームのキャラクターで、データだけでしかないはずの近侍が、隣で怪訝そうに私の顔を見つめているなんて。
「主……ですか?」
しかも、私を自分の審神者として認識しているなんて。ストレスがヤバすぎて、とうとうダイレクトに願望が夢に出てきたか。
寝る直前まで八面攻略してたしなぁ、それかなぁ。こういう夢が見られるなら、寝る前のゲームも悪くない。
「主、ですよね? なぜこんなところに……」
「あー、うん、私も分からないんだけど、その」
そもそもの問題として、まずはもう一度前提を確認しよう。なにをどう聞いたものやらと起き上がり、襟元を正して正座した彼と向き合った。
「へし切長谷部だよね? 私の、本丸の」
うわ、なんだかんだで恥ずかしいな、私のって所有格まで口にするの。
「は、い。ここは、一体」
TRPGとかだと、ここからダイスで目星だの神話生物と戦闘だのという展開がお約束だけれど、さて。
頭はもはや、一周回って冷静になってきた。なにをやらされるんだろうと首をひねっていると、私の目の前に、ひら、と一枚の紙切れが舞い降りる。
『キスしないと出られない部屋』
――いや、支部かよ。
ネットの海で五百回くらい見たことがある文面に、黙って頭を抱える。
「主、それにはなにが……」
隠すわけにもいかないだろう、私は黙ってその紙を長谷部に渡した。
隅っこに付け足されているのは、ご丁寧に括弧でくくった(マウス・トゥ・マウスで)という言葉。いや本当になんだこれ。
支部で見た展開だと、下手人はだいたい政府の謎のキャンペーンとか審神者のいたずらとか遡行軍の攪乱策だとか、まあいろいろだけれど。これはどれだ、夢のミラクルパワーか。私の願望だなんて、そんなのは認めたくないけれど。
キスだのマウス・トゥ・マウスだの、そもそも彼に理解できるんだろうか。そんな私の懸念は、気まずそうに目をそらす長谷部の耳が赤くなっていたことで解消された。
「……主が望まないことを、する気はありません」
ああ、分かっちゃうんだ、そういう言葉の意味。別に不思議でも何でもないことのはずなのに、なぜか少しだけ胸がざわついた。
真摯でまっすぐな藤色は、ゲームの画面よりも間近な距離でこちらを見つめている。その視線に、私は思わずたじろいでいた。
「私は……その」
部屋を出る、それはどういう意味なのだろう。長谷部にとっては、みんなの待つ本丸に戻るということになるんだろうか。
じゃあ、私は?
この部屋を出るための条件をクリアしたら、目覚まし時計が鳴り響いて、ぐずぐずしながら布団を出て、出勤の準備をして、満員電車に乗って、行きたくもない職場に行って、やりたくもない仕事を、ただ安い給料のためにこなして――
「……したくない」
そこまで考えた瞬間、思わず私は首を横に振っていた。
嫌だ、せっかく心地のいい夢なのに。このまま一生目覚めたくない。
「……主命とあらば」
ゲームで聞く台詞よりも、少しだけ重い声。たぶん誤解させただろうけれど、ごめん、こればっかりはフォローのしようがない。
それでも、彼を拒否したわけじゃないことだけでも弁解したくて。開いていた距離を、少しだけ詰めて隣に腰を下ろす。
うん、これが夢だとしても、今くらいは信じたっていいじゃないか、どこかに私の本丸が実在して、近侍とこうして出会えたんだって。
「でもさ、どうして分かったの? 私が自分の審神者だっ、て……!?」
この際夢の世界の設定に乗っかってしまおう、願望の赴くままに、長谷部と話がしたい。膝を抱えた私は彼にそう問いかけ、同時に思い当たった仮説に目をむいた。
「え、待って、もしかしてそっちからこっち丸見えだったりした!?」
そりゃあ思っていた、一度も出会ったことのない、画面越しの指示しか与えられない審神者でも、主と認識してもらえるんだろうかなんて。でも、もしも彼らに私を私と認識する材料が与えられていたとしたら……
ヤバい、下着姿どころか湯船につかりながらアプリ起動した記憶が一度や二度どころじゃない。知らなかったとはいえ、完全なるセクハラやらかし案件じゃないかとパニクる私の肩を、慌てた長谷部の手のひらが落ち着けと掴む。
「ち、違います! 大丈夫ですから!」
ああ、どうして私は寝るときに首もとダルダルのヨレヨレスウェットなんて着てしまったんだろう。うっかり胸元をのぞき込んでしまった彼の視線が、ものすごい勢いで逸らされるのが申し訳ない。
「……分かりますよ。姿は見えませんでしたが、すぐに」
おかしそうに、うれしそうに笑ったその表情は、見慣れた立ち絵よりもやわらかくて。
どうしよう、この間見に行った映画館のスクリーンなんて比べものにならないくらい、彼の顔で視界がいっぱいだ。というか、見た目が商売道具の俳優さんでもないのに、あの本丸の長谷部と同じくらいのむきたてゆで卵の肌って一体全体どういうことなんだろう。
やろうと思えばできちゃうんだろうな、と部屋を出る条件を思い浮かべ、私は自己嫌悪から小さくため息をついた。
だって、これじゃキスできる理由は顔ですって言ってるようなものじゃないか。彼がどんなに純粋で、どんなに素直にまっすぐに私を主と慕ってくれているか、私はちゃんと知っているはずなのに。
「……と、いうか。なにがびっくりって私の本丸が実在したことにびっくりだよ」
ああ、夢の設定に乗っかるどころか、だんだんと信じてしまう自分がいる。正夢になることを望んでしまっては、覚めてから辛くなるだけだと知っているのに。
「聞いたことがあります、遡行軍との戦が始まったころは、刀剣男士を顕現するに足りる逸話が乏しくて、十二分な戦力の確保が難しかったと」
刀剣という文化財は、かつては限定的な趣味でしかなかった。大衆のイメージで構築される彼ら刀剣男士の土台を強化したい、そう考えた政府は、サブカルの力に目を付けた。
そしてリリースされたゲームには、同時にもう一つの役割が課せられた。
プレイヤーの本丸を、実際に作り上げられた本丸とリンクさせる。持てる限りの技術をつぎ込んだ結果としては言うまでもない、大成功だ。
こうして万単位で急増したゲーム本丸は、専任の審神者ほど戦場に出られるわけじゃなくても、底上げ役として十二分な戦果を上げているそうで。歴史改変の定義って何なんですかと政府に聞きたいのは山々だが、システムとして実際成功しているなら大丈夫なんだろう、たぶん。
「……じゃあ、よく言われる審神者の数だけ本丸が、って」
つまり実質私たちは、審神者やりながら広報課も兼ねているようなものだったんだろうか。だったら給料とまでは言わなくても、手当くらい振り込んでくれてもいいような気がする。遠征もタダじゃないんですよ。
もっともらしく聞こえなくもない話に、だんだんと気負っていた肩から力が抜けていく。
このくらいだったら、許されるだろうか。行儀良く膝の上で握られた彼の拳に、私はそっと手を伸ばした。驚いたように見開かれた彼の瞳に笑いかけ、隣に座り直して肩に寄りかかる。
「聞かせて、本丸のこと」
そう言うと、緊張していた長谷部の身体は少しずつゆるんでいく。ほどけた彼の指が、私の手をそっとぎこちなく包み直した。
「……そうですね。どこから話せばいいのやら」
「ちょっとしたことでいいの、誰がどんなことを言っていたとか、こんなことがあったとか」
何でもいいから。そう懇願する私に、長谷部は思案するように少しだけ沈黙してから口を開いた。
節分の部隊に組み込まれた巴ちゃんが、初めて遠戦ができると楽しみにしていること。
兄弟そろっての遠征続きで、江雪たちがうれしそうにしていること。
蛍丸が、修行道具を見てはそわそわとしていること。
夜食に食べた、歌仙のお握りが美味しかったこと。
そして昨日、帰還の指令を受けて、中傷の長谷部に陸奥守が肩を貸しながら、「姿は見えんくても、心配されちょるのは分かるにゃあ」と笑っていたこと。
本丸に戻ってからは、手入れ部屋でそのまま寝たこと。
うん、そこは私の寝る前の記憶と同じだ。私も寝るからと手伝い札を使わなかったことまで、そっくりそのまま。
「最近来た子はどうしてる? 長義とか豊前江とか祢々切丸とか……」
まんべんない育成なんて、夢のまた夢ではあるけれど、所詮は兼業だと開き直ることもできない。本丸に行ける時間が限られていても、きちんと運営できている審神者だっているわけだし。
「どうしても、古参の子とか極めた子に頼りがちになっちゃってるでしょ? 均等に育成できてないからさ、申し訳ないなって思ってたんだ。本丸にも毎日は行けてないし」
うっすらとした罪悪感は、端から見ればたかがゲームの話でしかないけれど。この際だからとモヤモヤを吐き出した私に、長谷部は安心させるように微笑んだ。
「大丈夫です。皆、元気にやっていますよ。江戸城での出陣を楽しみにしていました」
「……そっか」
これが夢である以上、彼の返答は私の「こう思ってくれていたら」という願望なんだろうけれど。それでも、こんがらがった糸のような感情は少しずつほどけていく。
「いっそ、本当に審神者に就職できたらなぁ。願ったり叶ったりなんだけど」
だから、これも仕方ないんだ。四六時中、たぶん私だけじゃなくて、今を生きている審神者の大多数が抱える願いを口にしてしまうのも。
でも、ふざけるような口調でそう言った私に向けられたのは、予想以上に心配そうな優しい視線だった。
「……大変なのですか? そちらの生活は」
そんなことを聞かれるなんて、想像もしていなかった。喉に何かが引っかかったような感覚は、ほんの少しだけ私の息を浅くさせた。
「大変というか、なんというか……」
ひどいブラックではないと思う。ただ、じわじわと真綿で首を絞められる感覚がするだけで。
年齢もアラサーに突入してしばらくたち、もう非正規から固定給の正規職にジョブチェンジできるタイムリミットは目前だ。ただでさえ労働の対価としては低い時給な上、そんな不安までついて回ってくる現状は、ストレスにしかならなくて。
うらやましかった。現実のなかで仕事と将来の不安に追われ、精神をボロボロにすり減らす自分と比べて、本丸という空間で、仲間たちと過ごしている彼らのことが。
けれど、そんなこと実際に声に出せるはずがない。口ごもる私に、彼はなにを思ったのだろう。
「……失礼します」
身体の向きを変えた彼の腕が、そっと私の肩に伸びる。嫌だと思えば女の力でもふりほどけるだろう強さで、優しく胸元へと引き寄せられ、私は長谷部に抱きしめられていた。
「なにも聞きません。聞きませんから」
優しい声と共に、背中をなでる大きな手のひら。三次元の男性相手にだったら絶対に許さない行為だけれど、なぜかその温かさが無性に心地よかった。
ボディタッチに対して、嫌悪感は欠片も沸いてこない。ああ、本当に私の長谷部なんだなぁ、なんて。今さらながらにそんなことを考える。
「……私はさ、覚めないでこのままのほうがいいけど。長谷部は、どうなのかな」
私は構わない。このまま目が覚めないまま朝になって、謎の昏睡状態で発見されたとしても。
でも、彼がこのまま夢の中にいた場合、本丸はどうなってしまうんだろう。近侍が手入れが終わっても目を覚まさないなんて、他のみんなはどう思うんだろう。
そんな寒気のする想像に、長谷部は話題を逸らそうと口ごもった。
「でも、俺とはお嫌でしょう、主は」
「ちが……!」
悲しそうに私を気遣う声に、慌てて首を横に振る。
「……ごめん、誤解させるようなこと言って」
戸惑う彼の視線が降ってくる。
「嫌じゃ、ないよ。戻りたくないだけ」
「……主」
ああ、顔が熱い。急に跳ね回る心臓の音が聞こえやしないかと、ほんの少しだけ身体を離す。
彼とキスするのが嫌だというわけじゃない。最初からそう思っていた時点で、そういうことだって分かっている。
「でもさ、変でしょ。キスできるなんて」
ほんの少し前まで、私にとっての彼はゲームのキャラクターにすぎなかった。一緒に言葉を交わした時間なんて、ほんの少しに過ぎないのに。
でも、本当はずっと知っていた。
本丸に戻るたびに迎えてくれる彼に、何度救われただろう。極の実装のニュースに、どんなに心をかき乱されただろう。毎年福岡まで会いに行く度、変わらず光に浮かび上がる皆焼の刃紋を見て、どれだけ安心しただろう。
報われようがないことも、世間では奇異の目で見られるような感情であることも、分からないほど子供じゃない。
「それに、長谷部は、いいの?」
顔を見られたら、抱えた感情を見透かされてしまいそうで。顔を伏せた私を、長谷部の腕がいっそう強く抱きしめる。
ねえ、今のそれは、つまりそういうことですか。そう聞けばいいのに、私の口からは、可愛気のない言葉しか出てきてくれやしない。
「それって、私が主だから……?」
ああ、支部で何度も見かけたな、こんな台詞。他人事のように、ぼんやりとそんなことを考える。
制御できない感情と、意地の悪いことを言ってしまった恐怖と。両方がごっちゃになって、心臓の音がおかしいくらいにうるさい……あれ?
「……お姿が見えずとも、良い主に恵まれた自覚はあります。分かりますよ、たかが遊技の登場人物として扱われている訳ではないことくらい。それで、前から慕う気持ちはありましたし」
違う、この音、私だけのものじゃない。彼の胸の奥から伝わる鼓動が、私のそれと重なっているんだ。
「お会いしたとき、その、これほど可愛らしい方が、と」
思わず見上げた顔は、耳まで赤い。照れくさそうにゆるんだ藤色は、やわらかく私を見つめている。
初めてだった。家族以外の男の人に、容姿をほめられたのなんて。かち合った視線が、私の心の奥をじわじわと温める。
それでも、はっきりと気持ちを告げるなんてできやしない。ぐるぐると渦巻く感情を必死に押し隠して口にした願いは、情けないほどに震えていた。
「……迎えに来るって、言って。そう言ってくれたら、それだけで、私」
その言葉だけで生きていけるから。心にもないその台詞を、私はそっと飲み込んだ。
頬に添えられた大きな手のひらが、そのまま後頭部へと滑る。
嘘だなんて自分でも分かっている。いくら夢の中だからって、出会ってしまって言葉を交わして、恋い焦がれてしまったら。絶対に私の心はそれ以上を望んでしまう。
それでも、その言葉はきっと私を生かすんだろう。地獄に下ろされた、遠くに見える蜘蛛の糸のように、きらきらと光って夢を見せ続けるんだろう。夢は夢に過ぎないと知っていても、それでも。
そう、これはただの夢だ、現実になんてなりはしない。
「必ず、迎えに行きます。絶対に」
だから、お願いだから、そんなに真摯に言わないでほしい。信じたくなってしまったらどうするの。抱き寄せられ、髪をなでられ、優しい指に泣きたくなってしまう。
「あのね、長谷部――」
それでも、万が一のチャンスがあるとしたら。彼の耳元に口を寄せ、私はとある言葉をささやいた。
「……主? まさか」
神様、これが無理なんて承知の上です、でも、少しだけでいい、夢を夢のままで続けさせてください。
「……名前、呼んで」
戸惑うような彼に、私はだめ押しとばかりにそう告げた。
「……審神者は名を教えたがらないと、噂がありましたが」
「ああ、真名だっけ。ネタとしては面白いけどね、都市伝説でしょ?」
もちろん、そんなことは承知の上だ。二次創作では何百回も読んだし、けっこう好きなパターンではあるけれど。結婚式の祝詞では、住所氏名どころか新郎新婦の両親の名前まで神主さんにバラされてる訳だし。それはそれ、これはこれというやつだ。諱という概念が、有名な劇場アニメと有名なゲームシリーズの設定がごっちゃになった結果だろう、たぶん。
本当に名前を教えて神隠し、なんてことがあったとしたら、たぶんプラセボみたいなものだと思う。危険だという意識があればあるほど、漏れてしまったときに一気に精神が瓦解してしまう。
むしろ、私も素直に信じたかった。好きに隠してくれと、名を彼に差し出せたらよかったのに。
そうだ、あり得ないことだって、私は知ってしまっている。それでも、なにか彼との間をつなぐ糸になる可能性がゼロでない限り、私の行為に意味はあると思いたかった。
ぎこちなく、低く優しい声が教えたばかりの私の名を呼ぶ。壊れ物を扱うように抱きしめられるのがもどかしくて、私は彼の背中に手を回し、ぎゅっと両腕に力を込めた。
「もっと」
「……折れませんか」
「折れてもいいから、お願い」
どうせ夢の中なんだから。心の中でそうつぶやくと、そんなことを知ってか知らずか、痛いほど力が込められた長谷部の腕は、少しだけ震えていた。
もう少し上手に笑えればいいのに、彼の瞳に映る自分の顔はぐしゃぐしゃにゆがんでいる。指通りのいい煤色の髪をなでると、鼻をすする音が小さく響いた。
「……主」
「ん……」
決心したように、長谷部の手が私の頬に触れる。どうにか笑顔を見せようとして失敗しつつ、私もその手に頬ずりをするように指を添えた。
眼前いっぱいに広がるイケメンっぷりの暴力に、思わず目を閉じる。ストレスでボロボロに荒れてしまっていた唇に、私は今さらながらに後悔した。
やわらかく、温かい感触が唇に触れ、名残惜しそうに離れる。目の奥が熱く、じわじわと痺れていく。
とうとう、してしまった。悪足掻きとばかりに、離すまいと強く彼の手を握ると、長谷部は静かに、私の名を口にした。
「――好きです」
その言葉と共に向けられたのは、嘘偽りのない、心からの笑顔。涙腺はとうとう決壊し、上手く声が出せないなか、私はようやく最後に彼の名を呼んだ。
「はせ、べ……」
「忘れないで。俺は、俺たちは、必ずあなたを――」
ピピピピ、という、嫌というほど聞き慣れた電子音が彼の声にかぶさる。
見つけてみせます。たった今私に口付けた唇は、そう動いて微笑む。見えない何者かに引きはがされ、繋いだ手のひらが無理矢理ほどかされる。
あんまりだ、こんなときに、そんなことを言うなんて。
待って、嫌だ、行かないで、一人にしないで。泣き叫ぶ私はそのまま、部屋から虚空へ勢いよく投げ出された。
遮光カーテンの隙間からは、朝日が部屋に差し込んでいる。鬱憤をぶつけるように、目覚まし時計を叩いてアラームを止めた。
「……休みたい」
しかし、休む理由をひねり出して連絡をして嫌みを言われて、という労力をひねり出すのが面倒くさい。
もう朝ご飯なんて準備する気力もない、コンビニで何か買って済ませよう。のろのろとベッドから起きあがり、私は着替えに手を伸ばした。
もっと荒唐無稽な夢だったら、どんなによかっただろう。あの熱に浮かされるようなテンションは去り、頭は忌々しいほどに現実へと引き戻されている。
あんな風に、まるでどこかの時空に私の本丸が実在しているなんて思わせるような夢。こんなに未練しか残さないんだったら、いっそ最初から見たくなかった。
洗面所の鏡に映る、涙と鼻水でぐちゃぐちゃで不細工になった顔が、よけいに私を惨めな気分にさせた。
あの夢を見てから、一ヶ月。相変わらず、リアルな生活は変わらない。
朝起きて、満員電車に乗って、安い給料のために仕事をして、残業が最低限で済むように力を尽くして、社員勢の視線を無視して会社を出る。
『月末なんだけど、集合場所どうする?』
そして仕事の合間や帰り道で、友人と遠征のスケジュールを組む。それだけが、私の生きる糧となっていた。
『バスタだっけ。新南口でいいかと』
『おk。んじゃ十一時でよろしくー』
駅からの道すがら、そんなメッセージをアプリから送信して、アパートの鍵を閉める。深々とため息をついて、ほどいたマフラーを私は床に無言で叩きつけた。
今日は最悪だった。
寝坊してギリギリの時間にホームに駆け下りたら、遅延していた電車がやってくるまで十分ほどかかって、結局はくたびれ損。
出勤時間間際に会社に駆け込んだら、余裕を持って行動しろと嫌みを言われ。
言われた業務をその通りにこなしたら、それを繋いだ先から文句を言われ。
昼休みにこっそりチェックした転職サイトには、お祈りのメッセージが届いていて。
うっかり開いてしまった運営のツイートのツリーでは、暇な愚痴垢からのえげつない罵詈雑言に誰かがスルーできずに噛みついていて、目も当てられない場外乱闘。
新たに押しつけられた契約外の仕事は、どんなに頑張っても給料には繋がらず、かといって適当に片づけたら評価が下がるので手を抜くわけにもいかず。
そして、ようやく退勤できたと思ったら、とどめとばかりに会社最寄りの駅前でナンパされ、無視したら「ブスが調子に乗ってんじゃねえよ」と負け惜しみの捨て台詞を吐かれ。
ラインかツイッターでぶちまけようにも、遠征の計画や萌え語りで盛り上がっているところに水を差すのも気が引けて。
泣くな泣くな、あと二週間耐えたら楽しいことが待ってるんだから。今日は夕飯はラーメンで簡単に済ませてもいいから。そう自分に言い聞かせながら、百均のレンジ調理器に水を入れる。
ネギと卵だけのラーメンを機械的にお腹に入れたら、明日のお弁当を作ろう。そうしたら、今日はとっとと寝てしまおう。
そうだ、今日は早めに寝よう。明日になったら、また求人情報を探さないといけないし、将来には不安しかないけれど。寝て起きたら、少しは気分も上を向くはずだ、きっと。
そんなことを考えながら作ったラーメンは、やっぱりあまり美味しくなくて。よけいに落ちていく気持ちを、必死に押し殺した。
ふう、とため息をついてスマホを見ると、ちょうど遠征帰還の通知が届く。鍛刀でゴリゴリと削れた資源のために、ここ数日は遠征続きだ。申し訳ないなぁと通知を指で叩いて、アプリを起動する。
いつもと変わらない起動画面の矢印をタップして、続けてOPを飛ばすと、見慣れたロゴが表示される。あんな夢を見た後でも、真顔で本丸にログインできる自分の鈍感さが少し憎い。
しかし、ロード中の桜がピンクに染まり始めた瞬間、私の心臓はドクンと跳ねた。
『とうらぶ』
その声を聞いた瞬間、心の中で何かが音を立てて崩れていく。
『刀剣乱舞、開始ですよ』
「っ、ぁ」
鼻の奥が、しびれるように熱い。
「言った……」
これが他の誰かだったら、まだ大丈夫だったかもしれない。けれど、このタイミングでログボが長谷部なのはダメだ。
「迎えにくるって、言ったぁ……!」
会いたい。もう画面越しじゃ足りない。そんな気持ちが、喉の奥から飛び出していく。
ずっと、あの夢を見る前から、心のどこかで願っていた。もう、そんなおとぎ話を信じることが許される年齢ではないと分かっていても。
どんなに大人になっても、毎年クリスマスイブの夜空から鈴の音が聞こえないか、空を飛ぶそりが見えたりしないかと天を見上げてしまうように。いつか向こう側から、彼らの手が私を連れていってくれるんじゃないかって。
そんなことをほんの少しでも願ってしまっていた私にとって、あの夢は救いであり地獄への入り口でもあった。声にならない叫びは、ただ涙としてこぼれていく。
迎えにいくって言った、見つけてみせるって言った。もう嫌だ、助けてよ。八つ当たりめいた言葉が、ぐるぐると頭の中を巡っている。
「好き……」
ログインボタンをタップできないまま、あの夢でとうとう言えなかった言葉が口からこぼれ落ちた。流れる涙を拭うこともなく、呆然と座り込んだまま虚空を見つめる。
どれだけ、そうしていただろう。視界に感じた違和に、私は我に返った。
きらきらと、何かが光っている。だんだんと大きくなっていくそれは、目の錯覚なんかじゃない。
「……え」
空間を、誰かがこじ開けようとしている。隙間から差し込まれたのは、黒い服の袖と、白い手袋に包まれた手のひら。
「……はせべ?」
ほんの少しだけ広がったその隙間から、あの瞳が私を見つめている。必死に私を呼ぶ声が、祈るようにこちらへと叫んだ。
「手を……!」
私はまた都合のいい夢を見ているんだろうか。
まさか、アプリを起動させたから? 混乱した頭で、私はそんなことを考えていた。
私を呼ぶ光り輝く空間と、スマホの画面を交互に見比べる。混乱する私の目に入ったのは、その瞬間、ちょうど一件届いた見慣れた緑色の新規通知だった。
『季節の変わり目ですが、風邪など引いていませんか。次の連休は帰ってくるのかな? 名古屋にはいつ行くんだっけ?』
実家の猫の写真のアイコンと、私を気遣い、予定を訪ねるメッセージ。こんなタイミングで届いた母からのラインに我に返り、私は思わず後ろを振り返った。
明日持って行くはずだったお弁当。月末の予定を書き込んだカレンダー。遠征のために買った、新しいスカート。
自分で稼いだお金で買った、たくさんのグッズや本。そして、実家を出てからずっと、どうにか家賃を払って維持してきた私の部屋――
不安とストレスにまみれた生活だったけれど、決して不幸な人生ではなかった。家族に愛された自覚も、友人たちとの楽しい記憶も、この先存在するかもしれない幸福も、この手を掴んでしまったら、たぶんもう二度と私の手には戻らない。
自分たちを捨てるのか。部屋中に満ちる記憶という記憶から、声のない声が呪詛のように私の後ろ髪を掴む。
どうしよう。混乱する私の頭を、叫び声がさらに揺さぶった。
「主!」
空間の向こうから響くその声に、私は息を飲んだ。長谷部とは違う、その声の主は――
「今、ここで決めるんじゃ! 次があるか、わしらにも分からん!」
聞き違えるはずがない。それは、私が一番初めに選んだ刀の声だった。
陸奥守だけじゃない。主、主さん、主様、主殿、ぬしさま、主君、大将、主ぃ。空間の向こうから、聞き慣れた声が口々に私を呼んでいる。
「早く……!」
せっぱ詰まったような長谷部の声から、時間の猶予はあまりないことが分かる。バクバクという心音のなか、私は深呼吸をして心を決めた。
「…………ごめんなさい」
小さくそうつぶやくと、白い手袋につつまれた指は、ひるむように空をさまよう。もう一度深呼吸をして、私は小さく彼の名を呼んだ。
「長谷部!」
腕を伸ばし、あらんかぎりの力を込めてその手を握る。
空間の向こうで、あの藤色が戸惑ったように揺れている。表情筋を総動員してにやりと笑うと、ゆがんだ瞼に押し出された涙がぽろっと流れた。
一瞬だけ迷った手のひらに、さらに強く力が込められる。ぐい、と向こう側へ引っ張られながら、最後に、私は後ろを振り返った。
半年前、久しぶりに会えた友人たちと撮った写真。今度の遠征で限定のポストカードを買おうと、スペースを作っておいたコルクボード。独立祝いに両親がくれた、お気に入りのマグカップ。
そして、実家から持ってきた、子供のころから一緒だったぬいぐるみ。
「……ごめん」
それらはすぐにまばゆい光に包まれ、視界から消えていった。
光の中から投げ出された私の身体は、そのまま力強い腕に抱き留められた。勢い余って倒れ込んだのは、どこかの畳の上。
明るい日差しと、新鮮な空気。どこかから鳥の鳴き声がして、周囲にはたくさんの人の気配がある。
「……主」
そして眼前に広がるのは、今にも泣き出しそうな顔で私を抱きしめる近侍だった。
「長谷部……」
どうやら今度こそ、夢じゃないらしい。安堵したような視線が、あらん限りの愛おしさを込めて私を見つめていた。
わあっという歓声が上がり、いくつもの足音がこちらへ駆け寄ってくる。
「主さんだー!」
「あーるじさーん!」
「主君!」
「あるじさま! あるじさまー!」
突進してきたのは、初めましてのはずなのに見知った顔ばかりで。飛びついてきたいまつるちゃんと秋田くんの頭を、私はなにも言えずにそっと抱きしめた。
「お、お前ら、気持ちは分かるがいったんどけ……!」
蛍と愛染くんに押しつぶされた長谷部の苦しそうなうめき声に、どっと笑い声が起こる。
「怪我はないかい? いやー、まさか本当に繋げられたとは」
驚いた、という聞き慣れたような台詞と共に、伸ばされた白い手のひら。鶴丸に助け起こされて立ち上がると、何十人もの知った顔がずらりと私たちを見つめている。
大包平が息せききって引っ張ってきたのは、ちょうど遠征から戻ってきた第二部隊長の鶯丸。
私の懐めがけてスライディングしようとした信濃くんが、鯰尾にコブラツイストをかけられている。
江雪と宗三の袖を両手で掴んだ小夜ちゃんが、お兄ちゃんたちと私の顔を真っ赤な顔で交互に見つめている。
梅の香りは、先日交換した立春の景趣のもの。
ああ、本丸だ。ちゃんと私の本丸だ。不思議とそんな感情がわき上がる私の視界の端で、繋げた空間の残滓が、最後の光を放って消えていった。
「申し訳ありません、急かすような真似を」
立ち上がった長谷部が、少しだけ悔やむように頭を下げる。大丈夫だよとささやいて、ねぎらいと礼を込めてそっと背中を叩いた。
「ご苦労だったな、長谷部。あんたも無事でなによりだ」
うん、当たり前だが、ゲーム画面で見るよりずっとまぶしい。刀工国広第一の傑作は、まばゆい金髪を隠すことなく私にやわらかく微笑んだ。
「……あの日、手入れは終わっているはずが長谷部が起きてこないと思ったら、突然飛び起きてそのままこんのすけに直談判しに行ったんだ。どうせ寝ぼけたんだろうと思っていたが、政府が調査してみたところ、どうやらそうでもないらしいと」
「改めての就任、おめでとうございます」
噂をすればなんとやら。もふもふとした管狐は、そう挨拶してぺこりと頭を下げた。
あの夢を見てから、こちらでもだいたい一月がたっていたようで。調査と解析の結果、あの夢の原因はともかく、私のいる座標の特定と短時間のアクセスだけは可能になったらしい。
座標の特定はともかく、本丸と現世をつなぐのは、ぶっつけ本番の大博打。陸奥守が言っていた「次があるか分からん」とは、つまりそういうことだ。
「あちらとこちらを繋ぐには、何かと苦労はありましたが。長谷部様が個人情報を伺っていたおかげで、思ったよりも早く特定できまして」
なるほど、個人情報。聞けば、私が本丸にアクセスした時間と名前を照合しまくって、どうにか回路を開いたらしい。真名バレによる神隠しと言えなくもないな、なんて馬鹿みたいなことを思わず連想してしまう。
「まあ、こうして先例ができましたし、技術開発は進めていくでしょうね。政府側としましても、ゲームとしか認識されずに日常の片手間としてこなされるよりは、同意の上で呼び寄せて、専任になっていただくほうが好都合ではありますので」
このルートでの就任は、私が第一号になるようだ。何かありましたらご協力をよろしくお願いします、そう言ってこんのすけはまた頭を下げた。
「業務についての説明は、また追々。しばらくは生活に慣れることを優先するよう、政府からも指令が出ておりますし」
事務的なことは長谷部様に、と始まった伝達に、はしゃいだ声がかぶさる。
「とりあえず、今夜は宴会かな。ごちそう作らないとね」
「酒の在庫チェックしとくか」
「いいねぇ、とっておきも出しちゃおっか!」
光忠に日本号、次郎太刀。うれしそうな会話には、交ざるタイミングが見つからない。
数十人の男所帯が大騒ぎすると、こうもテンションが高いものなのか。少しだけ浮ついた空気に置いてけぼりにされたような感覚がして、どうしようと視線が泳ぐ。そのときだった。
とんとん、と誰かに肩を叩かれ、驚いて振り返る。そこに立っていたのは、やっぱり初めましてなのに昔から見知っている、沖田総司の打刀の片割れだった。
「ねえねえ主、あーるじ」
青い内番服姿でうれしそうに笑って、彼はそのまま、私を抱きしめる。
「おかえりなさーい!」
「……ッ」
それは、何度も何度も聞いたログインボイスと同じ言葉だった。
「……た」
空気に飲まれかけて渇いていた喉が、やっとこさ言葉を紡ぐ。
「ただいま……」
録音した声優さんの声だったときですら、このログボを聞く度に救われた心地がしたのに。ねえ、このタイミングでその台詞はずるいよ。
「あーあ、安定が主泣かせたー」
「へへ、泣かせちゃった」
にゅっと背後から顔をのぞかせた清光が、しゃくりあげる私の肩を優しくなでる。
「会えるかもって聞いてさ、楽しみにしてたんだよ。俺たちみんな」
「あー、ずるい、ボクもあるじさんハグするー!」
清光のさらにうしろから突撃してきた、乱ちゃんの明るい声。にぎやかな彼に導かれるように、他のみんなも私と言葉を交わし始める。
ずっと知っているようで初めましてなのは、私もみんなも同じこと。ぎこちないやり取りが、少しずつ少しずつほどけていくのを感じる。
でも、一番に挨拶すべき相手と、私はまだ言葉を交わせていない。確かにいるはずなのにと不思議に思って周囲を見渡すと、厚くんが誰かの帯を掴んでこちらへ引きずってくるのが見えた。
「大将、探してるやつ連れてきたぜ!」
「……いい加減腹をくくれ、どうせ俺も同罪だ」
初鍛刀に背を叩かれ、近侍に同情するようにため息をつかれ。ばつの悪そうな顔で、陸奥守吉行は深々と私に頭を下げた。
「……すまん」
その声には、深い悔恨がにじんでいる。
「おまさんには、えずいことをさせた」
現世での生活を、家族を、友人を、今までの人生をすべて捨てて、自分たちと生きてほしい。それを私に選ばせたのは、確かに彼の決断を急かす声だった。
「……陸奥守」
伸ばした手で、手ぬぐいの巻かれた頭をそっとなでる。画面越しに出会ったあの日に想像した通りの、わしゃわしゃとした手触りが心地いい。
「……選ばなかったら、一生後悔したと思う。これが正解かどうか、まだ分からないけど」
今は高揚感だけだけれど、たぶん迷いが生じるのはこれからだ。今までの年月で築き上げたもの、そのすべてをあっさりと手放して捨てられるほど、私の人生は悪いものじゃなかったはず。
「でもね、いいの。どうせどっちを選んでも後悔するなら、私は今の私の気持ちに従う」
長谷部の手を取った瞬間の私に、迷いはなかった。だから今はそれでいいんだと思う、きっと。
上げられた顔に浮かぶのは、ゲーム画面では絶対に見られなかった戸惑いの表情。
ずっと会いたかった。そう言って抱きついた私の始まりの刀は、ぎくしゃくと背に回した腕にぎこちなく力を込めていく。
「ほうか、ほうかぁ……おおきににゃあ」
少しだけ震えるその声は、わしらもじゃとだけささやいた。
「いいんじゃねぇの、それで」
古参の鎧通しの力強い声は、大丈夫だと私の背を叩く。
「後悔したっていいさ、それは仕方ねぇよ。それ以上のもんを、俺たちが絶対に渡してみせる。なぁ、長谷部?」
「……当たり前だ」
そう、絶対に順風満帆とはいかないだろう。四年間で彼らが築いた日常のなかに、新入りとして飛び込んでいくのだから。しかもみんなの主として。
本丸は、刀剣男士たちは、もはや私の妄想ではなくなった。実体を持ち、異なる意志を持つ、私とは別の存在として、一から人間関係を構築しなくてはいけない。たぶんそれは、本当に初めましての相手と付き合うよりもハードルが高い。
「……よろしくね、これから」
それでも、この道を選んだ以上、私はもう後戻りはできないし、間違いだったとは思いたくない。この本丸の未来は、すべて私の努力にかかっている。
そのためにも、まずは新生活に慣れないと。手始めに何から始めるべきやらと思案する私の手を、乱ちゃんがつないで揺らす。
「あるじさん、後で万屋行こうよ。着の身着のままで来ちゃったんだし、いろいろ必要でしょ」
「その前に、本丸の案内かな。古参組は頼む」
「そうですね、お任せください!」
平野くんの声が、誇らしそうに弾む。ふっと微笑んだ長谷部が、身を屈めてそっと耳元に唇を寄せた。
「あのときの続きも、いつか」
笑いを含んだ低い声に、心臓がまた跳ねて、私の顔を赤く染める。
「いつかもなにも……」
とっくに応える準備はできてるんだよなぁ、なんて。告げたら彼はどんな顔をするんだろう。
梅の香りに、優しい鳥の鳴き声が乗せられて届く。ひょんなことで足を踏み入れた新しい人生の第一歩を、私は踏み出した。
【未解決行方不明事件ファイル――某市OL失踪事件】
二〇一九年某月某日夜、首都圏の某市にて三十代の派遣社員A子が消息を絶った事件。翌日になっても出勤せず、電話にも出ないことを不審に思った職場から実家に連絡が行き、心配した両親がアパートを訪ねたことで発覚した。
失踪直前まで、友人と二週間後の旅行の予定についてやりとりをしていたこと。また、遺留品により翌日の出勤の準備をしていたことが推測される。これらの要素から自発的な行動による可能性は低く、警察は何らかの事件に巻き込まれたものとして捜査を始めたが、行方は未だに分かっていない。
現場と推測されるアパートの部屋は玄関やベランダの鍵も施錠され、いわゆる密室。室内に争った形跡はなく、スマートフォン・財布・定期券などの私物はすべて残されたままだったなど、謎は多い。また、A子の交友関係にも、トラブルらしきものは一切見られなかった。
遺留品のスマートフォンから、人気のゲームアプリを起動させた直後だったと当時の状況が確認されたが、事件との関連性は低いと見られる。
その不可解さから『平成最後の神隠し』などとネットで話題になり、様々な噂や推測が飛び交ったが、そのどれもが憶測にすぎず、次第に下火となっていった。
家族や友人たちが現場最寄り駅などで目撃情報を募るビラを配布していたが、事件後の二~五年後にかけてA子と特に親しかった友人が相次いで二名、身辺整理の後に行方不明になったこと、また十二年後には両親が両人共に他界したことにより、活動は自然消滅。両親の死去後、家庭裁判所により失踪宣告が確定された。