偽りとの戯れ神との戯れ
そこは視聴覚室だった。ずらりと並ぶパソコンに電源が入っているものは一台も無い。薄暗く、見えるのは円のように並んだ七つの椅子。その一席に羊田は就いている。六つの席には誰もいない。ただ羊田だけが鎖に繋がれたように囚われている。動けない。逃げられない。幾度となく抵抗してきたが無駄だった。だから嫌というほどに知っている、この時間が過ぎ去ることに耐えるしかないのだと。
――これは、夢だ。悪夢だ。夢の中で、かつて朗読会が開かれた視聴覚室に呼び込まれている。既に存在しない朗読会のはずなのに、理想郷を求める一員として未だ縛られている。
やがて、胸元から外せない赤い石のネックレスから不気味に鈍った光が放たれる。神の目覚めは、神との戯れが始まる合図。羊田の内に潜む神はあまりにも気紛れだった。己の依代である羊田とのじゃれ合いに満足するまで、この夢から覚めさせないのだ。
頭痛と眩暈に苛まれる羊田は、ふと目の前に気配を感じた。
「よお」
瞼を開けば無貌の神が立っている。そして、それは狗凱の姿をしている。
――狗凱剣獅。もう随分と会っていない男の子――今や同じ年を重ねてとっくに成人した男の名前。かつて河川敷で出会い、共にガラクタの街を築き、ヒーローの物語を紡ぎ合った。
「元気にしてたか、メリー」
呼ばれると、ぞくぞくする。その体中に走る痺れは不快感からなのか、それとも慰めとして受け取ってしまうからなのか。どちらにせよ、羊田はそんな自分が哀れで嫌だった。
「気安く呼ばないで」
「ああ、悪かったな。お前はシープだよな。お前には人殺しを取り繕った上っ面だけの名前が似合ってるよ」
振り絞って反抗してみても、神は一層楽しそうに口角を上げるだけで翻弄する。
羊田は神を宿し、その声を聞く依代でもあり、生贄を増やす為の道具として、電脳空間で仮面を身に着ける役目も担っていた。まるで無貌の神が持つ千の顔の一つになったように、「シープ」という別の人格を演じる。直接手を下してはいないけれど、そう、人殺しであることに変わりはない。おぞましい自分自身を羊田は知っている。
そして「メリー」は、幼い頃に彼が与えてくれたあだ名だ。普通の人間である証の、ささやかなあだ名。だから神にはそう呼ばれたくなかった。
「貴方は剣獅君なんかじゃない」
「でも、この姿を望んだのはお前だろ? 十年以上会ってない野郎のツラが何で分かるんだよ」
「違う。貴方は、本物の剣獅君じゃない……」
「本物の俺って何だ? お前は俺の何を知ってんだ? 俺はお前の全部を知らねえぞ。だけど俺に縋りたがってることだけは知ってる。お前が俺を望んだからここにいるんだぜ。なあ、そうだろ?」
「……違う……」
否定的に自分に言い聞かせる羊田へと、神は残酷なまでに正しいことを言う。
共に日々を過ごした、男の子と呼ぶ年頃の狗凱の見た目や声は知っている。けれど、それ以降は知らない。自分の側にいれば、何も知らない人は祟られる。神の気紛れは――策謀は、彼との僅かな時間を許しただけで、特例だったのだ。そのうち神が彼との接触を禁じてからと言うものの、避けざるを得なくなった。無理に近付いてしまえば、近付かれてしまえば、彼に危害が及ぶかもしれないと思うと怖くて仕方なかった。いつしかすれ違い、言葉を交わすことは無く、そして姿を見かけなくなった。愛造町から去って行ったのだろう。
だから、神の言う通りだ。どうして神がやつす人の形を、大人になった狗凱であると認識してしまうのか。成長期を経て伸びた身長。声変わりによって低くなった声。土と草と錆びた鉄とペンキとニスの匂い。何も知らないのに、目の前の神は狗凱という男の形になっている。
神がその姿を選んだのではない。自分自身が、彼の存在を望んでいるから――
「剣獅君はこんな場所にいなかった。神様の話も、朗読会も知らない。河川敷にいて、一緒にガラクタの街を作ってた。私達は、いつもヒーローごっこしてた。剣獅君は、本物の剣獅君は……」
「それじゃあ今頃その本物とやらは何してんだろうなぁ。ヒーローごっこなんか飽きちまって、その辺の女でも引っかけてんじゃねえかなぁ。どうするよ? ヤクなり何なり手を出しちまって、後戻り出来ないとこまで行ってたら。最悪、生贄としての価値も無くあっさり死んでる可能性だってあるわ。どうだ、せめて拳銃でこめかみ撃ち抜いてりゃ中々絵になる死に様だと思わねえか?」
「止めて!」
その瞬間、羊田は自分でも驚くほどに珍しく大声で神を制した。自分が甚振られるなら我慢する。だが、狗凱を汚されることは怖くて堪らなかった。彼は、最期の拠り所なのだから。
子供みたいに健気な依代の反応を見るのは、神の楽しみの一つだった。
「あー、わりぃわりぃ。冗談だ。生きてるっつーの。たまに様子見てやってるよ。あれが死んじまったら、もうお前の生きがいも失われるだろ? お前は俺の依代なんだから、それは流石に困るわ」
羊田は唇を噛み締める。時折、神は狗凱の様子を探っているらしい。どこかにいる、何かをしている、生きている、と。その僅かな報せと懐古だけで自我を保ち、長い月日を過ごしてきた。
神は凝りもせず、へらへらと笑いながら羊田へと覆い被さる。縫いつけられたように椅子から動けないことは分かっていても、その身をよじりたくなる。所詮人の形であるだけで、無機質とも表せないほどに酷く冷たい。真っ暗闇の川の底に引きずり込まれるようだ。本物は、太陽みたいに温かかった。だから、その側では遊び疲れ、ブルーシートの上でよく眠れた……。
「なあ、ガキの頃みたいに遊ぼうぜ」
「離して……」
「おいおい、俺に逆らう気か? せっかく良いアイデア教えてやろうと思ったのによ」
意味深な神の口振りに羊田の肩はぴくりと震える。更に「贄もかなり集まったし、そろそろ頃合いだと思ってさ。お前も頑張ったよな」と付言され、確実に神の言葉を期待してしまった。生気の無い黒い瞳に、淡い光が灯る。
「つまりだなぁ、使えるもんは使えって話だ。呆けちまって役立たずの猿渡。聖職者気取りでよがってる馬場。言い訳しながら逃げ回ってる猪岡。愛して憎んで踏ん切りつかねえ猫山。愛され憎まれ能天気にふらついてる豊基。で、この流れから察するに……使えそうなのは、あいつだけだよな」
不穏でしかない神の提案に聞き入っている――羊田は自覚していた。しかし、もう、希望として変換される。例えば今、体の不自由が解かれたとしても、耳を塞ごうとはしない。
「いい年こいて無邪気な夢見てるあいつには人間らしい良心があって、お前の立場を哀れんでくれてるし、引き返す気にもなるさ」
咀嚼するうちに工程が浮かび上がる。かつて捨て犬を通じて出会った唯一の友との日々を思い出として誇り、その為に理想郷を目指す男がいる。確かに、朗読会のメンバーの中でも彼とは「シープ」という役目もあってよく顔を合わせるし、人柄からは実直さを感じる。純粋で、神の声を知らないながらに身を案じてくれる。その彼を……神は、裏切りを教唆しているのだ。
「もう分かるだろ? お膳立てはしてやるからよ。あとはお前次第だ」
卑しい神の手が白い頬を撫で、甘美な誘惑が心を蝕んでいく。その感触を振り払おうという思考が、消えていく。
目の前にいる偽物が本物に見えないことだけが、羊田にとって救いだった。
「お前が呼び戻せばいい」
「私が……」
「お前の願いは何だっけ?」
問われた時、羊田の脳裏で真っ先に過ったものは子供時代の風景だった。そこに、男の子だった狗凱がいる。平和で静かな世界を望み、彼へと託した。そして、約束したはずだ。二人だけでヒーロー映画を撮ろうと。
だが、自分の望みが叶えられた時、彼との約束は果たされない。そう知っていながら約束してしまった。幼い罪。けれど、あの頃から既に自分は罪深かったのだ。
生贄を増やす為に人々へと呪いを刷り込んだ。この呪いはいつか大きく意味を成す。自分の声が、言葉が、大勢の人間を殺す。自分の人生は罪だらけだ、何もかも。血に塗れはしない。けれど、体内で巡るものは人を証明する赤い血ではなく、きっと醜い怪獣が垂らす泥水のように淀んで汚れているだろう。
神から解放されたい。赤い石を壊してほしい。贖罪がしたい。それは、つまり――
「剣獅君に……殺してもらうこと」
最初に漏らした羊田の言葉を聞いた神の眼差しは、静かに冷え切った。
「そうか。そうだったか。そうだよな。……それが、本当の願いか」
見下ろす冷眼が羊田を突き刺す。だが、最早羊田にとってその視線は痛みではなくなっていた。
「人のこと言えねえくらい紛い物だよ、お前も」
動けない体が、どろりとした神の影に呑み込まれる。浸食されていく。意識が混濁していく。邪な神に魅入られ、屈服した証。堕落だ。呪縛だ。偽善だ。罪咎だ。許されない。許されるわけがない。許されて良いわけがない。
この世で唯一信じていること――ヒーローは必ず勝つと。それなら怪獣は、ヒーローに止めをさしてもらわなければ。
朗読会の一員ということで監視の目は緩まり、神の指す「あいつ」が羊田の元へと訪れたのは、数日後のことだった。
「羊田さん、相談があるんだ。僕は裏切り者になるかもしれない。だけど言わなきゃいけないと思って。実は、猫山が――」
焦りを隠し切れないながらに勇気溢れる様で、「あいつ」――鼠谷は口を開く。それは歪な絆で築き上げられた朗読会の、それぞれが抱く異なっていた理想の話。己が犯してきた罪。それでも、まだ後戻りは出来ると。
鼠谷の語りを聞く羊田は表情を変えないまま、心の中で生温い涙を流す。馬場に密告する機会を待ち遠しく思う本心が、あまりにも醜くて晴れやかだった。
影との戯れ
――ああ、今日も来たか。
狗凱は瞬間的に夢の中にいると理解してしまう。近頃よく見る悪夢だ。残酷でもなく、悲惨でもなく、苦痛でもない。ただ、寂しくなる。深く重い孤独に苛まれる。これまでの人生で人を拒み、人に拒まれてきた負い目が圧しかかる。大切な誰かを失ってしまったような、甘ったるい感傷に浸りたくなる。そんな不愉快極まりない悪夢。
ぼやけた景色が広がり、薄汚い地面に座り込んでいることを認識する。多分、背凭れにしているのはドラム缶だ。立とうと思えば立てる。けれど億劫で動けない。それに、動く理由が無いから。
やがて、どこからか影が近付いてくる。小さな女の子――それは人の形をしているだけの黒い靄なのに、何故か狗凱には直感的に察せられる。
「剣獅君」
その声は当たり前のように自分の名を呼ぶ――懐かしい声色。優しくて、静かで、幼い声。でも、誰のものだったのかは思い出せない。そう……思い出せない。それに、まるで音響機材が垂れ流す、音と音が変に絡んで合成された作り物にも聞こえる。
狗凱は顔を上げ、視線を影へと向ける。闇夜の中で静まり返って存在するだけの川面みたいなそれは、何度見ても不安になる。影に覆われて溺れやしまいか、漠然とした恐れが脳裏に過る。恐れを抱く自分など、この影には既に見抜かれているのだが、馬鹿らしい癖で格好つけて口を開く。
「また出てきやがったのか」
「うん」
「何なんだよ、お前」
「覚えてるくせに。分かってるくせに。酷いよ……剣獅君」
責められれば責められるほどに気分が悪くなる。身に覚えの無いことをなじられる不快感……狗凱は、そう思い込んでいたかった。だが、夢を見続けるうちに、自分は何かから目を逸らしているのだと気付いた。罪悪感を認めたくない。目を逸らしたくなった理由までは思い出したくない。何の為に故郷からここまで逃げてきたのか、きっと意味が無くなるから。
「一々名前呼ぶな。鬱陶しい」
気を紛らわせたくて吐き捨てた狗凱に、影はとぼけた顔をしながら呟いた。
「じゃあ……『カントク』?」
狗凱の心臓が飛び跳ねた。その声で、呼ぶな――怒りと悲しみと屈辱が沸き起こり、声を荒げる。
「うるっせえなァ! あだ名で呼ぶんじゃねえ!」
「怒らないで。怖いよ。剣獅君、許して……ごめんなさい……」
眉を下げ、いかにも怯えたように肩を丸める。こんなものは泣き真似だ。何度も何度も飽きずに繰り返すから、よく知っている。くだらない。腹が立つし、蹴っ飛ばしてやりたい。そう思うくせに、やはり立ち上がる気にはなれなかった。
当然茶番をしただけの影は怯まず、けろりと無邪気な笑顔になる。黒い靄のくせに、生気を感じさせない面のくせに、どうして表情を変えるのだろう。いや、そう認識出来る自分がおかしいのだと狗凱は相変わらず陰鬱になり、項垂れる。視線を逸らしたところで影との戯れは終わらないのだけれど。
「ねえ、昔みたいに笑って。私と二人きりで遊ぼうよ」
「黙れ。ガキじゃねえんだよ、もう。遊びなんか終わりだ」
「じゃあ……大人がしてることで、遊ぼう? 私のこと、剣獅君の好きにしていいんだよ」
その途端、妖しい雰囲気をまといながら狗凱の方へと這い寄ってくる――吐き気がした。夢だ。ただの荒唐無稽な夢だ。けれど、この質の悪い影が、自分のどこかに潜む微かでも綺麗な思い出を切り取って、繋ぎ合わせて、悪意のままに仕立て上げた欲望みたいで、最低だ。
「触んな」
伸びてきた冷たい腕を軽く払い除けると、影は素直に一歩退く。
「お前は……そんな奴じゃない」
否定は気怠かった。気分を害されたものの、不鮮明な使命感を抱いてその台詞を出すと、余計にちぐはぐして居心地が悪い。
狗凱を見透かす影はくすくすと笑い出した。
「ほら、やっぱり。覚えてるよね。分かってるよね。私との思い出、全部捨てる勇気が無かったんだね。だから、どこかで残ってる。そうだよね、剣獅君」
「違う。お前なんか知らねえよ。知るか。失せろ。消えちまえ。さっさと覚めろ、こんな夢。マジで知らねえわ、お前のことなんか。忘れた。忘れたんだよ、俺は……」
「嘘吐き。独りぼっちの哀れなスターヒーローには、私しかいなかったんだから」
影との会話は狗凱を酷く憔悴させる。心の内側を探って、抉って、何もかも暴かれそうになる。どうせなら食い尽くせば良いのに、殺せば良いのに、それでは面白くないらしく、ただ覗かれるだけだ。
逃げ出したい。この夢から逃げ出したい。早く、早く、早く、覚めろ。夢は夢だ。そうだ。けれど不愉快で仕方ない。影はいつもふざけたことを抜かす。この影は誰だ。知らない。怖い。思い出したくない。悲しいから、悔しいから、寂しいから、逃げた。どれだけ辛かったか知らないくせに。早く目覚めろ。嘘なんか吐いていない。忘れられた。だから逃げた。きっと、忘れられたはずだ――
「あのね、剣獅君」
不意に、やけに穏やかな声色で呼びかけられるので、狗凱は項垂れながらも耳を傾けた。
「私はね、剣獅君だけを待ってる」
「何で俺なんか」
「ずっと待ってる。あの町で」
「……町って」
「会える為なら、私、何だってするから。だから、もう少しで……」
「もう少しで、何だ」
いつもと毛色の違う噛み合わない会話に狗凱は引き込まれ、段々と視線を影へと戻していく。
希望を忘れた目に、影は何を見出したのか……微笑んだ。
「その時になったら、剣獅君は問われるんだよ」
「何を」
「貴方なんかが本物のヒーローになれるの?」
懐かしい声で、忌々しい呪いを吐かれ、狗凱の肩は一瞬大きくびくついた。
「俺は……」
求められているに相応しい言葉を紡げず、口篭る――ヒーローなんて、遠い昔に描いた夢物語だ。「スターヒーロー」を自称した子供時代があった。けれど、年を重ねる毎に、今までの大人達が固めた現実で生きざるを得なくなった。それなら、この世にいるわけがないヒーローという存在を、せめて自分の手で作ってみたかった。作りたくて、今に至るまで必死だった。その必死さに価値はあったのだろうかと、振り返る勇気も擦り減ったほどに手応えが無い。
しばらく考えても答えを出せなかった。結局、野暮だと分かっていながら、問いかけに問いかけで返してしまう。
「お前は、誰なんだ?」
間も置かずに影の眼差しは冷ややかなものとなり、言い捨てる。
「自分が何者かも答えられない人間に、私が何者かを答えてあげる義理は何一つ無い」
見据える冷眼。侮蔑と憐憫を湛える声色。狗凱の心を容赦無く切り裂いた人影は、次第に有耶無耶となっていく。
「自分で答えを見つけ出して。貴方は強くて格好良くて勇敢なヒーローなのか、それとも――」
「待て」という一言さえ投げかけられず、無様にも腕を伸ばそうとしていた。あれだけ拒んでいたものに、今更縋ろうとしていた。
狗凱は勢いのままに上体を起こし、瞼を開いた。伸びていた腕は、手は、何も無い所を掴もうと、か弱く丸まっている。
時計の秒針だけが微かな音を立てて動いている。まだ夜明けにも満たない、薄暗くて静閑とした空気が漂う時間帯だった。
冷えた心とは裏腹に、額には脂汗が滲む。脱力して再び枕に頭を乗せ、ぼんやりと天井に目を向けるしかない。あの夢を見た後の寝起きはいつもこうだ。体の芯まで寂しくなる。
ふと自分の手を見つめる。節くれ立った手は、すっかり大人のものへと変化した証。だが、今に至るまで、この手で誰と何を築いてきたのだろうか。いつも中身が無いものばかりで、中途半端で、完成させたという達成感を得られることは薄れてしまった。たくさんの人間がいる中で孤立していく。自分勝手だからだ。妥協したくないからだ。分かっている。なのに変えられない。自分を認めてくれる存在がいないことが、悲しくて、悔しくて、寂しかった。だから余計に意地を張る。
それでも――昔、誰かと手を取り合っていた気がする。お互いに小さく、子供の手だった。それなら幼くて持てたものは少ないはずなのに、今よりもずっと満たされて何かを生み出していた気がする。その子は笑っていた。ヒーローの世界に目を輝かせていた。形には残らない、けれどこの世で一番大切な何かを、二人だけで、どこかで――ちっぽけで幼稚な思い出に期待してしまう自分が、虚しい。
手を下ろし、視界を覆う。どうせ今から二度寝も出来ない。せめて闇に覆われていたかった。
「何がヒーローだ。俺なんか……ただのジコチューな人間だろ」
自嘲する気力も無く、切り裂かれた胸の痛みを感じながら独白を漏らす。それが今の答えだった。
その日以来、夢に影は現れない。
かつての同級生の訃報が届くまで、もう少し。
完