互いの差
速度の差
相馬はゆっくりと生きている。歩くにしてもなにかしら動くにしても全体的にゆっくりだ。俺が少し考え事をしながら歩くと気が付けば置き去りにしていたり、着替えを済ませて振り返ったらまだ下着姿だったりと微妙に速度が噛み合わない場面がまぁまぁある。多少俺がせっかちなせいもあるんだろうが。
まだ出会って間もない頃、こちらの睨みや暴言にも臆さず妙に悠然と構えた態度に腹を立てた記憶はある。大体の一般人は図体のでかい輩に見下されて威圧感を出されりゃ尻尾を巻いて逃げるか、焦ってどもるくらいしてみせるというのに。あいつはいつも変わらない。変わらない態度で小馬鹿にするよう煽るものだからカッとなってつい言い返すそんな口喧嘩が絶えなかった。だが付き合いがそこそこ長くなった今では、こいつの肝の太さは日頃の生活にかける時間からくるもんじゃないかと思うようになってきた。もちろんすべての動作がゆっくりだからといって、相馬が遅刻をすることはない。大抵俺が起きる頃には着替え終わってコーヒーを飲んで、起きた俺を見ておはようと声をかけてくる。俺が顔を洗って着替えて飯を食い終わる頃、相馬が飲み終わったカップを片付けて稽古や公演に出かけていくのだ。
ゆっくり生きても大丈夫なように整えられた生活サイクルは俺からすれば間延びしたように感じられるが、歩みを合わせて気づけたことはいくつかある。朝のニュース番組は意外ととっつきやすい話が多い事とか、道行く学生達の噂話が耳に入ってきたり。空を見上げて歩いてみれば変わった雲が漂っていて、知っている街から今まで拾い取った事のない音や声が飛び込んでくる。何度も通ったはずの食堂の招き猫が増えていたり、下手くそな似顔絵を乗せた探し人をする張り紙があったり。もう三十年近く生きてきても知らなかったことがあるのか、なんて思うくらいだ。
相馬は頭がいいし、色々と知っていることが多い。あいつが作る落語は日々の零れ話のような話題が多いと思うし、演じるにしたって人の細かな話の癖をつけるのが上手いと思う。ゆっくり生きてきた分こいつは日常の隙間に散らばった、些細に色づいたいろんな事を拾い上げてきたんだろうと最近思うようになった。
それに、何でも卒なくこなせるかと思えば割と不器用な一面がある事を知っている。針に糸を通せずうんうんと唸ってた事、着物の裾をドアノブに引っ掛けて転びかけていた事、コンビニのおにぎりの包みが上手く破けず海苔が千切れてた事。大抵あー、という表情でそれを流すから最初は見ているこっちがやきもきしていたが、今では笑って眺める余裕が生まれた。可愛いなと思うのは惚れた弱みっつーやつか。
だからというのも何だが以前は煩わしかった歩く速度の差も、今はあまり気にならない。今まで生き急いで見捨ててきた様々を一緒に拾って、ああだこうだとくだらなく会話したり愛でたりするのが存外楽しいと思えるから。急いて生きる様より、ゆっくりと並木の下を歩く相馬を見ていたいと思う。
体躯の差
俺と相馬の身長は10センチ程違うらしい。犬飼がなんとなく気になるからと言って事務所から定規を持ち出さなければ、下手すれば一生知ることはなかっただろう。別に実際の数字を出されてもピンとはこなかったし、知ってどうする情報なんだ。何せ己の身長すらロクに知らないのだ。……まぁ、相馬の身長が気になった時に己の身丈を測りゃ良くなったがよ。
大抵の奴は俺と話す時に一定の距離を置く。見上げた事があんまないからわかんねぇけど、やっぱり上を見たまま話すのは疲れるらしい。柳さんにはよくデカくなりすぎだと言われるし、宇鷺に立って話すの疲れるからと店に誘われるのは多分立ち話より首が疲れるからなんだろう。身近で目線が同じなのは犬飼くらいか。勿論相馬と歩いて話をするときも少し距離は離れる。互いの話しやすさ、っていうのがやっぱデカい。それでも俺が名前を読んだ時は律儀に歩み寄ってきて、俺の顔を見上げて話を聞いてくれる。俺はあんまり話すのが得意じゃねぇし、言ってるうちになにを話したかったかわかんなくなることが多い。それでも相馬は相槌をうちながら、俺がよくわかんなくなったら助け船を出して話を引き出してくる。そういうときにやっぱこいつ話すの上手いんだな、なんて感じたりはする。それと俺を見上げる時の、上目遣いってやつがどうにも可愛く見えて仕方ねぇからなんもなくとも話しかけてしまう。仕方ねぇだろ、仕方ねぇ。
あとは着る服のサイズもやっぱ変わる。相馬はL、俺は……着丈でいえばXLでも足りない時がある。スーツしか着なかった時はあんま気にならなかったが、普段着を買う時少し店を選ぶ必要があった。まぁ服のサイズなんざ普段の生活で気にする場面があるかといわれりゃ、あんまねぇかもしれねぇけど。ただ前日ヤって寝て、起きたら相馬が俺の服着て水を飲んでた場面を見た時は流石に……なぁ。いやパンツ穿いてたけどよ、なんか見たらダメな気がして目を逸らしたことを覚えている。アイツ、ああいうの無自覚でやる奴なんだよな。後で宇鷺に聞いたら彼シャツっつーやつらしい。知らなくてよかったなこの知識。
それから抱きしめる時、あいつの頭は俺の首のあたりにくる。顔を寄せてぎゅっと抱きしめると、どうしたんだってくすぐったそうに受け入れてくれんのが嬉しい。そのまま少し上を向いたときにキスするのも丁度いいんだよな。……まぁ、俺が相馬にやられるときは思いっきり下向かされるのは仕方ねぇ。……なんでアイツ、自分から仕掛ける時と俺から仕掛けた時の差がすげぇんだろうな。あんま俺も人の事言えねぇけど。