In Drops「…………」
誰もいない事務所内にて、宗家は一人渋面を浮かべながら液晶画面を眺めていた。食い入るように画面を眺めては、はぁと大きくため息をついてグシャグシャと髪を掻いている。組員達が見れば何か面倒事でも起きたかと思うかもしれない。
「……マジか」
事実、宗家からすれば特大級の悩みの壁にぶち当たっている気分なのだが。いや別に、壊そうと思えば一息に壊せる壁なだけマシなのだろう。それを壊す踏ん切りがつかないだけで。しかし、己がやらねばどうにもならない以上手をこまねいては話が進まない……
「なぁに、何してんの?」
「!!!?!?!」
甘い吐息を孕んだ声が宗家の耳を掠める。思わず耳を抑えて跳ね上がったその姿を、クスクスとおかしそうに笑うのは黒髪黒目のよく知る姿。
「テメェ、気配消して近づくんじゃねェ!!」
「気づかなかった宗家が悪いんじゃないかな?」
よくわからない神様、もとい黒八鬼襲は顔を赤くして激高する宗家をまぁまぁと宥めながらソファに座る。もう組の「若」ではなくなった彼だが、たまにふらりと現れては宗家を揶揄ったり、柳平と世間話をするのだ。
集中してたとはいえ物音ひとつしない事務所内で背後まで近づくなんて、恐らく彼にしかできないだろう。宗家の睨みに肩を竦めながら、勝手に出してきた急須に茶葉をいれつつ襲は口を開く。
「それにしたって随分熱心に画面眺めてたけど、仕事?」
「いや別に、そんなんじゃねェけど……」
不自然でも何でもないただの問いかけに、宗家はバツが悪そうに目を逸らす。ああもう、わかりやすい子だなぁなんて笑いながら襲は単刀直入に揶揄う事にした。
「別にローターの使い方くらい連絡くれれば教えてあげるのに」
ガタン!と、宗家の手からスマホが滑り落ちる。ビシリと固まって動かないのを尻目に、襲は急須に入った香り高い緑茶を音もなく飲む。
「な、なっ、なん」
「ああごめん、目に入っちゃった」
黒八鬼組の若頭が何を真剣に見つめているかと思えば、アダルトグッズの使い方のウェブページだなんて。最早パクパクと口を開くことしかできなくなっていた宗家だったが、しばらくして落ち着いたのか特大のため息を吐きながらドサリとソファへ沈み込んだ。抗議の声を上げるのも諦めたらしい。
「マンネリ?」
「うるせェ、そんなわけじゃねェ」
いつまでも熱いねぇ、なんて茶化せば鋭い睨みが飛んでくる。いやでも、頻度もそこそこに特殊なプレイも特になく互いが満足するなんてよほど互いが好きじゃないと無理だろう。人間は良くも悪くも変化による刺激を求めるから。そう素直に口にすれば宗家は口を閉ざし、ガシガシと頭を掻く。
「……あいつ、こういうのもやりてぇって思ってんのかなって」
思い返すのは年越し前に行った大掃除中の一幕。目の前の厄介者から送られてきた大量のアダルトグッズを前になんとも気まずいやりとりをしたのだ。全く興味がないわけでもないが、宗家に無理はさせたくないと龍治の言葉を聞いてから少しずつネットで調べていたが、実際に使うには羞恥が勝って言い出せず悶々と悩み続けていたのだ。
「よかった、宗家もまだそういう羞恥とかちゃんと残ってたんだ」
「人を何だと思ってんだテメェ」
お代わりの茶を注ぐ襲は、宗家のその言葉をおかしそうに笑い飛ばす。
「だって、お前気持ちいい事好きでしょ?」
「……」
ほらね、なんて口を閉ざした宗家はわかりやすく苦々しい表情を浮かべている。三十年近くそういう事にてんで興味がなかったのは本当に欲情する対象がいなかっただけで、相馬とするのは正直言って好きだ。
「彼のために、ていうのもあるだろうけど。自分も使ってみたいんでしょ。だって彼の為だけだったら君、悩まずに使ってるだろうしね」
「だーーーーー!!もう、喋んな!!」
「ふふ、久々にからかわせてよ」
そう、好きだから。そういう事に興味も出てくる。気持ちいいことはしたい。でも龍治は殊更自分にそういう耐性がないのを気にして大事にしてくれるから。使いたいっていざ言って引かれやしないか、……いや、多分受け入れてくれるだろうから結局は自分の羞恥心の問題なのだ。
「もう、帰れよ……」
「やだよ折角来たんだもの」
仕方ないなぁ、なんて襲は立ち上がり宗家の隣に座ると彼のズボンのポケットにズボリとてを突っ込んだ。
「は!?」
「はい、あげる」
そうして引き抜かれた後、ポケットには小さな謎のふくらみが残っている。少し硬いプラスチックの感触。事態が呑み込めていない宗家の手をその膨らみに誘導し、襲は蠱惑的な笑みを浮かべながらそっと宗家に耳打ちする。
「可愛い宗家に俺がイイこと、教えてあげる」
相馬龍治は悩んでいた。いや悩んでいる、というより考え込んでいた。帰宅してからというもの、宗家の様子がどこかおかしいのだ。いつもならおかえりと目を合わせて笑う彼がどこか気まずそうに視線を逸らすし、口数もどうも少ない。普段から沢山喋るわけでもないが、固く口を閉ざしてそわそわと落ち着かない様子なのだ。何かあったのかと聞いても何もなかったの一点張り。そして風呂に押し込められ、髪を拭いて今に至る。
「やっぱなんかあったろ」
最近悩みや不調は相談してくれるようになったとはいえ、やはり強がりな所は残っている。言えずにしまい込むならこっちから上手く聞き出してやった方がいいんだろうが、さてどう言いくるめようか。そんなことを考えながらバスタオルを洗濯機に入れて浴室のドアを開ける。
「なっ」
「……」
だから、その当人がドアの前でうつむきがちに立っていれば流石に驚くわけで。だが目を見開いた相馬に、何をいう訳でもなく立ち尽くす宗家を見れば相馬もどうやらただごとじゃないらしいと顔を覗き込む。
「どうした、やっぱりなんかあったんか」
相馬の柔らかな声色には確かな心配と慈愛が含まれている。その言葉に、宗家は僅かに身を強張らせて視線をさ迷わせた。この動作を相馬は知っている。言い出したいけど踏ん切りがつかない、そんな時宗家は決まってこの仕草をする。そして待っていればちゃんと口を開いて何かしら伝えてくれることも。
互いに沈黙が流れたが、すぐに宗家が後ろ手に持っていた何かを相馬へ押し付ける。反射的に受け取ったそれを見れば、
「これ……」
プラスチックの、小さな何かのリモコンらしき装置。電源マークと矢印に+と-がついたボタンが二つ並んでいるだけのシンプルなもの。果たして、なにか。なんだか見たことがあるような──と、相馬の頭が答えを導きだそうとしたところで宗家が堪えきれないと相馬に抱き着く。驚きのままに受け止めた宗家の身体は、どうにも火照って熱くなっている気がした。
「……いま、いれてんの」
相馬の首元に顔を埋めたまま、宗家がぼそりと呟く。
「は?」
「……ローター、ってやつ」
はぁ、と熱い吐息が相馬の首筋にかかった。密着したからだからどくどくと早い鼓動が伝わってくる。宗家の言葉を一瞬理解できないまま固まる相馬に、宗家はなぁ、と色香を含んだ声で囁いた。
「それ、つかってほしい」
「おれのこと、すきにして」