「断片」少女の世界のその前の -03- 事実、ここは少女がいた世界とは異なる世界だという結論になった。
男の家で埃を被っていた地図と、少女が持っていた“地理資料集”なる地図とを付き合わせてみたところ、国名どころか地形までもが全く異なっていた。環境についても、全く話が噛み合わず、知らないことばかりだった。
「異世界かー、転生モノみたいだね。……てことは私死んだのかなぁ」
テーブルにぐでーっともたれ掛かっているこの少女は、自分の名前をリトと名乗った。小さな体では椅子や机の大きさに合わず、足をプラプラさせている。
「アディさん、異世界から来た人の話みたいなのって聞いたことあります?」
男、アディは首を横に振った。そろそろお湯が湧くので、台所へ向かう。
「……死んだ記憶は」
「いや、覚えてないですね」
ボヤきながら体を起こし、リトはタオルで髪を乾かす作業に戻った。
アディは帰宅後とにかく体を清めたかったので、リトを家に入れた後すぐ先に水浴びをした。その流れでリトも転んだ時に着いた泥を落とすため入ったのだ。服は流石にアディのものを貸すわけには行かず、同じものを2回着ることになってしまったが。
「まー死なずに異世界行くパターンもあるか」
「……そっちの世界は、よく異世界に人が行くんだ……」
沸いたお湯を手に取りながらながら、思わず呟く。リトのは耳敏く聞き取ったようだ。
「いや現実じゃなくて、小説とか物語の話ですよ。こっちは異世界モノないんですか?」
「いや……本をあまり読まない……」
「なーんだ」
淹れた紅茶をテーブルに2杯置くと、ありがとうございますーとリトは片方を手に取った。
大変な目にあっているというのに、さっきから表情はほとんど変わっていない。小さいのに随分と肝の据わった少女だ。
招いているアディはこんなに緊張しているというのに。
アディも立ったまま紅茶を一口飲む。久しぶりに人と長く話し、少し疲れた。
「怖くないの」
一人で暮らし誰も招いたことがないアディの家には、椅子が一つしかない。そこでアディは、頑丈だけど低めで使いにくかったチェストを引っ張り出し、リトの正面に座った。
「なにがれすか?」
紅茶をふーふーと冷ましながらリトが答える。舌足らずなのは、舌を火傷したのかもしれない。
「……こんな知らない国の、知らない場所の、知らない人の家で。おまけに世界も違うかもしれないなんて」
「あー、まあそっか……」
今度は気をつけて紅茶を飲む。今度は丁度いい温度らしい。
「まだイマイチ現実感がないのかも。さっきも言ったけど、物語みたいだなーって」
呑気だな……。
「あと人と話して落ち着いたってのもありますかねー」
「人って……僕で?」
リトからしたらアディは、黒づくめの知らない大男。警戒されて然るべきだろう。正直アディは家に入るか尋ねた時も言ってから後悔したし、リトが躊躇うようならすぐ引き下がり兵士たちの詰所でも教えようと思っていたのだ。リトがあまりにすんなり助かると言ったから、こちらが引き下がれなくなっただけで。
「確かに、前髪邪魔じゃねとか、なんで家でもグラサン外さないのとか、色々思うところはありますけど、そこはうーん……直感?」
直感って……。
「……随分と勘に命を預けるんだな」
「そうですかね?」
リトは、本当に警戒していないようだ。
警戒しなくてもいい世界で生きていたのか。
「……そうだよ」
でもここはそんな安全な世界じゃない。
僕は、リトが啜る紅茶を指さした。
「その紅茶、毒か何か盛られているかもしれない」
「え、普通に美味しいですよ?」
リトは関係ないとでも言うように首を傾げた。
さらに食い下がる。
「……無味無臭の毒もある」
「同じポットから注いでたじゃないですか」
「カップの底に塗ったりできる」
「2杯同時に置いてくれたので選んだのは私ですし、アディさんのあとに飲みましたよ」
「…………本当に、そこまで考えて行動した?」
「いや、あとから思いつきました」
考えてたのかと感心した後にしれっと言い放たれ、思わず脱力した。本当に警戒心がない……。
「……っそもそも、もしかしたらここまで全部僕の茶番かもしれないよ。君を攫ってきたうえで、助けるフリして嘘をついているのかもしれない」
「だとしたら用意周到で壮大な嘘ですね。面白いからこのまま騙されてもいいですよ」
さらに脅したというのに、リトは変わらぬ表情で紅茶を飲んでいた、
……本当に、ふてぶてしい子だ。
「……ていうかさ」
次はどうしようかと考えていると、ティーカップを置いたリトがアディを上目遣いに見上げた。
「そうやって脅してますけど、自分から言うことで逆にその可能性はないって教えてるのと同じですよ。気づいてます?」
…………そう言われると、もう何も言えないじゃないか……。
「……もう、苦労してから気づけばいい」
「お優しいですね?」
リトの表情は相変わらずほとんど動いていないが、なんだかニヤニヤされてる気がした。