ムースとシャンプーの小話除夜の鐘がなる。
ムースはシャンプーと二人でそぞろ歩きをしていた。大晦日である今日、出前も早々に終わり、ささやかながら、一年の労を労い、紅白歌合戦を見るといった、日本式の年越しにどっぷり浸かっていた。赤が勝とうが白が勝とうが、どうでもいい。来年もシャンプーが意中の早乙女乱馬を落とすことでもない限り、しばらくは代わり映えのしない毎日だ。ムースはコタツに入りながら、ウトウトとしていた時だった。
「どうしておらを、さんぽに誘っただか?寝ていたというに」
「うるさいな。お前も暇だから誘ってやっただけね」
シャンプーに、散歩に付き合えと叩き起こされたのだ。外は、昼間の地面の温もりを包むような雲もなくひたすらに寒い。あるのは暗闇と静寂と時折それをかき乱す、除夜の鐘だ。
「来年こそは……」
そういうと、シャンプーは空を見上げた。あの空は、故郷につながっているのだろうか?今頃、故郷では新年の集いでも用意しているのだろうか?
「おらたち、随分と遠くへ来てしまっただな」
「日本の暮らし、便利ね。ひいばあちゃんも歳ある。ここで暮らすのも悪くない」
「シャンプー?」
日本のおらたちの暮らしを、それなりに気に入ってくれているのだろうか?ならば、シャンプーと早乙女乱馬の追いかけっこの日々も、それなりに続いてくれたら、故郷では叶うはずがないシャンプーとの恋も、しばらく延命出来ると、ムースは胸を踊らせる。
「乱馬と結婚さえ出来れば、全て、叶うね」
「あぁ……」
煩悩が拭い去れないまま、除夜の鐘が鳴る。
「もう掟に縛られんでええじゃろ?シャンプー」
「なにか?」
「お前が、一番知っているくせに」
水を被れば、ムースはアヒルの姿に変わり、シャンプーは猫の姿に変わる。お互いが人間の姿の時には蓋をしていた愚痴や弱音を、ムースがアヒルの時は、人間の姿のシャンプーが祖国の言葉で吐き出していたのだ。
「人の世は厄介だのう、シャンプー。故郷では村一番の誉れだったお前が、今ではそれが呪いにかわっておるからの」
「何が言いたいか、ムース」
「早乙女乱馬は、お前には気がない」
アヒルの姿のムースの時には、早乙女乱馬の思いと、今まで仕掛けたモーションの数々と、それらを躱された悔しさを、早口で祖国の言葉でまくしたてては、ぶつけていた。お前はアヒルだからと、人の言葉を知らないアヒルだから言うのだと、ムースとわかっていて語りかけていた。
「どうしろと。今更、女傑族の村には手ぶらで戻れないね」
もう、里帰りの回数も限界だ。なんの進展もないまま、里帰りの回数が増えるだけで、シャンプーの不名誉だけが重なってきている。
「おばばさまも、そうなるのをわかってて、日本に来たのかも知れんのう。ここは女傑族から、離れた世界じゃ。お前は、美しい。それにお前は賢い。……掟に縛られるのがもったいないと思わんか?」
「……アヒルに弱音を吐くんじゃなかったある」
猫の時のシャンプーは、ムースの寝所に潜りこんでいた時があったのだ。
「故郷の言葉を喋りたくなるのも、一人で夜道を歩くのも味気なく思って、お前を誘うのも、……私……」
猫の姿のシャンプーと同衾し、一緒に眠ったのは一度や二度ではなかった。心細かったのだ。故郷から遠く離れ、気の無い男を婿にするため、シャンプーは、自身のプライドも、人生で一番美しい時期も投げうった。これで良かったのか?それは曾祖母には言えない。ムースもそれをわかっていた。お互い、動物の姿をしている時の記憶は、忘れたふりをしていたのだ。
「逃げるなら、一緒に逃げてやるぞ、シャンプー」
そこまで自分を好いてくれる男は、ムースだけだとシャンプーはわかっていた。
「謝謝」
「シャンプー?」
おらと、逃げることを選んだのか?いや。シャンプーの目線は強く、唇に微かに笑みを浮かべているだけだった。
「……ムース、お前がいてくれて、心強く思うとは情けないが、礼は言うね」
シャンプーの足取りは、猫飯店の方角に進んでいった。ムースは軽くため息をつきながら、笑い返した。
「帰る。ひいばあちゃんが待ってるね」
「了解」
振られてしまったか。なあに、一緒に住んでいるのだ。チャンスは生きている限り、あるだろう。
除夜の鐘を聴きながら、ムースも、来年こそはと、微かに呟いた。
「ムース」
「なんじゃ、シャンプー?」
シャンプーはムースを真っ直ぐに見つめて言った。
「新年好」
煩悩は、払えない。ならば、まみれて生きるまでだ。
「新年好、シャンプー」
初日の出が昇るまでの数時間、今年は何を願おうか。願わくば、人間の姿をしたまま、本音を語らい、寝所に共に眠る仲になりたいと、ムースは願った。