誰にも、あげない・4 静かな雰囲気には慣れているつもりでいた。三日月と一緒にいる時は、会話がない時ももちろんあるし、それは決して居心地の悪いものではなくて優しい時間だ。
だが。
「……あの…」
今、光忠は最高に居心地の悪い空気のまっただ中にいた。目の前には今剣をはじめとする三条の面々。三日月を寝かしつけてから訪れたのだが、用件に入らせてもらえないまま時間が経っていた。
「さて伊達の刀よ。いつも我らの弟が世話になっておるな!」
岩融が静寂を突き破るように声を上げる。思わず肩がびくりと震えた。
「君には感謝しているんだよ、光忠。あの子がこちらに来た時はよく君の話をしていくんだ。光忠が、光忠がって」
「え…石切丸さん、それ、ほんと?」
「まことじゃ。まあ…意識的に一期一振の話題を避けているのかもしれぬが、出陣や遠征を除けばおぬしが一番三日月の傍におるゆえな。あれが本当に心を許しているのは、恐らくはおぬしだけじゃ」
小狐丸はゆるゆると杯を重ねる。三条の兄弟刀は本当によく三日月を見ているのだろう。そしてその傍らにいつもいる、自分のことも…。
「光忠。われらはみな、しっています。光忠のきもちを。あのこのことを、いつもいつもささえてくれて、ありがたくおもっています。あのこは、われらきょうだいにもこころのうちをあかしてくれぬことがあります。けれど光忠にはあかしたりするのでしょう?」
「いや…どうかな。そりゃあいろんな話は聞かせてもらったけど…でもまだ、心の奥底にある三日月さんの悲しみだとか、辛さだとか、そういうのは聞けてないと思うんだよね…。三日月さん、ずっと泣いてて…昨日から、ほとんど食べてないし、ちゃんと寝れてないんじゃないかと思う。熱も下がってないから、僕今日は三日月さんについてようと思ってて。いいよね?」
光忠がそう言うと、今剣がちょっと待てと言いたげに手で制する。
「今剣くん?」
「光忠。ここへきたのは、なんのためですか?」
そうだった。光忠は本題を忘れかけていた。すでに三日月への想いが知られているということも手伝って、肝心なことが抜けていた。
「僕、燭台切光忠は、三条・三日月宗近を妻に迎えたく。今は僕の気持ちを告げて、受け止めてもらってる最中なんだけど、何があっても僕は三日月さんを手に入れるつもりでいる。三日月さんを絶対にひとりにしないし、泣かせないから、どうか僕のことを認めてください」
手まではつかなかったものの、ぴしりと頭を下げた光忠。今剣達は顔を見合わせ、頷き合った。
「光忠。三日月をたのみますよ」
「頼んだぞ、伊達の刀よ」
「成就するよう祈祷をしておくね」
「…あれを泣かせたら、わかっておろうな?」
小狐丸だけが多少物騒ではあったが、三条の面々には許しを得られたことにホッとした。
「五条の白饅頭が、言うてきたのじゃ。光忠は本気だから、話に来たら聞いてやってくれと」
一瞬何のことかと思ったが、鶴丸のことである。
「白…まんじゅう…?あ。鶴さん?」
「そうじゃ。あれは童の頃から三日月、三日月と雛のようについてまわっておったゆえ。ころころとして、饅頭のようでな。三日月も末っ子であったので、弟ができたように構っておったわ。大事な兄のことを案じてのことじゃろうな。我らに頭を下げに来たのじゃ」
「鶴さんが…」
「この酒を土産に、光忠の気持ちを認めてやってくれと。ほんにあいつは三日月のこととなると…」
そうか。そんなに小さな頃から三日月さんのことを見ていたのか。ていうか小さい三日月さんに会ってみたかった…。
「光忠。いまふらちなことをかんがえましたね」
「不埒とかひどいよ!」
「仕方ないよ。光忠はここへ来るまで三日月とはろくに接点もなかったわけだから、あの子の幼い頃どころか博物館にいた頃の姿さえ知らないんだし。懸想する相手のことを知りたいと思うのは当然ではないかな?」
石切丸が助け舟を出してくれたおかげで今剣から胡乱な目で見られることは防げたが、でもやっぱり見たかったな、と思うのは仕方ないと思う。
「そのうち聞かせてやってもよいぞ。三日月の幼い頃の愛らしい話は」
「え、本当かい?小狐丸さん」
「…あれがおぬしの嫁となったらな。光忠、あれは本当に手強いぞ。他の心の機微には敏いが、自分のこととなると…。他を優先して自分を後回し、それでのうてもこれまで心を押し殺して振る舞ってきたこともあってなかなか心の底は見せぬ。じゃがな…」
小狐丸が杯を置いて、姿勢を正す。そして光忠にしっかりと向き直り、頭を下げた。
「三日月を途中で諦めてその手を離すような真似だけはしてくれるな」
「小狐丸さん…」
「我ら兄弟刀のみならず、あの子はこれまでたくさんの別れを経験して、多くを望まぬようになってしもうた。その三日月がたったひとつ願ったのが一期一振のこと。その一期があんなことになった今、これまでずっと傍にいてくれたおぬしまでが手を離してしもうたら…あの子はもう…」
光忠は膝の上で拳を握った。
「離さない。絶対に。僕はもうあのひとに誓ったから。ひとりにしないって。ずっとずっと傍にいるって。だから、僕が三日月さんの手を離したりなんて、そんな心配しなくていいよ」
三条の面々にそう宣言して、光忠は部屋を辞した。三日月の保護者達の協力を得られるのは大きい。自分ひとりの力で口説き落とすのが一番格好いいことはわかっているが、光忠は自分のメンツよりも、三日月の心を優先したかったのである。
『……光忠…』
喉が渇いて目覚めれば、水差しを入れ替えるために光忠が持ち出した後だった。仕方なく部屋を出てみると三条刀がよく集まっている今剣の部屋から話し声。中に入る勇気は出ず角で聞いていたら、光忠が兄刀達に自分のことを誓っていた。
『そうまで俺を、想うてくれるのか…』
光忠だけではない、今剣達も、鶴丸も、自分を心配してくれている。
『俺は、どうしたらよいのだろうな…』
600年の片恋を、どう終わらせたらいいのだろう。光忠のことは、多分好きなのだろうと思う。そうでなければ想われることを嬉しくは思うまい。だがどうしても心が待ったをかける。
もし、もしも、だ。一期が、欠片でも思い出してくれたら?思い出さずとも、自分を想ってくれたりしたら?そうなった時に、自分は…?
これほどまでに想ってくれる光忠を振り切り、一期の腕に飛び込むのか?
『ああ…もう…』
己の身体を抱きしめるように蹲れば、光忠が水差しを持って戻ってきていた。
「三日月さん!どうしたの、辛い?」
『ああ、辛いぞ…光忠…。もう、生きているのも辛いほどだ…』
光忠は駆け寄って三日月の額に手をあてた。
「熱は上がってないみたいだけど…さ、部屋に戻ろうね、三日月さん。今夜は僕ずっとついてるよ」
「そのような…童でもあるまいに…」
「甘やかしたいの、僕が。大事な三日月さんをね」
バチン、とウィンクをして光忠は三日月を立たせた。背中に手を回して、軽く促せば三日月は歩き出す。
今夜は月が出てなくてよかった、と三日月は思った。きっと今、自分は多少なりと赤い顔をしているだろうから。
『なんでそんなに優しい顔で、煌々しく笑えるのだ…。胸が痛くてかなわぬ…』
そんな三日月の心を知ってか知らずか、光忠は笑顔を崩さない。三日月を布団に入れて、水を飲ませる。
「どうかした?三日月さん」
覗き込まれて、思わず俯いてしまう。そのせいで耳が赤くなっているのを見た光忠が、どんな顔をしているのかを見ることはできなかった。
「ねえ、三日月さん。もっともっと、愛してあげるよ、甘やかしてあげる。僕以外の誰も目に入らないくらいにね…?」
「み、つた、だ…?」
その声が艶を纏っているのに気付いて三日月が顔を上げる。だが目に入った光忠は優しく微笑んでいるばかり。
「さ、横になろうか、三日月さん。寝るまで僕、ずっと見ててあげるから」
「そのような…落ち着かぬわ…」
「でも昼間は僕がいても寝てたよ?」
「そ、それは…!」
安心していたなんて、誰が言えるものか。ほっとして、睡魔に負けたなどと。二度目はまだしも、一度目の時は光忠の手に誘われるように寝入ってしまった。それを思い出してまた三日月の頬が染まる。
「ふふ。さ、おやすみ、三日月さん」
「うむ…」
促されるままに横になれば、光忠が布団をかけてくれる。髪を撫でて、肩のあたりをとんとん、と優しく叩く。
「いいこだから、寝てね。明日はきっといいことがあるよ」
いいこととは何であろうか。前に美味しいとはしゃいだよもぎ餅をおやつに出してくれるのだろうか?雑炊にたまごが余計に入るのか?それとも…一期が思い出してくれるのか?愛を囁いてくれるのか?
『ああ…俺というやつは、ほんにどこまで…』
傍に光忠がいてくれるというのに、それでも一期を求める自分の心がもう信じられない程だった。
『…消えてしまいたい…』
そう、願うのはおかしいのだろうか…。何が正しくて、何がおかしいのかなんて、一体誰が決めるというのだろう。息も出来なくなる程悩んで、三日月はゆっくりと意識を手放していった。
一期は顕現してからしばらくは内番に励むことになった。人として生活する術をまずは学ぶようにと審神者からのお達しであると長谷部に言われたのである。早く弟達に追いつくためにも戦いたいと言ったのだが、それは無理だと呆気なく却下された。
「あ、三日月さま!」
共に畑当番をしていた五虎退が作業の手を止めて三日月に声をかける。一期が顕現したあの日から、三日月は少し調子が悪いらしい。審神者からは戦いも内番も免除をされているのだとか。とうに練度は頭打ちの状態のため、問題はないようなのだが。
「ああ、五虎退ではないか。今日の内番は畑であったか。精が出るな」
藍色の着流し姿で庭を散策していたらしい。口元を扇子で隠す様はさすが平安生まれといったところだろうか。一期も身体を起こして三日月に会釈した。
「三日月殿、散歩ですか?」
「…ああ。今日は天気もよいし、少し日差しを浴びたくてな。畑当番は大変だの。俺も人になった頃は結構悩んだものだ」
「はい、なかなか慣れるとまではいきませんな。今はまずは弟達に追いつこうと必死でございます」
「左様か。励めよ。…ではな」
そう言って立ち去りかけたところに、黒い影がひとつ。
「三日月さん!…もう、またそんな薄着で出て…。風邪なんかひいたら格好悪いよ?」
「光忠…」
光忠は三日月の羽織を手にしていた。着物だけでうろついていた三日月をようやく見つけたらしく、彼はそっと三日月の肩に羽織らせた。
「まあ風邪ひいちゃったら、僕がお世話するけどね、もちろん」
「ならば安心だな。光忠の雑炊は美味だ」
「雑炊目当てなの??」
そっと三日月の背中に手をあてて促しながら光忠は三日月に話しかけ続ける。左手を差し出せば三日月は何も言わずにその手を取った。その瞬間少しだけ光忠は目を細めたがすぐに表情は戻った。こっちを見ている五虎退達には軽く手を挙げて挨拶だけしつつ。
「…五虎退、三日月殿と燭台切殿は随分と仲がいいのだね」
「お二人とも、かなり前から顕現されてますし、太刀同士ということもあって、よく一緒におられます」
「なるほど。最初の頃の苦労を共にされたのだね。それなら仲がいいのも納得だ。…さ、ついつい手を止めてしまった。収穫してしまおうか」
「あ、はい!」
何か胸にもやもやとした感覚があったが、まだ人としての感覚に慣れていないゆえであろうと一期はそのもやもやを過ごすことにした。
そっと振り返った光忠の口の端が小さく上がっていることに気付くはずもなく…。
「…光忠」
「なあに、三日月さん。寝る前だからもうお菓子はだめだよ?」
風呂上がりの三日月の髪を乾かしてやりながら、光忠は先手を打った。
「そうではない。俺がいつもいつも菓子を強請ると思うているとはひどいではないか」
「あれ?違うの?今日のおやつのずんだ餅、ちょっと残ってたんだけど」
「ち、違う!…ずんだ餅は明日いただくゆえ俺の分として置いておいてくれ…。そうではなくて…その…」
三日月が俯いてしまう。光忠は櫛で丁寧に整え終えてから、三日月の正面に正座した。
「三日月さん?」
俯いた三日月の顔を見たくて、光忠が呼びかける。
「…辛いのだ…ここに、いるのが…辛くて、たまらぬ…」
「三日月さ…」
顔を上げた勢いで涙が零れ落ちる。あまりに凄絶な美しさに光忠は言葉を失った。ぽろぽろと白磁の頬を滑り落ちるそれを拭おうと手を伸ばすが、三日月が首を横に振って触れさせようとしない。
「もういやだ…一期のことだけを想って600年…ただただ待ってきたというのに…。向こうは欠片も覚えておらぬ。頭では、わかっていても、心が追いつかぬ…どうしたらよいのだ、光忠…もう、いっそ…いっそ…」
「三日月さん」
その後の言葉は聞きたくなくて、光忠は強い力で抱き寄せた。
「いっそ、何?そんなの聞きたくない」
「みつただ…」
「ねえ、三日月さん。消えたいなんて、言わないでね。僕は、今のこの目の前の、泣いてるのにこんなに美しい、三日月宗近を誰より愛してるんだから。消えるなん て、言わないでね。あなたがいなくなってしまったら、僕はきっと壊れてしまう。だからここにいて。傍にいて。僕のために生きて」
「…そのような言い方…ずるいではないか…。伊達の刀は…格好良くないとだめなのではないのか…」
光忠はそっと三日月を抱く腕を緩めると、眼帯をはずした。初めて見る光忠の無防備な姿に、三日月は思わず泣くことも忘れて瞠目する。
「そなた、決してはずさぬものを…」
「鶴さんにも伽羅ちゃんにも、見せたことはないよ。三日月さんだけ。伊達者って言われる僕が、こうやって自分が格好良くないところを見せるのは、三日月さんだけ」
いつもは隠れている右目に、そっと手を伸ばす。頬に手をあてればその手に光忠が自分の手を重ねた。
「この、目は…見えるのか?」
「んーん。見えない。だから残念。この目が見えたなら、両目で三日月さんを見つめることが出来るのに」
見えないはずの右目にまでじっと見つめられて、三日月は頬が熱くなるのを感じた。
「ふふ、三日月さん、頬が赤いよ?」
「こ、このような熱っぽい視線に曝されて、赤くなるなというのが無理な話であろうが…」
「えー。だっていつもこのくらい近くにいるんだよ?いつもの衣装を着付ける時の方がずっと近いでしょ?髪を整える時も、鏡の三日月さんと視線を合わせることだってあるのに。僕はいつだって、三日月さんのことじっと見てたんだよ?」
「だって、それは…その…あの…」
ようやく三日月が泣き止んで、今度は恥ずかしそうに俯く。この人は何をしたって綺麗なんだな、と光忠はホッとしながらも感心していた。
「ねえ、三日月さん」
三日月に抵抗する力がないのを見定めて、光忠が膝に抱き上げた。
「わ、こら光忠っ」
慌てて抵抗してももう遅い。光忠はその腕の中に閉じ込めてしまう。いっそこのままこの腕から出さずにいられたらと思いながら。
「僕の気持ちはちゃんと三日月さんに届いてるみたいで、ちょっと安心した。今までずっと三日月さんを見てて、三日月さんはただの一度も誰かの好意は受け取らなかったからね。でも僕の気持ちはちゃんと受け止めてくれてるみたいでよかった」
「…え…?」
確かに誰の好意も受け取らなかった。差し出された手も取らなかった。もちろん世話をしてくれる刀達には手を引かれたりもしたけれど。短刀達ならいざしらず、手を繋いだままなどということはなかった。
ほら、三日月さん、行こう?と光忠が手を差し出してくれた時、自分はどうしていただろうと考える。一期が顕現してからのこの数日、自分は…?
「…俺は…そなたの手だけは…取っていたのか…」
「気付いてくれた?」
にっこりと笑ってみせる。ずっと三日月の世話をする上で、いつかこうなった時に三日月が自分を避けたりしないようにとさんざん刷り込んできたのだ。自分は決して三日月に仇なす者ではないと。ただひたすら厚意で三日月の世話をしているのだと。もちろん厚意の下には好意が存分に潜んでいたけれど。突然打ち明けたことで三日月が光忠を避ける危険性は十分あった。けれど常に傍らにいた気安さも手伝って、三日月は光忠を避けるということはしなかったのである。伊達に長期戦覚悟で挑んではいない。
他人との距離はあまり作らず、スキンシップにも抵抗はない三日月だが、他人に手を預けるということは滅多にしない。それが何故なのか、光忠はうっすらわかっている。
恐らくは、大坂城で一期にしか許していなかったのだろう、と。利き手は刀を握るものだから、この手は誰にも預けぬよ、とそれらしいことを言って微笑む。そう言われれば誰もが納得していた。光忠も最初は納得しかけたものだ。けれど注意深く観察しているうちに、理由がそれだけではないことに気付いたのである。
「三日月さんは、利き手を塞ぐことはしなかったよね。もちろん手を引かれたりしてちょっとだけ握られることはあっても、自分から握り返すことは絶対にしなかっ た。けれど僕が差し出した手は、握り返してくれたよ。僕、それに気付いてすごくすごく嬉しかったんだ。僕の気持ち、ちゃんと受け止めてくれてるんだなっ て」
「そ、れは…」
「心が追いついていない、整理がつかない…そりゃあそうだよ。そこにつけ込んであんな告白をした僕を、酷いと詰ってくれても構わない。けれど、僕は三日月さんに謝らないし、後悔もしてない。消えてしまいたいと思うくらいに辛いなら、その気持ちごと、僕が包むよ。過去にあったことは消せないから、三日月さんが一期くんを想ってきたことは仕方ないって思ってる。でもこの先は…僕のことを想ってほしいんだ」
どうして…と、三日月は思う。どうして光忠は、ここまで自分を愛したがるのだろう。光忠ほどの刀なら、相手はいくらでもいるだろうに。
「…どうして、俺なのだ…。こんな、過去を引きずっている爺に、何を求めるというのか。そなたほどの刀なら、こんな爺でなくとも…」
「三日月さん」
頬を包まれ、名を呼ばれる。三日月は正面から望月の両目に見据えられた。
「あなただから、こんなに愛おしいんだ。ねえ、大坂城で一緒にいたひとを愛していたあなたなら、わかるよね?僕には、今目の前にいる三日月宗近以外に、欲しいひとなんていないんだよ」
「みつた、だ…」
ああ、そうだ、この瞳は…ひとを愛しいと、恋しいと、愛を乞う者の瞳だ。一期もこんな熱っぽい瞳でいつも自分を見つめていた。
「愛してるんだ、三日月さん。僕だけのものに、なって?」
そしてそう乞われることが、嫌じゃない自分が確かにいる。一期のことは思い切ると決めた。
たった今、そう、決めた。
「…俺は、そなたのように美味しいものは作れぬぞ」
「僕がいつでも作ってあげる」
「おしゃれは苦手だ」
「僕が整えてあげる」
「じじいだぞ」
「僕はそんなこと思ったことない」
次々と返される。それが何とも心地いい。
「まだ、一期を思い切ると決めたところだ。そなたを恋い慕う気持ちを育てるのに、時間がかかるやもしれぬぞ?それでも…」
光忠は優しく笑う。
「それでも、僕はあなたのこと、誰よりも愛してるよ。ちゃんと待ってる。待ってるから、これからも僕の傍にいて?あなたの傍にいさせて?」
ああ、完敗だ。百歳以上も年下の刀に。
「…負けだ…俺の負けだ、光忠。これからも俺の世話を焼いてくれ」
「ふふ。仰せの通りに」
今生はこの伊達の刀と、互いが破壊の憂き目を見るまでは…。
「じゃあ今日はこれだけは許してね」
光忠はそう言って、三日月の額にそっとキスを落とした。
「三日月さんがもう泣かないように、おまじない」
「ん…」
今はまだおやすみなさいの挨拶だけ。けれどそれでも光忠には大進歩だ。この瞳に揺れる三日月が、自分だけを映してくれる日はそう遠くない。一期を牽制し、三日月をこの腕に閉じ込めるまでは決して気は抜けないと光忠は決意を新たにした。