【ニコユキ】あなたのゆびさき 万年床にふたり並んで横になる。
狭苦しいから、どうしても体がぴったりくっついてしまう。仕方がないことだ。枕をふたつ並べるスペースなどないから、腕枕されることになる。これも、仕方がない。
これは断じてユキが望んだことではない。ユキは本当は広くて清潔なベッドでゆったりと過ごしたいけれど、残念ながらここには汚くて狭くて、持ち主の体臭がしみついたひとつっきりの布団しかなくて、しょうがなく、やむにやまれず、ニコチャンの腕の中にすっぽり抱きしめられているのだ。
うなじにあたる腕枕が少しくすぐったい。頭の収まりがいい場所を探して、ユキは身じろぎをした。自分の頭を支えている彼の左腕をちらりと見れば、その肌は体毛で覆われている。無言で手を伸ばし、腕の体毛を逆立てるように撫でてやったら「くすぐってえよ」と穏やかな声で咎められた。
ニコチャンの手の甲から指のほうまで覆っている体毛をさわさわともてあそぶ。ニコチャンは抵抗をあきらめたのか、黙ったままだ。ユキは耳の後ろあたりに彼の視線を感じながら、ニコチャンの左手に指をからめた。
(あれ)
握った指先に、違和感があった。
ニコチャンの指先のことは、よく知っている。多分、本人よりも知っている。ユキを慈しみ、悦ばせ、愛してくれる指先。目を閉じれば、彼の指先の温度まで、ユキははっきりと思い描くことができた。
「先輩、ここ、変なふうに硬いっすね」
頭の下に敷いた腕をぎゅっとこっちへ持ってきて、指先を触りながら問いかけた。ニコチャンの指先の、いわゆる指の腹の部分。
ユキはそこを自分の指先で撫でて、ニコチャンの皮膚が硬くなっていることを示した。
「どこがヘンなふうにカタいって?」
「……バカじゃないすか」
ユキは寝たまま頭を横に振って軽く頭突きをした。どれどれ、とニコチャンは自分の指先を見る。
「ほんとだ」
「右手は?」
ふたりの顔の上で四本の手が交錯する。合わせて二十本の指が、せわしなくお互いの指先を探して触れ合った。
「むしろ右のほうが硬いな」
「うん」
「……これは、アレだな」
「ですね」
ニコチャンとユキは顔を見合わせて「パソコン」と声を揃え、ふたりで笑った。
「キーボード叩きすぎでしょ。タコができるってどんだけですか」
「しょうがねえだろ。そういうもんなんだから」
「人差し指のここ、マウスですかね?」
「あー、ちょうど当たるとこだな。こっちはEnterキー。ちょうど触れるところが硬くなってるわ。分かりやすいな俺」
「人類の進化ってやつですね」
この人は指まで骨が太くてゴツゴツしてるんだな、と思う。ずんぐりした指先の爪は深爪ぎみに短く切られている。ニコチャンの指を触っているうちに、その形が自分の胸の中で深い夜の記憶と結びつきそうになって、ユキは急に恥ずかしくなった。
「おまえだってさあ」
ユキの顔が熱くなっていることなど知る由もないニコチャンは、ユキの利き手の指先をつまんだ。
「ここ、硬い」
「え? あ、ペンだこ……」
カチコチに硬くなったペンだこを、ニコチャンの指が何度も往復してさする。
「いっぱい勉強したんだなあ」
「そんな……」
たしかに、いまどきこんなペンだこができるほど鉛筆を握るのは受験生くらいかもしれない。
誇らしいような照れくさいような、おまえは勉強しかしてこなかったんだという動かぬ証拠を突き付けられて情けないような、奇妙な気持ちになった。
「偉いよ、ユキは。俺の自慢」
ニコチャンがユキの指先を自分の唇に押し当てた。ユキが「ちょっと、」と抗議する間もなく、何度もキスし、指先を唇でそっと挟み、爪をぺろりと舐めさえした。
血の気が引くように、あのいつものぞくぞくっとした感じが体を巡り、ユキは動くことができなかった。
「おしまい」
さんざん好き放題して指先を解放したニコチャンは、横目でユキを見てゆっくりそう言った。
好きだ。
この人が好きだ。
感情がユキの全身から流れ出していく。せきとめていたものが、すべて決壊してしまった。
「……せん、ぱい」
「こんくらいしときゃ、手ぇ見るたびにちょっとくらい俺のこと思い出すだろ」
なにを言ってるんだ、この人は。
俺が今まで一時だって、あんたを忘れたことがありますか。
俺がどれだけあんたでいっぱいか、あんたはなにも分かってない。
「おれだって、」
声がかすれた。身を乗り出して、腕を伸ばしてニコチャンの右腕をつかむ。ニコチャンはそれを軽くいなして、両腕でユキの頭を抱え込んだ。
「キスだったら、指先よりしてほしいところがあるんだよ」
見下ろさせられた彼の瞳は、澄んでいるのに底が見えなくて。
「忘れられなくしてやりますよ」
ユキは目を開けたまま、ためらいなく唇を寄せた。