T.F.S 正月のお寺は、寒空の下でありながら人でごった返していた。
境内の中を他校のバスケ仲間と歩きながら、高尾和成は「寒いっすねー」と白い息を吐く。
「そうだなー」
と、海常高校の笠松幸男が眠たげな声を返した。
「秋田に比べたら寒くないけどな」
後ろで陽泉高校の氷室辰也が言う。
「東北の日本海側は寒そうですよね」
と、桐皇学園高校のマネージャーの桃井さつきが応えた。今日のメンバーで、唯一の女子だ。
彼らの後ろでは、誠凛高校の木吉鉄平がきょろきょろと屋台を眺めながら歩いている。隣では、洛山高校の黛千尋が表紙にイラストが描かれた本を読みながら歩いていた。混んでいるせいで歩みが遅いとはいえ、結構危ない。
「転ばないでくださいよー、黛さん」
高尾は声を飛ばして注意する。
黛はこっちを一瞥すると、「転ぶわけねえだろ」と冷めた声で返した。
屋台のほうを見ていた木吉が、「わっ。いたんですか」と黛のほうを振り向く。視野が広い高尾には関係ないが、影が薄い黛は注意していないと普通の人の視界からは外れがちだ。
のろのろと進んでいるうちに、高尾達はようやく屋台が並ぶ場所を抜ける。
本堂の前の列に並ぶと、高尾はコートのポケットに入れておいた小銭を数枚掴んだ。ひんやりとした感触がする。それが、少しずつ自分の手の熱で温かくなっていく。
「高尾は何お願いするんだ?」
笠松が訊いてくる。
「そりゃモチロン、秀徳の全国優勝っすよ」
と、高尾は答えた。
このメンバーで初詣に行くと決まった時から、高尾は何を願うかを決めていた。昨年は果たせなかった秀徳高校バスケ部の全国優勝。その目標を、今年こそは絶対に叶えたい。
順番が回ってきたので、高尾達は本殿の前の賽銭箱に小銭を投げ入れ、それぞれに参拝を済ませる。
普段はおは朝占い信者の相棒に、自分は占いを信じない、と明言している高尾だが、この時ばかりは念入りにお願い事をした。人生は楽しんだもん勝ちだと思っているので、こういうイベント事には全力で乗っかりたい。
「どうする? おみくじ引いていくか」
全員が参拝を済ませたのを確認してから、笠松がほかのメンバーに声をかける。結果、みんなでおみくじを引くことに決まった。
凶が出やすいことで有名なこのお寺は、元日でも容赦なく凶を出してきた。『大変に困難なことがあるでしょう。』と書かれた凶のおみくじを手に、笠松がその場で固まってしまう。
「ドンマイっすよ、笠松さん!」
高尾は元気よく声をかける。
「ああ……。そうだな……」
と、笠松は渋い顔で応えた。
「私、大吉でした」
桃井が弾んだ声で言う。「皆さんは、どうでしたか?」
「オレは吉だったぜ」
高尾は桃井におみくじを開いてみせる。
「オレも吉だよ」
と、氷室が笑顔で言った。
「ま、こんなもんだろ」
黛は無表情でおみくじを開いてみせる。結果は小吉だ。
「オレ、大吉だった!」
木吉が目を輝かせて言った。
おおー、と高尾は歓声を上げる。
「良かったじゃないすか、木吉さん。きっと膝も良くなりますよ!」
高尾は満面の笑みで木吉を祝う。
前年度のインターハイで誠凛が秀徳に大敗を喫したのは、木吉が膝の故障で途中欠場したのが大きな原因だ、と先輩達に聞かされたのを高尾は覚えていた。
「ありがとう、高尾君。いや~、今年は幸先いいなあ」
木吉がゆるゆると表情を緩める。
「ここに、怪我や病気も治る、って書いてあるね」
アメリカ帰りの氷室が、木吉のおみくじの英字部分を指す。
「オレ、そこまで英語得意じゃないんだけど……」
と、木吉が頬を掻いた。
「良かったですね。なんか私も嬉しいです」
桃井も木吉を祝う。
「ありがとう。桃井も大吉おめでとう」
木吉は屈託のない笑顔で応えた。
「ありがとうございます」
桃井も笑顔で応える。
それから、急に頬を染めると、
「大吉かあ。私、今年はほんとにテツ君と付き合えちゃったりするのかな~」
と、うっとりとした表情で言った。
「それもいいけどさ、桐皇の優勝を忘れてんじゃない?」
高尾はツッコミを入れる。
「それはもちろん狙ってくけどー。
私、チームが勝つことより、青峰君とテツ君が笑ってバスケしてくれることのほうが大事なんだよね」
桃井は微苦笑して答えた。
「オレはその気持ち分かるよ」と、氷室が口を挟む。「勝ちを狙いにいくのと同じくらい、バスケを愛する気持ちは大事だよね。オレも今年はアツシにもっとバスケを楽しんでもらいたいな」
爽やかな笑顔で言う美形に対抗して、「それを言うなら、オレも!」と高尾は挙手した。
「オレだって、真ちゃんにもっと笑ってバスケしてもらいたいっすよ!
あいつ、最初の頃は全然笑わなかったのに、最近ちょっと笑うようになったから!」
声を張ってそう伝えると、そばで聞いていた木吉が「ははは」と笑い声を上げた。
「みんな、自分達のエースが大好きなんだなあ」
などと、他人事みたいにおじいちゃんのようなことを言う。
「木吉さんだって、火神のこと好きでしょー?」
高尾は訊く。
「おお! 可愛い後輩だと思ってるぞ!」と木吉は即答した。
火神の兄貴分の氷室が、嬉しそうに口元を緩める。
「うちのエースは充分バスケは楽しんでるから、あとは体に気を付けてプレイしてもらいてえな」
黙って会話を眺めていた笠松が口を開く。「お前は……って、お前んとこはエースっつうかキャプテンか」言いながら、本を読んでいる黛のほうを振り向いた。
笠松の視線を受けた黛は、読書を中断して顔を上げる。
「オレは別に。ま、普通にバスケしてりゃ、それでいいんじゃねえの」
「それだけか? ほかに何かねーのかよ」
「ねえよ。これまでが普通じゃなかったからな」
負け知らずの頃は、負けたら全部失うみたいに思ってた奴だから。そう言い足して、黛は本に目を戻す。
そうなんだ、と高尾は心の中で思った。去年(と言っても、ついこの間)、ウィンターカップで赤司と対峙した時は、そんな印象は受けなかった。
「じゃあ、そろそろ解散するか」
笠松が全員の顔を見回す。「オレと黛は受験生だから合格祈願のお守り買いに行くけど、お前らはどうする?」
「オレは屋台を見てから帰ります」
木吉が答える。
「なら、オレも一緒に行こうかな」と、氷室が木吉に言った。「案内してくれるかい?」と尋ねると、木吉は快諾し、二年生の二人が共に行動することに決まる。
「オレらはどうしよっか」
高尾は同じ一年生の桃井に訊く。
「実は私、ここには青峰君と来てて。帰る前に捜していかなきゃいけないんだよね」
桃井は困り顔で、そう答えた。
桃井と青峰は幼馴染で、休日はよく一緒に行動しているということを高尾も知っていたので、特に意外にも思わなかった。
「そういうことなら、捜すの手伝うぜ?」
「ほんと? ありがとー! 高尾君のホークアイがあれば、すぐに見つかりそうだね!」
「いや、ホークアイって、そういう能力じゃないからw」
高尾は苦笑して答える。
高尾は視野が広く、頭の中で視点を変えてさまざまな角度から周囲を見渡すことができるが、だからと言って本物の鷹のようにすべてを俯瞰出来るわけではない。
「でも、この前も学校で人捜しに協力して、すぐに見つけられたんでしょ?」
桃井が小首を傾げる。
「ちょっと待って」
と、高尾は驚いて応えた。
「なんで、そんなこと知ってんの」
「うふふ。私の情報網を甘く見ちゃいけないよー?」
桃井が妖しく目を細める。
さすがは“あの”最強中学・帝光の元マネージャー。ただの美少女じゃないな、と高尾は思う。
「桃井のことは、高尾に頼んでいいか?」
最年長の笠松が訊いてくる。
責任感が強い笠松のことだから、きっと「女子の桃井は誰かが送らねーと」と考えていたのだろうが、本人は女子と話すのが苦手だから言い出せなかったのだろう。それを察した高尾は、
「もちろん。いいっすよー」
と快諾する。
結果的に、各学年ごと二人組に分かれて解散することになった。
桃井と二人きりになると、高尾は境内全体を頭の中で俯瞰しながら歩みを進める。すぐに唐揚げの屋台の前で、高身長で色黒の男を見つけた。
「青峰、いたぜ」
高尾は桃井に伝える。
「ほんとだ! すごーい。やっぱり、見つけるの早いねえ」
とお褒めの言葉を頂いた。
「んじゃ、オレはここで」
高尾は片手を挙げる。
「うん。――あの、高尾君」
と、桃井に引き留められた。
「何?」
高尾は踏み出しかけた足を止める。
桃井が高尾の顔を真正面から見て、
「いろいろ、ありがとね」
と微笑した。
「? 人捜しなら得意だから、気にしなくていいぜ?」
高尾は小首を傾げる。
「それもだけど、そうじゃなくて」
桃井が首を横に振った。
「ミドリンとテツ君の元チームメイトとして、一度お礼を言っておきたくて。
高尾君は、ミドリンにとって良い相棒で、テツ君にとって良いライバルでしょう?
ミドリンもテツ君も、きっと高尾君のお陰で、よりバスケを楽めてるんだろうなあって思うんだ」
さっき、帝光中のみんなが高校で大事にされてるんだなあ、って思ったらさ、なんか言いたくなっちゃった。そう言って、桃井は照れ笑いする。
「じゃあ私、青峰君のところに行くね。またね、高尾君」
そう言って、手を振りながら高尾に背を向けた。
「おう、またな」
高尾は手を振り返す。
桃井が青峰と合流したのを見届けてから、踵を返し、境内の外に向かって歩き出した。
(……礼を言われるようなことじゃないんだけどな)
桃井の言葉を振り返りながら、高尾は思う。
高尾は高尾なりに、天才・緑間真太郎の相棒だとか、幻のシックスマン・黒子テツヤの天敵という立場を楽しんでいるわけで。自分が好きでやっていることで礼を言われるのも、なんだか不思議な感じがする。
(ま、帝光中時代のあいつらは内部でいろいろあったっていうし。
元マネージャーとしては、なんか思うところがあったんだろうな)
そう結論づけることにして、高尾は思考を打ち切る。
賑わう人の群れをぼんやりと眺めながら、高尾の思考はもう、次のバスケの大会へと向かっていた。