エースとチームメイト「もうすぐイースターですよ、火神君」
バスケ部の練習中、体育館の端で休憩していた黒子が話しかけてきた。
「だから?」
火神は左手でボールを操りながら、横目で黒子の姿を捉える。
分かりませんか、と黒子は目で訴えてきた。
「イースターといえば、卵料理でしょう。ボクが腕をふるってゆで卵を作る時が来たようです」
「別にイースターは卵食う日じゃねえからな?」
火神は呆れて応える。
バレンタインデーはチョコレート、クリスマスはケーキ。そして、イースターは卵料理。どうして、日本では各種の欧米の行事が特定の食べ物を食べる日になっているのだろう、とアメリカ育ちの火神は不思議に思う。
「でも、イースター・エッグはゆで卵の殻に彩色するんでしょう?」黒子が首を傾げる。
「アメリカじゃ、菓子詰めたプラスチックの卵のほうが多かったよ。ゆで卵使うほうが少ねえんじゃねえの」
火神が言うと、黒子は僅かにがっかりしたような表情を見せた。
相棒の小さな表情の変化を読み取って、火神は溜め息をつく。
「ま、お前がどうしてもゆで卵茹でたいっつうなら止めねえけど。なんなら、部活のみんなで集まってイースター・パーティでもやるか?」
「!」
黒子がぱっと顔を明るくする。
「なになに。パーティやるの?」と、先輩の小金井が話を聞きつけてやって来た。
「ああ、はい。まだ本決まりじゃないっすけど――」
「みんなー! 今度、火神んちでパーティやるんだってー!」
火神が言い終わらないうちから、小金井が部員に召集をかける。体育館にいたバスケ部員全員が、小金井の呼び声に反応して集まってきた。
「パーティ? 何のパーティだ?」
「イースターのパーティだって!」
「へー。本場から来た火神がいるなら、本格的なのが出来そうだな」
「いや、別にアメリカが本場じゃないんすけど……」
「どんなことやる予定なの?」
「ただ集まって卵料理食うだけだよ。日本ではそんなもんなんだろ?」
「そうだねー。オレは火神の料理食えんなら、それで満足かな」
「そういうことなら、私も手伝ってあげ――」
「カントクは! 春休みも生徒会が忙しいみたいだから! オレらに任せてゆっくりしててください!」
「な、なによぉ。そんなに必死になって止めなくてもいいじゃない!」
わいわいと話をするうちに、結局、部員全員がイースター当日に火神の家に集まることに決まる。
料理を主に担当するのは、料理上手の火神と先輩の水戸部だ。ゆで卵には妙に自信がある黒子は、ゆで卵のみ担当することになった。
「じゃあ、当日使う食材はオレらのほうで用意する……です」
「おう。買い出しは頼むぞ、後輩諸君」
主将の日向が、ぽんと火神の肩に手を置く。「オレらは、なんとしてもカントクが料理しないよう注意しておく」眼鏡の奥の目を険しくして、低く潜めた声で言った。
「頼んだ……です。もう、あんな目には遭いたくないんで」
カントクが作った鍋で部員全員が気を失うという昨冬の惨劇を思い出し、火神は震えた声で懇願する。
こくり、と日向が深刻な顔で頷いた。
イースター当日、火神はまず、同級生の黒子や降旗達と買い出しに出掛けた。
自宅に帰ったらテーブルセッティングを降旗達に任せ、黒子と並んでオープンキッチンに立つ。
黒子がゆで卵を作る間に、まずは唐揚げの仕込みを済ませた。次にそら豆を茹で、黒子が作ったゆで卵を潰して和えてサラダにする。
少し遅れて、先輩達が火神の家を訪れた。伊月の腕の中には、部活のみんなで飼っている愛犬の2号もいる。
2号とカントクがキッチンに入ってこないか警戒しつつ、火神は作業を進める。水戸部に黒子と代わってもらい、二人でケチャップライスを大量に用意した。
火神が大量の唐揚げを揚げる間に、水戸部は人数分のオムライスを実に手際よく完成させた。火神も大量の食事を手早く用意するのは得意だが、オムライスのように個々の分を用意しないといけない料理となると、兄弟が多い水戸部のほうが一人暮らしの火神よりも早い。
「あとはデザート出して終わりだ、です!」
唐揚げを山のように盛った大皿を、火神はリビングダイニングのテーブルに置く。
デザートを取りにオープンキッチンに戻ろうとしたところで、小金井から声をかけられた。
「あ。火神~! オレ、みんなの分のバウムクーヘン持ってきたよ!」
小金井が透明な袋に入ったバウムクーヘンを掲げる。
「え、そうなんすか。オレ、シムネル風ケーキ作っておいたんすけど」
火神が振り返って応えると、
「しむ……なんて?」
と、小金井が頭に疑問符を浮かべた。
「シムネルケーキ。イギリスで、イースターの時に食うケーキっす」
小金井にそう答えてから、火神はキッチンに戻り、十一個の丸い飾りが乗ったホールケーキを持ってくる。
本来シムネルケーキは生地にラム酒に漬けたドライフルーツを使うのだが、高校生で一人暮らしをしている火神に(料理用とはいえ)酒が買えるわけがないので、普通のケーキをそれっぽく飾って作った。
「へ~。火神君は、アメリカではイースターの日にこういうの食べてたの?」
カントクがケーキを覗いてくる。
火神の予想通り、この中で唯一の女子であるカントクはスイーツへの反応が早い。
「いや。カップケーキのほうが多かった、です」
カントクに答えながら、火神はケーキをテーブルの中央に置く。
「けど、オレはちまちましたもん作るの苦手なんで。
それに、シムネルケーキは飾りが十一個って決まってるらしいんすけど、うちは木吉サンいないと全部で十一人だから丁度いいかと思ったんだ、です」
中身はただのケーキなんすけどね。と言い加えて、火神はケーキの取り皿を取りに行く。カントクに「ねえ、写真撮ってもいい?」と訊かれたので、「どうぞ」と振り向いて答えた。
「カントク入れて、十一人。改めて考えてみても、うちは部員の数がほかより少ねえよなあ」
日向がぼやく。
「あとは、新一年生がどれだけ入ってくれるかだな」
と、伊月が応えた。
「入っても、どれだけ残ってくれるかが問題よ」
カントクが溜め息をつく。「今年も育て甲斐のある金の卵が入ってくれるといいんだけど」言いながら、パシャリとケータイでケーキを撮った。
「今年も新勧頑張らないとだよねー! な、水戸部」
小金井の声に水戸部が頷く。
水戸部は火神が戻ってきたのに気づくと、「お疲れ様」と労ってくれた(ただし、声に出したわけではないので、小金井が通訳してくれた)。
「それじゃあ、お料理も出揃ったところで――」
カントクが音頭を取る途中で、ガチャリとドアが開く音がする。
火神達がそちらを振り返ると、火神にとってバスケの師匠であるアレックスが下着姿で仁王立ちしていた。
「おー。お前ら来てたのか!」
「「「「「!?」」」」」
「だから、服を着ろっつってんだろ!!」
火神は着ていたエプロンを素早く脱ぎ、アレックスに投げつける。
「師匠に向かって服投げんなっつってんだろ!」とアレックスが喚いた。
「アレックスさん、いらしてたんですか?」
黒子が平然とした態度で尋ねる。
半裸の金髪美女を見た男子高校生の反応としてはあまりに淡泊すぎるが、スタイル抜群の桃井から迫られ慣れている黒子には大した刺激ではないのかもしれない。
「おお。昨日のうちにアメリカから飛んできたんだ」
アレックスが笑顔で答える。「私にとって可愛いキッズといったら、タツヤとタイガだからな」そう言って、火神が投げつけたエプロンを脇に放り投げた。
「そうですか。では、氷室さんがいる秋田にも行くんですか?」
「タツヤのとこには秋に行こうと思ってるよ。秋田っていうくらいだから、秋に観光に行くのが良さそうだろ?」
「そうかもしれませんね。秋田は米どころですが、お米が美味しいのは新米が出る秋ですから」
「Oh! ジャパニーズ・ライス!」
「つか、フツーにしゃべってねえで、アレックスは服着てこい!」
火神は堪らず、師匠と相棒の会話に口を挟む。
アレックスはなにやら愚痴を言いながら、火神の寝室へと下がっていった。
「あー、ビックリした。アレックスさん、来てたのか」
「てか、また火神のベッドで寝てたわけ? あの恰好で」
日向と小金井が赤い顔で火神に訊いてくる。
「まあ、そうなんすよ……」
と、火神は叫び疲れた声で答えた。
「とりあえず、温かいうちに食ってくれ、ださい。アレックスのことは気にしなくていいんで」
「そ、そう? じゃあ、みんな! 改めてカンパーイ!」
カントクの音頭に合わせて、部員全員でジュースやお茶が入ったコップを掲げる。
わいわいと食事が始まったタイミングで、服を着たアレックスが紙袋を持って戻ってきた。
「あ。アレックスさんも何か食べますか?」
気づいた先輩の土田が声をかける。
「私はさっき食べたから要らないよ。タイガ、アイスクリームくれ」
「冷凍室にラムレーズン入ってるよ」
火神は冷蔵庫を指して応える。
「Wow! さっすが、私の愛弟子」
と、アレックスは笑顔で冷蔵庫を開いた。
「さーて、と。お前らにイースターのプレゼントをやるぞー」
アレックスが冷蔵庫から出したラムレーズンアイスとケーキボックス、それと紙袋を手に火神の隣に座る。紙袋の中に手を突っ込むと、中から色とりどりのイースター・エッグを取り出した。次にケーキボックスを開き、これまた色とりどりのカップケーキを取り出す。イースター・エッグは模様が描かれたホイルに包まれた菓子らしきもので、カップケーキには大量のクリームがのっていた。
「うわ! カップケーキの色、めちゃめちゃ派手!」
「てか、これ食べられる色なの!?」
「しかも、ちょっと大きいわね……」
カップケーキを目にしたチームメイトが、口々に不安を表す。
「あ。でも、こっちは普通のチョコレートだ」
同級生の河原が呟いた。
河原がホイルを剥いたイースター・エッグの中には、卵型のチョコレートが包まれていた。
「チョコレートは普通みてえだな。
よし。お前らの中の誰か、ちょっとカップケーキ食ってみろ。火神は当てになんねえから、それ以外でな」
日向が後輩に命じる。
「えー。オレ嫌ですよぉ」と降旗が嘆願した。
「まあまあ、人助けだと思って」
「あ。じゃ、じゃあオレが」
人助けという言葉に反応した福田が、率先して手を挙げる。
「正気か、お前!」
「福田君、考え直してください」
河原と黒子が止めるのも聞かず、福田は蛍光色のカップケーキに噛り付いた。少し咀嚼してから、「めっちゃ甘いです……」と顔を歪めて訴える。
「なんだなんだ。お前らは薄味のほうが好きなのか?」
アレックスが片眉を下げる。
「日本人は大体こんなもんだよ……。だから言っただろ。アメリカ人の味覚と一緒にすんなって」
火神は嘆息し、アレックスに意見した。
アレックスが反論してくる――かと思いきや、にんまりと口元を緩める。
「な、なんだよ? アレックス」
「いやー。日本に帰ったばかりの頃は、『アメリカはこうなのに、なんで日本はこうなんだー』って文句ばかり言ってたタイガが、まさかそんなことを言うとは思わなくてな」
「べ、別にいいだろ」火神は狼狽えつつ応える。「こっちでの生活がそれなりに長くなってきたんだ。そりゃ、意見だって自然と変わってくるだろ」
「いいや。お前の意見が変わったのは、こっちに長くいたからじゃなくて、こっちで大事な仲間が出来たからさ」
アレックスが微笑む。「そうやって庇いたくなるくらいのな。良かったな、タイガ。いい仲間と出会えて」そう言って、頭を撫でてきた。
「だー! やめろ! みんなの前でガキ扱いすんじゃねえ!」
「なんだよ、キスのほうが良かったか?」
「なお悪いわ! このキス魔!」
火神は迫ってくるアレックスを手で押しのける。
「いいなあ……!」「羨ましい!」などとほざく男子部員達の声に混じって、人間観察が得意な相棒が、微笑ましげに小さく笑う声が聞こえた。