【モブ→アサ】愛はことほぎ もう疲れただろうと俺は言った。
夕焼けを背負う鳴海の顔は逆光に翳り、清い輪郭ごとぼやけている。最も陰に塗りつぶされていても、その表情が芳しくないことは明らかだったけれど。
「俺にしとけばいいんだ、あんなやつほっといて」
「あなたもしつこいわね。離して」
強い口調に反し、語尾はわずかに震えていた。咄嗟に掴んだままの二の腕が心許なく、愛おしくて、腹のそこからほの暗い感情がふつふつと湧く。細い骨に柔らかい肉を貼り付けただけの、女のからだ。これが誰よりも強いファイトをするのだから空恐ろしい。しかし今は憧憬よりも苛立ちが先に立つ。垣間見える「理由」なる男が煩わしくて仕方なかった。眉を顰める鳴海に構わずまくしたてる。
「あいつは鳴海を好きにならないよ。お前のこと、いちばんに思ったりしない。
あいつが好きなのは自分だけじゃないか。
鳴海もほんとうはわかってるんだろ。絶対に鳴海なんか見ないって。
それでも思い続けるなんて、そんなのは」
不誠実だ。
雄弁な唇は謗りでしとどに濡れた。舐めればいつの間に切れたのか、僅かに血の味がして、俺はいよいよ高揚する。言いたいことは山ほどあった。伝えたいことは、山ほど。だって、鳴海のことを、ずっとずっと見てきたのだ。
「あなた」
熱を持った呼びかけにまばたきで返す。鳴海の唇はどこまでも赤く、麗しく艶めいている。レン様と笑うその声で、俺の名前を呼んでくれればいいのに。
甘くとろけるような夢想は涙声で砕かれた。
「私が傷つかないとでも思ってる?」
水を讃えた瞳が爛々とひかる。狼狽に手を緩ませた俺から鳴海はするりと身をよじり、晴れて自由となった。シワの付いた制服を手で払い、肩掛けのスクールバッグを持ち直せば、いつもの鳴海アサカだ。勝ち気な目が波打っていることを除けば。
「だからなんだっていうの。あなたは勘違いしてる。私はレン様に求めたりしない。あなたみたいに、自分の勝手な考えを押し付けない」
言いながら脇を抜ける、その鳴海の腕を、俺はもう掴めなかった。軌跡にぬるい花の匂いを残し、鳴海はドアを開く。
「私もあなたのことなんか好きにならないわ。私は優しくないからあなたのことを許さない」
首だけでこちらを見る、鳴海の瞳が怖ろしく眩しい。澄んだ空色に揺れる膜が張って、ちかちかと星じみて瞬いた。何か言わなくてはいけない。乾き縺れる舌がもどかしく、俺は口元を乱暴に拭う。嫌な感触がして、鈍い痛みが広がった。
「鳴海、俺は……」
「私のこと、ずっと好きでいればいいのよ」
涙はついぞ溢れなかった。鳴海は振り返らない。今日も雀ヶ森レンのところへ行くのだろう。陽の光で赤い教室に、俺だけが取り残されている。