さらば黄金の日々よ黄金のレガシー展開ネタバレを含みます。シャーローニ荒野鉄道開通後、長いカットシーンの後の内容となります。ご注意ください。
歩き出そうとしたウクラマトの足がもつれ、そのまま膝から力が抜けてしゃがみ込むのを、最後尾を歩いていたグ・ラハ・ティアだけが気がついた。
立ちこめた重たい雲を、強い西陽が血の色に染めていた。これまで、王国の安寧のシンボルでさえあった連王宮のそこかしこが血と刀傷、銃痕で傷つき、どこからも鉄錆と、焦げた肉のにおいがしている。力の入らない膝をどこか他人事のように感じながら、ウクラマトはそのにおいが心の深い場所を抉るのを感じる。
「...だいじょうぶか?」
クルルの招聘に応えて訪れたシャーレアンの賢人は、その赤い瞳に心からの気遣いをたたえていた。
「あんた、走りっぱなしだったんだろう。足に来ても不思議じゃないさ。出立の前に、何か腹に入れていこう。食べる気分じゃ、ないかもしれないが...」
ラマチ、何はともかくメシだ。メシを食わなきゃ、はじまらねえ。食べる気分じゃなくたって、何か食えば力がわいてくるもんさ。
まだ声色も鮮烈に、父の声が胸の内に蘇り、潤みかけた目をそらすように、ウクラマトは連王宮を振り返る。傷を、死を抱いて薄暗い、金凰の間の扉が夕闇にかすんでいる。
グ・ラハを、グルージャジャにも会わせたかったと思った。つわものと巡り会うことを無常の喜びにしていた父はさぞ喜んだことだろう。盾役に、アタッカー、癒し手までもこなす万能の使い手と、武理の両道を極め国をまとめあげた双頭の王。すきあらば王宮に呼び出して、手合わせにも宴にも付き合わせたに違いなかった。その感傷と、連王宮の薄闇が、閉じた口に綻びをつくる。
「...オヤジが王宮を抜け出すときはさ、いつもアタシが相棒だったんだ」
石造りの王宮の中に飽き飽きした小さなウクラマトが、王座の足元にじゃれつくようにして、おそとにいきたい、街にあそびにいきたい、そうねだると、父はいかにも仕方がないという顔をしながら、公務や会談をさっさと切り上げてはその肩にウクラマトをかつぎあげて笑った。ラマチが言うんじゃしょうがねえなあ、もっともらしくそんな風にいう武の父に、やれやれと首を振りながらラマチを言い訳に使うんじゃありませんといなす理の父。肩の上、ふたりの父の頭の間は、世界一安全なウクラマトの『とくとうせき』だった。王宮の賢士たち、衛士たちの、愛情のこもった苦笑いを尻目に、父とふたり街に繰り出す。そこら中から声がかかる、あらグルージャジャさま、また脱走ですか、こんにちはウクラマトさま、おいしい果物が入ってますよ、いやいや、今日こそはうちの店に寄っていってもらうぜ!活気ある民を、嬉しげに目をすがめて見ている父の眼差しを、誰よりも近いところで、ウクラマトは見ていたのだ。
「アタシはさ......継承の儀の結果がどうなろうが、オヤジがいて、兄さんたちがいて、トライヨラの街がある...この暮らしはずっと続くんだと思ってた。もし、自分が王になれなかったとしても、ラマチ、おめえはまだまだだな!とか、オヤジに小突かれながら、アタシにできることを探していくんだって...オヤジはまだまだ、そばにいてくれるもんだと、そう思ってたんだ。
まだ、よく分かってないのかもしれねえ。オヤジといっしょにタコスを食うことも、王宮を抜け出すことも、もうないってことがさ。どうすればいい?どうすれば、みんなを守れる?アタシがやろうとしてること、これでいいのか?ああ、今、オヤジにめちゃくちゃ相談してえと思ってさ、そうか、オヤジはいねえんだ...って、同じところをぐるぐる回っちまうんだ、情けねえよ...」
ラピス・マナリスを少し共に歩んだだけの青年を前に、震える足からにじみでるような弱音をこぼしてしまうことに恥を感じる。しかし、一度堰を切った、疲れ果てた心には、取り繕う余裕がなかった。
「......安易に、わかる、なんて言うつもりはないんだけどさ。だけど、オレにも、少しだけわかるよ、守りたかった大切な人がいなくなってしまった世界を、それでも歩いていかなければならないときの気持ちがさ......」
強い西陽を横から受けて、水晶の杖が透き通った残照を落とす。
「あんたは——グ・ラハは、どうしたんだ?どうやって、歩き続けたんだ?」
王宮の上に立ちこめた雲が、夕方の強い風に乗り、紅瞳の青年の上に、濃い影を落とす。水晶の蒼が杖先からしたたり、そこにいるものを、人ではない何かのように見せる。
「——わからない。わからないんだ、ラマチ。道のりはあまりに長く......大切な人たちはあまりにも遠くて——」
紅い瞳が、百年の哀しみを抱いてウクラマトを見返していた。
「ただ——わたしたちの前にしか、道はない。道はないのだ」
希望というにはあまりにも哀しく、絶望というにはあまりにも透明な声だった。
ウクラマトは、まだ立ち上がり方を思い出せない。しかし、自分はそれを再び見つけるだろうと思った。足の裏で、しっかりと大地をとらえること、膝に力をこめること、暗がりに灯りをともすこと、温かい食事を腹に入れること、深く眠り目覚めること——生まれ、生きている限り、繰り返す、前進の方法を思い出すだろうと思った。
もう少し、もう少しだけここで父を思い出したあとに。
ウクラマトの少し先に立ったグ・ラハ・ティアは、去ることも、ウクラマトのもとにかがみこむこともなく、連王宮に広がり始めた夜に囁く。
「——その道を征くあなたは独りでも、その道を照らす人たちが——あなたを決してひとりにはしない」
いまや連王宮にくまなく夕闇が満ちていた。オルコ・パチャから轟々と吹き降ろす、乾いて冷たい風が、ウクラマトの濡れた頬を抉り、二度とは戻らない日々の幻影を奪い去って消えていった。夕凪が終わり、しかし、雲の合間に、星々の強い瞬きが現れはじめていた。
了